◇。◇。◇。◇。◇。 【日本婦道記】 【糸車】 【山本周五郎】 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第一章】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。 「鰍やあ、鰍を買いなさらんか、鰍やあ」  うしろからそう呼んで来るのを聞いておタカはたちどまった。ジュウ三’四歳の少年がカツギ魚籠を背おっていそぎ足に来る:、おタカは、 「見せてお呉れ」  とよびとめた。籠の中にはつぶの揃った五寸あまりあるみごとな鰍が、まだ水から上げたばかりであろう、ぬれぬれと鱗を光らせて打ち重なっている:、思いだしたようにはげしくクチを動かすのもあり、とつぜんぴしぴしと跳ねあがるのもあって、千曲川の水の匂いがオモテをうつような感じだった、 「五十ばかり貰いましょう」  そう云ってから容れ物のないことに気がついた:、どうしようとあたりを見やると、つい向こうに荒物屋の店のあるのをみつけ、このあいだから目笊が一つほしかったのを思いだした。 「あの店で容れ物を求めますからいっしょに来てお呉れな」 「近くならお宅まで持ってゆきますよ」  少年は賢しげな眼でこちらを見た、おタカは微笑みながら、それには及ばない、と云ってあるきだした。  新しい目笊へ鰍を入れて帰るみちみち、おタカはなんと云いようもなく仕合せで/心ゆたかに浮き浮きしてくるのを抑えきれなかった。どうしてこんなに嬉しいのかしら、なぜこんなに心がはずむのかしら、なんどもそう自分に問いかけてみた。会所では褒めて頂いたし、久しぶりで父上のご好物の鰍があったし、空はこのように春めいて浅みどりに晴れあがっているし、それでこんなにたのしい気持ちになるのだろうか。そんな理由を色いろ集めてみたくなる-ほどだった。そして通りすがりの人の眼にも浮き浮きしてみえるのではないか、そう考えると恥ずかしくて顔が赤くなるようにさえ思った。‥‥父は依田啓七郎といって、信濃のくに松代藩につかえる五コク-ニニン扶持の軽いさむらいだった:、ジッチョクいっぽうの、荒い声もたてない温厚なひとだったが、二年まえに卒中を病んで勤めをひき、今でも殆んど寝たり起きたりの状態がつづいている。十歳になる弟の松之助が、名義だけ家督を継いでいたが、まだ元服もしていないのでおブチは半分ほどしかさがらない:、母親は松之助が3つの年に亡くなって、家族は三人だけであるが、病気の父と幼い弟をかかえての家計はかなり苦しかった。おタカはことし十九になるが、父に倒れられて以来その看護や弟のせわや、こまごました家事のいとまを偸んで、せっせと木綿糸を繰っては生計の足しにしていた。松代藩では種油と綿糸は大切な産物だったので、身分の軽い家庭には糸繰りを内職にすすめ、器具を貸したり指導したり、製品を買い上げたりするための会所が設けてある:、十日ごとに出来た品を届けるのだが、今日もおタカが繰った糸束を持ってゆくと、いつも係になっている白髪のきつい眼をした老人が、眼鏡越しにこちらを見ながら糸の出来を褒めて呉れた。 「僅かなあいだにたいそう上手になられたな、こなたの糸は問屋でも評判になっているそうだ、ひとつには孝行の徳かも知れぬが」  少しでもよい仕事をしようとつとめている者にとって、その仕事を褒められるほど嬉しいことはない、殊にそれがあたりまえの内職ではなく、藩にとって大切な産物になるのだから、その意味でもおタカのよろこびは大きかった。‥‥もっともっとよい糸を繰ろう、そう思いながら帰る途中で鰍が買えた。卒中をわずらってからいちどやめたが、医者のすすめで三日にいちど五勺ずつ飲むようになった父の酒には、なにより好物の肴だった。会所でうけとって来た手間賃のなかから、焼干しにしてもよいからと思って少したくさん買ったのである:、貧しくつましい暮しをしている者には、小さなよろこびがどんなにも幸福に感じられるのだ、おタカはおかしいくらい足も軽く、クミ長屋の住居に帰った。 「ただ今もどりました」  とっつきの二帖で、素読をさらっていた弟にそう声をかけてあがったが、松之助は顔を隠すようにして/なんとも答えなかった。そのときはべつになんの気もつかず、目笊を持ったまま父の居間へ行った。 「帰りに鰍を売っておりましたので少し求めてまいりました」  挨拶をするとすぐそう云って父に見せた、 「ごらん下さいまし、まだこんなに生きております」 「ほうこれは珍らしいみごとなものだな、もうこんなに鰍の肥る季節になったのだな」  啓七郎は少しふるえのある手をさしのべて、目笊の中の魚を好ましそうにつついてみた。 「ずいぶん数があるではないか、まだ高価であろうに」 「いいえそれほどでもございませんでした、今晩のお酒に/甘露煮と魚田をお作り申しまして、余ったぶんは焼干しにしてもよいと思いましたから」 「こんな心配ばかりさせて、どうも‥‥」  呟くようにそう云いかけるのを、おタカは聞えぬふうに立ちながら、 「さあ早くおしたく致しましょう」と厨のホウへさがっていった。  父の口ぶりや態度がいつもとは違っている、おタカはそれを感ずると同時に、弟の様子もふだんとはまるで変っていたことに気づいた。どうしたのだろう、なにか留守に悪いことでもあったのかしら、おタカはにわかに不安になった:、そしてそれをうち消したいために弟を呼んでみた、 「松之助さん来てごらんなさい、みごとな生きた鰍ですよ」  然し松之助の返辞はつきはなすようなものだった、 「いま勉強していますからあとで」  それだけだった。おタカはつい今しがたまでの浮き浮きした気持ちが、かなしいほど重たく沈んでゆくのを感じながら、包丁を取って魚を作りはじめた。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第二章】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  夕食のアト片づけを済ませてから、おタカが糸繰りの仕事をひろげると/間もなく父に呼ばれた。 「少し肩を撫でて貰いたいのだが」  父はトコの上に起きなおってこちらへ背を向けていた。脇に置いてある行燈の光が、痩せた父のタカ-ホをいたいたしくうつしだしていた、おタカはすぐその背へつかまった、 「お寒くはございませんですか」 「まだ酒がきいているとみえてほかほかといい心もちだ、力をいれなくともよい、そうやって撫でていて呉れればよいから」 「はい、このくらいでございますね」  おタカは父の背から肩へかけてしずかに撫ではじめた。松之助は少し前に寝てしまい、ひっそりと静かになったクミ長屋のかなたから、なにか祝い事でもあるのだろう、小謡のさびた声が聞えて来た。 「おまえあした、松本へ’ゆくのだがな」  父がふと思いだしたようにこう云った、 「松本ではお梶どのがご病気だそうで、おまえにひとめ会いたいから/シゴニチのつもりで来て呉れるようにと、お使いの者が来られたのだ」 「父上さま」  おタカは思わずそう云った、 「手をやすめては困るな」  父は笑いながら肩を揺すりあげた、どうにもかたい笑いだった、 「ご病気ということだし、せめてシゴニチ、ながい滞在ではないのだから、こんどはおとなしくいってくるがいい、留守のことはもう石原のご内儀に頼んであるから」  少しはおまえの骨休めにもなるであろう、そう云う父の言葉を聞きながら、おタカは弟’のつきはなすようなさっきの返辞を思いだしていた。やっぱりそういうことがあったのだ、松之助はそれを聞いて、幼ない頭でどれほどか悲しがったに違いない、おタカはそう思いやるとするどく胸が痛みだした。  おタカには-じつの親があった。信濃のくに松本藩に仕えて西村キンダユウという、はじめ身分も軽くたいへん困窮していた時分に、妻のお梶とのあいだにつぎつぎと子が生まれ、養育することにもこと欠くありさまだったので:、しるべのせわで松代藩の依田啓七郎におタカを-やったのである。それからのち、キンダユウはふしぎなほどの幸運に恵まれ、しだいに重くもちいられて、数年前には勘定方頭取で五百ゴジュッコクの身分にまで出世をした。このように立身して一家が幸福になると、親の情としてよそへ-やった者が不憫になるのは当然のことである:、それもその子が仕合せであればべつだが、人をやって尋ねさせてみると/依田啓七郎は妻にさきだたれ、おタカを貰ったあとで生まれた幼弱な子をかかえて、かなり貧しい暮しをしているとのことだった。夫妻は幾たびも相談をしたうえ、それまでの養育料を払ってひきとることにきめ、しかるべき人をあいだに立てて依田と交渉した。‥‥そのとき初めておタカは自分の身の上を知ったのである、啓七郎はありのままになにもかも語った、そして「松本の家へ戻るほうがおまえのゆくすえのためだから」そう云って帰ることをすすめた。おタカは考えてみようともせずに厭だと云いとおした、ついには部屋の隅に隠れて泣きだしたまま、なにを云っても返辞をしなかった。肝心のおタカがそんなありさまだったので、あいだに立った人もどうしようもなく、そのときのはなしは結局まとまらずじまいだったのである。 「お梶どののご病気は、かなり重い様子なのだ」  と、父は暫くして言葉を継いだ、 「ひとめ会いたいという気持ちもおいたわしいし、おまえも-じつの子としていちどぐらいはご看病がしたいだろうと思う、意地を張らずにいって来るがよい、ほんの僅かな日数のことだから」  おタカは殆んど聞きとれぬほどの声で「はい」と答えた。そこまでことをわけて云われるのをむげにもできなかったし、重い病に伏している生みの母の、ひとめ会いたいという言葉にもつよく心をうたれた。乳離れをするとすぐ’松代へ貰われて来たそうで、西村の父母の顔はまったく記憶にはない、もしも-のことがあれば、生みの母の顔も知らずに終らなければならない、いちどだけお顔を見せて頂こう、そう考えて承知したのであった。  同じクミ長屋でもごく近しくしている石原という’家のサイジョにあとの事をこまごまと頼んで:、その明くる朝ハヤく、松本から迎えに来たという下婢と老僕にみちびかれながら、あとにもゆくさきにもおちつかぬ気持ちでおタカはマツシロを立った。季節はすっかり春めいていた。遠いかなたの山なみにはまだ雪がみえるけれど、打ちひらけた丘や野づらはやわらかな土の肌をぬくぬくと日に暖められ、ユキゲの水のとくとくと溢れている小川や田の畔には、もうかすかに草の芽ぶきが感じられた。二十里そこそこの道だったが、ひどくぬかるので馬や駕籠に乗りながら三日もかかり、また冬がもどったかと思えるほどひどく冷える日の午後、ようやく松本の城下’へ着いた。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第三章】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  西村の家は和泉というところにあった。長屋門をめぐらせたかなり広い屋敷で、門をはいるとマエ庭があり、枝ぶりのよい榁の木がロクシチホン、高雅な配置で植わっていた。おタカは依田の家とあまりに違う家構えに眼をみはりながら、老僕の案内で脇玄関へまわった。するとこちらの声を待ちかねていたように、五十あまりとみえる婦人があらわれ、泣くような笑顔で出迎えた。 「まあまあ遠いところをようおいでになった、お疲れだったろうね、今すぐすすぎをとりますよ」  心もここにないという様子で、おタカにはものを云う隙も与えず、手をとらぬばかりにして奥へ導いていった。おタカは初め茫然としたが、これがお梶という方だと思い、ご病気だというのが拵えごとだということをすぐに悟った。お梶という方、‥‥彼女の頭にうかんだのはそういう呼びかたで、母’という表現はどうしても出てこなかった。そして、この拵えごとのなかには単純でないものが隠されていること、然もそれがかなり決定的であるということは直感しつつ、その婦人のするままになっていた。  どんな大切な客ででもあるかのように、梶じょはめしつかいをせきたてておタカに風呂をすすめた、風呂にはいっていると二度も湯かげんをききに来たし、あがると仕立ておろしの高価な衣装が揃えてあった。 「お好みがわからないものだから年ごろをたよりにわたしが選んだのだけれど」  梶じょは着付けをたすけながらそう云った、 「どうやらあなたには少し地味すぎるようですね、あちらの小紋のほうがよかったかもしれない、でも今日はこれにしておきましょう」  独り言のようにそんなことを云いながら、撫でまわすような眼でおタカの姿をト見コウ見して飽きなかった。おタカはやはり黙ってされるとおりになっていた:、問いかけられると「ええ」とか「はい」とか答えるが、自分のほうからはなにも云わず、梶じょのどこかしらネツをもったような眼差しにも、できるだけ気づかぬふうを装っていた。  西村の父や兄弟たちは夕食のときひきあわせられた。父は思いのほか若かった。いちばんウエの兄は結婚してもう男の子があり、次兄はまもなく分家するとか、むっつりしているサンケイは顔もよく見なかったし、四番目の兄は江戸詰めで留守:、弟はまだ前髪立ちで名をヤスノジョウといい、背丈の目立って高いからだつきと、まだ子供こどもした日にやけた赤いホオとに特徴があった。彼はその年ごろの者らしく、ほかの兄達よりもおタカの来ることに興味をもっていたようで、横からしげしげと眺めたり、必要もないのにしきりと話しかけたりした。席は広間に設けられた、かけつらねた燭台はまばゆいほど明るく、大和絵をえがいた屏風の丹青も浮くばか-り美しかった。幾つもの火桶でうっとりするほど暖まった部屋、贅沢といってもよいくらい品数の多い色とりどりの食膳、そしてなんの苦労もなく憂いも悲しみも知らない親子兄弟の、なごやかに団欒をたのしむありさま:、──これが自分の本当の家なのだ、ここにいる人たちが自分の生みの親であり、チニクをわけた兄弟たちだ、いま坐っているこの席は誰のものでもなく正しく自分の席なのだ。おタカはそう思いながら、できるだけ素直な気持ちでその部屋の空気に順応しようとした。けれども燭台は明るすぎ、絵屏風はあまりに美しく絢爛で、いかにもおちつきにくく眩しかった:、数かずの料理もいずれは高価な材料と念入りな割烹によるものであろうが、おタカには何やらよそよそしくて、美味しいという気持ちはおこらない:、そしてその一つ一つが’松代の家のことに思い比べられ、しめつけられるように胸が痛んだ。  切り貼りをした障子、古びた襖、茶色になってへりの擦れている畳や、凍み割れのある歪んだ柱、煤けた行燈の光にうつしだされるあの狭い、貧しい部屋のありさまがまざまざとみえる:、乏しいスミをまるで労るように使うあの火桶ひとつでは、冷えのきびしい今宵はどんなにか寒いことだろう:、依田の父と松之助は、いま二人きりであの貧しい部屋のつつましい食膳に向かっている時分だ。サイの皿はひとつ、汁椀の着くことさえ稀で、漬物の鉢だけが変らない色どりである。いま眼の前にあるゆたかな膳部からみればかなしいほど貧しいものだ:、然しそのヒトサラのサイをどんなに心こめて作るだろう:、また父や松之助がどんなによろこんで食べて呉れることだろう。頼んで来た石原のサイジョはよく気のまわる親切なひとだった、父の好物もあらまし告げて来たが、今宵はどんなしたくが出来たであろうか、父の気にいるものだろうか、もしかして酒をあがりすぎはしないかしらん。‥‥おタカのあたまはこういう考えでいっぱいだった、なにを食べたかも覚えず、どういう会話がとり交わされたかも知らなかった。そして終るとすぐ自分のために用意されたという部屋へひきこもり、なにか話し掛けたそうな梶じょにも「疲れているから」と断わって、まだ宵のうちから夜具のなかにはいってしまった。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第四章】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  明くる朝、起きてきたおタカの眼がいたいたしいほど赤く腫れぼったくなっているので、梶じょがびっくりして、 「どうおしだ」  と訊ねた。おタカはさびしげに微笑んだ、 「寝つかれたのでございましょう、少し休みすごしましたから」 「それならいいけれど‥‥」  梶じょはたしかめるようにこちらを見ていたが、すぐ思いかえした様子で、今日は山辺のいで湯へ’ゆくからしたくするようにと云った。 「ここから一里あまり山のほうへ行ったところで、湯もきれいだし美しい眺めもあり、疲れたときなどにはよい保養になります」 「有難うございますけれど」  おタカは眼を伏せながらそっとこう云った、 「わたくし、今日はできますことならお菩提寺へまいりたいと存じますが」 「ああそれなら山辺へ’ゆく途中ですよ、少しまわりみちをするだけですから参詣してまいりましょう」 「いいえ」  おタカはかぶりを振った、 「わたくし今日はお参りだけに致しとうございます、初めてのことでございますから」  初めて祖先の墓へ参るのに遊山を兼ねるのは無作法だと思う、そういう意がはっきり表われていた。梶じょはさすがに面映そうだった。 「それなら山辺は明日のことにしましょう」  こう云ってその日は墓参ということにきめた。  菩提寺から帰るみちで、おタカは自分の生まれた家が見たいと云った。梶じょはすすまない様子だったが、いっしょにいった弟のヤスノジョウがさきに立って案内した。フカシというところの端に近く、身分の軽いさむらい屋敷がひとかたまりになっている、そのなかでも貧しげな古びたイクムネかのなかに、その’家はあった。目隠しというばかりの塀をとりまわした中にささやかな庭があり、枝ぶりのいじけた勢いのない松が/門の脇に立っていた。板葺きの屋根は朽ち乾いて松かさのようにはぜ、小さな玄関の柱やはめ板は雨かぜに曝されて、洗いだしたように木目が高くあらわれていた。ノキは傾き/庇は波をうっている、まわりにゆとりがあるのと、部屋の数が少し多いかと思えるだけで、そのほかは’松代の家とは大差のない住居だった。 「私はこの家に五つまでいたのですよ」  ヤスノジョウはそう云ってなんの屈託もなく笑った。 「あの窓の下の地面に蟻地獄がいましたっけ、それを捕って手のひらを這わせるんです、するとそいつは手の皮のなかへ潜りこもうとする、むずむずして擽ったいんですが、その恰好’がおもしろいのでよくやったものです、ご存じですか」  そんなことをキ-ョウありげに云った。おタカはふと、この弟もいまの屋敷よりはこの貧しい家のほうに心ひかれているのではないか、そんなことを考えながら間もなくクビスをかえした。  翌日は梶じょにつれられて山辺のいで湯へ行った。それは城からひがし北に当る山ふところにあり、清らかな流れと、谷あいの眺めの美しい場所だった。親子はいっしょに湯に-つかったり、香りたかい草木の’芽をあしらった鄙びた午食をたべたりしたのち、まだ珍らしい山独活をみやげに屋敷へ帰った。三日めは家にいて、兄弟たちと話したり自慢の道具を見たりして暮した。その夜のことである。自分にあてられた部屋で梶じょとあい対したとき、おタカは明日’松代へ帰らせて頂くと云いだした。梶じょはそう云われるのを予期していたらしい、そっと部屋を出ていったが、すぐに一通の封書を持って戻って来た。 「依田どのからあなたにあてた手紙です、とにかくこれを読んでごらんなさい」  こう云ってそれをわたした。うけとってみるとまさしく依田の父から彼女にあてたものだった。──こんど松本へおまえを返すに当っては色いろ考えたが、西村からこれまでの養育料としてかなり多額なダイモツを呉れるはなしがあり:、それだけあれば自分は田地でも買って、松之助とふたり安穏に暮らしてゆけるし、おまえも西村のむすめとして仕合せな生涯に入れるであろう、自分のためにもおまえのためにもこうするのがいちばんよいと思う:、じかにこのゆくたてを話したうえ、こころよく別れを惜しみたかったが、顔をみていてはおまえの気持ちがきまるまいと考え、無慈悲なようだがいつわりを云って立たせた:、どうかこんどはわがままを云わずに承知してもらいたい、西村へ行ったら両親に孝行をつくすよう、兄弟と仲よう仕合せなゆくすえを祈っている。そういう意味のことが、依田の父らしく篤実な筆つきで書いてあった。 「よくわかったでしょう」  梶じょはおタカの読み終わるのを待ってしみじみとこう云った。 「いまになっておまえをとり戻そうというのは勝手かもしれない、けれど父上やこの母の気持ちも察してお呉れ:、おまえの生まれた時分は父上のご身分も軽く、子供を多くかかえて、恥ずかしい話だけれど-その日のものにもさしつかえるようなことさえある、貧しく苦しい暮しでした。人の親として、乳離れしたばかりの子をよそへ遣らなければならない、それがどんなに辛い悲しいことか、やがておまえが子をもったらわかって呉れることでしょう:、身を切られるようなと云う、そんな言葉では云いあらわせない、つらい悲しい思いでした」 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第五章】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。 「それほどの思いをしても、おまえを遣らなければならなかった、もう耐えきれない、一家が飢え死にをしてもいいからとり戻しにゆこう、なんどそう思ったかしれません:、暑さ寒さ、朝に晩に、泣いていはしないか病気ではないかと、心にかからぬときはありませんでしたよ」  梶じょは袖口で眼を押えながら暫く声を途切らせていた、 「父上のご運がひらけて、どうやら不自由のない明け暮れを迎えるようになってから、父上とわたしはおまえをひきとる相談ばかりしていました。松代へ人をやってたずねさせると、ながく病んでいる依田どのと幼ない弟のめんどうをみながら、おまえが糸繰りをして家計をたてているという:、ヒンにせまられてやったおまえが、いまは自分でそのヒンとたたかっている、それを思うとわたしたちはとても安閑と暮してはいられなかった:、これまでの苦労を幾らかでも償ってあげなければ生みの親としてどうしても心が済まないのです:、依田どのには決して悪いようにはしません、タカさん、こちらへ帰ってお呉れ、この西村のむすめになってお呉れ、ねえ」  膝の上にそろえた両の手をかたく握りしめながら、おタカは強ばった顔をじっと俯向けていたが、梶じょの言葉が終るとしずかに眼をあげて、 「おぼしめしはよくわかりました、本当に有難う存じますけれど、わたくしやはり松代へ帰らせて頂きます」  抑揚のない声でそう云った。梶じょのほおの辺りが微かにひきつった、 「でも依田どのとはもうはなしがついているのです、どちらのためにもこれがいちばんよいと依田どのも云っておいでなのですよ」 「それをご本心だとおぼしめしますか」  おタカはそっとかぶりを振り/梶じょの眼を見あげた、 「依田の父がそう仰るのはこちらへの情誼からだとはお考えになれませぬか:、あなたはいま人の親として子をよそへ遣ることがどんなに辛いものかということを仰しゃいました:、乳離れをするまでの親子でもそれほどなのに、十八年もいっしょに暮してきた親子はそうではないとおぼしめしですか」  おタカはそう云いながら、松本へゆけと云われた夜のことを思いうかべた。あのとき依田の父はこちらへ背を向けて、おタカに肩を揉ませながらあの話をきりだした。父はおタカの顔を見ることができなかった、自分の辛い顔もみせたくなかったのだ、それがいまおタカには痛いほどじかに思い当る:、ああ、どんなにお辛い気持ちで松本へゆけと仰ったろう、おタカは胸を刺されるように感じながらしずかに続けた、 「依田の家は貧しゅうございます、わたくしが糸繰りをしてかつかつの暮しをたてているのも本当です、けれどもそれはあなたがお考えなさるほどの苦労ではございません:、こう申し上げては言葉がすぎるかもしれませんけれど、こんどのことさえなければ、わたくし仕合せ者だとさえ思っておりました:、依田の父はもったいないくらいよい父でございます、弟も親身によくなついていて母のように頼っていて呉れます:、わたくしにはあの’家を忘れることはできません、いまになって父や弟と別れることはわたくしにはできません」 「それだけの深い思いやりを、わたしたちにはしてお呉れでないの」  梶じょはすがりつくような口ぶりでこう云った、 「ここをおまえのお部屋にと思って、襖を張りかえたり、調度を飾ったり、新らしく窓を切ったりした:、着物や帯を織らせたり染めさせたりして、こんどこそ親子きょうだい揃って暮せるとたのしみにしていた:、これでこそ父上もご出世の甲斐があるとよろこんでいたのですよ、それを考えてお呉れではないのかえ」  それは哀願ともいうべき響きをもっていた。心をひき裂かれるような思いで、これが親の愛情だと思いつつおタカは聞いた。子のためには、子を愛する情のためにはなにも押し切ろうとする、それが親というものの心であろう、かなしいほどまっすぐな愛、おタカはよろよろとなり、母の温かい愛のなかへ崩れ掛かりそうになった。自分のために模様替えをしたというその部屋、新しい調度や衣装、どの一つにもまことの親の温かい愛情がこもっている。その一つ一つが手をひろげて迎えているのだ。けれども、おタカはけんめいに崩れ掛かる心を支えた、自分はその愛を受けてはならない、依田の家を出てその愛を受けることは人の道に外れるのだ。こう自分を叱りつけながら、おタカはやはり松代へ帰ると繰返した、 「みなさまのお仕合せなご様子も拝見しました、もう一生おめにかかれなくともこころ残りはございません、どうぞおタカはこの世にない者だとおぼしめして、これかぎり忘れて頂きとうございます」  梶じょはしずかに立っていった。すぐに弟のヤスノジョウが来、あとからキンダユウと長兄とが来た、みんな言葉をつくしてここにとどまるようにとくどいた。おタカはもうなにも答えなかった。喪心したように眼をつむり、肩つきの堅い姿勢でしんと坐っていた。それはまさしく問罪のように苦しい瞬間であった。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第六章】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  明くる朝まだ仄暗いうちにおタカは松本を立った。くるときの老僕と下婢がトモについて、梶じょとヤスノジョウとが城下’から一里あまりの中原という辻まで送って来た:、そしてそこの掛け茶屋でいっしょに茶を啜り、暫く別れを惜しんでから袂をわかった:、二人はおタカの姿が道を曲ってゆくまで見おくっていたが、おタカはいちどもふり返らず、まっすぐに並木の松のかなたへ去っていった。  道をいそいだのでマツシロへは三日めの昼まえに着いた。城下町が見えだすともう胸がいっぱいになり、いくら拭いてもあとからあとから涙がこみあげてきた:、ほんの僅かな留守だったが、山やまの姿も千曲川のながれもなつかしく、眼につくほどの木立や丘や段畑、路上の石ころまで呼びかけたいような懐かしさが感じられて、国へ帰ったという気持ちがした。‥‥松之助は稽古からまだ帰らず、家には啓七郎ひとり、ちょうど薬湯を煎じていたところだった、老僕のおとずれる声を聞いて玄関へ出て来たが、はいって来るおタカを見るとあっという表情をした。 「ただいま戻りました」  おタカは簡単にそう挨拶をすると、すぐ裏へまわって自分のすすぎをし、トモの二人にも上がってひと晩泊ってゆくようにと云った。然し彼らは玄関で西村からの口上を述べ、手みやげなどを置いて上がらずにたち去った。 「どういうわけで帰った」  さし向かいになって坐ると、啓七郎は煎じていた薬湯を湯のみにつぎながら-そう云った、 「持たせてやった手紙は読まなか-ったのか」 「拝見いたしました」 「それなら事情はわかっているはずだ、おれも安穏な余生がおくれるし、おまえの一生も仕合せになる、そう考えてしたことなのに、目先の情に溺れてなにもかも打ち毀してしまうつもりか」 「おゆるし下さいまし、父上さま」  おタカはひしと父を見あげ、そこへ手をついた、 「わたくしもっと働きます、お薬にもご不自由はかけません、お好きなものはどんなにしても調えます、もっとお身まわりもきれいにして、お住みごこちのよいように致します、ですからどうぞおタカをこの家に置いて下さいまし」 「おまえにはおれの気持ちがわからないのか、おれがそんなことを不足に思っているようにみえるか、おれがおまえを西村へかえす決心をしたのは」 「わかっております、わたくしにはわかっておりますの、父上さま」  おタカは父にそのあとを続けさせまいとしてさえぎった、 「わかっておりますけれど、おタカはいちどよそへ遣られた子でございます、乳離れをしたばかりで、母のふところからよそへ遣られたおタカを、父上さまは可哀そうだと思っては下さいませんか:、もし可哀そうだとお思い下さいましたら、ここでまたよそへ遣るようなことはなさらないで下さいまし」 「だが西村はおまえにとって-じつの親だ、西村へもどればおまえは仕合せになれるのだ」 「いいえ仕合せとは親と子がそろって、たとえ貧しくてひと椀の粥を啜りあっても、親と子がそろって暮してゆく、それがなによりの仕合せだと思います:、おタカにはあなたが真実のたったひとりの父上です、亡くなった母上’がおタカにとって本当の母上です、この家のほかにわたくしには家はございません:、どうぞおタカをおそばに置いて下さいまし、よそへはお遣りにならないで下さいまし、父上さま、このとおりおねがい申します」 「父上」  と、叫びながら松之助が馳せいって来た。稽古から帰って、表で二人のはなすのを聞いていたのだろう、眼にいっぱい涙を-ためながらはいって来ると、姉とならんでそこへ坐り、なかば噎び上げながらこう云った、 「どうぞ姉上を家に置いてあげて下さい、父上、こんなに仰っているのですもの、どうかよそへは遣らないで下さい、おねがいです」  啓七郎は眼をつむり、青ざめたオモテを伏せ、両手を膝に置いてじっと黙っていた。それは大きなするどい苦痛に耐える人のような姿勢だった。そしてながいこと、おタカと松之助との噎びあげる声だけが、貧しい部屋の壁や襖へしみいるように聞えていた。 「‥‥では家にいるがよい」  啓七郎がやがて呻くような声でそう云った、 「西村どのへは父から手紙を書く、もう松本へは遣らぬから」  松之助は姉の膝へとびつき、涙に濡れたホオをすりつけながら声をあげて泣き出すのだった。  爽やかな朝の日光が、明り障子いっぱいにさしつけている、いかにも春らしく、心を温められるような明るさだ。おタカの繰る糸車の音が、ぶんぶんと、そのうららかな朝の空気をふるわせて聞えてくる、蜂の羽音にも似たしずかな、心のおちつく柔らかい音である。啓七郎はそれを聞きながら、 「おまえ成人したら’姉上をずいぶん仕合せにしてあげなければいけないぞ」  と、松之助に云うのだった。 「大きくなればわかるだろうが、姉上はこの父やおまえのためにせっかく仕合せになれる運を捨てて呉れたのだ、自分のためではない、父とおまえのためにだ、‥‥忘れては済まないぞ」  松之助は父の眼を見あげて、少年らしくはっきりと頷いた。糸車の音はぶんぶんと、歌うようにしずかな呻りをつづけていた。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【底本:「山本周五郎全集第二カン◇ 日本婦道記・柳橋物語」新潮社】 【   1981(昭和56)年9月15日発行】 【   1981(昭和56)年10月25日2サツ】 【ショシュツ:「婦人倶楽部」大日本雄弁会講談社】 【   1944(昭和19)年2月】 【入力:特定非営利活動法人はるかぜ】 【校正:酒井和郎】 【2019年2月22日作成】 【青空文庫作成ファイル:】  このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(httpsコロン”//www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。