◇。◇。◇。◇。◇。 【フランダースの犬】 【マリー・ルイーズ・ド・ラ・ラメー】 【菊池寛訳《菊池寛ヤク》】 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第一章】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  ネルロとパトラッシュ──この二人はさびしい身の上同志《うえ同志》でした。  ふたりともこの世に頼るものなく取り残された|ひと《独》りぼっち同志ですから、その仲のいいことは言うまでもありません。いや、「仲がいい」くらいな言葉では言いあらわせません。兄弟でもこれほど愛し合っている者はまずないでしょう。ほんとにこれ以上の親しさは|かんが《考》えられないほどの間柄でした。しかも、ふたり、と言っても人間同志ではないのです。ネルロは、フランスとベルギーの境を流れるムーズ河《ガワ》の畔《ホトリ》の田舎町アンデルスに生《生ま》れた少年。パトラッシュは、フランダース産の大きな犬なのです。このふたりは、年数《トシカズ》から言ったら、いわゆる|おな《同》じ年ですが、一方はまだあどけない子供ですのに、一方はすでに老犬の部類に入っています。ふたりが友達になったそもそものはじまりは、お互いに同情し合ったのがもとで、《:、》日を経《ふ》るにしたがって、その|気持は《気持ちは’》ますます深まり、今ではもう切っても切れない親しさ《-さ》にむすびついてしまいました。  村はずれの小さな小舎《小屋》、それがふたりの家でした。  この村というのは、ベルギーの首府アントワープから一里半ばかり離れたフランダースの一村落《イチ村落》で、まわりには麦畑や牧場が広々とつらなっていて、《:、》その平野を貫ぬく大きな運河の岸には、ポプラや赤揚樹《ハンノキ》の長い並木が、そよそよ吹《’吹》く微風にさえ枝をゆすぶっていました。村には家屋敷がおよそ二十ばかり、その鎧戸は、みんな明るい緑色か、青空そのままの色に塗られ、屋根は、多くは紅い薔薇色、または黒と白のまだらに塗られていました。壁は雪のように真白《真っ白》で、太陽に輝いている時は目が|いた《痛》くなるほどでした。村の中央には、苔むした土手の上に風車《フウ車》がそびえ立っています。この風車《フウ車》はこの辺一帯の低地の目標ともなっているものでした。ずっとずっと昔、この風車《フウ車》は翼《羽根》も何もかもすっかり真紅《真っ赤》に塗られたこともありました。が今は《は’》もうその燃えるような赤い色も風雨にさらされて|汚な《汚》く色あせてしまい、まわり具合も、よぼよぼのおじいさんのように、止ったり、動いたり、という有様になってしまいました。とは言えまだこの辺の人達の麦搗の役は充分足しています。この風車《フウ車》と向き合って古ぼけた小さな教会堂が建っています。その細長い塔の上の鐘は、朝に夕に、静かな、|かな《悲》しげな音をひびかせるのでした。東北《/東北》の方広々《ほう/広々》とした平野の彼方にはアントワープの旧教寺院の尖った塔が、そびえ立っているのが望まれました。平野《へーや》にはは《果》てしもなくあおやかな穀物の畑《ハタケ》がひろがって、まるで一面海のようでした。  さて、その村はずれの小屋の主人というのは、|大へん年と《大変’年取》った、そして|大へん《大変’》貧乏で、ジェハン・ダアズというおじいさんでした。このおじいさんも、ずっと以前は軍人で、あのナポレオンの大軍がこのベルギーに攻め入って来た時には、戦いに出た経歴も持っています。しかもこのおじいさんが、その戦場から持ち|かえ《帰》ったものとしては何一つなく、ただ、大きな傷を受けて、一生跛《一生チンバ》をひきずらねばならないことだけでした。  ジェハンじいさんが八十才になった時、じいさんの娘が、アンデルスというところで死に、二才になったばかりの男の子をおじいさんの手に残しました。自分一人の暮《暮ら》しさえやっとであるこの貧乏なおじいさんは、それでも愚痴一つこぼさず、この厄介者を引き受けました。そしてこの厄介者はじ《’じ》き、おじいさんにとって、可愛い、尊い、なくてはならない大切なものになってしまったのでした。その忘れがたみのネルロ──実《じつ》の名は《は’》ニコラスというのだが、それを可愛らしく呼んでネルロとしたのです─《─:》─は、この上ないおじいさんの慰め手となって、この小さな小屋は|ほんとう《本当》に平和でした。小屋は粗末な掘っ立て小屋にすぎませんでしたが、おじいさんは、いつもきちんと片づけ、貝殻のように白く塗り立てて、まわりには、ささやかな豆や薬草《/薬草》や南瓜《/南瓜》の畑をつくっていました。  このおじいさんと孫とは、おそろしく貧乏で、全くなにも口にすることのできない日が幾日《幾にち》もあり、たとえどんなにうまく行った日でも、これで十分というほど食べられることなど決してありませんでした。ですから二人にとっては、これで腹一ぱいというだけ食べられれば、それがもう天国へ《へ’》登ったほどありがたいことなのでした。しかしこんなに貧乏でも、おじいさんは親切でやさしく、孫のネルロも、嘘を言わない、無邪気な素直な心を持っていました。  ふたりはもうほんのわずかなパンの皮とキ《/キ》ャベツの葉っぱで満足して、その上はなんにも望みませんでした。ただ一つ、ねがいと言っては、犬のパトラッシュが、いつまでも側にいてくれればいい、と言うことだけでした。|ほんとう《本当》にパトラッシュがいなかったら、今頃このおじいさんと孫はどうなっていたことでしょう。  パトラッシュは彼等にとって全くなくてはならないものでした。この|犬一ぴき《犬’一匹》が、彼等──老いぼれた不具者と頑是ない幼児《幼子》──にとっては、《:、》ただ一人の稼ぎ人、ただ一人の友達、ただ一人の相談相手、杖《ツエ》とも柱ともたのむ、ただ一つの頼りなのでした。フランダースの犬は、一体に頭も四本の脚も大きく、耳は狼のようにぴんと立っていて、何代も何代も親ゆずりの荒い労働で鍛え上げたがっしりしたその足は、何れも外側にひらいてふんばっていて、見るからに異常な筋肉の発達を示しています。全くフランダースの犬は、親子代々、一生、はげしいむ《/む》ごたらしい労働にこきつかわれ、力つきて、ついには路上に血を吐いて行き倒《だお》れる、という運命を持っているのでした。そうした犬を両親にしてパトラッシュは生《生ま》れました。彼は悪罵と鞭とに育てられ一疋前《/イッピキマエ》の犬となる前にす《/す》でに荷車を挽く擦傷のいたさと、頸環《首輪》の苦しみを味《味わ》いました。彼は生れてやっと、一年たつやたたずで、もう、ある金物行商人の手に売られ、そこで、思い出すもおそろしい生活を強いられたのでした。その主人と言うのは、飲んだくれの情知らずで、食物《食べ物》などろくろく与えず、山のような荷をひかせ、絶え間なく鞭をふり下《下ろ》すのでした。幸か不幸か、パトラッシュには力がうんとありました。根がこう言った残酷な労働をするように生《生ま》れ落ち、慣らされて来た、鉄のような血統を受けているのですから、大抵の労働には、へたばることなく、したがって苦痛は増すばかりでした。重荷、鞭、飢餲《飢渇/》これらの苦しみが、この憐れな犬の、その主人からもらうただ一つのお給金のようなもので、その他には何一つ|むく《報》いられるものはありませんでした。  こんな、地獄のような苦しみを、二年ばかりも堪《-こら》えて来た後《あと》のある日のことでした。その日パトラッシュは、いつもの通り、あの有名な画家ルーベンスが生《生ま》れたアントワープの町に通ずる埃っぽい気持《/気持》ちの悪い道を、あえぎあえぎ、車をひいて行きました。車には、鍋類、鉄皿、鉄瓶、バケツ、その他いろんな瀬戸物類《瀬戸物’類》、真鋳類、錫類などが山と積んでありました。丁度夏《丁度’夏》の真盛《真っ盛》りでその暑さと言ったらありません。そうした中をパトラッシュは一日中何《一日じゅう何》も食べずそ《/そ》の上半日《うえ半日》も水を口にしないのでした。パトラッシュは苦しげにあえぎました。けれども主人は知らぬ顔で、のっそりのっそりついて行くばかり、時たま犬の方《ほう》を見るかと|おも《思》えば、すでに鞭は打ち下《下ろ》されて、その長い革ひもの先は、擦傷も露わな犬の腰にぐるぐると巻きつくのでした。金物屋は、道ばたに酒屋《サカ屋》でもみつければ、忽ち入りこんでビールをひっかけるのでしたが、犬《イヌ》には、運河の水を一飲《ひと飲》みするだけの暇さえ与えず、ただもう追い立てに追い立てて鞭《/鞭》をならすのでした。  |くわ《クワ》ッと照りつける太陽に、焼けるように熱くなった道。饑《飢》え切って|きりきり《キリキリ》いたむ腹、かわき切って|ひりひり《ヒリヒリ》いたむ喉、目は砂ぼこりでかすみ、腰に結びつけられた重荷の軛の情け容赦のない重さ。さすがのパトラッシュも、ぼっと気が遠くなり、生《生ま》れて初《始》めてよたよたとよろめいて、口から泡をふいて倒れてしまいました。これを見ると金物屋は、彼独特の気つけ薬をとり出しました。ああ、それは蹴ることでした。|どな《怒鳴》ることでした。かたい樫の棒で|なぐ《殴》りつけることでした。しかし、どんなに蹴ってみても、|どな《怒鳴》ってみても、|なぐ《殴》ってみても、今度はもうパトラッシュには利目《効き目》がありませんでした。彼は、ただもうぐったりと身動きもせず、白っぽい埃の中に横たわったきりでした。しばらくして行商人は、もうこれはとてもだめだと分《分か》ると、さもいまいましげに舌打ちをして、手荒く梶棒からとき放し、犬の体を、どん、と草のしげみへ蹴とばして、《:、》この|やくざ《ヤクザ》野郎め、蟻にさされるとも、烏につつかれるとも、勝手にしやがれ、と口汚く罵って、それから、ぷんぷん怒《-おこ》りながら今度《/今度》は自分で車を坂の方《ホウ》へ曳いて行きました。丁度その日は、向《向こ》うのルーヴァンの町でお祭りがある前の日でした。で、金物屋は、早くその市場《イチバ》へ行きついて、金物の店を出すのに都合のいい場所をとろうといそいでいるのでした。ですからこんなことになった今、金物屋の癇癪は|大へん《大変》なものでした。そのルーヴァンまでは、まだなかなかなんですもの。金物屋は、どこかに飼主《飼い主》にはぐれた犬でも居ないものか、いたら、なるたけ大きな奴をひっ捕えて、しばりつけてやろうと、|悪ごす《ワルゴス》い目をきょろきょろさせながら、さもやり切れなそうに車をひいて行きました。パトラッシュは蹴こ《込》まれたままでいました。茫々と草のしげった溝《ドブ》のなかに──  その日、その街道は|大へん《大変》なにぎわいでした。てくてく歩く人、驢馬に乗る人、あるいは二輪馬車、四輪馬車を走らす人、いずれも、お祭り気分で浮かれながらぞ《/ぞ》ろぞろ行くのでした。もちろんその人達の目にも、倒れた犬はうつったでしょうが、みんな、そのまま行きす《過》ぎてしまいました。要するにたかが死んだ|犬一ぴき《犬’一匹》、──それが、この地方でなんのめずらしいものですか。世界中どこへ行ったって、やはりなんでもないことなんでしょう。  しばらくすると、人波にも《揉》まれながら、腰の曲った、よぼよぼの跛《チンバ》のおじいさんが、やって来ました。別にお祭りに出かけるらしくもなく、みすぼらしい|ぼろ《ボロ》を着て、埃の中をだまりこんでやって来ました。このおじいさんが、パトラッシュをみつけると|ふしぎ《不思議》そうに立ち止り、草を分けてそばへ寄り、親切な目つきで、しげしげと犬の|からだ《体》をしらべてみるのでした。  おじいさんのそばには、三才ばかりの、バラのような頬っぺたの、髪の房々した瞳《/瞳》の黒い子供がくっついていました。草は、その子の胸までもあるのでした。子供はおじいさんにつかまり、これは|大へん《大変》だ、と言わんばかりに目をまるくして、可哀想な犬をじっとみつめていました。こうしてふたりははじめて会ったのでした。──子供のネルロと、大犬のパトラッシュとが。──  さて、ジェハンじいさんは、いろいろに骨を折って、ようやく犬《’犬》の|からだ《体》を、じき近くの、自分の小屋へ運びこみ、息のたえたこの犬を、心をこめて介抱してやりました。しかし、パトラッシュの倒れたのは、暑さと饑渇《飢渇》とつかれで、一時目《一時’目》がくらんだためですから、|日かげ《日陰》へ|しず《静》かにねかしておくうちに、やがて、元気をとり戻して来ました。そうして、はや、よろめきながら、立ち上《上が》ろうとさえするのでした。それから何週間《ナン週間》もの間《あいだ》、パトラッシュは、力もなく、役にもたたず、全くの病犬で、死には《は’》すま《ま-》いかと、案じられるようでした。しかしその間《あいだ》、犬は決して、荒くどなられることもなく、いたい鞭も受けませんでした。ただ受けるのは、可愛らしい子供の、片言ま《交》じり|なぐさ《慰》めと、おじいさんの、親切な|いたわ《労》りばかりでありました。まことに、このさびしい年寄《年寄り》と、幼児《幼子》、この二人だけが、心をつくして病気の犬を見守るのでした。小屋の隅には、枯草を山のように積んで、犬の寝床ができました。そうしておじいさんと幼児《幼子》とは、じっと耳をすまして、犬の寝息をうかがい、その息さえ聞こえれば、ほっと安心するのでした。  犬はようやく元気になって、はじめて、一声吠えてみると、それを|うれ《嬉》しがって、おじいさんと子供とは、どっと笑うのでした。そして、元気になってよかったと、|うれ《嬉》しなみだをこぼすのでした。殊にネルロは、夢中になってよろこんで、すぐか《駆》け出して行って、野菊を摘《-つ》みあつめて頸環《首輪》をこしらえて来て、それを荒毛《アラゲ》のパトラッシュの頸《首》にかけてやり、子供らしい赤いやわらかい唇で、何度も何度も、接吻《キス》するのでした。こうしてパトラッシュは、すっかり元気をとりもどして、もと通りの大きな、がっしりと力が満ちた犬になりました。はじめ、パトラッシュは、以前と様子のちがっているのが、気がかりな風《フウ》でしたが、間もなく、すべてのことが分《分か》って来たので、すっかり安心しました。こうしておじいさんと子供の親切な心が分《分か》ると共に、パトラッシュの心の内には、生《生ま》れてはじめて愛というものが、非常な力で湧き上《上が》ったのでした。そしてその愛は、その後一生、パトラッシュが死ぬまで、一度も鈍ったことはありませんでした。パトラッシュは、恵まれた、今度の新しい生活のすべてを知ろうとして、その澄んだ目で、じっと注意深く、おじいさんと子供のすることを見守っていました。  さてこのジェハンじいさんの仕事と言うのは、毎朝、近所の、牧場主たちの牛乳を、小さな手車で、アントワープの町へ運ぶことでした。村の人達は、このおじいさんを|あわ《哀れ》んでそ《/そ》うした仕事を与えていたのでした。何しろごくの正直者ですから、牛乳を運んでもらうばかりでなく、村にいて、仕事としては、畑の番、牛小舎《牛小屋》、鶏小舎《鶏小屋》の番、小さな田の番、などいろいろ|たの《頼》まれるのでした。しかし、もうそろそろおじいさんには、仕事がむずかしくなって来ました。なにしろ八十三という年寄《年寄り》になったのですもの。アントワープへ行くにしても、三里からの道を歩かねばならないのでした。  パトラッシュは、はじめて、しゃんと起き出た日、おじいさんが持って出たり持《/持》って|かえ《帰》ったりする牛乳缶を、じっと気をつけてながめていました。鳶いろの頸《首》に野菊の花環を巻かれたままで、日向ぼっこをしながら。そして、そのあくる朝になると、パトラッシュは、おじいさんがまだ車に手をかけないさきに起きて行って、ぴったり、車の梶棒の間《あいだ》に|からだ《体》をおきました。それは丁度、私は車をひくことを知っています。どうかせめてこんな仕事でなりと、御恩がえしをさせて下さい、と言うかのようでした。が、このおじいさんは、犬に車を曳かせるのは、神さまが犬をつくられた御心《ミココロ》ではない、と信じている人でしたから、それを長いこと、許さずにいました。しかし、パトラッシュはどうしてもそれを止《辞》めません。おじいさんが、自分の|からだ《体》を梶棒に結《-ゆわ》いつけてくれないと知って、今度は、歯でくわえて曳いて行こうとするのでした。これには、さすがのおじいさんも根ま《負》けがし、また、自分の助けた動物の、恩をかえそうとする心の|けな《健》気で熱心なのに打たれて、とうとうそれを承知してしまいました。そこで、犬が挽きよいように車をつくりなおし、おじいさんの命のあるかぎり、それを毎朝犬《毎あさ犬》が、せっせと曳くことになったのでした。冬になると、おじいさんは、ルーヴァンの祭《祭り》の日に、死にかかった犬を溝《ドブ》から救いあげてやったことの仕合《幸》せを、つくづく感謝するのでした。何しろ、年老いて、おとろえる一方のおじいさんです。もしこの忠義な犬が、骨身惜しまず働いてくれなかったとしたら、雪道や、ぬかるみの深い轍の跡を、重い牛乳缶をつけてひっぱって行くのが、どんなに辛いことだったでしょう。  ところで、パトラッシュにとっては、こうして働くことがまるで天国のように思われました。あの因業な昔の主人に、山なす重荷をつけられて、一足毎に鞭でぴしぴし打たれた身には、このおじいさんの緑色の小さな手車に、ぴかぴか光る真鍮の缶をのせて行くことなど、思いもかけなかった|たの《楽》しさでした。まして親切なおじいさんが、たえず、やさしい声をかけてくれたり、抱きしめたりしてくれるのですもの。なおありがたいことには、一日の仕事が、三時か四時にはす《済》んでしまって、あとはパトラッシュの自由な時間なのでした。日向ぼっこをしようが、子供と|一しょ《一緒》にふざけようが、近所の犬と遊ぼうが、まったくしたい放題。パトラッシュはもうもう満足し切っていました。殊に運のいいことには、前の主人の金物屋は、あのルーヴァンのお祭りさわぎに、ひどく酔っぱらったあげく、喧嘩をして殺されてしまったのです。生きていて、もしもみ《見》つけ出されでもしたら、パトラッシュは否応なし、この新しい居心地のいい家《’家》から、ひきずられて行かねばならなかったでしょうに。  それから二三年《二’三年》たちました。ジェハンじいさんは、それまで|なや《悩》んで来た跛《チンバ》の上に、今度はリュウマチを|わずら《患》って足《/足》がひどくしびれるようになり、もうこの上は、車について出かけられなくなってしまいました。この時六才になっていたネルロは、それまで何遍となくおじいさんにつれられて行って、アントワープの町の様子も知りつくしていましたので、おじいさんに代って車について行くことになりました。牛乳を売って代金を集め、それを、それぞれの牧場主にとどける。その様子がいかにもいじらしくて気の毒なので、見る人の心を感じさせずにはおきませんでした。  ネルロは|ほんとう《本当》に美しい少年でした。黒目勝ちな凉しい瞳、薔薇のように生々《生き生き》した頬《ホオ》、そしてつややかな髪が、ふさふさと|きゃしゃ《華奢》な|えり《襟》元までた《垂》れていました。で、この少年と犬《/犬》と牛乳車《/牛乳グルマ》をモデルにする画家が、たくさん出て来ました。──緑色の牛乳車《牛乳グルマ》にかがやく真鍮の缶、それを曳くのは大きな鳶色の猛犬。梶棒につけた小鈴《’小鈴》が、一足毎《ひと足毎》に可愛い音《ネ》をたてて、つ《付》きそ《添》うのは可憐な美少年。小さな白い素足に大きな木靴をは《履》いて、ルーベンスの名画から抜け出して来たような|たの《/楽》しげな邪気《あどけ》ないその顔は、どんなに人《ヒト》をひきつけたことでしょう、《:、》大勢《大ぜい》の画家たちが我勝ちにと画《-えが》いたのも尤《もっと》もなことでした。  ネルロとパトラッシュとはすっかりこの仕事に慣れ、また、こころからこの仕事を好《-す》いていたので、夏になってジェハンじいさんの病気がよくなっても、もうおじいさんは出かけて行かなくてもすむのでした。おじいさんは日あたりのいい小屋《コヤ》の入口に腰を下《下ろ》して、ネルロとパトラッシュがいそいそと畑の木戸をくぐり、やがて、その姿が遠くへ《へ’》消えてしまうまで見送り、とろとろっと居ねむって、短い夢さえみる。やがて目をさまして、お祈りをしたり、畑《ハタケ》のものなど見廻《見回》ったりする、そうこうするうちに時計が三時を打つと、おもてへ出て、ネルロたちを待ち受けるのでした。うちへ近づくと、パトラッシュは|うれ《嬉》しそうに一声高《ひと声たか》く吠えます。そして梶棒をはずしてもらって、ゆっくりとくつろぐのです。ネルロはその日の賃銀を得意そうに計算し、やがて、みんなそろってライ麦のパンに、牛乳やちょっとしたスープをそ《添》えて食べるのでした。  目をあげれば、野は、次第々々《次第次第》に暮れて行き、宵闇が、遥かな旧教寺院の尖った塔をぼ《’ぼ》かし初《始》めるのです。それから、おじいさんにお祈りをしてもらって、みんな安らかなねむりにつくのでした。こう言う|たの《楽》しい暮《暮ら》しが、幾日《イクニチ》とつづき、幾年《イクネン》とつづきました。そして、ネルロとパトラッシュの生活は、相変らず幸福で平和でした。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第二章】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  春と夏とは、ネルロたちにとって、一番|たの《楽》しい時でした。一体フランダースというところは見渡す限りどこまでも牧場や田畑《タハタ》がつらなっているだけで、変化に乏しい、あまり面白《面白い》とは言えない土地ですが、そこにはまた、この地方独特の景色もあるというものです。  運河の岸の、梢あざやかな長い|並樹みち《並木道》、水際には、高い藺の間に花が咲き、古ぼけた荷足り舟が、青い樽を積み、さまざまな旗をひらめかして、|しず《静》かにすべって行く。変化に乏しく退屈《/退屈》であっても、ネルロとパトラッシュにとっては実にこの上もない楽園でした。ふたりは仕事がすむと、きっとつれだって出かけて来る。運河の土手の、したたるような青草《アオクサ》のしげみに身をうずめて浮び来《きた》り、浮び去る重たげな舟をながめる。すると、かぐわしい夏花の匂いと、爽やかな潮《ウシオ》の香《香り》とが、混り合って、漂って来るのでした。ふたりは、やさしげな満ち足りた瞳をして、いつまでもいつまでも、そうして坐っているのでした。しかし冬は|ほんとう《本当》に辛いのでした。ふたりはまだ暗いうちから起き出るのに、それでも、ひるのうちに仕事がすっかり終るようなことはめったになく、《:、》それに小屋は、あたたかい時には思いもしなかったような隙間や節穴が一ぱいで、冬の夜更けには、寒い冷たい風が吹き込んで、まるで家畜小屋にでもいるような気がするのでした。春から秋へかけて、実らないながらも、そのしげった緑の葉で小屋をつつんでくれたぶどうも、冬になるとみすぼらしく枯れは《果》てて、黒い汚い蔓がからみついているばかりです。あやまって水を床にこぼしたりすれば、じきそれが凍りついてしまうのでした。広い荒野《荒れ野》は雪に埋《-うも》れて、ネルロの|きゃしゃ《華奢》な手足は痺れパ《/パ》トラッシュの頑丈な脚も氷柱《ツララ》で傷ができました。しかしふたりは健気にも泣き言一つ言わず、梶棒の鈴の音もほがらかに、毎朝三里《毎朝’三里》の道を行くのでした。アントワープの町の人々はみないじらしがって、パン切《キ》れにスープをそ《添》えて、持ち出して来てくれるおかみさんや、|かえ《帰》りの空車《アキグルマ》の中へ薪《焚き木》の束を入れてくれる人などあらわれました。また同じ村の女などで、わざわざ牛乳などとっておいて、ふたりの|かえ《帰》りをねぎらってくれる人もあるのでした。  そういうわけで、知るかぎりの人々に愛され、いたわられて、この小さな藁小屋の中はいつも|たの《楽》しげな笑声《笑い声》がみちていました。  パトラッシュは、|ほんとう《本当》に幸福《幸せ》でした。同じ炎天の下でも、同じ氷雪の路でも、昔と今では地獄と極楽の相違です。たとえひどく空腹を|かん《感》じ、足の傷《傷み》がひりひり痛むことがあっても、おじいさんの親切な|いたわ《労》りと、少年のやさしい接吻《キス》とは、すべての苦痛をおぎなって余りあるのでした。パトラッシュはこの上何《うえ何》をのぞみましょう。けれどもそのパトラッシュにたった一つ、不安と言えば言えるものがありました。それはこうでした。アントワープの都には、古代石造建築の名残りが、たくさん残っています。今は《は’》もうアントワープは、俗っぽい商業地になってしまいましたけれど、それでも、尊いお寺やお社が、昔の名残りを止《-とど》めていました。  世に名高い大画家ルーベンスはこの町に生《生ま》れたのです。アントワープが商業地以外に芸術の都としても世に知られるようになったのはひ《/ひ》とえにこのルーベンスのおかげでした。彼の尊敬すべき偉大な魂は今《/今》もなおアントワープの町の上をさまよい、見守っていると言えましょう。ほんとにアントワープ到るところにルーベンスを感じ、ルーベンスを感じることによって、この町のすべてが清められ深められるとも言えましょう。  そのルーベンスの白い墓標は、アントワープの中央、セントジャック寺院内の、いと|ものしず《物静》かなところに立っています。その|しず《静》けさの上を、時折、おだやかなオルガンの音と、讃美歌の合唱がながれていくのでした。芸術家の墓のうちでも、こんないい場所にこ《/こ》れほど立派に立っているのは少《少な》いでしょう。  さて、パトラッシュの心配というのはこれでした。この、厳かにそびえている古びた石造建築の中に、時折ネルロの姿が消えてしまう。その暗いアーチ型の玄関の奥にネルロが吸いこまれてしまって、パトラッシュだけがぼんやり、敷石の上にとり残されるのです。  パトラッシュは、一体どんな面白いものがあって、自分と離れたことのない仲よしをい《/い》つもいつもあの門内へさそいこんでしまうのだろうと、|ふしぎ《不思議》で|たま《堪》らないのでした。一二度《一’二度》、彼はそれを見きわめようとして、牛乳車《牛乳グルマ》をくっつけたまま、入口の石段をガラガラ|のぼ《登》りかけたことがありましたが、《:、》その度《たび》、黒服に銀の|くさり《鎖》をつけた脊《背》の高い門番に一言《イチゴン》の下《モト》に追いかえされてしまいました。パトラッシュは仕方なく、小さい御主人《ご主人》に変《変わ》りがなければいいがと案じながら、じっとねそべって、ネルロが出て来るのを辛抱強く待《’待》っているのでした。  パトラッシュはどこの村の人たちも教会へ行くことを知っています。大ぜい揃って、あの赤い風車《フウ車》のむかいの、古ぼけた教会堂へ出かけるのも見ていますから、ネルロが、お寺へ入るのが別に心配というのではありません。ただ、気になるのは、その町の寺院から出て来る時のネルロの顔|いろ《色》なのでした。非常に興奮したようにあかくほてった頬《ホオ》をしているかと|おも《思》えば、またひどくあおざめている時もあって、《:、》そう言う日にかぎって、家へ|かえ《帰》ってからも、ぼんやり夢みるような眼《目》をして、すわりこんだきり、一向遊《一向’遊》ぼうともしないのです。そして運河の彼方に暮れていく空をながめては、いかにも、思い沈んだ|かな《/悲》しげな様子をしているのでした。  パトラッシュは、心配で心配でたまりません。これは一体どういうわけなのだろう、なんにせよ、こんな小さい子供が、こんな真面目くさった顔つきになるのは、普通でもないしよ《良》いことでもないと、《:、》パトラッシュは口にこそ出さね、気をくばって、ネルロの行くところは野と言わず、市場《イチバ》の人混みと言わず、片時もそばを|はな《離》れないことにきめたのでした。  おかしいことには、ネルロは村の教会へは行こうともしません。ただ行きたがるのはあの町の大寺院だけです。パトラッシュはその寺院の大門《オオモン》のそとに取り残されて脊《/背》のびをしたりため息をついたり、はては大声に吠えたりしますがど《/ど》うにもなりません。やがて門の扉が閉められる頃《ころ》になってネ《/ネ》ルロはようやくつまみ出されるようにして追い出されて来ます。そして、すぐ犬の頸《首》に抱きついて、そのひろい鳶いろの額《ヒタイ》に接吻《キス》しながら、いつもきまったように、 「パトラッシュ、僕は見たくって──一目《ひと目》でいい。見さえすれば──」と、きれぎれにつぶやくのです。それは一体|なん《’何》のことであろう。パトラッシュは、思いやりのこもった目で、じっと少年の顔をみつめるのでした。  ある日、門衛がいないで、扉があいたままにしてあるのをさいわい、犬は少年のあとを追ってこっそり内へ入りこんで《で-》みました。少年はうっとりとして「キリスト昇天」の画《絵》の前にうずくまっていましたが、うしろに犬の来ているのに気がつくと、立ち上《上が》ってやさしく犬《’犬》を胸のあたりまで抱き上げました。その顔は、涙にぬれていました。ネルロは、堂内の両側にかかげてある二つの画《絵》をぴったりと覆った厚い布を指して、言いました。 「パトラッシュ、貧乏でお金がはらえないからあの画《絵》が見られないなんて、なんて情《情け》ないことだろう。貧乏人には見せられないなんて、どうしてあの画《絵》の作者が言うものか、いつだって僕らに見せるつもりだったんだ、毎日見ててもいいと思ったにちがいない。それだのに、こんなに覆ってしまうなんて、金持《金持ち》が来て、金《かね》を払わなければ、いつまでも美しい画《絵》に光りもあてないなんて。ああ《あ/》見たいな、見たいな見《/見》さえすれば僕、死んでもいいんだが──」  パトラッシュははじめて知りました。あんなにもネルロをひきつけ、さそい入れたものが、この覆われた二つの大きな画《絵》だったということを。しかしパトラッシュにもどうすることもできませんでした。 「キリストの昇天」「十字架上のキリスト」この二つの名画の見物料を儲け出すことは、ネルロにとってもパトラッシュにとっても、丁度この寺院の高い尖塔によじのぼると同様全《同様/全》く思いもよらぬ難事だったのです。ふたりは、余分なお金など、それこそ一文もありはしません。炉に焚く薪の一束《ヒトタバ》、うすいスープの一鍋《ひと鍋》さえ思うに任せぬ|あわ《哀》れな身ですもの。  しかしながら、ネルロの心は、このルーベンスの二つの名画を見たいと言う|ねが《願》いを、どうしてもあきらめることができず、いや、ますます燃えさかるのみでした。身は水呑百姓の子供の|あわ《哀》れな牛乳配達にすぎなかったけれど、ネルロの心は常に高く、大画家ルーベンスを夢見ていました。  ひもじさ寒さも気にとめず、いつも心に描《えが》いて|たの《楽》しんでいるのは、かつて見て知っている『キリスト昇天』のその神々しい顔つき、《:、》金髪を肩に波打たして、その額《ヒタイ》に消えることなき栄光のてりかがやいている図でした。貧しい中《なか》に育ち、何《なん》の教育も受けていないが、少年ネルロは、まさしく天才の素質を持っていたのです。もとより、誰一人そんなことを気づく者はなく、ネルロ自身も、そんなことは思ったこともありません。ただそれを知っているのは、ネルロのそばを離れたことのない犬のパトラッシュだけでした。パトラッシュは、ネルロがよく白墨で石の上などへ、動物や植物などをいろいろと描くのを、また、|一しょ《一緒》に枯草の床《トコ》にねむる時など、そうしてそんな時のネルロの顔が、どんなにぱあっと輝いているかを見知っていました。ネルロが大画家ルーベンスの魂にむ《向》かって、いろいろな賛めことばや、思いつめた祈りを捧げているのを聞きました。また、度々、よろこびと|かな《悲》しみとが混《混じ》り合ったような、なんとも言うことのできない涙が、この小さな子供の瞼からあふれ落ちて、パトラッシュの皺のよった、鳶いろの額へかかるのも知っていました。  その頃、ジェハンじいさんは病気になって床《/トコ》についていました。 「ネルロやお《/お》前が早く大きくなって、せめてこの小屋《コヤ》でも自分のものにして、田の一反でも持って、近所の衆に旦那と言われるようになってくれたら、おじいさんも安心して目がつぶれるがな。」と、おじいさんは床《トコ》の中で、何遍《ナンベン》もこんなことをくりかえし言っていました。このあたりの百姓の望みと言ったら、土地を少しでも持って、村の人達に旦那と呼ばれるようになる、それがもう何よりの最大の望みなのでした。このおじいさんも、若い時にはと《飛》び出してあらゆる地方を流れあるき、しかも何一つ儲けて|かえ《帰》ったと言うでもなく、とうとうこんなに年寄って|ようやく《/ようやく》一つ所《ところ》に落ちつき、《:、》やっぱり百姓は百姓の分相応な望みで暮すのが一番だと悟って、可愛い孫《孫’》のために、ひたすらそれを|ねが《願》ったのでした。  だが、ネルロはだまっていました。ルーベンスやヨーンデェンスや、ヴァン・グィリなどの大芸術家、その人達の天才と同じものが、少年ネルロの血にも流れていたのです。  ネルロの考えている未来は、おじいさんの考えとは全くちがっています。わずかばかりの土地を耕して、小っぽけな家に住み、自分より貧乏な人や、せいぜい同じくらいの貧乏人同志から、旦那と呼ばれて満足するなどと言うことは、ネルロにとっては思いもよらぬことです。あかあかと燃える夕映《夕映え》の空、うっすらと狭霧の立ちこめる朝などに、遠くそびえるあの大寺院の尖塔は、ネルロの心と、おじいさんの言葉とは全くちがったものを告げているのでした。しかし少年がこれを|はな《話》すのは、犬のパトラッシュだけで、まるで赤ん坊にでも言いきかすように、ゆっくりゆっくりその耳にささやくのでした。車について野原を行く時にも、風そよぐ運河の岸の叢に並んでねころぶときにも、きまって、これをささやくのでした。  パトラッシュのほかにもう一人だけ、ネルロは話相手がありました。それはアロアという小さな女の子で、あの丘の上の風車《フウ車》の家の娘で、お父さんの粉挽屋は、この村一番のお金持《金持ち》でした。アロアは、まだほんの幼い少女でした。ぽっちゃり肥えて、なにか紅い花のような子でした。そのぱっちりした黒い瞳の愛らしさと言ったらないのでした。アロアはよく、ネルロやパトラッシュと遊びました。野原で鬼ごっこをしたり、雪投げをしたり、野菊を摘んだり、くるみひろいに行ったり。ある時は手をつないで教会堂へ行ったり、水車小屋の中の大きな炉ばたにすわりこんだり。──アロアはその金持《金持ち》な粉挽や《屋》のたった一人娘《’一人娘》でした。いつもさっぱりと可愛い着物をつけて、お祭の時など両手に持ち切れないほどお菓子だの、おもちゃだの買うことができるのでした。アロアがはじめて洗礼式に出かけた時、その捲毛《巻き毛》の金髪の上へかぶった帽子はお《/お》ばあさん|ゆず《譲》りのクリン織《織り》のとても見事な|ぜいたく《贅沢》なもので、《:、》万事がそういう風《ふう》ですから、アロアはまだやっと十二なのに、もう近所の人々の口の端《ハ》にのぼって、《:、》あの娘《ムスメ》をうちの息子のお嫁にもらったらさ《/さ》ぞいいお嫁さんになるが、などと噂されました。しかし本人のアロアは一向無邪気な可愛い子供で、自分の家《-うち》の財産のことなど知りもせず、とにかく一番好きなのはジ《/ジ》ェハンじいさんとこ《こ-》の孫と犬《/犬》とでありました。  アロアの父親は、コゼツの旦那と言われていい人だが、すこし頑固でした。  ある日、彼が水車小屋のうしろの畑を通りかかると、丁度ネルロとアロアが遊んでいました。娘が真中《真ん中》の高くつんだ枯草の上にすわり、パトラッシュの大きな鳶いろの頭をひざにのせている。|あた《辺》りにはひなげしや、矢車草などと色とりどりにちらばっていて、それをネルロが松のけずり板に、写生しているところでした。コゼツの旦那は、立ち止《止ま》って、その写生をながめました。ぽちゃぽちゃした頬《ホオ》、黒い瞳、|ふしぎ《不思議》によく似ています。彼はこの一人娘を、目に入れても|いた《痛》くないほど、可愛がっていたのでした。ふいに彼は、何を思ったか、お母さんが呼んでいるのに、なぜぐずぐずしているのかとアロアを叱りつけ、アロアがびっくりして泣き出すのもかまわず、家の方《ホウ》へ追いやってしまいました。そして振りかえって、ネルロの手からその板ぎれを取り上げました。 「なぜ、こんな|ばか《馬鹿》げた真似ばかりしているんだ。」  ネルロはあかくなってうなだれ、 「僕は見えるものを何でも写生するんです。」と小さい声で言いました。コゼツはだまっていましたが、やがて五十銭銀貨《五十銭銀貨’》を一つさし出しました。 「それは悪いひまつぶしというものだ。だがこれは大層よくアロアに似ているから、うちの母さんにみせたらよろこぶだろう。この金《-かね》をやるから、この絵は|わし《儂》にくれ。」  するとネルロは顔をあげ、手をうしろへやって、 「いいえ、僕、お金なんかいりません。この絵がよかったら持っていらっしゃい。いつもあなたは親切にして下すったんですもの。」こう無邪気に言って、そして少年は犬を呼び、畑を横切ってさっさとそこを立ち去りました。 「あの銀貨をもらっていたら、あれがみられたんだが、でも僕はあの絵を売ることはできない。たとえあれが見られるにしても。」と、少年は犬に向《向か》ってつぶやくのでした。その夜コゼツは、 「あの子供をあまりアロアと遊ばせちゃいかんね。あとできっと心配事が起《起こ》って来るよ、あの子供は今年十五だし、娘は十二だ。それにあの子は、ちょっとした顔つきでもあるし。」とおかみさんに|はな《話》しかけました。おかみさんは、ストーヴの上にお《置》かれたさっきの絵につくづく見入りながら、 「それに|まじめ《真面目》な子で、一本気のようでもございますしね。」と言いました。 「そこじゃて。それをわしは|おも《思》うのじゃ。」と、コゼツはたばこをつめながら言いました。 「ほんとにそうでございますね。あなたのお考えどおりになります。」とおかみさんは口ごもりながら、 「|大そう《大層’》結構のように思われますわ、娘だってこの財産をつぎますればふたりの一生は安楽ですし、それに越した二人の幸福《幸せ》はありませんわ。」 「だから女は困るというのじゃ、|ばか《馬鹿》な。」と、主人はパイプをテーブルに打ちつけて、 「あの子供が何《-なん》じゃ、乞食じゃないか。おまけに画家になろうなどと自惚れているからなお始末が悪い。これ、よく注意して、もう決して遊ばせてはならんぞ。」  おかみさんは、ネルロを可愛がっていましたが、気の弱い人だったので、そのまま|だま《黙》って、主人のい《言》うとおりにすることにしてしまいました。けれども、母親として、娘が一番仲よくしている友達と裂こうということもできず、主人としても、貧乏ということ以外には何一つ欠点のない子供に対して、そう|むご《酷》いことをしむけることもできませんでした。が、わざわざそんなことをしなくても、コゼツの目的は達せられました。  ネルロは男らしく、|しず《静》かで感じ易い少年でしたから、もうそれ以後はあきらめて、たとい|ひま《暇》があっても、丘の上の赤い風車《フウ車》の方《ホウ》へは、足をはこばなくなったのでした。なにがあんなにコゼツの旦那の気にさわったのか、ネルロには分《分か》りませんでした。ただ大方、牧場でアロアを写生したことがいけなかったんだろうと思っていました。で、時として、アロアが彼をみつけてとんで来て、手にすがりつくことでもあると、彼は|かな《悲》しげにほほえんで、いろいろとなだめるのでした。 「ね、アロアちゃん。お父さんの|御きげん《ご機嫌》を悪くしないで下さいね。お父さんは、僕があなたを怠け者にでもするように|おも《思》っていらっしゃるんだからね。だから僕と|一しょ《一緒》に遊ぶのがお気に入らないんでしょう。でもお父さんはいい方で、ほんとにあなたを可愛がっていらっしゃるんだから、僕たちは、|御きげん《ご機嫌》を損ねるようなことをしてはいけない。ね、アロアちゃん。よく分《分か》ったでしょう。」とは言えそれは、|かな《悲》しさ、さびしさをおさえぬいた言葉でした。  ネルロにとっては、微風にそよぐポプラ並木の朝の景色も、もはや以前のように、|たの《楽》しげに晴々しくは見えませんでした。その古ぼけた赤い風車《フウ車》は、ネルロにとっては一つの目印で、そこまで来ると、一休みするのがき《決》まりでした。そして、往きにも|かえ《帰》りにも、水車小屋の人達に元気よく挨拶すると、その低い水車小屋の木戸の上にアロアの金髪がちらとゆれて、《:、》やがて、アロアの小さなもみじのような手に、パトラッシュの御馳走《ご馳走》のパンの皮や魚の骨などが持って来られるのが常でした。──が、|いま《今》は《は、》──パトラッシュは|ふしぎ《不思議》そうな目つきで、木戸がかたく閉じられてあるのをながめます。少年はさっさと通りす《過》ぎて行くが、その心の中では辛《/辛》いのでした。  アロアは窓の中で、|編もの《編み物》をしている手に、ほろっと涙を落す。主人のコゼツは、粉袋や粉挽機械《粉挽き機械》の間をせっせと働きながら、いよいよ心を|かたく《頑》なにして独言《独り言》を言うのでした。 「こうして離しておく方《ほう》がいいのじゃ。あの子供はどうせ乞食みたいで、その上画家《うえ画家》になろうなどと、とんでもない|ばか《馬鹿》げた夢を見ている。まかりまちがえば、こののちどんな不幸《不幸せ》が起《起こ》って来るかもしれん、用心用心。」  こうした間にも、れいの松の板ぎれは、粉挽屋の食堂のストーヴの上の置時計《/置時計》と十字架像の間に、大事そうに|かざ《飾》られてありました。ネルロはときどき、絵だけがこうも歓迎されて、それを描いた自分はなぜ除けものにされるのかしらと、|かな《悲》しい、さびしい|おも《思》いを抱《-いだ》くのでしたが、《:、》ネルロは決して恨みがましいことは口《’口》に出しませんでした。ひとりずっと、心の中の|かな《悲》しみに堪《-こら》えているのが、彼の性《サガ》でした。ジェハンじいさんは、よく彼に言い聞かせました。 「わし等《ら》は貧乏人じゃ、何でも神さまが下されたものをそのままお受けせねばならぬ。それにはよいことも悪いこともあろう。だが、貧乏人は、えり好みをするのじゃない。」  少年はだまって、おじいさんの言葉を聞いていました。彼はなんにもその言葉に逆いませんでした。しかし、 「いや、貧乏人だって、時にはえらばねばならぬこともある。|えら《偉》くなる道をえらぶ、それを誰がいけないというものか。」  ネルロはけがれない心に、一途にこう考えていました。  ある日、運河のほとりの麦畑に、ネルロがたった一人で佇んでいると、ふとそれを可愛らしいアロアがみつけてか《駆》け出して来ました。そしてネルロによりそいながら、しくしく泣き出すのでした。明日はアロアの誕生日なので、これまでなら、ネルロを招いて、おいしい御馳走《ご馳走》をしたり、大きな納屋であそびまわったりして、|たの《楽》しくすごせるはずなのに、今年に限ってお父さんもお母さんも、ネルロを呼んではいけないと言い渡されたのでした。ネルロはやさしく少女に接吻《キス》してそ《/そ》して、深く胸の中《うち》に決心したことをささやくのでした。 「ね、アロアちゃん、僕もいつかはき《’き》っと|えら《偉》くなってみせますよ。やがて時が来れば、お父さんが持っていらっしゃる僕の描いたあの松の板ぎれだって、あの大きさの銀を出しても変《買》えない程な値《ネ》が出ますよ。そうなったら、お父さんだって、戸を閉めて僕を入《い》れないようなことはなさらないでしょう。ただ、アロアちゃん僕《/僕》を忘れないでね。忘れないで下さいね。僕きっと|えら《偉》くなるから──」 「まああ《/あ》たしがあんたを忘れるって言うの、そんなこと言うならい《-い》いわ。」と愛らしく泣きぬれたアロアは、頬《ホオ》をふくらしてすねたように叫びました。その眼には、まごころがあらわれていました。少年はそれをみ《見》ると胸《/胸》がせまって、いそいで目をそらしました。遥か彼方には、宵闇に|ほの白《ホノジロ》く、あの旧教の大伽藍がそびえ立っていました。少年の顔には、一瞬間、何か崇高なかがやきがひらめきました。アロアはちょっとこわくなったほどでした。 「僕は|えら《偉》くなる。」と、少年は深い息をして呟きました。 「アロアちゃん、|えら《偉》くなれなかったら、僕は死ぬ。」 「死ぬんですって、じゃあ《/あ》たしを忘れてしまうのね。」と、アロアは少し苛立ってネルロを押しのけました《た。》少年は頭をふって、ほほ笑み、脊丈《背丈》ほどもある、黄色に熟れた麦のかげを、家の方《ホウ》へ|かえ《帰》って行くのでした。少年の目には幻が浮んでいました。──いまにきっと幸福《幸せ》になれる時が来る。名を成して再び故郷に|かえ《帰》って来て、あらためてアロアのお父さんに挨拶したら、その時、お父さんはどんなに僕をよろこびむかえてくれるだろう。村の人達も僕を見ようとして集まって来て、|あわ《哀》れだった昔のことなど思い出し、よけいその成功をよろこんでくれるだろう。その時が来たら、ジェハンおじいさんには、あのセント・ジャック寺の中に描《-えが》いてある|えら《偉》いお坊さんのように、毛皮や紫の着物を着せてあげて、その肖像を描《-えが》いてあげよう。それから忠犬パトラッシュの頸《首》には金の頸環《首輪》をつけてやり、自分のすぐそばへおいて、集まって来る人々に、 「この犬が、前には私のたった一人《’一人》の友達だったのです。」と紹介しよう。住む家《’家》は、あの大寺院の塔のみえる丘の上へ大理石《/大理石》の宮殿のようなのがいい。そこへ多くの貧乏な淋しいそ《/そ》して大きな望みを抱《-いだ》いている少年たちをあつめ、明るく|たの《楽》しい生活を与えてやって、《:、》彼らをはげまし、もし彼らが自分の名をほめたたえるようなことがあれば「いや、私に感謝する程のことはない。ルーベンスに感謝しなさい。もしルーベンスがなかったら、私はなんにもなれなかったろう。《/》」と言おう──《:─》こんな空想が、全く清らかにあどけなく、ほほえましく少年の胸を掩いつつむのでした。  このアロアの誕生日の夜、ネルロとパトラッシュはうすぐらい小屋《コヤ》で、まずい粗末な夕食をとっていました。丁度その頃水車小屋《ころ水車小屋》の中では、村の子供たちがすっかり招かれて、明るい灯《灯火》の下で、おいしいめずらしいお菓子や御馳走《ご馳走》を頬《ホオ》ばりながら、笛や胡弓に合せて、おどり狂っているのですから、《:、》ネルロにとっては、よい気持《気持ち》のしない日であるにもかかわらず、彼はよく堪《-こら》えて、小屋《コヤ》の入口に犬と並んで腰かけ、 「ね、パトラッシュ。くよくよするのは止《’よ》そうよ。」こう言いながらパトラッシュの頸《首》をだいて接吻《キス》してやるのでした。粉挽場《粉挽き場》の方《ほう》からは、|たの《楽》しげな笑声《笑い声》がつたわって来ます。 「いいさ、いいさ。いまにだんだんか《変》わって来るからね、辛抱おしよ。」  少年は未来のことを確く信じていますが、パトラッシュはさすがに犬ですから、現在うまい肉の御馳走《ご馳走》にありつけないことには、将来にどんなたくさんの御馳走《ご馳走》を思い浮べてみても、それではつぐないがつかないのでした。で、その日以後パ《/パ》トラッシュはコゼツの旦那の姿を見れば、いまいましそうに唸り声をあげるのでした。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第三章】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。 「今日はアロアさんの誕生祝いの日だろう。」とおじいさんは、小屋《コヤ》の隅っこの床《トコ》の中から聞きました。少年はだまってうなずきました。おじいさんが、それをおぼえていたのが少年はどんなに切なかったでしょう。 「じゃどうしてお前出かけないんだい。」と、おじいさんはまた問いかけました。 「お前、いつの年だって行かないことはないじゃないか。」 「だって僕、おじいさんが病気だし──」と少年は、うつむいて言葉を濁しました。 「なんの、なんの、わしのことなら気にせんで行っといで。出がけにビュレットのおばさんに頼んで行ってさえくれればすぐ来てみてくれるよ。──ネルロ、お前どうしたんだ。まさかあそこのお嬢さんの悪口《悪くチ》でもしゃべったんじゃあるまい《い-》な。」と、おじいさんは|ふしぎ《不思議》でならないのでした。 「いいえ、おじいさん。悪口《悪くチ》なんか──」と、少年は口早に答えましたが、そのうなだれた顔はあかくなりました。 「なんでもないのよおじいさん。ただ、コゼツの旦那が、今年は僕を招ばなかっただけ。あの人、ちょっと僕に思い|ちが《違》いをしてるらしいの。」 「だってお前、なんにも悪いことは《は’》しなかったんだろう。」 「それが、いいか|わる《悪》いか、僕には分《分か》らないんです。僕は、アロアちゃんの顔を、松の板ぎれへ写生しただけなの。」 「ああそうか。」  おじいさんはだまってしまいました。ネルロの無邪気な言葉を聞いて、おじいさんにはすっかりわけが分《分か》ったのです。老いぼれて、長い間、掘立小屋の中にねたきりではありましたが、おじいさんは、まだ、世間がどう言うものかと言うことを、忘れてはいませんでした。おじいさんはやさしく孫の美しい顔を自分の胸のへんに引きよせて、 「お前は貧乏な子だからのう。」  その声は|かす《掠》れてふるえました。 「ほんとに貧乏なんだからのう。お前も辛い目を見るのう。」 「いいえ、おじいさん。僕は金持《金持ち》と同《おな》じよ。」と、ネルロはささやきました。実際のところ、ネルロはそう信じていたのです。自分は強い力を持っている。王様の力でもどうすることもできないほどの力を持っているように思えました。少年は立ち上《上が》って、再び戸口に佇みました。秋の夜《’夜》は|しず《静》かで、高いポプラの枝が微風に揺らいでいます。空は夥しい星でした。少年は目をあけてじっとそれをながめました。粉挽屋の家の、窓という窓はあかあかと灯《灯火》がもれて、時折、笛の音がひびいて来ます。涙が少年の頬《ホオ》をつたわりました。まだ何《-なん》と言ってもほんの子供ですから、|かな《悲》しいのでした。けれども、にっこり笑顔をつくって、 「なあに将来だ。」とひとり言を言いました。夜が更けるまで彼はそうして佇んでいましたが、やがてパトラッシュを抱いて床《トコ》につき、さびしくもおだやかな眠りに落ちて行きました。  さて少年には、パトラッシュのほか誰にも知らせない一つの秘密がありました。小屋には小さな次の間《マ》があって、そこはネルロだけが入るところになっていました。ひどく荒れた部屋ですが北側《/北側》から光線が入ります。この部屋でネルロは、木片《キギレ》で無細工《不細工》な画架をこしらえ、それに大きな紙《’紙》を張り、そこへこれぞと|おも《思》うものをぜひ一つ描きあげようと一生懸命になっているのでした。ネルロは、誰にも画《絵》の描き方を教わったことはありません。むろん、絵具を買う余裕などもありません。ただ、白と黒の使い分けで目にうつるものを描くだけでした。いま、彼が木炭筆で描いたばかりの大きな画《絵》は、一人の老人が、倒れた樹に腰を下《下ろ》しているところ、ただそれだけです。少年は以前、年取った樵夫《キコリ》のネッセルが、夕方になると、そんな様子で休んでいるのを度々み《’見》たのでした。輪廓の具合や影の描き方など、誰におそわったでもないけれど、ネルロは自分の考え一つで、さも老いぼれた、つかれた老人を描きました。宵闇がせまって来る暮れどき、倒れた樹に腰を下《下ろ》して、あらゆる世の苦労をなめつくしたようなつかれた|かお《顔》つきで、じっと思い沈んでいるこの老いた樵夫《キコリ》の様子は、全く詩《-し》の趣きがありました。もとよりその画《絵》は素人らしく、欠点もありますが、しかし、|ほんとう《本当》に自然な素直《/率直》な画《絵》です。いかにも、|かな《悲》しさに咽んでいるようで、ある美しささえ持《’持》っています。パトラッシュはいつも、何時間でも動かずにこの画《絵》ができ上《上が》っていくのをながめていました。そして、ネルロの心に希望が燃えているのをさとりました。その希望と言うのも、おそらく、向《向こ》う見ずな、無駄なことかもしれませんが、ネルロはこの画《絵》を出品して、年額二百フランの賞金を得るために競争《/競争》してみようとしているのです。そのころ、アントワープの町では、十八才以下の天分ある少年は、身分にかかわらず、鉛筆画《鉛筆画’》か木炭画の自作の作品を出して、その中一枚《うち一枚》だけがえらばれてこ《/こ》の賞金をもらうことになっていました。ルーベンスに縁の深いこの町では、一流の画《絵》の大家《タイカ》が三人審査員になって、それらの作品の優劣をきめることになっていました。  春と夏と秋を打っ通して、ネルロはこの大作の完成に余念がありませんでした。もしこれがうまく栄冠を担えれば彼《/彼》にとっては、年来の宿望に向《向か》って第一歩をふみ出すことになるのです。ネルロはこの企てを誰にも言いませんでした。おじいさんに言ったところで分《分か》ってはもらえないし、それは《に》アロアは、もう彼にとって、ないも同じでした。打ち明けるのはただ犬のパトラッシュだけ。そうしていつも、 「ああ《あ/》ルーベンス、ルーベンスの魂が知っていたら、きっと僕を|えら《選》び出してくれるのだが。」とつぶやくのでした。パトラッシュもまた、こんなことを考えていました。ルーベンスと言う人は、きっと犬を愛していたにちがいない。もし犬を深く愛していたんでなければ、あんなに正しく、美しい、犬が描けるものではないと──。  出品する画《絵》は、いずれも十二月《12月》の一日《ツイタチ》に運ばれて、その月の二十四日に結果が発表されることになっていました。で、もしうまく、入選すれば、クリスマスには二重《ニジ-ュウ》のよろこびを持てるわけでした。身を切るような寒風の吹き荒ぶその日、ネルロは波打つ胸をおさえて、いよいよ|でき上《出来上が》った苦心の画《絵》を、牛乳車《牛乳グルマ》にのせて、パトラッシュと|一しょ《一緒》に、町へ運《’運》んで行きました。そして、き《決》められた通りに展覧会の入口のところにお《置》きました。 「大抵だめだろう──僕には分《分か》らない──。」  ネルロは、妙に臆病になって、なにか、胸《胸’》が|いた《痛》いほどでした。画《絵》はお《置》いて来たものの、考えてみれば、ずいぶん向《向こ》う見ずな話です。靴下もないようなこの貧乏な子供が、自分の名さえろくろく書けない無学の身で、はずかしくもなく、そんな一流の大家《タイカ》たちに、自分の画《絵》を見てもらうなんて──  だが、ネルロは、大寺院に近づくにつれてだんだん元気をとりもどしました。威厳のある王様のようなルーベンスの姿が、暗い中からすっと浮んで来て、ネルロに微笑みかけ、ささやくように|おも《思》われたからです。 「気を落してはいけないよ。私だって、アントワープに名を残すようになったのは、決して、弱い心ではできなかったことだよ。」  冷たい夜を、ネルロは、わが心をはげましつつ、|かえ《帰》って行きました。彼は全力をつくしたのです。あとはもう、神様の御心《ミココロ》に任せる他ありませんでした。  その夜、ネルロが家へ|かえ《帰》ってから雪が降り出し、幾日《幾にち》も幾日《幾にち》もふ《降》りつづきました。田も畑もあぜみちも、すっかり雪にうずもれてしまい、川という川はみんな、かたく凍りついてしまいました。もうこうなると、牛乳を持ち|まわ《回》るのは、実に辛いのでした。吹きさらしの野、夜明けの暗い人気《ヒトケ》のない町《’町》は、よけい寒さがこたえるのでした。殊に犬のパトラッシュは、少年が年毎《トシゴト》に次第に力を増して行くのに反し、ますます老いぼれて行くのみで、骨の節々が硬《強》ばって来ては《/は》げしく疼いて苦しいのでした。 「パトラッシュ、お前はもうう《/う》ちでね《寝》ておいで《で-》よ。お前ももう隠居してもいい頃だ、大丈夫、僕ひとりで車はひけるから。」と、ネルロが無理にも止めようとしたのは、一朝《ヒトアサ》や二朝《フタアサ》のことではありませんでした。が、パトラッシュはき《聞》きません。毎朝、起きると、彼はちゃんと梶棒のところへ行っています。そして、今まで長《ナガ》の年月通い慣れたその野道《野みち》を、雪を蹴って、進むのでした。ただ少年に、以前より手数をかけるのは、牛乳車《牛乳グルマ》の輪が、凍った轍の跡にはまって、動きのとれない時、後《後ろ》から棒をさしこんでもらうだけでした。これだけ、昔より力がおとろえたのです。 「死ぬまでは休息と言うことはない。」パトラッシュはいつもこう|かんが《考》えていました。が、ときどき、ふっと、その最後の休息が、間近に迫って来たように|かん《感》じられて、なんだか目が前ほどはっきり見えなくなったし、《:、》教会堂の鐘が五つ鳴って、パトラッシュに、起きて働かねばならぬ時が来たと知らせると、ぱっとはね起《起き》るのに変《変わ》りありませんが、それが前とちがって、非常な苦痛に|かん《感》じられるのです。 「かわいそうなパトラッシュ。お前も、わしと|一しょ《一緒》に、安楽往生をするのかい。」  ジェハンじいさんは、やせこけた皺だらけの手で、犬の頭をなでました。このおじいさんと老犬とは、いつも、パンの皮を分けてたべました。そしていつも同じ心で、年《/年》を取るのを嘆きつつ行末《/行く末》のことを案じ合うのでした。お互いが死んでしまったら、あとに残るあの可愛いネルロはどうなるでしょう。  ある日の午後のこと、少年と犬とが、アントワープからの|かえ《帰》りみちでした。雪は凍って、まるで大理石のようにひろい野原にしきつめていました。ふと足許を見ると、可愛らしい人形が落ちていました。五六寸の、たいへん美しい太鼓叩きの人形で、ちっとも傷のついていない立派《/立派》なおもちゃでした。ネルロは拾い上げて、いろいろ探してみましたが、落し主が分《分か》らないので、それをアロアにやったら、さぞよろこぶだろう、と|かんが《考》えました。落し主が分《分か》らないのだから、それを長い間《あいだ》の仲よしにやっても、別にわるいことではあるまい、と彼は思ったのでした。  ネルロが粉挽屋のところを通った時は、もう|しず《静》かな晩になっていました。アロアの部屋の小さい窓はよく分《分か》っています。その窓のすぐ|きわ《キワ》から斜下《斜め下》につき出た屋根、彼はその屋根によじのぼって、|しず《静》かに窓をたたくと、中《なか》で小さな灯《灯火》がつきました。アロアは窓をあけてびっくりしました。ネルロは太鼓叩きの人形をアロアの手に握らして、小さな声で口早に言いました。 「アロアちゃん、お人形だよ。雪の上で拾ったの。とっておおきなさいよ、ね、神様が下すったんですもの。」  ネルロはするすると屋根をすべりおりて、アロアが、ありがとう、と言う間もなく、闇の中に消えてしまいました。その夜、粉挽場《粉挽き場》が火事になって、水車場と母屋《母家》だけは助かりましたが、納屋と沢山の麦がやけました。村中《村じゅう》は|大へん《大変》なさわぎで、アントワープからは、雪を蹴立てて、蒸気ポンプがかけつけて来ました。さいわい、保険がつけてあったので、大した損害にはなりませんでしたが、主人のコゼツは、かんかんに怒って、この火事はあやまちからではなく、きっと誰かが、つけ火をしたにちがいないと、どなりました。この時ネルロも、円《まろら》かな夢を破られて、びっくりしてかけつけて来ましたが、コゼツの旦那は荒々しく彼をつきのけて、腹が立ってたまらないように、 「貴様は宵にここらをうろついていたな。俺はちゃんと知っているぞ、貴様こそ今夜の火事には一番覚《一番’覚》えがあるはずだ。」と怒鳴りました。ネルロはあまりのことにぼんやりしてしまって口《’口》が利けませんでした。場合が場合だから、聞いている人は、それを冗談だと聞きすごしてくれないだろうと、全く途方にくれてしまいました。  粉挽屋の主人は、翌日になっても、近所の人の前で大っぴらにこの言葉を口にしました。すると中には、ネルロがその夜、別に用もないのに粉挽場《粉挽き場》の辺をうろうろしていたの、アロアと遊ぶことを断られたので、ネルロがコゼツの旦那を恨んでいたのと、蔭口をきく者も出て来《き》、《:、》その上何《うえ何》とかしてこのお金持《金持ち》に取入《取り入》って、その一人娘を息子の嫁にもらい、財産にありつこうと言う腹ぐろい人達も交《交じ》って、ジェハンじいさんの孫は、全く可哀想な立場におかれてしまいました。  村の人達は誰もまさか、コゼツの旦那の言葉を、信じるわけではないのですが、何しろ、狭い村のことではあり、村一番のお金持《金持ち》の気に逆《逆ら》っては何かと自分たちの損ですから、《:、》あんまり親切そうにしているところをコゼツの旦那に見られては面倒だと、みんな、申し合せたように、ネルロを避《-さ》けるようになってしまったのでした。ですから、それからは、ネルロとパトラッシュが、毎朝アントワープへ運んで行く牛乳の御用を聞きにまわっても、牧場主たちは、以前のように、何かと親切に計らってくれず、《:、》素気《素っ気》ない態度で、あまり口《’口》も利いてくれないのでした。  粉挽屋のおかみさんは、涙ぐんで、おそるおそる主人に言いました。 「あなた、それではあんまり可哀想ですわ。私、あの子が気の毒でたまりません。あの子はほんとに、無邪気な正直者ですもの。いくら、くやしく|かん《感》じたことがあったとしたって、ゆめにもあんな大それた悪いことをするような子ではありませんわ。」  けれどもコゼツの旦那は一徹者ですから、一度、自分の口から言いふらしたことは、是が非でも、押し通さねばすまないのでした。たとえ、心の奥底で、悪かったが、と気がついて居りながらも、|あわ《哀》れなネルロ、いかに身が潔白なれば|かま《構》わないとは言え、そこはまだ子供です。 「なあに。僕の画《絵》さえ入選したら、村の人達だって、すこしは僕に同情してくれるだろう。」と気を|とりなおしと《と》りなおしても、パトラッシュとたったふたりでいる時など、止めようもない涙があふれ落ちるのでした。全く幼い時から会う人毎に可愛がられ、ほめられて大きくなった身が、突然あられもない汚名をきせられ、《:、》その頼りにしていた世間の、打って変った冷たい素気《素っ気》ない態度を堪えしのんで行くことは、死にも勝る苦しみでした。雪がふ《降》りつづき、村の人達はみんな炉ばたに集まるのに、ネルロとパトラッシュは除者《除け者》で、もう用はないのです。隙間の多いあばら家に、ふたりはしょんぼりとおじいさんのお守《も》りをする。炉は、いつしか火が消えて冷たく、食卓の上には、食べ|もの《物》のない時が|つづ《続》くのでした。それもそのはず、近頃アントワープから驢馬を仕立てて、毎日牛乳《毎日’牛乳》を買い出しに来る商人があらわれたのです。そうして、少年を|あわ《哀》れんで、その商人の牛乳を買わず、緑|いろ《色》の小さな牛乳車《牛乳グルマ》を待っていてくれる家は、ほんの|三、四軒《サンヨンケン》に減ってしまい、《:、》そのために、パトラッシュが曳かねばならぬ車の荷は軽くなったものの、ネルロの財布に入る端金はいよいよわずかになってしまったのでした。  犬は、いつも止《止ま》る家の前には、ちゃんと車を止めますが、その門は、もはや彼等のためには開かれませんでした。|あわ《哀》れみを乞うようにじっと見上げる犬の眼は、見る人の胸を打ちましたがみ《/み》んな|むり《無理》に目をつぶって心《/心》を鬼にして閉め出すのでした。パトラッシュは、力なく空車《アキグルマ》をひいて行きます。誰だって、人情のないものはありませんが、コゼツの旦那の気にさわるのをおそれたからでした。  いよいよクリスマスは近づいて来ました。寒さは|一そう《一層’》きびしくなり、雪は六尺も積もり、氷は、牛や人間が、どこをふ《踏》んでも大丈夫な程厚《ほど厚》くなりました。この季節が、このあたりでは一番|たの《楽》しい時なのです。どんな貧乏な家にも、あたたかなお《/お》いしい御馳走《ご馳走》やお菓子が用意され、ストーヴの上には、スープ鍋が、さも|うま《美味》そうに湯気を立てていて、部屋は色美しく|かざ《飾》られて、|たの《楽》しげな笑声《笑い声》がもれるのでした。馬という馬はみんな鈴をつけられ、その音が、いたるところに、にぎやかにひびくのでした。またそとには、若い娘たちが美しい頭巾に厚い上着をつけ、キャッキャッとはしゃぎながら、雪みちをあちこちの集まりに行《/行》きつ戻りつしています。その中《うち》に、ただ、ネルロの小屋だけが、暗く|つめ《/冷》たいのでした。  ネルロとパトラッシュは、全くのふたりっきりになってしまいました。クリスマスの一週間前と《/と》うとうジェハンじいさんは息をひきとってしまったのです。おじいさんは、ねている間に死にました。明け方のうす明りに、はじめてそれを知ったふたりの嘆きは、どんなだったでしょう。おじいさんは、どんなに彼等を愛しぬいていたことでしょう。おじいさんは、長い長い間、病の床《トコ》についたきりで身動きもならず、ふたりのために何をしてやることもできませんでしたが、《:、》しかもこの親切な言葉とやさしい笑顔とは、つかれて|かえ《帰》って来るふたりにとって、どんなに大きな慰めだったことか──《─:》 そのなきがらを松板の棺《ヒツギ》におさめ、小さな教会堂のとなりの名《/名》もない墓に葬《-ほうむ》ったとき、ふたりは悲しみ極《きわ》ま|わっ《っ》て、雪の上に泣きくずれたまま、立ち去ろうともしませんでした。ああ、犬と少年──彼等は全く、この世に頼るものなく取残《取り残》されたのでした。  今度こそは|あわ《哀》れに|おも《思》って心も解けるだろう、と信じたおかみさんの心|だの《頼》みも空しく、《:、》粉挽屋の主人は、そのささやかな葬式が、門前をす《過》ぎるのを見ても、眉をよせたままく《悔》やみ一つつぶやこうとはしませんでした。気の弱いおかみさんは、とりつく術《スベ》もなく涙をふきふき、そっと凋まない花を花環に編んで、アロアにそれを墓場へ持って行かせ、《:、》今は少年も立ち去って、人影もないその墓の上にうやうやしくお《置》かせたのでした。  ネルロとパトラッシュは、はりさけるような悲しい胸を抱いて墓場を立ち去ったが、その|かえ《帰》り行く小屋《コヤ》さえも、なおふたりに慰めを与えることをしませんでした。それは、この小さな家の地代《チダイ》が|一月おく《ヒト月遅》れになってしまっていたところへ、この|かな《悲》しい葬式のために、ネルロは、最後の一銭まで、払ってしまったのです。小屋の持主《持ち主》というのは靴やのおやじで、世の中に金《-かね》ほど可愛いものはな《無》いと思っている人情知《/人情知》らずでした。彼は、ネルロの詫言に耳をも貸さず、家賃や地代《チダイ》が払えないなら、その代り小屋《コヤ》にあるものは、鍋から釜から、木片一《キギレ一》つ、石塊一つに至るまで、すっかりおいて明日限り立ち退けと、むごい宣告を下したのでした。小屋は、貧しく小さかったが、ネルロたちは、どんなになつかしい思い出を、そこに持っていることでしょう。夏になれば、一面にまといついて繁るぶどう。朝まだき、露をふくんで彼等にほほえみかける、畑の豆の花。彼等のどんなよろこびも、どんな|かな《悲》しみも、みんな見守っていたこの小屋《コヤ》。どんなにつかれて|かえ《帰》って来ても、安らかにいこわせてくれたこの小屋《コヤ》。──その晩ネ《/ネ》ルロとパトラッシュは、一晩中火の気のない炉ばたで、灯《灯火》もつけず抱き合っていました。めいめい、心の中に、この小屋《コヤ》の、す《過》ぎ去った日のことを思い起しながら──  やがて一夜があけました。それはクリスマスの前の日でした。ネルロはふるえながら、冷え切った両腕でかたく犬を抱きしめた。大粒の涙が、はらはらと犬の額にかかりました。 「パトラッシュ、行こうよ。ね、行こう。僕|らは《等は’》じっとして蹴り出されるまでもない。ね、さ、行こう。」  ふたりは、|かな《悲》しげに並んで小屋《コヤ》を出ました。どんな大事なものも、どんな|なつ《懐》かしいものもすっかり残して、全くの着《/着》のみ着のままで──。緑|いろ《色》の牛乳車《牛乳グルマ》の|まえ《前》を|とお《通》る時《とき》、パトラッシュは、さも切なげに頸《首》をたれてしまいました。ああ《あ/》これももうふたりのものではないのでした。  彼等は、通いなれた道を、アントワープの方《ホウ》へ辿りました。まだ太陽は登らず、道に沿うた大抵の家は、まだ戸《’戸》を閉めていました。町には、二三《ニサ-ン》の人影もありましたが、誰も少年と犬をふりむく人はありません。  ネルロはある家の前に来ると、立ち止《止ま》って、訴えるような目つきで家の中をのぞきました。それは、おじいさんが元気だったころ、よくやって来たことのある人の家でした。 「もし。パンの堅皮《ケンピ》がありましたら、犬にやって下さいませんか。これはもう老いぼれている上に、きのうのお|ひる《昼》から、なんにも食べてないのです。」と、ネルロはおそるおそる言いました。すると家の女の人はすばやく戸をしめて、このごろは麦が高くって、というようなことをぶつぶつ呟くのでした。ネルロとパトラッシュはとりつくすべもなく、またとぼとぼと|つか《疲》れた足をひきずって行きました。町についた時には、もう鐘は十時《10時》を鳴らしていました。 「僕がなんか売れそうなものを持ってたら、パトラッシュにパンを買ってやれるんだが。」  だが、ネルロが身につけているものと言っては、ぼろぼろの着物と、汚れた木靴だけでした。パトラッシュはネルロの心持《心持ち》を悟って、鼻先をネルロの掌《手》の中《うち》に押しつけ、どうか、自分のためなら心配してくれるな、なにもいらぬからと、頼むような様子をみせました。  その日の十二時には、例の画《絵》の審査の結果が発表されることになっていました。その会場の入口には、もう大ぜいの少年が集まっていました。みんなお父さんやお母さんにつれられてい《/い》ろいろささやき合っているのでした。その群《群れ》に入りこんだ時、ネルロの胸は激しく波打って、|いた《痛》いようでした。彼はパトラッシュをしっかりと抱きしめました。やがて町《’町》の大鐘が音たかく鳴り|わた《渡》りました。十二時になったのです。と同時に玄関の扉《ドア》が開いて、大勢《大ぜい》はときめく胸をおさえながら、なだれこみました。当選の画《絵》は、上段にお《置》いてある台《/台》の上に|かざ《飾》られることになっていたのです。はっと思った瞬間、ネルロは目がくらみ、頭がぼーっとして、|からだ《体》がくずおれかかりました。ようやく気をしずめて、も《もう》一度その|かざ《飾》られた画《絵》を見ましたが、ああ、それは彼の描いた画《絵》ではありませんでした。やがて、よく|ひび《響》き渡る声で、当選した画《絵》は、アントワープ生《生ま》れの埠頭場主《ハトバヌシ》の子、ステフア《ァ》ン・キイスリングの作であると告げられました。  ネルロが気がついた時は、彼は玄関先の石の上に倒れていて、パトラッシュが一生懸命彼《一生懸命/彼》を正気づかせようと鼻をすりつけていました。すこし|はな《離》れたところでは、アントワープの少年団が入選《/入選》した名誉ある友達を|大さわ《大騒》ぎをしてとりかこみながら、これからその埠頭場《波止場》の家まで威勢よく送って行こうとしているところでした。ネルロはよろよろと立ち上《上が》って、パトラッシュをしっかり抱きしめました。 「ああ、もうだめだ。パトラッシュ、もう何もかも。」  ネルロは幾度も倒れそうになるのを、ようよう踏みこらえました。もう、お腹が空《す》き切って、辛抱できないほどです。やっぱり、村へひきかえすほかはないのです。犬は頭《コウベ》をたれて、したがいました。パトラッシュの強い足も、もう|つか《疲》れは《果》てているのでした。雪は《は’》ますます降りしきり|きび《/厳》しい北風が吹きつけました。野原は殊に凄まじく、慣れた道を横切るにも、並大抵ではないのでした。やっとの思いで村に近づいた時、鐘《カネ》が四つ鳴りました。突然パトラッシュは立ち止りました。なにか、雪の中にかぎつけたものとみえ、妙な吠え方をして、咬え出したのは小さな革袋で、それをネルロにわたしました。丁度その近くに小さな十字架像があって、その下にささやかなお燈明があったので、《:、》ネルロは気のない様子で、そのうすあかりに袋を近づけてしらべると、コゼツという名が書いてあり、中には六千法《六千フラン》という大金の切手が入っていました。これを見るとぼんやりしていた少年の気持《気持ち》が、しゃんとして来ました。彼は早速それを|ふところ《懐》に押しこんで、犬をなでて歩き出しました。パトラッシュも小走りにつづきました。ネルロはまっすぐに粉挽小屋へかけつけて、入口の戸をたたきました。開けたのはおかみさんで、目を泣きはらしていました。アロアもそばにすがりついていました。 「ああ《あ/》お前さんだったの、可哀想に。」とおかみさんは涙をこぼしこぼし優《/優》しい声で言いました。 「でもね、早くお|かえ《帰》りよ。旦那さんが見たらやかましいからね。今夜、うちでは大変な心配事ができたんだよ。旦那さんが、さっき馬でお|かえ《帰》りの途中、大金《大金’》の入った財布を落してね、今探《いま探》しにお出かけなすったところなの。生憎《あいにく》この雪ではねえ──。もしみつからなかったら、うちは丸つぶれになってしまうんだよ。ほんとにうちの人が、お前さんに辛くした|むく《報》いが、今来《いま来》たのですよ。」  少年は革袋を取り出し、パトラッシュを家の中に呼び入れました。 「この犬が、このお金をいま見つけたんです。」と、ネルロは口早に言いました。 「どうぞ旦那さまにそうおっしゃって下さい。もうこの犬も老いぼれて来ましたから、どうかこの犬だけ宿《/宿》を貸して饑《/飢》えないようにしてやって下さい。おねがいです。僕の跡を追いますから、どうかやさしくなだめてやって──。」  待って、と言う間もなく、少年は身をかがめて犬に接吻《キス》したかと思うと、すばやく扉《ドア》を閉め、闇の中へ《へ’》走り去ってしまいました。おかみさんもアロアも、あまりのよろこびとおどろきに言葉も出ませんでした。パトラッシュは|閉め《’しめ-》こまれた樫の扉《ドア》に腹立たしく吠えかかったがも《/も》うだめでした。おかみさんもアロアも、ネルロのことは気になりましたが、何事も父親が|かえ《帰》ってから、今はせめてパトラッシュだけにもと、《:、》お菓子や肉を一ぱい出して来て、一生けんめいなだめ、炉ばたの温《温か》いところに誘おうとしましたが、それは何の甲斐もありませんでした。パトラッシュは石のように扉《ドア》の前に頑張ったまま|みむ《/見向》きもしないのでした。  しばらくたって、別の入口から、主人のコゼツがしょんぼりかえって来ました。どっかと腰を下《下ろ》すと、うめくように言いました。 「ああ、もうだめだ。提灯をつけて残らず探して見たのだが、もうない。──娘にゆずる分《ブン》も何もかもすっかりなくなってしまった。」  おかみさんは革袋を差出して、事の次第を|はな《話》しました。聞いているうちに、コゼツはたまらなくなって、ぶるぶる|ふる《震》える|からだ《体》を投げ出し、両手でしっかりと顔を掩ってしまいました。 「ああ、|わし《儂》はあの子に辛《-つら》く当《当た》って来た。わしのような人間が、どうしてあの子の親切を受けることができようか。」と、彼は身悶えしてうめきました。小さなアロアは、それに元気づいて父のそばへにじり寄り、その美しい捲毛《巻き毛》の頭を父の膝におしつけながら、 「お父さん、ネルロはもう家《-うち》へ来てもいいのね。明日招《明日’招》んでもいいのね、先《セ-ン》のように。」  コゼツは娘をしっかり抱きしめました。その顔は涙でぬれていました。 「ああ、そうとも、そうとも。明日のクリスマスには招ぶのだよ。いつでも遊びに来たい時は来てもらうがいい。わしの剛慾がこんな罪をつくったので、いま神様がこらしめて下すったのだ。|わし《儂》は神様におすがりして、あの子に償いをせねばならぬ。罪ほろぼしをせねばならぬ。」  アロアは|うれ《嬉》しさのあまり、父親に接吻《キス》して、大きな膝からすべり落ちるか《が》早いか、扉《ドア》の方ばかり、見守っている犬の許にか《駆》けて行って、 「今夜、パトラッシュに御馳走《ご馳走》してやってもいいの。」とさ《/さ》も|うれ《嬉》しそうに叫びました。 「いいとも、いいとも。うんと御馳走《ご馳走》しておやり。」とコゼツは言いました。この老いた頑固なおやじさんも、全く心の底から改心してしまったのでした。  その夜はク《’ク》リスマスの前夜ですから、大きな粉挽場《粉挽き場》の中は、目のさ《覚》めるように美しく|かざ《飾》り立てられていました。吊された線の枝々。うめもどきの赤い実がたくさんなっている枝の間から、十字架像と、時鳥の形をした置時計がのぞいています。アロアをよろこばせるための、紙でこしらえた提灯には灯《灯火》がつき、いろいろなおもちゃや、目のさ《覚》めるような絵紙につつんだおいしいお菓子が一ぱい並んでいます。このクリスマスの|かざ《飾》りをした明るい|たの《楽》しい、そして食物《食べ物》のたくさんある部屋で、パトラッシュを一番のお客さんにしようと、アロアは一生けんめいでした。が、パトラッシュは暖《暖か》い炉ばたへ行こうとも御馳走《/ご馳走》をふりむこうともしませんでした。|からだ《体》は凍え、おなかは空《-す》き切っているにもかかわらず、ネルロがいなければ犬《/犬》はなんにも食べたくもなく、|なぐさ《慰》められもしないのです。パトラッシュはただ石のように扉《ドア》のそばにすわりこんで逃《/逃》げ道はないかと、そればかり|ねら《狙》っているのでした。これを見たコゼツは言いました。 「あの子がいないといかんのだな。よしよし夜《/夜》があけたら、何はおいてもわしが|むか《迎》いに行ってやるからな。」  ああ、パトラッシュのほかに、誰がネルロの心を知っていよう。犬を残してただひとり、饑《飢》えと悲しみとを覚悟して出て行ったその雄々しくもいたましい心─《─:》─それはただ、パトラッシュだけが|かん《感》じていることなのです。  粉挽屋の台所は大へん暖《暖か》です。炉のなかでは、大きな榾《ホダ》がぱちぱちと赤く燃え、隣近所の人々は、夕飯のために焙《-あぶ》った鵞鳥の肉一片《肉ヒトキレ》とお《/お》酒一ぱいとにありつくために、交《代わ》る交《代わ》るやって来ます。アロアは、明日こそ大好きなネルロと遊べるという|うれ《嬉》しさにはしゃぎまわって、その金髪が頭の|うし《後》ろで|おど《踊》ってばかり《り-》いました。主人のコゼツは、胸が一ぱいになって、涙ぐんだ眼で娘に笑いかけながら、どうしたら娘のなつかしがる友達と仲なおりができるかと|かんが《考》えています。また、おかみさんはやさしい、満足そうな|かお《顔》つきで、静かに糸車のそばにすわりました。置時計は時鳥の啼き声そっくりに時を告げました。その中でパトラッシュは、第一のお客さまとしていろいろ親切な言葉をかけられても、やはり頑張って動きません。ネルロがいなくては、どんなに|たの《楽》しみも御馳走《ご馳走》もパ《/パ》トラッシュをよろこばすことはできないのです。  やがて、大きな食卓の上に、さまざまな御馳走《ご馳走》が並べられ、お客さんたちは席につきました。部屋の中にはよろこびの声が満ちて、キリスト降誕の仮装をした大ぜいの子供が、それぞれ心をこめた贈物をアロアに贈った、その時でした。今まで|すき《隙》を|ねら《狙》っていたパトラッシュは新《/新》しく来たお客が思わず扉《ドア》の掛金《カケガネ》をはずしたとたん、風のようにぬ《抜》け出しました。パトラッシュはその疲れ切った足がつづく限り、暗い夜の雪みちを走りに走って行きました。ただひたむきにネルロの跡を追うばかりです。もしこれが人間であったら、あるいはそのおいしい御馳走《ご馳走》と、暖《暖か》い炉ばたと、安楽な眠りとに誘われて、止ったかもしれません。が、しかしパトラッシュは、この老いたフランダースの犬は、遠い昔を忘れてはいませんでした。あのおじいさんと幼児《幼子》とが、道ばたの泥溝《ドロミゾ》に息絶った自分を救い上げ、見守ってくれたその遠い昔を。  |そと《外》は吹雪でした。もう十時でしょう。ネルロの足跡は大方消えてしまっているので、匂いを嗅いで足跡《/足跡》を辿って行くパトラッシュの苦心は実《/じつ》にいたましいようでした。ようやく見つけ出す、すぐ消えている、また探し出す、また見失う、そんなことを百度以上もくりかえしつつ、パトラッシュは|はし《走》りつづけました。この一寸先も見えない吹雪の夜を、饑《飢》えと寒さによろめきながらパトラッシュは、ただ主人を探し出すという一途な愛に支えられて走《/走》りつづけて行くのでした。ネルロの足跡は、吹雪にかき消されては《は’》いるものの、とにかくまっすぐにアントワープに向《向か》っていることだけは分《分か》ります。パトラッシュがやっとの思いでアントワープの町はずれまで辿りつきそ《/そ》れから狭い曲りくねった道に入った時は、もう真夜中をす《過》ぎていました。町の中も|まっくら《真っ暗》でただ、ところどころ戸《/戸》の隙間から細いあかりがもれているだけでした。酔っぱらいの歌声がどこかで起《起こ》って、そして消えて行きました。しんとしずまりかえった中に、風だけが街燈《街灯》の高い鉄柱につきあたって、すさまじい|ひび《響》きをたてるのでした。ネルロの足跡はこの町に入ってから、大ぜいの通行人の足跡にまじり合い、ふみにじられて、それを拾って行くのは、今までより、もっともっと困難でした。寒さが骨までしみ通り、足は凍った角《カド》で傷つきました。而《しか》もパトラッシュは、恐ろしいほどの忍耐を以《以っ》て、ネルロの跡を嗅ぎ求めて行きました。  こうして、堪えに堪えて、パトラッシュはついに愛する主人の足跡を追って、町の中央の旧教寺院の入口までのぼりついたのでした。ああ、ここは、一番慕っていたところだ、と、犬は思いました。ネルロが芸術というものに憧れている心持《心持ち》は、パトラッシュには分《分か》らないながら、なにか、哀れに|かな《悲》しく、そして神々しく|かん《感》じられたのでした。  大寺院の門は、真夜中の集まりがすんだあと、扉《ドア》が閉じていませんでした。門番が、早く|かえ《帰》って御馳走《ご馳走》が食べたかったか、それとも眠くて鍵をかけ損ねて気づかなかったのか、なにかそんな手抜かりがあったからでしょう、《:、》扉《ドア》が半分開けたままんなっていて、パトラッシュの求める足跡は、そこからてんてんと白い雪を落して奥へつづいているのでした。そのかすかな白い一《ひと》すじにみちびかれて、神々しい静かな堂内の、ひろびろした円天井《丸天井》の下を通って、まっすぐに聖堂の入口まで来ると、そこに倒れているネルロを見出《見い出》しました。パトラッシュは、よろめくようにかけよって、ぴったりと顔をすりよせました、「あなたを見すてるような、そんな不忠ものと思わないで──」と言うように。  ネルロは低く叫んで身を起しました。そして、しっかりと犬を抱きしめながらささやきました。 「おおパトラッシュ、可哀想なパトラッシュ。ふたり|一しょ《一緒》に死のう。世間の人は、もう僕たちには用がないのだ。ここで横になって死のう。僕たちはたったふたりっきりだ。」  ものの言えないパトラッシュは、答えの代《代わ》りに、なおもネルロの胸にひしとその頭をおしつけました。大粒の涙が、その茶色の悲しそうな瞼にたまりました。  ふたりは刺されるような寒さの中で、しっかりと抱き合って横になりました。  ふたりが横たわっている石造建築の広い内部は、野ざらしよりもっと寒さがひどいのでした。そのふれるもの一切を凍らせずにはおかないような狂風。──闇の中を、ときどき蝙蝠がとびまわるのでした。ルーベンスの画《絵》の下にふたりは横たわっていました。あまりの寒さに、|からだ《体》はしびれ、|ふしぎ《不思議》な眠気が|おそ《襲》って来て、ふたりは次第に気が|とお《遠》く、うっとりとなって行きました。ふたりの心にはす《過》ぎ去った楽しい日のことが浮び出ました。夏の牧場の花の咲きみだれた中を互《/互い》に追いつ追われつか《駆》けまわったことや、運河の岸のしげった草の中にすわり、静かに|すべ《滑》り行く船を|なが《眺》めく《暮》らしたことや──。ふたりは争いというものを知りませんでした。ネルロはパトラッシュをいとしみ、パトラッシュはネルロを慕い、お互《互い》に深く深《-ふか》く愛し合っていました。ふたりがこの世に生きていたのは短い間《あいだ》でしたが、ふたりがつ《尽》くさねばならない義務はつ《尽》くしました。どんな人にも獣にも恨みを持ったことがなく、きわめて素直でしたから、決して心に何《-なん》のとがめることもなく、はればれしていました。そして今、饑《飢》えにおとろえは《果》て、血は寒さに凍りク《/ク》リスマス前夜の夜あかしの|たの《楽》しさを思い浮べながら、昏々《コンコン》と死んで行こうとするのです。  突然、大きな白い光が、がらんとした堂の中に流れ入りました。月でした。いつしか雪はふ《降》り止んで、いま、雲間《雲マ》を逃れ出た月の光は、二つの名画を照し出しました。画《絵》をつつんであった覆いは、少年がここへ入った時す《/す》でに引き裂いてしまったから、この一瞬、「キリストの昇天」と「十字架上のキリスト」の二名画《2名画》は実にはっきり認め得たのでした。思わずネルロは立ち上り、両手を画《絵》の方《ホウ》へさし出しました。感きわまった涙が、その|あお《青》ざめた頬《ホオ》にあふれ落ちました。 「見た、ああ《あ/》僕はとうとう見た。」と、少年は叫びました。「ああ《あ/》神さま、もうこの上はなんにもいりません。」  足の力がつきて、膝がしらでようよう身を支えながら、なおもネルロは喰い入るように、その崇拝している荘厳な画《絵》に見入りました。清らかな月の光は、そのあこがれの画《絵》を隅々まではっきりと示しました。が、これも一瞬にしてかくれ、堂内は再び|まっくら《真っ暗》な闇がひろがりました。画《絵》の方《ほう》にさし出されていたネルロの両手は、再び犬の|からだ《体》を抱きました。 「ああ、神さまのお顔が拝めるだろう。──あそこに。」彼《彼’》の唇がかすかに動きました。「神様は私たちをお見すてにはならない。神様は御慈悲深《’お慈悲深》い──。」 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第四章】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  夜があけました。アントワープの町の人々は、この大伽藍の内に、少年と犬とを見い出しました。もうふたりとも、冷たく息絶えていました。さびしい夜の寒さは、若い命と、年老いた命とを|一しょ《一緒》に凍らして、|しず《静》かな、永い|ねむ《眠》りにつかせたのでした。クリスマスの朝がほのぼのと明けて、坊さん《ん-》たちがやって来た時には、石のようにかたく抱き合った少年と犬のなきがらの上に、ルーベンスの名画は覆いをむしりとられて、その偉大なる天才の筆の跡をあらわし、《:、》清々しい朝の光が、神《神’》の子の頭にお《置》いたいばらの冠をてらしていました。やがて、一人の頑固そうな顔をした老人が、おいおい泣きながらやって来て、 「|わし《儂》はまあこの子供に、何《なん》というむ《/む》ごい扱いをしたことだろう。ああ《あ/》すまないすまない。罪滅《罪滅ぼ》しをせねばらなぬ。わしの、聟になるべきはずの子だったのに──。」  またしばらくすると、そこ《の》頃有名な画家がやって来て集まっている人々に言うのでした。「本当の値打から言ったら、たしかにこの子がえらばるべきだったのに。あの夕暮の、倒れた樹に腰を下《下ろ》した老樵夫《ロウキコリ》の画《絵》。あの画《絵》には天才のひらめきがあった。未来にはき《’き》っとすぐれた画家になれる児《子》だった。|わし《儂》は何とかして探し出してみっしり仕込んで、その天才をみがかそうと|かんが《考》えていたものを──。」  また、捲毛《巻き毛》の|美わ《麗》しい少女は泣きくずれながら、父の腕にすがって、声を惜しまずかきくどくのでした。 「ネルロい《/い》らっしゃいよ。支度《仕度》はみんなできてよ。あなたのために、仮装した子供たちが、めいめい贈り物を手にしているし、笛吹きのじいさんが、いま吹きはじめるところなの。あなたと私は、このクリスマスの一週間は、ちっとも離れず炉ばたで栗をや《焼》いてていいんですって。クリスマスの一週間どころかい《/い》つまでいたって|かま《構》わないって。ね、パトラッシュも|うれ《嬉》しいでしょう。早く起きていらっしゃいよ、ネルロ。」  けれども、偉大なルーベンスの画《絵》の方《ほう》にむ《向》けたままのその死顔は、口許にかすかな笑《笑み》を浮べたまま、|あた《辺》りの人々に、「もうおそい」と答えているかのようです。  ほがらかな鐘の音《ネ》が鳴りわたり、太陽はうららかに雪の野を照らし、華やかに着飾った人々は往来にむらがって、よろこんでいますが、もはやネルロとパトラッシュとは、人の慈悲にすがる必要はありませんでした。ふたりが生きている間に一生けんめいに求めていたものを、死んで何もいらなくなった今になって、はじめてアントワープの人達が与えたのです。  生命《命》のある|間はな《あいだ/離》れられなかったこのふたりは、死んでからも|はな《離》れませんでした。少年の腕はどうしても|はな《離》すことのできないほどし《/し》っかりと犬を抱きしめていました。  恥じ入って後悔した村の人達は、ふたりのために、神さまが特別のお恵みをお与え下さるように祈りながら、墓を一つにして、主従抱き合ったままで葬《ほうむ》りました。──永遠《とこしえ》に─《─◇。◇。◇。》─(おわり) ◇。◇。◇。◇。◇。 【底本:「小学生全集26◇ 黒馬物語《クロウマ物語》・フランダースの犬」興文社、文芸春秋社】 【   1929(昭和4)年5月23日発行】 【※《◇》「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。】 【※《◇》総ルビをパラルビにかえました。】 【入力:大久保ゆう】 【校正:門田裕志】 【2003年11月6日作成】 【2005年12月17日修正】 【青空文庫作成ファイル:】  このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http:《コロン”》//www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。