◇。◇。◇。 【芥川竜之介の死】 【萩原朔太郎】 ◇。◇。◇。 【第1章】 ──── ◇。◇。◇。  七月二十五日、自分は湯ヶ島温泉の落合楼に滞在していた。朝飯の膳に向つ《かっ》た時、女中がさりげない風《ふう》でたづ《ず》ねた。 「小説家の芥川といふ《う》人を知つ《っ》ていますか?」 「うん、知つ《っ》てる。それがどうした?」 「自殺しました。」 「なに?」  自分は吃驚して問ひ《い》かへ《え》した。自殺? 芥川竜之介が? あり得《う》べからざることだ。だが不思議に、どこかこの報伝の根柢には、否定し得ない確実性があるや《よ》うに思は《わ》れた。自分はさらに女中に命じて、念のために新聞を取り寄せさせた。けれども新聞を見る迄もなく、ある本能の異常な直覚が、変事の疑ひ《い》得ないことを断定させた。  何事か、ある説明のできない不安な焦燥と、恐怖に似た真青《真っ青》の感情とが、火のや《よ》うに自分の全神経を駆けま|はつ《わっ》た。彼、つい旅行に出る数日前に、あれほど親しく逢つ《っ》て話した彼が、真実にも自殺をしたのだ。何たる意外、何たる青天の霹靂だら《ろ》う。むしろ自分は、《◇、》荒唐無稽の夢にうなされてるや《よ》うな感じもした。しかし心の隅の一方では、どこかまたそれが予期されて居り、或《あ》る自覚のない意識の影で、内密のものに触れたや《よ》うな思ひ《い》もした。 「やつ《っ》たな❢」  新聞の写真を見た時、悲痛に充ちた自分の心は、唇を噛んで低く呻いた。自分は苦しくなり、恐ろしくもなつ《っ》てきた。頭脳が急に充血して、何事も考へ《え》ることができなくなつ《っ》た。何かしら、これは大変な事件だと思つ《っ》た。じつ《っ》としている場合でないと思つ《っ》た。そして夢遊病者のや《よ》うに立ちあがり、半ば馳足《駆け足》で川上にある旅館をたづ《ず》ねた。その旅館(湯本館)には尾崎士郎君の夫妻が居た。尾崎君は吃驚し、呆然とし、それから異常な感激にうたれて立ちあがつ《っ》た。最近尾崎君《最近’尾崎君》は、私を通じて芥川君の人格につき知《/知》る所が多かつ《っ》たのである。 ◇。◇。◇。 【第2章】 ──── ◇。◇。◇。  何故《なにゆえ》に芥川竜之介は自殺したか? 自殺の真原因《シン原因》は何《なん》であつ《っ》たか? 思ふ《う》にそこには、いろいろな複雑した事情がある。故人の多数の友人たちは、種々《いろいろ》の異つ《っ》た見解から、夫々の意見を語るだら《ろ》う。自分について言へ《え》ば、自分は彼の多数の友人─《─:》─実に彼は多数の友人と|交つ《交じわっ》ていた─《─:》─の一人であり、しかも交情日尚浅《交情’日なお浅》く、相知ることの最もすくない仲であつ《っ》た。しかもただ、自分が彼について語り得る唯一の権利は、あらゆる他のだれよりも、すべての彼の友人中で、自分が最も新しい、最近の友であつ《っ》たといふ《う》ことである。  この「最近の友」といふ《う》ことに、自分は特に深い意味をもつ《っ》て言ふ《う》のである。何《なん》となれば彼の最近の作風には、一の|著る《著》しい変化と跳躍とが見られるから。そしてこの心的傾向には、しばしば私と共鳴同感するものを暗示するから。何故《なにゆえ》に彼が、あの文壇の大家芥川竜之介君《タイカ芥川竜之介君》が、私の如き非才無名の一詩人に対して、特別の好意と友情とを─《─:》─時としては過分の敬意さへ《え》も─《─:》─寄せられたかといふ《う》ことは、今にして始めて了解出来たのである。 ◇。◇。◇。 【第3章】 ──── ◇。◇。◇。  室生犀星君は、最近における故人の最も親しい友であつ《っ》た。室生君と芥川君との友情は、実に孔子の所謂《いわゆる》「君子《クンシ》の交り」に類するもので、互《互い》に対手の人格を崇敬し、恭謙と儀礼と、徳の賞讚とを以《以っ》て結びついてた。けだし室生君の眼からみれば、礼節身《礼節’身》にそなは《わ》り、教養と学識に富む文明紳士の芥川君は、正《まさ》に人徳の至上観念を現は《わ》す英雄であつ《っ》たら《ろ》うし、《:、》逆に芥川君の眼から見れば、本性粗野《本性’粗野》にして礼にならは《わ》ず、直情直行《直情チョッコウ》の自然児たる室生君が、驚嘆すべき英雄として映つ《っ》たのである。即ちこの二人の友情は、所謂《いわゆる》「反性格」によつ《っ》て結ばれた代表的の例である。  自分と芥川君との友誼は、室生君よりも尚新《なお新》しく、漸くこの三年以来のことに属する。自分は芥川君の死因について書く前、この短かい年月の間における、我々の思ひ《い》出深い交情を追懐して見たいと思ふ《う》。 ◇。◇。◇。 【第4章】 ──── ◇。◇。◇。  私が田端に住んでる時《とき》、或《あ》る日突然、長髪瘠躯《長髪痩躯》の人が訪ねて来た。 「僕は芥川です。始めまして。」  さ《そ》ういつ《っ》て丁寧にお辞儀をされた。自分は前から、室生君と共に氏《シ》を訪ねる約束になつ《っ》ていたので、この突然の訪問に対し、いささか恐縮して丁寧に礼を返した。しかし一層恐縮《一層’恐縮》したことには、自分が頭をあげた時に、尚依然《なお依然》として訪問者の頭が畳についていた。自分はあわててお辞儀の|ツギ《継ぎ》足しをした。そして思つ《っ》た。自分のや《よ》うな書生流儀で、どうもこの人と交際ができるかどうか。自分はいささか不安《’不安》を感じた。  しかし聡明な訪問者は、直ちに私の不安を見ぬいた。私のおどおどしてまごついてる様子をみると、彼《/彼》は直ちに態度をかへ《え》、急に平易なざつ《っ》くばらんな調子になつ《っ》て、心おきなく書生流儀で話しかけた。この時以来《とき以来》、自分は芥川君に圧倒された。すくなくとも自分より「上手《ウワ手》の人物」から、応接で圧倒されてることを感じ、一種の反抗的な気分に駆られた。そしてこの卑屈な反抗心は、その後の交際に於《於い》てさへ《え》も、ずつ《っ》と最後まで続いてきた。いつも私は彼の前で、故意に負けまいとする肩を張つ《っ》た。(いかに私が、みじめな愚劣の奴であつ《っ》たか❢) ◇。◇。◇。 【第5章】 ──── ◇。◇。◇。  私が彼を訪問した時、私が訴へ《え》んとするすべてのことを、彼《/彼》は前からちや《ゃ》んと知つ《っ》てた。その頃自分は、思想上や芸術上のことで、ひどく絶望的な悩みをもつ《っ》ていた。自分はそれを語ら《ろ》うとした。だが芥川君は聡明にもそれを予知して居り、私が口を利かない前に、先廻りをして話しかけた。そして彼一流の豊富の話題で、自分の考へ《え》てること、悩んでいることに議事を関連させ、最後に結論として、暗に私を鼓吹し、慰藉し、勇気と力をあたへ《え》るや《よ》うに仕向けてくれた。  所《ところ》がこれがまた私にとつ《っ》て不満であつ《っ》た。なぜなら私は、さ《そ》うした芥川君の態度について、先輩が後輩に示す所の、教訓や憐憫を感ずるからだ。もし芥川君が、実に自分の同感者であり、同病者であるならば、我々の会話は魂の深い所で、親友としての握手を交換すべきだ。然《しか》るに芥川君の態度は、どこか自分を高い所におき、単なる智的聡明さを以《以っ》て人を見ている。故にその同情は憐憫であり、侮辱であるにすぎないだら《ろ》う。  之《こ》れがまた、いつも自分の反抗心を駆り立てた。彼、年少者の分際として、より年長者の自分に対し無礼であら《ろ》うといふ《う》意識が、故意にまた彼の前で肩を怒《-いか》らさした。何よりも私は、彼《/彼》の「聡明さ」が気に入らなかつ《っ》た。彼は単に聡明であり、そして聡明であるにすぎないといふ《う》ことが、私の芥川君に対する不満であつ《っ》た。  ああ❢《❢。》 しかしながら今日、いかに私が明盲《アキメクラ》の鈍物にすぎなかつ《っ》たことだら《ろ》う。ずつ《っ》と後《あと》になつ《っ》てから、私は漸く始めて、少《/少》し宛芥川君《ずつ芥川君》の真人物《シン人物》を理解し出したのである。 ◇。◇。◇。 【第6章】 ──── ◇。◇。◇。  芥川君は、詩《し》に対しても聡明な理解をもつ《っ》てた。彼は佐藤春夫、室生犀星、北原白秋、千家元麿、高村光太郎、日夏耿之介、佐藤惣之助等《佐藤惣之助ら》の諸君の詩《-し》を、たいてい忠実に読破していた。のみならず、堀辰雄、中野重治、萩原恭次郎等《萩原恭次郎ら》、所謂新進詩人《いわゆる新進詩人》の作物にも、一通り広く目を通していた。  彼はよく詩壇を論じ、詩《し》について批評した。そして彼の見識は、殆んど大抵の場合に正鵠だつ《っ》た。この公平な理解と見識では、詩壇の最も高い純粋鑑賞に劣らなかつ《っ》た。しばしば芥川君は、私の古い詩《-し》について意見を述べ、表現技巧の欠点を指摘された。彼はいつも大胆に私に言つ《っ》た。「君の詩《-し》は未完成の芸術だ」と。そして自分は之《こ》れを承諾した。なぜならば私の詩《-し》は、彼《/彼》の指摘によつ《っ》て実際欠点《実際’欠点》だらけの物に見えたから。 ◇。◇。◇。 【第7章】 ──── ◇。◇。◇。  或《あ》る日の朝、珍らしく早起きして床《トコ》を片づけている所へ、思ひ《い》がけなく芥川君が跳び込んできた。此処《ここ》で「跳び込む」といふ《う》語を使つ《っ》たのは、真にそれが文字通りであつ《っ》たからだ。実際その朝、彼《/彼》は疾風のや《よ》うに訪ねてきて、いきなり二階の梯子を駆け登つ《っ》た。いつも、あれほど礼儀正しく、応接の家人と丁寧な挨拶をする芥川君が、この日に限つ《っ》て取次ぎの案内も待たず、いきなりづかづかと私の書斎に蹈《踏》み込んできた。  自分はいささか不審《’不審》に思つ《っ》た。平常《いつも》の紳士的な芥川君とは、全《てん》で態度がちがつ《っ》ている。それに第一、こんなに早朝から人を訪ねてくるのは、芥川君として異例である。何事が起つ《こっ》たかと思つ《っ》た。 「床《トコ》の中で、今、床《トコ》の中で君の詩《-し》を読んで来たのだ。」  私の顔を見るとすぐ、挨拶もしない中《うち》に芥川君が話しかけた。それから気がついて言ひ《い》わけした。 「いや失敬、僕は寝巻をきているんだ。」  成程、見ると寝巻をきている。それから面喰つ《らっ》ている私に対して、ずんずん次のや《よ》うなことを話し出した。この朝、彼《/彼》はいつもの通り寝床に居て、枕元に積んである郵便物に目を通した。その中に詩話会から送つ《っ》てくる「日本詩人」といふ詩《-し》の雑誌があつ《っ》た、始めから一通り読んで行く中《うち》に、私の「郷土望景詩《郷土ボウケイシ》」といふ《う》小曲に来た。それは私の故郷の景物を歌つ《っ》たもので、鬱憤と怨恨とにみちた感激調の数篇《スウヘン》を寄せたものであつ《っ》たが、彼《/彼》がその詩《-し》を読んで行く中《うち》に、やみがたい悲痛の感動が湧きあがつ《っ》てきて、心緒の興奮を|押へ《押さえ》ることができなくなつ《っ》た。そこで勃然《ボツゼン》として床《トコ》を蹴り、一直線に私の所へ飛んで来たのだといふ《う》。さ《そ》う語つ《っ》たあとで、顔も洗は《わ》ず衣服も換へ《え》ず、朝寝姿で訪ねたことの非礼を謝罪した。  この感激にみちた話は、私を非常に悦ばした。自分のつまらない作品が、芥川君の如きやかましやの厳正批評家に対して、それほどの実感的興奮をあたへ《え》たといふ《う》ことは、たしかに非常の重大事でなければならない。私は感激して悦んだ。けれども同時に何かしら腑に落ちない妙な疑問が、別に新しく心の底にきざしてきた。  我々の詩《-し》について──新しい詩壇の詩《-し》について─《─:》─芥川君が聡明な理解と見解をもてることは、前述べた如く自分の常に敬服する所である。(文壇で我々の自由詩が解る人は、室生犀星、佐藤春夫の詩人小説家を除いて、実に芥川竜之介一人あるのみだつ《っ》た)概ねの場合に於《於い》て、彼《/彼》の詩《-し》の批判は正しかつた。自分はその「批判」に敬服していた。けれども彼の批判態度は、常に|著る《著》しく客観的だつ《っ》た。何よりも彼は、詩《し》の表現効果について意見を述べた。丁度小説《ちょうど小説》の価値批判が、描写(表現)の巧拙にかかるや《よ》うに、詩《し》についても同じ描写の効果性(即ち表現技巧)について求めた。即ち彼の批判態度は、純粋に鑑賞的であり、理智的であり、主観を混《-ま》じない美学的観照主義のものであつ《っ》た。  だから自分は、常に芥川君について考へ《え》ていた。要するに彼は、聡明なる「詩の鑑賞家」である。どれが善き詩《-し》であり、どれが悪しき詩《-し》であるかについて、彼《/彼》は正しく判別批判する。しかしながらそれだけである。彼自身は詩《-し》をもたない。彼自身は詩人でない。故にすべての詩《-し》は、彼《/彼》にとつ《っ》て単に「批判さるべきもの」であり、何等《なんら》「感動さるべきもの」でない。丁度《ちょうど》あの所謂劇通《いわゆる劇通》が、劇に対してもつ興味のや《よ》うに、単にその芸術を「批判する」のであつ《っ》て、一般観客の如く、真にそれを楽《楽し》んだり、感激したりするのではない。彼自身は劇の外に居て、劇を客観的に見ているもの、即ち所謂《いわゆる》「批評家」にすぎないのだと。そしてこの点から、自分は彼を室生君や佐藤春夫君─《─:》─その人たちは疑ひ《い》もなく詩人である。彼等は詩《-し》の鑑賞家であると共に、自分自身がまた詩《-し》を持つ《っ》ている作家である。──と区別した。  か《こ》うした私の見解は、その朝の出来事から動揺してきた。実にその心緒に詩《-し》を持たない人物が、どうしてそんなにも主観的に、人の詩《-し》によつ《っ》て感動流涕することがあり得ようか。この日の感激に燃えた芥川君は、平常《いつも》の鑑賞的な美学者ではなく、そんな批判的の態度を忘れてしまつ《っ》た所の、真の「詩《し》に溺れている詩人」であつ《っ》た。自分は彼の眼の中に、かつて知らない詩人的の情熱を見た。そして或《あ》る解決のできない疑問が、この不思議な人物について起つ《こっ》て来た。それはずつ《っ》と後々までも、彼《/彼》の自殺の直前までも、遂によく解くことのできなかつ《っ》た、或《あ》る恐ろしい意味をもつ《っ》た「神秘の謎」であつ《っ》た。 ◇。◇。◇。 【第8章】 ──── ◇。◇。◇。  そのこと以来、自分の芥川君に対する見解には、或《あ》る新しい動揺と変化が生じて来た。そもそもこの「理智の人」であり、洗煉された「礼節の人」である─《─:》─として一般に知られている──人物の内臓には、どんな不思議な情熱が火を噴いてるのか。その情熱の炎は、どこか地殻の深い内部で、地獄の硫黄の如く燃えてるや《よ》うに思は《わ》れた。自分の新しき友に対する興味は、それの秘密な本質を探索すべく、友情の ADVENTURE によつ《っ》て駆り立てられた。  しかしながら運命が、不幸にも我々を別離させた。そのことあつ《っ》て後《のち》、まもなく自分等《自分ら》の家族は田端を去り、鎌倉の方《ほう》へ移転してしまつ《っ》た。そして距離の|へだ《隔》てから、自然に交情が疏《疎》くなつ《っ》てきた。けれども尚《なお》、自分は作品を通じて「真の芥川君」「詩人としての芥川君」を見ようと努めた。自分は月々の雑誌をよ《読》んだ。そして、だがその結果は不満であつ《っ》た。作品に現は《わ》れた芥川竜之介は、依然として冷静なる「理智の人」であり、常識的判断に富んだインテリゲンチュアにすぎなかつ《っ》た。彼は透明な叡智を以《以っ》て、あらゆる自然の実相を見通していた。だが彼の眼鏡は、いつもただ素通しであつ《っ》た。何物の影も、その観照を曇らせない。しかしながらただ、彼《/彼》はそれを「見る」だけである。そして「感ずる」ことをしない。故に彼の観照が澄めば澄むほど、素通しの硝子における陰影の欠陥が|著る《著》しかつ《っ》た。  当然、私はかくの如き文学に不満をもつ《っ》た。文学上における主観主義者──それ故にまた浪漫主義者《ロマン主義者》─《─:》─としての私の立場は、芥川君の「あまりに文芸的な」「あまりに観照的な」態度を好まなかつ《っ》た。私の言語の意味に於《於い》て、「詩《し》」といふ《う》ことは主観性を観念している。だから主観性のない文学は、私の意味での「詩《し》」でない上に、自分の芸術上の立場として、対蹠的な地位に敵視するものでなければならぬ。そして芥川君の文学は、正《まさ》にこの点で自分の敵─《─:》─しかも最も強力な敵、それへの戦《戦い》で最大の名誉を感ずるほど、それほど偉大で強力な敵。──として感じられた。特に月々の「文芸春秋」に出すアフォリズム風の文字(侏儒の言葉)は、機智のために機智を弄する弄筆者流の悪皮肉《ワル皮肉》で、憎悪的にさへ《え》不満を感ぜずに居られなかつ《っ》た。  しかしながら自分は、不思議にまたその反対の好意を常に同じ作者に捧げた。何《なん》となれば彼の中には、丁度我々《ちょうど我々》の詩《-し》が求めているや《よ》うな「新鮮さ」や、特殊な鋭い「敏感さ」やがあり、或《あ》る説明できない神経の尖鋭が、溌剌たる言語の中で泳いでいるのを見るからだ。実に今日《こんにち》の老廃した、あまりに老朽衰廃した日本の既成文壇で、芥川君の如く「若さに充ちている」作家はない。彼の文学作品ほど、それほど詩人的な若さに充ちてるものが他にあるか。もし「詩《し》」といふ《う》言葉を、かりに「魂の若さ」と考へ《え》れば、すくなくとも芥川君は詩人である。(実際に言つ《っ》て、詩人は精神の永遠的な少年である。この同じことを芥川君自身も言つ《っ》てる。)  芥川君の文学は、そのあまりに文芸的であると共に、またあまりに少年的な、少年的《/少年的》であることに於《於い》て|著る《著》しい。今日《こんにち》の新しき日本詩壇が、芥川君と同趣相通ずるのも、実にただこの一点にある。そして芥川君以外の既成大家等《既成タイカら》が、我々の新しい詩《-し》と交渉をもたないわけも此処《ここ》にあるのだ。実に芥川君の文学は、少年客気《/少年客気》の文学だつ《っ》た。丁度《ちょうど》、彼《/彼》のあの容貌がさ《そ》うである如く、どこかに子供らしい、元気の好い、何でも新しいものや舶来のものに憧憬をもつ、鮮新無比の感覚が|をどつ《踊っ》ている。  それ故に芥川君は、私にとつ《っ》て一面の「敵」でありながら、同時にまた一面の「愛人」だつ《っ》た。もし私が、私の言語における「詩《し》」といふ《う》定義を換へ《え》るならば、彼《/彼》は疑ひ《い》もなく詩人─《─:》─しかも最も若き時代の詩人──であつ《っ》た。しかし私は強情だつ《っ》た。私の中の最も微妙な本能は、頑として彼の詩人でないことを、したがつ《っ》て彼の作品の不満であることを主張した。 ◇。◇。◇。 【第9章】 ──── ◇。◇。◇。  海に面した鵠沼の東家に、病臥中の芥川君を見舞つ《っ》たのは、私が鎌倉に居る間《あいだ》のことだつ《っ》た。ひどい神経衰弱と痔疾のために、骨《/骨》と皮ばかりになつ《っ》てる芥川君は、それでも快活に話をした。不思議に私は、その時の話を皆《みんな》おぼえている。病人は床《トコ》に起きあがつ《っ》て、殆んど例外なしに悲惨である所の、多くの天才の末路について物語つ《っ》た。「もし実に天才であるならば、彼《/彼》の生涯は必ず悲惨だ。」といふ《う》意味を、悲痛な話材によつ《っ》て断定した。それから彼は、一層悲痛《いっそう悲痛》な自分自身を打ちあけた。何事も、一切の係累を捨ててしまつ《っ》て、遠く南米の天地に移住したいと語つ《っ》た。  さ《そ》うした芥川君の談話は、異常に悽愴の気を帯びていた。自分は彼の作品について、時にしばしば一種の鬼気を─《─:》─支那の言語で、丁度《ちょうど》「鬼」といふ《う》字が表象する所の悽愴感を──感じていた。実に私は、至る所にこの「鬼」の形相《ギョ-ウソウ》を見た。彼の容貌や風格に、そのユニイクな文字や書体に、そしてとりわけ作品《’作品》や会話の中に。  丁度《ちょうど》、ひどい憂鬱の厭世観に憑《-つ》かれていた私は、談話のあらゆる本質点に於《於い》て彼と一致し、同気あひ《い》引く誼みを感じた。だが私は、彼《/彼》の厭世観の真原因《シン原因》が、どこにあるかを判然と知り得なかつ《っ》た。多分その絶望的な病気と、それに原因する創作力の衰弱とが、事情の主《シュ》なるものであると思つ《っ》た。且つ一つには、例の「人の心を見通す」聡明さから、彼一流《/彼一流》の思ひ《い》やりで、たまたま私と合槌を打つ《っ》てるのだとも考へ《え》た。実にこの一つの邪推は、彼《/彼》に対する交際の第一日《第イチニチ》から、私の胸裏に根強く印象されたものであつ《っ》た。彼はあらゆる聡明さで、あらゆる人と調子を合せて談話する。だがその客が帰つ《っ》たあとでは、けろりとして皮肉の舌を出すだら《ろ》う。そしていかに相手が馬鹿であり、愚劣な興奮に駆られたかを、小説家特有《小説家’特有》の冷酷さで客観している。  この考へ《え》は、たしかに不愉快なものであつ《っ》た。だが私は、かつて伊香保で知己になつ《っ》た谷崎潤一郎氏に対しても、やや同様の邪推なしに居られなかつ《っ》た。けだし私は、室生犀星以外のいかなる文壇人とも交際がなかつ《っ》た上、特に小説家については全く未知の世界に属していた。小説家は──あらゆる小説家は──私にとつ《っ》て「星からの人類」だつ《っ》た。彼等と交は《わ》ることは、私にとつ《っ》てちがつ《っ》た宇宙への観察だつ《っ》た。自分たち詩人の仲間は、すべてが単純な情熱家であり、客観的な観照眼を殆んどもたない。詩人は常に酔つ《っ》て居り、酔ひ《い》の主観境地でのみ話をする。然《しか》るに小説家は、常に何事に対しても客観的で、冷静な観察眼をはなつ《っ》ている。だから小説家と話をする時《とき》、自分等《自分ら》の倶楽部と全くちがふ《う》、冷酷にまで氷結された空気を感ずるのだ。そのちがつ《っ》た空気は、意地の悪い観察の眼をもつ《っ》て、じろじろと自分の酔態を眺めている。そこに丁度《ちょうど》、酒に酔つ《っ》た者が酔は《わ》ない人々の中にいて、意地悪く狂態を観察されるや《よ》うな、一種不愉快《一種’不愉快》な自覚が生ずる。  芥川君に対する時《とき》、いつも自分はさ《そ》うした不快さ─《─:》─観察されるものの不快さ──を、本能の微妙な隅に直感した。それからして自分は、時にしばしば彼を「意地悪《意地わる》き皮肉の人」とも考へ《え》た。けれどもこれは、小説家について全く知らない私が、一般の習性となつ《っ》てる小説家的本能(観察本能)を、たまたま初見《’初見》の谷崎君や芥川君について邪解《ジャカイ》したものにすぎなかつ《っ》たのだ。彼等は決して、そんな意地悪《意地わる》き観察をしているのでない。ただ態度が、職業的に習性となつ《っ》てるその小説家的態度が、ある冷酷な─《─:》─酒に酔は《わ》ない──観察本能を、我々ちがつ《っ》た世界の人間に印象させるにすぎないのだ。  話が余事にそれたが、最後に、別れる時《とき》、前言の一切を取り消すや《よ》うな反語の調子で、彼《/彼》は印象強く次の言語を繰返《繰り返》した。 「だが自殺しない厭世論者の言ふ《う》ことなんか、皆《みんな》ウソにきまつ《っ》ているよ。」  それから笑つ《っ》て言つ《っ》た。 「君も僕も、どうせニセモノの厭世論者さ。」 ◇。◇。◇。 【第10章】 ──── ◇。◇。◇。  芥川竜之介は、いよいよ私にとつ《っ》て不可解の謎、むしろ神秘的な人物にさへ《え》なつ《っ》てきた。彼は「思ひ《い》やり」と友情とに充ちた、愛すべく慕は《わ》しき人のや《よ》うでもあり、反対に冷酷で意地悪《意地わる》き人のや《よ》うにも感じられた。何よりも不可解なのは、一面極《/一面極》めて冷静なる理智の人でありながら、一面狂気じみた情熱に内燃している人のや《よ》うであつ《っ》た。彼は常識的な人物でありながら、どこにか驚くべく超常識的な、アナアキスチックの本能感をかくしている。常に彼の作品は、二二《ニニン》が四で割り切れる所の、あまりに常識的な理智的合理物でありながら、しかも言語の或《あ》る|かく《隠》れたる影に於《於い》て、|ふしぎ《不思議》に神秘的な「鬼」を感じさせる。  何よりも彼の矛盾は、一面に於《於い》て「典型的な小説家」でありながら、一面に於《於い》て「典型的な詩人」であることだつ《っ》た。そして小説家といふ《う》語の典型と、詩人といふ《う》語の典型とは、私の辞書に於《於い》ては全く矛盾した、両立できない反極に属している。彼は果して詩人だら《ろ》うか? それとも所謂小説家《いわゆる小説家》の範疇だら《ろ》うか?  自分が芥川君と別れている間《あいだ》、再三この疑問について考へ《え》た。そして結局、次のや《よ》うなはつ《っ》きりした断定に到達した。  芥川竜之介──彼は詩《-し》を熱情している小説家である。  その頃、雑誌「改造」の誌上に於《於い》て、彼《/彼》の連載している感想「文芸的な、余りに文芸的な」を読むに及んで、この感はいよいよ深くなつ《っ》て来た。その論文に於《於い》て、彼《/彼》はしきりに「詩《し》」を説いてる。もちろん彼の意味する詩《-し》は、形式上の詩《-し》─《─:》─抒情詩や叙事詩の韻文学──でなく、一般文学の本質感たるべき詩《-し》、即ち「詩的情操」を指しているのだ。私がこの文中でしばしば言つ《っ》ている「詩《し》」の意味も、もちろんこれに同じ。芥川君のあの論文、及び最近における彼の多くの感想をよ《読》んだ人は、いかに彼が純粋な詩《-し》の憧憬者であり、ただ詩的なものの中にのみ、真の意味の文学があり得ることを、必死に力説しているかを知るだら《ろ》う。  自分は不読にして、芥川君の以前の文芸観を知つ《っ》ていない。しかし最近の如く、彼《/彼》が詩《-し》に深い接触をもち、詩的の実精神《ジツ精神》に憧憬し、殆んどそれによつ《っ》て文芸観の本質に突き入らんとするが如きは、恐らくかつて見なかつ《っ》た所だら《ろ》う。自分の臆断する所によれば、最近の芥川君はたしかに一転期《イチ転期》に臨んでいた。彼の過去における一切の思想と感情とに、ある根本的の動揺があり、新《あたら》しき生活の革命に入ら《ろ》うとする、けなげにも悲壮な心境が感じられた。そして実際、この転囘《転回》は多少その作品にも現は《わ》れている。たとへ《え》ばあの憂鬱でニヒリズムの影が濃い「河童」や、特に最近の悲痛な名作「歯車」やに於《於い》て。  けれども自分は、依然として尚芥川君《なお芥川君》の「詩《し》」に懐疑を抱《-いだ》いていた。けだし芥川君は──自分の見る所によれば──実に詩《-し》を熱情する所の、典型的な小説家にすぎなかつ《っ》たから。換言すれば、彼自身《/彼自身》は詩人でなく、しかも詩人になら《ろ》うとして努力する所の、別の文学者的範疇に属しているのだ。実に詩人といふ《う》ためには、彼《/彼》の作品は(その二三《ニサン》のものを除いて)あまりに客観的、合理観的、非情熱的、常識主義的でありすぎる。特にその「文芸春秋」に連載された「侏儒の言葉」や、私の所謂印象的散文風《いわゆる印象的散文風》な短文やを見ると、いかに彼の文学本質が、詩人といふ《う》に遥かに別種の気質に属するかを感じさせる。しかも芥川君は、自ら称して「詩人」と呼び、且つ「僕は僕の中の詩人を完成させるために創作する」と主張している。  か《こ》うした芥川君の観念は、たしかに詩《-し》の本質観で誤謬をもつ《っ》てる。すくなくとも私の信ずる所は、芥川君と「詩《し》」の見解を別にする。それで私は、いつか適当の機会をみて、このことで芥川君と一論戦をしようと思つ《っ》た。丁度《ちょうど》その頃、雑誌「驢馬」の同人を主とし、室生、芥川の二君を賓とするパイプの会が上野にあつ《っ》た。私はその機会をねらつ《っ》た。だが不運にして芥川君は出席されず、帰途に驢馬同人《驢馬’同人》の諸君に向つ《かっ》て、大いに私の論旨を演説した。「詩《し》が、芥川君の芸術にあるとは思は《わ》れない。それは時に、最も気の利いた詩的の表現、詩的の構想をもつ《っ》ている。だが無機物である。生命としての霊魂がない。」私はさ《そ》ういふ《う》意味のことを、可成《かな》り大胆に公言した。 ◇。◇。◇。 【第11章】 ──── ◇。◇。◇。  それから暫らくして、或《あ》る夜、突然芥川君《突然’芥川君》が訪ねてきた。その夜、折あしく私の所に多数の人の集会があつ《っ》た為、殆んど話をすることもできずにしまつ《っ》た。その上に芥川君は、小穴隆一君や堀辰雄君等《堀辰雄君ら》の、大勢《大ぜい》の若い人たちと一緒であつ《っ》た。彼は土産に上等のシャンパン酒を置いて帰つ《っ》た。(今から考へ《え》ると、このシャンパン酒は彼の生前の形見だつ《っ》た。)  しかし芥川君が訪ねてきた時、私の顔を見るとすぐに叫んだ。 「君は僕を詩人でないと言つ《っ》たさ《そ》うだね。どういふ《う》わけか。その理由を|きか《聞こ》う|ぢや《じゃ》ないか?」  語調も剣幕も荒々しかつ《っ》た。電灯の暗い入口であつ《っ》たけれども、か《こ》う言つ《っ》て私に詰め寄つ《っ》た時の芥川君の剣幕は、可成《かな》りすさまじいものであつ《っ》た。たしかにその時、彼《/彼》の血相は変つ《わっ》ていた。かくしきれない怒気が、その挑戦的な語調に現は《わ》れていた。  一瞬間❢《❢。》 ほんの一瞬間であつ《っ》たけれども、自分は理由なしに慄然とした。或《あ》る刃物のや《よ》うなものが、ひやりとして胸に突き出された恐怖を感じた。彼の背後には、大勢《大ぜい》の若い壮士が立つ《っ》てた。イザと|いへ《言え》ば総がかりで、私に掴みかかつ《っ》てくるのだと思つ《っ》た。 「復讐だ❢《❢。》 復讐に来やがつ《っ》た。」実に或《あ》る一瞬間、自分はさ《そ》う思つ《っ》て観念した。 ◇。◇。◇。 【第12章】 ──── ◇。◇。◇。  数日後、今度は自分の方《ほう》から芥川君を訪ねて行つ《っ》た。丁度先客《ちょうど先客》と対談中であつ《っ》た彼は、ひどく憔悴して見えた。何となく眼に活気がなく、悲しくや《-や》つれているや《よ》うに見えた。だが私は例の調子で、相手の気分におかまひ《い》なく、無遠慮《ブエンリョ》にずばずばと放談した。漸く、その中に彼の顔には、平常《いつも》の明るい活気が現は《わ》れてきた。自分はこの日の印象ほど、芥川君の眼における少年らしさ、風貌における書生らしさを見たことがない。実に彼はその病弱の体躯の中に、無限の精力に溢れた「少年客気の勇」をもつ《っ》ていたのだ。  先客が帰つ《っ》たあとで、彼《/彼》は再度、前の日の鋭い質問を繰返《繰り返》した。 「君は僕を詩人でないと言つ《っ》たね。どういふ《う》わけだ。も《もう》一度説明《一度’説明》し給へ。」  だが今日は非常に落着《落ち着》いていた。声はむしろ沈痛にさ|へしづ《え沈》んでいた。そこで自分は、諄々として前からの考へ《え》を披瀝した。 「要するに君は典型的の小説家だ。」  自分がこの結論を下した時、彼《/彼》は悲しげに首をふつ《っ》た。 「君は僕を理解しない。徹底的に理解しない。僕は詩人でありすぎるのだ。小説家の典型なんか少しもないよ。」  それから詩《-し》と小説との本質観の相違について、我々はまた暫らく議論した。そして遂に自分は言つ《っ》た。自分が、自分の立場としての文学論を進めて行くと、窮極して芥川君は敵の北極圏に立つことになる。文学上の主張に於《於い》て、遺憾ながら我々は敵であると。 「敵かね。僕は君の。」  さ《そ》う言つ《っ》て彼は寂しげに笑つ《っ》た。 「反対に」  と彼はさらに言ひ《い》つづけた。 「君と僕ぐらい、世の中によく似た人間は無いと思つ《っ》て居るのだ。」 「人物の上で‥《‥:》‥或《あるい》は‥‥。でも作品は全くちがふ《う》ね。」 「ちがふ《う》ものか。同じだよ。」 「いや。ちがふ《う》。」  我々は言ひ《い》争つ《っ》た。しかし終ひ《い》に、彼《/彼》は私の強情に愛想をつかした。そして怨みがましい声で言つ《っ》た。 「僕は君を理解している。それに君《’君》は、君は少しも僕を理解しない。否。理解しようとしないのだ。」  その日の彼は、あらゆる点に於《於い》て深い悲痛の感をあたへ《え》た。声の調子そのものから、非常に沈痛の響《響き》をもつ《っ》てた。彼はいろいろなことを訴へ《え》た。どんなに自分が、アナアキスチックの自由に憧憬しているか。本質的な気質に於《於い》ては、むしろ遥かに私(筆者)以上のアナアキストであること。(芥川君は死ぬ少し前、白秋氏の「近代風景」といふ《う》雑誌に私の評論を出してる。その評論で、彼《/彼》は私を代表的な詩人的アナアキストだと評している。)それから妻子や家庭やの一切を捨て、自由な漂浪者《ヒョウロウ者》の群《群れ》に入りたいこと。室生犀星君の如く、感情の趣くままに自由な本能的行動をしたいこと。すべてそれらの自由にまで、いかに必死的な熱情をもつ《っ》て過去を一貫したかといふ《う》こと。しかも遂に何物も、何物の自由も自分には絶望であつ《っ》たといふ《う》ことを、悲しい沈鬱の語気を以《以っ》てかき口説いた。  すべてこれらの話をきいてる中《うち》に、私は涙ぐましく感傷的になつ《っ》てきた。そして従来の交際で、未だかつて知らなかつ《っ》た或《あ》る新しい発見が、この天才的な文学者の本質にひそんでいることを、朧げながらも自覚して愕然とした。実に芥川君が、それほど真の詩人的な情熱家であることを、かつて私は気がつかなかつ《っ》た。愚劣にも私は、彼《/彼》の「聡明さ」についてくだらない猜疑をした。彼は私と語るために、故意に話の主題を合せて、その心にもない人生的感傷論をするのだと邪推した。もつ《っ》と甚だしくは、談話の後で舌を出す皮肉な悪漢─《─:》─意地の悪い諷刺家──とさへ《え》想像した。  いかに腹立《腹立た》しく、私が飛んでもない間ちがひ《い》をしたことだら《ろ》う。芥川君の如く単純で、純粋で、子供らしく生一本の人間がどこにあるか。ずつ《っ》と前から、私がこの人に対して抱《-いだ》いていた、或《あ》る理由のない漠然たる愛慕の感は、実に彼の人物が有するこの本質点に存していたのだ。今思《今’思》へ《え》ば、そもそもの交情の始めから、彼《/彼》は何の衒ひ《い》も気取《気ど》りもなく、純真生一本の心でもつ《っ》て、満腔の熱情を私に向つ《かっ》て打ち明けてたのだ。然《しか》るに私の方《ほう》では、何《なん》といふ《う》卑劣な愚かしさだら《ろ》う。必要もない肩を張つ《っ》たり、無意味な猜疑の眼を向けたり、馬鹿げた警戒をしたりしていた。芥川君の死去の報に接した時、自分はむしろ彼の前に、舌を噛んで慚死《ザンシ》する恥を感じた。 ◇。◇。◇。 【第13章】 ──── ◇。◇。◇。  その夜さらに、室生犀星君と連れだち、三人で田端の料理屋で鰻を食べた。その時芥川君《とき芥川君》が言つ《っ》た。 「室生君と僕との関係より、萩原君と僕との友誼の方《ほう》が、遥かにずつ《っ》と性格的に親しいのだ。」  この芥川君の言《ゲン》は、いくらか犀星の感情を害したらしい。帰途に別れる時《とき》、室生は例のずばずばした調子で、私に向つ《かっ》て次のや《よ》うな皮肉を言つ《っ》た。 「君のや《よ》うに、二人の友人に両天かけて訪問する奴は、僕は大嫌|ひぢや《いじゃ》。」  その時芥川君《とき芥川君》の顔には、ある悲しげなものがちらと浮んだ。それでも彼は沈黙し、無言の中に傘をさしかけて、夜の雨中《ウチュウ》を田端の停車場《停車じょう-》まで送つ《っ》てくれた。ふり返つ《っ》て背後をみると、彼《/彼》は悄然と坂の上に一人で立つ《っ》ている。自分は理由なく寂しくなり、雨の中で手を振つ《っ》て彼に謝した。──そして実に、これが最後の別れであつ《っ》たのである。 ◇。◇。◇。 【第14章】 ──── ◇。◇。◇。  この会見の後《あと》、私は直ちに伊豆の温泉へ旅行した。そして或《あ》る朝、思ひ《い》がけない自殺の報伝に接したのである。万感胸に充ちて、今尚私《今なお私》は哀悼の言葉を知らない。思ふ《う》に故人のあらゆる友人は、だれしもこの感情に於《於い》て同じだら《ろ》う。けれども私の哀悼は、それらの人々の中にあつ《っ》てまた別である。実に久しい間《あいだ》、私は自分の胸中を打ちあけて語るべき、真のよき友人を持たなかつ《っ》た。稀れに芥川君を友に得たことは、自分の物寂しい孤独の生活で、真に非常な悦びであり力であつ《っ》た。  何よりも芥川君は、私を本質的によく理解してくれた。そして尚《なお》、一切の我がままと偏屈を許してくれた。(自分に友人のないことは、この偏屈と我がままのためであつ《っ》た、折角親《折角’親》しくなりかけても、それですぐ不和になつ《っ》てしまふ《う》。)この点で芥川君は、常に自分を寛容し、いたは《わ》り慰めてくれた。私がどんな生意気を言ひ《い》、屁理窟をこね、憎々しく突つ《っ》かかつ《っ》て行く場合にも、彼《/彼》は寛大に情意を理解し、決して腹を立てることがなかつ《っ》た。実に私は、その寛容に対して小癪に感じ、時に彼によつ《っ》て憐憫される怒りを感じた。しかも結局して、私は彼にいたは《わ》られ、甘やかされ、故意に駄々をこねることの悦びにさへ《え》、充分自ら飽満していた。即ちつまり言へ《え》ば、彼《/彼》は私の最も「親愛なる友」であつ《っ》たのだ。いかに、彼《/彼》なしに私の生活が寂しいかな❢  人が百人の友の中から、その一人を失ふ《う》ことは苦痛がすくない。けれども僅か二人、もしくは三人の友の中から、その一人を失ふ《う》ことは耐へ《え》がたい。自分は彼によつ《っ》て教へ《え》られ、彼《”彼》によつ《っ》て慰められ、彼《”彼》によつ《っ》てよき芸術の理解者を得た。彼死してどこにまた第二の芥川が有り得るか。どこにまた私の芸術を、私の詩《-し》を批評してくれる人があるのか。かくて先天的に孤独不運な私は、今日よりまたいよいよ孤独寂寥になつ《っ》てゆく。宿命よ❢ 呪ひ《い》あれと叫ばざるを得ないのだ。 ◇。◇。◇。 【第15章】 ──── ◇。◇。◇。  今こそ、自分は芥川君の自殺について、一つの判然たる推論を下すことができるのだ。もちろん理由は、さまざまの事情にからみついてる。けれども私の信ずる所によれば、彼《/彼》の自殺における「漠然たる不安」の一つは、近く来《来た》らんとする彼自身の心境的革命にまで、名状しがたき不安の困憊を感じたのである。実に芥川君の文学的生涯は、死を賭したる「彼自身への戦ひ《い》」だつ《っ》た。彼は自由を欲求していた。むしろディオニソス的なる、奔放不羈の自由を欲求していた。しかもその自由は、悲しいかな彼自身の教養に属しなかつ《っ》た。彼自身の教養は、あらゆる点に於《於い》て理智的であり、常識的であり、礼節的であり、そして二二《ニニン》が四的の透明さだつ《っ》た。  芥川君の生涯。それは鷲になら《ろ》うとして没落したツァラトストラの人間悲劇にたとへ《え》られる。彼はその遺書の中で、自ら神になら《ろ》うと企画した哲人《哲ジン》を諷刺している。しかしながら神にならずして、|だれ《誰》が真《シン》に完全に、自分自身の主人になり得るか。私の芸術は私の中の詩人を完成するためだといふ《う》彼の文芸観の真意も、これによつ《っ》て始めて了解されるのである。実に一方の眼から見れば、彼《/彼》は超人的な芸術至上主義者だつ《っ》た。自殺によつ《っ》て、彼《/彼》は芸術の完成境《完成きょう》─《─:》─美《ビ》のツァラトストラ──に達しようとした。けれども一方の眼は、同時に彼が没落した人間悲劇であることを語つ《っ》ている。いかに人間として、彼《/彼》は「熱情される自由」のために苦しんだか。芸術は、然り芸術は、彼《/彼》にとつ《っ》ての催眠剤たるにすぎなかつ《っ》た。(しかも皮肉なことには、その催眠剤がまた彼を死に導いた。) ◇。◇。◇。 【第16章】 ──── ◇。◇。◇。  あらゆる自分の芸術が、あらゆる自分の表現が、芥川君自身にとつ《っ》て不満であつ《っ》た。彼が実に書か《こ》うとしたものは、催眠剤としての文芸でなく、もつ《っ》と生活実感に迫つ《っ》てくる、真の意味での「詩《し》」であつ《っ》たのだ。しかも彼の教養が、理智の透明さが、詩人としての彼の表現を妨げた。彼は自分に叛逆した。彼は憤怒《フンヌ》し、そして一つの超人的勇躍を試みた。「河童」が「西方の人」が「歯車」が、それから最近の多くの作物がさ《そ》うであり、転期への黎明的な予想を見せてる。  けれども此処《ここ》に、彼《/彼》の|著る《著》しい破綻が感じられた。彼の書か《こ》うとした熱情は、いつも埋《埋も》れ火《ビ》の如く、微光する影の如く、さ《そ》うでもない他の断層─《─:》─気質的及び教養的断層──の下に埋積された。彼はしばしば力を感じた。そして実に長い間、見るも無慙な、悲壮な痛ましい戦《戦い》が続けられた。  何故《なにゆえ》に芥川君は自殺したか? 自分はもはや、これ以上のことを語り得ない。しかしながらただ、一つの明白なる事実を断定し得る。即ち彼の自殺は、勝利によつ《っ》ての自殺で、敗北によつ《っ》ての自殺でないといふ《う》ことである。実に彼は、死によつ《っ》てその「芸術」を完成し、合せて彼の中の「詩人」を実証した。真《シン》にすべての意味に於《於い》て、彼《/彼》の生涯はストイック─《─:》─それのみをただニイチェが望んでいた──であつ《っ》た。最後の遺書に於《於い》てすらも、尚且《なお且》つ芸術家の態度を持し、どこにも取り乱した所がなく、安静なる魂の平和(精神の美学的均斉)を失つ《っ》ていない。彼こそは一つの英雄、崇美なる芸術至上主義の英雄である。 ◇。◇。◇。 【第17章】 ──── ◇。◇。◇。  故人は平常《いつも》、常に菊池寛氏《菊池カン氏》を以《以っ》て「私の英雄」と称していた。だが実には、それと全くちがつ《っ》た意味に於《於い》て、芥川君自身が英雄であつ《っ》た。しかしながらそれは、悲痛な、傷ましい不断の戦《戦い》による英雄だつ《っ》た。生前《セイゼン》だれが──どんな彼の親友が──この傷ましい英雄を彼に見たか? 彼は人に理解されず、孤独な、寂しい墓の中に死んで行つ《っ》た。しかも自ら毒を服して、厳然と持し、精神のストイックな安静を失は《わ》ないで。  彼に於《於い》て、自分は正《まさ》にギリシャ人の、ストイック教徒の、ソクラテスの、芸術至上主義の山頂的な哲学を見る。そしてこの哲学から、逆に始めて彼の芸術論(文芸的な、余りに文芸的な)の戦慄すべき、かくされたる精神を知る。彼はニイチェの英雄であり、芸術至上主義の傷ましい殉教者だ。  そして私が此処《ここ》まで考へ《え》てきた時、始めてあの鵠沼における悲壮な会話が、言語の隅々まで明らかに解つ《っ》てきた。いかにその時、あらゆる天才の不運について、芸術家の宿命的な孤独と悲惨について、彼《/彼》が沈痛な声で訴へ《え》たか。愚かにも自分は、その時彼《とき彼》の悲哀について、真の事情を知ることができなかつ《っ》た。あまつさへ《え》彼が反復した最後の言葉─《─:》─自殺しない厭世論者の言ふ《う》ことなんか、たれが本気にするものか。──の深い意味さへ《え》、少《/少》しも了解することができなかつ《っ》た。実にその時、既に既に、彼《/彼》は死を計画していたのである。 ◇。◇。◇。 【第18章】 ──── ◇。◇。◇。  見よ❢《❢。》 この崇高な山頂に、一つの新しい石碑が建つ《っ》てる。いくつかの坂《’坂》を越えて、遠い「時代の旅人」はそこを登るであら《ろ》う。そして秋の落ちかかる日の光で、人々は石碑の文字を読むであら《ろ》う。そこには何が書いてあるか?  見るものは黙し、うなづ《ず》き、そして皆行《-みんな行》き去るだら《ろ》う。時は移り、風雪は空を飛んでる。ああ❢《❢。》 |だれ《誰》が文字の腐蝕を防ぎ得るか。山頂の空気は稀薄であり、鳥は樹木にかなしく鳴いてる。だが新しき季節は来り、氷は解けそめ、再び人々はその麓を通るだら《ろ》う。その時、ああだれが山頂の墓碑を見るか。多数の認識の眼を越えて、白く、雪の如く、日に輝やいている一つの義《正》しき存在を。 ◇。◇。◇。 【底本:「萩原朔太郎全集◇ 第九巻」筑摩書房】 【1976(昭和51)年5月25日初版発行】 【底本の親本:「廊下と室房」第一書房】 【1936(昭和11)年5月15日発行】 【初出:「改造◇ 第九巻第九号」】 【1927(昭和2)年9月号】 【※《◇》底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-《の》86)を、大振りにつくっています。】 【入力:きりんの手紙】 【校正:岡村和彦】 【2020年6月27日作成】 【青空文庫作成ファイル:】  このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https|://《コロン/スラッシュスラッシュ》www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。