◇。◇。◇。 【餅のタタリ】 【坂口安吾】 ◇。◇。◇。 【第1章】 【餅を落した泥棒】 ◇。◇。◇。  土地によって一風変わった奇習や奇祭があるものだが、日本中おしなべて変わりのないのは”新年にお餅を食べ/門松をたてて祝う。お雑煮の作り方は土地ごとに大層’な違いはあるが、お餅を食べ門松をたてて新春を祝うことだけは日本じゅう変わりがなかろうと誰しも思いがちである。  意外にも、新年にお餅も食べず門松もたてない村や部落は日本の諸地にかなり散在しているのだが、上州には特に多い。その上州でも’ある郡では諸町村の大部分が昔から新年を祝う風習をもっていない。それでも、ま、新年のオツキアイだけは気持ちばかり致しましょう、というわけか、三ガ日だけウドンを食べる。  もともと上州の人たちは好んでウドンをたべる。農村では米を作りながら自分はウドンのほうを喜んで食ってるという土地柄であるから:、新年にウドンを食ってもふだんと変わりがないようなものだ。むしろ新年のウドンのほうがふだんのウドンよりもまずいぐらいで、テンプラウドンやキツネウドンにくらべると大層’風味が悪いような特別な作り方のウドンを三ガ日間というもの/三度サンド我慢して食べてる。まったく我慢して食べてるとしか云いようがないほど味気ない食膳で、ふだんのほうがゴチソウがあるのだ。要するにその食卓から新年を祝う気分を見ることはできなくて、むしろ一ツ年をとって死期が近づいたのをシミジミ観念して味わっているような食卓なのである。  どうして新年にウドンを食うかということについては昔からいろいろ云われているが、いずれも納得できるものではない。むしろ、上州ばかりでなく、日本の諸地では昔から新年にウドンを食っていたのかも知れない。餅をくって門松をたてる風習のほうがあとにできて/やがて日本じゅうに流行してしまったのかも知れず:、そのとき意地っぱりの村があって、オレだけはウドンをやめないとガンバリつづけたのが今に残ったのかも知れない。上州にはそういう意地っぱりの気風があるようだ。  さて、そういう村のあるところに、日当りのよいマエ庭に百坪もある円い池のある農家があった。その池には先祖からの鯉がいっぱい泳いでいて、それだけでも一財産だと云われているほどの池だから:、この家はいつのころからかマルイケさんという通称でよばれるようになっていた。  年の暮れも押しつまって明日は新年という大晦日の夜更けに、マルイケの平吉という当主が便所に立ったところ、その晩はカラッカゼのない晩で:、そういうときのシンシンとした寒さ静けさはまた一入なものだ。思わず足音を殺すようにして廊下を歩いていると、庭でコツンバシャンとかすかな音がする。立ち止まって耳をすますと、どうも氷を割る音だ。まだ氷が厚くないらしく、竹竿ようのもので誰かが池の氷をわっているようである。 「さては鯉泥棒だな。大晦日だというのに’商売熱心の奴がいるものだ。大方’正月のオカズにしようというのだろう。悪い奴だ」  そッとシンバリ棒を外した平吉が、ガラリと戸をあけると、その棒をふりかぶって、 「この泥棒野郎❢」  と暗闇の中へおどりこむと、泥棒は竹竿を池の中へ投げすてて逃げてしまった。家族の者がおどろいて起きてきたので、ヘイキチはチョーチンをつけさせて池のフチへ行ってみると:、池の中に浮いてるのは彼の家のホシモノザオであるが、そのほかに安物のツリザオ、ビク、そして手拭包みが一つ落っこちている。包みの中から見なれない変なものがでてきた。 「魚の餌にしては変だなア。なんだろう? まだ、ビクはカラだな。一匹も釣らないうちに、道具一式おき忘れて逃げちまやがった。いいキミだ」  そこで平吉は戦利品を屋内へ持ち帰って、 「これを取りあげちまえば、もう今晩は盗みができない。一本10円ばかりのこのヤス-ザオでナンビャク円ナンゼン円という鯉を盗みとろうとはふとい野郎がいるものだなア。アレ。ビクの中にエサの練り餌があらア。するとこの手拭包みは’なんだろうな」  電灯の下にひろげてみると、矩形の/変に柔らかな焼いた物だ。 「こりゃあ餅じゃアないか」 「そうだわ。焼いた餅だわ」 「してみるてえと、魚のエサじゃアなくて、泥棒のエサだな。これを食いながらのんびり鯉をつるつもりだったんだなア。泥棒を遊山と心得てやがる」 「ですが、新年のお餅でしょうから、この村の人じゃアありませんね。村の者はこんな悪いことはしませんよ」 「なるほど、そうだ。この村の者は新年に餅なんぞ-くいやしねえな。だが、まてよ。フム。泥棒は、わかったぞ。あの野郎ときまった。ふてえ野郎だ」 「誰ですか」 「杉の木の野郎だよ。この村に、新年に餅を食う変テコな野郎は一人しかいない。あの野郎め、オレの鯉で餅の味をつけようてえ寸法だな」 「村の人を疑っちゃいけないわ。杉の木さんはお金持ちでしょう」 「ケチンボーではこの上なしの奴だ。みろよ。お弁当の餅といえば、ノリをまくとか何とか味をつけるものだ。この餅は焼いただけで味なんぞつけてやしないや。あのケチンボーめのやりそうなことだ。餅を食う奴にろくな奴はいやしない。とッちめてくれるぞ」  マルイケの隣家──といっても畑をはさんで一町の余も離れているが、そこに一本の大きな杉の木のある農家があった。ちょうど隣家のマルイケと同じように、日当りのよいマエ庭の真ン中に杉の木がある。そこで通称杉の木サンとよばれている。両家ともに村ではお金持ちである。  マルイケと杉の木は、そのマエ庭の存在物のために昔から両家で張りあっていた。つまり、オレの杉の木が古い、オレのマルイケがもっと古いと称して両々ゆずらないのである。たがいに一方を成り上り者と称し、他が一方のマエ庭の存在をマネて、同じ位置にサイクを施したものだ、という先祖からの家伝によるのであった。  杉の木の当主’助六は戦争中に杉の木にシメナワをめぐらしてシンボクに仕立ててしまった。そして無事’供出をまぬがれるとともに、シメナワをはるわけにいかない隣家のマルイケを見下して、杉の木の由緒を誇ったのである。それ以来、両家の仲は一層’悪くなってしまった。  杉の木の助六は若いころ旅にでて、オシルコもおいしいし、お雑煮もおいしいものだということを発見し:、ネンに一度の正月に餅を食うのは/舌にとっても正月だということを確認したのである。そこで自分の代になると、正月は餅をついて食うことにした。  その餅をつくためのウスとキネを町で買って村へ戻ってきたとき、村境にでて助六を待っていたのは村の有志十名あまりで、その先頭に平吉がいた。彼はみんなを代表して助六をさえぎって云った。 「そのウスとキネはこの村の中には一歩も-いれられない」 「なぜだ」 「そういうものでスットンスットンやると、餅を食べたことのないご先祖様ごイットウの地下の霊がおどろいてお騒ぎになる。また’村の神様のタタリもあろう。村に不吉なことが起こるから、そのウスとキネは一歩も村の中に-いれられない」 「そのタタリというのは、いまお前さんがたが無法にも人の通行を邪魔してることだ。天下の公道の中にウスとキネの関所があるのは聞いたことがない。もしも、たっ-てさえぎると、お前さんがたは法律によって牢にはいることになる。それがタタリというものだ。そのほかにタタリがあったら、お目にかかろう」  助六はこう見栄をきった。そして荷車をひく人足にきびしく前進の命令を下した。十名あまりの有志の中に/たっ-てさえぎる勇者が一人もいなかったので、ヘイキチも涙をのんでウスとキネの侵入を見送らなければならなかった。助六の餅については、その’発端からこういう曰くインネンがあったのである。それからもう二十何年も時が流れている。あいにく’餅のタタリが現れて助六の杉の木が雷にうたれてさけることもなく、助六のノドに餅がつかえたことすらもないから:、ヘイキチの無念の涙はいまだに乾くヒマがなかったのである。そこで平吉は泥棒のおき残した手拭包みの餅を仏前のタタミの上において:、仏壇を伏し拝んで落涙し、ついにご先祖様ごイットウの加護があらわれたことを感謝したのである。 ◇。◇。◇。 【第2章】 【証拠より論】 ◇。◇。◇。  元日の昼、村の重立った者が役場に集まって、心ばかり新年を祝うことになっていた。ヘイキチは今年の元日に限って朝から一杯キゲン、大層’よい心持ちだ。昼になると、ツリザオとビクと手拭包みをぶらさげて、満面に笑みをたたえて役場へ急いだ。 「元日から魚ツリですか」 「ハッハッハ。」ヘイキチは笑うのみで黙して語らず、期待に胸をワクワクさせて、新年遥拝式の終わるのを待った。餅を食ってきたに相違ない助六も、天を怖れるふうもなく、列に並んで新年遥拝を終わった。  さて祝宴がはじまったとき、ヘイキチはいよいよすッくと立ち上がって、ツリザオとビクを差し上げて、 「さて、皆さん。ただいまワタクシは新年にちなみ、ツリザオとビクをたずさえてエビス様のマネをしているわけではありません。実はあまり芳しい話ではありませんが、若干おもしろいところもありますので、新年そうそう皆さんのお耳を汚させていただきます。ワタクシが昨夜’夜半にふと目をさましたところ、誰やら’庭の池の氷を割っている物音が耳につきました。そこで足音を殺し、シンバリ棒を外し、ガラリと戸をあけて大喝イッセイいたしましたところ、賊はとる物もとりあえず逃げ去りました。あとに残されたのが、この品々です。サカナ泥棒がツリザオとビクを置き残して逃げたのに不思議はありませんが:、そのほかに、もう一品、異様な物をおき忘れて逃げ去りまして、それがこれなる手拭包みでありますが。」ヘイキチはツリザオとビクをシタにおいて、フトコロから例の物をとりだして、人々に差し示した。 「これが奇妙な物なんですな。はじめ魚のエサかと思いましたが、ビクの中に練り餌の用意があるのを見ると、これはちがった用向きの物らしい。物は何かと申しますると、まことに不思議や、ほれ、ごらんの如くに焼いた餅です。つまり泥棒は釣りをしながら餅を食うつもりでしたろう。ところが、不思議と申しまするのは、当村は正月には餅を食べないところです。どこの家にも餅のある筈がございません。これが甚だ不思議です。遠方の他所の土地からわざわざ夜更けに魚泥棒にくる人があろうとは思われませんが、近所に餅を食ってるのは誰でしょうかな」  酒の多少まわってる人々が多かったから、これからが大変なことになった。なぜなら、ただひとり’村の長年の習慣を破って餅を食ってる助六に反感をいだいている人が少くなかったからである。 「なるほど、それはまことに不思議だ。大不思議だな。この村に餅を食べる家といえば、たしか一軒あるときいていたが。たしか二軒はなかった筈だな」 「そうだ。そうだ。去年まではたしかに一軒であったが、本日は正月元日、すなわち去年の翌日だから、たぶん、まだ一軒だろう」 「なに云うてるね。昨夜のことなら去年だろう」 「そうだ。これはまさにその通りだ。してみると、たしかに一軒だな」  これをきいて助六は怒った。 「皆さんの話をきいていると、まるで私が犯人のようじゃないか。はばかりながら、私は新年に餅を食うが、鯉や鮒を食うような習慣は持ち合せがない。最近この村外れに道ブシンがはじまって、よそから人足がはいってるから、餅を食ってるのは私だけとは限らない。どれ、その餅を見せてごらんなさい」 「そうはいかないよ。これは証拠の品だから」 「バカな。その餅を奪って証拠を消すようなことをすれば私が犯人ですと白状するも同然じゃないか。皆さんとて’も知らない筈はなかろうが、餅は搗き方によって、それぞれ多少はちがうものだ。その餅を見れば、どんな人の食う餅か、多少は分からぬことはない。見せなさい」  そこで一個の餅を受けとり/手にとって充分に調べた助六は、思わず顔がくずれるほど安心して、 「これは町の人の食う餅だ。むろん私の餅でもないし、近村の農家の餅でもない。なぜかというと、この餅は餅米のツブだらけで、粗製乱造の賃餅だ。自家用にこんな粗製乱造の餅をつくることはないものだ。私が犯人でないというレッキとした証拠を見せてあげるから、待っていなさい」  助六は自宅へ走って帰って、五つ六つ餅をとって戻ってきた。 「ごらんなさい。これが私の家の餅だ。この餅を同じように焼いてお見せするから、泥棒の餅とくらべてごらんなさい。中を割って、ツキぐあいを見れば一目でわかる。さ。手にとって、中を割ってごらんなさい。一方はツブだらけ、私のにはツブがなく、ひっぱれば飴のようにのびる」 「一方は焼きたてだからのびる。冷えてしまえば、のびる筈がない」 「ツブを見てごらん」 「なに、冷えたからツブができたのだ」 「そんなバカな。じゃあ私のも今に冷えるから、そのときツブがあるかどうか見てごらん」 「冷えたてはツブができない。こッちは一晩たってるからツブができたのだ」 「餅のことを知りもしないで、何を云うか」 「なんだと? 餅のことを知らないと? 知らない者に餅を見せて、なぜ証拠調べできるか。それでは証拠調べではなくて、みんなを口先でだまして、証拠をごまかす魂胆であろう」  田舎の人というものは、論争の屁理窟の立て方に長じていて、それにまきこまれてしまうと正常の理窟は役に立たなくなってしまう。またその論争を聞く人々も自分の感情や意地にからんで手前流に判断するから、こうなると、助六にブがない。一同はワアワアと立ち上って、 「そうだ。そうだ。杉の木は村の者を口でだます魂胆だ。自分だけ餅を知ってるようなことを云うが、そうは、いかねえぞ。オレは米をつくる百姓だ。五十八年も野良にでている百姓だぞ。餅のことぐらい知らないで、どうするか」 「そうだとも。オレは野良にでて六十三年になる。農作物のことなら、隅から隅まで知らないということがないぞ」 「理学の原理によれば、焼いた餅が冷めたくなると、ツブができるとされている。一晩すぎると、ちょうどツブができるな。しかしだな。ただ冷えただけでは、そうはいかないが、氷のはるような寒い晩に吹きさらしにされていると、特別そうなるものだ。寒天と同じようなものだな。魚のニコゴリも理窟はそれに似ている。これは理学上の問題であるが、オレは昔三年間ばかりそのほうの研究をしたことがあって:、そもそも寒天は海からとれた植物を山中に運んで寒風にさらして寒天とする。海からとれた植物の名は何かと云えば、これをテングサという。このテングサを海からとる者は不思議にもこれが漁師ではなくて、それはアマという女である‥‥」  大混乱のうちにすでに結論はついていて、助六は犯人ということに定まっていた。かように大河の流れるような強力な結論に対してはショウなる個人の抗弁の余地はありッこない。敵には農学博士どころか理学者もおれば”また天眼通や何が現れるか見当がつかないのである。  助六は悲憤の涙をのんで我が家へ’帰り、その晩からどッと発熱して寝こんでしまった。 ◇。◇。◇。 【第3章】 【パチンコ開店】 ◇。◇。◇。  ヘイキチの提案で村の有志が会合した。席上、ヘイキチは沈痛な面持ちで立ち上がり、 「杉の木も高熱を発して寝こんだそうであるが、自業自得とは云いながら、まことに気の毒なことである。彼を罰するには情に於いて忍びがたいところであるが、/彼がそもそもかかる悲運におちいって高熱を発するに至ったのも:、即ちひとえにウスとキネを村内に持ちこんだがために/祖先の霊の祟るところとなったがためである。即ち彼のウスとキネを焼却することは、祖先の霊をなぐさめて/村の安泰をはかるためばかりではなくて、/彼の命を救うことにもなるのである。ここに我々は強力な村民の決議をもって、/彼のウスとキネを焼却させたいと思うが、いかがであろうか」 「それはよい考えだ。昔からイッソンこぞッて餅を食べない習慣の村だから、一軒だけ餅をたべるというのは村のためによいことではない。村の者は同じ一ツの心でなければならないから、杉の木のウスとキネは焼いたほうがよいな」  こういう決議がきまって、ヘイキチが代表の先頭に立って、助六の病床を訪れ、 「お前もウスとキネのためにご先祖様ごイットウのタタリをうけて、まことに気の毒だ。そのタタリを払うためにウスとキネを焼くことにきまったから、これからは心を入れかえて、みんなと仲よくやってもらいたい」  家族の者にウスとキネをださせ、これを河原へ運んで神官に清めてもらって灰にした。助六は観念したのか、一言も物を云わず、/彼らの為すがまま見送ったのである。さて熱がさがって病床から起き上がった助六は、家にいても面白くないので:、朝食がすむと弁当もちで自転車に乗って町へでかける。彼はパチンコにこりはじめたのである。  家族の者は彼の心事に同情していたから、はじめは文句も云わず、/彼の代わりに野良へでて/彼の分も働いていたが、毎日パチンコの損がかさんでキリがないので、誰もよい顔をしなくなった。彼の家も終戦このかた農村の不景気カゼに貯えというものはなくなって、余分にお金のある身分ではない。そこで長男が一家を代表して助六に説教して、 「オレだって今度のことは残念でたまらないし、お父さんが可哀そうだと思っているが、我々’若い者の目から見ればお父さんが犯人でないのは判りきっているのだ。しかし、今度の騒ぎは我々にとっては村の年寄どもの茶番劇のようにしか思われないから、みんながお父さんに同情はしているが、バカバカしくッて、口だししたくもないのさ。しかし、若い者の同情も、お父さんがあんまりダラシなくパチンコにこッているから、ちかごろではだんだん’軽蔑に変っているよ。だから、そろそろマジメに働きなさい。村の若い者はみんなお父さんの味方なんだ」  助六は濁った目を光らせた。 「味方がなんだ。同情なんて、クソくらえだ。オレのシンダイをオレがパチンコでつぶすのが悪いか。軽蔑したけりゃ勝手に軽蔑するがいいや」 「パチンコしたいのはお父さんばかりじゃないよ。村の若い者はみんなパチンコしたがっているが、それを我慢して働いてるんじゃないか。少しは若い者を見習ってもいいと思うな」 「イヤだ。オレは今まで働いたブンをパチンコで遊ぶのだ」 「お父さんの働いたブンは’もうなくなったよ。うちの財産は野良に作った物だけになったんだから、もうお父さんのパチンコの-かねはないね。もっともお父さんが野良で働けば別だがね」  助六は目玉をむいたまま、そッぽを向いて、それに返事をしなかった。  それから五六日、助六は相変らず弁当持ちで朝から晩まで家をあけていたが、ある日突然ニンプをよびこんで、庭の真ン中の自慢の杉の木を切ってしまったのである。助六はまず自分の手で杉の木にまいたシメナワを切った。もともと自分の手でシンボクに仕立てたのだから、シメナワを切っても神威を怖れるには当らないが、どういうわけか、それから彼はキリリとハチマキをしめて、六尺ぐらいの棒を握って、門の前にがんばったのである。  この知らせをきいて、長男や女房が野良から駈けつけてみると、キコリたちがエイエイと大木に切りこんでおり、門前には助六が六尺棒を握りしめて、女房子供もよせつけない。 「杉の木が倒れるまでは誰も門の中へ-いれないぞ。あッちへ行っておれ」 「だって杉の木が倒れれば塀も倒れてしまうじゃないか。塀につづいて、土蔵や物置も危いかも知れない」 「それぐらいのことは、さしたることじゃない。雷が落ちて倒れた時のことを思えば、なんでもないことだ。落雷だったら、母家のホウへ倒れるかも知れないのだ。二度とインネンをつけると、この棒が物を云うぞ」  見ると助六の顔は妙にゆがんで/目がつりあがっている。その目にはドロンドロンと変な’炎が吹きあげていて、まったくいつ六尺棒が襲いかかるかはかりがたい’殺気がこもっている。まるで発狂したような物凄さだ。村には助六を説得できるような人物もいないことだし、女房も長男も仕方なく、野良へ引き返した。見ているよりも、野良で働いているほうが気が楽だったからである。そして杉の木は切り倒されてしまった。杉の木の根のほうがサンシャクほどと、頭のほうが一間ほど切り落されて、あとの部分は買った人がスウニチがかりで運び去った。  切り落した根と頭の部分は助六のよんだ人足が運んで行った。そしてそれから十日ほどの後、助六は紋服に袴、頭には山高をかぶって家をでたが、その夕方、大八車につきそって戻ってきた。その車にはシメナワをまわして御幣を立てて/ウスとキネがご神体のようにのッかっていたのである。 「これが先祖代々我が家に伝わった御神木の根のほうと頭のほうだ。以後これが当家の家宝であるから、火事があっても、これだけは守らなければならない。また、新年には、これで餅をついて賑やかに祝え」  ウスとキネを神棚の下にすえて、/彼は家族に申し渡した。 「これからはオレも生まれ変って働く。オレはオレで働くから、お前たちは今までどおり、野良で一生ケンメイ働くのだぞ」  彼自身は野良には出なかった。大工を入れて、杉の木が倒れて塀のこわれた場所で、自ら指図してせッせと工事をはじめた。塀の修繕ができるものと思っていたところ、ある夕方’戻ってみると、ウナギの寝床のような小屋ができあがっている。翌日は看板屋がきてペンキの看板を書き、また翌日には一台のトラックがパチンコの機械を運びこんだ。女房や長男がオモテのホウへまわってみると、看板には「大当り神木軒」とあった。そこは往還に面しておらず、畑に面し、細い野良みちの中途であった。つくづく呆れた長男が、 「表通りならいざ知らず、野良みちにパチンコ屋を建てたって景気がでるものか。第一、通行人が気持ちをそそられないじゃないか。モグラかカラスでもお客にするがいいや」  と冷笑したが、助六は落ちつき払って答えた。 「ここは御神木の倒れた場所だから、大当りうけあいだ。客も大当り、店は尚のこと大当り、神様の加護がある場所だ」  しかし店は繁昌しなかった。むかし憲兵伍長だった男が彼のこの挙を評して、ヒットラーの策戦よりも意表をつくものだと云ったが:、どうやら助六もヒットラーと同じように失敗した様子である。要するに餅のタタリだと云われている。 ◇。◇。◇。 【底本:「坂口安吾全集◇ 14」筑摩書房】 【1999(平成11)年6月二十日初版第1刷発行】 【底本の親本:「講談倶楽部◇ 第六巻第一号」】 【1954(昭和29)年1月1日発行】 【初出:「講談倶楽部◇ 第六巻第一号」】 【1954(昭和29)年1月1日発行】 【入力:tatsuki】 【校正:藤原朔也】 【2008年5月10日作成】 【青空文庫作成ファイル:】 【このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(httpコロン/スラッシュスラッシュwww.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。】