◇。◇。◇。 【近藤勇と科学】 【直木三十五】 ◇。◇。◇。 【上篇】 【第一章】 ──── ◇。◇。◇。  すぐ前に居た一人がツンのめされたように、たたっと、よろめいて、モロデで頭を抱えると、倒れてしまった。 「伏せっ、伏せっ、伏せっ」  土方は、つづけざまに、こう怒鳴って、大地へ伏してしまった。 「畜生、やられた」  土方の頭の上で、人間の声というよりも、死神の叫びのような絶叫をしたので、振り向くと、口から血の泡を流しながら渋沢が、槍を捨てて、鎧の紐を引きちぎろうとしていた。 「どうした?」  渋沢は、眼球を剥出して、顔中を痙攣させながら、膝を突いて、土方へ倒れかかった。土方が避けたので、打伏しに転がると、動かなくなった。 「撃たれたらしいが、何処を──」  と、思ったが見当がつかなかった。 「顔で無いと──鎧を射抜く筈は無いと──」  土方は、洋式鉄砲の威力がどの位のものか、/この戦争が最初の経験であった。味方のフランス式伝習隊の兵を見ると、旗本のヘッピリ侍ばかりで/薩摩のイギリスジコミだって、これと同じだろう。 (いよいよ斬込みとなったなら/鉄砲なんか何の役に──)  と、思っていたが、半町の距離で、この程度の威力を発揮するとしたなら、研究しておく必要があると思った。  そして、右手で、肩を掴んでマ向けに転がすと、半分’眼を開いて血に-まみれた口を、大きく開けて死んでいたが、顔には、何処も傷が無かった。 (鎧の胴を通すかしら)  土方が、胴をみると、小さい穴があいていた。丁度、肺の所だった。  顔を上げると、御香ノ宮の白い塀の上に、硝煙が、噴出しては、風に散り、散っては、噴き出し、それと同時に、凄まじい音が、森に空に、家々に反響していた。  いつの間に進んだのか、ゴ六人の兵が、往来に倒れていた。両側’の民家の軒下の何処にも、シゴニ-ンずつ、槍を提げて、突っ立っていた。そして、土方が、何か指図をしたら、動こうと、じっとこっちを眺めていた。  頭の上を、近く、遠く、びゅーん、と音たてて、玉がひっきり無しに飛んでいた。周囲の兵は、みんな地に伏して、頭を持ち上げて、坂うえの敵を睨んでいたが、誰も立つものは無かった。  一人が、槍をもって、兜をつけた頭を持ち上げながら、腹這いに進んでいた。その後方から、竹胴に、白袴をつけ、鉢巻をしたのが、同じように、/少しずつ、前進していた。 「危ないぞ」  銃声は聞えていたが、外から、耳へ入るので無く、耳の底のどっかで、唸っているように感じた。前方の地に、小さい土煙が、いくつも上った。 「あっ」  と、叫んだ声がしたので、振り向くと、一人が、額から、血を噴き出させて、がくりと前へ倒れてしまった。  御香ノ宮の塀に、硝煙の中から、ちらちら敵兵の姿が見えてきた。土方は、その姿が眼に入ると共に 「おのれ」  と、叫んで、フンヌが、血管の中を、熱く逆流した。その瞬間、シチ八人の兵が 「出たっ、イモザムライっ」  と、いう叫びと共に、憑かれたケダモノのように、走り出した。真ん中の一人が、よろめいた。先頭のが、槍を片手でさし上げて、何か叫びながら、/少し走ると、倒れてしまった。  二人が、元のように地に伏した。 「馬鹿っ、出るなと云うに」  土方が叫んだ時、残りの者が、みんな倒れてしまった。 「退却っ、このまま、這って退却っ」  土方は、このまま日が暮れたら、全滅すると思った。 「退却っ」  鋭い声がしたので、そのほうを見ると、近藤勇の倅、周平が、白い鉢巻をして、土方を睨んでいた。 「犬死しては’ならぬ」  土方が、睨み返して怒鳴った。 「射すくめられて戦えぬなら、いっそ戦さへ出んほうがよろしい」  周平は、こう叫ぶと 「進め」  片手を突いて立ち上がると、右手の槍を高くさし上げて 「かかれ」  と、叫んだ。軒下の兵が、走り出した。両側から、ニサン十人ずつも、往来へ、雪崩れ出した。銃声が激しくなって/森を白煙で隠すくらいになると、倒れる者、よろめく者、逃げている者、伏せる者、みるみる内に、シチハチニンしかいなくなった。 「周平っ」  土方は、近藤勇が、大阪で疵養生をしていていないから/そのあいだに、周平を殺しては、困ると思った。そして、立ち上がりかけると、周平がよろめいて、膝をついた。 「だからっ」  土方は、大声に叫んで立つと同時に、びゅ-んと、耳を掠めた。その音と一緒に、折り敷きになって 「誰か、周平っ」  と、叫んだ。一人が、周平の手をとって肩へかけようとしていたが、二人とも、倒れてしまった。 「誰かっ」  一人も、周平の所へ行く者が無かった。 ◇。◇。◇。 【第二章】 ──── ◇。◇。◇。 「もっと伏して」  敵の前で、尻を敵に見せて、這いながら退却する事は、新撰組の面目として出来る事でなかった。人々は、後方へ後方へと、すさり始めた。 (危なかった)  一人は、今、自分が伏していた所へ、玉がきて、土煙の上ったのを見ると、周章てて四つん這いに、引き下った。 「周章てるなっ、見苦しいっ」  一人が、後方から、尻を突いて叫んだ。 「見苦しい。お互いさまだ」  一人は、隣の人に 「俺の兜は、明珍の制作で、先祖伝来モノだが、これでも、玉は通るかのう」  首を伏せて、鎧の袖を合せながら、こう聞いたので 「さあ」  と、答えた刹那、明珍の兜をつけた男は、兜の上から、両手で、頭をかかえて、唇を歪めた。 「やられたかっ」  男の顔を見ると、苦痛で、顔中をしかめていた。  最後の列の兵は、素早く、軒下へ飛び込んで、軒下づたいに逃げ出した。一人が、敵へ尻を向けて、大急ぎに、四つん這いに這いながら、逃出すと、二人、三人、と、周章てて、這い出した。 「見苦しいぞ、磯子、鈴木っ」  軒下の兵が、軒下を伝って逃げながら、敵に尻を向けて這っている兵へ、怒鳴った。兵は、黙って、もっと急いで、手足を動かした。  御香ノ宮の敵は、新撰組の退却するのを見ると、塀から、次々に乗り越えて、槍をもって進んできた。 「止まれっ」  土方が叫んだ。 「出たっ」 「出たっ」  口々に叫んで立ち上がった。塀の上に、また白煙が、いくつも、横に並んで、森の中へ消えていった。十シゴニ-ンが、鬨を上げて、走り上ると、敵は、周章てて、塀の中へ、隠れてしまった。そして、銃声が、硝煙が、激しくなった。 「伏せっ。長追いすなっ」  走って行ったシチ八人の半分は、軒下へ逃げ込み、半分は倒れて、よろめきつつ、這って逃げてきた。 「卑怯なっ」  と、一人が、赤くなった眼で、敵を睨んだ。 「味方の鉄砲隊は?」 「ここは、新撰組一手で戦うと云ったから、墨染のホウへ廻ったらしい」 「使いを出して──」 「馬鹿っ、鉄砲隊に、あれだけ威張っておいて、今さら頼みに行けるか」  人々は、怒りと、無念さと、屈辱とに、ギ-ャクジョウしながら、じりじり這って退いた。  正月’元日だった。吹き下してくる風が、凍っていて、時々、顔へ砂をぶっかけた。硝煙の臭いが、流れてきた。  鎧が、考えていたよりも重いし、這うのに、草摺が邪魔になった。袴をつけている人は、平絹の、仙台平のいい袴を土まみれにしていたし、黒縮緬の羽織に、紐をかけ、竹胴をつけている人は、水たまりに袖を汚していた。  組の者のほかに、誰も見てはいなかったが、敵の前で、這っているのを、自分で、苦笑し、侮蔑し──だが (次の戦いで)  と、思って、慰めていた。土方が 「ウエムラ、/貴公、鉄砲が打てるか」  と聞いた。 「打てませぬ」 「竜公、貴様は?」 「あんな物くらい、すぐに──」  土方は大声で 「組に、鉄砲の打てる者はいるか」  と、這いながら叫んだ。 「三匁ダマなら」  遠くで答えた。 「スナイドルか、/ジーベルじゃ」 「毛唐の鉄砲は、打てん」 「誰もないか」  誰も答えなかった。 ◇。◇。◇。 【第三章】 ──── ◇。◇。◇。  誰も、物を云わなかった。敗兵が、その中を、走り抜けようとして、倒れると 「馬鹿っ」  突倒したり、なぐったりした。 「何をっ」  起き上がると、睨みつけたが、新撰組の旗印をみると、すぐ、走ってしまった。 「もうこれきりか」  前と、後ろとに「撰」と大書した四角い旗を立てていたが、その旗へ集まった人々は、八十人しか無かった。二百五十人余で、伏見の代官役所から打って出、百七十人、御香ノ宮で、ひと槍も合さずに討たれたのだ-った。  それから、橋本で退却して、夜戦に、いくらか戦ったが、誰も鉄砲の音がすると、出て行かなくなってしまった。  枚方へくると、敗兵が、土手の上に、したの蘆の間に、家の中に、隊伍も、整頓もなく騒いでいた。大小の舟が、幾ジュッ艘となく、繋がれていたが、すぐ一杯になって、次々に下って行った。  舟番場の所には、槍が閃いていて、大ぜいの人が、何か叫びながら、兵を押したり、なぐったり、突いたり、槍を閃かしたりしていた。  土手の上を川沿いに、よろよろと、黒くつながりながら、下級の兵が落ちて行っていた。 「のけっ」 「新撰組だっ」  人々は、喧騒の渦巻いている中を、土手から降りた。支配方らしいのが 「舟か」 「八十人」 「大伝馬二艘」  人々は、あとから来た新撰組が、優待されるのを羨ましそうに、黙ってみていた。小舟から伝馬へ乗りうつると 「まだはいれる。おい、そこの」  と、支配かたが、手招きした。旗本らしいのが、ゴ六人、蒼い顔をして、お辞儀しながら走ってきた。 「御免下さい」 「狭くて窮屈ですが」  土方にお辞儀をした。 「船頭っ、早く出せ」  土方が怒鳴った。  一人が鎧を脱いで 「こんな物っ」  と、叫んで、川の中へ投げ込んだ。誰も、頭髪を乱して、ソウハクな、土まみれの顔で、眼を血走らせていた。 「いかがに成りましょうか」  旗本の一人が聞いた。 「判らん」  一人は、カワミズで、顔を洗った。傷を手当てしかける者や 「食べ物」  と云って 「水でもくらえ」  と云われる者や──一人が又、鎧を脱ぎすてて、川の中へ投げ込んだ。二’三人が、船頭に合せて、槍を、竿の代わりにして、舟を押出していた。旗本は、一固まりになって、小さく、無言で俯いていた。 「お旗本か」 「はい」 「何か手柄したか」 「中々、鉄砲が──」 「鉄砲が、恐ろしいか」 「貴方がたのように、胆がすぐれていませんので、つい──」  土方が 「鉄砲は、胆を選り好みしないよ」 「アハハハハ」  と、大声で笑った。  川堤には、ひっきり無しに、敗兵が、走ったり、歩いたり、肩にすがったり、跛を引いたり─:─ある者は何の武器も持たず、ある者は、槍を杖に──川のほうを眺めながら、つづいて居た。  微かに、大砲の音が、ときどき響いてきた。 ◇。◇。◇。 【第四章】 ──── ◇。◇。◇。  天満橋も、高麗橋も、思案橋も、舟の着く所は、悉く、舟だった。船頭の叫びと、人々の周章てた声と、手足と、荷物と、怒りと、喧嘩とで充満していた。  新撰組の人々は、槍で、手で、他の舟を押しのけながら、石垣のホウへ、近づけた。町人の女房が、子供が、男が、/老人が、風呂敷包みを背に、行李を肩に 「岩田屋の船頭はん、何処やあ」  とか 「この子、しっかり、手もってんか、はぐれたら、知らんし」  とか、叫びながら、自分の舟へ、人混みの中を押し合って降りていた。そして、舟から上がる人と、下りる人とが、ぶつかり合った。 「上り舟や、客はないか」  と、船頭が叫んだ。それを、橋の上から 「木津までなんぼや」  と、手をあげていた。そういう喧騒を、橋に、肱をついて、呆然と見下ろしている人もあった。 「あら、新撰組や、新撰組も、負けはったらしいな」 「近藤さんや、あの人が」 「あら、土方やがな。近藤さんは、墨染で、鉄砲で打たれた人で、お城で、養生してはんがな」  町の中も、車と人とで一杯だった。夕方か、明日、薩長の兵が乱入してくるという噂が立っていた。  新撰組の人々は、町人も武士も突きのけて、小走りに、城へ急いだ。高麗橋グチへかかると、馬上の人が、徒歩の人が、激しく出入りしていた。いつも、右側に、袴をつけて、番所の中にかしこまっている番人が、一人もいなかった。  石段を走り上って、中の丸へ入ると、鎧をつけた人が立っていた。一人が、そのソバを通りがしら-に 「鎧は役に立たぬ」  と、云った。その男は、何を云われたか判らぬらしく、新撰組を見送っていた。  百畳敷の前へ来た時、土方が 「ここで待て-っ」  と、叫んだ。そして、旗本を見ると 「まだついてきたのか」 「はい」 「貴公ら、早く江戸へ戻れ」 「はい」  旗本はそう答えながら、衰弱的な眼で、土方を見上げた。  戻る道──それは、どう成っているか判らなかった。戻っても、どうなるかを江戸にいて、鎧まで-かねに代えていた旗本であった。軍用金をいくらか貰って、ようよう息を継いできた人であった。 (新撰組の人達は、一人でも、暮らして行ける人だから──)  と、考えていた。 「貴隊へお加えの程を──」  土方は、返事をしないで入って行った。 「ご勝手方は、何処だ。食事だ。食事だ」  と、二’三人が云った。 「手前が、心得ております。只今、話してきます」  旗本の一人が走り出すと、残りの人々も 「暫く、おまち下さい」  と云って、走って行った。 ◇。◇。◇。 【第五章】 ──── ◇。◇。◇。  近藤勇は、黒縮緬の羽織、着物で、着流しのまま坐っていた。 「敗けたか」  口許に、微かな笑みを見せて、じっと、土方の顔をみた。 「見事──総敗軍」 「どうして」 「手も足も出ぬ。鉄砲だ」 「テッポウ?」 「うん」 「鉄砲に、手も足も出んとは?」 「貴公は、三匁と、五匁くらいより知らん。あいつは、五十間”せいぜい六十間で当てるのは難かしいが、洋式鉄砲は、二’三町くらいで利く。一刀流も、無念流も無い。鎧も、兜も、ぷすりぷすりだ」 「躾けられんか。筒口を見てどの辺を覗っているか──」 「アハハハハ」  土方は、大笑いして 「蛤御門の時より、/一段の進歩だ。それに味方の伝習隊が役に立たぬ」 「味方の鉄砲が役に立たぬに、敵の鉄砲が」 「シャスポーを、フランス式は使用しているが、なんでも幕府に-かねの無いため、安物を買ったとかで、銃身のどっかが曲った廃銃まであるという噂もあった」 「有りそうな事だ。そして、誰が討死した」 「うむ──周平が、山崎が、藤堂が──」 「みんな、鉄砲でか」 「うむ」  近藤は、暫く、黙っていたが 「なんとか、法の無いものか? 俺は、あると思えるが──」  と、云うと、自分の肩の鉄砲疵の事を思い出した。 (これは、不意討ちだった。前に、覗っているヤツが見つかったなら、撃たれはしまい。謙信は、鉄砲ぐるみ、兵を斬った事さえある)  土方は、懐の金入れから、小さい円い玉を出して 「これが、玉だ。わしの前へ落ちたヤツを、ほじくり出してきた。もう二寸の所で、やられる所だった」  近藤は、じろっと、見たまま、手に取ろうともしなかった。 ◇。◇。◇。 【下篇】 【第一章】 ──── ◇。◇。◇。 「どうにか、成るだろう」  開陽丸の甲板の手擦りに凭れて、岩田金千代が、友人の顔を見た。 「お前は呑気だよ」  空は晴れ上がっていた。波は平らだった。そこに見える陸地に戦争があって、その戦争に、一昨日まで、従っていたとは思えなかった。  金千代は、枚方で、新撰組の舟に、うまく乗れたし、城中から逃げる時にも、将軍が、天満橋から、カヤブネで、テンポザンへ落ちたとすぐ聞いて、馬を飛ばしたが、間に合って、この舟に乗る事が出来た。同じように、馬でくると云っていた友人は遅れたらしいが (アイツは、紀州へ落ちただろう、然し、紀州だって、敵か味方か、判りはしない。彦根だって、藤堂だって、敵になったのだから─:─なんて、俺は、運のいい男だろう)  と、思うと (何とかなるだろう)  と、自信がもてた。 「大阪城のオカネグラには、三千両しか無かったそうだし、江戸は君──あの通りだろう」  江戸では、小栗上野介が、軍用金の調達に奔走したが、フランスから借り入れるほか、方法がつかなかった:、そして二人の貰った軍用金とて、/少額なものであった。 「人気は悪いし──これで、負け戦さになったら。今までさえ食え無いのが、どうなるだろう」 「そんな事を心配していたって──」  金千代は、そう云ったが、江戸へ入ると、幸運が、逃げてしまいそうにも思えた。旗本の相当の人で、蚊帳の無い人があった。鎧をもっている人は稀だった。ヒャッコク百両という相場で、旗本の株を町人に譲って、隠居する人が、多かった。それで、こらえきれ無くなって旗本から、将軍へ出した事があった。 ◇。◇。◇。 「質主と申す者ござそうろう、武器、衣類、大小、道具等みぎ質屋へ預かりそのね半減:、あるいは三分の一のきんだかを貸し渡し、リブンは高利にて請け取りそうろう:、武家にてもごく難儀にてキンス才覚つかまつりそうろうても、貸してくれそうろうものござなきそうろうせつは」 ◇。◇。◇。  という有様であった。そして、旗本はその中で、三味、手踊りを習っていた。 「甲府へ立て籠って──」  という声がした。二人が、振り向くと、近藤と、土方とであった。二人は、丁寧に、お辞儀をした。 「八王子には千人同心が、/少くとも二小隊は集まる。ナッパ服が二大隊、これもお味方しよう。甲府城には、加藤駿河の手で、3000人、それに、旗本を加えて、五千人は立ちどころに揃うであろう。これで、一戦しようで無いか」 「然し、京都での、新撰組の勢力とはちがうから、我々のもとへ集まってくるのが──」 「それは、相当の役所になって、公方の命令という事にしよう。もし、公方の命令で集まらなかったら、それは是非もない事だ」  二人は、帆綱の上へ、腰かけて話していた。金千代が 「せめて、甲府でなりと、手痛く戦いたいですが、今の人数の中へお加え下さいませんか」  近藤は、頷いた。水夫達は、一生懸命に働いていたが、敗兵達は甲板で、煙草を喫ったり、笑ったりしていた。 ◇。◇。◇。 【第二章】 ──── ◇。◇。◇。  近藤勇は、若年寄格。土方歳三が、寄合席。隊の名は、甲陽鎮撫隊。隊士一同、悉く、小十ニン格という事になった。  岩田金千代も、鈴木竜作も、/裏金の陣笠をもらって、新らしく入ってきた隊士に、戦争の経験談を話した。 「火縄銃のほか、お前なんか、鉄砲を知らんだろう。長州征伐の負けたのも、そのためだ。舶来鉄砲には、第一にミツボンド筒というのがある。それから、エンピール、スベンセル、こいつが恐い。三町くらいで、どんとくると、やられる」 「三町も遠くて、当たるかい」 「当たるように出来てる。伏見では、そのため、新撰組が、七八百人やられたんだ」  二百八十人の隊は、二月二十七日の朝──霜の白い、新宿大木戸から、甲州街道を進んだ。二門の大砲が、馬の背につんであった。神奈川ナッパ隊が後からきて、それを撃つのであった。それから、いろいろの種類の鉄砲が、四十丁。  土方は、もっと集める、と云ったが、かねも、品物も無かったし。隊長の近藤が、苦い顔をして 「土方、そんな鉄砲など──」  止めてばかりいた。  サンペイ隊、伝習隊、会津兵、旗本、新撰組、それからの寄せ集まりで、宗家のためよりも、自分のためであった。入隊しないと、どうして暮して行けるか見当のつかない人が、たくさんに加わっていた。  そして、新撰組は、その人々で、会津兵は東北弁ばかり、旗本は流行言葉─:─というふうに、一団ずつになって、睨み合っていた。  大木戸辺まで、町の人々が、隊の両側に、前後に、どよめきつつついてきた。大木戸の黒い門をくぐると 「御苦労さま」 「頼みます」  と、町人達が、一斉に叫んだ。隊士は 「大丈夫」  と、手を挙げて答えた。 ◇。◇。◇。 【第三章】 ──── ◇。◇。◇。  府中近くなると、もう、人々が迎えにきている。土方も、近藤もかなり前、故郷を離れた切りだったから、新撰組の近藤、ヒジカタ、若年寄という大役の近藤として、郷土の人々に逢うのは、誇りであった。 「ゴシュと、火とをたくさん。用意しておきましただ」  人々は、だんだん増してきて、近藤の馬の左右に、わいわい云いつつついてきた。府中へ入ると、大きい家には、幕が張ってあって、人々が、土下座をして二人を迎えた。一軒の家に 「近藤勇さま、土方歳三さま御宿所」  と、書いた新しい立札が立っていた。その前で、二人は馬から降りた。隊士達は、人々に案内されて、寺に、タイカに、それぞれ宿泊した。  空っ風に、鼻を赤くして、のりの悪い白粉を厚くつけた女が、街中を走り歩いた。若い衆は、錆槍だの、棒だのをもって、役所の表に立った。太鼓が万一のために用意されて、近藤の家ののきに釣るされた。百姓は、大砲の荷をなでながら 「これが、大筒ちゅうて、どんと打つと、二町も、でけえ’玉が飛出すんだ」  と、包んであるワラヅツの隙から、筒先をのぞき込んでいた。  金千代と、竜作とは、接待に出た酌婦へ、江戸の流行り唄を教えながら、酒をのんでいた。 ◇。◇。◇。 【甲州街道に、】 【松の木植えて】 【何をまつまつ】 【便り待つ】 ◇。◇。◇。 「あんちゅう、いい声だんべえ。このお侍は、よう」  と、酌婦は、金千代に凭れかかった。金千代は、左手で、女の肩を抱いて 「今度は、上方の流行り唄だ」 ◇。◇。◇。 【宮さん宮さん】 【お馬の前で】 【ひらひらするのはなんじゃいな。】 ◇。◇。◇。 「誰だ」  隣りの部屋から、怒鳴った。金千代が、黙ると 「けしからんものを唄う。朝敵とは、なんじゃ」  会津兵が、襖を開けて 「これっ」  金千代は、お辞儀して 「しまいまで唄を聞かんといかん」 ◇。◇。◇。 【あれは、芋兵を】 【征伐せよとの】 【葵の御紋じゃ無いかいな】 ◇。◇。◇。 「たわけっ」  と、云って、会津兵が引っ込んだ。酌婦が、その後ろ姿へ、歯を剥き出した。 「お前’今夜、どうじゃ」  酌婦は手を握り返して 「俺らも、甲府まで、くっついて行くべえかのう」 「よかんべえ」  竜作が 「雪だ」  と、いった。障子を開けると、ちらちらと降り出していた。 ◇。◇。◇。 【今宵も、雪に、しっぽりと、】 【卵酒でもこしらえて】 【六つ下がりに戸を閉めて】 【二人の交す、よつの袖、】 ◇。◇。◇。 「ようよう、俺らあ、酔ったよ。金公、金的、もっとしっかり、抱いてくんしょ」  酌婦は、豚のような身体を、金千代に、すりつけた。 ◇。◇。◇。 【第四章】 ──── ◇。◇。◇。  一人が 「ハヤだ」  と、叫んだ。腹当てへ、大きく「御用」と、朱書きした馬に乗った侍が、雪の泥濘を蹴って走ってきた。 「留めろ」  近藤が叫んだ。二人の旗持ちが、旗を振って 「止まれ。止まれっ」  兵が二’三人。オオデを拡げて 「止まれえ」 「なぜ止める」  馬の手綱を引締めて、侍が、不安と、怒りに怒鳴った。 「甲陽鎮撫隊長、近藤勇だ。何処の早馬か」 「おおっ──これは、甲府御城代より、江戸おもてへの早馬です」 「敵の様子を知らんか」 「それを知らせに行くんです」 「何処まできた」 「昨夜、下諏訪へ入りました」 「下諏訪?──甲府までイクリあるかな」 「13里です」 「ここから、甲府までも、そんなものか?」 「ここからは十シチリです」 「十シチリか?」  近藤は、土方に 「急げば、間に合おう。敵に入られては’ならぬ。土方、急ごう」  土方は、侍に 「敵兵のジンゼイは?」 「五千とも、七千とも申します」  土方は、近藤をみて 「ナッパ隊がつづかぬから、大砲の打ち方さえ判らない上に/鉄砲がこの数では、とても、太刀打ちできんでないか」 「又、君は、鉄砲の事をいう──急げ、とにかく、急ごう」  早馬が去ると、一行は、八王子へ急いだ。そして、八王子の有志が、出迎えていた。 「無闇に、進んだとて仕方が無い。後続部隊も来ないのに──それに、4里も差があっては──」  と、その休息の時に、意見が出たし、第一日が暮れかかって”この雪道の笹子峠を越せるもので無かった。それで、八王子へ泊まった。酒と、女とが、府中と同じように出てきた。千人同心が、三四百人は、加勢するという話であった。 「勝沼で食い止めて、一泡吹かしてから、甲府へ追い込む事にしよう。それまでには、加勢も加わろう。今夜にも、ナッパ隊は、来るかもしれぬ」  人々は、酒を飲むと、そういうふうに考えた。金千代と、竜作とは昨夜の如く、流行り唄を唄っていた。 ◇。◇。◇。 【第五章】 ──── ◇。◇。◇。  次の日は大月で泊まった。四日に、笹子の険を越えたが、眼下に展開しているのは、甲府盆地である。最初の村が、コマシで、ここから甲府へ六里、日が暮れてしまった。村人に聞くと、敵は、昨日’甲府へ入ったと云った。  泥の半乾きになった道を、近藤と、土方とが、結城兵’ニサンを連れて、防禦陣地の選定に廻った。そして、柏尾にいい所を見つけた。其処は、敵の来襲を一目に見下ろせて、味方が隠れるのに都合のいい所であった。  その夜中から村人を狩集めて、隊士が手伝って、村外れに小さい、窪んだ所をこしらえた。ニ三人が押したら、すぐ潰れそうな所であったが、甲陽鎮撫が、防禦陣地に関所の無いのは、格式にかかわるというふうに考えていた。 「この所一つあれば、十人で千人の敵へ当たる事ができる。蛤御門の戦さの時に、長州兵が、サンシャクの木戸ひとつに支えられて、コハントキ-ハイれなかった」  近藤は、この関所で、太刀を振るって、敵を斬っている自分の姿を想像した、どう不利に考えても、自分が一人で、守っていても、敵に蹂躙されそうにもなかった。  風呂敷、米俵の類いを集めて、土俵、土嚢を造った。隊士も、百姓も、土を掘って米俵へつめては、篝火の燃えている下へ、いくつも積み上げた。力のある者は、石を転がしたり、抱え上げたりして、土俵の間へ石を置いた。そして二尺高い堡塁が、半町余りの所に、点々として、木と木のあいだへ出来上がった。  金千代と、竜作とは、炊事方になって、村の中から、女、子供に指図して、兵糧を運ばせた。沢庵と、握り飯が、すぐ冷えて/人々は、昨日までの、女と、酒とを思い出した。  夜半から、又、雪がちらちらしかけた。人々は、’蓆を頭からかぶったり、近くの家の中へ入ったり、篝火を取巻いたりして、初めて経験する戦争の前夜を、不安と、興奮とで明かした。 ◇。◇。◇。 【第六章】 ──── ◇。◇。◇。  山裾の小川沿いに、正面の街道から、田のアゼづたいに、敵が近づいてきた。だん袋を履いて、陣笠をかむり、兵児帯に、刀を差して、肩から白い包みを背おった兵であった。  シ五丁の所で、右へ走ったり、左右に展開したりして、横列になった。そして小走りに進みながら、銃を構えた。隊長が、何かいうと、折り敷いて、銃を肩へつけた。近藤が 「馬鹿なっ」  と、呟いて微笑’した。そして、ソバの兵に 「撃ってみろ」  と云った、兵は、すぐ射撃した。近藤は、飛出す玉を見ようとしていたが、ばあーんと、音が、木霊しただけで/玉の飛ぶ筋が見えなかった。 (慣れたら、見えるだろう)  と、思った。 「もう一発」 「隊長どの、ここからだと、遠すぎますよ」 「黙って打て」  イサミは、白いものが、眼を掠めたように感じた。 (あれが、玉の道だ。研究して見えぬ事は無い)  と思った。  前面の野、林、道に、一斉に白煙が、濛々と立ち込めた瞬間、銃声が、山へ素晴らしく反響して、轟き渡った。と、同時に、ぶすっという音がして、土俵へ玉が当たったらしかった。近藤は、振り向いて、何処へ当たったか見ようとしたが、判らなかった。びゅーん、と耳を掠めた。  白煙が、一杯に、低く這ったり、流れたりして、兵も、土地も林も判らなくなった。その煙の下から、敵が、また前進しかけた。土方が、大声で 「撃て-っ」  と叫んだ。 「大砲っ」 「大砲、何してるかっ」  兵が、怒鳴った。後方の大砲方は、身体をかがめて、大砲を覗いたり、周章てて、砲口を上下させたりしていた。一人が、ムコウ鉢巻をして 「判った」  と、叫んで 「のけっ、微塵になるぞっ」  口火をつけた。兵は、耳の、があーンと鳴るのを感じた。空気が裂けたような音がした。その瞬間、すぐ前の木が、二つに折れて、白い骨を現したかと思うと、土煙が、土俵の前で、シ五尺も立ち昇った。  味方の玉は、前方の煙の中へ落ちて、土煙を上げた。 (今に、破裂する)  と、兵も、近藤も、ヒジカタも、じっと見つめていた。だが、破裂しなかった。 「口火を切ってない」  一人が、周章てて、玉の口火をつけて、押し込んだ。銃声と、砲声とが、入り乱れてきた。兵’の後方で、土煙が噴出した。山鳴りがして、兵’の頭へ、雨のように降ってきた。シチ八人の兵が、堡塁の所へ、しゃがんでしまった。  40丁の鉄砲方のほかの人々は、槍と、刀とを構えて、堡塁’から、顔だけ出していた。一人が堡塁へのしかかるように、身体を寄せて敵の前進を眺めていた。 (成る程、遠くまで届くものだな)  近藤は、立木の背後で、散兵線を作って、整然として、/少しずつ前進してくる敵に、軽蔑と、感心とを混合して、眺めていた。 ◇。◇。◇。 【第七章】 ──── ◇。◇。◇。  近藤は、刀へ手をかけて、玉の隙をねらっているように─:─実際、近藤は、びゅーんと、絶間なく飛んでくる玉に、/激怒と、こらえきれぬうるささとを感じていた。ちょっとした隙さえあったなら、その音の中の隙をくぐって、斬り崩す事ができると考えていた。 「くそっ」  誰かが、こう叫ぶ声がすると、大きい身体と、ハ-クジンとが/近藤の眼の隅に閃いた。 (やったな)  と、一足’踏出した途端、その男は、刀を頭上に振り上げたまま、よろめきよろめき”ニサンポ進んだ。そして、地の凹みに足をとられて、立木へ倒れかかって、やっと、左手で、木に縋って支えた。 (負傷したな)  と、近藤は思った。 (鈴田だ)  その男が、立木へ手をかけて俯いた横顔をみて思った。その途端/鈴田の凭れている木の枝が、べきんと、裂き折れて、大きい枝が、鈴田の頭、すれすれにぶら下がった。 「鈴田っ」  鈴田の脚元に、小さい土煙が立った。鈴田は、刀を杖に、よろめきつつ、二’三歩引返すと、倒れてしまった。  敵の兵は、未だ一町余の下にいた。そして、立木の蔭、田のアゼ、ヒャクショウヤの壁に隠れて、白い煙を、上げているだけであった。  近藤は、墨染で、肩を撃たれた事を思い出した。小さい、あんな鼻糞のようなものが、一つ当たると、死ぬなど、考えられなかった。二十年、三十年と研究練磨してきた天然理心流の奥伝よりも/鋭く人を倒すたま─:─小さい円い玉──それが、百姓兵の、イモザムライに持たれて、三日、五日’稽古すると、こうして、近藤が、この木の蔭にいても、どうする事も──手も足も出無いように── (馬鹿らしい)  と、思ったが、同時に、恐怖に似たものと、絶望とを感じた。土方は、堡塁の所から、首だけ出して、何か叫んでいた。 「あっ、敵が、敵が──」  一人が叫んで、立ち上がった。兵の首が、一斉に、そのほうを振り向いた。山の側面に、ちらちら敵の白襷が見えて、ぽつぽつと、白煙が立ち、小さい音がした。近藤は前には立木があるが、後方に援護物が無いと思うと 「退却っ、あすこまで──」  と、叫んで、一番に走り出した。ぴゅーんと、音がすると、ちょっと首をすくめた。 ◇。◇。◇。 【第八章】 ──── ◇。◇。◇。 「出たら、撃たれるったら」  金千代が竜作の頭を押さえた。 「然し、誰も撃たれてやしない」 「そりゃ、引っ込んでいるからだ」 「近づかないで、戦争するなんて、戦争じゃない。薩長の奴らは、命が惜しいもんだから、なるべく、近寄らずに脅かそうとしている:、彼等──」  と、云った時、昨夜、総がかりで作った関門に、煙が立って、炸裂した音が轟くと、門は傾いて、片方の柱が半分無くなっていた。人々は 「あっ」  と、叫んで、半分’起き上がりかけた。初めて、大砲の恐ろしい威力を見、自分らが十人で、百人を支えうると感じた所が、眼に見えない力で、へし折られたのを見ると:、すぐ次の瞬間、自分らの命も、もっと脆く、消えるだろうと思った。 「退却」  という声が聞こえた。 「退却、金千代’っ」  竜作が立ち上がった。 「退却?」  金千代が竜作の顔を見て、立ち上がろうとすると、近藤が走ってきた。 「退却ですか」  金千代が突っ立った。近藤が、頷いて金千代の顔をみると/額から血が噴出’して、たらたらと、ホオから、唇へかかった。金千代は 「ああ──当たった──やられた」  と、呟いて、眼を閉じた。竜作が 「やられた、玉に当たった」  近藤は、自分の撃たれた時には、判らなかったが、すぐ眼の前で、他人の撃たれるのを見ると、すぐ (準備を仕直して、もう一戦だ。このままでは戦えぬ)  と思った。悔しさと、焦燥と、フンヌとで眼は輝いていたが 「土方っ、退却っ」  と、怒鳴って、手を振った。刀をさしているのが、馬鹿馬鹿しいようだった。ニサン十年無駄にしたような気になった。土方のほうが俺より利口だと思った。  ちょっと振り向くと、敵は、未だ、隠れたままで射撃していた。そして空に耳許に、頭上に、玉の唸りが響いていて、立木へ、土地へ、砂嚢へ、ぶすっぶすっとときどき玉が当たった。 (こんな物で、死ぬ?──そんな)  と、思って金千代を見ると、口を開けて、両手をだらりと、友人の膝の両側へ垂れていた。 「捨てておけ、馬鹿っ」  近藤は、玉に当たって死んだヤツに、反感をもった。どうかしていやがると思った。  金千代は額から全身へ、熱い細いものが突き刺したと感じると、すぐ、半分’意識が無くなった。その半分の意識で (俺は’とうとう玉というヤツをくったな)  と思った。 (だが、斬られるよりは痛くない。暗い、暗い、──竜作、もっと大きい声で─:─暗くて、大地が下へ落ちて行く、もっと、しっかり俺の手を握りしめてくれ──ノドが渇いた─:─竜作──黙っていないで何か云ってくれ。俺は死ぬらしい──)  竜作は立とうとして、すぐ腹這いになった。そして、誰も見ていないのが判ると、そのまま四つん這いで、周章てて、クボチの所まで走った。  イサミは、後方に繋いであった馬の所へ行って、手綱を解いていた。丁度その時、谷カンジョウと、片岡健吉とが、先頭に刀を振って、走り出してきた所であった。二’三人の味方が、そのホウへ走っていた。イサミは行こうかとも思ったが、なんだか馬鹿らしかった。というよりも撃たれたような気がした。 (今夜’考えてみよう。俺は三十ヨネン、剣術を稽古した。その俺より、百姓の鉄砲のほうが効能がある。これは考え無くては’ならぬ事だ)  イサミは馬に乗った。そして真っ先に退却すると同時に、甲陽鎮撫隊は総崩れになって、吾がちに山を走り登りかけた。  竜作は、躓いたり、滑ったりしながら、なるべく街道へ一直線に到着しようと、手を、ホオを、笹に/茨に傷つけつつ、掻き上った。 (江戸へ逃げて行って──どうにかなるだろう。どうにも成らなかったら、鉄砲にうたれてやらあ、切腹するよりも楽らしい。金千代は、楽そうな顔をして、死んでいやがった。然し、妙な得物だ。もう、武士は駄目になった)  眼を上げると、近藤の姿も、土方の姿も無かった。 ◇。◇。◇。 【テイホ-ン:「新選組興亡録」角川文庫、角川書店】 【2003(平成15)年10月25日初版発行】 【底本’の親本:「新選組傑作コレクション・/興亡の巻」河出書房新社】 【1990(平成2)年5月】 【初出:「文藝春秋増刊・オール読物号」文藝春秋】 【1930(昭和5)年7月号】 【入力:大久保ゆう】 【校正:noriko /saito】 【2004年8月11日作成】 【青空文庫作成ファイル:】  このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(httpコロン/スラッシュスラッシュwww.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。