◇。◇。◇。◇。◇。 【日本婦道記】 【糸車】 【山本周五郎】 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第一章】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。 「鰍やあ、鰍を買いなさらんか、鰍やあ」  うしろからそう呼んで来るのを聞いてお高《タカ》はたちどまった。十三四歳《ジュウ三’四歳》の少年が|担ぎ《カツギ》魚籠を背負《背お》っていそぎ足に来る、《:、》お高《タカ》は、 「見せてお呉れ」  とよびとめた。籠の中にはつぶの揃った五寸あまりあるみごとな鰍が、まだ水からあ《上》げたばかりであろう、ぬれぬれと鱗を光らせてう《打》ち重なっている、《:、》思いだしたようにはげしく口《クチ》を動かすのもあり、とつぜんぴしぴしと跳ねあがるのもあって、千曲川の|みず《水》の匂いが面《オモテ》をうつような感じだった、 「五十ばかり貰いましょう」  そう云ってから容れ物のないことに気がついた、《:、》どうしようとあたりを見やると、つい向《向こ》うに荒物屋の店のあるのをみつけ、このあいだから目笊が一つほしかったのを思いだした。 「あの店で容れ物を求めますからいっしょに来てお呉れな」 「近くならお宅まで持ってゆきますよ」  少年は賢《賢し》げな眼でこちらを見た、お高《タカ》は頬笑《微笑》みながら、それには及ばない、と云ってあるきだした。  |新ら《新》しい目笊へ鰍を入れて帰るみちみち、お高《タカ》はなんと云いようもなく仕合せで心《/心》ゆたかに浮き浮きしてくるのを抑えきれなかった。どうしてこんなに嬉しいのかしら、なぜこんなに心がはずむのかしら、なんどもそう自分に問いかけてみた。会所では褒めて頂いたし、久しぶりで父上のご好物の鰍があったし、空はこのように春めいて浅みどりに晴れあがっているし、それでこんなにたのしい気持《気持ち》になるのだろうか。そんな理由を色いろ集めてみたくなる《る-》ほどだった。そして通りすがりの人の眼にも浮き浮きしてみえるのではないか、そう考えると恥ずかしくて顔が赤くなるようにさえ思った。‥‥父は依田啓七郎といって、信濃のくに松代藩につかえる五石二人扶持《五コク-ニニン扶持》の軽いさむらいだった、《:、》実直《ジッチョク》いっぽうの、荒い|こえ《声》もたてない温厚なひとだったが、二年まえに卒中を病んで勤めをひき、今でも殆んど寝たり起きたりの状態がつづいている。十歳になる弟の松之助が、名義だけ家督を継いでいたが、まだ元服もしていないのでお扶持《ブチ》は半分ほどしかさがらない、《:、》母親は松之助が三《3》つの年に亡くなって、家族は三人だけであるが、病気の父と|幼な《幼》い弟をかかえての家計はかなり苦しかった。お高《タカ》はことし十九になるが、父に倒れられて以来その看護や弟のせわや、こまごました家事のいとまを偸んで、せっせと木綿糸を繰っては生計の足しにしていた。松代藩では種油と綿糸は|たいせつ《大切》な産物だったので、身分の軽い家庭には糸繰りを内職にすすめ、器具を貸したり指導したり、製品を買い上げたりするための会所が設けてある、《:、》十日ごとに出来た品を届けるのだが、今日もお高《タカ》が繰った糸束を持ってゆくと、いつも係になっている白髪のきつい眼をした老人が、|めがね越《眼鏡越》しにこちらを見ながら糸の出来を褒めて呉れた。 「僅かなあいだにたいそう上手になられたな、こなたの糸は問屋でも評判になっているそうだ、ひとつには孝行の徳かも知れぬが」  少しでもよい仕事をしようとつとめている者にとって、その仕事を褒められるほど嬉しいことはない、殊にそれがあたりまえの内職ではなく、藩にとって|たいせつ《大切》な産物になるのだから、その意味でもお高《タカ》のよろこびは大きかった。‥‥もっともっとよい糸を繰ろう、そう思いながら帰る途中で鰍が買えた。卒中をわずらってからいちどやめたが、医者のすすめで三日にいちど五勺ずつ飲むようになった父の酒には、なにより好物の肴だった。会所でうけとって来た手間賃のなかから、焼干しにしてもよいからと思って少したくさん買ったのである、《:、》貧しくつましい暮しをしている者には、小さなよろこびがどんなにも幸福に感じられるのだ、お高《タカ》はおかしいくらい足も軽く、組長屋《クミ長屋》の住居に帰った。 「ただ今もどりました」  とっつきの二帖で、素読をさらっていた弟にそう|こえ《声》をかけてあがったが、松之助は顔を隠すようにしてな《/な》んとも答えなかった。そのときはべつになんの気もつかず、目笊を持ったまま父の居間へい《行》った。 「帰りに鰍を売っておりましたので少し求めてまいりました」  挨拶をするとすぐそう云って父に見せた、 「ごらん下さいまし、まだこんなに生きております」 「ほうこれは珍らしいみごとなものだな、もうこんなに鰍の肥る季節になったのだな」  啓七郎は少しふるえのある手をさしのべて、目笊の中の魚を好ましそうにつついてみた。 「ずいぶん数があるではないか、まだ高価であろうに」 「いいえそれほどでもございませんでした、今晩のお酒に甘露煮《/甘露煮》と魚田をお作り申しまして、余ったぶんは焼干しにしてもよいと思いましたから」 「こんな心配ばかりさせて、どうも‥‥」  呟くようにそう云いかけるのを、お高《タカ》は聞えぬ風《ふう》に立ちながら、 「さあ早くおしたく致しましょう」と厨の|ほう《ホウ》へさがっていった。  父の口ぶりや態度がいつもとは違っている、お高《タカ》はそれを感ずると同時に、弟の|ようす《様子》もふだんとはまるで変っていたことに気づいた。どうしたのだろう、なにか留守に悪いことでもあったのかしら、お高《タカ》はにわかに不安になった、《:、》そしてそれをうち消したいために弟を呼んでみた、 「松之助さん来てごらんなさい、みごとな生きた鰍ですよ」  然し松之助の返辞はつきはなすようなものだった、 「いま勉強していますからあとで」  それだけだった。お高《タカ》はつい今しがたまでの浮き浮きした気持《気持ち》が、かなしいほど重たく沈んでゆくのを感じながら、庖丁《包丁》を取って魚を作りはじめた。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第二章】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  夕食の|あと《アト》片づけを済ませてから、お高《タカ》が糸繰りの仕事をひろげると間《/間》もなく父に呼ばれた。 「少し肩を撫でて貰いたいのだが」  父は床《トコ》の上に起きなおってこちらへ背を向けていた。脇に置いてある行燈の光が、痩せた父の高頬《タカ-ホ》をいたいたしくうつしだしていた、お高《タカ》はすぐその背へつかまった、 「お寒くはございませんですか」 「まだ酒がきいているとみえてほかほかといい心もちだ、力をいれなくともよい、そうやって撫でていて呉れればよいから」 「はい、このくらいでございますね」  お高《タカ》は父の背から肩へかけてしずかに撫ではじめた。松之助は少し|まえ《前》に寝てしまい、ひっそりと静かになった組長屋《クミ長屋》のかなたから、なにか祝い事でもあるのだろう、小謡のさびた|こえ《声》が聞えて来た。 「おまえあした、松本へ《へ’》ゆくのだがな」  父がふと思いだしたようにこう云った、 「松本ではお梶どのがご病気だそうで、おまえにひとめ会いたいから四五日《/シゴニチ》のつもりで来て呉れるようにと、お使いの者が来られたのだ」 「父上さま」  お高《タカ》は思わずそう云った、 「手をやすめては困るな」  父は笑いながら肩を揺《揺す》りあげた、どうにもかたい笑いだった、 「ご病気ということだし、せめて四五日《シゴニチ》、ながい滞在ではないのだから、こんどはおとなしくいってくるがいい、留守のことはもう石原のご内儀に頼んであるから」  少しはおまえの骨|やす《休》めにもなるであろう、そう云う父の言葉を聞きながら、お高《タカ》は弟《弟’》のつきはなすようなさっきの返辞を思いだしていた。やっぱりそういうことがあったのだ、松之助はそれを聞いて、幼ない頭でどれほどか悲しがったに違いない、お高《タカ》はそう思いやるとするどく胸が痛みだした。  お高《タカ》には実《-じつ》の親があった。信濃のくに松本藩に仕えて西村金太夫《西村キンダユウ》という、はじめ身分も軽くたいへん困窮していた|じぶん《時分》に、妻のお梶とのあいだにつぎつぎと子が生《生ま》れ、養育することにもこと欠くありさまだったので、《:、》しるべのせわで松代藩の依田啓七郎にお高《タカ》を遣《-や》ったのである。それからのち、金太夫《キンダユウ》はふしぎなほどの幸運に恵まれ、しだいに重くもちいられて、|数年まえ《数年前》には勘定方頭取で五百五十石《五百ゴジュッコク》の身分にまで出世をした。このように立身して一家が幸福になると、親の情としてよそへ遣《-や》った者が|ふびん《不憫》になるのは当然のことである、《:、》それもその子が仕合せであればべつだが、人をやって尋ねさせてみると依田啓七郎《/依田啓七郎》は妻にさきだたれ、お高《タカ》を貰ったあとで生《生ま》れた幼弱な子をかかえて、かなり貧しい暮しをしているとのことだった。夫妻は幾たびも相談をしたうえ、それまでの養育料を払ってひきとることにきめ、しかるべき人を間《あいだ》に立てて依田と交渉した。‥‥そのとき初めてお高《タカ》は自分の身の上を知ったのである、啓七郎はありのままになにもかも語った、そして「松本の家へ戻るほうがおまえのゆくすえのためだから」そう云って帰ることをすすめた。お高《タカ》は考えてみようともせずに厭だと云いとおした、ついには部屋の隅に隠れて泣きだしたまま、なにを云っても返辞をしなかった。肝心のお高《タカ》がそんなありさまだったので、間《あいだ》に立った人もどうしようもなく、そのときのはなしは結局まとまらずじまいだったのである。 「お梶どののご病気は、かなり重い|ようす《様子》なのだ」  と、父は暫くして言葉を継いだ、 「ひとめ会いたいという気持《気持ち》もおいたわしいし、おまえも実《-じつ》の子としていちどぐらいはご看病がしたいだろうと思う、意地を張らずにいって来るがよい、ほんの僅かな日数のことだから」  お高《タカ》は殆んど聞きとれぬほどの|こえ《声》で「はい」と答えた。そこまでことをわけて云われるのをむげにもできなかったし、重い病に臥《伏》している生みの母の、ひとめ会いたいという言葉にもつよく心をうたれた。乳|ばな《離》れをするとすぐ松代《’松代》へ貰われて来たそうで、西村の父母の顔はまったく記憶にはない、もしも《も-》のことがあれば、生みの母の顔も知らずに終らなければならない、いちどだけお顔を見せて頂こう、そう考えて承知したのであった。  同じ組長屋《クミ長屋》でもごく近しくしている石原という家《’家》の妻女《サイジョ》にあとの事をこまごまと頼んで、《:、》その明くる朝|はや《ハヤ》く、松本から迎えに来たという下婢と老僕にみちびかれながら、あとにもゆくさきにもおちつかぬ気持《気持ち》でお高《タカ》は松代《マツシロ》を立った。季節はすっかり春めいていた。遠いかなたの山なみにはまだ雪がみえるけれど、う《打》ちひらけた丘や野づらはやわらかな土の膚《肌》をぬくぬくと日に暖められ、雪解《ユキゲ》の水のとくとくと溢れている小川や田の畔には、もうかすかに草の芽ぶきが感じられた。二十里そこそこの道だったが、ひどくぬかるので馬や駕籠に乗りながら三日もかかり、また冬がもどったかと思えるほどひどく冷える日の午後、ようやく松本の城下《城下’》へ着いた。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第三章】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  西村の家は和泉というところにあった。長屋門をめぐらせたかなり広い屋敷で、門をはいると前庭《マエ庭》があり、枝ぶりのよい榁の木が六七本《ロクシチホン》、高雅な配置で植わっていた。お高《タカ》は依田の家とあまりに違う|家がま《家構》えに眼をみはりながら、老僕の案内で脇玄関へまわった。するとこちらの声を待ちかねていたように、五十あまりとみえる婦人があらわれ、泣くような笑顔で出迎えた。 「まあまあ遠いところをようおいでになった、お疲れだったろうね、今すぐすすぎをとりますよ」  心もここにないという|ようす《様子》で、お高《タカ》にはものを云う隙も与えず、手をとらぬばかりにして奥へ導いていった。お高《タカ》は初め茫然としたが、これがお梶という方だと思い、ご病気だというのが拵えごとだということをすぐに悟った。お梶という方、‥‥彼女の頭にうかんだのはそういう呼びかたで、母《母’》という表現はどうしても出てこなかった。そして、この拵えごとのなかには単純でないものが隠されていること、然もそれがかなり決定的であるということは直感しつつ、その婦人のするままになっていた。  どんな|たいせつ《大切》な客ででもあるかのように、梶女《梶じょ》はめしつかいをせきたててお高《タカ》に風呂をすすめた、風呂にはいっていると二度も湯かげんをききに来たし、あがると仕立ておろしの高価な衣装が揃えてあった。 「お好みがわからないものだから年ごろをたよりにわたしが選んだのだけれど」  梶女《梶じょ》は着付けをたすけながらそう云った、 「どうやらあなたには少し|じみ《地味》すぎるようですね、あちらの小紋のほうがよかったかもしれない、でも今日はこれにしておきましょう」  独り言のようにそんなことを云いながら、撫でまわすような眼でお高《タカ》の姿を|と見こう見《ト見コウ見》して飽きなかった。お高《タカ》はやはり黙ってされるとおりになっていた、《:、》問いかけられると「ええ」とか「はい」とか答えるが、自分のほうからはなにも云わず、梶女《梶じょ》のどこかしら熱《ネツ》をもったような|まなざ《眼差》しにも、できるだけ気づかぬ風《ふう》を装っていた。  西村の父や兄弟たちは夕食のときひきあわせられた。父は思いのほか若かった。いちばん上《ウエ》の兄は結婚してもう男の子があり、二兄《次兄》はまもなく分家するとか、むっつりしている三兄《サンケイ》は顔もよく見なかったし、四番め《目》の兄は江戸詰めで留守、《:、》弟はまだ前髪だ《立》ちで名を保之丞《ヤスノジョウ》といい、背丈の|めだ《目立》って高いからだつきと、まだ子供こどもした日にやけた赤い頬《ホオ》とに特徴があった。彼はその年ごろの者らしく、ほかの兄|たち《達》よりもお高《タカ》の来ることに興味をもっていたようで、横からしげしげと眺めたり、必要もないのにしきりと話しかけたりした。席は広間に設けられた、かけつらねた燭台はまばゆいほど明るく、大和絵を描《えが》いた屏風の丹青も浮くばか《か-》り美しかった。幾つもの火桶でうっとりするほど暖まった部屋、贅沢といってもよいくらい品数の多い色とりどりの食膳、そしてなんの苦労もなく憂いも悲しみも知らない親子兄弟の、なごやかに団欒をたのしむありさま、《:、》──これが自分の|ほんとう《本当》の家なのだ、ここにいる人たちが自分の生みの親であり、血肉《チニク》をわけた兄弟たちだ、いま坐っているこの席は誰のものでもなく正しく自分の席なのだ。お高《タカ》はそう思いながら、できるだけ|すなお《素直》な気持《気持ち》でその室《部屋》の空気に順応しようとした。けれども燭台は明るすぎ、絵屏風はあまりに美しく絢爛で、いかにもおちつきにくく眩しかった、《:、》数かずの料理もいずれは高価な材料と|念い《念入》りな割烹によるものであろうが、お高《タカ》には|なに《何》やらよそよそしくて、美味しいという気持《気持ち》はおこらない、《:、》そしてその一つ一つが松代《’松代》の家のことに思い比べられ、しめつけられるように胸が痛んだ。  切り貼りをした障子、古びた襖、茶色になってへりの擦れている畳や、凍み割れのある歪んだ柱、煤けた行燈の光にうつしだされるあの狭い、貧しい部屋のありさまがまざまざとみえる、《:、》乏しい炭《スミ》をまるで劬《労》るように使うあの火桶ひとつでは、冷えのきびしい今宵はどんなにか寒いことだろう、《:、》依田の父と松之助は、いま二人きりであの貧しい部屋のつつましい食膳に向かっている|じぶん《時分》だ。菜《サイ》の皿はひとつ、汁椀の着くことさえ稀で、漬物の鉢だけが変らない色どりである。いま眼の前にあるゆたかな膳部からみればかなしいほど貧しいものだ、《:、》然しその|ひと皿《ヒトサラ》の菜《サイ》をどんなに心こめて作るだろう、《:、》また父や松之助がどんなによろこんで喰《食》べて呉れることだろう。頼んで来た石原の妻女《サイジョ》はよく気のまわる親切なひとだった、父の好物もあらまし告げて来たが、今宵はどんなしたくが出来たであろうか、父の気にいるものだろうか、もしかして酒をあがりすぎはしないかしらん。‥‥お高《タカ》のあたまはこういう考えでいっぱいだった、なにを喰《食》べたかも覚えず、どういう会話がとり交わされたかも知らなかった。そして終るとすぐ自分のために用意されたという部屋へひきこもり、なにか話しか《掛》けたそうな梶女《梶じょ》にも「疲れているから」と断わって、まだ宵のうちから夜具のなかにはいってしまった。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第四章】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  明くる朝、起きてきたお高《タカ》の眼がいたいたしいほど赤く腫れぼったくなっているので、梶女《梶じょ》がびっくりして、 「どうおしだ」  と訊ねた。お高《タカ》はさびしげに頬笑《微笑》んだ、 「寝つかれたのでございましょう、少し|やす《休》みすごしましたから」 「それならいいけれど‥‥」  梶女《梶じょ》はたしかめるようにこちらを見ていたが、すぐ思いかえした|ようす《様子》で、今日は山辺の温泉《いで湯》へゆ《’ゆ》くからしたくするようにと云った。 「ここから一里あまり山のほうへい《行》ったところで、湯もきれいだし美しい眺めもあり、疲れたときなどにはよい保養になります」 「有難うございますけれど」  お高《タカ》は眼を伏せながらそっとこう云った、 「わたくし、今日はできますことなら御菩提寺《お菩提寺》へまいりたいと存じますが」 「ああそれなら山辺へゆ《’ゆ》く途中ですよ、少しまわりみちをするだけですから参詣してまいりましょう」 「いいえ」  お高《タカ》はかぶりを振った、 「わたくし今日はお|まい《参》りだけに致しとうございます、初めてのことでございますから」  初めて祖先の墓へ|まい《参》るのに遊山を兼ねるのは不作法《無作法》だと思う、そういう意がはっきり表われていた。梶女《梶じょ》はさすがに|おもはゆ《面映》そうだった。 「それなら山辺は明日のことにしましょう」  こう云ってその日は墓参ということにきめた。  菩提寺から帰るみちで、お高《タカ》は自分の生《生ま》れた家が見たいと云った。梶女《梶じょ》はすすまない|ようす《様子》だったが、いっしょにいった弟の保之丞《ヤスノジョウ》がさきに立って案内した。深志《フカシ》というところの端に近く、身分の軽いさむらい屋敷がひとかたまりになっている、そのなかでも貧しげな古びた幾棟《イクムネ》かのなかに、その家《’家》はあった。目隠しというばかりの塀をとりまわした中にささやかな庭があり、枝ぶりのいじけた勢いのない松が門《/門》の脇に立っていた。板葺《板葺き》の屋根は朽ち乾いて松毬《松かさ》のようにはぜ、小さな玄関の柱やはめ板は雨かぜに曝されて、洗いだしたように木目が高くあらわれていた。軒《ノキ》は傾き庇《/庇》は|なみ《波》をうっている、まわりにゆとりがあるのと、部屋の数が少し多いかと思えるだけで、そのほかは松代《’松代》の家とは大差のない住居だった。 「私はこの家に五つまでいたのですよ」  保之丞《ヤスノジョウ》はそう云ってなんの屈託もなく笑った。 「あの窓の下の地面に蟻地獄がいましたっけ、それを捕って手のひらを這わせるんです、するとそいつは手の皮の中《なか》へ|もぐ《潜》り込《こ》もうとする、むずむずして擽ったいんですが、その恰好《恰好’》がおもしろいのでよくやったものです、ご存じですか」  そんなことを興《キ-ョウ》ありげに云った。お高《タカ》はふと、この弟もいまの屋敷よりはこの貧しい家のほうに心ひかれているのではないか、そんなことを考えながら間もなく踵《クビス》をかえした。  翌日は梶女《梶じょ》につれられて山辺の温泉《いで湯》へい《行》った。それは城からひがし北に当る山ふところにあり、清らかな流れと、谷峡《谷あい》の眺めの美しい場所だった。母娘《親子》はいっしょに湯に浸《-つか》ったり、香りたかい草木の芽《’芽》をあしらった鄙びた午食をたべたりしたのち、まだ珍らしい山独活をみやげに屋敷へ帰った。三日めは家にいて、兄弟たちと話したり自慢の道具を見たりして暮した。その夜のことである。自分にあてられた部屋で梶女《梶じょ》とあい対したとき、お高《タカ》は明日松代《明日’松代》へ帰らせて頂くと云いだした。梶女《梶じょ》はそう云われるのを予期していたらしい、そっと部屋を出ていったが、すぐに一通の封書を持って戻って来た。 「依田どのからあなたにあてた手紙です、とにかくこれを読んでごらんなさい」  こう云ってそれをわたした。うけとってみると正《まさ》しく依田の父から彼女にあてたものだった。──こんど松本へおまえを帰《返》すに当っては色いろ考えたが、西村からこれまでの養育料としてかなり多額な|だいもつ《ダイモツ》を呉れるはなしがあり、《:、》それだけあれば自分は田地でも買って、松之助とふたり安穏にく《暮》らしてゆけるし、おまえも西村のむすめとして仕合せな生涯に|はい《入》れるであろう、自分のためにもおまえのためにもこうするのがいちばんよいと思う、《:、》じかにこのゆくたてを話したうえ、こころよく別れを惜しみたかったが、顔をみていてはおまえの気持《気持ち》がきまるまいと考え、|むじひ《無慈悲》なようだがいつわりを云って立たせた、《:、》どうかこんどはわがままを云わずに承知してもらいたい、西村へい《行》ったら両親に孝行をつくすよう、兄弟と仲よう仕合せなゆくすえを祈っている。そういう意味のことが、依田の父らしく篤実な筆つきで書いてあった。 「よくわかったでしょう」  梶女《梶じょ》はお高《タカ》の読み終《終わ》るのを待ってしみじみとこう云った。 「いまになっておまえをとり戻そうというのは勝手かもしれない、けれど父上やこの母の気持《気持ち》も察してお呉れ、《:、》おまえの生《生ま》れた|じぶん《時分》は父上のご身分も軽く、子供を多くかかえて、恥ずかしい|はなし《話》だけれどそ《-そ》の日のものにもさしつかえるようなことさえある、貧しく苦しい暮しでした。人の親として、乳|ばな《離》れしたばかりの子をよそへ遣らなければならない、それがどんなに辛い悲しいことか、やがておまえが子をもったらわかって呉れることでしょう、《:、》身を切られるようなと云う、そんな言葉では云いあらわせない、辛《つら》い悲しい|おも《思》いでした」 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第五章】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。 「それほどの|おも《思》いをしても、おまえを遣らなければならなかった、もう耐えきれない、一家が飢え死《死に》をしてもいいからとり戻しにゆこう、なんどそう思ったかしれません、《:、》暑さ寒さ、朝に晩に、泣いていはしないか病気ではないかと、心にかからぬときはありませんでしたよ」  梶女《梶じょ》は袖口で眼を押えながら暫く声を|とぎ《途切》らせていた、 「父上のご運がひらけて、どうやら不自由のない明け昏《暮》れを迎えるようになってから、父上とわたしはおまえをひきとる相談ばかりしていました。松代へ人をやってたずねさせると、ながく病んでいる依田どのと幼ない弟のめんどうをみながら、おまえが糸繰りをして家計をたてているという、《:、》貧《ヒン》にせまられて遣《や》ったおまえが、いまは自分でその貧《ヒン》とたたかっている、それを思うとわたしたちはとても安閑と暮してはいられなかった、《:、》これまでの苦労を幾らかでも償ってあげなければ生みの親としてどうしても心が済まないのです、《:、》依田どのには決して悪いようにはしません、高《タカ》さん、こちらへ帰ってお呉れ、この西村のむすめになってお呉れ、ねえ」  膝の上にそろえた両の手をかたく握りしめながら、お高《タカ》は硬《強》ばった顔をじっと俯向けていたが、梶女《梶じょ》の言葉が終るとしずかに眼をあげて、 「おぼしめしはよくわかりました、|ほんとう《本当》に有難う存じますけれど、わたくしやはり松代へ帰らせて頂きます」  抑揚のない声でそう云った。梶女《梶じょ》の頬《ほお》の|あた《辺》りが微かにひきつった、 「でも依田どのとはもうはなしがついているのです、どちらのためにもこれがいちばんよいと依田どのも云っておいでなのですよ」 「それをご本心だとおぼしめしますか」  お高《タカ》はそっとかぶりを振り梶女《/梶じょ》の眼を見あげた、 「依田の父がそう|仰しゃ《仰》るのはこちらへの情誼からだとはお考えになれませぬか、《:、》あなたはいま人の親として子をよそへ遣ることがどんなに辛いものかということを仰しゃいました、《:、》乳|ばな《離》れをするまでの親子でもそれほどなのに、十八年もいっしょに暮してきた親子はそうではないとおぼしめしですか」  お高《タカ》はそう云いながら、松本へゆけと云われた夜のことを思いうかべた。あのとき依田の父はこちらへ背を向けて、お高《タカ》に肩を揉ませながらあの話をきりだした。父はお高《タカ》の顔を見ることができなかった、自分の辛い顔もみせたくなかったのだ、それがいまお高《タカ》には痛いほどじかに思い当る、《:、》ああ、どんなにお辛い気持《気持ち》で松本へゆけと|仰しゃ《仰》ったろう、お高《タカ》は胸を刺されるように感じながらしずかに続けた、 「依田の家は貧しゅうございます、わたくしが糸繰りをしてかつかつの暮しをたてているのも|ほんとう《本当》です、けれどもそれはあなたがお考えなさるほどの苦労ではございません、《:、》こう申上《申し上》げては言葉がすぎるかもしれませんけれど、こんどのことさえなければ、わたくし仕合せ者だとさえ思っておりました、《:、》依田の父はもったいないくらいよい父でございます、弟も|しん身《親身》によくなついていて母のように|たよ《頼》っていて呉れます、《:、》わたくしにはあの家《’家》を忘れることはできません、いまになって父や弟と別れることはわたくしにはできません」 「それだけの深い|おも《思》いやりを、わたしたちにはしてお呉れでないの」  梶女《梶じょ》はすがりつくような口ぶりでこう云った、 「ここをおまえのお部屋にと思って、襖を張りかえたり、調度を飾ったり、新らしく窓を切ったりした、《:、》着物や帯を織らせたり染めさせたりして、こんどこそ親子きょうだい揃って暮せるとたのしみにしていた、《:、》これでこそ父上もご出世の甲斐があるとよろこんでいたのですよ、それを考えてお呉れではないのかえ」  それは哀願ともいうべき響きをもっていた。心をひき裂かれるような|おも《思》いで、これが親の愛情だと思いつつお高《タカ》は聞いた。子のためには、子を愛する情のためにはなにも押し切ろうとする、それが親というものの心であろう、かなしいほどまっすぐな愛、お高《タカ》はよろよろとなり、母の温かい愛のなかへ崩れか《掛》かりそうになった。自分のために模様が《替》えをしたというその部屋、|新ら《新》しい調度や衣装、どの一つにもまことの親の温かい愛情がこもっている。その一つ一つが手をひろげて迎えているのだ。けれども、お高《タカ》はけんめいに崩れか《掛》かる心を支えた、自分はその愛を受けてはならない、依田の家を出てその愛を受けることは人の道に|はず《外》れるのだ。こう自分を叱りつけながら、お高《タカ》はやはり松代へ帰ると繰返した、 「みなさまのお仕合せなご|ようす《様子》も拝見しました、もう一生おめにかかれなくともこころ残りはございません、どうぞお高《タカ》はこの世にない者だとおぼしめして、これかぎり忘れて頂きとうございます」  梶女《梶じょ》はしずかに立っていった。すぐに弟の保之丞《ヤスノジョウ》が来、あとから金太夫《キンダユウ》と長兄とが来た、みんな言葉をつくしてここにとどまるようにとくどいた。お高《タカ》はもうなにも答えなかった。喪心したように眼をつむり、肩つきの堅い姿勢でしんと坐っていた。それはまさしく問罪のように苦しい瞬間であった。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第六章】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  明くる朝まだ|ほの《仄》暗いうちにお高《タカ》は松本を立った。来《く》るときの老僕と下婢が供《トモ》について、梶女《梶じょ》と保之丞《ヤスノジョウ》とが城下《城下’》から一里あまりの中原という辻まで送って来た、《:、》そしてそこの掛け茶屋でいっしょに茶を啜り、暫く別れを惜しんでから袂をわかった、《:、》二人はお高《タカ》の姿が道を曲ってゆくまで見おくっていたが、お高《タカ》はいちどもふり返らず、まっすぐに並木の松のかなたへ去っていった。  道をいそいだので松代《マツシロ》へは三日めの午《昼》まえに着いた。城下町が見えだすともう胸がいっぱいになり、いくら拭いてもあとからあとから涙がこみあげてきた、《:、》ほんの僅かな留守だったが、山やまの姿も千曲川のながれもなつかしく、眼につくほどの樹立《木立》や丘や段畑、路上の石ころまで呼びかけたいような懐かしさが感じられて、郷《国》へ帰ったという気持《気持ち》がした。‥‥松之助は稽古からまだ帰らず、家には啓七郎ひとり、ちょうど薬湯を煎じていたところだった、老僕のおとずれる声を聞いて玄関へ出て来たが、はいって来るお高《タカ》を見るとあっという表情をした。 「ただいま戻りました」  お高《タカ》は簡単にそう挨拶をすると、すぐ裏へまわって自分のすすぎをし、供《トモ》の二人にもあ《上》がってひと晩泊ってゆくようにと云った。然し|かれ《彼》らは玄関で西村からの口上を述べ、手みやげなどを置いてあ《上》がらずにたち去った。 「どういうわけで帰った」  さし向《向か》いになって坐ると、啓七郎は煎じていた薬湯を湯のみにつぎながら《ら-》そう云った、 「持たせてやった手紙は読まなかっ《-っ》たのか」 「拝見いたしました」 「それなら事情はわかっているはずだ、おれも安穏な余生がおくれるし、おまえの一生も仕合せになる、そう考えてしたことなのに、|眼さき《目先》の情に溺れてなにもかもう《打》ち毀してしまうつもりか」 「おゆるし下さいまし、父上さま」  お高《タカ》はひしと父を見あげ、そこへ手をついた、 「わたくしもっと働きます、お薬にもご不自由はかけません、お好きなものはどんなにしても調えます、もっとお身まわりもきれいにして、お住みごこちのよいように致します、ですからどうぞお高《タカ》をこの家に置いて下さいまし」 「おまえにはおれの気持《気持ち》がわからないのか、おれがそんなことを不足に思っているようにみえるか、おれがおまえを西村へかえす決心をしたのは」 「わかっております、わたくしにはわかっておりますの、父上さま」  お高《タカ》は父にそのあとを続けさせまいとしてさえぎった、 「わかっておりますけれど、お高《タカ》はいちどよそへ遣られた子でございます、乳|ばな《離》れをしたばかりで、母のふところからよそへ遣られたお高《タカ》を、父上さまは可哀そうだと思っては下さいませんか、《:、》もし可哀そうだとお思い下さいましたら、ここでまたよそへ遣るようなことはなさらないで下さいまし」 「だが西村はおまえにとって実《-じつ》の親だ、西村へもどればおまえは仕合せになれるのだ」 「いいえ仕合せとは親と子がそろって、たとえ貧しくて一椀《ひと椀》の粥を啜りあっても、親と子がそろって暮してゆく、それがなによりの仕合せだと思います、《:、》お高《タカ》にはあなたが真実のたったひとりの父上です、亡くなった母上《母上’》がお高《タカ》にとって|ほんとう《本当》の母上です、この家のほかにわたくしには家はございません、《:、》どうぞお高《タカ》をおそばに置いて下さいまし、よそへはお遣りにならないで下さいまし、父上さま、このとおりおねがい申します」 「父上」  と、叫びながら松之助が走《馳》せいって来た。稽古から帰って、表で二人のはなすのを聞いていたのだろう、眼にいっぱい涙を溜《-た》めながらはいって来ると、姉とならんでそこへ坐り、なかば噎びあ《上》げながらこう云った、 「どうぞ姉上を家に置いてあげて下さい、父上、こんなに|仰しゃ《仰》っているのですもの、どうかよそへは遣らないで下さい、おねがいです」  啓七郎は眼をつむり、蒼《青》ざめた面《オモテ》を伏せ、両手を膝に置いてじっと黙っていた。それは大きなするどい苦痛に耐える人のような姿勢だった。そしてながいこと、お高《タカ》と松之助との噎びあげる|こえ《声》だけが、貧しい部屋の壁や襖へしみいるように聞えていた。 「‥‥では家にいるがよい」  啓七郎がやがて呻くような|こえ《声》でそう云った、 「西村どのへは父から手紙を書く、もう松本へは遣らぬから」  松之助は姉の膝へとびつき、涙に濡れた頬《ホオ》をすりつけながら声をあげて泣きだ《出》すのだった。  爽やかな朝の日光が、明り障子いっぱいにさしつけている、いかにも春らしく、心を温められるような明るさだ。お高《タカ》の繰る糸車の音が、ぶんぶんと、そのうららかな朝の空気をふるわせて聞えてくる、蜂の翅音《羽音》にも似たしずかな、心のおちつく柔らかい音である。啓七郎はそれを聞きながら、 「おまえ成人したら姉上《’姉上》をずいぶん仕合せにしてあげなければいけないぞ」  と、松之助に云うのだった。 「大きくなればわかるだろうが、姉上はこの父やおまえのためにせっかく仕合せになれる運を捨てて呉れたのだ、自分のためではない、父とおまえのためにだ、‥‥忘れては済まないぞ」  松之助は父の眼を見あげて、少年らしくはっきりと頷いた。糸車の音はぶんぶんと、歌うようにしずかな呻りをつづけていた。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【底本:「山本周五郎全集第二巻《山本周五郎全集第二カン》◇ 日本婦道記・柳橋物語」新潮社】 【   1981(昭和56)年9月15日発行】 【   1981(昭和56)年10月25日2刷《サツ》】 【初出《ショシュツ》:「婦人倶楽部」大日本雄辯會講談社《大日本雄弁会講談社》】 【   1944(昭和19)年2月】 【入力:特定非営利活動法人はるかぜ】 【校正:酒井和郎】 【2019年2月22日作成】 【青空文庫作成ファイル:】  このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https:《コロン”》//www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。