▓。▓。▓。 【家なき子(げ)】 【マロ】 【楠山正雄訳】 ▓。▓。▓。 【第18章】 【ジャンチイイの石切り場】 ▓。▓。▓。  私たちはやがて人通りの多い往来へ出たが、歩いているあいだ親方はひと言も言わなかった。まもなくある狭いコウジへ入ると、/彼は往来の捨て石に腰をかけて、たびたび額を手でなで上げた。それは困ったときによく彼のするくせであった。 「いよいよ慈善家の世話になるほうがよさそうだな」と彼は独り言のように言った。「だがさし当たり’わたしたちは一銭の-かねも、一欠けのパンもなしに、/パリのどぶの中に捨てられている‥:‥おまえ’おなかがすいたろう」と彼は私の顔を見上げながらたずねた。 「私はけさいただいた小さなパンだけで、あれからなにも食べませんでした」 「かわいそうに/おまえは今夜も夕食なしに寝ることになるのだ。しかもどこへ寝るあてもないのだ」 「じゃあ、あなたはガロフォリのうちに泊まる積りでしたか」 「私はおまえをあそこへ泊めるつもりだった。それであれが冬じゅうおまえを借りきる代わりに、ニジュッフランぐらいは出そうから、それでわしもしばらくやってゆくつもりだった。けれどあの男があんなふうに子どもらをあつかう様子を見ては、おまえをあそこへは置いて行けなかった」 「ああ、あなたはほんとにいい人です」 「まあ、多分この年を取って固くなった流浪人の心にも、まだいくらか若い時代の意気が残っているとみえる。この年を取った流浪人はせっかく狡猾に胸算用を立てても、まだ心の底に残っている若い血がわき立って、いっさいを引っくり返してしまうのだ‥:‥さてどこへ行こうか」と彼はつぶやいた。  もうだいぶ遅くなって、ひどく寒さが加わってきた。北風がふいてつらい晩が来ようとしていた。長いあいだ、親方は石の上に座っていた。カピと私はだまってその前に立って、なんとか決心のつくまで待っていた。とうとう彼は立ち上がった。 「どこへ行くんです」 「ジャンチイイ。そこでいつか寝たことがある石切り場を見つけることにしよう。おまえ’つかれているかい」 「僕はガロフォリの所で休みました」 「私は休まなかったので、どうもつらい。あまり無理はできないが、行かなければなるまい。さあ前へ進め、子どもたち」  これはいつも私たちが出発するとき、犬や私に向かって用いる彼のジョウ機嫌な合図であった。けれど今夜は’それをいかにも悲しそうに言った。  いま私たちはパリの町の中をさまよい歩いていた。夜は暗かった。ちらちら風にまばたきながら、ガス灯がぼんやり往来を照らしていた。ひと足ごとに私たちは氷の張った敷石の上ですべった。親方がしじゅう私の手を引いていた。カピが私たちのあとからついて来た。しじゅうかわいそうな犬は立ち止まって、ふり返っては、はきだめの中を探して、なにか骨でもパンくずでも見つけようとした。ああ、ほんとにそれほど腹を減らしているのだ。けれどはきだめは雪が固くこおりついていて、探しても、むだであった。耳をだらりと下げたまま彼はとぼとぼと私たちに追い着いて来た。  大通りをぬけて、たくさんの小路小路を出ると、またたくさんの大通りがあった。私たちは歩いて歩いて歩き続けた。たまたま会う往来の人がびっくりして私たちをじろじろ見た。それは私たちの身なりのためであったか、私たちがとぼとぼ歩いて行くつかれきった様子が、/彼らの注意をひいたのであろうか。行き会う巡査もふり向いて私たちを見送った。  ひと言も口をきかずに親方は歩いた。彼の背中はほとんどフタエに曲がっていたが、寒いわりに彼の手は私の手の中でかっかとしていた。彼はふるえていたように思われた。ときどき彼が立ち止まって、しばらく私の肩によりかかるようにするときには、/彼の体全体がふるえて、いまにもくずれるように感じた。いつもなら私は彼に問いかけることはしなかったが、今夜こそはしなければならないと感じた。それに私は、どれほど彼を愛しているかを語りたい燃えるような希望を、いや少なくとも、なにか彼のためにしてやりたい希望を持っていた。 「あなたはご病気なんでしょう」彼がまた立ち止まったとき、私は言った。 「どうもそうではないかと思うよ。とにかく私は非常に疲れている。この寒さが私の年を取った体にはひどくこたえる。私はいい寝床と炉の前で夕飯を食べたい。だがそれは夢だ。さあ、前へ進め、子どもたち」  前へ進め。私たちは町をあとにした。私たちは郊外へ出ていた。もう往来の人も巡査も街灯も見えない。ただ窓明かりがそこここにちらちらして、頭の上には黒ずんだ青空にニ三点’星が光っているだけであった。いよいよはげしくあらくふきまくる風が着物を体に巻きつけた。幸いと向かい風ではなかったが、でも私の上着のそでは肩の所までぼろぼろに破れていたから、そのすきから風は遠慮なくふきこんで、/骨まで通るような寒気が身にこたえた。  暗かったし、往来はしじゅうたがいちがいに入り組んでいたが、親方は案内を知っている人のようにずんずん歩いた。それで私も迷うことはないとしっかり信じて、ついて行った。するととつぜん彼は立ち止まった。 「おまえ、森が見えるかい」と彼はたずねた。 「そんなものは見えません」 「大きな黒いかたまりは見えないかい」  私は返事をするまえに四方を見回した。木も家も見えなかった。どこもかしこもがらんと打ち開いていた。風のうなるほかになんの物音も聞こえなかった。 「私がおまえだけに目が見えるといいのだがなあ。ほら、あちらを見てくれ」彼は右の手を前へさし延べた。私はそっけなくなにも見えないとは言いかねて、返事をしなかったので、/彼はまたよぼよぼ歩き出した。  ニサンプンだまったまま過ぎた。そのとき彼はもう一度立ち止まっては、また森が見えないかとたずねた。ばくぜんとした恐怖に声をふるわせながら、私はなにも見えないと答えた。 「おまえこわいものだから目が落ち着かないのだ。もう一度よくご覧」 「本当です。森なんか見えません」 「広い道もないかい」 「なんにも見えません」 「道をまちがえたかな」  私はなにも言えなかった。なぜなら私はどこにいるのかもわからなかったし、どこへ行くのだかもわからなかったから。 「もう五分ばかり歩いてみよう。それでも森が見えなかったら、ここまで引っ返して来よう。ことによると道をまちがえたかもわからん」  私たちが道に迷ったことがわかると、もう体になんの力も残らないように思われた。親方は私の腕を引っ張った。 「さあ」 「僕はもう歩けません」 「いやはや、おまえは私がおまえをしょって行けると思うかい。私は座ったらもう二度と立ち上がることはできないし、そのまま寒さに凍えて死んでしまうだろうと思うからだ」  私は彼について歩いた。 「みちに深い車の輪のあとがついてはいないか」 「いいえ、なんにも」 「じゃあ引っ返さなきゃならない」  私たちは引っ返した。今度は風に向かうのである。それは鞭のようにぴゅうと顔を打った。私の顔は火で焼かれるように思われた。 「車の輪のあとを見たら言っておくれ。左のほうへ分かれる道をとって行かなければならない」と親方は力なく言った。「それが見えたら言っておくれ。そこの四つ角に円い頭のような形の茨がある」  十五分ばかり私たちは風と争いながら歩み続けた。しんとした夜の沈黙の中で私たちの足音が/かわいた固い土の上でさびしくひびいた。もうふみ出す力はほとんどなかったが、でも親方を引きずるようにしたのは私であった。どんなに私は左のほうを心配しては眺めたろう。暗いかげの中で私はふと小さな赤い灯を見つけた。 「ほら、ご覧なさい、明かりが」と私は指さしながら言った。 「どこに」  親方は見た。その明かりはほんのわずかの距離にあったが、/彼にはなにも見えなかった。私は彼の視力がだめになったことを知った。 「その明かりがなにになろう」と彼は言った。「それは誰かの仕事場の机にともっているランプか、死にかかっている病人のまくらもとの灯だ。私たちはそこへ行って戸をたたくわけには’いかない。遠く田舎へ出れば、夜になって宿を頼むこともできよう。けれどこうパリの近くでは‥:‥この辺で宿を頼むことはできない。さあ」  フタ足ミ足’行くと私は横へ入る道を見つけたように思った。ちょうど茨のやぶらしく思われる黒いかたまりもあった。私は先へ急いで行くために親方の手を放した。往来には深いわだちのあとが残っていた。 「ほら、ここに輪のあとがある」と私は叫んだ。 「手をお貸し。私たちは救われた」と親方が言った。「ご覧、今度は森が見えるだろう」  私はなにか-くろいものが見えたので、森が見えるように思うと言った。 「五分のうちにそこまで行ける」と彼はつぶやいた。  私たちはとぼとぼ歩いた。けれどこの五分間が永遠のように思われた。 「車の輪のあとはどちらにあるね」 「右のほうにあります」 「石切り場の入口は左のほうだよ。私たちは気がつかずに通り過ぎてしまったにちがいない。あともどりするほうがいいだろう」 「輪のあとはどうしても左のほうにはついていません」 「では’またあともどりだ」  もう一度わたしたちはあともどりをした。 「森が見えるか」 「ええ、左手に」 「それから車の輪のあとは」 「もうありません」 「私は目が見えなくなったかしらん」と親方は低い声で言って、両手を目に当てた。「森についてまっすぐにおいで。手を貸しておくれ」 「おや、塀があります」 「いいや、それは石の山だよ」 「いいえ、確かに塀です」  親方は、一足’離れて、本当に私の言ったとおりであるか、試してみようとした。彼は両手をさし延べて塀にさわった。 「そうだ、塀だ」と彼はつぶやいた。「入口は何処だ。車の輪のあとのついた道を探してごらん」  私は地べたに身をかがめて、塀のカドの所まで残らずさわってみたが、入口はわからなかった。そこでまたヴィタリスの立っている所まで戻って、今度は向こうの側をさわってみた。結果は同じことであった。入口もなければ門もなかった。 「なにもありません」と私は言った。  情けないことになった。疑いもなく親方は思い違いをしていた。多分ここには石切り場などはないのだ。ヴィタリスはしばらく夢の中をたどっているように、ぼんやりつっ立っていた。カピは我慢ができなくなって吠え始めた。 「もっと先を見ましょうか」と私は聞いた。 「いや石切り場に塀が建ったのだ」 「へいが建った」 「そうだ、入口をふさいでしまったのだ。中へ入ることはできなくなったのだ」 「へえ、じゃあ」 「どうするって。もうわからなくなった。ここで死ぬのさ」 「まあ親方‥‥」 「そうだ。おまえは死にはしない。おまえはまだ若いのだから。さあ歩こう。まだ歩けるかい」 「おお、でもあなたは」 「いよいよ行けなくなったら▓、老いぼれ馬のように倒れるだけさ」 「どこへ行きましょう」 「パリへ戻るのだ。巡査に出会ったら、警察へ連れて行ってもらうのだ。私はそれをしたくなかったが、おまえを凍え死にさせることはできない。さあ、おいで、ルミ。さあ、前へ進め、子どもたち、元気を出せ」  私たちはもと来た道をまた引っ返した。ナンジであったか私はまるでわからない。なんでも何時間も何時間も長い長いあいだそれはのろのろと歩いた。きっと十二時か一時にもなったろう。空は相変わらずどんよりして/すこしばかり星が出ていた。その出ていたすこしばかりの星もいつもよりはずっと小さいように思われて、風の勢いは強くなるばかりであった。往来の家は戸じまりをしっかりしていた。そこに、夜着にくるまって眠っている人たちも、私たちが外でどんなに寒い目に会っているか、知っていたら、私たちのためにそのドアを開けてくれたろうと思われた。  親方は’ただのろのろ歩いた。息がだんだんあらくなって、長い道をかけた人のようにせいせい言っていた。私が話しかけると、/彼はだまっていてくれという合図をした。  私たちはもう野原をぬけて、今は町に近づいていた。そこここの塀と塀との間にガス灯がちらちらしていた。親方は立ち止まったとき、/彼がいよいよ力のつきたことを私は知った。 「一軒どこかのうちをたたきましょうか」と私はたずねた。 「いいや、入れてくれは’しないよ。この辺に住んでいるのは植木屋だ。朝早くイチバへみんな出かけるのだ。この時刻にどうして起きてうちへ入れてくれるものか。さあ行こう」  しかし意地は張っても、体の力はまったく尽きていた。しばらくしてまた彼は立ち止まった。 「すこし休まなければ」と彼は力なく言った。「私はもう歩けない」  さくで大きな花園を囲った家があった。その門のそばの積みごえの山にかけてあるたくさんの藁を、風が往来のさくの根かたにふきつけていた。 「私はここに座ろう」と親方が言った。 「でも座れば、今度’立ち上がることができなくなるとおっしゃったでしょう」  彼は返事をしなかった。ただ私に手まねをして、門の前に藁を積み上げるようにと言った。この藁のしとねの上に彼は座るというよりばったり倒れた。彼の歯はがたがた鳴って、全身がひどくふるえた。 「もっと藁を持っておいで」と彼は言った。「わらをたくさんにして風を防ごう」  まったく風がひどかった。寒さばかりではなかった。私は集められるだけありったけの藁を集めて親方のわきに座った。 「しっかり私にくっついておいで」と彼は言った。「カピをひざに乗せておやり。体のぬくみでおまえもいくらか温かくなるだろう」  親方ほどの経験を積んだ人がいまの場合”こんなまねをすれば凍えて死んでしまうことはわかりきっているのに、その危険を平気でおかすということは、もう正気ではなかった証拠であった。実際’久しいあいだの心労と老年に、この最後の困苦が加わって、/彼はもう自分を支える力を失っていた。自分でも’どれほどひどくなっているか、/彼は知っていたろうか。私が彼のそばにぴったりはい寄ったときに、/彼は身をかがめて私にキッスした。これが彼が私にあたえた二度目のキッスであった。そしてああ、それが最後のキッスであった。  私は親方にすり寄ったと思うと、もう目がくっついたように思った。私は目を開けていようと努めたができなかった。腕をつねっても、肉にはなんの感じもなかった。私がひざを立てたそのあいだにもぐって、カピはもう眠っていた。風は藁のたばを木から枯葉をはらうように私たちの頭にふきつけた。往来には人ひとりいなかった。私たちのぐるりには死の沈黙があった。  この沈黙が私をおびえさせた。なにを私は怖がっているのだ。私はわからなかったが、とりとめもない恐怖がのしかかってきた。私はここで死にかけているように思った。そう思うとたいへん悲しくなった。  私はシャヴァノンを思い出した。かわいそうなバルブレンのおっかあを思い出した。私は彼女をもう一度’見ることなしに、私たちの小さな家や、私の小さな花畑を見ることなしに死ななければならないのだ‥‥。  するうち私はもう寒くはなくなった。私はいつか自分の小さな花畑に帰って来たように思った。太陽はかがやいていて、それはずいぶん暖かかった。キクイモが金の花びらを開いていた。小鳥がこずえの中や垣根の上で鳴いていた。そうだ、そうしてバルブレンのおっかあがさざ波を立てている小川へ出て、いま洗ったばかりの布を外へ干している。  私はシャヴァノンを離れて、アーサとミリガン夫人と一緒に白鳥号に乗っている。  やがてまた目が閉じた。心が重たくなったように思った。そしてもうなにも覚えてはいなかった。 ▓。▓。▓。 【第19章】 【リーズ】 ▓。▓。▓。  目を覚ますと私はネダイの上にいた。大きな炉のほのおが私の眠っている部屋を照らした。私はついぞこの部屋を見たことがなかった。私を取り巻いてネダイのそばに立っている人たちの顔も知らなかった。そこにねずみ色の背広を着て、木の靴をはいた男と、サンヨニンの子どもがいた。その中でことに目についたのは六つばかりの小さな女の子で、それはすばらしく大きな目がいまにもものを言うかと思うように、いかにも生き生きとかがやいていた。  私はひじで起き上がった。みんながそばへ寄って来た。 「ヴィタリスは」と私はたずねた。 「あの子は父さんを探しているのだよ」と、子どもたちの中でいちばん総領らしいのが言った。 「あの人は父さんではありません。親方です」と私は言った。「どこへ行きました。カピはどこにいますか」  ヴィタリスが本当の父親であったなら、多分この人たちも遠慮しいしいこの知らせを伝えたかもしれない。けれどその人はほんの親方というだけであったと知ると、/彼らはいきなり事実を打ち明けて聞かしてくれた。  みんなの話では、あの気の毒な親方は死んだのであった。私たちが疲れきって倒れたその門の中に住んでいた植木屋が見つけたのであった。あくる朝早く、/彼の息子が野菜や花を持ってイチバへ出かけようとするときに、/彼らは私たちが一緒に霜の上に固まって、すこしばかりの藁をかぶって眠っていたのを見つけた。ヴィタリスはもう死んでいた。私も死ぬところであったのを、カピが胸の所へ入って来て、私の心臓を温かにしていてくれたために、かすかな気息が残っていた。彼らは私たちをうちの中に運び入れて、子どもたちの一人の温かいネダイの上に寝かしてくれたのである。それから六時間ほど、まるで死んだようになって寝ていたが、血のめぐりがついてくると、呼吸も強く出るようになった。そうしてとうとう目を覚ましたのであった。  私は体もたましいもまったくしびれきったようになっていたが、このときはもう彼らの話を聞いてわかるだけに覚めていたのであった。  ああ、ヴィタリスは死んでしまったのである。  この話をしてくれたのは、ねずみ色の背広を着た人であった。この人の話をしているあいだ、びっくりした目をして、じっと私を見つめていた女の子は、ヴィタリスが死んだと聞いて、私がいかにもがっかりしたふうをしたのを見つけると、そこを立って父のそばへ行き、片手を父の腕にかけ、片手で私のほうを指さしながらなにか話をした。話といっても、普通の言葉でなく、ただ優しい、しおらしい嘆息の声のようなものであった。  それに彼女の身ぶりと目つきとは、べつに言葉の助けを借りる必要のないほどじゅうぶんにものを言って、そこによけい自然な情愛がふくまれているようであった。  アーサと別れてこのかた、私はつい一度もこんなに取り縋りたいような、親切のこもった、言葉に言えない情味を感じたことはなかった。それはちょうど、バルブレンのおっかあが、いつもキッスするまえに私をながめるときのような感じであった。ヴィタリスが死んで、私は世の中に置き去りにされたが、でももう独りぼっちではない、という気がした。私を愛してくれる者が、まだそばにいるような気持ちがした。 「ああ、そうだ、リーズの言うとおりだ。こりゃああの子も聞くのがつらいだろうが、やはり本当のことは言わねばならぬ。私たちが言わないでも、巡査が話すだろうから」  お父さんは娘のほうへ向きながら言った。そうしてなお話を続けながら、警察に届けたことや、巡査がヴィタリスを運んで行ったことや、私を長男のアルキシーのネダイに寝かしたことなどを残らず話してくれた。この話のすむのを待ちかねて、 「それからカピは──。」と私は聞いた。 「なに、カピ」 「ええ。犬です」 「知らないよ。いなくなったよ」 「あの犬は担架について行ったよ」と子どもたちの一人が言った。「バンジャメン、おまえ見たかい」 「僕よく知ってるよ」ともう一人の子が答えた。「あの犬は釣台のあとからついて行った。首を垂れてときどき担架にとび上がった。下にいろと言われると、犬はなんだかおそろしい声でうなったり、吠えたりした」  かわいそうなカピ。役者であった時分、あの犬は何度ゼルビノのお葬式を送るまねをしたであろう。それはどんなに真面目くさった子どもでも、あの犬の悲しい様子を見ては笑わずには’いられなかった。カピが泣けば泣くほど見物はよけい笑った。  植木屋と子どもたちは私を一人’置いて出て行った。まったくどうしていいか、どうしようというのかわからずに、私は起き上がって、着物を着かえた。私のハープは眠っていたネダイのすそに置いてあった。私は肩に負い皮をかけて、家族のいる部屋へと出かけて行った。私はなんでも出かけて行かなければならない気がするが、さてどこへ行こうか。寝床にいるうちはそんなに弱っているとも思わなかったが、起きてみるともう立つことが苦しかった。私は椅子にすがって、やっと転がらないように、体を支えなければならなかった。うちの人たちは炉の前の食卓に向かって、キャベツのスープをすすっていた。その匂いが私にとってはあんまりであった。私はゆうべなんにも食べなかったことをはげしく思い出した。私は気が遠くなるように思って、よろよろしながら炉ばたの椅子にこしを落とした。 「おまえさん、気分がよくないか」と植木屋がたずねた。  私は彼に、どうも具合の悪いことを話した。そうしてしばらく火のそばへ置いてくれと頼んだ。  でも私の欲していたのは火ではなかった。それは食物であった。私はうちの者がスープを吸うところをながめて、だんだん気が遠くなるように思えた。私がかまわずにやるなら一杯くださいと言うところであったが、ヴィタリスは私に乞食はするなと教えた。私は彼らにおなかが減っているとは言いださなかった。なぜだろう。私はひもじゅうございますと言うよりは、なにも食べずに死んでしまうほうがよかった。  あの目に奇妙な表情を持った女の子は─:─名前をリーズと呼ばれていたが、私の向こうに腰をかけていた。この子はなにも言わずに、じっと私のほうを見つめていたが、ふと食卓から立ち上がって、一杯スープのはいっているお皿を私の所へ持って来て、ひざの上に置いた。もうものを言うこともできなかったので、かすかに私は首をうなずかせて、お礼を言った。よし、私がものを言えたとしても、父親が口をきかせるひまをあたえなかった。 「おあがり」と彼は言った。「リーズが持って行ったのは、優しい心で’したのだからね。もっと欲しければまだあるよ」  もっと欲しいかと言うのか。一杯のスープはみるみる吸われてしまった。私がスープを下に置くと、前に立ってながめていたリーズがかわいらしい満足のため息をした。それから彼女は私の小皿を取って、また父の所へ一杯入れてもらいに行った。いっぱいにしてもらうと、/彼女はかわいらしい笑顔をしながら、また持って来た。それがあんまりかわいらしいので、腹は減っていても、私は小皿を取ることを忘れて、じっとその顔に見とれたくらいであった。二杯目の小皿もさっそく初めのと同様になくなった。もう子どもたちもくちびるをゆがめて微笑するくらいではすまなくなった。みんなはいっぱい口を開けて笑いだしてしまった。 「どうもおまえ、なかなかいけるねえ。まったく」と彼女の父親が言った。  私は大変はずかしかった。けれどもそのうち私は食いしん坊と思われるよりも本当の話を打ち明けてしたほうがいいと思ったので、じつはゆうべ/晩飯を食べなかったことを話した。 「それではお昼は」 「お昼もやはり食べません」 「では親方は」 「あの人も、やはりどちらも食べませんでした」 「ではあの人は寒さばかりでなく、かつえて死んだのだ」  熱いスープが私に元気をつけてくれた。私は立ち上がって、出かけようとした。 「おまえさん、どうするのだ」と父親がたずねた。 「おいとまいたします」 「どこへ行く」 「わかりません」 「パリに誰か友だちか親類でもあるのかい」 「いいえ」 「宿は何処だね」 「宿はありません。ついきのうこの町へ来たばかりです」 「ではなにをしようというのだね」 「ハープをひいたり、歌を歌ったりして、すこしのお金をもらいます」 「パリでか-い。おまえさん、それよりか田舎のご両親の所へ帰ったほうがいいだろう。ご両親はどこに住んでいなさる」 「私には両親がありません」 「あのひげの白いじいさんは、父さんではないというじゃないか」 「ええ、ほかにも父さんはありません」 「母さんは」 「母さんもありません」 「おじさんか、おばさんか、親類は」 「なにもありません」 「どこから来たのだね」 「親方は私を養母の夫の手から買ったのです。貴方がたは親切にしてくだすったし、僕は心からありがたく思っています。ですからおいやでなければ、私は日曜日にここへ戻って来て、貴方がたの踊りに合わせてハープをひいてあげましょう」  こう言いながら私は戸口のほうへ行きかけたが、ほんのフタ足ミ足で、すぐあとから私について来たリーズが、私の手を取ってハープを指さした。 「あなた、いまひいてもらいたいの」と、私は彼女に笑いかけながらたずねた。彼女は頷いて手をたたいた。 「うん。ひいてやっておくれ」と彼女の父親は言った。  私はハープをひく元気はなかったけれど、このかわいらしい女の子のためにいちばんかわいらしいワルツをひいてやらずには’いられなかった。  はじめ彼女は大きな美しい目をじっと私に向けて聞いていたが、やがて足で拍子を合わせ始めた。するうち、うれしそうに食堂の中を踊り歩いた。彼女の兄弟たちはその様子をだまってながめていた。彼女の父親もうれしがっていた。ワルツがすむと、子どもはやって来て、私にかわいらしいお辞儀をした。そして指でハープを打って「アンコール」(もう一つ)という心持ちを示した。  私はこの子のためには一日でもひいていてやりたかったが、父親はもうそれだけ踊ればたくさんだと言った。そこでワルツや舞踏曲の代わりに、私はヴィタリスが教えてくれたナポリ小唄を歌った。リーズは私の向こうへ来て立って、あたかも歌の言葉をくり返しているようにくちびるを動かした。すると彼女はくるりとふり向いて、泣きながら父親の腕の中に跳びこんだ。 「それで音楽はけっこう」と父親が言った。 「リーズは馬鹿じゃないか」とバンジャメンと呼ばれた兄弟があざけるように言った。「はじめは踊りを踊って、今度は泣くんだもの」 「あの子はあんたのように馬鹿ではないわ」と総領の姉が小さい妹をいたわるようにのぞきこみながら答えた。 「この子にはよくわかったのだよ‥‥」  リーズが父親のひざの上で泣いているあいだに私はまたハープを肩にかけて行きかけた。 「おまえさん、どこへ行く」と植木屋がたずねた。 「おいとまいたします」 「おまえさん、やはり芸人でやっていくつもりかい」 「でもほかにすることがありませんから」 「旅で稼ぐのはつらいだろう」 「だってうちがありませんから」 「それはそうだろうが、夜というものがあるからね」 「それは、私だってネダイに寝たいし、火にも当たりたいと思います」 「火に当たったりネダイに寝るには、それそうとう働かなければならないが、おまえはどうだね。このうちにいて働く気はないか。なかなか楽な仕事ではないが、それは朝もずいぶん早くから起きて、まる一日’働かなければならないけれど、ただおまえがゆうべ出会ったような目にはけっして二度と出会う気づかいはなかろうよ。おまえは寝床も、食べ物も得られるし、自分で働いてそれを得たという満足もあろうというものだ。それでおまえが儂が考えているようにいい子どもであるなら、同じうちの者にして、一緒に暮らしてゆきたいとも思っているのだよ」  リーズがふり返って、涙の中から私をながめてにっこりした。  私はいま聞いたことをほとんど信ずることができなかった。私はただ植木屋をながめていた。  するとリーズが、父親のひざから飛んで来て、私の手を取った。 「うん、どうだね、おまえ」と父親がたずねた。  家族だ。私は家族を持つようになった。私は独りぼっちではなくなるのだ。いい夢よ。今度は消えずにいてくれ。  私がシゴ年’一緒に暮らして、ほとんど父親のようであった人は死んだ。なつかしい、優しいカピは、私があれほど愛した仲間でもあり友だちでもあったカピは、いなくなった。私はなにもかもおしまいになったと思っていた。ところへこのいい人が私を自分の家族にしてやると言ってくれた。  私のために新しい生涯がまた始まるのだ。彼は私に食べ物と宿をあたえると言ったが、それよりももっと私にうれしかったのは、このうちの中の生活がやはり私のものになるということであった。この男の子たちは私の兄弟になるであろう。このかわいらしいリーズは私の妹になるであろう。私はもうみなし子ではなくなるであろう。私の子どもらしい夢の中で、いつか私も父親と母親を見つけるかもしれないと思ったこともあった。けれど兄弟や妹を持とうとは考えなかった。それが私にあたえられようとしているのだ。私はさっそくハープの負い皮を肩からはずした。 「おお、それでこの子の返事がわかった」とお父さんが笑いながら言った。「私はおまえの顔つきで、どんなにおまえが喜んでいるかわかる。もうなにも言うことは要らない。そのハープを壁にお掛け。いつかおまえがここにあきたら、またそれを下ろして好きなほうへ行くがよろしい。けれどおまえもつばめのように、飛び出して行く季節を選ばなければならない。まあ、冬のさなかに出て行くのだけはおよし」  私の新しい家庭の場所はグラシエール、うちの名はアッケンケ、植木屋が商売で、ピエール・アッケンというのがお父さんで:、アルキシーに、バンジャメンという二人の男の子、それから女の子はエチエネットに、うちじゅうでいちばん小さいリーズで/これが家族残らずであった。  リーズはおしであった。生まれつきのおしではなかったが、四度目の誕生日を迎えるすこしまえに、病気でものを言う力を失った。この不幸は、でも幸せと彼女の知恵を損ないはしなかった。その反対に彼女の知恵はなみはずれた程度に発達した。彼女はなんでもわかるらしかった。でもその愛らしくって、活発で優しい気質が、うちじゅうの者に好かれていた。それで病身の子どもにありがちのうちじゅうのきらわれ者になるようなことのないばかりか、/リーズのいるために、うちじゅうがおもしろく暮らしている。むかしは貴族の家の長子に生まれると福分を一人じめにすることができたが、こんにちの労働者の家庭では、総領はいちばん重い責任をしょわされる。母親が亡くなってから、エチエネットが家庭の母親であった。彼女は早くから学校をやめさせられ、うちにいてお料理をこしらえたり、お裁縫をしたり、父親や兄弟たちのために家政を取らなければならなかった。彼らは’みんな彼女が娘であり、姉であることを忘れきって、女中の仕事をするのばかり見慣れていた。いくらひどく使っても出て行く心配もなければ、不平を言う気づかいもない重宝な女中であった。彼女が外へ出ることはめったになかったし、けっしておこったこともなかった。リーズを腕にかかえてベンニーの手を引きながら、朝は暗いうちから起きて、父親の朝飯をこしらえ、夜は遅くまで皿を洗ったりなどをしてからでなくては、とこに入らなかったから、/彼女はまるで子どもでいるひまがなかった。十四だというのに彼女の顔は生真面目に沈んでいた。それは年ごろの娘の顔ではなかった。  私はハープを壁にかけてから、ゆうべ出会った出来事をぽつぽつ話しだした。石切り場に眠ろうとして失敗して、それからあとの始末を一通り話しかけて、やっと五分たつかたたないうちに、そのに向かっているドアを引っかく音が聞こえた。それから悲しそうにくんくん鳴く声がした。 「カピだ。カピだ。」私は叫んですぐとび上がった。  けれどもリーズが私より早かった。彼女はもう駆け出してドアを開けていた。  カピが私に跳びかかって来た。私は彼を腕にかかえた。小さな喜びの吠え声をたてて、全身をふるわせながら、/彼は私の顔を舐めた。 「するとカピは‥‥。」と私はたずねた。私の問いはすぐに了解された。 「うん、むろんカピも一緒におくよ」とお父さんが言った。  カピは私たちの言っていることがわかったというように、地べたに跳び下りて、前足を胸に置いてお辞儀をした。それが子どもたち、とりわけリーズを笑わせた。で、よけい彼らを喜ばせるために、私はカピに、いつもの芸をすこしして見せろと望んだ。けれども彼は私の言いつけに従う気がなかった。彼は私のひざの上にとび上がって顔を舐め始めた。  それから跳び下りて、私の上着の袖を引き始めた。 「あの犬は私を外へ連れ出そうというのです」 「おまえの親方の所へ行こうというのだよ」  親方を引き取って行った巡査は、私が暖まって正気’づいたら、聞きたいことがあると言ったそうだ。その巡査がいつ来るか、あやふやであった。  でも私は早く報告を聞きたいと思った。たぶん親方はみんなの思ったように死んではいないのだ。たぶん親方はまだ生きて帰れるのだ。  私の心配そうな顔を見て、お父さんは私を警察へ連れて行ってくれた。  警察へ行くと私は長ながと質問された。けれど私はいよいよ気の毒な親方がまったく死んだという宣告を聞くまでは、なにも申し立てようとはしなかった。私は知っているだけのことは述べたが、それはほんのわずかのことであった。わたし自身については、せいぜい両親のないこと、親方がマエキンで養母の夫に-かねをはらって私をやとったこと、それだけしか言えなかった。 「それでこれからは‥‥。」署長がたずねた。 「わたくしどもでこの子を引き取ろうと思います」と私の新しい友人が言葉をはさんだ。 「それをお許しくださいますならば」  署長は喜んで私を彼の手に委任すると言った。そのうえその親切な心がけをほめた。  自分のことはそれでいいとして、今度は親方のことを言わなければならなかった。でもまったくなんにも知らないのが事実であった。  ただ一つわからないことは、最後の興行のとき、どこかの夫人が天才だと言って驚いたこと、それからガロフォリがむかしの名前をどうとか言いだして、/彼をおどしたことであった。  けれど親方があれほど隠していたことを/死んだのちにあばき立てることは’いらない。でもそうは思いながら、事に慣れた警官の前で子どもが隠しおおせるものではなかった。彼らはわけなくわなにかけて、隠したいと思うことをずんずん言わせてしまうのである。私の場合がやはりそれであった。  署長はさっそく私から、ガロフォリについてなにもかもかぎ出してしまった。 「この子をガロフォリというやつの所へ連れて行くよりほかに仕方がない」と、/彼は部下の一人に言った。「一度この子の言うルールシーヌマチへ連れて出れば、すぐその’家を見つけるよ。君はこの子と一緒に行って、その男を尋問してくれたまえ」  私たち三人──巡査とお父さんと私は、一緒に出かけた。  署長が言ったように、私はわけなくその’家を見つけた。私たちは4階へ上がって行った。マチアはもう見えなかった。警官の顔を見て、それから見覚えのある私を見つけると、ガロフォリは青くなって、ぎょっとしたようであった。けれどみんなの来たのは、ヴィタリスのことをたずねるためであったことがわかると、/彼はすぐに落ち着いた。 「やれやれ、じいさん、死にましたか」と彼は言った。 「おまえはその老人を知っているだろう」 「はい」 「じゃああの老人について知っていることを残らず話してくれ」 「なんでもないことでございます。あの男の名前はヴィタリスではございません。本名はカルロ・バルザニと申しました。あなたがいまから三十五年か四十年まえにイタリアにおいででしたら、あの男についてご承知だったでしょう。それはほんの名前を言うだけで、どんな人物だということは残らずおわかりになったでしょう。カルロ・バルザニと言えばそのころでいちばん有名な歌うたいでした。彼はナポリ、/ローマ、/ミラノ、/ヴェネチア、/フィレンツェ、/ロンドン、それからパリでも歌いました。どこの大劇場もたいした成功でした。やがてふとしたことから彼は立派な声が出なくなりました。もう歌うたいの中でいちばんえらい者でいることができなくなると、/彼は自分の偉大な名声に相応’しない下等な劇場に出て、歌を歌って、だんだん’評判をうすくすることをしませんでした。その代わり彼はまるっきり自分を世間の目からくらまして、全盛時代に彼を知っていた人びとから隠れるようにしました。けれども彼も生きなければなりません。彼はいろいろの職業に手を出してみましたが、どれもうまくいきません。そこでとうとう犬を慣らして、大道の見世物師にまで落ちることになりました。けれどいくらなり下がってもやはり気位が高く、これが有名なカルロ・バルザニのなれの果てだということを世間に知られるくらいなら、はずかしがって死んだでしょう。私があの男の秘密を知ったのは、ほんの偶然のことでした」  これが長いあいだ心にかかっていた秘密の正体であった。  気の毒なカルロ・バルザニ。なつかしいヴィタリス親方。 ▓。▓。▓。 【第20章】 【植木屋】 ▓。▓。▓。  そのあくる日/ヴィタリスをほうむらなければならなかった。アッケン氏は私をお葬式に連れて行く約束をした。  けれどその日わたしは起き上がることができなかった。夜のうちに非常に具合が悪くなった。ひどい熱が出て、はげしい寒けを感じた。私の胸の中は、小さなジョリクールがあの晩’木の上で過ごしたとき受けたと同様、焼きつくような熱気を感じた。  実際’私は胸にはげしい焮衝(焼きつくような感じ)を感じた。病気は肺炎であった。それはすなわちあの晩気の毒な親方と私がこの家の門口に凍えて倒れたとき、寒気のために受けたものであった。  でもこの肺炎のおかげで、私はアッケン家の人たちの親切、とりわけてエチエネットの誠実をしみじみ知ったのであった。貧乏なうちではめったに医者を呼ぶということはないが、私の容体がいかにも重くって心配であったので、私のため特別に、習慣のためいつか当たり前になっていた規則を破ってくれた。呼ばれて来た医者は長い診察をしたり、細かい容体を聞いたりするまでもなく、いきなり病院へ送れと言い渡した。  成程これはいちばん簡単で、テカズがかからなかった。でもこの父さんは承知しなかった。 「ですがこの子は私のうちの門口で倒れたんですから、病院へはやらずに、やはり私どもが看病しなければなりません」と彼は言った。  医者はこの因縁論に対して、いろいろうまい言葉のかぎりをつくして説いたが、承知させることができなかった。彼は私をどうしても看病しなければならないと考えた。そしてまったく看病してくれた。  こうしてあり余る仕事のあるうえ、エチエネットにはまた一つ、看護婦の役が増えた。でもセン・ヴェンサン・ド・ポールの尼さんがするように、親切に”しかも規則正しく看護してくれて、けっして癇癪一つ起こさないし、なに一つ手落ちなしにしてくれた。彼女が家事のためにどうしてもついていられないときには、リーズが代わってくれた。たびたび熱にうかされながら、私はネダイのすそで不安心らしい大きな目を私に向けている彼女を見た。熱にうかされながら私は彼女を自分の守護天使であるように思って、天使に向かって話をするように、自分の望みや願いを彼女に打ち明けた。このときから私は我知らず彼女を、なにか後光に包まれた人間以上のものに思うようになり、それが白い大きなつばさをしょってはいないで、やはりわれわれただの人間と同様にしていることを不思議に思ったりした。  私の病気は長かったし、重かった。よくなってはたびたびあともどりをしたので、本当の両親でもいやきがさしたかもしれなかった。でもエチエネットはどこまでも我慢強く誠実をつくしてくれた。いく晩か私は肺臓が痛んで、息がつまるように思われて、眠られないことがあった。それでアルキシーとバンジャメンが代わりばんこに、ネダイのそばにつききりについていてくれた。  ようようすこしずつ治りかけてきた。でも長い重病のあとであったから、すこしでもうちの外に出るには、グラシエールの牧場が青くなり始めるまで待たなければならなかった。  そこで用のないリーズがエチエネットの代わりになって、ビエーヴル川の岸のほうへ私を散歩に連れて行ってくれた。真昼の日ざかりに、私たちはうちを出て、カピを先に立てて、手を組みながらそろそろと歩いた。その年の春は暖かで、ヒヨリがよかった。少なくとも私は暖かな心持ちのいい記憶を持っている。だから同じことであった。  この辺はラ・メーゾン・ブランシュとグラシエールの間にある土地で、/パリの人には余り知られていなかった。この辺に小さな谷があるということだけはぼんやり知られていたが、その谷に注ぐ川はビエーヴル川であるから、この谷はパリの郊外ではいちばんきたない陰気な所だと言いもし、信じられもしていた。だがそんなことは’まるでなかった。噂ほど悪い所ではなかった。ビエーヴル川と言えば、たいてい人がセン・マルセルの場末で、工場地になっているというので、頭からきたない所と決めてしまうのであるが、ヴェリエールやリュンジには自然のおもむきがあった。少なくとも私のいた時分には、やなぎやポプラが青あおとしげっている下を水が流れていた。その両岸には緑の牧場が、人家や庭のある小山のほうまでだんだん上りに続いていた。春は草が青あおとしげって、白い小ぎくが碧玉をしきつめたもうせんの上に白い星をちりばめていたし:、芽出しやなぎやポプラの若木からはねっとりとやにが流れていた。そうしてうずらや、こまどりや、ひわやなんぞの鳥が、ここはまだ田舎で、町ではないというように歌を歌っていた。  これが私の見た小さな谷の景色であった─:─その後ずいぶん変わったが──それでも私の受けた印象はあざやかに記憶に残っていて、ついきのうきょうのように思われる。私に絵がかけるなら、このポプラの林の一枚の葉をも残すことなしにえがき出したであろう─:─また大きなやなぎの木を、頭の先の青くなった、とげのあるさんざしと一緒にかいたであろう。それはやなぎの枯れたような幹の間に根を張っていた。また砲台の傾斜地を私たちはよく片足で楽にすべって下りた──それもかきたい。あの風車と一緒にうずらが丘の絵もかきたい─:─セン・テレーヌ寺の庭に群がっていたせんたく女もえがきたい。それから川の水をよごれくさらせていた製革工場もかきたい──  もちろんこういう散歩のおり、リーズはものは言えなかったが、奇妙なことに、私たちはなにも言葉の必要はなかった。私たちはおたがいにものを言うことなしに、了解し合っているように思われた。  そのうちに私にも、みんなと一緒に働けるだけ丈夫になる日が来た。私はその仕事を始める日を待ちかねていた。それは私のためにこれだけつくしてくれた親切な友だちに、こちらからもなにかしてやりたいと思っていたからであった。私はこれまで仕事らしい仕事をしたことがなかった。長い流浪の旅はつらいものではあるが、どうでもこれだけ仕上げなければというように、一生懸命’張りこんでする仕事はなにもなかった。けれど今度こそ私は、じゅうぶんに働かなければならないと感じた。少なくともぐるりにいる人たちをお手本にして、元気を出さなければならないと思った。このごろはちょうどニオイアラセイトウがパリのイチバに出始める季節であった。それには赤いのもあり、白いのもあり、むらさき色のもあって、その色によって分けられて、いくつかのフレームに-いれられてあった。白は白、赤は赤、同じ色のフレームが一列に並んでみごとであった。夕方フレームのふたをする時分には、花から立つかおりが風にふくれていた。  私にあてがわれた仕事はまだ弱よわしい子どもの力に相応’したものであった。毎朝’霜が消えると、私はガラスのフレームをあけなければならなかった。夜になって寒くならないうちにまたそれを閉めなければならなかった。昼のうちは藁の覆いで日よけをしてやらなければならなかった。これは難かしい仕事ではなかったが、一日ひまがかかった。なにしろ何百というガラスを毎日’二度ずつ動かさなければならなかった。  このあいだリーズは灌水に使う水上げ機械のそばに立っていた。そして皮のマスクで目をかくされた老馬のココットが、回しつかれて足が働かなくなると、/彼女は小さな鞭をふるって馬をはげましていた。兄弟の一人はこの機械が引き上げた桶を返す、もう一人の兄弟はお父さんの手伝いをする。こんなふうにしててんでに自分の仕事を持っていて、むだに時間を費すものはなかった  私は村で百姓の働くところを見たこともあるが、ついぞパリの近所の植木屋のような/熱心なり/勇気なり/勤勉なりをもって働いていると思ったことはなかった。実際ここではみんな一生懸命、朝は日の出まえから起き、晩は日がくれてあとまでいっぱいの時間を使いきってのちにネダイに休むのである。私はまた土地を耕したことがあったが、勤労によって土地にまるで休憩をあたえないまでに耕作し続けるということを知らなかった。だからアッケンのお父さん’のうちは私にとっては立派な学校であった。  私はいつまでも温室のフレームばかりには使われていなかった、元気が回復してきたし、自分もなにか地の上にまいてみるということに満足を感じてきた。その種が芽を出すのを見るのが、いっそうの満足であった。これは私の仕事であった。私の財産、私の創造であった。だからよけい私に得意な感じを起こさせた。  それで自分がどういう仕事に適当しているかがわかった。私はそれをやってみせた。そのうえよけい私を愉快にしたことは、まったくこれでは骨折りのかいがあると感じ得たことであった。  この新しい生活はなかなか私には苦しかったが、しかしこれまでの浮浪人の生活と似ても似つかない労働の生活が案外’早く体に慣れた。これまでのように自由気ままに旅をして、なんでも大道を前へ前へと進んで行くほかに苦労のなかったのに引きかえて、今は花畑の囲いの中に閉じこめられて、朝から晩まであらっぽく働かなければならなかった。背中にはあせにぬれたシャツをき、両手に如露を持って、ぬかるみの道の中を、素足で歩かなければならなかった。でもぐるりのほかの人たちも、同じようにあらっぽい労働をしていた。お父さんの如露は私のよりもずっと重かったし、そのシャツは私たちのそれよりも、もっとびっしょりあせにぬれていた。みんな平等であるということは、苦労の中の大きな楽しみであった。そのうえ私はもうまったく失ったと思ったものを回復した。それは家族の生活であった。私はもう独りぼっちではなかった。世の中に捨てられた子どもではなかった。私には自分のネダイがあった。私はみんなの集まる食卓に自分の席を持っていた。昼間ときどきアルキシーやバンジャメンが私に拳骨をみまうこともあったが、私はなんとも思わなかった。また私が打ち返しても、/彼らはなんとも思わなかった。そうして晩になれば、みんなスープを取り巻いて、また兄弟にも友だちにもなるのであった。  本当を言うと、私たちは働いてつかれるということはなかった。私たちにも休憩の時間も遊ぶ時間もあった。むろんそれは短かったが、短いだけよけい愉快であった。  日曜の午後には家についている葡萄棚の下にみんな集まった。私はその週のあいだ掛けっぱなしにしておいた例のハープを外して持って来る。そうして四人の兄弟姉妹に踊りを踊らせる。誰も彼もダンスを習った者はなかったが、アルキシーとバンジャメンは一度ミルコロンヌで婚礼の舞踏会へ行って、コントルダンスの仕方だけ多少’正確に記憶していた。その記憶が彼らの手引きであった。彼らは踊りつかれると、私に歌のおさらいをさせる。そうして私のナポリ小唄はいつも決まって、リーズの心を動かさないことはないのであった。  このおしまいの一節を歌うとき、/彼女の目は涙にぬれないことはなかった。  そのとき気をまぎらすために、私はカピと道化芝居をやるのであった。カピにとってもこの日曜日は休日であった。その日は彼にむかしのことを思い出させた。それで一通り役目を終わると、/彼はいくらでもくり返してやりたがった。  二年はこんなふうにして過ぎた。お父さんは私をよくさかり場や、波止場や、マドレーヌや/シャトードーやの花イチバへ連れて行ったり、よく花を分けてやる花作りの家に連れて行ったので、私もすこしずつパリがわかりかけてきた。そうしてそこは私が想像したように大理石や黄金の町ではなかったが、あのとき初めてシャラントンやムフタール区から入って来たとき見て/早飲みこみに思ったような泥まみれの町でもないことがわかった。私は記念碑を見た。その中へも入ってみた。波止場通り、大通りをも、リュクサンプールの公園をも、チュイルリの公園をも、シャンゼリゼーをも、歩いてみた。銅像も見た。群衆の人波にもまれて、感心して立ち止まったこともあった。これで大都会というものがどんなふうにできあがっているかという考えがほぼできてきた。  幸いに私の教育は’ただ目で見る物から受けただけではなかった。パリの町中を散歩したり駆け歩いたりするついでに、偶然’覚えるだけではなかった。このお父さんはいよいよ自前で植木屋を開業するまえに植物園の畑で働いていた。そこには学者たちがいて、/彼にしぜん、物を読んで覚えたいという好奇心を起こさせた。それでいくねんかのあいだ貯めた-かねを書物を買うために使ったし、その本を読むために休みの時間を費した。けれど結婚して子どもができてからは、休みの時間がごくまれになった。なによりもその日その日のパンを儲けなければならなかった。しぜん書物から離れたが、捨てられたわけでもなく、売りはらわれたわけでもなかった。私が初めて迎えた冬はたいへん長かったし、花畑の仕事はほとんど中止同様に、/少なくとも何か月のあいだの仕事はひまであった。それで私たちは炉を囲んで、一緒に暮らす晩などには、そういう古い本をたんすから引き出して、めいめいに分けて読んだ。それはたいてい植物学の本’か植物の歴史のほかには、航海に関係した本であった。アルキシーとバンジャメンはお父さんの学問の趣味を受けついでいなかったから、せっかく本を開けてもサンヨンページもめくるとすぐ居眠りを始めるのであった。私はしかしそんなに眠くはなかったし、ずっと本が好きだったので、いよいよ寝床に入らなければならない時間まで読んでいた。こうなるとヴィタリスの手ほどきをしてくれた利益が無駄にはならなかった。私はねながらそれを独り言に言って、/彼のことをありがたく思い出していた。  私がものを学びたいという望みは、はしなくお父さんに、自分もむかし本を買うために毎朝’朝飯のお金を二スー’倹約したむかしを思い出させた。それでたんすの中にあった書物のほかの本までパリからわざわざ買って来てくれた。その書物の選び方はでたらめか、さもなければ表題のおもしろいものをつかみ出して来るにすぎなかったが、やはり書物は書物であった。これはそのじぶん秩序もなく、私の心に入っては来たが、いつまでも消えることはなかった。それは私に利益を残した。いいところだけが残った。なんでも本を読むのは利益だということは、本当のことである。  リーズは本を読むことを知らなかったが、私が一時間でもひまがあれば、本と首っぴきをしているのを見て、なにがそんなにおもしろいのだろう、そのわけを知りたがっていた。初めのうちは彼女も自分と遊ぶ邪魔になるので、本を取り上げたが:、それでもやはり私が本のほうへ心をひかれる様子を見て、今度は本を読んで聞かせてくれと言いだした。これが私たちのあいだの新しい結び目になった。いったいこの子の性質はいつも物わかりがよくって、つまらない遊びごとや冗談ごとには身の入らないほうであったから、やがて私が読んで聞かせることに楽しみを感じもし、心の養いをえるようになった。  何時間も私たちはこうやって過ごした。彼女は私の前に座って、本を読んでいる私から目をはなさずにいた。たびたび私は自分にわからない言葉なり句なりにぶつかると、ふとやめて彼女の顔を見た。そういうとき私たちはかなりしばらく考え出すために休む。それを考えてもやはりわからないとき、/彼女はあとをと言いたいような身ぶりをしてあとを読む合図をする。私は彼女にまた絵をかくことを教えた。まあやっと図画とでもいうようなことを教えた。これは長いことかかったし、なかなかむずかしかったがどうやら目的を達しかけた。むろん私は立派な先生ではなかった。でも私たちは力を合わせて、やがて先生と生徒の美しい協力一致から、本当の天才以上のものができるようになった。彼女はなにをかこうとしたか人にもわかるようなもののかけたとき、どんなにうれしがったであろう。アッケンのお父さんは私をだいて、笑いながら言った。 「そらね、私がおまえを引き取ったのはずいぶんいい冗談であった。リーズはいまにきっとおまえにお礼を言うよ」 「いまに」と彼が言ったのは、やがて彼女が口がきけるようになってということであった。なぜならだれも彼女が口がきけるようになろうとは思わなかったが、お医者たちは今はだめでもいつか、なにかひょっとした機会で口がきけるようになるだろうと言った。  なるほど彼女は私が歌を歌ってやると、やはりさびしそうな身ぶりで「いまにね」とそういう心持ちを現した。彼女は自分にもハープをひくことを教えてくれと望んだ。もうさっそく彼女の指はずんずん私のするとおりに動くことができた。もちろん彼女は歌を歌うことを学ぶことはできなかった、これを非常に残念がっていた。たびたび私は彼女の目に涙が流れているのを見た。それが彼女の心の苦しみを語っていた。でも優しい快活な性質からその苦しみはすぐに消えた。彼女は目をふいて、しいて微笑をふくみながら、こう言うのであった。 「いまにね」  アッケンのお父さんには、養子のようにされ、子どもたちには兄弟のようにあつかわれながら、私は、またしても私の生活を引っくり返すような事件はもう起こらずに、いつまでもグラシエールにいられそうには思えなかった。それは私というものが、長く幸福に暮らしてゆくことができないたちで、やっと落ち着いたと思うときには、それはきっとまた幸福からほうり出されるときであって:、自分の望んでもいない出来事のためにまたもや変わった生活にとびこまなければならなくなるのであった。 ▓。▓。▓。 【第21章】 【一家の離散】 ▓。▓。▓。  このごろ私は一人でいるとき、よく考えては独り言を言った。 「おまえはこのごろあんまりよすぎるよ。これはどうも長続きしそうもない」  でもなぜ不幸が-こなければならないか、それをまえから予想することはできなかった。だがどのみち、それのやって来ることは疑うことのできない事実のように思われてきた。  そう思うと、私はたいへん心細かった。しかし、一方から見ると、その不幸をどうにかしてさけるように一生懸命になるので、しぜんにいいこともあった。なぜというに、私がこんなにたびたび不幸な目に会うのは、みんな自分の過失から来ると思って、反省するようになったからである。  でも本当は、私の過失ではなかった。それをそう思ったのは、自分の思い過ごしであったが、不幸が来るという考えはちっともまちがいではなかった。  私はまえに、お父さんがニオイアラセイトウの栽培をやっていたと言ったが、この花を作るのはわりあいに容易で、/パリ近在の植木屋はこれで商売をする者が多かった。その草は短くって大きく、上から下までぎっしり花がついていて、シゴガツごろになると、これが盛んにパリのイチバに持ち出されるのであった。ただこの花でむずかしいのは、芽生えのうちから葉の形で八重とヒトエを見分けて、ヒトエを捨てて八重を残すことであった。この鑑別のできる植木屋さんはごくわずかで、その人たちが家の秘法にして他へもらさないことにしてあるので、植木屋仲間でも、特別にそういう人を頼んで花を見分けてもらわなければならなかった。それで頼まれた人はほうぼうの花畑を巡回して歩いて、いろいろと注意をあたえるのであった。これをレセンプラージュと言っていた。お父さんはパリではこの道にかけて熟練のほまれの高い一人であった。それでその季節にはほうぼうから頼まれて、うちにいることが少なかった。そしてこの季節が、私たち/とりわけエチエネットにとって、いちばん悪いときであった。なぜというと、お父さんは一軒一軒’回って歩くうちに、ほうぼうでお酒を飲ませられて、夜おそく帰る時分には、まっかな顔をして、舌も回らないし、手足もぶるぶるふるえていた。  そんなとき、エチエネットは、どんなに遅くなっても、きっと寝ずに待っていた。私がまだ寝いらずにいるか、または帰って来る足音で目を覚ましたときには、部屋の中から二人の話し声をはっきり聞いた。 「なぜおまえは寝ないんだ」とお父さんは言った。 「お父さんがご用があるといけないと思って」 「なんだと。そんなことを言って、このおじょうさんの憲兵が、私を監視するつもりだろう」 「でも私が起きていなかったら、誰とお話しなさるおつもり」 「おまえ、私がまっすぐに歩けるか見てやろうと思っているんだな。よし、この行儀よく並んだ敷石を一つ一つふんで、子どもの寝部屋まで行けるかどうか、賭けをしようか」  不器用な足音が台所じゅうをしばらくがたつかせると、やがてまた静かになった。 「リーズはご機嫌かい」とお父さんは言った。 「ええ。よく寝ていますわ。どうかお静かに」 「大丈夫さ。私は真っ直ぐに歩いているのだ。なにしろおじょうさん’たちがやかましいから、お父さんもせいぜいまっすぐに歩かなくては’ならぬ。リーズは、私が夕飯のときいなかったのを見て、なんとか言いはしなかったかい」 「リーズはお父さんの席を、なんだか見ていました」 「なんだ、儂の席を見ていたと」 「ええ」 「なんべんもかい。なんべんぐらい見ていた」 「それはたびたび」 「それからどうしていたね」 「『お父さんはいらっしゃらないのね』と言いたいような目つきをしていました」 「じゃあリーズは、私がそこにいないのはなぜだとたずねたろう。そしておまえは、私がお友だちのうちに行っていると答えたろう」 「いいえ、なんにもたずねませんでした。私もなにも言いませんでした。あの子はでもお父さんの行っていらっしゃる所をようく知っていますよ」 「なに、あの子が知ってるって。あの子が‥:‥もう早くから寝こんでいるかい」 「いいえ、つい十五分ほどまえ寝たばかりです。お父さんのお帰りを待ちかねていたようです」 「で、おまえはどう思っていたえ」 「私はリーズが、お父さんのお帰りのところを見なければいいと思っていました」  しばらく沈黙が続いた。 「エチエネット、おまえはいい子だ。あすは私はルイソーのうちへ行く。私はちかって夕飯にはきっと帰る。おまえが待っていてくれるのが気の毒だし、リーズが心配しいしい寝るのがかわいそうだから」  だが約束もセイゴ-ンもいっこう役には立たなかった。彼はちっとも早く帰ったことはなかった。一杯でもお酒が喉に入ったら、もうめちゃめちゃであった。うちの中でこそ、リーズがご本尊だが、外の風に当たるともう忘れられてしまった。  でもこんなことはしじゅうではなかった。レセンプラージュの季節がすむと、もうお父さんは外へ出ようとも思わない。むろん一人で居酒屋へ行く人ではなかった。そんなむだな時間を持つ人ではなかった。  ニオイアラセイトウの季節がすむと、今度はほかの花を作らなければならない。植木屋の花畑は一年中むだに土地の遊んでいるひまはなかった。一つの花を売ってしまうとほかの花を売り出す仕度をしなければならなかった。セン・ピエールだの、セン・マリだの、セン・ルイだの、そういう年じゅうの祝いびにはおびただしい花が町へ出る。ピエールだの、マリだの、ルイだのと呼ばれる名前の人たちの数はおびただしいもので、したがってそういう祝いびには、花たばやら花びんを買って、名づけ親やお友だちにおくって/お祝いをしなければならない人が限りなく多かった。  だから、この祝いびの前夜には、/パリの通りは花でいっぱいになる。普通の店やイチバだけではない。往来のすみずみ、家いえの石段、そのほかちょっとした’店を開くことのできる場所にはきっと花を売っていた。  アッケンのお父さんは、ニオイアラセイトウの季節がすむと、七月、八月の祝いびの用意にせっせとかかっていた。とりわけ八月には、セン・マリ、/セン・ルイの大祝日があるので、これを当てこんで何千本というエゾギク、フクシア、夾竹桃などを温室や温床に入りきらないほど仕込んでおいた。これらの花はどれも、ちょうどその当日に早すぎずおそすぎず花ざかりというふうに作らなければならないので、そこに腕の要るのは言うまでもないことであった。誰だって、太陽と天気を自由にすることはできない。天気は人間にかまわずよすぎたり、悪すぎたりするのであった。アッケンのお父さんは、そういう腕にかけては、確かなものであったから、花が当日におくれたり早すぎたりするなどという失敗はなかったが、それだけに面倒な手数のかかることは仕方がなかった。  この話の当時には、花の出来はまったくすばらしいものであった。それはちょうど八月五日のことであったが、花はいまが見ごろであった。花畑の中の野天の下で、エゾギクの花びらはいまにも口を開こうとしてふくれていた。  温室の温度と日光を弱めるために、わざわざ石灰乳をガラスのフレームにぬった温床の下で、フクシアや夾竹桃が咲きかけていた。うじゃうじゃと固まって草むらになっているものもあれば、頭から根元まで三角形につぼみのすずなりになったものもあった。どうして目の覚めるように美しかった。時々お父さんはいかにも満足らしく、もみ手をしながら、うっとり眺め入っていた。 「ことしは天気がいいなあ」  こう彼は息子たちをふり返って言っていた。  彼はくちびるに微笑をたたえて、胸の中では、これだけ売ればいくらになるという勘定をしていた。  ここまでするには、みんなずいぶん骨を折った。一時間と休憩するひまなしに働いたし、日曜日でも休まなかった。でももう峠は越したし、すっかり売り出しの準備ができあがったので、その褒美として、八月五日の日曜日の夕方、私たち残らずうちそろってアルキュエイまで、お父さんの友人で、やはり植木屋仲間のうちへ’ごちそうを食べに行くことが決定されていた。カピも一行の一人になるはずであった。私たちは四時まで働くことにして、仕事がすんだところで、門に錠をかって、アルキュエイまで行くことになった。晩食は八時にできるはずであった。晩食がすんで私たちはすぐうちへ帰ることにした。寝床にはいるのが遅くならないように、月曜の朝にはいつでも働けるように、元気よく早くから起きられるようにしなければならなかった。それで4時ニサンプンまえに私たちはみんな仕度ができた。 「さあ、みんな行こう」とお父さんが愉快らしく叫んだ。「私は門に鍵をかけるから」 「来い、カピ」  リーズの手を取って、私は走り出した。カピはうれしそうに跳ねながら’ついて来た。また旅稼ぎに出るのだと思ったのかもしれない。この犬は旅がやはり好きであった。こうしてうちにいては、思うように私にかまってはもらえなかった。  私たちは日曜日の晴れ着を着て、ごちそうになりに行く仕度をしていたので、なかなかきれいであった。私たちが通るとふり返って見る人たちもあった。私は自分がどんなふうに見えるかわからなかったけれど、リーズは水色の服に、ねずみ色の靴を履いて、このうえなく活発なかわいらしい娘であった。  時間が知らないまにずんずん過ぎていった。  私たちは庭のニワトコの木の下でごちそうを食べていた。するとちょうどおしまいになりかけたとき、私たちの一人が、ずいぶん空が暗くなったと言いだした。雲がどんどん空の上に固まって出て来た。 「さあ、子どもたち、早くうちへ帰らなければいけない」とお父さんが言った。 「もう。」みんなは一緒に叫んだ。  リーズは口は’きけなかったが、やはり帰るのは嫌だという身ぶりをした。 「さあ行こう」とお父さんがまた言った。「風が出たらガラスのフレームは残らず引っくり返される」  これでもう誰も異議を申し立てなかった。私たちはみんなフレームの値打ちを知っていた。それが植木屋にどれほど大事なものかわかっていた。風がうちのフレームをこわしたら、それこそ大変なことであった。 「私はバンジャメンとアルキシーを連れて先へ急いで行く」とお父さんが言った。 「ルミはエチエネットと、リーズを連れてあとから来るがいい」  彼らはそのままかけだした。エチエネットと私はリーズを連れてそろそろ後からついて行った。誰ももう笑う者はなかった。空がだんだん暗くなった。嵐がどんどん来かけていた。砂けむりがうずを巻いて上がった。砂が目に入るので、私たちは後ろ向きになって、両手で目をおさえなければならなかった。空にいなずまがひらめいて、はげしい雷が鳴った。  エチエネットと私がリーズの手を引っ張った。私たちはもっと早く彼女を引っ張ろうと試みたが、/彼女は私たちと歩調を合わせることは困難であった。嵐の来るまえにうちへ帰れようか。お父さんとバンジャメンとアルキシーは嵐の起こるまえにうちに着いたろうか。彼らがガラスのフレームを閉めるひまさえあれば、風が下から入って引っくり返すことはないであろう。  雷鳴がはげしくなった。雲がいよいよ深くなって、もうほとんど夜のように思われた。  風に雲のふきはらわれたとき、その深い銅色の底が見えた。雲はやがて雨になるであろう。  がらがら鳴り続ける雷鳴の中に、ふと、ごうっというひどい響きがした。一連隊の騎兵が嵐に追われてばらばらと駆けてでも来るような音であった。  とつぜんばらばらと雹が降って来た。はじめすこしばかり私たちの顔に当たったと思ううちに、石を投げるように降って来た。それで私たちは駆け出して大きな門の下のトンネルに避難しなければならなかった。雹の夕立ち。たちまち道は真っ白に冬のようになった。雹の大きさははとの卵ぐらいあった、落ちるときには耳の遠くなるような音を立てた。もうしじゅうガラスのこわれる音が聞こえた、雹が屋根から往来へすべり落ちるとともに、屋根や煙突のかわらや石板やいろんなものがこわれて落ちた。 「ああ、これではガラスのフレームも」とエチエネットが叫んだ。  私も同じ考えを持った。 「お父さんはたぶん間に合ったでしょうね」 「雹の降るまえに着いたにしても、ガラスに筵をかぶせるひまはなかったでしょう。なにもかもこわれてしまったでしょうよ」 「雹は所どころ’まばらに落ちるものだそうですよ」と、私はまだそれでも無理に希望をかけようとして言った。 「おお、それにはあんまりうちが近すぎます。もしうちの庭にここと同じだけ降ったら、父さんはお気の毒なほど大損になってしまいます。父さんはこの花を売って、いくらお金を儲けてどうするという細かい勘定をしていらしったのだから/それはずいぶんお金が要るようよ」  私はガラスのフレームが百枚千八百フランもすることを聞いていた。植木や種物を別にしても、ゴ六百もあるフレームを雹がこわしたらなんという災難であろう。どのくらいの損害であろう。  私はエチエネットにたずねてみたかったけれど、おたがいの話はまるで聞こえなかったし、/彼女も話をする気がないらしかった。彼女は絶望の表情で、自分のうちの焼け落ちるのを目の前に見ている人のように、雹の降るのをながめていた。  おそろしい夕立ちはほんのわずか続いた。急にそれが始まったように、急にやんだ。たぶんゴロップンしか続かなかった、雲がパリのほうへ走って、私たちは避難所を出ることができた。雹が往来に深く積もっていた。リーズは薄い靴で、その上を歩くことができなかったから、私は背中に乗せてしょって行った。宴会へ行くときにあれほど晴れ晴れとしていた彼女のかわいらしい顔は、今は悲しみに沈んで、涙がほおを伝っていた。  まもなく私たちはうちに着いた。大きな門があいていて、私たちはすぐと花畑の中に入った。  なんというありさまであろう。ガラスというガラスは粉々にこわれていた。花とガラスのかけらと雹が一緒に固まって、あれほど美しかった花畑に降り積もっていた。なにもかもめちゃめちゃにこわされた。  お父さんはどこへ行ったのだろう。  私たちは彼を探した。やっと彼を大きな温室の中で発見した。その温室のガラス戸は残らずこわれていた。彼は地べたをうずめているガラスのかけらの中にいた(手車の上に腰をかけてというよりは、がっかりして腰をぬかしていた。アルキシーとバンジャメンはそのそばにだまって立っていた。 「ああ、子どもたち、かわいそうに」と、/彼は私たちがガラスのかけらの上をみしみし歩く音に気がついて、こう叫んだ。  彼はリーズをだいてすすり泣きを始めた。彼はなにもほかに言わなかった。なにを言うことができようぞ。これはおそろしい結果であった。しかもそのあとの結果はもっともっとおそろしかった。  私は間もなくそれをエチエネットから聞いた。  十年まえ彼らの父親はこの花畑を買って、自分で家を建てた。彼に土地を売った男は植木屋として必要な材料を買う-かねをもやはり彼に貸していた。その金額は十五年の年賦で、毎年支払うはずであった。その男は”しかもこの植木屋が支払いの期限をおくらせて、おかげで土地も家も材料までも自分の手に取り返す機会ばかりをねらっていた。もちろんすでに受け取った十年分の支払い金額は、懐に納めたうえのことであった。  これはその男にとっては相場をやるようなもので、/彼は十五年の期限のつきないまえに/いつか植木屋が証文どおりにいかなくなるときの来ることを望んでいた。この相場はよし当たらないでも/債権者のほうに損はなかった。万いち当たればそれこそ債務者にはひどい危険であった。ところが雹のおかげでその日はとうとう来たのだ。さてこれからは、どうなることやら。  私たちはそれを長く心配するひまはなかった。証文の期限が切れたあくる日──この-かねはこの季節の花の売り上げで支払われるはずであったから─:─全身真っ黒な服装をした一人の紳士がうちへ来て、インをおした紙を私た。これは執達吏であった。彼はたびたび来た。あまりたびたび来たので、しまいには私たちの名前を覚えるほどになった。 「ご機嫌よう、エチエネットさん。いよう、ルミ。いよう、アルキシー」  こんなことを言って、/彼は私たちに例のインをおした紙を、お友だちのような顔をしてにこにこしながら渡した。 「みなさん、さよなら。また来ますよ」 「うるさいなあ」  お父さんはうちの中に落ち着いていなかった。いつも外に出ていた。彼はどこへ行くか、ついぞ話したことがなかった。たぶん弁護士を訪問するか、裁判所へ行ったのかもしれなかった。  裁判所というと私はおそろしかった。ヴィタリスも裁判所へ行った。そしてその結果はどうであったか。  そしてその結果をお父さんは待ちかねていた。冬の半分は過ぎた。温室を修理することも、ガラスのフレームを新しく買うこともできないので、私たちは野菜モノや覆いの要らない丈夫な花を作っていた。これはたいした儲けにはならなかったが、なにかの足しにはなった。これだって私たちの仕事であった。  ある晩お父さんはいつもよりよけい沈んで帰って来た。 「子どもたち」と彼は言った。「もうみんなだめになったよ」  彼は子どもたちになにか大事なことを言いわたそうとしているらしいので、私はさけて部屋を出ようとした。彼は手まねで私を引き止めた。 「ルミ、おまえもうちの人だ」と彼は悲しそうに言った。「おまえはなにかがよくわかるほどまだ大きくなってはいないが、面倒の起こっていることは知っていよう。みんなお聞き、私はおまえたちと別れなければならない」  ほうぼうから一つの叫び声と苦しそうな泣き声が起こった。  リーズは父親の首に腕を巻きつけた。彼は彼女をしっかりとだきしめた。 「ああ、おまえたちと別れるのはまったくつらい」と彼は言った。「けれど裁判所から支払いをしろという命令を受けた。でも私は-かねがないのだから、このうちにあるものは残らず売らなければならない。それでも足りないので、私は五年のあいだ’懲役に行かねばならない。私は自分の-かねではらうことができないから、自分の体と自由でそれをはらわなければならない」  私たちはみんな泣きだした。 「そう、悲しいことだ」と彼はオロオロゴエで続けた。「けれど人は法律に向かってはなにもしえない。弁護士の言うところでは、むかしはどうしてこんなことではすまなかった。貸し主は借り手の体をいくつかに切り刻んで、貸し主のうちで欲しいと思う者がそれを分けて取る権利があったそうだ。私はただ五年のあいだ刑務所にいればいいのだからね。ただそのあいだにおまえたちはどうなるだろう。それが心配でたまらない」  悲しい沈黙が続いた。 「私が決めたとおりにするのがいちばんいいことなのだ」とお父さんは続けた。 「ルミ、おまえはいちばん学者なのだから、妹のカトリーヌの所へ手紙を書いて、事がらをくわしく述べて、すぐに来てくれるように頼んでおくれ。カトリーヌ小母さんは、なかなかもののわかった人だから、どうすればいちばんいいか、うまく決めてくれるだろう」  私が手紙を書くのはこれが初めてでなかなか骨が折れた。それは非常に痛ましいことであったが、私たちはまだひと筋の希望を持っていた。私たちはみんななにも知らない子どもであった。カトリーヌ小母さんが来てくれるということ、/彼女が実際家であるということは、なにごとをもよくしてくれるであろうという希望を持たせた。  けれど彼女は思ったほど早くは来てくれなかった。シゴニチののちお父さんがちょうど友だちの一人を訪問に出かけようとすると、ぱったり巡査に出会った。彼は巡査たちとうちへ戻って来た。彼は非常に青い顔をしていた。子どもたちにさようならを言いに来たのであった。 「おまえ、そんなに力を落としなさんな」と、/彼をつかまえに来た巡査の一人が言った。「借金のために牢にはいるのは、おまえが思うほどおそろしいものではない。向こうへ行けばなかなかいい人間がいるよ」  私は庭にいた二人の子どもを呼びに行った。帰ってみると、小さいリーズはすすり泣きをしてお父さんの両手に抱かれていた。巡査の一人が腰をかがめて、お父さんの耳になにかささやいたが、なにを言ったか私には聞こえなかった。 「そうです。そうしなければなりませんね」とお父さんは言って、思い切ってリーズを下に置いた。でも彼女は父親の手にからみついて離れなかった。それから彼はエチエネット、/アルキシー、/バンジャメンと順々にキッスして、リーズをねえさんの手に預けた。  私はすこし離れて立っていたが、/彼は私のほうへ寄って来て、ほかの者と同様に優しくキッスした。  これで巡査は彼を連れて行った。私たちはみんな台所の真ん中に泣きながら立っていた。だれ一人ものを言う者はなかった。  カトリーヌ小母さんは一時間おくれてやって来た。私たちはまだはげしく泣いていた。いちばん気丈なエチエネットすら今度の大波にはすっかり足をさらわれた。私たちの水先案内が海に落ちたので、あとの子どもたちはかじを失って、波のまにまにただようほかはなかった。  ところでカトリーヌ小母さんはなかなかしっかりした婦人であった。もとはパリの街でウバ奉公をして、十年のあいだに五か所も勤めた。世の中のすいもあまいもよく知っていた。私たちはまた頼りにする目標ができた。教育もなければ、資産もない田舎女として彼女にふりかかった責任は重かった。貧乏になった一家の総領はまだ十六にならない。いちばん下はおしの娘であった。  カトリーヌ小母さんは、ある公証人のうちにウバをしていたことがあるので、/彼女はさっそくこの人を訪ねて相談をした。そこでこの人が助言して、私たちの運命を決めることになった。それから彼女は監獄へ行って、お父さんの意見も聞いた。そんなことに一週間かかって、最後に私たちを集めて、取り決めた次第を言って聞かした。  リーズはモルヴァンの彼女のうちへ行って養われることになった。アルキシーはセヴェンヌ山のヴァルスで鉱夫を勤めているおじの所へ行く。バンジャメンはセン・カンテンで植木屋をしているもう一人のおじの所へ行く。そしてエチエネットはシャラント県のエナンデ海岸にいるおばの所へ行くことになった。  私はこういう取り計らいをわきで聞きながら、自分の番になるのを待っていた。ところがカトリーヌ小母さんはそれで話をやめてしまって、とうとう私のことは話が出ずにしまった。 「では僕は‥‥。」と私は言った。 「だっておまえはこのうちの人ではないもの」 「僕は貴方がたのために働きます」 「おまえさんはこのうちの人ではないよ」 「私がどんなに働けるか、/アルキシーにでもバンジャメンにでもたずねてください。私は仕事が好きです」 「それからスープをこしらえるのも上手いや」 「おばさん、あの子はうちの人です。そうです、うちの人です」という声がほうぼうから起こった。リーズが前へ出て来て、おばさんの前で手を合わせた。それは言葉で言う以上の意味を表していた。 「まあまあ、かわいそうに」と、カトリーヌ小母さんは言った。「おまえがあの子を一緒に連れて行きたがっていることはわかっている。けれど世の中というものはいつも思うようにはならないものなのだよ。おまえは私のめいだから、おまえをうちへ連れて行って、おじさんにいやな顔をされても、私は『でも親類だから』と言って通してしまうつもりだ。ほかのセン・カンテンのおじさんにしても、ヴァルスのおじさんにしても、エナンデのおばさんにしても、そのとおりだろうよ。やっかいだと思っても、親類なら養ってくれるだろう。けれど他人ではそうはゆかない。一つうちの者だけでも、腹いっぱい食べるだけのパンは難かしいのだからね」  私はもうなにも言うことがないように思った。彼女の言ったことはもっともすぎることであった。私はうちの者ではなかった。私はなにも求めることもできない。なにも頼むこともできない。それをすれば乞食になる。  でも私はみんなを-すいていたし、みんなも私を-すいていた。  みんな兄弟でもあり、姉妹でもあった。カトリーヌ小母さんは決心したことはすぐ実行する性質であった。私たちにはあしたいよいよお別れをすることを言い渡して寝床へ入らせた。  私たちが部屋へ入るか、入らないうちに、みんなは私を取り巻いた。リーズは泣きながら私にからみついた。そのとき私は彼ら兄弟がおたがいに別れて行く悲しみをまえにひかえながら、/彼らの思っていてくれるのは私のことだということがわかった。彼らは私が独りぼっちだといって気の毒がった。私はそのとき本当に彼らの兄弟であるように感じた。そこでふと一つの考えが心に浮かんだ。 「聞いてください」と私は言った。「おばさんやおじさんがたが私にご用はなくっても、/貴方がたがどこまでも私をうちの者に思ってくださることはわかりました」 「そうだそうだ、君はいつまでも僕たちの兄弟だ」と三人が一緒に叫んだ。  もの言えないリーズは私の手をしめつけて、あの大きな美しい目で見上げた。 「ねえ、僕は兄弟です。だからその証拠を見せましょう」と、私は力を入れて言った。 「君はいったいどこに行くつもりだ」とバンジャメンが言った。 「ペルニュイの所に仕事があるのよ。私あした行って話をしてみましょうか」とエチエネットが聞いた。 「僕は奉公はしたくありません。奉公するとパリにじっとしていなければならないし、そうすると二度ともう貴方がたに会うことができません。僕はまた羊の毛皮服を着て、ハープを釘からはずして、肩にかついで、セン・カンテンからヴァルスへ、ヴァルスからエナンデへ、エナンデからドルジーへと、貴方がたのこれから行く先ざきへたずねて行きましょう。私は貴方がたみなさんに、一人ひとり代わりばんこに会って、ほうぼうの便りを持って行きましょう。そうすれば僕の仲立ちでみんな一緒に集まっているようなものです。僕はいまでも歌だってダンスのフシだって忘れてはいません。自分が暮らしてゆくだけのお金は取れます」  みんなの顔がかがやいた。私は彼らが私の考えを聞いてそんなにも喜んでくれたのでうれしかった。長いあいだ私たちは話をして、それからエチエネットは一人ひとり’寝床へ入らせた。けれどその晩は誰もろくろく眠る者はなかった。とりわけ私はひと晩’眠れなかった。  あくる日夜が明けると、リーズは私を庭へ連れ出した。 「僕に言いたいことがあるの」と私はたずねた。  彼女は何度も頷いた。 「私たちが別れて行くのがいやなんでしょう。それは言うまでもない。あなたの顔でわかっている。僕だってまったく悲しいんだ」  彼女は手まねをして、なにか言いたいことがほかにあるという意味を示した。 「十五日たたないうちに、僕はあなたの行くはずのドルジーへ訪ねて行きますよ」  彼女は首をふった。 「僕がドルジーへ行くのがいやなんですか」  私たちがおたがいに了解し合うために、私はそのうえにいろいろ問いを重ねていった。彼女は頷いたり、首をふったりして答えた。彼女は私にドルジーへ来てはもらいたいが、しかしそれより先にアニさんやアネさんのほうへ行ってもらいたい意味を、指をサンポウに向けてさとらせた。 「あなたは僕がいちばん先にヴァルスへ行き、それからエナンデ、それからセン・カンテンというふうに行ってもらいたいのでしょう」  彼女はにっこりして頷いた。私がわかったのがうれしそうであった。 「なぜさ」  こう聞くと、/彼女はくちびると手を、とりわけ目を動かして、なぜそう望むか、そのわけを説明した。それは先にアネさんやアニさんたちの所へ行ってもらえば、ドルジーへ来るときにはほうぼうの便りを持って来てくれることができるからというのであった。  彼らは八時に発たなければならなかった。カトリーヌ小母さんはみんなを乗せる馬車を言いつけて、なにより先に刑務所へ行って、父親にさようならを言うこと、それからてんでに荷物を持って別々の汽車に乗るために、別々の停車ジョウに別れて行くという手順を決めた。  七時ごろ今度はエチエネットが私を庭へ連れ出した。 「ルミ、私あなたにほんのお形見をあげようと思うの」と彼女は言った。「この小箱を納めてください。私のおじさんがくれたものだから。中には糸と針とはさみが入っています。旅をして歩くと、こういうものが入り用なのよ。なにしろ私がそばにいて、着物のほころびを直したり、ボタンをつけたりしてあげることができないのだからねえ。それで私のはさみを使うときには私たちみんなのことを思い出してください」  エチエネットが私と話をしているあいだ、アルキシーがそばをぶらついていた。彼女が私を置いて、うちの中へ入ると、/彼はやって来て、 「ねえ、ルミ」と彼は言いだした。「僕は五フランの銀貨を二つ持っている。一つあげよう。君がもらってくれると、僕はずいぶんうれしいんだ」  私たち五人のうちで、アルキシーはたいへん-かねを大事にする子であった。私たちはいつも彼の欲張りをからかっていた。彼は1スー、二スーと貯金してしじゅう貯金のタカを勘定していた。彼は1スーずつためては新しいジュッスー、ニジュッスーの銀貨とかえて大事に持っていた。そういう彼の申し出は、私を心から感動させた。私は断りたかったけれど、/彼はきらきらする銀貨を私の手に無理ににぎらせた。私は大事にしている宝を分けてくれようという彼の友情が非常に強いものであることを知った。  バンジャメンも私を忘れはしなかった。彼はやはり私に贈り物をしようと思った。彼は私にナイフをくれて、それと交換に、1スー請求した。なぜなら、ナイフは友情を切るものだから。  時間はかまわずずんずんたっていった。いよいよ私たちの別れる時間が来た。  リーズは僕のことをなんと思っているだろう。馬車がうちの前に近づいて来たときに、リーズがまた私に庭までついて来いという手まねをした。 「リーズ」と彼女のおばさんが呼んだ。  彼女は’それには返事をしないで急いで駆け出して行った。彼女は庭のすみに一本’残っていた大きなベンガル薔薇の前に立ち止まって、ひとえだ折った。それから私のほうを向いてその枝を二つにさいた。その両方に薔薇のつぼみが一つずつひらきかけていた。  くちびるの言葉は目の言葉に比べては小さなものである。目つきに比べて、言葉のいかに冷たく、空虚であることよ。 「リーズ、/リーズ」とおばさんが叫んだ。  荷物はもう馬車の中に積みこまれていた。  私はハープを下ろして、カピを呼んだ。私のむかしに返ったおなじみの姿を見ると、/彼はうれしがって、とび上がって、吠え回った。彼は花畑の中に閉じこめられているよりも、広い大道の自由を愛した。  みんなは馬車に乗った。私はリーズをおばさんのひざに乗せてやった。私はそこに半分’目がくらんだようになって立っていた。するとおばさんが優しく私をおしのけて、ドアを閉めた。 「さようなら」  馬車は動きだした。  もやの中で私はリーズが窓ガラスによって、私に手をふっているのを見つけた。やがて馬車は町のカドを曲がってしまった。見えるものはもう砂けむりだけであった。私はハープによりかかって、カピが足の下で絡み回るままに任せた。ぼんやり’往来に立ち止まって目の前にうず巻いているほこりをながめていた。発って行ったあとのうちを閉めて鍵を家主に私てくれることを頼まれた隣家の人がそのとき私に声をかけた。 「おまえさん、そこで一日たっているつもりかね」 「いいえ、もう行きます」 「どこへ行くつもりだ」 「どこへでも、足の向くほうへ」 「おまえさん、ここにいたければ」と、/彼はたぶん気の毒に思っているらしく、こう言った。「私の所へ置いてあげよう。けれど給金ははらえないよ。おまえさんはまだ一人前ではないからなあ。いまにすこしはあげられるようになるかもしれない」  私は彼に感謝したが、「いいえ」と答えた。 「そうか。じゃあ勝手におし。私はただおまえさんのためにと思っただけだ。さようなら。無事で」  彼は行ってしまった。馬車は遠くなった。うちは閉ざされた。  私はハープの紐を肩にかけた。カピはすぐ気がついて立ち上がった。 「さあ行こう、カピ」  私は二年のあいだ住み慣れて、いつまでもいようと思ったうちから目をそらして、はるかの前途を望んだ。  日はもう高く上っていた。空は青あおと晴れて──気候は暖かであった。気の毒なヴィタリス老人と私が、疲れきってこのさくのそばで倒れた、あの寒い晩とは大変なちがいであった。  こうしてこの二年間はほんの休息であった。私はまた自分の道を進まなければならなかった。けれどもこの休息が私にはずいぶん役に立った。それが私に力をあたえた。優しい友だちを作ってくれた。  私はもう世界で独りぼっちではなかった。この世の中に私は目的を持っていた。それは私を愛し、私が愛している人たちのために、役に立つこと、なぐさめになることであった。  新しい生涯が私の前に-ひらけていた。  前へ。 ▓。▓。▓。 【第22章】 【前へ】 ▓。▓。▓。  前へ。世界は私の前に開かれた。北でも南でも東でも西でも、自分の行きたいままの方角へ私は向かって行くことができる。それはもう子どもは子どもでも、私は自分自身の主人であった。  いよいよ流浪の旅を始めるまえに、私はこの二年のあいだ父親のように優しくしてくれた人に会いたいと思った。カトリーヌ小母さんは、みんなが彼に「さようなら」を言いに行くときに、私を一緒に連れて行くことを好まなかったが、私はせめて一人になったいまでは、行って彼に会うことができるし、会わなければならないと思った。借金のために刑務所に入ったことはなくても、その話をこのごろしじゅうのように聞かされていたので/その場所ははっきりわかっていた。私はよく知っているラ・マドレーヌ寺道をたどって行った。カトリーヌ小母さんも、子どもたちも、お父さんに会えたのだから、私もきっと会うことが許されるであろう。私はお父さんの子どもも同様であったし、お父さんも私をかわいがっていた。  でも思い切って刑務所の中へ入って行くのがちょっと躊躇された。誰かが私をじっと監視しているように思われた。もう、一度そのドアの中へ、おそろしいドアの中へ閉めこまれたが最後、二度と出されることがないように思われた。  刑務所から出て来ることは容易でないと私は考えていた。しかしそこへ入るのも容易でないことを知らなかった。さんざんひどい目に会って、私はそれを知った。  でも力も落とさず、それから引っ返してしまおうとも思わずに待っていたおかげで、私はやっと面会を許されることになった。かねて思っていたのとちがい、私は格子もさくもないそまつな応接室に通された。お父さんは出て来た。でも鎖などに結わえられてはいなかった。 「ああ、ルミや、私はおまえを待っていた」と、私が面会所にはいると彼は言った。 「私は、カトリーヌ小母さんがおまえを一緒に連れて来なかったので、こごとを言ってやったよ」  私はこの言葉を聞くと、朝からしょげていたことも忘れて、すっかりうれしくなった。 「カトリーヌ小母さんは、僕を一緒に連れて来ようとしなかったのです」  私はうったえるように言った。 「いや、そういうわけでもなかったのだろう。なかなか思うとおりにはならないものだよ。ところでおまえがこれから一人で暮らしを立ててゆこうとしていることも私はようく知っているのだがね。どうも私の妹婿のシュリオだって、おまえに仕事を見つけてやることはできないだろうしね。シュリオはニヴェルネ運河の水門モリをしているのだが、知ってのとおり植木職人の世話を水門モリにしてもらうのは無理だからね。それにしても、子どもたちの話では、おまえはまた旅芸人になると言っているそうだが、おまえもう、あの寒さと空腹で死にかけたことを忘れたのかえ」 「いいえ、忘れません」 「でも、あのときはまだしも、おまえは独りぼっちではなかった。面倒を見る親方があった。それも今はないし、おまえぐらいの年ごろで一人ぼっち田舎へ出るということは、いいことだとは思われない」 「カピも一緒です」  このときカピは自分の名を聞くと、いつものように、(はい、ここにおります、ご用ならお役に立ちましょう)というように一声’吠えた。 「うん、カピはよい犬だ。しかしやっぱり犬は犬だからな。おまえはいったいどうして暮らしを立てるつもりなのだ」 「私が歌を歌ったり、カピが芝居をしたりして」 「しかしカピ一人ぼっちで、芝居は出来やしないだろう」 「いえ、私はカピに芸をしこみます。そうだろう、ね、カピ。おまえ、なんでも私の望むものを習うだろう」  カピは前足で胸をたたいた。 「ルミ、おまえがよく考えたら、やはり職を見つけることにするだろうよ。もうおまえも-ひとかどの職人だ。流浪するよりもそのほうがましだし、だいいち、あれはなまけ者のすることだ」 「ええ、もちろん私はなまけ者ではありません。私はお父さんと一緒にならできるだけ働きます。そしていつでもお父さんと一緒にいたいと思っています。でもほかの人のうちで働くのはいやなんです」  もちろん、たった一人、大道ぐらしを続けてゆくことの危険なことはよくわかっていた。それはさんざん、つらい経験もしている。そうだ、人びとが私のように流浪の生活を送って、あの犬たちがオオカミに食べられた夜や、/ジャンチイイの石切り場のあの晩のような目に会ったり、あれほどひもじいめをしたり:、ヴィタリス親方が刑務所に-いれられて、1スーも儲けることができず、村から村へと追い立てられたりしたようなことに出会ったら、誰だってあすは真っ暗闇、現在さえも不安心でたまらないのが当たり前だ。危険な、みじめな、浮浪人の生活を私は自分が送ってきたことも忘れはしないのだ。だがいまそれをやめたら、私はいったいどうしていいかわからないではないか。それにもう一つ、旅に出るについて決心を固くするものがあった。いまさらよそのうちに奉公するよりも、私にはこの流浪の旅がずっと自由で気楽なばかりでなく、エチエネットや、アルキシーやバンジャメン:、それからリーズとした約束を果たすためにもこの旅行を思いとどまることはできなかったのだ。どうしてこのことはあの人たちを見捨てないかぎり、やめられないのだ。もっともエチエネットやアルキシーやバンジャメンからは、手紙が書けるので手紙も来ようが、リーズといえば、書くことも知らないのだから、ここであの子のことを私が忘れてしまえば、もう彼女はなにもかも世界の様子がわからなくなってしまうのだ。 「では、お父さんは、お子さん’たちの便りを、私が持って来るのがおいやなのですか」と私はたずねてみた。 「成程みんなの話では、おまえは子どもたちの所へ一人ひとり訪ねて行ってくれるということだが、それはありがたいが、といって、私たち自分の事ばかり考えているわけにはゆかない。それよりかまずおまえのためを考えなければならないのだよ」 「では、私だってお父さんのおっしゃるとおりにして、自分の身の上の危険をおそれて、今度の計画をやめてしまえば、やはり自分の事ばかり考えて、あなたのことも、それからリーズのことも考えなくてもいいということになりますよ」  お父さんはしばらく私の顔をながめていたが、急に私の両手を取った。 「まあ、よくおまえ、言っておくれだ。おまえは本当に真心がある」  私は彼の首に腕をかけた。そのうち、さようならを言う時間が来た。しばらくのあいだ彼はだまって私をおさえていた。やがていきなり彼はチョッキの隠しを探って、大きな銀時計を引き出した。 「さあ、おまえ、これをあげる」と彼は言った。「これを私の形見に持っていてもらいたい。たいした値打ちのものではない。値打ちがあれば私はトウに売ってしまったろう。時間も確かではない。いけなくなったらげんこでたたきこわしてもいい。でもこれが私の持っているありったけだ」  私はこんな立派な贈り物を断ろうと思ったけれど、/彼はそれを私のにぎった手に無理におしこんだ。 「ああ、私は時間を知る必要はないのだ。時間はずいぶんゆっくりゆっくりたってゆく。それを勘定していたら、死んでしまう。さようなら、ルミや。いつでもいい子でいるように、覚えておいで」  私は非常に悲しかった。どんなにあの人は私に優しくしてくれたであろう。私は別れてのち長いあいだ刑務所のドアの回りをうろうろした。ぼんやり私はそのまま夜まででも立ち止まっていたかもしれなかったが、ふと隠しにある固い丸いものが手にさわった。私の時計であった。  ありったけの私の悲しみはしばらくのあいだ忘れられた。私の時計だ。自分の時計で時間を知ることができるのだ。私は時間を見るために、それを引き出した。昼だ。それは昼であろうと、十時であろうと、十一時であろうと、たいしたことではなかった。でも私は昼であるということがたいそううれしかった。それがなぜだか言うのは難かしい。けれどそういうわけであった。私の時計がそう知らせてくれる。なんということだ。私にとって時計は相談をしたり、話のできる親友であると思われた。 「時計君、何時だね」 「十二時ですよ、ルミさん」 「おやおや。ではあれをしたり、これをしたりするときだ。いいことをおまえは教えてくれた。おまえが言ってくれなければ、僕は忘れるところだったよ」  私のうれしいのにまぎれて、カピがほとんど私と同様に喜んでいてくれることに気がつかなかった。彼は私のズボンのすそを引っ張って、たびたび吠えた。彼が吠え続けたとき私は初めて、/彼に注意を向けてやらなければならなかった。 「カピ、なんの用だい」と私はたずねた。彼は私の顔をながめた。けれど私は彼の意味が解けなかった。彼はしばらく待っていたが、やがて私の前に来て、時計を入れた隠しの上に前足をのせて立った。彼はヴィタリス親方と一緒に働いていた時分と同じように:、「ご臨席の貴賓諸君」に時間を申し上げる用意をしていたのであった。  私は時計を彼に見せた。彼はしばらく思い出そうと努めるように、しっぽをふりながらそれを、ながめたが、やがて十二タビ’吠えた。彼は忘れてはいなかった。私たちはこの時計でお金を取ることができる。これは私があてにしていなかったことであった。  前へ進め、子どもたち。私は刑務所に最後の目をくれた。その塀の後ろにはリーズの父親が閉じこめられているのだ。  それからずんずん進んで行った。なによりも私に入り用なものは、フランスの地図であった。河岸通りの本屋へ行けば、それの得られることを知っていたので、私は川のほうへ足を向けた。やっと私は十五スーで、ずいぶん黄色くなった地図を見つけた。  私はそれでパリを去ることができるのであった。すぐ私はそれをすることに決めた。私は二つの道の一つを選ばなければならなかった。私はフォンテンブローへの道を選んだ。リュウ・ムッフタールの通りへ来かかると、山のような記憶が群がって起こった。ガロフォリ、/マチア、/リカルド、錠前のかかったスープなべ、むち、ヴィタリス老人、あの気の毒な善良な親方。私を乞食の親分へ貸すことをきらったために、死んだ人。  お寺のさくの前を通ると、子どもが一人’壁によっかかっているのを見た。その子はなんだか見覚えがあるように思った。  確かにそれはマチアであった。大きな頭の、大きな目の、優しい、いじけた目つきの子どものマチアであった。けれど彼はちっとも大きくはなっていなかった。私はよく見るためにそばへ寄った。ああそうだ、そうだ、マチアであった。  彼は私を覚えていた。彼の青ざめた顔はにっこり笑った。 「ああ、君だね」と彼は言った。「君はセンに白いひげのおじいさんとガロフォリのうちへ来たね。ちょうど僕が病院へ行こうとするまえだった。ああ、あれから僕はどんなにこの頭でなやんだろう」 「ガロフォリはまだ君の親方なのかい」  彼は返事をするまえにそこらを見回して、それから声をひそめて言った。 「ガロフォリは刑務所にはいっているよ。オルランドーを打ち殺したので連れて行かれたのだ」  私はこの話を聞いてぎょっとした。でも私はガロフォリが刑務所に-いれられたと聞いてうれしかった。初めて私は、あれほどおそろしいものに思いこんでいた刑務所が、これはなるほど役に立つものだと考えた。 「それでほかの子どもたちは」と私はたずねた。 「ああ、僕は知らないよ。ガロフォリがつかまったときには、僕はいなかった。僕が病院から出て来ると、僕は病気で、もうぶっても役に立たないと思って、あの人は私を手放したくなった。そこであの人は私を二年のあいだガッソーの曲馬団へ売った。マエキンで-かねをはらってもらったのだ。君はガッソーの曲馬を知っているかい。知らない。うん、それはたいした曲馬団ではないけれど、やはり曲馬は曲馬さ。そこでは子どもを、かたわの子どもを使うのだ。それでガロフォリが僕をガッソーへ売ったのだ。僕はこのまえの月曜までそこにいたが、僕の頭が箱の中にはいるには大きすぎるというので、追い出された。曲馬団を出ると僕はガロフォリのうちへもどったが、うちはすっかり閉まっていた。近所の人に聞いて様子がすっかりわかった。ガロフォリが刑務所へ行ってしまうと、僕はどこへ行っていいか、わからない」 「それに僕は’かねを持たない」と彼はつけ加えて言った。「僕はきのうから一切れのパンも食べない」  私も金持ちではなかったけれど、気の毒なマチアにやるだけのものはあった。私がツールーズへんをいまのマチアのように飢えてうろうろしていた時分、一切れのパンでもくれる人があったら、私はどんなにその人の幸福をいのったであろう。 「僕が帰って来るまで、ここに待っておいでよ」と私は言った。私は町のカドのパン屋までかけて行って、まもなく一斤買って帰って、それを彼にあたえた。彼はがつがつして、見るまに食べてしまった。 「さて」と私は言った。「君はどうするつもりだ」 「僕はわからない。僕はヴァイオリンを売ろうかと思っていたところへ君が声をかけた。僕はそれと別れるのがこんなにいやでなかったら、とうに売っていたろう。僕のヴァイオリンは僕の持っているありったけのもので、悲しいときにも、一人いられる場所が見つかると、自分一人でひいていた。そうすると空の中にいろんな美しいものが、夢の中で見るものよりももっと美しいものが見えるんだ」 「なぜ君は往来でヴァイオリンをひかないのだ」 「ひいてみたけれど、なにももらえなかった」  ヴァイオリンをひいて一モンももらえないことを、どんなによく私も知っていたことであろう。 「君はいまなにをしているのだ」と彼はたずねた。  私はなぜかわからなかった。けれどそのときの勢いで、滑稽なホラをふいてしまった。 「僕は一座の親方だよ」と私は高慢らしく言った。  それは真実ではあったが、その真実はずっと嘘のほうに近かった。私の一座はたったカピ一人だけだった。 「おお、君はそんなら‥‥。」とマチアが言った。 「なんだい」 「君の一座に僕を入れてくれないか」  彼をあざむくにしのびないので、私はにっこりしてカピを指さした。 「でも一座はこれだけだよ」と私は言った。 「ああ、なんでもかまうものか。僕がもう一人の仲間になろう。まあどうか僕を捨てないでくれたまえ。僕は腹が減って死んでしまう」  腹が減って死ぬ。この言葉が私のはらわたの底にしみわたった。腹が減って死ぬということがどんなことだか、私は知っている。 「僕はヴァイオリンをひくこともできるし、でんぐり返しをうつこともできる」と、マチアがせかせか息もつかずに言った。「縄の上で踊りも踊れるし、歌も歌える。なんでも君の好きなことをするよ。君の家来にもなる。言うことも聞く。かねをくれとは言わない。食べ物だけあればいい。僕がまずいことをしたらぶってもいい。それは約束しておく。ただ頼むことは頭をぶたないでくれたまえ。これも約束しておいてもらわなければならない。なぜなら僕の頭はガロフォリがひどくぶってから、すっかりやわらかくなっているのだ」  私は可哀想なマチアが、そんなことを言うのを聞くと、声を上げて泣きだしたくなった。どうして私は彼を連れて行くことをこばむことができよう。腹が減って死ぬというのか。でも、私と一緒でも、やはり腹が減って死ぬかもしれない場合がある─:─私はそう彼に言ったが、/彼は聞き入れようともしなかった。 「ううん、ううん」と彼は言った。「二人いれば飢え死にはしない。一人が一人を助けるからね。持っている者が持っていない者にやれるのだ」  私はもう躊躇しなかった。私がすこしでも持っていれば、私は彼を助けなければならない。 「うん、よし、それでわかった」と私は言った。  そう言うと、/彼は私の手をつかんで、心から感謝のキッスをした。 「僕と一緒に来たまえ」と私は言った。「家来ではなく、仲間になろう」  ハープを肩にかけると、私は号令をかけた。 「前へ進め」  十五分たつと、私たちはパリをあとに見捨てた。  私がこの道を通ってパリを出るのは、バルブレンのおっかあに会いたいためであった。どんなにたびたび私は彼女に手紙を書いてやって、/彼女を思っていること、ありったけの心をささげて彼女を愛していることを、言ってやりたかったかしれなかったが、亭主のバルブレンがこわいので、私は思いとどまった。もしバルブレンが手紙をあてに私を見つけたら、つかまえてまたほかの男に売りわたすかもしれなかった。彼はおそらくそうする権利があった。私は好んでバルブレンの手に落ちる危険をおかすよりも、バルブレンのおっかあから恩知らずの子どもだと思われているほうがましだと思った。  でも手紙こそ書き得なかったが、こう自由の身になってみれば、私は行って会うこともできよう。私の一座にマチアも入っているので、私はいよいよそうしようと心を決めた。なんだかそれがわけなくできそうに思われた。私は先に彼をひとり’出してやって、/彼女が一人きりでいるか見せにやる。それから私が近所に来ていることを話して、会いに行っても大丈夫か、それのわかるまで待っている。それでバルブレンがうちにいれば、マチアから彼女にどこか安心な場所へ来るように頼んで、そこで会うことができるのである。  私はこのくわだてを考えながら、だまって歩いた。マチアも並んで歩いていた。彼もやはり深く考えこんでいるように思われた。  ふと思いついて、私は自分の財産をマチアに見せようと思った。カバンのふたを開けて、わたしは草の上に財産を広げた。中には三枚のもめんのシャツ、靴下が三足、ハンケチが五枚、みんな品のいい物と、/少し使った靴がイッソクあった。  マチアは驚嘆していた。 「それから君はなにを持っている」と私はたずねた。 「僕はヴァイオリンがあるだけだ」 「じゃあ分けてあげよう。僕たちは仲間なんだから、君にはシャツ二枚と、靴下二足にハンケチを三枚あげよう。だがなんでも二人のあいだに仲よく分けるのがいいのだから、君は一時間ぼくのカバンを持ちたまえ。そのつぎの一時間は僕が持つから」  マチアは品物を貰うまいとした。けれど私はさっそく、自分でもひどく愉快な、命令のくせを出して、/彼に「おだまり」と命令した。  私はエチエネットの小箱と、リーズの薔薇を入れた小さな箱をも広げた。マチアはその箱を開けて見たがったが、開けさせなかった。私はそのふたをいじることすら許さずに、カバンの中にまたしまいこんでしまった。 「君は僕を喜ばせたいと思うなら」と私は言った。「けっして箱にさわってはいけない。‥:‥これはだいじな贈り物だから」 「僕はけっして開けないと約束するよ」と彼は真面目に言った。  私はまた羊の毛の服を着て、ハープを担いだが、そこに一つむずかしい問題があった。それは私のズボンであった。芸人が長いズボンをはくものではないように思われた。公衆の前へ現れるには、短いズボンを穿いて、その上に靴下をかぶさるように履いて、レースをつけて、色のついたリボンを結ぶものである。長いズボンは植木屋にはけっこうであろうが‥:‥今は私は芸人であった。そうだ、私は半ズボンをはかなければならない。私はさっそくエチエネットの道具ばこからはさみを出した。  私がズボンのしまつをしているうち、ふと私は言った。 「君はどのくらいヴァイオリンをひくか、聞かせてもらいたいな」 「ああ、いいとも」  彼はひき始めた。そのあいだ私は思い切ってはさみの先をズボンのひざからすこし上の所へ当てた。私はきれを切り始めた。  けれどこれはチョッキと上着とおそろいにできた、ねずみヂのいいズボンであった。アッケンのお父さんがそれをこしらえてくれたとき、私はずいぶん得意であった。けれどいま、それを短くすることをいけないこととは思わない。かえって立派になると思っていた。初めは’わたしもマチアのほうに気が入らなかった。ズボンを切るのにいそがしかったが、まもなくはさみを動かす手をやめて、耳をそこへうばわれていた。マチアはほとんどヴィタリス親方ぐらいにうまくひいた。 「誰が君にヴァイオリンを教えたの」と私は手をたたきながら聞いた。 「誰も。僕は一人で覚えた」 「誰か君に音楽のことを話して聞かした人があるかい」 「いいえ、僕は耳に聞くとおりをひいている」 「僕が教えてあげよう、僕が」 「君はなんでも知っているの。では‥‥」 「そうさ、僕はなんでも知っているはずだ。座長だもの」  私はマチアに、自分もやはり音楽家であることを見せようとした。私はハープをとり、/彼を感動させようと思って、名高い小唄を歌った。すると芸人どうしのするように彼は私におせじを言った。彼は立派な才能を持っていた。私たちはおたがいに尊敬し合った。私は背嚢のふたを閉めると、マチアが代わってそれを肩にのせた。  私たちはいちばんはじめの村に着いて興行をしなければならなかった。これがルミ一座の初おめみえ’のはずであった。 「僕にその歌を教えてください」とマチアが言った。「僕たちは一緒に歌おう。もうじきにヴァイオリンで合わせることができるから。するとずいぶんいいよ」  確かにそれはいいにちがいなかった。それでくれるものをたっぷりくれなかったら、「ご臨席の貴賓諸君」は、石のような心を持っているというものだ。  私たちが最初の村を通り過ぎると、大きなヒャクショウヤの門の前へ出た。中をのぞくと大ぜいの人が晴れ着を着てめかしこんでいた。そのうちのニサンニンはシュチン(しゅすの織物)のリボンを結んだ花たばを持っていた。  ご婚礼であった。私はきっとこの人たちがちょっとした音楽と踊りを-すくかもしれないと思った。そこで背戸へ入って、真っ先に出会った人に勧めてみた。その人は赤い顔をした、大きな、人のよさそうな男であった。彼は高い白襟をつけて、プレンス・アルベール服を着ていた。彼は私の問いに答えないで、客のほうへ向きながら、口に二本の指を当てて、それはカピをおびえさせたほどの高い口ぶえをふいた。 「どうだね、みなさん、音楽は」と彼は叫んだ。「楽師がやって来ましたよ」 「おお、音楽音楽」と一緒の声が聞こえた。 「カドリールの列をお作り」  踊り手はさっそく庭の真ん中に集まった。マチアと私は荷馬車の中に陣取った。 「君はカドリールがひけるか」と心配して私はささやいた。 「ああ」  彼はヴァイオリンでニサンセツ調子を合わせた。運よく私はそのフシを知っていた。私たちは助かった。マチアと私はまだ一緒にやったことはなかったが、まずくはやらなかった。もっともこの人たちはたいして音楽のいい悪いはかまわなかった。 「おまえたちのうち、コルネ(小ラッパ)のふける者があるかい」と赤い顔をした大男がたずねた。 「僕がやれます」とマチアは言った。「でも楽器を持っていませんから」 「儂が行って探して来る。ヴァイオリンもいいが、きいきい言うからなあ」  私はそのヒ-イチニチで、マチアがなんでもやれることがわかった。私たちは休みなしに晩までやった。それには私は平気であったが、かわいそうにマチアはひどく弱っていた。だんだん私は彼が青くなって、倒れそうになるのを見た。でも彼は一生懸命ふき続けた。幸いに彼が気分が悪いことを見つけたのは、わたし一人ではなかった。花よめさんがやはりそれを見つけた。 「もうたくさんよ」と彼女は言った。「あの小さい子は、疲れ切っていますわ。さあ、みんな楽師たちにやるご祝儀をね」  私は帽子をカピに投げてやった。カピはそれを口で受け取った。 「どうかわたくしどもの召使いにお授けください」と私は言った。  彼らは喝采した。そしてカピがお辞儀をするふうを見て、うれしがっていた。彼らはたんまりくれた。花むこさまはいちばんおしまいに残ったが、五フランの銀貨を帽子に落としてくれた。帽子は金貨でいっぱいになった。なんという幸せだ。  私たちは夕食に招待された。そして物置きの中で眠る場所をあたえてもらった。  あくる朝この親切なヒャクショウヤを出るとき、私たちには二十八フランの元手があった。 「マチア、これは君のおかげだよ」と私は勘定したあとで言った。「ぼく一人きりでは楽隊は務まらないからねえ」  二十八フランを隠しに入れて、私たちは福々であった。コルベイユへ着くと、私はさし当たり/なくてならないと思う品を二つ三つ買うことができた。第一はコルネ、これはフル道具屋で三フランした。それから靴下に結ぶ赤リボン、最後にもう一つの背嚢であった。代わりばんこに重い背嚢をしょうよりも、てんでんが軽い背嚢をしじゅうしょっているほうが楽であった。 「君のような、人をぶたない親方はよすぎるくらいだ」とマチアがうれしそうに笑いながら言った。  私たちの懐具合がよくなったので、私は少しでも早く、バルブレンのおっかあの所に向かって行こうと決心した。私は彼女に贈り物を用意することができた。私はもう金持ちであった。なによりもかよりも、/彼女を幸福にするものがあった。それはあのかわいそうなルセットの代わりになる雌牛をおくってやることだ。私が雌牛をやったら、どんなに彼女はうれしがるだろう。どんなに私は得意だろう。シャヴァノンに着くまえに、私は雌牛を買う。そしてマチアがたづなをつけて、すぐとバルブレンのおっかあの背戸へ引いて行く。  マチアはこう言うだろう。「雌牛を持って来ましたよ」 「へえ、雌牛を」と彼女は目を丸くするだろう。「まあおまえさんは人ちがいをしているんだよ」  こう言って彼女は’ため息をつくだろう。 「いいえ、ちがやしません」とマチアが答えるだろう。「あなたはシャヴァノン村のバルブレンのおばさんでしょう。そら/おとぎ話の中にあるとおり、『王子さま』があなたの所へこれを贈り物になさるのですよ」 「王子さまとは」  そこへ私が現れて、/彼女をだき寄せる。それから私たちはおたがいにだき合ってから、どら焼きとりんごの揚げ物をこしらえて、三人で食べる。けれどバルブレンには’やらない。ちょうどあの謝肉祭の日にあの男が帰って来て、私たちのフライなべを引っくり返して、自分のねぎのスープに、せっかくのバターを入れてしまったときのように意地悪くしてやる。なんというすばらしい夢だろう。でもそれを本当にするには、まず雌牛から買わなければならない。  いったい雌牛はどのくらいするだろう。私はまるっきり見当がつかない。きっとずいぶんするにちがいない。でもまだ‥:‥私はたいして大きな雌牛は欲しくなかった。なぜなら太っていればいるほど、雌牛は値段が高いから。それに大きければ大きいほど雌牛は食べ物がよけい要るだろう。私はせっかくの贈り物が、バルブレンのおっかあのやっかいになってはならないと思う。さしあたり大事なことは、雌牛の値段を知ることであった。いや、それよりも私の欲しいと思う種類の雌牛の値段を知ることであった。幸いに私たちはたびたび大ぜいの百姓やばくろうに行く先の村むらで出会うので、それを知るのは難かしくはなかった。私はその日宿屋で出会った初めの男にたずねてみた。  彼はげらげら笑いだした、食卓をどんとたたいた。それから彼は宿屋のおかみさんを呼んだ。 「この小さな楽師さんは、雌牛のネが聞きたいというのだ。たいへん大きなやつでなくて、ごく丈夫で、乳をたくさん出すのだそうだ」  みんなは笑った。でも私はなんとも思わなかった。 「そうです、いい乳を出して、あんまり食べ物を食べないのです」と私は言った。 「そうしてその雌牛はたづなに引かれて道を歩くことをいやがらないものでなくっては’ね」  彼は一通り笑ってしまうと、今度は私と話し合う気になって、事がらを真面目にあつかい始めた。彼はちょうど注文の品を持っていた。それはうまい乳を──正銘のクリームを出すいい雌牛を持っていた─:─しかもそれはほとんど物を食べなかった。五十エクー出せばその雌牛は私の手に入るはずであった。初めこそこの男に話をさせるのが骨が折れたが、一度’始めだすと今度はやめさせるのが困難であった。やっと私たちはその晩おそく、とにかく寝に行くことができた。私はこの男から聞いたことを残らず夢に見ていた。  五十エクー──それは百ゴジュッフランであった。私はとてもそんな莫大な-かねを持ってはいなかった。ことによって私たちの幸運がこの先続けば、1スー1スーとたくわえて百ゴジュッフランになることがあるかもしれない。けれどそれにはひまがかかった。そうとすれば私たちはなによりまずヴァルセへ行ってバンジャメンに会う。その道にできるだけほうぼうで演芸をして歩こう。それから帰り道に-かねができるかもしれないから、そのときシャヴァノンへ行って、王子さまの雌牛のおとぎ芝居を演じることにしよう。  私はマチアにこのくわだてを話した。彼はこれになんの異議をも唱えなかった。 「ヴァルセへ行こう」と彼は言った。「僕もそういう所へは行って見たいよ」 ▓。▓。▓。 【第23章】 【煤煙の町】 ▓。▓。▓。  この旅行はほとんどミ月かかったが、やっとヴァルセの村はずれにかかったときに、私たちは無駄に日をくらさなかったことを知った。私のなめし皮の財布にはもう百二十八フラン入っていた。バルブレンのおっかあの雌牛を買うには、あとたった二十二フラン足りないだけであった。  マチアも私と同じくらい喜んでいた。彼はこれだけの-かねを儲けるために、自分も働いたことにたいへん得意であった。実際’彼の手柄は大きかった。彼なしには、カピと私だけで、とても百二十八フランなんという金高の集まりようはずがなかった。これだけあれば、ヴァルセからシャヴァノンまでの間に、あとの足りない二十二フランぐらいはわけなく得られよう。  私たちが、ヴァルセに着いたのは午後の三時であった。きらきらした太陽が晴れた空にかがやいていたが、だんだん’町へ近くなればなるほど空気が黒ずんできた。天と地の間に煤煙の雲がうずを巻いていた。  私はアルキシーのおじさんがヴァルセの鉱山で働いていることは知っていたが、いったい’町中にいるのか、外に住んでいるのか知らなかった。ただ彼がツルイエールという鉱山で働いていることだけ知っていた。  町へ入るとすぐ私はこの鉱山がどの辺にあるかたずねた。そしてそれはリボンヌ川の左のがけの小さな谷で、その谷の名が鉱山の名になっていることを教えられた。この谷は町と同様’不愉快であった。  鉱山の事務所へ行くと、私たちはアルキシーのおじさんのガスパールのいる所を教えられた。それは山から川へ続く曲がりくねった町の中で、鉱山からすこし離れた所にあった。  私たちがその’家に行き着くと、ドアによっかかってニサンニン、近所の人と話をしていた婦人が、坑夫のガスパールは六時でなければ帰らないと言った。 「おまえさん、なんの用なの」と彼女は’たずねた。 「私は甥御さんのアルキシー君に会いたいのです」 「ああ、おまえさん、ルミさんかえ」と彼女は言った。「アルキシーがよくおまえさんのことを言っていたよ。あの子はおまえさんを待っていたよ。」こう言ってなお、「そこにいる人はだれ」と、マチアを指さした。 「僕の友だちです」  この女はアルキシーのおばさんであった。私は彼女が私たちをうちの中へ呼び入れて休ませてくれることと思った。私たちはずいぶんほこりをかぶってつかれていた。けれど彼女はただ、六時にまた来ればアルキシーに会える、今はちょうど鉱山へ行っているところだからと言っただけであった。  私は向こうから申し出されもしないことを、こちらから請求する勇気はなかった。  私たちはおばさんに礼を述べて、ともかくなにか食べ物を食べようと思って、/パン屋を探しに町へ行った。「私はマチアがさぞ、なんてことだ」と思っているだろうと考えて、こんな待遇を受けたのがきまり悪かった。こんなことなら、なんだってあんな遠い道をはるばるやって来たのであろう。  これではマチアが、私の友人に対してもおもしろくない感じを持つだろうと思われた。これではリーズのことを話しても、私と同じ興味で聞いてはくれないだろうと思った。でも私は彼が非常にリーズを-すいてくれることを望んでいた。  おばさんが私たちにあたえた冷淡な待遇は、私たちにふたたびあのうちへ戻る勇気を失わせたので、六時すこしまえにマチアとカピと私は、鉱山の入口に行って、アルキシーを待つことにした。  私たちはどの坑道からコウフたちが出て来るか教えてもらった。それで六時すこし過ぎに、私たちは坑道の暗いかげの中に、小さな明かりがぽつりぽつり見え始めて、それがだんだんに大きくなるのを見た。コウフたちは手に手にランプを持ちながら、一日の仕事をすまして、日光の中に出て来るのであった。彼らはひざがしらが痛むかのように、重い足どりでのろのろと出て来た。私はそののちに、地下の坑道のどん底まではしごを下りて行ったとき、それがどういうわけだかはじめてわかった。彼らの顔は煙突掃除のように真っ黒であった。彼らの服と帽子は石炭のごみをいっぱいかぶっていた。やがてみんなは点灯ショに入って、ランプを釘に引っかけた。  ずいぶん注意して見ていたのであるが、やはり向こうから見つけてかけ寄って来るまで、私たちはアルキシーを見つけなかった。もうすこしで彼を見つけることなしにやり過ごしてしまうところであった。  実際’頭から足まで真っ黒くろなこの少年に、あのひじの所で折れたきれいなシャツを着て、カラーの前を大きく開けて/白い肌を見せながら:、一緒に花畑の道をかけっこした昔なじみのアルキシーを見いだすことは困難であった。 「やあ、ルミだよ」と彼はそばに寄りそって歩いていた四十ばかりの男のほうを向いて叫んだ。その人はアッケンのお父さんと同じような、親切な快活な顔をしていた。二人が兄弟であることを思えば、それは不思議ではなかった。私はすぐそれがガスパール小父さんであることを知った。 「私たちは長いあいだおまえさんを待っていたよ」と彼はにっこりしながら言った。 「パリからヴァルセまではずいぶんありましたよ」と私は笑い返しながら言った。 「おまけにおまえさんの足は短いからな」と彼は笑いながら言い返した。  カピもアルキシーを見ると、うれしがって一生懸命そのズボンのすそを引っ張って、お喜びのご挨拶をした。このあいだ私はガスパール小父さんに向かって、マチアが私の仲間であること、そして彼がだれよりもコルネをうまくふくことを話した。 「おお、カピ君もいるな」とガスパール小父さんが言った。「おまえ、あしたはゆっくり休んで行きなさい。ちょうど日曜日で、私たちにもいいごちそうだ。なんでもアルキシーの話ではあの犬は学校の先生と役者を一緒にしたよりもかしこいというじゃないか」  私はおばさんに対して気持ち悪く感じたと同じくらいこのガスパール小父さんに対しては気持ちよく感じた。 「さあ、子どもどうし話をおしよ」と彼は愉快そうに言った。「きっとおたがいに’たんと話すことが積もっているにちがいない。私はこのコルネをそんなにじょうずにふく若い紳士とおしゃべりをしよう」  アルキシーは私の旅の話を聞きたがった。私は彼の仕事の様子を知りたがった。私たちはおたがいにたずね合うのがいそがしくって、てんでに相手の返事が待ちきれなかった。  うちに着くと、ガスパール小父さんは私たちを晩飯に招待してくれることになった。この’招待ほど私を愉快にしたものは’なかった。なぜなら私たちはさっきのおばさんの待遇ぶりで、がっかりしきっていたから、たぶん門口で別れることになるだろうと、道みちも思っていたからであった。 「さあ、ルミさんとお友だちのおいでだよ。」おじさんはうちへ入りかけながらどなった。  しばらくして私たちは夕食の食卓に座った。食事は長くはかからなかった。なぜなら金棒引きであるこのおばさんは、その晩ごくお軽少のごちそうしかしなかった。ひどい労働をする坑夫は、でもこごと一つ言わずに、このお軽少な夕食を食べていた。彼はなによりも平和を好む、事なかれ主義の男であった。彼はけっしてこごとを言わなかった。言うことがあれば、おとなしい、静かな調子で言った。だから夕食はじきにすんでしまった。  ガスパールおばさんは私に、今晩はアルキシーと一緒にいてもいいと言った。そしてマチアには一緒に行ってくれるなら、/パン焼き場に寝床をこしらえてあげると言った。  その晩それから続いてその夜中の大部分、アルキシーと私は話し明かした。アルキシーが私に話したいちいちが奇妙に私を興奮させた。私はもとからいつか一度’鉱山の中に入ってみたいと思っていた。  でもあくる日、私の希望をガスパール小父さんに話すと、/彼はたぶん連れて行くことはできまい、なんでも炭坑で働いている者のほかは、他所の人を-いれないことになっているからと言った。 「だがおまえ、坑夫になりたいと思えばわけのないことだ」と彼は言った。「ほかの仕事に比べて悪いことは’ないよ。大道で歌を歌うよりよっぽどいいぜ。アルキシーと一緒にいることもできるしな。なんならマチアさんにも仕事をこしらえてやる。だがコルネをふくほうではだめだよ」  私は、ヴァルセに長くいるつもりはなかった。自分の志すことはほかにあった。それでつい私の好奇心を満たすことなしに、この町を去ろうとしていたとき、ひょんな’事情から、私は坑夫のさらされているあらゆる危険を知るようになった。 ▓。▓。▓。 【第24章】 【運搬夫】 ▓。▓。▓。  ちょうど私たちがヴァルセをたとうとしたその日、大きな石炭のかけらが、アルキシーの手に落ちて、危なくその指をくだきかけた。幾日かのあいだ彼はその手に絶対の安静をあたえなければならなかった。ガスパール小父さんはがっかりしていた。なぜならもう彼の車をおしてくれる者はなかったし、/彼もしたがってうちにぶらぶらしていなければならなくなったからである。でもそれは彼にはひどく具合の悪いことであった。 「じゃあ僕で代わりは務まりませんか」と彼が代わりの子どもをどこにも求めかねて、ぼんやりうちに帰って来たとき、私は言った。 「どうも車はおまえには重たすぎようと思うがね」と彼は言った。「でもやってみてくれようと言うなら、私は大助かりさ。なにしろほんのゴ六にち使う子どもを探すというのはやっかいだよ」  この話をわきで聞いていたマチアが言った。 「じゃあ、君が鉱山に行っているうち、僕はカピを連れて出かけて行って、雌牛のお金の足りないぶんを儲けて来よう」  明るい野天の下でミ月’暮らしたあいだに、マチアはすっかり人が変わっていた。彼はもうお寺の柵にもたれかかっていたあわれな青ざめた子どもではなかった。まして私が初めて屋根裏の部屋で会ったとき、スープなべの見張りをして、絶えず気の毒な痛む頭を両手でおさえていた化け物のような子ではなかった。マチアはもうけっして頭痛がしなかった。けっしてみじめではなかったし、やせこけても、悲しそうでもなかった。美しい太陽と、さわやかな空気が彼に健康と元気をあたえた。旅をしながら彼はいつもジョウ機嫌に笑っていたし、なにを見てもそのいいところを見つけて、楽しがっていた。彼なしには私はどんなにさびしくなることであろう。  私たちはずいぶん性質がちがっていた。多分それでかえってショウが合うのかもしれなかった。彼は優しい、明るい気質を持っていた。すこしもものにめげない、いつも機嫌よく困難に打ちかってゆく気風があった。私には学校の先生のような辛抱ギがなかったから、/彼は物を読むことや音楽のけいこをするときにはよく喧嘩をしそうにした。私はずいぶん彼に対して無理を言ったが、一度も彼はおこった顔を見せなかった。  こういうわけで、私が鉱山に下りて行くあいだ、マチアとカピが町はずれへ出かけて、音楽と芝居の興行をして、それで私たちの財産を増やすという、約束ができあがった。私はカピに向かってこの計画を言い聞かせると、/彼はよくわかったとみえて、さっそく賛成の意を吠えてみせた。  あくる日、ガスパール小父さんのあとにくっついて、私は深い真っ暗な鉱山に下りて行った。彼は私にじゅうぶん気をつけるように言い聞かせたが、その警告の必要はなかった。もっとも昼の光を離れて地の底へ入って行くということには、ずいぶんの恐怖と心配がないではなかった。ぐんぐん坑道を下りて行ったとき、私は思わずふりあおいだ。すると、長い黒い煙突の先に見える昼の光が、白い玉のように、真っ暗な星のない空にぽっつりかがやいている月のように見えた。やがて大きな黒い闇が目の前に大きな口を開いた。下の坑道にはほかの坑夫がはしご段を下りながら、ランプをぶらぶら提げて行くのが見えた。私たちはガスパール小父さんが働いている二層目の小屋に着いた。車をおす役に使われているのは、ただ一人「先生」と呼ばれている人のほかは、残らず男の子であった。この人はもうかなりのおじいさんで、若い時分には鉱山で大工の仕事をしていたが、あるときあやまって指をくだいてからは、手についた職を捨てなければならなかったのであった。  さてコウに入ってまもなく、私は坑夫というものが、どういう人間で、どんな生活をしているものだかよく知ることになった。 ▓。▓。▓。 【第25章】 【洪水】 ▓。▓。▓。  それはこういうことからであった。  運搬フになって、シゴニチしてのち、私は車をレールの上でおしていると、おそろしいうなり声を聞いた。その声はほうぼうから起こった。  私の初めの感じはただおそろしいというだけであって、ただ助かりたいと思う心よりほかになにもなかったが、いつもものに怖がるといっては笑われていたのを思い出して、ついきまりが悪くなって立ち止まった。爆発だろうか、なんだろうか、ちっともわからなかった。  ふと何百というねずみが、一連隊の兵士の走るように、すぐそばを駆け出して来た。すると地面と坑道の壁にずしんと当たる奇妙な音が聞こえて、水の走る音がした。私はガスパール小父さんのほうへかけてもどった。 「水が鉱坑に入って来たのです」と私は叫んだ。 「馬鹿なことを言うな」 「まあ、お聞きなさい。あの音を」  そう言った私の様子には、ガスパール小父さんにいやでも仕事をやめて耳を立てさせるものがあった。物音はいよいよ高く、いよいよものすごくなってきた。 「一生懸命’駆けろ。鉱坑に水が出た」と彼が叫んだ。 「先生、先生」と私は叫んだ。  私たちは坑道を駆け下りた。老人も一緒について来た。水がどんどん上がって来た。 「おまえさん先へおいでよ」とはしご段まで来ると老人は言った。  私たちはゆずり合っている場合ではなかった。ガスパール小父さんは先に立った。そのあとへ私も続いて、それから「先生」が上がった。はしご段のてっぺんに行き着くまえに大きな水がどっと上がって来てランプを消した。 「しっかり」とガスパール小父さんが叫んだ。私たちははしごの横木にかじりついた。でもだれか下にいる人がほうり出された-らしかった、たきの勢いがどっどっとなだれのようにおして来た。  私たちは第’一層にいた。水はもうここまで来ていた。ランプが消えていたので、明かりはなかった。 「いよいよだめかな」と「先生」は静かに言った。「おいのりを唱えよう、小僧さん」  この瞬間、シチ八人のランプを持った坑夫が私たちの方角へかけて来て、はしご段に上がろうと骨を折っていた。  水はいまに規則正しい波になって、コウの中を走っていた。気違いのような勢いでうずをわかせながら、材木をおし流して、羽のように軽くくるくる回した。 「通気竪坑に入らなければだめだ。逃げるならあすこだけだ。ランプを貸してくれ」と「先生」が言った。  いつもならだれもこの老人がなにか言っても、揶揄うタネにはしても、真面目に気を-とめる者はなかったであろうが、いちばん強い人間もそのときは精神を失っていた。それでしじゅう馬鹿にしてきた老人の声に、今はついて行こうとする気持ちになっていた。ランプが彼に渡された。彼はそれを持って先に立ちながら、一緒に私を引っ張って行った。彼はだれよりもよく鉱坑のすみずみを知っていた。水はもう私の腰までついていた。「先生」は私たちをいちばん近い竪坑に連れて行った。二人の坑夫はしかしそれは地獄へ落ちるようなものだと言って、入るのをこばんだ。彼らは廊下をずんずん歩いて行った。私たちはそれからもう二度と彼らを見なかった。  そのとき耳の遠くなるようなひどい物音が聞こえた。大津波のうなる音、木のめりめりさける音、圧搾された空気の爆発する音、すさまじいうなり声が私たちをおびえさせた。 「大洪水だ」と一人が叫んだ。 「世界の終わりだ」 「おお、神様お助けください」  人びとが絶望の叫び声を立てるのを聞きながら、「先生」は平気な、しかしみんなを傾聴させずにおかないような声で言った。 「しっかりしろ。みんな、ここにしばらくいるうちに、仕事をしなければならない。こんなふうにみんなごたごた固まっていても、仕方がない。ともかく体を落ち着ける穴をほらなければならない」  彼の言葉はみんなを落ち着かせた。てんでに手やランプの鍵で土をほり始めた。この仕事は困難であった。なにしろ私たちが隠れた竪坑はひどい傾斜になっていて、むやみとすべった。しかも足をふみはずせば下は一面の水で、もうおしまいであった。  でもどうやらやっと足だまりができた。私たちは足を止めて、おたがいの顔を見ることができた。みんなで七人、「先生」とガスパール小父さんに、三人の坑夫のパージュ、/コンプルー、/ベルグヌー、それからカロリーという車おしの小僧、それに私であった。  鉱山の物音は同じはげしさで続いた。このおそろしいうなり声を説明する言葉はなかった。いよいよわれわれの最後のときが来たように思われた。恐怖に気がくるったようになって、私たちはおたがいに探るように相手の顔を見た。 「鉱山の悪霊が復讐をしたのだ」と一人が叫んだ。 「ウエの川に穴があいて、水が入って来たのでしょう」と私はこわごわ言ってみた。 「先生」はなにも言わなかった。彼はただ肩をそびやかした。それはあたかもそういうことはいずれ昼間/桑の木の蔭で、ねぎでも食べながら論じてみようというようであった。 「鉱山の悪霊なんというのは馬鹿な話だ」と彼は最後に言った。「鉱山に洪水が来ている。それは確かだ。だがその’洪水がどうして起こったかここにいてはわからない‥‥」 「ふん、わからなければだまっていろ」とみんなが叫んだ。  私たちはかわいた土の上にいて、水がもう寄せて来ないので、すっかり気が強くなり、誰も老人に耳をかたむけようとする者がなかった。さっき危険の場合に示した冷静沈着のおかげで、急に彼に加わった権威はもう失われていた。 「われわれはおぼれて死ぬことはないだろう」と彼はやがて静かに言った。「ランプのヒを見なさい。ずいぶん心細くなっているではないか」 「魔法使いみたいなことを言うな。なんのわけだ、言ってみろ」 「俺は魔法使いをやろうというのではない。だがおぼれて死ぬことはないだろう。おれたちは気室の中にいるのだ。その圧搾空気で水が上がって来ないのだ。出口のないこの竪坑はちょうど潜水鐘(潜水器)が潜水夫の役に立つと同じ’理屈になっているのだ。空気が竪坑にたくわえられていて、それが水のさして来る力をせき止めているのだ。そこでおそろしいのは空気のくさることだ‥:‥水はもう一尺(約30センチ)も上がっては来ない。鉱山の中は水でいっぱいになっているにちがいない」 「マリウスはどうしたろう」 「鉱坑は水でいっぱいになっている」と言った:「先生」の言葉で、/パージュは三層目で働いていた一人息子のことを思い出した 「おお、マリウス、/マリウス」と彼はまた叫んだ。  なんの返事もなかった。こだまも聞こえなかった。彼の声はわれわれのいるコウの外には通らなかった。マリウスは助かったろうか。百五十人がみんな溺れたろうか。あまりといえばおそろしいことだ。百五十人は少なくともコウの中にはいっていた。そのうち幾人’竪坑に上がったろうか。私たちのように逃げ場を見つけたろうか。  うすぼんやりしたランプの光が心細く私たちの狭い檻を照らしていた。 ▓。▓。▓。 【第26章】 【生きた墓あな】 ▓。▓。▓。  今や鉱坑の中には絶対の沈黙が支配していた。私たちの足もとにある水はごく静かに、さざ波も立てなかった。さらさらいう音もしなかった。鉱坑は水があふれていた。この破りがたい/沈んだ重い沈黙が、初め水があふれ出したとき聞いたおそろしい叫び声よりも、もっと心持ちが悪かった。  私たちは生きながらうずめられて、地の下百尺(約30メートルだが、ここでは深いという意味)の墓の中にいるのであった。私たちはみんなこの場合の恐怖を感じていた。「先生」すらもぐんなりしていた。  とつぜん私たちは手に温かいしずくの落ちるのを感じた。それはカロリーであった‥:‥彼はだまって泣いていた。ふとそのとき引きさかれるような叫び声が聞こえた。 「マリウス。ああ、せがれのマリウス」  空気は息苦しく重か-った。私は息がつまるように感じた。耳のハタにぶつぶついう音がした、私はおそろしかった。水も、闇も、死も、おそろしかった。沈黙が私を圧迫した。  私たちの避難所のでこぼこした、ぎざぎざな壁が、いまにも落ちて、その下におしつぶされるような気がしてこわかった。私はもう二度とリーズに会うことができないであろう。アーサにも、ミリガン夫人にも、それから好きなマチアにも。  みんなはあの小さいリーズに私の死んだことを了解させることができるであろうか。彼女の兄たちやアネさんからの便りをつい持って行ってやることができなかったことを了解させることができようか。それから気の毒なバルブレンのおっかあは‥‥。 「どうもおれの考えでは、誰もおれたちを救う工夫はしていないらしい」とガスパール小父さんはとうとう沈黙を破って言った。「ちっとも音が聞こえない」 「おまえさん、仲間のことをどうしてそんなふうに考えられるかね」と「先生」は熱くなって叫んだ。「いつの鉱山の椿事でも、仲間がおたがいに助け合わないことはなかった。一人の坑夫のことだって、あの二十人百人の仲間がけっして見殺しにはしないじゃないか。おまえさん、それはよく知っているくせに」 「それはそうだよ」とガスパール小父さんがつぶやいた。 「思い違いをしてはいけないよ。みんなもこちらへ近寄ろうとして一生懸命やっているのだ。それには二つ仕方がある‥:‥一つはこのおれたちのいる下まで、トンネルをほるのだ。もう一つは水を干すのだ」  人びとはその仕事を仕上げるにどのくらいかかるかというとりとめのない議論を始めた。結局’少なくともこの墓の中にこのあと八日は入っていなければならないことに意見が一致した。八日。私も坑夫が二十四日も穴の中に閉じこめられた話は聞いたが、でもそれは「話」であるが、このほうは真実であった。いよいよそれが、どういうことであるか、すっかりわかると、もう回りの人の話なんぞは耳に入らなかった。私はぼんやりした。  また沈黙が続いた。みんなは考えに沈んでいた。そんなふうにして、どのくらいいたか知らないが、ふと叫び声が聞こえた。 「ポンプが動いている」  これは一緒の声で言われた。いま私たちの耳に当たった音は、電流でさわられでもしたように感じた。私たちはみんな立ち上がった。ああ、われわれは救われよう。  カロリーは私の手を取って固くにぎりしめた。 「君はいい人だ」と彼は言った。 「いいや、君こそ」と私は答えた。  でも彼は私がいい人であることを夢中になって主張した。彼の様子は酒に酔っている人のようであった。またまったくそうであった。彼は希望に酔っていたのだ。  けれど私たちは空に美しい太陽をあおぎ、地に楽しく歌う小鳥の声を聞くまでに、長いつらい苦しみの日を送らなければならなかった。いったいもう一度’日の目を見ることができるだろうか。そう思って苦しい不安の日をこの先送らなければならなかった。私たちはみんな非常にのどが乾いていた。パージュが水を取りに行こうとした。けれど「先生」はそのままにじっとしていろと言った。彼は私たちのせっかく積み上げた石炭の土手が彼の体の重みでくずれて、水の中に落ちるといけないと気づかったのであった。 「ルミのほうが身が軽い。あの子に長ぐつを貸しておやり。あの子なら、行って水を取って来られるだろう」と彼は言った。  カロリーの長ぐつが渡された。私は’そっと土手を下りることになった。 「ちょいとお待ち」と「先生」が言った。「手を貸してあげよう」 「おお、でも大丈夫ですよ。先生」と私は答えた。「僕は水に落ちても泳げますから」 「私の言うとおりにおし」と彼は言い張った。「さあ、手をお持ち」  彼はしかし私を助けようとしたはずみに足をふみはずしたか、足の下の石炭がくずれたか、つるり、傾斜の上をすべって、まっ逆さまに暗い水の中に落ちこんだ。彼が私に見せるつもりで持っていたランプは、続いて転がって見えなくなった。  たちまち私は暗黒の中に投げこまれた。そこにはたった一つの灯しかなかったのであった。みんなの中から同じ叫び声が起こった。幸いに私はもう水にとどく位置に下りていた。背中で土手をすべりながら、私は老人を探しに水の中に入った。  ヴィタリス親方と流浪していたあいだに、私は泳ぐことも、水にはいることも覚えた。私はオカの上と同様、水の中でも楽に働けた。だがこの真っ暗な穴の中で、どうして見当をつけよう。私は水に入ったとき、それを少しも考えなかった。私はただ老人がおぼれたろうと、そればかり考えた。どこを私は見ればいいか、どちらのそばへ泳いで行けばいいか、私は困っていると、ふとしっかり肩をつかまえられたように感じた。私は水の中に引きこまれた、足を強くけって、私は水のオモテへ出た。手はまだ肩をつかんでいた。 「しっかりおしなさい、先生」と私は叫んだ。「首を上に上げていれば助かりますよ」  助かると。どうして二人とも助かるどころではなかった。私はどちらへ泳いでいいかわからなかった。 「ねえ、誰か、声をかけてください」と私は叫んだ。 「ルミ、どこだ」  こう言ったのはガスパール小父さんの声であった。 「ランプをつけてください」  ランプが暗闇の中から探り出されて、すぐに明かりがついた、私はただ手をのばせば土手にさわることができた。片手で石炭のかけらをつかんで、私は老人を引き上げた。もう、/少しで危ないところであった。  彼はもうたくさんの水を飲んでいて、半分’人事不省であった。私は彼の頭をうまく水の上に上げてやったので、どうにか彼は上がって来た。仲間は彼の手を取って引き上げる。私は後からおし上げた。私はそのあとで今度は自分がはい上がった。  この不愉快な出来事で、しばらく私たちの気を転じさせたが、それがすむとまた圧迫と絶望におそわれた。それとともに死が近づいたという考えがのしかかってきた。  私は非常に眠くなった。この場所は寝るのに都合のいい場所ではなかった。じきに水の中に転がり落ちそうであった。すると「先生」は私の危なっかしいのを見て、/彼の胸に私の頭をつけて、私の体を腕でおさえてくれた。彼はたいしてしっかりおさえてはいなかったが、私が落ちないだけにはじゅうぶんであった。私はそこで母のひざに眠る子どものように眠った。  私が半分’目が覚めて身動きすると、/彼はただ’きつくなった自分の腕の位置を変えた。そして自分は動かずに座っていた。 「お休み、ぼうや」と彼は私の上にのぞきこんでささやいた。「こわいことはない。私がおさえていてあげるからな」  それで私は恐怖なしに眠った。彼がけっして手をはなさないことを私はよく知っていた。 ▓。▓。▓。 【第27章】 【救助】 ▓。▓。▓。  私たちは時間の観念がなくなった。そこに二日いたか、六日いたか、わからなかった。意見がまちまちであった。もう誰も救われることを考えてはいなかった。死ぬことばかりが心の中にあった。 「先生、おまえの言いたいことを言えよ」とベルグヌーが叫んだ。「おまえ水をかい出すにどのくらいかかるか、勘定していたじゃないか。だがとても間に合いそうもないぜ。おれたちは空腹か窒息で死ぬだろう」 「辛抱しろよ」と「先生」が答えた。「おれたちは食べ物なしにどれくらい生きられるか知っている。それでちゃんと勘定がしてあるのだ。大丈夫、間に合うよ」  この瞬間、大きなコンプルーが声を立ててすすり泣きを始めた。 「神様のバチだ」と彼は叫んだ。「俺は後悔する。俺は後悔する。もしここから出られたら、俺は今までした悪事のつぐないをすることをちかう。もし出られなかったら、おまえたち、俺のために神様におわびをしてくれ。おまえたちはあのヴィダルのおっかあの時計を盗んで、五年の宣告を受けたリケを知っているか‥:‥だが俺がその泥棒だった。本当は俺がとったのだ。それは俺のネダイの下にはいっている‥:‥おお‥‥」 「あいつを水の中に抛りこめ」とパージュとベルグヌーが叫んだ。 「じゃあ、おまえは良心に罪をしょわせたまま神様の前に出るつもりか」と先生が叫んだ。「あの男に懺悔させろ」 「俺は懺悔する、俺は懺悔する」とタイリキのコンプルーが、子どもよりもっといくじなく泣いた。 「水の中に抛りこめ。水の中に抛りこめ」とパージュとベルグヌーが、「先生」の後ろに丸くなっていたザイニ-ンに跳びかかって行きそうにした。 「おまえたち、この男を水の中に抛りこみたいなら、おれも一緒に抛りこめ」 「ううん、ううん。」やっと彼らは水の中にザイニ-ンをほうりこむだけはしないことにしたが、それには一つの条件がついた。ザイニ-ンはすみっこにおしやられて、誰も口をきいてもいけないし、かまってもやるまいというのだった。 「そうだ、それが相当だ」と「先生」が言った。「それが公平な裁きだ」 「先生」の言葉はコンプルーに下された判決のように思われたので、それがすむと私たちはみんな一緒に、できるだけ遠く離れて、この悪い事をした人間との間に空き地をこしらえた。数時間のあいだ、/彼は悲しみに打たれて、絶えずくちびるを動かしながら、こうつぶやいているように思われた。 「俺はくい改める。俺はくい改める」  やがてパージュとベルグヌーが叫びだした。 「もうおそいや、もうおそいや。貴様はいまこわくなったのでくい改めるのだ。貴様は一年まえにくい改めなければならなかったのだ」  彼は苦しそうに、ため息をついていた。けれどまだくり返していた。 「俺はくい改める。俺はくい改める」  彼はひどい熱にかかっていた。彼の全身はふるえて、歯はがたがた鳴っていた。 「俺はのどがかわいた」と彼は言った。「その長ぐつを貸してくれ」  もう長ぐつに水はなかった。私は立ち上がって取りに行こうとした。けれどそれを見つけたパージュが私を呼び止めた。同時にガスパール小父さんが私の手をおさえた。 「もうあいつにはかまわないと約束したのだ」と彼は言った。  しばらくのあいだ、コンプルーは喉がかわくと言い続けた。私たちがなにも飲み物をくれないとみて、/彼は自分で立ち上がって、水のほうへ行きかけた。 「あいつ石炭がらをくずしてしまうぞ」 「まあ、自由だけは許してやれ」と「先生」が言った。  彼は私がさっき背中で下へすべって行ったのを見ていた。それで自分もそのとおりをやろうとしたが、私の身が軽いのとちがって、/彼はなみはずれて重かった。それで後ろ向きになるやいなや、石炭の土手が足の下でくずれて、両足をのばし、両手はクウをつかんだまま、/彼は真っ暗な穴の中に落ちこんだ。  水は私たちのいる所まではね上がった。私は-おりて行くつもりでのぞきこんだが、ガスパール小父さんと「先生」が私の手を両方からおさえた。  半分’死んだように、恐怖にふるえながら、私は席にもどった。  時間が過ぎていった。元気よくものを言うのは「先生」だけであった。けれどそれも私たちの沈んでいるのがとうとう彼の精神をも沈ませた。私たちの空腹は非常なものであったから、しまいにはぐるりにある腐った木まで食べた。まるでけもののようであった。カロリーが中でもいちばん腹をすかした。彼は片っぽの長ぐつを切って、しじゅうなめし皮のきれをかんでいた。空腹がどんなどん底の闇にまで私たちを導くかということを見て、正直の話、私ははげしい恐怖を感じだした。ヴィタリス老人は、よく難船した人の話をした。ある話では、なにも食べ物のないはなれ島に漂着した船乗りが、船のボーイを食べてしまったこともある。私は仲間がこんなにひどい空腹に責められているのを見て、そういう運命が私の上にも向いて来やしないかとおそれた。「先生」と、ガスパール小父さんだけは私を食べようとは思えなかったが、/パージュとカロリーと、ベルグヌーは、とりわけベルグヌーは長ぐつの皮を食い切るあの大きな白い歯で、ずいぶんそんなことをしかねないと思った。  一度こんなこともあった。私が半分うとうとしていると、「先生」が夢を見ているように、ほとんどささやくような声で言っていることを聞いてびっくりした。彼は雲や風や太陽の話をしていた。するとパージュとベルグヌーが、とんきょうな様子で彼とおしゃべりを始めた。まるで相手の返事をするのをおたがいに待たないのであった。ガスパール小父さんは彼らの変な様子には気がつかないようであった。この人たちは気がちがったのではないかしら。それだとどうしよう。  ふと、私は明かりをつけようと思った。油を倹約するため、私たちはぜひ入り用なときだけ明かりをつけることにしていたのである。  明かりを見ると、はたして彼らはやっと意識をとりもどしたらしかった。私は彼らのために水を取りに行った。もういつかしら水はずんずん引いていた。  しばらくして彼らはまた妙なふうに話をしだした。わたし自身も心持ちがなんだかぼんやりとりとめなく乱れていた。いく時間も、あるいはいく日も、私たちはおたがいにとんきょうなふうでおしゃべりをし続けていた。そののちしばらくすると私たちは落ち着いた。で、ベルグヌーは、いよいよ死ぬなら、そのまえにわれわれは書置きを残して行こうと言った。  私たちはまたランプをつけた。ベルグヌーがみんなのために代筆した。そしててんでんがその紙に署名をした。私は犬とハープをマチアにやることにした。アルキシーにはリーズの所へ行って、私の代わりに彼女にキッスをしてチョッキの隠しにはいっている干からびた薔薇の花を送ってもらいたいという希望を書いた。ああ、なつかしいリーズ‥‥。  しばらくして私はまた土手をすべり下りた。すると水が著しく減っているのを見た。私は急いで仲間の所へかけ戻って、もうはしご段の所まで泳いで行けること、それから救助に来た人たちにどの方角に逃げていいか聞くことができると告げた。「先生」は私の行くことを止めた。けれど私は言い張った。 「行っといで、ルミ。おれの時計をやるぞ」とガスパール小父さんが叫んだ。  「先生」はしばらく考えて、私の手を取った。 「まあおまえの考えどおりやってごらん」と彼は言った。「おまえは勇気がある。私はおまえができそうもないことをやりかけているとは思うが、そのできそうもないことが案外’成功することは、これまでもないことではなかったのだから。ささ、おれたちにキッスをおし」  私は「先生」とガスパール小父さんにキッスをした。それから着物をぬぎ捨てて、水の中に跳びこんだ。  跳びこむまえに私は言った。 「みんなでしじゅう声を立てていてください。その声で見当をつけるから」  坑道の屋根の下の空き地が、自由に体の働けるだけ広かろうかと私はあやぶんでいた。これは疑問であった。少し泳いでみて、そっと行けば行かれることがわかった。ほうぼうの坑道の出会う場所のそう遠くないことを、私は知っていた。けれど私は用心しなければならなかった。いちど道をまちがえると、それなり迷ってしまう危険があった。坑道の屋根や壁は道しるべにはならなかった。地べたにはレールというもっと確かな道しるべがあった。これについて行けば、たしかにはしご段を見つけることができた。しじゅう私は足を’下へやって、鉄のレールにさわりながら、またそっと上へ浮き上がった。後ろには仲間の声が聞こえるし、足の下にはレールがあるので、私は道を迷わなかった。後ろの声がだんだん遠くなると、上のポンプの音が高くなった。私はぐんぐん進んで行った。ありがたい、もうまもなく日の光が見えるのだ。  坑道の真ん中をまっすぐに行きながら、私はレールにさわるために、右のほうへ曲がらなければならなかった。すこし行ってから、また水をくぐって、レールにさわりに行った。そこにはレールがなかった。坑道の右左と行ったが、やはりレールはなかった‥‥。  私は道をまちがえたのだ。  仲間の声はかすかなつぶやきのように聞こえていた。私は深い息を吸いこんで、また跳び込んだが、やはり成功しなかった。レールはなかった。  私はちがった層に入ったのだ。知らないうち私は後もどりしたにちがいない。でもみんな呼ばなくなったのはどうしたのだろう。呼んでいるのかもしれないが、私には聞こえなかった。この冷たい、真っ暗な水の中で、どちらへどう向いていいか、私は迷った。  するととつぜんまた声が聞こえた。私はやっとどちらの道を曲がっていいかわかった。あとへ十二ほど抜き手を切って、私は右のほうへ曲がった。それから左へ曲がったが、壁だけしか見つからなかった。レールは何処だろう。私が正しい層へ出ていることは確かであった。  そのときふと私は、レールが津波のために持って行かれたことを確かめた。私はもう道しるべがなくなった。そういうわけでは、私のくわだてをとげるわけにはゆかない。  私はいやでも引っ返さなければならなかった。  私は急いで声をあてに避難所のほうへ泳ぎ帰った。だんだん近づくと、仲間の声がセンよりもずっとしっかりして、力が入っているように思われた。私はすぐ竪坑の入口に着いた。私はすぐ声をかけた。 「帰っておいで、帰っておいで」と「先生」が叫んだ。 「道がわからなかった」と私は叫んだ。 「かまわないよ。もうトンネルができかけている。みんなこちらの声を聞いた。こちらでも向こうの声が聞こえる。じきに話ができるだろう」  私はすぐとオカに上がって耳を立てた。つるはしの音と、救助のために働いている人たちの呼び声がかすかに、しかし非常にはっきりと聞こえて来た。この愉快な興奮が過ぎると、私は凍えていることを感じた。私に着せる暖かい着物が別にないので、みんなは私を石炭がらの中へ首までうずめた。そしてガスパール小父さんと「先生」が私を暖めるために、その上によけい高く積んだ。  もうまもなく救助の人たちがトンネルをぬけて、水について来ることを私たちは知った。けれどもこうなってから幽閉の最後の時間がこのうえなく苦しかった。つるはしの音はやまなかったし、ポンプはしじゅう動いていた。不思議にだんだん救い出される時間が近づくほど、私たちはいくじがなくなった。私はふるえながら、石炭がらの中に横になっていたが、寒くはなかった。私たちは口をきくことができなかった。  とつぜん坑道の水の中に音がした。頭をふり向けて、私は大きな光がこちらにさすのを見た。技師は大ぜいの人の先に立っていた。彼はいちばん先に上がって来た。彼はひと言も言わないうちに私をだいた。  もう私の正気は失われかけていた。ちょうどきわどいところであった。けれどまだ運ばれて行くという意識だけはあった。私は救助員たちが水をくぐって出て行ったあとで、毛布に包まれた。私は目を閉じた。  また目を開くと昼の光であった。私たちは大空の下に出たのだ。同時に誰か跳びついて来た。それはカピであった。私が技師の腕にだかれていると、ただひととびで彼は跳びかかって来た。彼は私の顔を二度も三度も舐めた。そのとき私の手を取る者があった。私はキッスを感じた。それからかすかな声でつぶやくのを聞いた。 「ルミ。おお、ルミ」  それはマチアであった。私は彼ににっこりしかけた。それからそこらを見回した。  おおぜいの人がまっすぐに、二列になって並んでいた。それはだまり返った群集であった。叫び声を立てて、私たちを興奮させてはならないと言いつけられたので、/彼らはだまっていたが、この顔つきはくちびるの代わりにものを言っていた。いちばん前の列に、なんだか白い衣と錦襴のかざりがヒにかがやいているのを私は見た。これは坊さん’たちで、鉱山の口へ来て、私たちの救助のためにおいのりをしてくれたのであった。私たちが運び出されると、/彼らは砂の中にひざまでうずめて座っていた。  二十本の腕が私を受け取ろうとしてさし延べられた。けれど技師は私を放さなかった。彼は私を事務所へ連れて行った。そこには私たちを迎えるネダイができていた。  二日ののち、私はマチアと、アルキシーと、カピを連れて、村の往来を歩いていた。そばへ来て、目に涙をうかべながら、私の手をにぎる者もあった。顔をそむけて行く者もあった。そういう人たちは喪服をつけていた。彼らはこの親もない家もない子が救われたのに、なぜ彼らの父親や息子が、まだ鉱山の中でいたましい死がいになって、暗い水の中をただよっているのであろうか、それを悲しく思っていたのであろう。 ▓。▓。▓。 【第28章】 【音楽の先生】 ▓。▓。▓。  コウの中にいるあいだに、私はお友だちができた。あのおそろしい経験をおたがいにし合った仲間が一つに結ばれた。ガスパール小父さんと「先生」は、とりわけたいそう私が好きになった。  技師も災難をともにはしなかったが、自分が骨を折って危ういところを救い出した子どもということで、私に親しんだ。彼は私をそのうちへ招待した。私は彼の娘にコウの中で起こったことを残らず話してやらなければならなかった。  誰も私をヴァルセへ引き止めたがった。技師は、私が望むなら、事務所で仕事を見つけてやると言った。ガスパール小父さんも鉱山でしじゅうの仕事をこしらえようと言った。彼は私がコウへ帰ることがごく自然なように思っているらしかった。彼自身はもうまもなく、毎日’危険をおかすことに慣れた人の見せるようなむとんちゃくさで、またコウへ入って行った。でも私はもうそこへ帰って行く気はしなかった。鉱山は非常におもしろかった。それを見たということは大変’愉快であったけれど、そこへ帰って行こうとは夢にも思わなかった。  それよりも私はいつも頭の上に大空を、それは雪をいっぱい持った大空でも、いただいていたかった。野外の生活が私にはずっとショウに合っていた。そう言って私は彼らに話した。誰も驚いていた。とりわけ「先生」が驚いていた。カロリーはとちゅうで出会うと、私を「やあ、ひよっこ」と呼んだ。  みんなが私をヴァルセに止めたがって、いろいろ勧めているあいだ、マチアはひどくぼんやりして考えこむようになった。そのわけをたずねると、/彼はいつも、なになんでもないと打ち消していた。  いよいよ三日のうちにここを立つことを私が彼に話したとき、/彼は初めてこのごろ塞いでいたわけを語った。 「ああ、僕は君がここにこのまま残って、僕を捨てるだろうと思ったから」と彼は言った。  私は彼をちょいと打った。それは私を疑わないように、訓戒してやるためであった。  マチアはいまではもう自分で自分の身を立てることができるようになっていた。私が鉱山にはいっていたあいだ、/彼は十八フラン儲けた。彼はこのたいそうな-かねを私にわたすとき、ひどく得意であった。なぜなら私たちが前から持っている百二十八フランに加えれば、残らずで百四十六フランになるからであった。例の「王子さまの雌牛」はもう4フランあれば買えるのであった。  前へ進め、子どもたち。  荷物を背中へ結びつけて私たちは出発した。カピが喜んで、吠えて、砂の中を転げていた。  マチアは、雌牛を買うまでにもう少しお金をこしらえようと言った。かねが多いだけいい雌牛が買えるし、雌牛がよければ、よけいバルブレンのおっかあがうれしがるであろう。  パリからヴァルセに来るとちゅう、私はマチアに読書と、初歩の楽典を授け始めた。この課業を今度も続けてした。私もむろんいい先生ではなかったし、マチアもあまりいい生徒であるはずがなかった。この課業は成功ではなかった。たびたび私はおこって、ばたんと本を閉じながら、/彼に、「おまえは馬鹿だ」と言った。 「それは本当だよ」と彼はにこにこしながら言った。「僕の頭はぶつとやわらかいそうだ。ガロフォリがそれを見つけたよ」  こう言われると、どうおこっていられよう。私は笑いだしてまた課業を続けた。けれどもほかのことはとにかく、音楽となると、初めから彼はびっくりするような進歩をした。おしまいにはもう私の手に負えないことを白状しなければならなくなったほど、/彼は難かしい質問を出して、私を当惑させた。でもこの白状は私をひどく悄気さした。私は非常に高慢な先生であった。だから生徒の質問に答えることができないのが情けなかった。しかも彼はけっして私を容赦しはしなかった。 「僕は本当の先生に教わろう」と彼は言った。「そうして僕、質問を残らず聞いて来よう」 「なぜ、君は僕が鉱山にいるうち、本当の先生から教えてもらわなかった」 「でも僕はその先生に、君の-かねからお礼を出さなければならなかったから」  私はマチアが、そんなふうに「本当の先生」などと言うのが癪にさわっていた。けれど私の馬鹿な虚栄心は彼のいまの言葉を聞くと、すうと煙のように消えて行かなければならなかった。 「君は人がいいなあ」と私は言った。「僕の-かねは君の-かねだ。やはり君が儲けてくれたのだ。君のほうがたいてい僕よりもよけい儲けている。君は好きなだけけいこを受けるがいい。僕も一緒に習うから」  さてその先生は、われわれの要求する「本当の先生」は、田舎にはいなかった。それは大きな町にだけいるような立派な芸術家であった。地図を開けてみて、このつぎの大きな町は、マンデであることがわかった。  私たちがマンデに着いたのは、もう夜であった。疲れきっていたので、その晩はけいこには行かれないと決めた。私たちは宿屋のおかみさんに、この町にいい音楽の先生は’いないかと聞いた。彼女は私たちがこんな質問を出したので、ずいぶんびっくりしたと言った。私たちはエピナッソー氏を知っているべきはずであった。 「僕たちは遠方から来たのです」と私は言った。 「ではずいぶん遠方から来たんですね、きっと」 「イタリアから」とマチアが答えた。  そう聞くと、/彼女はもうおどろかなかった。なるほどそんな遠方から来たのでは、エピナッソー先生のことを聞かなかったかもしれないと言った。 「その先生は’大変おいそがしいんですか」と私はたずねた。そういう名高い音楽家では、私たちのようなちっぽけな小僧’二人に、たった一度のけいこなど面倒くさがってしてくれまいと気づかった。 「ええ、ええ、おいそがしいですとも。おいそがしくなくってどうしましょう」 「あしたの朝、先生が会ってくださるでしょうか」 「それはお金さえ持って行けば、誰にでもお会いになりますよ‥:‥むろん」  私たちはもちろん、それはわかっていた。  その晩’寝に行くまえ、私たちはあしたこの有名な先生にたずねようと思っている質問の箇条を相談した。マチアは求めていた「本当の音楽の先生」を見つけたので、うれしがって小躍りしていた。  つぎの朝、私たちは──マチアはヴァイオリン、私はハープと、てんでんの楽器を持って、エピナッソー先生を訪ねて行くことにした。私たちはそういう有名な人を訪ねるのに犬を連れて行く法はないと思ったから、カピは置いて行くことにして、宿屋の馬小屋につないでおいた。  さて宿屋のおかみさんが、先生の住まいだと教えてくれたうちの前へ来たとき、私たちは、おやこれはまちがったと思った。なぜなら、そのうちの前には小さな真ちゅうの看板が二枚ぶら下がっていて、それがどうしたって音楽の先生の看板ではなかった。そのうちはどう見ても床屋の店のていさいであった。私たちは通りかかった一人の人に向かって、エピナッソー先生のうちを教えてくださいと頼んだ。 「それそこだよ」とその男は言って、床屋の店を指さした。  だがつまり先生が床屋と同居していないはずもなかった。私たちは中へ入った。みせははっきり二つに仕切られていた。右のほうにはハケだの、くしだの、クリームの壺だの、理髪用の椅子だのが置いてあった。左のほうの壁や棚にはヴァイオリンだの、コルネだの、トロンボンだの、いろいろの楽器がかけてあった。 「エピナッソーさんはこちらですか」とマチアがたずねた。  小鳥のように、ちょこちょこした、気の利いた小男が、一人の男の顔をそっていたが、「私がエピナッソーだよ」と答えた。  私はマチアに目配せをして、床屋さんの音楽家なんか、こちらの求めている人ではない。こんな人に相談をしても、せっかくの-かねが無駄になるだけだという意味を飲みこませようとしたが、/彼は知らん顔をして、もったいぶった様子で一つの椅子に腰をかけた。 「そのかたがそれたら、僕の髪を刈ってもらえますか」と彼はたずねた。 「ああ、よろしいとも。なんなら、顔もそってあげましょう」 「ありがとう」とマチアが答えた。私は彼のあつかましいのに、どぎもをぬかれた。彼は目のおくから私をのぞいて、「そんな困った顔をしないで見ておいで」という様子をした。  そのお客がすんでしまうと、エピナッソー氏は、タオルを腕にかけて、マチアの髪を刈る用意をした。 「ねえ、あなた」と、床屋さんが彼の首に布を巻きつけるあいだにマチアが言った。「音楽のことで友だちと僕にわからないことがあるんです。なんでもあなたは名高い音楽家だと聞いていましたから、二人の争論をあなたにうかがったら、なんとか判断していただけるかと思うのです」 「なんですね、それは」  そこで私はマチアの考えていることがわかった。まず先に、/彼は私たちの質問にこの床屋さんの音楽家が答えることができるか試そうとした。いよいよできるようだったら、/彼は散髪の代で、音楽の講義を聞くつもりであった。  マチアは髪を刈ってもらっているあいだ、いろいろ質問を発した。床屋さんの音楽家はひどくおもしろがって、/彼に向けられるいちいちの質問を、ずんずん愉快そうに答えた。  私たちが出かけようとしたとき、/彼はマチアに、ヴァイオリンで、なにかひいてごらんと言った。マチアは一曲ひいた。 「いやあ、それでも君は、音楽の調子がわからないと言うのかい」と床屋さんは手をたたきながら言った。そしてむかしから知り合って愛している子どもに対するようになつかしそうな目で、マチアを見た。 「これは不思議だ」  マチアは楽器の中からクラリネットを選んで、それをふいた。それからコルネをふいた。 「いやあ、この子は神童だ」とエピナッソー氏は躍り上がって喜んだ。「おまえさん、私の所にいれば、大音楽家にしてあげるよ。朝はお客の顔をそるけいこをする。あとは一日’音楽をやることにする。私が床屋だから、音楽がわからないと思ってはいけない。誰だって毎日の暮らしは立てなければならない」  私はマチアの顔を見た。なんと彼は答えるであろう。私は友だちをなくさなければならないか。私の仲間を、私の兄弟を失わなければならないか。 「マチア、よく君のためを考え給え’よ」と私は言ったが、声はふるえていた。 「なに、友だちを捨てる」と、/彼は自分の腕を私の腕にかけながら叫んだ。「そんなことができるものか。でも先生、やはりあなたのご親切はありがたく思っていますよ」  エピナッソー氏はそれでもまだ勧めていた。そしていまに彼をパリの音楽学校へ出す方法を立てる、そうすれば彼は確かに立派な音楽家になると言った。 「なに、友だちを捨てる、それはどうしたってできません」 「そう、それでは」と床屋さんは残念そうに答えた。「私が一冊ホンをあげよう。わからないことはそれで知ることができる。」こう言って彼は一つの引き出しから、音楽の理論を書いた本を出した。その本は古ぼけて破れていた。けれどそんなことはかまうことではない。ペンを取って腰をかけて、/彼はその第イッページにこう記した。 「彼が有名になったとき、なおマンデの床屋を記憶するであろうその子に贈る」  マンデにはほかにも音楽の先生があるかどうか、私は知らないけれど、このエピナッソー氏がたったひとり’知っている人で、しかも一生’忘れることのできない人であった。 ▓。▓。▓。 【第29章】 【王子さまの雌牛】 ▓。▓。▓。  私はマンデに着くまえにもむろんマチアを愛していたけれど、その町を去るときにはもっともっと彼を愛していた。私は床屋さんの前で彼が「なに、友だちを捨てる」と叫んだとき、どんな感じがしたか、言葉で語ることはできなかった。  私は彼の手をとって強くにぎりしめた。 「マチア、もう死ぬまで離れないよ」と私は言った。 「僕はとうからそれはわかっていた」と彼はあの大きな黒い目で、私ににこにこ笑いかけながら答えた。  なんでもユッセルで盛んな家畜イチがあるということを聞いたので、私たちはそこへ行って、雌牛を買うことに決めた。それはシャヴァノンへ行く道であった。私たちは道みち通る町ごとに村ごとに音楽をやって、ユッセルに着いた時分には、二百ヨンジュッフランも-かねが集まっていた。私たちはこれだけの-かねをためるには、それこそできるだけの倹約をしなければならなかった。でもマチアはわたし同様-めうしを買うことに熱心であった。彼は白い牛を買いたがった。私はあのルセットのお形見に、茶色の牛をと思っていた。私たちはしかし、どちらにしても、ごくおとなしくって、乳をたくさん出す牛を買うことに意見が一致した。  私たちは二人とも、なにを目標に雌牛のよしあしを見分けるか知らなかったから、獣医の世話になることにした。私たちはよく牛を買うときに詐欺に会う話を聞いていた。そういう危険をおかしたくは’なかった。獣医を頼むことはよけいな費えではあろうけれど、どうもほかに仕方がなかった。ある人は、ごく安い値段で一匹買って帰ってみると、しっぽがにせものであったことがわかったという話も聞いた。またある人はごく丈夫そうな、どこからみてもたくさん乳を出しそうな雌牛を買ったが、二十四時間にコップに二杯の乳しか採れなかったという話もある。ばくろうのやるちょいとした手品で、雌牛は’さもたくさん乳を出しそうに見せかけることができた。  マチアはにせもののしっぽだけならなにも心配することはないと言った。なぜなら売り手といよいよ相談を始めるまえに、ありったけの力で雌牛のしっぽに一つずつぶら下がってみればわかるのだからと言った。でもそれが本当のしっぽであったら、きっとおなかか頭をうんとひどくけとばされるだろうと言うと、/彼の空想はすこしよろめいた。  ユッセルに着いたのはゴロク年ぶりであった。あれはヴィタリス親方と一緒で、ここで初めて釘で止めた靴を買ってくれたのであった。ああ、そのときここから出かけた六人のうち、残っているのは、たったカピと私だけであった。  私たちは町に着いて、あのときヴィタリスや犬と泊まったことのある宿屋に荷物を預けて、すぐ獣医を探し始めた。やがてひとり’見つけたが、その人は、私たちが欲しいという雌牛の様子を話して、一緒に行って買ってくれるようにと言うと、それをひどくおもしろいことに思ったらしかった。 「でもぜんたいおまえたち子ども二人で、雌牛をなんにするのだね。お金は持っているのかい」と彼はたずねた。  私たちはそこで、どのくらい-かねを持っているか、それをどうして儲けたかということ:、それから私が子どものとき世話になったシャヴァノン村のバルブレンのおっかあに贈り物をしておどろかせるつもりだということを話した。彼はすると非常に親切らしい熱心を顔に見せて、あした七時にイチバへ行って会おうと約束した。それでお礼は’と言って聞くと、/彼はまるっきりそんな物を受け取ることを拒んだ。そして笑いながら私たちを送り出して、その時間にはきっとイチバへ行くようにと言った。  そのあくる日’夜明けから町はごたごたにぎわっていた。私たちの泊まっている部屋から、馬車や荷車が下の往来のごろごろした石の上をきしって行くのが聞こえた。雌牛はうなるし、羊は鳴く。百姓は家畜にどなりつけたり、てんでんに冗談を言い合ったりしていた。  私たちはいきなり頭から着物をひっかぶって、六時にはイチバに着いた。獣医が来るまえに、選り取っておこうと思ったからである。  なんという美しい雌牛であろう‥:‥いろんな色、いろんな形をしていた。太ったのもあれば、やせたのもあり、子牛を連れたのもあった。馬もいたし、大きな太った豚は地べたに穴をほっていた。小さなぽちゃぽちゃした赤ん坊の豚は、いまにも生きながら皮をはがれでもするようにぶうぶう鳴いていた。  でも私たちは雌牛よりほかには目には入らなかった。それはみんな落ち着いて、おとなしく草を食べていた。彼らはまぶたをばちばち動かすだけで、私たちがしつっこく検査するままに任せていた。一時間もかかって調べたのち、私たちは十七頭’気にいったのを見つけた。その一つ一つにちがった特質があった。色の赤いのもあったし、白いのもあった。もちろんそんなことがいちいちマチアと私との間に議論をひき起こした。やがて獣医がやって来た。私たちは好きな雌牛を彼に見せた。 「僕はこれがいいと思います」とマチアは白い雌牛を指さしながら言った。 「僕はあのほうがいいと思います」と私は赤い雌牛を指さして言った。  獣医はしかしその両方の前を知らん顔で通り過ぎて、私たちのやりかけた争論を中止させた。そして第三の雌牛に向かった。この牛はほっそりしたすねをして、赤い胴に茶色の耳とほおをして、目は黒くふちをとって、口の回りに白い輪が入っていた。 「これがおまえさん’たちのお望みの牛だ」と獣医が言った。  まったくこれはすばらしかった。マチアと私は、今度こそ成程これがいちばんいいと思った。獣医はその雌牛の端綱(くちにつけて引く綱)をおさえていたにぶい顔の百姓に、その雌牛の値段はいくらかとたずねた。 「三百フラン」とその男は答えた。  私たちのくちびるは下に下がった。ああ三百フラン。私は獣医に向かって、ほかの牛に移らなければという手まねをした。彼はまたかけ合ってみせるという合図をした。そのときはげしい談判が獣医と百姓の間に始まった。私たちのかけ合いにんは百ナナジュッフランまで値切った。百姓は二百ハチジュッフランまでまけた。この値段まで下げてくると、獣医は雌牛をもっと批評的に調べ始めた。この雌牛は足が弱かったし、首が短すぎたし、ツノが長すぎた。肺臓が小さくって、チチクビの形が悪かった。どうしてこれでは’たんとチチは出まい。  百姓は私たちが雌牛のことをそんなにくわしく批評するので、きっと世話もよく行き届くだろうから、二百ゴジュッフランにまけてあげようと言った。  そうなると私たちは心配になり始めた。マチアも私も、ではろくでもない牛にちがいないと思った。 「もっとほかのを見ましょう」と私は獣医の手をおさえて言った。それを聞くと、百姓はジュッフランまけた。それからだんだんにせり下げて、二ヒャクジュッフランまできて、そこで止まった。獣医は私のひじをついて、いま雌牛の悪くチを言ったのは、本気ではない。本当はすばらしい牛だという意をさとらせた。でも二ヒャクジュッフランは私たちにとってはたいした-かねであった。  そのあいだにマチアは雌牛の後ろへ行って、そのしっぽから一本’長い毛を引きぬいた。すると牛はおこって、/彼をけりつけた。これで私の考えが決まった。 「二ヒャクジュッフランで買おう。」私は事件が解決したと思って、そう言いながら牛の端綱を取ろうとした。 「おまえさん、綱を持って来たか」と百姓は言った。「儂は牛は売るが端綱は売らないぞ。」こう言って彼は、せっかくおなじみになったのだから、特別で端綱を六ジュッスーで売ってやると言った。端綱は入り用であったから、もうあとそれで私の懐にはニジュッスーしか残らないと思いながら、六ジュッスー出した。それで二百十三フランを数えて、それから手を出そうとした。 「おまえさん、縄を持っているか」と百姓は言った。「儂は端綱は売っても、縄は売らないぞ」  それで最後のニジュッスーも消えてしまった。  これで雌牛はとうとう私たちの手にわたった。けれど私たちは牛に食べ物を買ってやるにも、自分が食べるにも、1スーの-かねももう残らなかった。獣医にはていねいに世話になった礼を言って、手をにぎってさようならを言った。そして宿屋に帰ると、雌牛を厩につないだ。  今日は町にイチバがあるので、ひどくにぎわって、ほうぼうから人が集まってもいたから、マチアと私は別べつに出かけて、いくらお金ができるか、やってみることに相談を決めた。  その夕方、マチアは4フラン。私は三フランと五十サンチーム持って帰った。七フラン五十サンチームのお金で、私たちはまたお金持ちになった。女中に頼んで雌牛の乳をしぼってもらったので、夕食には牛乳があった。これほどうまいごちそうを、私たちは味わったことはなかった。私たちは乳のいいのにめちゃめちゃにのぼせ上がってしまって、食事がすむとさっそく厩へ出かけて、私たちの宝物をだいてやりに行った。雌牛はいかにも優しくしてもらったのがうれしいらしく、その返礼に私たちの顔を舐めた。  私たちは雌牛をキッスしたり、雌牛からキッスされて感じる愉快さを人一倍’感じるわけがあった。それにはマチアも私も、これまでけっして人からちやほやされすぎたことがなかったということを記憶してもらわなければならない。私たちの生まれ合わせは、ほかのあまやかされて育った子どもたちが、あんまり多いキッスに閉口してそれをさけなければならないのとは、大ちがいであった。  そのあくる朝、私たちは太陽と一緒に起きて、シャヴァノン村に向かって出発した。私はマチアがあたえてくれた助力に、どれほど感謝していたであろう。彼なしには、私はけっしてこんな’大金を貯めることはできなかった。私は彼に雌牛を引いて行く楽しみをあたえようと思った。そこで彼はたいへん得意らしく雌牛の綱を引いて行くと、私はあとからついて行った。彼女は非常に立派に見えた。それは大様にすこしゆれながら、自分で自分の値打ちを知っているけものらしく歩いていた。私は雌牛をくたびれさせないようにしたいと思ったので、その晩おそくシャヴァノンに着くことはよして、それよりもあしたの朝早く行く計画にした。ところがそのうちにこういうことが起こった。  私はその晩、むかし初めてヴィタリス親方と泊まって、カピが悲しそうな私を見てそばへ来てねてくれた、あの村に泊まることにした。  この村に入るまえに私たちはきれいな青い草の生えた所に来た。荷物をほうり出して私たちはそこで休むことにした。私たちは雌牛をみぞの中に放してやった。初めは縄で引いていようと思ったが、この雌牛はたいへん素直で、草を食べることによく慣れているようであったので、私はしばらく綱を牛の角に巻きつけて、そのそばに腰をかけて晩飯を食べ始めた。もちろん私たちは雌牛よりずっとまえに食べてしまった。そこでさんざん雌牛を感心してながめたあとで、これからなにをしようというあてもないので、私たちはしばらく遊んでいた。それがすんでも牛はまだ食べていた。私がそばへ行くと、雌牛は草の中に固く首をつっこんでいて、まだ腹が減っているというようであった。 「すこし待ってやりたまえ」とマチアが言った。 「だってきみ、雌牛は一日だって食べているんだぜ」と私は答えた。 「まあ、しばらく待ってやりたまえ」  私たちはもう背嚢と楽器をしょったが、まだ牛はやめなかった。 「僕は牛のためにコルネをふいてやる」と、じっとしていられないマチアが言った。「ガッソーの曲馬には、音楽の好きな雌牛がいたよ」  彼は愉快なマーチをふき始めた。  初めの音で、雌牛は頭を上げた。するととつぜん私が彼のツノに跳びかかって綱をおさえるまもないうちに、/彼女はとっとっと駆け出した。私たちは一生懸命、止まれ、止まれと呼びながら、あとから追っかけた。私はカピに牛を止めるように声をかけた。だが誰でも万能ということはできない。牛飼い、馬飼いの犬なら鼻づらに跳びついたであろうが、カピは牛の足に跳びついた。  牛はとうとう私たちが通って来た最後の村まで駆けもどった。道は真っ直ぐであったから、遠方でもその姿を見ることができた。おおぜいの人が通り道をふさいでつかまえようとしているのも見えた。私たちは牛を見失う気づかいはないと思ったので、すこし速力をゆるめた。こうなるとしなければならないことは、牛を止めてくれた人たちから、それを受け取ることであろう。  私たちがそこへ着いたとき、おおぜいの人間がもう集まっていた。そして私たちが考えていたように、すぐに牛を渡してはくれないで、どうして牛を手に入れたか、どこから牛をとって来たかをたずねた。  彼らは私たちが牛を盗んだこと、そして牛は持ち主の所へ駆けて帰ろうとしたのだということを主張した。彼らは本当のことがわかるまで、私たちは牢屋へ行かなければならないと宣告した。牢屋と言われたばかりで、私は青くなって、どもり始めた。おまけにさんざん駆けて息が切れていたので、ひと言もものが言えなかった。そこへちょうど巡査がやって来た。二言三言で全体の事件が説明された。それを聞いてもいっこうはっきりしないことであったから、とにかく彼は雌牛を預かること、それが私たちのものだというあかしの立つまで、私たちを拘留することに決めた。村じゅうが行列を作って、私たちのあとに続いて、ちょうど警察署をかねていた町の役場’までつながった。やじうまが私たちをつついたり白い歯を見せたり、ありったけひどい名前で呼んだりした。巡査が保護してくれなかったら、/彼らはひどい大罪人でもあるように、私たちを私刑に行なったかもしれなかった。  役場を預かっている人で、典獄(刑務所の役人)と代理執行官をかねていた人は、私たちを牢に-いれることを好まなかった。私はなんという親切な人だろうと思ったけれど、巡査はあくまで私たちを拘留しなければならないと言った。そこで典獄は二重になっているドアに、大きな鍵をつっこんで、私たちを牢に入れてしまった。中へ入ってはじめて、なぜ典獄が私たちを中へ入れることをおっくうがったかそのわけがわかった。彼はねぎをこの中へ干しておいた。それがどの腰掛けにも置いてあった。彼はそれをみんなすみっこに積み重ねた。私たちは体じゅう’捜索されて、かねもマッチもナイフも取り上げられた。それからその晩は閉じこめられることになった。 「僕をぶってくれたまえ」と私たちだけになると、マチアが情けなさそうに言いだした。 「僕の耳をぶつか、どうでも気のすむようにしてくれたまえ」 「僕も雌牛のそばで、コルネをふかせるなんて、大きな馬鹿だった」と私も答えた。 「ああ、僕はそれをずいぶん悪いことに思っている」彼はオロオロゴエで言った。「かわいそうな雌牛、王子さまの雌牛」と彼は泣き始めた。  そのとき私は彼に、これはそんなにむずかしいことではないわけを話してなぐさめようとした。 「僕たちは雌牛を買ったあかしを立てればいいのだ。ユッセルの獣医の所へ使いをやればいい‥:‥あの人が証人になってくれる」 「でもそれを買った-かねまでも盗んだものだと言われたら」と彼は言った。「私たちはそれを儲けた証拠がない。運悪くゆくと、みんなはどこまでもザイニ-ンだと思うだろう」  これはまったくであった。  それにさしあたりだれか牛を養ってくれるだろうかと、マチアががっかりして言った。 「まあ、みんなが牛は養っていてくれるだろうよ」 「あしたたずねられたら、なんと言うつもりだ」とマチアが聞いた。 「本当のことを言うさ」 「そうなれば、あの人たちは君をバルブレンの手にわたすだろう。バルブレンのおっかあが一人きりだったら、あの人に向かって私たちの言うことがうそかどうか聞こうとする。そうなれば’もうあの人の不意を驚かすことができなくなる」 「おやおや」 「君はバルブレンのおっかあとは長いあいだ別れている。あの人がもう死んでしまって、いないとも限らない」  このおそろしい考えだけはついぞこれまで私も起こしたことがなかった。でもヴィタリス老人も死んだ‥:‥私は彼女までも亡くしたかもわからない、という考えが、どうしてこれまで起こらなかったろう。 「なぜ君はそれを先に言わなかった」と私は言った。 「だって都合のいい時分には、そんな考えは起こらなかったからさ。僕は君の雌牛をバルブレンのおっかあに贈るという考えでずいぶんうれしくなっていた。あの人がどんなに喜ぶだろうと思うと、死んでいるかもしれないなんていう考えはてんで起こらなかった」  こう何事につけても悪いほうばかり見るのは、この暗い部屋のせいにちがいなかった。 「それから」とマチアはとび上がって、両腕をふり上げながら言った。「バルブレンのおっかあが死んで、あのこわいバルブレンのほうが生きていて、そこへ僕たちが行ったら、きっと雌牛を取り上げて自分のものにしてしまうだろう」  午後おそくなって、ドアが開かれ、白いひげを生やした老紳士が拘留ショに入って来た。 「こら悪党ども、このかたにお答えするのだぞ」と一緒について来た典獄が言った。 「それでよろしい」と紳士は言った。この人は検事であった。「儂は自分でこの子を尋問する」  こう言って彼は指で私をさし示した。 「君はもう一人の子を預かっていてもらいたい。そのほうはあとで調べるから」  私は検事と二人になった。じっと私の顔を見つめながら彼は、私が雌牛を盗んだ咎で告発されていることを告げた。  私は彼に雌牛をユッセルのイチバで買ったことを話して、買うときに世話をしてくれた獣医の名前を言った。 「それは調べることにしよう」と彼は答えた。「さて’なんの必要でその雌牛を買ったのだ」  私は、それを養母へ愛情のしるしとして贈るつもりであったと言った。 「その女の名は」と彼はたずねた。 「シャヴァノン村のバルブレンのおかみさん」と私は答えた。 「ああ、ゴロク年まえパリで災難に会った石工の家内だな。それも知っている。調べさせよう」 「まあでも‥‥」  私はすっかり困ってしまった。私の当惑を見つけて、検事は厳しく問いつめた。そこで私は、検事がもしバルブレンのおかみさんを調べることになると、せっかくの雌牛がちっとも不意ではなくなること:、しかも不意の贈り物でおどろかすというのが私たちの第一の目的であったことを告げた。  けれどこんなことでまごまごしている最中に、バルブレンのおっかあ'の”まだ生きていることを知って、私は大きな満足を感じた。そのうえ私に向けられた質問のあいだに/亭主のバルブレンがすこしまえパリに帰ってしまったことをも知った。これは私を愉快にした。するうちにとうとうマチアがおそれていた質問が出て来た。  だがどうして雌牛を買うだけの-かねを得たか。  私はパリからヴァルセまで、それからヴァルセからユッセルまで、1スー1スーとこれだけの-かねを積みたてたことを説明した。 「でもおまえ、ヴァルセではなにをしていた」と彼はたずねた。  それから私は、いやでも彼に鉱山の椿事を話さなければならなかった。 「ではおまえたち二人のうち、どちらがルミだ」と彼は声を優しくしてたずねた。 「僕です」と私は答えた。 「それが本当なら、おまえはその事件がどうして起こったか言ってみよ。私はその事件を残らず新聞で読んでいる。私をあざむくことはできないぞ。おまえがまったくルミであるか、ないか、私にはわかる。用心しなさい」  私は彼が私たちに対して非常に優しい心持ちになっていることを見ることができた。私は彼に鉱山での経験をくわしく語った。  話をしてしまうと、私はほとんど優しくなっていた彼の態度から、すぐにも私たちを放免してくれるかと思った。けれどもそうはしないで、/彼は私をひとり’心配なまま部屋に残して出て行った。しばらくして彼は、マチアを連れて戻って来た。 「私はユッセルへ、おまえの話の真偽を確かめさせにやる」と彼は言った。「幸いそれが真実なら、あしたは放免してやる」 「それから雌牛は」とマチアは心配そうにたずねた。 「おまえたちに返してやる」 「僕の言うのはそうではないんです」とマチアが答えた。「誰か雌牛に食べ物をやっていますか。乳をしぼっていますか」 「まあ、心配しなさんな」と検事が言った。  マチアは満足して、にっこり笑った。 「ああ、では雌牛の乳をしぼったら、僕たちも晩にすこしいただけないでしょうか」と彼はたずねた。 「それはいいとも」  私たち二人だけになると、私はマチアに、ほとんど自分たちが拘留されていることを忘れさせるほどのえらい報告をした。 「バルブレンのおっかあは生きているし、バルブレンはパリへ行っている」と私は言った。 「ああ、では『王子さまの雌牛』もいばって乗りこめるわけだね」  彼はうれしがって踊りを踊ったり、歌を歌いだした。彼の元気につりこまれて、私は彼の手をつかまえた。カピはそのときまですみっこに静かに考えこんで転がっていたが、はね上がって後脚で立ちながら、私たちの間に割りこんで来た。それからは三人一緒になってめちゃくちゃに踊り回ったので、典獄なにが始まったかと思って、跳びこんで来た。多分ねぎが気になったのであろう。彼は私たちにやめろと言ったが、さっきまでの様子とはだいぶ変わっていた。その様子で私はもうたいしたことはないとさとった。そのうえもう一つの証拠には、しばらくたつと彼は大きな鉢に牛乳を入れて持って来た。私たちの雌牛の乳である。しかもそれだけではなかった。彼は白パンの大きな切れと冷たい子牛の肉を持って来て、これは検事さんからの届け物だと言った。  どうして、こうなると牢屋もそんなに悪い所ではなかった。ただでごちそうを食べさせて、泊めてくれるのだもの。 ▓。▓。▓。 【第30章】 【バルブレンのおっかあ】 ▓。▓。▓。  そのあくる朝早く、検事はあのわれわれのお友だちの獣医君と一緒にやって来た。獣医君はなんでも私たちが放免になるのを見届けたいといって、わざわざやって来てくれたのであった。  いよいよ私たちが出て行くときに、検事は一枚、お役所のインを押した紙をくれた。 「そら、これをあげるからね」と彼は言った。「どうも手形も持たないで田舎を歩くなんというのはとんだ馬鹿な子どもたちだ。私は市長に頼んで、おまえたちにこの旅行券を出してもらった。なんでもこれからは、これだけ見せればおまえたちは保護してもらえる。ではご機嫌よう、子どもたち」  私は彼と握手した。それから獣医君とも握手した。  私たちはみじめなざまで村へ入ったが、今度はいばって出て行くのであった。雌牛の綱を引きながら、首を高く上げて歩いて、戸口に立って私たちを見ている村のやつらを肩の上から見てやった。  私は雌牛をつかれさせたくなかったが、きょうはどうしてもシャヴァノンまで急いで行かなければならないので、私たちはせかせか歩き出した。もう晩がた近く、私たちはむかしのうちに着きかけていた。  マチアはどら焼きを食べたことがなかった。そこで私は着いたらさっそくこしらえて食べさせる約束をして、とちゅうでバターを一ポンドと麦粉を二ポンドに、卵を十二’買いこんだ。  私たちはいよいよ、初めてヴィタリス親方が、私を休ませてくれた場所に着いたので、私はあのときこれが見納めだと思ったその場所から、バルブレンのおっかあのうちをもう一度’見下ろすことができた。 「つなを持っていてくれたまえ」と私はマチアに言った。  一跳びで私は腰掛けの上に乗った。谷の中の景色にはなにも変わったものはなかった。それはそっくり同じに見えた。けむりまで同じように煙突から上がっていた。そのけむりが私たちのほうへなびいて来ると、樫の葉の匂いがすっと鼻をかすめたように思われた。  私は腰掛けから跳び下りて、マチアをだきしめた。カピが私に跳びついて来た。私は二人を一緒にして、固く固くしめつけた。 「さあ、こうなれば少しでも早く行こうよ」と私は叫んだ。 「情けないことだなあ」とマチアがため息をついた。「このけものさえ音楽が好きなら、どんなにもどうどうと、凱旋の曲を奏しながらはいって行けるのだけれど」  私たちが往来の曲がり角まで行くと、バルブレンのおっかあが小屋から出て来て、村の往来の方角へ向かって行くのを見つけた。どうしよう。私たちは彼女にいきなり不意討ちを食わせるくわだてをしていた。私たちはなにかほかの仕方を考えなければならなくなった。ドアにはいつでもカケガネだけかかっていることを知っていたので、私たちは雌牛を牛小屋につないで、ずんずんうちの中に入って行くことにした。小屋の中は薪がいっぱいはいっていた。そこで私たちはそれをすみに積み上げて、ルセットの代わりに連れて来た雌牛を入れた。  それから私たちがうちの中にはいると、私はマチアに言った。 「じゃあ、それでは僕はこの炉ばたに腰をかけよう。するとはいって来て僕のここにいるのを見つけるからね。門を開けるときりきりという音がするから、そのとき君はカピと一緒に隠れたまえ」  私はむかしいつも冬の晩になると座ったその椅子の上にかけた。私はできるだけ小さく見えるように、背中を丸くしていた。こうして少しでもあのバルブレンのおっかあのかわいいルミに近い様子を作ろうとした。私の座っている所から門はよく見えた。私は門のほうに気を取られて見ていた。  なにも変わってはいなかった。なにかが同じ場所にあった。私のこわした窓ガラスにはまだ小さな紙がはりつけてあった。それがすすと年代で黒茶けていた。  ふと私は白いボンネットを見つけた。門はきりきりと開いた。 「君、早く隠れたまえ」と私はマチアに言った。  私は自分をよけい小さく小さくした。ドアが開いて、バルブレンのおっかあが入って来た。入ると、/彼女は目を丸くして私を見た。 「どなたですえ」と彼女はびっくりしてたずねた。  私は返事をしないで、/彼女のほうを見た。彼女は私を見返した。ふと彼女はふるえだした。 「おやおや、おまえさん、ルミだね」と彼女はつぶやいた。  私はとび上がって、/彼女を両腕でおさえた。 「おっかあ」 「おお、ぼうや、ぼうや。」これが彼女の言ったすべてであった。彼女は私の肩に頭をのせていた。  数分間たって、私たちはやっと感動をおさえることができた。私は彼女の涙をふいてやった。 「まあ、おまえ、なんて大きくおなりだろうねえ。」腕いっぱいに私をおさえてみて彼女はこう叫んだ。「おまえ、ずいぶん大きくおなりだし、丈夫そうになったねえ。ええ、ルミ」  息をつめた鼻ゴエで、マチアのネダイの下にいることを思い出した私は、/彼を呼んだ。彼はのこのこ這い出して来た。 「マチアです」と私は言った。「僕の兄弟のね」 「おお、ではおまえ、ご両親にお会いかえ」と彼女は叫んだ。 「いいや、これは僕の仲よしです。でも本当の兄弟同様なんです。それからこれがカピです」と彼女がマチアとあいさつをすますと私はこうつけ加えた。「さあ、カピターノ、ご主人さまのお母さんにご挨拶しろ」  カピは後脚で立って、もったいらしくバルブレンのおっかあにお辞儀をした。彼女は腹をかかえて笑った。これで彼女の涙はすっかり消えてしまった。マチアは私に向かっていよいよ不意討ちにとりかかれという合図をした。 「さあ、行って庭がどんなふうになっているか見て来よう」と私は言った。 「私はおまえさんの花畑はそっくりそのままにしておいたよ」と彼女は言った。「いつかおまえがまた帰って来るだろうと思ったからねえ」 「僕のキクイモを食べましたか」 「ああ、おまえは私に不意討ちを食わせるつもりで、あれを植えたんだね。おまえはいつも人をびっくりさせることが好きだったから」  いよいよその瞬間が来た。 「牛小屋はルセットがいなくなってから、そのままになっているの」と私はたずねた。 「いいえ。あすこにはこのごろ薪が入っているよ」  そう彼女が言うころには、私たちはもう牛小屋に着いていた。私はドアをおし開けた。するとさっそくおなかの減っていた雌牛が「もう」と鳴きだした。 「雌牛だよ。まあ、牛小屋に雌牛がさ」とバルブレンのおっかあが叫んだ。  マチアと私はぷっとふき出した。 「これも不意討ちさ」と私が叫んだ。「でもキクイモよりかずっといいでしょう」  彼女はぽかんとした顔をして、私をながめた。 「ええ、これが贈り物ですよ。僕はあの小さな迷子の子どもに、あれほど優しくしてくれたおっかあの所へ、からっ手では帰れなかった。これがルセットの代わりです。マチアと僕とで儲けたお金でそれを買って来たのです」 「まあ、ねえ」と彼女は叫んで、私たち二人にキッスした。  彼女はいま贈り物を検査するために、小屋の中へ入って行った。一つ一つ見つけては、/彼女は歓喜の叫び声を立てた。 「なんという立派な雌牛でしょうね」と彼女は叫んだ。しばらくすると彼女はとつぜんふり向いた。 「まあおまえ、いまではきっとたいしたお金持ちなんだね」 「お金持ちですとも」とマチアが笑った。「僕たちは隠しに五十八スー残っています」  私は乳おけを取りにうちへかけて行った。そしてうちの中にいるあいだにバターと卵と麦粉を食卓の上にならべて、それからコヤまでかけてもどった。乳おけに美しいあわの立つ乳がシチブンメまであふれているのを見たときに、どんなに彼女は喜んだであろう。  それから彼女は食卓の上にどら焼きをこしらえる仕度のできあがっているのを見ると、また大喜びをした。そのどら焼きを死ぬほど食べたがっている人がいるのだと私は言った。 「ではおまえさん’たちはバルブレンさんがパリへ行ったことを知っていたにちがいないね」と彼女は言った。私はそこで、それを知ったわけを話した。 「どうしてあの人が行ったか、話してあげよう」と彼女は意味ありげに私の顔をながめて言った。 「まあ先にどら焼きを食べようよ」と私は言った。「あの人のことは言わないことにしよう。僕はあの人がヨンジュッフランで僕を売ったことを忘れない。あの人がこわいんで、あの人がまた僕を売るのがこわいんで、僕はここへ様子を知らせることを我慢していたのだ」 「ああ、きっとそれはそうだと思うよ」と彼女は言った。「でもバルブレンさんのことを悪くお言いでないよ」 「まあ、どら焼きを食べようよ」と私は彼女にぶら下がりながら言った。  私たちはみんなでさっそく材料をこなし始めた。そしてまもなく、マチアと私はどら焼きに舌つづみをを打った。マチアはこんなうまいものを食べたことはないと言った。私たちが一皿を平らげると、すぐにつぎの皿にかかった。カピもおすそわけにあずかりに来た。バルブレンのおっかあは、犬にどら焼きをやるなんてもったいないと言ったが、私たちはカピが一座の主な役者で、そのうえ天才であることを説明して、なんによらず大事にあつかっているのだと言い聞かした。  やがてマチアがあしたの朝’使う薪を取りに出て行ったあいだに、/彼女はバルブレンがなぜパリへ行ったか話して聞かせた。 「おまえの家族の人たちがおまえを探しているのだよ」と彼女はほとんど聞こえないほどの小声で言った。「バルブレンがパリへ出かけたのは、そのためなのだよ。あの人はおまえを探しているのだよ」 「僕の家族」と私は叫んだ。「おお、私にも家族があるのですか。話してください。残らず。ねえ、おっかあ。バルブレンのおっかあ」  このときふと私はこわくなってきた。私は自分の一家が本当に自分を探していることを信じなかった。バルブレンはまた私を売るために、私を探そうとしているのだ。今度こそ私は売られるものか。  こう言って私はバルブレンのおっかあにその心配を話した。けれど彼女はそうではない、私の一家が私を探しているのだと言った。  それから彼女はいつか一人の紳士がこのうちへやって来て、外国のなまりのある言葉で話をして、いくねんかまえパリで拾った赤子はどうしたかとバルブレンにたずねたことを話した。するとバルブレンはその人に、ぜんたいそれになんの用があるのだと言ったそうだ。この返事はいかにもバルブレンのしそうな返事であった。 「ほら、/パン焼き場から、台所で言っていることはなんでも聞こえるだろう」とバルブレンのおっかあが言った。「二人がおまえさんの話をしているとき私はむろん聞いていた。私はもっとそばに寄って、そこで薪を折っていた。  『おや、誰かいますね』とその紳士はバルブレンに言ったよ。  『ええ、います。なあに家内ですよ』とあの人は答えた。すると、そのお客は『台所は大変むし暑いからいっそ外へ出て話しましょう』と言った。二人は出かけて行って、三時間あとでバルブレンだけが一人で帰って来た。私はあの人からなにかを残らず聞き出そうとしたが、あの人がやっと言ったことは、さっきのお客がおまえを探していること、でもその人はおまえのお父さんではないこと、それから百フラン、お金をくれたことだけだった。多分あの人はそののちもっともらったろう。そういうことがあるし、あの人がおまえさんを拾ったとき立派な着物をおまえさんが着ていたというから、おまえさんの両親はきっとお金持ちにちがいないと思うのだよ。それからジェロームはパリへ行って来ると言ってね」と彼女は続けた。「おまえさんを雇い入れた音楽師を訪ねるためにね。あの音楽師がおまえさんを連れて行ったときの話では、ルールシーヌマチのガロフォリという男にあてて手紙をやれば着くと言っていたそうだよ」 「それで、バルブレンさんが出かけてから、なにか便りがありましたか」と私はたずねた。 「いいえ、ひと言も」と彼女は言った。「私はあの人が町のどこに住んでいるかも知らないよ」  ちょうどそこへマチアが入って来た。私は興奮しながら、/彼に向かって、私にうちのあること、両親が私を探していることを話した。彼は私のために喜ぶとは言ったが、私だけの愉快と興奮を共に分けて感じているとは見えなかった。 ▓。▓。▓。 【第31章】 【古い友だちと新しい友だち】 ▓。▓。▓。  私はその晩すこししか眠らなかった。バルブレンのおっかあは私に、/パリへ向けてたつこと、そして着いたらすぐにバルブレンを見つけて、せっかく少しでも早く私を見つけようとしている両親も喜ばせてやることを勧めた。私は彼女とゴ六にちここに過ごしたいと望んでいたが、でも彼女の言うことももっともだと思った。  私はしかし行くまえにリーズに会いに行かなければならない。それには運河に沿って行ってパリへ行けるのだから、してできないことはなかった。リーズのおじさんは水門の番人をしていて、河岸の小屋に住んでいるのだから、そこへ泊まって彼女に会うことはできる。  私はその日一日バルブレンのおっかあと暮らした。夕方’私たちは、いまに私がお金持ちになったら、/彼女になにをしてやろうかということを話し合った。彼女は欲しい物をなんでも持たなければならない。私にお金ができれば、どんな望みだってかなえてやれないということはないであろう。 「でもおまえが貧乏でいるあいだにくれた雌牛は、お金持ちになったときくれられるどんな物よりも私にはずっとうれしいだろうよ」と彼女はほくほくしながら言った。  そのあくる日、好きなバルブレンのおっかあに優しいさようならを言ってから、私たちは運河の岸についで歩き出した。  マチアはたいへん考えこんでいた。そのわけを私は知っていた。彼は私にお金持ちの両親ができることを悲しがっていた。それが私たちの友情に変化を起こすとでも思ったらしかった。私は彼に、そうなれば学校へ行って、いちばんえらい先生について音楽を勉強することができるのだからと言ったが、/彼は悲しそうに頭をふった。私は彼が兄弟として一緒のうちに住むようになること、私の両親も私の友だちのことだからそっくりわたし同様に愛してくれるだろうと思ったということを話したが、まだ彼は首をふっていた。  しかしさしあたり私はまだそのお金持ちの両親の-かねを使うまでにならないので、通りすがりの村むらで、食べ物を買うお金を取らなければならなかった。それにリーズに贈り物を買ってやるお金も少しこしらえたかった。バルブレンのおっかあはあの雌牛を、私がお金持ちになってからなにをもらったよりもずっとありがたいと言ったが:、きっときっとリーズもこの贈り物と同じように考えるだろうと思った。私は彼女に人形をやろうと思った。幸い/人形は雌牛のように高くはなかった。私たちが通ったつぎの村で、私は美しい髪の毛と、青い目をしたかわいらしい人形を彼女のために買った。  運河の岸を歩きながら、私はたびたびミリガン夫人と、アーサと、それから彼らの美しい小船のことを思い出していた。その小船に運河の上で出会いはしないかと思っていたが、でも私たちはついにそれを見なかった。  とうとうある日の夕方、私たちはリーズの住んでいるうちを遠方から見る所まで来た。それは木のしげった中にあった。霧でかすんだ中にあるらしかった。大きな炉の明かりに照らされた窓を見ることもできた。だんだんとそばに近づくに従って、赤みを持った光が、私たちの通り道に投げられた。私の心臓はとっとっと打った。私は彼らがそのうちの中で夕めしを食べている姿を見ることができた。ドアと窓は閉じられていたが、窓にはカーテンがなかったから、私は中をのぞきこんで、リーズがおばさんのそばに座っているところを見た。私はマチアとカピに静かにするように合図をして、それから肩からハープを下ろして、それを地べたの上に置いた。 「ああ、成程」とマチアがささやいた。「セレナードをやるか。成程うまい考えだ」  私は例のナポリ小唄の第一節をひいた。声でさとられてはいけないと思って歌は歌わなかった。私はひきながら、リーズのほうを見た。彼女は急いで顔を上げたが、その目はかがやいていた。  それから私は歌い始めた。彼女は椅子から跳び下りて、戸口へかけて来た。まもなく彼女は私の腕にだかれていた。  カトリーヌ小母さんがそれから出て来て、私たちを夕めしに呼んでくれた。リーズは急いで食卓の上にお皿を二つならべた。 「おいやでなければ」と私は言った。「もう一枚お皿を出してください。僕たちはもう一人かわいらしいお友だちを連れて来ました」  こう言って私は背嚢から人形を出して、リーズのおとなりの椅子にのせた。そのときの彼女の目つきを私はけっして忘れることはできない。 ▓。▓。▓。 【第32章】 【バルブレン】 ▓。▓。▓。  パリへ行くのを急ぎさえしなかったら、私はリーズの所にしばらく足を止めていたであろう。私たちはおたがいに’あれほどたくさん言うことがあって、しかもおたがいの言葉ではずいぶんわずかしか言えなかった。彼女は手まねでおじさんとおばさんがどんなに優しく自分にしてくれるか、船に乗るのがどんなにおもしろいかということを話した。私は彼女にアルキシーの働いている鉱山で危なく死にかけたこと、私のうちの者が私を探していることを話した。それがためパリへも急いで行かなければならないし、エチエネットの所へ会いに行くことができなくなったことを話した。  もちろん話は、たいていお金持ちらしい私のうちのことであった。そうしてお金ができたときに、私のしようと思ういろいろなことであった。私は彼女の父親と、アニさんやアネさん’たちを/とりわけ彼女を幸福にしてやりたいと思った。リーズはマチアとちがってそれを喜んでいた。彼女はお金さえあれば、たいへん幸福になるにちがいないと信じきっていた。だって彼女の父親は’ただ借金を返すお金さえあったなら、あんな不幸な目に会わなかったにちがいないではないか。  私たちはみんなで──リーズとマチアと私と三人に、人形とカピまでお供に連れて、長い散歩をした。私はこのゴ六にち非常に幸福であった。夕方まだあまりしめっぽくならないうちは家の前に、それから霧が深くなってからは炉の前に座った。私はハープをひいて、マチアはヴァイオリンかコルネをやった。リーズはハープを-すいていたので、私はたいへん得意になった。時間がたって、私たちが別々に寝床へ行かなければならないときになると、私は、/彼女のためにナポリ小唄をひいて歌った。  でも私たちはまもなく別れて別の道を行かなければならなかった。私は彼女にじき帰って来ると言った。彼女に残した私の最後の言葉は、 「僕は今度くるとき、4頭びきの馬車で来て、リーズちゃんを連れて行くよ」というのであった。  そうして彼女も私を信じきって、あたかも鞭をふるって馬を追うような身ぶりをした。彼女もまた私と同様に、私の富と/私の馬や馬車を目にうかべることができるのであった。  私はパリへ行くので一生懸命であったから、マチアのために食べ物を買うお金を集めるのに、ときどき足を止めるだけであった。もう雌牛を買うことも、人形を買うこともいらなかった。お金持ちの両親の所へお金を持って行ってやる必要もなかった。 「取れるだけは取って行こうよ」とマチアは言って、無理に私がハープを肩からはずさなければならないようにした。「だってパリへ行っても、すぐにバルブレンが見つかるかどうだかわからないからねえ。そうなると、君はあの晩、空腹で死にそうになったことを忘れていると言われても仕方がないよ」 「おお、僕は忘れはしない」と私は軽く言った。「でもきっとあの人は見つかるよ。待っていたまえ」 「ああ、でもあの日、君が僕を見つけたとき、お寺の壁にどんなふうによりかかっていたか、僕は忘れない。ああ、僕はパリで飢えて苦しむのだけはもうつくづくいやだよ」 「僕の両親のうちへ行けば、その代わりに’たんとごちそうが食べられるよ」と私は答えた。 「うん。まあ、なんでも、もういっぴき雌牛を買うつもりで働こうよ」とマチアは聞かなかった。  これはいかにももっともな忠告であったが、私はもうこれまでと同じに精神を打ちこんで歌を歌わなくなったことを白状しなければならない。バルブレンのおっかあのために雌牛を買い、またはリーズのために人形を買うお金を取るということは、まるっきりそれとはちがったことであった。 「君はお金持ちになったら、どんなになまけ者になるだろう」とマチアは言った。だんだんパリに近くなればなるほど、ますます私は愉快になった。そうしてマチアは’ますます陰気になった。  私たちはどんなにしても別れないと言いきっているのに、どうしてまだ彼が悲しそうにしているのか、私はわからなかった。とうとう私たちはパリの大門に着いたとき、/彼はいまでもどんなにガロフォリを怖がっているか、もしあの男に会ったらまたつかまえられるにちがいないという話をした。 「君はバルブレンをどんなに怖がっていたか。それを思ったら、どんなに僕がガロフォリを怖がっているかわかるだろう。あの男が牢屋から出ていれば/きっと僕をつかまえるにちがいない。ああ、この情けない頭、かわいそうなあたま、あの男はどんなにそれをひどくぶったことだろう。そうすればあの男はきっと僕たちを引き分けてしまう。むろんあの人は君をも子分にして使いたいであろうが、それを君には無理にも強いることができないが、ぽくに対してはそうする権利があるのだ。あの人は僕のおじだからね」  私はガロフォリのことはなにも考えていなかった。  私はマチアと相談をして、バルブレンのおっかあがそこへ行けば、バルブレンを見つけるかもしれないと言ったいろいろの場所へ行くことにした。それから私はリュー・ムッフタールへ行こう。それからノートル・ダーム寺の前で私たちは会うことにしよう。  私たちはもう二度と会うことがないようなさわぎをして別れた。私はこちらの方角へ、マチアは向こうの方角へ向かった。私はバルブレンがセンに住んでいた場所の名をいろいろ紙に書きつけておいた。それを一つ、一つ、訪ねて行った。ある木賃宿では、/彼は四年前そこにいたが、それからはいなくなったと言った。その宿屋の亭主は、あいつには一週間の宿料の貸しがあるから、あの悪党、どうかしてつかまえてやりたいと言っていた。  私はすっかり気落ちがしていた。もう私の訪ねる所は一か所しか残っていなかった。それはあの料理屋であった。その’うちをやっている男は、もう長いあいだあの男の顔を見ないといったが、ちょうど食卓に座って食べていたお客の一人が声をかけて、うん、あの男なら、近ごろオテル・デュ・カンタルに泊まっていたと言ってくれた。  オテル・デュ・カンタルへ行くまえに私はガロフォリのうちへ行って、あの男の様子を見てマチアになにかおみやげを持って帰りたいと思った。そこの裏庭へ行くと、初めて行ったときと同様、あのじいさんがドアの外へきたないぼろをぶら下げているのを見た。  じいさんは返事はしないで、私の顔を見て、それから咳をし始めた。その様子で、私はガロフォリについてなんでも知っていることをよく向こうにわからせないうちは、この男からなにも聞き出すことができないことをさとった。 「おまえさん、あの人がまだ刑務所にはいっているというのではあるまい」と私は叫んだ。「だってあの人はもうよほどまえに出て来たはずではないか」 「ええ、あの人はまた三か月食らったのだよ」  ガロフォリがまた三か月刑務所にはいっている。マチアはほっと息をつくであろう。  私はできるだけ早く、このおそろしい路地をぬけ出して、オテル・デュ・カンタルへ急いで行った。私は希望と歓喜が胸にいっぱいたたみこまれて、もうすっかりバルブレンのことをよく思いたい気になっていた。バルブレンという男がいなかったなら、私は赤ん坊のとき、寒さと飢えのために死んでいたかもしれなかった。成程あの男は私をバルブレンのおっかあの手から離して、他所の人の手に売り渡したにはちがいなかった。でもあのときはあの人も私に対してべつに愛情もなかったし、多分お金のためにいやいやそれをしたのかしれなかった。とにかく私が両親を見つけるまでになったのは、あの人のおかげであった。だからもう、あの人に対してけっして悪意を持ってはならないはずであった。  私はまもなくオテル・デュ・カンタルに着いた、オテル(旅館)というのは名ばかりのひどい木賃宿であった。 「バルブレンという人に会いたいのです。シャヴァノン村から来た人です」と私は写字ヅクエに向かっていたきたならしいばあさんに向かって言った。彼女は、ひどいつんぼで、いま言ったことをもう一度’くり返してくれと言った。 「バルブレンという人を知っていますか」と私はどなった。  そうすると彼女は大あわてにあわてて両手を空へ上げた。その勢いがえらかったので、ひざに乗っかっていた猫が、びっくりして跳び下りた。 「おやおや、おやおや」と彼女は叫んだ。「おまえさんが、あの人のたずねていなすった子どもかい」 「おお、あなた、知っているの」と私は夢中になって叫んだ。「ではバルブレンさんは」 「死にましたよ」と、/彼女は簡潔に答えた。私はハープにひょろひょろとなった。 「なに、死んだ」と私は彼女に聞こえるほどの大きな声で叫んだ。私はくらくらとした。今はどうして両親を見つけよう。 「おまえさんがみんなの探していなさる子どもだね。そうだ、おまえさんにちがいない」とばあさんはまた言った。 「ええ、ええ、僕がその子です。僕のうちはどこです。わかりませんか」 「私はいま言っただけしか知りませんよ」 「バルブレンさんが、私の両親のことをなんとか言っていませんでしたか。おお、話してください」と私はせがむように言った。  彼女は天に向かって、高く両腕を上げた。 「ねえ、話してください。なんです。それは」  この瞬間、女中のようなふうをした女が出て来た。オテル・デュ・カンタルの女主人は彼女のほうへ向いた。 「大変なことではないか。この子どもさんは、この若旦那は、バルブレンさんがあれほど言っていなすったご当人だとよ」 「でもバルブレンに僕のうちのことをあなたに話しませんでしたか」と私はたずねた。 「それは聞きましたよ──百度もね。なんでも大変、お金持ちのうちだそうですねえ、若旦那」 「それでどこに住んでいるのです。名前はなんというのです」 「それについてはバルブレンさんは、なにも話をしませんでしたよ。あの人は奇妙な人でしたよ。あの人は自分一人でお礼を残らずもらうつもりでいたのですよ」 「なにか書き物を置いては行きませんでしたか」 「いいえ、ただあの人がシャヴァノン村から来たということを書いたものだけです。その紙でも見つけなかったら、あの人のおかみさんの所へ死んだ知らせを出すこともできないところでしたよ」 「まあ、あなたは知らせてやりましたか」 「むろん、どうしてさ」  私はこのばあさんから、なにも知ることができなかった。私はしょんぼり戸口のほうへ向かった。 「おまえさん、どこへ行きなさる」と彼女はたずねた。 「友だちの所へ帰ります」 「ハハア、お友だちがありますか。それはパリにいるの」 「僕たちはけさ初めてパリへ来たんです」 「へえ、/貴方がたは、泊まる所がなければ、まあこのうちへおいでなさいな。じゅうぶんお世話もするし、正直なうちですよ。そのおまえさんのおうちの人も、バルブレンさんから返事の来るのを待ちかねなすったら、きっとこのうちへ聞きに来るでしょう。そうすればおまえさんを見つけるはずだ。私の言うのはおまえさんのためですよ。お友だちはいくつになんなさる」 「僕よりすこし小さいんです」 「まあ、考えてごらん。子どもが二人で、/パリの町にうろうろしていたら、ろくなことはありはしないよ」  オテル・デュ・カンタルは、私もおよそ知っている限りでいちばんきたならしい宿屋の一つであった。私はかなりきたない宿屋をいくつか見ていた。  でもこのばあさんの言ってくれることは考え直す値打ちがあった。それに私たちは好ききらいをしてはいられなかった。私はまだ立派なパリ風の屋敷に住んでいる自分の家族を見つけなかった。成程こうなると道みち集められるだけの-かねを集めておきたい、とマチアの言ったのはもっともであった。私たちの隠しに’十七フランの-かねがなかったらどうしよう。 「友だちと私とで部屋の代はいくらです」と私はたずねた。 「一日十スーです。たいしたことではないさ」 「成程。じゃあ晩にまた来ます」 「早くお帰んなさいよ。パリは夜になると、子どもにはよくない場所だからね」と彼女は後ろから声をかけた。  夜の幕が下りた。街灯はともっていた。私は長いこと歩いてノートル・ダームのお寺へ行って、マチアに会うことにした。私は元気がすっかりなくなっていた。ひどくつかれて、そこらのものは残らず陰気に思われた。この光と音のあふれた大きなパリでは、私はまるっきり独りぼっちであることをしみじみ感じた。私はこんなふうでいつか自分の親類を見つけることができるであろうか。いつかほんとの父親と、ほんとの母親に会うことになるであろうか。  やがてお寺へ来たが、マチアを待ち合わせるにはまだ二時間早かった。私は今晩いつもよりよけいに彼の友情の必要を感じた。私はあんなに愉快な、あんなに親切な、あれほど友人としてたのもしい彼に会うことにただ一つの楽しい希望を持った。  七時すこしまえに私はあわただしい吠え声を聞いた。すると蔭からカピがとび出した。彼は私のひざに跳びついて、やわらかいしめった舌で舐めた。私は彼を両腕にだきしめて、その冷たい鼻にキッスした。マチアがまもなく姿を現した。二言三言で私はバルブレンの死んだこと、自分の家族を見つける望みのなくなったことを告げた。  すると彼は私の欲していたありったけの同情を私に注いだ。彼はどうにかして私をなぐさめようと努力した。そして失望してはいけないと言った。彼は一緒になって、真面目に両親を探し出すことのできるようにしようと、心からちかった。  私たちはオテル・デュ・カンタルへ帰った。 ▓。▓。▓。 【第33章】 【捜索】 ▓。▓。▓。  そのあくる朝/バルブレンのおっかあの所へ手紙を出して、不幸のおくやみを言って、/彼女の夫の亡くなるまえに、なにか便りがあったかたずねてやった。  その返事に彼女は、夫が病院から手紙を寄こして、もしよくならなかったら、ロンドンのリンカーン・スクエアで、グレッス・アンド・ガリーといううちへあてて手紙を出すように言って来たことを告げた。それは私を探している弁護士であった。なお彼は彼女に向かって、自分が確かに死んだと決まるまでは、手をつけてはならないと言づけて来たそうである。 「じゃあ僕たちはロンドンへ行かなければならない」と私が手紙を読んでしまうとマチアが言った。この手紙は村の坊さんが代筆をしたものであった。「その弁護士がイギリス人だというなら、君の両親もイギリス人であることがわかる」 「おお、僕はそれよりもリーズやなんかと同じ国の人間でありたい。だが僕がイギリス人なら、ミリガン夫人やアーサと同じことになるのだ」 「僕は君がイタリア人であればよかったと思う」とマチアが言った。  それから数分間のうちに私たちの荷物はすっかり荷作りができて、私たちは出発した。  パリからボローニュまで道みち主な町で足を止めて、八日がかりでやっとボローニュに着いたとき、懐には三十二フランあった。私たちはそのあくる日ロンドンへ行く貨物船に乗った。  なんというひどい航海であったろう、かわいそうに、マチアはもう二度と海へは出ないと言い切った。やっとのことで、テムズ川を船が上って行ったとき、私は彼に頼むようにして、起き上がって外の不思議な景色を見てくれといった。けれども彼は、今後も後生だから一人うっちゃっておいてくれと頼んだ。  とうとう機関が運転を止めて、いかりづなはオカに投げられた。そして私たちはロンドンに上陸した。  私はイギリス語をごくわずかしか知らなかったが、マチアはガッソーの曲馬団で一緒に働いていたイギリス人から、たんと言葉を教わっていた。  上陸するとすぐ巡査に向かって、リンカーン・スクエアへ行く道を聞いた。それはなかなか遠いらしかった。たびたび私たちは道に迷ったと思った。けれどももう一度たずねてみて、やはり正しい方向に向かって歩いていることを知った。とうとう私たちはテンプル・バーに着いた。それからニサンポ行けばリンカーン・スクエアへ着くのであった。  いよいよグレッス・アンド・ガリー事務所の戸口に立ったとき、私はずいぶんはげしく心臓が鼓動した。それでしばらくマチアに気の静まるまで待ってもらわねばならなかった。マチアが書記に私の名前と用事を述べた。  私たちはすぐとこの事務所の主人であるグレッス氏の私室へ通された。幸いにこの紳士はフランス語を話すので、私は自身’彼と語ることができた。彼は私に向かってこれまでの細かいことをいちいちたずねた。私の答えはまさしく私が彼のたずねる少年であることを確かめさせたので、/彼は私に、ロンドンに住んでいる私の一家のあること、そしてさっそくそこへ私を送りつけてやるということを話した。 「僕にはお父さんがあるんですか」と私は、やっと「お父さん」という言葉を口に出した。 「ええ、お父さんばかりではなく、お母さんも、男のご兄弟も、女のご兄弟もあります」と彼は答えた。 「へえ」  彼はベルをおした。書記が出て来ると、/彼はその人に私たちの世話をするように言いつけた。 「おお、忘れていました」とグレッス氏が言った。「あなたの名字はドリスコルで、あなたのお父上の名前は、/ジョン・ドリスコル氏です」  グレッス氏の醜い顔は好ましくなかったが、私はそのときよほど彼に跳びついてだきしめようと思った。しかし彼はその時間をあたえなかった。彼の手はすぐに戸口をさした。で、私たちは書記について外へ出た。 ▓。▓。▓。 【第34章】 【ドリスコル家】 ▓。▓。▓。  往来へ出ると、書記は辻馬車を呼んで、私たちに中へとびこめと言いつけた。奇妙な形の馬車で、上からかぶさっている幌の後ろについた箱に、御者が腰をかけていた。あとでこれがハンサム馬車というものだということを知った。  マチアと私はカピを間にはさんですみっこにだき合っていた。書記が一人であとの席を占領していた。マチアは彼が御者に向かって、ベスナル・グリーンへ馬車をやれと言いつけているのを聞いた。御者はそこまで馬車をやることをあまり好まないように見えた。マチアと私は、きっとそこは遠方なせいであろうと思った。  私たち二人はグリーン(緑)というイギリス語がどういう意味だか知っていた。ベスナル・グリーンはきっと私の一家の住んでいる大きな公園の名前にちがいなかった。長いあいだ馬車はロンドンのにぎやかな町を走って行った。それはずいぶん長かったから、その屋敷はきっと町はずれにあるのだと思った。グリーンという言葉から考えると、それは田舎にあるにちがいないと思われた。でも馬車から見るあたりの景色はいっこうに田舎らしい様子にはならなかった。私たちはひどくごみごみした町へ入った。真っ黒な泥が馬車の上にはね上がった。それから私たちはもっとひどい貧乏マチのほうへ曲がって、ときどき御者も道がわからないのか、馬車を止めた。  とうとう彼はすっかり馬車を止めてしまった。ハンサムの小窓を中に、グレッス・アンド・ガリーの書記さんと、困りきった御者との間に押し問答’が始まった。なんでもマチアが聞いたところでは、御者はもうとても道がわからないと言って、書記にどちらの方角へ行けばいいか、たずねているのであった。書記は自分もこんなどろぼう町へなんかこれまで来たことがなかったからわからないと答えた。私たちはこの「泥棒」という言葉が耳に止まった。すると書記はいくらか-かねを御者にやって、私たちに馬車から下りろと言った。御者は渡された賃金を見て、ぶつぶつ言っていたが、やがてくるりと方向を変えて馬車を走らせて行った。  私たちはいまイギリス人が「ジン酒の宮殿」と呼んでいる酒場の前の、ぬかるみの道に立った。案内の先生は’いやな顔をしてそこらを見回して、それからその「ジン酒の宮殿」の回転ドアを開けて中へ入った。私たちはあとに続いた。私たちはこの町でもいちばんひどい場所にいるのであったが、またこれほどぜいたくな酒場も見なかった。そこには金ぶちの枠をはめた鏡がどこにもここにもはめてあって、ガラスのハナ燭台と、銀のようにきらきら光る立派な帳場があった。けれどもそこにいっぱい集まっている人たちは、どれもよごれたぼろをかぶった人たちであった。  案内シャは例の立派な帳場の前についであった一杯の酒をがぶ飲みにして、それから給仕の男に自分の行こうとする場所の方角を聞いた。確かに彼は求めた返事を得たらしく、また回転ドアをおして外へ出た。私たちはすぐあとについて出た。  通りはいよいよせまくなって、こちらのうちから向こうのうちへ物干しの綱が下がって、きたならしいぼろがかけてあった。その戸口に腰をかけていた女たちは、青い顔をして、よれよれな髪の毛が肩の上までだらしなくかかっていた。子どもたちはほとんど裸体で、たまたまニサンニン着ているのも、ほんのぼろであった。路地には豚が、たまり水にぴしゃぴしゃ鼻面をつけて、そこからは腐ったような匂いがプンと立った。  案内シャはふと立ち止まった。彼は道を失ったらしかった。けれどちょうどそのとき一人の巡査が出て来た。書記が彼に話すと、巡査は自分のあとからついて来いと言った‥:‥私たちは巡査について、もっと狭い往来を歩いた。最後に私たちはある広場に立ち止まった。  その真ん中には小さな池があった。 「これがレッド・ライオン・コートだ」と巡査は言った。なぜ私たちはここで止まったのであろう。私の両親がこんな所に住んでいるものであろうか。巡査は一軒の木小屋のドアをたたいた。案内人は彼に礼を言っていた。では私たちは着いたのだ。マチアは私の手を取って、優しくにぎりしめた。私も彼の手をにぎった。私たちはおたがいに了解し合った。私は夢の中をたどっているような気がしていると、ドアが開いて、私たちは勢いよく火の燃えている部屋に入った。  その火の前の大きな竹の椅子に、白いひげを生やした老人が腰をかけていた。その頭にはすっぽり黒いずきんをかぶっていた。一つの机に向かい合って四十ばかりの男と、六つばかり年下の女が腰をかけていた。彼女はむかしはなかなか色がシロかったらしいなごりをとどめていたが、いまでは色つやもぬけて、様子はそわそわ落ち着かなかった。それから四人子どもがいた──男の子が二人、女の子が二人─:─みんな女親に似てなかなか色白であった。いちばん上の男の子は十一ばかりで、いちばん下の女の子は三つになるかならないようであった。  私は書記がその人になんと言っていたのかわからなかった。ただドリスコルという名前が耳に止まった。それは私の名字だとさっき弁護士が言った。  みんなの目はマチアと私に向けられた。ただ赤ん坊の女の子だけがカピに目をつけていた。 「どちらがルミだ」と主人はフランス語でたずねた。 「僕です」と私は言って、一足’前へ進んだ。 「では来て、お父さんにキッスをおし」  私はまえからこの瞬間のことを夢のように考えては、きっともうそのときは幸福に胸がいっぱいになりながら、父親の腕に跳びついてゆくだろうと想像していた。けれど今はまるでそんな感じは起こらなかった。でも私は進んで行って父親にキッスした。 「さあ」と彼は言った。「おまえのおじいさんも、お母さんも、弟や妹たちもいるよ」  私はまず母親の所へ行って、両腕を体にかけた。彼女は私にキッスをさせた。けれど私の愛情には報いてくれなかった。彼女はただ私にわからないことをフタコトミコトいった。 「おじいさんと握手をおし」と父親が言った。「そっとおいでよ。中気なのだから」  私はまた弟たちや、女の兄弟と握手した。小さい子を腕にだき上げようとしたが、/彼女はすっかりカピに気を取られていて、私をおしのけた。私はむなしくそここことめぐって歩いて、しまいには自分に腹立たしくなった。  なぜやっとのことで自分のうちを見つけたのに、すこしもうれしく感じることができないのか。私は父親に母親に、兄弟に、祖父まである。私はこの瞬間をどんなに望んでいたろう。私もほかの子どもと同様に、自分のものと呼んで愛し愛されるうちを持つことを考えて、その喜びに気がくるいそうになったことがあった‥:‥それがいま自分の一家を不思議そうにながめるばかりで、心のうちにはなにも言うことがない。イチゴンの愛情の言葉が出て来ないのである。私はけものなのであろうか。私がもし両親をこんな貧乏な小屋でなく、立派な御殿の中で見いだしたなら、もっと深い愛情が起こったであろうか。私はそれを考えてはずかしく思った。  そう思って私はまた母親のそばへ寄って、両腕をかけてしたたか彼女のくちびるにキッスした。まさしく彼女はなんのつもりで、私がこんなことをするのかわからなかった。だから私のキッスを返そうとはしないで、きょときょとした様子で私の顔をながめた。それから夫、すなわち私の父親のほうへ向いて肩をそびやかした。そしてなにか私にわからないことを言うと、夫はふふんと笑った。彼女の冷淡と、私の父親の嘲笑とが深く私の心を傷つけた。  私の愛情はそんなふうにして受け取らるべきものでないと私は思った。 「あれは誰だ」と父親はマチアを指さしながら聞いた。私は彼に向かってマチアがいちばん仲のいい友だちであって、ずいぶん世話になっていることを話した。 「よしよし」と父親は言った。「あの子もうちに泊まって、田舎を見物するがよかろう」  私はマチアの代わりに答えようとしたが、/彼が先に口をきいた。 「それは僕もけっこうです」と彼は叫んだ。  私の父親はなぜバルブレンが一緒に来ないかとたずねた。私は彼にバルブレンの死んだことを告げた。彼はそれを聞いて喜んでいるようであった。彼はそのとおりを母親にくり返して言うと、/彼女もやはり喜んでいるようであった。どうしてこの二人は、バルブレンの死んだことを喜んでいるのか。 「おまえは、私たちが十三年もおまえをたずねなかったことを不思議に思っているかもしれない」と父親が言った。「しかも急にまた思い出したように出かけて行って、おまえを赤ん坊の時分’拾った人を訪ねたのだからなあ」  私は彼に自分の大変驚いたこと、それからそれまでの様子をくわしく聞きたいことを話した。 「では炉ばたへおいで。残らず話してあげるから」  私は肩から背嚢を下ろして、勧められた椅子に腰をかけた。私がぬれて泥をかぶった足を炉にのばすと、祖父はうるさい古猫が来たというように、つんと向こうを向いてしまった。 「おかまいでない」と父親は言った。「あのじいさんは誰も火の前に来ることをいやがるのだ。けれどおまえ、寒ければかまわないよ」  私はこんなふうに老人に対して口をきくのを聞いてびっくりした。私は椅子の下に足を引っこめた。そのくらいな心づかいはしなければならないと私は考えた。 「おまえはこれから私の総領息子’だ」と父親が言った。「母さんと結婚して一年たっておまえは生まれたのさ。私がいまの母さんと結婚するとき、そのまえからてっきり自分と結婚するものと思っていたある若い娘がもう一人あった。それが結婚のできなかったくやしまぎれに、生まれてム月目のおまえを盗み出して行った。私たちはほうぼうおまえを探したが、/パリより遠くへはどうにも行けなかった。私たちはおまえが死んだものと思っていたが、ついミ月まえ、この盗んだ女が死んでね。死にぎわに私に悪事を白状したのだ。私はさっそくフランスへ出かけて行って、おまえが捨てられた地方の警察から、初めておまえがシャヴァノン村のバルブレンという石屋のうちに養われていることを聞いた。私はバルブレンを探して、今度その人からおまえがヴィタリスという旅の音楽師にやとわれて行ったこと、フランスの町じゅうを歩き回っていることを聞いた。私はいつまでもあちらに逗留してもいられないので、バルブレンにいくらかお金をやって、おまえを探すように頼んだ。そうしてわかりしだいグレッス・アンド・ガリーへそう言って寄こすようにした。私はあのバルブレンにここの住まいを知らせておかなかったというわけは、私たちは冬のあいだだけロンドンにいるので、あとはずっとイギリスとスコットランドの地方を旅行して歩いているのだからね。私たちの商売は旅アキンドなのだよ。まあそんなふうにして、十三年目におまえが私たちの所へ帰って来たというわけだ。おまえは私たちの言葉がわからないのだから、はじめはすこしきまりが悪いかもしれないが、じきにイギリス語を覚えて、兄弟たちと話ができるようになるだろう。それはもうわけなく慣れるよ」  そうだ、もちろん私は彼らに慣れなければならない。彼らは私の一家の者ではないか。それは立派な絹の産着で想像したところと、目の前の事実とはこのとおりちがっていた。でもそれがなんだ。愛情は富よりもはるかに-たっとい。私が憧れていたのは-かねではない、ただ愛情である。愛情が欲しかったのだ。家族が、うちが、欲しかったのだ。  私の父親がこの話をしているあいだに、/彼らは晩餐の食卓をこしらえた。焼き肉の大きなヒトフシに馬鈴薯をそえたものが、食卓の真ん中に置かれた。 「おまえたち、腹が減っているか」と父親がマチアと私に向かってたずねた。マチアは白い歯を見せた。 「うん、机にお座り」  しかし席に着くまえに、/彼は祖父の竹のユリ椅子を食卓に向けた。それから自分の席をしめながら、/彼は焼き肉を切り始めた。背中を火に向けて、みんなに一つずつ、大きな切れと芋を分けた。  私はいい境遇の中に育ったわけではないが、兄弟たちの食卓の行儀がひどく悪いことは目についた。彼らはたいてい指で肉をつかんで食べて、がつがつ食い欠いたり、父母の気がつかないようにしゃぶったりした。祖父にいたっては自分の前ばかりに気を取られて、自由の利く片手でしじゅう皿から口へがつがつ運んでいた。そのふるえる指先から肉を落とすと、兄弟たちはどっと笑った。  私たちは食事がすんでから、その晩は炉ばたに集まって暮らすことと思っていた。けれども父親は友だちが来るからと言って、私たちに寝床に行くことを命じた。マチアと私に手まねをして、/彼はろうそくを持って先に立ちながら、食事をした部屋の外にある厩へ連れて言った。その厩には荷台まで大きな屋台付馬車があった。彼はその一つのドアを開けると中に小さなネダイ二つ重なって置いてあるのを見た。 「ほら、これがおまえたちの寝床だ」と彼は言った。「まあ、おやすみ」  これが私の家族からこの夜初めて私の受けた歓迎であった。 ▓。▓。▓。 【第35章】 【りっぱすぎる父母】 ▓。▓。▓。  父親はろうそくを置いて行ったが、車には外から錠をさした。私たちはいつものようにおしゃべりはしないで、できるだけ早く寝床の中へもぐった。 「おやすみ、ルミ」とマチアが言った。 「おやすみ」  マチアは私と同じように、もうなにもものを言いたがらなかった。私は彼がだまっていてくれるのがうれしかった。私たちはろうそくをふき消したが、とても眠れそうには思えなかった。私はせま苦しいネダイの中で、たびたび起き返っては、これまでの出来事を思いめぐらした。私は上のネダイにいるマチアがやはり落ち着かずに、しじゅう寝返りばかりしている音を聞いた。彼もやはり私と同様、眠ることができなかった。  幾時間か過ぎた。だんだん夜がふけるに従って、とりとめもない恐怖が私を圧迫した。私は不安に感じたが、なぜ私が、そう感じたのかわからない。なにを私はおそれているのか。このロンドンの貧乏マチで馬車小屋の中に泊まることがこわいのではない。これまでの流浪生活で、いく度わたしは今夜よりも、もっとたよりない夜を明かしたことがあったであろう。私は現在あらゆる危険から庇護されていることはわかっているのに、恐怖がいよいよ募って、もう震えが出るまでになっている。  時間はだんだんたっていった。ふと厩の向こうの、往来に向かったドアの開く音がした。それからゴロクたびマを置いて規則正しいノックが聞こえた。やがて明かりが馬車の中にさしこんだ。私はびっくりしてあわててそこらを見回した。私のネダイのわきに眠っていたカピは、うなり声を立てて起き上がった。私はそのときその明かりが馬車の小窓から入って来ることを知った。その小窓は私たちのネダイの向こうについていたのを、さっきはカーテンがかかっていたのでとこに入るとき気がつかなかったのであった。この窓の上部はマチアのネダイに近く、下部は私のネダイに近かった。カピがうちじゅうを起こしてはいけないと思って、私は彼の口に手を当てて、それから外をながめた。  すると父親が厩に入って来て、静かに向こう側のドアを開けた。そして二人、肩に重い荷をせおった男を外から呼び入れて、やはり用心深い様子で、またドアを閉めた。それから彼はくちびるに指を当てて、提灯を持った片手で私たちの眠っている事に指さしをした。私はほとんどそんな心配は要りませんと言って、声をかけようとしたが、もうマチアがよく眠っていると思ったから、それを起こすまいと思って、そっとだまっていた。  父親はそのとき二人の男に手伝って荷物の紐をほどかせて、やがて見えなくなったが、まもなく母親を連れて戻って来た。彼のいないあいだに二人の男は荷物の封を開いた。中には帽子と下着と靴下に手ぶくろなどがあった。まさしくこの男たちは両親の所へ品物を売りに来た商人であった。父親はいちいち品物を手に取って、提灯の明かりで調べて、それを母親にわたすと、母親は小さなはさみで、正札を切り取って、隠しの中に入れた。これが私には奇妙に思えたし、それとともに、売り買いをするのにこんな真夜中の時間を選んだということも不思議であった。  母親が品物を調べているあいだに、父親は商人に小声で話をしていた。私がもうすこしイギリス語を知っていたら、たぶん彼の言った言葉がわかったであろうが、私の聞き得たかぎりでは、ポリスメン(巡査)ということだけであった。それはたびたびくり返して言ったので、そのため私の耳にも止まったのであった。  残らずの品物がていねいに書き留められたとき、両親と二人の男がうちの中に入った。そして私たちの車はまた暗黒のうちに置かれた。彼らは確かに勘定をするために、うちの中に入ったのであった。私は自分の見たことがごく当たり前のことであると信じようとしたが、いくらそう望んでも、そう信ずることができなかった。  なぜあの両親に会いに来た二人の男が、ほかのドアからはいって来なかったのであろうか。なぜ彼らはなにか戸の外で聞くもののあることをおそれるかのように、小声で巡査の話をしていたのであったか。なぜ母親は品物を買ったあとで、正札を切り取ったのであろうか。私はこの考えをとりのけることができなかった。しばらくして明かりがまた馬車の中へさしこんで来た。私は今度はつい我知らず外をながめた。私は自分では見てはならないと思っていたが、でも‥:‥私は見た。私は自分では知らずにいるほうがいいと思ったが、でも‥:‥私は知ってしまった。  父親と母親と二人だけであった。母親が手早く品物の荷作りをするまに、父親は厩のすみを掃いた。彼がかわいた砂をもり上げたそばに、落としのドアがあった。彼はそれを引き上げた。そのときもう母親は荷物にすっかり縄をかけておいたので、父親はそれを受け取って、落としから下の穴へ下ろした。母親はそばで提灯を見せていた。それから彼は落としのドアを閉めて、またその上に砂を掃き寄せた。その砂の上に二人は藁くずをまき散らして/厩の床のほかの部分と同じようにした。そうしておいて彼らは出て行った。  彼らがそっとドアを閉めた瞬間に、マチアが寝床の中で動いたこと、枕の上であお向けになったことを私は見たように思った。彼は見たかしら。私はそれを思い切って聞けなかった。頭から足のつま先まで私は冷や汗をかいて-いた。私はこのありさまでまる一晩’置かれた。にわとりが夜明けを知らせた。そのときやっと私はまぶたをふさいだ。  そのあくる朝わたしたちの車の戸を開ける鍵の音がしたので、私は目を覚ました。きっと父親がもう起きる時間だと言いに来たのであろうと思って、私は彼を見ないように目を閉じた。 「君の弟だったよ」とマチアが言った。「ドアの鍵を開けて出て行ったよ」  私たちは着物を着た。マチアは私によく眠れたかとも聞かなかった。私も彼に質問しなかった。一度’彼が私のほうを見たように思ったから、私は目をそらせた。  私たちは台所まで行った。けれども父親も母親もそこにはいなかった。祖父は例の大きな椅子に腰をかけて、もうゆうべから座ったなりいるように、火の前にがんばっていた。そうしていちばん上の妹のアンニーというのが、食卓を拭いていた、いちばん上の弟のアレンが部屋を掃いていた。私は彼らのそばへ寄って「おはよう」と言ったが、/彼らは私には目もくれないで、仕事を続けていた。  私は祖父のほうへ行ったが、/彼は私を見てそばへは寄せつけなかった。そうして前の晩のように私のほうに唾をはきかけた。それで私は行きかけて立ち止まった。 「聞いてくれたまえよ」と私はマチアに言った。「いつ、父さんや母さんは出て来るのだか」  マチアは私の言ったとおりにした。すると祖父は私たちの一人がイギリス語を話したので、すこし機嫌を直したように見えた。 「なんだと言うのだね」と私は言った。 「君の父さんは一日よそへ出て帰らない。母さんは眠っている。それで出たければ外へ僕たちが出てもいいというのだ」 「たったそれだけしか言わないの」と私はこの翻訳がたいへん簡単すぎると思って言った。  マチアはまごついたようであった。 「そのほかの言葉はよくわかったか、どうだか知らない」と彼は言った。 「ではわかったと思うだけ言いたまえ」 「なんでもあの人は、僕たちも町でなにか商売でもして、一儲けして来るがいい。ただ飯を食われては’やりきれない、というようなことを言っていたと思う」  祖父は彼の言ったことを、マチアが説明して聞かしているとさとったものらしく、中気でないほうの手でなにかを隠しにおしこもうとするような身ぶりをして、それから目配せをして見せた。 「出かけよう」と私はすぐに言った。  ニサン時間のあいだ私たちはそこらを歩き回ったが、みちに迷ってはいけないと思って遠くへは行かなかった。ベスナル・グリーンは夜見るよりも昼見るとさらにひどい所であった。マチアと私は、ほとんど口を利かなかった。ときどき彼は私の手をにぎりしめた。  私たちがうちへ帰ったとき、母親はまだ部屋から出て来なかった。開け放したドアのすきから私は彼女が机の上につっぷしているのを見た。彼女は病気なのだと思ったが、私は話をすることができないから、代わりにキッスしようと思って、そばへかけて行った。  すると彼女はふらふらする頭を持ち上げて、私のほうをながめたが、顔は見なかった。彼女の熱い息の中には、ぷんとジン酒の匂いがした。私は後ずさりをした。彼女の頭はまた下がって、机の上にぐったりとなった。 「ジンに当たったのだよ」と祖父は言って、歯をむき出した。  私はそのほうは見向きもせずにじっと立ち止まった。体が石になったように感じた。どのくらいそうして立っていたか知らなかった。ふと私はマチアのほうを向いた。彼は両ガンに涙をいっぱいうかべて、私を見ていた。私は彼に合図をして、また二人でうちを出た。  長いあいだ私たちはおたがいの手を組み合って並んで歩きながら、何も言わずに、どこへ行こうという当てもなしに、まっすぐに歩いた。 「ルミ、君はどこへ行くつもりだ」と彼はとうとう心配そうにたずねた。 「僕は知らない。どこかへ’とだけしか言えない。マチア、僕は君と話がしたい。だがこの人ごみの中では話もできない」  私たちはそのとき、いつか広い町へ出ていた。そのはずれには公園があった。私たちはそこまでかけて行って、腰掛けに腰をかけた。 「ねえ、マチア、僕がどんなに君を愛しているか、知ってるだろう。だから今度ぼくがうちの人たちに会いに来るとき、一緒に君に来てもらったのは、君のためを思ったことだったのだ。君は僕がなにを頼んでも、僕の友情を疑いはしないだろうねえ」と私は言った。 「馬鹿なことを言いたまえ」と彼は無理に笑って言った。 「君は僕を泣きださせまいと思って、そんなふうに笑うのだね」と私は答えた。「僕は君と一緒にいるときに、泣けないなら、いつ泣くことができよう。でも‥:‥おお‥:‥マチア、/マチア」  私は両腕をなつかしいマチアの首にかけて、ほろほろ涙をこぼした。私はこんなに情けなく思ったことはなかった。私がこの広い世界に独りぼっちであった時分、かえって私はこの瞬間ほどに不幸だとは感じなかった。私はすすり泣きをしてしまったあとで、やっと気を落ち着けることができた。私がマチアを公園に連れて来たのは、/彼のあわれみを求めるためではなかった。それは私のためではなかった。彼のためであった。 「マチア」と私は思い切って言った。「君はフランスへ帰らなければならないよ」 「君を捨てて、どうして」 「僕は君がそう答えるだろうと思っていた。それを聞いて僕はうれしい。ああ、君が僕と一緒にいたいというのは、まったくうれしい。けれどマチア、君はすぐにフランスへ帰らなければならないよ」 「なぜさ、そのわけを言いたまえ」 「だって‥:‥ねえ、マチア、怖がってはいけないよ。君はゆうべ眠ったかい。君は見たかい」 「僕は眠らなかったよ」と彼は答えた。 「すると君は見た‥‥」 「ああ残らず」 「そうして君はそのわけがわかったか」 「あの品物が、代をはらったものでないことはわかるよ。だって、君のお父さんは、あの男たちに母家のドアをたたかないで、厩のドアをたたいたというのでおこっていた。するとあの二人は巡査が見張りをしているからと言っていたもの」 「それで君は行かなければならないことがよくわかったろう」と私は言った。 「僕が行かなければならないなら、君だって行かなければならない。それは僕にだって、君にだって、いいはずがないもの」:「パリでガロフォリに会ったとして、あの人が無理に君を連れ帰ろうとしたら、君はきっと、僕に一人で別れて行ってくれと言うと思うよ。僕はただ君が自分でもするだろうと思うことをするだけだ」  彼は答えなかった。 「君はフランスへ帰らなければいけない」と私は言い張った。「リーズの所へ行って僕が約束したことも、あの子の父親のためにしてやることも、みんなできなくなったわけを話してくれたまえ。僕はあの子に、なによりも僕のすることはあの人の借金をはらってやることだと言った。君はあの子にそれのできなくなったわけを話してくれたまえ。それからバルブレンのおっかあの所へも行ってくれたまえ。ただうちの人たちは思ったほど金持ちではなかったとだけ言ってくれたまえ。かねのないということはなにもはずかしいことではないのだから。でもそのほかのことは言わないでくれたまえ」 「君が僕に行けと言うのは、あの人たちが貧乏だからというのではない。だから僕は行かない」とマチアは強情に答えた。「僕はゆうべ見たところでそれがなんだかわかった。君は僕の身の上を案じているのだ」 「マチア、それを言わないでくれ」 「君はいつか、僕までが代のはらってない品物の正札を切り取るようなことになるといけないと心配しているのだ」 「マチア、/マチア、よしたまえ」 「ねえ、君が僕のために心配するなら、僕は君のために心配する。僕たち二人で出かけよう」 「それはとてもできない。僕の両親は君にとってはなんでもないが、僕には父親と母親だ。僕はあの人たちと一緒にいなければならない。あれは僕の家族なのだから」 「君の家族だって。あの泥棒をする男が、君の父親だって。あの飲んだくれ女が、君の母親だって」 「マチア、それまで言わずにいてくれ」と私は腰掛けからとび上がって叫んだ。「君は僕の父親や母親のことをそんなふうに言っているが、僕はやはりあの人たちを尊敬しなければならない。愛さなければならない」 「そうだ。それが君のうちの人なら、そうしなければ。だが‥:‥あの人たちは」 「君、あんなにたくさん’証拠のあるのを忘れたかい」 「なにがさ、君は父さんにも母さんにも似てはいない。あの子どもたちはみんな色が白いが、君は黒い。それにぜんたいどうしてあの人たちが子どもを探すためにそんなにたくさんの-かねが使えたろうか。そういういろいろのことを集めてみると、僕の考えでは、君はドリスコル家の人ではない。君はバルブレンのおっかあの所へ手紙をやって、君が拾われたときの産着がどんなふうであったか、たずねてみたらどうだ。それから君がお父さんといま呼んでいるあの人に子どもが盗まれたとき着ていた着物のくわしいことを聞かせてもらいたまえ。それまでは僕は動かないよ」 「でももし君の気の毒な頭が、そのために一つ食らったらどうする」 「なあに友だちのためなら’ぶたれても、そんなにつらくはないよ」と彼は笑いながら言った。 ▓。▓。▓。 【第36章】 【カピの罪】 ▓。▓。▓。  私たちは晩までレッド・ライオン・コートへ帰らなかった。父親と母親は私たちのいなかったことをなにも言わなかった。夕めしのあとで父親は二脚の椅子を炉のそばへ引き寄せた。すると祖父からぐずぐず言われた。それから彼は、私たちがフランスにいたころ、食べるだけのお金が取れていたか、私から聞き出そうとした。 「僕たちは食べるだけのものを取っただけではありません。雌牛を一頭’買うだけのお金を取ったのです」とマチアはきっぱりと言った。そのついでに彼はその雌牛でどういうことが起こったか話した。 「おまえたちはなかなか利口な小僧だ」と父親が言った。「どのくらいできるかやっておみせ」  私はハープを取って一曲ひいたが、ナポリ小唄ではなかった。マチアはヴァイオリンで一曲、コルネで一曲やった。中でコルネのソロが、ぐるりへ/輪になって集まった子どもたちからいちばん’喝采を受けた。 「それからカピ、あれもなにかできるか」と父親がたずねた。「あれも自分の食いしろを稼ぎ出さなければならん」  私はカピの芸にはひどく自慢であったから、/彼にありったけの芸をやらした。例によって彼は大成功をした。 「おや、この犬は立派な金儲けになるぞ」と父親が叫んだ。  私はこの賞賛で大変うれしくなって、カピに教えれば、教えたいと思うことはなんでも覚えることを彼に話した。父親は私の言ったことをイギリス語に翻訳した。そのうえ私の言ったほかになにかつけ加えて言ったらしく、みんなを笑わせた。祖父はたびたび目をぱちくりやって、「どうもえらい犬だ」と言った。 「だから私はマチアにも、一緒にこのうちにいてくれるかと言いだしたわけさ」と父親が言った。 「僕はルミといつまでもいたいのです」とマチアが答えた。 「成程。それでは私から申し出すことがあるが」と父親が言った。「私たちは金持ちではないから、みんなが一緒に働いているのだ。夏になると私たちは田舎を旅をして回って、子どもらは、向こうから買いに来てくれない人たちの所へ品物を持って売りに行くのだ。けれども冬になると、たんとすることが無くなるのだ。ところでおまえとルミにはこれから町へ出て音楽をやってもらおう。クリスマスが近いんだから、すこしは’かねができるだろう。そこでネッドとアレンがカピを連れて行って、芸をやって笑わせるのだ。そういうふうなことにすれば、うまく仕事がふり分けられるというものだ」 「カピは僕とでなければ働きません」と私はあわてて言った。私はこの犬と別れることは我慢できなかった。 「なあにあれはアレンや、ネッドとじきに仕事をすることを覚えるよ」と父親が言った。「そういうふうにしてよけい-かねを取るようにするのだ」 「おお、僕たちもカピと一緒のほうがよけい-かねが取れるのです」と私は言い張った。 「もういい」と父親が手短に言った。「私がこうと言えばきっとそうするのだ。口返答をするな」  私はもうそのうえ言わなかった。その晩とこに入ると、マチアが私の耳にささやいた。 「さあ、あしたはいよいよバルブレンのおっかあの所へ手紙をやるのだよ」  こう言って彼はネダイにとび上がった。  しかし、そのあくる朝/わたしは、カピにいやでも因果を言いふくめなければならなかった。私は彼を腕にだいて、その冷たい鼻に優しくキッスしながら、これからしなくてはならないことを言って聞かした。かわいそうな犬よ。どんなに彼は私の顔をながめたか、どんなに耳を立てていたか、私はそれからアレンの手に紐を私て、犬は二人の子どもにおとなしく、しかしがっかりした様子でついて行った。  父親はマチアと私をロンドンの町中へ連れて行った。きれいな家や、白い敷石道のある立派な往来があった。ガラスのようにぴかぴか光る馬車がすばらしい馬に引かれて、その上に粉をふりかけた鬘をかぶった大きな太った御者が乗っていた。  私たちがレッド・ライオン・コートへもどったのは、もうおそかった。ウェストエンドからベスナル・グリーンまでの距離はかなり遠いのである。私はまたカピを見てどんなにうれしく思ったろう。彼はどろまみれになっていたが、上機嫌であった。私はあんまりうれしかったから、かわいた藁で彼の体をよくかいてやったうえ、私の羊の毛皮にくるんで:、一緒にトコの中に入れて寝かしてやった。  こんなふうにしてゴ六にち過ぎていった。マチアと私は別な道を行くと、カピとネッドとアレンがほかの方角へ行った。  するとある日の夕方、父親が「あしたはおまえたちがカピを連れて行ってもいい、二人の子どもにはうちで少しさせることがあるから」と言った。マチアと私は非常に喜んで、一生懸命やって/たくさんの-かねを取って帰れば、これからはしじゅう私たちに犬をつけて出すようになるだろうというもくろみを立てた。ぜひともカピを返してもらわなければならない。私たち三人は一人だって欠けてはならないのだ。  私たちは朝早くカピをごしごし洗ってやって、くしを入れてやって、それから出かけた。  運悪く私たちのもくろみどおりには運ばないで、深い霧がまる二日のあいだロンドンに垂れこめていた。その霧の深いといっては、ついフタ足ミ足’前がやっと見えるくらいであった。この霧のまくの中でたまたま私たちのやっている音楽に耳を止めている人も、もうすぐそばのカピの姿を見なかった。これは私たちの仕事にはじつにやっかいなことであった。でもこの霧のおかげを、もうニサンプンあとでは、どれほどこうむらなければならないことであったか、それだけはまるで考えもつかなかった。  私たちはいちばん人通りの多い町の一つを通って行くと、ふとカピが一緒にいないことを発見した。この犬はいつだって、私たちのあとにぴったりついて来るのであったから、これはめずらしいことであった。私はあとから追いつけるように彼を待っていた。ある暗い路地口に立って、なにしろわずかの距離しか見えなかったから、そっと口ぶえをふいた。私は彼が盗まれたのではないかと心配し始めたとき、/彼は口に毛糸の靴下をイッソクくわえて駆けてやって来た。前足を私に向けて彼は一声’吠えながらその靴下をささげた。彼はもっともむずかしい芸の一つをやりとげたときと同様に、得意らしく私の賞賛を求めていた。これはほんのニサン秒の出来事であった。私は開いた口がふさがらなかった、するとマチアは片手で靴下をつかんで、片手で私を路地口から引っ張った。 「早く歩きたまえ。だが、駆けてはいけない」と彼はささやいた。  彼はしばらくして私に言うには、敷石の上で彼のわきを駆けて通った男があって、「泥棒はどこへ行った、つかまえてやるぞ」と言いながら行ったというのである。私たちは路地の向こうの出口から出て行った。 「霧が深くなかったら、僕たちは危なく泥棒の罪で拘引されるところだったよ」とマチアは言った。しばらくのあいだ、私はほとんど息をつめて立っていた。うちの人たちは私の正直なカピに泥棒を働かせたのだ。 「カピをしっかりおさえていたまえ」と私は言った。「うちへ帰ろう」  私たちは急いで歩いた。  父親と母親は机の前に腰をかけて、せっせと品物をしまいこんでいた。  私はいきなり靴下をほうり出した。アレンとネッドはぷっとふきだした。 「さあ、これが靴下です」と私は言った。「貴方がたは僕の犬を泥棒にしましたね。僕は人のなぐさみに使うために犬を連れて行ったのだと思っていました」  私はふるえていて、ほとんど口がきけなかった。でもこのときほどしっかりした決心をしたことはなかった。 「うん、なぐさみのほかに使ったら」と父親は反問した。「おまえ、どうするつもりだ。聞きたいものだね」 「僕はカピの首に縄を巻きつけて、これほどかわいい犬ですけれど、僕はあいつを水に沈めてしまいます。私は自分が泥棒にされたくないと同様、カピを泥棒にはしてもらいたくないのです。いつか私が泥棒にならなければならないようなことがあれば、私は犬と一緒にすぐ水に沈んでしまいます」  父親は私の顔をしげしげと見ていた。私は彼がよっぽど私を打とうとしかけたと思った。彼の目は光った。でも私はたじろがなかった。 「おお、ではよしよし」と彼は思い返して言った。「またそういうことのないように、おまえ、これからは自分でカピを連れて歩くがいい」 ▓。▓。▓。 【第37章】 【ごまかし】 ▓。▓。▓。  私は二人の子どもに拳骨を見せていた。私は彼らにものを言うことはできなかったが、でも彼らは私の様子で、このうえ私の犬をどうにかすれば、私にひどい目に会うであろうと思った。私はカピを保護するためには、/彼ら二人と戦うつ-もりでいた。  その日からうちじゅうの者は残らず、大っぴらで私に対して憎悪を見せ始めた。祖父は私がそばに寄ると、腹立たしそうに唾を吐いてばかりいた。男の子とウエの妹は彼らにできそうなあらゆるいたずらをした。父親と母親は私を無視して、いてもいない者のようにあつかった。そのくせ毎晩わたしから-かねを取り立てることは忘れなかった。  こうして私がイギリスへ上陸したとき、あれほどの愛情を感じていた全家族は私に背中を向けた。たった一人’赤ん坊のケートが、私のかまうことを許した。でもそれすら、隠しに彼女のためのキャンデーか、みかんの一つ持ち合わせないときには、冷淡にそっぽを向いてしまった。  私ははじめマチアの言ったことを耳に入れようとはしなかったが、だんだんすこしずつ、私はまったくこのうちの者ではないのではないかと疑い始めた。私は彼らに対してこれほどひどくされるようなことはなにもしなかった。  マチアは私がそんなにがっかりしているのを見て、独り言のように言った。 「僕はバルブレンのおっかあから、早くどんな着物を君が着ていたか言って寄こすといいと思うがなあ」  とうとう’やっとのことで、手紙が来た。例のとおりお寺の坊さんが代筆をしてくれた。それにはこうあった。 「小さいルミよ。お手紙を読んで驚きもし、悲しみもしました。バルブレンの話と、あなたが拾われたとき着ていた着物から、あなたがよほどお金持ちのうちに生まれたことと私は思っていました。その着物はそのままそっくり、しまってありますから、いちいち言うことはわけのないことです。あなたはフランスの赤子のように、おくるみにくるまってはいませんでした。イギリスの子どものように、長い上着と下着を着ていました。白いフランネルの上着にたいそうしなやかな麻の服を重ね、白い絹でふちを取って、美しい白の縫箔をしたカシミアの外とうを着ていました。またかわいらしいレースのボンネットをかむり、それから小さい絹の薔薇の花のついた白い毛糸の靴下を履いていました。それにはどれも印はありませんが、肌につけていたフランネルの上着には印がありました。でもその印はていねいに切り取られていました。さて、ルミ、あなたにご返事のできることはこれだけですよ。約束をしなすった立派な贈り物のできないことを苦にやむことはありません。あなたの貯金で買ってくれた雌牛は、私にとっては世界中の贈り物’残らずもらったと同様です。喜んでください。雌牛もたいそう丈夫で、相変わらずいい乳を出しますから。このごろではごく気楽に暮らしています。その雌牛を見るたんびにあなたとあなたのお友だちのマチアのことを思い出さないことはありません。時々はお便りを寄こしてください。あなたはほんとに優しい、いい子です。どうかせっかくうちを見つけたのだから、おうちのみなさんがあなたをかわいがるようにと、そればかり望んでいます。ではご機嫌よろしゅう。  あなたの養母  バルブレンの後家より」  なつかしいバルブレンのおっかあ。彼女は自分が私を愛したようにだれも私を愛さなくてはならないと思っているのだ。 「あの人はいい人だ」とマチアは言った。「じつにいい人だ。僕のことも思っていてくれる。さあ、これでドリスコルさんがどう言うか、見たいものだ」 「父さんは品物の細かいことは忘れているかもしれない」 「どうして子どもがかどわかされたとき着ていた着物を、親が忘れるものか。だってまたそれを見つけるのは着物が手がかりだもの」 「とにかくなんと言うか、聞いて、それから考えることにしよう」  私が盗まれたとき、どんな着物を着ていたか、これを父親にたずねるのは容易なことではなかった。なんの下心’なしに偶然この質問を発するなら、それはいたって簡単なことであろう。ところが事情がそういうわけでは、私は臆病にならずには’いられなかった。  さてある日、冷たい霙が降って、いつもより早くうちへ引き上げて来たとき、私は両腕に勇気をこめて、長らく心にかかっている問題の口を切った。  私の質問を受けると、父親はじっと私の顔を見つめた。けれど私はこの場合できそうに思っていた以上だいたんに、/彼の顔を見返した。すると彼はにっこりした。その微笑にはどことなくとげとげしい残酷な様子が見えたが、でも微笑は微笑であった。 「おまえが盗まれて行ったとき」と彼はそろそろと話しだした。「おまえはフランネルの服と麻の服と、レースのボンネットに、白い毛糸の靴下と、それから白い縫箔のあるカシミアの外とうを着ていた。その着物のうち二枚までは、エフ・ディー、すなわちフランシス・ドリスコルのカシラ字がついていたが、それはおまえを盗んだ女が切り取ってしまったそうだ。そのわけは、そうすれば手がかりがないと思ったからだ。なんならおまえの洗礼証書をしまっておいたから、それを見せてあげよう」  彼は引き出しを探って、すぐと一枚の大きな紙を出して、私に手わたしをした。 「よかったらマチアに翻訳させください」と私は最後の勇気をふるって言った。 「いいとも」  マチアがそれをできるだけよく翻訳した。それで見ると、私は八月二日の木曜日に生まれたらしい。そしてジョン・ドリスコルおよびその妻マーガレット・グランデの息子であった。  この上の証拠をどうして求めることができようか。 「これはみんなもっともらしい」とその晩’車の中に帰ると、マチアは言った。「でもどうして旅アキンド風情が、その子どもにレースのボンネットや、縫箔の外とうを着せるだけの-かねがあったろう。旅アキンドというものは、そんなに金のあるものではないさ」 「旅アキンドだから、そんな品物をたやすく手に入れることができたのだろう」  マチアは口ぶえをふきふき首をふっていた。それからまた小声で言った。 「君はあのドリスコルの子どもではないが、ドリスコルが盗んで来た子どもなのだ」  私はこれに答えようとしたが、/彼はもうずんずんネダイの上に這い上がっていた。 ▓。▓。▓。 【第38章】 【アーサのおじさん──ジェイムズ・ミリガン氏】 ▓。▓。▓。  私がマチアの位置であったなら、おそらく彼と同様な想像をしたかもしれなかったが/自分の位置として私はそんな考えを持つのはまちがっていると感じた。ドリスコル氏が私の父親だということは、もはや疑う余地なく証明された。私はそれをマチアと同じ立場からながめることができなかった。彼は疑い得る‥:‥けれど私は-うたぐってはならない。彼がなんでも自分の思うことを、私に信じさせようと努めると、私は彼にだまっていろと言い聞かせた。けれども彼はなかなか頑強で、その強情にいつも打ち勝つことは困難であった。 「なぜ君だけ色が黒くって、うちのほかの人たちは色が白いのだ」と彼はくり返して、その点を問いつめようとした。 「どうして貧乏人がやわらかなレースや、縫箔を赤ん坊に着せることができたか。」これがもう一つたびたび繰り返される質問であった。すると私はこちらから逆に反問して、わずかにこれに答えることができた。あの人たちにとって私が子でないならば、なぜ僕を捜索したか。なぜバルブレンや、グレッス・アンド・ガリーに-かねをやったか。  マチアは私の反問に返事ができなかったけれども、/彼はけっして承服しようとはしなかった。 「僕らは二人でフランスへ帰るのがいいと思う」と彼は勧めた。 「そんなことができるものか」 「君は一家と一緒にいるのが義務だと言うのかい。でもこれが君の一家だろうか」  こういう押し問答の結果は、一つしかなかった。それは私を今までよりもよけい不幸にしただけであった。疑うということはどんなにおそろしいことであろう。でもいくら疑うまいと思っても私は疑った。私が自分にはうちがないと思って、あれほど悲しがって泣いていた時分、こうしてうちができた今日かえってこれほどの失望におちいろうとは誰が思ったろう。どうしたら私は本当のことがわかるだろう。そう考えて、いよいよ胸にせまってくるとき、私は歌を歌って、踊りを踊って、笑って、しかめっ面でもするほかはなかった。  ある日曜日のことであった。父親はきょうは用があるからうちにいろと私に言い渡した。彼はマチアだけを一人’外へ出した。ほかの者もみんな出て行った。祖父だけが一人、二階に残っていた。私は父親と一時間ばかりいたが、やがてドアをたたく音がして、いつもうちへ父親を訪ねて来る人とは、まるでちがった紳士が入って来た。彼は五十才ぐらいの年輩で、流行のスイを集めた身なりをしていた。犬のような真っ白なとんがった歯をして、笑うときにはそれをかみしめようとでもするようにくちびるをあとへ引っこめた。彼はしじゅう私のほうをふり向いてみながら、イギリス語で私の父に話しかけた。  それからしばらくして、/彼はほとんどなまりのないフランス語で話し始めた。 「これが君の話をした子どもか」と彼は言った。「なかなか丈夫そうだね」 「旦那にご挨拶しろ」と父親が私に言った。 「ええ、僕はごく丈夫です」  こう私はびっくりして答えた。 「おまえは病気になったことはなかったか」 「一度’肺炎をやりました」 「ハア、それはいつだね」 「三年まえです。僕は一晩’寒い中で寝ました。一緒にいた親方は凍えて死にましたし、僕は肺炎になりました」 「それから体の具合はなんともないか」 「ええ」 「疲れることはないか、寝汗は出ないか」 「ええ。疲れるのはたくさん歩いたからです。けれどほかに具合の悪いところはありません」  彼はそばへ寄って私の腕にさわった。それから頭を心臓にすりつけた。今度は背中と胸にさわって、大きく息をしろと言った。彼はまた咳をしろとも言った。それがすむと、/彼は長いあいだ私の顔を見た。そのとき私は彼がかみつこうとするのだと思ったほど、/彼の歯はおそろしい笑い顔のうちに光った。しばらくして彼は父親と一緒に出て行った。  これはなんのわけだろう。あの人は私を雇い入れるつもりなのかしら。私はマチアともカピとも別れなければならないのかしら。嫌だ。私は誰の家来にもなりたくない。まして初め-っからきらっているあんな人の所へなんか行くものか。  父親は帰って来て、「行きたければ外へ出てもいい」と私に言った。私は例の厩の車の中へ入って行った。するとそこにマチアがいたので、どんなにびっくりしたろう。彼はそのとき指をくちびるに当てた。 「厩のドアを開けたまえ」と彼は小声で言った。「僕はそっとあとから出て行くからね。僕がここにいたことを知られてはいけない」  私はけむに巻かれて、言われるとおりにした。 「君はいま父さんの所へ来た人が誰だか、知ってるかい」と彼は往来へ出ると、目の色を変えてたずねた。「あれがジェイムズ・ミリガン氏だよ。君の友だちのおじさんだよ」  私は敷石道の真ん中に行って、ぽかんと彼の顔をながめた。彼は私の腕をつかまえてあとから引っ張った。 「僕は一人ぼっちで出かける気にならなかった」と彼は続けた。「だから眠るつもりであすこへ入った。だが僕は眠れずにいた。するうち君の父さんと一人の紳士が厩の中へ入って来た。その人たちの言うことを残らず僕は聞いたのだ。はじめは僕も聞く耳を立てるつもりではなかったが、のちにはそれをしずにいられないようになった。  『どうして、岩のように丈夫だ』とその紳士が言った。『十人に9人までは死ぬものだが、あれは肺炎の危険を通りこして来た』  『甥御さんはどうですね』と君の父さんがたずねた。  『だんだんよくなるよ。ミ月まえも医者がまたさじを投げた。だが母親がまた救った。いや、あれは不思議な母親だよ。ミリガン夫人という女は』  僕がこの名前を聞いたとき、どうして窓に耳をくっつけずには’いられたと思うか。  『では甥御さんがよくなるのでは、あなたの仕事はむだですね』と君の父さんが言葉を続けた。  『さしあたりはまずね』ともう一人が答えた。『だがアーサがこのうえ生きようとは思えない。それができれば奇跡というものだ。俺は奇跡を心配しない。あれが死ねば、あの財産の相続人はおれのほかにはないのだ』  『ご心配なさいますな。私が見ています』とドリスコルさんが言った。  『ああ、おまえに任せておくよ』とミリガン氏が答えた」  これがマチアの話すところであった。  マチアのこの話を聞きながら、私の初めの考えは、父親にすぐたずねてみることであったが、立ち聞きをされたことを知らせるのは、かしこい仕方ではなかった。ミリガン氏は父親と打ち合わせる仕事があるとすれば、多分またうちへ来るだろう。このつぎは向こうで顔を知らないマチアが、あとをつけることもできる。  それからニサンニチののち、マチアはぐうせん往来で、以前/ガッソーの曲馬団で知り合いになったイギリス人のボブに出会った。私はとちゅうで彼がマチアにあいさつするところを見て、非常に仲のいいことがわかった。  彼はまたすぐとカピや私が好きになった。その日から私たちはこの国に一人、しっかりした友だちができた。彼はその経験と知恵で、のちに困難におちいった場合、私たちの非常な力になったのであった。 ▓。▓。▓。 【第39章】 【マチアの心配】 ▓。▓。▓。  春の来るのはおそかったが、とうとう一家がロンドンを去る日が来た。馬車がぬりかえられて、商品が積みこまれた。そこには帽子、肩かけ、ハンケチ、/シャツ、肌着、耳輪、かみそり、せっけん、おしろい、クリーム、なんということなしにいろいろなものが積まれた。  馬車はもういっぱいになった。馬が買われた。どこからどうして買ったか、私は知らなかったが、いつのまにか馬が来ていた。それでいっさい出発の用意ができた。  私たちは、いったい祖父と一緒にうちに残るのか、一家とともに出かけるのか、知らずにいた。けれど父親は私たちが音楽でなかなかいい-かねを取るのを見て、まえの晩’私たちに彼について行って音楽をやれと言い渡した。 「ねえ、フランスへ帰ろうよ」とマチアは勧めた。「いまがいい潮時だ」 「なぜイギリスを旅行して歩いてはいけないのだ」 「なぜならここにいると、きっとなにか始まるにちがいないから。それにフランスへ行けば、ミリガン夫人とアーサを見つけるかもしれない。アーサが加減が悪いのだと、夫人はきっと船に乗せて来るだろう。もうだんだん夏になってくるから」  でも私は彼に、どうしてもこのままいなければならないと言った。  その日わたしたちは出発した。その午後’彼らがごくわずかの値打ちしかない品物を売るところを見た。私たちはある大きな村に着くと、馬車は広場に引き出されていた。その馬車の横側は低くなっていて、買い手の欲をそそるように美しく品物が並んでいた。 「値段を見てください。値段を見てください」と父親は叫んだ。「こんな値段はどこへ行ったってあるものじゃありません。まるで売るんじゃない。ただあげるのだ。さあさあ」 「あいつは泥棒して来たにちがいない」  品物の値段づけを見た往来の人がちょいちょいこう言っているのを私は聞いた。彼らがもしそのとき、そばで私がきまり悪そうな顔をしているのを見たら、いよいよ推察の当たっていることを知ったであろう。  彼らはしかし私に気がつかなかったとしても、マチアは気がついていた。 「いつまで君はこれを辛抱していられるのだ」と彼は言った。  私はだまっていた。 「フランスへ帰ろうよ」と彼はまた勧めた。「なにか起こる。もうすぐになにか起こると僕は思う。おそかれハヤかれ、ドリスコルさんが、こう品物を安売りするところを見れば、巡査がやって来るのはわかっている。そうなればどうする」 「おお、マチア‥‥」 「君が目をふさいでいれば、僕はいよいよ大きく目をあいていなければならない。僕たちは二人ともつかまえられる。なにもしなくっても、どうしてその証拠を見せることができよう。僕たちは現にあの人がこの品物を売って得た-かねで、三度のものを食べているのではないか」  私はついにそこまでは考えなかった。こう言われて、いきなり顔をまっこうからなぐりつけられたように思った。 「でも僕たちは僕たちで自分の食べ物を買う-かねは取っている」と、私はどもりながら弁護しようとした。 「それはそうだ。けれど僕たちは泥棒と一緒に住まっていた」と、マチアはこれまでよりはいっそう思い切った調子で答えた。「それで’もし、ぽくたちが牢屋へやられればもう、君の本当のうちの人を探すこともできなくなるだろう。それにミリガン夫人にも、あのジェイムズ・ミリガンに気をつけるように言ってやりたい。あの人がアーサにどんなことをしかねないか、君は考えないのだ。まあ行けるうちに少しでも早く行こうじゃないか」 「まあもうニサンニチ考えさしてくれたまえ」と私は言った。 「では早くしたまえ。大男退治のジャックは肉の匂いをかいだ─:─僕は危険の匂いを嗅ぎつけている」  こんなふうにして煮えきれずにいるうちに、とうとう偶然の事情が、私に思い切ってできなかったことをさせることになった。それは’こうであった。  私たちがロンドンを立ってから数週間あとであった。父親は競馬のあるはずの町で、屋台ミセの車を立てようとしていた。マチアと私は商売のほうになにも用がないので、町からかなりへだたっていた競馬場を見に行った。  イギリスの競馬場のぐるりには、たいていイチバが立つことになっていた。いろいろ種類のちがう香具師や、音楽師や、屋台ミセがニサンニチまえから出ていた。  私たちはあるテントハり小屋で、たき火の上に鉄びんがかかっている所を通り過ぎると、曲馬団でマチアの友だちであったボブを見つけた。彼はまた私たちを見つけたので、たいそう喜んでいた。彼は二人の友だちと一緒に競馬場へ来て、力持ちの見世物を出そうとしているところであった。そのためある音楽師をニサンニンやくそくしたが、まぎわになってだめになったので、あしたの興行は失敗になるのではないかと心配していたところであった。彼の仕事にはにぎやかな人寄せの音楽がなければならなかった。  私たちはそこで彼の手伝いをしてやろうということになった。一座ができて、私たち五人の間に利益を分けることになった。そのうえカピにもいくらかやることにした。ボブはカピが演芸の合い間に芸をして見せてくれることを望んでいた。私たちは約束ができて、あくる日決めた時間に来ることを申し合わせた。  私が帰ってこのもくろみを父に話すと、/彼はカピはこちらで入り用だから、あれはやられないと言った。私は彼らがまた人の犬をなにか悪事に使うのではないかと疑った。私の目つきから、父はもう私のシンチュウを推察した。 「ああ、いや、なんでもないことだよ」と彼は言った。「カピは立派な番犬だ。あれは馬車のわきへ置かなければならん。きっと大ぜい回りへ’たかって来るだろうから、品物をかすめられてはならない。おまえたち二人だけで行って、友だちのボブさんと一稼ぎやって来るがいい。多分おまえのほうは夜おそくまですむまいと思うから、そのときは『おおがしの宿屋』で待ち合わせることにしよう。あしたはまた先へたって行くのだから」  私たちはそのまえの晩『おおがしの宿屋』で夜を明かした。それは一マイル(約1.6キロ)離れたさびしい’街道にあった。その店はなにか気の許せない顔つきをした夫婦がやっていた。その店を見つけるのはごくわけのないことであった。それは真っ直ぐな道であった。ただいやなことは、一日つかれたあとで、かなりな道のりを歩いて行かなければならないことであった。でも父親がこう言えば、私は服従しなければならなかった。それで私は宿屋で会うことを約束した。  そのあくる日、カピを馬車に結わえつけて番犬において、私はマチアと競馬場へ急いで行った。  私たちは行くとさっそく、音楽を始めて、夜まで続けた。私の指は何千という針でさされたように、ちくちく痛んだし、かわいそうなマチアはあんまりいつまでもコルネをふいて、ほとんど息が出なくなった。  もう夜中を過ぎていた。いよいよおしまいの一番をやるときに、/彼らが演芸に使っていた大きな鉄の棒がマチアの足に落ちた。私は彼の骨がくじけたかと思ったが、運よくそれはひどくぶっただけであった。骨はすこしもくじけなかったが、やはり歩くことはできなかった。  そこで彼はその晩ボブと一緒に泊まることになった。私はあくる日ドリスコルの一家の行く先を知らなければならないので、一人「おおがしの宿屋」へ行くことにした。その宿屋へ私が着いたときは、真っ暗であった。馬車があるかと思って見回したが、どこにもそれらしいものは見えなかった。二つ三つあわれな荷車のほかに、目に入ったものは大きな檻だけで、そのそばへ寄ると野獣の吠え声がした。ドリスコル一家の財産であるあのごてごてと美しくぬりたてた馬車はなかった。私は宿屋のドアをたたいた。亭主はドアを開けて、ランプの明かりをまともに私の顔にさし向けた。彼は私を見覚えていたが、中へ入れてはくれないで、両親はもうルイスへ向けて立ったから、急いであとを追っかけろと言って、もうすこしでもぐずぐずしては’いられないとせきたてた。それでぴしゃりとドアを立てきってしまった。  私はイギリスに来てから、かなりうまくイギリス語を使うことを覚えた。私は彼の言ったことが、はっきりわかったが、ぜんたいそのルイスがどこらに当たるのか、まるっきり知らなかった。よしその方角を教わったにしても、私は行くことはできなかった。マチアを置いて行くことはできなかった。  私は痛い足をいやいや引きずって競馬場に帰りかけた。やっと苦しい一時間ののち、私はボブの車の中でマチアと並んで眠っていた。  あくる朝/ボブはルイスへ行く道を教えてくれたので、私は出発する用意をしていた。私は彼がアサハンのお湯をわかすところを見ながら、ふと目を火から離して外をながめると、カピが一人の巡査に引っ張られて、こちらへやって来るのであった。どうしたということであろう。  カピが私を見つけた瞬間、/彼は紐をぐいと引っ張った。そして巡査の手からのがれて私のほうへ’とんで来て、腕の中にだきついた。 「これはおまえの犬か」と巡査がたずねた。 「そうです」 「では一緒に来い。おまえを拘引する」  彼はこう言って、私の襟をつかんだ。 「この子を拘引するって、どういうわけです」とボブが火のそばからとんで来て叫んだ。 「これはおまえの兄弟か」 「いいえ、友だちです」 「そうか。ゆうべ、おとなと子どもが二人、セント・ジョージ寺へ泥棒に入った。彼らははしごをかけて、窓から入った。この犬がそこにいて番をしていた。ところが犯行中おどろかされて、あわてて窓から逃げ出したが、犬を寺へ置いて行った。この犬を手がかりにして、泥棒は確かに見つかると思っていた。ここに一人いた。今度はそのおやじだが、そいつはどこにいる」  私はひと言も言うことができなかった。この話を聞いていたマチアは、車の中から出て来て、びっこをひきひき私のそばに寄った。ボブは巡査に、この子がザイニ-ンであるはずがない、なぜならゆうべ一時まで一緒にいたし、それから「おおがしの宿屋」へ行って、そこの主人と話をして、すぐここへ帰って来たのだからと言った。 「寺へ入ったのは一時’十五分過ぎだった」と巡査が言った。「するとこの子がここを出たのは一時だから、それから仲間に会って、寺へ行ったにちがいない」 「ここから町までは十五分以上かかります」とボブが言った。 「なに、駆ければ行けるさ」と巡査が答えた。「それに、こいつが一時にここを出たという確かな証拠があるか」 「私が証人です。私はちかいます」とボブが叫んだ。  巡査は肩をそびやかした。 「まあ子どもが判事の前へ出て、自分で陳述するがいい」と彼は言った。  私が引かれて行くときに、マチアは私の首に腕をかけた。それはあたかも、私をだこうとしたもののようであったが、マチアにはほかの考えがあった。 「しっかりしたまえ」と彼はささやいた。「僕たちは君を見捨てはしないよ」 「カピを見てやってくれたまえ」と私はフランス語で言った。けれど巡査は言葉を知っていた。 「おお、どうして」と彼は言った。「この犬は儂が預かる。この犬のおかげで貴様を見つけたのだ。もう一人もこれで見つかるかもしれない」  巡査に手錠をかわれて、私は大ぜいの目の前を通って行かなければならなかった。けれどこの人たちは私がまえにつかまったときの、フランスの百姓のように、辱めたりののしったりはしなかった。この人たちはたいてい巡査に敵意を持っていた。彼らはジプシー族や浮浪者であった。どれも宿無しの浮浪人であった。  今度’拘引された留置場にはねぎが転がしてはなかった。これこそ本当の牢屋で、窓には鉄の棒がはめてあって、それを見ただけで、もうどうでも逃げ出したいという気を起こさせた。部屋にはたった一つの腰掛けと、ハンモックがあるだけであった。私は腰掛けにぐったり倒れて、頭を両手にうずめたまま、長いあいだじっとしていた。マチアとボブは、よし、ほかの仲間の加勢を頼んでも、とてもここから私を救い出すことはできそうもなかった。私は立ち上がって窓の所へ行った。鉄の格子は頑丈で、目が細かかった。壁はサンシャク(約一メートル)も厚みがあった。下の床は大きな石がしきつめてあった。ドアは厚い鉄板をかぶせてあった。どうしてにげるどころではなかった。  私はカピがお寺にいたという事実に対して、自分の無罪を証拠だてることができるであろうか。マチアとボブとは、私がゲンジョウにいなかったという証人になって、私を助けることができようか。彼らがこれを証明することさえできたら、あのあわれな犬が、私のために都合悪く提供した無言の証明があるにかかわらず、放免になるかもしれない。看守が食べ物を持って来たとき、私は判事の前へ出るのは、手間がとれようかと聞いた。私はそのときまで、イギリスでは、拘引されたあくる日、裁判所へ呼ばれるということを知らなかった。親切な人間らしい看守は、きっとそれはあしただろうと言った。  私は囚人が差し入れの食べ物の中に、よく友だちからの内緒の言づけを見つけるという話を聞いていた。私は食べ物に手がつかなかったが、ふと思いついて、/パンを割り始めた。私はナカになにも見つけなかった。パンと一緒についていたじゃがいもをも粉々にくずしてみたが、ごくちっぽけな紙きれをも見つけなかった。  私はその晩’眠られなかった。つぎの朝’看守は水の入ったかめと金盥を持って、私の部屋に入って来た。彼は顔を洗いたければ洗えと言って、これから判事の前へ出るのだから、身なりをきれいにすることは損にはならないと言った。しばらくしてまた看守はやって来て、あとについて来いと言った。私たちはいくつか廊下を通って、小さなドアの前へ来ると、/彼はそのドアを開けた。 「おはいり」と彼は言った。  私の入った部屋は大変せま苦しかった。おおぜいのわやわや言うつぶやきをも聞いた。私のこめかみはぴくぴく’波を打って、ほとんど立っていることができないくらいであったが、そこらの様子を見ることはできた。  部屋は大きな窓と、高い天井があって、立派な構えであった。判事は高い台の上に腰をかけていた。その前のすぐ下には、ほかの三人の裁判官が腰をかけていた。そのそばに私は法服を着て、鬘をかぶった紳士と一緒に並んだ。これが私の弁護士であることを知って、私は驚いた。どうして弁護士ができたろう。どこからこの人はやって来たのだろう。  証人の席には、ボブと二人の仲間、「おおがしの宿屋」の亭主、それから私の知らないニサンニンの人がいた。それから向こう側にはゴ六人の人の中に、私を拘引した巡査を見つけた。検事は二言三言で、罪状を陳述した。セント・ジョージ寺で窃盗事件があった。泥棒はおとなと子どもで、はしごを登って入るために、窓をこわした。彼らは外へ張り番の犬を置いた。一時’十五分過ぎにおそい通行人が寺の明かりを見つけて、すぐに寺男を起こした:、ゴ六人、人が寺へかけつけると、犬ははげしく吠えて、泥棒は犬をあとに残したまま、窓からにげた。犬の知恵はおどろくべきものであった。つぎの朝その犬を巡査が競馬場へ連れて行った。そこで彼はすぐと主人を認識した。それはすなわち現に囚人席にいる子どもにほかならなかった。なお一人の共犯者に対しては、追跡中であるからほどなく捕縛の手続きをするはずである。  私のために言われたことはいたってわずかであった。私の友人たちは私がゲンジョウにいなかったという証言をしたけれども、検事は、いや、寺へ行って共犯者に出会って、それから「おおがしの宿屋」へかけて行く時間はじゅうぶんあったと言った。私はそれからどうして犬が一時’十五分ごろ寺にいたか、その理由を述べろと言われた。私は犬は-まる一日’自分のそばにいなかったのだから、それをなんとも言うことはできないし、私はなにも知らないと申し立てた。  私の弁護士は、犬がその日のうちに寺に迷いこんで、寺男が戸を閉めたとき、中へ閉めこまれたものであるということを証拠だてようと努めた。彼は私のためにできるだけのことをしてくれたが、その弁護は力が弱かった。  そのとき判事はしばらく私を郡立刑務所へ送っておいて、いずれ巡回裁判の回って来るまで待つことにしようと言い渡した。  巡回裁判。私は腰掛けに倒れた。おお、なぜ私はマチアの言うことを聞かなかったのであろう。 ▓。▓。▓。 【第40章】 【ボブ】 ▓。▓。▓。  判事が子どもを連れて寺へ入った泥棒の捕縛を待つために、私はとうとう放免されなかった。彼らはそのときになって、私がその男の共犯者であるかどうか初めて決めようと言うのである。  彼らはただいま追跡中であると検事が言った。そうすると、私はその男と並んで、囚人席に-いれられて、巡回裁判官の前に出る恥辱と苦痛をしのばなければならないのであろう。  その晩’日のくれかかるまえ、私ははっきりとコルネの音を聞いた。マチアが来ているのだ。なつかしいマチアよ。彼はじきそばに来て、私のことを思っていることを知らそうとしたのであった。彼はまさしく窓の外の往来にいるのであった。私は足音と大ぜいのぶつぶつ言う声を聞いた。マチアとボブが、きっと演芸を始めているのであった。  ふと私はよくとおる声で、「あした夜明けに」とフランス語で言う声を聞いた。私はそれがなんのことだか確かにはわからなかった。とにかくあしたの夜明けにはしっかり気を張っていなければならなかった。  暗くなるとさっそく私はハンモックに入った。たいへん疲れてはいたけれど、寝込むにはなかなか手間がとれた。そのうちやっとぐっすり寝込んだ。目が覚めるともう夜中であった。星は暗い空にかがやいて、沈黙がすべてを支配していた。トケイは三時を打った。私はこれで一時間、これで十五分と勘定していた。壁によりかかりながら、じっと目を窓に向けて、星が一つ一つ消えてゆくのをながめた。遠方には鳥が時を作る声が聞こえた。もう明け方であった。  私はごく静かに窓を開けた。なにがそこにあったか。相変わらず鉄の格子と、高い壁が前にあった。私は出ることができない。けれど馬鹿げた考えではあっても、私は自由になることを待ちもうけていた。  朝の風が耳がちぎれるように寒か-ったけれど、私は窓のそばに立ち止まって、なにを見るということなしに見て、なにを聞くということなしに耳を立てた。  大きな白い雲が空に浮かんだ。夜明けであった。私の心臓ははげしく鼓動した。  すると壁をがりがり引っかく音が聞こえた。でも足音をすこしも聞かなかった。私は耳を澄ませた。引っかく音が続いた。ぬっと人の頭が壁の上に現れた。うす暗い光の中に私はボブを見つけた。  彼は鉄格子に顔をおしつけて、私を見た。 「静かに」と彼は’そっと言った。  彼は私に窓からどけという合図をした。不思議に思いながら、私は服従した。彼は豆鉄砲を口に当ててふいた。かわいらしい鉄砲玉が空をまって、私の足もとに落ちた。ボブの頭が消えた。  私は弾丸をわしづかみにつかんだ。それはうすい紙を豆のように小さい玉に丸めたものであった。明かりがあんまり暗いので、なにが書いてあるか見えなかった。夜の明けるまで待たなければならなかった。私は’そっと窓を閉めて、小さな紙玉を手に持ったまま、またハンモックに転がった。光の来ることのどんなにおそいことぞ。やっと私はその紙に書いてある文字を読むことができた。それにはこうあった。 「あした君は汽車に乗せられて、郡立刑務所へ送られるはずだ。巡査が一人ついて行くことになっている。君は汽車の戸口に近い所にいたまえ。よく勘定していたまえ、四十五分目に汽車は連結点の近くで速力をゆるめる。そのときドアを開けてとびだしたまえ。左手のコヤマを登れば、われわれはそこに待っている。しっかりやれ。なによりもうまく前へとんで、足を下に着くことだ」  助かった。私は巡回裁判の前に出ないですむ。ありがたい、マチア。それから、ボブ。マチアに加勢してくれるボブはずいぶんいい人だ。かわいそうにマチア一人では、とてもこれだけできやしない。  私は書きつけを二度’読み直した。汽車が出てから四十五分‥:‥左手のコヤマ‥:‥汽車から跳び下りるのは剣呑な仕事だ。でもそれをやり損なって死んでも、したほうがいい。泥棒の宣告を受けて死ぬよりマシだ。  私はまたもう一度’書きつけを読んでから、それをくちゃくちゃにかんでしまった。  そのあくる日の午後、巡査は監房に入って来て、すぐついて来いと言った。彼は五十以上の男であった。私は彼がたいしてはしっこそうでないのを見て、まずよしと思った。  事件はボブが言ったように進んで行った。汽車は走り出した。私は汽車の戸口に席をしめた。巡査は私の前に腰をかけた。車室の中は私たちだけであった。 「おまえはイギリス語がわかるか」と巡査はたずねた。 「あまり早く言われなければわかります」と私は答えた。 「そうか。よし。それでは少しおまえに相談がある」と彼は言った。「法律をあなどらないようにしろ。まあどういうしだいの事件だか、話してごらん。おまえに五シルリングやる。牢の中で-かねを持っていればよけい気楽だ」  私はなにも白状することがないと言おうとしたが、そう言うと巡査をおこらせるだろうと思って、なにも言わなかった。 「まあ、よく考えてごらん」と彼は続けた。「で、刑務所へ行っても、向こうで、いちばん先に来た者に言わないで、私の所へそう言ってお寄こし。おまえのことを心配している人間のあることは、都合のいいことだし、私は喜んでおまえの加勢をしてやる」  私は頷いた。 「ドルフィンさんと言ってお聞き。おまえ、名前を覚えたろうなあ」 「ええ」  私はドアによりかかっていた。窓はあいていて、風がふきこんだ。巡査は余り風が入ると言って、腰掛けのまん中へ席を移した。私の左の手がそっと外へ回ってハンドルを回した。右の手で私はドアをつかんだ。数分間たった。汽笛が鳴って速力がゆるんだ。  いよいよ大事な瞬間が来た。私はせいてドアをおし開けて、できるだけ遠くへとんだ。運よく前へ出していた私の手が草にさわった。でも震動はずいぶんひどかったから、私は人事不省で地べたに転がった。私が正気に返ったとき、私はまだ汽車の中にいると思った。私はまだ運ばれているように感じたのであった。そこらを見回して、私は馬車の中に転がっていることを知った。奇妙だ。私のほおはしめっていた。やわらかな温かい舌が、私を舐めていた。少しふり向くと、一匹の黄色い、みっともない犬が私の顔をのぞきこんでいた。マチアが私のそばにひざをついていた。 「君は助かったよ」と彼は言って、犬をおしのけた。 「僕はどこにいるんだ」 「君は馬車の中だよ。ボブが御者をしている」 「どうだな」とボブが御者台から声をかけた。「手足が動かせるか」  私は手足をのばして、/彼の言うとおりにした。 「よし」とマチアは言った。「どこもくじきやしない」 「どうしたんだ」 「君は僕らの言ったとおりに、汽車から跳び下りた。だが震動で目が回って、みぞの中に転がりこんだ。君がいつまでも来ないから、ボブが馬車を下りて、コヤマを駆け下りて、君を腕にひっかかえて帰って来た。僕らは君が死んだと思ったよ。まったく心配したよ」  私は彼の手をさすった。 「それから巡査は」と私は聞いた。 「汽車はあのまま進んだ。止まらなかった」  私の目はまた、そばで私をながめている、みにくい黄色い犬の上に落ちた。  それはカピに似ていた。でもカピはシロかった。 「なんだね、この犬は」と私はたずねた。  マチアが答える間もないうちに、そのみっともない小さな動物は私の上に跳びかかった。はげしく舐め回して、くんくん鳴いていた。 「カピだよ。絵具で染めたのだよ」とマチアが笑いながら叫んだ。 「染めた、どうして」 「だって見つからないようにさ」  ボブとマチアが馬車の中にうまく私をかくすようにくふうしてくれているあいだに、私は、いったいこれからどこへ行くのだとたずねた。 「リツル・ハンプトンへ」とマチアが言った。「そこへ行けば、ボブのにいさんが船を持っていて、ノルマンデーからバターと卵を運んで、フランスの海岸を回っているのだ。僕らはなにからなにまでボブの世話になった。僕のようなちっぽけな者が、一人でなにができよう。汽車から跳び下りるくふうもボブが考えたのだ」 「それからカピは。カピをうまく取り返したのは誰だ」 「僕だよ。だが、僕らが犬を交番から取りもどしたあとで、見つからないように黄色く絵具をぬったのはボブだった。判事はあの巡査を気が利いていると言った。だがカピを連れて行かれるのは、あんまり気が利いたと言えない。もっともカピは僕の匂いを嗅ぎつけて、ほとんど一人で出て来た。ボブは犬泥棒の術を知っているのだ」 「それから君の足は」 「よくなったよ。たいていよくなったよ。じつは僕は足のことを考えているひまがなかった」  夜になりかかっていた。私たちはまだ長い道を行かなければならなかった。 「君はこわいか」と私がだまって転がっていると、マチアがたずねた。 「いや、こわくはない」と私は答えた。「だって僕はつかまるとは思わないから。でも逃げ出すということが罪になりやしないかと思うのだ。それが気になるのだ」 「ボブも僕も、君を巡回裁判に出すぐらいなら、なにをしてもいいと思ったからな」  あれから、汽車が止まったところで、巡査がさっそく捜索にかかることは確かなので、私たちは一生懸命’馬を走らせた。私たちの通って行く村は、非常に静かであった。明かりがただ二つ三つ窓に見えた。マチアと私は毛布の下に潜った。しばらくのあいだ寒い風がふいていた。くちびるに舌を当てると、塩からい味がした。ああ、私たちは海に近づいていた。  まもなく私たちは、ときどき明かりのちらちらするのを見つけた。それが灯台であった。ふとボブは馬を止めて、馬車からとび下りながら、私たちに待っていろと言った。彼は兄弟の所へ行って、私たちをその船に乗せて、安全に向こう岸までわたれるか、様子を聞きに行ったのであった。  ボブは非常に遠くへ行ったらしかった。私は口をきかなかった。すぐ間近の岸に、波のくだける音が聞こえた。マチアはふるえていた。私もふるえていた。 「寒いね」と彼はささやいた。私たちをふるえさせるのは寒さのためだけであったろうか。  やがて往来に足音がした。ボブは帰って来た。私の運命が決められた。胴フクを着て油じみた帽子をかぶった/無骨な顔つきの船乗りが、ボブと一緒に来た。 「これが僕の兄貴だ」とボブが言った。「君たちを船に乗せて行ってくれるはずだ。そこで僕はここでお別れとしよう。誰も僕が君をここへ連れて来たことを知るはずがないよ」  私はボブに礼を言おうとしたが、/彼は手短に打ち切った。私は彼の手をにぎった。 「それは言いっこなしだ」と彼は軽く言った。「君たち二人は、このあいだの晩ぼくを助けてくれた。いいことをすればいい報いがあるさ。それで僕もマチアの友だちを助けてあげることができたのだから、自分でも愉快だ」  私たちはボブの兄弟のあとについて、いくつか折れ曲がった静かな-とおりを通って、波止場に着いた。彼はひと言も口をきくことなしに、一艘の小さい帆船を指さした。ニサンプンで私たちは甲板の上にいた。彼は私たちに下の小さな船室に入れ-と言った。 「二時間すれば船を出す」と彼は言った。「そこに入って、音のしないようにしておいで」  でも私たちはもう震えてはいなかった。私たちは真っ暗な中で肩をならべて座っていた。 ▓。▓。▓。 【第41章】 【白鳥号】 ▓。▓。▓。  ボブの兄弟が立ち去ったあと、しばらくのあいだ私たちは、ただ風の音と、キールにぶつかる波の音を聞くだけであった。やがて足音が上の甲板に聞こえて、滑車が回りだした。帆が上げられて、やがて急に一方にかしいだ。動き始めたと思うまもなく、船はあらい海の上へぐんぐんすべり出した。 「マチア、気の毒だね」と私は彼の手を取った。 「かまわないよ。助かったのだから」と彼は言った。「船に酔ったってなんだ」  そのあくる日、私は船室と甲板の間に時間を過ごした。マチアは一人うっちゃっておいてもらいたがった。とうとう船長が、あれがバルフルールだと指さしてくれたとき、私は急いで船室に下りて、/彼にいい知らせを伝えようとした。  もう、バルフルールに着いたときは、夕方おそくなっていたので、ボブの兄弟は私たちによければ/今夜’一晩’船の中で寝て行ってもいいと言った。 「おまえさんがまたイギリスへ帰りたいと思うときには」とそのあくる朝、私たちがさようならを言って、/彼の骨折りを感謝すると、こう言った。「エクリップス号は毎火曜日ここから出帆するのだから、覚えておいで」  これはうれしい好意であったが、マチアにも私にも、てんでん、この海を二度と渡りたくない‥:‥ともかくも、ここしばらくは渡りたくないわけがあった。  運よく私たちの隠しには、ボブの興行を手伝って儲けたお金があった。みんなで二十七フランと五十サンチームあった。マチアはボブに二十七フランを、私たちの逃亡のために骨を折ってくれた礼にやりたいと思ったが、/彼は1スーの-かねも受け取らなかった。 「さてどちらへ出かけよう。」私はフランスへ上陸するとこう言った。 「運河について行くさ」とマチアはすぐに答えた。「僕は考えがあるのだ。僕はきっと白鳥号がこの夏は運河に出ていると思うよ。アーサが悪いのだからね。僕はきっと見つかるはずだと思うよ」と彼は言い足した。 「でもリーズやほかの人たちは」と私は言った。 「僕たちはミリガン夫人を探しながら、あの人たちにも会える。運河をのぼって行きながらとちゅう止まってリーズをたずねることができる」  私たちは持って来た地図で、いちばん近い川を探すと、それはセーヌ川であることがわかった。 「僕たちはセーヌ川をのぼって行って、とちゅう岸で会う船頭に片っぱしから白鳥号を見たかたずねようじやないか。君の話では、その船はだいぶなみの船とはちがうようだから、見れば覚えているだろうよ」  これからおそらく続くかもしれない長い旅路にたつまえに、私はカピの体を洗ってやるため、やわらかい石鹸を買った。私にとっては、黄色いカピは、カピではなかった。私たちは代わりばんこにカピをつかまえては、/彼がいやになるまでよく洗ってやった。でもボブの絵具は上等な絵具で、洗ってやってもやはり黄色かった。だがいくらか青みをもってはきた。それで彼をもとの色に返すまでには、ずいぶんたびたび石鹸浴をやった。幸いノルマンデーは小川の多い地方であったから、毎日わたしたちは根気よく行水をつかってやった。  私たちはある朝’小山の上に着いた。私たちの前途に当たって、セーヌ川が大きな曲線を作って流れているのを見た。それから進んで行って、私たちは会う人ごとにたずね始めた。あの廊下のついた美しい船の白鳥号を見たことはないか─:─誰もそれを見た者はなかった。きっと夜のうちに通ってしまったのかもしれなかった。私たちはそれからルーアンへ行った。そこでもまた同じ問いをくり返したが、やはりいい結果は得られなかった。でも私たちは失望しないで、一人ひとりたずねながらずんずん進んだ。  行く道みち食べ物を買う-かねを取るために、足を止めなければならなかったから、やがてパリの郊外へ着くまでは五日間かかった。  幸いシャラントンに着くと、まもなくどの方角に向かっていいか見当がついた。さっそく例の大事な質問を出すと、初めて私たちは待ちもうけていた返答を受け取った。ハクチョウ号に似た大きな遊山船が、この道を通ったが、左のほうへ曲がって、セーヌ川をずんずん上って行った、というのであった。  私たちは岸の近くに-おりてみた。マチアは船頭たちの中で舞踏曲をやることになったので、大変はしゃぎきっていた。とつぜんダンスをやめて、ヴァイオリンを持って、マチアは気違いのように凱旋マーチをひいた。彼がひいているまに、私はその船を見たという男によくたずねた。疑いもなくそれは白鳥号であった。なんでもそれはふた月ほどまえ、シャラントンを通って行った。  ふた月か。なんという遠い話であろう。だがなにを躊躇することがあろう。私たちにも足がある。向こうも二匹のいい馬の足がある。でもいつか追い着くであろう。ひまのかかるのはかまったことではない。なにより大事な、しかも不思議なことは、ハクチョウ号がとうとう見つかったということであった。 「ねえ、まちがってはいなかった」とマチアが叫んだ。  私に勇気があれば、マチアに向かって、私が非常に大きな希望を持っていることを打ち明けたかもしれない。けれど私は自分の心を自分自身にすら細かく解剖することができなかった。私たちはもういちいち立ち止まって人に聞く必要はなかった。ハクチョウ号が私たちの先に立って進んで行く。私たちはただセーヌ川について行けばいいのだ。私たちは道みちリーズのいる近所を通りかけていた。私は彼女がその’家のそばの岸を船の通るとき、見ていなかったろうかと疑った。  夜になっても、私たちはけっしてつかれたとは言わなかった。そしてあくる朝は早くから出かける仕度をしていた。 「僕を起こしてくれたまえ」と眠ることの好きなマチアは言った。  それで私が起こすと、/彼はすぐにとび起きた。  倹約するために私たちは荒物屋で買ったゆで卵と、/パンを食べた。でもマチアはうまいものはたいへん好んでいた。 「どうかミリガン夫人が、そのタルトをうまくこしらえる料理番をまだ使っているといいなあ」と彼は言った。「あんずのタルトはきっとおいしいにちがいない」 「君はそれを食べたことがあるかい」 「僕はりんごのタルトを食べたことはあるが、あんずのタルトは知らない。見たことはあるよ。あの黄色いジャムの上にいっぱいくっついている、白い小さなものは’なんだね」 「はたんきょうさ」 「ヘエエ。」こう言ってマチアはまるでタルトを一口にうのみにしたように口を開いた。  水門にかかって、私たちは白鳥号の便りを聞いた。誰もあの美しい小船を見たし、あの親切なイギリスの婦人と、甲板の上のソファに眠っている子どものことを話していた。  私たちはリーズの家の近くに来た。もう二日、それから一日、それからあとたったニサン時間というふうに近くなってきた。やがてその’家が見えてきた。私たちはもう歩いては’いられない。駆け出した。どこへ私たちが行くかわかっているらしいカピは、先に立って勢いよく走った。彼は私たちの来たことをリーズに知らせようとしたのであった。彼女は私たちを迎えに来るだろう。  けれども私たちがその’家に着いたとき、戸口には知らない女の人が一人たっているだけであった。 「シュリオのおかみさんはどうしました」と私はたずねた。  しばらくのあいだ彼女は、馬鹿なことを聞くよ、と言わないばかりに、私たちの顔をながめた。 「あの人はもうここにはいませんよ」とやっと彼女は言った。「エジプトに行っていますよ」 「なにエジプトへ」  マチアと私はあきれて顔を見合わせた。私たちは本当にエジプトのある位置をよくは知らなかったが、それはぼんやりごくごく遠い海をこえて向こうのほうだと思っていた。 「それからリーズはどうしたでしょう。知っていますか」 「ああ、小さなおしの娘だね。そう、あの子は知っているよ。あの子はイギリスの奥さんと船に乗って行きましたよ」 「へえ、リーズが白鳥号に」  夢を見ているのではないか。マチアと私はまた顔を見合った。 「おまえさん、ルミさんかい」とそのとき女は’たずねた。 「ええ」 「まあ、シュリオさんは、水で死にましたよ‥‥」 「ええ、水で死んだ」 「そう、あの人は水門に落ちて、釘にひっかかって死んだのだ。それから気の毒なおかみさんはどうしていいかわからずにいた。するとあの人がセンにお嫁に来るまえに奉公していた奥さんが、エジプトへ行くというので、その奥さんに頼んで子どものウバにしてもらった。そうなるとリーズはどうしていいかわからずに困っていたところへ、イギリスの奥さんと病身の子どもが船に乗って運河を下りて来た。その奥さんと話をしているうち、奥さんはいつも独りぼっちで退屈している息子さんのアソビ相手を探しているところなので、リーズをもらって行って、教育してみようと言ったのさ。奥さんの言うのには、この子を医者にみせたら、おしが治っていつか’口がきけるようになろうということだからと言った。それでいよいよ発って行くときに、リーズがおばさんに、もしおまえさんがここへ訪ねて来たら、こうこう言ってくれという言づけを頼んで行ったそうだ。それだけですよ」  私はなんと言おうか、言葉の出ないほど驚いた。でもマチアは私のようにぼんやりはしなかった。 「そのイギリスの奥さんはどこへ行ったでしょう」 「スイスへね。リーズは私の所に向けて、おまえさんにあげるあて名を書いて寄こすはずだったが、まだ手紙は受け取らないよ」 ▓。▓。▓。 【第42章】 【生きた証拠】 ▓。▓。▓。 「さあ、進め、子どもたち。」婦人に礼を言ってしまうと、マチアがこう叫んだ。 「こうなると僕たちがあとを追うのは、アーサとミリガン夫人だけではなく、リーズまで一緒なのだ。なんという幸せだ。どういう回り合わせになるか、わかったものではないなあ」  私たちはそれからまた白鳥号探索の旅を続けた。ただ夜とまって、時々すこしの-かねを取るだけに足を止めた。 「スイスからはイタリアへ出るのだ」とマチアが感情をこめて言った。「もしミリガン夫人を追いかけて行くうちに、ルッカまで出たら、僕の小さいクリスチーナがどんなにうれしがるだろうな」  気の毒なマチア、/彼は私のために、私の愛する人たちを探すことに骨を折っている。しかも私は彼を小さな妹に会わせるためにはすこしも骨を折ってはいないのだ。  リヨンで、私たちは、ハクチョウ号の便りを聞いた。それはほんの六週間わたしたち’より前にそこを通ったのであった。それではいよいよスイスまで行かないうちに追い着くかもしれないと思った。そのときはまだ、ローヌ川からジュネーヴの湖水までは船が通らないことを知らなかった。私たちはミリガン夫人がまっすぐに船でスイスへ行ったものと思っていた。  するとそのつぎの町でふと白鳥号の姿を遠くに見つけたとき、どんなに私はびっくりしたであろう。私たちはカシについて駆け出した。どうしたということだ。小船の上はどこもここも閉めきってあった。廊下の上に花もなかった。アーサはどうかしたのかしらん。私たちはおたがいに同じような沈みきった顔を見合わせながら立ち止まった。  するとそのとき船を預かっていた男が私たちに、イギリスの奥さんは病人の子どもと、おしの小娘を連れてスイスへ出かけたと言った。彼らはひとり’女中を連れて、馬車に乗って行った。あとの家来は荷物を運びながら、続いて行った。  これだけ聞いて、私たちはまた息が出た。 「それで奥さんはどちらに行かれたのでしょう」とマチアがたずねた。 「奥さんはヴヴェーに別荘を持っておいでだ。だがどの辺だかわからない。なんでも夏はそこへ行って暮らすことになっているのだ」  私たちはヴヴェーに向かって出発した。もう向こうはずんずん歩いて行く旅ではない、足を止めているのだから、ヴヴェーへ行って探せば、きっとわかる。  こうして私たちがヴヴェーに着いたときには、隠しに三スーの-かねと、踵をすり切った長ぐつだけが残った。でもヴヴェーは思ったように小さな村ではなかった。それはかなりな町で、ミリガン夫人はとか、病人の子どもと’おしの娘を連れたイギリスの奥さんはとか言ってたずねたところで、いっこう馬鹿げていることがわかった。ヴヴェーにはずいぶんたくさんのイギリス人がいた。その場所はほとんどロンドン近くの遊山バによく似ていた。いちばんいい仕方は、あの人たちが住んでいそうな家を一軒一軒’探して歩くことである。そしてそれはたいしてむずかしいことではないであろう。私たちはただ町まちで音楽をやって歩けばいいのだ。  それで毎日こんよくほうぼうへ出かけて、演芸をやって歩いた。けれどまだミリガン夫人の手がかりはなかった。  私たちは湖水から山へ、山から湖水へ、右左を見て、しじゅう往来の人の顔つきをのぞいたり、言葉を聞いて、返事をしてくれそうな人にたずねて歩いた。ある人は私たちを山の中腹に造りかけた別荘へ行かせた。また一人は、その人たちは湖水のそばに住んでいると断言した。なるほど山の別荘に住んでいるのもイギリスの奥さんであった。湖水のそばに家を持っていたのもイギリスの奥さんであったが、私たちのたずねるミリガン夫人ではなかった。  ある日の午後、私たちは例のとおり往来の真ん中で音楽をやっていた。そこに大きな鉄の門のある家があった。母家は-そののおくに引っこんで建っていた。前には石の壁があった。私はありったけの高い声で歌を歌っていた。例のナポリの小唄の第’一節を歌って第二節にかかろうとしていたとき、か細い奇妙な声で歌う声がした。誰だろう。なんという不思議な声だろう。 「アーサじゃないかしら」とマチアが聞いた。 「いいや、アーサではない。僕はこれまであんな声を聞いたことがなかった」  けれどそのうちカピがくんくん言い始めた。はげしい歓喜の表情のありったけを見せて、壁に向かって跳びかかっていた。 「誰が歌を歌っているのだ」と、私はもう自分をおさえることができなくなって叫んだ。 「ルミ」と、そのときその奇妙な-か細い声が叫んだ。いまの私の言葉に返事をする代わりに、私の名前を呼んだのだ。  マチアと私は雷に打たれたようにおたがいに顔を見合わせた。私たちがあっけにとられて、てんでんの顔を見合ったまま立っていると、壁の向こうにハンケチが一枚ひらひらしているのが見えた。私たちはそこへ駆け出して行った。私たちは、そのの向こう側を取り巻いている垣根のそばまで行ってみて、初めてハンケチをふっている人を見つけた。 「リーズだ」  とうとう私たちは彼女を見つけた。もう遠くない所にミリガン夫人も、アーサもいるにちがいなかった。 「でもだれが歌を歌ったのだろう」  これがマチアも私も、やっと言葉が出るといきなり持ち出した質問であった。 「私よ」とリーズが答えた。  リーズが歌っていた。リーズが話しかけていた。  医者は、いつかリーズが彼女の言葉を取り返すだろう、それは多分はげしい感動の場合だと言っていたが、私はそんなことができるはずがないと思っていた。でも目の前に奇跡は行われた。そしてそれは私が彼女の所に来て、いつも歌い慣れたナポリ小唄を歌うのを聞いて、はげしい感動を起こした瞬間に、/彼女がその声を回復したことがわかった。私はそう思って、深く心を打たれたあまり、両手を延ばして体をまっすぐにした。 「ミリガン夫人はどこにいるの」と私はたずねた。「それからアーサは」  リーズはくちびるを動かしたが、ほんの聞き取れない音を出しただけで、じれったくなって、いつもの手まねの言葉になった。彼女はまだ言葉を本当に出すだけに器用に舌が働かなかった。  彼女はそのとき-そのを指さした。そこにアーサが病人用の寝椅子に寝ているのを見た。そのそばに母の夫人がいた。そしてもう一つこちらには‥:‥ジェイムズ・ミリガン氏がいた。  こわくなって、実際’戦慄して、私は垣根の後ろにはいこんだ。リーズは私がなぜそんなことをするか、不思議に思ったにちがいない。そのとき私は手まねをして、/彼女に向こうへ行かせた。 「おいで、リーズ。それでないと僕が、災難に会うから」と私は言った。「あした九時にここへおいで。一人でだよ。そのとき話してあげるから」  彼女はしばらく躊躇したが、やがて-そのへ入って行った。 「僕たちはミリガン夫人に話をするのをあしたまで待っていてはいけない」とマチアが言った。「こう言ううちもあの悪おじさんがアーサを殺しかねない。あの人はまだ僕の顔は知らないのだから、僕はすぐにミリガン夫人に会いに行って話をする」  マチアの言うところに道理があったので、私は彼を出してやった。私はしばらくのあいだ、/少し離れた大きな栗の木の蔭に待っていることにした。  私は長いあいだマチアを待った。十何度も、私は彼を出してやったのが、失敗ではなかったかと疑った。  やっとのことで、私は彼がミリガン夫人を連れて戻って来るのを見た。私はあわてて夫人のほうへ駆けて行って、私に差し出された手をつかんで、その上に体をかがめた。しかし彼女は両腕を私の体に回して、こごみながら優しく私のヒタイにキッスした。 「まあ、どうおしだえ」と夫人はつぶやいた。  夫人は美しい白い指で、私の額髪をなでて、長いあいだ私の顔を見た。 「そうだそうだ」と彼女は優しく独り言をささやいた。  私は余り幸福で、ひと言もものが言えなかった。 「マチアと私は長いあいだお話をしましたよ」と彼女は言った。「でも私はあなたがどうしてドリスコルのうちへ行くようになったか、あなたの口から聞きたいと思うのですよ」  私は彼女に問われるままに答えた。そして彼女は、そのあいだときどき口をはさんで、ところどころ要点を確かめるだけであった。私はこれほどの熱心をもって話を聞いてもらったことがなかった。彼女の目はすこしも私から離れなかった。  私が話をしてしまったとき、/彼女はしばらくだまって、私の顔を見つめていた。最後に彼女は言った。 「これはなかなか重大なことだから、よく考えなければならない。けれどいまからあなたはアーサのお友だち‥‥」  こう言って彼女はすこし躊躇しながら、「兄弟だと思ってください。二時間たったら、ザルプというホテルへ来てください。さしあたりそこに待っていてくれれば、誰か人を寄こしてそちらへ案内させますから。ではしばらくごめんなさいよ」  ふたたび夫人は私にキッスした。そしてマチアと握手をして、足早に歩いて行った。 「君はミリガン夫人になにを話したのだ」と私はマチアに質問した。 「あの人がいま君に言っただけのことさ。それからまだいろいろなことをね」と彼は答えた。 「ああ、あの人は親切な奥さんだね。立派な奥さんだね」 「アーサにも会ったかい」 「ほんの遠方から。でも立派な子どもだということはよくわかった」  私はまだマチアに質問し続けた。けれども彼は、何事もぼんやりとしか答えなかった。  私たちは相変わらずぼろぼろの旅仕度であったが、ホテルでは黒の礼服に白のネクタイをした給仕に案内をされた。彼は私たちを居間へ連れて行った。私たちの寝部屋を私はどんなに美しいと思ったろう。そこには白いネダイが並んでいた。窓は湖水を見晴らす露台に向かって開いていた。給仕は「夕食にはなんでもお好みのものを」と言った。そうして、よければ露台へ食卓を出そうかとも言った。 「タルトがありますか」とマチアがたずねた。 「へえ、大黄のタルトでも、いちごのタルトでも、すぐりの実のタルトでも」 「よし。ではそのタルトをぜひ出してください」 「三種ともみんな出しますか」 「むろん」 「それからお食事は。肉はなんにいたしましょう。野菜は‥‥」  いちいちの口上にマチアは目を丸くした。でも彼はいっこう閉口したふうを見せなかった。 「なんでもいいように見計らってください」と彼は冷淡に答えた。  給仕はもったいぶって部屋を出て行った。  そのあくる日/ミリガン夫人は、私たちに会いに来た。彼女は洋服屋とシャツ屋を連れて来た。私たちの服とシャツの寸法を計らせた。ミリガン夫人は、リーズがまだ話をしようと努めていることを話して、医者はもうじき治ると言っていると言った。それから一時間’私たちの所にいて、また私に優しくキッスし、マチアと固い握手をして、出て行った。  四日続けて彼女は来た。そのたんびにだんだん優しくも、愛情ぶかくもなっていったが、やはりいくらか控え目にするところがあった。五日目に、私が白鳥号でおなじみになった女中が夫人の代わりに来て、ミリガン夫人が私たちを待ち受けている、もうお迎えの馬車がホテルの門口に来ていると言った。マチアはさっそく一頭びきの馬車の上に、むかしから乗りつけている人のように乗りこんだ。カピもいっこうきまり悪そうなふうもなく中へ跳びこんで、ビロードのしとねの上にゆうゆうと上がりこんだ。  馬車の道はわずかであった。あまりわずかすぎたと思った。私は夢の中を歩いている人のように、馬鹿げた考えで頭の中がいっぱいであった。いや、すくなくとも私の考えたことは馬鹿げていたらしかった。私たちは客間に通された。ミリガン夫人と、アーサと、リーズがそこにいた。アーサは手を差し延べた。私は彼のほうへ駆け出して行って、それからリーズにキッスした。ミリガン夫人は私にキッスした。「やっとのことで」と彼女は言った。「あなたのものであるはずの位置に、あなたを置くことができるようになりました」  私はこう言われた言葉の意味を話してもらおうと思って、/彼女の顔を見た。彼女はドアのほうへ寄って、それを開けた。そのときこそ本当にびっくりするものが現れた。バルブレンのおっかあが入って来た。その手には赤ん坊の着物、同じカシミアの外とう、レースのボンネット、毛糸の靴などをかかえていた。彼女がこれらの品物を机に置くか置かないうちに、私は彼女をだきしめた。私が彼女にあまえているあいだに、ミリガン夫人は召使いに何か言いつけた。そのときほんの、「ジェイムズ・ミリガン」という名を聞いただけであったが、私は青くなった。 「あなたはなにも怖がることはないのよ」とミリガン夫人は優しく言った。「ここへおいで。あなたの手を私の手にお置きなさい」  ジェイムズ・ミリガン氏は例の白いとんがった歯をむき出して、にこにこしながらはいって来た。ところが私の顔を見ると、微笑がものすごい渋面になった。ミリガン夫人は彼にものを言うひまをあたえなかった。 「あなたにおいでを願いましたのは」と、ミリガン夫人はやや声をふるわせながら言った。「長男がやっと見つかりましたので、あなたにお引き合わせしたいとぞんじまして。」こう言って彼女は私の手をにぎりしめた。 「でもあなたはもうこの子にはお会いくださいましたそうですね。この子を盗んだ男の家で、この子にお会いになって、体の具合をお調べになったそうですね」 「それはなんのことです」とジェイムズ・ミリガン氏が反問した。 「なんでもお寺へ盗賊に入ったその男が、残らず白状いたしましたそうです。その男はどういうふうにしてわたくしの赤ん坊を盗み出して、/パリへ連れて行き、そこへ捨てたか、その一部始終を述べました。これがわたくしの子どもの着ておりました着物でございます。わたくしの子どもを育ててくれましたのは、この正直なおばあさんでございました。この手続をお読みになりたいとおぼしめしませんか。この着物を調べてごらんになりたいとおぼしめしませんか」  ジェイムズ・ミリガン氏は私に跳びかかって、しめ殺してでもやりたいような顔をしたが、やがてくるりと踵をふり向けた。そして敷居際で彼はふり返って言った。 「いずれ’法廷が、この子どもの作り話をどう聞くか、見てみましょうよ」  私の母、もう今はそう呼んでもいいが、─:─母はそのとき静かに答えた。 「あなたが法廷へこの事件をお持ち出しになるのはご随意です。わたくしはあなたが夫のご兄弟でいらっしゃるために、わざとそれをさしひかえたのでございます」  ドアは閉まった。そのとき、生まれて初めて私は、母を、/彼女が私にキッスしたようにキッスし返した。 「きみ、お母さんに、僕が秘密をよく守ったことを話してくれたまえ」とマチアが私のそばに寄って来てこう言った。 「では君は残らず知っていたのか」 「私はマチアさんにそれをそっくり言わずにいるように頼んでおいたのです」と私の母が言った。「それはあなたが私の子だということはわかっていたけれど、私も確かな証拠をにぎりたかったから、バルブレンのおっかさんに、着物を持ってここまで来てもらったのです。こんなにしたうえで、つまりそれがまちがいだということになったら、どんなにつらい思いをするかしれないからね。私たちはこれだけの証拠のあるうえは、もう二度と別れることはないのよ。あなたはこれからずっとあなたの母さんや弟と一緒に暮らすのです。」こう言ってマチアとリーズを指さしながら、「それから」と言いそえた。「あなたが貧しかったときおまえの愛したこの人たちもね」 ▓。▓。▓。 【第43章】 【家庭で】 ▓。▓。▓。  いくねんか、それはずいぶん長い月日が短く過ぎた。そのあいだしじゅう楽しい幸福な日が続いた。私はいまでは、私の先祖からの屋敷であるイギリスのミリガン・パークに住んでいる。  うちのない子、よるべのない子、この世の中に捨てられ、忘れられて、運命のもてあそぶままに西に東にただよって:、広い大海の真ん中に、目標になる灯台もなく、避難の港もなかったみなし子が、いまでは自分が愛し愛される母親や兄弟があるだけではない:、その国で名誉のある先祖の名跡をついで、莫大な財産を相続する身の上になったのである。  夜な夜な、物置きや厩の中、または青空の下の木の蔭に眠ったあわれな子どもが、今は歴史に由緒の深い古城の主人であった。  私が汽車から跳び下りて、押送の巡査の手からのがれて船に乗った、あの海岸から西へ二十里(約八十キロ)へだたった所に、私の美しい城はあった。  このミリガン・パークの本邸に、私は母と、弟と、妻と、自分とで、家庭を作っていた。  半年前から私は城内の文庫にこもって、私の長い少年時代の思い出を、せっせと書きつづっていた。私たちはちょうど長男のマチアのために洗礼式を上げようとしている。今夜’私の屋敷には貧窮であった時代の友だちが集まって、一緒に洗礼式を祝おうとしている:、わたしの書きつづった少年時代の思い出は一冊の本にできあがっていた。今夜’集まる人たちに一冊ずつ分けるつもりである。  これだけ私のむかしの友だちの集まるということが、私の妻をおどろかした。彼女はこの一夜に、父親と、姉と、兄と、おばさんに会うはずであった。ただ母と弟にはまだ内緒にしてあった。もう一人この席に大事な人が欠けていた。それはあの気の毒なヴィタリス親方。  親方の生きているあいだには、私はなにもこの人のためにしてやることができなかった。でも私は母に頼んで、この人のために大理石の墓を築かせた。その墓の上にはカルロ・バルザニの半身像をすえさせた。その半身像の複製はこうして書いている私の卓上にあった。「思い出の記」を書いている間も、私はたびたび目を上げてこの半身像をながめた。私の目はわけなくこの像にひきつけられた。私はこの人をけっして忘れることができない。なつかしいヴィタリス親方を忘れることはできない。  そう思っているとき、母が弟の腕にもたれかかって出て来た。弟のアーサはもうすっかりおとなになって、体も丈夫になって、いまでは立派に母をだきかかえする人になっていた。母の後ろからすこし離れて、フランスの百姓女のようなふうをした婦人が、白いむつき(おむつ)に包まれた赤子をだいてついて来た。これこそむかしのバルブレンのおっかあで、だいている子どもは、私の息子のマチアであった。  アーサがそのとき「タイムズ」新聞を一枚’持って来て、ウィーンの通信記事を読めといって見せてくれた。それを見ると、今は大音楽家になったマチアが、演奏会を一通りすませたところで:、とりわけウィーンでの大成功が彼をせつに引き止めているにかかわらず、あるやむにやまれない約束を果たすため、ただちにイギリスに向かって出発の途に着いたと書いてあった。私はそのうえ新聞記事をくどくどと読む必要がなかった。いまでこそ世間は彼を、ヴァイオリンのショパンだといってほめそやすが、私はとうから彼のめざましい成長発達を予期していた。私と弟と彼と三人、同じ教師について勉強していた時分、マチアは、ギリシャ語やラテン語こそいっこう進歩はしなかったが、音楽ではずんずん先生を凌駕(しのぐ)していた。こうなると、マンデの床屋さん兼業の音楽家/エピナッソー先生の予言が成程とうなずかれた。  そのとき、配達フが一通の電報を配達して来た。その文言にはこうあった。 「海上はなはだあらく、ひどくなやまされた。とちゅうパリに1泊。妹クリスチーナを同伴/4時に行く。出迎えの馬車を頼む。マチア」  クリスチーナの名が出たので、私はアーサの顔を見た。すると彼はきまり悪そうに目をそらせた。アーサがマチアの妹のクリスチーナを愛していることは私にはわかっていた。そしていつか、それがいますぐというのではなくとも、母がこの結婚を承知することはわかっていた。子どもの誕生のお祝いばかりですむものではない。母’は私の結婚にも反対しなかった。いまにそうするのが、つまりアーサのためだとわかれば、これにも反対するはずがなかった。  リーズ、私の美しい美しいリーズが廊下を通って出て来て、私の母の頭に手をかけた。 「ねえ、お母さま」と彼女は言った。「あなたはうまくたくらみにかかっておいでなのですわ。それであなたに不意討ちを食わせて、驚かそうというのでしょう。  それもおもしろいでしょう。でも私はちっとも驚きませんわ」 「おい、リーズ、そんなことを言っているうちに、だしぬけを食ってびっくりするなよ」と私は言った。そのとき外でがらがらと馬車の止まった音がした。  一人、一人、お客が着くと、私とリーズは広間へ出て迎えた。アッケン氏、カトリーヌ小母さん、エチエネット、それからたったいま植物採集の旅から帰ったばかりの有名な植物学者/バンジャメン・アッケンの胴色に焼けた顔が現れた。それから青年が一人▓、老人が一人やって来た。今度の旅行は彼らにとって二重の興味があった。というわけは、この人たちは私どもの招待をすませると、ウェールズまで鉱山見物に出かけるはずになっていた。この青年のほうは鉱山の視察をとげて、国にたんとみやげ話を持って帰って、/彼がいま/ツルイエールの鉱山でしめている重い位置に/いっそうの箔をつけようというのであったし:、老人のほうはこのごろヴァルセの町で鉱石収集をやって/町で重んぜられているので、今度の調査の結果/いっそう重大な発見をとげて帰ろうとするのであった。この老人と青年というのは、言うまでもなく、ヴァルセ鉱山で働いていた「先生」と、アルキシーとであった。  リーズと私が来賓にあいさつをしていると、またがらがらとヨリン馬車が着いて、アーサとクリスチーナとマチアが中から出て来た。すぐそのあとに続いて、一両の二輪馬車が着いた。気の利いた顔つきの男が御者をして、これと背中合わせに一人、ぼろぼろの服を着た船乗りが乗っていた。たづなをひかえて御者をしているのは、このごろ-かねのできたボブで、一緒に乗って来たのは、あのとき私をイギリスの海岸からにがしてくれたボブの兄であった。  さて洗礼式がすむと、マチアは私を窓際まで連れ出した。 「私たちはこれまで、知らない他所の人のためにばかり音楽をやっていた。さあこの記念の席上で私たちの愛する人びとのために音楽をやろうじやないか」と彼は言った。 「おい、マチア、君は音楽のほかに楽しみのない男だね」と私は笑いながら言った。「君の音楽のおかげで雌牛をおどろかして、ひどい目に会ったっけなあ」  マチアは歯をむき出して笑った。  ビロードで側を張った立派な箱から、売ったら二フランとはふめまいと思う古ぼけたヴァイオリンをマチアは取り出した。私もふくろの中から、むかしのハープを取り出した。雨に洗われて、もとのぬり色ももう見分けることができなくなっていた。 「君は好きなナポリ小唄を歌いたまえ」とマチアが言った。 「うん、この歌のおかげで、リーズは口がきけるようになったのだからなあ」  こう私は言って、にっこりしながら、そばに立っていた妻をふり向いた。  来賓は私たちのぐるりを取り巻いた。  ふと一匹の犬が飛び出して来た。  大好きなカピのじいさん、この犬はもうたいへん年を取って、耳が遠くなっていたが、視力はまだなかなかしっかりしていた。寝ていた暖かいしとねの上から、昔なじみのハープを見つけると、「演芸」が始まると思ってはね起きて来た。歯ぐきの間には下ざらを一枚くわえていた。彼は「ご臨席の来賓諸君」の間を堂々巡りするつもりでいた。  彼はむかしのように、後脚で立って歩こうとした。けれどもうそれだけの力がないので、真面目くさってぺったり座ったまま、前足で胸を打って、来賓にご挨拶をした。  私たちの歌がおしまいになると、カピは一生懸命’立ち上がって、「堂々巡り」を始めた。みんなが下ざらにいくらかずつほうりこむと、カピはほくほくしてそれを私の所へ持って帰った。これこそ彼がこれまで集めたいちばんの金高であった。ナカには金貨と銀貨ばかり──百ナナジュッフラン入っていた。  私はむかししたように、/彼の冷たい鼻にキッスした。するうち、子どもの時代の困窮が思い出して、ふとある考えが浮かんだ。私はそこで来賓に向かって、この-かねはさっそくあわれな大道音楽師のために救護所設立の第一回’寄付金としたいと宣言した。そのあとの寄付は私と母とですることにする。 「奥さん」とそのときマチアが私の母の手にキッスしながら言った。「私にもその慈善事業のお手伝いをさせてください。ロンドンで開くはずの私の演奏会第イチヤの収入は、どうぞカピの皿の中へ入れさせてください」  こう言うと、カピも「賛成」というように、ひと声’高く/ウーと吠えた。 (おわり) ▓。▓。▓。 【底本:「家なき子(げ)」春陽堂少年少女文庫、春陽堂】 【1978(昭和53)年1月30日発行】 【▓底本中、難解な語句の説明に使われた括弧内の文章は、割り注になっています。】 【入力:京都大学電子テクスト研究会入力班(大石尺)】 【校正:京都大学電子テクスト研究会校正班(大久保ゆう)】 【2004年4月29日作成】 【青空文庫作成ファイル:】  このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(httpコロン/スラッシュスラッシュwww.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。