◇。◇。◇。◇。◇。 【武蔵野】 【国木田独歩】 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第一章】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。 「武蔵野の俤は今わずかに入間郡に残れり」と自分は文政年間にできた地図で見たことがある。そしてその地図に入間郡「小手指ヶ原久米川は古戦場なり:太平記元弘三年五月十一日源平小手指ヶ原にて戦うこと一日がうちに三十余たび:日暮れは平家’三里ひきて久米川に陣を取る/明くれば源氏久米川の陣へ押寄せると載せたるはこのあたりなるべし」と書きこんであるのを読んだことがある。自分は武蔵野の跡のわずかに残っているところとは定めてこの古戦場あたりではあるまいかと思って、一度行ってみるつもりでいてまだ行かないが実際は今もやはりそのとおりであろうかと危ぶんでいる。ともかく、絵や歌でばかり想像している武蔵野をその俤ばかりでも見たいものとは自分ばかりの願いではあるまい。それほどの武蔵野が今ははたしていかがであるか、自分は詳しくこの問に答えて自分を満足させたいとの望みを起こしたことはじつに一年前の事であって、今はますますこの望みが大きくなってきた。  さてこの望みがはたして自分の力で達せらるるであろうか。自分はできないとはいわぬ。ヨウイでないと信じている、それだけ自分は今の武蔵野に趣味を感じている。たぶん同感の人もすくなからぬことと思う。  それで今、すこしくタンチョをここに開いて、秋から冬へかけての自分の見て感じたところを書いて自分の望みの一少部分を果たしたい。まず自分がかの問に下すべき答えは武蔵野の美今も昔に劣らずとのイチ語である。昔の武蔵野は実地見てどんなにビであったことやら、それは想像にも及ばんほどであったに相違あるまいが、自分が今見る武蔵野の美しさはかかる誇張的の断案を下さしむるほどに自分を動かしているのである。自分は武蔵野の美といった、ビといわんよりむしろ詩趣といいたい、そのほうが適切と思われる。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第二章】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  そこで自分は材料不足のところから自分の日記をタネにしてみたい。自分は二十九年の秋の初めから春の初めまで、渋谷村の小さな茅屋に住んでいた。自分がかの望みを起こしたのもその時のこと、また秋から冬の事のみを今書くというのもそのわけである。 ◇。◇。  九月七日──:「昨日も今日も南風つよく-ふき/雲を送りつ雲を払いつ、雨’降りみ降らずみ、日光’雲間を洩るるとき/りんえい一時’に煌めく、──」 ◇。◇。  これが今の武蔵野の秋の初めである。林はまだ夏の緑のそのままでありながら空模様が夏とまったく変わってきて雨雲の南風につれて武蔵野の空’低くしきりに雨を送るその晴間にはヒの光スイキを帯びてかなたの林に落ちこなたの杜にかがやく。自分はしばしば思った、こんな日に武蔵野を大観することができたらいかに美しいことだろうかと。二日置いて九日の日記にも「風つよく秋声’ヤに満つ、フウン変幻たり」とある。ちょうどこのころはこんな天気が続いて大空と野との景色が間断なく変化して日の光は夏らしく雲の色風の’音は秋らしくきわめて趣味深く自分は感じた。  まずこれを今の武蔵野の秋の発端として、自分は冬の終わるころまでの日記を左に並べて、変化の大略と光景の要素とを示しておかんと思う。 ◇。◇。  九月十九日──:「朝、空’曇り風死す、レイム寒露、チュウセイしげし、天地の心/なおメさめぬがごとし」  同二十一日──:「秋天’拭うがごとし、木葉’火のごとくかがやく」  十月十九日──:「月あからかにリンエイくろし」  同二十五日──:「朝は霧深く、午後は晴る、夜にいりて雲の絶間の月さゆ。朝まだき/霧の晴れぬマに家をいで/野を歩み林をおとなう」  同二十六日──:「午後’林をおとなう。林の奥に座して四顧し、傾聴し、睇視し、黙想す」  十一月四日──:「天高く気すむ、夕暮に独り風吹く野に立てば、天外の富士近く、くにざかいをめぐる連山’地平線上に-くろし。星光’一点、暮色ようやく到り、リンエイようやく遠し」  同十八日──:「月を踏んで散歩す、青煙’地を這い/月光’林に砕く」  同十九日──「あっぱれ、風清く、露冷ややかなり。満目黄葉の中/緑樹をまじゆ。小鳥’梢にテンず。一路人影なし。独り歩み黙思コウギンし、アシにまかせて近郊をめぐる」  同二十二日──:「夜更けぬ、戸外は林をわたるフウセイものすごし。テキセイしきりなれども雨はすでに止みたりとおぼし」  同二十三日──:「昨夜の風雨にて木葉ほとんど揺落せり。稲田もほとんど刈り取らる。冬枯れの淋しきさまとなりぬ」  同二十四日──:「木葉いまだまったく落ちず。エンザンを望めば、心も消え入らんばかり懐し」  同二十六日──夜十時’記す「屋外は風雨の声’物凄し。テキセイあい応ず。今日は終日霧たちこめて野や林やトコシエの夢にいりたらんごとく。午後犬を-とものうて散歩す。林に入り黙坐す。犬眠る。水流’林より出でて林に入る、落ち葉を浮かべて-ながる。おりおり時雨しめやかに林を過ぎて落ち葉の上をわたりゆく音静かなり」  同二十七日──:「昨夜の風雨は今朝なごりなく晴れ、日うららかに昇りぬ。屋後の丘に立ちて望めば富士山ましろに連山の上に-そびゆ。風清く気すめり。  げに初冬の朝なるかな。  田づらに水あふれ、リンエイ逆しまに映れり」  十二月二日──:「今朝’霜、雪のごとく朝日にきらめきてみごとなり。しばらくして薄雲かかり日光’寒し」  同二十二日──:「雪初めて降る」  三十年一月十三日──:「夜更けぬ。風死し林もくす。雪しきりに降る。明かりをかかげて戸外をうかがう、降雪’火影にきらめきて舞う。ああ武蔵野’沈黙’す。しかも耳を澄ませば遠きかなたの林をわたる風の’音す、はたしてフウセイか」  同十四日──:「今朝大雪、葡萄ダナ堕ちぬ。  夜更けぬ。梢をわたる風の’音遠く聞こゆ、ああこれ武蔵野の林より林をわたる冬の夜寒の凩なるかな。雪どけのテキセイ/ノキをめぐる」  同二十日──:「美しき朝。空は片雲なく、地は霜柱’白銀のごとくきらめく。小鳥’梢にテンず。梢頭’針のごとし」  二月八日──:「梅さきぬ。月ようやくビなり」  三月十三日──:「夜十二時、月傾き風きゅうに、雲わき、林鳴る」  同二十一日──:「夜十一時。屋外のフウセイをきく、たちまち遠くたちまち近し。春や襲いし、冬や遁れし」 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第三章】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  昔の武蔵野は萱原の果てなき光景をもって絶類の美を鳴らしていたようにいい伝えてあるが、今の武蔵野は林である。林はじつに今の武蔵野の特色といってもよい。すなわち木はおもに楢の類いで冬はことごとく落葉’し、春は滴るばかりの新緑萌え-いずるその変化が秩父ネ以東十スウリの野いっせいに行なわれて:、春夏秋冬を通じ霞に雨に月に風に霧に時雨に雪に、緑蔭にコウヨウに、さまざまの光景を呈するその妙はちょっと西国地方また東北の者には解しかねるのである。元来日本人はこれまで楢の類いの落ち葉バヤシの美をあまり知らなかったようである。林といえばおもに松林のみが日本の文学美術の上に認められていて、歌にもナラバヤシの奥で時雨を聞くというようなことは見あたらない。自分も西国に人となって少年の時’学生として初めて東京に上ってから十年になるが、かかる落ち葉バヤシの美をカイするに至ったのは近来のことで、それも左の文章がおおいに自分を教えたのである。 ◇。◇。 「秋’九月中旬というころ、一日自分が樺の林の中に座していたことがあッた。今朝から小雨が降り注ぎ、その晴れ間にはおりおり生暖かな日かげも-さしてまことに気まぐれな空合い。あわあわしいしら雲がそら一面に棚引くかと思うと、フトまたあちこち瞬くマ雲切れがして、むりに押し分けたような雲間から澄みて賢しげにみえる人の眼のごとくに朗らかに晴れた青空がのぞかれた。自分は座して、四顧して、そして耳を傾けていた。木の葉’が頭上でかすかに-おののいだが、その’音を聞いたばかりでも季節は知られた。それは春先する、おもしろそうな、笑うようなさざめきでもなく、夏のゆるやかなそよぎでもなく、永たらしい話し声でもなく、また末の秋のおどおどした、うそさぶそうなお饒舌りでもなかったが:、ただようやく聞取れるか聞取れぬほどのしめやかな囁きの声であった。そよ吹くカゼは忍ぶように梢を伝った、照ると曇るとで雨にじめつく’林の中のようすが間断なく移り変わッた:、あるいはそこにありとある物すべてイチジに微笑’したように、隈なくあかみわたッて、さのみ繁くもない樺のほそぼそとした幹は思いがけずも白絹めく、やさしい光沢を帯び、地上に散り布いた:、細かな落ち葉はにわかに日に映じてまばゆきまでに金色を放ち、頭をかきむしッたような『パアポロトニク』(蕨の類い)のみごとな茎:、しかもつえすぎた葡萄めく色を帯びたのが、際限もなく縺れ絡みつして目前に透かして見られた。  あるいはまたあたり一面にわかに薄暗くなりだして、瞬くマに物のあいろも見えなくなり、樺の’木立も、降り積ったままでまた日の眼に逢わぬ雪のように、白くおぼろに霞む──:と小雨が偲びやかに、怪しげに、私語するようにバラバラと降って通った。樺の木の葉はいちじるしく光沢が褪めてもさすがになお青かった、がただそちこちに立つ若木のみはすべて赤くも黄いろくも色づいて:、おりおり日の光りが今ま雨に濡れたばかりの細枝の繁みを漏れて滑りながらに脱けてくるのをあびては、キラキラときらめいた」 ◇。◇。  すなわちこれはツルゲーネフの書きたるものを二葉亭が訳して「あいびき」と題した短編の冒頭にある一節であって、自分がかかる落ち葉バヤシの趣きをカイするに至ったのはこの微妙な叙景の筆の力が多い。これはロシアの景でしかも林は樺の木で、武蔵野の林は楢の木、植物帯からいうとはなはだ異なっているが落ち葉バヤシの趣は同じことである。自分はしばしば思うた、もし武蔵野の林が楢の類いでなく、松か何かであったらきわめて平凡な変化に乏しい色彩いちようなものとなって-さまで珍重するに足らないだろうと。  楢の類いだから黄葉する。黄葉するから落葉する。時雨が囁く。凩が叫ぶ。一陣の風’小高い丘を襲えば、幾千万の木の葉高く大空に舞うて、小鳥の群れかのごとく遠く飛び去る。木の葉落ちつくせば、数十里の方域にわたる’林がイチジに裸になって、青ずんだ冬の空が高くこの上に垂れ、武蔵野一面が一種の沈静に入る。空気がいちだん澄みわたる。遠い物音が鮮やかに聞こえる。自分は十月二十六日の記に、林の奥に座して四顧し、傾聴し、睇視し、黙想すと書いた。「あいびき」にも、自分は座して、四顧して、そして耳を傾けたとある。この耳を傾けて聞くということがどんなに秋の末から冬へかけての、今の武蔵野の心に適っているだろう。秋ならば林のうちより起こる音、冬ならば林のかなた遠く響く音。  鳥の羽音、囀る声。風のそよぐ、鳴る、うそぶく、叫ぶコエ。叢の蔭、林の奥にすだく虫の音。カラグルマ荷車の林を廻り、サカを下り、野路を横ぎる響。蹄で落ち葉を蹶散らす音、これは騎兵演習の斥候か、さなくば夫婦連れで遠乗りに出かけた外国人である。何事をか声高に話しながらゆく村の者のだみ声、それもいつしか、遠ざかりゆく。独り淋しそうに道をいそぐ女の足音。遠く響く砲声。隣の林でだしぬけに起こる筒音。自分が一度’犬をつれ、近所の林をおとない、切株に腰をかけて本を読んでいると、突然’林の奥で物の落ちたような音がした。足もとに寝ていた犬が耳を立ててきっとそのほうを見つめた。それぎりであった。たぶん栗が落ちたのであろう、武蔵野には栗の木もずいぶん多いから。  もしそれ時雨の音に至ってはこれほど幽寂のものはない。山家の時雨は我が国でも和歌の題にまでなっているが、広い、広い、野末から野末へと林を越え、杜を越え、田を横ぎり、また林を越えて:、しのびやかに通りゆく時雨の音のいかにも静かで、また鷹揚な趣きがあって、優しくゆかしいのは、じつに武蔵野の時雨の特色であろう。自分がかつて北海道のシンリンで時雨に逢ったことがある、これはまた人跡絶無の大森林であるからその趣はさらに深いが、その代り、武蔵野の時雨のさらに人なつかしく、囁くがごとき趣はない。  秋の中ごろから冬の初め、試みに中野あたり、あるいは渋谷、世田ヶ谷、または小金井の奥の林をおとのうて、しばらく座って散歩の疲れを休めてみよ。これらの物音、たちまち起こり、たちまち止み、しだいに近づき、しだいに遠ざかり、頭上の木の葉’風なきに落ちてかすかな音をし、それも止んだ時:、自然の静蕭を感じ、エタルニテー(永遠)の呼吸’身に迫るをおぼゆるであろう。武蔵野の冬の夜更けて星斗’闌干たるとき、星をも吹き落としそうな野分がすさまじく林をわたる音を、自分はしばしば日記に書いた。風の’音は人の思いを遠くに誘う。自分はこのもの凄い’風の音のたちまち近くたちまち遠きを聞きては、遠い昔からの武蔵野の生活を思いつづけたこともある。  熊谷直好の和歌に、 ◇。◇。 【よもすがら/木葉かたよる/音きけば】 【   しのびに風の/かよふなりけり】 ◇。◇。  というがあれど、自分は山家の生活を知っていながら、この歌の心をげにもと感じたのは、じつに武蔵野の冬の村居の時であった。  林に座っていて日の光のもっとも美しさを感ずるのは、春の末より夏の初めであるが、それは今ここには書くべきでない。その次は黄葉の季節である。なかば黄いろくなかば緑な林の中に歩いていると、澄みわたった大空が梢々の隙間からのぞかれて日の光は風に動く葉末葉末に砕け、その美しさ言い尽されず。日光とか碓氷とか、天下の名所はともかく、武蔵野のような広い平原’の林が隈なく染まって、日の西に傾くとともに一面の火花を放つというも特異の美観ではあるまいか。もし高きに登りて一目にこの大観を占めることができるならこの上もないこと、よしそれができがたいにせよ、平原’の景の単調なるだけに、人をしてその一部を見て全部の広い、ほとんど限りない光景を想像さするものである。その想像に動かされつつ夕照に向かって黄葉の中を歩けるだけ歩くことがどんなにおもしろかろう。林が尽きると野に出る。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第四章】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  十月二十五日の記に、野を歩み林をおとなうと書き、また十一月四日の記には、夕暮に独り風吹く野に立てばと書いてある。そこで自分は今一度ツルゲーネフを引く。 ◇。◇。 「自分はたちどまった、花束を拾い上げた、そして林を去って野良へ出た。日は青々とした空に低く漂って、射す影も青ざめて冷やかになり、照るとはなくただジミな水色のぼかしを見るようにシホウに充ちわたった。日没にはまだ半時間もあろうに、モウゆうやけがほの赤く天マツを染めだした。黄いろく乾びた刈株をわたッて烈しく吹きつける野分に催されて、そりかえッた細かな落ち葉があわただしく起き上がり、林に沿うた往来を横ぎって、自分のソバを駈け通った:、野良に向かッて壁のようにたつ林の一面はすべてざわざわざわつき、細末の玉の屑を散らしたように煌きはしないがちらついていた。また枯れ草、莠、藁の嫌いなくそこら一面にからみついた蜘蛛の巣は風に吹き靡かされて波たッていた。  自分はたちどまった‥‥心細くなってきた、眼に遮る物象はサッパリとはしていれど、おもしろげもおかしげもなく、さびれ果てたうちにも、どうやら間近になッた冬のすさまじさが見透かされるように思われて。ショウシンな鴉が重そうに羽ばたきをして、烈しく風を切りながら、頭上を高く飛び過ぎたが、フト首を巡らして、横目で自分をにらめて、きゅうに飛び上がッて、声をちぎるように啼きわたりながら、林の向こうへかくれてしまッた。鳩が幾ワともなく群れをなして勢いこんでコクグラのほうから飛んできた、が-ふと柱を建てたように舞い昇って、さてパッといっせいに野づらに散った──アア秋だ! 誰だか禿山の向こうを通るとみえて、カラグルマの音が虚空に響きわたッた‥‥:」 ◇。◇。  これはロシアの野であるが、我が武蔵野の野の秋から冬へかけての光景も、およそこんなものである。武蔵野にはけっして禿山はない。しかし大洋のうねりのように高低起伏’している。それも外見には一面のヘイゲンのようで、むしろタカダイのところどころが低く窪んで小さな浅い谷をなしているといったほうが適当であろう。この谷の底はたいがい水田である。ハタケはおもにタカダイにある、タカダイは林と畑とでさまざまの区劃をなしている。ハタケはすなわち野である。されば林とてもスウりにわたるものなく/否、おそらく一里にわたるものもあるまい:、畑とても一眸スウりに続くものはなく一座の林の周囲は畑、イッケイの畑の3方は林、というような具合で、農家がそのあいだに散在してさらにこれを分割している。すなわち野やら林やら、ただ乱雑に入組んでいて、たちまち’林に入るかと思えば、たちまち野に出るというようなふうである。それがまたじつに武蔵野に一種の特色を与えていて、ここに自然あり、ここに生活あり、北海道のような自然そのままのダイ原野’大森林とは異なっていて、その趣も特異である。  稲の熟するころとなると、谷々の水田が黄ばんでくる。稲が刈り取られて林の影が逆さに田づらに映るころとなると、大根畑のさかりで、大根がそろそろ抜かれて、あちらこちらの水ためまたは小さな流れのほとりで洗われるようになると、野は麦の新芽で青々となってくる。あるいは麦畑の-いったん、野原のままで残り、尾花’野菊が風に吹かれている。萱原の-いったんが次第に高まって、その果てが天ぎわをかぎっていて:、そこへ爪先あがりに登ってみると、林の絶え間を-くにざかいに連なる秩父の諸嶺が黒く横たわッていて、あたかも地平線上を走ってはまた地平線カに没しているようにもみえる。さてこれよりまたハタケのほうへ下るべきか。あるいはハタケのかなたの萱原に身を横たえ、強く吹く北風を、積み重ねた枯草で-さけながら、南の空をめぐる日の微温き光に顔をさらして畑の横の林が風にざわつき煌き輝くのをナガむべきか。あるいはまたただちにかの林へとゆく-みちをすすむべきか。自分は-かくためらったことがしばしばある。自分は困ったか/いな、けっして困らない。自分は武蔵野をジュウオウに通じている-みちは、どれを選んでいっても自分を失望ささないことを久しく経験して知っているから。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第五章】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  自分の朋友がかつてその郷里から寄せた手紙の中に:「この間もひとり夕方に萱原を歩みて考え申し候う:、この野の中にジュウオウに通ぜる十数の道の上を何百年の昔よりこのかた/朝の露さやけしといいては出で/夕べの雲花やかなりといいてはあこがれ/何百人のあわれ知る人や逍遥しつらん:相悪む人は相さけて異なる道をへだたりていき-あい愛する人は相合いして同じ道を手に手とりつつかえりつらん」との一節があった。野原の小道を歩みてはかかるいみじき想いも起こるならんが、武蔵野の路はこれとは異り、相逢わんとて往くとても逢いそこね、相さけんとて歩むも林の回りカドで突然’出逢うことがあろう。されば道という-みち、右にめぐり左に転じ、林を貫き、野を横ぎり、真っ直ぐなること鉄道線路のごときかと思えば:、東よりすすみてまた東にかえるような迂回の路もあり、林にかくれ、谷にかくれ、野に現われ、また林にかくれ、野原の路のようによく遠くの別路ゆく人影を見ることは容易でない。しかし野原の小道の想いにもまして、武蔵野の路にはいみじきジツがある。  武蔵野に散歩する人は、みちに迷うことを苦にしてはならない。どの道でも足の向くほうへゆけばかならずそこに見るべく、聞くべく、感ずべき獲物がある。武蔵野のビはただそのジュウオウに通ずる数千条の道を当てもなく歩くことによって始めてえられる。春、夏、秋、冬、朝、昼、夕、夜、月にも、雪にも、風にも、霧にも、霜にも、雨にも、時雨にも、ただこの道をぶらぶら歩いて思いつきしだいに右し左すれば随処に吾らを満足さするものがある。これがじつにまた、武蔵野第一の特色だろうと自分はしみじみ感じている。武蔵野を除いて日本にこのようなところがどこにあるか。北海道の原野にはむろんのこと、奈須野にもない、そのほかどこにあるか。林と野とがかくもよく入り乱れて、生活と自然とがこのように密接しているところがどこにあるか。じつに武蔵野にかかる特殊の路のあるのはこのゆえである。  されば君もし、一の小道を往き、たちまち三条に分かるるところに出たなら困るに及ばない、キミの杖を立ててその倒れたほうに往きたまえ。あるいはその道が君を小さな林に導く。林の中ごろに到ってまた二つに分かれたら、その-しょうなる道を選んでみたまえ。あるいはその道が君を妙なところに導く。これは林の奥の古い墓地で苔むす墓が四つ五つ並んでその前にすこしばかりの空き地があって、その横のほうに女郎花など咲いていることもあろう。頭の上の梢で小鳥が鳴いていたら君の幸福である。すぐ引きかえして左の路を進んでみたまえ。たちまち’林が尽きて君の前に見わたしの広い野がひらける。足元からすこしだらだら下がりになり/萱が一面に生え、尾花の末がヒに光っている:、萱原の先が畑で、ハタケの先に背の低い林が-ひとむら繁り、その林の上に遠い杉の小杜が見え、地平線の上に淡々しい雲が集まっていて雲の色にまがいそうな連山がそのあいだにすこしずつ見える。十月’小春の日の光’長閑に照り、小気味よい風がそよそよと吹く。もし萱原のほうへおりてゆくと、今まで見えた広い景色がことごとく隠れてしまって、小さな谷の底に出るだろう。思いがけなく細長い池が萱原と林との間に隠れていたのを発見する。水は清く澄んで、大空を横ぎる白雲の断片を鮮かに映している。水のほとりには枯蘆がすこしばかり生えている。この池のほとりの道をしばらくゆくとまた二つに分かれる。右にゆけば林、左にゆけば坂。キミはかならずサカをのぼるだろう。とかく武蔵野を散歩するのは高い処高いところと撰びたくなるのはなんとかして広い眺望を求むるからで、それでその望みは容易に達せられない。見下ろすような眺望はけっしてできない。それは初めからあきらめたがいい。  もしキミ、何かの必要で道を尋ねたく思わば、畑の真ん中にいる農夫にききたまえ。農夫が40以上の人であったら、大声をあげて尋ねてみたまえ、驚いてこちらを向き、大声で教えてくれるだろう。もし乙女であったら近づいて小声でききたまえ。もし若者であったら、帽を取って慇懃に問いたまえ。鷹揚に教えてくれるだろう。怒ってはならない、これが東京近在の若者の癖であるから。  教えられた道をゆくと、道がまた二つに分かれる。教えてくれたほうの道はあまりに小さくてすこし変だと思ってもそのとおりにゆきたまえ、突然’農家の庭先に出るだろう。はたして変だと驚いてはいけぬ。その時農家で尋ねてみたまえ、門を出るとすぐ往来ですよと、すげなく答えるだろう。農家の門を外に出てみるとはたして見覚えある往来、なるほどこれが近路だなと君は思わず微笑をもらす、その時初めて教えてくれた道のありがたさが解るだろう。  真っ直ぐな路で両側とも充分に黄葉した林がシ五丁も続くところに出ることがある。この道を独り静かに歩むことのどんなに楽しかろう。右側の林の頂は夕照’鮮やかにかがやいている。おりおり-らくようの音が聞こえるばかり、あたりは-しんとしていかにも淋しい。前にも後ろにも人影見えず、誰にも遇わず。もしそれが木葉落ちつくしたころならば、路は落ち葉に-うもれて、ひと足ごとにがさがさと音がする、林は奥まで見すかされ、梢の先は針のごとく細く青空を指している。なおさら人に遇わない。いよいよ淋しい。落ち葉をふむ自分の足音ばかり高く、時に一羽の山鳩あわただしく飛び去る羽音に驚かされるばかり。  同じ道を引きかえして帰るは愚である。迷ったところが今の武蔵野にすぎない、まさかに行暮れて困ることもあるまい。帰りもやはりおよその方角をきめて、べつな-みちを当てもなく歩くが妙。そうすると思わず落日の美観をうることがある。日は富士の背に落ちんとしていまだまったく落ちず、富士の中腹に群がる雲は黄金色に染まって、見るがうちにさまざまの形に変ずる。連山の頂は白銀の鎖のような雪が次第に遠く北に走って、終は暗憺たる雲のうちに没してしまう。  日が落ちる、野は風が強く吹く、林は鳴る、武蔵野は暮れんとする、寒さが身に沁む、その時は路をいそぎたまえ:、顧みて思わず新月が枯林の梢の横に寒い光を放っているのを見る。風が今にも梢から月を吹き落としそうである。突然また野に出る。キミはその時、  ◇。◇。 【山は暮れ/野は黄昏の/ススキかな】 ◇。◇。  の名句を思いだすだろう。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第六章】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  今より三年前の夏のことであった。自分はある友と市中の寓居を出でて三崎町の停車じょう-から境まで乗り、そこで-おりて北へ真っ直ぐにシ五丁ゆくと桜橋という小さな橋がある:、それを渡ると一軒の掛茶屋がある、この茶屋の婆さんが自分に向かって-「今時分、何しに来ただア」と問うたことがあった。  自分は友と顔見あわせて笑って-「散歩に来たのよ、ただ遊びに来たのだ」と答えると、婆さんも笑って、それもばかにしたような笑いかたで-「桜は春咲くこと知らねえだね」といった。そこで自分は夏の郊外の散歩のどんなにおもしろいかを婆さんの耳にも解るように話してみたがむだであった。東京の人はのんきだというイチ語で消されてしまった。自分らは汗をふきふき、婆さんが剥いてくれる真桑瓜を喰い、茶屋の横を流れる幅一尺ばかりの小さな溝で顔を洗いなどして、そこを立ちいでた。この溝の水はたぶん、小金井の水道から引いたものらしく、よく澄んでいて、アオクサの間を、さも心地よさそうに流れて、おりおりこぼこぼと鳴っては小鳥が来て翼をひたし、喉を潤おすのを待っているらしい。しかし婆さんは何とも思わないでこの水で朝夕、鍋釜を洗うようであった。  茶屋を出て、自分らは、そろそろ小金井の堤を、みなかみのほうへとのぼり初めた。ああその日の散歩がどんなに楽しかったろう。なるほど小金井は桜の名所、それで夏のさかりにその堤をのこのこ歩くもよそ目には愚かにみえるだろう、しかしそれはいまだ今の武蔵野の夏の日の光を知らぬ人の話である。  空は蒸暑い雲が湧きいでて、雲の奥に雲が隠れ、雲と雲との間の底に青空が現われ:、雲の青空に接するところは白銀の色とも雪の色とも譬えがたき純白な透明な、それで何となく穏やかな淡々しい色を帯びている、そこで青空が一段と奥ふかく青々と見える。ただこれぎりなら夏らしくもないが、さて一種の濁った色の霞のようなものが、雲と雲との間をかき乱して、すべての空の模様を動揺、参差、任放、錯雑のありさまとなし:、雲を劈く光線と雲より放つ陰翳とがあっちこっちに交叉して、不羈奔逸の気がいずこともなく空中に微動している。林という林、梢という梢、草葉の末に至るまでが、光とネツとに溶けて、まどろんで、怠けて、うつらうつらとして酔っている。林の一角、直線に断たれてそのあいだから広い野が見える、野良一面、糸遊上騰して永くは見つめていられない。  自分らは汗をふきながら、大空を仰いだり、林の奥をのぞいたり、天ぎわの空、林に接するあたりを眺めたりして堤の上を喘ぎ喘ぎ辿ってゆく。苦しいか? どうして! 身うちには健康がみちあふれている。  長堤サンリのあいだ、ほとんど人影を見ない。農家の庭先、あるいは藪の間から突然、犬が現われて、自分らを怪しそうに見て、そして欠伸をして隠れてしまう。林のかなたでは高く羽ばたきをして雄鶏が時をつくる、それがコメグラの壁や杉の森や林や藪に籠って、ほがらかに聞こえる。堤の上にも家鶏の群れがイククミとなく桜の蔭などに遊んでいる。みなかみを遠く眺めると、一直線に流れてくる水道の末は銀粉を撒いたような一種の陰影のうちに消え、間近くなるにつれてぎらぎら輝いて矢のごとく走ってくる。自分たちはある橋の上に立って、流れの上と流れのすそと見比べていた。光線の具合で流れの趣が絶えず変化している。みなかみが突然’薄暗くなるかとみると、雲の影が流れとともに、瞬くマに走ってきて自分たちの上まで来て、ふと止まって、きゅうに横にそれてしまうことがある。しばらくすると水上がまばゆく煌いてきて、両側’の林、堤上の桜、あたかも雨後の春’草のように鮮やかに緑の光を放ってくる。橋の下では何ともいいようのない優しい水音がする。これは水が両岸に激’して発するのでもなく、また浅瀬のような音でもない。たっぷりと水嵩があって、それで粘土質のほとんど壁を塗ったような深い溝を流れるので、水と水とがもつれてからまって、揉みあって、みずから音を発するのである。何たる人懐かしい音だろう! ◇。◇。 【-──レット アス match】 【This water's pleasant tune】 【With some old Border song- or catch,】 【That suits a summer's noon.”】 ◇。◇。  の句も思いだされて、七十二歳の翁と少年とが、そこら桜の木蔭にでも坐っていないだろうかと見回したくなる。自分はこの流れの両側に散点する農家の者をシヤワセの人々と思った。むろん、この堤の上を麦藁帽子とステッキ一本で散歩する自分たちをも。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第七章】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  自分といっしょに小金井の堤を散歩した朋友は、今は判官になって地方に行っているが、自分の前号の文を読んで次のごとくに書いて送ってきた。自分は便利のためにこれをここに引用する必要を感ずる──:武蔵野は俗にいう関八州のヘーヤでもない。また道灌が傘の代わりに山吹の花を貰ったという歴史的の原でもない。僕は自分で限界を定めた一種の武蔵野を有している。その限界はあたかも-くにざかいまたは村ザカイが山や河や、あるいは古跡や、いろいろのもので、定めらるるようにおのずから定められたもので、その定めは次のいろいろの考えから来る。  僕の武蔵野の範囲の中には東京がある。しかしこれはむろん省かなくてはならぬ、なぜならば我々は農商務省の官衙が巍峨として聳えていたり、鉄管事件の裁判があったりする八百ヤガイによって昔の面影を想像することができない。それに僕が近ごろ知合いになったドイツ婦人の評に、東京は「新しい都」ということがあって、今日の光景では例え徳川の江戸であったにしろ、この評語を適当と考えられる筋もある。このようなわけで東京はかならず武蔵野から抹殺せねばならぬ。  しかしその市の-つくるところ、すなわち町はずれはかならず抹殺してはならぬ。僕が考えには武蔵野の詩趣をえがくにはかならずこの町外れを一の題目とせねばならぬと思う。たとえば君が住まわれた渋谷の道玄坂の近傍、目黒の行人坂、また君と僕と散歩したことの多い早稲田のキシモジンあたりの町、新宿、白金‥‥  また武蔵野の味を知るにはその野から富士山、秩父山脈’国府台などを眺めた考えのみでなく、またその中央に包まれている首府’東京をふり返った考えで眺めねばならぬ。そこで3里5里の外にいでヘイゲンをえがくことの必要がある。君のイッペンにも生活と自然とが密接しているということがあり、また時々いろいろなものに出あう面白味が描いてあるが、いかにもさようだ。僕はかつてこういうことがある、カテイをつれて多摩川のほうへ遠足したときに、イチ二里行き、また半里行きて家並があり、また家並に離れ、また家並に出て、人や動物に接し、またクサキばかりになる:、この変化のあるのでところどころに生活をテンテツしている趣味のおもしろいことを感じて話したことがあった。この趣味をえがくために武蔵野に散在せる駅、駅といかぬまでも家並、すなわち製図家の熟語でいうレンタン家屋を描写するの必要がある。  また多摩川はどうしても武蔵野の範囲に入れなければならぬ。ムツ玉川などと我々の先祖が名づけたことがあるが武蔵の多摩川のような川が、ほかにどこにあるか。その川が平らな田と低い林とに連接するところの趣味は、あだかも首府が郊外と連接するところの趣味とともに無限の意義がある。  また東のほうの平面を考えられよ。これはあまりに-ひらけて水田が多くて地平線がすこし低いゆえ、除外せられそうなれどやはり武蔵野に相違ない。亀井戸の金糸堀のあたりからキネガワヘンへかけて、水田と立木と茅屋とが趣をなしているぐあいは武蔵野の一領分である。ことに富士でわかる。富士を高く見せてあだかも我々が逗子の「あぶずり」でナガむるように見せるのはこの辺にかぎる。また筑波でわかる。筑波の影が低く遥かなるを見ると我々は関八州の一隅に武蔵野が呼吸している意味を感ずる。  しかし東京の南北にかけては武蔵野の領分がはなはだせまい。ほとんどないといってもよい。これは地勢のしからしむるところで、かつ鉄道が通じているので、すなわち「東京」がこの線路によって武蔵野を貫いて直接に他の範囲と連接しているからである。僕はどうもそう感じる。  そこで僕は武蔵野はまず雑司谷から起こって線を引いてみると、それから板橋の中仙道の西側を通って川越近傍まで達し、キミのイッペンに示された入間郡を包んで円く甲武線の立川駅に来る。この範囲の間に所沢、田無などいう駅がどんなに趣味が多いか‥‥ことに夏の緑の深いころは。さて立川からは多摩川を限界として上丸辺まで下る。八王子はけっして武蔵野には-いれられない。そして丸子から下目黒に返る。この範囲の間に布田、登戸、二子などのどんなに趣味が多いか。以上は西半面。  東の半面は亀井戸へんより小松川へかけキネガワから堀切を包んで千住近傍へ到って止まる。この範囲は異論があれば取除いてもよい。しかし一種の趣味があって武蔵野に相違ないことは前に申したとおりである── ◇。◇。◇。◇。◇。 【第八章】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  自分は以上の所説にすこしの異存もない。ことに東京市の町外れを題目とせよとの注意はすこぶる同意であって、自分もかねて思いついていたことである。町はずれを「武蔵野」の一部に-いれるといえば、すこしおかしく聞こえるが、じつは不思議はないので、海をえがくに波打ちぎわをえがくも同じことである。しかし自分はこれを後回しにして、小金井堤上の散歩に引きつづき、まず今の武蔵野の水流を説くことにした。  第一は多摩川、第二は隅田川、むろんこの二流のことは十分に書いてみたいが、さてこれも後回しにして、さらに武蔵野をながるる水流を求めてみたい。  小金井の流れのごとき、その一である。この流れは東京近郊に及んでは千駄ヶ谷、代々木、角筈などの諸村の間を流れて新宿に入り四谷上水となる。また井の頭池善福池などより流れ出でて神田上水となるもの。目黒へんを流れて品海にハイるもの。渋谷辺を流れて金杉にいずるもの。その他’名も知れぬ細流ショウキョに至るまで、もしこれをよそで見るならば格別の妙もなけれど:、これが今の武蔵野の平地タカダイの嫌いなく、林をくぐり、野を横切り、隠れつ現われつして、しかも曲りくねって(小金井は取除け)ながるる趣は春夏秋冬に通じて吾らの心を惹くに足るものがある。自分はもと/山多き地方に生長したので、河といえばずいぶん大きな河でもその水は透明であるのを見慣れたせいか:、初めは武蔵野の流れ、多摩川を除いては、ことごとく濁っているのではなはだ不快な感を惹いたものであるが、だんだん慣れてみると、やはりこのすこし濁った流れが平原’の景色に適ってみえるように思われてきた。  自分が一度、今よりシ五年前の夏の夜の事であった、かの友と相携えて近郊を散歩したことを憶えている。神田上水の上流の橋の一つを、夜の八時ごろ通りかかった。この夜は月’冴えて風清く、野も林もハクシャにつつまれしようにて、何ともいいがたき良夜であった。かの橋の上には村のものシ五人’集まっていて、欄に倚って何事をか語り何事をか笑い、何事をか歌っていた。その中に一人のロウオウがまざっていて、しきりに若いものの話や歌をまぜっかえしていた。月はさやかに照り、これらの光景を朦朧たる楕円形のうちに描きだして、田園詩の一節のように浮かべている。自分たちもこの画中の人に加わって欄に倚って月を眺めていると、月は緩やかにながるる水面に澄んで映っている。羽虫が水を摶つごとにサイ紋起きてしばらく月の-おもてに小皺がよるばかり。流れは林の間をくねって出てきたり、また林の間に半円を-えがいて隠れてしまう。林の梢に砕けた月の光が薄暗い水に落ちてきらめいて見える。水蒸気は流れの上、シゴシャクのところをかすめている。  大根の時節に、キンゴウを散歩すると、これらの細流のほとり、いたるところで、農夫が大根の土を洗っているのを見る。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【第九章】 ──── ◇。◇。◇。◇。◇。  かならずしも道玄坂といわず、また白金といわず、つまり東京市街の-いったん、あるいは甲州街道となり、あるいは青梅ドウとなり、あるいは中原ドウとなり、あるいは世田ヶ谷街道となりて:、郊外の林地デンポに突入するところの、市街ともつかず宿駅ともつかず、一種の生活と一種の自然とを配合して一種の光景を呈しおる場処を描写することが、すこぶる自分の詩興を喚び起こすも妙ではないか。なぜ斯様な場処が我らの感を惹くだろうか。自分はイチゲンにして答えることができる。すなわちこのような町外れの光景は何となく人をして社会というものの縮図でも見るような思いをなさしむるからであろう。言葉を換えていえば、田舎の人にも都会の人にも感興を起こさしむるような物語、小さな物語、しかも哀れの深い物語、あるいは抱腹するような物語が2つ3つそこらの軒先に隠れていそうに思われるからであろう。さらにその特点をいえば、大都会の生活の名残と田舎の生活の余波とがここで落ちあって、緩やかにうずを巻いているようにも思われる。  見たまえ、そこに片眼の犬が踞っている。この犬の名の通っているかぎりがすなわちこの町外れの領分である。  見たまえ、そこに小さな料理屋がある。泣くのとも笑うのとも分からぬ声を振立ててわめく女の影法師が障子に映っている。外は夕闇がこめて、煙の臭いとも土の臭いともわかちがたき香りが淀んでいる。大八車が二台三台と続いて通る、そのカラグ-ルマの轍の響が喧しく起こりては絶え、絶えては起こりしている。  見たまえ、鍛冶屋の前に二頭の駄馬が立っているその黒い影の横のほうで二三人の男が何事をかひそひそと話しあっているのを。鉄蹄の真赤になったのが鉄砧の上に置かれ、火花が夕闇を破って往来の中ほどまで飛んだ。話していた人々がどっと何事をか笑った。月が家並の後ろの高い樫の梢まで昇ると、向こう片側の屋根がしろんできた。  かんてらから黒い油煙が立っている、そのあいだを村の者’町の者十数人駈け廻わってわめいている。いろいろの野菜があっちこっちに積んで並べてある。これが小さな野菜イチ、小さなセリバである。  日が暮れるとすぐ寝てしまうイエがあるかと思うと夜の二時ごろまで店の障子に火影を映している家がある。床屋の裏が百姓家で、牛’のうなる声が往来まで聞こえる:、サカ屋の隣が納豆売の老爺の住処で、毎朝早く納豆納豆とシワガレゴエで呼んで都のほうへ向かって出かける。夏の短夜が間もなく明けると、もう荷車が通りはじめる。ごろごろがたがた絶え間がない。九時十時となると、蝉が往来から見える高い梢で鳴きだす、だんだん暑くなる。砂埃りが馬の蹄、車の轍に煽られて虚空に舞い上がる。蠅の群れが往来を横ぎって’家からイエ、馬から馬へ飛んであるく。  それでも十二時のどんがかすかに聞こえて、どことなく’都の空のかなたで汽笛の響がする。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【底本:「日本文学全集12◇ 国木田独歩◇ 石川啄木集」集英社】 【   1967(昭和42)年9月7日初版】 【   1972(昭和47)年9月10日9版】 【底本’の親本:「国木田独歩全集」学習研究社】 【◇底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。】 【入力:j.utiyama】 【校正:ヤマキ-ミエ】 【1998年10月21日公開】 【2004年6月17日修正】 【青空文庫作成ファイル:】  このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(httpコロン-/-/-/www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。