◇。◇。◇。 【鮨】 【岡本かの子】 ◇。◇。◇。 【第1章】 ──── ◇。◇。◇。  東京の下町と山の手の境い目といったような、ひどく坂《’坂》や崖の多い街がある。  表通りの繁華から折れ曲って来たものには、別天地の感じを与える。  つまり表通りや新道路の繁華な刺戟に疲れた人々が、時々、刺戟を|外ず《外》して気分を転換する為めに紛れ込むようなち《/ち》ょっとした街筋──  福ずしの店のあるところは、この町でも一ばん低まったところで、二階建の銅張りの店構えは、三四年前表《サンヨネン前/表》だけを造作《ゾウサク》したもので、《:、》裏の方《ほう》は崖に支えられている柱の足を根つ《継》ぎして古《/古》い住宅のままを使っている。  古くからある普通の鮨屋だが、商売不振で、先代の持主《持ち主》は看板ごと家作を|ともよ《トモヨ》の両親に譲って、店もだんだん行き立って来た。  |新ら《新》しい福ずしの主人は、もともと東京で屈指の鮨店で腕を仕込んだ職人だけに、周囲の状況を察して、鮨の品質を上げて行くに造作もなかった。前にはほとんど|出まえ《出前》だったが、|新ら《新》しい主人になってからは、鮨盤の前や土間に腰かける客が多くなったので、《:、》始めは、主人夫婦と女の子の|ともよ《トモヨ》三人きりの暮しであったが、やがて職人を入れ、子供と女中を使わないでは間に合わなくなった。  店《みせ》へ来る客は十人十|いろ《色》だが、全体に就《就い》ては共通するものがあった。  後《あと》からも前からもぎりぎりに生活の現実に詰め寄られている、その間《あいだ》をぽっと|外ず《外》して気分を転換したい。  一つ一つ我|まま《儘》がきいて、ちんまりした贅沢ができて、そして、ここへ来ている間は、くだらなく|ばか《馬鹿》になれる。好みの程度に自分から裸になれたり、仮装したり出来る。たとえ、そこで、どんな安|ちょく《直》なことをしても云っても、誰も軽蔑するものがない。お互いに現実から隠れんぼうをしているような者同志の一種の親しさ、そして、かばい合うような懇《懇ろ》な|眼ざ《眼差》しで鮨をつまむ手つ《付》きや茶《/茶》を呑む様子を視合《見合》ったりする。かとおもうとまたそれは人間というより木石の如く、はたの神経とはまったく無交渉な様子で黙々《/黙々》といくつかの鮨をつまんで、さっさと帰って行く客もある。  鮨というものの生む甲斐々々《甲斐甲斐》しいまめやかな雰囲気、そこへ人がいくら耽り込んでも、擾《乱》れるようなことはない。万事が手軽くこ《/こ》だわりなく行き過ぎて仕舞う。  福ずしへ来る客の常連は、元狩猟銃器店の主人、デパート外客廻《ソト客回》り係長、歯科医師、畳屋の伜、電話のブローカー、石膏模型の技術家、児童用品の売込人《売り込みにん》、兎肉販売《ウサギ肉販売》の勧誘員、証券商会をやったことのあった隠居─《─:》─このほかにこの町の近くの何処《どこ》かに棲んでいるに違いない劇場関係の芸人で、劇場が|ひま《暇》な時は、何《なに》か内職をするらしく、《:、》脂づいたような絹ものをぞろりと着て、青白い手で鮨を器用につまんで喰《食》べて行く男もある。  常連で、この界隈に住んでいる暇のある連中は散髪のついでに寄って行くし、遠くからこの附近へ用足しのあるものは、その用の前後に寄る。季節によって違うが、日が長くなると午後の四時頃から灯《明かり》がつく頃が一《/一》ばん落合って立て込んだ。  めいめい、好み好みの場所に席を取って、鮨種子《寿司種》で融通して呉《く》れる|さしみ《刺し身》や、酢のもので酒を飲むものもあるし、すぐ鮨に取りかかるものもある。 ◇。◇。◇。 【第2章】 ──── ◇。◇。◇。  |ともよ《トモヨ》の父親である鮨屋の亭主は、ときには仕事場から土間へ降りて来て、黒みがかった押鮨を盛った皿を常連のまん中のテーブルに置く。 「何《なん》だ、何《なん》だ」  好奇の顔が四方から覗き込む。 「まあ、やってご覧、あたしの寝酒の肴さ」  亭主は客に友達のような口をきく。 「こはだにしちゃ味が濃いし──」  ひとつ撮《-つま》んだのがいう。 「鯵かしらん」  すると、畳敷《畳敷き》の方《ほう》の柱の根に横坐りにして見ていた内儀《-かみ》さん──|ともよ《トモヨ》の母親──が、は は《ハ》 は《ハ》 は《ハ》 と太り肉を揺《揺す》って「みんなお|とッ《父っ》つあんに一ぱい喰《食》った」と笑った。  それは塩|さんま《サンマ》を使った押鮨で、おからを使って程よく塩と脂を抜いて、押鮨にしたのであった。 「おと《父》っさん狡《ずる》いぜ、ひとりでこっそりこんな旨いものを拵えて食うなんて──」 「へえ、|さんま《サンマ》も、こうして食うとまるで違うね」  客たちのこんな話が一しきりがやがや渦まく。 「なにしろあたしたちは、銭《ゼニ》のかかる贅沢はできないからね」 「おと《父》っさん、なぜこれを、店に出さないんだ」 「冗談いっちゃ、いけない、これを出した日にゃ、他の鮨が蹴押《-けお》されて売れなくなっちまわ。第一、|さんま《サンマ》じゃ、いくらも値段がとれないからね」 「お|とッ《父っ》つあん、なかなか商売を知っている」  その他、鮨の材料を採ったあとの鰹の中落だの、鮑の腸《ハラワタ》だの、鯛の白子だのを巧《巧み》に調理したものが、ときどき常連《常連’》にだけ突出《突き出》された。|ともよ《トモヨ》はそれを見て「飽きあきする、あんなまずいもの」と顔を皺めた。だが、それらは常連から呉《く》れといってもなかなか出さないで、思わぬときにひょっこり出す。亭主はこのことにかけてだけ|いこじ《意固地》でむら気《っけ》なのを知っているので決《/決》してねだらない。  よほど欲しいときは、娘の|ともよ《トモヨ》にこっそり頼む。すると|ともよ《トモヨ》は面倒臭《メンドくさ》そうに探し出して与える。  |ともよ《トモヨ》は幼い時から、こういう男達は見なれて、その男たちを通して世の中を|頃あ《頃合》いでこだわらない、いささか稚気のあるものに感じて来ていた。  女学校時代に、鮨屋の娘ということが、いくらか恥じられて、家の出入《出入り》の際には、できるだけ友達を近づけないことにしていた苦労のようなものがあって、《:、》孤独な感じはあったが、ある程度までの孤独感は、家の中の父母の間柄からも染みつけられていた。父と母と喧嘩をするような事はなかったが、気持ちはめいめい独立していた。ただ生きて行くことの必要上《必要ジョウ》から、事務的よりも、もう少し本能に喰《食》い込んだ協調やらいたわり方を暗黙のうちに交換して、それが反射的にまで発育しているので、世間からは無口で比較的仲《/比較的仲》のよい夫婦にも見えた。父親は、どこか下町のビルヂングに支店を出すことに熱意を持ちながら、小鳥を飼うのを道楽にしていた。母親は、物見遊山《物見ユサ-ン》にも行かず、着|もの《物》も買わない代《代わ》りに月々《/月々》の店の売上げ額から、自分だけの月が《掛》け貯金をしていた。  両親は、娘のことについてだけは一致したものがあった。とにかく教育だけはしとかなくてはということだった。まわりに浸々と押し寄せて来る、知識的な空気に対して、この点では両親は期《-き》せずして一致して社会《/社会》への競争的なものは持っていた。 「自分は職人だったからせめて娘は」  と──だが、それから先をどうするかは、全く茫然としていた。  無邪気に育てられ、表面だけだが世事に通じ、軽快でそ《/そ》して孤独的なものを持っている。これが|ともよ《トモヨ》の性格だった。こういう娘を誰も目の敵にしたり邪魔にするものはない。ただ男に対してだけは、ずばずば応対して女の子らしい羞らいも、作為の態度もないので、《:、》一時女学校《一時/女学校》の教員の間で問題になったが、商売柄、自然、そういう女の子になったのだと判って、いつの間にか疑いは消えた。  |ともよ《トモヨ》は学校の遠足会で多摩川《多摩川’》べりへ行ったことがあった。春さきの小川の淀みの淵を覗いていると、いくつも鮒が泳ぎ流れて来て、新茶のような青い水の中に尾鰭を閃めかしては、杭根の苔を食んで、また流れ去って行く。するともうあとの鮒が流れ溜って尾鰭《/尾鰭》を閃めかしている。流れ来り、流れ去るのだが、その交替は人間の意識の眼には留まらない程すみやかで|かす《/微》かな作業のようで、いつも若干の同じ魚が、其処《そこ》に遊んでいるかとも思える。|ときどき《時々》は不精そうな鯰も来た。  自分の店の客の新陳代謝は|ともよ《トモヨ》にはこ《/こ》の春の川《’川》の魚のようにも感ぜられた。(たとえ常連というグループはあっても、そのなかの一人一人はいつか変《変わ》っている)自分は杭根のみどりの苔のように感じた。みんな自分に軽く触れては慰められて行く。|ともよ《トモヨ》は店のサーヴィスを義務《/義務》とも辛抱とも感じなかった。胸も腰もつくろわない少女じみたカシミヤの制服を着て、有合せの男下駄をカランカラン引きずって、客へ茶を運ぶ。客が情事めい《-い》たことをいって揶揄うと、|ともよ《トモヨ》は口をちょっと尖らし、片方の肩を|一しょ《一緒》に釣上げて 「困るわそんなこと、何《なん》とも返事できないわ」  という。さすがに、それには極《ご》く軽い媚びが声に捩《-よじ》れて消える。客は仄かな明るいものを自分《/自分》の気持ちのなかに点じられて笑う。|ともよ《トモヨ》は、その程度の福ずしの看板娘であった。 ◇。◇。◇。 【第3章】 ──── ◇。◇。◇。  客のなかの湊というのは、五十過ぎぐらいの紳士で、濃い眉がしらから顔へかけて、憂愁の蔭を帯びている。時によっては、もっと老けて見え、場合によっては情熱的な壮年者にも見えるときもあった。けれども鋭い理智から来る一種《/一種》の諦念といったようなものが、人柄の上に冴えて、苦味のある顔を柔和に磨いていた。  濃く縮れた髪の毛を、程よく|もじょもじょ《モジョモジョ》に分け仏蘭西髭《/フランス髭》を生やしている。服装は赫い短靴を埃まみれにしてホームスパンを着ている時もあれば、少し古びた結城で着流《/着流》しのときもある。独身者であることはたしかだが職業《/職業》は誰にも判らず、店ではいつか先生と呼び馴れていた。鮨の食べ方は巧者であるが、強《し》いて通《ツウ》がるところも無かった。  サビタのステッキを床にとんとつき、椅子に腰かけてから体を斜に鮨《/鮨》の握り台の方《ホウ》へ傾け、硝子箱の中に入っている材料を物憂そうに点検する。 「ほう。今日はだいぶ品数があるな」  と云って|ともよ《/トモヨ》の運んで来た茶を受け取る。 「カンパチが脂がのっています、それに今日は蛤も──」  |ともよ《トモヨ》の父親の福ずしの亭主は、いつかこの客の潔癖な性分であることを覚え、湊が来ると無意識に俎板や塗盤の上へし《/し》きりに布巾《フキン》をかけながら云う。 「じゃ、それを握って貰おう」 「はい」  亭主はしぜん、ほかの客とは違った返事をする。湊の鮨の喰《食》べ方のコースは、いわれなくとも|ともよ《トモヨ》の父親は判っている。鮪《マグロ》の中とろから始《始ま》って、つめのつく煮ものの鮨になり、だんだんあっさりした青い鱗のさかなに進む。そして玉子と海苔巻に終る。それで握り手は、その日の特別の注文は、適宜にコースの中へ加えればいいのである。  湊は、茶を飲んだり、鮨を味わったりする間、片手を頬《ホオ》に宛てがうか、そのまま首を下げてステッキの頭に置く両手の上へ顎を載せるかして、じっと眺める。眺めるのは開け放してある奥座敷を通して眼に入る裏《/裏》の谷合の木がくれの沢地か、水を撒いてある表通りに、向《向こ》うの塀から垂れ下がっている椎の葉の茂みかどちらかである。  |ともよ《トモヨ》は、初めは少し窮屈な客と思っていただけだったが、だんだんこの客の謎めいた眼の遣り処《どころ》を見慣れると、《:、》お茶を運んで行ったときから鮨を喰《食》い終るまで、よそばかり眺めていて、一度もその眼を自分の方に振向けないときは、物足りなく思うようになった。そうかといって、どうかして、まともにその眼を振向けられ自分《/自分》の眼と永く視線を合せていると、自分を支えている力を暈されて危いような気がした。  偶然のように顔を見合《見合わ》して、ただ一通りの好感を寄せる程度で、微笑《微笑’》して呉《く》れるときは|ともよ《トモヨ》は父母とは違って、自分をほぐして呉《く》れるなにか暖味《暖か味》のある刺戟のような感じをこ《/こ》の年とった客からうけた。だから|ともよ《トモヨ》は湊がいつまでもよそばかり見ているときは土間《/土間》の隅の湯沸しの前で、絽ざしの手をとめて、《:、》たとえば、作り咳《咳’》をするとか耳《/耳》に立つものの音をたてるかして、自分ながらしらずしらず湊《/湊》の注意を自分に振り向ける所作をした。すると湊は、ぴくりとして、|ともよ《トモヨ》の方《ほう》を見て、微笑する。上歯と下歯《シタバ》がきっちり合い、引緊《引き締ま》って見える口の線が、滑かになり、仏蘭西髭《フランス髭》の片端《方ハシ》が目についてあがる─《─:》─父親は鮨を握り乍《なが》らちょっと眼を挙げる。|ともよ《トモヨ》のいたずら気《っ気》とばかり思い、また不愛想な顔をして仕事に向《向か》う。  湊はこの店へ来る常連とは分《/分》け隔てなく話す。競馬の話、株の話、時局の話、碁、将棋の話、盆栽の話─《─:》─大体こういう場所の客の間に交《交わ》される話題に洩れないものだが、《:、》湊は、八分《ハチブ》は相手に話さして、二分《ニブ》だけ自分が口を開くのだけれども、その寡黙は相手を見下げているのでもなく、つまらないのを我慢しているのでもない。その証拠には、盃の一つもさされると 「いやどうも、僕は身体を壊していて、酒はすっかりとめられているのですが、折角ですから、じゃ、まあ、頂きましょうかな」といって、《:、》細いがっしりとしている手を、何度も振って、さも敬意を表するように鮮《鮮や》かに盃を受取り、気持ちよく飲んでまた盃を返す。そして徳利を器用に持上《持ち上》げて酌をしてやる。その挙動の間に、いかにも人なつこく他人《/他人》の好意に対しては、何倍にかして返さなくては気が済まない性分が現れているので、常連の間で、先生は好《い》い人だということになっていた。  |ともよ《トモヨ》は、こういう湊を見るのは、あまり好かなかった。あの人にしては軽すぎるというような態度だと思った。相手客のほんの気まぐれに振り向けられた親しみに対して、ああまともに親身の情を返すのは、湊の持っているものが減ってしまうように感じた。ふだん陰気なくせに、一《いっ》たん向けられると、何《なん》という浅ましくが《/が》つがつ人情に饑《飢》えている様子を現わす|年と《年取》った男だろうと思う。|ともよ《トモヨ》は湊が中指に嵌めている古代埃及《古代エジプト》の甲虫《スカラップ》のついている銀の指輪さえそういうときは嫌味に見えた。  湊の対応ぶりに有頂天になった相手客が、なお繰り返して湊に盃をさし、《:、》湊も釣り込まれて少《/少》し笑声さえたて乍《なが》らその盃の遣り取りを始め出したと見るときは、|ともよ《トモヨ》はつかつかと寄って行って 「お酒、あんまり呑んじゃ体にいけないって云ってるくせに、もう、よしなさい」  と湊の手から盃をひったくる。そして湊の代《代わ》りに相手の客にその盃をつき返して黙って行って仕舞う。それは必《必ず》しも湊の体をおもう為でなく、妙な嫉妬が|ともよ《トモヨ》にそうさせるのであった。 「なかなか世話女房だぞ、ともちゃんは」  相手の客がそういう位でその場はそれなりになる。湊も苦笑しながら相手の客に一礼して自分の席に向き直り、重たい湯呑み茶碗に手をかける。  |ともよ《トモヨ》は湊のことが、だんだん妙な気がかりになり、却って、そしらぬ顔をして黙っていることもある。湊がはいって来ると、つんと済して立って行って仕舞うこともある。湊もそういう素振《-そぶ》りをされて、却って明るく薄笑いするときもあるが、《:、》全然、|ともよ《トモヨ》の姿の見えぬときは物寂しそうに、いつもより|一そう《一層》、表通りや裏の谷合の景色を深々と眺める。 ◇。◇。◇。 【第4章】 ──── ◇。◇。◇。  ある日、|ともよ《トモヨ》は、籠をもって、表通りの虫屋へ河鹿を買いに行った。|ともよ《トモヨ》の父親は、こういう飼いものに凝る性分で、飼い方もうまかったが、|ときどき《時々》は失敗して数を減らした。が今年ももはや初夏の季節で、河鹿など涼しそうに鳴かせる時分だ。  |ともよ《トモヨ》は、表通りの目的の店近く来ると、その店から湊が硝子鉢を下げて出て行く姿を見た。湊は|ともよ《トモヨ》に気がつかないで硝子鉢《/硝子鉢》をいたわり乍《なが》ら、むこう向きにそろそろ歩いていた。  |ともよ《トモヨ》は、店へ入って手ばやく店のものに自分の買うものを注文して、籠にそれを入れて貰う間、店先へ出て、湊の行く手に気をつけていた。  河鹿を籠に入れて貰うと、|ともよ《トモヨ》はそれを持って、急いで湊に追いついた。 「先生ってば」 「ほう、ともちゃんか、珍らしいな、表で逢うなんて」  二人は、歩きながら、互いの買いものを見せ合った。湊は西洋の観賞魚の髑髏魚《ゴーストフィッシュ》を買っていた。それは骨が寒天のような肉に透き通って、腸《ハラワタ》が鰓の下に小さくこ《込》み上《上が》っていた。 「先生のおうち、この近所」 「|いま《今》は、この先のアパートにいる。だが、いつ越すかわからないよ」  湊は珍らしく表で逢ったから|ともよ《/トモヨ》にお茶でも御馳走《ご馳走》しようといって町筋をすこし物色したが、この辺《辺り》には思わしい店もなかった。 「まさか、こんなものを下げて銀座へも出かけられんし」 「ううん、銀座なんかへ行かなくっても、どこかその辺の空地《空き地》で休んで行きましょうよ」  湊は今更のように漲り亘る新樹の季節を見廻し、ふうっと息を空《クウ》に吹いて 「それも、いいな」  表通りを曲ると間もなく崖端《崖バタ》に病院《/病院》の焼跡の空地《空き地》があって、煉瓦塀の一側がローマの古跡のように見える。|ともよ《トモヨ》と湊は持ち|もの《物》を叢の上に置き、足を投げ出した。  |ともよ《トモヨ》は、湊になにかいろいろ訊いてみたい気持ちがあったのだが、いまこうして傍に並んでみると、そんな必要もなく、ただ、霧のような匂いにつつまれて、しんしんとするだけである。湊の方《ほう》が却って弾んでいて 「今日は、ともちゃんが、すっかり大人に見えるね」  などと機嫌好《機嫌よ》さように云う。  |ともよ《トモヨ》は何を云おうかと暫く考えていたが、大したおもいつきでも無いようなことを、とうとう云い出した。 「あなた、お鮨《すし》、本当にお好きなの」 「さあ」 「じゃ何故来《何故’来》て食べるの」 「好きでないことはないさ、けど、さほど喰《食》べたくない時でも、鮨を喰《食》べるということが僕の慰みになるんだよ」 「なぜ」  何故、湊が、さほど鮨を喰《食》べたくない時でも鮨《/鮨》を喰《食》べるというその事だけが湊の慰めとなるかを話し出した。  ──旧くなって潰れるような家には妙な子供が生れるというものか、大きな家の潰れるときというものは、大人より子供にその脅えが予感されるというものか、《:、》それが激しく来ると、子は母の胎内にいるときから、そんな脅えに命を蝕まれているのかもしれないね─《─:》─というような言葉を冒頭に湊は語り出《だ》した。  その子供は小さいときから甘いものを好まなかった。おやつにはせいぜい塩煎餅ぐらいを望んだ。食べるときは、上歯と下歯《シタバ》を叮嚀に揃え円《/円》い形の煎餅の端を規則正しく噛み取った。ひどく湿っていない煎餅なら大概好い音がした。子供は噛み取った煎餅の破片をじゅうぶんに咀嚼して咽喉《/咽喉》へきれいに嚥み下してから次《/次》の端を噛み取ることにかかる。上歯と下歯《シタバ》をまた叮嚀に揃え、その間《あいだ》へまた煎餅の次の端を挟み入れる─《─:》─いざ、噛み破るときに子供《/子供》は眼を薄く瞑り耳《/耳》を澄ます。  ぺちん  同じ、ぺちんという音にも、いろいろの性質《タチ》があった。子供は聞き慣れてその音の種類を聞き分けた。  ある一定の調子の響きを聞き当てたとき、子供はぷるぷると胴慄《胴震》いした。子供は煎餅を持った手を控えて、しばらく考え込む。うっすら眼に涙を溜めている。  家族は両親と、兄と姉《/姉》と召使《/召使》いだけだった。家中で、おかしな子供と云われていた。その子供の喰《食》べ|もの《物》は外《他》にまだ偏っていた。さかなが嫌いだった。あまり数の野菜は好かなかった。肉類は絶対に近づけなかった。  神経質のくせに表面《/表面》は|大よう《大様》に見せている父親は|ときどき《時々》 「ぼうずはどうして生きているのかい」  と子供の食事を覗きに来た。一つは時勢のためでもあるが、父親は臆病なくせに|大よう《大様》に見せたがる性分から、家の没落をじりじり眺め乍《なが》ら「なに、まだ、まだ」とま《負》けお《惜》しみを云って潰して行った。子供の小さい膳の上には、いつものように炒《/炒》り玉子と浅草海苔が、載っていた。母親は父親が覗くとそ《/そ》の膳を袖で隠すようにして 「あんまり、|はた《ハタ》から騒ぎ立てないで下さい、これさえ気まり悪がって喰《食》べなくなりますから」  その子供には、実際、食事が苦痛だった。体内へ、色、香《香り》、味のある塊団《塊》を入《い》れると、何か身が穢れるような気がした。空気のような喰《食》べ|もの《物》は無いかと思う。腹が減ると饑《飢》えは充分感じるのだが、うっかり喰《食》べる気はしなかった。床の間の冷たく透き通った水晶の置きものに、舌を当てたり、頬《ホオ》をつけたりした。饑《飢》えぬいて、頭の中が澄み切ったまま、だんだん、気が遠くなって行く。それが谷地の池水を距ててA─《-》丘の後へ入りかける夕陽を眺めているときででもあると(《(:》湊の生れた家もこの辺の地勢に似た都会の一隅にあった。)子どもはこのままの《/の》めり倒れて死んでも関《構》わないとさえ思う。だが、この場合は窪んだ腹に緊《きつ》く締めつけてある帯の間に両手を無理にさし込み、体は前のめりのまま首だけ仰《-あお》のいて 「お母さあん」  と呼ぶ。子供の呼んだのは、現在の生みの母のことではなかった。子供は現在の生みの母は家族じゅうで一番好きである。けれども子供にはまだ他に自分に「お母さん」と呼ばれる女性があって、どこかに居そうな気がした。自分がいま呼んで、もし「はい」といってその女性が眼の前に出て来たなら自分《/自分》はびっくりして気絶して仕舞うに違いないとは思う。しかし呼ぶことだけは悲しい楽しさだった。 「お母さあん、お母さあん」  薄紙が風に慄えるような声が続いた。 「|はあい《ハアイ》」  と返事をして現在の生みの母親が出て来た。 「おや、この子は、こんな処《ところ》で、どうしたのよ」  肩を揺《揺す》って顔を覗き込む。子供は感違いした母親に対して何《/なん》だか恥《恥ずか》しく赫《赤》くなった。 「だから、三度々々《三度サンド》ちゃんとご飯喰《飯食》べてお呉《く》れと云うに、さ、ほんとに後生だから」  母親はおろおろの声である。こういう心配の揚句、玉子《卵》と浅草海苔が、この子の一ばん性《ショウ》に合う喰《食》べ|もの《物》だということが見出《見い出》されたのだった。これなら子供には腹に重苦しいだけで、穢《けが》されざるものに感じた。  子供はまた、|ときどき《時々》、切ない感情が、体のどこからか判らないで体一《/体いっ》ぱいに詰まるのを感じる。そのときは、酸味のある柔《柔らか》いものなら何でも噛んだ。生梅や橘の実を捥いで来て噛んだ。さみだれの季節になると子供は都会《/都会》の中の丘と谷合《/谷合》にそれ等《ら》の実の在所《在処》をそ《/そ》れらを啄みに来る烏のようによく知っていた。  子供は、小学校はよく出来た。一度読んだり聞いたりしたものは、すぐ判って乾板《/乾板》のように脳の襞に焼きつけた。子供には学課の容易さがつまらなかった。つまらないという冷淡さが、却って学課の出来をよくした。  家の中でも学校でも、みんなはこの子供を|別もの《別物》扱いにした。  父親と母親とが一室で言い争っていた末、母親は子供のところへ来て、しみじみとした調子でいった。 「ねえ、おまえがあんまり痩せて行くもんだから学校《/学校》の先生と学務委員たちの間で、あれは家庭で衛生の注意が足りないからだという話が持上《持ち上が》ったのだよ。それを聞いて来てお父つあ《ぁ》んは、ああいう性分だもんだから、私に意地くね悪く当りなさるんだよ」  そこで母親は、畳の上へ手をついて、子供に向《向か》ってこっくりと、頭を下げた。 「どうか頼むから、もっと、喰《食》べるものを喰《食》べて、肥ってお呉《く》れ、そうして呉《く》れないと、あたしは、朝晩、いたたまれない気がするから」  子供は自分の畸形な性質から、いずれは犯すであろうと予感した罪悪を、犯したような気がした。|わる《悪》い。母に手をつかせ、お叩頭《辞儀》をさせてしまったのだ。顔がかっとなって体に慄えが来た。だが不思議にも心は却って安らかだった。すでに、自分は、こんな不孝をして悪人となってしまった。こんな奴なら自分は滅びて仕舞っても自分《/自分》で惜しいとも思うまい。よし、何でも喰《食》べてみよう、喰《食》べ馴れないものを喰《食》べて体が慄え、吐いたりもどしたり、《:、》その上、体じゅうが濁り腐って死んじまっても好いとしよう。生きていてしじゅう喰《食》べ|もの《物》の好き嫌いをし、人をも自分をも悩ませるよりその方《ほう》がましではあるまいか──  子供は、平気を装って家《’家》のものと同じ食事をした。すぐ吐いた。口中や咽喉を極力無感覚に制御したつもりだが嚥《/嚥》み下した喰《食》べ|もの《物》が、母親以外の女の手が触れたものと思う途端に、胃嚢《胃袋》が不意に逆に絞り上げられた─《─:》─女中の裾から出る剥げた赤いゆもじや飯炊婆《/飯炊婆》さんの横顔になぞってある黒鬢つけの印象が胸《/胸》の中を暴力のように掻き廻《回》した。  兄と姉はいやな顔をした。父親は、子供を横顔でちらりと見たまま、知らん顔して晩酌の盃を傾けていた。母親は子供の吐きものを始末しながら、恨めしそうに父親の顔を見て 「それご覧なさい。あたしのせいばかりではないでしょう。この子はこういう性分です」  と嘆息した。しかし、父親に対して母親はなお、おずおずはしていた。 ◇。◇。◇。 【第5章】 ──── ◇。◇。◇。  その翌日であった。母親は青葉の映りの濃く射す縁側へ新《/新》しい茣蓙を敷き、俎板だの庖丁《/包丁》だの水桶《/水桶》だの蠅帳《/蠅帳》だの持ち出した。それもみな買い立ての真新しいものだった。  母親は自分と俎板を距てた向側《向かい側》に子供を坐らせた。子供の前には膳の上に一つの皿を置いた。  母親は、腕捲りして、薔薇いろの掌を差出して手品師《/手品師》のように、手の裏表《裏オモテ》を返して子供に見せた。それからその手を言葉と共に調子づけて擦《こす》りながら云った。 「よくご覧、使う道具は、みんな新しいものだよ。それから拵える人は、おまえさんの母さんだよ。手はこんなにもよくきれいに洗ってあるよ。判ったかい。判ったら、さ、そこで──」  母親は、鉢の中で炊きさました飯に酢《/酢》を混ぜた。母親も子供もこんこん噎せた。それから母親はその鉢を傍に寄せて、中からいくらかの飯の分量を掴み出して、両手で小さく長方形に握った。  蠅帳の中には、すでに鮨の具が調理されてあった。母親は素早くその中からひときれを取出してそ《/そ》れからちょっと押えて、長方形に握った飯の上へ載せた。子供の前の膳の上の皿へ置いた。玉子焼鮨だった。 「ほら、鮨だよ、おすしだよ。手々で、じかに掴んで喰《食》べても好いのだよ」  子供は、その通りにした。はだかの肌をするする撫でられるようなころ合いの酸味に、飯と、玉子のあまみがほ《/ほ》ろほろに交《交じ》ったあじわいが丁度舌一《丁度’舌一》ぱいに乗った具合─《─:》─それをひとつ喰《食》べて仕舞うと体を母に拠りつけたいほど、おいしさと、親しさが、ぬくめた香湯《コウトウ》のように子供《/子供》の身うちに湧いた。  子供はおいしいと云うのが、きまり悪いので、ただ、にいっと笑って、母の顔を見上げた。 「そら、もひとつ、いいかね」  母親は、また手品師のように、手をうら返しにして見せた後《あと》、飯《メシ》を握り、蠅帳から具の一片《一切》れを取りだして押しつけ、子供の皿に置いた。  子供は今度は握った飯の上に乗った白《/白》く長方形の切片を気味悪く覗いた。すると母親は怖くない程度の威丈高になって 「何《なん》でもありません、白い玉子焼だと思って喰《食》べればいいんです」  といった。  かくて、子供は、烏賊というものを生れて始めて喰《食》べた。象牙のような滑らかさがあって、生餅より、よっぽど歯切れがよかった。子供は烏賊鮨を喰《食》べていたその冒険のさなか、詰めていた息のようなものを、は《ハ》っ、として顔の力みを解いた。うまかったことは、笑い顔でしか現わさなかった。  母親は、こんどは、飯の上に、白い透きとおる切片をつけて出した。子供は、それを取って口へ持って行くときに、脅かされる|にお《匂》いに掠められたが、鼻を詰《詰ま》らせて、思い切って口の中へ入れた。  白く透き通る切片は、咀嚼のために、上品なうま味に衝きくずされ、程よい滋味の圧感に混《混じ》って、子供の細い咽喉へ通って行った。 「今のは、たしかに、|ほんとう《本当》の魚に違いない。自分は、魚が喰《食》べられたのだ──」  そう気づくと、子供は、はじめて、生きているものを噛み殺したような征服と新鮮を感じ、|あた《辺》りを広く見廻したい歓びを感じた。むずむずする両方の脇腹を、同じような歓びで、じっとしていられない手の指で掴み掻いた。 「ひ ひ ひ ひ ひ」  無暗に疳高に子供は笑った。母親は、勝利は自分のものだと見てとると、指についた飯粒を、ひとつひとつ払い落したりしてから、《:、》わざと落ちついて蠅帳のなかを子供に見せぬよう覗いて云った。 「さあ、こんどは、何にしようかね‥‥はてね‥‥まだあるかしらん‥‥」  子供は焦立って絶叫する。 「すし! すし」  母親は、嬉しいのをぐっと堪《-こら》える少《/少》し呆《-ほう》けたような─《─:》─それは子供が、母と《と-》しては一ばん好きな表情で、生涯忘れ得ない美しい顔をして 「では、お客さまのお好みによりまして、次を差上《差し上》げまあす」  最初のときのように、薔薇いろの手を子供の眼の前に近づけ、母《母’》はまたも手品師のように裏と表《オモテ》を返して見せてから鮨《/鮨》を握り出した。同じような白い身の魚《/魚》の鮨《’鮨》が握り出された。  母親はまず最初の試みに注意深く色《/色》と生臭の無い魚肉を選んだらしい。それは鯛と比良目であった。  子供は続けて喰《食》べた。母親が握って皿の上に置くのと、子供が掴み取る手と、競争するようになった。その熱中が、母と子を何も考えず、意識しない一《/一》つの気持ちの痺れた世界に牽き入れた。五つ六つの鮨が握られて、掴み取られて、喰《食》べられる─《─:》─その運びに面白く調子がついて来た。素人の母親の握る鮨《’鮨》は、いちいち大きさが違っていて、形も不細工だった。鮨は、皿の上に、ころりと倒れて、載せた具を傍へ落すものもあった。子供は、そういうものへ却って愛感を覚え、自分で形を調えて喰《食》べると余計《/余計》おいしい気がした。子供は、ふと、日頃、|内しょ《内緒》で呼んでいるも一人の幻想のなかの母とい《/い》ま目の前に鮨を握っている母とが眼《/眼》の感覚だけか頭の中でか、一致《一致’》しかけ一重《/ヒトエ》の姿に紛れている気がした。もっと、ぴったり、一致して欲しいが、あまり一致したら恐ろしい気もする。  自分が、いつも、誰にも|内しょ《内緒》で呼ぶ母はやはり、この母親であったのかしら、《:、》それがこんなにも自分においしいものを食べさせて呉《く》れるこの母《母’》であったのなら、内密に心を外の母に移していたのが悪かった気がした。 「さあ、さあ、今日は、この位にして置きましょう。よく喰《食》べてお呉《く》れだったね」  目の前の母親は、飯粒のついた薔薇いろの手をぱ《/ぱ》んぱんと子供の前で気もちよさそうには《’は》たいた。  それから後《あと》も|五、六度《ゴ六度》、母親の手製の鮨に子供《/子供》は慣らされて行った。  ざくろの花のような色の赤貝の身だの、二本の銀色の地色に竪縞《/竪縞》のあるさよりだのに、子供は馴染むようになった。子供はそれから、だんだん平常の飯の菜《サイ》にも魚が喰《食》べられるようになった。身体も見違えるほど健康になった。中学へ|はい《入》る頃は、人が振り返るほど美しく逞しい少年になった。  すると不思議にも、今まで冷淡だった父親が、急に少年に興味を持ち出した。晩酌の膳の前に子供を坐らせて酒の対手をさしてみたり、玉突きに連れて行ったり、茶屋酒も飲ませた。  その間《あいだ》に家《’家》はだんだん潰れて行く。父親は美しい息子が紺飛白の着物を着て盃《/盃》を銜《含》むのを見て陶然とする。他所の女にちやほやされるのを見て手柄を感ずる。息子は十六七《十六シチ》になったときには、結局いい道楽者になっていた。  母親は、育てるのに手数をかけた息子だけに、狂気のようになってそ《/そ》の子を父親が台なしにして仕舞ったと怒る。その必死な母親の怒りに対して父親《/父親》は張合いもなく|うす苦《/薄苦》く黙笑《モクショウ》してばかりいる。家が傾く鬱積を、こういう夫婦争いで両親は晴らしているのだ、と息子はつくづく味気なく感じた。  息子には学校へ行っても、学課が見通せて判り切ってるように思えた。中学でも彼は勉強もしないでよく出来た。高等学校から大学へ苦もなく進めた。それでいて、何かしら体のうちに切ないものがあって、それを晴らす方法は急いで求めてもな《/な》かなか見付からないように感ぜられた。永い憂鬱と退屈あそびのなかから大学も出、職も得た。  家は全く潰れ、父母や兄姉《兄弟》も前後して死んだ。息子自身は頭が好くて、何処《どこ》へ行っても相当に用いられたが、何故か、一家の職にも、栄達にも気が進まなかった。二度目の妻が死んで、五十近くなった時、一寸した投機でかなり儲け、一生独《一生’独》りの生活には事かかない見極めのついたのを機に職業《/職業》も捨てた。それから後《あと》は、茲《ここ》のアパート、あちらの貸家と、彼の一所不定の生活が始まった。 ◇。◇。◇。 【第6章】 ──── ◇。◇。◇。  今のはなしのうちの子供、それから大きくなって息子と呼んではなしたのは私のことだと湊《/湊》は長い談話のあとで、|ともよ《トモヨ》に云った。 「ああ判った。それで先生は鮨がお好きなのね」 「いや、大人になってからは、そんなに好きでもなくなったのだが、近頃、年をとったせいか、しきりに母親のことを想い出すのでね。鮨までなつかしくなるんだよ」  二人の坐っている病院の焼跡のひとところに支《/支》えの朽ちた藤棚があって、おどろのように藤蔓が宙から地上に這い下り、《:、》それでも蔓の尖《先》の方《ほう》には若葉を一ぱいつけ、その間《あいだ》から痩せたうす紫の花房が雫《/雫》のように咲き垂れている。庭石の根締めになっていたやしおの躑躅が石《/石》を運び去られたあとの穴の側に半面、黝《青黒》く枯れて火のあおりのあとを残しながら、半面に白い花をつけている。  庭の端の崖下《崖シタ》は電車線路になっていて、ときどき轟々と電車の行き過ぎる音だけが聞える。  竜の髭のなかのいちはつの花の紫が、夕風に揺れ、二人のいる近くに一本立《一本た》っている太い棕梠の木の影が、草叢の上にだんだん斜にかかって来た。|ともよ《トモヨ》が買って来てそこへ置いた籠の河鹿が二声、三声、啼き初めた。  二人は笑いを含んだ顔を見合せた。 「さあ、だいぶ遅くなった。ともちゃん、帰らなくては悪かろう」  |ともよ《トモヨ》は河鹿の籠を捧げて立ち上った。すると、湊は自分の買った骨の透き通って見える髑髏魚《ゴーストフィッシュ》をも、そのまま|ともよ《トモヨ》に与えて立ち去った。 ◇。◇。◇。 【第7章】 ──── ◇。◇。◇。  湊はその後、すこしも福ずしに姿を見せなくなった。 「先生は、近頃、さっぱり姿を見せないね」  常連の間に不審がるものもあったが、やがてすっかり忘《忘れ》られてしまった。  |ともよ《トモヨ》は湊と別れるとき、湊がどこのアパートにいるか聞きもらしたのが残念だった。それで、こちらから訪ねても行けず病院《/病院》の焼跡へ暫く佇んだり、|あた《辺》りを見廻し乍《なが》ら石に腰かけて湊のことを考え時々《/時々》は眼にうすく涙さえためてま《”ま》た茫然として店へ帰って来るのであったが、《:、》やがて|ともよ《トモヨ》のそうした行為も止んで仕舞った。  此頃《このごろ》では、|ともよ《トモヨ》は湊を思い出す度に 「先生は、何処《どこ》かへ越して、また何処《どこ》かの鮨屋へ行ってらっしゃるのだろう─《─:》─鮨屋は何処《どこ》にでもあるんだもの──」  と漠然と考えるに過ぎなくなった。 ◇。◇。◇。 【底本:「岡本かの子全集5」ちくま文庫、筑摩書房】 【1993(平成5)年8月24日第|1刷発行《イッサツ発行》】 【底本の親本:「第六創作集◇ 老妓抄」中央公論社】 【1939(昭和14)年3月18日】 【初出:「文芸」】 【1939(昭和14)年1月号】 【入力・校正:鈴木厚司】 【1999年3月8日公開】 【2013年4月26日修正】 【青空文庫作成ファイル:】  このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http|://《コロン/スラッシュスラッシュ》www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。