◇。◇。◇。◇。◇。 【小説◇ 不如帰】 【徳冨蘆花】 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第百版不如帰《第百版フジョキ》の巻首に】 ◇。◇。◇。◇。◇。  不如帰が百版になるので、校正かたがた久しぶりに読んで見た。お坊っちゃん小説である。単純な説話で置いたらまだしも、無理に場面をにぎわすためかき集めた千々石山木の安っぽい芝居がかりやら、小川某女の蛇足やら、|あら《粗》をい《言》ったら限《-き》りがない。百版という呼び声に対してももっとどうにかしたい気もする。しかし今さら書き直すのも面倒だし、とうとうほン《ん》の校正だけにした。  十年ぶりに読んでいるうちに端なく思い起こした事がある。それはこの小説の胚胎せられた一夕の事。もう十二年前《+十二年ゼン》である、相州逗子の柳屋という家の間《マ》を借りて住んでいたころ、病後の保養に童男一人《+子供ひとり》連れて来られた婦人があった。夏の真盛りで、宿という宿は皆ふさがって、途方に暮れておられるのを見兼ねて、妻《+サイ》と相談の上自分《上/自分》らが借りていた八畳二室《+八畳フタマ》のその一つを御用立《ご用立》てることにした。夏のことでなかの仕切りは形《+カタ》ばかりの小簾一重、風も通せば話も通う。一月《ひと月》ばかりの間に大分《だいぶ》懇意になった。三十四五《サンジュウシゴ》の苦労をした人で、(不如帰《ホトトギス》の小川某女ではない)大層情の深い話上手の方《かた》だった。夏も末方のちと曇ってしめやかな晩方の事、童男《+子供》は遊びに出てしまう、婦人と自分と妻《+サイ》と雑談しているうちに、ふと婦人がさる悲酸の事実譚《+事実談》を話し出された。もうそのころは知る人は知っていたが自分にはまだ初耳の「浪子」の話である。「浪さん」が肺結核で離縁された事、「武男君」は悲しんだ事、片岡中将が怒って女《+娘》を引き取った事、病女《ビョウジョ》のために静養室を建てた事、一生の名残に「浪さん」を連れて京阪の遊をした事、《:、》川島家《+川島ケ》からよこした葬式の生花《+ショウカ》を突っ返した事、単にこれだけが話のなかの事実であった。婦人は鼻をつまらせつつしみじみ話す。自分は床柱にもたれてぼんやりきいている。妻《+サイ》は頭《コウベ》をたれている。日はいつか暮れてしもうた。古びた田舎家の間内《+マウチ》が薄ぐらくなって、話す人の浴衣ばかり白く見える。臨終のあわれを話して「そうお言いだったそうですってね──《─:》もうもう二度と女なんかに生まれはしない」──《─:》言いかけて婦人はとうとう嘘唏《+歔欷》して話をきってしもうた。自分の脊髄をあるものが電《+稲妻》のごとく走った。  婦人は間もなく健康になって、かの一夕の談《+ハナシ》を置き土産に都に帰られた。逗子の秋は寂しくなる。話の印象はいつまでも消えない。朝な夕な波《/波》は哀音《アイオン》を送って、蕭瑟たる秋光《シュウコウ》の浜に立てば影《/影》なき人の姿がつい眼前《+目先》に現われる。かあいそうは過ぎて苦痛になった。どうにかしなければならなくなった。そこで話の骨に勝手な肉をつけて一編未熟《/イッペン未熟》の小説を起草して国民新聞に掲げ、後一冊《のち一冊》として民友社から出版したのがこの小説不如帰である。  で、不如帰《ホトトギス》のまずいのは自分が不才のいたすところ、それにも関せず読者の感を惹く節《フシ》があるなら、それは逗子の夏の一夕にある婦人の口に藉《-よ》って訴えた「浪子」が自ら読者諸君に語るのである。要するに自分は電話の「線《+針金》」になったまでのこと。 【  明治四十二年二月二日昔《明治四十二年二月二日/昔》の武蔵野今は東京府下】 【北多摩郡千歳村粕谷の里にて】 【徳冨健次郎識《徳冨健次郎しるす》】 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第一部】 【上編《ジョウヘン》】 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第一章】 【その1】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  上州伊香保千明《+上州伊香保チギラ》の三階の障子開《障子ひら》きて、夕景色を|なが《眺》むる婦人。年は十八九《ジュウハチク》。品《ひん》よき丸髷に結《ゆ》いて、草色の紐つけし小紋縮緬の被布を着たり。  色白の細面、眉の間《あいだ/》ややせまりて、頬《ホオ》のあたりの肉寒げなるが、疵といわば疵なれど、瘠形《+ヤサガタ》のすらりと《と-》しおらしき人品《+人柄》。これや北風《+ホクフウ》に一輪勁《+一輪つよ》きを誇る梅花にあらず、また霞の春に蝴蝶と化けて飛ぶ桜の花にもあらで、夏の夕やみにほのかに|にお《匂》う月見草、と品定めもしつべき婦人。  春の日脚の西《/西》に傾《+カタブ》きて、遠くは日光、足尾、越後境《+エチゴザカい》の山々、近くは、小野子、子持、赤城の峰々、入り日を浴びて花やかに夕ばえすれば、《:、》つい下の榎離《榎’離》れて唖々と飛び行く烏の声までも金色に聞こゆる時、雲二片蓬々然《+雲二つフラフラ》と赤城の背《+後ろ》より浮かび出《い》でたり。三階の婦人は、そぞろにその行方をうちまもりぬ。  両手優《+両手ユタ》かにかき抱《いだ》きつべきふっくりと|かあい《可愛》げなる雲は、おもむろに赤城の巓《+頂き》を離れて、さえぎる物《モノ》もなき大空を相並《/相並》んで金の蝶のごとくひらめきつつ、優々《ゆうゆう》として足尾の方《ほう》へ流れしが、《:、》やがて日落ちて黄昏寒き風の立《-た》つままに、二片《+二つ》の雲今《雲/今》は薔薇色に褪《+移ろ》いつつ、上下《+ウエシタ》に吹き離され、しだいに暮《く》るる夕空を別《/別》れ別れにたどると見しもしばし、下なるはいよいよ細りてい《/い》つしか影も残らず消《き》ゆれば、《:、》残れる一片《+一つ》はさらに灰色に褪《+移ろ》いて朦乎《+ボイヤリ》と空にさまよいしが、  果ては山も空もただ一色《+ひと色》に暮れて、三階に立つ婦人の顔のみぞ夕《/夕》やみに白かりける。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第一章】 【その2】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。 「お嬢──おやどういたしましょう、また口がすべって、オホホホホ。あの、奥様、ただいま帰りましてございます。おや、まっくら。奥様エ、どこにおいで遊ばすのでございます?」 「ホホホホ、ここにいるよ」 「おや、ま、そちらに。早くおはいり遊ばせ。お風邪を召しますよ。旦那様はまだお帰り遊ばしませんでございますか?」 「どう遊ばしたんだろうね?」と障子をあけて内に入りながら「何《なん》なら帳場《+下》へそ《-そ》う言って、お迎人《+迎い》をね」 「さようでございますよ。」言いつつ手さぐりにマッチをすりてランプを点《-つ》くるは、五十あまりの老女。  おりから階段《+梯子》の音して、宿の女中《+女》は上り来つ。 「おや、恐れ入ります。旦那様は大層ごゆっくりでいらっしゃいます。‥‥はい、あのい《/い》ましがた若い者をお迎えに差し上げましてございます。もうお帰りでございましょう。──お手紙が──」 「おや、お父さまのお手紙──早くお帰りなさればいいに!」と丸髷の婦人は《は-》さもなつかしげに表書《+上書き》を打ちかえし見る。 「あの、殿様の御状《ゴジョウ》で──。早く伺いたいものでございますね。オホホホホ、きっとまたおもしろいことをおっしゃってでございましょう」  女中《+女》は戸を立て、火鉢の炭をついで去れば、老女は風呂敷包《風呂敷づつ》みを戸棚にしまい、立ってこなたに来たり、 「本当に冷えますこと! 東京《+あちら》とはよほど違いますでございますねエ」 「五月に桜が咲いているくらいだからねエ。|ばあ《バア》や、もっとこちらへお寄りな」 「ありがとうございます。」言いつつ老女はつくづく顔打《カオ打》ちながめ「|うそ《嘘》のようでございますねエ。こんなにお丸髷にお結い遊ばして、ちゃんとすわっておいで遊ばすのを見ますと、|ばあ《バア》やがお育て申し上げたお方様とは思えませんでございますよ。先奥様《+セン奥様》がお亡くなり遊ばした時、|ばあ《バア》やに負《負ぶ》されて、母様母様《母さま母さま》ッてお泣き遊ばしたのは、昨日のようでございますがねエ。」はらはらと落涙し「お輿入《+輿入れ》の時も、|ばあ《バア》やはね《ネ》エあなた、あの立派なご|ようす《様子》を先奥様《セン奥様》がごらん遊ばしたら、どんなにおうれしかったろうと思いましてねエ」と襦袢の袖引き出して目をぬぐう。  こなたも引き入れられるるようにうつぶきつ、火鉢にかざせし左手《+ユンデ》の指環のみ燦然《/燦然》と照り渡る。  ややありて姥は面《-おもて》を上《-あ》げつ。「御免遊ばせ、またこんな事を。オホホホ年《/トシ》が寄ると愚痴っぽくなりましてねエ。オホホホホ、お嬢──奥様もこれまではいろいろ御苦労も遊ばしましたねエ。本当によく御辛抱遊ばしましたよ。もうもうこれからはおめでたい事ばかりでございますよ、旦那様はあの通《とお》りおやさしいお方様──」 「お帰り遊ばしましてございます」  と女中《+女》の声階段《+こえ/梯子》の口に響きぬ。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第一章】 【その3】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。 「やあ、くたびれた、くたびれた」  足袋草鞋脱《足袋草鞋’脱》ぎすてて、出迎《でむか》う二人にちょっと会釈しながら、廊下に上りて来《こ》し二十三四《ニジュウサンシ》の洋服の男、提燈《+提灯》持ちし若い者を見返りて、 「いや、御苦労、御苦労。その花は、面倒だが、湯につけて置いてもらおうか」 「まあ、きれい!」 「本当にま、きれいな躑躅でございますこと! 旦那様、どちらでお採り遊ばしました?」 「きれいだろう。そら、黄色いやつもある。葉が石楠《+シャクナゲ》に似とるだろう。明朝浪《+あす/浪》さんに活けてもらおうと思って、折って来たんだ。‥‥どれ、すぐ湯に入って来ようか」 ◇。◇。◇。◇。◇。 「本当に旦那様はお活発でいらっしゃいますこと! どうしても軍人のお方様はお違い遊ばしますねエ、奥様」  奥様は丁寧に畳みし外套をそっと接吻して衣桁《+エコウ》にかけつつ、ただほほえみて無言なり。  階段《+梯子》も轟《ゴウ》と上る足音障子《足音/障子》の外に絶えて、「ああいい心地《+気持ち》!《/》」と入《-い》り来る先刻の壮夫《+若者》。 「おや、旦那様もうお上がり遊ばして?」 「男だもの。アハハハハ」と快く笑いながら、妻がきまりわるげに被《+羽織》る大縞《+オオジマ》の褞袍引《褞袍ひ》きかけて、「失敬」と座ぶとんの上にあぐらをかき、両手に頬《ホオ》をなでぬ。栗虫のように肥えし五分刈《ゴブが》り頭の、日にやけし顔はさながら熟《ジュク》せる桃のごとく、眉濃く目《/目》いきいきと、鼻下《ハナシタ》にうっすり毛虫ほどの髭は見えながら、まだどこやらに|幼な顔《幼顔》の残りて、ほほえまるべき男なり。 「あなた、お手紙が」 「あ、乃舅《+オトッサン》だな」  壮夫《+若者》はちょいといずまいを直して、封を切り、なかを出《+-いだ》せば落つる別封。 「これは浪さんのだ──ふむ、お変わりもないと見える‥‥ハハハハ滑稽《/滑稽》をおっしゃるな‥‥お話を聞くようだ。」笑《笑み》を含んで読み終えし手紙を巻いてそばに置く。 「おまえにもよろしく。場所が変わるから、持病の起こらぬように用心おしっておっしゃってよ」と「浪さん」は饌《+-膳》を運べる老女を顧みつ。 「まあ、さようでございますか、ありがとう存じます」 「さあ、飯だ、飯だ、今日は握り飯二つで終日《+イチンチ》歩きずめだったから、腹が減ったこったらおびただしい。‥‥ハハハ。こらあ何《なん》ちゅう魚《サカナ》だな、鮎でもなしと‥‥」 「山女とか申しましたっけ──ねエ|ばあ《バア》や」 「そう? うまい、なかなかうまい、それお《/お》代《か》わりだ」 「ホホホ、旦那様のお早うございますこと」 「そのはずさ。今日は榛名から相馬|が嶽《ガタケ》に上って、それから二《フタ》ツ嶽に上って、屏風岩の下まで来ると迎えの者に会ったんだ」 「そんなにお歩き遊ばしたの?」 「しかし相馬|が嶽《ガタケ》のながめはよかったよ。浪さんに見せたいくらいだ。一方は茫々たる平原《ヘイゲン》さ、利根がはるかに流れてね。一方はいわゆる山また山さ、その上から富士がちょっぽりのぞいてるなんぞはすこぶる妙だ。歌でも詠めたら、ひとつ人麿と腕っ比べをしてやるところだった。アハハハハ。そらもひとつお代《か》わりだ」 「そんなに景色がようございますの。行って見とうございましたこと!」 「ふふふふ。浪さんが上れたら、金鵄勲章をあげるよ。そらあ急嶮《+ひど》い山だ、鉄鎖《+カナグサリ》が十本もさがってるのを、つたって上るのだからね。僕なんざ江田島で鍛《きた》い上げた|からだ《体》で、今でもすわというとマストでも綱《+リギング》でもぶら下がる男だから、何でもないがね、浪さんなんざ東京の土踏んだ事もあるまい」 「まあ、あんな事を。」にっこり顔《カオ》をあからめ「これでも学校では体操もいたしましたし──」 「ふふふふ。華族女学校の体操じゃ仕方がない。そうそう、いつだっけ、参観に行ったら、琴だか何だかコロンコロン鳴ってて、《:、》一方で『地球の上に国という国《+クウニ》は』何とか歌うと、女生《+みんな》が扇を持って起《立》ったりしゃがんだりぐ《/ぐ》るり回ったりしとるから、踊りの温習《+さらい》かと思ったら、あれが体操さ! アハハハハ」 「まあ、お口がお悪い!」 「そうそう。あの時山木《時/山木》の女《+娘》と並んで、垂髪《+お下げ》に結《+-い》って、ありあ何とか言ったっけ、葡萄色《+ブドウイロ》の袴は《’履》いて澄ましておどってたのは、たしか浪さんだっけ」 「ホホホホ、あんな言《+こと》を! あの山木さんをご存じでいらっしゃいますの?」 「山木はね《ネ》、うちの亡父《+親》が世話したんで、今に出入りしとるのさ。ハハハハ、浪さんが敗北したもんだから黙ってしまったね」 「あんな言《+こと》!」 「オホホホホ。そんなに御夫婦《ご夫婦》げんかを遊ばしちゃいけません。さ、さ、お仲直りのお茶でございますよ。ホホホホ」 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第二章】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  前回かりに壮夫《+若者》といえるは、海軍少尉男爵川島武男《海軍少尉男爵/川島武男》と呼ばれ、このたび良媒《リョウバイ》ありて陸軍中将子爵片岡毅《+陸軍中将/子爵片岡キ》とて名《/名》は海内に震える将軍の長女浪子《長女’浪子》とめでたく合卺《+ゴウキン》の式を挙げしは、つい先月の事にて、《:、》ここしばしの暇を得たれば、新婦とそ《/そ》の実家《里》よりつ《-つ》けられし老女の幾を連れて四五日前《+シゴニチゼン/》伊香保に来たりしなり。  浪子は八歳《+8つ》の年実母《年’母》に別れぬ。八歳《+8つ》の昔なれば、母の姿貌《+姿かたち》ははっきりと覚えねど、始終笑《始終笑み》を含みていられしことと、臨終のその前にわれを臥床《臥所》に呼びて、やせ細りし手にわが小さき掌《+タナゾコ》を握りしめ「《:「》浪や、母さんは遠《+とおー》いとこに行くからね、おとなしくして、おとうさまを大事にして、駒《+コウ》ちゃんをかあいがってやらなければなりませんよ。もう五六年《ゴロクネン》‥‥。」と言いさしてはらはらと涙を流し「母さんがいなくなっても母《/母》さんをおぼえているかい」と今《/今》は肩過ぎしわ《我》が黒髪のそ《/そ》のころはまだふっさりと額ぎわまで剪り下げしをか《/か》いなでかいなでしたまいし事も記憶《/記憶》の底深く彫《+-え》りて思《/思》い出ぬ日はあらざりき。  一年ほど過ぎて、今の母は来つ。それより後は何もかも変わり果てたることになりぬ。先の母はれっきとしたる士《+侍》の家より来《こ》しなれば、よろず折り目正しき風なりしが、それにてもあのように仲よき御夫婦《ご夫婦》は珍しと婢《+女》の言えるをきけることもありし。今の母はやはりれっきとした士《+侍》の家から来たりしなれど、早くより英国に留学して、男まさりの上に西洋風の染みしなれば、《:、》何事も先とは打って変わりて、すべて先の母の名残と覚《おぼ》ゆるをばさ《/さ》ながら打ち消すように片端より改めぬ。父に対しても事ごとに遠慮もなく語らい論ずるを、父は笑いて聞き流し「よしよし、おいが負けじゃ、負けじゃ」と言わるるが常なれど、《:、》ある時ごく気に入《い》りの副官、難波といえるを相手の晩酌に、母も来たりて座に居《い》しが、父はじろりと母を見てからからと笑いながら「なあ難波君、学問の出来《+でく》る細君《+奥さん》は持つもんじゃごわはん、いやさんざんな目にあわされますぞ、アハハハハ」と言われしとか。さすがの難波も母の手前、何と挨拶もし兼ねて手持《/手持》ちぶさたに杯を上げ下げして居《-い》しが、その後《あと/》おのが細君《+奥さん》にくれぐれも女児《+/娘》どもには書物を読み過ごさせな、高等小学卒業で沢山と言い含められしとか。  浪子は幼きよりいたって人なつこく、しかも怜悧《+利口》に、香炉峰の雪に簾《スダレ》を巻くほどならずとも、三つのころより姥に抱かれて見送る玄関にわ《/わ》れから帽をとって阿爺《+父》の頭に載すほどの気は《は-》ききたり。伸びん伸びんとする幼心は、たとえば春の若菜のごとし。よしやひ《/ひ》とたび雪に降られしとて、ふ《踏》みにじりだにせ《/せ》られずば、おのずから雪融《雪と》けて青々とのぶるなり。慈母《+母》に別れし浪子の哀しみは子供《/子供》には似ず深かりしも、後《あと》の日だに照りたらば苦《/苦》もなく育つはずなりき。束髪に結《ゆ》いて、そばへ寄れば香水の香の立ち迷う、目少し釣りて口大《/口大》きなる今の母を初めて見し時は、さすがに少したじろぎつるも、《:、》人なつこき浪子はこ《/こ》の母君にだに慕い寄るべかりしに、継母はわれからさしはさむ一念にか《/か》あゆき児《子》をば押し隔てつ。世なれぬわがまま者《もの》の、学問の誇り、邪推、嫉妬さえ手伝いて、まだ八《8》つ九つの可愛児《+カアイコ》を心《/心》ある大人なんどのように相手にするより、こなたは取りつく島もなく、寒ささびしさは心にしみぬ。ああ愛されぬは不幸なり、|愛い《愛》することのできぬは《は-》なおさらに不幸なり。浪子は母あれども愛するを得ず、妹《+イモト》あれども愛するを得ず、ただ父と姥の幾と実母《/実母》の姉なる伯母はあれど、何を言いても伯母はよその人、幾は召使いの身、《:、》それすら母の目常《目’常》に注ぎてあれば、少しよくしても、してもらいても、互いにひいきの引き倒し、かえってためにならず。ただ父こそは、父こそは渾身愛《渾身’愛》に満ちたれど、その父中将すらもさ《/さ》すがに母の前をば《ば-》かねらるる、それも思えば慈愛の一つなり。されば母の前では余儀なくしかりて、陰《蔭》へ回れば言葉少なく情深くい《/い》たわる父の人知らぬ苦心、怜悧《+敏》き浪子は十分《充分》に酌んで、《:、》ああうれしいかたじけない、どうぞ身を粉《コ》にしても父上のおためにと心《/心》に思いはあふるれど、気がつくほどにすれば、母は自分の領分に踏み込まれたるように気をわるくするがつらく、《:、》光を韞《+-つつ》みて言《+言葉》寡に気《/気》もつかぬ体《テイ》に控え目にしていれば、かえって意地|わる《ワル》のや《-や》れ鈍物《ドンブツ》のと思《/思》われ言《/言》わるるも情けなし。ある時はいささかの間違いより、流《なが》るるごとき長州弁に英国仕込《/英国じこ》みの論理法もて滔々《/滔々》と言いまくられ、おのれのみかは亡き母の上までもお《/お》ぼろげならずあてこすられて、《:、》さすがにくやしくかんだ唇開《唇’開》かんとしては縁側《/縁側》にちらりと父の影見《影’見》ゆるに口《/口》をつぐみ、あるいはまたあまり無理なる邪推されては「母《+おっか》さまもあんまりな」と窓かけの陰に泣いたることもありき。父ありというや。父はあり。愛する父はあり。さりながら家《イエ》が世界の女の兒《+子》には、五人の父より一人の母なり。その母が、その母がこの通りでは、十年の間には癖もつくべく、艶も失すべし。「本当に彼女《+あの子》はちっともさっぱりした所がない、いやに執念《+シュウネイ》な人だよ」と夫人は常にののしりぬ。ああ土鉢《/土鉢》に植えても、高麗交趾《高麗コウチ》の鉢に植えても、花は花なり、いずれか日《ヒ》の光を待たざるべき。浪子は実に日陰の花なりけり。  さればこのたび川島家《+川島ケ》と縁談整いて、輿入済《+輿入れす》みし時は、浪子も息をつき、父中将も、継母も、伯母も、幾も、皆それぞれに息をつきぬ。 「奥様(浪子の継母)は御自分《ご自分》は華手《+派手》がお好きなくせに、お嬢様にはいやア《あ》な、じみなものばかり、買っておあげなさる」とつねにつぶやきし姥の幾が、《:、》嫁入りじたくの薄きを気にして、先奥様《+セン奥様》がおいでになったらとかき口説いて泣きたりしも、浪子はいそいそとしてわが家の門を出《い》でぬ。今まで知らぬ自由と楽しさのこ《/こ》のさきに待つとし思えば、父に別《わか》るる哀しさもい《/い》ささか慰めらるる心地して、いそいそとして行きたるなり。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第三章】 【その1】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  伊香保より水沢《+ミサワ》の観音まで一里あまりの間は、一条《+ひと筋》の道、蛇《ヘビ》のごとく禿山の中腹に沿うてうねり、《:、》ただ二か所ばかりの山《/山》の裂け目の谷をなせるに陥りてま《”ま》た這い上がれるほかは、目をねむりても行かるべき道なり。下は赤城より上毛の平原《ヘイゲン》を見晴らしつ。ここらあたりは一面の草原なれば、春のころは野焼きのあとの黒める土《ツチ》より、さまざまの草萱萩桔梗女郎花《クサ/萱/萩/桔梗/女郎花》の若芽など、生え出《-い》でて毛氈《/毛氈》を敷けるがごとく、《:、》美しき草花その間《あいだ》に咲き乱れ、綿帽子着た銭巻《+ゼンマイ》、ひょろりとした蕨、ここもそこもたちて、ひとたびここにおり立たば春《/春》の日の永きも忘るべき所なり。  武男夫婦は、今日の晴れを蕨狩《+蕨ガ》りすとて、姥の幾と宿の女中を一人つれて、午食後《+ヒルゴ》よりここに来つ。はやひとしきり採りあるきて、少しくたびれが来《こ》しと見え、女中に持たせし毛布《+ケット》を草のやわらかなるところに敷かせて、武男は靴ばきのままごろりと横になり、《:、》浪子は麻裏草履《+麻裏》を脱ぎ桃紅色《+/朱鷺色》のハンケチにて二つ三《-み》つ膝のあたりをはらいながらふわりとすわりて、 「おおやわらか! もったいないようでございますね」 「ホホホお《/お》嬢──あらまた、御免遊ばせ、お奥様のい《/い》いお顔色《+色》におなり遊ばしましたこと! そしてあんなにお唱歌なんぞお歌い遊ばしましたのは、本当にお久しぶりでございますねエ」と幾はうれしげに浪子の横顔をのぞく。 「あんまり歌ってなんだか渇いて来たよ」 「お茶を持ってまいりませんで」と女中は風呂敷解きて夏蜜柑《/夏蜜柑》、袋入りの乾菓子、折り詰めの巻鮓《+巻き寿司》など取り出す。 「何、これがあれば茶はい《要》らんさ」と武男はポッケットよりナイフ取り出して蜜柑をむきながら「どうだい浪さん、僕の手ぎわには驚いたろう」 「あんな言《+こと》をおっしゃるわ」 「旦那様のおとり遊ばしたのには、杪欏《+ヘゴ》がどっさりまじっておりましてございますよ」と、女中が口を出す。 「ばかを言うな。負け惜しみをするね。ハハハ。今日は実に愉快だ。いい天気じゃないか」 「きれいな空ですこと、碧々して、本当に小袖にしたいようでございますね」 「水兵の服には《は-》なおよ《良》かろう」 「おおいい香《+香り》! 草花の香《香り》でしょうか、あ、雲雀が鳴いてますよ」 「さあ、お鮓をいただいてお腹ができたから、もうひとかせぎして来ましょうか、ねエ女中さん」と姥の幾は宿の女を促し立てて、また蕨採りにかかりぬ。 「すこし残しといてくれんとならんぞ──健《+まめ》な姥《+バア》じゃないか、ねエ浪さん」 「本当に健《+まめ》でございますよ」 「浪さん、くたびれはしないか」 「いいえ、ちっとも今日は疲れませんの、わたくしこ《/こ》んなに楽しいことは始めて!」 「遠洋航海なぞすると随分いい景色を見るが、しかしこんな高い山の見晴らしはまた別だね。実《じつ》にせいせいするよ。そらそ《/そ》この左の方《ほう》に白い壁が閃々《+ちらちら》するだろう。あれが来がけに浪さんと昼飯を食った渋川さ。それからもっとこっちの碧いリボンのようなものが利根川さ。あれが坂東太郎た見えないだろう。それからあの、赤城の、こうずうと夷《+-たれ》とる、それそれ煙《/煙》が見えとるだろう、あの下の方《ほう》に何だかうじゃうじゃしてるね、あれが前橋さ。何? ずっと向こうの銀の針《+ビン》のようなの? そうそう、あれはやっぱり利根の流れだ。ああも《/も》う先《サキ》はかすんで見えない。両眼鏡を持って来るところだったねエ、浪さん。しかし霞がかけて、先がはっきりしないのもかえっておもしろいかもしれん」  浪子はそっと武男の膝に手を投げて溜息《+吐息》つき 「いつまでもこうしてい《-い》とうございますこと!」 「黄色の蝶二《蝶2》つ浪子《/浪子》の袖をかすめてひらひらと飛び行きしあとより、さわさわと草踏《草’踏》む音して、帽子かぶりし影法師だ《/だ》しぬけに夫婦の眼前《+目先》に落ち来たりぬ。 「武男君」 「やあ! 千々岩《+千々石》君か。どうしてここに?」 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第三章】 【その2】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  新来の客は二十六七《ニジュウロクシチ》にや。陸軍中尉の服を着たり。軍人には珍しき色白《イロジロ》の好男子。惜しきことには、口のあたりどことなく鄙《+イヤ》しげなるところありて、黒水晶のごとき目の光鋭く、見つめらるる人に不快の感を起こさすが、疵なるべし。こは武男が従兄に当たる千々岩安彦《+千々石ヤスヒコ》とて、当時参謀本部の下僚におれど、腕ききの聞こえある男なり。 「だしぬけで、びっくりだろう。実は昨日用《昨日’用》があって高崎に泊まって、今朝渋川まで来たんだが、伊香保はひと足と聞いたから、ちょっと遊びに来たのさ。それから宿に行ったら、君たちは蕨採りの御遊だと聞いたから、路《道》を教わってやって来たんだ。なに、明日は帰らなけりゃならん。邪魔に来たようだな。は《ハ》ッは《ハ》ッ」 「ばかな。──君それから宅《+うち》に行ってくれたかね」 「昨朝《+昨日》ちょっと寄って来た。叔母様《+叔母さん》も元気でいなさる。が、もう君たちが帰りそうなものだってしきりとこぼしていなすッ《っ》たッ《っ》け。──赤坂の方《ほう》でもお変わりもありませんです」と例の黒水晶の目はぎらりと浪子の顔に注ぐ。  さっきからあからめし顔はひとしお紅《+あこ》うなりて浪子は下向《下む》きぬ。 「さあ、援兵が来たからもう負けないぞ。陸海軍一致したら、娘子軍百万ありといえども恐《おそ》るるに足らずだ。──なにさ、さっきからこの御婦人《ご婦人》方がわが輩一人をいじめて、やれ蕨の取り方が少ないの、採ったが蕨じゃないだの、悪口《+アッコウ》して困ったン《ん》だ」と武男は顋もて今来《/今き》し姥と女中をさす。 「おや、千々岩《千々石》様──どうしていらッ《っ》しゃいまして?」と姥はびっくりした様子にて少し小鼻にしわを寄せつ。 「おれがさっき電報かけて加勢に呼んだン《ん》だ」 「オホホホ、あんな言《+こと》をおしゃるよ──《─:》ああそうで、へえ、明日はお帰り遊ばすン《ん》で。へえ、帰ると申しますと、ね、奥様、お夕飯《+ユウ》のしたくもございますから、わたくしどもはお先に帰りますでございますよ」 「うん、それがいい、それがいい。千々岩《千々石》君も来たから、どっさりごちそうするン《ん》だ。そのつもりで腹を減らして来るぞ。ハハハハハ。なに、浪さんも帰る? まあいるがいいじゃないか。味方がなくなるから逃げるン《ん》だな。大丈夫さ、決していじめはしないよ。アハハハハ」  引きとめられて浪子は居残れば、幾は女中《+女》と荷物になるべき毛布《ケット/》蕨などとりおさめて帰り行きぬ。  あとに三人《+ミタリ》はひとしきり蕨を採りて、それよりまだ日も高《たか》ければとて水沢《+ミサワ》の観音に詣《-もう》で、さきに蕨を採りし所まで帰りてしばらく休み、そろそろ帰途に上りぬ。  夕日は物聞山《モノキキヤマ》の肩より花やかにさして、道《ミチ》の左右の草原は萌黄の色燃えんとするに、そこここに立つ孤松《+ひとつ松》の影長々《影/長々》と横たわりつ。目をあぐれば、遠き山々静かに夕日を浴び、麓の方《ほう》は夕煙諸処《夕煙’諸処》に立ち上る。はるか向こうを行く草負い牛の、しかられて|もう《モウ》と鳴く声空《声/空》に満ちぬ。  武男は千々岩《千々石》と並びて話しながら行くあ《/あ》とより浪子は従いて行く。三人《+ミタリ》は徐《+静》かに歩みて、今しも壑《+谷》を渉り終わり、坂《サカ》を上りてまばゆき夕日の道に出《い》でつ。  武男はたちまち足をとどめぬ。 「やあ、しまった。ステッキを忘れた。なに、さっき休んだところだ。待っててくれたまえ、ひと走《っ走》り取って来るから──《─:》なに、浪さんは待ってればいいじゃないか。すぐそこだ。全速力で駆けて来る」  と武男はしいて浪子を押しとめ、ハンケチ包みの蕨を草の上にさし置き、急ぎ足に坂を下りて見えずなりぬ。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第三章】 【その3】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  武男が去りしあとに、浪子は千々岩《+千々石》と一間ばかり離れて無言に立ちたり。やがて谷《’谷》を渉りてか《/か》なたの坂を上り果てし武男の姿小《姿/小》さく見えたりしが、またたちまちかなたに向かいて消えぬ。 「浪子さん」  かなたを望みいし浪子は、耳もと近き声に呼びかけられて思わず身を震わしたり。 「浪子さん」  一歩近寄りぬ。  浪子は二三歩引《二三歩’引》き下がりて、余儀なく顔をあげたりしが、例の黒水晶の目にひたとみつめられて、わき向きたり。 「おめでとう」  こなたは無言、耳までさっと紅になりぬ。 「おめでとう。イヤ、おめでとう。しかしめでたくないやつもどこかにいるですがね。へへへへ」  浪子はうつむきて、杖にしたる海老色の洋傘《+パラソル》のさきもてし《/し》きりに草の根をほじりつ。 「浪子さん」  蛇《ヘビ》にまつわらるる栗鼠の今《/今》は是非なく顔を上げたり。 「何《なん》でございます?」 「男爵に金《-かね》、はやっぱりいいものですよ。へへへへへ、いやおめでとう」 「何をおっしゃるのです?」 「へへへへへ、華族で、金《かね》があれば、ばかでも嫁に行く、金《かね》がなけりゃどんなに慕っても唾もひッ《っ》かけん、ね、これが当今の姫御前《+ヒメゴゼ》です。へへへへ、浪子さんなン《ん》ざそんな事はないですがね」  浪子もさすがに血相変えてきっと千々岩《千々石》をにらみたり。 「何をおっしゃるン《ん》です。失敬な。も一度武男の目前で言ってごらんなさい。失敬な。男らしく父に相談もせずに、無礼千万《無礼センバン》な艶書《+フミ》を吾《+ひと》にやったりなン《ん》ぞ‥‥もうこれから決して容赦はしませぬ」 「何《なん》ですと?」千々岩《千々石》の額はま《真》っ暗くなり来たり、唇をかんで、一歩二歩寄《一歩ニホ’寄》らんとす。  だしぬけにいななく声足下《声/足下》に起こりて、馬上《バジョウ》の半身坂《半身/サカ》より上に見え来たりぬ。 「ハイハイハイッ。お邪魔でがあすよ。ハイハイハイッ」と馬上《バジョウ》なる六十あまりの老爺《+親父》、頬被《ほっかむ》りをとりながら、怪しげに二人の|ようす《様子》を見かえり見かえり行き過ぎたり。  千々岩《千々石》は立ちたるままに、動かず。額《ヒタイ》の条《スジ》はややのびて、結びたる唇のほとりに冷笑《/冷笑》のみぞ浮かびたる。 「へへへへ、御迷惑ならお返しなさい」 「何をですか?」 「何が何をですか、おきらいなものを!」 「ありません」 「なぜないのです」 「汚らわしいものは焼きすててしまいました」 「いよいよですな。別に見た者はきっとないですか」 「ありません」 「いよいよですか」 「失敬な」  浪子は忿然として放ちたる眼光の、彼がまっ黒き目のすさまじきに見返されて、不快に得堪えずぞ《/ぞ》っと震いつつ、はるかに目をそらしぬ。あたかもその時谷《時/谷》を隔てしかなたの坂の口に武男《/武男》の姿見え来たりぬ。顔一点棗《顔一点/棗》のごとくあかく夕日にひらめきつ。  浪子はほっと息つきたり。 「浪子さん」  千々岩《千々石》は懲りずまにあ《/あ》ちこち逸らす浪子の目を追いつつ「浪子さん、一言いって置くが、秘密、何事《+何》も秘密に、な、武男君《武男くん》にも、御両親にも。で、なけりゃ──後悔しますぞ」  電《+稲妻》のごとき眼光を浪子の面《-おもて》に射《-さし》つつ、千々岩《千々石》は身を転じて、俛してそこらの草花を摘み集めぬ。  靴音高く、ステッキ打ち振りつつ坂を上り来《こ》し武男「失敬、失敬。あ苦《/苦》しい、走りずめだッ《っ》たから。しかしあったよ、ステッキは。──う、浪さんどうかしたかい、ひどく顔色《+イロ》が悪いぞ」  千々岩《千々石》は今摘《今つ》みし菫の花を胸の飾紐にさしながら、 「なに、浪子さんはね《ネ》、君があまりひま取ったもン《ん》だから、おおかた迷子になったン《ん》だろうッ《っ》て、ひどく心配しなすッ《っ》たン《ん》さ。ハッハハハハ」 「アハハハハ。そうか。さあ、そろそろ帰ろうじゃないか」  三人《+ミタリ》の影法師は相並んで道べの草に曳きつつ伊香保《/伊香保》の片《+カタ》に行きぬ。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第四章】 【その1】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  午後三時高崎発上《午後三時/高崎発/上》り列車の中等室のかたすみに、人なきを幸い、靴ばきのまま腰掛けの上に足《脚》さしのばして、巻莨をふかしつつ、新聞を読みおるは千々岩安彦《+千々石安彦》なり。  手荒く新聞を投げやり、 「ばか!」  歯《ハ》の間《あいだ》よりも《/も》の言う拍子に落ちし巻莨を腹立《/腹立》たしげに踏み消し、窓の外に唾は《吐》きしままし《/し》ばらくたたずみていたるが、やがて舌打ち鳴らして、室《部屋》の全長《+長さ》を二三度往来《+二三度行き来》して、また腰掛けに戻りつ。手をこまぬきて、目を閉じぬ。まっ黒き眉は一文字《イチモンジ》にぞ寄りたる。 ◇。◇。◇。◇。◇。  千々岩安彦《+千々石安彦》は孤《+みなし子》なりき。父は鹿児島の藩士にて、維新の戦争《-いくさ》に討死《+討ち死に》し、母は安彦《ヤスヒコ》が六歳の夏そ《/そ》のころ霍乱《カクラン》と言《-い》いけるコレラに斃れ、六歳の孤児《みなし子》は叔母──父の妹《イモト》の手に引き取られぬ。父の妹《イモト》はすなわち川島武男の母なりき。  叔母はさすがに少しは安彦《ヤスヒコ》をあわれみたれども、叔父はこれを厄介者に思いぬ。武男が仙台平の袴は《ハ》きて儀式の座につく時、小倉袴《+コクラバカマ》の萎えたるを着て下座《/シモザ》にすくまされし千々岩《千々石》は、身は武男のごとく親《/親》、財産、地位などのあ《/あ》り余る者ならずして、《:、》全《まった》くわ《我》が拳《コブシ》とわ《我》が知恵に世を渡るべき者なるを早く悟り得て、武男を悪み、叔父をうらめり。  彼は世渡りの道に裏《/裏》と表《オモテ》の二条《+ふた筋》あるを見ぬきて、いかなる場合にも捷径をとりて進まんことを誓いぬ。されば叔父の陰によりて陸軍士官学校にありける間も、同窓の者は試験の、点数のと騒ぐ間《マ》に、千々岩《千々石》は郷党の先輩にも出入り油断なく、《:、》いやしくも交わるに身《/身》の便宜《+頼り》になるべき者を選《えら》み、他の者どもが卒業証書握《卒業証書’握》りてほっと息つく間《マ》に、早くも手づるつとうて陸軍《/陸軍》の主脳《首脳》なる参謀本部の囲い内に乗り込み、《:、》ほかの同窓生《+仲間》はあちこちの中隊付きとなりてそ《/そ》れ練兵や《/や》れ行軍と追い|つか《遣》わるるに引きかえて、千々岩《千々石》は参謀本部の階下に煙吹《/煙’吹》かして戯談《+冗談》の間《マ》に軍国《/軍国》の大事もあるいは耳に入るう《/う》らやましき地位に巣くいたり。  この上は結婚なり。猿猴のよく水に下るはつなげる手あるがため、人の立身するはよき縁あるがためと、早くも知れる彼は、《:、》戸籍吏《戸籍リ》ならねども、某男爵は某侯爵の婿、某学士兼高等官《某学士ケン高等官》は某伯の婿、某富豪は某伯の子息の養父にて、某侯の子息の妻《+サイ》も某富豪の女《+娘》と暗に指を折りつつ、早くも|そこここ《其処此処》と配れる眼は片岡陸軍中将《/片岡陸軍中将》の家に注ぎぬ。片岡中将としいえば、当時予備《当時’予備》にこそおれ、驍名天下に隠れなく、畏きあたりの御覚《+オン覚》えもい《-い》とめでたく、度量濶大《度量カツダイ》にして、誠に国家の干城と言いつべき将軍なり。千々岩《千々石》は早くこの将軍の隠然として天下《/天下》に重き勢力を見ぬきたれば、いささかの便《+便り》を求めて次第に近寄り、如才なく奥にも取り入りつ。目は直ちに第一の令嬢浪子《令嬢’浪子》をにらみぬ。一には父中将の愛《愛/》おのずからもっとも深く浪子の上に注ぐをいち早く看《見》て取りしゆえ、二には今の奥様はお《/お》のずから浪子を疎みてどこにもあれ縁《/縁》あらば早く片づけたき様子を見たるため、《:、》三《3》にはまた浪子のつつしみ深く気高きを好ましと思う念もまじりて、すなわちその人を目がけしなり。かくて様子を見るに中将はいわゆる喜怒容易《喜怒’容易》に色にあらわれぬ太腹《フト腹》の人なれば、何と思わるるかは《は-》ちと測り難けれど、奥様の気には確かに入《い》りたり。二番目の令嬢の名はお駒とて少《/少》し跳ねたる三五《サンゴ》の少女《+乙女》はこ《/こ》とにわれと仲よしなり。その下には今の奥様の腹にて、二人の子供あれど、こは問題のほかとしてこ《/こ》こに老女の幾とて先《/セン》の奥様の時より勤め、今の奥様の輿入後《+輿入れ後/》奥台所の大更迭《ダイ更迭》を行われし時も中将《”中将》の声がかりにて一人《ひとり》居残りし女、《:、》これが終始浪子《終始’浪子》のそばにつきてわ《/わ》れに好意の乏しきが邪魔なれど、なあに、本人の浪子さえ攻め落とさばと、千々岩《千々石》はやがて一年ばかり機会をうかがいしが、《:、》今は待ちあぐみてあ《/あ》る日宴会帰《日’宴会帰》りの酔《+-え》いまぎれ、大胆にも一通《1通》の艶書二重封《フミ/フタエ封》にして表書きを女文字に、|ことさら《殊更》に郵便をかりて浪子に送りつ。  その日命《日/メイ》ありてにわかに遠方に出張し、三月《ミツキ》あまりにして帰れば、わが留守に浪子は貴族院議員加藤某《+貴族院議員’加藤ナニガシ》の媒酌にて、人もあるべきにわ《我》が従弟川島武男《従兄弟/川島武男》と結婚の式すでに済《-す》みてあらんとは! 思わぬ不覚をとりし千々岩《千々石》は、腹立ちまぎれに、色よき返事このようにと心に祝いて土産《/土産》に京都より買《-こ》うて来《-き》し友染縮緬《+友禅縮緬/》ずたずたに引き裂きて屑籠に投げ込みぬ。  さりながら千々岩《千々石》はいかなる場合にも全く|われ《吾》を忘れおわる男にあらざれば、たちまちにして敗余の兵を収めつ。ただ心外|なる《ナル》はこの上かの艶書《+フミ》の一条も《/も》し浪子より中将に武男《/武男》に漏れなば大事の便宜《+便り》を失う恐れあり。持ち込みよき浪子の事なれば、まさかと思えどま《”ま》たおぼつかなく、高崎に用ありて行きしを幸い、それとなく伊香保に滞留する武男夫妻を訪《おとの》うて、やがて探りを入れたるなり。 【 いまいましきは武男──】 ◇。◇。◇。◇。◇。 「武男、武男」と耳近《耳ぢか》にたれやら呼びし心地して、愕と目を開きし千々岩《千々石》、窓よりのぞけば、列車はまさに上尾の停車場《+ステーション》にあり。駅夫《エキフ》が、「上尾上尾《上尾’上尾》」と呼びて過ぎたるなり。 「ばかなッ!」  ひとり自らののしりて、千々岩《千々石》は起ちて二三度車室《二三度’車室》を往き戻りつ。心に|まと《纏》う或るものを振り落とさんとするように身震いして、座にかえりぬ。冷笑の影、目にも唇にも浮かびたり。  列車はまたも上尾を出でて、疾風《シップウ》のごとく馳せつつ、幾駅か過ぎて、王子に着《-つ》きける時《とき》、プラットフォムの砂利踏《砂利’踏》みにじりて、五六人《ゴロクニン》ドヤドヤと中等室に入り込《こ》みぬ。なかに五十あまりの男の、一楽の|上下ぞろ《+/二枚ゾロ》い白縮緬の兵児帯に岩丈《/頑丈》な金鎖《キングサリ》をきらめかせ、右手《+メテ》の指に分厚な金の指環をさし、|あか《赤》ら顔の目じり著《/著》しくたれて、左の目下《目シタ》にし《/し》たたかなる赤黒子《+赤ボクロ》あるが、腰かくる拍子にフ《/フ》ット目を見合わせつ。 「やあ、千々岩《千々石》さん」 「やあ、これは‥‥」 「どちらへおいででしたか。」言いつつ赤黒子《+赤ボクロ》は立って千々岩《千々石》がそばに腰かけつ。 「はあ、高崎まで」 「高崎のお帰途《+帰り》ですか。」ちょっと千々岩《千々石》の顔をながめ、少し声を低めて「時にお急ぎですか。でなけりゃ夜食《/夜食》でもごいっしょにやりましょう」  千々岩《千々石》はうなずきたり。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第四章】 【その2】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  橋場の渡しのほとりなると《/と》ある水荘《スイ荘》の門に山木兵造《山木ヒョウゾウ》別邸とあるを見ずば、某《+ナニガシ》の待合かと思わるべき家作《+ヤヅク》りの、《:、》しかも音締《+ネじ》めの響《+音》しめやかに婀娜《/婀娜》めきたる島田の障子に映るか、さもなくば紅の毛氈敷かれて花牌《+/花札》など落ち散るにふさわしかるべき二階の一室《+ヒトマ》に、《:、》わざと電燈《電灯》の野暮を避けて例の和洋行燈《+アンドウランプ》を据え、取り散らしたる杯盤の間《マ》に、あぐらをかけるは千々岩《千々石》と今一人《/今’一人》の赤黒子《+赤ボクロ》は問うまでもなき当家の主人山木兵造《主人/山木ヒョウゾウ》なるべし。  遠ざけにしや、そばに侍《+ハンベ》る女もあらず。赤黒子《+赤ボクロ》の前には小形の手帳を広げたり、鉛筆を添えて。番地官名など細かに肩書きして姓名数多記《/姓名’数多’記》せる上に、鉛筆にてさまざまの符号《+シルシ》つけたり。丸。四角。三角。イの字。ハの字。五六七《ゴオロクシチ》などの数字。あるいはローマ数字。点《点’》かけたるもあり。ひとたび消してイ《/イ》キルとしたるもあり。 「それじゃ千々岩《千々石》さん。その方《ほう》はそれと決めて置いて、いよいよ定《+決》まったらすぐ知らしてくれたまえ。──大丈夫間違《大丈夫’間違い》はあるまいね」 「大丈夫さ、もう大臣の手もとまで出ているのだから。しかし何しろ競争者《+相手》がしょっちゅう運動しとるのだから例《/例》のも思い切って撒かんといけない。これだがね、こいつなかなか食えないやつだ。しッ《っ》かり轡をかませんといけないぜ」と千々岩《/千々石》は手帳の上の一《+イツ》の名をさしぬ。 「こらあどうだね?」 「そいつは話せないやつだ。僕はよくしらないが、ひどく頑固なやつだそうだ。まあ正面から平身低頭でゆくのだな。悪くするとしくじるよ」 「いや陸軍《/陸軍》にも、わかった人もあるが、実に話のできン男もいるね。去年だった、師団に服を納めるン《ん》で、例の筆法でまあ大概は無事に通ったのは《は-》よかッ《っ》たが。あら何とか言ッ《っ》たッ《っ》け、赤髯《赤髭》の大佐だったがな、そいつが何《-なん》のかの難癖つけて困るから、番頭をやって例の菓子箱を出すと、ばかめ、賄賂なんぞ取るものか、軍人の体面に関するなんて威張って、とどのつまりあ菓子箱《/菓子箱》を蹴飛ばしたと思いなさい。例の上層《+ウエ》が干菓子で、下が銀貨《+白いの》だから、たまらないさ。紅葉《コウヨウ》が散る雪が降る、座敷じゅう──《─◇。◇。◇。》の雨だろう。するとそいつめ《め/》いよいよ腹あ立てやがッ《っ》て、汚らわしいの、やれ告発するのなんのぬかしやがるさ。やっと結局《+まとめ》をつけはつけたが、大骨折《オオボネ折》らしア《あ》がッ《っ》たね。こんな先生がいるからばかばかしく事が面倒になる。いや面倒というと武男さんなぞがやっぱりこの流で、実に話せないに困る。こないだも──」 「しかし武男なんざ親父《/親父》が何万という身代をこしらえて置いたのだから、頑固だッ《っ》て正直だッ《っ》て好きなまねしていけるのだがね。吾輩《+僕》のごときは腕一本──」 「いやすっかり忘れていた」と赤黒子《+赤ボクロ》はちょいと千々岩《千々石》の顔を見て、懐中より十円紙幣五枚取り出《+-いだ》し「いずれ何はあとからとして、まあ車代に」 「遠慮なく頂戴します。」手早くかき集めて内ポケットにしまいながら「しかし山木さん」 「?《括弧クエスチョン》」 「なにさ、播かぬ種は生えんからな!」  山木は苦笑いしつ。千々岩《千々石》が肩ぽ《/ぽ》んとたたいて「食えン男だ、惜しい事だな、せめて経理局長ぐらいに!」 「ハハハハ。山木さん、清正の短刀は子供の三尺三寸《三尺’三寸》よりか切れるぜ」 「うまく言ったな──しかし君《キミ》、蠣殻町《蠣ガラチョウ》だけは用心したまえ、素人じゃどうしてもしくじるぜ」 「なあに、端金だからね──」 「じゃい《/い》ずれ近日、様子がわかり次第──なに、車は出てから乗った方《ほう》が大丈夫です」 「それじゃ──家内も御挨拶に出るのだが、娘が手離《手放》されんでね」 「お豊さんが? 病気ですか」 「実はその、何《なん》です。この一月《ひと月》ばかり病気をやってな、それで家内が連れて此家《+此処》へ来ているですて。いや千々岩《千々石》さん、妻《+カカ》だの子だの滅多に持つもんじゃないね。金《かね》もうけは独身に限るよ。ハッハハハ」  主人と女中《+女》に玄関まで見送られて、千々岩《千々石》は山木の別邸を出《い》で行きたり。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第四章】 【その3】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  千々岩《千々石》を送り終わりて、山木が奥へ帰り入《い》る時《とき》、かなたの襖《襖/》すうと開きて、色白きた《/た》だし髪薄くしてし《/し》かも前歯二本不行儀《前歯二本/不行儀》に反りたる四十あまりの女入《女い》り来《き》たりて山木《/山木》のそばに座を占めたり。 「千々岩《千々石》さんはもうお帰《かえ》り?」 「今《いま》追っぱらったとこだ。どうだい、豊《トヨ》は?」  反歯《+反っ歯》の女はい《/い》とど顔を長くして「ほんまに良人《+あんた》。彼女《+あれ》にも困り切りますがな。──兼《+カネ》、御身《+お前》はあち往っておいで。今日もなあんた、ちいと何かが気に食わんたらいうて、お茶碗を投げたり、着物を裂いたりして、しようがありまへんやった。ほんまに十八という年をして──」 「いよいよもって巣鴨《巣鴨(刑務所)》だね。困ったやつだ」 「あんた、そないな戯談《+冗談》どころじゃございませんがな。──でもかあいそうや、ほんまにかあいそうや、今日もな、あんた、竹にそういいましたてね。ほんまに憎らしい武男はんや、ひどいひどいひどいひどい人や、去年のお正月には靴下を編んであげたし、それからハンケチの縁《フチ》を縫ってあげたし、《:、》それからまだ毛糸の手袋だの、腕ぬきだの、それどころか今年の御年始《お年始》には赤い毛糸でシャツまで編んであげたに、皆《+ミイナ》自腹ア《あ》切ッ《っ》て編んであげたのに、《:、》何《+なアん》の沙汰なしであの不器量な意地わるの威張った浪子はんをお嫁にもらったり、ほんまにひどい人だわ、ひどいわひどいわひどいわひどいわ、《:、》あたしも山木の女《+娘》やさかい、浪子はんなんかに負けるものか、ほんまにひどいひどいひどいひどいッ《っ》てな、あんた、こないに言って泣いてな。そないに思い込んでいますに、あああ、どうにかしてやりたいがな、あんた」 「ばかを言いなさい。勇将の下に弱卒なし。御身《+お前》はさすがに豊《トヨ》が母《+おっか》さんだよ。そらア川島だッ《っ》て新華族にしちゃよっぽど財産もあるし、武男さんも万更|ばか《’馬鹿》でもないから、おれもよほどお豊を入れ込もうと骨折って見たじゃないか。しかしだめで、もうちゃんと婚礼が済んで見れば、何もかも御破算さ。お浪さんが死んでしまうか、離縁にでもならなきゃア仕方がないじゃないか。それよりもばかな事はいい加減に思い切ッ《っ》てさ、ほかに嫁《+片付》く分別が肝心じゃないか、ばかめ」 「何が阿呆《アホ》かいな? はい、あんた見たいに利口や|おまへん《オマヘン》さかいな。好年配《+エイトシ》をして、彼女《+あれ》や此女《+これ》や足袋とりかえるような──」 「そう雄弁滔々《雄弁’滔々》まくしかけられちゃア困るて。御身《+お前》は本当に馬《+バ:》──だ。すぐ|むき《ムキ》になりよる。なにさ、おれだッ《っ》て、お豊は子だもの、かあいがらずにどうするものか、だからさ、そんなくだらぬ繰り言ばっかり言ってるよりも、別にな、立派なとこに、な、生涯楽《生涯/楽》をさせようと思ってるのだ。さ、おすみ、来なさい、二人でちっと説諭でもして見ようじゃないか」  と夫婦打《夫婦’打》ち連れ、廊下伝いに娘お豊の棲める離室《+離れ》におもむきたり。  山木兵造《山木ヒョウゾウ》というはいずこの人なりけるにや、出所定《出所’定》かならねど、今は世に知られたる紳商とやらの一人《+イチニン》なり。出世の初め、今は故人となりし武男が父の世話を受けしこと少なからざれば、今も川島家《+川島ケ》に出入りすという。それも川島家《+川島ケ》が新華族中にての財産家なるがゆえなりという者あれど、そはあまりに酷《-こく》なる評なるべし。本宅を芝桜川町《芝’桜川チョウ》に構えて、別荘を橋場の渡しのほとりに持ち、昔は高利も|貸し《貸》けるが、《:、》今はもっぱら陸軍その他官省の請負を業《ギョウ》とし、嫡男を米国ボストンの商業学校に入れて、女《+娘》お豊はつい先ごろまで華族女学校に通わしつ。妻はいついかにして持ちにけるや、ただ京都者《京都もの》というばかり、すこぶる醜きを、よくかの山木は辛抱するぞという人もありしが、《:、》実は意気婀娜など形容詞のつくべき女諸処《女/諸処》に家居《+家い》して、輪番《+代わる代わる》行く山木を待ちける由は妻《/妻》もおぼろげならずさとりしなり。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第四章】 【その4】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  床《トコ》には琴、月琴、ガラス箱《バコ》入りの大人形《オオ人形》などを置きたり。すみには美しき女机あり、こなたには姿見鏡《+姿見》あり。いかなる高貴の姫君や住《/住》みたもうらんと見てあれば、八畳のまんなかに絹ぶとん敷かせて、玉蜀黍の毛を束ねて結ったようなる島田を大童《オオワラワ》に振り乱し、ごろりと横に臥したる十七八《ジュウシチハチ》の娘、《:、》色白の下豊《+下膨れ》といえばかあいげなれど、その下豊《+下膨れ》が少し過ぎて頬《/ホオ》のあたりの肉今《肉’今》や落ちんかと危ぶまるるに、ちょっぽりとあいた口《’口》は閉《と》ずるも面倒といい貌《+がお》に始終《/しじゅう》洞門を形づくり、《:、》うっすりとあるかなきかの眉の下にありあまる肉をかろうじて二三分《二、三ブ/》上下《+ウエシタ》に押し分けつつ開きし目《目’》のうちい《/い》かにも春がすみのかけたるごとく、前の世からの長き眠りがと《/と》んと今もってさめぬようなり。  今《いま》何かいいつけられて笑いを忍んで立って行く女の背《+セナ》に、「ばか」と一つ後ろ矢を射つけながら、女《+娘》はじれったげに掻巻踏《掻巻’踏》みぬぎ、《:、》床の間にありし大形の──袴は《’履》きたる女生徒の多くうつれる写真をとりて、糸のごとき目にまばたきもせず見つめしが、やがてその一人の顔と覚しきあたりをし《/し》きりに爪弾きしつ。なおそれにも飽き足《た》らでや、爪もてその顔の上に縦横《ジュウオウ》に疵をつけぬ。  襖の開く音。 「たれ? 竹かい」 「うん竹だ、頭の禿げた竹だ」  笑いながら枕べ《辺》にすわるは、父の山木と母なり。娘はさすがにあわてて写真を押し隠し、起きもされず寝《寝’》もされずといわんがごとく横《/横》になりおる。 「どうだ、お豊、気分は? ちっとはいいか? 今《いま》隠したのは何《なん》だい。ちょっと見せな、まあ見せな。これさ見《/見》せなといえば。──なんだ、こりア、浪子さんの顔じゃないか、ひどく爪かたをつけたじゃないか。こんな事するよりか丑の時参りでもした方《ほう》がよっぽど気がきいてるぜ!」 「あんたまたそないな事を!」 「どうだ、お豊、御身《+お前》も山木兵造《山木ヒョウゾウ》の娘じゃないか。ちっと気を大きくして山気《+ヤマキ》を出せ、山気《+ヤマキ》を出せ、《:、》あんなけちけちした男に心中立て──それもさこ《/こ》っちばかりでお相手なしの心中立てするよりか、《:、》こら、お豊、三井か三菱、でなけりゃア大将か総理大臣の息子、いやそれよりか外国の皇族でも引っかける分別をしろ。そんな肝ッ《っ》玉の小《ちい》せエ《え》事でどうするものか。どうだい、お豊」  母の前では縦横《ジュウオウ》に駄々をこねたまえど、お豊姫《豊’姫》もさすがに父の前をば憚りたもうなり。突っ伏して答えなし。 「どうだ、お豊、やっぱり武男さんが恋しいか。いや困った小浪御寮だ。小浪といえば、ねエ《え》お豊、ちっと気晴らしに京都にでも行って見んか。そらア《あ》おもしろいぞ。祇園清水《+祇園キヨミズ》知恩院、金閣寺拝見がいやなら西陣へ行って、帯か三枚襲《+三枚ガサネ》でも見立てるさ。どうだ、あいた口《’口》に牡丹餅よりうまい話だろう。御身《+お前》も久しぶりだ、お豊を連れて道行きと出かけなさい、なあおすみ」 「あんたもいっしょに行きなはるのかいな」 「おれ? ばかを言いなさい、この忙しいなかに!」 「それならわたしもまあ見合わせやな」 「なぜ? 飛んだ義理立てさするじゃないか。なぜだい?」 「おほ」 「なぜだい?」 「オホホホホホ」 「気味の悪い笑い方をするじゃないか。なぜだい?」 「あんた一人の留守が心配やさかい」 「ばかをいうぜ。お豊の前でそんな事いうやつがあるものか。お豊、母《+おっか》さんの言ってる事《+こた》ア|皆うそ《みんな嘘》だぜ、真《マ》に受けるなよ」 「オホホホ。どないに口で言わはってもあかんさかいなア」 「ばかをいうな。それよりか──なお《/お》豊、気を広く持て、広く。待てば甘露じゃ。今におもしれエ《え》事が出て来るぜ」 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第五章】 【その1】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  赤坂氷川町なる片岡中将の邸内に栗《/栗》の花咲く六月半《六月’半》ばのある土曜の午後《+昼過ぎ》、主人子爵片岡中将《主人/子爵片岡中将》はネルの単衣に鼠縮緬の兵児帯して、どっかりと書斎の椅子に倚りぬ。  五十に間《マ》はな《-な》かるべし。額《ヒタイ》のあたり少し禿げ、両鬢霜《両鬢ソウ》ようやく繁からんとす。体量《タイリョウ》は二十二貫、アラビア種《+ダネ》の逸物も将軍の座下に汗すという。両の肩怒《肩’怒》りて頸《首》を没し、二重《+フタエ》の顋《+アギト》直ちに胸につづき、安禄山風《安禄山フウ》の腹便々《腹’ベンベン》として、牛にも似たる太腿は行《/行》くに相擦れつべし。顔色《+色》は思い切って赭黒《+アカグロ》く、鼻太く、唇厚く、鬚薄く、眉も薄し。ただこのからだに似げなき両眼細《両目’ほそ》うして光り和らかに、さながら象の目に似たると、今にも笑まんずる|気はい《気配》の断《絶》えず口《クチ》もとに|さまよ《彷徨》えるとは、《:、》いうべからざる愛嬌と滑稽の嗜味《+シミ》をば著しく描《-えが》き出《+いだ》しぬ。  ある年の秋の事とか、中将微服《中将’微服》して山里に猟り暮らし、姥《+ババ》ひとり住む山小屋に渋茶一碗《渋茶ひと椀》所望しけるに、姥《+ババ》つくづくと中将の様子を見て、 「でけえ体格《+体》だのう。兎のひとつもとれたんべいか?」  中将莞爾《中将’莞爾》として「ちっともとれない」 「そねエ《え》な殺生したあて、あにが商売になるもんかよ。その体格《+体》で日傭《ヒヨウ》取りでもして見ろよ、五十両は大丈夫だあよ」 「月にかい?」 「あに! 年《ねん》によ。悪いこたあいわねえだから、日傭《ヒヨウ》取るだあよ。いつだあておらが世話あしてやる」 「おう、それはありがたい。また頼みに来るかもしれん」 「そうしろよ、そうしろよ。そのでけえ体格《+体》で殺生は惜しいこんだ」  こは中将の知己の間に一つ話として時々《ときどき》出《い》づる佳話なりとか。知らぬ目よりはさ《/さ》こそ見ゆらめ。知れる目よりはこ《/こ》の大山巌々《+タイサン-ガンガン》として物《/物》に動ぜぬ大器量《ダイ器量》の将軍をば、まさかの時の鉄壁とたのみて、その二十二貫小山《二十二貫/コヤマ》のごとき体格と常《/常》に怡然たる神色《シンショク》とは洶々《/洶々》たる三軍の心をも安か《か-》らしむべし。  肱近のテーブルには青地交趾《セイジコーチ》の鉢に植えたる武者立《+武者ダチ》の細竹《+サイチク》を置けり。頭上には高く両陛下の御影《+ギョエイ》を掲げつ。下りてかなたの一面には「成仁《+仁を成す》」の額《ガク》あり。落款は南洲なり。架上に書あり。暖炉縁《+マンテルピース》の上、すみなる三角棚の上には、内外人の写真七八枚《写真シチハチマイ》、軍服あり、平装《ヘーソー》のもあり。  草色のカーテンを絞りて、東南二方《東南ニホウ》の窓は六《6》つとも朗らかに明け放ちたり。東の方《ほう》は眼下に人《/人》うごめき家《’家》かさなれる谷町を見越して、青々としたる霊南台の上より、愛宕塔の尖《+サキ》、尺ばかりあらわれたるを望む。鳶ありてその上をめぐりつ。南は栗の花咲きこぼれたる庭なり。その絶え間より氷川社《+氷川ヤシロ》の銀杏《イチョウ》の梢青鉾《+梢/アオホコ》をたてしように見ゆ。  窓より見晴らす初夏の空あおあおと浅黄繻子《浅黄ジュス》なんどのように光りつ。見る目清々《目’清々》しき緑葉《+青葉》のそこここに、卵白色《+卵色》の栗の花ふさふさと満樹《+一杯》に咲きて、画《+えが》けるごとく空の碧《+緑》に映りたり。窓近くさし出《い》でたる一枝《ヒトエダ》は、枝の武骨なるに似ず、日光《+日》のさすままに緑玉《/緑玉》、碧玉、琥珀さ《/さ》まざまの色に透きつ幽めるそ《/そ》の葉の間々《+アイアイ》に、《:、》肩総《+エポレット》そのままの花ゆらゆらと枝《/枝》もたわわに咲けるが、吹くとはなくて大気のふるうごとに香《/カ》は忍《偲》びやかに書斎に音ずれ、《:、》薄紫の影は窓の閾《+シキミ》より主人《/主人》が左手《+ユンデ》に持てる「西比利亜《+サイベリア》鉄道の現況」のページの上にちらちらおどりぬ。  主人は|しば《暫》しその細き目を閉じて、太息《+吐息》つきしが、またおもむろに開きたる目を冊子の上に注ぎつ。  いずくにか、車井の響《+音》からからと珠《/珠》をまろばすように聞こえしが、またやみぬ。  午後の静寂《+静けさ》は一邸《イッ邸》に満ちたり。  たちまち虚《+スキ》をねらう二人の曲者あり。尺ばかり透きし扉よりそ《/そ》っと頭をさし入れて、また引き込めつ。忍び笑いの声は戸の外に渦まきぬ。一人の曲者は八《8》つばかりの男児《+オノコ》なり。膝ぎりの水兵の服を着て、編み上げ靴をは《履》きたり。一人の曲者は五つか、六《6》つなるべし、紫矢絣の単衣に紅の帯《オビ》して、髪ははらりと目の上まで散らせり。  二人の曲者は|しば《暫》し戸《ト》の外にたゆたいしが、今はこらえ兼ねたるように四《”4》つの手ひとしく扉をおしひらきて、一斉に突貫し、《:、》室《部屋》のなかほどに横たわりし新聞綴込《+新聞綴じ込み》の堡塁を難なく乗り越え、真一文字に中将の椅子に攻め寄せて、水兵は右、振り分け髪は左、小山《コヤマ》のごとき中将の膝を生けどり、 「おとうさま!」 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第五章】 【その2】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。 「おう、帰ったか」  いかにもゆったりとその便々《ベンベン》たる腹の底より押しあげたようなる乙音《+ベース》を発しつつ、中将はにっこりと笑みて、その重やかなる手して右《/右》に水兵の肩をたたき、左に振り分け髪のその前髪をかいなでつ。 「どうだ、小試験《ショウ試験》は? でけたか?」 「僕ア《ァ》ね、僕ア《ァ》ね、おとうさま、僕ア《ァ》算術は甲」 「あたしね、おとうさま、今日は縫い取りがよくできたッ《っ》て先生おほ《褒》めなすッ《っ》てよ」  と振り分け髪はふところより幼稚園《/幼稚園》の製作物《+拵え物》を取り出《+-いだ》して中将の膝の上に置く。 「おう、こら立派にでけたぞ」 「それからね、習字に読書が乙で、あとはみんな丙《ヘイ》なの、とうと水上《+ミナカミ》に負けちゃッ《っ》た。僕ア《ァ》くやしくッ《っ》て仕方がないの」 「勉強するさ──今日は修身の話は何《なん》じゃッ《っ》たか?」  水兵は快然と笑みつつ、「今日はね《ネ》、おとうさま、楠正行《クスノキマサツラ》の話よ。僕正行《僕マサツラ》ア大好《/大好》き。正行《マサツラ》とナポレオンはどっちがエライの?」 「どっちもエライさ」 「僕ア《ァ》ね、おとうさま、正行《マサツラ》ア大好きだけど、海軍がなお好きよ。おとうさまが陸軍だから、僕ア《ァ》海軍になるン《ん》だ」 「ハハハハ。川島の兄君《+兄さん》の弟子になるのか?」 「だッ《っ》て、川島の兄君《+兄さん》なんか少尉だもの。僕ア《ァ》中将になるン《ん》だ」 「なぜ大将にやならン《ん》か?」 「だッ《っ》て、おとうさまも中将だからさ。中将は少尉よかエライんだね、おとうさま」 「少尉でも、中将でも、勉強する者がエライじゃ」 「あたしね、おとうさま、おとうさまてばヨウお《/お》とうさま」と振り分け髪はつかまりたる中将の膝を頡頏台《+ハネダイ》にしてか《/か》らだを上下《+ウエシタ》に揺すりながら、《、:》「今日はね《ネ》、おもしろいお話を聞いてよ、あの兎と亀のお話を聞いてよ、言って見ましょうか、──《─:》ある所に|一ぴき《一匹》の兎《ウサギ》と亀がおりました──あらお《/お》かあさまいらッ《っ》してよ」  柱時計の午後二点《+午後二時》をうつ拍子に、入《い》り来《き》たりしは三十八九《サンジュウハチク》の丈高き婦人なり。束髪の前髪をきりて、ちぢらしたるを、隆《高》き額の上にて二つに分けたり。やや大きなる目少《目’少》しく釣りて、どこやらち《/ち》と険なる所あり。地色の黒きにうっすり刷きて、唇をまれに漏るる歯はま《”ま》ばゆきまで皓《白》くみがきぬ。パッとしたお召の単衣に黒繻子《+クロジュス》の丸帯、左右の指に宝石《+珠》入りの金環価《金環/アタエ》高かるべきをさしたり。 「またおとうさまに甘えているね」 「なにさ、今《いま》学校の成績を聞いてた所じゃ。──さあ、これからお|とう《父》さんのおけいこじゃ。みんな外《ソト》で遊べ遊べ。あとで運動に行くぞ」 「まあ、うれしい」 「万歳!」  両児《+二人》は嬉々として、互いにもつれつ、からみつ、前になりあとになりて、室《部屋》を出《い》で去りしが、やがて「万歳!《/》」「兄さまあ《/あ》たしもよ」と叫ぶ声はるかに聞こえたり。 「どんなに申しても、良人《+あなた》はやっぱり甘くなさいますよ」  中将はほほえみつ。「何、そうでもないが、子供はかあいがッ《っ》た方《ほう》がいいさ」 「でもあなた、厳父慈母と俗《/俗》にも申しますに、あなたがかあいがッ《っ》てばかりおやン《ん》なさいますから、ほんとに逆さまになッ《っ》てしまッ《っ》て、わたくしは始終しかり通しで、悪まれ役はわたくし一人ですわ」 「まあそう短兵急に攻めン《ん》でもええじゃないか。どうかお手柔《テヤワ》らかに──先生はまずそこにおかけください。ハハハハ」  打ち笑いつつ中将は立《/立》ってテーブルの上よりふ《/ふ》るきローヤルの第三読本《+第三リードル》を取りて、片唾《+固唾》をのみつつ、薩音《薩オン》まじりの怪しき英語を読み始めぬ。静聴する婦人──夫人はしきりに発音の誤りを正しおる。  こは中将の日課なり。維新の騒ぎに一介の武夫《ブフ》として身を起こしたる子爵は、身生《シンセイ》の匇忙《+ソウボウ》に逐われて外国語《/外国語》を|修む《修》るのひまもなかりしが、昨年来予備《昨年来/予備》となりて少し閑暇を得てければ、このおりにとまず英語に攻めかかれるなり。教師には手近の夫人繁子。長州の名ある士人《+侍》の娘にて、久しく英国ロンドンに留学しつれば、英語は大抵の男子も及ばぬまで達者なりとか。げにもロンドンの煙《ケムリ》にまかれし夫人は、何事によらず洋風を重んじて、家政の整理、子供の教育、皆《みんな》わが洋のほかにて見《/見》もし聞《/聞》きもせし通りに行わんと|あせ《アセ》れど、事おおかたは志《志し》と違いて、《:、》僕婢《+オトコオンナ》は陰にわが世なれぬをあざけり、子供はおのずから寛大なる父にのみなずき、かつ良人の何事も鷹揚に東洋風《東洋ふう》なるが、まず夫人不平《夫人’不平》の種子《+タネ》なりけるなり。  中将が千辛万苦《センシンバンク》して一《イッ》ページを読み終わり、まさに訳読にかからんとする所に、《:、》扉翻《+戸/翻》りて紅《/紅》のリボンかけたる垂髪《+下げ髪》の──十五ばかりの少女入《+乙女い》り来《き》たり、中将が大《ダイ》の手に小《+-ち》さき読本《+リードル》をささげ読めるさまのおかしきを、ほほと笑いつ。 「おかあさま、飯田町の伯母様がいらッ《っ》しゃいましてよ」 「そう」と見るべく見るべからざるほどのしわを眉《/眉》の間に寄せながら、ちょっと中将の顔をうかがう。  中将はおもむろにたち上がりて、椅子を片寄せ「こちへ御案内申《ご案内もう》しな」 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第五章】 【その3】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。 「御免ください」  と|はい《入》って来《こ》しは四十五六《シジュウゴロク》とも見ゆる品《/ヒン》よき婦人、目病《目/病》ましきにや、水色の眼鏡をかけたり。顔のどことなく伊香保の三階に見し人に似たりと思うもそのはずなるべし。こは片岡中将の先妻の姉清子《+姉セイコ》とて、貴族院議員子爵加藤俊明氏《貴族院議員/子爵加藤俊明氏》の夫人、媒妁《+仲立ち》として浪子を川島家《+川島ケ》に嫁《トツ》がしつるもこ《/こ》の夫婦なりけるなり。  中将はにこやかにたちて椅子をすすめ、椅子に向かえる窓の帷《-とばり》を少し引き立てながら、 「さあ、どうか。非常にご|ぶさた《無沙汰》をしました。御主人《+お家》じゃ相変わらずお忙しいでしょうな。ハハハハハ」 「まるで橐駝師《+植木屋》でね、木鋏は放しませんよ。ホホホホ。まだ菖蒲《+ショウブ》には早いのですが、自慢の朝鮮柘榴が花盛りで、薔薇もまだ残ってますからど《/ど》うかおほめに来てくださいまして、ね、くれぐれ申しましたよ。ホホホホ。──どうか、毅一《+キイ》さんや道《+ミイ》ちゃんをお連れなすッ《っ》て」と水色の眼鏡は片岡夫人の方《ほう》に向かいぬ。  打ち明けていえば、子爵夫人はあまり水色の眼鏡をば好まぬなり。教育の差《+違い》、気質の異なり、そはもちろんの事として、先妻の姉──《─:》これが始終《-しじゅう》心にわだかまりて、不快の種子《+タネ》となれるなり。|われ《吾》ひとり主人中将の心を占領して、|われ《吾》ひとり家《イエ》に女主人の威光を振るわんずる鼻さきへ、先妻の姉なる人のしばしば出入《出入り》して、亡き妻の面影を主人の眼前《+目先》に浮かぶるのみか、《:、》口にこそ出《+-いだ》さね、わがこれをも昔の名残とし疎める浪子、姥の幾らに同情を寄せ、死せる孔明のそれならねども、何かにつけてみまかりし人の影をよび起こして|われ《吾》と争わすが、はなはだ快からざりしなり。今やその浪子と姥の幾はようやくに去りて、治外の法権撤《+法権と》れしはや《/や》や心安きに似たれど、《:、》今もかの水色眼鏡の顔見るごとに、髣髴墓中《髣髴ボチュウ》の人の出で来《-き》たりて|われ《/吾》と良人を争い、主婦の権力を争い、せっかく立てし教育の方法家政《方法/家政》の経綸をも争わんずる心地して、おのずから安からず覚《おぼ》ゆるなりけり。  水色の眼鏡は蝦夷錦の信玄袋より瓶詰の菓子を取り出《+-いだ》し 「もらい物ですが、毅一《+キイ》さんと道《+ミイ》ちゃんに。まだ学校ですか、見えませんねエ。ああ、そうですか。──それからこれは駒さんに」  と紅茶を持て来《こ》し紅のリボンの少女《乙女》に紫陽花の花簪を与えつ。 「いつもいつもお気の毒さまですねエ、どんなに喜びましょう」と言いつつ子爵夫人は件《クダン》の瓶をテーブルの上に置きぬ。  おりから婢《+女》の来たりて、赤十字社のお方の奥様《’奥様》に御面会《ご面会》なされたしというに、子爵夫人は会釈して場をはずしぬ。室《部屋》を出《い》でける時《とき》、あとよりつ《-つ》きて出《い》でし少女《+乙女》を小手招きして、何事をかささやきつ。小戻りして、窓のカーテンの陰に内《/内》の話を立ち聞く少女《+乙女》をあとに残して、夫人は廊下伝いに応接間の方《ほう》へ行きたり。紅のリボンのお駒というは、今年十五にて、これも先妻の腹なりしが、夫人は姉の浪子を疎めるに引きかえてお《/お》駒を愛しぬ。寡言《+言葉少な》にして何事も内気なる浪子を、意地わるき拗ね者とのみ思い誤りし夫人は、姉に比してやや侠なる妹《+イモト》のお《/お》のが気質に似たるを喜び、《:、》一《一つ》は姉へのあてつけに、一《一つ》はまた継子とて愛せぬものかと世間に見せたき心も──ありて、父の愛の姉に注《そそ》げるに対してお《/お》のずから味方を妹《イモト》に求めぬ。  私強《+ワタクシヅヨ》き人の性質として、ある方《ほう》には人の思わくも思わずわ《/わ》が思うままにやり通すこともあれど、また思いのほかにもろくて人《/人》の評判に気をかねるものなり。畢竟名《畢竟/ナ》と利とあわせ収めて、好きな事する上に人《/人》によく思われんとするは、|わがまま者《我儘モノ》の常なり。かかる人に限りて、おのずから|へつら《諂》いを喜ぶ。子爵夫人は男まさりの、しかも洋風仕込《洋風じこ》みの、議論にかけては威命天下《威命’天下》に響ける夫中将にすら負《+引け》を取らねど、中将のい《/い》たるところ友を作り逢《/逢》う人ごとに慕わるるに引きかえて、《:、》愛なき身には味方なく、心さびしきままにお《/お》のずから|へつら《諂》い寄る人をば喜びつ。召使いの僕婢《+オトコオンナ》も言《+こと》に訥《+遅》きはいつか退《-しりぞ》けられて、世辞よきが用いられるようになれば、《:、》幼き駒子も必ずしも姉《-あね》を忌むにはあらざれど、姉を譏るが継母の気に入るを覚えてより、ついには告げ口の癖をなして、姥の幾に顔しかめさせしも一度二度《/一度二度》にはあらず。されば姉は嫁ぎての今までも、継母のためには細作をも|務む《務》るなりけり。  東側の縁の、二つ目の窓の陰に身を側めて、聞きおれば、時々《ときどき》腹より押し出したような父の笑い声、凛とした伯母の笑い声、かわるがわる聞こえしが、《:、》後には話し声のようやく低音《+コエヒク》になりて、「姑」「浪さん」などのとぎれとぎれに聞こゆるに、紅リボンの少女《+乙女》はい《/い》よよ耳傾《耳かたぶ》けて聞き居たり。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第五章】 【その4】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。 「|四イ百く《シィッシャクーーー》余州《ヨッシュウ》を|挙うぞる《コウーーーゾル》、|十う万《ジュッウーマーーー》ン余騎《ヨッキ》の《ノッ》敵イ《イーーー》、なんぞ《ぞーーー》|おそれン《オッソレン》わア《アーーー》れに、|鎌倉ア男児《カッマクーーーラァダンジ》ありイ《イーーー》」  と足拍子踏《/足拍子’踏》みながらやって来《こ》しさっきの水兵、目早《目ばや》く縁側にたたずめる紅リボンを見つけて、紅リボンがし《/し》きりに手もて口《’口》をおおいて見せ、《:、》頭を掉り手《/手》を振りて見せるも委細かまわず「姉さま姉さま」と走り寄り「何してるの?《/》」と問いすがり、姉がしきりに頭をふるを「何?《/》 何?《/》」と問うに、《:、》紅リボンは顔をしかめて「いやな人だよ」と思わず声高に言って、しまったりと言い顔に肩《/肩》をそびやかし、匇々《+ソウソウ》に去り行きたり。 「ヤアイ、逃げた、ヤアイ」  と叫びながら、水兵は父の書斎に入《-い》りつ。来客の顔を見るよりに《/に》っこと笑《わら》いて、ちょっと頭を下げながらつ《/つ》と父の膝にすがりぬ。 「おや毅一《+キイ》さん、すこし見ないうちに、また大きくなったようですね。毎日学校《毎日’学校》ですか。そう、算術が甲? よく勉強しましたねエ。近いうちにおとうさまやおかあさまと伯母さン《ん》とこにおいでなさいな」 「道《+ミイ》はどうした? おう、そうか。そうら、伯母様がこんなものをくださッ《っ》たぞ。うれしいか、アハハハハ」と菓子の瓶を見せながら「かあさんはどうした? まだ客か? 伯母様がもうお帰りなさる、とそう言って来い」  出《い》で行く子供のあと見送りながら、主人中将はじっと水色眼鏡の顔を見つめて、 「じゃ幾《/幾》の事はそうきめてど《/ど》うか角立たぬように──|はあ《ハア》そう願いましょう。いや実《じつ》はわたしもそ《/そ》んな事がなけりゃいいがと思ったくらいで、まあやらない方《ほう》じゃったが、浪がしきりに言うし、自身も懇望《+コンモウ》しちょったものじゃから──《─:》はあ、そう、はあ、はあ、何分願います」  語半《語’半》ばに入《い》り来《こ》し子爵夫人繁子、水色眼鏡の方《ほう》をちらと見て「もうお帰りでございますの? あいにくの来客で──いえ、今帰《いま帰》りました。なに、また慈善会の相談ですよ。どうせ物にもなりますまいが。本当に今日はお愛想もございませんで、どうぞ千鶴子さんによろしく──《─:》浪さんがいなくなりましたらちょっとも遊びにいらッ《っ》しゃいませんねエ」 「こないだから少し加減が悪かッ《っ》たものですから、どこにもご|ぶさた《無沙汰》ばかりいたします──《─:》では」と信玄袋をとりておもむろに立てば、  中将もや《/や》おら体を起こして「どれそこまで運動かたがた、なにそこまでじゃ、そら毅一《+キイ》も道《+ミイ》も運動に行くぞ」  出《い》づるを送りし夫人繁子はや《/や》がて居間の安楽椅子に腰かけて、慈善会の趣意書《+趣意ガキ》を見ながら、駒子を手招きて、 「駒さん、何《なん》の話だったかい?」 「あのね、おかあさま、よくはわからなかッ《っ》たけども、何だか幾の事ですわ」 「そう? 幾」 「あのね、川島の老母《+お婆さん》がね、リュウマチで肩が痛んでね、それでこのごろは大層気《大層’気》むずかしいのですと。それにね、幾が姉さんにね、姉さんのお部屋でね、あの、奥様、こちらの御隠居様はどうしてあんなに御癇癪が出るのでございましょう、《:、》本当に奥様お辛《+ツロ》うございますねエ、でもお年寄りの事ですから、どうせ永い事じゃございません、てね、そんなに言いましたとさ。本当にばかですよ、幾はねエ、おかあさま」 「どこに行ってもいい事はしないよ。困った姥《+バア》じゃないかねエ」 「それからねエ、おかあさま、ちょうどその時縁側を老母《+お婆さん》が通ってね、すっかり聞いてしまッ《っ》て、それはそれはひどく怒ってね」 「罰だよ!」 「怒ってね、それで姉さんが心配して、飯田町の伯母様に相談してね」 「伯母様に!?」 「だッ《っ》て姉さんは、いつでも伯母様にばかり何でも相談するのですもの」  夫人は苦笑いしつ。 「それから?」 「それからね、おとうさまが幾は別荘番にやるからッ《っ》てね」 「そう」と額をいとど曇らしながら「それッ《っ》きりかい?」 「それから、まだ聞くのでしたけども、ちょうど毅一《+キイ》さんが来て──」 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第六章】 【その1】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  武男が母は、名をお慶《+ケイ》と言いて今年五十三《/今年五十三》、時々リュウマチスの起これど、そのほかは無病息災、麹町上二番町《+麹町カミ二番ちょう》の邸《屋敷》より亡夫《/亡夫》の眠る品川東海寺まで徒歩《+/徒士》の往来容易《往来’容易’》なりという。体重は十九貫《十九カン》、公侯伯子男爵の女性を通じて、体格《+ガラ》にかけては関脇は確かとの評あり。しかしその肥大も実は五六《ゴロク》年前前夫通武《年前/ゼンフミチタケ》の病没したる後《あと》の事にて、その以前はやせぎすの色蒼《/色青》ざめて、病人のようなりしという。されば圧《押》しつけられしゴム球《毬》の手《/手》を離されてぶくぶくと膨れ上がる類《類い》にやという者もありき。  亡夫は麑藩《+ゲイ藩》の軽き城下士《ジョーカサムライ》にて、お慶《+ケイ》の縁づきて来《こ》し時は、太閤様に少しましなる婚礼をな《-な》したりしが、《:、》維新の風雲に際会して身《/身》を起こし、大久保甲東に見込まれて久《/久》しく各地に令尹《レイイン》を務め、一時探題《一時’探題》の名は世に聞こえぬ。しかも特質《+持ち前》のわがまま剛情《強情》が累をなして、明治政府に友少《トモ少》なく、浪子を媒《+仲立ち》せる加藤子爵などはそ《/そ》の少なき友の一人《+イチニン》なりき。甲東没後《甲東’没後》はとかく志《志し》を得ずして世をおえつ。男爵を得《-え》しも、実は生まれ所《どころ》のよかりしおかげ、という者もありし。されば剛情者《強情もの》、わがまま者《もの》、癇癪持ちの通武《ミチタケ》はいつも怏々として不平《/不平》を酒杯《+酒》に漏らしつ。三合入りの大杯《タイ杯/》たてつけに五つも重ねて、赤鬼のごとくなりつつ、肩を掉って県会に臨めば、議員に顔色《+ガンショク》ある者少なかりしとか。さもありつらん。  されば川島家《+川島ケ》はつねに戒厳令の下《モト》にありて、家族は避雷針《避雷針’》なき大木の下《した》に夏住《/夏’住》むごとく、戦々兢々《戦々恐々》として明かし暮らしぬ。父の膝をばわ《我》が舞踏場として、父にまさる遊び相手は世になきように幼《’幼》き時より思い込みし武男のほかは、夫人の慶子はもとより奴婢出入《/奴婢’出入》りの者果《者/果》ては居間の柱まで主人が鉄拳の味を知らぬ者なく、《:、》今は紳商とて世に知られたるか《カ》の山木ごときもこ《/こ》の賜物を頂戴して痛《/痛》み入りしこともたびたびなりけるが、何《ナニ》これしきの下され物、もうけさして賜わると思えば、なあに廉い所得税だ、としばしば伺候しては戴《-いただ》きける。右の通りの次第なれば、それ御前の御機嫌がわるいといえば、台所の鼠までひっそりとして、迅雷一声奥《迅雷一声/奥》より響いて耳《/耳》の太《ふと》き下女手《下女/手》に持つ庖丁取り落とし、《:、》用ありて私宅へ来る属官などはま《”ま》ず裏口に回って今日の天気予報を聞くくらいなりし。  三十年から連れ添う夫人お慶《+ケイ》の身になっては、なかなかひと通りのつらさにあらず。嫁に来ての当座はさすがに舅や姑もありて夫《/夫》の気質そうも覚えず過ごせしが、ほどなく姑舅《シュウトメ舅》と相ついで果てられし後は、夫の本性ありありと拝まれて、夫人も胸をつきぬ。初め五六度《ゴロクタビ》は夫人もちょいと盾ついて見しが、とてもむだと悟っては、もはや争わず、韓信流に負けて匍伏《+匍匐》し、さもなければ三十六計のその随一をとりて逃げつ。そうするうちにはちっとは呼吸ものみ込みて三度《3度》の事は二度で済むようになりしが、さりとて夫の気質は年とともに改まらず。末の三四年《サンヨネン》は別してはげしくなりて、不平が煽る無理酒《無理ざけ》の焔《炎》に、|燃ゆる《モユル》がごとき癇癪を、二十年の上もそ《/そ》れで鍛《キタ》われし夫人もさすがにあしらいかねて、《:、》武男という子もあり、鬢に白髪もまじれるさえ打ち忘れて、知事様の奥方男爵夫人《奥方’男爵夫人》と人にいわるる栄耀も物かは、《:、》いっそこのつらさにかえて墓守爺《+/墓守り》の嬶《+カカ》ともなりて世《/世》を楽に過ごして見たしという考えのむらむらとわきたることもありしが、そうこうする間《マ》につい三十年うっかりと過ごして、《:、》そのつれなき夫通武《夫ミチタケ》が目を瞑《+ネブ》って棺のなかに仰向けに臥《+寝》し姿を見し時は、ほっと息はつきながら、さて偽りならぬ涙もほろほろとこぼれぬ。  涙はこぼれしが、息をつきぬ。息とともに勢いもつきぬ。夫通武《夫ミチタケ》存命の間は、その大きなる体と大きなる声にかき消されてど《/ど》こにいるとも知れざりし夫人、奥の間《マ》より|のこのこ出《ノコノコい》で来たり、見る見る家《イエ》いっぱいにふくれ出しぬ。いつも主人のそばに肩をすぼめて細くなりて居《い》し夫人を見し輩《+者》は、いずれもあきれ果てつ《-つ》。もっとも西洋の学者の説にては、夫婦は永くなるほど容貌《+顔かたち/》気質まで似て来るものといえるが、《:、》なるほど近ごろの夫人が物ごし格好、その濃き眉毛をひくひく動かして、煙管片手に相手の顔をじっと見る様子より、起居《+立ち居》の荒さ、それよりも第一癇癪《第一’癇癪》が似たとは愚か亡《/亡》くなられし男爵そのままという者もありき。  江戸の敵《カタキ》を長崎で討つということあり。「世の中の事は概して江戸の敵《カタキ》を長崎で討つものなり。在野党の代議士今日《代議士/こんにち》議院に慷慨激烈《慷慨’激烈》の演説をなして、盛んに政府を攻撃したもう。至極結構なれども、実はその気焔の一半は、昨夜宅《+昨夜うち》にてさんざんに高利貸《+アイスクリーム(高利貸)》を喫《+食》いたまいし鬱憤と聞いて知れば、ありがた味も半ば減ずるわけなり。されば南シナ海の低気圧は岐阜愛知に洪水を起こし、タスカローラの陥落は三陸に海嘯《+カイショウ》を見舞い、師直《モロナオ》はかなわぬ恋のやけ腹《っ腹》を「物の用にたたぬ能書《+手かき》」に立つるなり。宇宙はただ平均、物は皆その平《ヘイ》を求むるなり。しこうしてその平均を求むるに、吝嗇者《+吝嗇モノ》の日済《+ヒナシ》を督促《+ハタ》るように、|われ《吾》よりあ《-あ》せりて今《-いま》戻せ明日返《/明日返》せとせがむが小人《+ショウジン》にて、《:、》いわゆる大人《+タイジン》とは一切《/一切》の勘定を天道様《+テントウ様》の銀行に任して、われは真一文字にわが分《ブン》をかせぐ者ぞ」とあ《/あ》る人情博士は|のたま《ノタマ》いける。  しかし凡夫は平均を目の前に求め、その求むるや物体運動の法則にしたがいて、水の低きにつくがごとく、障害の少なき方《ほう》に向かう。されば川島未亡人も三十年の辛抱、こらえこらえし堪忍の水門、夫の棺の蓋閉《蓋と》ずるより早く、さっと押し開いて一度に切って流しぬ。世に恐ろしと思う一人は、もはやいかに拳《コブシ》を伸ばすもわ《/わ》が頭には届かぬ遠方へ逝きぬ。今まで黙りて居《い》しは意気地なきのには《は-》あらず、夫死してもわれは生きたりと言い顔に、知らず知らず積《/積》みし貸し金、利に利をつけてむ《/む》やみに手近の者に督促《+ハタ》り始めぬ。その癇癪も、亡くなられし男爵は英雄肌の人物だけ、迷惑にもまたど《/ど》こやらに小気味よきところもありたるが、《:、》それほどの力量《+力》はなしにわ《/わ》けわからず、狭くひがみてわ《/わ》がまま強き奥様より出でては、ただただむやみにつらくて、奉公人は故男爵の時よりも泣きける。  浪子の姑はこの通りの人なりき。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第六章】 【その2】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  丸髷を揚巻にかえしそ《-そ》のおりなどは、まだ「お嬢様、おやすくお伴《トモ》いたしましょう」と見当違いの車夫《+車屋》に言われて、召使いの者に奥様と呼びかけられて返事《/返事》にたゆとう事はなきようになれば、《:、》花嫁の心もまず少しは落ちつきて、初々しさ恥ずかしさの狭霧《/狭霧》に朦朧《+ボイヤリ》とせしあたりのようすもよ《/よ》うよう目に分《分か》たる《る-》るようになりぬ。  家ごとに変わるは家風、御身《おん身》には言って聞かすまでもなけれど、構えて実家《+/里》を背負うて先方《+サキ》へ行きたもうな、片岡浪は今日限り亡くなって今《/今》よりは川島浪よりほかになきを忘るるな。とはや晴れの衣装着《衣装’着》て馬車に乗らんとする前に父《/父》の書斎に呼ばれてねんごろに言い聞かされしを忘れしにはあらねど、さて来て見れば、家風の相違も大抵の事にはあらざりけり。  資産《+身代》はむしろ実家《+/里》にも優りたらんか。新華族のなかにはまず屈指《+指折り》といわるるだけ、武男の父が久しく県令知事務めたる間《マ》に積《/積》みし財《+宝》は鉅万《+巨万》に上りぬ。さりながら実家《+里》にては、父中将の名声海内《名声’海内》に噪ぎ、今は予備におれど交際広く、昇日《+昇る日》の勢い|さか《盛》んなるに引きかえて、《:、》こなたは武男の父通武《父ミチタケ》が没後は、存生のみ《-み》ぎり何《/何》かとたよりて来《こ》し大抵の輩はお《/お》のずから足を遠くし、その上親戚《うえ親戚》も少なく、知己とても多からず、未亡人《+お袋》は人好きのせぬ方なる上に、《:、》これより家声《カセイ》を興すべき当主はまだ年若にて官等《/官等》も卑《低》き家《’家》にあることもまれなれば、家運はおのずから止《+/澱》める水のごとき模様あり。実家《+里》にては、継母が派手な西洋好《西洋ごの》み、もちろん経済の講義は得意にて妙《/妙》な所に節倹を行ない「奥様は土産のやりかたもご存じない」と婢《+女》どもの陰口にかかることはあれど、そこは軍人交際《+軍人づきあい》の概《/概》して何事も派手に押し出してする方《ほう》なるが、《:、》こなたはどこまでも昔風《昔ふう/》むしろ田舎風の、よくいえば昔忘れぬ|たしな《嗜》みなれど、実は趣味も理屈もや《/や》はり米から自分に舂いたる時にかわらぬ未亡人、何でもかでも自分でせねば頭が痛く、《:、》亡夫の時僕《時/シモベ》かなんぞのように使われし田崎某《+タザキナニガシ》といえる正直一図の男を執事として、これを相手に月に薪が何把炭《ナンバ/スミ》が何俵の勘定までせられ、《:、》「母《+おっか》さん、そんな事しなくたって、菓子なら風月からでもお取ンなさい」と時たま帰って来て武男が言えど、やはり手製の田舎羊羹むしゃりむしゃりと頬《ホオ》ばらるるというふうなれば、《:、》姥の幾が浪子について来《こ》しすら「大家《+タイケ》はどうしても違うもんじゃ、武男が五器椀下《ゴキ椀’下》げるようにならにゃよいが」など常《/常》に当てこすりていられたれば、幾の排斥もあ《/あ》ながち障子の外の立ち聞きゆえばかりではあらざりしなるべし。  悧巧《利口》なようでも十八の花嫁、まるきり違いし家風のなかに突然《突然’》入り込みては、さすが事ごとに惑えるも無理にはあらじ。されども浪子は父の訓戒《+戒め》ここぞと、われを抑えて何も家風に従わんと決心の臍《ホゾ》を固めつ。その決心を試《-こころ》むる機会は須臾《+スユ》に来たりぬ。  伊香保より帰りてほどなく、武男は遠洋航海におもむきつ。軍人の妻となる身は、留守がちは覚悟の上なれど、新婚間《新婚マ》もなき別離はい《/い》とど腸《ハラワタ》を断ちて、その当座は手のうちの玉をとられしようにほ《/ほ》とほと何も手につかざりし。  おとうさまが縁談の初めに逢いた《-た》もうて至極気に入ったとの《-の》たまいしも、添って見てげにと思い当たりぬ。鷹揚にして男らしく、さっぱりとして情け深く寸分鄙吝《+/寸分卑》しい所なき、《:、》本当に若いおとうさまのそばにいるような、そういえば肩を揺すってドシドシお歩きなさる様子、子供のような笑い声までおとうさまにそっくり、ああうれしいと浪子は一心にかしずけば、《:、》武男も初めて持ちし妻というものの限りなくかわゆく、独子《+ヒトリゴ》の身は妹《イモト》まで添えて得たらん心地して「浪さん、浪さん」といたわりつ。まだ三月《ミツキ》に足らぬ契りも、過《す》ぐる世より相知れるように親しめば、しばしの別離《+別れ》もかれこれともに限りなき傷心の種子《+タネ》とはなりけるなり。さりながら浪子は永く別離《+別れ》を傷む暇なかりき。武男が出発せし後《のち/》ほどもなく姑が持病のリュウマチスはげしく起こりて例《/例》の癇癪のはなはだしく、幾を実家《+サト》へ戻せし後《のち》は、別して辛抱の力をためす機会も多かりし。  新入の学生、その当座は故参《古参》のためにさんざんにいじめられるれど、のちにはおのれ故参《古参》になりて、あとの新入生をいじめるが、何よりの楽しみなりと書きし人もありき。綿帽子脱《+綿帽子-と》っての心細さ、たよりなさを覚えているほどの姑、義理にも嫁をいじめられるものでなけれど、そこは凡夫のあさましく、《:、》花嫁の花落ちて、姑と名がつけば、さて手ごろの嫁は来るなり、わがままも出て、いつのまにかわ《/わ》がつい先年まで大の大の大きらいなりし姑そのままとなるものなり。「それそれその衽は四寸にしてこう返して、イイエそうじゃありません、こっちよこしなさい、二十歳《ハタチ》にもなッ《っ》て、お嫁さまもよくできた、へへへへ」とあざ笑う声から目つき、《:、》|われ《吾》も二十《ハタチ》の花嫁の時ちょうどそうしてしかられしが、ああ|われ《/吾》ながら恐ろしいとは《/ハ》ッと思って改むるほどの姑はまだ上の上、目にて目を償い、歯にて歯を償い、《:、》いわゆる江戸の姑のその敵を長崎の嫁で討って、知らず知らず平均をわが一代のうちに求むるもの少なからぬが世の中。浪子の姑もまたその一人なりき。  西洋流の継母に鍛《-きた》われて、今また昔風の姑に練らるる浪子。病める老人《+年寄り》の用《/用》しげく婢《+女》を呼ばるるゆえ、しいて「わたくしがいたしましょう」と引き取ってな《/慣》れぬこととて意に満たぬことあれば、《:、》こなたには礼を言いてわざと召使いの者を例の大音声《ダイオンジョウ》にしかり飛ばさるるその声は、十年がほども継母の雄弁冷語《雄弁レーゴ》を聞き尽くしたる耳にも今《/今》さらのように聞こえぬ。それも初めしばしがほどにて、後《あと》には癇癪の鋒《+矛先/》直接に吾身《+吾》に向かうようになりつ。幾が去りし後《のち》は、たれ慰むる者もなく、時々はどうやらまた昔の日陰に立ち戻りし心地もせしが、部屋に帰って机の上の銀《/銀》の写真掛けにかかった|たく《逞》ましき海軍士官の面影を見ては、《:、》うれしさ恋しさなつかしさのむ《/む》らむらと込み上げて、そっと手にとり、食い入るようにながめつめ、キッスし、頬ずりして、今そこにその人のいるように「早く帰ッ《っ》てちょうだい」とささやきつ。良人のためにはいかなる辛抱も楽しと思いて、われを捨てて姑に事《+仕》えぬ。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第七章】 【その1】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  流汗を揮いつつ華氏九十九《/華氏99》度の香港より申し上げ候《+そろ》。佐世保抜錨《佐世保’抜錨》までは先便《センビン/》すでに申し上げ置きたる通りに有之候《+これ有り候う》。さて佐世保出帆後は連日の快晴にて暑気燬《+/暑気’焼》くがごとく、さすが神州海国男子も少々辟易、《:、》もっとも同僚士官及び兵《兵’》のうち八九名《八’九名/》日射病に襲われたる者有之候《+者これ有りそうら》えども、小生は至極健全、毫も病室の厄介に相成り申さず。ただしご存じ通りの黒人《+黒ん坊》が赤道近《/赤道ちか》き烈日に焦がされたるため、いよいよもって大々的黒面漢《大々的コクメン漢》と相成り、《:、》今日ちょっと同僚と上陸し、市中の理髪店にいたり候《候う》ところ、ふと鏡を見てわれながらびっくりいたし候《候う》。意地わるき同僚が、君《きみ》、どう、着色写真でも撮って、君のブライドに送らんかと戯れ候《候う》も一興に候《候う》。途中は右の通り快晴(もっとも一回モンスーンの来襲ありたれども)一同万歳を唱えて昨早朝錨《昨早朝/錨》を当湾内に投じ申し候《候う》。  先日のお手紙は佐世保にて落手、一読再読《一読’再読》いたし候《候う》。母上リョウマチス、年来の御持病《ご持病》、誠に困りたる事に候《候う》。しかし今年は浪さんが控えられ候事《候う事》ゆえ、小生も大きに安心に候《候う》。何とぞ小生に代わりてよ《/よ》くよく心を御用《+オン用》いくださるべく候《候う》。御病気《ご病気》の節は別して御気分《ご気分》よろしからざる方なれば、浪さんも定めていろいろと骨折らるべく遥察《+ヨウサツ》いたし候《候う》。赤坂の方《ほう》も定めておかわりもなかるべくと存じ申し候《候う》。加藤の伯父さんは相変わらず木鋏が手を放れ申すまじきか。  幾姥《+幾ばあ》は帰り候由《候うよし》。何《なに》ゆえに候《候う》や存ぜず候《そうら》えども、実に残念の事どもに候《候う》。浪さんより便《+便り》あらばよろしくよろしく伝えらるべく、帰りには姥《+バア》へ沢山土産を持って来ると御伝《+オン伝》えくだされたく候《候う》。実《じつ》に愉快な女にて小生も大好きに候《候う》ところ、赤坂の方《ほう》に帰りしは残念に候《候う》。浪さんも何かと不自由にさ《/さ》びしかるべくと存じ候《候う》。加藤の伯母様や千鶴子さんは時々まいられ候や。  千々岩《+千々石》はおりおりまいり候由《候うよし》。小生らは誠に親類少なく、千々岩《千々石》はその少なき親類の一人《+イチニン》なれば、母上も自然頼《自然’頼》みに思す事に候《候う》。同人をよく待《+タイ》するも母上に孝行の一に有之《+これ有る》べく候《候う》。同人も才気あり胆力ある男なれば、まさかの時の頼みにも相成るべく候《候う》。(下略) 【香港にて】 【   七月 日《某日/》武男】 【  お浪どの】 ◇。◇。◇。◇。◇。  母上に別紙(略之《これを略す》)読んでお聞かせ申し上げられたく候《候う》。  当池《トーチ》には四五日碇泊《シゴニチ碇泊》、食糧など買い入れ、それよりマニラを経て豪州シドニーへ、それよりニューカレドニア、フィジー諸島を経て、サンフランシスコへ、それよりハワイを経て帰国のはずに候《候う》。帰国は多分秋《多分’秋》に相成り申すべく候《候う》。  手紙はサンフランシスコ日本領事館留め置きにして出したまえ。 ◇。◇。◇。◇。◇。 (前文略)去る五月は浪《/浪》さんと伊香保にあり、蕨採りて慰みしに今《/今》は南半球なる豪州シドニーにあり、サウゾルンクロッスの星を仰いでその時を想う。奇妙なる世の中に候《候う》。先年練習艦《先年’練習艦》にて遠洋航海の節は、どうしても時々船暈《+時々’船酔い》を感ぜしが、今度は無病息災わ《/わ》れながら達者なるにあきれ候《候う》。しかし今回は先年に覚えなき感情身《感情’身》につきまとい候《候う》。航海中当直《航海中/当直》の夜など、まっ黒き空に金剛石をまき散らしたるような南天を仰ぎて、ひとり艦橋の上に立つ時は、何とも言い難《がた》き感が起こりて、《:、》浪さんの姿が目さきにちらちらいたし(女々しと笑いたもうな)候《候う》。同僚の前ではさ《/さ》もあらばあれ家郷思遠征《+/家郷’遠征を思う》と吟じて平気に澄ましておれど、(笑いたもうな)浪さんの写真は始終あ《/あ》る人の内ポケットに潜みおり候《候う》。今この手紙を書く時も、宅《+うち》のあの六畳の部屋の芭蕉《/芭蕉》の陰の机に頬杖つきてこ《/こ》の手紙を読む人の面影がすぐそこに見え候《候う》(中略)  シドニー港内には夫婦、家族、他人交えずヨットに乗りて遊ぶ者多し。他日功成《他日/功成》り名遂《ナ遂》げて小生《/小生》も浪さんも白髪の爺姥《+ジジババ》になる時は、あにただヨットのみならんや、五千トンぐらいの汽船を一艘《+イッ艘》こしらえ、小生が船長となって、子供や孫を乗組員として世界週航《/世界週航》を企て申すべく候《候う》。その節《セツ》はこのシドニーにも来て、何十年前血気盛《+何十年ゼン/血気ざか》りの海軍少尉の夢を白髪の浪さんに話し申すべく候《候う》(下略) 【シドニーにて】 【   八月 日武男生《某日/武男生》】 【  浪子さま】 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第七章】 【その2】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。 【 去る七月十五日香港《七月十五日/香港》よりお仕出しのお《/お》なつかしき玉章とる手おそしとく《/く》りかえしくりかえしくりかえし拝し上げ参らせ候《候う:》 さ候《そうら》えば|はげ《激》しき暑さの御《-お》さわりもあらせられず何《/何》より何より御嬉《+オン嬉》しゅう存じ上げ参らせ候《候う:》 この許御母上様御病気《もと御母上様ご病気》もこ《/こ》の節は大きにお快く何《/何》とぞ何とぞ御安心遊ばし候《候う》よう願い上げ参らせ候《候う:》 わたくし事《ごと》も毎日とやかくとさ《/さ》びしき日を送りおり参らせ候《候う:》 お留守の事にも候《そうら》えば何《/何》とぞ母上様の御機嫌に入《-い》り候《候う》ようにと心《/心》がけおり参らせ候《そうら》えども不束《/不束》の身は何も至り兼ね候事《候う事》のみな《/な》れぬこととて何かと失策《+しくじり》のみいたし誠《/誠》に困り入り参らせ候《候う:》 ただただ一日《イチニチ》も早く御帰り遊ばし健《/健》やかなるお顔を拝し候時《候う時》を楽しみに毎日暮《/毎日’暮》らしおり参らせ候《候う》】 【 赤坂の方《ほう》も何《-なん》ぞかわり候事《候う事》も無之《+これ無く/》先日より逗子の別荘の方《ほう》へ一同《+皆々》まいり加藤家《/加藤家》も皆々興津の方《ほう》へまいり東京《/東京》はさびしきことに相成り参らせ候《候う:》 幾も一緒に逗子に罷り越《こ》し無事相《無事あい》つとめおり参らせ候《候う:》 御伝言《+おん言付け》の趣申《趣’申》しつかわし候《候う》ところ当人《/当人》も涙を流して喜び申し候由《候うよし/》くれぐれもよろしく御礼申《おん礼申》し上げ候《候う》よう申《/申》し越し参らせ候《候う》】 【 わたくし事《ごと》も今になりてい《/い》ろいろ勉強の足らざりしを憾み参らせ候《候う:》 家政の事は女の本分なればよくよく心を用い候《候う》よう平生《+/かねがね》父より戒められ候事《候う事》とて宅《/宅》におり候《候う》ころよりなるたけそのつもりにて居参《-い参》らせ候《そうら》えども何《:何》を申しても女のあさはかにそ《/そ》のような事はいつでもできるように思いい《/い》たずらに過ごし参らせ候《候う》より今《/今》となりてあの事も習って置けばよかりしこ《/こ》の事も忘れしと思いあたる事のみ多く困り入り参らせ候《候う:》 英語の勉強も御仰《+オン仰》せの言《+こと》も有之候《+これ有りそうら》えばぜ《/ぜ》ひにと心がけ参らせ候《そうら》えども机《/机》の前にばかりすわり候《候う》ては母上様の御思召もいかがと存ぜられ今《/今》しばらくは何よりもまず家政のけいこに打ちかかり申したく何《/何》とぞ何とぞ悪しからず思召のほど願い上げ参らせ候《候う》】 【 誠におはずかしき事に候《そうら》えどもど《/ど》うやらいたし候節《候うせつ》はさびしさ悲しさのやる瀬なく早《/早》く早く早く御目にかかりたく翼《/翼》あらばおそばに飛んでも行きたく存じ参らせ候事《候う事》も有之《+これ有り/》夜ごと日《ヒ》ごとにお写真とお艦《+船》の写真を取り出でてはながめ入り参らせ候《候う:》 万国地理など学校にては何げなく看過《+見過》ごしにいたし候《候う》ものの近《/近》ごろは忘れし地図など|今さら《今更》にとりいでて今日《/今日》はお艦《+船》のこのあたりをや過ぎさせたまわん明日《/明日》は明後日は《は-》と鉛筆にて地図の上をたどり居参らせ候《候う:》 ああ男に生まれしならば水兵ともなりて始終おそば離れずおつき申《もう》さんをなどあ《/あ》らぬ事まで心に浮かびわ《/わ》れとわが身をしかり候《候う》ても日々物思いに沈み参らせ候《候う:》 これまで何心《ナニゴコロ》なく目もと《止》め申さざりし新聞の天気予報など今在《/今いま》すあたりはこのほかと知りながら風《/風》など警戒のいで候節《候うせつ》は実に実《-じつ》に気にかかり参らせ候《候う:》 何とぞ何とぞお尊体《’尊体》を御大切に‥‥(下文略《カブン略》)】 【浪より】 【  恋しき】 【    武男様】 ◇。◇。◇。◇。◇。 【(上略)近ごろは夜々御姿《+よるよるお姿》の夢に入《い》り実《/実》に実《-じつ》に一日千秋の思いをなしおり参らせ候《候う:》 昨夜《昨ヤ》もごいっしょに艦《+船》にて伊香保に蕨とりにまいり候《候う》ところふ《”ふ》とたれかが私どもの間に立ち入りてお《/お》姿は遠くなりわ《/わ》たくしは艦《+船》より落ちると見て魘われ候《候う》ところを母上様《/母上様》に起こされようよう胸なでおろし参らせ候《候う:》 愚痴と存じながらも何《なん》とやら気に相成りそ《/そ》れにつけても御帰りが待ち遠《遠し》く存じ上げ参らせ候《候う:》 何も何《なに》もお帰りの上にと日々東の空をながめ参らせ候《候う:》 あるいは行き違いになるや存ぜず候《そうら》えどもこ《/こ》の状はハワイホノルル留め置きにて差し上げ参らせ候《候う》(下略)】 【   十月 日《某日/》浪より】 【  恋しき恋しき恋しき】 【    武男様】 【       御《おん》もとへ】 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第二部】 【中編】 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第一章】 【その1】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  今しも午後八時を拍《う》ちたる床の間の置き時計を炬燵の中より顧みて、川島未亡人は 「八時──もう帰りそうなもんじゃが」  とつぶやきながら、やおらその肥え太りたる手をさしのべて煙草盆《/煙草盆》を引き寄せ、つづけざまに二三服吸《二三プク吸》いて、耳傾《+耳カタブ》けつ。山の手ながら松の内の夜は車東西に行き違いて、隣家《+隣り》には福引きの興やあるらん、若き男女《+ナンニョ》の声し《/し》きりにささめきて、おりおりどっと笑う声も手にとるように聞こえぬ。未亡人は舌打ち鳴らしつ。 「何をしとっか。つッ。赤坂へ行くといつもああじゃっで‥‥武《タケ》も武《タケ》、浪も浪、実家《+里》も実家《+里》じゃ。今時の者はこれじゃっでならん」  膝立て直さんとして、持病のリュウマチスの痛所《+痛み》に触れけん、「あいたあ《/あ》いた。」顔をしかめて癇癪まぎれに煙草盆の縁手荒《フチ/手荒》に打ちたたき「松、松松」とけたたましく小間使いを呼び立つる。その時おそく「お帰りい」の呼び声勇ましく二挺《二丁》の車が《/が》らがらと門に入りぬ。  三が日の晴着《+晴れ着》の裾踏み開きて走《+馳》せ来たりし小間使いが、「御用?《/》」と手をつかえて、「何をうろうろしとっか、早玄関《早よ玄関》に行きなさい」としかられてあわてて引き下がると、引きちがえに 「母《+おっか》さん、ただいま帰りました」  と凛々しき声に前《+サキ》を払わして手套《+手袋》を脱ぎつつ入《ハイ》り来る武男のあとより、外套と吾妻コートを婢《+女》に渡しつつ、浪子は夫に引き沿うてしとやかに座につき、手をつかえつ。 「おかあさま、大層おそなはりました」 「おおお帰りかい。大分《だいぶ》ゆっくりじゃったのう。」 「はあ、今日は、なんです、加藤へ寄りますとね、赤坂へ行くならちょうどいいからいっしょに行こうッ《っ》て言いましてな、加藤さんも伯母さんもそれから千鶴子さんも、総勢五人で出かけたのです。赤坂でも非常の喜びで、幸い客はなし、話がはずんで、ついおそくなってしまったのです──《─:》ああ酔った」と熟《ジュク》せる桃のごとくなれる頬《ホオ》をおさえつ、小間使いが持て来《こ》し茶をただ一息に飲みほす。 「そうかな。そいはにぎやかでよかったの。赤坂でもお変わりもないじゃろの、浪どん?」 「はい、よろしく申し上げます、まだ伺いもいたしませんで、‥‥いろいろお土産《+ミヤ》をいただきまして、くれぐれお礼申し上げましてございます」 「土産《ミヤ》といえば、浪さん、あれは‥‥うんこれだ、これだ」と浪子がさし出す盆を取り次ぎて、母の前に差し置く。盆には雉子ひと|つが《番》い、鴫鶉《鴫/鶉》などうずたかく積み上げたり。 「御猟《ご猟》の品かい、これは沢山に──ごちそうが《が-》でくるの」 「なんですよ、母《+おっか》さん、今度は非常の大猟だったそうで、つい大晦日の晩に帰りなすったそうです。ちょうど今日は持たしてやろうとしておいでのとこでした。まだ明日は猪《+シシ》が来《-く》るそうで──」 「猪《+シシ》? ──猪《シシ》が捕れ申したか。たしかわたしの方《ほう》が三歳《+みッつ》上じゃったの、浪どん。昔から元気のよか方じゃったがの」 「それは何《なん》ですよ、母《+おっか》さん、非常の元気で、今度も二日も三日も山に焚火をして露宿《+/ノジク》しなすったそうですがね。まだなかなか若い者に負けんつもりじゃて、そう威張っていなさいます」 「そうじゃろの、母《+おっか》さんのごとリュウマチスが起こっちゃもう仕方があいません。人間は病気が一番いけんもんじゃ。──おおも《/も》うやがて九時じゃ。着物どんかえて、やすみなさい。──おお、そいから今日はの、武《タケ》どん。安彦《+ヤスヒコ》が来て──」  立ちかかりたる武男はいささか安からぬ色を動かし、浪子もふと耳を傾《カタブ》けつ。 「千々岩《千々石》が?」 「何か卿《+お前》に要《用》がありそうじゃったが──」  武男は少し考え、「そうですか、私もぜひ──あわなけりゃならん──要がありますが。──何《なん》ですか、母《+おっか》さん、私の留守に金《-かね》でも借りに来はしませんでしたか」 「なぜ? ──そんな事はあいません──なぜかい?」 「いや──少し聞き込んだ事もあるのですから──《─:》いずれそのうちあいますから──」 「おおそうじゃ、そいからあの山木が来ての」 「は《ハ》、あの山木のばかですか」 「あれが来てこの──そうじゃった、十日にごちそうをすっから、是非卿《+ゼッヒお前》に来てくださいというから」 「うるさいやつですな」 「行ってやんなさい。父《+おとっ》さんの恩を覚えておっがか《/か》あいかじゃなっか」 「でも──」 「まあ、そういわずと行ってやんなさい──どれ、わたしも寝ましょうか」 「じゃ、母《+おっか》さん、おやすみなさい」 「ではお母様《母さま》、ちょっと着がえいたしてまいりますから」  若夫婦は打ち連れて、居間へ通りつ。小間使いを相手に、浪子は良人の洋服を脱がせ、琉球紬の綿入れ二枚重《/二枚’重》ねしをふ《/ふ》わりと打ちきすれば、武男は無造作に白縮緬の兵児帯尻高《+兵児帯シリダカ》に引き結び、やおら安楽椅子に倚りぬ。洋服の塵を払いて次の間の衣桁《+エコウ》にかけ、「紅茶を入《-い》れるようにしてお置き」と小間使いにいいつけて、浪子は良人の居間に入《-い》りつ。 「あなた、お疲れ遊ばしたでしょう」  葉巻の青き煙《+ケブリ》を吹きつつ、今日到来せし年賀状名刺《年賀状’名刺》など見てありし武男はふり仰ぎて、 「浪さんこそくたびれたろう、──おおきれい」 「?《括弧クエスチョン》」 「美しい花嫁様という事さ」 「まあ、いや──あんな言《+こと》を」  さと顔打《顔’打》ちあかめて、ランプの光まぶしげに、目をそらしたる、常には蒼きまで白き顔色《+色》の、今ぼうっと桜色に|にお《匂》いて、艶々《ツヤツヤ》とした丸髷さ《/さ》ながら鏡と照りつ。浪に千鳥の裾模様、黒襲に白茶七糸《白茶シュチン》の丸帯、碧玉を刻みしフォルゲットミイノット(勿忘草)の襟どめ、(このたび武男が米国より持て来たりしなり)四分《:シブ》の羞六分《ハジ/ロクブ》の笑《+笑み》を含みて、嫣然として燈光《+明かり》のうちに立つ姿を、わが妻ながらいみじと武男は思えるなり。 「本当に浪さんがこう着物《/着物》をかえていると、まだ昨日来た花嫁のように思うよ」 「あんな言《+こと》を──そんなことをおっしゃると往ってしまいますから」 「ハハハハもう言わない言わない。そう逃げんでもいいじゃないか」 「ホホホ、ちょっと着がえをいたしてまいりますよ」 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第一章】 【その2】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  武男は昨年の夏初め、新婚間もなく遠洋航海に出《い》で、秋は帰るべかりしに、桑港《ソウ港》に着《-つ》きける時《とき》、器械に修覆《修復》を要すべき事の起こりて、それがために帰期を誤り、旧臘押《旧臘’押》しつまりて帰朝しつ。今日正月三日《今日’正月三日》というに、年賀をかねて浪子を伴ない加藤家《/加藤家》より浪子の実家《+里》を訪《おとな》いたるなり。  武男が母は昔気質の、どちらかといえば西洋ぎらいの方なれば、寝台《+ネダイ》に寝ねて匙《/匙》もて食らうこと思いも寄らねど、《:、》さすがに若主人のみは幾分か治外《/治外》の法権を享けて、十畳のその居間は和洋折衷とも言《-い》いつべく、畳の上に緑色の絨氈《絨毯》を敷き、テーブルに椅子二三脚《椅子’二’三脚》、《:、》床《トコ》には唐画の山水をかけたれど、楣間《+ビカン》には亡父通武《父ミチタケ》の肖像をかかげ、開かれざる書筺《+ショキョウ》と洋籍の棚は片すみに排斥せられて、《:、》正面の床の間には父が遺愛の備前兼光の一刀を飾り、士官帽と両眼鏡と違い棚に、短剣は床柱にかかりぬ。写真額数多掛《写真’額/数多掛》けつらねたるうちには、その乗り組める軍艦のもあり、制服したる青年の|おお《大》ぜいうつりたるは、江田島にありけるころのなるべし。テーブルの上にも二三の写真を飾りたり。両親並びて、五六歳《ゴロクサイ》の男児《+オノコ》の父の膝に倚りたるは、武男が幼きころの紀念なり。カビネの一人撮《+一人写》しの軍服なるは乃舅《+/舅》片岡中将《片岡チュウジョウ》なり。主人が年若く粗豪《ソゴウ》なるに似もやらず、几案整然として、すみずみにいたるまで一点の塵を留めず、《:、》あまつさえ古銅瓶《フル銅ヘイ》に早咲きの梅一両枝趣深《梅一両枝/趣ぶか》く活けたるは、温かき心と細《/細》かなる注意と熟練《/熟練》なる手と常《/常》にこの室《+部屋》に往来するを示しぬ。げにその主《ヌシ》は銅瓶《銅ヘイ》の下に梅花の香《+香り》を浴びて、心臓形《ハート形》の銀の写真掛けのうちにほほえめるなり。ランプの光はくまなく室《部屋》のすみずみまでも照らして、火桶の炭火は緑の絨氈《絨毯》の上に紫《/紫》がかりし紅の焔《炎》を吐きぬ。  愉快という愉快は世に数《カズ》あれど、つつがなく長《なが》の旅より帰りて、旅衣を平生服《+普段着》の着心地よきにかえ、《:、》窓外にほ《-ほ》ゆる夜《-よ》あらしの音を聞きつつ居間《/居間》の暖炉に足《足’》さしのべて、聞きなれし時計の軋々《+キツキツ》を聞くは、まったき愉快の一なるべし。いわんやまた阿母老健《阿母’老健》にして、新妻のさらに愛しきあるをや。葉巻の香しきを吸い、陶然として身を安楽椅子の安きに託したる武男は、今まさにこの楽しみを享けけるなり。  ただ一つの翳は、さきに母の口より聞き、今《いま》来訪名刺のうちに見たる、千々岩安彦《+千々石安彦》の名なり。今日武男は千々岩《千々石》につきて忌まわしき事を聞きぬ。旧臘某日の事とか、千々岩《千々石》が勤《-つと》むる参謀本部に千々岩《/千々石》にあてて一通《1通》のはがきを寄せたる者あり、《:、》折節千々岩《折節/千々石》は不在なりしを同僚《/同僚》の某何心《+ナニガシ何心》なく見るに、高利貸《高利ガシ》の名高き何某《ナニガシ》の貸し金督促状にして、しかのみならずそ《/そ》の金額要件は特に朱書してありしという。ただそれのみならず、参謀本部の機密お《/お》りおり思いがけなき方角に漏れて、投機商人の利を博することあり。なおその上に、千々岩《千々石》の姿をあ《/あ》るまじき相場の市《イチ》に見たる者あり。とにかく種々嫌疑の雲は千々岩《千々石》の上に|おお《覆》いかかりてあれば、この上とても千々岩《/千々石》には心して、かつ自ら戒飭《+カイチョク》するよう忠告せよと、参謀本部に長《チョウ》たる某将軍とは爾汝《/爾汝》の間《あいだ》なる舅中将の話なりき。 「困った男だ」  かくひとりごちて、武男はまた千々岩《千々石》の名刺を打ちながめぬ。しかも今の武男は長く不快に縛らるるあたわざるなり。何も直接にあ《会》いて問いただしたる上と、思い定めて、心はまた翻然として今の楽しきに返れる時、服《+着物》をあらためし浪子は手ずから紅茶を入れてにこやかに入《い》り来《き》たりぬ。 「おお紅茶、これはありがたい。」椅子を離れて火鉢のそばにあぐらかきつつ、 「母《+おっか》さんは?」 「今おやすみ遊ばしました。」紅茶の熱きをすすめつつ、なお紅《-くれない》なる良人の面《+顔》をながめ「《:「》あなた、お頭痛が遊ばすの? お酒なんぞ、召し上がれないのに、あんなに母がお《-お》しいするものですから」 「なあに──今日は実に愉快だったね、浪さん。阿舅《+おとっさん》のお話がおもしろいものだから、きらいな酒までつい過ごしてしまった。ハハハハ、本当に浪さんはいいおとっさんをもっているね、浪さん」  浪子はにっこり、ちらと武男の顔をながめて 「その上に──」 「エ? 何《なん》です?」驚き顔に武男はわざと目をみはりつ。 「存じません、ホホホホホ。」さと顔あからめ、うつぶきて指環をひねる。 「いやこれは大変、浪さんはいつそんなにお世辞が上手になったのかい。これでは襟どめぐらいは廉いもんだ。ハハハハ」  火鉢の上にさしかざしたる掌《タナゾコ》にぽ《/ぽ》うっと薔薇色になりし頬《ホオ》を押えつ。少し吐息つきて、 「本当に──永い間母《+あいだ-おっか》様も──どんなにおさびしくッ《っ》ていらっしゃいましてしょう。またすぐ勤務《+お勤め》にいらっしゃると思うと、日が早くたってしようがありませんわ」 「始終内《始終ウチ》にいようもんなら、それこそ三日目《3日目》には、あなた、ちっと運動にでも出ていらっしゃいませんか、だろう」 「まあ、あんな言《+こと》を──も一杯《+一つ》あげましょうか」  くみて差し出す紅茶を一口飲みて、葉巻の灰をほとほと火鉢《/火鉢》の縁《フチ》にはたきつ、快くあたりを見回して、 「半年の余もハンモックに揺られて、家に帰ると、十|畳敷き《畳敷》がもったいないほど広くて何から何まで結構ずくめ、まるで極楽だね、浪さん。──ああ、何だか二度蜜月遊《+二度ホニムーン》をするようだ」  げに新婚間もなく相別れて半年ぶりに再び相あえる今日このごろは、ふたたび新婚の当時を繰り返し、正月の一時《1時》に来つらん心地せらるるなりけり。  語《+言葉》は|しば《暫》し絶えぬ。両人《+二人》はうっとりとしてた《/た》だ相笑めるのみ。梅の香《-か》は細々《+サイサイ》として両人《+二人》が火桶を擁して相対《+/相向か》えるあたりをめぐる。  浪子はふと思い出《い》でたるように顔を上《-あ》げつ。 「あなたいらっしゃいますの、山木に?」 「山木かい、母《+おっか》さんがああおっしゃるからね──行かずばなるまい」 「ほほ、わたくしも行きたいわ」 「行きなさいとも、行こういっしょに」 「ホホホ、よしましょう」 「なぜ?」 「こわいのですもの」 「こわい? 何が?」 「うらまれてますから、ホホホ」 「うらまれる? |うら《恨》む? 浪さんを?」 「ホホホ、ありますわ、わたくしをうらんでいなさる方が。お《あ》のお豊さん‥‥」 「ハハハ、何を──ばかな。あの|ばか娘《馬鹿ムスメ》もしようがないね、浪さん。あんな娘でももらい人《+て》があるかしらん。ハハハ」 「母《+おっか》さまは、千々岩《千々石》はあの山木と親しくするから、お豊を妻《+サイ》にもらったらよかろうッ《っ》て、そうおっしゃっておいでなさいましたよ」 「千々岩《千々石》?──千々岩《千々石》?──あいつ実《-じつ》に困ったやっ《つ》だ。ずるいやつた知ってたが、まさかあんな嫌疑を受けようとは思わんかった。いや近ごろの軍人は──僕も軍人だが──実にひどい。ちっとも昔の武士らしい風《ふう》はありやせん、みんな金《-かね》のためにかかってる。何、僕だって軍人は必ず貧乏しなけりゃならんというのじゃない。冗費を節《せっ》して、恒《+ツネ》の産を積んで、まさかの時節《+時》に内顧の患《+憂い》のないようにするのは、そらあ当然さ。ねエ浪さん。しかし身をもって国家の干城ともなろうという者がさ、内職に高利を貸したり、あわれむべき兵《兵’》の衣食をかじったり、御用商人と結託して不義の財をむさぼったりするのは実に用捨がならんじゃないか。それに実《-じつ》に不快なは、あの賭博だね。僕の同僚などもこそこそやってるやつがあるが、実に不愉快でたまらん。今のやつらは上にへつらって下《/下’》からむさぼることばかり知っとる」  今そこに当の敵のあるらんように息巻き荒《/荒》く攻め立つるま《”ま》だ無経験の海軍少尉を、身にしみて聞き惚《ほ》るる浪子は勇々《+ゆゆ》しと誇りて、早く海軍大臣かな《/な》いし軍令部長にして海軍部内《/海軍部内》の風を一新したしと思えるなり。 「本当にそうでございましょうねエ。あの、何だかよくは存じませんが、阿爺《+父》がね、大臣をしていましたころも、いろいろな頼み事をしていろいろ物《モノ》を持って来ますの。阿爺《+父》はそんな事は大禁物《ダイキンモツ》ですから、できる事は頼まれなくてもできる、できない事は頼んでもできないと申して、はねつけてもはねつけてもや《/や》はりいろいろ名《ナ》をつけて持ち込んで来ましたわ。で、阿爺《+父》が戯談《+冗談》に、これではたれでも役人になりたがるはずだって笑っていましたよ」 「そうだろう、陸軍も海軍も同じ事だ。金の世の中だね、浪さん──《─:》やあもう十時か。」おりからりんりんとうつ柱時計を見かえりつ。 「本当に時間《+時》が早くたつこと!」 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第二章】 【その1】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  芝桜川町《芝’桜川チョウ》なる山木兵造《山木ヒョウゾウ》が邸《屋敷》は、すぐれて広しというにあらねど、町はずれより西久保《+ニシノクボ》の丘の一部を取り込めて、庭には水をたたえ、石を据え、高きに道し、低きに橋して、楓桜松竹《カエデ/桜/松/竹》などお《/お》もしろく植え散らし、《:、》ここに石燈籠《+石ドーロウ》あれば、かしこに稲荷の祠あり、またその奥に思いがけなき四阿あるなど、この門内にこの庭はと驚かるるも、山木が不義に得て不義《/不義》に築きし万金の蜃気楼なりけり。  時はすでに午後四時過ぎ、夕烏の声遠近《声おちこち》に聞こゆるころ、座敷の騒ぎを背《+後ろ》にして日影薄《/日影薄》き築山道を庭下駄を踏みにじりつつ上り行く羽織袴の男あり。こは武男なり。母の言黙止《+言葉/もだ》し難《がた》くて、今日山木《今日’山木》の宴に臨みつれど、見も知らぬ相客と並びて、好まぬ巵挙《+サカズキあ》ぐることの|おもしろ《面白》からず。さまざまの余興の果ては、いかがわしき白拍子の手踊りとなり、一座の無礼講となりて、いまいましきこと限りもなければ、疾《とっ》くにも辞し去らんと思いたれど、《:、》山木がしきりに引き留《と》むるが上に、必ず逢わんと思える千々岩《千々石》の宴《/エン》たけなわなるまで足を運ばざりければ、やむなく留《とど》まりつ、ひそかに座を立ちて、熱《ねっ》せる耳を冷ややかなる夕風に吹かせつつ、人なき方《ほう》をたどりしなり。  武男が舅中将より千々岩《千々石》に関する注意を受けて帰りし両三日後、鰐皮《+ワニカワ》の手|かばん《鞄》さげし見も知らぬ男突然川島家《男/突然川島ケ》に尋ね来たり、一通の証書を示して、思いがけなき三千円の返金を促しつ。証書面の借り主は名前も筆跡もまさしく千々岩安彦《+千々石安彦》、保証人の名前は顕然川島武男《顕然’川島武男》と署しありて、そのうえ歴々と実印まで押してあらんとは。先方《センポウ》の口上によれば、契約期限すでに過ぎつるを、本人はさらに義務を果たさず、しかも突然いずれへか寓を移して、役所に行けばこの両三日職務上他行したりとかにて、さらに面会を得ざれば、ぜひなくこなたへ推参したる次第なりという。証書はまさしき手続きを踏みたるもの、さらに取り出《+-いだ》したる往復の書面を見るに、違《+マゴ》う方なき千々岩《千々石》が筆跡なり。事の意外に驚きたる武男は、子細をただすに、母はもとより執事の田崎《タザキ》も、さる相談にあずかりし覚えなく、印形を貸したる覚えさらになしという。かの|うわさ《噂》にこの事実思《事実’思》いあわして、武男は七分事《シチブ/コト》の様子を推しつ。あたかもその日千々岩《日/千々石》は手紙を寄せて、明日山木《明日/山木》の宴会に会いたしといい越したり。  その顔だに見ば、問うべき事を問い、言うべき事を言いて早帰らんと思いし千々岩《千々石》は来たらず、《:、》しきりに波立つ胸の不平を葉巻の煙《+ケブリ》に吐きもて、武男は崖道を上り、明竹《+ミンチク》の小藪を回り、常春藤《+フユツタ》の陰に立つ四阿を見て、しばし腰をおろせる時《とき》、横手のわき道に駒下駄の音して、はたと豊子と顔見合わせつ。見れば高島田、松竹梅の裾模様ある藤色縮緬の三枚襲《+三枚ガサネ》、きらびやかなる服装せるほどますます隙のあらわれて、笑止とも自らは思わぬなるべし。その細き目をばいとど細《-ほそ》うして、 「ここにいらっしたわ」  三十《サンジュッ》サンチ巨砲の的《-まと》には立つとも、思いがけなき敵の襲来に|冷や《冷》りとせし武男は、渋面作りてそこそこに兵を収めて逃げんとするを、あわてて追っかけ 「あなた」 「何《なん》です?」 「おとっさんが御案内《ご案内》して庭をお見せ申せってそう言いますから」 「案内? 案内はい《要》らんです」 「だって」 「僕は一人で歩く方《ほう》が勝手だ」  これほど手強く打ち払えばいかなる強敵《+ゴウテキ》も退散すべしと思いきや、なお懲りずまに追いすがりて 「そうお逃げなさらんでもいいわ」  武男はひたと当惑の眉をひそめぬ。そも武男《/武男》とお豊の間は、その昔父が某県を知れりし時、お豊の父山木もその管下にありて常に出入《出入り》したれば、子供もおりおり互いに顔合わせしが、《:、》まだ十一二《ジュウイチニ》の武男は常にお豊を打ちたたき泣《/泣》かしては笑いしを、お豊は泣きつつなお武男にまつわりつ。年移り所変《/所変》わり人長《/人長》けて、武男がすでに新夫人《シン夫人》を迎えける今日《こんにち》までも、お豊はなお当年の乱暴なる坊《ボっ》ちゃま、今は川島男爵と名乗る若者に対して|はかな《儚》き恋を思えるなり。粗暴なる海軍士官も、それとうすうす知らざるにあらねば、まれに山木に往来する時もな《/な》るべく危うきに近よらざる方針を執りけるに、今日はおぞくも伏兵の計《+ハカリゴト》に陥れ《れ-》るを、またいかんともするあたわざりき。 「逃げる? 僕は何も逃げる必要はない。行きたい方《ほう》に行くのだ」 「あなた、それはあんまりだわ」  おかしくもあり、ばからしくもあり、迷惑にもあり、腹も立ちし武男行《武男/行》かんとしては引きとめられ、逃れんとしてはまつわられ、あわれ見る人もなき庭のすみに新日高川《/新ヒタカガワ》の一幕《ひと幕》を出《+-いだ》せしが、ふと思いつく由ありて、 「千々岩《千々石》はまだ来ないか、お豊さんち《/ち》ょっと見て来てくれたまえ」 「千々岩《千々石》さんは日暮れでなけりゃ来ないわ」 「千々岩《千々石》は時々《ときどき》来るのかね」 「千々岩《千々石》さんは昨日も来たわ、おそくまで奥の小座敷でおとっさんと何か話していたわ」 「うん、そうか──しかしもう来たかもしれん、ちょっと見て来てくれないかね」 「わたし|いや《嫌》よ」 「なぜ!」 「だって、あなた逃げて行くでしょう、なんぼわたしが|いや《嫌》だって、浪子さんが美しいって、そんなに人《’人》を追いやるものじゃなくってよ」 「《 》油断せば雨にもならんずる空模様に、百計つきたる武男はただ大踏歩して逃げんとする時《とき》、 「お嬢様、お嬢様」  と婢《+女》の呼び来たりて、お豊を抑留しつ。このひまにと武男は《は-》つと藪を回りて、二三十歩足早《ニサンジュッポ足早》に落ち延び、ほっと息つき 「困った女《+ヤツ》だ」  とつぶやきながら、再度の来襲の恐れなき屈強の要害──座敷の方《ほう》へ行きぬ。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第二章】 【その2】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  日は入《-い》り、客は去りて、昼の騒ぎはただ台所の方《ほう》に残れる時《とき》、羽織袴は脱ぎすてて、煙草盆をさげながら、おぼつかなき足踏《足’踏》みしめて、廊下伝いに奥まりたる小座敷に入り来《こ》し主人の山木、《:、》赤禿げの前額《+ヒタエ》の湯げも立ち上《のぼ》らんとするを、いとどランプの光に輝かしつつ、崩《くず》るるようにすわり、 「若旦那も、千々岩君《+千々石さん》も、お待たせ申して失敬でがした。ハハハハ、今日はおかげで非常の盛会‥‥いや若旦那はお弱い、失敬ながらお弱い、軍人に似合いませんよ。御大人《+ゴタイジン》なんざそれは大したものでしたよ。年は寄っても、山木兵造《山木ヒョウゾウ》──《─:》なあに、一升やそこらハハハハハ大丈夫ですて」  千々岩《千々石》は黒水晶の目を山木に注ぎつ。 「大分《だいぶ》ご元気ですな。山木君、もうかるでしょう?」 「もうかるですとも、ハハハハ──いやもうかるといえば」と山木は灰だらけにせし煙管をようやく吸いつけ、一服吸いて「何《なん》です、その、今度あの〇〇〇〇《マルマル》が売り物に出るそうで、実は内々《ナイナイ》様子を探って見たが、先方もいろいろ困っている際だから、案外安く話が付きそうですて。事業の方《ほう》は、大有望さ。追い追い内地雑居と来ると、いよいよ妙だが、いかがです若旦那、田崎君《+タザキさん》の名義でもよろしいから、二三万御奮発《ニサン万ご奮発》なすっちゃ。きっともうけさして上げますぜ」  と本性違わぬ|生酔い《+ナマエイ》の口は、酒よりもなめらかなり。千々岩《千々石》は黙然《+黙念》と坐《座》しいる武男を流眸《+流し目》に見て、「〇〇〇〇《マルマル》、確か青物町の。あれは一時もうかったそうじゃないか」 「さあ、もうかるのを下手にやり崩したんだが、うまく行ったらすばらしい金鉱ですぜ」 「それは惜しいもんだね。素寒貧《素っ寒貧》の僕じゃ仕方ないが、武男君、どうだ、一肩《ヒトカタ》ぬいで見ちゃア」  座に着きし初めより始終黙然《始終’黙念》として不快《/不快》の色は|おお《覆》う所なきまで眉宇《ビウ》にあらわれし武男、いよいよ懌《+喜》ばざる色を動かして、千々岩《千々石》と山木を等分に憤《/いか》りを含みたる目じりにかけつつ 「御厚意かたじけないが、わが輩のように、いつ魚《サカナ》の餌食になるか、裂弾、榴弾の的《-まと》になるかわからない者は、別に金もうけの必要もない。失敬だがその某会社とかに三万円を投ずるよりも、わが輩はむしろ海員養成費に献納する」  にべなく言い放つ武男の顔、千々岩《千々石》はちらとながめて、山木にめくばせし、 「山木君、利己主義のようだが、その話はあと回しにして僕の件から願いたいがね。川島君も承諾してくれたから、願って置いた通《とお》り──御印《ゴイン》がありますか」  証書らしき一葉の書付を取り出《+-いだ》して山木の前に置きぬ。  千々岩《千々石》の身辺に嫌疑の雲のかかれるも宜《+-うべ》なり。彼は昨年来その位置の便宜を利用して、山木がために参謀となり牒者《+/チョウジャ》となりて、その利益の分配にあずかれるのみならず、《:、》大胆にも官金を融通して蠣殻町《蠣ガラチョウ》に万金をつかまんとせしに、たちまち五千円余の損亡を来たしつ。山木をゆすり、その貯えの底をはたきて二千円を得たれども、なお三千の不足あり。そのただ一親戚なる川島家《+川島ケ》は富みてか《/か》つ未亡人の覚えめでたからざるにもあらざれど、出すといえばおくびも惜しむ叔母の性質を知れる千々岩《千々石》は、打ち明けて頼めば到底らちの明かざるを看破《+見破》り、《:、》一時を弥縫せんと、ここに私印偽造の罪を犯して武男の連印《レンイン》を贋《+騙》り、高利の三千円を借り得て、ひとまず官金消費の跡を濁しつ。さるほどに期限迫りて、果てはわが勤《-つと》むる官署にすら督促のはがきを送らるる始末となりたれば、今はやむなくあたかも帰朝せる武男を説き動かし、この三千円を借り得てか《/か》の三千円を償い、武男の金《-かね》をもって武男《/武男》の名を贖わんと欲せしなり。さきに武男を訪《おとな》いたれどお《/折》りあ《悪》しく得逢わず、その後二三日《後ニサンニチ》職務上の要《用》を帯びて他行しつれば、いまだ高利貸《高利ガシ》のすでに武男が家に向かいしを知らざるなりき。  山木はうなずき、ベルを鳴らして朱肉の盒《+入れ物》を取り寄せ、ひと通り証書に目を通して、ふところより実印取り出《い》でつつ保証人《/保証人》なるわが名の下に捺しぬ。そ《ソ》を取り上げて、千々岩《千々石》は武男の前に差し置き、 「じゃ、君《きみ》、証書はここにあるから──《─:》で、金《かね》はいつ受け取れるかね」 「金《かね》はここに持っている」 「ここに?──戯談《+冗談》はよしたまえ」 「持っている。──では、参千円、確かに渡した」  懐中より一通《1通》の紙に包みたるもの取り出でて、千々岩《千々石》が前に投げつけつ。  打ち驚きつつ拾い上げ、おしひらきたる千々岩《千々石》の顔はたちまち紅になり、また蒼くなりつ。きびしく歯を食いしばりぬ。彼はいまだ高利貸《高利ガシ》の手にあらんと信じ切ったる証書を現《/現》に目の前に見たるなり。武男は田崎《タザキ》に事の由を探らせし後《のち》、ついに怪しかる名前の上の三千円を払《ハラ》いしなりき。 「いや、これは──」 「覚えがないというのか。男らしく罪に伏《+服》したまえ」  子供、子供と今が今まで高をくくりし武男に十二分《/十二ブン》に裏をかかれて、一腔《+イッコウ》の憤怨焔《憤怨/炎》のごとく燃え起こりたる千々岩《千々石》は、切れよと唇をかみぬ。山木は打ちおどろきて、煙管をやに下がりに持ちたるまま二人の顔を|なが《眺》むるのみ。 「千々岩《千々石》、もうわが輩は何もいわん。親戚のよしみに、決して私印偽造の訴訟は起こさぬ。三千円は払ったから、高利貸《高利ガシ》のはがきが参謀本部にも行くまい、安心したまえ」  あくまで|はずかし《辱》められたる千々岩《千々石》は、煮え返る胸をさすりつ。気は武男に飛びもかからんとすれども、心はもはや陳弁の時機にあらざるを|認むる《ミトムル》ほどの働きを存せるなり。彼はとっさに態度を変えつ。 「いや、君《きみ》、そういわれると、実に面目ないがね、実はのっぴきならぬ──」 「何がのっぴきならぬのだ? 徳義ばかりか法律の罪人《’罪人》になってまで高利を借《借り》る必要がどこにあるのか」 「まあ、聞いてくれたまえ。実は切迫《+切羽》つまった事で、金《かね》は要る、借りるところはな《無》し。君がいると、一も二もなく相談するのだが、叔母様《+叔母さん》には言いにくいだろうじゃないか。それだといって、急場の事だし、済まぬ──済まぬと思いながら──《─:》、実は先月はちっと当てもあったので、皆済してから潔く告白しようと──」 「ばかを言いたまえ。潔く告白しようと思った者が、なぜ黙って別に三千円を借りようとするのだ」  膝を乗り出す武男が見幕の鋭きに、山木はあわてて、 「これさ、若旦那、まあ、お静かに、──何か詳しい事情《+訳》はわかりませんが、高《たか》が二千や三千の金《-かね》、それに御親戚《ご親戚》であって見ると、これは御勘弁──ねエ若旦那。千々岩君《+千々石さん》も悪い、悪いがそこをねエ若旦那。こんな事が表ざたになって見ると、千々岩君《+千々石さん》の立身もこれぎりになりますから。ねエ若旦那」 「それだから三千円は払った、また訴訟なぞしないといっているじゃないか。──山木、君の事じゃない、控えて居たまえ、──《─:》それはしない、しかしもう今日限り絶交だ」  もはや事ここにいたりては恐《-おそ》るる所なしと度胸を据えし千々岩《千々石》は、再び態度を嘲罵にかえつ。 「絶交?──別に悲しくもないが──」  武男の目は焔《炎》のごとくひらめきつ。 「絶交はされてもかまわんが、金《かね》は出してもらうというのか。腰抜け漢《+め》!」 「何?」  気色立《+ケシキダ》つ双方の勢いに酔《+/え》いもいくらかさめし山木はたまり兼ねて二人が間に分け入り「若旦那も、千々岩君《+千々石さん》も、ま、ま、ま、静かに、静かに、それじゃ話も何もわからん、──《─:》これさ、お待ちなさい、ま、ま、ま、お待ちなさい」としきりにあなたを縫いこ《/こ》なたを繕う。  押しとめられて、しばし黙然《+黙念》としたる武男は、じっと千々岩《千々石》が面《-おもて》を見つめ、 「千々岩《千々石》、もういうまい。わが輩も子供の時から君と兄弟のように育って、実際才力《実際’才力》の上からも年齢《-とし》からも君を兄と思っていた。今後も互いに力になろう、わが輩も及ぶだけ君のために尽くそうと思っていた。実はこのごろまでもまさかと信じ切っていた。しかし全く君のために売られたのだ、わが輩を売るのは一個人《イチ個人》の事だが、君はまだその上に──いやい《言》うまい、三千円の費途は聞くまい。しかし今までのよしみに一言《+イチゴン》いって置くが、人の耳目は早いものだ、君は目をつけられているぞ、軍人の体面に関するような事をしたもうな。君たちは金《-かね》より貴いものはないのだから、言ったってしかたはあるまいが、ちっとあ恥を知りたまえ。じゃも《/も》う会うまい。三千円はあらためて君にくれる」  厳然として言い放ちつつ武男は膝《/膝》の前なる証書をとってずたずたに引き裂き棄《捨》てつ。つと立ち上がって次の間に出《い》でし勢いに、さっきよりここに隠れて聞きおりしと覚しき女《+娘》お豊を煽り倒しつ。「あれえ」という声をあとに足音《/足音》荒く玄関の方《ほう》に出《い》で去りたり。  あっけにとられし山木と千々岩《千々石》と顔見あわしつ。「相変わらず坊《-ぼ》っちゃまだね。しかし千々岩《千々石》さん、絶交料三千円は随分いい|もう《儲》けをしたぜ」  落ち散りたる証書の片々を見つめ、千々岩《千々石》は黙然《+黙念》として唇をかみぬ。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第三章】 【その1】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  二月初旬《+如月初め”》ふと引きこみし風邪の、ひとたびは瘥《+-おこた》りしを、ある夜姑《夜’姑》の胴着を仕上《-しあ》ぐるとて急《/急》ぐままに夜ふかししより再びひき返して、《:、》今日二月《今日’二月》の十五日というに浪子《/浪子》はいまだ床《トコ》あぐるまで快きを覚えざるなり。  今年の寒さは、今年の寒さは、と年々に言いなれし寒さも今年《/今年》こそはまさしくこれまで覚えなきまで、《:、》日々吹き募る北風は雪を誘い雨《/雨》を帯びざる日にもさ《/さ》ながら髄を刺し骨をえぐりて、健やかなるも病み、病みたるは死し、新聞の広告は黒囲《+黒縁》のみぞ多くなり行く。この寒さはさ《/さ》らぬだに強《つよ》からぬ浪子のかりそめの病を募らして、取り立ててはこれという異《コト》なれる病態もなけれど、ただ頭重《アタマ重》く食《+/ショク》うまからずして日《/日》また日を渡れるなり。  今二点《いま二時》を拍《う》ちし時計の蜩《/蜩》など鳴きたらんように凛々《/凛々》と響きしあとは、しばし物音絶《物音’絶》えて、秒を刻み行く時計のか《/か》えって静けさを|加う《クワウ》るのみ。珍しくうららかに浅碧《+浅緑》をのべし初春《ショシュン》の空は、四枚の障子に立て隔てられたれど、悠々たる日の光く《/く》まなく紙障《シショウ》に栄えて、《:、》余りの光は紙を透かして浪子《/浪子》が仰ぎ臥しつつ黒《/黒》スコッチの韈《+靴下》を編める手先と、雪より白き枕に漂う寝乱れ髪の上にち《/ち》らちらおどりぬ。左手《+左》の障子には、ひょろひょろとした南天の影手水鉢《影/手水鉢》をおおうてうつむきざまに映り、右手《メテ》には槎枒たる老梅の縦横《/ジュウオウ》に枝をさしかわしたるがあざやかに映りて、まだつぼみがちなるその影の、花は数《カぞ》うべくまばらなるにも春《/春》の浅きは知られつべし。南縁暄《+南縁ケン》を迎《むか》うるにやあらん、腰板の上に猫の頭の映りたるが、今日の暖気に浮かれ出でし羽虫目《羽虫’目》がけて飛び上がりしに、《:、》捕りはずしてどうと落ちたるをまた心に関せざるもののごとく、悠々としてわが足をなむるにか、影なる頭のし《/し》きりにうなずきつ。微笑を含みてこの光景《+有り様》を見し浪子は、日のまぶしきに眉を攅《+-あつ》め、目を閉じて、うっとりとしていたりしが、やおらあなたに転臥《+寝返り》して、編みかけの韈《+靴下》をな《撫》で試みつつ、また縦横《ジュウオウ》に編み棒を動かし始めぬ。  ドシドシと縁に重やかなる足音して、矮《+タケ低》き仁王の影障子《影/障子》を伝い来つ。 「気分はどうごあんすな?」  と枕べ《辺》にすわるは姑なり。 「今日は大層ようございます。起きられるのですけども──。」と編み物をさしおき、襟の乱れを繕いつつ、起き上がらんとするを、姑は押しとめ、 「そ、そいがいかん、そいがいかん。他人じゃなし、遠慮がいッ《っ》もン《ん》か。そ、そ、そ、また編み物しなはるな。いけませんど。病人な養生が仕事、なあ浪《/浪》どん。和女《+お前》は武男が事ちゅうと、何もかも忘れッ《っ》ちまいなはる。いけません。早う養生してな──」 「本当に済《-す》みません、やすんでばかし‥‥」 「そ、そいが他人行儀、なあ。わたしはそいが大きらいじゃ」  うそをつきたもうな、卿《+御身》は常に当今の嫁なるものの舅姑《/シュウト》に礼足らずとつぶやき、ひそかにわが媳《+嫁》のこれに異なるをもっけの幸《幸い》と思うならずや。浪子は実家《+里》にありけるころより、口にいわねどひそかにその継母のよ《/よ》ろず洋風にさばさばとせるをあきたらず思いて、一家の作法の上にはおのずから一種古風《/一種’古風》の嗜味《+シミ》を有せるなりき。  姑はふと思い出《い》でたるように、 「お、武男から手紙が来たようじゃったが、どう書《+-け》えて来申《+きも》した?」  浪子は枕べ《辺》に置きし一通の手紙のなかぬ《/ぬ》き出《+-いだ》して姑に渡しつつ、 「この日曜にはきっといらッ《っ》しゃいますそうでございますよ」 「そうかな。」ずうと目を通してくるくるとまき収め、「転地養生もねもんじゃ。この寒《カン》にエットからだ動《+イゴ》かして見なさい、それこそ無《+-な》か病気も出て来ます。風邪は《は-》じいと寝ておると、なおるもんじゃ。武は年《トシ》が若《-わか》かでな。医師《+医者》をかえるの、やれ転地をすッ《っ》のと騒ぎ申《+も》す。わたしたちが若《-わか》か時分な、腹が痛かてて寝る事《+こた》なし、産あがりだて十日と寝た事アあいません。世間が開《ひら》けて来《+ク》っと皆が弱《+-よお》うなり申すでな。ハハハハ。武《タケ》にそう書《+-け》えてやったもんな、母《+おっか》さんがおるで心配しなはんな、ての、ハハハハハ、どれ」  口には笑えど、目はいささか懌《+喜》ばざる色を帯びて、出《い》で行く姑の後ろ影、 「御免遊ばせ」  と起き直りつつ見送りて、浪子はかすかに吐息を漏らしぬ。  親が子をねたむということ、あるべしとは思われねど、浪子は良人の帰りし以来、一種異なる関係の姑《/姑》との間にわき出《い》でたるを覚えつ。遠洋航海より帰り来て、浪子のやせしを見たる武男が、粗豪《ソゴウ》なる男心にも留守《/留守》の心づかいをくみて、いよいよいたわるをば、いささか苦々しく姑の思える様子は、怜悧《+敏》き浪子の目をのがれず。時には《は-》かの孝──姑のいわゆる──とこ《/こ》の愛の道と、一時に踏み難《がた》く岐《+分か》るることあるを、浪子はひそかに思い悩めるなり。 「奥様、加藤様のお嬢様がおいで遊ばしましてございます」  と呼ぶ婢《+女》の声に、浪子はぱっちり目を開きつ。入《い》り来る客《+人》を見るより喜色《/喜色》はたちまち眉間《+ビカン》に上りぬ。 「あ、お千鶴《+チズ》さん、よく来たのね」 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第三章】 【その2】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。 「今日はどんな?」  藤色縮緬の|おこそ《オコソ》頭巾とともに信玄袋をわきへ押しやり、浪子の枕べ《辺》近く立ち寄るは島田の十七八《ジュウシチハチ》、《:、》紺地斜綾《+紺地ハスアヤ》の吾妻コートにすらりとした姿を包んで、三日月眉|にお《’匂》やかに、凛々しき黒目がちの、見るから|さえざえ《サエザエ》とした娘《’娘》。浪子が伯母加藤子爵夫人《伯母/加藤子爵夫人》の長女、千鶴子というはこの娘《子》なり。浪子と千鶴子は一歳《+一つ》違いの従姉妹同士。幼稚園に通うころより実《/じつ》の同胞《+兄弟》も及ばぬほど睦み合いて、浪子が妹《イモト》の駒子をして「姉さんはお千鶴《+チズ》さんとばかり仲よくするからわたし|いや《嫌》だわ!《/》」といわしめしこともありき。されば浪子《/浪子》が川島家《+川島ケ》に嫁ぎて来《こ》し後《のち》も、他の学友らはおのずから足を遠くせしに引きかえ、千鶴子はかえってその家の近くなれるを喜びつつ、しばしば足を運べるなり。武男が遠洋航海の留守の間心《あいだ/心》さびしく憂《/憂》き事多かる浪子を慰めしは、|燃ゆる《モユル》がごとき武男の書状を除きては、千鶴子の訪問ぞそ《/そ》の重封なるものなりける。  浪子はほほえみて、 「今日はよっぽどよい方《ほう》だけども、まだ頭《+髪》が重くて、時々せきが出て困るの」 「そう?──寒いのね。」うやうやしく座ぶとんをすすむる婢《+女》をちょっと顧みて、浪子のそば近くすわりつ。桐胴の火鉢に指環《/指環》の宝石きらきらと輝く手をかざしつつ、桜色に|にお《匂》える頬《ホオ》を押《押さ》う。 「伯母様も、伯父様も、おかわりないの?」 「あ、よろしくッ《っ》てね。あまり寒いからどうかしらッ《っ》てひどく心配していなさるの、時候が時候だから、少しい《-い》い方《ほう》だッ《っ》たら逗子にでも転地療養しなすったらッ《っ》てね、昨夕も母《+おっか》さんとそう話したのですよ」 「そう? 横須賀からもちょうどそう言って来てね‥‥」 「兄さんから? そう? それじゃ早く転地するがいいわ」 「でももうそのうちよくなるでしょうから」 「だッ《っ》て、このごろの感冒《+風邪》は本当に用心しないといけないわ」  おりから小間使いの紅茶《/紅茶》を持ち来たりて千鶴子にすすめつ。 「兼《+カネ》や? 母《+おっか》さんは? お客? そう、どなた? 国の方《かた》なの?──お千鶴《+チズ》さん、今日はゆっくりしていいのでしょう。兼《カネ》や、お千鶴《+チズ》さんに何かご|ちそう《馳走》しておあげな」 「ホホホホ、お百度参りするのだもの、ご|ちそう《馳走》ばかりしちゃたまらないわ。お待ちなさいよ。」言いつつ服紗《+袱紗》包みの小重《コジュウ》を取り出し「こ《/こ》ちらの伯母さんはお萩がおすきだッ《っ》たのね、少しだけども、──お客様ならあとにしましょう」 「まあ、ありがとう。本当に‥‥ありがとうよ」  千鶴子はさらに紅蜜柑《+ベニ蜜柑》を取り出しつつ「きれいでしょう。これはわたしのお土産よ。でもすっぱくていけないわ」 「まあきれい、一《ヒト》ツむいてちょうだいな」  千鶴子がむいて渡すを、さもう《-う》まげに吸いて、額《+ヒタエ》にこぼるる髪をかき上げ、かき上げつ。 「うるさいでしょう。ざっと結《+-い》ってた方《ほう》がよかないの? ね、ちょっと結いましょう。──そのままでいいわ」  勝手知ったる次の間《マ》の鏡台の櫛取り出《+-いだ》して、千鶴子は手柔らかにすき始めぬ。 「そうそう、昨日の同窓会──案内状《+知らせ》が来たでしょう──はお《/お》もしろかってよ。みんながよろしくッ《っ》て、ね。ホホホホ、学校を下がってからまだやっと一年しかならないのに、もう三一《ミツニヒトツ》はお嫁だわ。それはおかしいの、大久保さんも本多《/本多》さんも北小路《/キタコウジ》さんもみんな丸髷に結《+-い》ってね、変に奥様じみているからおかしいわ。──痛かないの?─ホホホホ、どんな話かと思ったら、みんな自分の吹聴ですわ。そうそう、それから親子《シンシ》別居論が始まってね、北小路《キタコウジ》さんは自分がちっとも家政ができないに姑《+おっかさん》がたいへんやさしくするものだから同居に限るっていうし、《:、》大久保さんはまた姑《+おっかさん》がやかましやだから別居論の勇将だし、それはおかしいの。それからね、わたしがまぜッ《っ》かえしてやったら、お千鶴《+チズ》さんはまだ門外漢──漢がおかしいわ──だから話せないというのですよ。──すこしつ《詰》まり過ぎはしないの?」 「イイエ。──それはおもしろかったでしょう。ホホホホ、みんな自己《+自分》から割り出すのね。どうせ局々《+ところところ》で違うのだから、一概には言えないのでしょうよ。ねエ、お千鶴《+チズ》さん。伯母様もいつかそうおっしゃったでしょう。若い者ばかりじゃわがままになるッ《っ》て、本当にそうですよ、年寄りを疎略に思っちゃ済まないのね」  父中将の教えを受くるが上に、おのずから家政に趣味をもてる浪子は、実家《+里》にありけるころより継母の政を傍観しつつ、ひそかに自家の見《+ケン》をいだきて、自ら一家の女主になりたらん日には、みごと家《イエ》を斉《+整》えんものと思えるは、一日にあらざりき。されど川島家《+川島ケ》に来たり嫁ぎて、万機一《万機’一》に摂政太后《摂政タイコウ》の手にありて、身はその位ありてそ《/そ》の権なき太子妃の位置にあるを見るに及びて、しばし|おのれ《己》を収めて姑《/姑》の支配の下に立ちつ。親子の間に立ち迷いて、思うさま良人にかしずくことのままならぬをひ《/ひ》そかにかこてるおりおりは、かつてわが国風に適《+合》わずと思いし継母が得意の親子《+シンシ》別居論のあ《/あ》るいは真理にあらざるやを疑うこともありしが、《:、》これがためにかえって浪子は初心を破らじとひそかに心に帯《タイ》せるなり。  継母の下に十年《+トトセ》を送り、今は姑のそばにやがて一年の経験を積める従姉《従姉妹》の底意を、ことごとくはく《汲》みかねし千鶴子、三《み》つに組みたる髪の端を白《/白》きリボンもて結わえつつ、浪子の顔さしのぞきて、声を低め、「このごろでも御機嫌がわるくッ《っ》て?」 「でも、病気してからよくしてくださるのですよ。でもね、‥‥武男《+うち》にいろいろするのが、おかあさまのお気に入らないには困るわ! それで、いつでも此家《+此処》ではおかあさまが女皇陛下《+クイーン》だからお《/お》れよりもたれよりもおかあさまを一番大事にするン《ん》だッ《っ》て、しょっちゅう言って聞かされるのですわ‥‥《‥:》あ、もうこんな話はよしましょうね。おおいい気持ち、ありがとう。頭が軽くなったわ」  言いつつ三《/み》つ組みにせし髪をな《撫》で試みつ。さすがに疲れを覚えつらん、浪子は目を閉じぬ。  櫛をしまいて、紙に手をふきふき、鏡台の前に立ちし千鶴子は、小さき箱の蓋を開きて、掌《+タナソコ》に載せつつ、 「何度見てもこの襟止《+ビン》はきれいだわ。本当に兄さんはよくなさるのねエ。内《うち》の──兄さん(これは千鶴子の婿養子と定まれる俊次といいて、目下外務省《目下’外務省》に奉職せる男)なんか、外交官の妻になるには語学が達者でなくちゃいけないッ《っ》て、《:、》仏語《+フレンチ》を勉強するがいいの、ドイツ語がぜひ必要のッ《っ》て、責めてばかりいるから困るわ」 「ホホホホ、お千鶴《+チズ》さんが丸髷に結《+-い》ったのを早く見たいわ──島田も惜しいけれど」 「まあいや!」美しき眉はひそめど、裏切る微笑《微笑’》は薔薇《/薔薇》の莟めるごとき唇に流れぬ。 「あ、ほんに、萩原さんね、そらわ《/わ》たしたちより一年前《+一年サキ》に卒業した──」 「あの松平さんに嫁《+-い》らっした方でしょう」 「は《ハ》、あの方がね、昨日離縁になったン《ん》ですッ《っ》て」 「離縁に? どうしたの?」 「それがね、舅姑《+お父さんお母さん》の気には入《-い》ってたけども、松平さんがきらってね」 「子供がありはしなかったの」 「一人あったわ。でもね、松平さんがきらって、このごろは妾を置いたり、囲い者をしたり、乱暴ばかりするからね、萩原さんのお|とう《父》さんがひどく怒つ《っ》てね、そんな薄情な者には、娘はやって置かれぬてね、とうとう引き取ってしまったんですッ《っ》て」 「まあ、かあいそうね。──どうしてきらうのでしょう、本当にひどいわ」 「腹が立つのねエ。──逆さまだとまだいいのだけど、舅姑《シュウト》の気に入っても良人にきらわれてあ《/あ》んな事になっては本当につらいでしょうねエ」  浪子は吐息しつ。 「同じ学校に出て同《/同》じ教場で同《/同》じ本を読んでも、みんなちりぢりになって、どうなるかわからないものねエ。──お千鶴《+チズ》さん、いつまでも仲よく、さきざき力《チカラ》になりましょうねエ」 「うれしいわ!」  二人の手はおのずから相結《相むす》びつ。ややありて浪子はほほえみ、 「こんなに寝ていると、ね、いろいろな事を考えるの。ホホホホ、笑っちゃいやよ。これから何年かたッ《っ》てね、どこか外国と戦争《-いくさ》が起こるでしょう、日本が勝つでしょう、《:、》そうするとね、お千鶴《+チズ》さん宅《+とこ》の兄さんが外務大臣で、先方へ乗り込んで講和の談判をなさるでしょう、《:、》それから武男《+うち》が艦隊の司令長官で、何十艘《ナンジュッ艘》という軍艦を向こうの港《ミナト》にならべてね‥‥」 「それから赤坂の叔父さんが軍司令官で、宅《+うち》のお|とう《父》さんが貴族院で何億万円《ナン億万円》の軍事費を議決さして‥‥」 「そうするとわたしはお千鶴《+チズ》さんと赤十字の旗でもた《立》てて出かけるわ」 「でもからだが弱くちゃできないわ。ホホホホ」 「オホホホホ」  笑う下《もと》より浪子はたちまちせきを発して、右の胸をおさえつ。 「あまり話したからいけないのでしょう。胸が痛むの?」 「時々|せき《’咳》するとね、ここに響いてしようがないの」  言いつつ浪子の目はた《/た》ちまちすうと薄れ行く障子の日影を打ちながめつ。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第四章】 【その1】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  山木が奥の小座敷に、あくまで武男に|はずかし《辱》められて、|燃ゆる《モユル》がごとき憤嫉《+フンシツ》を胸に畳みつつわ《/わ》が寓に帰りしその夜より僅々五日を経て、《:、》千々岩《+千々石》は突然《突然’》参謀本部よりして第一師団《/第一師団》の某連隊付きに移されつ。  人の一生には、なす事なす事皆図星《事’皆’図星》をはずれて、さながら皇天《コウテン》ことにわれ一人《+イチニン》をえらんで折檻《/折檻》また折檻の笞《鞭》を続けざまに打ちおろすかのごとくに感ぜらるる、《:、》いわゆる「泣き面《っ面》に蜂」の時期少《時期/少》なくとも一度はあるものなり。去年以来千々岩《去年以来/千々石》はこの瀬戸に舟やり入れて、今もって容易にその瀬戸を過ぎおわるべき見当のつかざるなりき。浪子はすでに武男に奪われつ。相場に手を出せば失敗を重ね、高利を借りれば恥をかき、小児《+子供》と見くびりし武男には下司同然に|はずかし《辱》められ、ただ一親戚たる川島家《+川島ケ》との通路は絶えつ。果てはただ一立身《イチ立身》の捷逕《+ショウケイ》として、死すとも去らじと思える参謀本部の位置まで、一言《イチゴン》半句の挨拶もなくはぎとられて、《:、》このごろまで牛馬《+ウシウマ》同様に思いし師団の一士官とならんとは。疵持つ足の千々岩《千々石》は、今さら抗議するわけにも行かず、倒れてもつかむ馬糞の臭《シュウ》をいとわで、おめおめと練兵行軍の事に従いしが、《:、》この打撃はいたく千々岩《千々石》を刺激して、従来事《従来/事》に臨んでさらにあわてず、冷静に「われ」を持したる彼をして、思うてここにいたるごとに、《:、》一肚皮《+イチトヒ》の憤恨猛火《フンコン/猛火》よりもはげしく騰上《トウジョウ》し来たるを覚えざらしめたり。  頭上に輝く名利の冠を、上らば必ず得べき立身の梯子に足踏《足ふ》みかけて、すでに一段二段を上り行きけるその時、突然《突然’》蹴落とされしは千々岩《千々石》が今の身の上なり。誰が蹴落とせし。千々岩《千々石》は武男が言葉の端より、参謀本部に長《チョウ》たる将軍が片岡中将《/片岡中将》と無二の昵懇なる事実よりして、少なくも中将が幾分の手を仮したるを疑いつ。彼はまた従来金《従来/かね》には淡白なる武男が、三千金のために、──たとい偽印《ギイン》の事はありとも──法外に怒《いか》れるを怪しみて、《:、》浪子が旧《古》き事まで取り出でて|われ《/吾》を武男に讒したるにあらずやと疑いつ。思えば思うほど疑いは事実と募り、事実は怒火《ドカ》に油さし、失恋のうらみ、功名の道における蹉跌の恨み、《:、》失望、不平、嫉妬さまざまの悪感《悪寒》は中将と浪子と武男をめぐりて焔《炎》のごとく立ち上《のぼ》りつ。かの常にわが冷頭《レイトウ》を誇り、情に熱して数字を忘るるの愚を笑える千々岩《千々石》も、連敗の余のさ《/さ》すがに気は乱れ心狂《/心くる》いて、《:、》一腔《+イッコウ》の怨毒い《/い》ずれに向かってか吐き尽くすべき路《道》を得ずば、自己──千々岩安彦《+千々石安彦》が五尺の躯《+身”》まず破れおわらんずる心地せるなり。  復讎《復讐》、復讎《復讐》、世に心よきはに《/に》くしと思う人の血をすすって、その頬《ホオ》の一臠《+イチレン》に舌鼓《/舌鼓》うつ時《とき》の感なるべし。復讎《復讐》、復讎《復讐》、ああい《/い》かにして復讎《復讐》すべき、いかにしてうらみ重なる片岡川島両家をみじんに吹き飛ばすべき地雷火坑《地雷カキョウ》を発見し、《:、》なるべくおのれは危険なき距離より糸をひきて、憎しと思う輩の心傷《+/心ヤブ》れ腸裂《/腸裂》け骨摧《+/骨くじ》け脳塗《/脳まみ》れ生《/生》きながら死ぬ光景をながめつつ、快く一杯を過《-す》ごさんか。こは一月以来夜《ひと月以来’夜》となく日となく千々岩《/千々石》の頭を往来せる問題なりき。  梅花雪《梅花/雪》とこぼるる三月中旬、ある日千々岩《日/千々石》は親しく往来せる旧同窓生の何某《ナニガシ》が第三師団《/第三師団》より東京に転じ来たるを迎《むか》うるとて、新橋におもむきつ。待合室を出《い》づるとて、あたかも十五六《十ゴロク》の少女《+乙女》を連れし丈高き婦人──貴婦人の婦人待合室より出《い》で来たるにはたと行きあいたり。 「お珍しいじゃございませんか」  駒子を連れて、片岡子爵夫人繁子《片岡子爵夫人’繁子》はたたずめるなり。一瞬時、変われる千々岩《千々石》の顔色は、先方の顔色をのぞいて、たちまち一変しつ。中将にこそ浪子にこそ恨みはあれ、少なくもこの人をば敵視する要なしと早くも心を決せるなり。千々岩《千々石》はうやうやしく一礼して、微笑を帯び、 「ついごぶさたいたしました」 「ひどいお見限りようですね」 「いや、ちょっとお伺い申すのでしたが、いろいろ職務上の要《用》で、つい多忙だものですから──《─:》今日はどちらへか?」 「は《ハ》、ちょっと逗子まで──あなたは?」 「何、ちょっと朋友《+友達》を迎えにまいったのですが──《─:》逗子は御保養《ご保養》でございますか」 「おや、まだご存じないのでしたね、──病人ができましてね」 「御病人《ご病人》? どなたで?」 「浪子です」  おりからベルの鳴りて人は潮《+ウシオ》のごとく改札口へ流れ行くに、少女《+乙女》は母の袖引き動かして 「おかあさま、おそくなるわ」  千々岩《千々石》はいち早く子爵夫人が手にしたる四季袋《四季ブクロ》を引っとり、打ち連れて歩みつつ 「それは──何《なん》ですか、よほどお悪いので?」 「はあ、とうとう肺になりましてね」 「肺?──結核?」 「は《ハ》、ひどく喀血をしましてね、それでつい先日逗子《先日/逗子》へまいりました。今日はちょっと見舞に。」言いつつ千々岩《千々石》が手より四季袋《四季ブクロ》を受け取り「ではさようなら、すぐ帰ります、ちとお遊びにいらッ《っ》しゃいよ」  華美《+派手》なるカシミールのショールと紅《/紅》のリボンかけし垂髪《+お下げ》とは《/は》るかに上等室に消《き》ゆるを目送して、歩《ホ》を返す時、千々岩《千々石》の唇には恐ろしき微笑を浮かべたり。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第四章】 【その2】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  医師が見舞うたびに、あえて口《’口》にはいわねど、その症候の次第《/次第》に著しくなり来るを認めつつ、術《+手立て》を尽くして防ぎ止めんとせし|かい《甲斐》もなく、《:、》目には見えねど浪子の病は日《+日々》に募りて、三月の初旬《+初め》には、疑うべくもあらぬ肺結核の初期に入《-い》りぬ。  わが老健《+健やか》を鼻にかけて今世《+/今どき》の若者の羸弱《+弱き》をあざけり、転地の事耳に入《い》れざりし姑も、現在目《いま目》の前に浪子の一度ならずに喀血するを見ては、《:、》さすがに驚き──伝染の恐ろしきを聞きおれば──恐れ、医師が勧むるままし《/し》かるべき看護婦を添えて浪子《/浪子》を相州逗子なる実家《里》──片岡家の別墅に送りやりぬ。肺結核! 茫々たる野原にただひとり立つ旅客《+旅人》の、頭上に迫り来る夕立雲のまっ黒きを望める心こそ、もしや、もしやとその病を待ちし浪子の心なりけれ。今は恐ろしき沈黙はすでにと《-と》く破れて、雷鳴《カミナリ鳴》り電《/稲妻》ひらめき黒風《+/コクフウ》吹き白雨《/白雨》ほとばしる真中《+マナカ》に立てる浪子は、ただ身を賭して早《/早》く風雨の重囲《+チョウイ》を通り過ぎなんと思うのみ。それにしても第一撃のいかにすさまじ《じ-》かりしぞ。思い出《い》づる三月の二日、今日は常にまさりて快く覚《おぼ》ゆるままに、久しく打ちすてし生け花の慰み、姑の部屋の花瓶《+カヘイ》にささん料に、《:、》おりから帰りて居たまいし良人に願いて、|にお《匂》いも深き紅梅の枝を折るとて、庭さき近く端居して、あれこれとえらみ居しに、《:、》にわかに胸先苦《胸先くる》しく頭《/頭》ふらふらとして、紅の靄眼前《+靄’目先》に渦まき、われ知らずあ《ア》と叫びて、肺を絞りし鮮血の紅《クレナイ》なるを吐《ハ》けるその時! その時こそ「ああとうとう!《/》」と思う同時に、いずくともなくはるかにわ《/わ》が墓の影を|かいま《垣間》見しが。  ああ死! 以前世《+昔’世》をつらしと見しころは、生何《セイ/なん》の楽しみぞ死何《/死/なん》の哀惜《+悲しみ》ぞと思いしお《折》りもありけるが、今は人の生命《イノチ》の愛《+-お》しければい《/い》とどわが命の惜しまれて千代《/千代》までも生きたしと思う浪子。情けなしと思うほど、病に勝たんの心も切に、おりおり沈むわが気をふり起こしては、われより医師を促すまでに怠らず病《/病》を養えるなりき。  目と鼻の横須賀にあたかも在勤せる武男が、ひまをぬすみてしばしば往来するさえあるに、父の書、伯母、千鶴子の見舞たえ間なく、《:、》別荘には、去年の夏川島家《+夏/川島ケ》を追われし以来絶《以来/絶》えて久しきかの姥のいくが、その再会の縁由となれるがために病《/病》そのものの悲しむべきをも喜ばんずるまで浪子《/浪子》をなつかしめるありて、《:、》能《+アト》うべくは以前《+昔》に倍する熱心もて伏侍《+フクジ》するあり。まめまめしき老僕が心を用いて事《+つこ》うるあり。春寒き《/き》びしき都門《ト門》を去りて、身を暖かき湘南の空気に投じたる浪子は、日《+日々》に自然の人をいつくしめる温光《オンコウ》を吸い、身をめぐる暖かき人の情けを吸いて、気も心もおのずからのびやかになりつ。地を転じてすでに二旬を経たれば、喀血やみ咳嗽《/咳嗽》やや減り、一週二回東京《一週二回/東京》より来たり診する医師も、快しというまでにはいたらねど病《/病》の進まざるをかいありと喜びて、《:、》この上|はげ《’激》しき心神の刺激を避け、安静にして療養の功を続けなば、快復の望みありと許すにいたりぬ。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第四章】 【その3】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  都の花はまだ少し早けれど、逗子あたりは若葉の山に山桜咲《山桜’咲》き初めて、山また山にさ《/さ》りもあえぬ白雲をかけし四月初《四月’初》めの土曜。今日は朝よりそぼ降る春雨に、海も山も一色《+ひと色》に打ち煙り、たださえ永《’永》き日の果《/果》てもなきまで永き心地《ココチ》せしが、日暮《日ぐ》れ方《がた》より大降りになって、風さえ強く吹きいで、《:、》戸障子の鳴る響《+音》すさまじく、怒《いか》りたける相模灘の濤声、万馬の跳《+オド》るがごとく、海村戸《カイソン-ト》を鎖《+閉ざ》して燈火《+/トモシビ》一つ漏る家もあらず。  片岡家の別墅にては、今日は夙《+-と》く来《+ク》べかりしに勤務上《/勤務上》やみ難《がた》き要ありておくれし武男が、夜に入《い》りて、風雨の暗《アン》を衝きつつ来たりしが、今はすでに衣《+イ》をあらため、晩餐を終え、卓によりかかりて、手紙を読みており。相対《+相向か》いて、浪子は美しき巾着を縫いつつ、時々《ときどき》針をとどめて良人《/良人》の方打ちながめては笑み、風雨の音に耳傾《耳カタブ》けては静《/静》かに思いに沈みており。揚巻に結いし緑の髪には、一朶の山桜を葉《/葉》ながらにさしはさみたり。二人の間には、一脚《1脚》の卓ありて、桃色のかさかけしランプは|じじ《ジジ》と燃えつつ、薄紅《+ウスクレナイ》の光を落とし、《:、》そのかたわらには白磁瓶《+白磁ヘイ》にさしはさみたる一枝《ヒトエダ》の山桜、雪のごとく黙《-もく》して語らず。今朝別《今朝’別》れ来《こ》し故山の春を夢むるなるべし。  風雨の声屋《+声/オク》をめぐりて騒がし。  武男は手紙を巻きおさめつ。「阿舅《+お父さん》もよほど心配しておいでなさる。どうせ明日はちょっと帰京《+帰》るから、赤坂へ回って来よう」 「明日いらッ《っ》しゃるの? このお天気に!──でもお母様《母さま》もお待ちなすッ《っ》ていらッ《っ》しゃいましょうねエ。わたくしも行きたいわ!」 「浪さんが!!! とんでもない! それこそまっぴら御免こうむる。もうしばらくは流刑《+島流し》にあったつもりでいなさい。ハハハハ」 「ホホホ、こんな流刑《+島流し》なら生涯でもようござんすわ──《─:》あなた、巻莨《+タバコ》召し上がれな」 「ほしそうに見えるかい。まあよそう。そのかわり来《-く》る前の日と、帰った日は、二日分《+二日ぶり》のむのだからね。ハハハハハ」 「ホホホ、それじゃごほうびに、今いいお菓子がまいりますよ」 「それはごちそうさま。大方お千鶴《+チズ》さんの土産だろう。──それは何かい、立派な物ができるじゃないか」 「この間から日が永くッ《っ》てしようがないのですから、おかあさまへ上げようと思ってしているのですけど──《─:》イイエ大丈夫ですわ、遊び遊びしてますから。ああ何《/何》だか気分が清々《セイセイ》したこと。も少《う少》し起きさしてちょうだいな、こうしてますとちっとも病気のようじゃないでしょう」 「ドクトル川島がついているのだもの、ハハハハ。でも、近ごろは本当に浪さんの顔色がよくなッ《っ》た。もうこっちのものだて」  この時次《時’次》の間よりか《/か》の老女のいくが、菓子鉢《カシバチ》と茶盆を両手にささげ来つ。 「ひどい暴風雨《+時化》でございますこと。旦那様がいらッ《っ》しゃいませんと、ねエ奥様、今夜《+今晩》なんざと《/と》ても目が合いませんよ。飯田町のお嬢様はお帰京《+帰り》遊ばす、看護婦さんまで、ちょっと帰京《+帰り》ますし、今日はどんなにさびしゅうございましてしょう、ねエ奥様。茂平(老僕)どんはい《/い》ますけれども」 「こんな晩に船に乗ってる人の心地《+心持ち》はどんなでしょうねエ。でも乗ってる人を思いやる人はなお悲しいわ!」 「なあに」と武男は茶をすすり果てて風月《/風月》の唐饅頭二《唐饅頭’二》つ三つ一息に平らげながら《ら:》「なあに、これくらいの風雨《+時化》はまだいいが、南シナ海あたりで二日も三日も大暴風雨《+大時化》に出あうと、随分こたえるよ。四千何百《四千’何百》トンの艦《+船》が三四十度《サンヨンジュウド》ぐらいに傾《カタブ》いてさ、山のようなやつがドンドン甲板を打ち越してさ、《:、》艦《+船》がぎいぎい響《+鳴》るとあ《/あ》まりいい心地《+心持ち》はしないね」  風いよいよ吹き募りて、暴雨一陣礫《暴雨一陣/つぶて》のごとく雨戸にほとばしる。浪子は目を閉じつ。いくは身を震わしぬ。三人《+ミタリ》が語《+言葉》しばし途絶えて、風雨の音のみぞす《/す》さまじき。 「さあ、陰気な話はもう中止だ。こんな夜《+晩》は、ランプでも明るくして愉快に話すのだ。ここは横須賀よりまた暖かいね、もうこんなに山桜が咲いたな」  浪子は磁瓶《+ジヘイ》にさしし桜の花びらを軽くなでつつ「今朝老爺《+今朝/爺や》が山から折って来ましたの。きれいでしょう。──でもこの雨風で山のはよっぽど散りましょうよ。本当にどうしてこんなに潔いものでしょう! そうそう、さっき蓮月の歌にこんなのがありましたよ『うらやまし心《/心》のままにと《/と》く咲きて、すがすがしくも散《/散》る|さくら《桜》かな』《』:》よく詠んでありますのねエ」 「なに? すがすがしくも散る? 僕──わしはそう思うがね、花でも何でも日本人はあまり散るのを賞翫するが、それも潔白でいいが、過ぎるとよくないね。戦争《+いくさ》でも早く討死《+討ち死に》する方《ほう》が負けだよ。も少《う少》し剛情《強情》にさ、執拗《+しつこく》さ、気ながな方《ほう》を奨励したいと思うね。それでわが輩──わしはこんな歌を詠んだ。いいかね、皮切りだからどうせおかしいよ、しつこしと、笑っちゃいかん、《:、》しつこしと人《/人》はいえども八重桜盛《/八重桜”さか》り|なが《長》きはう《/う》れしかりけり、ハハハハ梨本跣足《梨本裸足》だろう」 「まあおもしろいお歌でございますこと、ねエ奥様」 「ハハハハ、|ばあ《バア》やの折り紙つきじゃ、こらいよいよ秀逸にきまったぞ」  話の途切れ目をま《”ま》たひとしきり激しくなりまさる風雨の音、濤《+波》の音の立ち添いて、家はさながら大海に浮かべる舟にも似たり。いくは鉄瓶の湯を|かう《カウ》るとて次に立ちぬ。浪子はさしはさみ居し体温器をち《/ち》ょっと燈火《明かり》に透かし見て、今宵は常よりも上らぬ熱を手柄顔に良人に示しつつ、筒に収め、しばらくテーブルの桜花《+桜》を見るともなくながめていたりしが、たちまちほほえみて 「もう一年たちますのねエ、よウ《う》くおぼえていますよ、あの時馬車《時/馬車》に乗って出ると家内《+みんな》の者が送って出てますから何《/何》とか言いたかったのですけどど《/ど》うしても口に出ませんの。オホホホ。それから溜池橋を渡るとも《/も》う日が暮れて、十五夜でしょう、まん丸な月が出て、《:、》それから山王のあの坂を上がるとちょうど桜花《+サクラ》の盛《さか》りで、馬車の窓からはらはらはらはらま《”ま》るで吹雪のように降り込んで来ましてね、《:、》ホホホ、髷に花びらがとまってましたのを、もうおりるという時《とき》、気がついて伯母がとってくれましたッ《っ》け」  武男はテーブルに頬杖つき「一年ぐらいたつな早いもんだ。かれこれするとすぐ銀婚式になっちまうよ。ハハハハ、あの時浪《時/浪》さんの澄まし方といったらハ《/ハ》ッハハハ思い出してもおかしい、おかしい。どうしてああ澄まされるかな」 「でも、ホホホホ──あなたも若殿様できちんと澄ましていらッ《っ》したわ。ホホホホ《ホ:》手が震えて、杯《サカズキ》がどうしても持てなかったン《ん》ですもの」 「大分《だいぶ》おにぎやかでございますねエ」といくはにこにこ笑みつつ鉄瓶《/鉄瓶》を持ちて再び入《い》り来《き》つ。「|ばあ《バア》やもこんなに気分が清々いたしたことはありませんでございますよ。ごいっしょにこうしておりますと、昨年伊香保にいた時のような心地《+心持ち》がいたしますでございますよ」 「伊香保はうれしかったわ!」 「蕨狩《+蕨が》りはどうだい、たれかさんの御足《+おみ足》が大分《だいぶ》重かッ《っ》たっけ」 「でもあなたがあまりお急ぎなさるんですもの」と浪子はほほえむ。 「もうすぐ蕨の時候になるね。浪さん、早くよくなッ《っ》て、また蕨狩《+蕨と》りの競争しようじゃないか」 「ホホホ、それまでにはきっとなおりますよ」 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第四章】 【その4】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  明くる日は、昨夜の暴風雨《嵐》に引きかえて、不思議なほどの上天気。  帰京は午後と定めて、午前の暖かく風《/風》なき間を運動にと、武男は浪子と打ち連れて、別荘の裏口よりは《/は》らはら松の砂丘《+砂山》を過ぎ、浜に出《い》でたり。 「いいお天気、こんなになろうとは思いませんでしたねエ」 「実《じつ》にいい天気だ。伊豆が近く見えるじゃないか、話でもできそうだ」  二人はすでに乾ける砂を踏みて、今日の凪を地曳すと立ち騒ぐ漁師、貝拾《’貝’拾》う子らをあとにし、新月形《新月型》の浜《’浜》を次第に人少《人すく》なき方《ほう》に歩みつ。  浪子はふと思い出《い》でたるように「ねエ《え》あなた。あの──千々岩《千々石》さんはどうしてらッ《-っ》しゃるでしょう?」 「千々岩《千々石》? 実に不埒きわまるやつだ。あれから一度も会わン《ん》が。──なぜ聞くのかい?」  浪子は少し考え「イイエ、ね、おかしい事をいうようですが、昨夜千々岩《昨夜/千々石》さんの夢を見ましたの」 「千々岩《千々石》の夢?」 「|はあ《ハア》。千々岩《千々石》さんがお母さまと何か話をしていなさる夢を見ましたの」 「ハハハハ、気沢山《+キダクサン》だねエ、どんな話をしていたのかい」 「何かわからないのですけど、お母さまが何度もうなずいていらっしゃいましたわ。──お千鶴《+チズ》さんが、あの方《かた》と山木さんといっしょに連れ立っていなさるのを見かけたって話したから、こんな夢を見たのでしょうね。ねエ、あなた、千々岩《千々石》さんが我等宅《+ウチ》に出入りするようなことはありますまいね」 「そんな事はない、ないはずだ。母《+おっか》さんも千々岩《千々石》の事じゃ怒っていなさるからね」  浪子は思わず吐息をつきつ。 「本当に、こんな病気になってしまって、おかあさまもさぞいやに思っていらッ《っ》しゃいましょうねエ」  武男は|はた《ハタ》と胸を衝きぬ。病める妻には、それといわねど、浪子が病みて地を転《+替》えしより、武男は帰京するごとに母の機嫌の次第に悪しく、伝染の恐れあればなるべく逗子には遠ざかれとまで戒められ、《:、》さまざまの壁訴訟の果ては昂じて実家《+里》の悪口《悪くチ》となり、いささかなだめんとすれば妻《/妻》をかばいて親に抗する|たわ《戯》け者と|ののし《罵》らるることも、すでに一再に止まらざりけるなり。 「ハハハハ、浪さんもいろいろな心配をするね。そんな事があるものかい。精出して養生して、来春《+ライハル》はどうか暇を都合して、母《+おっか》さんと三人吉野《三人/吉野》の花見にでも行くさ──《─:》やア《あ》もうここまで来てしまッ《っ》た。疲れたろう。そろそろ帰らなくもいいかい」  二人は浜尽きて山起こる所に立てるなり。 「不動まで行きましょう、ね──イイエちっとも疲れはしませんの。西洋まででも行けるわ」 「いいかい、それじゃそのショールをおやりな。岩がすべるよ、さ、しっかりつかまって」  武男は浪子をたすけ引《-ひ》きて、山の根の岩を伝える一条の細逕《+サイケイ》を、しばしば立ちど《止》まりては憩いつつ、一丁あまり行きて、しゃらしゃら滝の下にいたりつ。滝の横手に小さき不動堂あり。松五六本《松’五’六本》、ひょろひょろと崖より秀でて、斜めに海をのぞけり。  武男は岩をはらい、ショールを敷きて浪子を憩わし、われも腰かけて、わが膝を抱きつ。「いい凪だね!」  海は実に凪げるなり。近午《キンゴ》の空は天心にいたるまで蒼々《青々》と晴れて雲なく、一碧の海は所々《+ショショ/》練れるように白く光りて、見渡す限り目に立つ襞だにもなし。海も山も春日《ハルヒ》を浴びて悠々として眠れるなり。 「あなた!」 「何?」 「なおりましょうか」 「エ?」 「わたくしの病気」 「何をいうのかい。なおらずにどうする。なおるよ、きっとなおるよ」  浪子は良人の肩に倚りつ、「でもひょっとしたらな《/な》おらずにしまいは《は-》せんかと、そう時々《ときどき》思いますの。実母《+母》もこの病気で亡くなりましたし──」 「浪さん、なぜ今日に限ってそんな事をいうのかい。|だいじょうぶ《大丈夫》なおる。なおると医師《+医者》もいうじゃア《あ》ないか。ねエ浪さん、そうじゃないか。そらア母《+おっか》さんはその病気で──か知らんが、浪さんはまだ二十《ハタチ》にもならんじゃないか。それに初期だから、どんな事があったってなおるよ。ごらんな、それ内《/うち》の親類の大河原、ね、あれは右の肺がなくなッ《っ》て、医者が匙をなげてから、まだ十五年も生きてるじゃないか。ぜひなおるという精神がありさえすりア《あ》きっとなおる。なおらんというのは浪さんが僕を愛せんからだ。愛するならきっとなおるはずだ。なおらずにこれをどうするかい」  武男は浪子の左手《+ユンデ》をとりて、わが唇に当てつ。手には結婚の前、武男が贈りしダイヤモンド入りの指環燦然《指環/燦然》として輝《-かがや》けり。  二人は|しば《暫》し黙《/もく》して語らず。江の島の方《ほう》より出《い》で来たりし白帆一つ、海面《+うなづら》をすべり行く。  浪子は涙に曇る目に微笑を帯びて「なおりますわ、きっとなおりますわ、──《─:》あああ、人間はなぜ死ぬのでしょう! 生きたいわ! 千年も万年も生きたいわ! 死ぬなら二人で! ねエ、二人で!」 「浪さんが亡くなれば、僕も生きちゃおらん!」 「本当? うれしい! ねエ、二人で!──でもおっ母《+かあ》さまがいらッ《っ》しゃるし、お職分《+努め》があるし、そう思っておいでなすッ《っ》ても自由にならないでしょう。その時はわたくしだけ先に行って待たなけりゃならないのですねエ──《─:》わたくしが死んだら時々は思い出してくださるの? エ? エ? あなた?」  武男は涙をふりはらいつつ、浪子の黒髪をかいなで《で:》「ああも《/も》うこんな話はよそうじゃないか。早く養生して、よくなッ《っ》て、ねエ浪さん、二人で長生きして、金婚式をしようじゃないか」  浪子は良人の手をひしと両手に握りしめ、身を投げかけて、熱き涙をはらはらと武男が膝に落としつつ「死んでも、わたしはあなたの妻ですわ! だれがどうしたッ《っ》て、病気したッ《っ》て、死んだッ《っ》て、未来の未来の後《+先》までわたしはあなたの妻ですわ!」 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第五章】 【その1】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  新橋停車場に浪子の病を聞きける時、千々岩《千々石》の唇に上りし微笑は、解《と》かんと欲して解き得ざりし難問の忽然《/忽然》としてその端緒を示せるに対して、まず揚がれる心の凱歌なりき。にくしと思う川島片岡両家の関鍵は実に浪子にありて、浪子のこの肺患は取りも直さず天特にわ《/わ》れ千々岩安彦《+千々石安彦》のために復讎《復讐》の機会を与《-あた》うるもの、病は伝染致命の大患、武男は多く家《’家》にあらず、《:、》姑媳《+姑息》の間に軽々《+ケイケイ》一片の言《+言葉》を放ち、一指を動かさずして破裂せしむるに何《/なん》の子細かあるべき。事成らば、われは直ちに飛びのきて、あとは彼らが互いに手を負い負わし生《/生》き死に苦しむ活劇を見るべきのみ。千々岩《千々石》は実にかく思いて、いささか不快の眉を開《-ひら》けるなり。  叔母の気質はよく知りつ。武男がわれに怒《-いか》りしほど、叔母はわれに怒《-いか》らざるもよく知りつ。叔母が常に武男を子供視して、むしろわれ──千々岩《千々石》の年《/年’》よりも世故に長けたる頭に依頼するの多きも、よく知りつ。そもそもまた親戚知己《親戚’知己》も多からず、人をしかり飛ばして内心には心細く覚《おぼ》ゆる叔母が、若夫婦にあきたらで味方《/味方》ほしく思うをもよく知りつ。さればいまだ一兵《イッペイ》を進めずしてそ《/そ》の作戦計画の必ず成効《成功》すべきを測りしなり。  胸中すでに成竹《セイチク》ある千々岩《千々石》は、さらに山木を語らいて、時々川島家《+時々川島ケ》に行きては、その模様を探らせ、かつは自己──千々岩《千々石》はいたく悔悛覚悟せる由をほのめかしつ。浪子の病すでに二月《ふた月》に及びては《/は》かばかしく治《+ち》せず、叔母の機嫌のいよいよ悪しきを聞きし四月の末、《:、》武男はあらず、執事の田崎《タザキ》も家用《カヨウ》を帯びて旅行せし|すき《隙》をうかがい、一夜千々岩《一夜/千々石》は不意に絶えて久しき川島家《+川島ケ》の門を入《-い》りぬ。あたかも叔母がひとり武男の書状を前に置きて、深く深《-ふか》く沈吟せるところに行きあわせつ。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第五章】 【その2】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。 「いや、一向捗《一向ハカ》がいきませんじゃ。金《かね》は使う、二月《ふた月》も三月《ミツキ》もた《経》ったてよ《-よ》うなるじゃなし、困ったものじゃて、のう安さん。──こういう時分にゃ頼もしか親類でもあって相談すっとこじゃが、武はあの通《とお》り子供──」 「そこでございますて、伯母様《+伯母さん》、実に小甥《+わたくし》もこうしてのこのこ上がられるわけじゃないのですが、──《─:》御恩になった故叔父様《+叔父さん》や叔母様《+叔母さん》に対しても、また武男君《武男くん》に対しても、このまま黙って見ていられないのです。実《ジツ》にいわば川島家《+川島ケ》の一大事ですからね、顔をぬぐってまいったわけで──《─:》いや、叔母様《+叔母さん》、この肺病という病《+ヤツ》ばかりは恐ろしいもんですね、叔母様《+叔母さん》もいくらもご存じでしょう、《:、》妻《+サイ》の病気が夫に伝染して|一家総だお《/一家’総ダオ》れになるはよくある例です、わたくしも武男君《武男くん》の上《ウエ》が心配でなりませんて、《:、》叔母様《+叔母さん》から少し御注意なさらんと大事になりますよ」 「そうじゃて。わたしもそいが恐ろしかで、逗子に行くな行くなて、武にいうんじゃがの、やっぱい聞かんで、見なさい──」  手紙をとりて示しつつ「医者がどうの、やれ看護婦がどうしたの、──《─:》ばかが、妻《+サイ》の事ばかい」  千々岩《千々石》はにやり笑《わら》いつ。「でも叔母様《+叔母さん》、それは無理ですよ、夫婦に仲のよすぎるということはないものです。病気であって見ると、武男君《武男くん》もいよいよこ《/こ》らそうあるべきじゃありませんか」 「それじゃてて、妻《+サイ》が病気すッ《っ》から親に不孝をすッ法はなかもんじゃ」  千々岩《千々石》は慨然として嘆息し「いや実に困った事ですな。せっかく武男君《武男くん》もいい細君ができて、叔母様《+叔母さん》もやっと御安心なさると、すぐこんな事になって──《─:》しかし川島家《+川島ケ》の存亡は実に今ですね──《─:》ところでお浪さんの実家《+里》からは何か挨拶がありましたでしょうな」 「挨拶、ふん、挨拶、あの横柄な継母《+カカ》が、ふんち《/ち》っとばかい土産を持っての、言い訳ばかいの挨拶じゃ。加藤の内から二三度《二’三度》、来《き》は来たがの──」  千々岩《千々石》は再び大息しつ。「こんな時にゃ実家《+/里》からちと気をきかすものですが、病人の娘を押し付けて、よくいられるですね。しかし利己主義が本尊の世の中ですからね、叔母様《+叔母さん》」 「そうとも」 「それはいいですが、心配なのは武男君《武男くん》の健康です。もしもの事《’事》があったらそれこそ川島家《+川島ケ》は破滅です、──《─:》そういううちにもいつ伝染しないとも限りませんよ。それだって、夫婦というと、まさか叔母様《+叔母さん》が籬《+カキ》をお結いなさるわけにも行きませんし──」 「そうじゃ」 「でも、このままになすっちゃ川島家《+川島ケ》の大事になりますし」 「そうとも」 「子供の言うようにするばかりが親の職分《努め》じゃなし、時々は子を泣かすが慈悲になることもありますし、それに若い者はいったん、思い込んだようでも少したつと案外気の変わるものですからね」 「そうじゃ」 「少しぐらいのかあいそうや気の毒は家の大事には換えられませんからね」 「おおそうじゃ」 「それに万一、子供でもできなさると、それこそ到底──」 「いや、そこじゃ」  膝乗り出して、がっくりと一つうなずける叔母の|ようす《様子》を見るより、千々岩《千々石》は心の膝をうちて、翻然として話を転じつ。彼はその注ぎ込みし薬の見《/見》る見る回るを認めしのみならず、叔母の心田《シンデン》もとすでに一種子《イチ種子》の落ちたるありて、いまだ左右《+トコウ》の顧慮におおわれいるも、《:、》その土《+ド》を破りて芽ぐみ長《/長》じ花さき実るにいたるはた《/た》だ時日の問題にして、その時日も勢いはなはだ長からざる《-る》べきを悟りしなりき。  その真質《シンシツ》において悪人ならぬ武男が母は、浪子を愛せぬまでも|にく《憎》めるにはあらざりき。浪子が家風、教育の異なるにかかわらず、なるべくおのれを棄《捨》てて姑に調和せんとするをば、さすがに母も知り、《:、》あまつさえそのある点において趣味をわれと同《おな》じゅうせるを感じて、口にしかれど心にはわ《/わ》が花嫁のころはとてもあれほどに届かざりしとひ《/ひ》そかに思えることもありき。さりながら浪子がほとんど一月《-ひと月》にわたるぶらぶら病のあと、いよいよ肺結核の忌まわしき名をつけられて、眼前《目先》に喀血の恐ろしきを見るに及び、《:、》なおその病《病い》の少なからぬ費用をかけ時日《/時日》を費やしてはかばかしき快復を見ざるを見るに及び、失望といわんか嫌厭《/嫌厭》と名づけんか自《/自》ら分つあたわざるあ《/あ》る一念の心底《シンテイ》に生え出《い》でたるを覚えつ。彼を思い出《-い》で、これを思いやりつつ、一種不快なる感情の胸中に醞醸《+ウンジョウ》するに従って、武男が母は上うちおおいたる顧慮の一塊一塊《イッカイイッカイ’》融け去りてか《/か》の一念の驚くべき勢いもて日々長《日々’長》じ来たるを覚えしなり。  千々岩《千々石》は分明《+ブンミョウ》に叔母が心の逕路《経路》をたどりて、これよりおりおり足を運びては、たださりげなく微雨軽風《ビウ軽風》の両三点を放って、その顧慮をゆるめ、その萌芽をつちかいつつ、局面の近くに発展せん時を待ちぬ。そのおりおり武男の留守をうかがいて川島家《+川島ケ》に往来することのお《/お》ぼろにほかに漏れしころは、千々岩《千々石》はすでにその所作の大要をおえて、早くも舞台より足を抜きつつ、《:、》かの山木に向かい近《/近》きに起こるべき活劇の予告《+前触れ》をなして、あらかじめ祝杯をあげけるなり。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第六章】 【その1】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  五月初旬《+五月初め》、武男はその乗り組める艦《+船》のま《”ま》さに呉《+クレ》より佐世保におもむき、それより函館付近に行《-おこ》なわるべき連合艦隊の演習に列せんため引《/引》き|かえ《返》して北航《ホッコウ》するはずなれば、《:、》かれこれ四五十日がほどは帰省《/帰省》の機会《+折り》を得ざるべく、しばしの告別《+イトマ》かたがた、一夜《+あるよ》帰京して母の機嫌を伺いたり。  近ごろはとかく奥歯に物のはさまりしように、いつ帰りても機嫌よからぬ母の、今夜《+今宵》は珍しく|にこにこ《ニコニコ》顔を見せて、風呂を焚かせ、武男が好物の薩摩汁《+薩摩ジル》など自ら手をおろさぬばかり肝《/肝》いりてすすめつ。元来あまり細かき事には気をとめぬ武男も、|ようす《様子》のいつになくあらたまれるを不思議──とは思いしが、何歳《幾つ》になっても|かあい《可愛》がられてうれしからぬ子はなきに、《:、》父に別れてよりひ《-ひ》としお母《ハハ》なつかしき武男、母の機嫌の直《なお》れるに心うれしく、快く夜食の箸をとりしあとは、湯に入《い》りてはらはら降り出せし雨の音を聞きつつ、《:、》この上の欲には浪子が早く全快してこ《/こ》こにわが帰りを待っているようにならばなど今日立《/今日’立》ち寄りて来《こ》し逗子《’逗子》の様子思い浮かべながら、《:、》陶然とよき心地になりて浴《/浴》を出《-い》で、使女《+女》が被《+羽織》る平生服《+普段着》を無造作に引きかけて、葉巻握りし右手《+メテ》の甲に額をこすりながら、母が八畳の居間に入《い》り来《き》たりぬ。  小間使いに肩揉《+肩ひね》らして、羅宇の長き煙管にて国分《”国分》をくゆらしいたる母は目をあげ「《:「》おお早上《早’上》がって来たな。ホホホホホ、おとっさまがちょうどそうじゃったが──《─:》そ、その座ぶとんにすわッ《っ》がいい。──松、和女郎《+お前》はもうよかで、茶を入れて来なさい」と自ら立って茶棚より菓子鉢《カシバチ》を取り出《い》でつ。 「まるでお客様ですな」  武男は葉巻を一吸《ひと吸》い吸いて碧《/碧》き煙《+ケブリ》を吹きつつ、うちほほえむ。 「武《タケ》どん、よう帰ったもった。──実はその、ちっと相談もあるし、是非《+ゼッヒ》帰ってもらおうと思ってた所じゃった。まあ帰ってくれたで、いい都合ッごあした。逗子──寄って来つろの?」  逗子はしげく往来するを母のきらうはよく知れど、まさかに見え透いたる|うそ《嘘》も言いかねて、 「はあ、ちょっと寄って来ました。──大分《だいぶ》血色も直りかけたようです。母《+おっか》さんに済まないッ《っ》て、ひどく心配していましたッ《っ》け」 「そうかい」  母はしげしげ武男の顔をみつめつ。  おりから小間使いの茶道具を持て来《こ》しを母は引き取り、 「松、御身《+お前》はあっち行《い》っていなさい。そ、その襖をちゃんとしめて──」 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第六章】 【その2】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  手ずから茶《’茶》をくみて武男にすすめ、われも飲みて、やおら煙管をとりあげつ。母はおもむろに口を開きぬ。 「なあ武《タケ》どん、わたしももう大分弱《だいぶ弱》いましたよ。去年のリュウマチでがっつり弱い申した。昨日お墓まいりしたばかいで、まだ肩腰が痛んでな。年《とし》が寄ると何かと心細うなッ《っ》て困《-こま》いますよ──武《:タケ》どん、卿《+お前/》からだを大事にしての、病気をせん様《+ごと》してくれんとないませんぞ」  葉巻の灰をほとほと火鉢の縁《フチ》にはたきつつ、武男はでっぷりと肥えたれどさ《/さ》すがに争われぬ年波の寄る母の額を仰ぎ「《:「》私は始終《-しじゅう》外にいますし、何もかも母《+おっか》さんが総理大臣ですからな──浪でも達者ですといいですが。あれも早くよくなって母《+おっか》さんのお肩を休めたいッ《っ》てそういつも言ってます」 「さあ、そう思っとるじゃろうが、病気が病気でな」 「でも、大分快方《+だいぶいいほう》になりましたよ。だんだん暖かくはなるし、とにかく若い者ですからな」 「さあ、病気が病気じゃから、よく行けばええがの、武《タケ》どん──《─:》医師《+お医者》の話じゃったが、浪どんの母御《+カサマ》も、やっぱい肺病で亡くなッ《っ》てじゃないかの?」 「はあ、そんなことをいッ《っ》てましたがね、しかし──」 「この病気は親から子に伝わッ《っ》てじゃないかい?」 「はあ、そんな事を言いますが、しかし浪のは全く感冒《+風邪》から引き起こしたン《ん》ですからね。なあに、母《+おっか》さん用心次第《/用心次第》です、伝染の、遺伝のいうですが、実際そういうほどでもないですよ。現に浪のおとっさんもあんな健康《+丈夫》な方ですし、浪の妹──|はあ《ハア/》あのお駒さんです──あれも肺のは《ハ》の字もないくらいです。人間は医師《+医者》のいうほど弱いものじゃありません、ハハハハハ」 「いいえ、笑い事じゃあいません」と母はほとほと煙管をはたきながら 「病気のなかでもこの病気ばかいは恐ろしいもン《ん》でな、武《タケ》どん。卿《+お前》も知っとるはずじゃが、あの知事の東郷、な、卿《+お前》がよくけんかをしたあの児《子》の母御《+カサマ》な、どうかい、あの母《+人》が肺病で死んでの、一昨年の四月じゃったが、その年の暮れに、どうかい、《:、》東郷さんもやっぱい肺病で死んで、ええかい、それからあの息子さん──どこかの技師をしとったそうじゃがの──もやっぱい肺病でこのあいだ亡くなッ《っ》た、な。みいな母御《+カサマ》のがうつッ《っ》たのじゃ。まだこんな話が幾つもあいます。そいでわたしはの、武《タケ》どん、この病気ばかいは油断がならん、油断をすれば大事《オオゴト》じゃと思うッ《っ》がの」  母は煙管をさしおきて、少し膝をすすめ、黙《もく》して聞きおれる武男の横顔をのぞきつつ 「実はの、わたしもこの間から相談したいしたい思っ居い申したが──」  少し言いよどんで、武男の顔しげしげとみつめ、 「浪じゃがの──」 「|はあ《ハア》?」  武男は顔をあげたり。 「浪を──引き取ってもろちゃどうじゃろの?」 「引き取る? どう引き取るのですか」  母は武男の顔より目をはなさず、「実家《+里》によ」 「実家《+里》に? 実家《+里》で養生さすのですか」 「養生もしようがの、とにかく引き取って──」 「養生には逗子がいいですよ。実家《+里》では子供もいますし、実家《+里》で養生さすくらいなら此家《-ここ》の方《ほう》がよっぽどましですからね」  冷たくなりし茶をすすりつつ、母は少し震い声《ごえ》に「武《タケ》どん、卿《+お前’》酔っちゃいまいの、わかんふりするのかい?」じっとわが子の顔みつめ「わたしがいうのはな《ナ》、浪を──実家《+里》に戻すのじゃ」 「戻す? ‥‥戻す? ──離縁ですな‼《!》」 「こーれ、声が高《-たか》かじゃなッ《っ》か、武《タケ》どん。」うちふるう武男をじっと見て 「離縁《+ジエン》、そうじゃ、まあ離縁《+ジエン》よ」 「離縁! 離縁‼《!》──なぜですか」 「なぜ? さっきからいう通《とお》り、病気が病気じゃからの」 「肺病だから‥‥離縁するとおっしゃるのですな? 浪を離縁すると?」 「そうよ、かあいそうじゃがの──」 「離縁媳《+離縁嫁》」  武男の手よりすべり落ちたる葉巻は火鉢《/火鉢》に落ちておびただしくうち煙りぬ。一燈じじと燃えて、夜の雨はらはらと窓をうつ。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第六章】 【その3】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  母はしきりに烟《+ケブ》る葉巻を灰に葬《ほうむ》りつつ、少し乗り出して 「なあ、武《タケ》どん、あんまいふいじゃから卿《+お前》もびっくいするなもっともっごあすがの、わたしはもうこれまで幾夜《+幾晩》も幾晩も考えた上の話じゃ、そんつもいで聞いてたもらんといけませんぞ。  そらア《あ》もう浪にはわたしも別にこいという不足はなし、卿《+お前》も気に入っとっこっじゃから、何もこちの好きで離縁《+/ジエン》のし申《+も》すじゃごあはんがの、何を言うても病気が病気──」 「病気は快方《+いいほう》に向いてるです。」武男は口早に言いて、きっと母親の顔を仰ぎたり。 「まあわたしの言うことを聞きなさい。──それは目下《+いま》の所じゃわるくないかもしらんがの、わたしは|よウく《ヨウク》医師《+お医者》から聞いたが、この病気ばかいは一時よかってもまたわるくなる、暑さ寒さですぐまた起こるもんじゃ、《:、》肺結核でようなッ《っ》た人はまあ一人もない、お医者がそう言い申すじゃての。よし浪が今《-いま》死なんにしたとこが、そのうちまたきっとわるくなッ《っ》はう《請》けあ《合》いじゃ。そのうちにはきっと卿《+お前》に伝染すッ《っ》なこらう《請》けあ《合》いじゃ、なあ武《タケ》どん。卿《+お前》にうつる、子供が出来《+でく》る、子供にうつる、浪ばかいじゃない、大事な主人の卿《+お前》も、の、大事な家嫡《+跡取り》の子供も、肺病持ちなッ《っ》て、死んでしもうて見なさい、川島家《+川島ケ》はつぶれじゃなッ《っ》かい。ええかい、卿《+お前》がおとっさまの丹精で、せっかくこれまでになッ《っ》て、天子様からお直々に取り立ててくださったこの川島家《+川島ケ》も卿《+/お前》の代《ダイ》でつぶれッ《っ》しまいますぞ。──そいは、も、浪もかあいそう、卿《+お前》もなかなかきつか、わたしも親でおってこういう事言い出すなおもしろくない、《:、》つらいがの、何をいうても病気が病気じゃ、浪がかあいそうじゃて主人《/主人》の卿《+お前》にゃ代えられン、川島家《+川島ケ》にも代えられン。よウ《う》く分別のして、ここは一つ思い切ってたもらんとないませんぞ」  黙然《+黙念》と聞きいる武男が心には、今日見舞い来《こ》し病妻の顔ありありと浮《-う》かみつ。 「母《+おっか》さん、私はそんな事はできないです」 「なっぜ?」母はやや声高になりぬ。 「母《+おっか》さん、今そんな事をしたら、浪は死にます!」 「そいは死ぬかもしれン、じゃが、武《タケ》どん、わたしは卿《+お前》の命が惜しい、川島家《+川島ケ》が惜しいのじゃ!」 「母《+おっか》さん、そうわたしを大事になさるなら、どうかわたしの心をく《汲》んでください。こんな事を言うのは異なようですが、実際わたしにはそんな事はどうしてもできないです。まだ慣れないものですから、それはいろいろ届かぬ所はあるですが、しかし母《+おっか》さんを大事にして、私にもよくしてくれる、《:、》実に罪も何もないあれを病気したからッ《っ》て離別するなんぞ、どうしても私はできないです。肺病だッ《っ》て|なお《治》らん事はありますまい、現に|なお《治》りかけとるです。もしまた|なお《治》らずに、どうしても死ぬなら、母《+おっか》さん、どうか私の妻《+サイ》で死なしてください。病気が危険なら往来も絶つです、用心もするです。それは母《+-おっか》さんの御安心なさるようにするです。でも離別だけはどうあッ《っ》ても私はできないです!」 「へへへへ、武男、卿《+お前》は浪の事ばッ《っ》かいいうがの、自分は死んでもかまわン《ん》か、川島家《+川島ケ》はつぶしてもええかい?」 「母《+おっか》さんはわたしのからだばッ《っ》かりおっしゃるが、そんな不人情な不義理な事して長生きしたッ《っ》てどうしますか。人情にそむいて、義理を欠いて、決して家《イエ》のためにいい事はありません。決して川島家《+川島ケ》の名誉でも光栄でもないです。どうでも離別はできません、断じてできないです」  難関あるべしとは期しながら思《/思》いしよりも|はげ《激》しき抵抗に出会いし母は、例の癇癖のむらむらと胸先にこみあげて、額《ヒタイ》のあたり筋立《スジだ》ち、こめかみ顫《+動》き、煙管持つ手《’手》のわなわなと震わるるを、ようよう押ししずめて、わずかに笑《笑み》を装いつ。 「そ、そうせき込まんでも、まあ静かに考えて見なさい。卿《+お前》はまだ年《トシ》が若《-わか》かで、世間《+世の中》を知ン《ん》なさらン《ん》がの、よくいうわ、それ、小《ショウ》の虫を殺しても大の虫は助《たす》けろじゃ。なあ。浪は小《ショウ》の虫、卿《+お前》──川島家《+川島ケ》は大の虫じゃ、の。それは先方《+向こう》も気の毒、浪もかあいそうなよなものじゃが、病気すっがわるかじゃなッ《っ》か。何と思われたて、川島家《+川島ケ》が断絶するよかまだええじゃなッ《っ》か、なあ。それに不義理の不人情の言いなはるが、こんな例《+こと》は世間に幾らもあります。家風に合わン《ん》と離縁《+ジエン》する、子供がなかと離縁《+ジエン》する、悪い病気があっと離縁《+ジエン》する。これが世間の法、なあ武《タケ》どん。何《なん》の不義理な事も不人情な事もないもんじゃ。全体《+一体》こんな病気のした時《とき》ゃの、嫁の実家《+里》から引き取ってええはずじゃ。先方《+向こう》からいわン《ん》からこつ《っ》ちで言い出すが、何《なん》のわるか事恥《事/恥》ずかしか事があッ《っ》もン《ん》か」 「母《+おっか》さんは世間世間《世間/世間》とおっしゃるが、何も世間が悪い事をするから自分も悪い事をしていいという法はありません。病気すると離別するなんか昔の事です。もしまたそれが今の世間の法なら、今の世間は打ちこわしていい、打ちこわさなけりゃならんです。母《+おっか》さんはこっちの事ばっかりおっしゃるが、片岡の家だッ《っ》てせっかく嫁にやった者が病気になったからッ《っ》て戻されていい気持ちがしますか。浪だってどの顔さげて帰られますか。ひょっとこれがさかさまで、わたしが肺病で、浪の実家《+里》から肺病は険呑《+剣呑》だからッ《っ》て浪を取り戻したら、母《+おっか》さんい《/い》い心地《+心持ち》がしますか。同じ事です」 「いいえ、そいは違う。男と女とはまた違うじゃなッ《っ》か」 「同じ事です。情理からいって、同じ事です。わたしからそんな事をいっちゃおかしいようですが、浪もやっと喀血がとまって少し快方《+いいほう》に向いたかという時じゃありませんか、《:、》今そんな事をするのは実に血を吐《ハ》かすようなものです。浪は死んでしまいます。きっと死ぬです。他人だッ《っ》てそんな事はできン《ん》です、母《+おっか》さんはわたしに浪を殺せ‥‥とおっしゃるのですか」  武男は思わず熱《/熱》き涙をはらはらと畳に落としつ。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第六章】 【その4】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  母は《は-》つと立ち上がって、仏壇より一つの位牌を取りおろし、座に帰って、武男の眼前《+目先》に押しすえつ。 「武男、卿《+お前》はな《ナ》、女親じゃからッ《っ》てわたしを何とも思わんな。さ、おとっさまの前で今《+ま》一度言って見なさい、さ言って見なさい。御先祖《ご先祖》代々のお位牌も見ておいでじゃ。さ、今《+ま》一度言って見なさい、不孝者めが‼《!》」  きっと武男をにらみて、続けざまに煙管もて火鉢の縁《フチ》打ちたたきぬ。  さすがに武男も少し気色ばみて「なぜ不孝です?」 「なぜ? なぜもあッ《っ》もン《ん》か。妻《+サイ》の肩ばッ《っ》かい持って親のいう事は聞かんやつ、不孝者じゃなッ《っ》か。親が育てたからだを粗略《+粗末》にして、御先祖《ご先祖》代々の家をつぶすやつは不孝者じゃなッ《っ》か。不孝者、武男、卿《+お前》は不孝者、大不孝者《ダイ不孝者》じゃと」 「しかし人情──」 「まだ義理人情をいうッ《っ》か。卿《+お前》は親よか妻《+サイ》が大事なッ《っ》か。たわけめが。何いうと、妻《+サイ》、妻《+サイ》、妻《+サイ》ばかいいう、親をどうすッ《っ》か。何をしても浪ばッ《っ》かいいう。不孝者めが。勘当すッ《っ》ど」  武男は唇をかみて熱涙を絞りつつ「母《+おっか》さん、それはあんまりです」 「何があんまいだ」 「私は決してそんな粗略《+粗末》な心は決して持っちゃいないです。母《+おっか》さんにその心が届きませんか」 「そいならわたしがいう事をなぜきかぬ? エ? なぜ浪を離縁《+ジエン》せンッか」 「しかしそれは」 「しかしもねもン《ん》じゃ。さ、武男、妻《+サイ》が大事か、親が大事か。エ? 家が大事? 浪が──? ──エエばかめ」 「はっしと火鉢をうちたる勢いに、煙管の羅宇はぽっきと折れ、雁首は空《クウ》を飛んではたと襖を破りぬ。途端に「は《ハ》ッ」と襖のあなたに片唾《+固唾》をのむ人の気はいせしが、やがて震い声《ごえ》に「御免──遊ばせ」 「だれ? ──何《なん》じゃ?」 「あの! 電報が‥‥」  襖開き、武男が電報をとりて見、小間使いが女主人の一睨《+イチゲイ》に会いて半ば消え入りつつそこそこに去りしまで、わずか二分ばかりの間《あいだ》──ながら、この瞬間に二人が間《あいだ》の熱《ネツ》やや下りて、しばらくは母子《+親子》ともに黙然《+黙念》と相対しつ。雨はまたひ《/ひ》としきり滝《’滝》のように降り|そそ《注》ぐ。  母《ハハ》はようやく口《’口》を開きぬ。目にはまだ怒りのひらめけども、語はどこやらに湿りを帯びたり。 「なあ、武《タケ》どん。わたしがこういうも、何も卿《+お前》のためわるかごとすっじゃなかからの。わたしにゃたッ《っ》た一人の卿《+お前》じゃ。卿《+お前》に出世をさせて、丈夫な孫抱《+孫-で》えて見たかばかいがわたしの楽しみじゃからの」  黙然《+黙念》と考え入りし武男はわずかに頭を上《-あ》げつ。 「母《+おっか》さん、とにかく私も。」電報を示しつつ「この通り出発が急になッ《っ》て、明日はおそくも帰艦せにゃならんです。一月《ひと月》ぐらいすると帰って来ます。それまではどうかだれにも今夜の話は黙っていてください。どんな事があっても、私が帰って来《く》るまでは、待っていてください」 ◇。◇。◇。◇。◇。  あくる日武男《日’武男》はさらに母の保証をとり、さらに主治医を訪《おとな》いて、ねんごろに浪子の上を託し、午後の汽車にて逗子におりつ。  汽車を下《下り》れば、日落《日’落》ちて五日の月薄紫《月/薄紫》の空にかかりぬ。野川《ノカワ》の橋を渡りて、一路の沙《+砂》はほのぐらき松の林に入《-い》りつ。林をうがちて、桔槹《+ハネツルベ》の黒く夕空にそびゆるを望める時《とき》、思いがけなき爪音聞《爪音’聞》こゆ。「ああ琴をひいている‥‥。」と思えば心の臓をむしらるる心地《ココチ》して、武男は|しば《暫》し門外に涙《+ナンダ》をぬぐいぬ。今日は常よりも快《ココロよ》かりしとて、浪子は良人を待ちがてに絶《/絶》えて久しき琴取《琴’取》り出でて奏でしなりき。  顔色の常ならぬをいぶかられて、武男はただ夜ふかししゆえとのみ言い紛らしつ。約あれば待ちて居《い》し晩餐の卓《+机》に、浪子は良人と対《+向か》いしが、二人ともに食すすまず。浪子は心細さをさびしき笑《笑み》に紛らして、手ずから良人のコートのボタンゆるめるをつけ直し、ブラシもて丁寧にはらいなどするうちに、終列車の時刻迫れば、今はやむなく立ち上がる武男の手にすがりて 「あなた、もういらッ《っ》しゃるの?」 「すぐ帰ってくる。浪さんも注意して、よくなッ《っ》ていなさい」  互いにしっかと手を握りつ。玄関に出《-い》づれば、姥のいくは靴を直し、僕《しもべ》の茂平は停車場《+ステーション》まで送るとて手|かばん《鞄》を左手《+ユンデ》に、月はあれど提燈《+/提灯》ともして待ちたり。 「それじゃ|ばあ《バア》や、奥様を頼んだぞ。──浪さん、行って来るよ」 「早く帰ってちょうだいな」  うなずきて、武男は僕《-しもべ》が照らせる提燈《+提灯》の光を踏みつつ門《/門》を出でて十数歩《十スウホ》、《:、》ふりかえり見れば、浪子は白き肩掛けを打ちきて、いくと門にたたずみ、ハンケチを打ちふりつつ「《:「》あなた、早く帰ってちょうだいな」 「すぐ帰って来る。──浪さん、夜気にうたれるといかん、早くはいン《ん》なさい!」  されど、二度三度ふりかえりし時は、白き姿の朦朧として見えたりしが、やがて路《道》はめぐりてそ《/そ》の姿も見えずなりぬ。ただ三《-み》たび 「早く帰ってちょうだいな」  という声のあとを慕《しと》うてむせび来るのみ。顧みれば片破月《片割月》の影冷《影/冷》ややかに松にかかれり。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第七章】 【その1】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。 「お帰り」の前触れ勇ましく、先刻玄関先《先刻’玄関先》に|二人びき《+ニニンビキ》をおりし山木は、早湯《早’湯》に入《い》りて、早咲きの花菖蒲の活けられし床《トコ》を後ろに、《:、》ふうわりとした座ぶとんにあぐらをかきて、さあこれからがようようこっちのからだになりしという風情。欲には酌人《酌にん》がち《-ち》と無意気《+ブ意気》と|思い貌《+オモイガオ》に、しかし愉快らしく、妻《+サイ》のお《-お》隅の顔じろりと見て、まず三四杯傾《+3’4杯カタブ》くるところに、婢《+女》が持て来《こ》し新聞の号外ランプの光にてらし見つ。 「うう朝鮮《/朝鮮》か‥‥東学党ますます猖獗‥‥なに清国《+シンコク》が出兵したと‥‥。さあ大分《だいぶ》おもしろくなッ《っ》て来たぞ。これで我邦《+こっち》も出兵する──戦争《+-いくさ》になる──さあもうかるぜ。お隅、前祝いだ、卿《+お前》も一つ飲め」 「あんた、ほんまに戦争《+-いくさ》になりますやろか」 「なるとも。愉快、愉快、実に愉快。──愉快といや、なあお隅、今日ちょっと千々岩《+千々石》に会ったがの、例の一条も大分捗《ダイブ-ハカ》が行きそうだて」 「まあ、そうかいな。若旦那が納得しやはったのかいな」 「なあに、武男さんはまだ帰って来ないから、相談も納得もありゃしないが、お浪さんがまた血を喀いたン《ん》だ。ところで御隠居ももうだめだ、武男が帰らんうちに断行するといっているそうだ。も一度千々岩《う一度’千々石》につッ《っ》ついてもらえば、大丈夫できる。武男さんが帰りゃなかなか断行もむずかしいからね、そこで帰らんうちにすっかり処置《+カタ》をつけてしまおうと御隠居も思っとるのだて。もうそうなりゃア《あ》こっちのものだ。──さ、御台所、お酌だ」 「お浪はんもかあいそうやな」 「お前もよっぽど変ちきな女だ。お豊がかあいそうだからお浪さんを退《-ひ》いてもらおうというかと思えば、もうできそうになると今度《コンダ》アお浪さんがかあいそう! そんなばかな事は中止《+ヨシ》として、今度はお豊を後釜に据える計略《+フンベツ》が肝心だ」 「でもあんた、留守にお浪はんを離縁して、武男はん──若旦那が承知しなはろまいがな、なああんた──」 「さあ、武男さんが帰ったら怒るだろうが、離縁してしまッ《っ》て置けば、帰って来てどう怒ってもしようがない。それに武男さんは親孝行《+親思い》だから、御隠居が泣いて見せなさりア、まあ泣き寝入りだな。そっちはそれでよいとして、さて肝心要のお豊姫《豊’姫》の一条だが、とにかく武男さんの火の手が少ししずまってから、食糧つきの行儀見習いとでもいう口実《+押し出し》で、無理に押しかけるだな。なあに、むずかしいようでもやすいものさ。御隠居の機嫌さえとりアできるこった。お豊がいよいよ川島男爵夫人になりア、彼女《+あれ》は恋がかなうというものだし、おれはさしより舅役で、武男さんはあんな坊ちゃんだから、川島家《+川島ケ》の財産はまずおれが扱って《て-》やらなけりゃならん。すこぶる妙──いや妙な役を受け持って、迷惑じゃが、それはまあ仕方がないとして、さてお豊だがな」 「あんた、もう御飯《+オマンマ》になはれな」 「まあいいさ。取るとやるの前祝いだ。──ところでお豊だがの、卿《+お前》もっと躾をせんと困るぜ。あの通《とお》り毎日駄々《毎日’駄々》をこねてばかりいちゃ、先方《+アッチ》行ってからが実際思われるぞ。観音様が姑だッ《っ》て、ああじゃ愛想をつかすぜ」 「それじゃてて、あんた、躾はわたしばかいじゃでけまへんがな。いつでもあんたは──」 「おっとその言い訳が拙者大きらいでござるて。ハハハハハハ。論より証拠、おれが躾をして見せる。さ、お豊をここに呼びなさい」 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第七章】 【その2】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。 「お嬢様、お奥でちょいといらッ《っ》しゃいましッ《っ》て」  と小間使いの竹が襖を明けて呼ぶ声に、今しも夕化粧《夕ゲショウ》を終えてまだ鏡の前を立ち去り兼ねしお豊は、悠々とふりかえり 「あいよ。今《いま》行くよ。──ねエ竹や、ここン《ん》とこが」  と鬢をかいなでつつ「ちっとそそけちゃいないこと?」 「いいえ、ちっともそそけてはいませんよ。オホホホホ。お化粧《+造り》がよくできましたこと! ホホホホッ。ほれぼれいたしますよ」 「いやだよ、お世辞なんぞいッ《っ》てさ。」言いながらまた鏡をのぞいてにこりと笑う。  竹は口打ち|おお《覆》いし袂をとりて、片唾《+固唾》を飲みつつ、 「お嬢様、お待ち兼ねでございますよ」 「いいよ、今《いま》行くよ」  ようやく思い切りし体《テイ》にて鏡《/鏡》の前を離れつつ、|ちょこちょこ走《チョコチョコバシ》りに幾間か通りて、父の居間に入《-い》り行きたり。 「おお、お豊《トヨ》か。待っていた。ここへ来な来な。さ母《+/おっか》さんに代わって酌でもしなさい。おっと乱暴な銚子の置き方をするぜ。茶の湯生け花のけいこまでした令嬢にゃ似合わン《ん》ぞ。そうだそうだそ《/そ》う山形に置くものだ」  はや陶然《/陶然》と色づきし山木は、妻《+サイ》の留《と》むるをさらに幾杯か重ねつつ「なあお隅、お豊がこう化粧《+お造り》した所は随分別嬪だな。色は白し──姿《+成り》はよ《-よ》し。内《うち》じゃそうもないが、外に出りゃちょいとお世辞もよし。惜しい事には母《+-おっか》さんに肖《+似》て少し反歯《+反っ歯》だが──」 「あんた!」 「目じりをもう三分上《三ぶ上》げると女っぷりが上がるがな──」 「あんた!」 「こら、お豊何をふくれるのだ? ふくれると嬢《+娘》っぷりが下がるぞ。何もそう不景気な顔をせんでもいい、なあお豊。卿《+お前》がうれしがる話があるのだ。さあ話賃に一杯注《一杯つ》げ注《つ》げ」  なみなみと注がせし猪口を一息にあおりつつ、 「なあお豊、今も母《+おっか》さんと話したことだが、卿《+お前》も知っとるが、武男さんの事だがの──」  むなしき槽櫪の間に不平臥《+ふて寝》したる馬《/馬》の春草の香しきを聞けるごとく、お豊はふっと頭をもたげて両耳を引っ立てつ。 「卿《+お前》が写真を引っかいたりしたもんだからとうとう浪子さんも祟られて──」 「あんた!」お隅夫人は三《-み》たび眉をひそめつ。 「これから本題に入るのだ。とにかく浪子さんが病気《+塩梅》が悪い、というン《ん》で、まあ離縁になるのだ。いいや、まだ先方に談判は《は-》せん、浪子さんも知らんそうじゃが、とにかく近いうちにそうなりそうなのだ。ところでそっちの処置《+カタ》がついたら、そろそろ後釜の売りつけ──いやここだて、おれも母《+おっか》さんも卿《+お前》をな、まあお浪さんのあとに入れたいと思っているのだ。いや、そうすぐ──というわけにも行くまいから、まあ卿《+お前》を小間使い、これさ、そうびっくりせんでもいいわ、まあ候補生のつもりで、行儀見習いという名義で、川島家《+アシコ》に入り込《こ》ますのだ。──御隠居に頼んで、ない《/い》いかい、ここだて──」  一息つきて、山木は妻《+サイ》と娘の顔をかれよりこれと見やりつ。 「ここだて、なお《/お》豊。少し早いようだが──いって聞かして置く事があるがの。卿《+お前》も知っとる通《とお》り、あの武男さんの母《+おっか》さん──御隠居は、評判の癇癪持ちの、わがまま者《もの》の、頑固の──おっと卿《+/お前》が母《+おっか》さんを悪口《+アッコウ》しちゃ済《す》まんがの──《─:》とにかくここにすわっておいでのこの母《+おっか》さんのように──やさしくない人だて。しかし鬼でもない、蛇でもない、やっぱり人間じゃ。その呼吸さえ飲み込むと、鬼の媳《+嫁》でも蛇《ヘビ》の女房にでもなれるものじゃ。なあに、あの隠居ぐらい、おれが女なら二日もそばへいりゃ豆腐のようにして見せる。──と自慢した所で、仕方ないが、実際あんな老人《+年寄り》でも扱いようじゃ何でもないて。ところで、いいかい、お豊、卿《+お前》がいよいよ先方へ、まあ小間使い兼細君候補生《ケン/細君候補生》として入り込む時《とき》になると、第一今のようになまけていちゃならん、《:、》朝も早く起きて──老人《+年寄り》は目が早くさめるものじゃ──《─:》ほかの事はどうでもいいとして、御隠居の用をよく達《+-た》すのだ。いいかい。第二には《は-》だ、今のように何《なん》といえばすぐふくれるようじゃいけない、何でもかでも負けるのだ。いいかい。しかられても負ける、無理をいわれても負ける、こっちがよけりゃなお負ける、な。そうすると先方《+向こう》で折れて来る、な、ここがよくいう負けて勝つのだ。決して腹を立っちゃいかん、よしか。それから第三には《は-》だ、──これは少し早過ぎるが、ついでだからいっとくがの、無事に婚礼が済んだッ《っ》て、いいかい、決して武男さんと仲がよすぎちゃいけない。何さ、内々《ナイナイ》はどうでもいいが、表面《+表向き》の所をよく注意しなけりゃいけんぜ。姑御にはなれなれしくさ、なるたけ近くして、婿殿にゃ姑の前で毒にならんくらいの小悪口《悪くチ》もつくくらいでなけりゃならぬ。おかしいもン《ん》で、わが子の妻《+サイ》だから夫婦仲がいいとうれしがりそうなもんじゃが、実際あ《/あ》まりいいと姑の方《ほう》ではおもしろく思わぬ。まあ一種の嫉妬──わがままだな。でなくも、あまり夫婦仲がいいと、自然姑の方《ほう》が疎略になる──と、まあ姑の方《ほう》では思うだな。浪子さんも一つはそこでやりそこなったかもしれぬ。仲がよすぎての──おッ《っ》と、そう角が生えそうな顔しちゃいけない、なあお豊、今いった負けるのはそこじゃぞ。ところで、いいかい、なるたけ注意して、この女《子》は真《+ホン》にわたしの媳《+嫁》だ、子息《+倅》の妻《+サイ》じゃない、というように姑に感じさせなけりゃならん。姑媳《+姑嫁》のけんかは大抵この若夫婦の仲がよすぎて、姑に孤立の感を起こさすから起こるのが多いて。いいかい、卿《+お前》は御隠居の媳《+嫁》だ、とそう思っていなけりゃならん。なあに御隠居《/御隠居》が追っつけめでたくなったあとじゃ、武男さんの首ッ《っ》玉にかじりついて、ぶら下がッ《っ》てあるいても|かま《構》わン《ん》さ。しかし姑の前では、決して武男さんに横目でもつかっちゃならんぞ。まだあるが、それはいざ乗り込みの時にいって聞かす。この三か条はなかなか面倒じゃが、しかし卿《+お前》も恋しい武男さんの奥方になろうというン《ん》じゃないか、辛抱が大事じゃぞ。明日といわずと今夜からそのけいこを始めるのだ」  言葉のうちに、襖開《襖ひら》きて、小間使いの竹「御返事《ご返事》がいるそうでございます」  と一封《イップウ》の女筆の手紙を差し出《+-いだ》しぬ。  封をひらきてすうと目を通したる山木は、手紙を妻《+サイ》と娘の目さきにひけらかしつつ 「どうだ、川島の御隠居からすぐ来てくれは!」 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第七章】 【その3】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  武男が艦隊演習におもむける二週の後、川島家《+川島ケ》より手紙して山木《/山木》を招ける数日前《+スジツゼン》、逗子に療養せる浪子はまた喀血して、急に医師を招きつ。幸いにして喀血は一回にしてやみ、医師は当分事《当分’事》なかるべきを保証せしが、この報は少なからぬ刺激を武男が母に与えぬ。間両三日《あいだ両三日》を置きて、門を出《い》づること|まれ《稀》なる川島未亡人の尨大《膨大》なる体は、飯田町なる加藤家の門を入《-い》りたり。  離婚問題の母子《+親子》の間に争われつるか《-か》の夜、武男が辞色《ジショク》の思うにまして|はげ《激》しか《-か》りしを見たる母は、さすがにその請いに任せて彼が帰り来《く》るまでは黙止すべき約をばな《為》しつれど、《:、》よしそれまでま《待》てばとて武男が心は容易に移すべくもあらずして、かえって時たつほど彼の愛着のきずなはいよいよ絶ち難かるべく、かつ思いも寄らぬ障礙《+ショウゲ》の出で来たるべきを思いしなり。さればその子のいまだ帰らざるに乗じて、早く処置をつけ置くのむしろ得策なるを思いしが、さりとてさすがにか《-か》の言質《+コトジチ》もありこ《/こ》の顧慮もまたなきにあらずして、《:、》その心はありながら、いまだ時々《ときどき》来てはあおる千々岩《千々石》を満足さすほどの果断なる処置をばな《成》さざるなり。浪子が再度喀血の報を聞くに及びて、母は決然としてか《/か》つて媒妁をなしし加藤家を訪《-おとな》いたるなり。  番町と飯田町といわば目と鼻の間に棲みながら、いつなりしか媒妁の礼に来《こ》しよりほとんど顔《’顔》を見せざりし川島未亡人が突然《/突然’》来訪せし事の尋常にあらざるべきを思いつつ、《:、》ねんごろに客間に請ぜし加藤夫人もそ《/そ》の話の要件を聞くより|はた《ハタ》と胸をつきぬ。そのかつて片岡川島両家を結びたる手もて、今やそのつなげる糸を絶ちくれよとは!  いかなる顔のいかなる口《クチ》あればさる事は言わるるかと、加藤夫人は今さらのように客の|ようす《様子》を打ちながめぬ。見ればいつにかわらぬ肥満の体格、太《ふと》き両手を膝の上に組みて、膚《肌》たゆまず、目まじろがず、口を漏るる薩弁の淀みもや《-や》らぬは、戯れにあらず、狂気せしにもあらで、《:、》まさしく分別《フンベツ》の上と思えば、驚きはまた胸を衝く憤《-いか》りにかわりつ。あまり勝手な言条《+言い分》と、罵倒せんずる言《+こと》のすでに|咽もと《喉元》まで出《い》でけるを、実《じつ》の娘とも思う浪子が一生の浮沈の境《キョウ》と、わずかに飲み込みて、《:、》まず問いつ《-つ》、また説きつ、なだめもし、請いもしつれど、わが事をのみ言い募る先方《センポウ》の耳にはすこしも入《-い》らで、かえってそれは入《-い》らぬ繰り言、《:、》こっちの話を浪の実家《+里》に伝えてもらえば要は済むと《/と》いうふうの明らかに見ゆれば、話聞く聞く病《/病》める姪の顔、亡き妹《イモト》──浪子の実母──の臨終、《:、》浪子が父中将の傷心、など胸のうちにあ《/あ》らわれ来たり乱れ去りて、情けなく腹立たしき涙のわれ知らず催し来たれる夫人は|きっ《/キッ》と容《カタチ》をあらため、《:、》当家においては御両家《ご両家》の結縁のためにこそ御加勢《ご加勢’》も|いた《致》しつれ、さる不義非情の御加勢《ご加勢》は決してできぬこと、良人に相談するまでもなくその義《’義》は堅くお断わり、ときっぱりとはねつけつ。  忿然として加藤の門を出《い》でたる武男が母は、即夜《ソクヤ》手紙して山木を招きつ。(篤実なる田崎《タザキ》にてはらち明かずと思えるなり)。おりもおりとて主人の留守に、かつはまどい、かつは怒り、かつは悲しめる加藤子爵夫人と千鶴子と心を三方《3方》に砕きつつ、母は《は-》さ言えどい《/い》かにも武男の素意にあるまじと思うより、《:、》その乗艦の所在を糺して至急の報を発せる間《マ》に、いらちにいらちし武男が母は早直接《+早じき》談判と心を決して、その使節を命ぜられたる山木の車はす《/す》でに片岡家の門にかかりしなり。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第八章】 【その1】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  山木が車赤坂氷川町《車/赤坂氷川町》なる片岡中将の門を入《い》れる時《とき》、あたかも英姿颯爽《英姿’颯爽》たる一将軍《イチ将軍》の栗毛《/栗毛》の馬にまたがりつつ出《-い》で来たれるが、《:、》車の駆け込みし響《+音》にふと驚きて、馬は竿立《竿だ》ちになるを、馬上《ばじょう》の将軍は馬丁をわずらわすまでもなく、韁《+手綱》を絞りて容易に乗り静めつつ、一回圏《一回’圏》を画《+えが》きて、戞々《+カツカツ》と歩ませ去りぬ。  みごとの武者ぶ《振》りを見送りて、|声づく《+コワヅク》ろいしてい《/い》かめしき中将の玄関にかかれる山木は、幾多の権門をくぐりな《慣》れたる身の、常にはあるまじく胆落《/キモ落》つるを覚えつ。昨夜川島家《昨夜’川島ケ》に呼ばれて、その使命を託されし時も、頭をかきつるが、今《いま》現にこの場に臨みては彼《/彼》は実に大《ダイ》なりと誇れる胆《+キモ》のな《-な》お小《ショウ》にして、その面皮のいまだ十分に厚からざるを憾みしなり。  名刺一《名刺ひと》たび入り、書生二《書生ふた》たび出でて、山木は応接間に導かれつ。テーブルの上には清韓の地図一葉広《地図’一葉’広》げられたるが、まだ清めもやらぬ火皿のマッチ巻莨《+シガー》のからとともに、先座《セン座》の話をほぼ想わしむ。げにも東学党の乱、清国出兵の報、わが出兵のうわさ、《:、》相《あい》ついで海内の注意一《注意’一》に朝鮮問題に集まれる今日このごろは、主人中将も予備にこそおれお《/お》のずから事多くして、またかの英文読本を手にするの暇あ《/あ》るべくも思われず。  山木が椅子に倚りて、ぎょろぎょろあたりをながめおる時《とき》、遠雷の鳴るがごとき足音次第《足音’次第》に近づきて、やがて小山《コヤマ》のごとき人はゆ《/ゆ》るやかに入《い》りて主位につきぬ。山木は中将と見るよりあわてて起てる拍子に、わがか《掛》けて居《い》し椅子をば後ろざまにどうと蹴倒しつ。「あっ、これは疎匇《+粗相》を」と叫びつつ、あわてて引き起こし、しかる後二《のち二》つ三《-み》つ四《-よ》つ続《/続》けざまに主人に向かいて叮重《+丁重》に辞儀をなしぬ。今の疎忽《粗忽》のわびも交《混じ》れるなるべし。 「さあ、どうかおかけください。あなたが山木君《+山木さん》──お名は承知しちょったですが」 「は《ハ》ッ。これは初めまして‥‥手前は山木兵造《山木ヒョウゾウ》と申す不調法者《不調法もの》で(句ごとに辞儀しつ、辞儀するごとに椅子は《は-》ききときしりぬ、仰せのごとくと笑えるように)‥‥《‥:》どうか今後ともごひいきを‥‥」  避け得られぬ閑話の両三句、朝鮮のうわさの三両句──《─:》しかる後中将《のち中将》は言《+言葉》をあらためて、山木に来意を問いつ。  山木は口を開かんとしてまず片唾《+固唾》をのみ、片唾《固唾》をのみてまた片唾《固唾》をのみ、三《み》たび口を開かんとしてまた片唾《固唾》をのみぬ。彼はつねに誇るその流滑《リュウカツ》自在なる舌の今日《/今日》に限りてひたと渋るを怪しめるなり。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第八章】 【その2】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  山木はわずかに口を開き、 「実は今日は川島家《+川島ケ》の御名代《+ご名代》でまかりいでましたので」  思いがけずといわんがごとく、主人の中将はその体格《+ガラ》に似合わぬ細き目を山木《/山木》が面《-おもて》に注ぎつ。 「|はあ《ハア》?」 「実は川島の御隠居がおいでになるところでございますが──まあ私がまかりいでました次第で」 「なるほど」  山木はしきりににじみ出《い》づる額《ヒタイ》の汗押《汗’押》しぬぐいて「実は加藤様からお話を願いたいと存じましたン《ん》でございますが、少し都合もございまして──私がまかりいでました次第で」 「なるほど。で御要《ご用》は?」 「その要と申しますのは、──申し兼ねますが、その実《/実》は川島家《+アチラ》の奥様浪子《奥様/浪子》様──」  主人中将の目はまばたきもせずし《/し》ばし話者《+あなた》の面《-おもて》を打ちまもりぬ。 「|はあ《ハア》?」 「その、浪子様《+若奥様》でございますが、どうもかような事は実《じつ》もって申し上げにくいお話でございますが、御承知どおりあの御病気《ご病気》につきましては、手前ども──《─:》川島でも、よほど心配をいたしまして、近ごろでは少しはお快い方《ほう》ではございますが──《─:》まあおめでとうございますが──」 「なるほど」 「手前どもから、かような事は誠に申し上げられぬのでございますが、はなはだ勝手がましい申し条《+分》でございますが、実は御病気《ご病気》がらではございますし──《─:》御承知どおり川島の方《ほう》でも家族と申しましても別にございませんし、男子と申してはまず当主の武男──様《+さん》だけでございますン《ん》で、《:、》実は御隠居もよほど心配もいたしておりまして、どうも実《じつ》もって申しにくい──《─:》いかにも身勝手な話でございますが、御病気《ご病気》が御病気《ご病気》で、その、万一伝染──まあそんな事もめったにございますまいが──《─:》しかしどちかと申しますとやはりその、その恐れもないではございませン《ん》ので、その、万一武男──川島の主人に異変でもございますと、まあ川島家《+川島ケ》も断絶と申すわけで、その断絶いたしてもよろしいようなものでございますが、《:、》何分にもその、実《じつ》もってどうもその、誠に済みませんがその、そこの所をその、御病気《ご病気》が御病気《ご病気》──」  言いよどみ言《/言》いそそくれて一句一句に額より汗を流せる山木が顔うちまもりて黙念《/モク念》と聞きいたる主人中将は、この時右手《+時メテ》をあげ、 「よろしい。わかいました。つまり浪が病気が険呑《+剣呑》じゃから、引き取ってくれと、おっしゃるのじゃな。よろしい。わかいました」  うなずきて、手もと近く燃えさがれる葉巻をテ《/テ》ーブルの上なる灰皿にさし置きつつ、腕を組みぬ。  山木は踏み込めるぬかるみより手《/手》をとりて引き出されしように、ほっと息つきて、額上の汗をぬぐいつ。 「さようでございます。実《じつ》もって申し上げにくい事でございますが、その、どうかそこの所をあしからず──」 「で、武男君はもう帰られたですな?」 「いや、まだ帰りませんでございますが、もちろんこれは同人《+本人’》承知の上の事でございまして、どうかあしからずその──」 「よろしい」  中将はうなずきつ。腕を組みて、しばし目を閉じぬ。思いのほかにたやすくはこびけるよ、とひそかに笑坪《+エツボ》に入《い》りて目をあげたる山木は、目を閉じ口《’口》を結びてさ《/さ》ながら睡《+ネブ》れるごとき中将の相貌を仰ぎて、さすがに一種の畏れを覚えつ。 「山木君《+山木さん》」  中将は目をみひらきて、山木の顔をしげしげと打ちながめたり。 「は《ハ》ッ」 「山木君《+山木さん》、あなたは子を持っておいでかな」  その問いの見当を定めかねたる山木はしきりに頭を下げつつ「は《ハ》ッ。愚息《+倅》が一人に──娘が一人でございまして、何分お引き立てを──」 「山木君《+山木さん》、子というやつはかわい者じゃ」 「は《ハ》ッ?」 「いや、よろしい。承知しました。川島の御隠居にそういってください、浪は今日引き取るから、御安心なさい。──お使者御苦労《+使いご苦労》じゃった」  使命を全うせしをよろこぶか、さすがに気の毒とわ《-わ》ぶる《-る》にか、五つ六つ七八《-なな八》つ続《/続》けざまに小腰を屈めて、どぎまぎ立ち上がる山木を、主人中将は玄関まで送り出して、帰り入《い》る書斎の戸をば|はた《ハタ》と閉《+-さ》したり。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第九章】 【その1】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  逗子の別荘にては、武男が出発後は、病める身の心細さや《/や》るせなく思うほどい《”い》よいよ長き日一日《+ヒマタヒ》のさ《/さ》すがに暮らせば暮らされて、はや一月《ひとつき》あまりたちたれば、麦刈り済《-す》みて山百合咲《/山百合’咲》くころとなりぬ。過《す》ぐる日の喀血に、一《ひと》たびは気落ちしが、幸いにして医師《+医者》の言えるがごとくそ《/そ》のあとに著《-いちじる》しき衰弱もなく、先日函館よりの良人の書信《+手紙》にも帰来《+帰り》の近《-ちか》かるべきを知らせ来つれば、《:、》よし良人を驚かすほどにはいたらぬとも、喀血の前ほどにはなりおらではと、自ら気を励まし浪子《/浪子》は薬用に運動に細《/細》かに医師《+医者》の戒めを守りて摂生しつつ、指を折りて良人の帰期を待ちぬ。さるにてもこの四五日《シゴニチ》、東京だよりのはたと絶え、番町の宅よりも、実家《+里》よりも、飯田町の伯母よりすらも、はがき一枚来《一枚こ》ぬことの何となく気にかかり、《:、》今しも日|なが《長》の手すさびに山百合《/山百合》を生《-い》くとて下葉《カヨウ》を剪《+挟》みおれる浪子は、水さし持ちて入《い》り来《き》たりし姥のいくに 「ねエ、|ばあ《バア》や、ちょっとも東京のたよりがないのね。どうしたのだろう?」 「さようでございますねエ。おかわりもないン《ん》でございましょう。もうそのうちにはまいりましょうよ。こう申しておりますうちにどなたぞいらっしゃるかもわかりませんよ。──ほんとに何《ナン》てきれいな花でございましょう、ねエ、奥様。これがしおれないうちに旦那様がお帰り遊ばすとようございますのに、ねエ奥様」  浪子は手に持ちし山百合の花うちまもりつつ「きれい。でも、山に置いといた方《ほう》がいいのね、剪るのはかあいそうだわ!」  二人が問答の間《+ウチ》に、一輛の車は別荘の門に近づきぬ。車は加藤子爵夫人を載せたり。川島未亡人の要求をはねつけしその翌日、子爵夫人は気にかかるままに、要を託して車を片岡家に走らせ、ここに初めて川島家《+川島ケ》の使者《使い》が早くも直接《ジキ》談判に来たりて、すでに中将の承諾を得て去りたる由を聞きつ。武男を待つの企ても今はむなしくなりて、かつ驚きかつ嘆きしが、せめては姪の迎え(手放し置きて、それと聞かさば不慮の事の起こりもやせん、とにかく膝下に呼び取《と》って、と中将は慮れるなり)にと、すぐその足にて逗子には来たりしなり。 「まあ。よく‥‥ちょうど今うわさをしてましたの」 「本当によくまあ‥‥いかがでございます、奥様、|ばあ《バア》やが言《+こと》は当たりましてございましょう」 「浪さん、|あんばい《按配》はどうです? もうあれから何も変わった事もないのかい?」  と伯母の目はちょっと浪子の面《-おもて》をかすめて、|わき《脇》へそれぬ。 「は《ハ》、快方《+いいほう》ですの。──それよりも伯母様はどうなすッ《っ》たの。たいへんに顔色《+お色》が悪いわ」 「わたしかい、何ね、少し頭痛がするものだから。──時候のせいだろうよ。──武男さんから便《+便り》がありましたか、浪さん?」 「一昨日、ね、函館から。もう近々に帰りますッ《っ》て──いいえ、何日《+ナンチ》という事は定《+決》まらないのですよ。お土産《+ミヤ》があるなン《ん》ぞ書いてありましたわ」 「そう? おそい──ねエ──もう──もう何時? 二時だ、ね!」 「伯母様《+伯母さん》、何をそんなにそわそわしておいでなさるの? ごゆっくりなさいな。お千鶴《+チズ》さんは?」 「あ、よろしくッ《っ》て、ね。」言いつついくが持て来《こ》し茶を受け取りしまま、飲みもやらず沈吟《+ウチアン》じつ。 「どうぞごゆるりと遊ばせ。──奥様、ちょいとお肴を見てまいりますから」 「あ、そうしておくれな」  伯母は打ち驚きたるように浪子の顔をちょっと見て、また目をそらしつつ 「およしな。今日はゆっくりされないよ。浪さん──迎えに来たよ」 「エ? 迎え?」 「あ、おとうさまが、病気の事で医師《+お医者》と少し相談もあるからちょいと来るようにッ《っ》てね、──《─:》番町の方《ほう》でも──承知だから」 「相談? 何《なん》でしょう」 「──病気の件《+こと》ですよ、それからまた──《─:》お|とう《父》さんも久しく会わン《ん》からッ《っ》てね」 「そうですの?」  浪子は怪訝な顔。|いく《幾》も不審議《+不思議》に思える様子。 「でも今夜《+今晩》はお泊まり遊ばすン《ん》でございましょう?」 「いいえね、あちでも──医師《+医者》も待ってたし、暮れないうちがいいから、すぐ今度の汽車で、ね」 「へエー!」  姥《+バア》は驚きたるなり。浪子も腑に落ちぬ事はあれど、言うは伯母なり、呼ぶは父なり、姑は承知の上ともいえば、ともかくもいわるるままに用意をば整えつ。 「伯母様何《伯母様/何》を考え込んでいらッ《っ》しゃるの? ──《─:》看護婦は行かなくもいいでしょうね、すぐ帰るのでしょうから」  伯母は起ちて浪子の帯を直し襟をそろえつつ「連れておいでなさいね、不自由ですよ」 ◇。◇。◇。◇。◇。  四時ごろには用意成りて、三挺《三丁》の車門《車/門》に待ちぬ。浪子は風通御召の単衣に、御納戸色繻珍の丸帯して、髪は揚巻に山梔《+クチナシ》の花一輪、革色の洋傘右手《+傘’メテ》につき、漏れ出《い》づる|せき《咳》を白綾《+シロアヤ》のハンカチにおさえながら、 「|ばあ《バア》や、ちょっと行って来るよ。あああ、久しぶりに帰京《+帰》るのね。──それから、あの──お単衣ね、もすこしだけども──あ、いいよ、帰ってからにしましょう」  忍びかねてほろほろ落つる涙を伯母は洋傘《傘》に押し隠しつ。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第九章】 【その2】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  運命の坑黙々《+穴/黙々》として人を待つ。人は知らず識らずその運命に歩む。すなわち知らずというとも、近づくに従《したご》うて一種冷ややかなる気はいを感ずるは、たれもしかる事なり。  伯母の迎え、父に会うの喜びに、深く子細を問わずして帰京の途《ト》に上りし浪子は、車に上るよりしきりに胸打ち騒ぎつ。思えば思うほど腑に落ちぬこと多く、ただ頭痛とのみ言い紛らしし伯母が|ようす《様子》のた《/た》だならぬも深く蔵《+隠》せる事のありげに思われて、問わんも汽車の内人《内/人》の手前、それもなり難《がた》く、《:、》新橋に着くころはただこ《/こ》の暗《くら》き疑心のみ胸に立ち迷いて、久しぶりなる帰京の喜びもほとんど忘れぬ。  皆人のおりしあとより、浪子は看護婦にたすけられ伯母《/伯母》に従いてそぞろにプラットフォームを歩みつつ、改札口を過ぎける時《とき:》、かなたに立ちて話しおれる陸軍士官の一人、ふっとこなたを顧みてあ《/あ》たかも浪子と目を見合わしつ。千々岩《千々石》! 彼は浪子の頭より爪先まで一瞥《+ひと目》に測りて、|ことさら《殊更》に目礼しつつ──|わら《笑》いぬ。その一瞥、その笑いの怪しく胸に|ひび《響》きて、頭より水そそがれし心地《ココチ》せし浪子は、迎えの馬車に打ち乗りしあとまで、病のゆえならでさ《/さ》らに悪寒を覚えしなり。  伯母はもの言わず。浪子も黙《-もく》しぬ。馬車の窓に輝きし夕日は落ちて、氷川町の邸《屋敷》に着けば、黄昏ほのかに栗の花の香《-か》を浮かべつ。門《モン》の内外《+ウチソト》には荷車釣り台など見えて、脇玄関にランプの火光《+明かり》さし、人の声す。物など運び入れしさまなり。浪子は何事のあるぞと思いつつ、伯母と看護婦にたすけられて馬車を下《下り》れば、玄関には婢《+女》にランプとらして片岡子爵夫人《/片岡子爵夫人》たたずみたり。 「おお、これは早く。──御苦労さまでございました」と夫人の目は浪子の面《-おもて》より加藤子爵夫人に走りつ。 「おかあさま、お変わりも‥‥おとうさまは?」 「は《ハ》、書斎に」  おりから「姉さまが来たよ姉さまが」と子供の声にぎやかに二人《”二人》の幼弟妹《+ハラカラ》走り出で来たりて、その母の「静かになさい」とたしなむるも顧みず、左右より浪子にすがりつ。駒子もつづいて出《い》で来たりぬ。 「おお道《+ミイ》ちゃん、毅一《+キイ》さん。どうだえ? ──ああ駒ちゃん」  道子はすがれる姉の袂を引き動かしつつ「《:「》あたしうれしいわ、姉さまはもうこれからいつまでも此家《此処》にいるのね。お道具もすっかり来てよ」  はッ《っ》と声もなし得ず、子爵夫人も、伯母も、婢《+女》も、駒子も一斉に浪子の面《-おもて》をうちまもりつ。 「エ?」  おどろきし浪子の目は継母の顔より伯母の顔をかすめて、たちまち玄関わきの室《/部屋》も狭しと積まれたるさまざまの道具に注ぎぬ。まさしく良人宅《+うち》に置きたるわ《我》が箪笥!《/》 長持ち!《/》 鏡台!  浪子はわなわなと震いつ。倒れんとして伯母の手をひしととらえぬ。  皆《みな》泣きつ。  重やかなる足音して、父中将の姿見え来たりぬ。 「お、おとうさま‼《!》」 「おお、浪か。待って──いた。よく、帰ってくれた」  中将はその大いなる胸に、わなわなと震う浪子をばかき抱《いだ》きつ。  半時の後、家の内しんとなりぬ。中将の書斎には、父子《+親子》ただ二人、再び帰らじと此家《+此処》を出《い》でし日別《日/別》れの訓戒《+戒め》を聞きし時そのままに、浪子はひざまずきて父の膝にむせび、中将は咳き入る女《+娘》の背《+セナ》をおもむろになでおろしつ。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第十章《第10章》】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。 「号外! 号外! 朝鮮事件の号外!」と鈴の音のけ《/け》たたましゅう呼びあるく新聞売り子のあとより、一挺《一丁》の車が《/が》らがらと番町なる川島家《+川島ケ》の門に入《-い》りたり。武男は今しも帰り来たれるなり。  武男が帰らば立腹もすべけれど、勝ちは畢竟先《畢竟セン》の太刀、思い切って武男が母は山木が吉報をもたらし帰りしその日、善は急げと媳《+嫁》が箪笥諸道具一切を片岡家に送り戻し、《:、》ちと殺生ではあったれど、どうせそのままには置かれぬ腫物《+腫れ物》、切ってしまって安心とこ《/こ》の二三日近《二’三ニチ/近》ごろになき好機嫌のそれに引きかえて、若夫婦方なる僕婢《+召使い》は気《/気》の毒とも笑止ともいわん方なく、《:、》今にもあれ旦那がお帰りなさらば、いかに孝行の方《かた》とて、なかなか一通《ひと通》りでは済むまじとはらはら思っていたりしそ《/そ》の武男は今帰《いま帰》り来たれるなり。加藤子爵夫人が急を報ぜしその書は途中に往き違いて、もとより母はそれと言い送らねば、知る由もなき武男は横須賀に着きて暇を得るやいな急《/急》ぎ帰り来たれるなり。  今《いま》奥より出《い》で来たりし仲働きは、茶を入れおりし小間使いを手招き、 「ねエ松ちゃん。旦那さまはちっともご存じないようじゃないか。奥様にお土産なんぞ持っていらッ《っ》したよ」 「ほんとにしどいね。どこの世界に、旦那の留守に奥様を離縁しちまう母《+おっか》さんがあるものかね。旦那様の身になっちゃア、腹も立つはずだわ。鬼婆め」 「あれくらいいやな婆っちゃありゃしない。けちけちの、わからずやの、人をしかり飛ばすがおやくめだからね、なんにもご存じなしのくせにさ。そのはずだよ、ねエ、昔は薩摩でお芋を掘ってたン《ん》だもの。わたしゃもうこんな家《’家》にいるのが、しみじみいやになッ《っ》ちゃった」 「でも旦那様も旦那様じゃないか。御自分《ご自分》の奥様が離縁されてしまうのもちょっとも知らんてえのは《わ》、あんまり七月のお槍《槍(ボンヤリ)》じゃないかね」 「だッ《っ》て、そらア|無理ゃ《/ムリャ》ないわ。遠方にいらっしたン《ん》だもの。だれだって、下女《+女》じゃあるまいし、肝心な子息《+息子》に相談もしずに、さっさと媳《+嫁》を追い出してしまおうた思わないわね。それに旦那様もお年が若いからねエ。ほんとに旦那様もおかあいそう──奥様は|なお《尚》おかあいそうだわ。今ごろはどうしていらッ《っ》しゃるだろうねエ。ああいやだ──ほウ《う》ら、婆あが怒鳴りだしたよ。松ちゃんせッ《っ》せとしないと、また八つ当たりでおいでるよ」  奥の一間《ヒトマ》には母子《親子》の問答次第《問答/次第》に熱しつ。 「だッ《っ》て、あの時あれほど申し上げて置いたです。それに手紙一本くださらず、無断で──実にひどいです。実際ひどいです。今日もちょいと逗子に寄って来ると、浪はおらんでしょう、いくに尋ねると何か要があって東京に帰ったというです。変と思ったですが、まさか母《+おっか》さんがそんな事を──実にひどい──」 「それはわたしがわるかった。わるかったからこの通り親がわびをしておるじゃなッ《っ》かい。わたしじゃッ《っ》て何も浪が悪かというじゃなし、卿《+お前》がか《-か》あいいばッ《っ》かいで──」 「母《+おっか》さんはからだばッ《っ》かり大事にして、名誉も体面も情もちょっとも思ってくださらんのですな。あんまりです」 「武男、卿《+お前》はの、男かい。女じゃあるまいの。親にわび言いわせても、やっぱい浪が恋しかかい。恋しかかい。恋しかか」 「だッ《っ》て、あんまりです、実際あんまりです」 「あんまいじゃッ《っ》て、もう後《あと》の祭《+マツイ》じゃなッ《っ》か。あっちも承知して、きれいに引き取ったあとの事じゃ。この上どうすッ《っ》かい。女々しか事をしなはッ《っ》と、親の恥ばッ《っ》かいか、卿《+お前》の男が立つまいが」  黙然《+黙念》と聞く武男は断《+切》れよとばかり|下くちびる《シタ唇》をかみつ。たちまち勃然《+ボツネン》と立ち上がって、病妻にもたらし帰りし貯林檎《+カコイ林檎》の籠をみじんに踏み砕き、 「母《+おっか》さん、あなたは、浪を殺し、またそのうえにこの武男をお殺しなすッ《っ》た。もうお目にかかりません」 ◇。◇。◇。◇。◇。  武男は直ちに横須賀なる軍艦に引き返しぬ。  韓山《カンザン》の風雲はいよいよ急に、七月《+シチゲツ》の中旬廟堂《中旬/廟堂》の議はいよいよ清国《+シンコク》と開戦に一決して、同月十八日には樺山中将新《樺山中将/新》たに海軍軍令部長に補せられ、《:、》武男が乗り組める連合艦隊旗艦松島号は他の諸艦を率いて佐世保に集中すべき命《メイ》を被《-こうむ》りつ。捨てばちの身は砲丸の的《-まと》にもなれよと、武男はまっしぐらに艦《+船》とともに西に向かいぬ。 ◇。◇。◇。◇。◇。  片岡陸軍中将は浪子の帰りしその翌日より、自らさしずして、邸中《屋敷ジュウ》の日あたりよく静かなるあたりをえらびて、《:、》ことに浪子のために八畳一間六畳二間四畳一間《八畳ヒトマ/六畳フタマ/四畳一間》の離家《+離れ》を建て、逗子より姥の|いく《幾》を呼び寄せて、浪子とともにここに棲ましつ。九月にはいよいよ命《メイ》ありて現役に復し、一夕夫人繁子《一夕/夫人繁子》を書斎に呼びて懇々浪子《懇々’浪子》の事を託したる後《のち》、《:、》同十三日大纛《+同十三日ダイトウ》に扈従して広島大本営におもむき、翌月さらに大山大将山路中将《大山大将’山路中将》と前後して遼東《+リョウトウ》に向かいぬ。  われらが次を逐うてその運命をたどり来たれる敵も、味方も、かの消魂《ショウコン》も、この怨恨も、しばし征清戦争の大渦に巻き込まれつ。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第三部】 【下編《ゲ編》】 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第一章】 【その1】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  明治二十七年九月十六日午後五時《明治二十七年/九月十六日/午後五時》、わが連合艦隊は戦闘準備を整えて大同江口《+大同コウコウ》を発し、西北に向かいて進みぬ。あたかも運送船を護《-ご》して鴨緑江口《+/オウリョッコウコウ》付近に見えしという敵の艦隊を尋ねいだして、雌雄を一戦に決せんとするなり。  吉野を旗艦として、高千穂、浪速、秋津洲の第一遊撃隊、先鋒として前にあり。松島を旗艦として千代田、厳島、橋立、比叡、扶桑の本隊これに続《+-つ》ぎ、砲艦赤城及び軍《+イクサ》見物と称する軍令部長を載せし西京丸《西京丸/》またその後ろにしたがいつ。十二隻の艨艟一縦列《艨艟/一縦列》をなして、午後五時大同江口《+午後五時大同コウコウ》を離れ、伸びつ縮みつ竜《/竜》のごとく黄海の潮《+ウシオ》を巻いて進みぬ。やがて日は海に入《い》りて、陰暦八月十七日の月東《月/東》にさし上り、船は金波銀波をさざめかして月色のうちをはしる。  旗艦松島の士官次室《+ガンルーム》にては、晩餐とく済《-す》みて、副直《副直’》その他要務《他/要務》を帯びたるは久しき前に出《い》で去りたれど、なお五六人《ゴロクニン》の残れるありて、談まさに興に入《-い》れるなるべし。舷窓をば火光《+明かり》を漏らさじと閉ざしたれば、温気内《温気’うち》にこもりて、さらぬだに血気盛《血気ざか》りの顔はいよいよ紅に照れり。テーブルの上には珈琲碗《+カヒワン》四つ五つ、菓子皿《菓子ざら》はおおむねたいらげられて、ただカステーラの一片がい《/い》づれの少将軍に屠られんかと兢々《キョウキョウ》として心細げに横たわるのみ。 「陸軍はもう平壌《+ヘイジョウ》を陥したかもしれないね」と短小精悍とも言《-い》いつべき一少尉は頬杖《/頬杖》つきたるまま一座を見回したり。「しかるにこっちはどうだ。実《じつ》に不公平もまたはなはだしというべしじゃないか」  でっぷりと肥えし小主計《ショウシュケイ》は一隅より莞爾と笑いぬ。「どうせ幕が明《-あ》くとすぐ済んでしまう演劇《+芝居》じゃないか。幕合《+幕間》の長いのもまた一興だよ」 「なんて悠長な事を言うから困るよ。北洋艦隊《+ペイヤン》相手の盲捉戯《+メクラオニゴ》もも《/も》うわが輩はあきあきだ。今度もかけちがいましてお目にかからんけりゃ、わが輩は、だ、長駆渤海湾《長駆’渤海湾》に乗り込んで、太沽《+ターク》の砲台に砲丸の一つもお見舞い申《もう》さんと、堪忍袋がたまらん」 「それこそ袋のなかに入《ハイ》るも同然、帰路を絶たれたらどうです?」|まじめ《真面目》に横槍を入《-い》るるは候補生の某《ナニガシ》なり。 「何、帰路を絶つ? 望む所だ。しかし悲しいかな君の北洋艦隊《+ペイヤン》はそれほど敏捷にあらずだ。あえてけちをつけるわけじゃないが、今度も見参は《は-》ちとおぼつかないね。支那人《支那じん》の気の長いには実に閉口する」  おりから靴音の近づきて、たけ高き一少尉入《一少尉’入》り口に立ちたり。  短小少尉はふり仰ぎ「おお航海士、どうだい、なんにも見えんか」 「月ばかりだ。点検が済んだら、すべからく寝て鋭気を養うべしだ。」言いつつ菓子皿《菓子ざら》に残れるカステーラの一片を頬《ホオ》ばり「むむ、少し‥‥甲板に出ておると‥‥腹が減るには驚く。──従卒《+ボーイ》、菓子を持って来い」 「君も随分食うね」と赤きシャツを着たる一少尉は微笑みつ。 「借問す君《/君》はどうだ。菓子を食って老人組を罵倒するは、けだしわが輩士官次室《+輩/ガンルーム》の英雄の特権じゃないか。──どうだい、諸君、兵はみんな明日を待ちわびて、目がさえて困るといってるぞ。これで失敗があったら実《-じつ》に兵《兵’》の罪にあらず、──《─マルマル》の罪だ」 「わが輩は勇気については毫も疑わん。望む所は沈勇、沈勇だ。無手法《+無鉄砲》は困る」というはこの仲間にての年長なるメート(甲板士官)。 「無手法《無鉄砲》といえば、○番分隊士は実に驚くよ」と他の一人《+イチニン》はことばをさしはさみぬ。「勉励も非常だが、第一い《/い》かに軍人は生命《イノチ》を愛《+惜》しまんからッ《っ》て、命の安売りはここですと看板もかけ兼ねん勢いはあまりだと思うね」 「ああ、川島か、いつだッ《っ》たか、そうそう、威海衛砲撃の時だッ《っ》てあんな険呑《+剣呑》な事をやったよ。川島を司令長官にしたら、それこそ三番分隊士《+三番》じゃないが、艦隊を渤海湾に連れ込んで、太沽《+ターク》どころじゃない、白河《+ペイホー》をさかのぼって李《+リー》のおやじを生けどるなんぞ言い出すかもしれん」 「それに、|ようす《様子》が以前とはすっかり違ったね。非常に怒るよ。いつだッ《っ》たか僕がバロネス川島(川島男爵夫人)の事についてさ、少しからかいかけたら、まっ黒に怒って、あぶなく鉄拳を頂戴する所さ。僕は鎮遠の三十サンチより実際○番分隊士の一拳《イッケン》を恐《おそ》るるね。ハハハハ何か子細があると思うが、赤襯衣《+ガリバルジー》君、君は川島と親しくするから恐らく秘密を知っとるだろうね」  と航海士はガリバルジーといわれし赤シャツ少尉の顔を見たり。  おりから従卒《+ボーイ》のうずたかく盛れる菓子皿《菓子ざら》持ち来たりて、士官次室《+ガンルーム》の話は|しば《暫》し腰斬《ヨウザン》となりぬ。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第一章】 【その2】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  夜十時点検終《夜十時’点検終》わり、差し当たる職務なきは臥し、余《他》はそれぞれ方面の務めに就き、高声火光《高声’明かり》を禁じたれば、上甲板《+ジョウ甲板》も下甲板《ゲカンパン》も寂《ジャク》としてさ《/さ》ながら人なきようになりぬ。舵手に令する航海長の声のほかには、ただ煙突の煙《+ケブリ》のふつふつとして白く月にみなぎり、螺旋《+スクルー》の波をかき、大いなる心臓のうつがごとく小止《+/オヤ》みなき機関の響きの艦内に満てるのみ。  月影白《月影’白》き前艦橋に、二個の人影《+ジンエイ》あり。その一は艦橋の左端《左ハシ》に凝立して動かず。一は靴音静かに、墨より黒き影をひきつつ、五歩にして止まり、十歩《ジュッポ》にして返る。  こは川島武男なり。この艦《+船》の○番分隊士として、当直の航海長とともに、副直《フクチョク》の四時間《4時間》を艦橋に立てるなり。  彼は今《-いま》艦橋の右端《右ハシ》に達して、双眼鏡をあげつ、艦の四方《シホウ》を望みしが、見る所なきもののごとく、右手《+メテ》をおろして、左手《+ユンデ》に欄干を握りて立ちぬ。前部砲台の方《ほう》より士官二人、低声《+小声》に相語《あい語》りつつ艦橋の下を過ぎしが、また陰《蔭》の暗きに消えぬ。甲板の上寂《上/ジャク》として、風冷ややかに、月はいよいよ冴えつ。艦首にうごめく番兵の影を見越して、海を望めば、ただ左舷に淡き島山と、見えみ見えずみ月光《/月光》のうちを行く先艦《センカン》秋津洲をのみ隈《隅》にして、一艦《イッ艦》のほか月《/月》に白める黄海の水あるのみ。またひとしきり煙《ケムリ》に和して勢いよく立ち上る火花の行くえを目送《+見送》れば、大檣《+タイショウ》の上高く星《/星》を散らせる秋の夜の空は湛えて、月に淡き銀河一道、微茫として白く海より海に流れ入る。 ◇。◇。◇。◇。◇。  月は三《-み》たびかわりぬ。武男が席を蹴って母に辞したりしより、月は三《-み》たび移りぬ。  この三月《ミツキ》の間に、彼が身生《シンセイ》はいかに多様の境界《+キョウガイ》を経来《経き》たりしぞ。韓山《カンザン》の風雲に胸をおどらし、佐世保の湾頭には「今度この節国《せつクニ》のため、遠く離れて出でて行く」の離歌《リカ》に腸《ハラワタ》を断ち、宣戦の大詔に腕を扼《+取り縛》り、威海衛の砲撃に初めて火の洗礼を授けられ、《:、》心をおどろかし目を驚かすべき事は続々起《/続々起》こり来たりて、ほとんど彼をして考《-かんが》うるの暇なからしめたり。多謝す、これがために武男はその心をの《飲》み尽くさんとするあ《-あ》るものをば思わずして、わずかに|われ《吾》を持したるなりき。この国家の大事に際しては、渺たる滄海の一粟《イチゾク》、自家《+吾’》川島武男が一身の死活浮沈、なんぞ問うに足らんや。彼は《は-》かく自ら叱し、かの痛をおおうてこの職分の道に従い、絶望の勇をあげて征戦の事に従えるなり。死を彼は真《シン》に塵よりも軽く思えり。  されど事もなき艦橋の上の夜、韓海《カンカイ》の夏暑くしてハ《/ハ》ンモックの夢結《夢’結》び難《がた》き夜は、ともすれば痛恨潮《+痛恨ウシオ》のごとくみなぎり来たりて、丈夫《+マスラオ》の胸裂《胸’裂》けんとせしこと幾たびぞ。時はうつりぬ。今は《は-》かの当時、何を恥じ、何を憤《+-いか》り、何を悲しみ、何を恨むともわかち難《がた》き感情の、腸《ハラワタ》に沸りし時は過ぎて、一片の痛恨深《痛恨’深》く痼《+-こ》して、人知らずわが心を蝕《+食ら》うのみ。母はか《カ》の後二《のち”ふた》たび書を寄せ物《’物》を寄せてつ《/つ》つがなく帰り来たるの日を待つと言い送りぬ。武男もさすがに老いたる母の膝下さ《’さ》びしかるべきを思いては、かの時の過言を謝して、その健康を祈る由書き送りぬ。されど解きても融け難《がた》き一塊《ひと塊り》の恨みは深く深《-ふか》く胸底《ムナゾコ》に残りて、《:、》彼が夜々ハンモックの上に、北洋艦隊の殲滅とわ《/わ》が討死《+討ち死に》の夢に伴なうものは、雪白の肩掛《+ショール》をまとえる病《/病》めるある人の面影なりき。  消息絶《消息た》えて、月は三《-み》たび移りぬ。彼女《彼》なお生きてありや、なしや。生きてあらん。わが忘るる日なきがごとく、彼も思わざるの日はなからん。共に生き共に死なんと誓いしならずや。  武男は《は-》かく思いぬ。さらに最後に相見し時を思いぬ。五日の月松《月/松》にか《掛》かりて、朧々としたる逗子の夕べ、われを送りて門に立ち出《い》で、「早く帰ってちょうだい」と呼びし人はいずこぞ。思い入りて|なが《眺》むれば、白き肩掛《+ショール》をまとえる姿の、今しも月光のうちより歩み出《い》で来たらん心地すなり。  明日にもあれ、首尾よく敵の艦隊に会して、この身砲弾《身’砲弾》の的《-まと》にもならば、すべて世は一場の夢と過ぎなん、と武男は思いぬ。さらにその母を思いぬ。亡き父を思いぬ。幾年前江田島《幾年前’江田島》にありける時を思いぬ。しこうして心は再び病める人の上に返りて ◇。◇。◇。◇。◇。 「川島君」  肩をたたかれて、打ち驚きたる武男は急に月に背きつ。驚かせしは航海長なり。 「実《じつ》にいい月じゃないか。戦争《+-いくさ》に行くとは思われんね」  打ちうなずきて、武男はひそかに涙《+ナンダ》をふり落としつつ双眼鏡をあげたり。月白《月’白》うして黄海、物のさえぎるなし。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第一章】 【その3】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  月落ち、夜は紫に曙《+明》けて、九月十七日となりぬ。午前六時を過《す》ぐるころ、艦隊はすでに海洋島の近くに進みて、まず砲艦赤城を島の彖登湾《タントウ湾》に遣わして敵《/敵》の有無を探らしめしが、湾内むなしと帰り報じつ。艦隊さらに進航を続けて、大、《-》小鹿島《+ショウロク島》を斜めに見つつ大孤山沖《/大孤山沖》にかかりぬ。  午前十一時武男《午前十一時/武男》は要ありて行きし士官公室《+ワートルーム》を出でてま《”ま》さに艙口《+ハッチ》にかからんとする時、上甲板に声ありて、 「見えたッ!」  同時に靴音の忙《-せ》わしく走《+馳》せ違うを聞きつ。心臓の鼓動とともに、艙梯《+ソウテイ》に踏みかけたる足ははたと止まりぬ。あたかも梯下《+テイカ》を通りかかりし一人の水兵も、ふッ《っ》と立ち止まりて武男と顔見合わしたり。 「川島分隊士、敵艦が見えましたか」 「おう、そうらしい」  言いすてて武男は乱れうつ胸をいたずらにおし静めつつ足早《/足早》に甲板に上れば、人影走《+ジンエイ馳》せ違い、呼笛《ヨビコ》鳴り、信号手《信号手’》は忙《-せ》わしく信号旗《信号旗’》を引き上げおり、《:、》艦首には水兵多くたたずみ、艦橋の上には司令長官、艦長、副長、参謀、諸士官、いずれも口を結び目《/目》を据えて、はるかに艦外の海を望みおるなり。その視線を趁うて望めば、北の方黄海の水、天と相合うところに当たりて、黒き糸筋《イト/スジ》のごとくほのかに立ち上るもの、一、二《/二》、三《/三》、四《/四》、五《/五》、六《/六》、七《/七》、八《/八》、九条《クジョウ》また十条。  これまさしく敵の艦隊なり。  艦橋の上に立つ一将校《イチ将校/》袂時計を出《+-いだ》し見て「一時間半は大丈夫だ。準備ができたら、まず腹でもこしらえて置くですな」  中央《マナカ》に立ちたる一人はうなずき「お待ち遠様。諸君、しっかり頼みますぞ」と言い終わりて髯をひねりつ。  やがて戦闘旗ゆらゆらと大檣《+タイショウ》の頂高く引き揚げられ、数声《スウセイ》のラッパは、艦橋より艦内くまなく鳴り渡りぬ。配置につかんと、艦内に行きか《か-》う人の影織るがごとく、檣楼に上る者、機関室に下る者、水雷室に行く者、治療室に入る者、右舷に行き、左舷に行き、艦尾に行き、艦橋に上り、《:、》縦横《ジュウオウ》に動ける局部の作用た《/た》ちまち成るを告げて、戦闘の準備は時を移さず整いぬ。あたかも午時《+五時》に近くして、戦わんとしてまず午餐の令は出《い》でたり。  分隊長を助け、部下の砲員を指揮して手早《/手早》く右舷速射砲の装填を終わりたる武男は、ややおくれて、士官次室《+ガンルーム》に入《ハイ》れば、同僚皆《同僚ミナ》すでに集まりて、箸下《箸お》り皿鳴りぬ。短小少尉は|まじめ《真面目》になり、メート(甲板士官)はしきりに額《ヒタイ》の汗をぬぐいつつうつむきて食らい、年少《+年下》の候補生はおりおり他の顔をのぞきつつ、劣らじと皿をかえぬ。たちまち箸をからりと投げて立ちたるは赤シャツ少尉なり。 「諸君、敵を前に控えて悠々と午餐《+昼飯》をくう諸君の勇気は──立花宗茂に劣らずというべしだ。お互いにみんなそろって今日の夕飯を食うや否やは疑問だ。諸君、別れに握手でもしようじゃないか」  いうより早く隣席にありし武男が手をば無手《+/ムズ》と握りて二三度《二’三度》打ちふりぬ。同時に一座は総立ちになりて手を握りつ、握られつ、皿は二個三個か《/か》らからとテーブルの下に|転び落ち《+マロビオチ》たり。左頬《+サキョウ》にあざある一少尉は少軍医の手をとり、 「わが輩が負傷したら、どうかお手柔《テヤワ》らかにやってくれたまえ。その賄賂だよ、これは」  と四五度《シゴ度》も打ちふりぬ。からからと笑える一座は、またたちまち|まじめ《真面目》になりつ。一人《ひとり》去り、二人去りて、果ては《は-》むなしき器皿《+キベイ》の狼藉たるを留《-とど》むるのみ。  零時二十分、武男は、分隊長の命《メイ》を帯び、副艦長に打ち合わすべき事ありて、前艦橋《ゼン艦橋》に上れば、わが艦隊はすでに単縦陣を形づくり、《:、》約四千メートルを隔てて第一遊撃隊の四艦はまっ先に進み、本隊の六艦はわが松島を先登としてこれにつづき、赤城西京丸は本隊の左舷に沿うてしたがう。  仰ぎ見る大檣《+タイショウ》の上高く戦闘旗《/戦闘旗》は碧空《青空》に羽《+ハ》たたき、煙突の煙《+ケブリ》ま《真》っ黒にま《巻》き上《上が》り、舳《舳先》は海を劈《+さ》いて白波《+/ハクハ》高く両舷にわきぬ。将校あるいは双眼鏡をあげ、あるいは長剣の柄《ツカ》を握りて艦橋の風に向かいつつあり。  はるかに北方《ホッポウ》の海上を望めば、さきに水天の間《マ》に一髪の浮《-う》かめる《-る》が|ごと《如》く見えし煙は、一分一分《イップンイップン》に肥え来たりて、敵の艦隊さながら海中よりわき出《い》づるごとく、《:、》煙《ケムリ》まず見え、ついで針大《+ハリダイ》の檣ほの見え、煙突見え、艦体《艦タイ》見え、檣頭の旗影ま《”ま》た点々として見え来たりぬ。ひときわすぐれて目立ちたる定遠鎮遠相連《定遠’鎮遠’相並》んで中軍を固め、経遠至遠広甲済遠《経遠’至遠’広甲’サイエン》は左翼、来遠靖遠超勇揚威《来遠’セイエン超勇’揚威》は右翼を固む。西に当たってさらに煙《+ケブリ》の見ゆるは、平遠広丙鎮東鎮南及《平遠’広丙’鎮東’鎮南/及》び六隻の水雷艇なり。  敵は単横陣を張り、我艦隊《我が艦隊》は単縦陣をとって、敵の中央《+マナカ》をさして丁字形に進みしが、あたかも敵陣を距《+さ》る一万メートルの所に至りて、わが先鋒隊はとっさに針路を左に転じて、敵の右翼をさしてまっしぐらに進みつ。先鋒の左に転ずるとともに、わが艦隊は竜の尾をふるうごとくゆ《/ゆ》らゆらと左に動いて、彼我の陣形は丁字一変《テイ字/一変》して八字となり、《:、》彼は横に張り、われは斜めにその右翼に向かいて、さながら一大コンパス形《+ケイ》をなし、彼進み、われ進みて、相距《+あいサ》る六千メートルにいたりぬ。この時敵陣の中央《マナカ》に控えたる定遠艦首《定遠’艦首》の砲台に白煙むらむらと渦まき起こり、三十サンチの両弾丸空中《両弾丸/空中》に鳴りをうってわ《/わ》が先鋒隊の左舷の海に落ちたり。黄海の水驚《水/驚》いて倒《+逆しま》に立ちぬ。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第一章】 【その4】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  黄海! 昨夜《昨ヤ》月を浮かべて白く、今日もさりげなく雲を蘸《+-ひた》し、島影を載せ、睡鴎《+スイオウ》の夢を浮かべて、悠々として画《絵》よりも静かなりし黄海は、今修羅場《+いま修羅ジョウ》となりぬ。  艦橋をおりて武男は右舷速射砲台に行けば、分隊長はまさに双眼鏡をあげて敵の方《ほう》を望み、部下の砲員は兵曹以下おおむねジャケットを脱ぎすて、《:、》腰より上は臂《+ヒジ》ぎりのシャツをまといて潮風《/潮風》に黒める筋太《スジブト》の腕をあらわし、白木綿《+シロ木綿》もてし《/し》っかと腹部を巻けるもあり。黙《もく》して号令を待ち構えつ。この時わが先鋒隊は敵の右翼を乱射しつつす《/す》でに敵前を過ぎ終わらんとし、わが本隊の第一に進める松島は全速力をもって敵に近づきつつあり。双眼鏡をとってかなたを望めば、敵の中央《マナカ》を堅めし定遠鎮遠《定遠’鎮遠》はまっ先にぬきんでて、横陣《オウ陣》やや鈍角をなし、《:、》距離よ《/よ》うやく縮《-ちぢ》まりて二艦《2艦》の形状《+形》は遠目にも次第にあざやかになり来たりぬ。卒然として往年か《/か》の二艦を横浜の埠頭に見しことを思い出《い》でたる武男は、倍の好奇心もて打ち見やりつ。依然当時《依然’当時》の二艦なり。ただ、今は黒煙をはき、白波《+ハクハ》をけり、砲門を開きて、咄々来たってわれに迫らんとするさまの、さながら悪獣《/悪獣》なんどの来たり向こうごとく、《:、》恐るるとにはあらで一種《/一種》やみ難《がた》き嫌厭を憎悪《/憎悪》の胸中にみなぎり出《い》づるを覚えしなり。  たちまち海上はるかに一声《イッセイ》の雷とどろき、物ありグーンと空中に鳴りをうって、松島の大檣《+タイショウ》をかすめつつ、海に落ちて、二丈ばかり水をけ上げぬ。武男は後頂《ゴチョウ》より脊髄を通じて言《/言》うべからざる冷気の走るを覚えしが、たちまち足を踏み固めぬ。他はいかにと見れば、砲尾《砲ビ》に群がりし砲員の列一《列/ひと》たびは揺らぎて、また動かず。艦いよいよ進んで、三個四個五個の敵弾つづけざまに乱れ飛び、一は左舷につりし端艇を打ち砕き、他はすべて松島の四辺《シヘン》に水柱《ミズバシラ》をけ立てつ。 「分隊長、まだですか。」こらえ兼ねたる武男は叫びぬ。時まさに一時を過ぎんとす。「四千メートル」の語は、あまねく右舷及《右舷’及》び艦の首尾に伝わりて、照尺整い、牽索握《曳縄’握》られつ。待ち構えたる一声《イッセイ》のラッパ鳴りぬ。「打てッ!《/》」の号令とともに、わが三十二サンチ巨砲を初め、右舷側砲《右舷ソクホウ/》一斉に第一弾を敵艦にほとばしらしつ。艦は震い、舷にそうて煙おびただしく渦《/渦》まき起こりぬ。  あたかもその答礼として、定遠鎮遠《定遠’鎮遠》のいずれか放ちたる大弾丸す《/す》さまじく空にうなりて、煙突の上二寸《ウエ二寸》ばかりかすめて海に落ちたり。砲員の二三は思わず頭を下げぬ。  分隊長顧《分隊長’顧》みて「だれだ、だれだ、お辞儀をするのは?」  武男を初め候補生も砲員もどっと笑いつ。 「さあ、打てッ! しっかり、しっかり──打てッ!」  右舷側砲《右舷ソクホウ》は連べ放《+打》ちにうち出しぬ。三十二サンチ巨砲も艦を震わして鳴りぬ。後続の諸艦も一斉にうち出しぬ。たちまち敵のうちたる時限弾の一個は、砲台近く破裂して、今しも弾丸を砲尾《砲ビ》に運びし砲員の一人武男《一人/武男》が後ろにどうと倒れつ。起き上がらんとして、また倒れ、血はさっとほとばしりてし《/し》たたかに武男がズボンにかかりぬ。砲員の過半はそなたを顧みつ。 「だれだ? だれだ?」 「西山じゃないか、西山だ、西山だ」 「死んだか」 「打てッ!」分隊長の声鳴りて、砲員皆《砲員みな》砲に群がりつ。  武男は手早く運搬手《運搬しゅ》に死者を運ばし、ふりかえってその位置に立たんとすれば、分隊長は武男がズボンに目をつけ 「川島君、負傷じゃないか」 「なあに、今のとばしるです」 「おおそうか。さあ、今の仇《カタキ》を討ってやれ」  砲は間断なく発射し、艦は全速力をもてはしる。わが本隊は敵の横陣《オウ陣》に対して大いなる弧をえがきつつ、かつ射《イ》かつ駛《+馳》せて、一時三十分過ぎにはすでに敵を半周してその右翼を回り、まさに敵の背後に出《い》でんとす。  第一回の戦い終わりて、第二回の戦いこれより始まらんとすなり。松島の右舷砲し《/し》ばし鳴りを静めて、諸士官砲員淋漓《諸士官’砲員’淋漓》たる汗をぬぐいぬ。  この時彼我の陣形を見れば、わが先鋒隊はいち早く敵の右翼を乱射して、超勇揚威《超勇’揚威》を戦闘力なきまでに悩ましつつ、一回転《イッ回転》して本隊と敵の背後を撃たんとし、《:、》わが本隊のうち比叡は速力劣れるがため本隊に続行するあたわずして、大胆にもひとり敵陣の中央《マナカ》を突貫し、死戦して活路を開きしが、火災のゆえに圏外に去り、西京丸ま《”ま》た危険をのがれて圏外に去らんとし、《:、》敵前に残されし赤城は六百トンの小艦《ショウ艦》をもって独力奮闘重囲《+独力奮闘’チョウイ》を衝いて、比叡のあとをお《追》わんとす。しかして先鋒の四艦と、本隊の五艦とは、整々《せいせい》として列を乱さず。  敵の方《ほう》を望めば、超勇焼《超勇’焼》け、揚威戦闘力《揚威’戦闘力》を失して、敵の右翼乱れ、左翼の三艦は列を乱してわ《我》が比叡赤城《比叡’赤城》を追わんとし、その援軍水雷艇は隔離して一辺《イッペン》にあり。しかして定遠鎮遠以下数艦《定遠’鎮遠’以下スウ艦》は、わがその背後に回《まわ》らんとするより、急に舳《舳先》をめぐらして縦陣に変じつつ、|けなげ《健気》にもわが本隊に向かい来たる。  第二回の戦いは今や始まりぬ。わが本隊は西京丸が掲げし「赤城比叡危険《赤城’比叡’危険》」の信号を見るより、速力大《速力ダイ》なる先鋒隊の四艦を遣わして、赤城比叡を尾《+ビ》する敵の三艦を追い払わせつつ、《:、》一隊五艦依然単縦陣《一隊五艦’依然’単縦陣》をとって、同じく縦陣をとれる敵艦を中心に大《ダイ》なる蛇の目をえがきもてか《/か》つ駛《+走》りかつ撃ち、二時すでに半ばならんとする時《とき》、敵艦隊を一周し終わって敵のこなたに達しつ。このときわが先鋒隊は比叡赤城《比叡’赤城》を尾《+ビ》する敵の三艦を一戦にけ散らし、にぐるを追うて敵の本陣に駆り入れつつ、一括してかなたより攻撃にかかりぬ。さればわが本隊先鋒隊はあたかも敵の艦隊を中央《マナカ》に取りこめて、左右よりさし|はさ《挟》み撃たんとすなり。  第三次の激戦今始まりぬ。わが海軍の精鋭と、敵の海軍の主力と、共に集まりたる彼我の艦隊は、大全速力《ダイ全速力》もて駛《+馳》せ違い入《/入》り乱れつつ相たたかう。あたかも二竜の長鯨《ナガクジラ》を巻くがごとく黄海《/黄海》の水たぎって一面の泡となりぬ。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第一章】 【その5】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  わが本隊は右、先鋒隊は左、敵の艦隊をまん中に取りこめて、引|つ包ん《っクルン》で撃たんとす。戦いは今たけなわになりぬ。戦いの熱するに従って、武男はいよいよ|われ《吾》を忘れつ。その昔学校《昔/学校》にありて、ベースボールに熱中せし時、勝敗のここしばらくの間《マ》に決せんとする大事の時に際するごとに、《:、》身のたれたり場所《’場所》のいずくたるを忘れ、ほとんど物《モノ》ありて空《/空》よりわれを引き回すように覚えしが、今やあたかもその時に異ならざるの感を覚えぬ。艦隊敵《艦隊’敵》と離れてま《”ま》た敵に向かい行く間《マ》と、艦体一転《艦体’一転》して左舷敵に向かい右舷《/右舷》しばらく閑なる間《マ》とを除くほかは、間断なき号令に声かれ、汗は淋漓として満面にしたたるも、さらに覚えず。旗艦を目ざす敵の弾丸ひ《/ひ》とえに松島にむらがり、鉄板上に裂け、木板《+ボクハン》焦がれ、血は甲板にま《-ま》みるるも、さらに覚えず。敵味方の砲声はあたかも心臓の鼓動に時を合わしつつ、やや間《マ》あれば耳辺《ジヘン》の寂《淋》しきを怪しむまで、身は全く血戦の熱に浮かされつ。されば、部下の砲員も乱れ飛ぶ敵弾を物ともせず、装填し照準を定め牽索《+曳縄》を張り発射しま《”ま》た装填するまで、射的場の精確さらに実戦の熱を加えて、《:、》火災は起こらんとするに消し、弾《たま》は命ぜざるに運び、死亡負傷《死亡’負傷》はたちまち運び去り、ほとんど士官の命《メイ》を待つまでもなく、手おのずから動き、足おのずから働きて、戦闘機関は間断なくなめらかに運転せるなり。  この時目をあぐれば、灰色の煙空《煙’空》をおおい海《/海》をおおうて十重二十重《/十重二十重》に渦まける間《マ》より、思いがけなき敵味方の檣と軍艦旗はか《/か》なたこなたに|ほの《仄》見え、《:、》ほとんど秒ごとに轟然たる響きは海を震わして、弾《たま》は弾と空中に相うって爆発し、海は間断なく水柱《ミズバシラ》をけ上げて煮え|かえ《返》らんとす。 「愉快! 定遠が焼けるぞ!」か《涸》れたる声ふり絞りて分隊長は叫びぬ。  煙の絶え間より望めば、黄竜旗《+コウリョウキ》を翻せる敵の旗艦の前部は黄煙渦《/黄煙’渦》まき起こりて、蟻のごとく敵兵のうごめき騒ぐを見る。  武男を初め砲員一斉に快《カイ》を叫びぬ。 「さあ、やれ。やっつけろッ!」  勢い込んで、砲は一時《一時’》に打ち出《+-いだ》しぬ。  左右より夾撃せられて、敵の艦隊は|くず《崩》れ立ちたり。超勇はすでにまっ先に火を帯びて沈み、揚威はとくすでに大破して逃れ、致遠また没せんとし、定遠火起《定遠’火’起》こり、来遠また火災に苦しむ。こらえ兼ねし敵艦隊はついに定遠鎮遠《定遠’鎮遠》を残して、ことごとくちりぢりに逃げ出《+-いだ》しぬ。わが先鋒隊はすかさずそのあとを追いぬ。本隊五艦《本隊’五艦》は残れる定遠鎮遠《定遠’鎮遠》を撃たんとす。  第四回の戦い始まりぬ。  時まさに三時、定遠の前部は火いよいよ燃えて、黄煙《コウエン》おびただしく立ち上れど、なお逃れず。鎮遠またよく旗艦を護《ゴ》して、二大鉄艦巍然山《2大テッ艦’巍然/山》のごとくわれに向かいつ。わが本隊の五艦は今や全速力をもって敵の周囲を駛《+馳》せつつ、幾回かめぐりては乱射し、めぐりては乱射《乱射’》す。砲弾は雨のごとく二艦に注ぎぬ。しかも軽装快馬《軽装カイバ》のサラセン武士が馬をめぐらして重鎧《/重鎧》の十字軍士を射るがごとく、命中する弾丸多くは二艦の重鎧にはねかえされて、艦外に破裂し終わりつ。午後三時二十五分わ《/我》が旗艦松島はあたかも敵の旗艦と相並びぬ。わがうち出す速射砲弾のまさしく彼《-か》が艦腹《カンプク》に中りて、はねかえりて花火のごとくむ《/む》なしく艦外に破裂するを望みたる武男は、憤《いか》りに堪え得ず、歯をくいしばりて、右の手もて剣の柄《ツカ》を破れよと打ちたたき、 「分隊長、無念です。あ‥‥あれをごらんなさい。畜生ッ!」 【 分隊長は血眼になりて甲板を踏み鳴らし】 「うてッ! 甲板をうて、甲板を! なあに! うてッ!」 「うてッ!」武男も声ふり絞りぬ。  歯をくいしばりたる砲員は憤然として勢《/勢》い猛く連べ放《+打》ちに打ち出《+-いだ》しぬ。 「も一つ!」  武男が叫びし声と同時に、霹靂満艦《霹靂’満艦》を震動して、砲台内に噴火山の破裂するよと思うその時おそく、雨のごとく飛び散る物にうたれて、武男はどうと倒れぬ。  敵艦の発《+打》ち出《+-いだ》したる三十サンチの大榴弾二個《ダイ榴弾’二個》、あたかも砲台のまん中を貫いて破裂せしなり。 「残念ッ!」  叫びつつはね起きたる武男は、また尻居にどうと倒れぬ。  彼は今《-いま》体の下半《カハン》におびただしき苦痛を覚えつ。倒れながらに見れば、あたりは一面の血《/血》、火《’火》、肉のみ。分隊長は見えず。砲台は洞《ホラ》のごとくなりて、その間《あいだ》より青きもの揺らめきたり。こは海なりき。  苦痛と、いうべからざるいたましき臭《+香》のために、武男が目は閉じぬ。人のうめく声《コエ》。物の|燃ゆる音《モユル-オト》。ついで「火災!《/》 火災!《/》 ポンプ用意ッ!《/》」と叫ぶ声。同時に走《+馳》せ来る足音。  たちまち武男は手ありて|われ《吾》を|もたぐ《モタグ》るを覚えつ。手の脚部に触《ふ》るるとともに、限りなき苦痛は脳頂に響いて、思わず「あ」と叫びつつのけぞり──紅の靄閉《靄/閉》ざせる目の前に渦まきて、次第にわれを失いぬ。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第二章】 【その1】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  大本営所在地広島《大本営所在地’広島》においては、十月《+十ゲツ》中旬、第一師団はとくすでに金州半島に向かいたれど、そのあとに第二師団の健児広島狭《健児/広島’狭》しと入り込み来たり、《:、》しかのみならず臨時議会開かれんとして、六百の代議士続々東《代議士’続々’東》より来つれば、高帽腕車はいたるところ剣佩《+佩剣’》馬蹄の響きと入り乱れて、維新当年《維新’当年》の京都の|にぎあい《ニギアイ》を再《/再》びここ山陽に見る心地せられぬ。  市の目ぬきという大手町通りは「参謀総長宮殿下《参謀総長ミヤ殿下》」「伊藤内閣総理大臣」「川上陸軍中将」なんどい《/い》かめしき宿札《宿フダ》うちたるあたりより、《:、》二丁目三丁目と下がりては戸《/戸》ごとに「徴発に応ずべき坪数|○○畳《マルマルジョウ》、|○間《マルマ》」と貼札して、《:、》おおかたの家には士官下士《士官’下士》の姓名兵の隊号人数《+/隊号ニンズ》を記せし紙札《紙フダ》を張りたるは、仮兵舎《+バラック》にも置きあまりたる兵士《/兵士》の流れ込みたるなり。その間《あいだ》には「|○○《マルマル》酒保事務所」|「○○組《「マルマルクミ》人夫事務取扱所《人夫事務’取扱所》」など看板新《看板’新》しく人影《+ジンエイ》の忙しく出入りするあれば、《:、》そこの店先にては忙《-せ》わしくラムネ瓶を大箱《オオバコ》に詰め込み、こなたの店はビスケットの箱山《箱/山》のごとく荷造りに汗を流す若者あり。この間を縫うて馬上《-ばじょう》の将官が大本営の方《ほう》に急ぎ行きしあとより、電信局にかけつくるにか鉛筆《/鉛筆》を耳にさしはさみし新聞記者の車を飛ばして過《す》ぐる、《:、》やがて鬱金木綿に包みし長刀《チョー刀》と革嚢《+鞄》を載せて停車場《+ステーション》の方《ほう》より来る者、面黒々《おもて黒々》と日にやけてま《”ま》だ夏服の破れたるまま宇品より今《-いま》上陸して来つと覚しき者《モノ》と行き違い、《:、》新聞の写真付録にて見覚えある元老の何《/何》か思案顔に車を走らすこなたには、近きに出発すべき人夫が鼻歌歌《鼻歌うと》うて往来をぶらつけば、《:、》かなたの家の|縁さき《縁先》に剣をとぎつつ健児が歌う北音《ホクオン》の軍歌は、川向こうのなまめかしき広島節《広島ブシ》に和して響きぬ。 「陸軍御用達《陸軍ご用達し》」と一間あまりの大看板《ダイ看板》、その他看板二三《他看板二’三》枚、入り口の三方《3方》にかけつらねたる家の玄関先《/玄関先》より往来にかけて粗製毛布《+粗製ケット/》防寒服ようのもの山と積みつつ、《:、》番頭らしきが若者五六人《若者ゴロクニン》をさしずして荷造りに忙《-いそが》しき所に、客を送りてそそくさと奥より出《い》で来《こ》し五十あまりの爺《+親父:》、額《ヒタイ》やや禿げて目《/目》じりたれ左眼《/左眼》の下にしたたかな赤黒子《+赤ボクロ》あるが、何か番頭にいいつけ終わりて、入《い》らんとしつつた《/た》ちまち門外を上手《カミ手》に過ぎ行く車を目がけ 「田崎君《+タザキさん》‥‥田崎君《+タザキさん》」  呼ぶ声の耳に入らざりしか、そのままに過ぎ行くを、若者して呼び戻さすれば、車は門に帰りぬ。車上の客は五十あまり、色赤黒く、頬《ホオ》ひげ少しは白きもまじり、黒紬の羽織に新しからぬ同じ色の中山帽《+チュウヤマ》をいただき|蹴込み《/蹴込》に中形の鞄を載せたり。呼び戻されてけげんの顔は、玄関に立ちし主人を見るより驚きにかわりて、帽を脱ぎつつ 「山木さんじゃないか」 「田崎君《+タザキさん》、珍しいね。いったいいつ来たン《ん》です?」 「この汽車で帰京《+帰》るつもりで」と田崎《タザキ》は車をおり、筵繩なんど取り散らしたる間を縫いて玄関に寄りぬ。 「帰京《+帰る》? どこにいつおいでなので?」 「はあ、つい先日佐世保に行って、今帰途《+いま帰り》です」 「佐世保? 武男さん──旦那のお見舞?」 「はあ、旦那の見舞に」 「これはひどい、旦那の見舞に行きながら往返《+行き帰り》とも素通りは実にひどい。娘も娘、御隠居も御隠居だ、はがきの一枚も来ないものだから」 「何、急ぎでしたからね」 「だッ《っ》て、行きがけにちょっと寄ってくださりゃよかったに。とにかくまあお上がんなさい。車は返して。いいさ、お話もあるから。一汽車《ひと汽車》おくれたッ《っ》ていいだろうじゃないか。──ところで武男さん──旦那の負傷《+怪我》はいかがでした? 実《じつ》はわたしもあの時お負傷《+怪我》の事を聞いたン《ん》で、ちょいとお見舞に行かなけりゃならんならんと思ってたン《ん》だが、思ったばかりで、──《─:》ちょうど第一師団が近々にでかけるというン《ん》で、滅法忙しかっ《-っ》たもン《ん》ですから、ついその何で、お見舞状だけあげて置いたン《ん》でしたが。──ああそうでしたか、別に骨にも障らなかったですね、大腿部──|はあ《ハア》そうですか。とにかく若い者は結構ですな。お互いに年寄りはちょっと指さきに刺《トゲ》が立っても、一週間や二週間はかかるが、旦那なんざお年が若いものだから──《─:》とにかく結構おめでたい事でした。御隠居も御安心ですね」  中腰に構えし田崎《タザキ》は時計を出《+-いだ》し見つ、座を立たんとするを、山木は引きとめ 「まあいいさ。幸いのついでで、少し御隠居に差し上げたいものもあるから。夜汽車になさい。夜汽車だとまだ大分《だいぶ》時間がある。ちょっと用を済まして、どこぞへ行って、一杯やりながら話すとしましょう。広島《+此処》の魚は実にうまいですぜ」  口は肴よりもなおう《-う》まかるべし。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第二章】 【その2】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  秋の夕日天安川《+夕日/アマヤス川》に流れて、川に臨める某亭《+ナニガシ亭》の障子を金色に染めぬ。二階は貴衆両院議員の有志が懇親会とやら抜《/抜》けるほどの騒ぎに引きかえて、下の小座敷は婢《+女》も寄せずた《/た》だ二人話しもて杯《サカズキ》をあぐるは山木とか《-か》の田崎《タザキ》と呼ばれたる男なり。  この田崎《タザキ》は、武男が父の代より執事の役を務めて、今もほど近きわが家より日々川島家《日々’川島ケ》に通いては、何くれと忠実《+まめやか》に世話をなしつ。如才なく切って回す力量なきかわりには、主家の収入をぬすみてわがふところを肥やす気づかいなきがこの男の取り柄と、武男が父は常に言いぬ。されば川島未亡人《+川島隠居》にも武男にも浅からぬ信任を受けて、今度も未亡人《+隠居》の命《メイ》によりては《/は》るばる佐世保に主人の負傷《怪我》をば見舞いしなり。  山木は持ったる杯《サカズキ》を下に置き、額《ヒタイ》のあたりをなでながら「実は何《-なん》ですて、わたしも帰京《+帰り》はしても一日泊まりです《/す》ぐとまた広島《+此処》に引き返すというようなわけで、そんな事も耳に入らなかッ《っ》たですが。それでは何《なん》ですね、あれから浪子さんもよほどわるかッ《っ》たのですね。なるほどどうもち《/ち》っとひどかったね。しかしともかくも川島家《+川島ケ》のためだから仕方がないといったようなもので。|はあ《ハア》そうですか、近ごろはまた少しはいい方《ほう》で、なるほど、逗子に保養に行っていなさるかね。しかしあの病気ばかりはいくらよく見えてもどうせ死病だて。ところで武男──いや若旦那はまだ怒っていなさるかね」  椀の蓋をとれば松茸《+マツダケ》の香の立ち上《のぼ》りて鯛《/鯛》の脂の珠と浮《-う》かめるをうまげに吸いつつ、田崎《タザキ》は髯押しぬぐいて 「さあ、そこですがな。それはもうも《/も》とをいえば何もお家のためでしかたもないといったものの、なあ山木君《+山木さん》、旦那の留守に何も相談なしにやっておしまいなさるというは、御隠居も少し御気随《ご気随》が過ぎたというものでな。実《じつ》はわたしも旦那のお帰りまでお待ちなさるようにと申し上げて見たのじゃが、あのお気質で、いったんこうと言い出しなすった事は否応なしにやり遂げるお方だから、とうとうあの通《とお》りになったン《ん》で。これは旦那がおもしろく思いなさらぬももっともじゃとわたしは思うくらい。それに困った人はあの千々岩《+千々石》さん──《─:》たしかもうアッチ(シン国)に渡《+-い》ったように聞いたですが」  山木はじろりとあなたの顔を見つつ「千々岩《千々石》!《/》 |はあ《ハア》あの男はこのあいだ出征《+出かけ》たが、なまじっか顔を知られた報いで、ここに滞在中《+いるうち》もたびたび無心にやって来て困ったよ。顔《+ツラ》の皮の厚い男でね。戦争《+-いくさ》で死ぬかもしれんから香奠と思って餞別をくれろ、その代わり生命《イノチ》があったらきっと金鵄勲章をとって来るなんかいって、百両ばかり踏んだくって行ったて。ハハハハハ、ところで武男君《+武男さん》は負傷《+怪我》がよくなったら、ひとまず帰京《+帰り》なさるかね」 「さあ、御自身《ご自身》はよくなり次第す《/す》ぐまた戦地に出かけるつもりでいなさるようですがね」 「相変わらず元気な事を言いなさる。が、田崎君《+タザキさん》、一度は帰京《+帰》って御隠居と仲直りをなさらんといけないじゃあるまいか。どれほど気に入っていなすったか知らんが、浪子さんといえばもはや縁の切れたもので、その上健康《+うえ達者》な方でもあることか、死病にとりつかれている人を、まさかあらためて呼び取りなさるという事もできまいし、《:、》まあ過ぎた事は仕方がないとして、早く親子仲直《親子’仲直》りをしなさらんじゃなるまい、とわたしは思うが。なあ、田崎君《+タザキさん》」  田崎《タザキ》は打ち案じ顔に「旦那はあの通《とお》り正直《+真っ直ぐ》なお方だから、よし御隠居の方《ほう》がわるいにもしろ、自分の仕打ちもよくなかったとそう思っていなさる様子でね。それに今度わたしがお見舞に行ったン《ん》でまあ御隠居のお心も通《-かよ》ったというものだから、仲直りも何もありやしないが、しかし──」 「戦争中《+イクササナカ》の縁談もおかしいが、とにかく早く奥様を迎《+-よ》びなさるのだね。どうです、旦那は御隠居と仲直りはしても、やっぱり浪子さんは忘れなさるまいか。若い者は最初のうちはよく強情を張るが、しかし新しい人が来て見るとやはりかわゆくなるものでね」 「いやそのことは御隠居も考えておいでなさるようだが、しかし──」 「むずかしかろうというのかね」 「さあ、旦那があんな一途な方だから、そこはどうとも」 「しかしお家《イエ》のため、旦那のためだから、なあ田崎君《+タザキさん》」  話は|しば《暫》し途切れつ。二階には演説や終わりつらん、拍手の音盛《’音’盛》んに聞こゆ。障子の夕日やや薄れて、ラッパの響耳《+音’耳》に冷ややかなり。  山木は杯《サカズキ》を清めて、あらためて田崎《タザキ》にさしつつ 「時に田崎君《+タザキさん》、娘がお世話になっているが、困ったやつで、どうです、御隠居のお気には入《-い》りますまいな」  浪子が去られしより、一月《ひと月》あまりたちて、山木は親しく川島未亡人《+川島隠居》の薫陶を受けさすべく行儀見習いの名をもって、娘お豊を川島家《+川島ケ》に入れ置きしなりき。  田崎《タザキ》はほほえみぬ。何か思い出《い》でたるなるべし。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第二章】 【その3】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  田崎《タザキ》はほ《-ほほ》えみぬ。川島未亡人は眉をひそめしなり。  武男が憤然席《憤然’席》をけ《蹴》立てて去りしかの日、母はこの子の後ろ影《+姿》をにらみつつ叫びぬ。 「不孝者めが! どうでも勝手にすッ《っ》がええ」  母は武男が常によく孝《コウ》にして、わが意を迎《-むか》うるに踟蹰せざるを知りぬ。知れるがゆえに、その浪子に対するの愛も《/も》とより浅きにあらざるを知りつつも、その両立するあたわざる場合には、一も二もなくか《-か》の愛をすててこ《/こ》の孝を取るならんと思えり。思えるがゆえに、その仕打ちのわれながらむしろ果断に過《す》ぐるを思わざるにあらざりしも、なお家《イエ》のため武男のためと謂いつつ、独断をもて浪子を離別せるなり。武男が憤《-いか》りの意外にはげしかりしを見るに及んで、母は初めてわが違算を悟り、同時にいわゆる母なるものの決して絶対的権力をそ《/そ》の子の上に有するものにあらざるを知りぬ。さきにはその子の愛の浪子に注ぐを一種不快の目をもて見たりしが、今は母の愛母《愛/母》の威光母《威光/母》の恩をもってしてなお死《/死》に瀕したる一浪子《イチ浪子》の愛に勝つあたわざるを見るに及び、《:、》わが威権全《威権’全》くおちたるように、その子をば全く浪子に奪い去られしように感じて、かつは武男を怒り、かつは実家《+里》に帰り去れる後《のち》までもなお浪子を|のの《罵》しれるなり。  なお一つその怒りを激せしものありき。そはおぼろげながら方寸のいずれにかお《/お》のが仕打ちの非なるを、知るとにはあらざれど、いささかその疑いのほのかにたなびけるなり。武男が憤《-いか》りの底にはちとの道理なかりしか。わが仕打ちにはちとのわが領分を越えてそ《/そ》の子を侵せし所はなかりしか。眠られぬ夜半にひとり奥の間《マ》の天井《/天井》にうつる行燈《+アンドウ》の影ながめつつ考《/かんが》うるとはなく思えば、いずくにか汝の誤りなり汝《/汝》の罪なりとささやく声あるように思われて、さらにその胸の乱《-みだ》るるを覚えぬ。世にも強きは自ら是《これ》なりと信ずる心なり。腹立たしきは、あるいは人よりあ《/あ》るいはわが衷なるあるものよりわ《/わ》が非を示されて、われとわが良心の前に悔悟の膝を折る時なり。灸所《急所》を刺せば、猛獣は叫ぶ。わが非を知れば、人は怒《-いか》る。武男が母は、これがために抑え難《がた》き怒《いか》りは《は-》なおさらに悶《+モン》を加えて、いよいよ武男の怒《-いか》るべく、浪子の悪むべきを覚えしなり。武男は席をけ《蹴》って去りぬ。一日また一日《イチニチ》、彼は来たりて罪を謝するなく、わびの書だも送り来たらず。母は胸中の悶々を漏らすべきただ一の道として、その怒りをほしいままにして、わずかに自ら慰めつ。武男を怒り、浪子を怒り、かの時を思い出《出’》でて怒り、将来を想うて怒り、悲しきに怒り、さびしきに怒り、詮方なきにまた怒り、《:、》怒《いか》り怒りて怒りの疲労《+疲れ》にようやく夜も睡《+ネブ》るを得にき。  川島家《+川島ケ》にては平常にも恐ろしき隠居が疳癪の近《/近》ごろはまたひ《/ひ》た燃えに燃えて、慣れしおんなばらも幾たびか手荷物《/手荷物》をしまいかける間《マ》に、朝鮮事起こりて豊島牙山《+ホウトウ牙山》の号外は飛びぬ。戦争《いくさ》に行くに告別《+暇乞い》の手紙の一通もやらぬ不埒なやつと母は幾たびか怒りしが、《:、》世間の様子を聞けば、田舎よりその子の遠征を見送らんと出《い》で来る老婆、物を贈り書を送りてその子を励ます母もありというに、子は親に怒り親は子を憤《-いか》りて一通の書だに取りかわさず、《:、》彼は戦地にわれは帝都に、おのおの心に不快の塊をいだいて、もしこのままに永別となるならば、と思うとはなく、ほのかに感じたる武男が母は、ついにののしりののしり我《ガ》を折りて引《/引》きつづき二通の書を戦地にあるその子にやりぬ。  折りかえして戦地より武男が返書は来たれり。返書来たりてより一月《ひと月》あまりにして、一通《1通》の電報は佐世保の海軍病院より武男《/武男》が負傷を報じ来《こ》しぬ。さすがに母が電報をとりし手はわ《/わ》なわなと打ち震いつ。ほどなくその負傷は命に関するほどにもあらざる由を聞きたれど、なお田崎《タザキ》を遠く佐世保にやりてそ《/そ》の|ようす《様子》を見させしなりき。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第二章】 【その4】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  田崎《タザキ》が佐世保より帰りて、子細に武男の|ようす《様子》を報ぜるより、母はやや安堵の胸をなでけるが、なおこの上は全快を待ちて一応顔《一応’顔》をも見、また戦争済《いくさ-す》みたらば武男がために早《/早》く後妻《+コウサイ》を迎《むか》うるの得策なるを思いぬ。かくして一には浪子を武男の念頭より絶ち、一には川島家《+川島ケ》の祀《+祀り》を存し、一にはまた心の奥の奥において、さきに武男に対せる所行《+仕業》のや《/や》や暴に過ぎたりしその|罪? 亡《罪亡》ぼしをなさんと思えるなり。  武男に後妻《+コウサイ》を早く迎えんとは、浪子を離別に決せしその日より早くす《/す》でに母の胸中にわき出《い》でし問題なりき。それがために数多《数’多》からぬ知己親類《知己’親類》の嫁《/カ》しうべき嬢子《+娘》を心のうちにあれこれと繰り見しが、思わしきものもなくて、思い迷えるおりから、山木は突然《突然’》娘お豊を行儀見習いと称して川島家《+川島ケ》に入れ込みぬ。武男が母とて白痴にもあらざれば、山木が底意は必ずしも知らざるにあらず。お豊が必ずしも知徳兼備の賢婦人《ケン婦人》ならざるをも知らざるにはあらざりき。されどおぼるる者は藁をもつかむ。武男が妻定《’妻定》めに窮したる母は、山木が望みを幸い、試みにお豊を預かれるなり。  試験の結果は、田崎《タザキ》がほほえめるがごとし。試験者も受験者も共に満足せずして、いわば婢《+女》ばらがうさはらしの種となるに終われるなり。  初めは平和、次ぎに小口径の猟銃を用いて軽々《+ケイケイ》に散弾を撒き、ついに攻城砲の恐ろしきを打ち出《+-いだ》す。こは川島未亡人が何人《ナンピト》に対しても用《-もち》うる所の法なり。浪子もかつてその経験をなめぬ。しかしてその神経の敏《ビン》に感《/感》の鋭かりしほどその苦痛を感ずる事も早《ハヤ》かりき。お豊も今その経験をしいられぬ。しかしてその無為にして化する底《+テイ》の性質は、散弾の飛ぶもほ《/ほ》とんどいずこの家に煎る豆ぞと|思い貌《+オモイガオ》に過《す》ぐるより、かの攻城砲は例《/例》よりもすみやかに持ち出《+-いだ》されざるを得ざりしなり。  その心悠々《心’悠々》として常に春がすみのたなびけるごとく、胸中に一点の物無うして人我《+/ニンガ》の別定《別’定》かならぬのみか、往々にして個人の輪郭消えて直ちに動植物と同化せんとし、春の夕べに庭などに立ちたらば、《:、》霊《+タマ》も体もそのまま霞のうちに融け去りてす《/す》くうも手にはたまらざるべきお豊も恋《/恋》に自己を自覚し初めてより、にわかに苦労というものも解《カイ》し初《始》めぬ。眠き目こすりて起き出《い》づるより、あれこれと追い使われ、その果ては小言大喝《+小言’怒鳴り》。もっとも陰口中傷《+陰口’当てこすり》は概して解かれぬままに鵜呑みとなれど、連《つる》べ放《+打》つ攻城砲のみはい《/い》かに超然たるお豊も当たりかねて、恋しき人の家ならずばと《/と》くにも逃げ出《+-いだ》しつべく思えるなり。さりながら父の戒め、おりおり桜川町《桜川チョウ》の宅《+うち》に帰りて聞く母の訓《+教え》はここと、けなげにもなお攻城砲の前に陣取《陣ど》りて、日また日を忍びて過ぎぬ。時にはたまり兼ねて思いぬ、恋は《は-》かくもつらきものよ、もはや二度とは人を恋わじと。あわれむべきお豊は、川島未亡人のためにはその乱れがちなる胸の安全管にせられ、家内の婢僕《+オンナオトコ》には日|なが《長》の慰みにせられ、《:、》恋しき人の顔を見ることも無うして、生まれ出でてより例なき克己《コッキ》と辛抱をもって当《/当》てもなきものを待ちけるなり。  お豊が来たりしより、武男が母は新たに一の懊悩をば添えぬ。失える玉は大《ダイ》にして、去れる婦《+嫁》は賢《ケン》なり。比較になるべき人ならねども、お豊が来たりて身近に使わるるに及びて、なすことごとに気に入るはなくて、《:、》武男が母は堅くその心をふさげるにかかわらず、ともすれば昔わが|しか《叱》りもし|ののし《/罵》りもせしその人を思い出《-い》でぬ。光を韞《+-つつ》める女の、言葉多からず起居《+立ち居》にしとやかなれば、見たる所は目より鼻にぬけるほど華手《+派手》には見えねど、不なれながらもよくこちの気を飲み込みて機転もきき、第一心《第一’心》がけの殊勝なるを、図に乗っては口ぎたなくののしりながら、《:、》心の底にはあの年ごろでよく気がつくと暗に白状せしこともありしが、今《いま》目の前に同じ年ごろのお豊を置きて見れば、是非なく比較はとれて、事ごとに思うまじと思う人を思えるなり。されば日々気《日々’気》にくわぬ事の出で来るごとに、春がすみの化けて出《い》でたる人間の名《/名》をお豊と呼ばれて目《/目》は細々《+サイサイ》と口《/口》も閉じあえず|すわ《座》れるかたわらには、《:、》いつしか色少し蒼《青》ざめて髪黒々《髪’黒々》とし《/し》とやかなる若き婦人《+女》の利発らしき目をあげてつ《/つ》くづくとわが顔をながめつつ「いかがでございます?」というようなる心地して武男《/武男》が母は思わずもわななかれつ。「じゃって、病気をすっがわるかじゃなっか」と幾たびか陳弁《+言い訳》すれど、なお妙に胸先に込みあげて来るものを、自己は怒りと思いつつ、果てはまた大声あげて、お豊に当たり散らしぬ。  されば、広島の旗亭に、山木が田崎《タザキ》に向かいて娘お豊を武男が後妻《+コウサイ》にとお《/お》ぼろげならず言い出《い》でしその時は、《:、》川島未亡人とお豊の間は去《/去》る六月《+6ゲツ》における日清の間《あいだ》よりも危うく、彼出《+彼いだ》すか、われ出《-い》づるか、危機はいわゆる一髪にかかりしなりき。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第三章】 【その1】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  |枕べ近《枕辺ちか》き小鳥の声に呼びさまされて、武男は目を開《-あ》きぬ。  ベッドの上より手を伸ばして、窓かけ引き退くれば、今向《いま向》こう山を離れし朝日花《朝日/花》やかに玻璃窓《+玻璃ソウ》にさし込みつ。山は朝霧《朝霧’》なお白けれど、秋の空はすでに蒼々《青々》と澄み渡りて、窓前一樹染《窓前イチジュ”染》むるがごとく紅《+クレナイ》なる桜の梢をあ《/あ》ざやかに襯《+シン》し出《+-いだ》しぬ。梢に両三羽《両サンワ》の小鳥あり、相語《相’語》りつつ枝《エダ》より枝におどれるが、ふと言い合わしたるように玻璃窓《+玻璃ソウ》のうちをのぞき、《:、》半身《ハンミ》をもたげたる武男と顔見合わし、驚きたって飛び去りし羽風に、黄なる桜の一葉《イチヨウ》ばらりと散りぬ。  われを呼びさませし朝《+アシタ》の使いは彼なりけるよと、武男はほほえみつ、また枕につかんとして、痛める所あるがごとくいささか眉をひそめつ。すでにしてようやく身をベッドの上に安んじ、目を閉じぬ。  朝《+アシタ》静かにして、耳わずらわす響《+音》もなし。鶏鳴《ニワトリ鳴》き、ふなうた遠く聞こゆ。  武男は目を開いて笑み、また目を閉じて思いぬ。 ◇。◇。◇。◇。◇。  武男が黄海に負傷して、ここ佐世保の病院に身を託せしより、すでに一月余《ひと月’余》り過ぎんとす。  かの時、砲台の真中《+マナカ》に破裂せし敵の大榴弾《/ダイ榴弾》の乱れ飛ぶにうたれて、尻居にどうと倒れつつ|はげ《/激》しき苦痛に一時われを失いしが、《:、》苦痛のはなはだしかりし|わり《割》に、脚部の傷は二か所とも幸いに骨を避けて、その他《ほか》はち《/ち》との火傷を受けたるのみ。分隊長は骸《+ガイ》も留《-とど》めず、同僚は戦死し、部下の砲員無事《砲員’無事》なるは|まれ《稀》なりしが|なか《中》に、不思議の命をとりとめて、この海軍病院に送られつ。最初《+初め》はさすがに熱《ネツ》もはげしく上りて、ベッドの上のうわ言にも手を戟《+ホコ》にして敵艦《/敵艦》をののしり分隊長《/分隊長》と叫びては医員を驚かししが、《:、》もとより血気盛んなる若者の、傷もさまで重きにあらず、時候も秋涼に向かえるおりから、熱は次第に下《お》り、経過よく、膿腫の患《+憂い》もなくて、すでに一月《ひと月》あまり過ぎし今日このごろは、なお幾分の痛みをば覚《おぼ》ゆれど、《:、》ともすれば石炭酸の臭《カ》の満ちたる室《部屋》をぬけ出《い》でて秋晴《+/シュウセイ》の庭におりんとしては軍医の小言をくうまでになりつ。この上はただ速やかに戦地に帰らんと、ひたすら医《/医》の許容《+許し》を待てるなりき。  思いすてて塵芥《+チリアクタ》よりも軽《-かる》かりし命は不思議にながらえて、熱去《熱’去》り苦痛薄《/苦痛’薄》らぎ食欲復《/食欲'復》するとともに、われにもあらで生《セイ》を楽しむ心は動き、従って煩悩《煩悩’》もわきぬ。蝉は殻を脱げども、人はおのれを脱《+逃》れ得ざれば、戦いの熱病の熱《/熱》に中絶《+ナカタ》えし記憶の糸はそ《/そ》の体のやや癒えてそ《/そ》の心の平生に復《+帰》るとともにま《”ま》たおのずから掀《+-かか》げ起こされざるを得ざりしなり。  されど大疾《タイシツ》よく体質を新たにするにひとしく、わずかに一紙を隔てて死と相見たるの経験は、武男が記憶を別様《別ヨウ》に新たなら《ら-》しめたり。激戦、及びその前後に|相つ《相次》いで起こりし異常《/異常》の事と異常の感は、風雨のごとくその心を簸《+奮》い撼《+動》かしつ。風雨はすでに過ぎたれど、余波はなお心の海に残りて、浮かぶ記憶はおのずから異なる態《テイ》をとりぬ。武男は母を憤《-いか》らず、浪子をば今は世になき妻を思うらんようにそ《/そ》の心の龕に祭りて、浪子を思うごとにさ《/さ》ながら遠き野末の悲歌を聞くごとく、一種なつかしき哀しみを覚えしなり。  田崎《タザキ》来たり|見舞い《見舞》ぬ。武男はよりて母の近況を知りま《”ま》たほのかに浪子の近況《+様子》を聞きぬ。(武男の気をそこなわんことを恐れて、田崎《タザキ》はあえて山木の娘の一条をばいわざりき)《):》武男は浪子の事を聞いて落涙し、田崎《タザキ》が去りし後《のち》も、松風さびしき湘南の別墅《/別墅》に病める人の面影は、黄海の戦いとかわるがわる武男が宵々《+ショウショウ》の夢に入《い》りつ。  田崎《タザキ》が東に帰りし後数日《+のちスジツ》にして、いずくよりともなく一包《ひと包》みの荷物武男がもとに届きぬ。 ◇。◇。◇。◇。◇。  武男は今その事を思えるなり。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第三章】 【その2】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  武男が思えるはこれなり。  一週前《+一週ゼン》の事なりき。武男は読みあきし新聞を投げやりて、ベッドの上に|あくび《欠伸》しつつ、窓外を打ちながめぬ。同室の士官昨日退院《士官’昨日’退院》して、室内には彼一人なりき。時は黄昏に近く、病室はほのぐらくして、窓外には秋雨滝《秋雨’滝》のごとく降りしきりぬ。隣室の患者に電気かく《来》るにやあらん。じじの響き絶《/絶》え間なく雨に和して、うたた室内のわびしさを添えつ。聞くともなくその響《+音》に耳を仮して、目は窓に向かえば、吹きしぶく雨淋漓《雨’淋漓》としてガラスにしたたり、しとどぬれたる夕暮れの庭はま《”ま》だらに現われてま《”ま》た消えつ。  茫然としてながめ入りし武男は、たちまち頭より毛布《ケット》を引きかつぎぬ。  五分《5分》ばかりたちて、人の入《い》り来る足音して、 「お荷物が届きました。‥‥おやすみですか」  頭を出《+-いだ》せば、ベッドの横側に立てるは、|小使い《小使》なり。油紙包《油ガミ包》みを抱《いだ》き、廿文字《+二ジュウモンジ》に|から《絡》げし重《’重》やかなる箱をさげて立ちたり。  荷物? 田崎帰《タザキかえ》りてまだ幾日《+幾カ》もなきに、たが何を送りしぞ。 「ああ荷物か。どこからだね?」  |小使い《小使》が読める|差し出し《差出》人は、聞きも知らぬ人の名なり。 「ちょっとあけてもらおうか」  油紙《油ガミ》を解けば、新聞、それを解けば紫の包み出《い》でぬ。包みを解けば出《い》でたり、ネルの単衣、柔らかき絹物の袷、白縮緬の兵児帯、雪を欺く足袋、《:、》袖広き襦袢は脱ぎ|着たやす《着’容易》かるべく、真綿の肩ぶとんは長《/長》き病床に床ずれあらざれと願うなるべし。箱の内は何《なん》ぞ。莎縄《+クグナワ》を解けば、なかんずく好める泡雪梨《+淡雪》の大《ダイ》なるとバ《/バ》ナナの|あざ《鮮》らけきと|あふるる《アフルル》までに満ちたり。武男の心臓《+胸》の鼓動は急になりぬ。 「手紙も何もはいっていないかね?」  彼《カ》をふるいこ《/こ》れを移せど寸の紙だになし。 「ちょいとその油紙《油ガミ》を」  包み紙をとりて、わが名を書ける筆の跡を見るより、たちまち胸のふさがるを覚えぬ。武男はその筆《フデ》を認めたるなり。  彼女《+カレ》なり。彼女《+カレ》なり。彼女《+カレ》ならずしてた《/た》れかあるべき。その縫える衣の一針ごとに、|あと《跡》はなけれどま《”ま》さしくそそげる千行《+千コウ》の涙《+ナンダ》を見ずや。その病をつとめて書ける文字の震えるを見ずや。  人の去るを待ち兼ねて、武男は男泣きに泣きぬ。 ◇。◇。◇。◇。◇。  もとより涸れざる泉は今《-いま》新たに開かれて、武男は限りなき愛の滔々《/滔々》としてみなぎるを覚えつ。昼は思い、夜は彼女《+カレ》を夢みぬ。  されど夢ほどに世は自由ならず。武男はもとより信じて思いぬ、二人が間は死だもつんざくあたわじと。いわんや区々たる世間の手続きをや。されどもその心を実にせんとしては、その区々たる手続き儀式が企望《/キボウ》と現実の間に越《/こ》ゆべからざる障壁として立てるを覚えざるあたわざりき。世はいかにすとも、彼女《+カレ》は限りなくわが妻なり。されど母はわが名によって彼女《+カレ》を離別し、彼女《+カレ》が父は彼女《+カレ》に代わって彼女《+カレ》を引き取りぬ。世間の前に二人が間は絶えたるなり。平癒を待って一《ひと》たび東に帰り、母にあい、浪子を訪《おとの》うて心を語り、再び彼女《+カレ》を迎えんか。いかに自ら欺くも、武男はいわゆる世間の義理体面の上よりさ《/さ》ることのなすべくま《”ま》たなしうべきを思い得ず、《:、》事は成らずして畢竟再《畢竟’再》び母とわれとの間を前《/前》にも増して乖離せしむるに過ぎざるべきを思いぬ。母に逆らうの苦はすでになめたり。  広い宇宙に生きて思《/思》わぬ桎梏《+カセ》にわが愛をすら縛らるるを、歯がゆしと思えど、武男は脱《+-のが》るる路《道》を知らず、やる方なき懊悩に日《/日》また日を送りつつ、《:、》ただ生死《+ショウシ》ともにわが妻は彼女《+カレ》と思いてわずかに自ら慰めあわせて心《/心》に浪子をば慰めけるなり。  今朝も夢さめて武男が思える所は、これなりき。  この朝軍医《朝/軍医》が例のごとく来たり診して、傷のいよいよ全癒に向かうに満足を表して去りし後《のち》、一封《イップウ》の書は東京なる母より届きぬ。書中には田崎帰《タザキかえ》りていささか安堵せるを書き、かついささか話したき事もあれば、医師の許可《+許し》次第ひとまず都合して帰京すべしと書きたり。話したき事! もしくは彼がもっとも忌みか《-か》つ恐るるある事にはあらざるか。武男は打ち案じぬ。  武男はついに帰京せざりき。  十一月初旬、彼とひとしく黄海に手負いし彼が乗艦松島《乗艦’松島》の修繕終《/修繕終》わりて戦地に向かいしと聞くほどもなく、わずかに医師の許容《+許し》を得たる武男は、請うて運送船に便乗し、あたかも大連湾を取って同湾《+/此処》に碇泊せる艦隊に帰り去りぬ。  佐世保を出発する前日、武男は二通の書を投函せり。一はその母にあてて。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第四章】 【その1】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  秋風吹き初《始》めて、避暑の客は都に去り、病を養う客《+人》ならでは留《-とど》まる者なき九月初旬《+九月初め》より、今ここ十一月初旬《+十一月’初め》まで、《:、》日《ヒ》の温かに風《/風》なき時をえらみて、五十あまりの婢《+女》に伴なわれつつ、そぞろに逗子の浜べを運動する一人の淑女ありき。  やせにやせて砂に落つ影も細々《+サイサイ》といたわしき姿を、網曳く漁夫、日ごと浜べを歩む病客《ビョーカク》も皆見《皆’見》るに慣れて、あうごとに頭を下げぬ。たれ|つた《伝》うともなくほのかにその身の上をば聞き知れるなりけり。  こは浪子なりき。  惜しからぬ命つ《/つ》れなくもなお永らえて、また今年の秋風を見るに及べるなり。 ◇。◇。◇。◇。◇。  浪子は去る六月の初め、伯母に連れられて帰京し、思いも掛けぬ宣告を伝え聞きしその翌日より、病は見る見る重り、前後を覚えぬまで胸を絞って心血の紅《クレナイ》なるを吐き、《:、》医は黙《-もく》し、家族《+ヤカラ》は眉をひそめ、自己は旦夕に死を待ちぬ。命は実に一縷につながれしなりき。浪子は喜んで死を待ちぬ。死はなかなかうれしかりき。何思う間もなくた《/た》ちまち深井《+シンセイ》の暗黒《+暗き》におちたるこの身は、何《なん》の楽しみあり、何《なん》のかいありて、世に永らえんとはすべき。たれを恨み、たれを恋う、さる念《念’》は形をなす余裕《+ヒマ》もなくて、ただ身をめぐる暗黒の恐《/恐》ろしくいとわしく、早くこのうちを脱《+逃》れんと思うのみ。死は実にただ一の活路なりけり。浪子は死をまちわびぬ。身は病の床《トコ》に苦しみ、心はすでに世の外に飛びき。今日にもあれ、明日にもあれ、この身の絆《+ホダシ》絶えなば、惜しからぬ世を下に見て、魂千万里《魂’千万里》の空を天に飛び、なつかしき母の膝に心ゆくばかり泣《/泣》きもせん、訴えもせん、と思えば待《/待》たる《る-》るは実に死の使いなりけり。  あわれ彼女《+カレ》は死をだに心に任せざりき。今日、今日と待ちし今日は幾たびかむなしく過ぎて、一月《ひと月》あまり経たれば、われにもあらで病《/病》やや間《マ》に、二月《ふた月》を経てさらに軽くなりぬ。思いすてし命をまたさらにこの世に引き返されて、浪子はまた薄命に泣くべき身となりぬ。浪子は実に惑えるなり。生《セイ》の愛すべく死《/死》の恐るべきを知らざる身にはあらずや。何《なん》のために医を迎え、何《なん》のために薬を服し、何《なん》のために惜しからぬ命をつながんとするぞ。  されど父の愛あり。朝《+アシタ》に夕《+ユウベ》に彼女《+カレ》が病床を省《+セイ》し、自ら薬餌を与え、さらに自ら指揮して彼女《+カレ》がために心静かに病を養うべき離家《+離れ》を建て、《:、》いかにもして彼女《+カレ》を生かさずばや《-や》まざらんとす。父の足音を聞き、わが病の間なるによろこぶ慈顔を見るごとに、浪子は恨みにはおとさぬ涙のお《/お》のずから頬《ホオ》にしたたるを覚えず、みだりに死をこいねごうに忍びずして、父のために務めて病をば養えるなり。さらに一あり。浪子は良人を疑うあたわざりき。海か《’涸》れ山くずるるも固く良人の愛を信じたる彼女《+カレ》は、この|たび《度》の事一《事’一》も良人の心にあらざるを知りぬ。病やや間《マ》になりて、ほのかに武男の消息を聞くに及びて、いよいよその信に印捺されたる心地して、彼女《+カレ》はいささか慰められつ。もとよりこの後のいかに成り行くべきを知らず、よしこの疾痊《+-やまい-い》ゆとも一《/ひと》たび絶えし縁は再びつなぐ時なかるべきを感ぜざるにあらざるも、《:、》なお二人が心は冥々の間《+ウチ》に通いて、この愛をば何人《ナンピト》もつんざくあたわじと心に謂いて、ひそかに自ら慰めけるなり。  されば父の愛と、このほのかなる望みとは、手を尽くしたる名医の治療と相待ちて、消えんとしたる彼女《+カレ》が玉の緒を一《ひと》たびつなぎ留め、《:、》九月初旬《+九月初め》より浪子は幾と看護婦を伴のうて再び逗子の別墅に病を養えるなりき。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第四章】 【その2】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  逗子に来てよりは、症《+ヤマイ》やや快く、あたりの静かなるに、心も少しは静まりぬ。海の音遠《音とお》き午後《+昼過ぎ》、湯上がりの体《+タイ》を安楽椅子に倚《寄》せて、鳥の音《ネ》の清きを聞きつつうっとりとしてあれば、さながら去《+/い》にし春のころこ《/こ》こにありける時の心地して、今にも良人の横須賀《/横須賀》より来たり訪わん思いもせらるるなりけり。  別墅の生活は、去る四五月《シゴガツ》のころに異ならず。幾と看護婦を相手に、日課は服薬運動の時間を違《たが》えず、体温を検し、定められたる摂生法を守るほかは、せめての心やりに歌詠《/歌詠》み秋草《/秋草》を活けなどして過ごせるなり。週に一ニ回、医は東京より来たり|見舞い《見舞》ぬ。月に両三日、あるいは伯母、あるいは千鶴子、まれに継母も来たり|見舞い《見舞》ぬ。その幼き弟妹《+ハラカラ》二人は病める姉をなつかしがりて、しばしば母に請えど、病を忌み、かつは二人の浪子になずくを|おもしろ《面白》からず思える母は、ただしかりてやみぬ。今の身の上を聞き知りてか、昔の学友の手紙を送れるも少なからねど、おおかたは文字麗《文字’麗》しくして心《/心》を慰むべきものはかえってまれなる心地して、よくも見ざりき。ただ千鶴子の来たるをば待ちわびつ。聞きたしと思う消息は重《おも》に千鶴子より伝われるなり。  縁絶えしより、川島家《+川島ケ》は次第に遠くなりつ。幾百里西《幾百里’西》なる人の面影は日夕心《日夕’心》に往来するに引きかえて、浪子はさらにその人の母をば思わざりき。思わずとにはあらで、思わじと務めしなりけり。心一《心ひと》たびその姑の上に及ぶごとに、われながら恐ろしく苦き一念の抑《/オサ》うれど|むらむら《ムラムラ》と心《+胸》にわき来たりて、気の怪しく乱れんとするを、浪子はふりはらいふりはらいて、心を他に転ぜしなり。山木の女《+娘》の川島家《+川島ケ》に入り込《こ》みしと聞けるその時は、さすがに心地乱れぬ。しかもそはわ《/わ》が思う人のあずかり知る所ならざるべきを思いて、しいて心をそなたにふさげるなり。彼女《+カレ》が身は湘南に病に臥《伏》して、心は絶えず西に向かいぬ。  この世において最も愛すなる二人は、現に征清の役《エキ》に従えるならずや。父中将は浪子が逗子に来たりしより間もなく、大元帥纛下《+大元帥トウカ》に扈従《+コジュウ》して広島におもむき、さらに遠く遼東《+リョウトウ》に向《-む》かわんとす。せめて新橋までと思えるを、父は制して、くれぐれも自愛し、凱旋の日には全快して迎えに来よと言い送りぬ。武男はあの後直ちに戦地に向かいて、現に連合艦隊の旗艦にありと聞く。秋雨秋風《シューウ-シューセイ/》身につつがなく、戦闘の務めに服せらるるや、いかに。日々夜々《+ニチニチヤヤ/》陸に海に心は馳せて、世には要なしといえる浪子もお《/お》どる心に新聞をば読みて、皇軍連勝、わが父息災《父’息災》、武男の武運長久を祈らぬ日はあらざりしなり。  九月末にいたり、黄海の捷報は聞こえ、さらに数日《+スジツ》を経て負傷者のうちに浪子は武男の姓名を見出《+見-いだ》しぬ。浪子は一夜眠らざりき。幸いに東京なる伯母のその心をくめるありて、いずくより聞き得て報ぜしか、浪子は武男の負傷のはなはだしく重からずして現《/現》に佐世保の病院にある由を知りつ。生死《+ショウシ》の憂いを慰められしも、さてかなたを思いやりて、かくもしたしと思う事の多きにつけても、今の身の上の思うに任せぬ恨みはま《”ま》たむらむらと胸をふさぎぬ。なまじいに夫妻の名義絶《名義’絶》えしばかりに、まさしく心は通いつつ、彼は西に傷つき、われは東に病みて、行きて問うべくもあらぬのみか、明らさまにははがき一枚の見舞すら心に任せぬ身ならずや。かく思いてはやる方《かた》なくもだえしが、なおやみ難《がた》き心より思いつきて、《:、》浪子は病の間々《+ヒマヒマ》に幾を相手にその人の衣を縫い、その好める品をも取りそろえつつ、裂けんとすなる胸の思いの万分《マンブン》一も通えかしと、名をば|かく《隠》して、はるかに佐世保に送りしなり。  週去り週来《/週来》たりて、十一月中旬、佐世保の消印ある一通の書は浪子の手に落ちたり。浪子はその書をひしと握りて泣きぬ。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第四章】 【その3】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  打ち連れて土曜の夕べより見舞に来《こ》し千鶴子と妹《+イモト》駒子は、今朝帰《今朝’帰》り去りつ。しばしにぎやかなりし家の内ま《”ま》た常のさびしきにかえりて、曇りがちなる障子のうち、浪子はひとり床《トコ》にかけたる亡き母の写真にむかいて坐《座》しぬ。  今日、十一月十九日は亡き母の命日なり。はばかる人もなければ、浪子は手匣《+手箱》より母の写真取り出でて床《トコ》にかけ、千鶴子が持て来《こ》し白菊のや《/や》や狂わんとするをその前に手向け、《:、》午後には茶など点《+-い》れて、幾の昔語りに耳傾《耳カタブ》けしが、今は幾も看護婦も罷りて、浪子はひとり写真の前に残れるなり。  母に別れてすでに十年《+トトセ》にあまりぬ。十年《+トトセ》の間《あいだ》、浪子は亡き母を忘るる《-る》の日なかりき。されど今日このごろはなつかしさの堪え難《がた》きまで募りて、事ごとにその母を思えり。恋しと思う父は今遠《今’遠》く遼東《+リョウトウ》にあり。継母は近く東京にあれど、中垣の隔て昔のままに、ともすれば聞きづらきことも耳に入《-い》る。亡き母の、もし亡き母の無事に永らえて居たまわば、かの苦しみも告げ、この悲しさも訴えて、かよわきこの身に負いあまる重荷もす《/す》こしは軽く思うべきに、《:、》何ゆえ見すてて逝きたまいしと思う下《もと》より涙はわきて、写真は霧を隔てしようにおぼろになりぬ。  昨日のようなれど、指を折れば十年《+トトセ》たちたり。母上の亡くなりたもうその年の春なりき。自身《+自ら》は八歳《+ヤツ》、妹《+イモト》は五歳《+五つ》(そのころは片言まじりの、今はあの通《とお》り大きくなりけるよ)桜模様の曙染、二人そろうて美しと父上にほめられてうれしく、《:、》われは右妹《右/イモト》は左母上《左/母上》を中に、馬車をきしらして、九段《クダン》の鈴木に撮らしし|うち《内》の一枚はこ《/こ》こにかけたるこの写真ならずや。思えば十年《+トトセ》は夢と過ぎて、母上はこの写真になりたまい、わが身は──。  わが身の上は思わじと定めながらも、味気なき今の境涯はあいにくにありありと目の前に現われつ。思えば思うほどなんの楽しみもな《/な》んの望みもなき身は十重二十重黒雲《トエハタエ/コクウン》に包まれて、この八畳の間《マ》は日影《/日影》も漏れぬ死囚牢になりかわりたる心地すなり。  たちまち柱時計は家内《+ヤウチ》に響き渡りて午後二点《+午後二時》をうちぬ。おどろかれし浪子は|のがるる《ノガルル》ごとく次の間に立てば、ここには人もなくて、裏の方《ほう》に幾と看護婦と語る声す。聞くともなく耳傾《耳カタブ》けし浪子は、またこの室《部屋》を出でて庭におり立ち、枝折戸あけて浜に出《い》でぬ。  空は曇りぬ。秋ながらうっとりと雲立ち迷い、海はまっ黒に顰みたり。大気は恐ろしく静まりて、一陣の風なく、一波だに動かず、見渡す限り海に帆影《+ハンエイ》絶えつ。  浪子は次第に浜を歩み行きぬ。今日は網曳する者もなく、運動する客《+人》の影も見えず。孩《+子》を負える十歳《+トオ》あまりの女の子の歌《/歌》いながら貝拾えるが、浪子を見てほほえみつつ頭を下げぬ。浪子は惨《サン》として笑みつ。またうっとりと思いつづけて、うつむきて歩みぬ。  たちまち浪子は立ちど《止》まりぬ。浜尽き、岩起《岩お》これるなり。岩に一条の路《道》あり、そをたどれば滝の不動にいたるべし。この春浪子《春’浪子》が良人に導かれて行きしところ。  浪子はその路《道》をとりて進みぬ。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第四章】 【その4】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  不動祠《不動シ》の下まで行きて、浪子は岩を払《ハろ》うて坐《座》しぬ。この春良人《春’良人》と共に坐《座》したるもこの岩なりき。その時は春晴《シュンセイ》うらうらと、浅碧《+浅緑》の空に雲なく、海は鏡よりも光りき。今は秋陰暗《秋/陰暗》として、空に異形の雲満《雲’満》ち、海はわが坐す岩の下まで満々とたたえて、そのすごきまで黯《+黒》き面《-おもて》を点破《テンパ》する一帆《+イッパン》の影だに見えず。  浪子はふところより一通《1通》の書を取り出《+-いだ》しぬ。書中はただ両三行、武骨なる筆跡の、しかも千万語にまさりて浪子を思いに堪えざらしめつ。「浪子さんを思わざるの日は一日も無之候《+これなくそろ》」。この一句を読むごとに、浪子は今さらに胸迫りて、恋しさの切らる《る-》るばかり身にしみて覚《おぼ》ゆるなりき。  いかなればかく枉《+曲が》れる世ぞ。身は良人を恋い恋いて病《/病》よりも思いに死なんとし、良人は《は-》かくも想いて居たもうを、いかなれば夫妻の縁は絶えけるぞ。良人の心は血よりも紅に注《そそ》がれてこの書中にあるならずや。現にこの春この岩の上に、二人並びて、万世《+ヨロズヨ》までもと誓いしならずや。海も知れり。岩も記すべし。さるをいかなれば世はほしいままに二人が間を裂きたるぞ。恋しき良人、なつかしき良人、この春この岩の上に、岩の上──。  浪子は目を開《-あ》きぬ。身はひとり岩の上に坐せり。海は黙々として前にたたえ、後ろには滝の音ほのかに聞こゆるのみ。浪子は顔打ちおおいつつ|むせ《咽》びぬ。細々《+サイサイ》とやせたる指を漏りて、涙ははらはらと岩におちたり。  胸は乱れ、頭は次第に熱して、縦横《ジュウオウ》に飛びかう思いは梭《+/オサ》のごとく過去《+来し方》を一目《ひと目》に織り出《+-いだ》しつ。浪子は今年の春良人《春/良人》にたすけ引かれてこの岩に来たりし時を思い、発病の時を思い、伊香保に遊べる時を思い、結婚の夕べを思いぬ。伯母に連れられて帰京せし時、むかしむかしその母に別れし時、母の顔、父の顔、継母、妹《イモト》を初めさまざまの顔は雷光《+稲妻》のごとくその心の目の前を過ぎつ。浪子はさらに昨日千鶴子《昨日’千鶴子》より聞きし旧友の一人を思いぬ。彼女《+カレ》は浪子より二歳《+二つ》長けて一年早《/一年’早》く大名華族のうちにも才子の聞こえある洋行帰りの某伯爵に嫁ぎしが、《:、》舅姑《シュウト》の気には入りて、良人にきらわれ、子供一人もうけながら、良人は内に妾《+ショウ》を置き外に花柳の遊びに浸り《り/》今年の春離縁《春’離縁》となりしが、ついこのごろ病死したりと聞く。彼女《+カレ》は良人にすてられて死し、われは相思う良人と裂かれて泣く。さまざまの世と思えば、彼も悲しく、これもつらく、浪子はいよいよ黝うなり来る海の面《-おもて》をながめて太息《+吐息》をつきぬ。  思うほど、気はますます乱れて、浪子は身を容《-い》るる《-る》余裕《+ヒマ》もなきまで世《/世》のせまきを覚《おぼ》ゆるなり。身は何不足《なにフソク》なき家に生まれながら、なつかしき母には八歳《+ヤツ》の年に別れ、肩をすぼめて継母の下に十年《+トトセ》を送り、ようやく良縁定まりて父の安堵わ《/わ》れもうれしと思う間もなく、《:、》姑の気には入《-い》らずとも良人のためには水火もいとわざる身の、思いがけなき大疾《タイシツ》を得て、その病《病い》も少しは痊《+-おこた》らんとするを喜べるほどもなく、《:、》死ねといわるるはなお慈悲の宣告を受け、愛し愛さるる良人はありながら容赦もなく間《あいだ》を裂かれて、夫と呼び妻と呼ばるることもならぬ身となり果てつ。もしそれほど不運なるべき身ならば、なにゆえ世には生まれ来《こ》しぞ。何ゆえ母上とともに、われも死なざりしぞ。何《なに》ゆえに良人のもとには嫁《カ》しつるぞ。何《なに》ゆえにこの病を発せしその時、良人の手に抱かれては死せざりしぞ。何《なに》ゆえに、せめてかの恐ろしき宣告を聞けるその時、その場に倒れては死なざりしぞ。身には不治の病をいだきて、心は添われぬ人を恋う。何《なん》のためにか世に永らうべき。よしこの病癒《-やまい-い》ゆとも、添われずば思いに死なん──死なん。  死なん。何《なん》の楽しみありて世に永らうべき。  |はふり《ハフリ》落つる涙をぬぐいもあえず、浪子は海の面《-おもて》を打ちながめぬ。  伊豆大島の方《ほう》に当たりて、墨色《スミイロ》に渦まける雲急《雲/急》にむらむらと立つよと見る時《とき》、いうべからざる悲壮の音はは《/は》るかの天空より落とし来たり、大海の面《-おもて》たちまち皺みぬ。一陣の風吹《風’吹》き出《-い》でけ《-け》るなり。その風鬢《風/鬢》をかすめて過ぎつと思うほどなくま《”ま》っ黒き海の中央《+マナカ》に一団の雪わくと見《/見》る見る奔馬のごとく寄せて、浪子が坐《座》したる岩も砕けよとうちつけつ。渺々たる相洋《ソウヨウ》は一分時ならずして千波万波鼎《千波万波’鼎》のごとく沸きぬ。  雨と散るしぶきを避《-さ》けんともせず、浪子は一心に水の面《-おもて》をながめ入りぬ。かの水の下には死あり。死はあるいは自由なるべし。この病をいだいて世に苦しまんより、魂魄となりて良人に添うはまさらずや。良人は今黄海《今’黄海》にあり。よし|はる《遥》かなりとも、この水も黄海に通えるなり。さらば身はこの海の泡と消えて、魂《+タマ》は良人のそばに行かん。  武男が書をばし《/し》っかとふところに収め、風に乱《みだ》るる《-る》鬢かき上げて、浪子は立ち上がりぬ。  風は飇々《飄々》として無辺の天より落とし来たり、かろうじて浪子は立ちぬ。目を上《あ》ぐれば、雲は雲と相追うて空を奔り、海は目の届く限り一面に波と泡とま《”ま》っ白に煮えかえりつ。湾を|隔つる《ヘダツル》桜山は悲鳴して|たてがみ《タテガミ》のごとく松を振るう。風吼《風’吼》え、海哮《海’哮》り、山も鳴りて、浩々《コウコウ》の音天地《オト天地》に満ちぬ。  今なり、今なり、今こそこの玉の緒は|絶ゆ《タユ》る時なれ。導きたまえ、母。許したまえ、父。十九年の夢は、今こそ──。  襟引き合わせ、履物をぬぎすてつつ、浪子は今打《今’打》ち寄せし浪の岩に砕けて白泡《+/シラアワ》沸るあたりを目がけて、身をおどらす。  その時、あと背後に叫ぶ声して、浪子はたちまち抱き止められつ。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第五章】 【その1】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。 「|ばあ《バア》や。お茶を入《-い》れるようにしてお置き。もうあの方がいらっしゃる時分ですよ」  かく言いつつ浪子はおもむろに幾を顧みたり。幾はそこらを片づけながら 「ほんとにあの方はいい方《かた》でございますねエ。あれでも耶蘇でいらッ《っ》しゃいますッ《っ》てねエ」 「ああそうだッ《っ》てね」 「でもあんな方が切支丹でいらッ《っ》しゃろうとは思いませんでしたよ。それにあんなに髪を切ッ《っ》ていらッ《っ》しゃるのですら」 「なぜかい?」 「でもね、あなた、耶蘇の方《ほう》では御亭主《ご亭主》が亡くなッ《っ》ても髪なんぞ切りませんで、なおのことおめかしをしましてね、すぐとまたお嫁入りの口をさがしますとさ」 「ホホホホ、|ばあ《バア》やはだれからそんな事を聞いたのかい?」 「イイエ、ほんとでございますよ。一体あの宗旨では、若い娘《+者》までがそれは生意気でございましてね、ほんとでございますよ。幾が親類《+身内》の隣家《+隣り》に一人そんな娘《子》がございましてね、もとはあなたお《/お》となしい娘《子》で、それがあの宗旨の学校にあがるようになりますとね、あなた、すっかり|ようす《様子》が変わっちまいましてね、《:、》日曜日になりますとね、あなた、母親《+親》が今日は忙しいからちっと手伝いでもしなさいと言いましてもね、平気でそのお寺にいっちまいましてね、《:、》それから学校はきれいだけれども家《イエ》はきたなくていけないの、母《+おっか》さんは頑固だの、すぐ口をとがらしましてね、《:、》それに学校に上がっていましても、あなた、受取証が一枚書けませんでね、裁縫《+仕事》をさせますと、日が一日襦袢《一日’襦袢》の袖をひねくっていましてね、《:、》お惣菜の大根をゆでなさいと申しますと、あなた、大根を俎板に載せまして、庖丁《包丁》を持ったきりぼんやりしておるのでございますよ。両親《+親》もこんな事ならあんな学校に入《-い》れるんじゃなかったと悔やんでいましてね。それにあなた、その娘《子》はわたしはあの二百五十円より下の月給の良人には嫁《+-い》かない、なんぞ申しましてね。ほんとにあなた、あきれかえるじゃございませんか。もとはやさしい娘《子》でしたのに、どうしてあんなになったン《ん》でございましょうねエ。これが切支丹の魔法でございましょうね」 「ホホホホ。そんなでも困るのね。でも、何《なん》だッ《っ》て、いい所もあれば、わるいところもあるから、よく知らないではいわれないよ。ねエ|ばあ《バア》や」  心得ずといわんがごとく小首傾《小首カタブ》けし幾は、熱心に浪子を仰ぎつつ 「でもあなた、耶蘇だけはおよし遊ばせ」  浪子はほほえみつ。 「あの方《かた》とお話ししてはいけないというのかい」 「耶蘇がみんなあんな方だとよ《良》うございますがねエ、あなた。でも──」  幾は口をつぐみぬ。うわさをすれば影ありありと西側の障子に映り来たれるなり。 「お庭口から御免ください」  細く和らかなる女の声響きて、忙《せ》わしく幾がた《立》ちてあけし障子の外には、五十あまりの婦人の小作りなるがたたずみたり。年よりも老けて、多き白髪を短くきり下げ、黒地の被布を着つ。やせたる上にやつれて見ゆれば、打ち見にはやや陰気に思わるれど、目に温かなる光ありて、細き口もとにおのずからなる微笑あり。  幾があたかも|うわさ《噂》したるはこの人なり。未だし。一週間以前の不動祠畔の水屑となるべかりし浪子をお《折》りよくも抱き留めたるはこの人なりけり。  ラッパを吹き鼓《/鼓》を鳴らして名《/名》を売ることをせざれば、知らざる者は名をだに聞かざれど、知れる者はそ《/そ》の包むとすれどおのずから身に|あふる《アフル》る光を浴びて、ながくその人を忘るるあたわずというなり。姓は小川名《小川/ナ》は清子《+キヨコ》と呼ばれて、目黒のあたりに|おお《大》ぜいの孤児女《ミナシゴ女》と棲み、一大家族の母として路傍《”路傍》に遺棄せらるる幾多の霊魂を拾いては|はぐく《育》み|育つ《ソダツ》るを楽しみとしつ。肋膜炎に悩みし病余の体を養うとて、昨月の末より此地《+此処》に来たれるなるが、《:、》かの日、あたかも不動祠《不動シ》にありて図らず浪子を抱き止め、その主人を尋ねあぐみて狼狽して来たれる幾に浪子を渡せしより、おのずから往来の道は開《ひら》けしなり。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第五章】 【その2】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。 【 茶を持て来て今罷《今’罷》らんとしつる幾はやや驚きて】 「まあ、明日お帰京《+帰り》遊ばすんで。へエエ。せっかくおなじみになりかけましたのに」 【 老婦人もその和らかなる眼光《+眼差し》に浪子を包みつつ】 「私もも少し逗留して、お話もいたしましょうし、ごあんばいのいいのを見て帰りたいのでございますが──」  言いつつ懐中《+懐》より小形の本を取り出《+-いだ》し、 「これは聖書ですがね。まだごらんになったことはございますまい」  浪子はいまださる書《+物》を読まざるなり。彼女《+カレ》が継母は、その英国に留学しつる間《あいだ》は、信徒として知られけるが、《:、》帰朝の日そ《/そ》の信仰とそ《/そ》の聖書をば挙げてそ《/そ》の古靴《フルグツ》及び反故とともにロンドンの仮寓《+宿り》にのこし来たれるなり。 「はい、まだ拝見いたした事はございませんが」  幾はなお立ち去りかねて、老婦人が手中の書を、目を円《+ツブラ》にしてうちまもりぬ。手品の種はかのうちに、と思えるなるべし。 「これからその何でございますよ、御気分《ご気分》のよろしい時分に、読んでごらんになりましたら、きっとおためになることがあろうと思いますよ。私も今少《今’少》し逗留していますと、いろいろお話もいたすのですが──《─:》今日はお告別《+別れ》に私がこの書を読むようになりましたその来歴《+始末》をね、お話ししたいと思いますが。あなたお疲れはなさいませんか。何《なん》なら御遠慮《ご遠慮》なくお|やす《休》みなすッ《っ》て」  しみじみと耳傾《+耳カタブ》けし浪子は顔を上《-あ》げつ。 「いいえ、ちょっとも疲れはいたしません。どうかお話し遊ばして」  茶を入れかえて、幾は次に立ちぬ。  小春日の午後は夜よりも静かなり。海の音遠く、障子に映る松の影も動かず。ただはるかに小鳥の音《ネ》の清きを聞く。東側のガラス障子を透かして、秋の空高く澄み、錦に染《そ》まれる桜山は午後の日に燃えんとす。老婦人はおもむろに茶をすすりて、うつむきて被布の膝をかいなで、仰いで浪子の顔うちまもりつつ、静かに口を開き始めぬ。 「人の一生は長いようで短く、短いようで長いものですよ。  私の父は旗本で、まあ歴々のうちでした。とうに人の有《+モノ》になってしまったのですが、ご存じでいらッ《っ》しゃいましょう、小石川の水道橋を渡って、少しまいりますと、大きな榎が茂っている所がありますが、私はあの屋敷に生まれましたのです。十二の年に母は果てます、父はひどく力を落としまして後妻《+アト》もと《-と》らなかったのですから、子供ながら私がいろいろ家事をやってましたね。それから弟に嫁をとって、私はやはり旗下《+旗本》の、格式は少し上でしたが小川《/小川》の家にまいったのが、二十一の年、あなた方《がた》はまだなかなかお生まれでもなかったころでございますよ。  私も女大学で育てられて、辛抱なら人に負けぬつもりでしたが、実際にその場に当たって見ますと、本当に身にしみてつらいことも随分多いのでしてね。時勢《+時》が時勢《+時》で、良人は滅多に宅《+うち》にいませず、舅姑《シュウト》に良人の姉妹《兄弟》が二人=《(》これはあとで縁づきましたが=《)》ありまして、まあ主人を五人もったわけでして、それは人の知らぬ心配もいたしたのですよ。舅はそうもなかったのですが、姑がよほど事《+仕》えにくい人でして、実《じつ》は私の前に、嫁に来た婦人があったのですが、半歳《+半年》足らずの間《マ》に、逃げて帰ったということで、《:、》亡くなッ《っ》た人をこう申すのははしたないようですが、|気あら《気荒》な、押し強い、弁も達者で、まあ俗に|背か《+背中》を打って咽をしむるなど申しますが、ちょっとそんな人でした。私も十分辛抱をしたつもりですが、それでも時々は辛抱しきれないで、屏風の陰で泣いて、赤い目を見て|しか《叱》られてまた泣いて、亡くなった母を思い出すのもたびたびでした。  そうするうちに維新の騒ぎになりました。江戸じゅうはまるで鍋のなかのようでしてね。良人も父も弟もみんな彰義隊で上野にいます、それに舅が大病で、私は懐妊《+身持ち》というのでしょう。ほんとに気は気でなかったのでした。  それから上野は落ちます、良人は宇都宮からだんだん函館までまいり、父は行くえがわからなくなり、弟は上野で討死《+討ち死に》をいたして、その家族も失踪《+失くな》ってしまいますし、舅もとうとう病死をしましてね、《:、》そのなかでわたくしは産をいたしますし、何が何やらもう夢のようで、それから家禄はなくなる、家財はとられますし、私は姑と年寄りの僕《-しもべ》を一人連《ひとり連》れましてね、《:、》当歳の児《子》を抱《だ》いてあの箱根をこえて静岡に落ちつくまでは、恐ろしい夢を見たようでした」  この時看護婦入《時’看護婦い》り来《き》たりて、会釈しつつ、薬を浪子にすすめ終わりて、出《い》で行きたり。しばし瞑目してありし老婦人は目を開きて、また語りつづけぬ。 「静岡での幕士《バクシ》の苦労は、それはお話になりませんくらいで、将軍家がまずあの通《とお》り、勝先生なんぞも裏小路の小さな家にくすぶっておいでの時節ですからね、《:、》五千石の私どもに三人扶持《三人ブチ》はもったいないわけですが、しかし恥ずかしいお話ですが、そのころはお豆腐《トウフ》が一丁とは買えませんで、それに姑はぜいたくになれておるのですから、ほんとに気をもみましたよ。で、私はね《ネ》、町の女子供を寄せて手習いや、裁縫《+仕事》を教えたり、夜もおそくまで、賃仕事をしましてね。それはいいのですが、姑はいよいよ気が荒くなりまして、時勢のしわざを私に負わすようなわけで、それはひどく当たりますし、良人はいませず=《(》良人は函館後《函館ご》はしばらく牢に入っていました=《:)》父の行くえもわかりませんし、こんな事なら死んだ方《ほう》がと思ったことは日に幾たびもありましたが、それを思い返し思い返ししていたのです。本当にこのころは一年に年の十《トオ》もとりましたのですよ。  そうするうちに、良人も陸軍に召し出さるるようになって、また箱根をこえて、もう東京ですね、その東京に帰ったのが、さよう、明治五年の春でした。その翌春良人《翌春’良人》は洋行を命ぜられましてね。朝夕《+チョウセキ》の心配はないようになったのですが、姑の気分は一向に変わりませず──《─:》それはいいのでございますが、気にかかる父の行くえがどうしてもわかりません。  良人が洋行しましたその秋、ひどい雨の降る日でしたがね、小石川の知己《+知るべ》までまいって、その家で雇ってもらった車に乗って帰りかけたのです。日は暮れます、ひどい雨風で、私は幌の内に小さくなっていますと、車夫《+車屋》はぼとぼとぼとぼと引いて行きましょう、《:、》饅頭笠をかぶってしわだらけの桐油合羽をきているのですが、雨がたらたらたらたら合羽から落ちましてね、提灯の火はちょろちょろ道の上に流れて、車夫《+車屋》は時々ほっほっ太息《+/吐息》をつきながら引いて行くのです。ちょうど水道橋にかかると、提灯がふっと消えたのです。車夫《+車屋》は梶棒をおろして、奥様、お気の毒ですがその腰掛けの下にオランダ付け木(マッチの事ですよ)がはいっていますから、というのでしょう。風がひどいのでよくは聞こえないのですがそ《/そ》の声が変に聞いたようでね、とやこ《-こ》うしてマッチを出して、|蹴込み《蹴込》の方《ほう》に向いてマッチをする、その火光《+明かり》で車夫《+車屋》の顔を見ますと、あなた、父じゃございませんか」  老婦人がわれにもあらず顔打ちおおいぬ。浪子は汪然として泣けり。次の間にも飲泣《+イキススリ》の声聞こゆ。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第五章】 【その3】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  目をぬぐいて、老婦人は語り続けぬ。 「同じ東京にいながら、知らずにいればいられるものですねエ。それから父と連れ立って、まあ近くの蕎麦屋にまいりましてね、様子を聞いて見ますと、上野の落ちた後《あと》は諸処方々を流浪して、手習いの先生をしたり、病気したり、《:、》今は昔の家来で駒込のすみにごくごく小さな植木屋をしているその者にかかッ《っ》て、自身はこう毎日貸し車《ぐるま》を引いているというのでございますよ。うれしいやら、悲しいのやら、情けないのやら、込み上げて、ろくに話もできないのです。それからまあその晩は父に心づけられて別れましてね。  夜も大分《だいぶ》ふけていました。帰るとあなた姑《/姑》は待ち受けていたという体《テイ》で、それはひどい怒りよう苦《/苦》りようで、情けないじゃございませんか、私に何か|くら《暗》い、あるまじい|しわざ《仕業》でもあるように言いましてね。胸をさすッ《っ》て、父の事を打ち明けて申しますと、気の毒と思ってくれればですが、それはもう聞きづらい恥ずかしい事を──《─:》あまり口惜《悔》しくて、情けなくて、今度ばかりは辛抱も何もない、もうもう此家《+此処》にはいない、今からすぐと父のそばに行って、とそう思いましてね、姑が臥せりましたあとで、そっと着物を着かえて、《:、》悴(六《6》つでした)がこう寝《休》んでいます枕もとで書き置きを書いていますと、悴が夢でも見たのですか、眠ったまま右の手を伸ばして「母《かあ》さま、行っちゃいやよ」と申すのですよ。その日小石川にまいる時置《時’置》いて行ったのですから、その夢を見たのでしょうが、びっくりしてじっとその寝顔を見ていますと、その顔が良人の顔そのままになって、私は筆を落として泣いていました。そうすると、まあどうして思い出したのでございますか、まだ子供の時分にね、寝物語に母から聞いた嫁姑の話、あの話がこうふと心に浮かみましてね、《:、》ああ私一人《/私一人》の辛抱で何も無事に治まることと、そう|おも《思》い直しましてね──《─:》あなた、御退屈《ご退屈》でしょう?」  身にしみて聴ける浪子は、答《こた》うるまでもなくただ涙の顔を上《-あ》げつ。幾が新たにく《汲》める茶をすすりて、老婦人は再び談緒《+ダンチョ》をつぎぬ。 「それからとやかく姑にわびましてね、しかしそんなわけですからなかなか父を引き取るの貢《/貢》ぐのということはできません。で、まあごく内々《ナイナイ》で身のまわり=《(》多くもありませんでしたが=《)》の物なんぞ売り払ったり、《:、》それもながくは続かないのですから、良人の知己《+知るべ》に頼みましてね、ある外国公使の夫人に物好きで日本の琴を習いたいという人がありましてね、《:、》それで姑の前をとやかくしてそ《/そ》れから月に幾たび琴を教えて、まあ少しは父を楽にすることができたのですが、そうするうちに、その夫人と懇意になりましてね、それは珍しいやさしい人でして、《:、》時々は半解《+半わかり》の日本語でいろいろ話《’話》をしましてね、読んでごらんなさいといって本を一冊くれました。それがね、そのころ初めて和訳になったマタイ伝──この聖書の初めにありますのでした。少し読みかけて見たのですが、何だか変な事ばかり書いてありまして、まあそのままにうっちゃって置いたのでした。  それから翌年の春、姑はふと中風《+チュウフウ》になりましてね、気の強い人でしたが、それはもう子供のように、ひどくさびしがって、ちょいとでもはずしますと、お清《キヨ/》お清《キヨ》とすぐ呼ぶのでございますよ。そばにすわって、蠅を追いながら、すやすや眠る姑の顔を見ていますと、本当にこうなるものをなぜ一度でも心に恨んだことがあったろう、できることならもう一度丈夫にして、とそうおもいましてね、《:、》精一杯骨《精一杯’骨》を折ったのですが、そのかいもないのでした。  姑が亡くなりますと|ほど《程》なく良人が帰朝しましてね。それから引き取るというきわになって、父も安心したせいですか、急に病気になって、つい二三日でそれこそ眠るように消えました。もう生涯会《生涯’会》われぬと思った娘には会うし、やさしくしてくれるし、自分ほど果報者はないと、そう申しましてね。──でも私は思う十分一《十ブン一》もできませんで、今でも思い出すたびにもう一度活かして思《/思》う存分喜ばして見たいと思わぬ時はありませんよ。  それから良人は次第に立身いたします、悴は大きくなりまして、私もよほど楽になったのですが、ただ気をもみましたのは、良人の大酒《+タイシュ》──軍人は多くそうですが──の癖でした。それから今でもやはりそうですが、そのころは別してね、男子《+男》の方《ほう》が不行跡で、良人なんぞはまあ西洋にもまいりますし、少しはいいのでしたが、それでも恥ずかしい事ですが、私も随分心配をいたしました。それとなく異見をしましても、あなた、笑って取り合いませんのですよ。  そうするうちにあの十年の戦争《-いくさ》になりまして、良人──近衛の大佐でした──もまいります。そのあとに悴が猩紅熱で、まあ日夜《+ヒルヨル》つきッ《っ》きりでした。四月十八日の夜《+晩》でした、悴が少しいい方でやすんでいますから、婢《+女》なぞもみんな寝《休ま》せまして、私は悴の枕もとに、行燈《+アンドウ》の光で少し縫い物をしていますと、つい|うとうと《ウトウト》いたしましてね。こう気が遠《+とおー》くなりますと、すうと人の来る気はいがいたして、悴の枕もとにすわる者があるのです。たれかと思って見ますと、あなた、良人です、軍服のままで、血だらけになりまして、蒼《青》ざめて──ま、あなた、思わずい《言》ったその声にふッ《っ》と目がさめて、あたりを見るとだれもいません。行燈《+アンドウ》の火がとろとろ燃えて、悴はすやすや眠っています。もうすっかり汗になりまして、動悸がはげしくう《打》って──  その翌日から悴は急にわるくなりまして、とうとうその夕刻に息を引き取りましてね。もう夢のようになりましてその骸《+体》を抱いているうちに、着いたのが良人が討死《+討ち死に》の電報《+知らせ》でした」  話者は口をつぐみ、聴者は息をのみ、室内しんとして水のごとくなりぬ。  やや久しゅうして、老婦人は再び口を開けり。 「それから一切夢中でしてね、日と月と一時に沈《+-い》ったと申しましょうか、何と申しましょうか、それこそほんにまっ暗になりまして、辛抱に辛抱して結局《+つまり》がこんな事かと思いますと、いっそこのまま|なお《治》らずに──《─:》すぐそのあとで臥病《+患い》ましたのですよ──《─:》と思ったのですが、幸《+幸せ》か不幸《+不幸せ》か病気はだんだんよくなりましてね。  病気はよくなったのですが、もう私には世の中がすっかり空虚《+カラ》になったようで、ただ生きておるというばかりでした。そうするうちに、知己《+知るべ》の勧めでとにかく家《’家》を|たた《畳》んでしばらくその宅にまいることになりましてね。病後ながらぶらぶら道具や何か取り細めていますと、いつでしたか箪笥を明けますとね、亡くなりました悴の袷の下から書《+本》が出てまいりましてね、《:、》ふと見ますと先年外国公使《先年’外国公使》の夫人がくれましたその聖書でございますよ。読むでもなくつい見《-み》ていますと、ちょいとした文句が、こう妙《/妙》に胸に響くような心地《+心持ち》がしましてね──《─:》それはこの書《+本》にも符号《+シルシ》をつけて置きましたが──《─:》それから知己《+知るべ》の宅《+うち》に越しましても、時々《ときどき》読んでいました。読んでいますうちに、山道に迷った者がどこかに鶏《’鶏》の声を聞くような、まっくらな晩にかすかな光がどこからかさ《-さ》すように思いましてね。もうその書《+本》をくれた公使の夫人は帰国して、いなかったのですが、だれかに話を聞いて見たいと思っていますうちに、知己《+知るべ》の世話でそのころできました女の学校の舎監になって見ますと、それが耶蘇教主義の学校でして、《:、》その教師のなかにまだ若い御夫婦《ご夫婦》の方でしたが、それは熱心な方がありましてね、この御夫婦《ご夫婦》が私のま《”ま》あ先達になってくだすったのですよ。その先達に初歩《+フミハジメ》を教わってこの道に入りましてから、今年でもう十六年になりますが、杖とも思うは実《-じつ》にこの書《+本》で、一日もそばを放さないのでございますよ。霊魂不死という事を信じてからは、死を限りと思った世の中が広くなりまして、天の父を知ってからは親を失ってま《”ま》た大きな親を得たようで、《:、》愛の働きを聞いてからは子を失くしてま《”ま》た|おお《大》ぜいの子を持った心地《+心持ち》で、望みという事を教えられてから、辛抱をするにも楽しみがつきましてね──  私がこの書《+本》を読むようになりました|しまつ《始末》はま《”ま》あざッ《っ》とこんなでございますよ」  かく言い来たりて、老婦人は熱心に浪子の顔打ちまもり、 「実は、御様子《ご様子》はうすうす承っていましたし、ああして時々浜《時々’浜》でお目にかかるのですから、ぜひ伺いたいと思う事もたびたびあったのですが、──《─:》それがこうふ《/ふ》とお心やすくいたすようになりますと、またすぐお別れ申すのは、まことに残念でございますよ。しかしこう申してはいかがでございますが、私にはどうしても浅日《+ちょっと》のお面識《+馴染み》の方《かた》とは思えませんよ。どうぞ御身《+お身》を大事に遊ばして、必ず気をながくお持ち遊ばして、ね、決して短気をお出しなさらぬように──《─:》御気分《ご気分》のいい時分《+時》はこの書《+本》をごらん遊ばして──《─:》私は東京《+あちら》に帰りましても、朝夕こちらの事を思っておりますよ」 ◇。◇。◇。◇。◇。  老婦人はその翌日東京《翌日’東京》に去りぬ。されどその贈れる一書は常に浪子の身近に置かれつ。  世にはかかる不幸を経てもな《/な》お人を慰むる誠を余せる人ありと思えば、母ならず伯母ならずしてな《/な》おこの茫々たる世にわれを思いくくる人ありと思えば、《:、》浪子はいささか慰めらるる心地して、聞きつる履歴を時々思《時々’思》い出《-い》でては、心こめたる贈り物の一書をひもとけるなり。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第六章】 【その1】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  第二軍は十一月二十二日をもって旅順を攻め落としつ。 「お母さま、お母さま」  新聞を持ちたるままあわただしく千鶴子はその母を呼びたり。 「何《なん》ですね。もっと静かに言《+もの》をお言いなさいな」  水色の眼鏡にちょっとにらまれて、さっと面《-おもて》に紅潮《+クレナイ》を散らしながら、千鶴子はほほと笑いしが、また|まじめ《真面目》になりて、 「お母さま、死にましたよ、あれが──あの千々岩《+千々石》が!」 「エ、千々岩《千々石》! あの千々岩《千々石》が! どうして? 戦死《+討ち死に》かい?」 「戦死将校のなかに名が出ているわ。──いい気味《キミ》!」 「またそんなはしたないことを。──そうかい。あの千々岩《千々石》が戦死《+討ち死に》したのかい! でもよく戦死《+討ち死に》したねエ、千鶴《+チズ》さん」 「いい気味《キミ》! あんな人は生きていたッ《っ》て、邪魔になるばかりだわ」  加藤子爵夫人は|しば《暫》し黙然《+黙念》として沈吟しぬ。 「死んでもだれ一人《ひとり》泣いてくれる者もないくらいでは、生きがいのないものだね、千鶴《+チズ》さん」 「でも川島のおばあさんが泣きましょうよ。──川島てば、お母さま、お豊さんがとうと逃げ出したんですッ《っ》て」 「そうかい?」 「昨日ね、また何か始めてね、もうもうこんな家《’家》にはいないッ《っ》て、泣き泣き帰《/帰》っちまいましたんですッ《っ》て。ホホホホホホ|ようす《/様子》が見たかったわ」 「だれが行ってもあの家では納まるまいよ、ねエ千鶴《+/チズ》さん」  母子相見《+親子’相見》て言葉途絶えぬ。 ◇。◇。◇。◇。◇。  千々岩《千々石》は死せるなり。千鶴子母子《+千鶴子親子》が右の問答をなしつるより二十日ばかり立ちて、一片の遺骨と一通の書と寂《/寂》しき川島家《+川島ケ》に届きたり。骨は千々岩《千々石》の骨、書は武男の書なりき。その数節《スウセツ》を摘みてん。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【⦅前文略⦆】  旅順陥落の翌々日《翌々日’》、船渠船舶等艦隊《船渠’船舶等’艦隊》の手に引き取ることと相成り、将校以下数名上陸いたし、私儀も上陸仕り候《+そろ》。激戦後の事とて、惨状は筆紙に尽くし難《がた》く⦅中略⦆仮設野戦病院の前を過ぎ候《候う》ところ、ふと担架にて人を運び居候を見受け申し候《候う》。青毛布《青ケット》をおおい、顔には白木綿《+シロ木綿》のきれをかけて有之《+これ有り》、そのきれの下より見え候口《候う口》もと顋のあたりい《/い》かにも見覚えあるようにて、尋ね申し候《そうら》えば、これは千々岩《千々石》中尉と申し候《候う》。その時の喫驚御察《喫驚/お察》しくださるべく候《候う》。⦅中略⦆おおいをとり申し候《そうら》えば、色蒼《色青》ざめ、きびしく歯をくいしばり居申《い申》し候《候う》。創《+傷》は下腹部に一か所、その他二か所、いずれも椅子山《+イスザン》砲台攻撃の際受《さい/受》け候弾創《候う弾創》にて、今朝まで知覚有之候《+知覚これ有り候う》ところ、ついに絶息いたし候由《候うよし》。⦅中略⦆なお同人の同僚につきいろいろ承り候《候う》ところ、彼は軍中の悪《憎》まれ者ながら戦争《/いくさ》のみぎりは随分相働《随分あい働》き、《:、》すでに金州攻撃の際も、部下の兵士と南門《ミナミ門》の先登をいたし候由《候うよし》にて、今回もなかなか働き候《候う》との事に御座候《御座候う》。もっとも平生は往々士官《往々’士官》の身にあるま《ま-》じき所行も内々有之《ナイナイこれ有り》、陣中ながら身分不相応の金子《+キンス》を貯え居申《い申》し候《候う》。すでに一度は貔子窩において、軍司令官閣下の厳令あるにかかわらず、何か徴発いたし候《候う》とて土民《/土民》に対し惨刻《残酷》千万の仕打ち有之《+これ有り/》すでにその処分も有之《+これ有る》べきところ⦅中略⦆とにかく戦死は彼がためにもっけの幸いに有之《これ有り》べく候《候う》。  母上様御承知《母上様’御承知》の通り、彼は重々不埒のかども有之《これ有り》、彼がためには実に迷惑もいたし、私儀もすでに断然絶交いたしおり候事《候う事》に有之候《これ有りそうろ》えども、死骸に対しては恨みも御座《ござ》なく、《:、》昔兄弟《昔’兄弟》のように育ち候事《候う事》など思い候《そうら》えば、不覚の落涙も仕り候事《候う事》に御座候《御座候う》。よって許可《+許し》を受け、火葬いたし、骨を御送《+オン送》り申し上げ候《候う》。しかるべく御葬《ごほうむ》り置きくだされたく願い奉り候《候う》。 【⦅下略⦆】 ◇。◇。◇。◇。◇。  武男が旅順にて遭遇しつる事はこれに止《-とど》まらず、わざと書中に漏らしし一の出来事ありき。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第六章】 【その2】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  武男が書中に漏れたる事実は、左のごとくなりき。  千々岩《千々石》の死骸に会えるその日、武男はひとり遅れて埠頭《+波止場》の方《ほう》に帰り居たり。日暮《日く》れぬ。  舎営の門口《+カド》のきらめく歩哨の銃剣、将校馬蹄の響き、下士をしかりいる士官、あきれ顔にたたずむ清人《+シンジン》、縦横《ジュウオウ》に行き違う軍属、それらの間を縫うて行けば、軍夫五六人《軍夫ゴロクニン》、焚火にあたりつ。 「めっぽう寒いじゃねエ《え》か。故国《+ウチ》にいりや《ゃ》、葱鮪で一杯《+イッペエ》てえとこだ。吉、てめえア《あ”》またいい物引《物’引》っかけていやがるじゃねえか」  吉といわれし軍夫は、分捕りなるべし、紫緞子の美々しき胴衣《+胴着》を着たり。 「源公を見ねえ。狐裘《+皮》の四百両もするてえ|やつ《ヤツ》を着てやがるぜ」 「源か。|やつ《ヤツ》くれえ|ばか《馬鹿》に運の強えやつア《あ》ねえぜ。博《+ブツ》ちゃア勝つ、遊んで褒美はもれえやがる、鉄砲玉ア中《/当た》りッ《っ》こなし。運のいいた|やつ《ヤツ》のこっだ。おいらなんざ大連湾でもって、から負けちゃって、この袷一貫よ。畜生《+チキショウ》め、分捕りでもやつけねえじゃ、ほんとにやり切れねえや」 「分捕りもいいが、きをつけねえ。さっきもおれアうっかり踏ん込《+ご》むと、殺しに来たと思いやがったン《ん》だね、いきなり桶の後ろから抜剣《+抜身》の清兵《+ヤツ》が飛び出しやがって、おいらア《あ》もうちっとで娑婆にお別れよ。ちょうど兵隊さんが来て清兵《+/ヤツ》めす《/す》ぐくたばっちまやがったが。おいらア《あ/》肝つぶしちゃったぜ」 「ばかな清兵《+ヤツ》じゃねえか。まだ殺され足りねえてン《ん》だな」  旅順落ちていまだ幾日《幾にち》もあらざれば、げに清兵《+/シンペイ》の人家に隠れて捜し出《+-いだ》されて抵抗《/抵抗》せしため殺さるるも少なからざりけるなり。  聞くともなき話耳《話’耳》に入《い》りて武男《/武男》はいささか不快の念を動かしつつ、次第に埠頭《+波止場》の方《ほう》に近づきたり。このあたり人け少なく、燈火《+トモシビ》まばらにして、一方に建て|つら《連》ねたる造兵廠の影黒《影/黒》く地に敷き、一方には街燈《街灯》の立ちたるが、薄月夜ほどの光を地に落とし、やせたる狗ありて、地をか《嗅》ぎて行《-い》けり。  武男はこの建物の影に沿うて歩みつつ、目はたちまち二十間を隔てて先に歩み行く二つの人影《+ジンエイ》に注ぎたり。後影《影》は確かにわが陸軍の将校士官のうちなるべし。一人は濶大《カツ大》に一人《”一人》は細小なるが、打ち連れて物語などして行くさまなり。武男はその一人をどこか見覚えあるように思いぬ。  たちまち武男はわれとか《カ》の両人《+二人》の間にさらに人ありて建物《/建物》の影を忍び行くを認めつ。胸は不思議におどりぬ。家の影さしたれば、明らかには見えざれど、影のなかなる影は、一歩進みて止まり、二歩行《ニホ行》きてうかがい、まさしく二人のあとを追うて次第に近づきおるなり。たまたま家と家との間《+ナカ》絶えて、流れ込む街燈《街灯》の光に武男はその清人《+シンジン》なるを認めつ。同時にものありて彼《/彼》が手中にひらめくを認めたり。胸打ち騒ぎ、武男はひそかに足を早めてそのあとを慕いぬ。  最先に歩めるか《カ》の二人が今しも街の端にいたれる時《とき》、闇中を歩めるか《カ》の黒影は猛然と暗《アン》を離れて、二人を追いぬ。驚きたる武男がつづいて走り出《+-いだ》せる時、清人《+シンジン》はすでに六七間《ロクシチケン》の距離に迫りて、右手《+メテ》は上がり、短銃響き、細長なる一人はどうと倒れぬ。驚きて振りかえる他の一人を今一発《今’一発》、短銃の弾機《バネ》をひかんとせる時《とき》、まっしぐらに馳せつきたる武男は拳をあげて折《/折》れよと彼が右腕をたたきつ。短銃落ちぬ。驚き怒りてつかみかかれる彼を、武男は打ち倒さんと相撲《+スマ》う。か《カ》の濶大《カツ大’》なる一人も走《+馳》せ来たりて武男に力を添えんとする時《とき》、短銃の音《’音》に驚かされしわが兵士ば《/ば》らばらと走《+馳》せきたり、《:、》武男が手にあまるか《カ》の清人《+シンジン》を直ちに蹴倒して引っくくりぬ。瞬間の争いに汗《/汗》になりたる武男が混雑の間より出《い》でける時《とき》、倒れし一人をたすけ起こせるか《カ》の濶大《カツ大’》なる一人はこ《/こ》なたに向かい来たりぬ。  この時街燈《時街灯》の光はまさしく片岡中将の面《-おもて》をば照らし出《+-いだ》しつ。  武男は思わず叫びぬ。 「やッ、閣下《+貴方》は!」 「おッ《っ/》きみは!」  片岡中将はその副官といずくかへ行ける帰途《+帰り》を、殊勝にも清人《+シンジン》の|ねら《狙》えるなりき。  副官《副’官》の疵は重かりしが、中将は微傷だも負わざりき。武男は図らずして乃舅《+ダイキュウ》を救えるなり。 ◇。◇。◇。◇。◇。  この事いずれよりか伝わりて、浪子に達せし時、幾は限りなくよろこびて、 「ごらん遊ばせ。どうしても御縁が尽きぬのでございますよ。精出して御養生遊《ご養生’遊》ばせ。ねエ、精出して養生いたしましょうねエ」  浪子はさびしく打ちほほえみぬ。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第七章】 【その1】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  戦争《いくさ》のうちに、年は暮れ、かつ明けて、明治二十八年となりぬ。  一月より二月にかけて威海衛落《威海衛’落》ち、北洋艦隊亡び、三月末には南の方《かた》澎湖《+ボウコ》列島すでにわが有に帰し、北の方《かた》にはわが大軍潮《+大軍ウシオ》のごとく進みて、遼河以東に隻騎《セッキ》の敵を見ず。ついで講和使来《講和使’来》たり、四月中旬には平和条約締結の報あまねく伝わり、三国干渉のうわさについで、遼東《+リョウトウ》還付の事あり。同五月末大元帥陛下凱旋《同五月末/大元帥陛下’凱旋》したまいて、戦争《いくさ》はさながら大鵬の翼を|収む《収》るごとく倐然《+/シュクゼン》としてやみぬ。  旅順に千々岩《千々石》の骨を収め、片岡中将の危厄を救いし後《のち》、武男は威海衛の攻撃に従い、また遠く南の方澎湖《+かたボウコ》島占領の事に従いしが、《:、》六月初旬そ《/そ》の乗艦のひとまず横須賀に凱旋する都合となりたるより、久々ぶりに帰京して、たえて久しきわが家の門を入《-い》りぬ。  想えば去年の六月、席をけって母に辞したりしよりす《/す》でに一年を過ぎぬ。幾たびか死生のきわを通り来て、むかしの不快は薄らぐともなく痕を滅し、佐世保病院の雨の日、威海衛港外風氷《威海衛’港外/風氷》る夜は想いのわが家に向かって飛びしこと幾たびぞ。  一年ぶりに帰りて見れば、家の内何《内’なん》の変わりたることもなく、わが車の音に出《い》で迎えつる婢《+女》の顔の新しくかわれるのみ。母は例のごとく肥え太りて、リュウマチス起これりとて、一日床《一日トコ》にあり。田崎《タザキ》は例のごとく日々来《日々’来》たりては、六畳の一間《ヒトマ》に控え、例のごとく事務をとりてま《”ま》た例刻に帰り行く。型に入れたるごとき日々の事、見るもの、聞くもの、さながらに去年のままなり。武男は望みを得て望みを失える心地しつ。一年ぶりに母にあいて、絶えて久しきわが家の風呂に入《い》りて、うずたかき蒲団に安坐して、好める饌《+膳》に向かいて、《:、》さて|釣り床《釣床》ならぬ黒ビロードの括り枕に疲れし頭を横たえて、しかも夢は結ばれず、枕べ近き時計の12時をうつまでも、目はいよいよさえて、心の奥に一種鋭き苦痛《+苦しみ》を覚えしなり。  一年の月日は母子《親子》の破綻を繕いぬ。少なくも繕えるがごとく見えぬ。母もさすがに喜びてその独子《+ヒトリゴ》を迎えたり。武男も母に会《お》うて一の重荷をばおろしぬ。されど二人が間は、顔見合わせしその時より、全く隔てなきあたわざるを武男も母も覚えしなり。浪子の事をば、彼も問わず、これも語らざりき。彼の問わざるは問うことを欲せざるがためにあらずして、これの語らざるは彼の聞かんことを欲するを知らざるがためにはあらざりき。ただかれこれともにこの危険の問題をば務めて避けたるを、たがいにそれと知りては、さしむかいて|話途絶ゆる《話トダユル》ごとにお《/お》のずから座の安からざるを覚えしなり。  佐世保病院の贈り物、旅順のかの出来事、それはなくとももとより忘るる時はなきに、今昔ともに棲みし家に帰り来て見れば、見る物ごとにその面影の忍ばれて、武男は怪しく心地乱れぬ。彼女《+カレ》は今いずこにおるやらん。わが帰り来《こ》しと知らでやあらん。思いは千里も近しとすれど、縁絶えては一里と距《+離》れぬ片岡家《片岡ケ》、さながら日《ヒ》よりも遠く、彼女《+カレ》が伯母の家は呼べば応《-こた》うる《-る》近くにありながら、何《なん》の顔ありて行きてその消息を問うべきぞ。想えば去年の五月艦隊《五月/艦隊》の演習におもむく時、逗子に立ち寄りて別れを告げしが一生の別離《+別れ》とは知らざりき。かの時別荘《時’別荘》の門に送り出《-い》でて「早く帰ってちょうだい」と呼びし声は今も耳底《+耳》に残れど、今はたれに向かいて「今《いま》帰った」というべきぞ。  かく思いつづけし武男は、一日《+ある日’》横須賀におもむきしついでに逗子に下《-お》りて、かの別墅の方《ほう》に迷い行けば、表《おもて》の門は閉じたり。さては帰京せしかと思いわびつつ、裏口より入り見れば、老爺一人庭《+-じじい一人’庭》の草をむしり居つ。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第七章】 【その2】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  武男が入《-い》り来る足音に、老爺《+じじい》はおもむろに振りかえりて、それと見るよりいささか驚きたる体《テイ》にて、鉢巻をとり、小腰を屈めながら 「これはおいでなせえまし。旦那様アいつお帰《+けえ》りでごぜエ《え》ましたんで?」 「|二三日前《ニサンニチ前》に帰った。老爺《+お前》も相変わらず達者でいいな」 「どういたしまして、はあ、ねッ《っ》からいけませんで、はあ《あ/》お世話様になりますでごぜエ《え》ますよ」 「何かい、老爺《+お前》はもうよっぽど長く留守をしとるのか?」 「いいや、何でごぜエ《え》ますよ、その、先月《+アトゲツ》までは奥様──《─:》ウンニャお嬢──ごご御病人《ご病人》様と|ばあ《バア》やさんがおいでなさったんで、それからまア老爺《+/ワタクシ》がお留守をいたしておるでごぜエ《え》ますよ」 「それでは先月帰京《+アトゲツ帰》ったン《ん》だね──《─:》では東京《+あっち》にいるのだな」  と武男はひとりごちぬ。 「はい、さよさまで。殿様が清国《+アッチ》からお帰《+けえ》りなさるその前《+-めえ》に、東京にお帰《+けえ》りなさったでごぜエ《え》ますよ。は《ハ》ア、それから殿様とごいっしょに京都《+上方》に行かっしゃりました御様子《ご様子》で、まだ帰京《+けえ》らっしゃりますめえと、はや思うでごぜエ《え》ますよ」 「京都《+上方》に?──では病気がいいのだな」  武男は再びひとりごちぬ。 「で、いつ行ったのだね?」 「四五日前《+シゴンチマエ》──。」と言いかけしが、老爺《+じじい》はふと今の関係を思い出《-い》でて、言い過ぎは《は-》せざりしかと|思い貌《+オモイガオ》にたちまち口《クチ》をつぐみぬ。それと感ぜし武男は思わず顔をあからめたり。  ふたり相対《+相向か》いてしばし黙然《+黙念》としていたりしが、老爺《+じじい》はさすがに気の毒と思い返ししように、 「ちょいと戸を明けますべえ。旦那様、お茶でも上がってまあお休みなさッ《っ》ておいでなせエ《え》ましよ」 「何、かまわずに置いてもらおう。ちょっと通りかかりに寄ったんだ」  言いすてて武男はかつて来なれし屋敷内を回り見れば、さすがに守る人あれば荒れざれど、戸はことごとくしめて、手水鉢に水絶え、庭の青葉は茂りに茂りて、《:、》ところどころに梅子《+梅の実》こぼれ、青々としたる芝生に咲き残れる薔薇の花半《花/半》ばは落ちて、ほのかなる香《+香り》は庭に満ちたり。いずくにも人の気はなくて、屋後の松に蝉の音《ネ》のみぞ|かしま《姦》しき。  武男は匇々《+ソウソウ》に老爺《+-じじい》に別れて、頭《コウベ》をたれつつ出《-い》で去りぬ。  五六日を経て、武男はまた家を辞して遠く南征《ナンセイ》の途《ト》に上ることとなりぬ。家に帰りて十余日《10余にち》、他の同僚は凱旋の歓迎のと|おもしろ《面白》く騒ぎて過ごせるに引きかえて、武男は|おもしろ《面白》からぬ日を送れり。遠く離れてはさすがになつかしかりし家も、帰りて見れば思いのほかに|おもしろ《面白》き事もなくて、武男はついにその心の欠陥《+あき》を満たすべきものを得ざりしなり。  母もそれと知りて、苦々しく思える|ようす《様子》はおのずから言葉の端にあらわれぬ。武男も母のそれと知れるをば知り得て、さしむかいて語るごとに、ものありて間を|隔つる《ヘダツル》ように覚えつ。されば母子《親子》の間《あいだ》はもとのごとき破裂こそなけれ、武男は一年後の今のか《/か》えってもとよりも母に遠ざかれるを憾みて、なお遠ざかるをいかんともするあたわざりき。母子《親子》は冷然として別れぬ。  横須賀より乗るべかりしを、出発に垂《+なんな》んとして障《+/障り》ありて一日《イチジツ》の期をあやまりたれば、武男は呉より乗ることに定め、六月の十日というに孤影蕭然《/孤影’蕭然》として東海道列車に乗りぬ。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第八章】 【その1】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  宇治の黄檗山《+黄檗ザン》を今《/今》しも出《-い》で来たりたる三人《+ミタリ》連れ。五十余りと見ゆる肥満の紳士は、洋装して、金頭《+キンガシラ》のステッキを持ち、二十ばかりの淑女は黒綾の洋傘《+パラソル》をかざし、そのあとより五十あまりの婢《+女》らしきが信玄袋をさげて従いたり。  三人《+ミタリ》の出で来たるとともに、門前に待ち居し三輛の車が《/が》らがらと引き来るを、老紳士は洋傘《+パラソル》の淑女を顧みて 「いい天気じゃ。すこし歩いて見てはどうか」 「歩きましょう」 「お疲れは遊ばしませんか」と婢《+女》は口を添えつ。 「いいよ、少しは歩いた方《ほう》が」 「じゃ疲《/疲》れたら乗るとして、まあぶらぶら歩いて見るもいいじゃろう」  三輛の車をあとに従えつつ、三人《+ミタリ》はおもむろに歩み初めぬ。いうまでもなく、こは片岡中将の一行なり。昨日奈良《昨日’奈良》より宇治に宿りて、平等院を見、扇の芝の昔を弔い、今日は山科の停車場《停車じょう-》より大津の方《ほう》へ行かんとするなり。  片岡中将は去《+サンヌ》る五月に遼東《+リョウトウ》より凱旋しつ。一日浪子《一日’浪子》の主治医を招きて書斎に密談せしが、その翌々日《翌々日’》より、浪子を伴ない、婢《+ヒ》の幾を従えて、飄然として京都に来つ。閑静なる河ぞいの宿をえらみて、ここを根拠地と定めつつ、軍服を脱ぎすてて平服に身を包み、人を避け、公会の招きを辞して、《:、》ただ日々浪子《日々’浪子》を連れては彼女《+カレ》が意のむかうままに、博覧会を初め名所古刹《名所’古刹》を遊覧し、西陣に織り物を求め、清水《+キヨミズ》に土産を買い、優遊の限りを尽くして、ここに十余日《10余にち》を過ぎぬ。世間《+世》は|しば《暫》し中将の行くえを失いて、浪子ひとりその父を占めけるなり。 「黄檗を出れば日本の茶摘《茶つ》みかな。」茶摘《茶つ》みの盛季《+サカリ》はとく過ぎたれど、風は時々焙炉《+時々ホウロ》の香《香り》を送りて、ここそこに二番茶を摘む女の影も見ゆなり。茶の間々《+アイアイ》は麦黄《麦’黄》いろく熟れて、さくさくと鎌の音聞こゆ。目を上《-あ》ぐれば和州の山遠く夏|がす《ガス》みに薄れ、宇治川は麦の穂末《ホズエ》を渡る白帆にあらわれつ。かなたに屋根のみ見ゆる村里より午鶏《/ゴケイ》の声《声/》ゆるく|野づら《ノヅラ》を渡り来て、打ち仰ぐ空には薄紫に焦がれし雲ふ《/ふ》わふわと漂いたり。浪子は吐息つきぬ。  たちまち左手《+ユンデ》の畑路《畑道》より、夫婦と見ゆる百姓二人話《ヒャクショウ二人/話》しもて出《-い》で来たりぬ。午餉《+昼餉》を終えて今しも圃《+ハタ》に出《い》で行くなるべし。男は鎌を腰にして、女は白手|ぬぐ《拭》いをかむり、歯を染め、土瓶の大いなるを手にさげたり。出会いざまに、立ちど《止》まりて、しばし一行の様子を見し女は、行き過ぎたる男のあと小走りに追いかけて、何かささやきつ。二人ともに振りかえりて、女は美しく染めたる歯を見せてほほえみしが、また相語《相’語》りつつ花茨こぼるる畦路《+畦道》に入《-い》り行きたり。  浪子の目はそのあとを追いぬ。竹の子笠《+子ガサ》と白手《シロ手》ぬぐいは、次第に黄ばめる麦に沈みて、やがてかげも見えずなりしと思えば、たちまち畑《+ハタ》のかなたより 「郎《+ヌシ》は正宗、|わしア《ワシャ》錆び刀《ガタナ》、郎《+ヌシ》は切れても、|わしア《ワシャ》切《き》れ|エ──《ぇーー》ぬ」  歌う声哀々《声/哀アイ》として野づらに散りぬ。  浪子はさしうつむきつ。 【 ふりかえり見し父中将は】 「くたびれたじゃろう。どれ──」  言いつつ浪子の手をとりぬ。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第八章】 【その2】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。 【 中将は浪子の手をひきつつ】 「年のたつは早いもン《ん》じゃ。浪、卿《+お前》はおぼえておるかい、卿《+お前》がちっちゃかったころ、よくお|とう《父》さんに負ぶさって、ぽんぽんお|とう《父》さんが横腹をけったりしおったが。そうじゃ、卿《+お前》が五つ六《6》つのころじゃったの」 「オホホホホ、さようでございましたよ。殿様が負《+-おん》ぶ遊ばしますと、少嬢様《+チイオ嬢様》がよくおむずかり遊ばしたン《ん》でございますね。──ただ今もどんなにおうらやましがっていらッ《っ》しゃるかもわかりませんでございますよ」と気軽に幾が相槌うちぬ。  浪子はたださびしげにほほえみつ。 「駒か。駒にはおわびにどっさり土産でも持って行くじゃ。なあ、浪。駒よか千鶴《+チズ》さんがうらやましがっとるじゃろう、一度こっちに来たがっておったのじゃから」 「さようでございますよ。加藤《+あちら》のお嬢様がおいで遊ばしたら、どんなにおにぎやかでございましょう。──本当に私なぞがまあこんな珍しい見物さしていただきまして──《─:》あの何でございますか、さっき渡りましたあの川が宇治川で、あの螢の名所で、ではあの駒沢が深雪《シンセツ》にあいました所でございますね」 「ハハハハ、幾はなかなか学者じゃの。──いや世の中の移り変わりはひどいもン《ん》じゃ。お|とう《父》さんなぞが若《-わか》か時分は、大阪から京へ上るというと、いつもあの三十石《サンジュッコク》で、鮓のごと詰められたもン《ん》じゃ。いや、それよかお|とう《父》さんがの、二十《ハタチ》の年じゃった、《:、》大西郷《オオ西郷》と有村──海江田《+カエダ》と月照師《+月照さん》を大阪まで連れ出したあとで、大事な要《用》がでけて、お|とう《父》さんが行くことになって、さああ《/あ》と追っかけたが、あんまり急いで|一文な《一文無》しじゃ。とうとう頬|かぶ《被》りをして跣足《裸足》で──夜じゃったが──伏見から大阪まで川堤《+川土手》を走ったこともあったン《ん》じゃ。ハハハハ。暑いじゃないか、浪、くたびれるといかん、もう少し乗ったらどうじゃ」  おくれし車を幾が手招けば、からからと挽き来つ。三人《+ミタリ》は乗りぬ。 「じゃ、そろそろやってくれ」  車は徐々に麦圃《+バクホ》を穿ち、茶圃《茶バタケ》を貫きて、山科の方《ほう》に向かいつ。  前なる父が項《-うなじ》の白髪を見つめて、浪子は思いに沈みぬ。良人に別れ、不治の疾《+病》をいだいて、父に伴なわるるこの遊びを、うれしといわんか、哀しと思わんか。望みも楽しみも世に尽き果てて遠《/遠》からぬ死を待つわれを不幸といわば、そのわれを思い想う父の心をく《汲》むに難《かた》からず。浪子は限りなき父の愛を想うにつけても、今の身はただ慰めらるるほかに父《/父》を慰むべき道なきを哀しみつ。世を忘れ人を離れて父子《+親子》ただ二人名残《二人/名残》の遊びをなす今日このごろは、せめて小供《子供》の昔にかえりて、物見遊山もわれから進み、《:、》やがて消《-き》ゆべき空蝉の身には要なき唐織り物も、末は妹《+イモト》に紀念《+形見》の品と、ことに華美《+派手》なるを選《えら》みしなり。  父を哀しと思えば、恋しきは良人武男《良人’武男》。旅順に父の危難《+危うき》を助け|たま《給》いしとばかり、後《あと》の消息はたれ伝うる者もなく、思いは飛び夢《/夢》は通えど、今はいずくにか居たもうらん。あいたし、一度あいたし、生命《+息》あるうちに一度、ただ一度あいたしと思うにつけて、《:、》さきに聞きつる鄙歌のあいにく耳に響き、かの百姓夫婦のむつまじく語れる面影は眼前《+目先》に浮かび、楽しき粗布《+アラヌ》に引きかえて憂《/憂》いを包む風通《フウツウ》の袂恨めしく──  せぐり来る涙をハンケチにおさえて、泣かじと唇をかめば、あいにく|せき《咳》のしきりに濡れぬ。  中将は気づかわしげに、ふりかえりつ。 「もうようございます」  浪子はわずかに笑みを作りぬ。 ◇。◇。◇。◇。◇。  山科に着きて、東行《トウコウ》の列車に乗りぬ。上等室は他に人もなく、浪子は開ける窓のそばに、父はかなたに坐《座》して新聞を広げつ。  おりから煙を噴《+吐》き地《/地》をとどろかして、神戸行きの列車は東より来たり、まさに出《い》でんとするこなたの列車と相ならびたり。客車の戸を開閉《+開け閉て》する音、プラットフォームの砂利踏《砂利’踏》みにじりて駅夫《駅フ》の「山科、山科」と叫び過《す》ぐる声か《/か》なたに聞こゆるとともに、汽笛鳴《汽笛’鳴》りてこなたの列車はおもむろに動き初《始》めぬ。開ける窓の下に坐《座》して、浪子はそぞろに移り行くあなたの列車をながめつ。あたかもかの中等室の前に来《こ》し時、窓に頬杖つきたる洋装の男と顔見合わしたり。 「まッ《っ》あなた!」 「おッ浪さん!」  こは武男なりき。  車は過ぎんとす。狂せるごとく、浪子は窓の外にのび上がりて、手に持てるすみれ色のハンケチを投げつけつ。 「おあぶのうございますよ、お嬢様」  幾は驚きてしかと浪子の袂を握りぬ。  新聞手《新聞’手》に持ちたるまま中将も立ち上がりて窓の外を望みたり。  列車は五間過ぎ──十間過ぎぬ。落つばかりの《伸》び上がりて、ふりかえりたる浪子は、武男が狂えるごとくか《カ》のハンケチを振りて、何か呼べるを見つ。  たちまちレールは山角《+サンカク》をめぐりぬ。両窓《両ソウ》のほか青葉の山あるのみ。後ろに聞こゆる帛《+キヌ》を裂くごとき一声は、今しもかの列車が西に走れるならん。  浪子は顔打ちおおいて、父の膝にうつむきたり。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第九章】 【その1】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  七月七日の夕べ、片岡中将の邸宅《+屋敷》には、人多く集いて、皆低声《+皆’小声》にもの言《い》えり。令嬢浪子《令嬢’浪子》の疾《+病’》革まれるなり。  かねては一月《-ひと月》の余もと期せられつる京洛《+ケイ洛》の遊より、中将父子の去月下旬《去月’下旬/》にわかに帰り来たれる時《とき》、《:、》玄関に出《い》で迎えし者は、医ならざるも浪子の病勢お《/お》おかたならず進めるを疑うあたわざりき。はたして医師は、一診《イッシン》して覚えず顔色を変えたり。月ならずして病勢にわかに加われるが上に、心臓に著《-いちじる》しき異状を認めたるなりき。これより片岡家《片岡ケ》には、深夜も燈燃《明かり燃》えて、医は間断なく出入りし、月末《ゲツマツ》より避暑に|おもむ《赴》くべかりし子爵夫人もさ《/さ》すがにしばしその行《行’》を見合わしつ。  名医の術も施すに由なく、幾が夜ごと日《ヒ》ごとの祈念もかいなく、病は日《+日々》に募りぬ。数度《スウド》の喀血、その間々《+アイアイ》には心臓の痙攣起こり、はげしき苦痛のあとはおおむね惛々《+コンコン》としてうわ言を発し、今日は昨日より、翌日《+あす》は今日より、衰弱いよいよ加わりつ。その咳嗽を聞いて連夜《+夜ごと》ねむらぬ父中将のわ《/わ》が枕べ《辺》に来るごとに、浪子はほのかに笑みて苦しき息を忍びつつ明《/明》らかにもの言えど、うとうととな《-な》りては絶《/絶》えず武男の名をば呼びぬ。 ◇。◇。◇。◇。◇。  今日明日《今日あす》と医師のことに戒めしそ《/そ》の今日は夕べとなりて、部屋部屋は燈《明かり》あまねく点きたれど、声高にもの言う者もなければ、しんしんとして人ありとは思われず。今皮下注射《今’皮下注射》を終えたるあとをしばし静かにすとて、廊下伝いに離家《+離れ》より出《い》で来《こ》し二人の婦人は、小座敷の椅子に倚りつ。一人は加藤子爵夫人なり。今一人はかつて浪子を不動祠畔に救いしかの老婦人なり。去年の秋の暮れに別れしより、しばらく相見ざりしを、浪子が父に請いて使いして招けるなり。 「いろいろ御親切に──ありがとうございます。姪《+あれ》も一度はお目にかかってお礼を申さなければならぬと、そう言い言い|いた《致》しておりましたのですが──《─:》お目にかかりまして本望でございましょう」 ◇。◇。◇。◇。◇。  加藤子爵夫人はわずかに口を開きぬ。  答《こた》うべき辞《+言葉》を知らざるように、老婦人はただ太息《+吐息》つきて頭を下《-さ》げつ。ややありて声を低くし 「で──《─◇。◇。◇。》はどちらにおいでなさいますので?」 「台湾にまいったそうでございます」 「台湾!」  老婦人は再び太息《吐息》つきぬ。  加藤子爵夫人はわき来る涙をかろうじておさえつ。 「でございませんと、あの通《とお》り思っているのでございますから、世間体はどうともいたして、あわせもいたしましょうし、暇乞もいたさせたいのですが──《─:》何をいっても昨日今日台湾に着いたばかり、それがほかと違って軍艦に乗っているのでございますから──」  おりから片岡夫人入《片岡夫人い》り来《き》つ。そのあとより目を泣きはらしたる千鶴子は急ぎ足に入《い》り来《き》たりて、その母を呼びたり。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第九章】 【その2】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  日は暮れぬ。去年の夏に新たに建てられし離家《+離れ》の八畳には、燭台の光ほのかにさして、大いなる寝台《+ネダイ》一つ据えられたり。その雪白なるシーツの上に、目を閉じて、浪子は横たわりぬ。  二年に近き病に、やせ果てし躯《+身》はさらにやせて、肉という肉は落ち、骨という骨は露われ、蒼白き面《-おもて》のい《-い》とど透きとおりて、ただ黒髪のみ昔ながらにつやつやと照れるを、長く組みて枕上《+枕》にたらしたり。枕もとには白衣の看護婦が氷《”氷》に和せし赤酒《+セキシュ》を時々《ときどき》筆に含まして浪子の唇を湿《+潤》しつ。こなたには今一人《今’一人》の看護婦とともに、目くぼみ頬落《/頬落》ちたる幾がう《/う》つむきて足をさすりぬ。室内しんしんとして、ただたちまち急にた《/た》ちまちかすかになり行く浪子の呼吸の聞こゆるのみ。  たちまち長き息つきて、浪子は目を開き、かすかなる声を漏らしつ。 「伯母さまは──?」 「来ましたよ」  言いつつしずかに入《い》り来《き》たりし加藤子爵夫人は、看護婦がすすむる椅子をさらに臥床《寝床》近く引き寄せつ。 「少しはねむれましたか。──何? そうかい。では──」 【 看護婦と幾を顧みつつ】 「少しの間《マ》あっちへ」  三人《+ミタリ》を出しやりて、伯母はなお近く椅子を寄せ、浪子の額にかかるおくれ毛をなで上げて、しげしげとその顔をながめぬ。浪子も伯母の顔をながめぬ。  ややありて浪子は太息《+吐息》とともに、わなわなとふるう手をさしのべて、枕の下より一通《1通》の封ぜし書《+物》を取り出《+-いだ》し 「これを──届けて──わたしがなくなったあとで」  ほろほろとこぼす涙をぬぐいやりつつ、加藤子爵夫人は、さらに眼鏡の下より|はふり《ハフリ》落つる涙をぬぐいて、その書をしかとふところにおさめ、 「届けるよ、きっとわたしが武男さんに手渡すよ」 「それから──この指環は」  左手《+ユンデ》を伯母の膝にのせつ。その第四指《第ヨンシ》に燦然と照るは一昨年の春、新婚の時武男が贈りしなり。去年去られし時、かの家に属するものをばことごとく送りしも、ひとりこれのみ愛《+-お》しみて手離《手放》すに忍びざりき。 「これは──持って──行きますよ」  新たにわき来る涙をおさえて、加藤夫人はただうなずきたり。浪子は目を閉じぬ。ややありてまた開きつ。 「どうしていらッ《っ》しゃる──でしょう?」 「武男さんはもう台湾《+あちら》に着いて、きっといろいろこっちを思いやっていなさるでしょう。近くにさえいなされば、どうともして、ね、──《─:》そうおとうさまもおっしゃっておいでだけれども──《─:》浪さん、あんたの心尽くしはきっとわたしが──手紙も確かに届けるから」  ほのかなる笑《笑み》は浪子の唇に上りしが、たちまち色なき頬《ホオ》のあたり紅《/ベニ》をさし来たり、胸は波うち、燃《も》ゆばかり熱き涙はらはらと苦しき息をつき、 「ああつらい! つらい! もう──もう婦人《+女》なんぞに──生まれはしませんよ。──あああ!」  眉をあつめ胸をおさえて、浪子は身をもだえつ。急に医を呼びつつ赤酒《+セキシュ》を含ませんとする加藤夫人の手にすがりて半ば起き上がり、生命《イノチ》を縮むる|せき《咳》とともに、肺を絞って一盞の紅血《コウケツ》を吐きつ。惛々《+コンコン》として臥床《寝床》の上に倒れぬ。  医とともに、皆入《ミナい》りぬ。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第九章】 【その3】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  医師は騒がず看護婦を呼びて、応急の手段《手だて》を施しつ。さしずして寝床に近き玻璃窓《+玻璃ソウ》を開かせたり。  涼しき空気は一陣水《一陣’水》のごとく流れ込みぬ。まっ黒き木立の背《+後ろ/》ほのかに明るみたるは、月出でんとするなるべし。  父中将を首《+始め》として、子爵夫人、加藤子爵夫人、千鶴子、駒子、及び幾も次第にベッドをめぐりて居流れたり。風はそよ吹きてす《/す》でに死せるがごとく横たわる浪子の鬢髪をそよがし、医はしきりに患者の面《-おもて》をうかがいつつ脈をとれば、こなたに立てる看護婦が手中の紙燭《シショク》はたはたとゆらめいたり。  十分《10分》過ぎ十五分過ぎぬ。寂《+静》かなる室内か《/か》すかに吐息聞こえて、浪子の唇わずかに動きつ。医は手ずから一匕《+ひと匙》の赤酒《+セキシュ》を口中に注ぎぬ。長き吐息は再び寂《+静》かなる室内に響きて、 「帰りましょう、帰りましょう、ねエ《え》あなた──《─:》お母さま、来ますよ来ますよ──おお、まだ──ここに」  浪子はぱっちりと目を開《-あ》きぬ。  あたかも林端《リンタン》に上れる月は一道の幽光《ユウコウ》を射て、惘々としたる浪子の顔を照らせり。  医師は中将にめくばせして、片隅《+カタエ》に退《-しりぞ》きつ。中将は進みて浪子の手を執り、 「浪、気がついたか。お|とう《父》さんじゃぞ。──みんなここにおる」  空《クウ》を見詰めし浪子の目は次第に動きて、父中将の涙に曇《-くも》れる目と相会《相’会》いぬ。 「おとうさま──おだいじに」  ほろほろ涙をこぼしつつ、浪子はわずかに右手《+メテ》を移して、その左を握れる父の手を握りぬ。 「お母さま」  子爵夫人は進みて浪子の涙をぬぐいつ。浪子はその手を執り 「お母さま──御免──遊ばして」  子爵夫人の唇はふるい、物を得言《エ言》わず顔打《/顔’打》ちおおいて退きぬ。  加藤子爵夫人は泣き沈む千鶴子を励ましつつ、かわるがわる進みて浪子の手を握り、駒子も進みて姉の床《トコ》ぎわにひざまずきぬ。わななく手をあげて、浪子は妹《イモト》の前髪をかいなでつ。 「駒《+コウ》ちゃん──さよなら──」  言いかけて、苦しき息をつけば、駒子は打ち震いつつ一匕《+ひと匙》の赤酒《+セキシュ》を姉の唇に注ぎぬ。浪子は閉じたる目を開きつつ、見回して 「毅一《+キイ》さん──道《+ミイ》ちゃん──は?」  二人の小児《+子供》は子爵夫人の計らいとして、すでに月の初めより避暑におもむけるなり。浪子はうなずきて、ややうっとりとなりつ。  この時座末《時’座末》に泣き浸りたる幾は、つと身を起こして、力なくたれし浪子の手をひしと両手に握りぬ。 「|ばあ《バア》や──」 「お、お、お嬢様、|ばあ《バア》やもごいっしょに──」  泣きくずるる幾をわずかに次へ立たしたるあとは、しんとして水のごとくなりぬ。浪子は口を閉じ、目を閉じ、死の影は次第にその面《-おもて》をおおわんとす。中将はさらに進みて 「浪、何も言いのこす事はないか。──しっかりせい」  なつかしき声に呼びかえされて、わずかに開ける目は加藤子爵夫人に注ぎつ。夫人は浪子の手を執り、 「浪さん、何もわたしがうけ合った。安心して、お母さんの所においで」  かすかなる微咲《+笑み》の唇に上ると見れば、見る見る瞼は閉じて、眠るがごとく息絶えぬ。  さし入《い》る月は蒼白き面《-おもて》を照らして、微咲《+笑み》はな《-な》お唇に浮かべり。されど浪子は永く眠れるなり。 ◇。◇。◇。◇。◇。  三日を隔てて、浪子は青山墓地に葬られぬ。  交遊広き片岡中将の事なれば、会葬者はきわめておおく、浪子が同窓の涙を|おお《覆》うて見送れるも多かりき。少しく子細を知れる者は中将の暗涙《アンルイ》を帯びて棺側《/カンソク》に立つを見て断腸の思いをなせしが、知らざる者も老女の幾が|われ《吾》を忘れて棺にすがり泣《/泣》き口説けるに袖をぬらしたり。  故人《+亡き人》は妙齢の淑女なればにや、夏ながらさまざまの生け花の寄贈多《寄贈’多》かりき。そのなかに四十《シジュウ》あまりの羽織袴の男がもたらしつるもののみは、中将の玄関より突き返されつ。その生け花には「川島家《+川島ケ》」の札ありき。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第十章《第10章》】 【その1】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  四月《+ヨツキ》あまり過ぎたり。  霜に染みたる南天の影長々《影/長々》と庭に臥す午後四時過ぎ、相《あい》も変わらず肥えに肥えたる川島未亡人は、やおら障子をあけて縁側に出《い》で来たり、手水鉢に立ち寄りて、水なきに舌鼓を鳴らしつ。 「松《+まあつ》、──竹《+たけえ》」  呼ぶ声に一人は庭口より一人《/一人》は縁側よりあ《/あ》わただしく走り来つ。恐慌の色は面《-おもて》にあらわれたり。 「汝達《+ワイドモ》は何《+なあに》をしとッ《っ》か。先日《+こないだ》もいっといたじゃなっか。こ、これを見なさい」  柄杓をとって、からの手水鉢をからからとかき回せば、色を失える二人はただ息をのみつ。 「|早よ《ハヨ》せんか」  耳近《耳チカ》き落雷にいよいよ色を失いて、二人は去りぬ。未亡人は何か口のうちにつぶやきつつ、やがてもたらし来《こ》し水に手を洗《あら》いて、入《い》らんとする時《とき》、他の一人は入《-い》り来《き》たりて小腰を屈めたり。 「何か」 「山木様とおっしゃいます方が──」  言《+こと》終わらざるに、一種《1種》の冷笑は不平と相半ばして面積広《/面積’広》き未亡人の顔をおおいぬ。実《じつ》を言えば去年の秋お《/お》豊が逃げ帰りたる以後はお《/お》のずから山木の足も遠かりき。山木は去年このかたの戦争《-いくさ》に幾万《幾マン》の利を占めける由を聞き知りて、川島未亡人はいよいよもって山木の仕打ちに不満をいだき、《:、》召使いにむかいて恩の忘るべからざるを説法するごとに、暗に山木を実例にとれるなりき。しかも習慣はついに勝ちを占めぬ。 「通しなさい」  やがて屋敷に通れる山木は幾たびかか《/カ》の赤黒子《+赤ボクロ》の顔を上げ下げつ。 「山木さん、久しぶりごあんすな」 「いや、御隠居様、どうも申しわけないごぶさたをいたしました。ぜひお伺い申すでございましたが、その、戦争後は商用でもって始終あちこちいたしておりまして、まず御壮健《ご壮健》おめでとう存じます」 「山木さん、戦争《いくさ》じゃしっかい|もう《儲》かったでごあんそいな」 「へへへへ、どういたしまして──まあおかげさまでその、とやかく、へへへへへ」  おりから小間使いが水引かけたる品々を腕もたわわにささげ来つ。 「お客様の──。」と座の中央《+モナカ》に差し出《+-いだ》して、罷りぬ。  じろり一瞥を台の上の物にくれて、やや満足の笑みは未亡人の顔にあらわれたり。 「これはいろいろ気の毒でごあんすの、ホホホホ」 「いえ、どうつかまつりまして。ついほン《ん》の、その──いや、申しおくれましたが、武──若旦那様も大尉に御昇進遊ばして、御勲章《ご勲章》や御賜金《ご賜金》がございましたそうで、《:、》実は先日新聞で拝見いたしまして──おめでとうございました。で、|ただ《只》今はどちら──佐世保においででございましょうか」 「武《タケ》でごあんすか。武《タケ》は昨日帰って来申《+きも》した」 「へエ、昨日? 昨日お帰りで? へエ、それはそれは、それはよくこそ、お変わりもございませんで?」 「相変わらず坊《ボ》っちゃまで困《コマ》いますよ。ホホホホ、今日は朝から出て、まだ帰《カエ》いません」 「へエ、それは。まずお帰りで御安心でございます。いや御安心と申しますと、片岡様でも誠に早《ハヤ/》お気の毒でございました。たしかもう百か日《にち》もお過ぎなさいましたそうで──《─:》しかしあの御病気《ご病気》ばかりはどうもいたし方のないもので、御隠居様、さすがお目が届きましたね」  川島夫人は顔ふくらしつ。 「彼女《+あい》の事じゃ、わたしも実に困《-こま》いましたよ。銭はつかう、悴とけんかまでする、そのあげくにゃ鬼婆のごと言わるる、得《とく》のいかン媳御《+嫁御》じゃってな、山木さん──。そいばかいか彼女《+/あい》が死んだと聞いたから、弔儀《+悔やみ》に田崎《タザキ》をやって、生花《+ショウカ》をなあ、やったと思いなさい。礼どころか──突っ返して来申《+きも》した。失礼じゃごあはんか、なあ山木さん」  浪子が死せしと聞きしその時は、未亡人もさすがによき心地はせざりしが、そのたまたま贈りし生花《+ショウカ》の一《/一》も二もなく突き返されしにて、万《+よろず》の感情はさらりと消えて、ただ苦味のみ残りしなり。 「へエ、それは──それはまたあんまりな。──いや、御隠居様──」 【 小間使いがささげ来たれる一碗《ひと椀》の茗《+メイ》にな《/な》めらかなる唇をうるおし】 「昨年来は長々お世話に相成りましてございますが、娘──豊《トヨ》も近々に嫁にやることにいたしまして──」 「お豊どんが嫁に?──それはまあ──そして先方《+向こう》は?」 「先方は法学士で、目下《+ただいま》農商務省の|○○《マルマル》課長をいたしておる男で、ご存じでございましょうか、|○○《マルマル》と申します人でございまして、千々岩《+千々石》さんなどもも《-も》と世話に──《─:》や、千々岩《千々石》さんと申しますと、誠にお気の毒な、まだ若いお方を、残念でございました」  一点の翳未亡人《翳/未亡人》の額をかすめつ。 「戦争《+いくさ》はいやなもんでごあんすの、山木さん。──そいでその婚礼は何日《+いつ》?」 「取り急ぎまして|明後々日《シアサッテ》に定《+決》めましてございますが──《─:》御隠居様、どうかひとつ御来駕《+お出で》くださいますように、──《─:》川島様の御隠居様がおすわり遊ばしておいで遊ばすと申しますれば、へへへ《へ/》手前どもの鼻も高《-たこ》うございますわけで、──《─:》どうかぜひ──家内も出ますはずでございますが、その、取り込んでいますので──武《タケ》──若旦那様もどうか──」  未亡人はうなずきつ。おりから五点をうつ床上《+トコ》の置き時計を顧みて、 「おおも《/も》う五時じゃ、日が短いな。武《タケ》はどうしつろ?」 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第十章《第10章》】 【その2】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  白菊を手にさげし海軍士官、青山南町《+青山ミナミチョウ》の方《ほう》より共同墓地に入《い》り来《き》たりぬ。  あたかも新嘗祭の空青々《空/青々》と晴れて、午後の日光《+光》は墓地に満ちたり。秋はここにも紅に照れる桜の葉はらりと落ちて、仕切りの籬《+カキ》に咲《+-え》む茶山花《+山茶花》の香《+香り》ほのかに、線香の煙立ち上るあたりには小鳥の声幽《声かすか》に聞こえぬ。今《いま》笄町の方《ほう》に過ぎし車の音か《/か》すかになりて消えたるあとは、寂《+静》けさひとしお増さり、ただはるかに響く都城《+都》のどよみの、この寂寞に和して、か《カ》の現《-うつつ》とこの夢と相共《/あい共》に人生の哀歌を奏するのみ。  生籬《生垣》の間《あいだ》より衣の影ち《/ち》らちら見えて、やがて出《い》で来《こ》し二十七八《ニジュウシチハチ》の婦人、目を赤うして、水兵服の七歳《+7つ》ばかりの男児《+オノコ》の手を引きたるが、海軍士官と行きすりて、五六歩《ゴロッポ》過ぎし時、 「母さん、あのおじさんもやっぱし海軍ね」  という子供の声聞こえて、婦人はハンケチに顔をおさえて行きぬ。それとも知らぬ海軍士官は、道を|考うる《カンガウル》ようにしばしば立ち留《とど》まりては新しき墓標を読みつつ、《:、》ふと一等墓地の中に松桜《松’桜》を交え植えたる一画《+一頻り》の塋域《+ハカショ》の前にいたり、うなずきて立ち止まり、垣《カキ》の小門の閂を揺《+動》かせば、手に従って開きつ。正面には年経《-とし経》たる石塔あり。士官は《は-》つと入りて見回し、横手になお新しき墓標の前に立てり。松は墓標の上に翠蓋《+スイガイ》をかざして、黄ばみ紅《赤》らめる桜の落ち葉点々《葉/点々》としてこれをめぐり、近ごろ立てしと覚《-おぼ》ゆる卒塔婆は簇々としてこれを護りぬ。墓標には墨痕あざやかに「片岡浪子《片岡浪子》の墓」の六字を書《か》けり。海軍士官は墓標をながめて石のごとく突っ立ちたり。  やや久しゅうして、唇ふるい、嗚咽は食いしばりたる歯を漏れぬ。 ◇。◇。◇。◇。◇。  武男は昨日帰れるなり。  五か月前《+月ゼン》山科の停車場《停車じょう-》に今《/今》この墓標の下に臥す人と相見し彼は、征台《征タイ》の艦中に加藤子爵夫人の書に接して、浪子のすでに世にあらざるを知りつ。昨日帰《昨日かえ》りし今日は、加藤子爵夫人を訪《おとな》いて、午過《昼す》ぐるまでその話に腸《ハラワタ》を断ち、今ここに来たれるなり。  武男は墓標の前に立ち|われ《/吾》を忘れてやや久しく哭したり。  三年の幻影はかわるがわる涙の狭霧のうちに浮《-う》かみつ。新婚の日、伊香保の遊、不動祠畔の誓い、逗子の別墅に別れし夕べ、最後に山科に相見しその日、これらは電光《+稲妻》のごとく|しだい《次第》に心に現われぬ。「早く帰ってちょうだい!」と言いし言《+言葉》は耳にあれど、一《ひと》たび帰れば彼女《+カレ》はすでにわが家の妻ならず、二《ふた》たび帰りし今日はすでにこの世の人ならず。 「ああ、浪さん、なぜ死んでしまった!」  われ知らず言いて、涙《+ナンダ》は新たに泉とわきぬ。  一陣の風頭上《風/頭上》を過ぎて、桜の葉は《/は》らはらと墓標をうって翻りつ。ふと心づきて武男は涙《+ナンダ》を押しぬぐいつつ、墓標の下に立ち寄りて、ややしおれたる花立ての花を抜きすて、持て来《こ》し白菊をさしはさみ、手ずから落ち葉を掃《ハラ》い、内ポッケットをかい探りて一通の書を取り出《い》でぬ。  こは浪子の絶筆なり。今日加藤子爵夫人《今日’加藤子爵夫人》の手より受け取りて読《/読》みし時の心はいかなりしぞ。武男は書をひらきぬ。仮名|書き《書》の美《うつく》しかりし手跡は痕もなく、その人の筆かと疑うまで字はふるい墨《/墨》はにじみて、涙のあと斑々《+ハンハン》として残れるを見ずや。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【 もはや最後も遠からず覚え候《候う》まま一筆残《+/ひと筆’残》しあげ参らせ候《候う:》 今生にては御目《+オン目》もじの節《フシ》もなきことと存じおり候《候う》ところ天《/天》の御憐《+オン憐れ》みにて先日《/先日》は不慮の御目《+オン目》もじ申しあげう《/う》れしくうれしくし《:し》かし汽車の内のこととて何も心に任せ申さず誠《/誠》に誠に御残《オン残》り多く存じ上げ参らせ候《候う:》】 ◇。◇。◇。◇。◇。  車の窓に身をもだえて、すみれ色のハンケチを投げしその時の光景《+有り様》は、歴々と眼前《目先》に浮かびつ。武男は目を上げぬ。前にはただ墓標あり。 ◇。◇。◇。◇。◇。  ままならぬ世に候《そうら》えば、何も不運と存じた《/た》れも恨み申さずこ《/こ》のままに身は土と朽ち果て候うとも魂《+/タマ》は永く御側《+オンソバ》に付き添い── ◇。◇。◇。◇。◇。 「おとうさま、たれか来てますよ」と涼しき子供の声耳近《声/耳ぢか》に響きつ。引きつづいて同じ声の 「おとうさま、川島の兄君《+兄さん》が」と叫びつつ、花をさげたる十《トオ》ばかりの男児《+オノコ/》武男がそばに走り寄りぬ。  驚きたる武男は、浪子の遺書を持ちたるまま、涙《+ナンダ》を払ってふりかえりつつ、あたかも墓門《ボモン》に立ちたる片岡中将と顔見合わしたり。  武男は頭《コウベ》をたれつ。  たちまち武男は無手《+ムズ》とわが手を握られ、ふり仰げば、涙を浮かべし片岡中将の双眼と相対《+相向か》いぬ。 「武男さん、わたしも辛《+キツ》かった!」  互いに手を握りつつ、二人が涙は滴々として墓標の下に落ちたり。  ややありて中将は涙《+ナンダ》を払いつ。武男が肩をたたきて 「武男君《+武男さん》、浪は死んでも、な、わたしはやっぱい卿《+アンタ》の爺《+親父》じゃ。しっかい頼んますぞ。──前途遠しじゃ。──ああ、久しぶり、武男さん、いっしょに行って、ゆるゆる台湾の話でも聞こう!」 ◇。◇。◇。◇。◇。 【底本:「小説◇ 不如帰」岩波文庫、岩波書店】 【   1938(昭和13)年7月1日第|1刷《イッサツ》発行】 【   1971(昭和46)年4月16日第34刷改版発行《サツ改版発行》】 ※《◇/》1898(明治31)年から翌年にかけて「国民新聞」に連載されたとき、不如帰《ホトトギス》には「ほととぎす」と読みが示してあった。後に著者は、本作品を「ふじょき」と呼び、巻頭の「第百版不如帰《第百版フジョキ》の巻首に」にも、そうルビが付してある。だが、底本は扉と奥付に、「ほととぎす」とルビを振っている。 【入力:鈴木伸吾】 【校正:林 幸雄】 【2001年2月16日公開】 【2011年8月27日修正】 【青空文庫作成ファイル:】 このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http:《コロン-/-》//《-/》www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。