◇。◇。◇。 【日記】 【知里幸恵】 ◇。◇。◇。 【大正十一年六月一日】 ◇。◇。◇。  目がさめた時、電燈《電灯》は消えていて|あた《/辺》りは仄薄暗かった。お菊さんが心地よげにすやすやと寝息をたてていた。今日は六月一日、一年十二ヶ月の中第六月目《うち第六月目》の端緒の日だ。私は思った。此《こ》の月は、此《こ》の年は、私は一《いっ》たい何を為《な》すべきであら《ろ》う‥‥昨日と同じに机にむ《向》かってペンを執る、白い紙に青いインクで蚯蚓《/蚯蚓》の這い跡の様《よう》な文字をしるす‥‥ただそれだけ。ただそれだけの事が何《なん》になるのか。私の為《ため》、私の同族祖先の為《ため》、それから‥‥アコロイタクの研究とそ《/そ》れに連《連な》る尊い大事業をなしつつある先生に少《/少》しばかりの参考の資に供す為《ため》、学術の為《ため》、日本の国《’国》の為《ため》、世界万国の為《ため》、‥‥《:‥》何《なん》といふ《う》大きな仕事なのだら《ろ》う‥‥私の頭《アタマ》、小さいこの頭、その中にある小さいものをしぼり出して筆に|あらは《表》す‥‥ただそれだけの事が──《:─》私は書かねばならぬ、知れる限りを、生《セイ》の限りを、書かねばならぬ。──輝かしい朝──緑色の朝。朝食の時、中條百合子さんの文章から、術芸《芸術》と実生活、金持《カネ持ち》の人の文章に謙遜味《謙遜ミ》のない事などを先生がお話しなすった。  芸術と云ふ《う》ものは絶対高尚な物で、親の為《ため》、夫の為《ため》、子の為《ため》に身を捧げるのは極低《ごく低》い生活だといふ《う》のが百合子《/百合子》さんの見解だといふ《う》。「しかし芸術が高尚な尊い物であるのとおなじく、家庭の実生活も絶対に尊い物である事にまだ気がつかないのはま《”ま》だ百合子さんが若いのだ、かは《わ》いさ《そ》うに‥‥。」と先生は、若い|彼の女《彼女》をいぢ《じ》らしいものの様《よう》にしみじみと仰る。私ハ《は》よそ事ではないと思った。胸がギクリとした。私には芸術って何《なん》だかよくはわからないが‥‥。  それから、百合子さんは、あまりに順境に育ったので、人生は戦ひ《い》である事を知らずに物見遊山《/物見ユサン》と心得ている‥‥といふ《う》お話もあったが、わかった様《よう》なわからない様《よう》な気がした。  喜びも悲《/悲》しみも苦《/苦》しみも楽《/楽》しみも、すべてが神様の私に|あたへ《与え》給ふ《う》事なのだ。私に相応しくない物を神様《/神様》は私に|あたへ《与え》給ふ《う》筈はない。だから私は|あたへ《与え》られる物を素直に喜んでいただかなければならない。不平、それは、神を拒否する事ではないか。感謝、感謝!  罪を犯して罰をのがれや《よ》うとは虫のいい話。仕事を持ち出して奥様やお|きく《菊》さんとお裁縫をする。奥様は昨夜の寝不足で今日は御気分《ご気分》がすぐれないとの事、夢さへ《え》見ずにグッスリと寝入った私は、何だかしら、済まない様《よう》な気分が起った。何卒奥様《なにとぞ奥様》に安眠が|あたへ《与え》られます様《よう》に‥‥と祈らずには居られない気になった。  赤ちゃんが今日は|大へん御きげん《大変ご機嫌》がよい。奥様の為《ため》に、先生の為《ため》に、赤ちゃん御自身《ご自身》の為《ため》に、坊ちゃん、お|きく《菊》さんの為《ため》にも赤《/赤》ちゃんの健康が|ほんとう《本当》に望ましい事。「弱い女が主婦になるのは罪だ。子供の為《ため》、夫の為《ため》、自分の為《ため》に最大の不幸だ」と奥様が仰る。何たる悲痛の言葉ぞ。私は直ぐに打消してそ《/そ》れに代《代わ》るよろこびの言葉を見つけようと思ったが不能《/不能》であった。だって私は常日頃ちょうど奥様とおんなじ心持《心持ち》でいたのだから‥‥。奥様は最も深刻にその経験をなされたのだ。私は‥‥これから、その生活に|はいら《入ろ》うとしている。自分の弱い事を知りつつさ《/そ》うした生活に入るのは罪かしら‥‥。罪だとしたら私は何《ど》うすればよいのだら《ろ》う‥‥。  私は申上《申し上》げたい。  おいとしい奥様、何《ど》うぞ安心して夫の君の愛におすがり遊ばせ。あのおやさしい美《/美》しい旦那様はあ《/あ》れ程貴女《ほど貴方》を愛して貴女《/貴方》を支えていらっしゃるぢ《じ》ゃありませんか。奥様は幸福でいらっしゃる。旦那様の愛は即ち神様の愛、神様の力ではありますまいか、と。  今度少し裁縫をなさいと奥様が仰った。嬉しい事。英語が|難か《難》しくなったのが嬉しかった。明朝の復習がたのしみ。麗らかなみどりの日はこれで終《終わ》る。 ◇。◇。◇。 【六月二日】 ◇。◇。◇。  今日もいいお天気。朝の中《うち》は英語の復習、洗濯で時を過し、お昼飯まではシ《/シ》ュプネシリカを書く。午後は裁縫、読書。十二時少し前に就寝、手紙をやっと二枚。此方《こちら》のイアクニシパの遺稿『身も魂も』を読んだ。何《なん》といふ《う》悲痛極《悲痛極ま》る文字であら《ろ》う。一字一字真紅《一字一字/真っ赤》な心臓から迸出《迸り出》る美しい生血《生き血》で書《書き》つけられたものの様《よう》‥‥。愛とは何。彼《か》の君が命を懸けて戦った血と涙の記録、何《ど》うして涙なしに読む事が出来ようぞ。私にはちっとも批評などの出来る頭ぢ《じ》ゃない、ただただ痛切な同情同感の涙のみ‥‥。  真剣、私の心に真剣な愛があるか。真剣な愛を彼に捧げているのか、果して。純真な美しい愛か。おお私は愛します。ただ貴郎を愛します。身も魂も打《打ち》こんで‥‥。貴郎もまた私に然《そ》うである事を私は深く深く感ずる事が出来ます。信じます。私をも信じて下さい。  義経伝説を書いていらっしゃる先生のお顔が何だかしら青く見える。お疲れでせ《しょ》う、|ほんとう《本当》に‥‥おからだにお障りの無い様《よう》に‥‥奥様の御心配の程が察せられる‥‥。赤ちゃんをよほどだっこした。随分私の顔が珍らしいものに赤ちゃんには見えたのでせ《しょ》う。動く私の口を引《引っ》かいては黙って見つめていらっしゃる‥‥おお《お/》かは《わ》ゆい嬰子《赤子》、|ほんとう《本当》に不思議でせ《しょ》う。何処《どこ》から来た新しい人だら《ろ》う‥‥と。  手紙を書いた。眠かった眼が次第にさえて時《/時》のたつのを忘れて書いた。|ほんとう《本当》に真純《シンジ-ュン》な誠をこめて‥‥。手紙などは、|ほんとう《本当》に真実がなければ書けないもの‥‥。グリース神話読終《神話/読み終》る。 ◇。◇。◇。 【六月三日】 ◇。◇。◇。  朝、チッチッチッと小鳥が啼く。かは《わ》ゆい声で‥‥。可愛《かわ》ゆい子供を中にした夫と妻、何《なん》といふ《う》幸福に満ちた生活なのであら《ろ》う。美しい夫婦の愛が子といふ《う》ものによって、層一層醇化《層一層’醇化》され向上してゆくものなのであら《ろ》う。  子といふ《う》ものの若い芽を、魂をの《伸》びさせ様《よう》とするのには、父も母も|ほんとう《本当》に同じ心を持って心配し、努力するのではないか。頬《ホオ》が少しふくらんで来たといっては顔見合せて共に同じよろこびをし、少し熱がある様《よう》だと云っては二人交々愛児《二人こもごも/まなご》の頭に手をふれる‥‥。美しい愛の姿、夫と妻の愛の姿は、二人の間の愛児《-まなご》によって表現されるのであら《ろ》う。愛児《まなご》に対する時の父母の心は、真に二つが一つに融けあっているのだもの。  奥様が昨夜の寝不足でお《/お》気分が甚だ勝《優》れぬ。だから、私も何《ど》うか頭が少し痛くなってお《/お》苦しみをわ《分》け持ちたいと思った。  お湯にゆく。自分の醜さを人に見られることを死ぬほど|はづ《恥ず》かしがる私は、何《なん》といふ《う》虚栄者なんだら《ろ》う。これでももし人並《人並み》に、あるひ《い》は人以上《人’以上》に美しい肉体を持っていたら、自分以下の人に見せびらかして自分《/自分》の美をほこるのであら《ろ》うに。私にふさは《わ》しくないものを神様が私に|あたへ《与え》給ふ《う》事はない。私には何《ど》うしてもなくてはならぬ物かも知れない。私は|あたへ《与え》られた私のものを、何《なん》の|はづ《ハズ》る事があら《ろ》う。神様の目からは、さ《そ》ういふ《う》美醜などは何の差別もなく、みな一つのものではないか。尊い賜である肉体を醜《/醜》いと云って愧ぢ《じ》ていた私。神様に何《なん》といふ《う》私は親不幸な子なんだら《ろ》う。美しい、醜いなどといふ《う》事を何処《/どこ》から割出してきめた事なんだら《ろ》う。独決《ドッケツ》! 美しくてもみにくくてもいいではないか。みんな人間だ、みんなおなじに神の子ではないか。親の愛は美しい子にばかり偏るであら《ろ》うか。否。肉体の美醜は親の愛をちっとも変らせる事はない筈だ。私はただ感謝する。感謝する。  単衣が出来上《出来上が》った。旭川のお母さんが炭一俵を買ふ《う》のをやめた其《そ》のお銭が此《/こ》の単衣になったのだ‥‥。 ◇。◇。◇。 【六月四日◇ 日曜日】 ◇。◇。◇。  七日のうち一日‥‥遊ぶことをわすれて‥‥真志保の声がきこえる様《よう》。一切を忘れて神様に祈って、懺悔し、感謝し、心のうちを神様に訴へ《え》る‥‥ああ何《/なん》といふ《う》尊い事であら《ろ》う。私は「聖書が欲しい、教会へゆきたい──。」それを抑えてただ祈る。神様よ、私が何《ど》うかして|ほんとう《本当》に|一すぢ《一筋》の心になれます様《よう》に──。  奥様は昨夜はよくねむれたと、はればれしたお顔を見せて下すったので嬉しかった。  いいお天気、青葉に輝く日の光、|ほんとう《本当》に明るい日。ここちよいそよ風が今日《/今日》はじめて着換《着替》へ《え》た単衣の袖をはらふ《う》。(十時頃)  旭川ではもう日曜学校を終《終わ》ったら《ろ》う。親、兄弟、親類、知己、一人一人の顔が目の前にうかぶ。父様の病気は|なほ《治》ったか知《し》ら。種々《色々》な種類の美しく咲き揃った花を売りにあるく人が面白《/面白》い声で花歌を|うたふ《歌う》。  やはり私には教会が懐かしい。神様のお話がききたい。讃美歌を歌ひ《い》たい。祈りしたい。不信仰な私は聖書を忘れて来たのだ‥‥罪人《罪びと》。  先生に教へ《え》られて本郷教会へ《へ’》行く‥‥大きくない教会だけど、あまり人《’人》の少《少な》いのにちょっと驚かされた。十二人の来会者のうち真面目《/真面目》に話をきく人が何人あるのかしら。若い青年がコクリコクリといねむりをし、若い女が|あくび《欠伸》の出しつづけ。オルガンを弾《-ひ》く女の人は居ねむりを我慢しきれないでみ《/み》っともない様子をする‥‥。私には今夜きいたお話が何だかわからなかった。今私《今’私》の頭に、胸に、何《なん》の印象も残っていない。  杉原大尉を思ひ《い》出す‥‥杉原先生のお話がききたい。真砂町に小隊があるから‥‥とたしかに仰ったのを覚えているが、わからなくて困る。心からシックリと私の心に合ふ《う》お話がききたい。杉原先生を恵み給へ。  奥様が坊ちゃんと嬢ちゃんを|一しょ《一緒》にお湯へ連れて行きなすったので、頭がぐらつくと仰る‥‥何卒今宵《なにとぞ今宵》も安らかな眠りが彼《/彼》の人の上に訪れます様《よう》に‥‥。  先生が仰る。私が一つの原稿を書くにもこんなに苦しんで書く。誰にもその苦しみは認めては貰へ《え》ないけれども、それでもいいかげんにサラサラと書く事が出来ないと仰る‥‥おお何《/なん》といふ《う》尊い事であら《ろ》う。何だか知《し》ら、私は涙が|出さ《-でそ》うに先生《/先生》の人格に敬服する‥‥。苦しんで苦しんで出来《-しゅつらい》した物を人はちっとも知ってくれないのに、それでも苦しまずには書けない‥‥。私は心の中にそれを繰り返し繰返す。  お伽噺を読むと、私も天真爛漫な子供になってしまふ《う》‥‥。坊ちゃんに読んできかせて上げて、また寝るまで読んだ。グリムのお伽噺。  先生の原稿が出来上《出来上が》った。何《ど》んなに先生は御安心でせ《しょ》う。苦しんで苦しんでの賜のよろこび‥‥尊いよろこびぢ《じ》ゃありませんか。私もほんとに嬉しかった。  お|きく《菊》さんはほんとにかは《わ》いらしい人、私はつくづく思った‥‥縫いかけの単衣を頭からかぶってねむってるお|きく《菊》さんの側でお《/お》伽噺の本を読みながらつくづく思った。  もう十一時近いだら《ろ》う。今日もこれで終《終わ》る。  おやおや先生はこれからまだお|しごと《仕事》があるんですって。明日の下調べ‥‥。私は寝ようと思ったが何《/何》だか勿体なくなって寝《-ね》られない。何を売るのか知らないが、毎晩悲しい音《ネ》の笛を吹きながら通る人がある‥‥きっとだいぶ年をとったお爺さんなんだら《ろ》う。あの笛の音《ネ》をきくと何だかさ《そ》ういふ《う》気がしてならない。  東京の物売りは実際面白い。豆腐屋がアウアウと何か気の狂った小僧さんの様《よう》な声を出して私を驚かして、わざわざ|おもて《表》へ飛出《飛び出》させたりしたっけ。  今日はおうちでフロックスの花を買った。花を見ると、お父《とっ》つぁんが思出《思い出》されて仕様がない。  万年筆が何《ど》うしたのか、インクが両方から漏り出して困るので赤いきれで繃帯してやったが、それでも漏って困った。先生がかは《わ》いらしい万年筆を貸して下すった。此《こ》の私のは今度直す所へやって下さるとのお話、東京の商人はずるくて、地方へは悪いものを持ってゆくのだと云ふ《う》お話もきいた。  一《いっ》たい商人といふ《う》ものは何《ど》うしてさ《そ》う利慾にばかり偏るのか知《し》ら‥‥今夜の牧師さんのお話もさ《そ》ういふ《う》のらしかった。富めるものの神の国に入るは如何《-いか》に難《かた》いかな。神様の委託物である富を、神様の聖旨にかなう様《よう》に使は《わ》ねばならぬ。富を得る為《ため》に悪い事をしたりする人は富《/富》を神の賜だと思は《わ》ないから‥‥自分の労力の代償だと思ふ《う》から‥‥。ではその労力は何処《どこ》から来る、其《そ》の代償は何処《どこ》から来る。見よ、空の鳥はつむがず耕《/耕》さずして而《/しか》も豊かに日を暮しているではないか、といふ《う》おはなしであったのだ。私たちは何もさ《そ》う、ちっぽけな智恵をしぼって富なる物を得ようとして脱線したりしなくとも、神様は、ただ信頼し身《/身》も魂も任せてる者には、毎日のなくてならぬものは必ず|あたへ《与え》給う、と。富が|あたへ《与え》られたら神の為《ため》に‥‥《:‥》私は、何を持ってるだら《ろ》う。 ◇。◇。◇。 【六月五日◇ いいお天気】 ◇。◇。◇。  赤ちゃんにひっかかれながら庭《’庭》であそぶ。おさなごは|ほんとう《本当》に正直です。赤ちゃんは私が嫌いなんですもの。  英語を教《教わ》る。知らない事を覚えてゆくたのしみは非常に大きな物。  旭川の母様《母さま》からお手紙をいただいた。  森長操《森長ミサオ》さんといふ《う》方が私と友達になりたいとの事、何だか困った事の様《よう》に思ふ《う》‥‥。私に今まで友達といふ《う》ものが真《シン》にあったであら《ろ》うか。知里《チリ》さん、幸恵さん、どうぞ永久に御交際《ご交際》を‥‥さ《そ》う云って下すった人たちは今何処《今どこ》の空に暮しているのか、それさへ《え》私にはわからない。私が東京へ来た、お友達に知らせや《よ》うと思った事い《/い》まだ一度もない。私にまごご《こ》ろがないからか。  真志保が運動会で一等を得たと云ふ《う》。嬉しい事。何卒私《なにとぞ私》の真志保がからだに魂《/魂》に頭《/頭》に、強健が|あたへ《与え》られますように‥‥。  豊栄の運動会、今年はいつもより大人も小供《子供》も服装が立派になったといふ《う》。何卒服装《なにとぞ服装》ばかりでなく、愛する兄弟よ、すべてに眼を開いて下さい。  久方振りで聖書を見て私は喜ぶ。やはり私は神の子、常に神にそむいていながら、やっぱり神様を思|ひ出《いい》づる。神を仰ぎたくなる。  聖言葉《ヒジリコトバ》がききたい。 ◇。◇。◇。 【六月六日】 ◇。◇。◇。  朝、聖書を読む。  我やすらかにして臥しま《/ま》たねむらん。ヱホバよ、我を独《独り》にて|たひ《平》らかに居らしむるものは汝なり。  昨日、奥様に拝借した平民の福音を読む。  人に親切をする事、それは非常にいい事である。だけどただ親切をするといふ《う》美名を着るのみなら何《/なん》になら《ろ》う。親切は、|ほんとう《本当》の心から、心の底から起《起こ》る愛の発現ではないか。相手の人の心と自分の心とが同じになって、はじめて、自分の心が自分のからだを動かして働く‥‥美しい事《こと》、尊い事《こと》。  お昼はお汁粉、おいしかった。英語はだんだん|むづ《難》かしくなって来た。何《ど》うしてか《こ》う覚えが悪いか。でも、|あせ《焦》らなくったっていい。考えればわかるのだから‥‥。もう少し敏捷に頭が働けばよいと思ふ《う》けれど自業自得か。それともこれが私に相応《-ふさ》った頭であら《ろ》う。勉強勉強、何だか後《-あと》から後《-あと》から追は《わ》れる様《よう》な気がする。いそがしい事だ。  お母様に手紙を書いていると、坊《坊っ》ちゃまが見えて、歌を|うたふ《歌う》やら、面白い事ばかりきかして下すったのでお《/お》腹の皮がよれる程笑った。坊《坊っ》ちゃまの頭は一《いっ》たい何処《どこ》に際限があるのだら《ろ》う。私はただ驚くより外《ほか》なかった。  真志保にも手紙を書いた。今頃はお母様《母さま》も真子《/マコ》も富子《/富子》もスヤスヤとねむってるに違ひ《い》ない。  お母様がいやな夢を見たから幌別《/幌別》にきっと何か変った事があるに違ひ《い》ないといふ《う》お手紙、ハテ、何《なん》だら《ろ》う。フチはかは《わ》いさ《そ》うに、何《ど》んなに私の事を心配していて下さるのでせ《しょ》う。ただ一途に私をかは《わ》ゆくてかは《わ》ゆくて呑《/呑》んでも足らないのだ。  おお、別れの時の光景が目の前に浮ぶ。フチたちよ、父母よ、兄弟よ、御身たちの健康を祈る。私はあなたたちの為《ため》に何《/なん》のいい事をしたであら《ろ》う。これからも何を為し得るであら《ろ》う。寧ろ心配をかける事の方《ほう》が多くなるのではないか。神様、私を導き|たま《給》へ、私に最もよきところへ。今日は一寸雨《ちょっと雨》が降った。 ◇。◇。◇。 【六月七日◇ 朝】 ◇。◇。◇。  悪に敵するなかれ。人汝《人/汝》の右の頬《ホオ》をうたば亦外《”またほか》のほほもめぐらしてこれにむけよ。  人汝《人/汝》に一里の公役を強《-しい》なば、これとともに二里行け。汝に求《求む》るものには|予へ《与え》、借らんとする者をしりぞくるなかれ。  汝等の敵を愛《慈し》み、汝等を詛ふ《う》者を祝し、汝等を憎む者をよこし、なやめせしむる者のために祈祷せよ、神の子とならん為《ため》に‥‥  天の父が日《/ヒ》を善者にも悪者《アク者》にもてらし、雨を義《良》き者にも義《良》からざるものにも降らせ給へり。(|馬太五・三九─四六《マタイによる福音書◇第5章◇39から46セツ》)  此《こ》の故に天に在す汝等の父の完全《-まった》きが如く汝等《/汝等》も完全《-まった》くすべし。  我汝《われ汝》の指のわざなる天をみ、なんぢの設け|たま《給》へる月と星とを見るに、世の人はいかなるものなればこ《/こ》れを聖心にとめ|たまふ《給う》や、人の子はいかなるものなればこ《/こ》れを顧み|たまふ《給う》や。  ただすこしく人を神よりも卑くつくりて栄《/栄》と尊きとをか《こ》うぶらせ、またこれにみ《/み》手のわざを治めしめ万《/よろず》の物をその足の下《もと》におき|たま《給》へり。  すべてのうし、羊、また野の|けもの《ケモノ》、そらの鳥、うみの魚、もろもろの海路を通ふ《う》ものまで皆しかなせり。  われらの主《シュ/》ヱホバよ、なんじの|みな《ミナ》は地にあまねくして尊《/トウト》きかな。(|詩九・三─九《詩篇◇第9章◇3から9節》)  神様は絶対公平の愛なのだ。私は広大無辺の宇宙を思ふ《う》時にさ《そ》う思ふ《う》。そして、また最も小さい小さい虫を見ても草花《/草花》を見てもさ《そ》う思ふ《う》。名もない草花、垣根の隅の小さな苔でも時《/時》が来《-く》れば花ひらき種《/種》を残して枯れてゆくではないか。神様がそれを彼に|あたへ《与え》|給ふ《たもう》て、彼の此《こ》の世の天職とし|たまふ《たもう》た。そしてかの小さい花は何《/なん》の不平も持たぬではないか。彼等はそれでいいのだ。太陽、星を支配し|たまふ《給う》神様はま《”ま》たかく最小《最も小》さきものをも些《/些か》の乱れなく支配し|たまふ《給う》。  お父様の手紙、お父様がさ《そ》ういふ《う》事をお書きなさら《ろ》うとは夢《/夢》にも思は《わ》なかった。 ──人間は何が苦しいと云って、不快な程不幸《ほど不幸》な事はないであら《ろ》うと思ふ《う》。其身《その身》も将来家《将来’家》を営む上に充分注意《/充分注意》を要するべく、其身世間《その身’世間》のおかげで勉強して大《大き》な智恵袋に一ぱい智恵をつめこんでも、不健全な身体を持ち、不愉快な日を送る様《よう》では、《:、》何《なん》にも知らずに日々荷《日々/ニ》ナワを背負《背お》って薪木を拾ふ《う》人、わらびをとって市《イチ》に売る人々の方《ほう》が何程幸福《/なにほど幸福》であるかわからぬのである。私の心配する処《ところ》は其所《その所》にあるのですから、必ず必ず注意すべきであります──。然り。お父様よ、其《そ》の通りで御座《ござ》います。健康は実に人間の幸福の源でありませ《しょ》う。健康な人は日々の仕事も楽しく快くキ《/キ》パキパやってのけるでせ《しょ》う。思ふ《う》がままに其《そ》のからだを動かして、夫の為《ため》、親の為《ため》、子の為《ため》、人の為《ため》につくすでせ《しょ》う。おお健康! 何《なん》といふ《う》いい物でせ《しょ》う。私はすべての人が何《/ど》うぞ此《こ》の健康を得る様《よう》にと望みます。そして、私もそれが欲しう御座《ござ》います。ですけど如何《いか》にせん、私には健康がありません。私の生命《命》の源泉である心臓が不健全なのです。一秒一秒、ちっとも|やす《休》まずに湧出《湧きい》づる血潮をせきとめる|かた《/硬》い弁があるのです。しかもその障碍物は私《/私》の心臓から取去《取り去》る事は出来ない、一生出来ない。それも私には無くてはならぬものだから‥‥一度硬くなったそれは再びもとのようにはならないのであら《ろ》う‥‥。では私は、一生涯不健全な身体で、日々鬱々と不快な時を過さねばならないかしら‥‥。おおそ《/そ》れではあまりに不幸ではないか。神様は私の罪の償《償い》に健康《/健康》を取上げ|給ふ《たもう》た。しかし神様は私を愛したまう‥‥愛の鞭。病苦を|あたへ給ふ《与えたもう》て私を錬りそ《”そ》して、心の健康をとらしめ給ふ《う》のだ。心に安心歓喜を|あたへ給ふ《与えたもう》たのだ。私の心に悪魔が働く。私はもし充分な健康を持っているならば、私は必ずやそれを無上のほこりとして、神を忘れ、世の人を忘れて己《/己》のためのみの人間になってしまふ《う》であら《ろ》う。神様よ感謝します。私は弱い身も魂も神様《/神様》にまかせて|ささへ《支え》ていただきますから、安心があり歓喜《/歓喜》があります。  何卒《なにとぞ》お父様御安心下《父様/ご安心下》さいませ。私はか《こ》うして神の愛をさとりましたから。世の同病者の為《ため》に心から祈る心が起《起こ》る。人に健康を失は《わ》せまいといふ《う》努力を心からする事が出来る。私は病苦を通して神様からか《こ》ういふ《う》賜をいただいたのだ。私の身は神に任せ、よろこびと感謝にみちた愛の笑顔を持って人《/人》に接しませ《しょ》う。 ◇。◇。◇。 【六月八日◇ 木曜日】 ◇。◇。◇。  なんぢ施済《/施し》をする時《とき》、右の手の為すことを左《/左》の手に知らする事なかれ。|かくす《隠す-》るは、其《そ》の施済《施し》の|かく《隠》れん為《ため》なり。然《然ら》ば、|かく《隠》れたるに見給ふ《う》汝の父は明顕《/明顕》に報ひ《い》|たまふ《給う》べし。(|太六・三─五《マタイによる福音書◇第5章◇3から5節》)  |かく《隠》れたるに見|たまふ《給う》父、|かく《隠》れたるに在す神、おお、見るものなしとて罪《/罪》を犯す私の愚《愚か》さよ。何《ど》うしたらいいだら《ろ》う。人さへ《え》いなければ、何かのかげにさへ《え》身をおけば、何かで身を|おほふ《覆っ》てしまへ《え》ば、それで自分は|かく《隠》れているのだと思ふ《う》、《:、》何《なん》といふ《う》馬鹿者でせ《しょ》う‥‥私は‥‥。  |かく《隠》れたるに見|たまふ《給う》神、|かく《隠》れたるに在す神。  しみくひ《い》、さびくさり、ぬすびとうがちてぬ《/ぬ》すむ所の地に財《/財》を|たくはふ《タクワウ》る事なかれ。 しみくひ《い》、さびくさり、ぬすびとうがちてぬ《/ぬ》すまざるところの天に財《/財》をた《-た》く|はふ《わう》べし。(|太六・十九─二二《マタイによる福音書◇第6章◇19から22セツ》)  そは、なんぢらの財のあるところに心《/心》もまたあるべければなり。|ほんとう《本当》に、地上の|たから《宝》‥‥金《かね》を持つ人は金《-かね》に心を奪は《わ》れる。身の外形のみに飾りをつける事に腐心して肝心《/肝心》の心を|るす《留守》にするんですもの。  人は二人の主《シュ》に|仕ふ《-つかう》る|事能は《事あたわ》ず。  なんぢら神と財に|兼つかふ《兼ね-つかう》る事あたは《わ》ず。(|太六・二四《マタイによる福音書◇第6章◇24セツ》)  此《こ》の事についてえらい人の話をききたい。杉原先生のおはなしをききたい。  是故《これゆえ》に汝らにつげん、生命《命》のために何を食ひ《い》、何《なに》をのみ、またからだのために何をき《着》んと思《/思》ひ《い》わづ《ず》らふ《う》事なかれ。生命《命》は糧よりまさり、からだは衣よりもまされるものならずや。空の鳥を見よ。まく事なく、かる事せず、倉に|たくはふ《タクワウ》る事なし。然《しか》るになんぢらの天の父はこれを養ひ《い》|たま《給》へり。  馬太伝六章《マタイ伝六章》には、何《なん》とまあいろいろな事があるのでせ《しょ》う。私の浅い知識で解せない所は多々ある。何卒教《なにとぞ教》へ《え》て下さる人を与へ《え》られます様《よう》に‥‥。  神ヱホバよ|ねがは《/ねがわ》くは|かれ《彼》らにおそれをおこさしめ|たま《給》へ。もろもろの国人《クニビト》にお《/お》のれただ人なる事を知らしめ給へ。(|詩九・二〇《詩篇◇第9章◇20節》)  おのれただ人なる事を私は時々忘《ときどき忘》れる‥‥。此《こ》の広大無辺なる宇宙を見よ。極細少《ごく最小》から最大の物まで皆一つの運命をもっているではないか。深山の奥にある一つの苔も此《/こ》の家の土台の際《-きわ》の小さい草も、みんなおなじく時がくれば花をひらく‥‥《:‥》春夏秋冬《シュンカ秋冬》、世はみんな一定の法則のもとに刻一刻、ちっともかは《わ》らずに動いてゆくではないか。神様の力は何処《どこ》まであるか、それを見て量知《量り知》る事が何《ど》うして出来よう。大きな力、無限の力、無始のはじめから無終の終まで、大きいものから小さいものまで一貫してはたらく其《そ》の力、それこそは神様ではないか。  ああ何《/何》と云ったらいいかわからない。  ただありがたい。  夕食後、平民の福音からはじまって先生《/先生》に宗教談をうかがった。私は何だかしら何もかも解決がついた様《よう》な気がしてた《/た》だ嬉しい。  おつるさんといふ《う》人のおはなし。はじめは感心し、羨望し、驚愕し、同情し、おしまひ《い》には何だか何もわからなくなってしまった。  大病人《ダイ病人》の看護を打捨てておいて、自分の霊の糧を得るために、何時間も費す、それで自分は義《正》しいのだと主張する‥‥それでいいのか知《し》ら‥‥。自分の満足のために人を犠牲にする、それが宗教の最高なものか。私はわからない。一杯の水を人に|あたへ《与え》ても、それはその人に|あたへ《与え》たのではなくてヱ《/イヱ》ス様に上げる事なのだと仰ったではないか。人に至誠を持って仕へ《え》る、それがすなは《わ》ち神様に仕へ《え》るわけではないか。自分をすてて人につくす、だから十字架が尊いのではないか。  ああ私はまとめて今夜のお話と感想を書《書き》つらねる事は出来ない。  ただし何となしに重《/重》い心が急に軽くなった様《よう》な気がする。 ◇。◇。◇。 【六月九日】 ◇。◇。◇。  偽善者よ、先づ《ず》己の目より梁木をとれ、さらば兄弟の目より物屑を取得《取り得》るや《よ》う明《明ら》かに見べし。(|太七・五《マタイによる福音書◇第7章◇5節》)  偽善者とは私の事、|ほんとう《本当》に私の事。  夕方、奥様のお供をして散歩に出かける。夜、赤ちゃんが|たいへん《大変》お泣きなさる。何《ど》うしたのでせ《しょ》う。 ◇。◇。◇。 【六月十日】 ◇。◇。◇。  天国近《天国ちか》きに在り、|ほんとう《本当》に。私たちの周囲は天国にもなれば地獄にもなるのではないか知《し》ら。私の心も天国になり地獄になる。  十日三時頃かしら、雨が降り出した。お書斎の障子は明ける事が出来ないが、破れ目から少し外が見える。サーサーと滝の様《よう》に流れ落つる雨の音、そして其《そ》の音の中に雨滴《/雨粒》の音も交《交じ》ってチ《/チ》ョロチョロと鈴の様《よう》な音がする。大きな、何《なん》の葉だか青《/青》いのが絶え間なく打たれて躍っている。雨の日もまたいい気持《気持ち》。  姉さんは何《ど》うしたか知《し》ら‥‥。あの人も不幸な人。自分の事ばっかり考えて、身をすてて愛を捧げる事が出来ない人。しかしそれが人間の弱さなのだ。私もまた其《そ》の弱さは充分に十二分《十二ブン》に持ってるではないか。  何卒姉《なにとぞ姉》さんに強さが|あたへ《与え》られます様《よう》に‥‥。  彼津屋《カツヤ》さんの話をきけば、やはり真《-まこと》の信ぢ《じ》ゃないのだ。ああ《あ/》わからなくなりかけた。 ◇。◇。◇。 【六月十一日◇ 日曜日◇ 風《カゼ》◇ 晴《晴れ》◇ 月夜】 ◇。◇。◇。  朝九時前に本郷基督教会へ行く。日曜学校も北海道とはちっとも変らない。何《ど》うしてだら《ろ》うか。きれいな若い女の人、讃美歌の声の素敵に美しい人が女の子を教へ《え》て庭《/庭》でしきりに讃美歌のけいこをしていた様《よう》で、男の子は、眼鏡をかけたハイカラな人が教へ《え》ていた。紙に刷った何かを一枚づつ、五六人《ゴ六人》の子にわけて低い声で話をしていた。エレミヤの話らしかった。が私にはき《聞》きとれなかった。あれが子供たちの頭にどれだけ深い印象を与へ《え》得たのだら《ろ》うか。ただ印刷物を読んで字《/字》の通りを説明してきかせて‥‥。子供等《子供ら》はあきあきしていた様《よう》に見え|たった《た》。大人集会、聖餐式、寺西牧師不在、聖女学院教授平井先生《聖女学院教授’平井先生》のお話。私にはよくわからなかった。パンはユダヤ人の常食、葡萄酒はお茶の様《よう》な常飲料だから、それから見て、キリスト教は特別な人の宗教ではなくて、ただの人の宗教、《:、》深山に世捨人《世捨ビト》になって難行苦行するとは違って誰《/誰》にでも出来得《出来う》る事である、といふ《う》事。  キリスト教は信者が各自、自分の家庭の人を導いてゆくならば、国はスッカリキリスト教になり得るといふ《う》事。  聖書を読まねば信者とは云は《わ》れないといふ《う》事。大体さ《そ》ういふ《う》のであった。  夕食後、何《なん》といふ《う》教会か知らないけれど、教へ《え》られて行って見た。若い子供の様《よう》な顔した青年が、何でも信仰の証言をたてている所へ私《/私》が行ったのらしかった。  キリスト教にはいって楽しよう、安心しようと云ふ《う》のぢ《じ》ゃなくて、かへ《え》って十字架を負ふ《う》て主《/シュ》の苦しみを苦しみ、悪と戦は《わ》ねばならぬ。人間に仕へ《え》るは難《-かた》く、神に仕へ《え》るは易く。一生涯を安楽に暮すのではなくて、一生涯を罪と戦って苦しんで死んだ方《ほう》が、神の嘉《-よみ》し給ふ《う》所である‥‥と。それから、歴史学者が小さい茶碗のかけらを得るために一生涯を費し、科学者や其《そ》の|他何とか《他ナントカ》学者が学術の為《ため》に命を捨てる。キリストは悪と戦って死んだが、再びゆきて我世《我れ世》に勝てりと云ふ《う》事が出来た。我々も悪《アク》と戦って命を捨て、最後の勝利を得ようとしている‥‥。さ《そ》ういふ《う》あらましであった。  波多野牧師の話。江原素六先生(武士道と宗教)と云|ふだい《う題》で、江原先生《エバラ先生》の人格についてのおはなしであった。  ポーロがダマスコへ行った時は人を沢山つれて行き、三年たって帰った時はスッカリ別になって一人《”一人》で何も持たずに帰り、人権をのみ重んじていたのが、三年の後には天爵、神の力を尊敬する様《よう》に変った。江原《エバラ》さんは武士道からキリスト教に移った為《ため》に、家柄よりも日本を思ひ《い》、日本よりも世界的、ひろい心になったといふ《う》事。江原《エバラ》さんの如何に宗教に対する熱心だったかを波多野牧師は話した。今夜は私は何を得たのか。  教会で思ひ《い》がけなく河野さんに会った。きれいに白粉をつけた彼女は短《/短》い時間にいろいろな事を話した。ホワイトナーさんのベビーさんが出来た話は何となし嬉しかった。  あそこにいた美しいお|とみ《富》さんが出されてしまったといふ《う》──《:─》急に品行が悪くなって夜遊びするのだった、と云ふ《う》‥‥。かは《わ》いさ《そ》うに‥‥。  救世軍《救世’軍》はもう終りかけた所へ行った。小隊長が細い細い手を動かして、しかも強い声でザアカイの話をしていたらしかった。私が行ってから二口三口《フタクチミクチ》で終ってしまった。──求むる心、切に求むる心がつひ《い》にザアカイをして何《/何》をもはばからず桑《/桑》の木にのぼらしめた。そして望む所の貴い物をかちえた。十二年血漏《十二年’血漏》を|わづら《患》った女は無言のまま、主の衣に|さは《触》って医《癒や》しを求めた──。  求むる心──それは今の私の心ぢ《じ》ゃないか。少《少な》い会衆の多数が立ってお祈りをし、一人の女が泣声《泣き声》で一言二言お祈りした様《よう》であった。一人の人は熱心過ぎて、家もわれんばかりの声で祈った。熱心な人々──何《なん》といふ《う》純な人たちであら《ろ》うか、羨《羨ま》しい程──。  あの女士官、大尉夫人は何《ど》うしてか元気が無ささ《そ》うであった‥‥またいらっしゃいと言った‥‥。空には星が二つ三つ、青白い大きな月が空低《/空’低》くかかっていた。涼しすぎる程の風に吹かれながら家路を急いだ時は気持《/気持ち》がよかった。  教会で河野さんと云ふ《う》人に会った時、私は|ほんとう《本当》にびっくりした。よく忘れずに知里《チリ》さんと呼《呼び》かけてくれたもの‥‥。 ◇。◇。◇。 【六月十二日】 ◇。◇。◇。  おくさまが御不快気《ご不快げ》に見受けられた。私は此《こ》の頃坊《ごろ坊》ちゃんとたいそう親しくなった。坊ちゃんのお相手をする時は、|ほんとう《本当》に美しい子供になった様《よう》な気がするから嬉しい‥‥。おうちの坊ちゃんは、何《ど》うしてあんなにいい頭脳を持っていらっしゃるのだら《ろ》う‥‥小さい頭から何《ど》うしてあんなに沢山の言葉、変った言葉があの口をもれて出て来るかと思ふ《う》と、驚くの外《-ほか》は無い。  昨日のお客は、発音学専門の独学者だと云ふ《う》‥‥その弟の人はやはり言葉にばっかり興味をもって、今は六ヶ国の国語に上達して、各国の小説を読んでいると云ふ《う》。面白いうまれつきを持った人たちもあるもの。うまれつきりっぱな頭脳を持った人は楽々といろいろな事が覚えられる。私の様《よう》に暗記も出来ない頭脳の、それこそ遅鈍の頭か土人の頭か知らないが、人一倍苦労して苦労して覚え得たものも、直ぐになくしてしまふ《う》人もうまれつきだから仕方がない。それも私には、それでいいのだ。  私は昨日、|大へん《大変》な事をきいた。先生は、私に話《話し》しない方《ほう》がいいか知《し》ら‥‥と考えていらしったが、それであなたの信仰がぐらつく事はないであら《ろ》う‥‥と仰ってお話下《話くだ》すった。オックスフォード大学のえらい世界中の学界の権威《権威/》フヱザーといふ《う》学者の発表したキリスト様の事に就いての事‥‥。  それから、日本の天照大神の事などもそ《/そ》れのついでにきかせていただいた。  そして、そのために信仰をぐらつかせるものは、夫が美男子だから貞操の妻になる、親がえらくないから子は親不幸をしてもいいといふ《う》様《よう》なのと同じだといふ《う》事もきいた。成る程、わかった様《よう》な気がした。  頭の工合が少し変だ。寝不足の故為《せい》だら《ろ》う。胸の鼓動も此《こ》の頃《ごろ》は少し急な様《よう》‥‥。  いねむりをしてしまった。そして種々《色々》な夢を見た。何《ど》うしてあんな夢などを見るのかしら‥‥。登別の家でお引越し。みんなが荷物を背負《背お》って搬ぶ。フチと浜《/浜》のフチがおんなじ格好でサラニプを背負《背お》った。行ってみる。私もあとからブラブラと行く。彼処は何処《どこ》だら《ろ》う。深い深い谷《’谷》をめぐる山の上を私《/私》たちはあるいていた。そして谷へ下りるか《/か》なり傾斜の急な馬車道がある。そこを下りるとオンネシサムが薪を積んでいた様《よう》だった。そして、その翁さんが知らせたのか何《ど》うか、私は、何だか「此《こ》の道を下《-お》りてゆくなら今直ぐに下《-お》りてゆかねばならぬ。もう少しおくれれば|大へん《大変》だ。谷の底からヱンユクが飛出す‥‥。」といふ《う》事を思って恐怖の念が私の心にみちていた。と、フチも浜《/浜》のフチも姿が見えなくなった。「ああ私は一人とり残された」といふ《う》感じが私を|おそふ《襲う》て、ずいぶんいやあな気持《気持ち》がした。  お父《とっ》つぁんもハボも見た様《よう》な気がするが、ハッキリわからない‥‥。  またねむった。やっぱり前とおなじ様《よう》な沢道を通った──《:─》見渡す限り濃緑の──一つの大樹のそばを通った‥‥何だか黒《-くろ》いかたまりがあった──私はぞっとした。何かしら、それが大きな黒い蛇《ヘビ》がグルグルアカムになって、そこにいる様《よう》な気がして‥‥。  目が覚めた様《よう》で覚めない。やっとの事、力を出して起上《起き上が》って、勇気を出してお勝手へ行って顔を洗ったので、やっと目がさめた。夢を見ている時《とき》、奥さんがお|召換へ《召し替え》にいらしったのも覚えている。お|きく《菊》さんが来て、私が寝ているのを笑ったらしいのも覚えている‥‥それで物云ふ《う》元気もなかったのだ──。  奥様は、御親類《ご親類》の所へ、気をは《晴》らす為《ため》にお出かけといふ《う》‥‥。何卒《なにとぞ》お望みの通りに幾分《/幾分》でも晴々したお心持《心持ち》におなりなさる様《よう》に‥‥。お|きく《菊》さんと、|ほんとう《本当》に子供らしいら《/ら》ちもない様《よう》なお話ばかりした。幽霊の話など‥‥。お|きく《菊》さんもかは《わ》いらしい人だ。  夕方奥様がほんとに晴々したお顔でお帰りなされた。私も気が清々《セイセイ》した様《よう》‥‥。おみやのきんつばが堪らなく美味しかった。  朝、木根ウナラベからの手紙、ムヂリ外套に角巻の五十才《/五十才》ばかりの柄《ガラ》の値段を問合せて来た。かは《わ》いさ《そ》うに‥‥東京へ来て私が一人で悠々闊歩、自由に商店をあさりまは《わ》る事が出来るかと思って、私をえらく思ってるのでしょう。先生に一応うかがって、出来ない理由を書いて出した。  思ひ《い》ついて、ポン先生に葉書を出した。あの先生にも随分かは《わ》いがっていただいたが‥‥。一ばんはじめに学校へいらしった時はまだ子供子供したお顔で、教室のわれる様《よう》な声で教へ《え》て下すった。私の事をレキヱレキヱと云って、私の|うはさ《噂》を云っていらしったさ《そ》うだ。だんだんな《慣》れるに従って随分かは《わ》いがっていただいた。学びの友といふ《う》生徒の成績品だの、先生のおはなしだのを綴ぢ《じ》た本をつくったり、平岡先生批評書とかいふ《う》のをつくってみんなに廻して、平岡先生が来られたのに対しての感想を書かせたものだ。お祭などには先生のお家へ、川上トメさんなどと|一しょ《一緒》に遊びに出かけたものだ。そして先生の兄さんのお家のこわめしを御馳走《ご馳走》になったっけ‥‥。栗山タツさんが、今思《今’思》へ《え》ばつくりごとであったかも知れないが、とんでもない事を云ひ《い》出して先生《/先生》をびっくりさせた事があった。タツさんから先生に取りついだのは私だった。その時《とき》の人の名は、たしか管野とか言った様《よう》であったが、その人こそ迷惑至極であったら《ろ》うが‥‥。高等科へ上《上が》ってから、私は毎日の様《よう》に試験の答案を先生に持って行ってはお《/お》見せした。先生と|一しょ《一緒》にオルガンを弾いて歌った。何も出来ない子供等《子供ら》の中に、私は少しよかったので先生《/先生》は私の将来に望《望み》を嘱していらしったのだったら《ろ》う。まだまだまだいろいろな事があったっけ‥‥。アイヌの子供をちっとも差別せずに、自分の弟や妹の様《よう》に思っていらしった事は、何時《いつ》までたっても忘れられない。  試験に及第した時も成績の悪い時も、あたかも我事《我が事》ででもあるかの様《よう》によろこびま《”ま》た心配して下すった。私の事ばかりぢ《じ》ゃない。教子全体《教え子’全体》の為《ため》にも‥‥勇さんの事で赤松先生の所へ、おっかさんから勇さんを連れてゆけと云は《わ》れて学校へ行った時も、先生は遠い雪道の帰りかけをわ《/わ》ざわざ勇さんの為《ため》に戻って来られたのを覚えている‥‥。お祭でも何かの時には、平気で私たちを連れて行って下すった‥‥まだまだ|一ぱい《一杯》ある‥‥。私は今日先生《今日’先生》に葉書を出したが、きっと先生はよろこんで下さるだら《ろ》う。  お湯へ行って来て今日も終《終わ》る。 ◇。◇。◇。 【六月十三日】 ◇。◇。◇。  奥様に白地単衣を一枚いただいた。|ほんとう《本当》にびっくりしちゃった。何《なん》といふ《う》言葉で御礼を申上《申し上》げればよいか頓《/頓》には出て来ない。朝起きても何もしない、昼も書斎にいて自分の事ばかりしている、そしていねむりばかりしてた《/た》だおせわになって、その上に今度は奥様のお召物まで頂戴する。まあ、私は何《なん》といふ《う》果報者なんだら《ろ》う。私に何が出来る。口でお礼を申上《申し上》げるだけで私のからだは何をする事も出来ないものを‥‥心の底から搾り出した──ありがた《と》うございます──でよいのでせ《しょ》う。私に出来る事、それは何だか私にはまだわからない。  私が東京の地をふ《踏》んでからちょうど一月《ひと月》たった。長い様《よう》でもあり短い様《よう》でもあった。私は、あと一月《ひと月》を越す事が出来るかしら‥‥明日ありと思ふ《う》ことなかれ‥‥《‥:》私が一月《ひと月》いるか十日いるか、目に見えぬ絶大の力、神の力のまにまに行く私たちですもの‥‥其《そ》の時其《時そ》の日を真実に過せばよいのだ。そんなら私の生活はこれで真実なのか。今、ただ今、私の命が現世を去っても何《/なん》の悔《悔い》もなく目を瞑ることが出来るか! おお私は‥‥。 ◇。◇。◇。 【六月十四日(|太──六・十九《マタイによる福音書◇第6章◇19節》)】 ◇。◇。◇。  一《1》、もろもろの天は神の栄光をあらは《わ》し、|おほぞら《大空》はそのみてのわざをしめす。  二《2》、この日ことばをか《/か》の日につたへ、この夜知識《夜’知識》をかのよにおくる。  三《3》、語らず|いは《言わ》ず、その声きこえざるに。  四《4》、その|ひび《響》きは全地にあまねく、其《そ》の言葉は地のは《果》てまでおよぶ‥‥。(|詩十九・一─四《詩篇◇第19章◇1から4節》)  九《9》、ヱホバのさばきはまことにしてこ《/こ》とごとく正し。(|詩十九《詩篇◇19章》)  十二《12》、誰かおのれのあやまちを知り得んや。ねがは《わ》くは我《我れ》を|かく《隠》れたる|とが《咎》より解放《解き放》ち|たま《給》へ。  赤ちゃんのお腹から葉っぱが出たといふ《う》。私がお抱申《抱え申》した時に、山吹を赤ちゃんが持っていらしったのを先生《/先生》が御覧なすったと云ふ《う》。嗚呼私《嗚呼/私》は何《なん》といふ《う》粗忽を昨日はしたのだら《ろ》う。赤ちゃんのお頭を紅葉の細枝に打ちつけた。あの柔《柔らか》いお頭を‥‥。この粗忽が原因になって、私はこれから信用を得る事が無くなるのかも知れない。|ほんとう《本当》に私の粗忽でした。然《しか》し昨日も一昨日もお抱申《抱え申》した時、紅葉の葉もざ《/ざ》くろの葉も山吹《/山吹》の葉も、沢山赤ちゃんは口に入《-い》れようとなすった。私は寸時も油断せずに、それをとっては捨て、其《そ》の毎に怒られて赤ちゃんに顔をひっかかれた‥‥が、私に隙《スキ》があって知《/知》らぬ間にそのままのみこんでしまは《わ》れたのかも知れない。おお何《/なん》といふ《う》私は隙《スキ》だらけのぼんやり者なんだら《ろ》う。  大事の大事のお嬢様──お嬢様でなくとも、お百姓の娘子《娘っ子》でも、これからずんずんと生長してゆく尊い魂。第二の「我」を預ける子守人《子’守り人》は|ほんとう《本当》によく撰《選》ばねばならない──《:─》ある時は母親以上のしっかり者が必要かも知れない。赤ちゃんのおなかから出たのは葉っぱでなくて長い糸|すぢ《筋》であった。それは、昨日奥様《昨日’奥様》が何《ど》うとかとお|きく《菊》さんがさ《そ》ういは《わ》れた。私ではなかった事はわかったが、赤ちゃんにとっては私であら《ろ》うが、母様《母さま》であら《ろ》うが、その他の人であら《ろ》うが、同じ大事《大ごと》ではないか。何故、私は自分の弁解ばっかりしたがるか。自分の|明り《明かし》さへ《え》たてばそれでよいと思ふ《う》私の愚かさよ。  自分を捨てて人の為《ため》に‥‥何《-なん》といふ《う》|難か《難》しい事であら《ろ》う。私にはとても出来ない事であら《ろ》う‥‥が、此《こ》の前先生《まえ先生》が仰った様《よう》に、自分を捨てきる事は出来ないけれども捨《/捨》てて人の為《ため》にしようといふ《う》努力はやはり尊いものである。努力、努力! そして出来るだけ完全に近い所へゆく‥‥それが人間にとってもっとも尊い事である。  おひる過ぎ、先生お一人を残して三越に出かける。電車の中は涼しかった。  奥様のお顔も涼しく見えたので嬉しかった。昨日いただいた着物を早速着《早速’着》て出かけたのだ。嬉しかった。真心から与へ《え》られたものを真心から有難いと思ふ《う》──それでいいのだ。何《なん》でお礼が返せるかなどと思ふ《う》のは、かへ《え》って与へ《え》た人の真心を無にする所以かも知れない。私だって人に物をあたへ《え》る時《とき》、価を貰は《お》うとして与へ《え》るか。それでは押売《押し売》りではないか。  三越の中をあるいてあるいてく《/く》たびれてしまった。お汁粉、ドーナツ、曹達水を御馳走《ご馳走》になって帰って来た。文明世界は私たちから見ればま《”ま》るで戦場の様《よう》な目まぐるしいものだと思った。二尺に一尺ぐらいの平べったい瀬戸物の中に水を|たたへ《湛え》て、其中《その中》に黒い石の凸凹になったり穴《/穴》のあったりしていて二十円だといふ《う》。小さな二つ三つの赤い花をつけた鉢が二円いくらだといふ《う》。何だかぐちゃぐちゃとした半衿が一《-ひと》かけ五円だといふ《う》。すべてが私の目をまるくする種であった。何を見たのかちっとも覚えていない。何《なん》でもああいふ《う》ものは私よりも色の白い人たちが興味を持って見るものであら《ろ》う。私はただ別な人間の住む星の世界を見物にでも来た様《よう》な気がした。自分で欲しい、自分の身につけて見たいなどとはちっとも思は《わ》なかった。  夜本郷《夜/本郷》キリスト教会の祈祷会《祈祷カイ》に奥様《/奥様》のお許しを得て出席した。男は牧師を入れて七人、女は私と八人、女の子が二人いた。  ちっとも熱のない会の様《よう》に思は《わ》れた。私は何故こんな心になったのだら《ろ》う‥‥。  兵隊さんあがりの商人らしいり《/り》っぱな人の信仰の証言があった。それは自分の妻をうんとほめそやしたものであった。  愛は忍ぶ──|ほんとう《本当》に然《そ》うだら《ろ》う。夫を愛すればこそ何事も忍ぶ──おうちの旦那様も奥様《/奥様》を愛するから忍耐しておいでなさる──《:─》奥様も子がかは《わ》いいからこそ自分《/自分》の苦しみを忍んで朝《/朝》からああしていらっしゃる──愛があればこそ──。私に愛があるか──お前がお前を愛すると云ふ《う》事のみでなく人《/人》を愛する愛を持っているか──。  白髪交《白髪交じ》りの梅原先生や、谷先生の奥さんによく似たよ《/よ》ささ《そ》うな人が私たちの為《ため》にお話をなされた──《:─》曰く、貴女《貴方》がたが此《こ》の静かな時を得て、口に出さねど心の中に祈る為《ため》に此《/こ》の|み堂《御堂》に集《集ま》ったのは何《なん》といふ《う》幸福な事でせ《しょ》う。すでに祈祷会《祈祷カイ》に出席しようと思って一歩《/一歩》を外に踏出した事が救は《わ》れている心の拠証《証拠》で、貴方方《貴方がた》は実《-じつ》に仕合せな人たちだ──。  牧師さんが|ねむさ《眠そ》うなのにはお気の毒な感じがした。今日旅《今日’旅》から帰られたばかりだといふ《う》。無理もないこと。人の話に感動して額《ヒタイ》を机にすりつけて居られるのかと思ったら、それはねむっていらしったらしかった。おねむい時はああいふ《う》会に成《-な》るべく出席なさらない方《ほう》がいいのぢ《じ》ゃないかしらと思った。  牧師さんのお話は、何でも御旅行先《ご旅行先》の森岡とかいふ《う》人が、肺結核になって一時は非常に悲観して世《/世》を|呪ひ《詛い》人を呪っていたが、この頃《ごろ》はその病気がすっかり|なほ《治》って、其《そ》の家庭がまるで変ったといふ《う》事であった。そして其《そ》の病気の|なほ《治》ったのは其《そ》の心持《心持ち》からで、たしかに神の霊感を受けたからで、私たちは誰でもみんなその霊を感ずる事が出来る──といふ《う》のであった。  でも教会へ行く事が私には大きな楽《楽しみ》なのだ。  私に感化されてお菊さんが|たいへん《大変》よくなったと奥様が、おひる|きく《菊》さんがお使行《使い》のあとで仰った。私の《は》内心びくりとした。ハテ、私に一《いっ》たい何《ど》んなよいところがあるのか、臆病な卑怯な心の持主《持ち主》の私の、何処《どこ》が人を感化する力を持っているのだ──《:─》自分で自分をさへ《え》よくする事が出来ない私ではないか──おお|はづ《恥ず》かしい──。お菊さんは不幸な人で、さ《そ》うして幸福な人だ──《:─》物を見て、人のでも構は《わ》ず欲しくなって手を出すといふ《う》癖を持つ人は沢山ある。私は、物を見る──きれいだ、と思ふ《う》──《:─》然しそれが欲しい、自分のものにしたい、などと思ふ《う》事があるかしら──。お菊さんはその心が出て来たときに自制《/自制》する事が出来ないから不幸な人であったが、今は心を入換へ《え》てそ《/そ》んな性癖を矯《正》してしまったといふ《う》。何《なん》といふ《う》尊い事でせ《しょ》う。彼女は幸福な人である。自分の性癖をまったくすててしまふ《う》、それは何《ど》んなに|難か《難》しいか知れない。私にはどんな性癖があるのだ。──人前をかざる──それではないか。即ち嘘偽《嘘偽り》! 言葉にも行動にも。でも|ほんとう《本当》に純な心になってる事がある──《:─》そんな時には決して嘘なと《ど》云は《わ》れないが。他人の感情を害ふ《う》事を無闇とおそれる私。やはり臆病なのだら《ろ》う、心にもないお世辞を吐いたりする。  人の感情を害すまいとして、自分の思ふ《う》と違ふ《う》、寧ろ反抗したい様《よう》な事柄も口《/口》では然り!《-》 と相槌を打つのが私のくせだ。それは正しくない虚偽の生活か──わからない──《:─》それだからって、自己に忠実に、人の感情が不快であら《ろ》うがどうであら《ろ》うがそれは知った事ではない、自分の思ふ《う》事をどしどし言ってしまって人《/人》の心の平和をかきみだしてしまふ《う》──《:─》それでよいのかしら──わからない──。  しかし、こんな事で迷ふ《う》のは、私が|ばか《馬鹿》なのだら《ろ》う。それは時と場合によるのだから‥‥。だけども、それは人各自の性質の如何《-いかん》で、同じ時、同じ場合でも一方はさらりと竹を割る様《よう》に活溌に自己の思ふ《う》事を其《そ》のまま発表してしまひ《い》、《:、》一方は内気に控へ《え》て言ひ《い》たいのをこらへ《え》て、口にまで出るのをのみこみのみこみ何《/ど》うしても言出《言い出》し得ないでもじもじする。私は一《いっ》たい何れに相当するのか──私は臆病なのだ──意気地な《無》しなのだ──。  久しぶりで英語をおならひ《い》する事が出来た。先生は|ほんとう《本当》にお|ねむさ《眠そ》うなのに、私故《私ゆえ》に無理をなすって教へ《え》て下さるのを思ふ《う》と、安閑と毎日を暮しておせわになり、其《そ》の上に英語を教へ《え》ていただくなんて随分勿体《/ずいぶん勿体》なさすぎる事だと思って気《/気》が気ぢ《じ》ゃなかった。  昨夜の先生の御講演はアイヌの宗教についてで、非常に賞讃を受けられたと云ふ《う》。何だかしら嬉しかった。二滴《二た》らし三滴《-みた》らしの酒と一つの柳の削ったのを神に捧げて、そして大きな願《願い》をする──《:─》ずいぶん虫のいいはなしだ──と思ふ《う》人は|はぢ《恥じ》なければならない、といふ《う》。何故なら神は人を造ったと云ふ《う》が、学問上《学問ジョウ》からは人が神をつくるのだとする。西洋の神は西洋人と同じ神様、日本人の神様はやはり日本人とおなじ神様である。だからアイヌの神様もまた|あいぬ《アイヌ》自身の心の反映だから、|あいぬ《アイヌ》の神が一滴二滴の酒とイナウをうけて、そして人間の大きな願《願い》を容れて大《/大》きな恵を下す‥‥《:‥》それは即ちアイヌの心持《心持ち》を其《そ》のまま物語るものであるといふ《う》。寡慾なアイヌが頼《/頼》まれれば厭とはいへ《え》ないといふ《う》様な性質なのだ、といふ《う》お話でありましたさ《そ》うな。  何だか涙ぐましい気分になったのだった。  お湯に行っての帰りに、めくらの女を見かけた。何処《どこ》とかの按摩さんを|たづ《訪》ねて来たがわからぬから、此《こ》の近所の同業者を|たづ《訪》ねてきいてみたらわから《ろ》うと思って来たのだといふ《う》。杖で探り探り|ある《歩》くが中々早《なかなか早》い。転びはしないか、人とぶっつかりはしないかとハラハラした。が|おきく《/お菊》さんの注意で、道が違ふ《う》といふ《う》事がわかって私《/私》は彼女の手をひいた。何《なん》といふ《う》あつくるしい手であったら《ろ》う。よくしゃべる‥‥見えない目をクルクル大きくする。着物の袖付は|二、三寸《ニサン寸》もほころびていた。大きな体格。近所の|もみれうじや《モミレウジヤ》では、彼女がいくら大きな声で呼んでも出て来なかった。やっと不親切な女中らしい声が内から出て来た様《よう》だ。先生はお|るす《留守》でいらっしゃるか? の問に女中は無愛想に不在のよしを話していた。が、硝子越しに見えた男は主人ではなかったかしら。何《なん》にしても、もう少し情のある言葉を彼女《/彼女》に誰かが与へ《え》てもよささ《そ》うに|思ほへ《思え》た。悲惨だ。何《ど》うしてあんなめくらになったのであら《ろ》う。今頃は何処《どこ》にいるだら《ろ》う。目的の家が見つかったかしら。 ◇。◇。◇。 【六月十六日】 ◇。◇。◇。  妙な夢ばかり見つづけた。目をさますと何だか|からだ《体》が蒸暑いや《よ》うな重苦しさを感じた。だいぶ動悸がする。電気はまだ点いていて、七八寸開《シチハチ寸開》かれたお座敷の襖から坊《/坊っ》ちゃまが裸で寝ていらっしゃるのが見えた。しばらく私はそのままグッタリしていると、突然、サーッと雨が降りだ《出》した。いい気持《気持ち》。小半時間もたってお|きく《菊》さんを起したが、彼女は目を細目にひらいて私を見ていたが、またすやすやとねむりだした──《:─》幸福、健康の幸福を彼女は持っている──。  暫くして、雨戸をあけて外を見た時は実《/実》に好い気持《気持ち》であった。青葉がしっとりと雨に濡れてポタリポタリと落ちる緑の雫、銀の雫。ここ地よい風が青葉を渡る。今日一日降《今日イチニチ降》ったり霽れたり。とうとう梅雨期《梅雨》に入ったのだ。  一時間ばかりねむってしまった。何《ど》うしてか《こ》うもねむり慾からはなれる事が出来ないのかしら。少し不足すると動悸が早くなり頭が重くて目がはっきりしない。  赤ちゃんの発熱でびっくりした。奥様の御心配がお|痛は《労》しい。私は大丈夫だと思ふ《う》。赤児《赤子》の発熱はままある事で、構は《わ》ずにしまふ《う》と取返しのつかない事もあるが、あまり心配するのもよくない様《よう》に思は《わ》れる。  然《しか》し、親が子の為《ため》に心配するのは人情の自然だものを‥‥|はた《ハタ》から、心配なさいますななどと、なまじっかな慰言を呈するのは却って罪かも知れない──《:─》私は心配する人と共に同じ心で心配したい、──それでいいのかしら。しかしまさかに、一々相槌打《いちいち相槌打》っては心配を増して、それも罪ではないか。そんな事も出来ない。  先生のお話。亜米利加では監獄の囚人を信じて獄外に出して、中学とかと野球の試合をさせる。すると囚人は一人も逃げるものなんか無く、信じられた嬉しさ有難さに泣《/泣》いて獄屋に帰って来る、といふ《う》。  |ほんとう《本当》に、信じられるといふ《う》事は幸福な事ですね、と仰った。まったく信じられた時は、何《ど》うしても「こんなにまで信じられては、何《ど》うしてもしっかりしなければならぬ」といふ《う》責任観念がひとりでに起《起こ》って来て、《:、》むやみと疑は《わ》れる時は、こんなにしても|うたがは《疑わ》れる、と思ふ《う》と馬鹿《馬鹿’》らしくなるのが人の感情であら《ろ》う。勿論、信じられようが疑は《わ》れようが、自分の尽すべき事を忠実につくし得る、尊い誠心がなければならないけれど‥‥凡人は何《ど》うしても前者の様《よう》になりやすい、と思ふ《う》。 ◇。◇。◇。 【六月十七日】 ◇。◇。◇。  汝心《汝/心》を尽し、精神を尽し、意を尽し、主なる汝の神を愛すべし。これ第一にして大《”大》いなる誡なり。第二もまたこれに同じ。己の如く汝《/汝》の隣を愛すべし。(|太二二・三七─三九《マタイによる福音書◇第22章◇37から39セツ》)  |ほんとう《本当》に最も大きな誡、これだけを守る心がある人は全《/全》くのえらい人でせ《しょ》う。私にはとても出来ない。完全なえらい人になる事は出来ないのは当然だら《ろ》う。が、先生がいつか仰った様《よう》に努力! 完全といふ《う》目的にむ《向》かって真直《真っ直ぐ》に進んでゆく‥‥それが私には最大なものである。 ◇。◇。◇。 【六月十八日◇ 日曜日】 ◇。◇。◇。  中央会堂へ行く。波多野牧師、能力の宗教といふ《う》説教。  荻原副牧師の祈祷は何とも云は《わ》れずよかった。夜、救世軍《救世’軍》へ行って、親の勤めと云ふ《う》おはなしをきいた。 ◇。◇。◇。 【六月十九日◇ 月《月曜日》】 ◇。◇。◇。  奥様はお|ひる《昼》からお出かけ。  赤ちゃんがお熱でお《/お》菊さんと二人で体温をはかるやら大|さは《騒》ぎ。  でも思った程でもなかったのでよかった。  奥様は痛切に神を求めていらっしゃる。先生は、奥様に神を信じさせようと熱心《/熱心》に努めていらっしゃる。  ときの声をお目にかけた。ブース大将の悲哀の教訓を‥‥。  先生はそれを奥様に読んでおきかせなすった。それから、馬太伝六章二十五節《マタイ伝六章二十五セツ》からおしまいまでのヱ《イヱ》ス様の御教訓を奥様《/奥様》にお読きかせなさいました。 ◇。◇。◇。 【六月二十日◇ 火曜】 ◇。◇。◇。  故里の何処《どこ》からも葉書一枚来ない。何だか寂しい。 ◇。◇。◇。 【六月二十一日】 ◇。◇。◇。  登別の父様、母様《母さま》からお手紙が来た。親の愛、それは|ほんとう《本当》に疑ふ《う》ことの出来ないものである。深い|ふか《深》い親の慈愛をあ《/あ》りがたく思は《わ》ずに居《-い》られない。筆不精の父様が長い手紙を、|書ぎらひ《カキギライ》な|はぼ《ハボ》があれだけ書いて下さる。不孝する子ほど可愛いものだといふ《う》。私はしみじみ思ふ《う》。親の深い恩愛を‥‥。  今朝お《/お》銭をいただいて涙した事が寝る前になっても胸にのこっていて、泣きたい様《よう》な感謝の心が湧く。私が何をした為《ため》にか《こ》うしてお銭をいただくのか‥‥こんなことを思ふ《う》のは間違ってるのだ。心よく与へ《え》て下さるものはありがた《と》うございますと、溢《アフ》るる感謝と共に真直《/真っ直ぐ》にいただくのがいいのだ。 ◇。◇。◇。 【六月二十二日】 ◇。◇。◇。 S子さんからの長いお手紙、ひらくと、|ぱたり《パタリ》と落ちたのは二円のお銭。  あの方の愛は純粋なのだ。私の愛はにごっている。おお御免《/御免》なさい。私はあなたの為《ため》に生きます。お銭など送って下さらなくともいいのに‥‥。  午後お《/お》母様からのお手紙、真子《マコ》と富子からの手紙。  救世軍《救世’軍》の人に対してニ《/ニ》シパが非常に悪感情《アク感情》を持って居られるといふ《う》。救世軍《救世’軍》は熱烈、死をも厭は《わ》ぬといふ《う》所はいいが、大事な聖餐もなければ洗礼式《/洗礼式》もない、といふ《う》。誰に断って人の家へ無断で来て集会を開いたり、人の部屋から寄付金をとったりするのであるかと、憤慨して居られるといふ《う》。  救世軍《救世’軍》! 私は救世軍が好きだ。形式ばっかりの宗教よりもだ《/だ》んだんだんだん内容充実となる様《よう》に進んで行く。何故、聖公会だの救世軍だの何だのかんだのとわかれわかれになってるのだら《ろ》うか。仏教だのキリスト教だのって‥‥。  自分の神さまを信ずる人のみが天国へ行き、あとのすべての人は地獄へ行くといふ《う》。私にはわからない。  ああもう宗教の事なんかわからない。ただ神様はある、たしかにあるといふ《う》事だけを私は確信している。孔子様《孔子さま》だの何様だのは|ほんとう《本当》にえらい聖人であったら《ろ》う。イヱス様の聖書を読んでは、一々、胸をさされる思ひ《い》がする。|ほんとう《本当》に拝んでもいい。拝まなければならない。理屈なしに信ずればそれでよいではないか。何故私《なぜ私》はか《こ》うも生意気なのだ。しかし、わからない。ああ今夜《/今夜》は頭がを《お》かしい。くしゃくしゃしている。  汝人《汝/人》をさばくは正しく己の罪を定《-さだ》むるなり。そは、さばく所の汝も同じくこれを|おこなへ《行え》ばなり。  此《こ》の如く行ふ《う》ものをさばきてこれを行ふ《う》者よ、汝神《汝/神》のさばきをのがれんと意ふ《う》や(|ロマ二・一─三《:ローマ人への手紙:◇2章◇1から3節》)  マデアルさんが肋膜炎だといふ《う》。何《なん》て情ない事であら《ろ》う。さ《そ》うあ《/あ》の人は弱々しい体格の持主《持ち主》だった。|ほんとう《本当》に素直な優しい気性の人。学業の方《ほう》は何《ど》うか知らないけれど、彼女をあのまま病《病い》の人にしてしまふ《う》のはあ《/あ》まりいたましい事である。  何故アイヌは、知識と健康を併得る事が出来ないであら《ろ》うか。幸《幸い》に知識と健康を得たとしても愛《/愛》を失っている。無味乾燥、少しのやは《わ》らかみのないものが出来上《出来上が》ったりするのではないかしら。  知識を得よう、知識を得ようと砕身粉骨に近い努力、先ず自分の最善を尽した私は、とうとう健康を失ってしまった。しかも、それほど望んだ知識なるものも望《/望》みの四半分も得る事が出来なかった。何故、私があまりに自然に|さか《逆》らったからか。さ《そ》うかも知れない、さ《そ》うでせ《しょ》う。自然に|さか《逆》らふ《う》、それは大きな罪であら《ろ》う。自然に伴ふ《う》べく最善をつくせばそれでよいのだ。  マデアルさんの健康を心から私は願ふ《う》。  トシ子さん、ツナ子さん、マ《マ-》デアルさん、トヨさんが此《こ》の次には洗礼をうけるから、その人たちの為《ため》に祈れと母様《母さま》が云は《わ》れた。|ほんとう《本当》に彼《-か》の若い人たちが、何卒私《なにとぞ私》の様《よう》な生半な心にならず、|をさなご《幼子》のや《よ》うにまっすぐな一途《/一途》な心になって信仰の道に|はい《入》られる様《よう》に私は願ふ《う》。 ◇。◇。◇。 【六月二十三日◇ 金曜日】 ◇。◇。◇。  善をなすものなし。一人もあるなし。  その喉は破れし墓、その舌は|いつは《偽》りをなし、其《そ》の唇は蝮の毒をもてり、その口は詛と苦《ニガ》きとに満ち、その足は血を流《-なが》さん為《ため》に早し。  残害《ヤブレ》と苦難は其道《その道》に残れり。  彼等は平康なる道を知らず。  その目の前に神をおそるるのおそれある事なし。(|ロマ三・十二─十九《ローマ人への手紙:◇3章◇12から19セツ》)  何《なん》といふ《う》痛烈な峻厳《/峻厳》な言葉であら《ろ》う。人の胸を突刺すオプの様《よう》‥‥。  坊ちゃんの綿入羽織を縫ふ《う》べく出していただいた。これで私は仕事が出来ると思ふ《う》と嬉しくてならない。人は仕事のないほど|こま《困》る事はないのだら《ろ》う。ただぶらぶらと日を消すよりも、あとからあとから仕事が出て来て暇《/暇》をを《惜》しんで働く人は全《/全》く幸福なのだ。健康!! またしても私は健康について愚痴を云は《お》うとしている。 ◇。◇。◇。 【六月二十四日】 ◇。◇。◇。  患難にも欣喜をなせり。蓋《蓋し》、患難は忍耐を生じ、忍耐は練達を生じ、練達は希望を生じ、希望は|はぢ《恥》を来らせざるを知る。(|ロマ《ローマ人への手紙》◇  )  朝ずいぶん早く先生がお起きなすったらしい。お書斎の戸を開いてびっくりしてしまった。  昨夜は三日振《三日ぶ》りで奥様はよくおねむりなすったと、お顔の色が生々《生き生き》していらっしゃる様《よう》にお見受《見受け》した。  坊ちゃんが御帰宅後《ご帰宅後/》お発熱。やっと赤ちゃんが丈夫になられたらまた坊ちゃん。真に親御さん方《がた》の御苦労は絶《-た》ゆる時がない。お気の毒とも何《なん》とも申しようがない。食後、先生が坊ちゃんに添寝して静《/静》かに手のあたりをたたいて居られるのを見かけた。何《なん》といふ《う》光景であら《ろ》う。病む五体を愛《/愛》に強い父君《父ぎみ》の腕にまかせてい《/い》まし夢路に入る坊《坊っ》ちゃま、そして憂ひ《い》に満ちたお顔は慈愛そのものに見える父君《父ぎみ》。父君《父ぎみ》の魂はスッカリ愛児《-まなご》の魂をふところにしておなじ呼吸、おなじ鼓動、すっかり大小の魂がとけあった形ではないかと思った。  私は親の愛をつくづく思ふ《う》。父の愛、母の愛、それは何れ劣らぬものである。  父様とはまだしみじみとお話をしたことは無い。だけど私は、父の愛も母の愛も、私の胸にしっくりと刻みつけられてあるのを今見出す。今此《今こ》の指の先を流れている血も、父母のわけてくれた血、その血の中には絶えず父母の愛が循還《循環》しているのだ。か《こ》うして私が父母を思出《思い出》している時も、父母はきっと私の事を思出《思い出》していてくれるのだら《ろ》う。それが何百里遠《ナンビャクリ遠》い此処《ここ》まで私の心に通じ、硬《強》ばった弁膜を|とほ《通》して胸の底まで徹して、それでか《こ》うしてあふれる涙があるのではないかしら‥‥。私は今日何《今日ど》うかしている。何故こうも父母が思出《思い出》されるだら《ろ》う。  先生が昨夜、御自身《ご自身》の経験談をおはなしなすった。先生の父君《父ぎみ》の子に対する愛のい《/い》かに深刻なものであったかが私《/私》にもありありと見える様《よう》な気がした。いくら|がまん《我慢》しようとしても涙が滲みでて仕様が無かった。  奥様も涙がお目から溢れていらしった様《よう》であった。  父様よ母様《母さま》よ、私は父様にも母様《母さま》にも不孝な子です。生《生ま》れるから死ぬまで御心配《ご心配》かけどほ《お》しでした。これからだっても私に何が出来るでせ《しょ》う。今までより以上の不孝を続けるかも知れない。だから孝行などとはあまりに大きくて、私にはそばへもよりつかれない事でありませ《しょ》う。此《こ》のままの状態で幸恵には何時此《-いつこ》の世を去るべき時が訪れるかわからない。  此《こ》の世にうまれて何一つ仕出かしたいい事もなくて、何時私《いつ私》は死んでゆくかわからない。だけど、父様よ、母様《母さま》よ、幸恵は生きていてなんにもおとっちゃんやおっかさんにいい言葉をおきかせしなかったし、ましていい事などは出来るはずもなかったけれど、《:、》幸恵の心は、おとっちゃんやおっかさんの慈愛に対する感謝でもって|一ぱい《一杯》になっていたといふ《う》事だけは真実な事です。ゆるして下さい。それだけでゆるして下さい。(二十五日朝) ◇。◇。◇。 【六月二十五日】 ◇。◇。◇。  日中は非常な暑さ、夕方ザーッと雨。坊ちゃんも大分《だいぶ》およろしいので安心。お|きく《菊》さんが腹痛で青い顔、いたましい気がした。一二日私《イチニチ二日私》に出来るなら代ってあげたいと思った。  奥様が教会へ‥‥。何だか嬉しかった。波多野牧師は『神の子』といふ《う》お話をなすった。  神を見る‥‥それは|むづ《難》かしい事だと思っている。がそれはちっとも|むづ《難》かしい事ではない。一輪の花を見てもそこに神が見える。一羽の飛ぶ鳥を見ても神が見える。一人の赤ん坊を見れば一層そこに神の姿を見る事が出来る。  人の心には良心がある。愛がある。それは神様の姿である。目に見えぬ神は、常に目に見える人の形をとって人《/人》にあらは《わ》れ給ふ《う》。親の愛、夫婦の愛、友情などといふ《う》愛を感ずる時《とき》、そこに神の姿が見えるではないか。キリストは神の子、その人格に神の姿が見えるのだ‥‥。 【然《そ》うだ! 然《そ》うだ!!】 ◇。◇。◇。 【六月二十六日】 ◇。◇。◇。  奥様に手拭地を一反《一反’》いただいた。何《ど》うしてこんなにいただいてばかりいるのかしら。ただ嬉しかった。ありがたかった。  夜皆様《夜/皆様》おやすみのあと腰巻《/腰巻》を一枚縫《一枚’縫》ってしまった。坊っちゃんがチッカッパをしようと仰ったのを快くお受けしたのはよかったけれど、外《ほか》の事でお|きく《菊》さんと|一しょ《一緒》に何かを話してる間に、チッカッパはみんなしまは《わ》れていた。花火の話をきいている時《とき》、またお|きく《菊》さんが何かを云ったのに気をとられてよ《/よ》く坊ちゃんのお話を聞かなかった。坊っちゃんは不快さ《そ》うにしてお床《トコ》に就かれた。  おお御免《/御免》あそばせ。私が悪《わる》うございました。何《ど》んなに御不快《ご不快》だったでせ《しょ》う。小さい美しい子供心にちっとも同鳴《ドウメイ》せずに、大人である自分の事ばかりに気をとられた。何《なん》といふ《う》私は利己主義な人間であら《ろ》うか。清い美しい坊ちゃんの御心に一点《/一点》の不快を点じた私の罪。 おお御免《/御免》あそばせ。私自身、一ばん人よりもさ《そ》ういふ《う》事には一人で心をいためる。自分の言ふ《う》事を知らぬ顔されるほど気持《/気持ち》の悪い事は無い──《:─》さ《そ》うした経験をあまるほど持ちながら──私は何《なん》といふ《う/》ひどい罪の人であら《ろ》う。御免あそばせ、坊《ぼ》っちゃま。 ◇。◇。◇。 【六月二十七日◇ 大方《おおかた》は雨】 ◇。◇。◇。  貯金をした。先生にいただいた五円の五分の一を‥‥。大決心《ダイ決心》ではじめたのだ。私はこれから収入の五分の一を必ず貯金しようと思ってる。 ◇。◇。◇。 【六月二十八日】 ◇。◇。◇。  救世軍《救世’軍》の杉原大尉からのお手紙。とうとう部落から手を抜くや《よ》うになりましたと。何だか情けない様《よう》な気がした。|ほんとう《本当》に情ない。松山さんからの手紙。あの方の文字はあ《/あ》の人の気性其《気性そ》の物を|あらは《表》した様《よう》な文字。美しくて強味のある人であったが‥‥。兄嫁と不和な為《ため》に北海道へ渡ってひとりぽっち、語るに友なき淋しい生活をしている故《ゆえ》、末ながく姉妹の契りを結ば《ぼ》うといふ《う》お手紙。美しいうちに強みを持った、優しいなかにきりっとしたところのある|彼の女《彼女》が兄嫁《/兄嫁》との不和で北海道へ来たといふ《う》‥‥《:‥》ありさ《そ》うな事だ。私の様《よう》に骨もない様《よう》な人には人《/人》と不和の為《ため》に遥々旅してわざわざ孤独の生活にはいる‥‥さ《そ》ういふ《う》事が出来るかしら。ああ私が今ここへ来ているのは何《なん》の為《ため》?  松山さんは|ほんとう《本当》に懐《-なつ》かしみのある人だった。たしかにいい人だった。姉妹の契り、そんな事は私として、はいそれでは、と直ぐにそのままう《/う》けいれるだけの心の準備がない。ただありがた《と》う、と言ひ《い》たい。私の様《よう》なものにさ《そ》う言って下さるとは随分変った人もあるものだ。  お湯へ行く。 ◇。◇。◇。 【六月二十九日】 ◇。◇。◇。  直三郎さんの病気を昨夜《/昨夜》きいてから、何だか|むやみ《’無闇》と胸《’胸》が塞る。とうとうあの子が肺病になったといふ《う》。なんといふ《う》痛《痛ま》しい事であら《ろ》う。今朝先生《今朝/先生》がいろいろとお話しなすった。|ほんとう《本当》に我子をよくしようしようとあせって、かへ《え》って我手《我が手》で殺してしまふ《う》。  魚をとって|ばけつ《バケツ》に沢山入《沢山い》れる。此方《こちら》では|いま《今》に池へはなしてやら《ろ》うと思ってるのに、生悧巧《ナマサカしら》な魚は逃れようとあせってピ《/ピ》ンピン飛立って|ばけつ《バケツ》の外に出てバタバタして、とうとう砂まみれになる。おとなしいのは、終《終わ》りまでじっとしていて池《/池》へ入《い》れられる時を待つ。さ《そ》ういふ《う》お話を承って成程《/なるほど》と感じた。運命に逆らは《お》う、自然の力に抵抗しようと思ふ《う》のは罪ぢ《じ》ゃないか。おのれただ人ではないか。小さい、いと小さい人の力が絶大無限の神の力に|さか《逆》らは《お》うとするのはあ《/あ》まりに愚《愚か》な事ではないか。何故神《なぜ神》は我々に苦しみを|あたへ《与え》給ふ《う》のか。試練! 試練!! 胸に|燃ゆる《モユル》烈火の焔《炎》に我身《/我が身》をやききたへ《え》、泉とほとばしる熱血の涙に我身《/我が身》を洗ふ《う》。さ《そ》うしてみがきあげられた何物かは、最も立派なものでなければならぬ。  私たちアイヌも今《/今》は試練の時代にあるのだ。神の定めた|まふ《もう》た、それは最も正しい道を私《/私》たちは通過しつつあるのだ。捷路《ちか道》などしなくともよい。なまじっか自分の力をたのんで捷路《近道》などすれば、真っさかさまに谷底へ落っこちたりしなければならぬ。  ああ、ああ何《/なん》といふ《う》大きな試練ぞ! 一人一人、これこそは我宝《我が宝》と思ふ《う》ものをとりあげられてしまふ《う》。  旭川のやす子さんがとうとう死んだと云ふ《う》。人生の暗い裏通りを|無やみ《/無闇》やたらに引張り廻され、引摺りまは《わ》された揚句の果《果て》は何《/なん》なのだ! 生を得ればま《”ま》たおそろしい魔の抱擁のうちへ戻らねばならぬ。  死《シ》よ我を迎へ《え》よ。彼女はさ《そ》う願ったのだ。然《そ》うして望みどほ《お》り彼女《/彼女》は病に死した。何《ど》うしてこれを涙なしにきく事が出来ようぞ。心の平静を保つことに努めつとめて来た私もと《”と》うとうその平静をかきみだしてしまった──《:─》だからアイヌは見るもの、目の前のものがすべて呪は《わ》しい状態にあるのだよ──。先生が仰った。おおア《/ア》イヌウタラ、アウタリウタラ! 私たちは今大《今/大》きな大きな試練をうけつつあるのだ。あせっちゃ駄目。ぢーっと唇をかみしめて自分《/自分》の足元をたしかにし、一歩一歩重荷《一歩一歩/重荷》を負ふ《う》て進んでゆく‥‥《:‥》私の生活はこれからはじまる。  人を呪っちゃ駄目。人を呪ふ《う》のは神を呪ふ《う》所以なのだ。神の定めた|まふ《もう》たすべての事、神の|あたへ《与え》|たまふ《給う》すべての事は、私たちは事毎に感謝してう《/う》けいれなければならないのだ。そしてそれは、|ほんとう《本当》に感謝すべき最も大きなものなのだ。  先生の弟さんが見えた。かげで御兄弟の会話をきいている。何《なん》といふ《う》なつかしい愛のこもった声なのだら《ろ》う。お国言葉のせいか、やさしい、|ほんとう《本当》にやさしい。取交す一言一言に肉親の美《/美》しい深い愛情がこもっている様《よう》にきこえる。赤ちゃんをおんぶして外へ出る。何だか自分が母親になった様《よう》な、涙ぐましいほど赤ちゃんがかは《わ》ゆくて、母《母’》らしい気分で赤ちゃんをあやし、赤ちゃんの為《ため》に心配する‥‥。子供が欲しい。またしてもこの望みが出てくるのだ。 ◇。◇。◇。 【六月三十日◇ 朝霧】 ◇。◇。◇。 【七月一日】 ◇。◇。◇。  夕方奥様のお供をして中央会堂へ行く。一時間ほど待ってやっとはじまった。  無邪気な子供等《子供ら》の映画に心が柔《柔ら》いで平和な気分になる。  ジャンパルジャンの劇、父様の事が妙に思出《思い出》されるので涙がこぼれた。  其《そ》の家の女、親子の愛の美しさを目のあたりに見せつけられて涙《/涙》を抑へ《え》る事が出来なかった。フィリップが自分の学識、手腕をのみたのんで、それで愛児《-まなご》を救は《お》うと思ったけれども、それは駄目であった。科学の力よりも母《/母》の愛の力が強《つよ》かった。科学を絶対の大《ダイ》なる力と信じていた彼は、科学以外の存在を知る事が出来た。 ◇。◇。◇。 【七月二日◇ 日曜日】 ◇。◇。◇。  坊ちゃんが井戸の中へ落っこちた。おお神様よ!!! 坊っちゃんは死ななかった。何《ど》うしてこれが感謝せずにいられよう。晩になって今日一日のことを|おもひだ《思い出》して見てもた《/た》だ|ゆめ《夢》のや《よ》う。坊っちゃんは|たいへん《大変》に元気でいらっしゃる。  夕方になって少しおむづかり、先生が晩《遅》くハーモニカを買っていらっしゃる。夜半頃まで御両親交々、うなされる坊っちゃんをすかしたりなぐさめていらしった。  おいとしい坊《ぼ》っちゃま。早くなほ《お》って下さいませ。神様どうぞお力を!  先生のあの時のお顔色、奥様の叫声《叫び声》、思出《思い出》しても涙が出る。  神の力、親の愛、私はしみじみ感ずる。 ◇。◇。◇。 【七月三日】 ◇。◇。◇。  今日も坊ちゃんはお元気、ハーモニカを吹いて。夜《夜/》お医者へ行って坊っちゃんの傷口を見た。あの井戸から落っこちて、これだけの傷で生命《命》を得たことは|ほんとう《/本当》に奇蹟でなければならぬ。飛《飛び》こんで救って下すった弁当屋の若い人、何《なん》といふ《う》えらい人であったら《ろ》う。ガッシリとしまったあの肉づき、活々《生き生き》している人であった。 ◇。◇。◇。 【七月四日◇ 大雨】 ◇。◇。◇。  奥様は気疲れでお床《トコ》の上に臥《-ふ》せっていらっしゃる。無理もない事。  神様、何卒奥様《なにとぞ奥様》を恵ませ給へ。 ◇。◇。◇。 【七月五日】 ◇。◇。◇。  一日たのしくすごした。坊ちゃんのお|あひて《相手》。 ◇。◇。◇。 【七月六日】 ◇。◇。◇。  愈梅雨《いよいよ梅雨》が霽《晴》れたといふ《う》。カラリと晴れて照りつける強烈な日の光にか《/か》らだは焼かれるや《よ》う。  夕方、岡村千秋さんといふ《う》方が見えた。先生が私を紹介して下さる為《ため》に探して下すったのださ《そ》うだけど、ちょうど赤ちゃんと|一しょ《一緒》に散歩に出かけていたので駄目だった。女学世界に何か書くや《よ》うに! と仰ったといふ《う》。何を書いたらいいのか知《し》ら‥‥。 ◇。◇。◇。 【七月七日】 ◇。◇。◇。  北見のウナラペがッレプ◇ イルプを送ってよこした。何《なん》といふ《う》かは《わ》いらしいウナラペなんだら《ろ》う。ところで困ったのには、私一人で食べていられないことである。坊ちゃんがよろこんで食べて下すった。晩には先生が葛湯しておあがりになった。先生はやはり先生、おえらいことだと思った。  奥様の御機嫌は今夜随分《今夜/随分》お悪い。何だかお気の毒で、赤ちゃんの叱られているかげでハラハラした。 ◇。◇。◇。 【七月八日】 ◇。◇。◇。  岡村千秋様にお目にかかった。私の写真を撮る為《ため》にわ《/わ》ざわざお出で下すったのだといふ《う》。びっくりして胸がどきどき、顔が熱くて仕様が無かった。何《なん》の為《ため》に私の写真を‥‥。  お湯から帰りに雨に遭った。|きく《菊》さんがか《駆》けるので私もか《駆》けた。一息にか《駆》けたあとが苦しくて苦しくて。  でもあれだけか《駆》けてこれだけの苦しみで済むとは、私もずいぶん達者になったと思って嬉しかった。  先生に余市の中里さんの話をきいて嬉《/嬉》しいのか悲しいのか涙が出た。茂さんのお父様だ。さ《そ》ういふ《う》人がいるならば、まだアイヌの運命は尽きないだら《ろ》う。 ◇。◇。◇。 【七月九日◇ 日曜日】 ◇。◇。◇。  昨夜の夢はずいぶん変だった。  兼吉さんの家に地下室があって、電燈《電灯》が点《-とも》っていた。私は富子をおんぶしていた。富子だと思ったが、泣声《泣き声》をきくと此方《こちら》の|たぁたん《タアタン》であった。中央に白布《シロヌノ》をかけた卓子《テーブル》があって、学校にあるや《よ》うな籐椅子が沢山あって、私はS子さんと対座していた。S子さんだと思ったのは川村サイトさんだった。兵隊さんが三人はいって来た。何処《どこ》かのアイヌの兵隊さん‥‥。私とサイトさんは大声で何かの議論をした。サイトさんが私にま《負》けた。外へ出た。かんとくさんの家の前は一ぱい雪があって、道は凸凹でずいぶん悪かった。ヤイペカヤイペカしながら来ると、マ《マ-》デアルさんに出会った。瓦斯か何かの縞柄のきれいな袷を着て長《/長》い袂の姿優しく蝦茶《/蝦茶》のメリンスの袴をはいて、靴をは《履》いて、ニッコリ会釈して、あの素直なやさしい黒い瞳を輝かして行過《/行き過》ぎた。私は後見送《あとを見送》った。うちにあった赤い表紙の讃美歌を右手に持っていた。  中央会堂へ行く。副牧師のおはなし。何だか少しわかった様《よう》な気がした。  汝等愛《汝ら愛》せらるる児女のごとく神《/神》に|效ふ《倣う》べし。  偶像をおがむ者のキ《/キ》リストと神との国をつぐ事を得ざるは汝等知《/汝ら知》ればなり。  汝等もと暗《-くら》かりしが今主《/いまシュ》にありて光れり。|以弗所書五・一─二二《エフェソの信徒への手紙◇第5章◇1から22セツ》  欧州戦争の時、佛蘭西のジョフル元帥が戦傷者の呻吟《シンギン》してる病院を見舞った。すると、何とかの毒とかの為《ため》に顔がスッカリ腫れあがって顔《/顔》の形もなくなった一人の兵士を彼は見た。おお、おん身はこの様《よう》に顔の形が無くなるまでに佛蘭西の為《ため》に苦戦してくれたか。さあ、握手をしよう、と手をのべた時、彼は体を|おほふ《覆う》薄い布の下から手を出した。おお其《/そ》の手は肩の下から切れていた。  ああ右《/右》の手が無くなるまでおん身は佛蘭西のために苦闘してくれたか。では左の手で握手を‥‥。元帥の言葉に彼は左の手を出した。がその手は腕の所がプッツリ切れていた。  おお、おん身は、顔の形を無くし、右の手を失ひ《い》、左の手をきられるまで佛蘭西の為《ため》に悪戦苦闘してくれたか。さらば‥‥とジョフル元帥は、彼の醜く腫上《腫れ上が》って顔《/顔》といふ《う》形もない彼《/か》の一兵士の熱に皮むけた唇に其《そ》の唇をつけて強《/強》いキッスを与へ《え》た。  兵士は泣いた。今までかつて泣いたことのない彼が涙を流した。彼が其《そ》の後少し快い時に友人《/友人》の手をかりて一篇《イッペン》の詩《-し》を書連《書き連》ねた。  我愛《我が愛》は酬ひ《い》られたり‥‥と。  人の為《ため》、世のために己をすてて、あらゆる悪戦苦闘を続けて、ふくれあがり、はれあがり、きれぎれに身はなら《ろ》うとも、感謝し、喜んでそれを甘受する‥‥それがクリスチャンの生涯だといふ《う》。キリストに|ならふ《倣う》所以だといふ《う》。その愛に酬るあついキッスは何? ◇。◇。◇。 【七月十日】 ◇。◇。◇。  林さんのよっちゃんが遊びに見えた。その人の家庭の話など、奥様がお話しになった。涙ぐましい話。 ◇。◇。◇。 【七月十一日】 ◇。◇。◇。  母様《母さま》からの手紙。松山さんの話、大尉の話、八重さんの話、すべてにお母様式《カアサマ式》を遺憾なく発揮してるのが面白く、またかなしい気がする。  葭原キクさんは|ほんとう《本当》に死んでしまったのだ。何卒嘘《なにとぞ嘘》であってくれるや《よ》うに‥‥と思った甲斐もなく。|彼の女《彼女》に就いて思出《思い出》すことは、容貌の美しかったこと、よく泣く人であったこと、よく笑ふ《う》人であったこと、幼い記憶に残ってるのは先づ《ず》そんなものである。文字が上手であった。怒った時の表情も目の前に見るや《よ》うだ。動作はしとやかな、先づ《ず》私たちアイヌのうちにも彼女がいたことは喜《/喜》ばしいことである。私を可愛がってくれ|たった《た》。  その人も今やなし。またしても何故アイヌはか《こ》うして少しよい人をみ《/み》な失ってしまふ《う》のかと泣きたくなる。|きく《菊》さんの娘はみゆきと言った。可愛い子であったが、父なく母なき孤子《孤児》になってしまったのだ。妙に気にかかって仕様がない。今は何処《どこ》にいるのか知《し》ら。母親に似て、色白の顔の形《/形》もととのった美しい子だった。さ《そ》うして、やはり母親に似て利発な子であった。今はもう十歳《10歳》ぐらいにもなるであら《ろ》う。おお《お/》かは《わ》いさ《そ》うに。幼くして母を失ったおん身は、これから何《ど》ういふ《う》生活に入るのか。さなきだに涙《/涙》の多い母を持ったおん身だから涙《/涙》もろい性質を持って居るのであら《ろ》うものを、きっと、さびしいさびしい涙の子にお《/お》ん身はなるであら《ろ》う。それもよし。泉《泉’》と湧く涙に身を洗ったならば、おん身は却って、美しい清い魂を得るであら《ろ》う。何卒《なにとぞ》さ《そ》うなって下さい。涙の谷に身を沈めてはいけない。決して沈んでしまってはなりません。 ◇。◇。◇。  七月十二日◇ 晴《晴れ》、終日涼《終日’涼し》 ◇。◇。◇。  奥様が、来年の春までいて頂戴と仰る。勿体ないこと。  岡村千秋さまが、「私が東京へ出て、黙っていれば其《そ》の儘アイヌであることを知られずに済むものを、《:、》アイヌだと名乗って女学世界などに寄稿すれば、世間の人に見さげられるや《よ》うで、私がそれを好まぬかも知れぬ」と云ふ《う》懸念を持って居られるといふ《う》。さ《そ》う思っていただくのは私には不思議だ。私はアイヌだ。何処《どこ》までもアイヌだ。何処《どこ》にシサムのや《よ》うなところがある?! たとへ、自分でシサムですと口で言ひ《い》得るにしても、私は依然アイヌではないか。つまらない、そんな口先でばかりシサムになったって何になる。シサムになれば何だ。アイヌだから、それで人間ではないといふ《う》事もない。同じ人ではないか。私はアイヌであったことを喜ぶ。私がもしかシサムであったら、もっと|湿ひ《潤い》の無い人間であったかも知れない。アイヌだの、他の哀れな人々だのの存在をすら知らない人であったかも知れない。しかし私は涙を知っている。神の試練の鞭を、《:、》愛の鞭を受けている。それは感謝すべき事である。  アイヌなるが故に世に見下げられる。それでもよい。自分のウタリが見下げられるのに私《/私》ひとりぽつりと見あげられたって、それが何《なん》になる。多くのウタリと共に見さげられた方《ほう》が嬉しいことなのだ。  それに私は見上げらるべき何物をも持たぬ。平々凡々、あるひ《い》はそれ以下の人間ではないか。アイヌなるが故に見さげられる、それはちっとも|いとふ《厭う》べきことではない。  ただ、私のつたない故に、アイヌ全体がか《こ》うだとみなされて見さげられることは、私にとって忍びない苦痛なのだ。  おお、愛する同胞よ、愛するアイヌよ!!! ◇。◇。◇。 【七月十三日】 ◇。◇。◇。  私が東京といふ《う》土地に第一歩を運んだのは二月前《/ふた月まえ》の今日であった。 ◇。◇。◇。 【七月十四日】 ◇。◇。◇。  直三郎さんがとうとうな《亡》くなったといふ《う》。涙も出て来ない。  直三郎さんの死骸、それにとりつく、父母君《チチハハギミ》の悲しい光景。それが目の前を何度も通りすぎる。 ◇。◇。◇。 【七月十六日◇ 日曜日】 ◇。◇。◇。  中央会堂で波多野牧師の「信仰の種類」と題するお説教。ちっともわからなかった。  午後、|なほ江《直江》さんといふ《う》、先生の弟さんが見えた。安蔵さんの方《ほう》が静かな、優しい方の様《よう》に見えた。此《こ》の方はまた、たいそう無邪気な可愛《/可愛》らしい弟さんだと思ふ《う》。  お国言葉まるだしで、太いお声《こえ》。かげできいていると、まるでアイヌの男の話声《話し声》の様《よう》だ。  御兄弟仲《御兄弟/仲》むつまじくいらっしゃる事は、次郎さんの時も安蔵さんの時も今の方の時も同じ事なのだ。次郎さんと|なほ江《直江》さんはよく似ていらっしゃる。先生と安蔵さんの似ていらっしゃるのはまたそれ以上である。 ◇。◇。◇。 【七月十七日】 ◇。◇。◇。  大|さは《騒》ぎして|なほ江《直江》さんのお帰り。案じた通《とお》り奥様《/奥様》の御気分《ご気分》が勝《優》れぬ。 ◇。◇。◇。 【七月十八日】 ◇。◇。◇。  奥様は歯医者さんへ。  先生は中学校へ。お不在の間に|なほ江《直江》さんが見えた。坊ちゃんが新しいマントをお土産にいただいた。  夕方、ザーッと夕立、|ほんとう《本当》に気持《気持ち》がよかった。  宮下長二といふ《う》青年が私を訪ねて来た。あんまり真面目な人に見えなかった。が、それは私の間違ひ《い》かも知れぬ。トメさんと文通してるといふ《う》。  研究するんぢ《じ》ゃなくて、ただ好奇心からアイヌの歴史をきき、生活状態を見、心理状態を観察しや《よ》うといふ《う》のだ。なんだか私は侮辱をさへ《え》感ずる。しかしいくらものずきでもよ《/よ》く訪ねてくれたと感謝する。 ◇。◇。◇。 【七月十九日】 ◇。◇。◇。  仕事が無くて困ってしまふ《う》。  今日も奥様は歯医者さんへ。  一日お天気。 ◇。◇。◇。 【七月二十一日】 ◇。◇。◇。  賜はことなれども、霊は同じ。 ◇。◇。◇。 【七月二十二日】 ◇。◇。◇。  六月の二十七日に出した手紙の返事がや《/や》っと七月の二十二日に手に入った。  鉛筆の走書《走り書き》で書いてあることも、私の聞きたいと思ふ《う》ことは何も書いていない。そして|浮ッ《上っ》調子なや《よ》うにもとれる。然《しか》し、やはり何処《どこ》かに愛のひらめきが見えるのは嬉しい事である。 ◇。◇。◇。  七月二十三日◇ 晴《晴れ》、九十度の暑さ ◇。◇。◇。  中央会堂へ。  先生に五円、お小費《小遣》にと戴いた。嬉しくて堪らない。けれど何もしないで‥‥といふ《う》気持《気持ち》がまだ浮ぶ。ただ感謝すればいいのに‥‥。  会堂では副牧師の説教。 ◇。◇。◇。  我生《我れ”いく》るに非《あら》ず、  キリスト我《/我れ》にありて生《-いく》るなり。 ◇。◇。◇。  波多野牧師に御挨拶申した。随分いい方《かた》だ。  夜、町田さんなる人が見えた。成程《なるほど》、感謝に満ちた顔して居られる。先生や奥様にほめそやされたには驚いた。悪く言は《わ》れるのは|いや《嫌》だけども、よくもないことをほめられる事程困《事ほど困》ることはない。  赤ちゃんに少しお熱があった。 ◇。◇。◇。 【七月二十四日:◇ 晴《晴れ》】 ◇。◇。◇。  朝から随分暑い。  赤ちゃんの機嫌が悪い。からだのかげんがお悪いのだと思ふ《う》。元気がない。  御機嫌が|なほ《直》った。  樺太のニマポを見せていただいた。何《ど》れ程古《ほど古》いかわからぬニマポ、ピカピカ光ってる。私は涙が出た。  ワカルパアチャポの事をうかがって|思は《/思わ》ず涙にくれる。 ワカルパアチャポ、◇ ワカルパアチャポ‥‥|あいぬ《アイヌ》は滅びるか。神様、何卒《なにとぞ》‥‥。いいえ、聖旨のままに為《な》させ給へ。  奥様のところへマッサージの人が来た。  孤児院の女の子が『買って下さい。要らないのを買ふ《う》のが慈善でせ《しょ》う。奥さん、買って下さい』といふ《う》。まだ十二か一の|をさな《幼》い娘。何《なん》といふ《う》、惨めな此《こ》のありさまであら《ろ》う。涙ぐましい気持《気持ち》がする。人生の悲惨はこの孤《孤り》の少女の額にあ《/あ》らは《わ》に見ることが出来る。 ◇。◇。◇。 【七月二十五日】 ◇。◇。◇。  午後から、先生と坊《坊っ》ちゃまのお供をして博覧会見物と《に》出かけた。  目が|まは《回》りさ《そ》うなところ。何《ど》れも何《ど》れも驚嘆の種でないのはなかった。  彼方此方《あちこち》で種々《色々》と御馳走《ご馳走》になった事。お腹が|一ぱい《一杯》だ。  帰って来て心に残り刻まれてあるのは、南洋土人の歌劇、南洋土人の子供のかは《わ》ゆかった事。いもやかぼちゃのやすかった事、氷水のおいしかった事、噴水のきれいだった事、池の夜景のよかった事。  絵葉書を一組《ヒトクミ》いただいた。くたびれてくたびれて、物言ふ《う》事さへ《え》億劫になってしまった。 ◇。◇。◇。 【七月二十六日】 ◇。◇。◇。  くたびれた割に今朝は早く目をさました。金田一さん、金田一さん、とあは《わ》ただしく門をたたいた山本の奥さん。  |一ぱい《一杯》の水にやっと息をついて、一言二言語《一言ふたこと語》った事。  みいちゃんが死んだ、汽車で自殺した、と。  つひ《い》先達見えたあのみいちゃん。美しく|らふ《﨟》たけたあのみいちゃん。人の奥さんと呼ぶにはあまりにいたいけな、二十歳《ハタチ》だといふ《う》ても精々十七ぐらいにしか見えなかったあのみいちゃん。こんな人が奥さんとはあまりに痛ましい事だ、と私が言ったっけが。  神経衰弱とは何《/なん》とおそろしい病気であら《ろ》うぞ。  三時頃お|かへ《帰》りの先生は、それに就いて種々《色々》なお話をなすった。奥様の事についても。  夜、先生はお通夜にお出かけ。私は先生の代《代わ》りみたいに奥様《/奥様》がたと一つ蚊帳に寝た。  子を持つ人の如何に苦労の多いかをつくづく思ふ《う》。  坊っちゃんと赤ちゃんが、あっちへころころ、此方《こっち》へころころ。|のみ《蚤》か蚊か、そらお乳、そらおしめ。それに奥様がちっともおねむりなさらない。びくびくびくびくとちっとも落《落ち》つかない御様子《ご様子》。何だか私の方《ほう》が神経衰弱かも知れぬ。  二時半のお乳からはグッスリ寝入った。 ◇。◇。◇。 【七月二十七日】 ◇。◇。◇。  先生も奥様もがっかりしていらっしゃる。みいちゃんみいちゃん、一日みいちゃんが頭をはなれない。 ◇。◇。◇。 【七月二十八日】 ◇。◇。◇。 【(以下余白《以下/余白》)】 ◇。◇。◇。 【底本:「銀のしずく◇ 知里幸恵遺稿」草風館】 【   1996(平成8)年10月1日】 【※《◇》底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-《の》86)を、大振りにつくっています。】 【※《◇》底本の凡例には、「読み易くするため、拗音と促音のみ現代用法に則った」と記載されています。】 【入力:田中敬三】 【校正:川山隆《川山’隆》】 【2006年7月28日作成】 【青空文庫作成ファイル:】  このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http|://《コロン/スラッシュスラッシュ》www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。