【桑の木物語】 【山本周五郎】 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第一章】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  その藩に伝わっている「杏花亭筆記」という書物には、土井悠二郎についてあらまし次のように記している。 「土井右衛門、名は悠二郎。シゲハルの次男に生まれ、わけがあって七歳まで町家に育った。八歳の春から幼君のお相手として御殿へ上がり、ずっとお側去らずに仕えたが、二十一のときチシした。  生まれつき奔放にして無埒、つねに奇矯のおこないが多く、宗眼日録には、勤めかたよろしからず、ということがしばしば挙げてある。チシしてのちは市中にかくれ、親族や旧知ともたって無為に一生を終ったという。  また上屋敷の庭の奥に、いま大木になった桑の林があるのは、タイシュン院さまが少年のころ、彼のすすめによって植えられたと伝えられるが、このような進言をするところなども、彼の無埒な性分のあらわれであろう。──ちなみに宗眼日録はタイシュン院さまご一代の記録であって、ご歴代の中興であると同時に、稀世の名君といわれる侯の、生涯と治績とが詳述されてある。筆者はニイイズミ宗十郎、のちに国老となり、ソウガンと号した」  以上が記事の概略であるが、はなはだかんばしくない。「生まれつき奔放無埒」とか「勤めかたよろしからず」とか、だいぶ手ひどくやられている。大名屋敷の奥庭、──町家などでもそうだが、──桑の木を植えるなどというのは変っているが、それが奇矯というほどのことかどうか。いちがいに断言はできないだろう。  また読者の便宜のために、同じ「杏花亭筆記」にある彼の祖父の記事を、その要点だけぬいて紹介しよう。 「土井勘右衛門、キョボクと号す。ジョウショウ院さまのとき留守役(世襲)より側御用に召され、老職を兼ねて信任もっとも篤く、ジョウショウ院さまご他界ののちは、世子のご養育に専念した。タイシュン院さまのエイメイ果断の資質は、勘右衛門に負うところ多しともいう。──また他に評がある。彼は豪放磊落なれど、酒を好み、老年に及ぶまで遊里にでいりし、俗曲、俳諧に長じ、日常のようすには不拘束なことが少なくなかった」と。  これにも「他の評」として一種の批判がつけ加えてある。重職であるうえに藩主の幼君の育て役といえば、相当な人格者でなければならない筈だが、酒好きで遊里にでいりして、日常が不拘束だとするとあまり褒めたはなしではない。──そしてこの点、悠二郎の「奔放無埒」と、なにか因果関係があるのではないだろうか。  悠二郎は双生児であった。兄を左門松太郎という。武家では双生児を嫌うので、生まれるとすぐ里子にやられた。杏花亭はただ「町家」と記しているが、詳しくいうと浅草六軒町にある「シュウ仙」という船宿であった。  父の忠左衛門は物堅い性分で、留守役という社交的な勤めにいながら、酒も多くは嗜まず、たった一つ金魚を飼うという趣味のほか、碁将棋も知らないというふうだった。しかし祖父の勘右衛門はかなり道楽者だったらしい。杏花亭が記しているように、ずっと老年までヨシワラや深川あたりでよく遊び、酒もつよいし、荻江一中などの俗曲にも通じていたし、キョボクという号で俳諧にもだいぶ凝ったそうである。──そんな関係から「シュウ仙」をひいきにしたのだろう、よほど気にいったとみえて、あるじ仙吉は上屋敷の家へもちょくちょくきげん伺いに来た。またおつねという女房なども、季節の魚を持ったりして、台所へあらわれることが珍しくなかった。  悠二郎をシュウ仙へあずけたのは祖父の勘右衛門である。父は反対であった。なんにしたところで武家の子をあずける環境ではない、母のかな女も眉をひそめたのであるが、キョボクロウは-さも心得たというくちぶりで、  ──こいつの相貌をみるに、どうもおれに似た道楽者になるらしい、だから船宿などへあずけるのも、毒を以て毒を制する法である。  こう云ったという。またのちには嫁に向って、嫁とはむろんかなじょ-のことであるが、その嫁に向ってこう云ったこともあるそうだ。  ──どうせ次男坊のことだ、つまらないようなところの養子にするより、いっそ当人がよければ船頭にでもなるがいいのさ、にんげん一生、あれはあれで気楽でもあるし、なかなか粋な商売だからな。  たぶん酔ったきげんででも云ったものだろうが、それにしても乱暴なはなしで、当時としては相当な自由主義者だったとみえる。──ともかく、彼はこうしてシュウ仙へあずけられた。  ──あまり大事に扱ってはいけない、たいていな悪戯は叱らぬように、なるべく野放しに育てろ。  仙吉とおつねはキョボクロウからそう厳命され、そのいいつけどおりに育てた。乳母は葛西のほうの農家の者であった。──彼は赤子のじぶんから勾配が早かった。ナナツキメにはもうお乳には眼もくれず、誕生まえに平気でコワメシを食べた。這うのも、立つのも、歩きだすのも、すべて一般よりは三割がた早かった。 「こんな赤ん坊っておら見たこともねえ」  葛西から来た乳母はいつもこう云っていたそうだ。 「なんだってすばしっこくって、ちっとも眼がはなせねえ、寝たかと思ってちょっと立ったら、いつのまにかもう土間へおりて下駄をしゃぶってるだ、ほんとにこの子には肝いっちまうよ」  這い歩きを始めるじぶんにはたいていの子が眼のはなせないものだ。しかし悠二郎のはとくべつだったらしい。乳母の云うとおり、なにしろすばしっこいのと桁外れなことばかりするので、まわりの者のおちつく暇がなかった。そのなかの一つに「梅干のたね」というのがある。それはまだやっと這い始めたころのことだが、ちょっとゆだんしているまに、鼻の穴へ梅干のたねを押し込んでしまった。鼻の両方の穴へ、梅干のたねを一つずつ自分で捻じこんだのである。そうして息が詰まったものだから、ひっくり返って、手足をばたばたさせて、泡を吹いた。 「まったくあのときばかりは寿命がちぢまりましたね、いま思いだしてもぞっとしますよ」  おつねはずっとのちになってもしばしばそう云って身ぶるいをした。──とにかく慌てたらしい、いろいろして、ようやく鼻の穴になにか入っているのをみつけ、毛抜を持って来て、暴れるのを乳母に押えさせて、取り出そうとしてみた、が、その物はぬるぬる滑るし/鼻の入口よりはるかに大きいので、どうやってみても出すことができない、そのうちに悠二郎はぐったりと青くなった。おつねはそれを横抱きにし、はだしで家をとびだして、花川戸の玄庵さんという医者まで夢中で走った。  ──玄庵先生、うちの悠坊が。  こう悲鳴をあげて駆けこんだとき、どういう拍子か悠二郎がくしゃみをして、そうして、ぎゃあと泣きだした。──そのくしゃみで片方の穴からたねがとびだしたのである。もちろん残った一つは玄庵さんが出して呉れた。玄庵さんもこれには呆れてものが云えないと云ったそうだ。  自分では全く覚えがないし、ほかにもずいぶんワルイタズラをしているが、さすがの悠二郎もこの話にだけは照れた。「気どったってだめですよ、なにしろ鼻の穴へ梅干のたねなんだから」  こう云われると絶対に頭があがらないのであった。  祖父のキョボクロウはその後もずっとシュウ仙へあらわれた。ほぼ十日にいちどぐらいの割だろう、シュウ仙へやって来ると、二階で芸人たちを呼んで賑やかに騒いだり、舟でヨシワラとか深川などの遊里へでかけたりした。──それでいつかおつねが女の子を生んだとき、老は頼まれて名づけ親になったくらいである。そのとき悠二郎は四つになっていたが、おみつと名づけられたその子を珍しがって、抱こうとしたり鼻をつまんだり、口や耳へ指を入れたりするので、少しのまもゆだんができなかったそうである。  祖父がしばしば来るのは、ひとつには孫のようすを見るつもりもあったらしい。だが悠二郎はそんな妙な「じじい」などには興味がなかったので、おちついて話したことなどいちどもなかった。──そんなことより遊ぶのでいそがしい、飯を食うひまも惜しいくらいイソガしかった。なにしろ家が船宿で、隅田川があって、浅草寺が近いのだから、遊ぶに事を欠かないのである。食事と寝るときのほか、雨が降ろうと風が吹こうと、家の中で彼の姿をみることなど殆んどなかった。  悠二郎は五つのときすでに近所じゅうでのがき大将であった。カラダつきは痩せて小さかったが、知恵のまわるのとすばしっこいことは無敵で、たいてい年上の子と喧嘩をしても負けたことがない、──いつも着物はかぎ裂き、手足は泥んこ、どこかにひっ掻き傷か瘤をでかしていないことはなかった。そうして晩飯の膳で、片方の眼かなにか紫色に腫らした顔で、せかせか飯をかっこみながら云うのであった。 「ちきしょう、あのかつんべの野郎、みてやがれ、あしたとっ捕まえたら‥‥」  こっちは花川戸から山の宿、今戸、橋場あたり、川を越しては小梅から向島へかけて、「シュウ仙の悠ちゃん」と、すっかり名がとおった。子供たちばかりではなく、その子供の親たちにまで知れわたり、またそういう親たちが苦情をもちこむので、仙吉夫婦もずいぶん交際がひろくなっていった。 「おらあ仲間うちからずが高えと云われたもんだが、このごろは悠坊のおかげですっかり腰の低いにんげんになっちゃったぜ」 「ねんがらねんじゅうあやまってるんですものね、お客のみなさんもびっくりしているわ、親方のあいそがばかによくなったって、──つまり悠坊にしつけられたってわけね」 「よして呉れ冗談じゃねえ、おめえにまでばかにされりゃあせわあねえ」  仙吉とおつねはよくこんなことを云って、くさったり笑ったりしたものであった。──こうして七歳になった年の秋、悠二郎はとつぜん生家の土井け-へひきとられた。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第二章】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  あとで聞くところによると、家へひきとると云いだしたのも祖父だったらしい。それも急に云いだしたことで、忠左衛門夫婦にはいやもおうも云うひまがなかった。ことに忠左衛門はそれまでに二度か三度、ひそかに悠二郎のようすを見にいって、  ──あれはもういけない、シュウ仙へ呉れてやるよりしかたがない。  こう云って妻に首を振ってみせた。とうてい侍の家へいれるわけにはいかない、おまえも諦めろと云ったそうである。  生家へつれて来られたときの、彼の恰好は、相当’人目をひくものであった。つい昨日まで川で泳いだり、蜻蛉を追いまわしたり、泥まみれで喧嘩をしたりしていたのである。それがいきなり着物をきちんと着せられ、生まれて初めての袴をつけられ、腰にはこれも生まれて初めての刀を差され、おまけに足袋まで履かされた。髪もむろん武家ふうにきちっと結われているわけで、なにしろ身体中が窮屈で息が苦しくって、今にも眼がまわってぶっ倒れそうな気持だった。  彼はまっ黒に日にやけ、眼ばかりぎょろぎょろしていた。忠左衛門はちらと見るなり、眉をしかめてそっぽを向いた。かなじょ-はさすが母親である、彼のそのあさましい姿に胸をうたれ、抱きよせてぽろぽろ涙をこぼした。──兄の松太郎はびっくりして、ぽかんと口をあいて、そうして坐ったまま少し後ろへ身をしさった。悠二郎はすばやくこれを見て取り、  ──こいつはたいしたこたあねえ。  こう思ってふんと軽侮の鼻を鳴らした。  祖父はこのほかにも家扶の渡辺老人や、七人のカシや、下男女中たちにも彼をひきあわせた。悠二郎は彼らがみんなくみし易いことをみぬいた。父親は苦手らしい、家来のなかでクロイタ権兵衛というのも、髭なんぞはやして団栗まなこで、ちょっとゆだんができないかもしれない。──だがほかのやつらはなっちゃねえ、カラシのきいてそうなやつは一人もいやしねえ。悠二郎は張り合いのないような気持で、幾たびもふんと鼻を鳴らした。  彼の新しい生活が始まった。そのなかでまいったのは、行儀作法というやつと学問であった。一日イッパい着物を着て、袴をつけて、小さいけれども刀を差して、そうして歩くにも坐るにも、姿勢をきちんと正していなければならない。──眼を正面へ向けて静かに歩く、坐ったら胸を張って両手を膝に置く。言葉は明瞭簡単に要点だけ云い、決してむだ口をきかない。食事はおちついて、皿小鉢や箸の音をさせない、くちゃくちゃ噛むなどはもってのほかである。もしこれらの禁を犯すと、すぐさま「悠二郎──」と、父の叱咤がとぶのであった。 「悠二郎きちんと坐れ、着物の衿を合わせろ」 「口をむすべ、男はむやみに笑うものではない」 「静かに歩け悠二郎、廊下は馬場ではないぞ」  悠二郎、悠二郎、悠二郎。ならん、いかん、黙れ、坐れとひっきりなしである。いちどやりきれなくなってお祖父さんに訴えた、キョボクロウはにやにや笑って、「おまえ兄の松太郎をどう思う」と反問した。彼は言下に答えた、「あんな真桑瓜のできそくないなんか小指でちょいですよ」 「しかしその松太郎は、おまえが降参したことをちゃんとやっているではないか」  お祖父さんはとぼけたような顔でこう云った。 「するとできそくないの真桑瓜はおまえのほうじゃないのか」  ひとからこんな侮辱をうけたことはなかった。もしそれがお祖父さんでなかったら、くたくたにのして今戸焼きの窯ん中へたたっこむところである。悠二郎は悔しさのあまりぽろぽろ涙をこぼし、それをげんこで-こすりながら云った。 「おいらあ、できそくないでも、真桑瓜でもありゃしねえ、なんにも、降参することなんか、ありゃしねえや」 「そうかな、本当かな。」お祖父さんはまたにやにや笑った、「──怪しいもんだな」  彼は発奮した。意地っぱりならひけはとらない、ちきしょうと、歯をくいしばって頑張った。──もちろんそれほど難行苦行というわけではない、慣れてしまえばよいので、おまけによく注意すれば手足を伸ばすスキは幾らでもある。父が役所へでかけたあと、母の眼の届かないところで好きなだけ息抜きをすることができる。またその点では彼はもともと第一流の才があったから、そういう時とところを発見し、それを利用するのに手間暇はかからなかった。  学問のほうはカヤノ道之助という同藩の侍が、初め三十日ばかり素読を教えにかよって来た。  ──土井へ帰るとすぐの頃で、まだ満足に坐ることもできなかった。それが机に向って、書物をひらいて、相手の読むとおりに、一字ずつ口まねをして読むのである。‥‥字はむやみにごちゃごちゃしているし、読むことがまるっきりちんぷんかんである。足は痺れるし、眠くなるし、面白いのは欠伸が幾らでも出ることだった。 「行儀を正しくしなければいけません」  カヤノ先生は眼をぎょろっと光らせた。 「膝をしゃんとしなさい、欠伸はいけません、せっかく学問をしても、欠伸をするとそこからみんな出ていってしまいます」  悠二郎はフンと思った。出たがっているなら出してやればいい、むりに詰め込んで置くことはないじゃないかと思った。 「おれはさっきから欠伸を二十くらいしちゃったけど、じゃもうみんな出てっちゃったかね」  カヤノ先生は顔を代赭色にし、もの凄い眼つきでこっちを睨み、そうしてえへんと咳をして、さっさと素読をつづけた。──三日、四日、五日、ますますいやになり退屈になるばかりで、カヤノ先生の熱心なのがふしぎだった。 「こんなの読んで先生は面白いのかい」  どうも不審なのできいてみたのである。少しも悪気はなかったのだが、先生はひどく怒ってぱたりと書物をしめ、これは面白ずくでやっているのではない、とおそろしくいきまいたようなことを云った。 「これは学問です、孔子さまという聖人のおしえなのです、有難い、ごく真面目な、尊い学問です」  そうして滔々となにか饒舌りだした。悠二郎はこいつはいいと思った、云ってることはやっぱりちんぷんかんだが、同じちんぷんかんなら聞いてるだけのほうが楽だ。第一また先生の代赭色になった顔や、自分ではよっぽどもの凄いつもりなんだろう、ぎょろぎょろ光らせる眼だまや、活溌につばきをとばして動く’口など、こっちから眺めているのは相当に面白い。  ──小梅のかつんべも怒るとつらがあんな色になりやがった、‥‥あの眼だまは誰に似てるかしらん、瓦屋の熊だろうか。  こういう連想もいろいろ湧いてくる。  ──ずいぶんよく動く口だなあ、休みなしにぱくぱくやってやがら、‥‥そうだ、おとっつぁんの飼ってる金魚ってのをまだ見てねえぞ。  これは素読なんてへんなものよりいい、これに限ると思ったので、それからは飽きてくるとこの手を使った。 「孔子っていつごろのにんげんだい」 「敬称をおつけなさい、孔子などと呼びすてにしてはいけません、聖人といわれるくらい偉大な方なのですから、──孔子さまは今から二千三百年ほどまえの方です」  これにはびっくりした。先生がやまをかけてるんだと思った。そしてそれが少しも掛値なしの年数だと聞いて、こんどは本当にびっくりした。 「へえーおっどろいた、そんなに古いとは知らなかった、へえー、そんなかね、だけどそんなに古い学問をおれたちがならって、まだなにか役に立つことがあるのかい」  カヤノ先生そのときは、いつもよりずっと濃い代赭色になった。それで悠二郎はこいつはいつもよりずっと長く楽しめるなと思い、思ったとおりゆっくり楽しむことができた。──カヤノ先生は三十日かよって来たが、それで辞職して来なくなった。卑怯にも告げ口をしたらしい、悠二郎は父からこっぴどく叱られ、廊下の板の上へ半日坐らされた。 「明日から学堂へゆくのだ、学堂で不真面目なことをすると、このくらいのことでは済まぬぞ」  そういうことで、兄の松太郎といっしょに上屋敷の中にある藩の学校へゆくことになった。  学堂ではカヤノ先生を相手にするようにはいかなかった。生徒は七歳から十二歳までで、お目見え以上の者の子供に限り、三十’四、五人いた。お目見え以下の者は、それぞれ学堂の教官の私宅で教わるのである。学堂には校長のほかに教官が五人いた。校長は相良税所という名で、身分は中老、白髪頭のごく温厚なひとであった。教官たちも怒りっぽいのと、妙に四角ばっているのが目障りなくらいで、まずたいしたことはないと思ったのであるが、なかに一人とんでもないやつがいた。  そいつは花田キンヤなどという、いやに優しいみたような、思わせぶりな名前だし、色の白い眉の濃い、なかなかの美男子でもあった。ところがそれが食わせ者であった。学堂へ通学し始めてから三日めに、彼は悠二郎を廊下へ坐らせ、拳骨でこつんとヒタイをこづいた。  五日めには濡縁のうえへ坐らされた。それはごつごつした木の丸いのを並べた縁側で、坐ると向う脛の骨がごりごりして、今にも骨がおっぴしょれるかと思われ、痛さのあまり/しまいには眼がちらくらしてきた。──こんちきしょうと歯をくいしばり、とうとう「よし」と云われるまで我慢しとおしたけれど、恨み骨髄に徹し、いつかきっとこの返報をしてやる、と、心のうちに誓いを立てた。‥‥それからも’庭へ裸足で立たされたり、残されたり、毎日なにか罰をくわされ、隔日にいちどは例の濡縁に坐らされた。  それは入学して三十日ばかり経ったある日のことだが、授業が終って帰ろうとすると、花田先生が彼に「残っていろ」と命じた。ちえっ、また残されか。こう思って、うんざりして、机の前に独りぽつんと残っていた。──すると、やがて花田先生が来て、菓子の入っている鉢をそこへ出しながら坐った。 「ロゲツ堂の栗饅頭だ、食べろ」  そして自分がまず一つ取った。悠二郎はごくっと喉が鳴り、口の中へなまつばが出て来た。しかし黙って、そっぽを向いていた。 「私はもう明日から授業をしない、二三日うちに国許へ立つんだ、──おまえともお別れなんだから、一つ食べて呉れ、それから話すことがある」 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第三章】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。 「食べたくありません、饅頭なんか、だい嫌いです」  そっぽを向いたままこう云った。花田先生は手に取った饅頭を鉢へ戻し、暫くこっちの顔を見ていたが、やがて、「よし」と頷いて坐りなおした。 「私はもう少しおまえの面倒をみたかった、いまおまえを置いてゆくのは残念なんだ、おそらく普通ではおまえのいいところがわかるまい、ただ手に負えない悪童ぐらいにみられるだろう、それがこころ残りなんだ」  先生はこう云って少し声を低くした。 「これはまだ極秘のことなんだが、おまえは近いうちに若君のご学友にあげられる筈だ。あがる者は七人いるが、そのなかでおまえとニイイズミ小太郎の二人には、私がいちばん望みをかけている、おまえとニイイズミは、それぞれの能力で若君のお役に立って呉れなければならない、ほかの者とは違う、自分には責任があるということを忘れずに、しっかりやって呉れ」  悠二郎はいやな気持になった。現在でさえ堅苦しくって息が詰りそうなのに、若君のお相手になんぞあがったらどうしよう。とんでもない、これは断わらなければいけないと思った。しかし花田先生は自分に反感をもっている、このひとに頼んでもだめだと考えて黙っていた。 「これで話は終りだ、おまえには少し厳しくし過ぎたかもしれないが、その代わり、──これをみろ」  花田先生はこう云って、自分の袴の裾を捲って両足の脛を出してみせた。まばらに毛の生えた、やはり色白の向う脛に、両方とも二寸ぐらいの幅で、赤く腫れたようなスジが四五段ずつ痕になっていた。──なんのことかわからない、ことによるとそれが血脚気というものかも知れない、悠二郎はそう思った。そしてその栗饅頭を貰って、まもなく家へ帰った。  あとで聞いたところによると、花田先生は国許の藩校の教頭を命ぜられたのだそうである。代りの中野ケンノスケという教官が来たが、これは若いのに眼鏡をかけた、土色めいた顔の少しむくんだ、老人のように咳ばかりしている先生だった。──悠二郎がまわりの者を小突いたり、髪の毛を引っ張ったり、いきなりほっぺたへ墨をぬたくったりして騒がせても、眼鏡をかけたそのたるんだような顔でこっちを覗いて、「どなたですか、どなたですか」などとうさん臭そうに云うだけであった。  悠二郎のほうでもだんだんこつを覚えてきて、その頃からは罰をくうようなことも少なくなったが、その代わりほかにひとついやなことが始まった。それはニイイズミ小太郎との対立である、──はじめはそんな者のいることなどまったく知らなかった。みんなうすのろのとんかちだと思っていたが、花田先生から自分とならべてその名を聞かされて以来、いったいどんな野郎だろうと注意するようになった。  ‥‥そいつはまるっこい体で、ほっぺたが赤くて、眉毛と口のいやにきりっとした、なかなか男前なようすをしていた。いつも唇を固くむすび、しんとしたような眼で先生の講義をじっと聞いたり、おちついたいい声でいやに上手に本を読んだりした。 「結構です、たいへん結構です」  先生はみんなにこう云って褒めた。どの先生も小太郎がひいきらしい。 「これはニイイズミの書いたものだが、字というものはこう書かなくてはいけない、順に廻してよく見ておくがよい」  そんなことが毎日のようにあった。父親のニイイズミ宗十郎は次席家老だそうで、だから先生たちは特にひいきをしているんだ。こう思ってみたが、花田先生の云ったことが頭にひっかかって、どうにも気になってしかたがない。  ──近いうち若君のご学友にあげられるだろう、そのなかでおまえと小太郎の二人に、いちばん望みをかけている。  極秘だというし、こっちはそんな窮屈な役はまっぴらだから、まだ誰にも云ってはないし、なるべくそんなことにならないように──つまり優良児童だと誤解されないように──つとめているのだが、一方ではどうしても対抗する気持が出る。おれだって花田先生には望みをかけられているんだぞ、こう云ってやりたい気持でむずむずした。  だが癪に障るのは相手の態度である、ニイイズミ小太郎はこっちを無視していた。乙にすましかえってまるっきりこっちを見ようともしない。もともと無口のほうらしいが、二度か三度こっちから話しかけたのに「そう」とか「いや」とか云うばかりで、ぜんぜん相手にしないのである。喧嘩をふっかけてやろうと思ってもそんなスキがないし、──なにしろいまいましくって、毎日の通学が苦になるくらいだった。  兄の松太郎とはふしぎなくらい関係がなかった。同じ家に住みいっしょに学堂へも-かよっていたのだが、満足に口をききあった記憶もない。双生児は性質も似るというが、そうとばかりは決まらないらしい。兄は幾らかぼけているみたように大人しくて、学校へ行け「はい」剣術をやれ「はい」、勉強しろ「はい」食事だ、寝ろ、起きろ、──一日じゅうはいはいと云いなり放題になっていた。こっちはどうしたってそんなぐあいにはいかない、自分でもたまにはおちついていようと思うけれども、少しながく坐っていると眠くなるか、耳の中で蝉が鳴くような気持になる。手足がむずむずし始め、体のそこらが痒くなって、つい知らず外へとびだしてしまうのである。 「悠二郎が来てから家の中がめちゃめちゃになってしまった」  父はよくこう云って眉をしかめた。慥かにそうらしいが、責任がどっちにあるかは問題だと思う。なにしろ此処は浅草の家と違って、大川もなければ舟もなし、見世物も草の原も砂利山もなんにもない。庭はあることはあるが、へんてこな石だの芝生だの植込だの池だの、苔のついた石燈籠だの、それぞれが尺で計ったようにきっちりと、いやによそよそしく配置してあって、木の枝ひとつ折っても「こらっ」とどなられる。 「その枝はそこの木陰を生かすために伸ばしてあったのだ、それを折ってはまるでみられなくなるではないか、愚か者」  池のふちにあるへんてこな’岩の、肩のところに出っ張りがあった。かたちが悪いからそいつを金槌で欠いて取ったが、そのときも同じような小言をくわされた。それから踏石、──玄関の脇の木戸口から広縁まで、平ぺったい石がとびとびに置いてある。それを踏んでゆくようになっているのだが、そいつがひどくぞんざいで、一つは左へ次は右へというふうに、へんに曲って置かれてあった。おそらく意地の悪い人間か眼の狂ったやつの仕事だろう──よし、たまにはいいこともしてやるさ、悠二郎はこう思って、そいつを一列にまっすぐに置きなおした。たいして大きくも厚くもないが、重いことはべらぼうに重かった。彼は汗だくになり、終ったときには足がふらふらした。  ひとに知れない善行というものは気持のいいものだ、悠二郎は父がそれを発見したときの、驚きと嘆賞の声を想像し、疲れも忘れてぞくぞくした。──が、その結果はまるで予期に反したものだった。どう予期に反したかは云わないほうがいいだろう、‥‥要するに彼は父の見ている前で、もういちど汗だくになって、その踏石を元のように置きなおさなければならなかった。  庭の土を掘っていたら慈姑が出て来た。山の手というところは奇天烈なことがあるもんだと思って、掘れば幾らでも出て来るので、三十’五、六も掘りだしたら、そいつは水仙の球根だったので怒られた。また春さき庭の一隅にえたいの知れない芽が出た、きみの悪い色をしたやつがにょきにょき出たので、毒の草かなにかだと思って、きれいにひっこ抜いてやったところが、それは芍薬の芽だそうで、これにもいっぱいくわされた。  金魚のときはもっとひどくやられた。  父の居間のある広縁のさきに、スイレンを浮かせた大きな鉢がある、そいつは高さが二、三尺に周囲が十’二、三尺くらいで、父はその中で金魚を飼っていた。薄い緑色に濁ったきたならしい水の中に、赤と白のマダラなやつが十尾ばかりいるらしい。スイレンの葉の蔭とか、濁った水を透かして、いつもそいつらは’妙にのたのたと、草臥れたような泳ぎ方をしていた。 「お父さまが大切にしていらっしゃるんですから悪戯をしてはいけませんよ」  母は心配そうに諄くこう云った。──見ているだけならいいので、側へいっては眺めたのである。そいつらは大きくて肥えていた、なかには五寸よりもっと大きいらしい、頭のところが瘤々で、胴が毬みたいに肥えてひどく無様なのもいた。そいつらは-らんちゅうとか獅子頭とか云うので、育て方が非常にむずかしく、父の丹精は誰にもまねのできないものだったそうだ。‥‥父はそいつらを御殿へ献上するので、いっそう大事にするということであるが、それはそうかもしれないが、悠二郎は父が案外な手抜かりをしているのを発見した。それはなにかというと、父は大事にするあまり、金魚どもの鰭や尾が伸びすぎているのに気がつかない、だからそいつらは鰭や尾が邪魔になって、満足に泳ぐことができないのである。──まるで赤ん坊が振袖でも着たように、体をくねくねさせ、のたのたした草臥れたような恰好で、重たそうにやっとこさ泳ぐのである。  悠二郎はそいつらが可哀そうになった。そこで鋏を持って来て、一尾’ずつ捉まえて、その伸びすぎた鰭や尾を/ちょうどいいくらいに切ってやった。──そうしてシチビめを切ってやっていたとき、団栗まなこのクロイタ権兵衛にみつかったのである。彼は殺されるような声で叫び、まず母がとんで来た、それから家扶の渡辺老、兄の松太郎、誰も彼もみんな、家じゅうの人間が集まって来たには驚いた。 「私たちだって髪の毛や爪が伸びれば、切るんですから、金魚だって可哀そうじゃないでしょうか」  こう説明したけれども父はむやみに怒って、とうとう三日のあいだ暗い納戸で謹慎させられた。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第四章】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  悠二郎が若君の正篤と初めて会ったのは、明くる年の三月のことであった。──そんなことにならないように、自分ではかなり努力したつもりだったが、その甲斐もなく「ご学友」にあげられてしまったのである。  ジョウショウ院という先の殿さまは、六年まえに二十三歳で亡くなられ、若君はまだ任官こそしないが、そのときすでに六万三千石の藩主であった。生母はセイコウ院といって、幕府の連枝の松平の出’であり、その実兄に当る松平外記が後見になった。──政治は合議制で、江戸と国許の全老職が参画し、そのなかで土井勘右衛門は若君のご養育を兼ねていた。  若君はそのころノブ太郎といったが、悠二郎たちは「若さま」と呼ぶように注意された。──若さまは大きい表御殿とはべつに、奥庭の高みにあるニチゲツ亭に起居していた。そこはまわりに松や杉の林があり、花畑や広い芝生などもあった。いちばん高い丘へ登ると、西は溜池から赤坂台から山王の森などがひと眼だし、東は表御殿の屋根の間から、京橋方面の下町が眺められる。‥‥またそこを西へ下り、かこいの笠木べいを越えると、一段ずつ果樹バタケとか菜園などがあって、いちばん’下は小さな流れのある谷底のようになっている。そこが屋敷境で、高い築地ベイの向こうは黒いような森の茂みだった。  ──若君は同い年の八歳だった。蒼白いような痩せた体で、眉毛と眼の間の離れた、ぼうっとした顔つきだった。動作もノロクサしているし、舌っ足らずな口をきくし、見ているとじれったくなるばかりだった。  ──こんなのが馬鹿トノになるんだな。  悠二郎はこう思ったので、お相手など真面目にする気持がなく、たいてい独りでとびまわっていた。花田先生の云ったとおり、えらまれたのは七人で、むろんニイイズミもその一人だった。──彼らは朝八時にあがり、午後三時にさがる。朝のうち講話と素読と習字をし、午後は剣術の型の稽古があって、そのほかは庭で遊ぶという日課だった。そして七日にいちどずつ休みがあった。  悠二郎は素読も習字もいやだったが、講話と剣術は好きだった。講話というのは古今の名将勇士とかカッセン物語などで、浅草寺の境内でやっていた辻講釈に似ていた。それで、ことによると知り合いかもしれないと思って、「先生はトン珍軒ドンサイってひと知ってますか。」ためしにそうきいてみた。すると、それはどこの何者だと聞くから、浅草の辻講釈だと云ったら、先生は怒って講話を途中でよしてしまった。  御殿へ上がりだして三度目の休みの日であったが、お祖父さんが「聖堂へゆこう」といって、朝早くいっしょに屋敷を出た。家へ帰ってから初めての外出である、それだけでも嬉しかったのに、聖堂へはゆかないで、浅草のシュウ仙へつれてゆかれたにはびっくりした。 「黙っているんだぞ、内緒だぞ」  お祖父さんはこう念を押した。  シュウ仙では悠二郎を見ておつねが涙をこぼした。五つになった/おみつは忘れたものか、くりくりした眼でこっちを眺め、側へ来ようとはしなかった。悠二郎は手早く袴をぬぎ/着物をぬいで、「母ちゃん、おいらの着物出して呉れよ。」こう云いながら髪の毛もほどいた。 「そいから頭も前のようにして呉れねえ」 「まあ坊ちゃんそんなこと仰ったって、まさかあなた」 「いいから好きなようにしてやれ。」キョボクロウはこう云って笑った、「──半年も辛抱した息抜きだ、好きなように暴れて来い」  筒袖の脛っきりの袷にサンシャク、頭もちょいとひっ括っただけの、実にさばさばした恰好になった。 「わあすげえ、こいつはすげえや」  彼はとびあがって叫んだ。 「腰んとこが軽くって体が浮いちゃいそうだ、屋根まで跳びあがれそうだ、わあすげえ、──母ちゃん、吉べえいるかい」 「舟は危のうございますよ」  おつねがそう云ったときには、彼はもう土間から外へとびだしていた。──吉べえという若い船頭を呼びだし、舟を出させて向う河岸へいったまま、昼飯まで帰らなかった。そしてようやく帰ったときには、片方の眼のまわりを紫色に腫らし、ほっぺたに三条もひっ掻き傷ができていた。 「かつんべの野郎に貸しがあったんだよ」  彼は茶漬をかきこみながら云った。 「小梅にゃもう一人いるんだけど、逃げちゃって出てこやしねえ、こんだ瓦屋の熊んとこへいくんだ、喧嘩じゃねえよ観音さまで遊ぶんだ」  薬をつけてやる暇もなく、食べ終ると箸を抛りだして出ていった。──キョボクロウはキョボクロウで深川あたりへでかけたらしい、三時すぎてから、いいきげんに酔って帰ったが、悠二郎はそれよりずっとおくれて、泥まみれになり、千切れた片袖をぶらぶらさせて帰って来た。 「その顔はどうしたんだ、冗談じゃない。」さすがのキョボクロウも唸った、「──おれたちは聖堂へいったことになっているんだぞ、聖堂でおまえそんな、‥‥冗談じゃない、だがまあ早くシタクをしろ、帰りがすっかりおくれてしまった」  シュウ仙を出るとき、おみつが門口から顔を半分のぞかせて、にっと笑いながら云った。 「悠ちゃんのあんちゃん、また来てね」  悠二郎は黙ってさっさっと歩きだした。  そのときはキョボクロウがうまいぐあいにごまかした。聖堂を出るとき石段で転んで、眼のまわりをそんなにし、またカラタチの垣根でホオをひっ掻いたといった。信用したかどうか、父は黙っていたし、母もなんにも云わずに薬をつけて呉れた。  それから月にいちどシュウ仙へ出かけた。また三社祭とか両国の花火とか、四万六千日とか草市などの、なつかしい行事のあるときには、決まった日のほかにも連れて出て呉れた。  若君と話をするようになったのは、その年の初秋のころだった。それまで若君はニイイズミにばかりくっついていて、彼などには眼もくれなかった。こっちはそのほうが有難い、暇さえあれば勝手にとびまわって、そのじぶんはもう広い上屋敷の隅から隅まで知っていた。──7月’はじめから小太郎が出て来なくなった。病気だということで、若君のひどく淋しそうなようすが眼についた。悠二郎はそのとき初めて声をかけた。そうして若君の気をまぎらせてやろうと思って、耳へ口を押しつけて囁いた。 「魚をしゃくいにゆきましょうか」  若君はけげんそうな眼をしてこっちを見た。 「鮒だの蝦だの獲れるんですよ、面白いぜ」  ほかのやつらには内緒だからと云って、示し合せて、例の屋敷境の谷へおりていった。若君は笠木べいを乗り越えるとき泣きそうになり、台地を跳び下りるとき膝を擦剥いた。動作がノロクサして不器用で、つい舌打ちをしたくなった。 「もっと手っ取りばやくしなくちゃだめですよ、擦剥いたとこなんかうっちゃっときなさい、番人にみつかるとたいへんなんだから」  最後の菜園の、石垣を跳び下りると、その石垣のひとところ崩れた穴から目笊を取り出した。  ──若君は不安そうにまわりを眺めまわしていた。薄暗くてじめじめした、狭い谷底のような景色にびっくりし、また不安で気持がおちつかないらしい。悠二郎はさあこっちですよと云って、蘆を掻きわけて流れのところへいった。幅三尺ばかりの、ほんの浅いドブ川であるが、溜池に続いているので、そっちから小さな魚や川蝦がのぼって来るのである。悠二郎は慣れたようすで袴の股立をとり、はだしになって流れの中へ入ると、たちまちコブナを一尾’/すくいあげて来た。 「ほらね、とれたでしょ、こいつはきんこってんだぜ、金色に光ってるだろ、キンブナともいうけど、小梅のやつらはきんこってえんだ」  彼はコブナを五尾と川蝦を3つばかり獲った。若君にはまったく初めての経験で、そのときはただ驚くばかりだった。眼をまるくして、ばかにでもなったような顔をしていた。  その翌日のことであるが、遊び時間になると若君が彼を呼んで、「若のところにも魚がいるよ」と云った。そこでいっしょにいってみると、小さな泉水に金魚が泳いでいた。──それは-らんちゅうとか獅子頭とかいう例の無様なやつで、父の献上したものだということがすぐにわかった。悠二郎は急にきな臭いようないやな気持になり、脇のほうへ唾を吐いて、ちえっこんなの、と、しかめっ面をして云った。 「こいつらはみんな片輪モノですよ、女の観るもんだぜ、こんなの面白いのかな、なっちゃねえな」  若君は途方にくれたような顔で、しょげていた。  二日ばかりして、彼はまた若君をさそってしゃくいにいった。三度めには若君のほうからゆこうと云いだした。面白くなったらしい、笠木べいを乗り越えるのも、台地を跳び下りるのも、番人が来たときの隠れ方も、だんだんいたについてきたし、自分でも流れに入ってしゃくうようになった。 「本当はこんなもんじゃないんだぜ、橋場の川へゆきゃあ/ハヤだの鯉っ子だの、こんなでけえのが山と獲れるんだぜ──おれなんか綾瀬川でなんべんも鯉を釣っちゃった」 「──そこへは、若もゆけるの」 「いかれやしねえさ、いけると面白いんだがな、芝居もあるし、観音さまにゃあ軽業もかかるしよ、ろくろっ首って見たことがあるかい」 「──若はいつか、‥‥いつか、能を観た」  そんなぐあいにハナシもするが、たいていちぐはぐで、悠二郎はいつも軽侮に堪えないという顔をし、それから気の毒になって、自分の楽しい経験を詳しく物語るのであった。  ニイイズミが出て来始めると、若君はまたニイイズミをひきつけて離さなかったが、悠二郎にも疎くはしなかった。ただ二人がどうしても折り合えないということは察したとみえ、悠二郎には決してニイイズミの話をせず、ニイイズミに悠二郎のことは黙っていたようだ。  若君を屋敷からぬけ出させて、浅草界隈の面白いところを見せてやりたい。悠二郎はその頃からよくそう空想していた、もちろん空想するだけで、実際にやろうとも思わなかったし、そんなことが出来るとも考えなかった。しかしやがて機会がやって来て、その夢のような空想が実現できるようになったのである。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第五章】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  若君が十二歳になった年、六月から八月いっぱい、本所の下屋敷ですごすことになった。体が虚弱なので、医師と勘右衛門の主張で決まったらしい。女をひとりも置かず、侍もごく僅かで、学問も他の稽古もなく、七人のお相手と遊び暮していればよかった。──その下屋敷で、悠二郎は巧みに機会をつかみ、若君を外へぬけ出させたのであった。  そこでは万事がゆるやかだった。養育係としては勘右衛門がいるだけだし、御殿の造りも、塀ガコいも簡略で、隠れて出入りするスキは幾らでもあった。たいていは若君に「気分が悪い」と云わせ、シンジョへ入るふりをして出かけるのである。それにはお相手のなかの原精一郎というのを身代りにシンジョへ寝かして置いた。精一郎はずぬけたくいしん棒で、いつも一袋の菓子で買収することができたのである。──悠二郎はぬけ出るとまずシュウ仙へゆき、そこで若君にも着替えをさせ、そうしてほうぼう連れまわった。シュウ仙の者には若君を友達のノブ太郎だと紹介し、彼らの前では「おいノブちゃん」などと呼んでみせた。若君のほうにはこっちを「悠公」と呼ばせ、それで幾分かは階級をつけるつもりだったが、どうしても若君はそれに慣れず、しまいまであいまいに「おい」とか「ちょっと」とかいうふうにしか呼ばなかった。  悠二郎は小梅のかつんべを撲るところもみせた。サカナの釣り方も、池のかいぼりも、大川で泳ぐことも教えた。若君もだんだん身軽に動けるようになり、ワルイタズラをして追っかけられるようなばあいでも、なかなかすばやく巧みに逃げられるようになった。──向島の長命寺の近くへいったときのことだが、寮めいたある家の側でふと思いだし、「ちょっと待ってな、慥かこの中だと思ったが、いまうめえ物を取って来てやるからな」  こう云って悠二郎は、生垣のすきから庭の中へもぐり込んだ。そこでまえに桑の実を取ったことがある、少し季節がおくれているが、場所は慥かにそこだと思ってはいった、するとはたして大きな桑の木があり、生りざかりは過ぎているが、黒い実がまだかなり残っている。──悠二郎は両手でそれをつみ取り、ふところへ入れてはまた摘み取った。と、とつぜん、 「この野郎、また庭を荒すか」  こう叫びながら、下男のような男が棒を持ってとびだして来た。悠二郎はすばやく生垣のすきから外へぬけ、「早く早く」と、若君をつきとばすように逃げだした。──水戸屋敷のところまで息もつかずに走り、そこの土手のシタで、ふところから桑の実を出して二人で食べた。 「うまいねえ、こんなうまい物は初めてだ、これなんの実なの」 「桑のミさ、こいつを食べると口ん中じゅう紫色になるんだ。ほら見てみな、ね」 「本当だ、若のもなってるかね」  二人は互いに口や舌を見せあい、お歯黒を付けたようだと笑いあった。  九月に上屋敷へ帰ると、若君は庭師に命じて桑を二本植えさせた。庭師はそんなものはお屋敷の庭へ植えるものではないといい、なかなか承知しなかったが、若君がどうしてもきかないので、それでは内緒ですからと云って、ニチゲツ亭の裏のところへ二本植えた。 「こっちは若、こっちはおまえのにしよう」  若君は悠二郎にこう囁いた。 「これから毎年二本ずつ植えるよ、そうしてたくさんになったら、かちゅうの者みんなに食わせてやるのさ、みんなうまいのでびっくりするよ」  明くる年も下屋敷で盛んにぬけ出した。  その翌年からは十二月にも、ひと月だけ下屋敷ですごすことになり、夏とは違ったいろいろの経験をした。──桑の木は一年に二本ずつ植えてゆき、初めに植えたのは、三年めから実が生りだした。  若君は十六歳の春、後見を解かれ、摂津守に任官して正篤と名のり、松平ゲンバノカミの女で、十七になる-より子と結婚した。 「お祖父さまこんな乱暴なことがありますか」  悠二郎は心から怒って、祖父に向ってこう詰問した。 「セントノもそのまえの殿も若死をなすっていらっしゃる。それはみんな早く結婚するためじゃありませんか、ジュンサイ先生も早婚はその者の体にもよくないし、生まれる子も劣弱になり易いと云ってますよ、そのくらいのことがお祖父さまにはおわかりにならないのですか」 「わかっているさ、──みんな、おそらく誰だって承知しているだろう」 「ではなぜ黙っているんです、どうして止めようとなさらないんです。向うは女の十七でいいだろうけれど、若さまは十六でもおくのほうじゃありませんか」 「だがこれだけは、どうにもならないんだ」  そしてキョボクロウは語った。五代まえから、ふしぎに藩主が若死をする、光覚院というひとから先代のジョウショウ院まで、たいてい二十二か三で病死してしまう。そのころ大名の家では早婚が通例であって、名目だけにしても十サンシで結婚するものさえ少なくはない。──そのためもあろう、同時に医者のみるところでは、体質的な遺伝のようなものもあるらしい、室井ジュンサイはジョウショウ院をも診た医者であるが、若君ノブ太郎の体質に、父と共通した点が多いことを指摘している。 「人間の寿命はわからない、どんな名医にも人間の寿命を当てることはできまい、しかし五代も続いて早逝し、体質が似ているものとすれば、──おそれ多いことだが、いちおうご短命とみなければならぬ」  そこで問題になるのは継嗣のことである。六万三千石の所領と、家名血統と、ひいては全家臣たちのためには、どうしても世子がなくてはならない。少しは愚かであろうと、弱かろうと、世継ぎだけは必要なのである。 「そんなばかなことがあるもんですか、幾らお世継ぎが必要だからって、そんな、──それじゃあまるで若さまのお命を、短いうえに短くするようなものじゃありませんか」 「人間は生きた年数だけで長命か短命かがきまるものではない」  昂奮している悠二郎を見て、キョボクロウはなだめるかのようにこう云った。 「土蔵の中で百年生きるのと、市中で三十年生きるのと、その経験したことを比較してみるがいい、どちらが長く生きたことになるか、──悠二郎、わかるだろう」 「いいえ、わかりません、それが若さまとなにか関係があるんですか」  キョボクロウは苦笑して、勘のにぶいやつだと呟き、わからなければよく考えろと云った。  正篤は表御殿へ移り、お相手役は解かれて、悠二郎とニイイズミとくいしんぼうの原と、三人があらたにソバゴショウとなった。──悠二郎はその当座/しきりに、正篤に向ってそれとなく早婚のよくないことを説いた。明らかには云えないから、ほかに例をとって話したのだが、正篤もそれと感づいたとみえ、「おれのことなら心配しなくともいいよ。」こう云って-びしょう-した。  より子姫の輿入れは3月中旬に行われた。しかし正篤は表御殿で寝起きをし、やむを得ない行事のほかは奥へはゆかなかった。──そのことではかなりむずかしいゆくたてがあったらしい。正篤の母のセイコウ院にとっては、より子は血縁つづきであり、また非常な気にいりで、その縁組も彼女の意志でまとめたものだといわれる。──もうひとつはやっぱり早く世継ぎも欲しかったろうし、シンジョを奥へ移すようにと、かなりやかましい督促があった。そのあいだに立って、勘右衛門と室井ジュンサイがいろいろとりなしをし、正篤の体が不調だからという理由をシュにして、ごく自然に延期していったもようである。  その年も六月になるとすぐ下屋敷へ移り、早速またぬけ出しを始めた。シュウ仙ではみんな待ち兼ねていたが、なかでもおみつはこれまでにないよろこびようで、「お揃いの浴衣を拵えといたのよ」などと云って、自分で浴衣やサンシャクを出して来て、側に付いていて世話をやいた。 「悠ちゃん、サンシャクはもっと’下へ締めるものよ、ノブさんももう少し下になさらなくっちゃ、──そう、ええ、いいわ、わりと柄も似合うわ」  そんなふうに大人びたことを云った。家の商売が商売だし、下町も浅草育ちだからませるのだろうが、去年から見ると背丈も伸び、顔立ちも目立ってきれいになって、十三という年より一つ二つ’上にみえた。 「なまを云ってやがら、自分で仕立てたわけでもねえくせにして、あっちへいってろよ、うるせえ」 「ぬやあしないけどガラはあたしの見立てよ」 「道理で田舎っ臭えと思った、おめえなんぞまだそんながらじゃあねえよ、おしゃぶりでもしゃぶってあねさまごっこでもしているがいいのさ」 「いいわよ、気にいらなきゃ脱いで頂戴」 「お情けで着てやるよ、可哀そうだからね、母ちゃん、舟’借りるぜ」  正篤を促して河岸へとびだすと、おみつが追って来てまた世話をやいた。 「その舟はだめよ悠ちゃん、だめなのよ、こっちの舟にしなさいよ」 「黙ってろ、うるせえ、素人じゃねえんだ」 「偉そうなこと云うわね、そんならやってごらんなさいよ、いいお慰みだわ」  二人の口喧嘩にはもう正篤も慣れている。仙吉夫婦も向こうで笑いながら見ていた。──なにってやんでえ、こっちがよっぽどお慰みだと、もやいを解いて、棹を使って舟を川へ出した。もうよかろうと、ロベソをしめそうとしたが、そこが取れて無くなっているので唸った。 「どうしたの、漕がないの、悠ちゃん」  河岸からおみつがそう叫んだ。  その年はシュウ仙の家でよく遊んだ。大神楽だとか講釈師だとか、手品師とか落としバナシとか俗曲などの芸人を呼んで、二階をぶっとおして近所の者も招いたりして、賑やかに見物した。──もうそれまでに浅草寺の奥山で、そのしゅのものはたいてい見ていたが、そういう座敷へ来る者の芸はまたべつの’味があり、正篤は非常に楽しそうなようすだった。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第六章】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  上屋敷へ帰る日が近づいてから、おみつは悠二郎と二人きりのとき、さぐるような眼つきで彼を見ながら云った。 「なんだか今年はようすがへんね、いつもと違ってノブさんをばかに大事にするし、外へ出てもあんまり乱暴なことしないじゃないの」 「おめえなんぞの知ったこっちゃねえよ」 「ノブさんだって迷惑そうだったわよ、いつかあたしに、今年は悠ちゃん変だって、へんにうるさくするって、そ云ってたわよ」  悠二郎はどきっとした。おみつのさぐるような眼から顔をそむけ、よし、そんなこといやあがったら、あいつ、──などと云ったものの、胸がふさがるような思いで、おみつの側から逃げだした。  その年は十月になって、思いがけない帰国の許しが出た。参勤のいとまで正篤にとっては初めての国入りである。まだ一、二年はその沙汰もあるまいと思っていたし、出立までの日数が少なかったので、カチュウはいっとき眼の廻るような騒ぎだった。──正篤は悠二郎に、こっちに残っていろと云った。おまえを江戸から離すのは可哀そうだし、おみつが淋しがるだろう、などとも云った。しかし悠二郎はてんで聞こうともせず、正篤に付いて出立した。  国許にはちょうど一年いた。高い山が東と北に峰をつらね、城下’の近くに瀬の早い川がながれていた。しろ-は丘陵の上にあり、森のような木立に囲まれているが、地盤が高いので眺望はひろく大きかった。  悠二郎はその眺望にはまいった。雪をかむった山々の峰が、鋭く尖ってはっきり見える、雨風にさらされた、灰色めいた、うらさびれたような町の家々、その向こうをながれている川の、早瀬のところのあざやかに白い泡、そして遠くうちひらけている荒れ地やタには、一日じゅう溶けない薄氷が張っている、──どっちを見てもそんな景色で、見るたびに江戸が恋しくなり、気持が沈むのに降参した。  花田先生とはゆくとすぐに会った。相変らず色白のおとこまえだが、少し肥えて態度もずっと穏やかになっていた。──ニイイズミと二人でいちど遊びに来いと云われ、二人で訪ねて昼餉を馳走されたが、こっちへ来るとすぐ結婚されたそうで、やさしそうな妻女と小さな男の子がいた。 「うん、よし、いいだろう、だいたい思ったとおりだ」  二人のようすを見て、花田キンヤは-びしょう-しながらそう云った。ニイイズミはそ知らぬ顔をしていたが、悠二郎はてれくさくなって首を撫でたりそら咳をしたりした。おまえとニイイズミの二人に望みをかけている。と、いつか花田先生は云ったが、今の言葉はそれにつながるものに相違ない。とすればとんでもないはなしで、それどころではございませんと逃げだしたいくらいだった。  一年の在国ちゅう、正篤の性格に一種の変化が起こった。  あとで思い当ったことだが、帰国するとすぐ菩提所の大竜寺へ展墓をし、それからマをおいてしばしば寺を訪ねた。その前後から気分にムラがではじめ、陽気に笑う日があるかと思うと、ひどく憂鬱に黙りこむ日が続く。するとまた急に元気になって、鷹巣山へ遠乗りをしようと云いだしたりした。──沈んだようすのときは顔つきまで暗く、青ざめて、眉をしかめて、なにか痛みをこらえてでもいるような、苦しげな表情になった。 「どうかなすったのですか、お体のぐあいでも悪いのではございませんか」  あるとき悠二郎がそうきいてみた。正篤は不意におどかされでもしたように、ぎょっとした眼つきでこっちを見た。それから唇を歪めて笑い、頭を振りながら云った。 「いやなんでもない、──大丈夫だ、郷愁というのだろう、ときどき江戸へ帰りたくなる」 「はあ、それは、しかしそれだけでございますか」 「おまえ帰りたくないか。」正篤はこう云って、脇のほうへ眼をそらした、「──江戸へ帰って、またシュウ仙へゆこう、みんな待っているだろう、今ごろおみつはなにをしているだろうな」  悠二郎は身につまされ、ほっとすると同時に、せっかく忘れようとしているものを思いださせられて、いやな心持になった。  これもその自分のことだが、花田キンヤが靖献遺言の講義をすることになった。だいたい五十回ばかりの予定で始めたのであるが、第イチニチの講義をハントキほど聴いたとき、とつぜん「ああ」という奇妙な呻きのような声をあげた。──悠二郎はとっさに眼をあげたが、正篤は青ざめ、いつもよりもっと鋭く眉をしかめ、一種の捉えがたい歪んだ表情になっているのを見た。だが正篤は自分の声に自分でびっくりし、とまどいをしたように、「いやなんでもない、続けて呉れ。」こう云ったのであるが、そのあとでも聴いているようすはなく、講義はそれきりでやめになった。──その後もときどき妙な-ことがあった、話をしていて急にちぐはぐな返辞をしたり、ふっと黙りこんでしまったり、いきなり外へ出ようと云ったりして、まわりの者をまごつかせた。けれどもそれは、ときたまのことであるし、格別’異常にみえるほどでもなかったので、悠二郎もたいして気にかけは-しなかったのである。  江戸へ戻ったのは翌々年の三月であった。そして参勤出府の式──国産の献上物を持って将軍に謁見すること──が済むとすぐ、正篤は軽い風邪をひいて寝た。旅の疲れも出たのであろう、長くて四、五にちと思われたが、そのまま五十日ばかり病間を出ることができなかった。  悠二郎は殆んど詰めきりでお伽をした。むろんお伽やトノイはほかにもいたが、彼とニイイズミと原の三人はいつもお側去らずで、ことに悠二郎はその期間ずっと家へ帰らなかった。──ニイイズミや原は五日にいちどずつ家へ帰るし、夜も正篤に云われれば部屋へさがって寝た。しかし悠二郎だけはそういうばあいでもトノイより遠くへは決してさがらなかった。‥‥正篤も諄く「さがれ」とは云わなかった。二人きりになればシュウ仙を中心にした話ができる、そのときだけは気が紛れるらしい、声をだして笑うことさえしばしばあった。 「あの話には驚いた、とうてい本当とは思えなかった」  あるとき正篤はふと思いだしたというふうに、こう云って笑いながらこっちを見た。どうも顔の一点をじろじろ見て笑うので、悠二郎は例の如くてれて、なんの話ですかときいた。正篤は自分の鼻を指さした。 「おまえの鼻の穴がどうしてそんなに大きくなったかという話’さ、おつねにすっかり聞いたんだよ」 「えっ、ああ──ああそればかりは」 「そればかりは-と云ったって本当なんだろう」 「覚えがないんです。」悠二郎は赤くなり、むきになって弁明した、「──ぜんぜんです、自分では-これっぽっちも覚えのないことなんです。これだけは誰にも話さない約束だったんですが、‥‥ひどいやつだ」  正篤は笑って、そして激しく咳きいった。  だが、こういう会話はだんだん少なくなり、正篤のようすは日の経つにしたがって憂鬱の色を増した。悠二郎の話を聞いて笑っても、それが心からの笑いでないことがわかる。沈んだ顔色をして、ともすると黙りこんで、ぼんやりどこかを眺めるというふうなことが多くなった。──病気が悪くなったのかと案じられたが、医者は寧ろ恢復しつつあると云っていた。そのうち悠二郎はふと、正篤が国にいるじぶんから、幾たびもそんなようすをみせたことを思い出し、そこになにか理由があって、そうしてそれが現在まで糸をひいているのではないか、と、想像してみたりした。  昏れがたから雨になったある夜のこと、ちょうどまた二人きりのときだったが、とりとめのない話がふととぎれて、どちらもいっとき、しんしんと庇を打つ雨の音に聴きいっていた。そしてかなり経ってから、正篤は枕の上で仰向いたまま、喉にからんだような声でこう云った。 「悠二郎、おまえ浅草へはいつゆくんだ」  それはもうたびたび云われることであった。悠二郎はさりげなく、いつものように答えた。 「もうホンプクもまのないことですから、ごいっしょにお供を致します、独りでまいっても面白くはございません」 「そうではあるまい、浅草へもゆきたいが、おれの側を離れることができないのだろう。」正篤の声は棘のある調子に変った、「──おまえは知っているのだ、それで、おれがいつ死ぬかもしれないと思って」 「なにを仰るのですか」  悠二郎はぎくっとし、慌てて遮ろうとしたが、正篤は冷笑するように続けた。 「隠すことはない、おれも知っているのだ、大竜寺へ展墓にいったとき、寺のニッカンをみてすっかりわかったのだ、五代まえの先祖から、わが家の男子はみな若くて死ぬ、父上もお祖父さまもひいお祖父さまも、みんなハタチから二十’二、三で亡くなっている、──おれに早く奥を迎えさせ、早く世継ぎのできるようにしいたのも、母上や老臣どもがおれの短命だということを知っていたからだ、そうではないか、悠二郎」  悠二郎には口がきけなかった。両手で袴を掴み、こうべを垂れ、こみあげてくる涙をけんめいに-こらえていた。 「みんなには、おれの命よりも、世継ぎの有無のほうが重大だ、──たとえそのために、おれが寿命を早めることになっても、世継ぎをつくることができれば、そのほうがみんなのためにはよい、‥‥そうではないか、悠二郎」 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第七章】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  悠二郎はそこへ手をついた。そうしてできるだけ静かな調子で云った。 「私は殿が若死をなさるとは思いません、ご代々がご短命だからと申して、トノもご短命であるとは決まりは致しません、私は殿はご長命でいらっしゃると信じております」 「おまえが信じるだけでおれの寿命が延びると思うのか」 「私はいつぞや祖父からこのようなことを聞きました。」悠二郎は構わずこう続けた、「──人間は生きた年数だけで、長命か短命かがきまるものではない、土蔵の中で百年生きるのと、市中で三十年生きるのと、その経験したことを比較すれば、市中で三十年しか生きないほうが、事実は長命したといえるではないか」  正篤は眼をつむり、息をひそめるようにした。悠二郎は言葉をつよめて云い継いだ。 「私は祖父の申すことがそのときはわかりませんでした。しかしまもなくガテンがまいったのです、殿のご身分としては、トノはこれまでにもかなり桁外れなご経験をなさいました、──庶民と同じ姿になって、浅草の見世物もごらんになり、大川へ舟を出して、自由に泳ぎもし釣りもあそばしました、向島から小梅あたりの悪童どもと、いっしょに遊んだり喧嘩をしたり、‥‥他の方々、御殿の中だけで成長なさる方々には、とうてい見も聞きもできない経験をなすっておいでです。そうではございませんでしょうか」  悠二郎は思うことを的確に云えないもどかしさにあせり、肩を揺すったりせかせかと膝を撫でたり、そしてしきりに吃った。 「人間の寿命はそなわったものだと申します、仮にもし殿のご寿命が二十三までと致しましても、それまでにできるだけ広い多くの経験をなさり、充実したゆるみのない生活をあそばすとすれば、なすこともなく百年生きるより、はるかに、本当に生きたと申せるのではございませんか」  正篤はいつか眼をあけて、暗い天井の一隅をじっと見まもっていた。更けた夜のしじまには、庇を打つ雨の音が、さむざむとひそかに聞えてくる。──悠二郎はもう言葉をえらむひまもなく、念いの口を衝いて出るままに云った。 「殿にもしものことがあれば、そのときは、悠二郎もお供を致します、決して、殿ひとりお死なせ申しは致しません、──人間はいつかはみんな死ぬのです、おそかれハヤかれ、いずれはみんな死んでゆくのです、‥‥殿、死ぬことをお考えなさいますな、大事なのは生きているうちのことです、できるだけ充実した生きかた、広く深いゆるみのない生きかたを考えましょう、そのときが来るまで、生きられるうちに充分に、生まれてきた甲斐のあるように生きることを考えましょう」 「──わかった、よくわかった」  正篤はやや長い沈黙のあとでこう云った。 「──生きられる限り生きよう、おまえの云うとおり、大事なのは生きることだ、悠二郎、──おまえだけは、どんなことがあってもおれから離れて呉れるな」 「どんなことがありましても。」悠二郎は証しを立てるように云った。 「──この世は申すまでもなく、あの世へも、決してお側を離れは致しません」  正篤が手を伸ばした。その手を悠二郎は両手で受けた。雨は少しの止み間もなく、しんしんと庇を打っていた。  医者の云ったとおり正篤の病気は順調によくなり、五月中旬には床払いをした。そうして医者の進言もあり正篤の望みで、すぐ下屋敷へ静養のために移った。──まえのことがあってから、正篤はもう憂鬱なようすをみせず、寧ろ起ちいは元気になり、顔つきも明るく大胆になった。下屋敷へ移って四、五にちすると、 「悠二郎、暗くなったらでかけるぞ」  こう囁いて、その日初めて、夜になって屋敷をぬけ出した。もう年も十八であるし、任官した藩主であったから、ぬけ出すにも以前ほど周囲の者に気をつかう必要はない。しかし正篤はそれでいい気になるというふうはなく、二日おき三日おきくらいにでかけ、夜もあまり更けないうちにきちんと帰った。  おみつはもう十五歳で、みかけもすっかり娘らしくなったが、生来のマセた気持はみかけよりずっと大人びていて、二人を弟かなんぞのように扱った。 「いい若いしがなによ、たまには-なか(ヨシワラ)へでもいってらっしゃい」  などと、きいたふうなことを云う。 「偉そうなこと云ってもだめよ、悠ちゃんなんか、梅干の種を鼻の穴じゃないの、──くやしかったら芸妓のいい人でもつくってごらんなさい」 「なにょういやあがる、こっちあ屋敷が本所にあるんだぜ」  悠二郎はむきになって口を尖らす。 「お屋敷が本所だからどうしたのよ」 「べらぼうめ、本所から深川はひと跨ぎだ、なあノブさん、こいつあなんにも知っちゃあいねえのさ、へ、可愛いもんさ」 「そんなら家へ連れて来たらいいじゃないの、そんなお馴染があるんなら連れていらっしゃいよ」 「べらぼうめ、こちとらあてめえのおっこちを見せまわるほど浅黄裏じゃあねえや、嘘だと思うんなら自分でいって聞いてみな、櫓下へいって当時こちらでノブさんと悠さんにフカマのお姐さんはどなたでござんすか、──こうきけば猫の仔でも教えて呉れらあ、ざまあみやがれ」 「そんならそっちへいったらいいじゃないの、こんな’家へなんか来たって面白かあないでしょ、いらっしゃいよ、すぐ舟のしたくさせてあげるわ」  おみつはくやしそうに唇を噛む。 「おう待ってました、マツキチにそいって呉れ、門限があるんだから早いとこ頼むってな」 「云うわよ、なんでもありゃしないわ、そう云えばいいんでしょ」 「云えばいいのさ、さっさと頼むぜ」 「わかったわよ、どうせいいわよ、きれいな顔をしてたって蔭じゃあそんなことをしているんだから、家じゃあ母ちゃんもあたしも待ってたんじゃないの、今日は家で-ゆっくりして頂こうって、大騒ぎでいろいろ下拵えをして、芸人は誰と誰を呼ぼうかって、おとっつぁんもいっしょに相談して、もういらっしゃるかしらってみんなで待ってたんじゃないの、それなのに」 「なんだ、泣くのか、こいつあ驚きだ」  おみつは泣きだし、正篤はにやにや笑っている。悠二郎は途方にくれ、いまさら云いなだめるわけにもいかず、さりとてそのまま立てもせず、ごまかそうとして、てれて、うろうろして、ついにはおつねの助けを求める。 「どうしてそうなんだろう、顔を見るとすぐ喧嘩なんだから、──おまえが悪いんだよ、なんだねばかばかしい、自分でへんなこと云いだしたんじゃないの、だから悠さんにからかわれたんじゃないか、嘘だよあんなこと、からかわれてるんじゃないか、ばかだねこのひとは」 「いいわよ、こさえといたお肴みんな猫にやっちゃうから」 「猫がまっぴらだとさ」 「およしなさいったらねえいいかげんに、おみつは下へ来てお呉れ、煮物をみてて呉れなきゃあ困るよ」  そんな口争いは番たびのことだが、もちろんすぐにからっと仲なおりができてしまう、二人が帰るときなどは外まで送って出て、「ちょっと待って、衿が曲ってるわ」などと悠二郎の着物のどこかしら、引いたり下げたり、なにかしなければ気が済まないらしい。 「ノブさんはきちんとなさるのに、どうして悠ちゃんはこう-きかたが下手なんでしょう、ちょっとじっとして、だめよそんなに動いちゃあ」 「うるせえな、曲ってたっていいよ」 「よかあないわよ、ちょっと待ってよ、ここんとこ、あらいやだ、これ’下から着なおさなくちゃだめだわ」 「なにょう云ってやんだい、あばよ」  しょうのないひとね、おみつは眉をひそめて、小走りに少し追って、正篤へは丁寧におじぎをしてあいそを云うのであった。 「どうぞまたおいで下さいまし、お待ち申しております」  シュウ仙の二階で遊んで帰るときはそのままだが、外へ出るときはたいてい職人の恰好であった。小梅から向島のほうもよく歩き、桑の実を取って庭番にみつかって息を限りに逃げた、あの生垣のそばも通ってみた。 「お庭の桑はどうしたでしょう、たしか六本くらい植えたんでしたね、──八本だったかしら」 「あれからもう七年経ってるじゃないか、一年に二本ずつ植える筈だったろう、おまえ忘れていたのか」 「じゃあずっと、あれから、二本ずつですか」 「おれのと悠二郎のと、‥‥上屋敷へ戻ったらみにゆくがいい」  その年は久しぶりで小梅のかつんべに会った。三社祭の雑沓のなかで、悠二郎が呼びかけると彼は赤い顔をし、一昨年から下谷タケチョウの左官屋へいっていると云った。 「今戸の瓦屋の熊を知ってるね、あいつ板前になるんだって、いま中洲の百尺で皿洗いをやってるよ。」かつはこんなことを云って、それから眼をしばしばさせながら、「──おらあ聞いたけど、悠ちゃんもノブさんもお侍の子なんだってな」  綾瀬川でその年は正篤が五百匁あまりの鯉を釣った。またおみつの案内で水神へ舟でゆき、そこの百姓やのような小さな薄暗い茶屋で川魚料理を食べた。  九月になってまもなく上屋敷へ帰ると、すぐさま悠二郎はニチゲツ亭の裏へいってみた。正篤の云うとおり、今年の春あたり植えたらしい二本を入れて、数えてみると十四本あった。初め植えたのはタケも九尺あまりになり、正篤が手入れを禁じてあるので、枝をシホウへ伸ばせるだけ伸ばしていた。 「こんなものを、どうせ、始末におえません、見るたびにどうも、なんとも。」庭師の老人はしきりにこぼしていた、「──どうしたってお庭につくもんじゃございません、いまに爺いが叱られるに決まっています」  正篤はなにも云わず-びしょう-していた。  まだ下屋敷にいるときから、悠二郎は諄く正篤に念を押した。今年こそ奥からやかましく云われるに違いない、しかし決して譲歩なさらぬよう、自分は祖父やジュンサイのほうを説得するから、あなたは奥に対してきっぱりした態度をとって頂きたい。早婚の害はとりかえしがつかないという、ハタチまでは決して奥のシンジョへははいらぬように。──正篤は約束した、そうして上屋敷へ戻った日の夜、改めて正篤のほうからその約束を繰り返した。 「決して譲歩はしない、大丈夫だ」 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第八章】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  おれはまずおれ自身を生かしてゆく、そしてもし寿命がゆるすなら、世継ぎには健康な血統をのこすようにしたい。正篤はこう云って、さらに次のように続けた。 「おれはおまえのおかげでいろいろ世間を知ることができた、アキンドや日雇い人足や職人たち、そのほか一般の町家の暮しをずいぶん見てきた、──そしてそのときの政治が、善ければいいように、わるければそのまま悪く、直接あの者たちの暮しにひびくことも、おぼろげながらわかるように思う、‥‥今年の冬もいこう、来年も再来年も、いとまのある限り見てまわろう、おれは今年は、初めて、──自分が六万三千石の領主だということに気づいたよ」  悠二郎はびっくりした。やっぱり血というものは争えないと思い、ただ面白がっているだけの自分にてれて、独りで赤くなった。 「そのときがきたら、おれは自分で藩政をみる、まだそのときではない、だがそのときがきたら、──悠二郎、おまえとニイイズミがおれの両の腕になるんだぞ」  奥からは強硬な話が幾たびもあった。いつかは-おもてのシンジョへ、生母のセイコウ院が自分で迎えに来たそうである。そのときは悠二郎はトノイにいなかったが、セイコウ院の泣き声がショウカの間まで聞こえたという。──勘右衛門はすでに養育係を解かれ、老職の席だけはあるが、隠居づとめのような気儘な身の上で、そのころはもうあまり外出もせず、家で暢気に酒を飲んでいるというふうだった。それでも悠二郎が頼むと奥御殿へいって呉れた。‥‥医者の室井ジュンサイは奥や他の老職たちの間に挾まって、かなり苦しい立場らしかったが、これも勘右衛門と口を合わせて、正篤の健康を楯に粘り通したらしい、そして結局のところ延期ということに決まったのであった。  その年の十二月も下屋敷へいった。明くる年の夏、そしてその十二月も同様である。ただ遊びかたが段々に変り、芸人を呼ぶとか、ものを食べにゆくとか、芝居や見世物を観るなどということが少なくなった。──参勤のいとまが延びて、国へ立ったのはその翌年の二月のことであるが、それまで下谷から浅草、深川、本所あたりの、ごみごみした汚ない、長屋のような町ばかりよって歩き、人足などと並んで食事をしたり、彼等と酒を飲んだりした。 「長く生きられないとしたら、生きているうちに、せめて自分の領地だけでも、少しはましな政治がしてみたい」  正篤はしばしばこう云って溜息をついた。 「あんなにみんな困っているじゃないか、あれだけ働いて満足に暮している者がないじゃないか」  それからまたこうも云った。 「第一番に重職の交替をやろう、新しい風をいれて、そうして思いきったことをするんだ」  二月。国許へ立つとき悠二郎は残された。正篤には供のゆるしを得てあったのだが、間際になってその係りから云いわたされ、いやもおうもなく江戸に残されてしまった。 「なにいいさ、久しぶりで-ゆっくり遊ぶさ」  勘右衛門はへらへら笑っていた。 「気が向いたらシュウ仙へでもいって、たまにはおつねに孝行をしてやるがいい、おまえまだ母ちゃんと呼んでいるのか」 「よして下さい、こっちはそれどころじゃありませんよ」 「ここで怒ったってしようがない。シュウ仙がいやならまた金魚の尾鰭でも切ってやるさ、またそろそろ伸びているころだぞ」  悠二郎はくやしがって歯ぎしりをした。  残されたことがどうにもくやしい。ニイイズミはもちろんくいしんぼうの原精一郎まで供をしていった。どうして自分だけ残されたのか、正篤の意志でないことはわかっている、おそらく誰かの邪魔だろう、正篤から自分を離そうと思うやつの策動に違いない。  ──一体どいつの仕事だろう。  ニイイズミかと幾たびも思った。しかし気性こそ合わないが、彼はニイイズミがそんな人間でないということを知っていた。まさか原のくいしん棒ではあるまいし、ほかに思い当る者はひとりもない。そこでまたふっとニイイズミの名が頭にうかび、慌ててまたうち消し、自分でもしまいにうんざりして、よし、そんならこっちは息抜きをしてやれ、と、ようやく肚をきめた。  シュウ仙へもいったが、面白くはなかった。 「あら、ノブさんどうなすって」 「わからねえやつだな、このまえ来たとき云ったじゃねえか、殿さまの供をして国へいってるんだよ、なんどいやあいいんだ」 「そんなに怒らなくったっていいわよ、ただちょっときいただけじゃないの、そんなにもぽんぽん云わなくったっていいでしょ」 「うるせえ、あっちへいってろ」  つまらないのでごろっと横になる。 「どうなさるの、でかけるんじゃないんですか」 「うるせえって云ってるだろう、聞えねえのか」  三度ばかりいったけれど、たいてい二時間ばかりいると飽きて、つまらなくなって帰って来てしまった。ときには茶の間に坐りこんで仙吉やおつねと話しもした。仙吉はおりおり勘右衛門へ挨拶にいくのでそっちの話もよく出た。 「このあいだは酒のお相手をして来たが、御隠居さまもめっきり弱くおなんなさいましたね」 「そうかなあ、おれはハンツキばかり会わねえから、知らねえ」 「そのときも話が出たんですが、悠さん此処からお帰んなすったときずいぶんお困んなすったんですってね」 「なんだっておめえ当りめえよ、今まで野放しに育ったんだ、それこそ年じゅう裸で、好き勝手にとびまわっていたのが、着物をきちんと着て袴をはいて、腰にあ刀を差して行儀作法だ、‥‥おまけにそれが悪戯ざかりの七つてえ年なんだから堪らねえやな」 「まったくね、あの日ここで支度をなさるとき、べそをかいてらっしゃるのを見て、あたし涙が出て涙が出てしようがなかったわ、夜中にひょいと眼がさめると眠れないのよ、いまごろどうしていらっしゃるか、あんまり窮屈なんで浅草へ帰りたがって泣いてでもいらっしゃりゃあしないかって、──なんども夢をみたわね、母ちゃん-って、はっきり呼ぶのを聞いて眼がさめるの」 「帰っていらっしたに違えねえ、ちょっとオモテを見て来るからって、そうじゃねえ夢だってえのに強情をはりあがってよ、寒いのに-おもてまで出てみやがったっけな」 「外はまっ暗でしんと寝しずまってるの、来たことは来たけれど、叱られると思って隠れてるんじゃあないか、──暗い道にはまっ白に霜がおりてる、悠ちゃん、悠ちゃんって、裏のほうまで呼んでまわったこともあったわね」 「もうそんな話はいいや」  悠二郎はてれて起きあがる。 「久しぶりで肩でも-たたこうか、母ちゃん」  するとおみつがぷっとふきだす。 「いやあねえ悠ちゃんたら、まるで取って付けたみたいじゃないの、ふだんすばしっこいくせにそんなことは気が利かないのね」 「黙ってろ、うるせえ、こっちあお祖父さん-から云いつかってるんだ、さあ坐んなよ、母ちゃん」 「勿体ない、よして下さいよ、肩が曲るわ」 「あたしが叩くわ、あたしならいいでしょ」 「こうすると男親ってものはブの悪いもんだな、二人でそうやっておふくろのおっ取りっこをして、いってえおらあどうなるんだ」  こんな和やかな時間も、正篤がいないとまがもてず、なにか食べても、酒を飲んでも面白くない。外へでかけてもかつんべは左官、瓦屋の熊は料理屋の板前、むかしの遊び仲間はみんなそれぞれ職についている。どっちをみても自分ひとり置いてきぼりをくった感じで、だんだん’家にひっこんでいるようになった。  正篤は翌年四月に出府した。悠二郎は待ちこがれて、まるで恋人にでも逢うような気持で挨拶に出たが、正篤はただ祝いの言葉を聞くだけで、おそろしく冷やかな態度を示した。のこって話してゆけとも云わない、‥‥側にいるコジュウたちを見ると、ニイイズミも原もすました顔で、すっかり色が黒くなり、体つきも逞しくなって、いかにも側近護衛といった身構えである。悠二郎はつき放されたような、淋しい気持で御前をさがった。  正篤が出府するとすぐ、悠二郎に役目を解くという沙汰があった。おぼしめしでコジュウの役を免ぜられる。追って沙汰あるまで身を労るように、──そういうことで、お手許から二十金という御下賜があった。  ──いよいよ重職の交替だな、それに相違ない、そのときしかるべき役にあげられるのだ、そのための待命というわけだろう。  悠二郎はこう思って独り納得をした。  5月になってはたして重職の交替が行われた。勘右衛門が正篤のうしろ楯になったらしい、かなり広い範囲にわたる交替で、いちじはカチュウぜんたいが騒然となった。──詳しいことは彼は知らない、祖父が幾夜も御殿に泊りこみ、国許とのあいだにたびたびハヤの使者が往復した。それは約ひと月ほどかかり、梅雨あけと共にイチ段落ついた。  だが悠二郎にはなんの沙汰もなかった。  ニイイズミが父の宗十郎を襲名して側用人にあげられた。原精一郎が納戸奉行になったには驚いたしその他にもむかしの学友のなかから二人、ふだん「あの男は」と云われていた者で、悠二郎の知っている人間が三人も重役についた。  そしてすべてが終ったとき勘右衛門が倒れた。  キョボクロウはもう七十六歳で、三年ほどまえからカラダが弱っていた。あれほど遊蕩の好きだったひとが、あまり外出もしなくなり、家で飲む酒の量も減るばかりだった。──そこへ重職交替の騒ぎで、不眠の奔走もしたものらしい、つまりその過労が原因となって、なにもかも結着し安心すると共にがっくり折れた感じである。  病気は脳溢血で、倒れると同時に意識を喪い、ほんの二時間ばかりして死んだ。──知らせを聞いて、よも更けていたが、正篤が駆けつけて来たとき、すでに勘右衛門の息は絶えていた。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第九章】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  正篤はまっすぐに病間へとおり、コジュウも遠ざけて、遺骸とさし向いでハントキあまりすごした。みんな遠慮をしろと云われ、家族も隣りの部屋へさがっていたが、正篤がしきりになにかかきくどき、ときには声を忍んで嗚咽するさまが、襖越しにいたましく聞えてきた。──正篤は遺族には格別’言葉もかけず、とくに悠二郎など眼にもつかぬようすで、弔問が終るとさっさと帰ってしまった。  ──殿はどうしたのだろう、おれを忘れてしまったのか、それともなにかごきげんを損じたか、やっぱり誰かの策謀だろうか。  彼は非常にじれ、気持のおちつく’時がなかった。三度ばかりニイイズミを訪ねた、いちど殿におめどおりをしたい、うかがいたいことがある。ぜひとりなしを頼む。こう云って頭を下げて頼んだ、しかしそれはむだであった。 「殿は暫く待てと仰る、いずれ沙汰しようから、それまで待つようにとの仰せだ」  ニイイズミの言葉が信じられなくなり、ハラにも、そのほか側近の知る限りの者に頼んだ。しかしついには、「今後かような取次ぎはならぬ」と云われたそうで、それからは誰も頼みをきいて呉れる者はなかった。  ──お祖父さんも死んでしまった。  せめて祖父でもいて呉れたら、不平を訴えることもできるし、慰めても貰えるであろう。だが今はもうそういう相手もない。父は老職で勘定奉行を兼ね、兄は左門となのって納戸かた吟味役になっている。母はもちろん愛して呉れているが、おつねのようにじかな愛しかたではない、どこかに風のとおるようなスキがある。──彼は自分が孤独だということをはっきり感じた。そしてどうにもやりきれなくなり、じりじりして外へとびだすが、どこにも気のまぎれるあてはなく、ついしぜんにシュウ仙へ足が向いた。  それでもまだそのころは希望があった。正篤は待てという、追って沙汰をすると云うのである。そのうち本当に呼ばれるかもしれない、そういう希望もなくはなかった。──それが十月になって、ある日さっぱりと解決したのである。任免の衝に当る老職に呼ばれ、いよいよお召しかと胸をわくわくさせていった。ところがその老職は、「おぼしめすところあって今日より無役に仰せつけられる、ご幼年よりの精勤を嘉賞あそばされ、お手許より金五十枚、オンアカツキ、ならびに生涯三十人ブチを下しおかれる」  こう云ってそれぞれの下賜品をそこへ出した。  悠二郎は家へさがるとその足で、まっすぐにシュウ仙へゆき、まる三日のあいだ帰らなかった。酒を飲み、寝ころび、芸人を呼ぶかと思うとすぐかえらせ、夜中に起きあがって独りぶつぶつなにかいい、独りで冷酒を飲んだりした。 「三十人ブチの飼殺しか、くそうくらえ」 「どうしたの悠ちゃん、なにをそんなに苛々しているのよ、なにかあったの」 「うるせえ、おめえなんぞの知ったこっちゃあねえ」 「だって心配じゃないの、お酒ばかり飲んでるし、しじゅうじりじりしているし、お屋敷へは帰らないし、母ちゃんだっておとっつぁんだって気を揉んでるわよ、ねえ、──云ってよ、なにか心配なことでもできたの、悠ちゃん」 「うるせえってんだ、いいから黙ってほっといて呉れ」  四日めに家から家扶の渡辺老人が来た。父も母も案じているからいちど帰るように、なにか話もあるということで、とにかく老人といっしょに帰った。 「この不所存もの。」父はいきなりこう叱りつけた、「──家をあけて船宿などへ逗留するとはなにごとだ、家名にかかわるとは思わないか、愚か者」 「さあお詫びをなさい、悠二郎、もうこれから決してこんなことは致しませんって」  母がそばからそうとりなした。しかし悠二郎は黙って、こうべを垂れて、じっと身動きもしなかった。 「お祖父さまがあまやかして育てたからこのような無埒なことをする、おまえも今年はもう二十一歳ではないか、まして部屋住の身であれば、いっそう身を慎み行いを正さなければならぬ、十日のあいだ部屋を出るな、謹慎を申しつける」  彼はついにひと言も云わず、十日のあいだ部屋に籠っていた。このあいだつねに正篤の健康のことが頭にあったらしい、ときに兄と顔が合ったりすると、殆んど無意識にきいた。 「殿のごようすはどうですか、ずっとお丈夫ですか、病気などのごようすはありませんか」  しかしそうきいたとたんに、よけいなことと思い、自分で自分に腹を立てた。 「ずっとご健康のようだ、このごろは少しお肥りになったようにみえる」  そんなことを聞かされても、彼はもうどっちでもいいとそっぽを向き、ふきげんになって兄の側から離れるのであった。  十日の謹慎が解けた日、必要な身まわりの物を持って、二度と帰らないつもりで、彼は家を出てシュウ仙へいった。 「暫く厄介になるよ」  こう云って二階の端’の、いつもの四畳半へおちつき、二三日は酒びたりになっていた。──醒めていればもちろん、酔っていても、ついすると正篤のことを想っていた。まだノブ太郎といっていたころ、初めてこちらから話しかけ、屋敷境へ魚をしゃくいにいった。笠木べいを乗り越えるときの泣きそうな顔や、浅草界隈の話をしたとき、さも羨ましそうに、  ──そこへは若もいけるの。  こうきいた顔つきもありありと思いだせる。  下屋敷へゆくようになって、うまくぬけ出して遊んだ日々のこと、見る物すべてが珍しく楽しそうで、いきいきと笑ったりとびまわったりした姿など、なにもかもが昨日のことのように新しい。 「だがみんな過ぎ去ったことだ、みんな夢をみたようなものだ、おれはこうしてシュウ仙の二階に酔いしれている、そしてもうむかしの悠二郎じゃあない、みじめに忘れられ、捨てられてしまった人間だ」  彼は幾たびもあの病間の一夜を思いだした。正篤が自分の短命であることを知って、初めてそれを告白したときのことである。  ──自分はニッカンをみた、わが家では五代まえから男子がみな早世する、おそらく自分も二十’二、三までの命だと思う。  冷やかな、そして棘のある、絶望的な調子であった。悠二郎は胸のつぶれる思いで、こみあげる涙を抑えながら、死ぬことなど忘れて生きることを考えるように、万一のときに貴方ひとりは死なさぬ、自分もあの世へ供をする、そのときがくるまでは生き甲斐のあるように生きてゆこう。言葉をつくしてこう云った。──正篤はわかって、感動して呉れた、悠二郎にはその感動が偽りだったとは思えない。正篤はそのときこう云いはしなかったか、  ──よくわかった、おまえの云うとおり大事なのは生きることだ、生きられる限り生きよう、だがおまえだけは、どんなことがあっても側を離れて呉れるな。  そしてその年の秋にはこうも云った筈だ。  ──時期がきたらおれは自分で政治をみる、その時期がきたら、悠二郎、おまえとニイイズミと二人でおれの左右の腕になって呉れ。  これらのことはみなごまかしだったのだろうか、その場かぎりの根無し言だったのだろうか。悠二郎は呻く、酒を呷って酔おうとする、しかしどうやっても胸はおさまらなかった。 「ばかばかしい、女の腐ったように、いつまでみれんがましくうだうだしているんだ」  自分を嘲弄するようにせせら笑う。 「大名は威厳をつくらなくちゃあならねえ、おれにゃあ子供のときからの裏の裏まで知られている、そんな者に側にいられちゃあ威厳もへったくれもねえ、邪魔なのはわかりきったこった、そこに気がつかねえのか唐変木め」  だがそう呟きながら、彼の眼には涙がたまっていた。  家から渡辺老人が三度ばかり来た。悠二郎はいちども会わなかった。すると十二月になってまもなく、父が渡辺老人を連れて来て、正式に勘当すると告げた。 「土井とは縁を切り、ご家臣帳からも名を削った、我が子でもなくもはや藩け-の家臣でもない、おまえはおまえの好きにするがよい」  悠二郎はなにも云わず、黙ってただ頭を下げた。父は仙吉夫婦にもそのことを告げたのであろう、おみつが駆けあがって来て、悠二郎の側へ坐って泣きだした。 「どうしたっていうの、いったいなにがあったの、悠ちゃん、あんた勘当なんかされちゃってどうするのよ、お願いだから謝って頂戴、すぐいって謝って頂戴、このとおりよ悠ちゃん」 「泣くこたあねえ、覚悟のうえなんだ」 「そんなこと云ったって、お家を出されてこれからどうするのよ、ねえ、あたしのお願いだから謝って頂戴」 「ほっといて呉れ、おれのこたあおれがするよ」 「それじゃ済まないから云うんじゃないの、そんなことしたら苦労するばかりじゃないの」  おみつは袂で顔を押えながら泣いた。 「──悠ちゃんの苦労するのを見て、あたしが平気でいられると思って、‥‥あたしがどんなに心配しているか、あんたわかっちゃあ呉れないの」  悠二郎はそこへ寝ころんだまま、長いこと黙っておみつの泣くのを聞いていた。それからやがて眼をつむったまま、低い囁くような声でこう云った。 「おらあこの家で育った、生まれるとすぐに来て、おめえのおふくろを母ちゃんと呼んで育った、大川の水も、観音さまの境内も、向島から小梅の端’のほうまで、みんなおれの幼馴染だし、喧嘩友達も-おおぜいいる、ここがおれの’故郷だ、──この家がおれの家だ、おめえのおふくろがおれの本当の母親だ」  おみつはひとしきり激しく泣いた、「悠ちゃん」と叫んで、袂で顔を包んだままそこへ泣き伏した。悠二郎はぐらぐらと頭をゆすり、それからやはり低い声でこう続けた。 「おらあこの家の船頭になる、いつかお祖父さんが云ったそうだ、──当人がよければ船頭になるのもいい、あれはあれで気楽だし、なかなか粋な商売だってよ、‥‥おれにだって、猪牙ブネぐれえ漕げるからなあ」 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第十章】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。 「杏花亭筆記」にいう、チシしてのちシセイにかくれ、親族旧知とたって、無為に一生を終った、というのはこの事をさすのであろう。彼は仙吉を説きおつねをくどいた。仙吉はそのとき初めて、祖父から悠二郎のためにといって、多額の-かねを預かっているとうちあけた。 「あれは野育ちだからどうせ’侍ではおさまるまい、もししくじって転げ込むようなことがあったら、これで船宿の株でも買ってやって呉れ、そういうことでこれだけお預かり申しました」  仙吉はそこへ-かねを並べてそう云った。  としがあけるとおみつは厄年になる、悠二郎は強引におみつを嫁に欲しいといい、誰にいなやもなく、押し詰まってから祝言の盃をした。──披露は中洲の「百尺」でやった、船宿なかまはもちろん、悠二郎はかつんべも熊も、むかしの友達でいどころのわかる限り集めて、そうして’宴の終るまで賑やかに飲んだ。  その前後に二度ばかり、土井の母が来たそうである、良人に禁じられているからと、そっとおつねだけに会い、ゆくすえをくれぐれも頼むと云って、自分で縫った肌着や着物や、帯などを置いて去ったということだ。そして、それなり本当に土井とは往来が絶えてしまった。 「ノブさんはどうなすったのかしら、ちっともおみえにならないわねえ」  まだ丸髷のおちつかないじぶん、おみつはふと思いだしてはそう云った。 「侍なんてあんなものよ、あいつはとんだ出世をしやあがった、もうおれなんぞに用なんかありゃしねえ、あいつのことなんざ忘れるがいいんだ」 「だってあんなに仲がよかったのに‥‥」  そんな会話が幾たびかあったが、やがて悠二郎は本気に怒った声でこうどなった。 「いいかげんにしねえか。こんどおれのまえであいつの名を云ったらぶん撲るぞ」  おみつはあっけにとられ、まじまじとこちらの顔を見まもった。そしてなにかわけがあると察したのであろう、それからはノブさんの「の」の字も口にしなかった。  二年めの夏におみつは子を産んだ、女の子で、仙吉が「つならびにしよう」といい、おなつと名をつけた。そのときちょうどいいきっかけだからと、仙吉夫婦は隠居して、家をそっくり’悠二郎とおみつに譲った。──シュウ仙に猪牙ブネが七はいにツリブネが五杯、ほかに屋形船が三艘あり、川筋でも繁昌することではひけをとらなかった。  おなつが五つの年に長男が生まれ、おみつの望みでユウキチと名づけた。 「あんたのような気性に育って貰いたいの、もういちどゆうちゃんて呼べるのもうれしいわ、ねえ、いい名でしょ」  おみつはしおのある眼で、良人の顔をじっとみつめた。悠二郎はてれ、眼をぱちぱちさせて脇へ向いた。 「でもあんたのせっかちと、ワルイタズラだけはごめんだわね、年じゅう泥んこの瘤だらけ傷だらけ、出れば喧嘩というのもまっぴらだわ」 「自分の玩具だと思ってやがる、世話あねえや」  そのころからのことだが、正篤の噂がときどき耳に入った。武家の客たちの話すのも聞いたし、世間にも評判ずきな者がいて、少し珍しいことがあると自分のことのように触れまわるから、坐っていても自然いろいろなことが聞けた。──正篤は名君という噂であった、ハンチに多くの功績をあげ、領民に慕われるばかりでなく、幕府のおぼえもいいらしい、体も健康で、武鑑にはもう三人の子が載っていた。  ──名君、あのときのノブさんが、名君。  悠二郎はほのかに懐旧のおもいにとらわれた。しかしすでに遠い思い出’であり、もはや自分には縁のないひとであった。悠二郎は高い空をわたる風の音でも聞くような、一種の虚しいおもいで、そっと溜息をつき、窓の外へ眼をやった。  ユウキチの三つの年にまた女の子が生まれた。 「おっかさんよりよっぽど功者だぜ」  仙吉はよろこんで、やっぱりつならびだと、こんどはお初と名をつけたが、自分はその年の夏のはじめに、急性の腸を病んで亡くなった。  ──ひどい痛みを伴う下痢で、しまいには赤いものを下したりして、ほんの十日ばかりのあっけない死にかただった。  仙吉のショナノカの済んだ、明くる日のことである。朝の九時ごろだったが、とつぜん原精一郎が訪ねて来たのでびっくりした。 「くいしんぼうだよ、覚えているかね」  原はこう笑って、こっちがまだ返辞もしないうちに、急ぎの使者なんだと、持って来た結びぶみをさしだした。すぐみて呉れと云うので、あけてみると正篤からの手紙だった。  ──会って話したいことがある、むかしの気持ですなおに来て貰いたい、来るものと信じて待っている。  こういう意味の走り書きで、署名はただ「ノブさん」とあり、宛名は「悠どの」としてあった。署名の「ノブさん」という字が、いきなりぎゅっと彼の心臓をつかんだ。むかしの気持でという、そのむかしの気持が全身に甦り、飛び立つおもいで、彼はおみつをせきたててシタクをした。  原と駕籠を並べて上屋敷へゆき、原の案内で、そのまま奥庭へはいっていった。──正篤は麻の帷子で袴はつけず、短刀だけ差した恰好で、ニチゲツ亭の縁側に腰をかけていた。肥えたばかりでなく、筋肉質の逞しい体になり、唇つきにも眼にも、ちからと意志の強さが表われていた。 「辞儀はぬきにしよう、久方ぶりだった」 「ご堅固におわしまして、‥‥」  悠二郎はそう云いかけて絶句した。 「原はもうよい、さがって呉れ」  正篤はこう云って暫く沈黙した。ひとばらいをしたのだろう、原が去るとそこには誰もいなかった。──正篤はかねて用意をしていたらしく、そこにあった小さなサカツボを取り、二つのギヤマンの足付の杯に、黒っぽい色の、濃いどろっとしたものを-ついで、「おれの手作りの酒だ、おれも飲む、飲みながら話そう」  悠二郎に杯の一つを与え、自分も自分のを持った。 「おまえおれに肚を立てたろうな、無情な主人だと怨んだであろうな、──あれほど約束したことを、いよいよの時になって反故にし、あるかなきかのように扱った、怨むのが当然だ、もしおれがおまえの立場だったとしても、きっと肚を立てずにはいなかったと思う」 「正直に申し上げます、御意のとおりでございました」  悠二郎はこう答えて、幾らか反抗するように、サカズキのものをぐっと飲んだ。野趣のある香気の、ほのかに甘渋い味であった。 「おれは悠二郎を片腕に頼むつもりでいた、それには些かも偽りはなかった」  正篤は眼を伏せる姿勢でこう云った。 「しかしおれは考えたのだ、おまえはあまりに近し過ぎる、こちらは気がつかなかったけれども、下屋敷を二人でぬけ出したことは、ニイイズミをはじめ多くの者が知っていた、知っては-いたが、勘右衛門に禁じられて、みな知らぬような顔をしていたのだ」  悠二郎はそっと頷いた。ちょっと意外ではあったが、云われてみればそのとおりである。あんなにしげしげぬけ出したし、原精一郎という買収した者もある、知れなかったと思うほうが、寧ろ不自然だと云わなければなるまい。 「二人はあまりに近し過ぎた、幼年から殆んどソバを離れず、すべてに深入りをし過ぎていた、おれが藩政をみるばあい、相当てあらな事を、やらなければならぬ、一部に不平や非難のおこることは、必至だ、おれはそのときのことを思った‥‥家臣の非難はそのまま藩主には向かない、必ず側近の者にゆく、おまえがもしおれの帷幄にいれば、おれにもっとも近しい者として、おれの寵臣として、かちゅうの怨嗟はおまえに集まるだろう、──おれはそうしたくなかった、おまえをそういう立場には置きたくなかったのだ」  悠二郎はカラになった杯を手に深くうなだれていた。胸がいっぱいになり、眼のうちに熱いものが溢れてきた。 「おまえを除外することは辛かった、おまえが肚を立て、怨むだろうこともわかっていた、しかしそれでもいいと思ったのだ、──おまえには怨まれても、そんな立場に立たせるよりいいと思ったのだ、‥‥だが悠二郎、あれから十年のあいだ、おれはおまえを思わぬ日はなかった、いつもおまえが側にいるつもりでいたぞ、──見せるものがある、ついてまいれ」  こう云って正篤は立ち、裏庭のほうへまわっていった。ついてゆくと、見覚えのある桑の木の前で立ち止まり、こちらへ振返った。 「数えてみろ悠二郎、二人の桑だ」  すぐにはその意味がわからなかった。しかし木の数を読んでゆくうちに、古い記憶がはっと思いうかび、危うく声をあげそうになった。──そうして一つ一つ、桑の木に手を触れながら、三十八本まで数え終ると、もはや我慢が切れ、そこへ棒立ちになって面を掩った。 「おれのと、おまえのと、毎年二本ずつ、あれからずっと、欠かさず植えてきた」 「────」 「夏になって、実が生ると、おれは独りで此処へ来て、おまえに呼びかけながら、この実を摘んで食べた──この実で酒を醸して、おまえに呼びかけながら、更けたシンジョで独りそっと飲む癖もついた、おまえはいつもおれの側にいたのだ、わかるか、悠二郎」  悠二郎の喉から嗚咽が堰を切った。すると正篤が近寄り、彼の手を取って、そうして自分も噎びあげた。  ──会いたかったぞ、悠二郎。  ──殿、お会いしとうございました。  握られた手から手へ、互いのおもいは痛いほど鮮やかに通じ合った。やがて正篤は「もういい、もうこれでいい」といい、懐紙を出して顔を拭くと、こんどは明るく笑いながら、桑の枝々を指さして云った。 「みろ、こんなに生ってる、久しぶりでいっしょに摘んで食べよう、泣くのはよせ」 「もう泣いては-おりません」 「おれはこの木、おまえはそれだぞ」 「さっきのが桑の酒でございますか」 「帰りに持ってゆくがいい、ひと瓶わけてある」  二人は桑の枝に手を伸ばし、黒く熟れた実を摘んでは口に入れた。 「おれのほうのことは聞いたか」 「お世継ぎとヒイさま、お三人儲けられたうえ、名君というご評判をうかがいました」 「悠二郎は子供は何人ある」 「男一人に女二人でございます」 「おみつとは相変らず喧嘩をするのか」  悠二郎は口いっぱいに桑の実を頬張って、もごもごもごと、何やら訳のわからない返辞をした。正篤もせっせと摘んでは食べながら云う。 「船宿の亭主も悪くはないだろう」 「残念ながらそのようでございます」 「うちあけて云えばそれもあったのだ。」正篤は紫色に染まった唇で微笑する、「──さっき申したことも事実だが、もう一つはおまえを侍にさせたくなかった、屋敷づとめより、町住いのほうがおまえには似合っている。おみつと添わせて、気楽に一生おくらせたかった、おまえを水に放してやりたかったんだ」 「──見て下さい」  悠二郎は聞えぬテイで、こう云って正篤のほうへ口をあけてみせた。正篤もおれのはどうだと口をあけた。二人は遠い日の向島の出来事を思いだし、互いの黒く染まった’口を見ながら、両方でいっしょに笑いだした。──これは愚かしい所業である、三十にもなる男が二人、そんな子供だましなことをしなくてもいいではないか。慥かにそうだ、慥かにこれは愚かしい光景である。しかし二人にはそうして話すほかに、言葉を交わすことができないのである、桑の実は古い思い出’で彼らを結び、桑の枝葉は今、あまりに明らさまな感動を隠して呉れる。それなしには、二人とももっと恥ずかしい、やりきれない場面を演じなければならないだろう。 「漸く暇が出来るようになった」  正篤は次の木に移りながら云った。 「これからはときどき来るがいい」 「シュウ仙へもおいで下さるときがまいりましょうか」  悠二郎も次の木へ移ってゆく、お互いに顔を見られたくないらしい、繁った葉の、暗がりの中から正篤が明るい調子でこう答えた。 「うんゆこう、いつか、もっとさきになって身に暇が出来たら、──おれは長命するぞ悠二郎」 「私がそう申し上げた筈です」 「それよりもっとだ、勘右衛門より長生きをする、──聞えるか、おれは八十まで生きるつもりだぞ、聞いているのか、悠二郎」  桑の葉が揺れ、悠二郎の何やらもごもご答えるのが聞こえた。正篤は摘み溜めた実を口へ入れ、すばやく指で眼を拭いた。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【底本:「山本周五郎全集第二十二巻◇ 契りきぬ・落ち梅記」新潮社】 【   1983(昭和58)年4月25日発行】 【初出:「キング」大日本雄弁会講談社】 【   1949(昭和24)年11月】 【入力:特定非営利活動法人はるかぜ】 【校正:北川マツオ】 【2020年4月28日作成】 【青空文庫作成ファイル:】 このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(httpsコロン//www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。