◇。◇。◇。 【日記】 【知里幸恵】 ◇。◇。◇。 【大正十一年六月一日】 ◇。◇。◇。  目がさめた時、電灯は消えていて/辺りは仄薄暗かった。お菊さんが心地よげにすやすやと寝息をたてていた。今日は六月一日、一年十二ヶ月のうち第六月目の端緒の日だ。私は思った。この月は、この年は、私はいったい何をなすべきであろう‥‥昨日と同じに机に向かってペンを執る、白い紙に青いインクで/蚯蚓の這い跡のような文字をしるす‥‥ただそれだけ。ただそれだけの事がなんになるのか。私のため、私の同族祖先のため、それから‥‥アコロイタクの研究と/それに連なる尊い大事業をなしつつある先生に/少しばかりの参考の資に供すため、学術のため、日本の’国のため、世界万国のため、‥:‥なんという大きな仕事なのだろう‥‥私のアタマ、小さいこの頭、その中にある小さいものをしぼり出して筆に表す‥‥ただそれだけの事が─:─私は書かねばならぬ、知れる限りを、セイの限りを、書かねばならぬ。──輝かしい朝──緑色の朝。朝食の時、中條百合子さんの文章から、芸術と実生活、カネ持ちの人の文章に謙遜ミのない事などを先生がお話しなすった。  芸術と云うものは絶対高尚な物で、親のため、夫のため、子のために身を捧げるのはごく低い生活だというのが/百合子さんの見解だという。「しかし芸術が高尚な尊い物であるのとおなじく、家庭の実生活も絶対に尊い物である事にまだ気がつかないのは”まだ百合子さんが若いのだ、かわいそうに‥‥。」と先生は、若い彼女をいじらしいもののようにしみじみと仰る。私はよそ事ではないと思った。胸がギクリとした。私には芸術ってなんだかよくはわからないが‥‥。  それから、百合子さんは、あまりに順境に育ったので、人生は戦いである事を知らずに/物見ユサンと心得ている‥‥というお話もあったが、わかったようなわからないような気がした。  喜びも/悲しみも/苦しみも/楽しみも、すべてが神様の私に与え給う事なのだ。私に相応しくない物を/神様は私に与え給う筈はない。だから私は与えられる物を素直に喜んでいただかなければならない。不平、それは、神を拒否する事ではないか。感謝、感謝!  罪を犯して罰をのがれようとは虫のいい話。仕事を持ち出して奥様やお菊さんとお裁縫をする。奥様は昨夜の寝不足で今日はご気分がすぐれないとの事、夢さえ見ずにグッスリと寝入った私は、何だかしら、済まないような気分が起った。なにとぞ奥様に安眠が与えられますように‥‥と祈らずには居られない気になった。  赤ちゃんが今日は大変ご機嫌がよい。奥様のために、先生のために、赤ちゃんご自身のために、坊ちゃん、お菊さんのためにも/赤ちゃんの健康が本当に望ましい事。「弱い女が主婦になるのは罪だ。子供のため、夫のため、自分のために最大の不幸だ」と奥様が仰る。何たる悲痛の言葉ぞ。私は直ぐに打消して/それに代わるよろこびの言葉を見つけようと思ったが/不能であった。だって私は常日頃ちょうど奥様とおんなじ心持ちでいたのだから‥‥。奥様は最も深刻にその経験をなされたのだ。私は‥‥これから、その生活に入ろうとしている。自分の弱い事を知りつつ/そうした生活に入るのは罪かしら‥‥。罪だとしたら私はどうすればよいのだろう‥‥。  私は申し上げたい。  おいとしい奥様、どうぞ安心して夫の君の愛におすがり遊ばせ。あのおやさしい/美しい旦那様は/あれほど貴方を愛して/貴方を支えていらっしゃるじゃありませんか。奥様は幸福でいらっしゃる。旦那様の愛は即ち神様の愛、神様の力ではありますまいか、と。  今度少し裁縫をなさいと奥様が仰った。嬉しい事。英語が難しくなったのが嬉しかった。明朝の復習がたのしみ。麗らかなみどりの日はこれで終わる。 ◇。◇。◇。 【六月二日】 ◇。◇。◇。  今日もいいお天気。朝のうちは英語の復習、洗濯で時を過し、お昼飯までは/シュプネシリカを書く。午後は裁縫、読書。十二時少し前に就寝、手紙をやっと二枚。こちらのイアクニシパの遺稿『身も魂も』を読んだ。なんという悲痛極まる文字であろう。一字一字/真っ赤な心臓から迸り出る美しい生き血で書きつけられたもののよう‥‥。愛とは何。かの君が命を懸けて戦った血と涙の記録、どうして涙なしに読む事が出来ようぞ。私にはちっとも批評などの出来る頭じゃない、ただただ痛切な同情同感の涙のみ‥‥。  真剣、私の心に真剣な愛があるか。真剣な愛を彼に捧げているのか、果して。純真な美しい愛か。おお私は愛します。ただ貴郎を愛します。身も魂も打ちこんで‥‥。貴郎もまた私にそうである事を私は深く深く感ずる事が出来ます。信じます。私をも信じて下さい。  義経伝説を書いていらっしゃる先生のお顔が何だかしら青く見える。お疲れでしょう、本当に‥‥おからだにお障りの無いように‥‥奥様の御心配の程が察せられる‥‥。赤ちゃんをよほどだっこした。随分私の顔が珍らしいものに赤ちゃんには見えたのでしょう。動く私の口を引っかいては黙って見つめていらっしゃる‥‥おお/かわゆい赤子、本当に不思議でしょう。どこから来た新しい人だろう‥‥と。  手紙を書いた。眠かった眼が次第にさえて/時のたつのを忘れて書いた。本当にシンジ-ュンな誠をこめて‥‥。手紙などは、本当に真実がなければ書けないもの‥‥。グリース神話/読み終る。 ◇。◇。◇。 【六月三日】 ◇。◇。◇。  朝、チッチッチッと小鳥が啼く。かわゆい声で‥‥。かわゆい子供を中にした夫と妻、なんという幸福に満ちた生活なのであろう。美しい夫婦の愛が子というものによって、層一層’醇化され向上してゆくものなのであろう。  子というものの若い芽を、魂を伸びさせようとするのには、父も母も本当に同じ心を持って心配し、努力するのではないか。ホオが少しふくらんで来たといっては顔見合せて共に同じよろこびをし、少し熱があるようだと云っては二人こもごも/まなごの頭に手をふれる‥‥。美しい愛の姿、夫と妻の愛の姿は、二人の間の-まなごによって表現されるのであろう。まなごに対する時の父母の心は、真に二つが一つに融けあっているのだもの。  奥様が昨夜の寝不足で/お気分が甚だ優れぬ。だから、私もどうか頭が少し痛くなって/お苦しみを分け持ちたいと思った。  お湯にゆく。自分の醜さを人に見られることを死ぬほど恥ずかしがる私は、なんという虚栄者なんだろう。これでももし人並みに、あるいは人’以上に美しい肉体を持っていたら、自分以下の人に見せびらかして/自分の美をほこるのであろうに。私にふさわしくないものを神様が私に与え給う事はない。私にはどうしてもなくてはならぬ物かも知れない。私は与えられた私のものを、なんのハズる事があろう。神様の目からは、そういう美醜などは何の差別もなく、みな一つのものではないか。尊い賜である肉体を/醜いと云って愧じていた私。神様になんという私は親不幸な子なんだろう。美しい、醜いなどという事を/どこから割出してきめた事なんだろう。ドッケツ! 美しくてもみにくくてもいいではないか。みんな人間だ、みんなおなじに神の子ではないか。親の愛は美しい子にばかり偏るであろうか。否。肉体の美醜は親の愛をちっとも変らせる事はない筈だ。私はただ感謝する。感謝する。  単衣が出来上がった。旭川のお母さんが炭一俵を買うのをやめたそのお銭が/この単衣になったのだ‥‥。 ◇。◇。◇。 【六月四日◇ 日曜日】 ◇。◇。◇。  七日のうち一日‥‥遊ぶことをわすれて‥‥真志保の声がきこえるよう。一切を忘れて神様に祈って、懺悔し、感謝し、心のうちを神様に訴える‥‥ああ/なんという尊い事であろう。私は「聖書が欲しい、教会へゆきたい──。」それを抑えてただ祈る。神様よ、私がどうかして本当に一筋の心になれますように──。  奥様は昨夜はよくねむれたと、はればれしたお顔を見せて下すったので嬉しかった。  いいお天気、青葉に輝く日の光、本当に明るい日。ここちよいそよ風が/今日はじめて着替えた単衣の袖をはらう。(十時頃)  旭川ではもう日曜学校を終わったろう。親、兄弟、親類、知己、一人一人の顔が目の前にうかぶ。父様の病気は治ったかしら。色々な種類の美しく咲き揃った花を売りにあるく人が/面白い声で花歌を歌う。  やはり私には教会が懐かしい。神様のお話がききたい。讃美歌を歌いたい。祈りしたい。不信仰な私は聖書を忘れて来たのだ‥‥罪びと。  先生に教えられて本郷教会へ’行く‥‥大きくない教会だけど、あまり’人の少ないのにちょっと驚かされた。十二人の来会者のうち/真面目に話をきく人が何人あるのかしら。若い青年がコクリコクリといねむりをし、若い女が欠伸の出しつづけ。オルガンを-ひく女の人は居ねむりを我慢しきれないで/みっともない様子をする‥‥。私には今夜きいたお話が何だかわからなかった。今’私の頭に、胸に、なんの印象も残っていない。  杉原大尉を思い出す‥‥杉原先生のお話がききたい。真砂町に小隊があるから‥‥とたしかに仰ったのを覚えているが、わからなくて困る。心からシックリと私の心に合うお話がききたい。杉原先生を恵み給へ。  奥様が坊ちゃんと嬢ちゃんを一緒にお湯へ連れて行きなすったので、頭がぐらつくと仰る‥‥なにとぞ今宵も安らかな眠りが/彼の人の上に訪れますように‥‥。  先生が仰る。私が一つの原稿を書くにもこんなに苦しんで書く。誰にもその苦しみは認めては貰えないけれども、それでもいいかげんにサラサラと書く事が出来ないと仰る‥‥おお/なんという尊い事であろう。何だかしら、私は涙が-でそうに/先生の人格に敬服する‥‥。苦しんで苦しんで-しゅつらいした物を人はちっとも知ってくれないのに、それでも苦しまずには書けない‥‥。私は心の中にそれを繰り返し繰返す。  お伽噺を読むと、私も天真爛漫な子供になってしまう‥‥。坊ちゃんに読んできかせて上げて、また寝るまで読んだ。グリムのお伽噺。  先生の原稿が出来上がった。どんなに先生は御安心でしょう。苦しんで苦しんでの賜のよろこび‥‥尊いよろこびじゃありませんか。私もほんとに嬉しかった。  お菊さんはほんとにかわいらしい人、私はつくづく思った‥‥縫いかけの単衣を頭からかぶってねむってるお菊さんの側で/お伽噺の本を読みながらつくづく思った。  もう十一時近いだろう。今日もこれで終わる。  おやおや先生はこれからまだお仕事があるんですって。明日の下調べ‥‥。私は寝ようと思ったが/何だか勿体なくなって-ねられない。何を売るのか知らないが、毎晩悲しいネの笛を吹きながら通る人がある‥‥きっとだいぶ年をとったお爺さんなんだろう。あの笛のネをきくと何だかそういう気がしてならない。  東京の物売りは実際面白い。豆腐屋がアウアウと何か気の狂った小僧さんのような声を出して私を驚かして、わざわざ表へ飛び出させたりしたっけ。  今日はおうちでフロックスの花を買った。花を見ると、おとっつぁんが思い出されて仕様がない。  万年筆がどうしたのか、インクが両方から漏り出して困るので赤いきれで繃帯してやったが、それでも漏って困った。先生がかわいらしい万年筆を貸して下すった。この私のは今度直す所へやって下さるとのお話、東京の商人はずるくて、地方へは悪いものを持ってゆくのだと云うお話もきいた。  いったい商人というものはどうしてそう利慾にばかり偏るのかしら‥‥今夜の牧師さんのお話もそういうのらしかった。富めるものの神の国に入るは-いかにかたいかな。神様の委託物である富を、神様の聖旨にかなうように使わねばならぬ。富を得るために悪い事をしたりする人は/富を神の賜だと思わないから‥‥自分の労力の代償だと思うから‥‥。ではその労力はどこから来る、その代償はどこから来る。見よ、空の鳥はつむがず/耕さずして/しかも豊かに日を暮しているではないか、というおはなしであったのだ。私たちは何もそう、ちっぽけな智恵をしぼって富なる物を得ようとして脱線したりしなくとも、神様は、ただ信頼し/身も魂も任せてる者には、毎日のなくてならぬものは必ず与え給う、と。富が与えられたら神のために‥:‥私は、何を持ってるだろう。 ◇。◇。◇。 【六月五日◇ いいお天気】 ◇。◇。◇。  赤ちゃんにひっかかれながら’庭であそぶ。おさなごは本当に正直です。赤ちゃんは私が嫌いなんですもの。  英語を教わる。知らない事を覚えてゆくたのしみは非常に大きな物。  旭川の母さまからお手紙をいただいた。  森長ミサオさんという方が私と友達になりたいとの事、何だか困った事のように思う‥‥。私に今まで友達というものがシンにあったであろうか。チリさん、幸恵さん、どうぞ永久にご交際を‥‥そう云って下すった人たちは今どこの空に暮しているのか、それさえ私にはわからない。私が東京へ来た、お友達に知らせようと思った事/いまだ一度もない。私にまごころがないからか。  真志保が運動会で一等を得たと云う。嬉しい事。なにとぞ私の真志保がからだに/魂に/頭に、強健が与えられますように‥‥。  豊栄の運動会、今年はいつもより大人も子供も服装が立派になったという。なにとぞ服装ばかりでなく、愛する兄弟よ、すべてに眼を開いて下さい。  久方振りで聖書を見て私は喜ぶ。やはり私は神の子、常に神にそむいていながら、やっぱり神様を思いいづる。神を仰ぎたくなる。  ヒジリコトバがききたい。 ◇。◇。◇。 【六月六日】 ◇。◇。◇。  朝、聖書を読む。  我やすらかにして臥し/またねむらん。ヱホバよ、我を独りにて平らかに居らしむるものは汝なり。  昨日、奥様に拝借した平民の福音を読む。  人に親切をする事、それは非常にいい事である。だけどただ親切をするという美名を着るのみなら/なんになろう。親切は、本当の心から、心の底から起こる愛の発現ではないか。相手の人の心と自分の心とが同じになって、はじめて、自分の心が自分のからだを動かして働く‥‥美しいこと、尊いこと。  お昼はお汁粉、おいしかった。英語はだんだん難かしくなって来た。どうしてこう覚えが悪いか。でも、焦らなくったっていい。考えればわかるのだから‥‥。もう少し敏捷に頭が働けばよいと思うけれど自業自得か。それともこれが私に-ふさった頭であろう。勉強勉強、何だか-あとから-あとから追われるような気がする。いそがしい事だ。  お母様に手紙を書いていると、坊っちゃまが見えて、歌を歌うやら、面白い事ばかりきかして下すったので/お腹の皮がよれる程笑った。坊っちゃまの頭はいったいどこに際限があるのだろう。私はただ驚くよりほかなかった。  真志保にも手紙を書いた。今頃はお母さまも/マコも/富子もスヤスヤとねむってるに違いない。  お母様がいやな夢を見たから/幌別にきっと何か変った事があるに違いないというお手紙、ハテ、なんだろう。フチはかわいそうに、どんなに私の事を心配していて下さるのでしょう。ただ一途に私をかわゆくてかわゆくて/呑んでも足らないのだ。  おお、別れの時の光景が目の前に浮ぶ。フチたちよ、父母よ、兄弟よ、御身たちの健康を祈る。私はあなたたちのために/なんのいい事をしたであろう。これからも何を為し得るであろう。寧ろ心配をかける事のほうが多くなるのではないか。神様、私を導き給へ、私に最もよきところへ。今日はちょっと雨が降った。 ◇。◇。◇。 【六月七日◇ 朝】 ◇。◇。◇。  悪に敵するなかれ。人/汝の右のホオをうたば”またほかのほほもめぐらしてこれにむけよ。  人/汝に一里の公役を-しいなば、これとともに二里行け。汝に求むるものには与え、借らんとする者をしりぞくるなかれ。  汝等の敵を慈しみ、汝等を詛う者を祝し、汝等を憎む者をよこし、なやめせしむる者のために祈祷せよ、神の子とならんために‥‥  天の父が/ヒを善者にもアク者にもてらし、雨を良き者にも良からざるものにも降らせ給へり。(マタイによる福音書◇第5章◇39から46セツ)  この故に天に在す汝等の父の-まったきが如く/汝等も-まったくすべし。  われ汝の指のわざなる天をみ、なんぢの設け給へる月と星とを見るに、世の人はいかなるものなれば/これを聖心にとめ給うや、人の子はいかなるものなれば/これを顧み給うや。  ただすこしく人を神よりも卑くつくりて/栄と尊きとをこうぶらせ、またこれに/み手のわざを治めしめ/よろずの物をその足のもとにおき給へり。  すべてのうし、羊、また野のケモノ、そらの鳥、うみの魚、もろもろの海路を通うものまで皆しかなせり。  われらのシュ/ヱホバよ、なんじのミナは地にあまねくして/トウトきかな。(詩篇◇第9章◇3から9節)  神様は絶対公平の愛なのだ。私は広大無辺の宇宙を思う時にそう思う。そして、また最も小さい小さい虫を見ても/草花を見てもそう思う。名もない草花、垣根の隅の小さな苔でも/時が-くれば花ひらき/種を残して枯れてゆくではないか。神様がそれを彼に与えたもうて、彼のこの世の天職としたもうた。そしてかの小さい花は/なんの不平も持たぬではないか。彼等はそれでいいのだ。太陽、星を支配し給う神様は”またかく最も小さきものをも/些かの乱れなく支配し給う。  お父様の手紙、お父様がそういう事をお書きなさろうとは/夢にも思わなかった。 ──人間は何が苦しいと云って、不快なほど不幸な事はないであろうと思う。その身も将来’家を営む上に/充分注意を要するべく、その身’世間のおかげで勉強して大きな智恵袋に一ぱい智恵をつめこんでも、不健全な身体を持ち、不愉快な日を送るようでは:、なんにも知らずに日々/ニナワを背おって薪木を拾う人、わらびをとってイチに売る人々のほうが/なにほど幸福であるかわからぬのである。私の心配するところはその所にあるのですから、必ず必ず注意すべきであります──。然り。お父様よ、その通りでございます。健康は実に人間の幸福の源でありましょう。健康な人は日々の仕事も楽しく快く/キパキパやってのけるでしょう。思うがままにそのからだを動かして、夫のため、親のため、子のため、人のためにつくすでしょう。おお健康! なんといういい物でしょう。私はすべての人が/どうぞこの健康を得るようにと望みます。そして、私もそれが欲しうございます。ですけどいかにせん、私には健康がありません。私の命の源泉である心臓が不健全なのです。一秒一秒、ちっとも休まずに湧きいづる血潮をせきとめる/硬い弁があるのです。しかもその障碍物は/私の心臓から取り去る事は出来ない、一生出来ない。それも私には無くてはならぬものだから‥‥一度硬くなったそれは再びもとのようにはならないのであろう‥‥。では私は、一生涯不健全な身体で、日々鬱々と不快な時を過さねばならないかしら‥‥。おお/それではあまりに不幸ではないか。神様は私の罪の償いに/健康を取上げたもうた。しかし神様は私を愛したまう‥‥愛の鞭。病苦を与えたもうて私を錬り”そして、心の健康をとらしめ給うのだ。心に安心歓喜を与えたもうたのだ。私の心に悪魔が働く。私はもし充分な健康を持っているならば、私は必ずやそれを無上のほこりとして、神を忘れ、世の人を忘れて/己のためのみの人間になってしまうであろう。神様よ感謝します。私は弱い身も魂も/神様にまかせて支えていただきますから、安心があり/歓喜があります。  なにとぞお父様/ご安心下さいませ。私はこうして神の愛をさとりましたから。世の同病者のために心から祈る心が起こる。人に健康を失わせまいという努力を心からする事が出来る。私は病苦を通して神様からこういう賜をいただいたのだ。私の身は神に任せ、よろこびと感謝にみちた愛の笑顔を持って/人に接しましょう。 ◇。◇。◇。 【六月八日◇ 木曜日】 ◇。◇。◇。  なんぢ/施しをするとき、右の手の為すことを/左の手に知らする事なかれ。隠す-るは、その施しの隠れんためなり。然らば、隠れたるに見給う汝の父は/明顕に報い給うべし。(マタイによる福音書◇第5章◇3から5節)  隠れたるに見給う父、隠れたるに在す神、おお、見るものなしとて/罪を犯す私の愚かさよ。どうしたらいいだろう。人さえいなければ、何かのかげにさえ身をおけば、何かで身を覆ってしまえば、それで自分は隠れているのだと思う:、なんという馬鹿者でしょう‥‥私は‥‥。  隠れたるに見給う神、隠れたるに在す神。  しみくい、さびくさり、ぬすびとうがちて/ぬすむ所の地に/財をタクワウる事なかれ。 しみくい、さびくさり、ぬすびとうがちて/ぬすまざるところの天に/財を-たくわうべし。(マタイによる福音書◇第6章◇19から22セツ)  そは、なんぢらの財のあるところに/心もまたあるべければなり。本当に、地上の宝‥‥かねを持つ人は-かねに心を奪われる。身の外形のみに飾りをつける事に腐心して/肝心の心を留守にするんですもの。  人は二人のシュに-つかうる事あたわず。  なんぢら神と財に兼ね-つかうる事あたわず。(マタイによる福音書◇第6章◇24セツ)  この事についてえらい人の話をききたい。杉原先生のおはなしをききたい。  これゆえに汝らにつげん、命のために何を食い、なにをのみ、またからだのために何を着んと/思いわずらう事なかれ。命は糧よりまさり、からだは衣よりもまされるものならずや。空の鳥を見よ。まく事なく、かる事せず、倉にタクワウる事なし。しかるになんぢらの天の父はこれを養い給へり。  マタイ伝六章には、なんとまあいろいろな事があるのでしょう。私の浅い知識で解せない所は多々ある。なにとぞ教えて下さる人を与えられますように‥‥。  神ヱホバよ/ねがわくは彼らにおそれをおこさしめ給へ。もろもろのクニビトに/おのれただ人なる事を知らしめ給へ。(詩篇◇第9章◇20節)  おのれただ人なる事を私はときどき忘れる‥‥。この広大無辺なる宇宙を見よ。ごく最小から最大の物まで皆一つの運命をもっているではないか。深山の奥にある一つの苔も/この家の土台の-きわの小さい草も、みんなおなじく時がくれば花をひらく‥:‥シュンカ秋冬、世はみんな一定の法則のもとに刻一刻、ちっともかわらずに動いてゆくではないか。神様の力はどこまであるか、それを見て量り知る事がどうして出来よう。大きな力、無限の力、無始のはじめから無終の終まで、大きいものから小さいものまで一貫してはたらくその力、それこそは神様ではないか。  ああ/何と云ったらいいかわからない。  ただありがたい。  夕食後、平民の福音からはじまって/先生に宗教談をうかがった。私は何だかしら何もかも解決がついたような気がして/ただ嬉しい。  おつるさんという人のおはなし。はじめは感心し、羨望し、驚愕し、同情し、おしまいには何だか何もわからなくなってしまった。  ダイ病人の看護を打捨てておいて、自分の霊の糧を得るために、何時間も費す、それで自分は正しいのだと主張する‥‥それでいいのかしら‥‥。自分の満足のために人を犠牲にする、それが宗教の最高なものか。私はわからない。一杯の水を人に与えても、それはその人に与えたのではなくて/イヱス様に上げる事なのだと仰ったではないか。人に至誠を持って仕える、それがすなわち神様に仕えるわけではないか。自分をすてて人につくす、だから十字架が尊いのではないか。  ああ私はまとめて今夜のお話と感想を書きつらねる事は出来ない。  ただし何となしに/重い心が急に軽くなったような気がする。 ◇。◇。◇。 【六月九日】 ◇。◇。◇。  偽善者よ、先ず己の目より梁木をとれ、さらば兄弟の目より物屑を取り得るよう明らかに見べし。(マタイによる福音書◇第7章◇5節)  偽善者とは私の事、本当に私の事。  夕方、奥様のお供をして散歩に出かける。夜、赤ちゃんが大変お泣きなさる。どうしたのでしょう。 ◇。◇。◇。 【六月十日】 ◇。◇。◇。  天国ちかきに在り、本当に。私たちの周囲は天国にもなれば地獄にもなるのではないかしら。私の心も天国になり地獄になる。  十日三時頃かしら、雨が降り出した。お書斎の障子は明ける事が出来ないが、破れ目から少し外が見える。サーサーと滝のように流れ落つる雨の音、そしてその音の中に/雨粒の音も交じって/チョロチョロと鈴のような音がする。大きな、なんの葉だか/青いのが絶え間なく打たれて躍っている。雨の日もまたいい気持ち。  姉さんはどうしたかしら‥‥。あの人も不幸な人。自分の事ばっかり考えて、身をすてて愛を捧げる事が出来ない人。しかしそれが人間の弱さなのだ。私もまたその弱さは充分に十二ブンに持ってるではないか。  なにとぞ姉さんに強さが与えられますように‥‥。  カツヤさんの話をきけば、やはり-まことの信じゃないのだ。ああ/わからなくなりかけた。 ◇。◇。◇。 【六月十一日◇ 日曜日◇ カゼ◇ 晴れ◇ 月夜】 ◇。◇。◇。  朝九時前に本郷基督教会へ行く。日曜学校も北海道とはちっとも変らない。どうしてだろうか。きれいな若い女の人、讃美歌の声の素敵に美しい人が女の子を教えて/庭でしきりに讃美歌のけいこをしていたようで、男の子は、眼鏡をかけたハイカラな人が教えていた。紙に刷った何かを一枚づつ、ゴ六人の子にわけて低い声で話をしていた。エレミヤの話らしかった。が私には聞きとれなかった。あれが子供たちの頭にどれだけ深い印象を与え得たのだろうか。ただ印刷物を読んで/字の通りを説明してきかせて‥‥。子供らはあきあきしていたように見えた。大人集会、聖餐式、寺西牧師不在、聖女学院教授’平井先生のお話。私にはよくわからなかった。パンはユダヤ人の常食、葡萄酒はお茶のような常飲料だから、それから見て、キリスト教は特別な人の宗教ではなくて、ただの人の宗教:、深山に世捨ビトになって難行苦行するとは違って/誰にでも出来うる事である、という事。  キリスト教は信者が各自、自分の家庭の人を導いてゆくならば、国はスッカリキリスト教になり得るという事。  聖書を読まねば信者とは云われないという事。大体そういうのであった。  夕食後、なんという教会か知らないけれど、教えられて行って見た。若い子供のような顔した青年が、何でも信仰の証言をたてている所へ/私が行ったのらしかった。  キリスト教にはいって楽しよう、安心しようと云うのじゃなくて、かえって十字架を負うて/シュの苦しみを苦しみ、悪と戦わねばならぬ。人間に仕えるは-かたく、神に仕えるは易く。一生涯を安楽に暮すのではなくて、一生涯を罪と戦って苦しんで死んだほうが、神の-よみし給う所である‥‥と。それから、歴史学者が小さい茶碗のかけらを得るために一生涯を費し、科学者やその他ナントカ学者が学術のために命を捨てる。キリストは悪と戦って死んだが、再びゆきて我れ世に勝てりと云う事が出来た。我々もアクと戦って命を捨て、最後の勝利を得ようとしている‥‥。そういうあらましであった。  波多野牧師の話。江原素六先生(武士道と宗教)と云う題で、エバラ先生の人格についてのおはなしであった。  ポーロがダマスコへ行った時は人を沢山つれて行き、三年たって帰った時はスッカリ別になって”一人で何も持たずに帰り、人権をのみ重んじていたのが、三年の後には天爵、神の力を尊敬するように変った。エバラさんは武士道からキリスト教に移ったために、家柄よりも日本を思い、日本よりも世界的、ひろい心になったという事。エバラさんの如何に宗教に対する熱心だったかを波多野牧師は話した。今夜は私は何を得たのか。  教会で思いがけなく河野さんに会った。きれいに白粉をつけた彼女は/短い時間にいろいろな事を話した。ホワイトナーさんのベビーさんが出来た話は何となし嬉しかった。  あそこにいた美しいお富さんが出されてしまったという─:─急に品行が悪くなって夜遊びするのだった、と云う‥‥。かわいそうに‥‥。  救世’軍はもう終りかけた所へ行った。小隊長が細い細い手を動かして、しかも強い声でザアカイの話をしていたらしかった。私が行ってからフタクチミクチで終ってしまった。──求むる心、切に求むる心がついにザアカイをして/何をもはばからず/桑の木にのぼらしめた。そして望む所の貴い物をかちえた。十二年’血漏を患った女は無言のまま、主の衣に触って癒やしを求めた──。  求むる心──それは今の私の心じゃないか。少ない会衆の多数が立ってお祈りをし、一人の女が泣き声で一言二言お祈りしたようであった。一人の人は熱心過ぎて、家もわれんばかりの声で祈った。熱心な人々──なんという純な人たちであろうか、羨ましい程──。  あの女士官、大尉夫人はどうしてか元気が無さそうであった‥‥またいらっしゃいと言った‥‥。空には星が二つ三つ、青白い大きな月が/空’低くかかっていた。涼しすぎる程の風に吹かれながら家路を急いだ時は/気持ちがよかった。  教会で河野さんと云う人に会った時、私は本当にびっくりした。よく忘れずにチリさんと呼びかけてくれたもの‥‥。 ◇。◇。◇。 【六月十二日】 ◇。◇。◇。  おくさまがご不快げに見受けられた。私はこのごろ坊ちゃんとたいそう親しくなった。坊ちゃんのお相手をする時は、本当に美しい子供になったような気がするから嬉しい‥‥。おうちの坊ちゃんは、どうしてあんなにいい頭脳を持っていらっしゃるのだろう‥‥小さい頭からどうしてあんなに沢山の言葉、変った言葉があの口をもれて出て来るかと思うと、驚くの-ほかは無い。  昨日のお客は、発音学専門の独学者だと云う‥‥その弟の人はやはり言葉にばっかり興味をもって、今は六ヶ国の国語に上達して、各国の小説を読んでいると云う。面白いうまれつきを持った人たちもあるもの。うまれつきりっぱな頭脳を持った人は楽々といろいろな事が覚えられる。私のように暗記も出来ない頭脳の、それこそ遅鈍の頭か土人の頭か知らないが、人一倍苦労して苦労して覚え得たものも、直ぐになくしてしまう人もうまれつきだから仕方がない。それも私には、それでいいのだ。  私は昨日、大変な事をきいた。先生は、私に話ししないほうがいいかしら‥‥と考えていらしったが、それであなたの信仰がぐらつく事はないであろう‥‥と仰ってお話くだすった。オックスフォード大学のえらい世界中の学界の権威/フヱザーという学者の発表したキリスト様の事に就いての事‥‥。  それから、日本の天照大神の事なども/それのついでにきかせていただいた。  そして、そのために信仰をぐらつかせるものは、夫が美男子だから貞操の妻になる、親がえらくないから子は親不幸をしてもいいというようなのと同じだという事もきいた。成る程、わかったような気がした。  頭の工合が少し変だ。寝不足のせいだろう。胸の鼓動もこのごろは少し急なよう‥‥。  いねむりをしてしまった。そして色々な夢を見た。どうしてあんな夢などを見るのかしら‥‥。登別の家でお引越し。みんなが荷物を背おって搬ぶ。フチと/浜のフチがおんなじ格好でサラニプを背おった。行ってみる。私もあとからブラブラと行く。彼処はどこだろう。深い深い’谷をめぐる山の上を/私たちはあるいていた。そして谷へ下りる/かなり傾斜の急な馬車道がある。そこを下りるとオンネシサムが薪を積んでいたようだった。そして、その翁さんが知らせたのかどうか、私は、何だか「この道を-おりてゆくなら今直ぐに-おりてゆかねばならぬ。もう少しおくれれば大変だ。谷の底からヱンユクが飛出す‥‥。」という事を思って恐怖の念が私の心にみちていた。と、フチも/浜のフチも姿が見えなくなった。「ああ私は一人とり残された」という感じが私を襲うて、ずいぶんいやあな気持ちがした。  おとっつぁんもハボも見たような気がするが、ハッキリわからない‥‥。  またねむった。やっぱり前とおなじような沢道を通った─:─見渡す限り濃緑の──一つの大樹のそばを通った‥‥何だか-くろいかたまりがあった──私はぞっとした。何かしら、それが大きな黒いヘビがグルグルアカムになって、そこにいるような気がして‥‥。  目が覚めたようで覚めない。やっとの事、力を出して起き上がって、勇気を出してお勝手へ行って顔を洗ったので、やっと目がさめた。夢を見ているとき、奥さんがお召し替えにいらしったのも覚えている。お菊さんが来て、私が寝ているのを笑ったらしいのも覚えている‥‥それで物云う元気もなかったのだ──。  奥様は、ご親類の所へ、気を晴らすためにお出かけという‥‥。なにとぞお望みの通りに/幾分でも晴々したお心持ちにおなりなさるように‥‥。お菊さんと、本当に子供らしい/らちもないようなお話ばかりした。幽霊の話など‥‥。お菊さんもかわいらしい人だ。  夕方奥様がほんとに晴々したお顔でお帰りなされた。私も気がセイセイしたよう‥‥。おみやのきんつばが堪らなく美味しかった。  朝、木根ウナラベからの手紙、ムヂリ外套に角巻の/五十才ばかりのガラの値段を問合せて来た。かわいそうに‥‥東京へ来て私が一人で悠々闊歩、自由に商店をあさりまわる事が出来るかと思って、私をえらく思ってるのでしょう。先生に一応うかがって、出来ない理由を書いて出した。  思いついて、ポン先生に葉書を出した。あの先生にも随分かわいがっていただいたが‥‥。一ばんはじめに学校へいらしった時はまだ子供子供したお顔で、教室のわれるような声で教えて下すった。私の事をレキヱレキヱと云って、私の噂を云っていらしったそうだ。だんだん慣れるに従って随分かわいがっていただいた。学びの友という生徒の成績品だの、先生のおはなしだのを綴じた本をつくったり、平岡先生批評書とかいうのをつくってみんなに廻して、平岡先生が来られたのに対しての感想を書かせたものだ。お祭などには先生のお家へ、川上トメさんなどと一緒に遊びに出かけたものだ。そして先生の兄さんのお家のこわめしをご馳走になったっけ‥‥。栗山タツさんが、今’思えばつくりごとであったかも知れないが、とんでもない事を云い出して/先生をびっくりさせた事があった。タツさんから先生に取りついだのは私だった。そのときの人の名は、たしか管野とか言ったようであったが、その人こそ迷惑至極であったろうが‥‥。高等科へ上がってから、私は毎日のように試験の答案を先生に持って行っては/お見せした。先生と一緒にオルガンを弾いて歌った。何も出来ない子供らの中に、私は少しよかったので/先生は私の将来に望みを嘱していらしったのだったろう。まだまだまだいろいろな事があったっけ‥‥。アイヌの子供をちっとも差別せずに、自分の弟や妹のように思っていらしった事は、いつまでたっても忘れられない。  試験に及第した時も成績の悪い時も、あたかも我が事ででもあるかのようによろこび”また心配して下すった。私の事ばかりじゃない。教え子’全体のためにも‥‥勇さんの事で赤松先生の所へ、おっかさんから勇さんを連れてゆけと云われて学校へ行った時も、先生は遠い雪道の帰りかけを/わざわざ勇さんのために戻って来られたのを覚えている‥‥。お祭でも何かの時には、平気で私たちを連れて行って下すった‥‥まだまだ一杯ある‥‥。私は今日’先生に葉書を出したが、きっと先生はよろこんで下さるだろう。  お湯へ行って来て今日も終わる。 ◇。◇。◇。 【六月十三日】 ◇。◇。◇。  奥様に白地単衣を一枚いただいた。本当にびっくりしちゃった。なんという言葉で御礼を申し上げればよいか/頓には出て来ない。朝起きても何もしない、昼も書斎にいて自分の事ばかりしている、そしていねむりばかりして/ただおせわになって、その上に今度は奥様のお召物まで頂戴する。まあ、私はなんという果報者なんだろう。私に何が出来る。口でお礼を申し上げるだけで私のからだは何をする事も出来ないものを‥‥心の底から搾り出した──ありがとうございます──でよいのでしょう。私に出来る事、それは何だか私にはまだわからない。  私が東京の地を踏んでからちょうどひと月たった。長いようでもあり短いようでもあった。私は、あとひと月を越す事が出来るかしら‥‥明日ありと思うことなかれ‥‥:私がひと月いるか十日いるか、目に見えぬ絶大の力、神の力のまにまに行く私たちですもの‥‥その時その日を真実に過せばよいのだ。そんなら私の生活はこれで真実なのか。今、ただ今、私の命が現世を去っても/なんの悔いもなく目を瞑ることが出来るか! おお私は‥‥。 ◇。◇。◇。 【六月十四日(マタイによる福音書◇第6章◇19節)】 ◇。◇。◇。  1、もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はそのみてのわざをしめす。  2、この日ことばを/かの日につたへ、この夜’知識をかのよにおくる。  3、語らず言わず、その声きこえざるに。  4、その響きは全地にあまねく、その言葉は地の果てまでおよぶ‥‥。(詩篇◇第19章◇1から4節)  9、ヱホバのさばきはまことにして/ことごとく正し。(詩篇◇19章)  12、誰かおのれのあやまちを知り得んや。ねがわくは我れを隠れたる咎より解き放ち給へ。  赤ちゃんのお腹から葉っぱが出たという。私がお抱え申した時に、山吹を赤ちゃんが持っていらしったのを/先生が御覧なすったと云う。嗚呼/私はなんという粗忽を昨日はしたのだろう。赤ちゃんのお頭を紅葉の細枝に打ちつけた。あの柔らかいお頭を‥‥。この粗忽が原因になって、私はこれから信用を得る事が無くなるのかも知れない。本当に私の粗忽でした。しかし昨日も一昨日もお抱え申した時、紅葉の葉も/ざくろの葉も/山吹の葉も、沢山赤ちゃんは口に-いれようとなすった。私は寸時も油断せずに、それをとっては捨て、その毎に怒られて赤ちゃんに顔をひっかかれた‥‥が、私にスキがあって/知らぬ間にそのままのみこんでしまわれたのかも知れない。おお/なんという私はスキだらけのぼんやり者なんだろう。  大事の大事のお嬢様──お嬢様でなくとも、お百姓の娘っ子でも、これからずんずんと生長してゆく尊い魂。第二の「我」を預ける子’守り人は本当によく選ばねばならない─:─ある時は母親以上のしっかり者が必要かも知れない。赤ちゃんのおなかから出たのは葉っぱでなくて長い糸筋であった。それは、昨日’奥様がどうとかとお菊さんがそういわれた。私ではなかった事はわかったが、赤ちゃんにとっては私であろうが、母さまであろうが、その他の人であろうが、同じ大ごとではないか。何故、私は自分の弁解ばっかりしたがるか。自分の明かしさえたてばそれでよいと思う私の愚かさよ。  自分を捨てて人のために‥‥-なんという難しい事であろう。私にはとても出来ない事であろう‥‥が、このまえ先生が仰ったように、自分を捨てきる事は出来ないけれども/捨てて人のためにしようという努力はやはり尊いものである。努力、努力! そして出来るだけ完全に近い所へゆく‥‥それが人間にとってもっとも尊い事である。  おひる過ぎ、先生お一人を残して三越に出かける。電車の中は涼しかった。  奥様のお顔も涼しく見えたので嬉しかった。昨日いただいた着物を早速’着て出かけたのだ。嬉しかった。真心から与えられたものを真心から有難いと思う──それでいいのだ。なんでお礼が返せるかなどと思うのは、かえって与えた人の真心を無にする所以かも知れない。私だって人に物をあたえるとき、価を貰おうとして与えるか。それでは押し売りではないか。  三越の中をあるいてあるいて/くたびれてしまった。お汁粉、ドーナツ、曹達水をご馳走になって帰って来た。文明世界は私たちから見れば”まるで戦場のような目まぐるしいものだと思った。二尺に一尺ぐらいの平べったい瀬戸物の中に水を湛えて、その中に黒い石の凸凹になったり/穴のあったりしていて二十円だという。小さな二つ三つの赤い花をつけた鉢が二円いくらだという。何だかぐちゃぐちゃとした半衿が-ひとかけ五円だという。すべてが私の目をまるくする種であった。何を見たのかちっとも覚えていない。なんでもああいうものは私よりも色の白い人たちが興味を持って見るものであろう。私はただ別な人間の住む星の世界を見物にでも来たような気がした。自分で欲しい、自分の身につけて見たいなどとはちっとも思わなかった。  夜/本郷キリスト教会の祈祷カイに/奥様のお許しを得て出席した。男は牧師を入れて七人、女は私と八人、女の子が二人いた。  ちっとも熱のない会のように思われた。私は何故こんな心になったのだろう‥‥。  兵隊さんあがりの商人らしい/りっぱな人の信仰の証言があった。それは自分の妻をうんとほめそやしたものであった。  愛は忍ぶ──本当にそうだろう。夫を愛すればこそ何事も忍ぶ──おうちの旦那様も/奥様を愛するから忍耐しておいでなさる─:─奥様も子がかわいいからこそ/自分の苦しみを忍んで/朝からああしていらっしゃる──愛があればこそ──。私に愛があるか──お前がお前を愛すると云う事のみでなく/人を愛する愛を持っているか──。  白髪交じりの梅原先生や、谷先生の奥さんによく似た/よさそうな人が私たちのためにお話をなされた─:─曰く、貴方がたがこの静かな時を得て、口に出さねど心の中に祈るために/この御堂に集まったのはなんという幸福な事でしょう。すでに祈祷カイに出席しようと思って/一歩を外に踏出した事が救われている心の証拠で、貴方がたは-じつに仕合せな人たちだ──。  牧師さんが眠そうなのにはお気の毒な感じがした。今日’旅から帰られたばかりだという。無理もないこと。人の話に感動してヒタイを机にすりつけて居られるのかと思ったら、それはねむっていらしったらしかった。おねむい時はああいう会に-なるべく出席なさらないほうがいいのじゃないかしらと思った。  牧師さんのお話は、何でもご旅行先の森岡とかいう人が、肺結核になって一時は非常に悲観して/世を詛い人を呪っていたが、このごろはその病気がすっかり治って、その家庭がまるで変ったという事であった。そしてその病気の治ったのはその心持ちからで、たしかに神の霊感を受けたからで、私たちは誰でもみんなその霊を感ずる事が出来る──というのであった。  でも教会へ行く事が私には大きな楽しみなのだ。  私に感化されてお菊さんが大変よくなったと奥様が、おひる菊さんがお使いのあとで仰った。私は内心びくりとした。ハテ、私にいったいどんなよいところがあるのか、臆病な卑怯な心の持ち主の私の、どこが人を感化する力を持っているのだ─:─自分で自分をさえよくする事が出来ない私ではないか──おお恥ずかしい──。お菊さんは不幸な人で、そうして幸福な人だ─:─物を見て、人のでも構わず欲しくなって手を出すという癖を持つ人は沢山ある。私は、物を見る──きれいだ、と思う─:─然しそれが欲しい、自分のものにしたい、などと思う事があるかしら──。お菊さんはその心が出て来たときに/自制する事が出来ないから不幸な人であったが、今は心を入換えて/そんな性癖を正してしまったという。なんという尊い事でしょう。彼女は幸福な人である。自分の性癖をまったくすててしまう、それはどんなに難しいか知れない。私にはどんな性癖があるのだ。──人前をかざる──それではないか。即ち嘘偽り! 言葉にも行動にも。でも本当に純な心になってる事がある─:─そんな時には決して嘘など云われないが。他人の感情を害う事を無闇とおそれる私。やはり臆病なのだろう、心にもないお世辞を吐いたりする。  人の感情を害すまいとして、自分の思うと違う、寧ろ反抗したいような事柄も/口では然り- と相槌を打つのが私のくせだ。それは正しくない虚偽の生活か──わからない─:─それだからって、自己に忠実に、人の感情が不快であろうがどうであろうがそれは知った事ではない、自分の思う事をどしどし言ってしまって/人の心の平和をかきみだしてしまう─:─それでよいのかしら──わからない──。  しかし、こんな事で迷うのは、私が馬鹿なのだろう。それは時と場合によるのだから‥‥。だけども、それは人各自の性質の-いかんで、同じ時、同じ場合でも一方はさらりと竹を割るように活溌に自己の思う事をそのまま発表してしまい:、一方は内気に控えて言いたいのをこらえて、口にまで出るのをのみこみのみこみ/どうしても言い出し得ないでもじもじする。私はいったい何れに相当するのか──私は臆病なのだ──意気地無しなのだ──。  久しぶりで英語をおならいする事が出来た。先生は本当にお眠そうなのに、私ゆえに無理をなすって教えて下さるのを思うと、安閑と毎日を暮しておせわになり、その上に英語を教えていただくなんて/ずいぶん勿体なさすぎる事だと思って/気が気じゃなかった。  昨夜の先生の御講演はアイヌの宗教についてで、非常に賞讃を受けられたと云う。何だかしら嬉しかった。二たらし-みたらしの酒と一つの柳の削ったのを神に捧げて、そして大きな願いをする─:─ずいぶん虫のいいはなしだ──と思う人は恥じなければならない、という。何故なら神は人を造ったと云うが、学問ジョウからは人が神をつくるのだとする。西洋の神は西洋人と同じ神様、日本人の神様はやはり日本人とおなじ神様である。だからアイヌの神様もまたアイヌ自身の心の反映だから、アイヌの神が一滴二滴の酒とイナウをうけて、そして人間の大きな願いを容れて/大きな恵を下す‥:‥それは即ちアイヌの心持ちをそのまま物語るものであるという。寡慾なアイヌが/頼まれれば厭とはいえないという様な性質なのだ、というお話でありましたそうな。  何だか涙ぐましい気分になったのだった。  お湯に行っての帰りに、めくらの女を見かけた。どことかの按摩さんを訪ねて来たがわからぬから、この近所の同業者を訪ねてきいてみたらわかろうと思って来たのだという。杖で探り探り歩くがなかなか早い。転びはしないか、人とぶっつかりはしないかとハラハラした。が/お菊さんの注意で、道が違うという事がわかって/私は彼女の手をひいた。なんというあつくるしい手であったろう。よくしゃべる‥‥見えない目をクルクル大きくする。着物の袖付はニサン寸もほころびていた。大きな体格。近所のモミレウジヤでは、彼女がいくら大きな声で呼んでも出て来なかった。やっと不親切な女中らしい声が内から出て来たようだ。先生はお留守でいらっしゃるか? の問に女中は無愛想に不在のよしを話していた。が、硝子越しに見えた男は主人ではなかったかしら。なんにしても、もう少し情のある言葉を/彼女に誰かが与えてもよさそうに思えた。悲惨だ。どうしてあんなめくらになったのであろう。今頃はどこにいるだろう。目的の家が見つかったかしら。 ◇。◇。◇。 【六月十六日】 ◇。◇。◇。  妙な夢ばかり見つづけた。目をさますと何だか体が蒸暑いような重苦しさを感じた。だいぶ動悸がする。電気はまだ点いていて、シチハチ寸開かれたお座敷の襖から/坊っちゃまが裸で寝ていらっしゃるのが見えた。しばらく私はそのままグッタリしていると、突然、サーッと雨が降り出した。いい気持ち。小半時間もたってお菊さんを起したが、彼女は目を細目にひらいて私を見ていたが、またすやすやとねむりだした─:─幸福、健康の幸福を彼女は持っている──。  暫くして、雨戸をあけて外を見た時は/実に好い気持ちであった。青葉がしっとりと雨に濡れてポタリポタリと落ちる緑の雫、銀の雫。ここ地よい風が青葉を渡る。今日イチニチ降ったり霽れたり。とうとう梅雨に入ったのだ。  一時間ばかりねむってしまった。どうしてこうもねむり慾からはなれる事が出来ないのかしら。少し不足すると動悸が早くなり頭が重くて目がはっきりしない。  赤ちゃんの発熱でびっくりした。奥様の御心配がお労しい。私は大丈夫だと思う。赤子の発熱はままある事で、構わずにしまうと取返しのつかない事もあるが、あまり心配するのもよくないように思われる。  しかし、親が子のために心配するのは人情の自然だものを‥‥ハタから、心配なさいますななどと、なまじっかな慰言を呈するのは却って罪かも知れない─:─私は心配する人と共に同じ心で心配したい、──それでいいのかしら。しかしまさかに、いちいち相槌打っては心配を増して、それも罪ではないか。そんな事も出来ない。  先生のお話。亜米利加では監獄の囚人を信じて獄外に出して、中学とかと野球の試合をさせる。すると囚人は一人も逃げるものなんか無く、信じられた嬉しさ有難さに/泣いて獄屋に帰って来る、という。  本当に、信じられるという事は幸福な事ですね、と仰った。まったく信じられた時は、どうしても「こんなにまで信じられては、どうしてもしっかりしなければならぬ」という責任観念がひとりでに起こって来て:、むやみと疑われる時は、こんなにしても疑われる、と思うと馬鹿’らしくなるのが人の感情であろう。勿論、信じられようが疑われようが、自分の尽すべき事を忠実につくし得る、尊い誠心がなければならないけれど‥‥凡人はどうしても前者のようになりやすい、と思う。 ◇。◇。◇。 【六月十七日】 ◇。◇。◇。  汝/心を尽し、精神を尽し、意を尽し、主なる汝の神を愛すべし。これ第一にして”大いなる誡なり。第二もまたこれに同じ。己の如く/汝の隣を愛すべし。(マタイによる福音書◇第22章◇37から39セツ)  本当に最も大きな誡、これだけを守る心がある人は/全くのえらい人でしょう。私にはとても出来ない。完全なえらい人になる事は出来ないのは当然だろう。が、先生がいつか仰ったように努力! 完全という目的に向かって真っ直ぐに進んでゆく‥‥それが私には最大なものである。 ◇。◇。◇。 【六月十八日◇ 日曜日】 ◇。◇。◇。  中央会堂へ行く。波多野牧師、能力の宗教という説教。  荻原副牧師の祈祷は何とも云われずよかった。夜、救世’軍へ行って、親の勤めと云うおはなしをきいた。 ◇。◇。◇。 【六月十九日◇ 月曜日】 ◇。◇。◇。  奥様はお昼からお出かけ。  赤ちゃんがお熱で/お菊さんと二人で体温をはかるやら大騒ぎ。  でも思った程でもなかったのでよかった。  奥様は痛切に神を求めていらっしゃる。先生は、奥様に神を信じさせようと/熱心に努めていらっしゃる。  ときの声をお目にかけた。ブース大将の悲哀の教訓を‥‥。  先生はそれを奥様に読んでおきかせなすった。それから、マタイ伝六章二十五セツからおしまいまでのイヱス様の御教訓を/奥様にお読きかせなさいました。 ◇。◇。◇。 【六月二十日◇ 火曜】 ◇。◇。◇。  故里のどこからも葉書一枚来ない。何だか寂しい。 ◇。◇。◇。 【六月二十一日】 ◇。◇。◇。  登別の父様、母さまからお手紙が来た。親の愛、それは本当に疑うことの出来ないものである。深い深い親の慈愛を/ありがたく思わずに-いられない。筆不精の父様が長い手紙を、カキギライなハボがあれだけ書いて下さる。不孝する子ほど可愛いものだという。私はしみじみ思う。親の深い恩愛を‥‥。  今朝/お銭をいただいて涙した事が寝る前になっても胸にのこっていて、泣きたいような感謝の心が湧く。私が何をしたためにこうしてお銭をいただくのか‥‥こんなことを思うのは間違ってるのだ。心よく与えて下さるものはありがとうございますと、アフるる感謝と共に/真っ直ぐにいただくのがいいのだ。 ◇。◇。◇。 【六月二十二日】 ◇。◇。◇。 S子さんからの長いお手紙、ひらくと、パタリと落ちたのは二円のお銭。  あの方の愛は純粋なのだ。私の愛はにごっている。おお/御免なさい。私はあなたのために生きます。お銭など送って下さらなくともいいのに‥‥。  午後/お母様からのお手紙、マコと富子からの手紙。  救世’軍の人に対して/ニシパが非常にアク感情を持って居られるという。救世’軍は熱烈、死をも厭わぬという所はいいが、大事な聖餐もなければ/洗礼式もない、という。誰に断って人の家へ無断で来て集会を開いたり、人の部屋から寄付金をとったりするのであるかと、憤慨して居られるという。  救世’軍! 私は救世軍が好きだ。形式ばっかりの宗教よりも/だんだんだんだん内容充実となるように進んで行く。何故、聖公会だの救世軍だの何だのかんだのとわかれわかれになってるのだろうか。仏教だのキリスト教だのって‥‥。  自分の神さまを信ずる人のみが天国へ行き、あとのすべての人は地獄へ行くという。私にはわからない。  ああもう宗教の事なんかわからない。ただ神様はある、たしかにあるという事だけを私は確信している。孔子さまだの何様だのは本当にえらい聖人であったろう。イヱス様の聖書を読んでは、一々、胸をさされる思いがする。本当に拝んでもいい。拝まなければならない。理屈なしに信ずればそれでよいではないか。なぜ私はこうも生意気なのだ。しかし、わからない。ああ/今夜は頭がおかしい。くしゃくしゃしている。  汝/人をさばくは正しく己の罪を-さだむるなり。そは、さばく所の汝も同じくこれを行えばなり。  この如く行うものをさばきてこれを行う者よ、汝/神のさばきをのがれんと意うや(:ローマ人への手紙:◇2章◇1から3節)  マデアルさんが肋膜炎だという。なんて情ない事であろう。そう/あの人は弱々しい体格の持ち主だった。本当に素直な優しい気性の人。学業のほうはどうか知らないけれど、彼女をあのまま病いの人にしてしまうのは/あまりいたましい事である。  何故アイヌは、知識と健康を併得る事が出来ないであろうか。幸いに知識と健康を得たとしても/愛を失っている。無味乾燥、少しのやわらかみのないものが出来上がったりするのではないかしら。  知識を得よう、知識を得ようと砕身粉骨に近い努力、先ず自分の最善を尽した私は、とうとう健康を失ってしまった。しかも、それほど望んだ知識なるものも/望みの四半分も得る事が出来なかった。何故、私があまりに自然に逆らったからか。そうかも知れない、そうでしょう。自然に逆らう、それは大きな罪であろう。自然に伴うべく最善をつくせばそれでよいのだ。  マデアルさんの健康を心から私は願う。  トシ子さん、ツナ子さん、マ-デアルさん、トヨさんがこの次には洗礼をうけるから、その人たちのために祈れと母さまが云われた。本当に-かの若い人たちが、なにとぞ私のような生半な心にならず、幼子のようにまっすぐな/一途な心になって信仰の道に入られるように私は願う。 ◇。◇。◇。 【六月二十三日◇ 金曜日】 ◇。◇。◇。  善をなすものなし。一人もあるなし。  その喉は破れし墓、その舌は偽りをなし、その唇は蝮の毒をもてり、その口は詛とニガきとに満ち、その足は血を-ながさんために早し。  ヤブレと苦難はその道に残れり。  彼等は平康なる道を知らず。  その目の前に神をおそるるのおそれある事なし。(ローマ人への手紙:◇3章◇12から19セツ)  なんという痛烈な/峻厳な言葉であろう。人の胸を突刺すオプのよう‥‥。  坊ちゃんの綿入羽織を縫うべく出していただいた。これで私は仕事が出来ると思うと嬉しくてならない。人は仕事のないほど困る事はないのだろう。ただぶらぶらと日を消すよりも、あとからあとから仕事が出て来て/暇を惜しんで働く人は/全く幸福なのだ。健康!! またしても私は健康について愚痴を云おうとしている。 ◇。◇。◇。 【六月二十四日】 ◇。◇。◇。  患難にも欣喜をなせり。蓋し、患難は忍耐を生じ、忍耐は練達を生じ、練達は希望を生じ、希望は恥を来らせざるを知る。(ローマ人への手紙◇  )  朝ずいぶん早く先生がお起きなすったらしい。お書斎の戸を開いてびっくりしてしまった。  昨夜は三日ぶりで奥様はよくおねむりなすったと、お顔の色が生き生きしていらっしゃるようにお見受けした。  坊ちゃんがご帰宅後/お発熱。やっと赤ちゃんが丈夫になられたらまた坊ちゃん。真に親御さんがたの御苦労は-たゆる時がない。お気の毒ともなんとも申しようがない。食後、先生が坊ちゃんに添寝して/静かに手のあたりをたたいて居られるのを見かけた。なんという光景であろう。病む五体を/愛に強い父ぎみの腕にまかせて/いまし夢路に入る坊っちゃま、そして憂いに満ちたお顔は慈愛そのものに見える父ぎみ。父ぎみの魂はスッカリ-まなごの魂をふところにしておなじ呼吸、おなじ鼓動、すっかり大小の魂がとけあった形ではないかと思った。  私は親の愛をつくづく思う。父の愛、母の愛、それは何れ劣らぬものである。  父様とはまだしみじみとお話をしたことは無い。だけど私は、父の愛も母の愛も、私の胸にしっくりと刻みつけられてあるのを今見出す。今この指の先を流れている血も、父母のわけてくれた血、その血の中には絶えず父母の愛が循環しているのだ。こうして私が父母を思い出している時も、父母はきっと私の事を思い出していてくれるのだろう。それがナンビャクリ遠いここまで私の心に通じ、強ばった弁膜を通して胸の底まで徹して、それでこうしてあふれる涙があるのではないかしら‥‥。私は今日どうかしている。何故こうも父母が思い出されるだろう。  先生が昨夜、ご自身の経験談をおはなしなすった。先生の父ぎみの子に対する愛の/いかに深刻なものであったかが/私にもありありと見えるような気がした。いくら我慢しようとしても涙が滲みでて仕様が無かった。  奥様も涙がお目から溢れていらしったようであった。  父様よ母さまよ、私は父様にも母さまにも不孝な子です。生まれるから死ぬまでご心配かけどおしでした。これからだっても私に何が出来るでしょう。今までより以上の不孝を続けるかも知れない。だから孝行などとはあまりに大きくて、私にはそばへもよりつかれない事でありましょう。このままの状態で幸恵には-いつこの世を去るべき時が訪れるかわからない。  この世にうまれて何一つ仕出かしたいい事もなくて、いつ私は死んでゆくかわからない。だけど、父様よ、母さまよ、幸恵は生きていてなんにもおとっちゃんやおっかさんにいい言葉をおきかせしなかったし、ましていい事などは出来るはずもなかったけれど:、幸恵の心は、おとっちゃんやおっかさんの慈愛に対する感謝でもって一杯になっていたという事だけは真実な事です。ゆるして下さい。それだけでゆるして下さい。(二十五日朝) ◇。◇。◇。 【六月二十五日】 ◇。◇。◇。  日中は非常な暑さ、夕方ザーッと雨。坊ちゃんもだいぶおよろしいので安心。お菊さんが腹痛で青い顔、いたましい気がした。イチニチ二日私に出来るなら代ってあげたいと思った。  奥様が教会へ‥‥。何だか嬉しかった。波多野牧師は『神の子』というお話をなすった。  神を見る‥‥それは難かしい事だと思っている。がそれはちっとも難かしい事ではない。一輪の花を見てもそこに神が見える。一羽の飛ぶ鳥を見ても神が見える。一人の赤ん坊を見れば一層そこに神の姿を見る事が出来る。  人の心には良心がある。愛がある。それは神様の姿である。目に見えぬ神は、常に目に見える人の形をとって/人にあらわれ給う。親の愛、夫婦の愛、友情などという愛を感ずるとき、そこに神の姿が見えるではないか。キリストは神の子、その人格に神の姿が見えるのだ‥‥。 【そうだ! そうだ!!】 ◇。◇。◇。 【六月二十六日】 ◇。◇。◇。  奥様に手拭地を一反’いただいた。どうしてこんなにいただいてばかりいるのかしら。ただ嬉しかった。ありがたかった。  夜/皆様おやすみのあと/腰巻を一枚’縫ってしまった。坊っちゃんがチッカッパをしようと仰ったのを快くお受けしたのはよかったけれど、ほかの事でお菊さんと一緒に何かを話してる間に、チッカッパはみんなしまわれていた。花火の話をきいているとき、またお菊さんが何かを云ったのに気をとられて/よく坊ちゃんのお話を聞かなかった。坊っちゃんは不快そうにしておトコに就かれた。  おお/御免あそばせ。私がわるうございました。どんなにご不快だったでしょう。小さい美しい子供心にちっともドウメイせずに、大人である自分の事ばかりに気をとられた。なんという私は利己主義な人間であろうか。清い美しい坊ちゃんの御心に/一点の不快を点じた私の罪。 おお/御免あそばせ。私自身、一ばん人よりもそういう事には一人で心をいためる。自分の言う事を知らぬ顔されるほど/気持ちの悪い事は無い─:─そうした経験をあまるほど持ちながら──私はなんという/ひどい罪の人であろう。御免あそばせ、ぼっちゃま。 ◇。◇。◇。 【六月二十七日◇ おおかたは雨】 ◇。◇。◇。  貯金をした。先生にいただいた五円の五分の一を‥‥。ダイ決心ではじめたのだ。私はこれから収入の五分の一を必ず貯金しようと思ってる。 ◇。◇。◇。 【六月二十八日】 ◇。◇。◇。  救世’軍の杉原大尉からのお手紙。とうとう部落から手を抜くようになりましたと。何だか情けないような気がした。本当に情ない。松山さんからの手紙。あの方の文字は/あの人の気性その物を表したような文字。美しくて強味のある人であったが‥‥。兄嫁と不和なために北海道へ渡ってひとりぽっち、語るに友なき淋しい生活をしているゆえ、末ながく姉妹の契りを結ぼうというお手紙。美しいうちに強みを持った、優しいなかにきりっとしたところのある彼女が/兄嫁との不和で北海道へ来たという‥:‥ありそうな事だ。私のように骨もないような人には/人と不和のために遥々旅してわざわざ孤独の生活にはいる‥‥そういう事が出来るかしら。ああ私が今ここへ来ているのはなんのため?  松山さんは本当に-なつかしみのある人だった。たしかにいい人だった。姉妹の契り、そんな事は私として、はいそれでは、と直ぐにそのまま/うけいれるだけの心の準備がない。ただありがとう、と言いたい。私のようなものにそう言って下さるとは随分変った人もあるものだ。  お湯へ行く。 ◇。◇。◇。 【六月二十九日】 ◇。◇。◇。  直三郎さんの病気を/昨夜きいてから、何だか’無闇と’胸が塞る。とうとうあの子が肺病になったという。なんという痛ましい事であろう。今朝/先生がいろいろとお話しなすった。本当に我子をよくしようしようとあせって、かえって我が手で殺してしまう。  魚をとってバケツに沢山いれる。こちらでは今に池へはなしてやろうと思ってるのに、ナマサカしらな魚は逃れようとあせって/ピンピン飛立ってバケツの外に出てバタバタして、とうとう砂まみれになる。おとなしいのは、終わりまでじっとしていて/池へいれられる時を待つ。そういうお話を承って/なるほどと感じた。運命に逆らおう、自然の力に抵抗しようと思うのは罪じゃないか。おのれただ人ではないか。小さい、いと小さい人の力が絶大無限の神の力に逆らおうとするのは/あまりに愚かな事ではないか。なぜ神は我々に苦しみを与え給うのか。試練! 試練!! 胸にモユル烈火の炎に/我が身をやききたえ、泉とほとばしる熱血の涙に/我が身を洗う。そうしてみがきあげられた何物かは、最も立派なものでなければならぬ。  私たちアイヌも/今は試練の時代にあるのだ。神の定めたもうた、それは最も正しい道を/私たちは通過しつつあるのだ。ちか道などしなくともよい。なまじっか自分の力をたのんで近道などすれば、真っさかさまに谷底へ落っこちたりしなければならぬ。  ああ、ああ/なんという大きな試練ぞ! 一人一人、これこそは我が宝と思うものをとりあげられてしまう。  旭川のやす子さんがとうとう死んだと云う。人生の暗い裏通りを/無闇やたらに引張り廻され、引摺りまわされた揚句の果ては/なんなのだ! 生を得れば”またおそろしい魔の抱擁のうちへ戻らねばならぬ。  シよ我を迎えよ。彼女はそう願ったのだ。そうして望みどおり/彼女は病に死した。どうしてこれを涙なしにきく事が出来ようぞ。心の平静を保つことに努めつとめて来た私も”とうとうその平静をかきみだしてしまった─:─だからアイヌは見るもの、目の前のものがすべて呪わしい状態にあるのだよ──。先生が仰った。おお/アイヌウタラ、アウタリウタラ! 私たちは今/大きな大きな試練をうけつつあるのだ。あせっちゃ駄目。ぢーっと唇をかみしめて/自分の足元をたしかにし、一歩一歩/重荷を負うて進んでゆく‥:‥私の生活はこれからはじまる。  人を呪っちゃ駄目。人を呪うのは神を呪う所以なのだ。神の定めたもうたすべての事、神の与え給うすべての事は、私たちは事毎に感謝して/うけいれなければならないのだ。そしてそれは、本当に感謝すべき最も大きなものなのだ。  先生の弟さんが見えた。かげで御兄弟の会話をきいている。なんというなつかしい愛のこもった声なのだろう。お国言葉のせいか、やさしい、本当にやさしい。取交す一言一言に肉親の/美しい深い愛情がこもっているようにきこえる。赤ちゃんをおんぶして外へ出る。何だか自分が母親になったような、涙ぐましいほど赤ちゃんがかわゆくて、母’らしい気分で赤ちゃんをあやし、赤ちゃんのために心配する‥‥。子供が欲しい。またしてもこの望みが出てくるのだ。 ◇。◇。◇。 【六月三十日◇ 朝霧】 ◇。◇。◇。 【七月一日】 ◇。◇。◇。  夕方奥様のお供をして中央会堂へ行く。一時間ほど待ってやっとはじまった。  無邪気な子供らの映画に心が柔らいで平和な気分になる。  ジャンパルジャンの劇、父様の事が妙に思い出されるので涙がこぼれた。  その家の女、親子の愛の美しさを目のあたりに見せつけられて/涙を抑える事が出来なかった。フィリップが自分の学識、手腕をのみたのんで、それで-まなごを救おうと思ったけれども、それは駄目であった。科学の力よりも/母の愛の力がつよかった。科学を絶対のダイなる力と信じていた彼は、科学以外の存在を知る事が出来た。 ◇。◇。◇。 【七月二日◇ 日曜日】 ◇。◇。◇。  坊ちゃんが井戸の中へ落っこちた。おお神様よ!!! 坊っちゃんは死ななかった。どうしてこれが感謝せずにいられよう。晩になって今日一日のことを思い出して見ても/ただ夢のよう。坊っちゃんは大変に元気でいらっしゃる。  夕方になって少しおむづかり、先生が遅くハーモニカを買っていらっしゃる。夜半頃まで御両親交々、うなされる坊っちゃんをすかしたりなぐさめていらしった。  おいとしいぼっちゃま。早くなおって下さいませ。神様どうぞお力を!  先生のあの時のお顔色、奥様の叫び声、思い出しても涙が出る。  神の力、親の愛、私はしみじみ感ずる。 ◇。◇。◇。 【七月三日】 ◇。◇。◇。  今日も坊ちゃんはお元気、ハーモニカを吹いて。夜/お医者へ行って坊っちゃんの傷口を見た。あの井戸から落っこちて、これだけの傷で命を得たことは/本当に奇蹟でなければならぬ。飛びこんで救って下すった弁当屋の若い人、なんというえらい人であったろう。ガッシリとしまったあの肉づき、生き生きしている人であった。 ◇。◇。◇。 【七月四日◇ 大雨】 ◇。◇。◇。  奥様は気疲れでおトコの上に-ふせっていらっしゃる。無理もない事。  神様、なにとぞ奥様を恵ませ給へ。 ◇。◇。◇。 【七月五日】 ◇。◇。◇。  一日たのしくすごした。坊ちゃんのお相手。 ◇。◇。◇。 【七月六日】 ◇。◇。◇。  いよいよ梅雨が晴れたという。カラリと晴れて照りつける強烈な日の光に/からだは焼かれるよう。  夕方、岡村千秋さんという方が見えた。先生が私を紹介して下さるために探して下すったのだそうだけど、ちょうど赤ちゃんと一緒に散歩に出かけていたので駄目だった。女学世界に何か書くように! と仰ったという。何を書いたらいいのかしら‥‥。 ◇。◇。◇。 【七月七日】 ◇。◇。◇。  北見のウナラペがッレプ◇ イルプを送ってよこした。なんというかわいらしいウナラペなんだろう。ところで困ったのには、私一人で食べていられないことである。坊ちゃんがよろこんで食べて下すった。晩には先生が葛湯しておあがりになった。先生はやはり先生、おえらいことだと思った。  奥様の御機嫌は今夜/随分お悪い。何だかお気の毒で、赤ちゃんの叱られているかげでハラハラした。 ◇。◇。◇。 【七月八日】 ◇。◇。◇。  岡村千秋様にお目にかかった。私の写真を撮るために/わざわざお出で下すったのだという。びっくりして胸がどきどき、顔が熱くて仕様が無かった。なんのために私の写真を‥‥。  お湯から帰りに雨に遭った。菊さんが駆けるので私も駆けた。一息に駆けたあとが苦しくて苦しくて。  でもあれだけ駆けてこれだけの苦しみで済むとは、私もずいぶん達者になったと思って嬉しかった。  先生に余市の中里さんの話をきいて/嬉しいのか悲しいのか涙が出た。茂さんのお父様だ。そういう人がいるならば、まだアイヌの運命は尽きないだろう。 ◇。◇。◇。 【七月九日◇ 日曜日】 ◇。◇。◇。  昨夜の夢はずいぶん変だった。  兼吉さんの家に地下室があって、電灯が-ともっていた。私は富子をおんぶしていた。富子だと思ったが、泣き声をきくとこちらのタアタンであった。中央にシロヌノをかけたテーブルがあって、学校にあるような籐椅子が沢山あって、私はS子さんと対座していた。S子さんだと思ったのは川村サイトさんだった。兵隊さんが三人はいって来た。どこかのアイヌの兵隊さん‥‥。私とサイトさんは大声で何かの議論をした。サイトさんが私に負けた。外へ出た。かんとくさんの家の前は一ぱい雪があって、道は凸凹でずいぶん悪かった。ヤイペカヤイペカしながら来ると、マ-デアルさんに出会った。瓦斯か何かの縞柄のきれいな袷を着て/長い袂の姿優しく/蝦茶のメリンスの袴をはいて、靴を履いて、ニッコリ会釈して、あの素直なやさしい黒い瞳を輝かして/行き過ぎた。私はあとを見送った。うちにあった赤い表紙の讃美歌を右手に持っていた。  中央会堂へ行く。副牧師のおはなし。何だか少しわかったような気がした。  汝ら愛せらるる児女のごとく/神に倣うべし。  偶像をおがむ者の/キリストと神との国をつぐ事を得ざるは/汝ら知ればなり。  汝等もと-くらかりしが/いまシュにありて光れり。エフェソの信徒への手紙◇第5章◇1から22セツ  欧州戦争の時、佛蘭西のジョフル元帥が戦傷者のシンギンしてる病院を見舞った。すると、何とかの毒とかのために顔がスッカリ腫れあがって/顔の形もなくなった一人の兵士を彼は見た。おお、おん身はこのように顔の形が無くなるまでに佛蘭西のために苦戦してくれたか。さあ、握手をしよう、と手をのべた時、彼は体を覆う薄い布の下から手を出した。おお/その手は肩の下から切れていた。  ああ/右の手が無くなるまでおん身は佛蘭西のために苦闘してくれたか。では左の手で握手を‥‥。元帥の言葉に彼は左の手を出した。がその手は腕の所がプッツリ切れていた。  おお、おん身は、顔の形を無くし、右の手を失い、左の手をきられるまで佛蘭西のために悪戦苦闘してくれたか。さらば‥‥とジョフル元帥は、彼の醜く腫れ上がって/顔という形もない/かの一兵士の熱に皮むけた唇にその唇をつけて/強いキッスを与えた。  兵士は泣いた。今までかつて泣いたことのない彼が涙を流した。彼がその後少し快い時に/友人の手をかりてイッペンの-しを書き連ねた。  我が愛は酬いられたり‥‥と。  人のため、世のために己をすてて、あらゆる悪戦苦闘を続けて、ふくれあがり、はれあがり、きれぎれに身はなろうとも、感謝し、喜んでそれを甘受する‥‥それがクリスチャンの生涯だという。キリストに倣う所以だという。その愛に酬るあついキッスは何? ◇。◇。◇。 【七月十日】 ◇。◇。◇。  林さんのよっちゃんが遊びに見えた。その人の家庭の話など、奥様がお話しになった。涙ぐましい話。 ◇。◇。◇。 【七月十一日】 ◇。◇。◇。  母さまからの手紙。松山さんの話、大尉の話、八重さんの話、すべてにおカアサマ式を遺憾なく発揮してるのが面白く、またかなしい気がする。  葭原キクさんは本当に死んでしまったのだ。なにとぞ嘘であってくれるように‥‥と思った甲斐もなく。彼女に就いて思い出すことは、容貌の美しかったこと、よく泣く人であったこと、よく笑う人であったこと、幼い記憶に残ってるのは先ずそんなものである。文字が上手であった。怒った時の表情も目の前に見るようだ。動作はしとやかな、先ず私たちアイヌのうちにも彼女がいたことは/喜ばしいことである。私を可愛がってくれた。  その人も今やなし。またしても何故アイヌはこうして少しよい人を/みな失ってしまうのかと泣きたくなる。菊さんの娘はみゆきと言った。可愛い子であったが、父なく母なき孤児になってしまったのだ。妙に気にかかって仕様がない。今はどこにいるのかしら。母親に似て、色白の顔の/形もととのった美しい子だった。そうして、やはり母親に似て利発な子であった。今はもう10歳ぐらいにもなるであろう。おお/かわいそうに。幼くして母を失ったおん身は、これからどういう生活に入るのか。さなきだに/涙の多い母を持ったおん身だから/涙もろい性質を持って居るのであろうものを、きっと、さびしいさびしい涙の子に/おん身はなるであろう。それもよし。泉’と湧く涙に身を洗ったならば、おん身は却って、美しい清い魂を得るであろう。なにとぞそうなって下さい。涙の谷に身を沈めてはいけない。決して沈んでしまってはなりません。 ◇。◇。◇。  七月十二日◇ 晴れ、終日’涼し ◇。◇。◇。  奥様が、来年の春までいて頂戴と仰る。勿体ないこと。  岡村千秋さまが、「私が東京へ出て、黙っていればその儘アイヌであることを知られずに済むものを:、アイヌだと名乗って女学世界などに寄稿すれば、世間の人に見さげられるようで、私がそれを好まぬかも知れぬ」と云う懸念を持って居られるという。そう思っていただくのは私には不思議だ。私はアイヌだ。どこまでもアイヌだ。どこにシサムのようなところがある?! たとへ、自分でシサムですと口で言い得るにしても、私は依然アイヌではないか。つまらない、そんな口先でばかりシサムになったって何になる。シサムになれば何だ。アイヌだから、それで人間ではないという事もない。同じ人ではないか。私はアイヌであったことを喜ぶ。私がもしかシサムであったら、もっと潤いの無い人間であったかも知れない。アイヌだの、他の哀れな人々だのの存在をすら知らない人であったかも知れない。しかし私は涙を知っている。神の試練の鞭を:、愛の鞭を受けている。それは感謝すべき事である。  アイヌなるが故に世に見下げられる。それでもよい。自分のウタリが見下げられるのに/私ひとりぽつりと見あげられたって、それがなんになる。多くのウタリと共に見さげられたほうが嬉しいことなのだ。  それに私は見上げらるべき何物をも持たぬ。平々凡々、あるいはそれ以下の人間ではないか。アイヌなるが故に見さげられる、それはちっとも厭うべきことではない。  ただ、私のつたない故に、アイヌ全体がこうだとみなされて見さげられることは、私にとって忍びない苦痛なのだ。  おお、愛する同胞よ、愛するアイヌよ!!! ◇。◇。◇。 【七月十三日】 ◇。◇。◇。  私が東京という土地に第一歩を運んだのは/ふた月まえの今日であった。 ◇。◇。◇。 【七月十四日】 ◇。◇。◇。  直三郎さんがとうとう亡くなったという。涙も出て来ない。  直三郎さんの死骸、それにとりつく、チチハハギミの悲しい光景。それが目の前を何度も通りすぎる。 ◇。◇。◇。 【七月十六日◇ 日曜日】 ◇。◇。◇。  中央会堂で波多野牧師の「信仰の種類」と題するお説教。ちっともわからなかった。  午後、直江さんという、先生の弟さんが見えた。安蔵さんのほうが静かな、優しい方のように見えた。この方はまた、たいそう無邪気な/可愛らしい弟さんだと思う。  お国言葉まるだしで、太いおこえ。かげできいていると、まるでアイヌの男の話し声のようだ。  御兄弟/仲むつまじくいらっしゃる事は、次郎さんの時も安蔵さんの時も今の方の時も同じ事なのだ。次郎さんと直江さんはよく似ていらっしゃる。先生と安蔵さんの似ていらっしゃるのはまたそれ以上である。 ◇。◇。◇。 【七月十七日】 ◇。◇。◇。  大騒ぎして直江さんのお帰り。案じたとおり/奥様のご気分が優れぬ。 ◇。◇。◇。 【七月十八日】 ◇。◇。◇。  奥様は歯医者さんへ。  先生は中学校へ。お不在の間に直江さんが見えた。坊ちゃんが新しいマントをお土産にいただいた。  夕方、ザーッと夕立、本当に気持ちがよかった。  宮下長二という青年が私を訪ねて来た。あんまり真面目な人に見えなかった。が、それは私の間違いかも知れぬ。トメさんと文通してるという。  研究するんじゃなくて、ただ好奇心からアイヌの歴史をきき、生活状態を見、心理状態を観察しようというのだ。なんだか私は侮辱をさえ感ずる。しかしいくらものずきでも/よく訪ねてくれたと感謝する。 ◇。◇。◇。 【七月十九日】 ◇。◇。◇。  仕事が無くて困ってしまう。  今日も奥様は歯医者さんへ。  一日お天気。 ◇。◇。◇。 【七月二十一日】 ◇。◇。◇。  賜はことなれども、霊は同じ。 ◇。◇。◇。 【七月二十二日】 ◇。◇。◇。  六月の二十七日に出した手紙の返事が/やっと七月の二十二日に手に入った。  鉛筆の走り書きで書いてあることも、私の聞きたいと思うことは何も書いていない。そして上っ調子なようにもとれる。しかし、やはりどこかに愛のひらめきが見えるのは嬉しい事である。 ◇。◇。◇。  七月二十三日◇ 晴れ、九十度の暑さ ◇。◇。◇。  中央会堂へ。  先生に五円、お小遣にと戴いた。嬉しくて堪らない。けれど何もしないで‥‥という気持ちがまだ浮ぶ。ただ感謝すればいいのに‥‥。  会堂では副牧師の説教。 ◇。◇。◇。  我れ”いくるにあらず、  キリスト/我れにありて-いくるなり。 ◇。◇。◇。  波多野牧師に御挨拶申した。随分いいかただ。  夜、町田さんなる人が見えた。なるほど、感謝に満ちた顔して居られる。先生や奥様にほめそやされたには驚いた。悪く言われるのは嫌だけども、よくもないことをほめられる事ほど困ることはない。  赤ちゃんに少しお熱があった。 ◇。◇。◇。 【七月二十四日:◇ 晴れ】 ◇。◇。◇。  朝から随分暑い。  赤ちゃんの機嫌が悪い。からだのかげんがお悪いのだと思う。元気がない。  御機嫌が直った。  樺太のニマポを見せていただいた。どれほど古いかわからぬニマポ、ピカピカ光ってる。私は涙が出た。  ワカルパアチャポの事をうかがって/思わず涙にくれる。 ワカルパアチャポ、◇ ワカルパアチャポ‥‥アイヌは滅びるか。神様、なにとぞ‥‥。いいえ、聖旨のままになさせ給へ。  奥様のところへマッサージの人が来た。  孤児院の女の子が『買って下さい。要らないのを買うのが慈善でしょう。奥さん、買って下さい』という。まだ十二か一の幼い娘。なんという、惨めなこのありさまであろう。涙ぐましい気持ちがする。人生の悲惨はこの孤りの少女の額に/あらわに見ることが出来る。 ◇。◇。◇。 【七月二十五日】 ◇。◇。◇。  午後から、先生と坊っちゃまのお供をして博覧会見物に出かけた。  目が回りそうなところ。どれもどれも驚嘆の種でないのはなかった。  あちこちで色々とご馳走になった事。お腹が一杯だ。  帰って来て心に残り刻まれてあるのは、南洋土人の歌劇、南洋土人の子供のかわゆかった事。いもやかぼちゃのやすかった事、氷水のおいしかった事、噴水のきれいだった事、池の夜景のよかった事。  絵葉書をヒトクミいただいた。くたびれてくたびれて、物言う事さえ億劫になってしまった。 ◇。◇。◇。 【七月二十六日】 ◇。◇。◇。  くたびれた割に今朝は早く目をさました。金田一さん、金田一さん、とあわただしく門をたたいた山本の奥さん。  一杯の水にやっと息をついて、一言ふたこと語った事。  みいちゃんが死んだ、汽車で自殺した、と。  つい先達見えたあのみいちゃん。美しく﨟たけたあのみいちゃん。人の奥さんと呼ぶにはあまりにいたいけな、ハタチだというても精々十七ぐらいにしか見えなかったあのみいちゃん。こんな人が奥さんとはあまりに痛ましい事だ、と私が言ったっけが。  神経衰弱とは/なんとおそろしい病気であろうぞ。  三時頃お帰りの先生は、それに就いて色々なお話をなすった。奥様の事についても。  夜、先生はお通夜にお出かけ。私は先生の代わりみたいに/奥様がたと一つ蚊帳に寝た。  子を持つ人の如何に苦労の多いかをつくづく思う。  坊っちゃんと赤ちゃんが、あっちへころころ、こっちへころころ。蚤か蚊か、そらお乳、そらおしめ。それに奥様がちっともおねむりなさらない。びくびくびくびくとちっとも落ちつかないご様子。何だか私のほうが神経衰弱かも知れぬ。  二時半のお乳からはグッスリ寝入った。 ◇。◇。◇。 【七月二十七日】 ◇。◇。◇。  先生も奥様もがっかりしていらっしゃる。みいちゃんみいちゃん、一日みいちゃんが頭をはなれない。 ◇。◇。◇。 【七月二十八日】 ◇。◇。◇。 【(以下/余白)】 ◇。◇。◇。 【底本:「銀のしずく◇ 知里幸恵遺稿」草風館】 【   1996(平成8)年10月1日】 【◇底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5の86)を、大振りにつくっています。】 【◇底本の凡例には、「読み易くするため、拗音と促音のみ現代用法に則った」と記載されています。】 【入力:田中敬三】 【校正:川山’隆】 【2006年7月28日作成】 【青空文庫作成ファイル:】  このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(httpコロン/スラッシュスラッシュwww.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。