◇。◇。◇。 【月に吠える】 【萩原朔太郎】 ◇。◇。◇。 【従兄《従兄弟》◇ 萩原栄次氏に捧《-ささ》ぐ】 ◇。◇。◇。 【序】 ◇。◇。◇。  萩原君。  何と云つ《っ》ても私は君を愛する。さ《そ》うして室生君を。それは何と云つ《っ》ても素直な優しい愛《’愛》だ。いつまでもそれは永続するもので、いつでも同じ温かさを|保つ《たもっ》てゆかれる愛だ。此《こ》の三人の生命を通じ、縦《よ》しそこにそ《/そ》れぞれ天稟の相違はあつ《っ》ても、何と云つ《っ》ても|おのづ《自ず》からひとつ流《流れ》の交感がある。私は君達《君たち》を思ふ《う》時、いつでも同じ泉の底から更《/更》に新らしく湧き出してくる水の清《涼》しさを感ずる。限りな《な-》き親しさと驚きの眼を以《以っ》て私《/私》は君達《君たち》の|よろこ《喜》びと|かな《悲》しみとを理会する。さ《そ》うして以心伝心に同じ哀憐の情が三人《/三人》の上に益々深《ますます深》められてゆくのを感ずる。それは互《互い》の胸の奥底に直接《/直接》に互《互い》の手を触れ得るたつ《っ》た一つの尊いものである。 ◇。◇。◇。  私は君をよく知つ《っ》ている。さ《そ》うして室生君を。さ《そ》うして君達《君たち》の詩《-し》とそ《/そ》の詩《-し》の生ひ《い》たちとをよく知つ《っ》ている。『朱欒』のむかしから親しく君達《/君たち》は私に君達《/君たち》の心を開いて呉《く》れた。いい意味に於《於い》て其後《その後》もわれわれの心の交流は常住新鮮《常住’新鮮》であつ《っ》た。恐らく今後に於《於い》ても。それは廻り澄む三《3》つの独楽が今《/今》や将《まさ》に相触れむとする刹那の静謐である。そこには限りの知られぬ|をのの《慄》きがある。無論三《むろん三》つの生命は確実に三つの据《据わ》りを|保つ《たもっ》ていなければならぬ。然《しか》るのちにそれぞれ澄《-す》みきるのである。微妙な接吻がそののちに来る。同じ単純と誠実とを以《以っ》て。而《しか》も互の動悸を聴きわけるほどの澄徹さを以《以っ》て。幸《幸い》に君達《君たち》の生命も玲瓏乎としている。 ◇。◇。◇。  室生君と同じく君《/君》も亦生《また生ま》れた詩人の一人である事は誰も否むわけにはゆくまい。私は信ずる。さ《そ》うして君の異常な神経と感情の所有者である事も。|譬へ《たとえ》ばそれは憂鬱な香水に深く涵した剃刀である。而《しか》もその予覚は常に来る可《べ》き悲劇に向《向かっ》て顫へ《え》ている。然《しか》しそれは恐らく凶悪自身の為に使用されると云ふ《う》よりも、凶悪に対する自衛、若《もし》くは自分自身に向けらるる懺悔の刃となる種類のものである。何故なれば、君の感情は恐怖の一刹那《イッ刹那》に於《於い》て、正《まさ》しく君《’君》の肋骨の一本一本をも数へ《え》得るほどの鋭さを持つ《っ》ているからだ。  然《しか》しこの剃刀は幾分君《幾分’君》の好奇な趣味性に匂《匂い》づけられている事も|ほんとう《本当》である。時には安らかにそ《/そ》れで以《以っ》て君は君の薄い髯を当《当た》る。 ◇。◇。◇。  清純な凄さ、それは君の詩《-し》を読むものの誰しも認め得る特色であら《ろ》う。然《しか》しそれは室生君の云ふ《う》通り、ポオ《ー》やボオ《ー》ドレエ《ー》ルの凄さとは違ふ《う》。君は寂しい、君は正直で、清楚で、透明で、もつ《っ》と細かにぴちぴち動く。少くとも彼等の絶望的な暗《-くら》さや頽廃した幻覚の魔睡《マスイ》は無い。宛然凉《宛然’凉》しい水銀の鏡に映る剃刀の閃《ひら》めきである。その鏡に映るものは真実である。そして其処《そこ》には玻璃製の上品な市街や青空やが映る。さ《そ》うして恐る可《べ》き殺人事件が突如として映つ《っ》たり、素敵に気の利いた探偵が走つ《っ》たりする。 ◇。◇。◇。  君の気稟は|又譬へ《また例え》ば地面に直角に立つ一本の竹である。その細い幹は鮮《鮮や》かな青緑で、その葉は華奢でこまかに動く。たつ《っ》た一本の竹、竹は天を直観する。而《しか》も此竹《この竹》の感情は凡《すべ》てその根に沈潜して行くのである。根の根の細かな繊毛のそ《/そ》の岐《分か》れの殆ど有るか無《な》きかの毛の尖《先》のイルミネエション、それがセンチメンタリズムの極致とすれば、その毛の尖端にかじりついて泣く男、それは病気の朔太郎である。それは君も認めている。 ◇。◇。◇。 「詩《し》は神秘でも象徴でも何でも無い。詩《し》は《は’》ただ病める魂の所有者と孤独者との寂しい慰めである|。」《」》と君は云ふ《う》。まことに君が一本の竹は水面《/水面》にうつる己が影を神秘《/神秘》とし象徴として不思議がる以前に、|ほんとう《本当》の竹、|ほんとう《本当》の自分自身を切に痛感するであら《ろ》う。鮮純なリズムの歔欷《すすり泣き》はそこから来る。さ《そ》うしてその葉そ《/そ》の根の尖《先》まで光り出す。 ◇。◇。◇。  君の霊魂は私の知つ《っ》ている限りまさしく蒼い顔をしていた。殆ど病み暮らしてばかりいるや《よ》うに見えた。然《しか》しそれは真珠貝の生身が一顆小砂《/一顆小砂》に擦られる痛さである。痛みが突きつめれば突きつめるほど小砂は真珠になる。それが|ほんとう《本当》の生身であり、生身《/生身》から滴らす粘液が|ほんとう《/本当》の苦しみからにじみ出たものである事は、君の詩《-し》が証明している。 ◇。◇。◇。  外面的に見た君も極《/極》めて痩せて尖つ《っ》ている。さ《そ》うしてその四肢《手足》が常に鋭角に動く、まさしく竹の感覚である。而《しか》も突如として電流体の感情が頭から足の爪先まで震は《わ》す時、君はぴよ《ょ》んぴよ《ょ》ん跳ねる。さ《そ》うでない時の君はい《”い》つも眼から涙がこぼれ落ちさ《そ》うで、何かに縋りつきたい風《ふう》である。  潔癖で我儘《我が儘》なお坊つ《っ》ちや《ゃ》んで(この点は私とよく似ている)その癖寂《くせ寂》しがりの、いつも白い神経を露は《わ》に顫へ《え》さしている人だ。それは電流の来ぬ前の電球《/電球》の硝子の中の顫へ《え》てやまぬ竹の線である。 ◇。◇。◇。  君の電流体の感情はあ《/あ》らゆる液体を固体に凝結せずんばやまない。竹の葉の水気が集つ《まっ》て一滴《/一滴》の露となり、腐れた酒の蒸気が冷たいランビキの玻璃に透明《/透明》な酒精の雫を形づくる迄《まで》のそ《/そ》れ自身の洗練はかりそめのものではない。君のセンチメンタリズムの信条はま《”ま》さしく木炭が金剛石になるまでの永い永い時の長さを、一瞬の間《マ》に縮める、この凝念の強さであら《ろ》う。摩訶不思議なる此《こ》の真言の秘密は《は’》ただ詩人のみが知る。 ◇。◇。◇。  月に吠える、それは正《まさ》しく君《’君》の悲しい心である。冬になつ《っ》て私のところの白い小犬もいよいよ吠える。昼のうちは空に一羽の雀が啼いても吠える。夜は《は’》なほ《お》さらきらきらと霜が下りる。霜の下りる声まで嗅ぎ知つ《っ》て吠える。天を仰ぎ、真実に地面《地べた》に生きているものは悲しい。 ◇。◇。◇。  ぴよ《ょ》うぴよ《ょ》うと吠える、何かがぴよ《ょ》うぴよ《ょ》うと吠える。聴いていてさへ《え》も身の痺れるや《よ》うな寂《/寂》しい遣瀬ない声《コエ》、その声が今夜も向《向こ》うの竹林を透《透か》してきこえる。降り注ぐものは新鮮な竹の葉に雪のごとく結晶し、君を思へ《え》ば蒼白い月天がい《/い》つもその上にかかる。 ◇。◇。◇。  萩原君。  何と云つ《っ》ても私は君を愛する。さ《そ》うして室生君を。君は私より二つ年下で、室生君は君より又二《また二》つ年下である。私は私より少しでも年若く、私より更に新らしく生《生ま》れて来た二つの相似《あい似》た霊魂の為めに祝福し、更に甚深な肉親の交歓に酔ふ《う》。  又更《また更》に君と室生君との芸術上の熱愛を思ふ《う》と涙が流れる。君の歓びは室生君の歓びである。さ《そ》うして又私《また私》の歓びである。  この機会を利用して、私は更に君に讃嘆の辞を贈る。 【大正六年一月十日】 ◇。◇。◇。 【葛飾の紫烟草舎にて】 【北原白秋】 ◇。◇。◇。 【序】 ◇。◇。◇。  詩の表現の目的は単に情調のための情調を表現することではない。幻覚のための幻覚を描《えが》くことでもない。同時にまたある種の思想を宣伝演繹《宣伝’演繹》することのためでもない。詩の本来の目的は寧《”むし》ろそれらの者を通じて、人心《/人心》の内部に顫動する所の感情そのものの本質を凝視し、かつ感情をさかんに流露させることである。 ◇。◇。◇。  詩《し》とは感情の神経を掴んだものである。生きて働く心理学である。 ◇。◇。◇。  すべてのよい叙情詩には、理屈や言葉で説明することの出来ない一種《/一種》の美感が伴ふ《う》。これを詩《-し》の|にほひ《匂い》といふ《う》。(人によつ《っ》ては気韻とか気稟《気稟》とかいふ《う》)|にほひ《/匂い》は詩《-し》の主眼とする陶酔的気分の要素である。|順つ《したがっ》てこの|にほひ《匂い》の稀薄な詩《-し》は韻文としての価値のすくないものであつ《っ》て、言はば香味を欠いた酒のや《よ》うなものである。か《こ》ういふ《う》酒を私は好まない。  詩の表現は素樸《素朴》なれ、詩《し》の|にほひ《匂い》は芳純でありたい。 ◇。◇。◇。  私の詩《-し》の読者にのぞむ所は、詩《し》の表面に表は《わ》れた概念や「ことがら」ではなくして、内部の核心である感情そのものに感触してもらひ《い》たいことである。私の心の「かなしみ」「よろこび」「さびしみ」「おそれ」《」:》その他言葉や文章では言ひ《い》現は《わ》しがたい複雑した特種の感情を、私は自分の詩《-し》のリズムによつ《っ》て表現する。併《しか》しリズムは説明ではない。リズムは以心伝心である。そのリズムを無言で感知することの出来る人とのみ、私は手をとつ《っ》て語り合ふ《う》ことができる。 ◇。◇。◇。  『どういふ《う》わけでうれしい?』といふ《う》質問に対して人は容易にその理由を説明することができる。けれども『どういふ《う》工合にうれしい』といふ問《問い》に対しては何人《/何ピト》もたやすくその心理を説明することは出来ない。  思ふ《う》に人間の感情といふ《う》ものは、極めて単純であつ《っ》て、同時に極めて複雑したものである。極めて普遍性のものであつ《っ》て、同時に極めて個性的な特異なものである。  どんな場合にも、人が自己の感情を完全に表現しようと思つ《っ》たら、それは容易のわざではない。この場合には言葉は何の役にもたたない。そこには音楽と詩《-し》があるばかりである。 ◇。◇。◇。  私はときどき不幸な狂水病者《狂スイ病者》のことを考へ《え》る。  あの病気にかかつ《っ》た人間は非常に水を恐れるといふ《う》ことだ。コップに盛つ《っ》た一杯の水が絶息するほど恐ろしいといふ《う》や《よ》うなことは、どんなにしても我々には想像のおよばないことである。  『どういふ《う》わけで水が恐ろしい?』『どういふ《う》工合に水が恐ろしい?』これらの心理は、我々にとつ《っ》ては只々不可思議千万《只々’不可思議千万》のものといふ《う》の外《ほか》はない。けれどもあの患者にとつ《っ》てはそれが何《なに》よりも真実な事実なのである。そして此《こ》の場合に若《も》しその患者自身が‥‥何等《なんら》かの必要に迫られて‥‥《:‥》この苦しい実感を傍人《ボウジン》に向つ《っ》て説明しようと試みるならば(そ《/そ》れはずいぶん有りさ《そ》うに思は《わ》れることだ。もし傍人《ボウジン》がこの病気について特種の智識をもたなかつ《っ》た場合には彼《/彼》に対してどんな惨酷な悪戯が行は《わ》れないとも限らない。こんな場合を考へ《え》ると私は戦慄せずには居られない。)患者自身はどんな手段をとるべきであら《ろ》う。恐らくはどのや《よ》うな言葉の説明を以《以っ》てしても、この奇異な感情を表現することは出来ないであら《ろ》う。  けれども、若《も》し彼に詩人としての才能があつ《っ》たら、もちろん彼は詩《-し》を作るにちがひ《い》ない。詩《し》は人間の言葉で説明することの出来ないものまでも説明する。詩《し》は言葉以上の言葉である。 ◇。◇。◇。  狂水病者《狂スイ病者》の例は極めて特異の例である。けれどもまた同時に極めてありふれた例でもある。  人間は一人一人にちがつ《っ》た肉体と、ちがつ《っ》た神経とをもつ《っ》て居る。我《吾》のかなしみは彼のかなしみではない。彼のよろこびは我のよろこびではない。  人は一人一人では、いつも永久に、永久に、恐ろしい孤独である。  原始以来、神は幾億万人といふ《う》人間を造つ《っ》た。けれども全く同じ顔の人間を、決して二人とは造《作》りはしなかつ《っ》た。人は|だれ《誰》でも単位で生《生ま》れて、永久に単位で死ななければならない。  とはいへ《え》、我々は決してぽつねんと切り|はな《離》された宇宙の単位ではない。  我々の顔は、我々の皮膚は、一人一人にみんな異つ《っ》て居る。けれども、実際は一人一人にみんな同一のところをもつ《っ》て居るのである。この共通を人間同志の間に発見するとき、人類間の『道徳』と『愛』とが生《生ま》れるのである。この共通を人類と植物との間に発見するとき、自然間の『道徳』と『愛』とが生《生ま》れるのである。そして我々はもはや永久に孤独ではない。 ◇。◇。◇。  私のこの肉体とこの感情とは、もちろん世界中で私一人しか所有して居ない。またそれを完全に理解している人も一人しかない。これは極めて極めて特異な性質をもつ《っ》たものである。けれども、それはまた同時に、世界中の何ぴとにも共通なものでなければならない。この特異にして共通なる個々の感情の焦点に、詩歌のほんとの『よろこび』と『秘密性』とが存在するのだ。この道理を|はな《離》れて、私は自ら詩《-し》を作る意義を知らない。 ◇。◇。◇。  詩《し》は一瞬間に於ける霊智の産物である。ふだんに|もつ《持っ》ている所のある種の感情が、電流体の如きものに触れて始《/始》めてリズムを発見する。この電流体は詩人にとつ《っ》ては奇蹟である。詩《し》は予期して作らるべき者ではない。 ◇。◇。◇。  以前、私は詩《-し》といふ《う》ものを神秘のや《よ》うに考へ《え》て居た。ある霊妙な宇宙の聖霊と人間《/人間》の叡智との交霊作用のや《よ》うにも考へ《え》て居た。或《あるい》はまた不可思議な自然の謎を解くための鍵のや《よ》うにも思つ《っ》て居た。併《しか》し今から思ふ《う》と、それは笑ふ《う》べき迷信であつ《っ》た。  詩《し》とは、決してそんな奇怪な鬼のや《よ》うなものではなく、実は却つ《っ》て我々とは親しみ易い兄妹《/兄妹》や愛人のや《よ》うなものである。  私どもは時々、不具な子供のや《よ》うないぢ《じ》らしい心で、部屋の暗い片隅にすすり泣きをする。さ《そ》ういふ《う》時、ぴつ《っ》たりと肩により添ひ《い》ながら、ふるへ《え》る自分の心臓の上に、やさしい手をおいてくれる乙女がある。その看護婦の乙女が詩《-し》である。  私は詩《-し》を思ふ《う》と、烈しい人間のなやみとそのよろこびとをかんずる。  詩《し》は神秘でも象徴でも鬼でもない。詩《し》は《は’》ただ、病める魂の所有者と孤独者との寂しいなぐさめである。  詩《し》を思ふ《う》とき、私は人情のいぢ《じ》らしさに自然と涙ぐましくなる。 ◇。◇。◇。  過去は私にとつ《っ》て苦しい思ひ《い》出である。過去は焦躁と無為と悩める心肉《シンニク》との不吉な悪夢であつ《っ》た。  月に吠える犬は、自分の影に怪しみ恐れて吠えるのである。疾患する犬の心に、月は青白い幽霊のや《よ》うな不吉の謎である。犬は遠吠えをする。  私は私自身の陰鬱な影を、月夜の地上に釘づけにしてしまひ《い》たい。影が、永久に私のあとを追つ《っ》て来《こ》ないや《よ》うに。 【萩原朔太郎】 ◇。◇。◇。 【詩集例言】 ◇。◇。◇。  一《1》、過去三年以来の創作九十余篇中より叙情詩五十五篇《叙情詩’五十五篇》、及び長篇詩篇二篇《長篇詩篇’二篇》を選びてこの集に納《おさ》む。集中の詩篇は主として「地上巡礼」「詩歌」「アルス」「卓上噴水」「プリズム」「感情」及び|一、二《イチニ》の地方雑誌に掲載した者の中から抜粋した。その他《タ》、機会がなくて創作当時発表することの出来なかつ《っ》たもの数篇《スウヘン》を加へ《え》た。詩稿はこの集に納めるについて概ね推敲を加へ《え》た。 ◇。◇。◇。  一《1》、詩篇の排列順序は必ずしも正確な創作年順《創作ネン順》を追つ《っ》ては居ない。けれども大体に於《於い》ては旧稿からはじめて新作《/新作》に終つ《わっ》て居る。即ち「竹とその哀傷」「雲雀料理」最も古く、「《◇「》悲しい月夜」之《これ》に次ぎ、「《◇「》くさつ《っ》た蛤」「さびしい情慾」等は大抵同年代《大抵’同年代》の作である。而して「見知らぬ犬」と「長詩二篇《長詩’二篇》」とは比較的最近の作に属す。 ◇。◇。◇。  一《1》、極めて初期の作で「ザムボア」「創作」等に発表した小曲風のもの、及び「異端」「水甕」「アララギ」「風景」等に発表した|二、三《ニサン》の作はこ《/こ》の集では割愛することにした。詩風の関係から詩集の感じの統一を保つためである。 ◇。◇。◇。  すべて初期に属する詩篇は作者にとつ《っ》てはなつかしいものである。それらは機会をみて別の集にまとめることにする。 ◇。◇。◇。  一《1》、この詩集の装幀に就いては、以前著者から田中恭吉氏にお願ひ《い》して氏《/氏》の意匠を煩は《わ》したのである。所《ところ》が不幸にして此《こ》の仕事が完成しない中《うち》に田中氏は病死してしまつ《っ》た。そこで改めて恩地孝氏《恩地タカシ氏》にたのんで著者のために田中氏の遺志を次いでもらふ《う》ことにしたのである。恩地氏は田中氏とは生前無二《生前’無二》の親友であつ《っ》たのみならず、その芸術上の信念を共にすることに於《於い》て田中氏《/田中氏》とは唯一の知己であつ《っ》たからである。(尚、本集の挿画については巻末の附録「挿画附言」を参照してもらひ《い》たい。) ◇。◇。◇。  一《1》、詩集出版に関して恩地孝氏《恩地タカシ氏》と前田夕暮氏とには色々《/色々》な方面から一方《ひとかた》ならぬ迷惑をかけて居る。二兄の深甚なる好意に対しては深く感謝の意を表する次第である。 ◇。◇。◇。  一《1》、集中|二、三《ニサン》の旧作は目下《モッカ》の著者の芸術的信念や思想の上から見て飽き足らないものである。併《しか》しそれらの詩篇も過去の道程の記念として貴重なものであるので特に採篇したのである。 ◇。◇。◇。 【再版の序】 ◇。◇。◇。  この詩集の初版は大正六年に出版された。自費の負担で僅かに五百部《500部》ほど印刷し、内四百部《うち400部》ほど市場に出したがそ《/そ》の年の中《うち》に売り切れてしまつ《っ》た。その後今日《後こんにち》に到るまで可成長《かなり長》い間絶版《あいだ絶版》になつ《っ》て居た。私は之《こ》れをそのままで絶版にしておか《こ》うかと思つ《っ》た。これはこの詩集に珍貴な値《ネ》を求めたいといふ物好きな心からであつ《っ》た。  しかし私の詩《-し》の愛好者は、私が当初に予期したよりも遥かに多数であり且《”か》つ熱心でさへ《え》あつ《っ》た。最初市場《最初’市場》に出した少数の詩集は、人々によつ《っ》て手から手へ譲られ|奪ひあひ《/奪い合い》の有様となつ《っ》た。古本屋は法外の高価でそれを皆に売りつけて居た。(古本《フ-ルホン》の時価は最初の定価の五倍にもなつ《っ》て居た。)私の許へは幾通《イクツウ》となく未知の人々から手紙が来た。どうにしても再版を出してくれといふ《う》督促の書簡である。  すべてそれらの人々の熱心な要求に対し、私はいつも心苦しい思ひ《い》をしなければならなかつ《っ》た。やがて私は自分のつまらぬ物好きを後悔するや《よ》うになつ《っ》た。そんなにも多数の人々によつ《っ》て示された自分への切実の愛を裏切りたくなくなつ《っ》た。自分は再版の意を決した。しかも私の骨に徹する怠惰癖と物臭《物ぐ》さ根性とは、書肆との交渉を甚だ煩は《わ》しいものに考へ《え》てしまつ《っ》た。そしておよそ此等《これら》の理由からして、今日《こんにち》まで長い間この詩集が絶版となつ《っ》て居たのである。  顧みれば詩壇は急調の変化をした。この詩集の初版が初めて世に出た時の詩壇と今日《こんにち》の詩壇とは、何《なん》といふ著しい相違であら《ろ》う。始め私は、友人室生犀星と結んで人魚詩社を起《起こ》し次《/次》に感情詩社を設立した。その頃の私等を考へ《え》ると我ながら情《情け》ない次第である。当時の文壇に於《於い》て「詩《し》」は文芸の仲間に入《-い》れられなかつ《っ》た。稿料を払つ《っ》て詩《-し》を掲載するような雑誌はどこにもなかつ《っ》た。勿論この事実は、詩《し》といふ《う》ものが極めて特殊なものであつ《っ》て、一般的の読者を殆んど持たなかつ《っ》たことに基因する。我々の詩《-し》が、なぜそんなに民衆から遠ざかつ《っ》て居たか。そこには色々な理由があら《ろ》う。しかしその最も主なる理由は、時代が久しく自然主義の美学によつ《っ》て誤まられ、叙情的な一切の感情を排斥したことに原因する。然《しか》り、そしてそこには勿論真《もちろん真》の時代的叙情詩が発生しなかつ《っ》たことも原因である。我々の芸術は日本語の純真性を失つ《っ》ていた。言ひ《い》代へ《え》れば日本的な感情──時代の求めている日本的な感情──が、皮相なる翻訳詩の西洋模倣によつ《っ》て光輝を汚されて居た。我が国の詩人らはリズムを失つ《っ》て居た。かかる芸術は特殊なペダンチズムに属するであら《ろ》う。そこには「気取り」を悦ぶ一階級《イチ階級》の趣味が満足される。そして一般公衆の生活は之《こ》れに関与されないのである。  ともあれ当時の詩壇はかや《よ》うな薄命の状態にあつ《っ》た。詩《し》は公衆から顧みられず、文壇は詩《-し》を犬小舎《犬小屋》の隅に廃棄してしまつ《っ》た。されば私等の仕事には、ある根本的な力が要求された。私等の仕事は、正《まさ》に荒寥たる地方に於ける流刑囚の移民の如きものであつ《っ》た。私等はすべてを開墾せねばならなかつ《っ》た。詳説すれば、既に在る一切の物を根本《-こんぽん》からくつがへ《え》して、新しき最初の土壌を地に盛りあげねばならなかつ《っ》た。即ち私等のした最初の行動は、徹頭徹尾《テットウ徹尾》「時流《ジ流》への叛逆」であつ《っ》た。当時自然主義《当時’自然主義》の文壇に於《於い》て最もひどく軽蔑された言葉は、実に「感情」といふ《う》言葉の響《響き》であつ《っ》た。それ故私等《ゆえ私等》は故意にその「呪は《わ》れたる言葉」をとつ《っ》て詩社《シ社》の標語とした。それは明白なる時流《ジ流》への叛逆であり、併せて詩《-し》の新興を絶叫する最初の狼火《狼煙》であつ《っ》たのだ。況《いわ》んやまた詩《/し》の情想に於《於い》ても、表現に於《於い》ても、言葉に於《於い》ても、まるで私等のスタイルは当時の時流とちがつ《っ》ていた。むしろ私等は流行の裏を突破した。そのため私等の創作は詩壇の正流から異端視され、衆俗からは様々の嘲笑と悪罵とを蒙つ《っ》たほどである。  然《しか》るに幾程もなく時代の潮流は変向《ヘンコウ》した。さしも暴威を振つ《るっ》た自然主義の美学は、新しい浪漫主義《ロマン主義》の美学によつ《っ》て論駁されてしまつ《っ》た。今や廃れたる一切の情緒が出水のや《よ》うに溢れてきた。二度我《再び我》が叙情詩の時代が来た。一旦民衆《いったん民衆》によつ《っ》て閑却された詩《-し》は、更にまた彼等の生活にまで帰つ《っ》て来た。しかも之《これ》より先、私等の雑誌『感情』は詩壇の標準時計となつ《っ》て居た。主義に於《於い》ても、内容に於《於い》ても、殆んど全然『感情』を標準にしたところのパンフレットが続々として後《あと》から後《あと》から刊行された。正に感情型雑誌の発行は詩壇の一流行であつ《っ》た。尚且《なおか》つ私等の詩風は詩壇の「時代的流行」にまでなつ《っ》てしまつ《っ》た。先には《は’》反時代的な詩風であり、珍奇な異端的なものであつ《っ》た私等の詩《-し》のスタイルは、今日《こんにち》では最も有りふれた一般的な詩風となり、正にそれが時代の流行を示す通俗《/通俗》のスタイルとまでなつ《っ》てしまつ《っ》て居る。げにや此所数年《ここ数年》の間に、我が国の詩壇は驚くべき変化をした。すべてが面目を一新した。そしてすべてが私の「予感の実証」として現実されている。  されば私の詩集『月に吠える』──それは感情詩社の記念事業である──は、正《まさ》に今日《こんにち》の詩壇を予感した最初の黎明であつ《っ》たにちがひない。およそこの詩集以前にか《こ》うしたスタイルの口語詩は一つもなく、この詩集以前に今日《こんにち》の如き溌剌たる詩壇の気運は感じられなかつ《っ》た。すべての新しき詩《-し》のスタイルは此所《ここ》から発生されて来た。すべての時代的な叙情詩のリズムは此所《ここ》から生まれて来た。即ちこの詩集によつ《っ》て、正に時代は一つのエポックを作つ《っ》たのである。げにそれは夜明けんとする時の最初の鶏鳴であつ《っ》た。──そして、実に私はこの詩集に対する最大の自信が此所《ここ》にある。 【千九百二十二年二月】 【著者】 ◇。◇。◇。 【竹とその哀傷】 ◇。◇。◇。 【地面の底の病気の顔】 ◇。◇。◇。  地面の底に顔があらは《わ》れ、  さみしい病人の顔があらは《わ》れ。 ◇。◇。◇。  地面の底のくらやみに、  うらうら草《’草》の茎が萌えそめ、  鼠の巣が萌えそめ、  巣にこんがらかつ《っ》ている、  |かずし《数知》れぬ髪の毛がふるえ出し、  冬至のころの、  さびしい病気の地面から、  ほそい青竹の根が生えそめ、  生えそめ、  それがじつにあは《わ》れふかくみえ、  けぶれるごとくに視え、  じつに、じつに、あは《わ》れふかげに視え。 ◇。◇。◇。  地面の底のくらやみに、  さみしい病人の顔があらは《わ》れ。 ◇。◇。◇。 【草の茎】 ◇。◇。◇。  冬の|さむ《寒》さに、  ほそき毛をもてつつまれし、  草の茎をみよや、  あを《お》らみ茎はさみしげなれども、  いちめんにうすき毛をもてつつまれし、  草の茎をみよや。 ◇。◇。◇。  雪もよひ《い》する空のかなたに、  草の茎はも《’も》えいづる。 ◇。◇。◇。 【竹】 ◇。◇。◇。  ますぐなるもの地面に生え、  するどき青きもの地面に生え、  凍れる冬をつらぬきて、  そのみどり葉光《葉’光》る朝の空路《空ぢ》に、  なみだたれ、  なみだをたれ、  いまはや懺悔をはれる肩の上より、  けぶれる竹の根はひ《’ひ》ろごり、  するどき青きもの地面に生え。 ◇。◇。◇。 【竹】 ◇。◇。◇。  光る地面に竹が生え、  青竹が生え、  地下には竹の根が生え、  根がしだいに|ほそ《細》らみ、  根の先より繊毛が生え、  かすかにけぶる繊毛が生え、  かすかにふるえ。 ◇。◇。◇。  かたき地面に竹が生え、  地上にするどく竹が生え、  まつ《っ》しぐらに竹が生え、  凍れる節節りん《ん-》りんと、  青空のもとに竹が生え、  竹、竹、竹が生え。 ◇。◇。◇。 【○】 ◇。◇。◇。  みよ|すべ《全》ての罪はしるされたり、  されど|すべ《全》ては我にあらざりき、  まことにわれに現は《わ》れしは、  かげなき青き炎の幻影のみ、  雪の上に消えさる哀傷の幽霊のみ、  ああか《/か》かる日のせつなる懺悔をも何かせむ、  すべては青き|ほのほ《炎》の幻影のみ。 ◇。◇。◇。 【すえたる菊】 ◇。◇。◇。  その菊は醋え、  その菊はいたみ|したた《滴》る、  あは《わ》れあれ霜|つき《月》はじめ、  わが|ぷらちな《プラチナ》の手はしなへ《え》、  するどく指をとがらして、  菊をつまむとねがふ《う》より、  その菊をばつ《摘》むことなかれとて、  かがやく天の一方に、  菊は病み、  饐えたる菊は|いた《傷》みたる。 ◇。◇。◇。 【亀】 ◇。◇。◇。  林あり、  沼あり、  蒼天あり、  ひとの手にはおもみを感じ  |しづ《静》かに純金の亀|ねむ《’眠》る、  この光る、  寂しき自然のいたみにたへ《え》、  ひとの心霊《心》にまさぐり|しづ《沈》む、  亀は蒼天のふかみに|しづ《沈》む。 ◇。◇。◇。 【笛】 ◇。◇。◇。  |あふ《仰》げば高《たか》き松《’松》が枝《’枝》に琴《/琴》かけ鳴らす、  を《お》ゆびに紅《ベニ》をさしぐみて、  ふくめる琴をかきならす、  ああ◇ かき鳴らすひとづま琴《/琴》の音にもつ《’つ》れぶき、  いみじき笛は天にあり。  |けふ《きょう》の霜夜の空に冴え冴え、  松の梢を光らして、  かなしむものの一念に、  懺悔の姿をあらは《わ》しぬ。 ◇。◇。◇。  いみじき笛は天にあり。 ◇。◇。◇。 【冬】 ◇。◇。◇。  つみとがのしるし天《/天》にあらは《わ》れ、  ふりつむ雪のうへ《え》にあらは《わ》れ、  木木の梢にかがやきいで、  ま冬をこえて光るがに、  おかせる罪のしるしよ《”よ》もに現は《わ》れぬ。 ◇。◇。◇。  みよや眠れる、  |くら《暗》き土壌にいきものは、  懺悔の家をぞ建《’建》てそめし。 ◇。◇。◇。 【天上縊死《天上’縊死》】 ◇。◇。◇。  遠夜に光る松の葉に、  懺悔の涙したたりて、  遠夜の空にしも白《し》ろき、  天上の松に首をかけ。  天上の松を恋ふ《う》るより、  祈れるさまに吊されぬ。 ◇。◇。◇。 【卵】 ◇。◇。◇。  いと高き梢にありて、  ちいさなる卵ら光り、  |あふ《仰》げば小鳥の巣は光り、  いまはや罪びとの祈るときなる。 ◇。◇。◇。 【雲雀料理】 ◇。◇。◇。  五月《5月》の朝の新緑と薫風は私の生活を貴族にする。したたる空色の窓の下で、私の愛する女と共に純銀の|ふおうく《フォーク》を動かしたい。私の生活にもいつかは一度、あの空に光る、雲雀料理の愛の皿を盗んで喰《食》べたい。 ◇。◇。◇。 【感傷の手】 ◇。◇。◇。  わが性の|せんちめんたる《センチメンタル》、  あまたある手をかなしむ、  手は|つね《常》に頭上に|をど《踊》り、  また胸にひかりさびしみしが、  しだいに夏|おとろへ《’衰え》、  かへ《え》れば燕はや巣を立ち、  |おほ《大》麦はつめたくひやさる。  ああ、都をわすれ、  われすでに胡弓を弾《ひ》かず、  手ははがねとなり、  いんさんとして土地《土》を掘る、  いぢ《じ》らしき感傷の手は土地《土》を堀《ほ》る。 ◇。◇。◇。 【山居】 ◇。◇。◇。  八月《8月》は祈祷、  魚鳥遠くに消え去り、  桔梗いろおとろへ《え》、  しだいにおとろへ《え》、  わが心いたくおとろへ《え》、  悲しみ樹蔭《木陰》をいでず、  手に聖書は銀となる。 ◇。◇。◇。 【苗】 ◇。◇。◇。  苗は青空に光り、  子供は土地《土》を掘る。 ◇。◇。◇。  生えざる苗をもとめむとして、  あかるき鉢の底より、  われは白き指をさしぬけり。 ◇。◇。◇。 【殺人事件】 ◇。◇。◇。  |とほ《遠》い空で|ぴすとる《ピストル》が鳴る。  また|ぴすとる《ピストル》が鳴る。  ああ私《/私》の探偵は玻璃の衣裳をきて、  |こひびと《恋人》の窓からしのびこむ、  床は晶玉、  |ゆび《指》と|ゆび《指》との|あひだ《間》から、  まつ《っ》さをの血《血’》がながれている、  |かな《悲》しい女の屍体の|うへ《上》で、  つめたい|きりぎりす《キリギリス》が鳴いている。 ◇。◇。◇。  しもつき上旬《初め》のある朝、  探偵は玻璃の衣裳をきて、  街の十字巷路《四辻》を曲つ《っ》た。  十字巷路《四辻》に秋の|ふんすい《噴水》、  はやひとり|探偵はうれひ《/探偵は’憂い》を|かん《感》ず。 ◇。◇。◇。  みよ、遠いさびしい大理石の歩道を、  曲者はいつ《っ》さんにすべつ《っ》てゆく。 ◇。◇。◇。 【盆景】 ◇。◇。◇。  春夏《ハルナツ》すぎて手は琥珀、  瞳《目》は水盤にぬれ、  石は《は’》らんすい、  いちいちに愁ひ《い》をくんず、  みよ山水《/山水》のふかまに、  ほそき滝ながれ、  滝ながれ、  ひややかに魚介は|しづ《沈》む。 ◇。◇。◇。 【雲雀料理】 ◇。◇。◇。  ささげまつる|ゆふ《夕》べの愛餐、  燭に魚蝋《ギョロウ》のうれひ《い》を薫じ、  いとしがりみ《/み》どりの窓をひらきなむ。  |あは《哀》れあれみ空をみれば、  さつきはるばると流《なが》るるものを、  手にわれ雲雀の皿をささげ、  いとしがり君《/君》がひだりにすすみなむ。 ◇。◇。◇。 【掌上の種】 ◇。◇。◇。  われは手のうへ《え》に土を盛り、  土《土’》のうへ《え》に種をまく、  いま白き|じようろ《ジョウロ》もて土に水をそそぎしに、  水はせんせんとふりそそぎ、  土のつめたさはたなごころの上にぞしむ。  ああ、|とほ《遠》く五月の窓をおしひらきて、  われは手を日光のほとりにさしのべしが、  さわやかなる風景の中にしあれば、  皮膚はかぐは《わ》しくぬくもりきたり、  手のうへ《え》の種はいとほ《お》しげにも呼吸《息》づけり。 ◇。◇。◇。 【天景】 ◇。◇。◇。  |しづ《静》かにきしれ四輪馬車、  ほのかに海はあかるみて、  麦は遠きにながれたり、  |しづ《静》かにきしれ四輪馬車。  光る魚鳥の天景を、  また窓青《窓’青》き建築を、  |しづ《静》かにきしれ四輪馬車。 ◇。◇。◇。 【焦心】 ◇。◇。◇。  霜ふりてすこしつめたき朝を、  手に雲雀料理をささげつつ歩みゆく少女《乙女》あり、  そのとき並木にもたれ、  白粉もてぬられたる女のほそき指と指との隙間をよくよく窺ひ、  このうまき雲雀料理をば盗み喰《食》べんと欲《-ほっ》して、  しきりにも焦心し、  あるひとのごときはあまりに焦心し、まつ《っ》たく合掌せるにおよべり。 ◇。◇。◇。 【悲しい月夜】 ◇。◇。◇。 【かなしい遠景《エン景》】 ◇。◇。◇。  かなしい薄暮になれば、  労働者にて東京市中《東京シチュウ》が満員なり、  それらの憔悴した帽子の|かげ《蔭》が、  市街中《町じゅう》いちめんにひろがり、  あつ《っ》ちの市区でも、こつ《っ》ちの市区でも、  堅い地面を掘つ《っ》くり|かへ《返》す、  掘り出して見るならば、  煤ぐろい嗅煙草《嗅ぎ煙草》の銀紙だ。  重さ五匁ほどもある、  |にほひ《匂い》菫のひからびきつ《っ》た根つ《っ》株だ。  それも本所深川あたりの遠方からはじめ、  おひ《い》おひ《い》市中いつ《っ》たいにおよぼしてくる。  なやましい薄暮の|かげ《蔭》で、  しなびきつ《っ》た心臓が|しやべる《シャベル》を光らしている。 ◇。◇。◇。 【悲しい月夜】 ◇。◇。◇。  ぬすつ《っ》と犬めが、  くさつ《っ》た波止場の月に吠えている。  |たましひ《魂》が耳をすますと、  陰気くさい声をして、  黄いろい娘たちが合唱している、  合唱している、  波止場のくらい石垣で。 ◇。◇。◇。  いつも、  なぜおれはこれなんだ、  犬よ、  青白い|ふしあは《不幸》せの犬よ。 ◇。◇。◇。 【死】 ◇。◇。◇。  みつめる土地《土》の底から、  奇妙|きてれつ《奇天烈》の手がでる、  足がでる、  くびがでしや《ゃ》ばる、  諸君《ショ君》、  こいつはいつ《っ》たい、  なんといふ《う》鵞鳥だい。  みつめる土地《土》の底から、  馬鹿づらをして、  手がでる、  足がでる、  くびがでしや《ゃ》ばる。 ◇。◇。◇。 【危険な散歩】 ◇。◇。◇。  春になつ《っ》て、  おれは|新ら《新》しい靴のうらに|ごむ《ゴム》をつけた、  どんな粗製の歩道をあるいても、  あのいやらしい音がしないや《よ》うに、  それにおれはどつ《っ》さり壊れものをかかへ《え》こんでる、  それがなにより|けんのん《剣呑》だ。  さあ、そろそろ歩きはじめた、  みんなそつ《っ》としてくれ、  そつ《っ》としてくれ、  おれは心配で心配でたまらない、  たとへ《え》どんなことがあつ《っ》ても、  おれの歪んだ足つきだけは見ないでおくれ。  おれは|ぜつたいぜつめい《絶体’絶命》だ、  おれは病気の風船のりみたいに、  いつも憔悴した方角で、  ふらふらふらふらあるいているのだ。 ◇。◇。◇。 【酒精中毒者《酔っ払い》の死】 ◇。◇。◇。  あふ《お》むきに死んでいる酒精中毒者《酔っ払い》の、  まつ《っ》しろい腹のへんから、  えたいのわからぬものが流れている、  透明な青い血漿と、  ゆがんだ多角形《多カッケイ》の心臓と、  腐つ《っ》たはらわたと、  |らうまちす《ラウマチス》の爛れた手くびと、  ぐにや《ゃ》ぐにや《ゃ》した臓物と、  そこらいちめん、  地べたはぴかぴか光つ《っ》ている、  草はするどくとがつ《っ》ている、  すべてが|らぢうむ《ラヂウム》のや《よ》うに光つ《っ》ている。  こんなさびしい風景の中にうきあがつ《っ》て、  白つ《っ》ぽけた殺人者の顔が、  草のや《よ》うにびらびら笑つ《っ》ている。 ◇。◇。◇。 【干からびた犯罪】 ◇。◇。◇。  どこから犯人は逃走した?  ああ、いく年《ねん》もいく年《ねん》もまへ《え》から、  ここに倒れた椅子がある、  ここに兇器がある、  ここに屍体がある、  ここに血《血’》がある、  さ《そ》うして青ざめた五月の高窓にも、  |おもひ《思い》に|しづ《沈》んだ探偵のくらい顔と、  さびしい女の髪の毛とがふるへ《え》て居る。 ◇。◇。◇。 【蛙の死】 ◇。◇。◇。  蛙が殺された、  子供がまるくなつ《っ》て手をあげた、  みんな|いつしよ《一緒》に、  かわゆらしい、  血《血’》だらけの手をあげた、  月が出た、  丘の上に人が立つ《っ》ている。  帽子の下に顔がある。 ◇。◇。◇。 【幼年思慕篇】 ◇。◇。◇。 【くさつ《っ》た蛤】 【なやましき春夜《シュンヤ》の感覚とその疾患】 ◇。◇。◇。 【内部に居る人が畸形な病人に見える理由】 ◇。◇。◇。  わたしは窓かけの|れいす《レース》の|かげ《蔭》に立つ《っ》て居ります、  それがわたくしの顔をうすぼんやりと見せる理由です。  わたしは手に遠|めがね《眼鏡》をもつ《っ》て居ります、  それでわたくしは、ずつ《っ》と遠いところを見て居ります、  |につける《ニッケル》製の犬だの羊だの、  あたまのはげた子供たちの歩いている林をみて居ります、  それらがわたくしの瞳《目》を、いくらかかすんでみせる理由です。  わたくしは|けさきやべつ《今朝キャベツ》の皿を喰《食》べすぎました、  そのうへ《え》この窓硝子は非常に粗製です、  それがわたくしの顔をこんなに甚だしく歪んで見せる理由です。  じつ《っ》さいのところを言へ《え》ば、  わたくしは健康すぎるぐらいなものです、  それだのに、なんだつ《っ》て君《’君》は、そこで私をみつめている。  なんだつ《っ》てそんなに薄気味《薄キミ》わるく笑つ《っ》ている。  おお、もちろん、わたくしの腰から下ならば、  そのへんがはつ《っ》きりしないといふ《う》のならば、  いくらか馬鹿げた疑問であるが、  もちろん、つまり、この青白い窓の壁にそうて、  家の内部に立つ《っ》ているわけです。 ◇。◇。◇。 【椅子】 ◇。◇。◇。  椅子の下にねむれるひとは、  |おほ《大》いなる家をつくれるひとの子供らか。 ◇。◇。◇。 【春夜《シュンヤ》】 ◇。◇。◇。  浅蜊のや《よ》うなもの、  蛤のや《よ》うなもの、  |みぢんこ《ミヂンコ》のや《よ》うなもの、  それら生物《生き物》の身体は砂にうもれ、  どこからともなく、  絹いとのや《よ》うな手が無数に生え、  手のほそい毛が浪のまにまにうごいている。  |あは《哀》れこの生|あたた《温》かい春の夜に、  そよそよと潮|みづ《水》ながれ、  生物《生き物》の上に|みづ《水》ながれ、  貝|るい《類》の舌も、ちらちらとしても《燃》え哀しげなるに、  |とほ《遠》く渚の方《ほう》を見わたせば、  ぬれた渚路《渚ぢ》には、  腰から下のない病人の列があるいている、  ふらりふらりと歩いている。  ああ、それら人間の髪の毛にも、  春の夜の|かすみいちめん《霞’一面》に|ふか《深》くかけ、  よせくる、よせくる、  この|しろ《白》き浪の列はさざなみです。 ◇。◇。◇。 【|ばくてりや《バクテリヤ》の世界】 ◇。◇。◇。  |ばくてりや《バクテリヤ》の足、  |ばくてりや《バクテリヤ》の口、  |ばくてりや《バクテリヤ》の耳、  |ばくてりや《バクテリヤ》の鼻、 ◇。◇。◇。  |ばくてりや《バクテリヤ》がおよいでいる。 ◇。◇。◇。  あるものは人物の胎内に、  あるものは貝|るい《類》の内臓に、  あるものは玉葱の球心に、  あるものは風景の中心に。 ◇。◇。◇。  |ばくてりや《バクテリヤ》がおよいでいる。 ◇。◇。◇。  |ばくてりや《バクテリヤ》の手は左右十文字に生え、  手のつまさきが根のや《よ》うにわかれ、  そこからするどい爪が生え、  毛細血管の類《類い》はべたいちめんにひろがつ《っ》ている。 ◇。◇。◇。  |ばくてりや《バクテリヤ》がおよいでいる。 ◇。◇。◇。  |ばくてりや《バクテリヤ》が生活するところには、  病人の皮膚をすかすや《よ》うに、  べにいろの光線がうすくさしこんで、  その部分だけほんのりとしてみえ、  じつに、じつに、かなしみ|たへ《耐え》がたく見える。 ◇。◇。◇。  |ばくてりや《バクテリヤ》がおよいでいる。 ◇。◇。◇。 【およぐひと】 ◇。◇。◇。  およぐひとのからだは|なな《斜》めにのびる、  二本《2本》の手はながくそろへ《え》てひきのばされる、  およぐひとの心臓《心》は|くらげ《クラゲ》のや《よ》うにすきとほ《お》る、  およぐひとの瞳《目》はつりがねの|ひび《響》きをききつつ、  およぐひとの|たましひ《魂》は水のうへ《え》の月をみる。 ◇。◇。◇。 【ありあけ】 ◇。◇。◇。  ながい疾患の|いた《痛》みから、  その顔は|くも《蜘蛛》の巣だらけとなり、  腰からしたは影のや《よ》うに消えてしまひ《い》、  腰からうへ《え》には藪が生え、  手が腐れ  身体いちめんがじつにめちや《ゃ》くちや《ゃ》なり、  ああ、|けふ《今日》も月が出で、  有明の月が空に出《い》で、  そのぼんぼりのや《よ》うなうすらあかりで、  畸形の白犬が吠えている。  しののめちかく、  さみしい道路の方《ほう》で吠える犬だよ。 ◇。◇。◇。 【猫】 ◇。◇。◇。  まつ《っ》くろけの猫が二疋《二匹》、  なやましいよるの家根《屋根》のうへ《え》で、  ぴんとたてた尻尾のさきから、  糸のや《よ》うな|みかづき《三日月》がかすんでいる。  『おわあ、こんばんは』  『おわあ、こんばんは』  『おぎや《ゃ》あ、おぎや《ゃ》あ、おぎや《ゃ》あ』  『おわああ、ここの家の主人は病気です』 ◇。◇。◇。 【貝】 ◇。◇。◇。  つめたき《き-》もの生《生ま》れ、  その歯は|みづ《水》にながれ、  その手は|みづ《水》にながれ、  潮《シオ》さし行方もしらに《に-》ながるるものを、  浅瀬をふみてわが呼ばへ《え》ば、  貝は遠音にこたふ《う》。 ◇。◇。◇。 【麦畑の一隅にて】 ◇。◇。◇。  まつ《っ》正直の心をもつ《っ》て、  わたくしどもは話がしたい、  信仰からきたるものは、  すべて幽霊のかたちで視《見》える、  かつてわたくしが視《見》たところのものを、  はつ《っ》きりと汝にもきかせたい、  およそこの類《類い》のものは、  さかんに装束せる、  光れる、  |おほ《大》いなる|かく《隠》しどころをもつ《っ》た神の半身であつ《っ》た。 ◇。◇。◇。 【陽春】 ◇。◇。◇。  ああ、春は遠くからけぶつ《っ》て来る、  ぽつ《っ》くりふくらんだ柳の芽のしたに、  やさしいくちびるをさ《差》しよ《寄》せ、  |をとめ《乙女》のくちづけを吸ひ《い》こみたさに、  春は遠くから|ごむ《ゴム》輪のくるまにのつ《っ》て来る。  ぼんやりした景色のなかで、  白いくるまやさんの足はいそげども、  ゆくゆく車輪が|さか《逆》さにまわり、  しだいに梶棒が地面をはなれ出し、  おまけにお客さまの腰がへんにふらふらとして、  これではとてもあぶなさ《そ》うなと、  とんでもない時に春がまつ《っ》しろの欠伸をする。 ◇。◇。◇。 【くさつ《っ》た蛤】 ◇。◇。◇。  半身《ハンミ》は砂のなかにうもれていて、  それで居てべろべろ舌を出して居る。  この軟体動物のあたまの上には、  砂利や潮|みづ《水》が、ざら、ざら、ざら、ざら流れている、  ながれている、  ああ夢のや《よ》うに|しづ《静》かにもながれている。 ◇。◇。◇。  ながれてゆく砂と砂との隙間から、  蛤はまた舌べろをちらちらと赤くも《燃》えいづる、  この蛤は非常に憔悴《窶》れているのである。  みればぐにや《ゃ》ぐにや《ゃ》した内臓がくさりかかつ《っ》て居るらしい、  それゆえ哀しげな晩かたになると、  青ざめた海岸に坐つ《っ》ていて、  ちら、ちら、ちら、ちらとくさつ《っ》た息をするのですよ。 ◇。◇。◇。 【春の実体】 ◇。◇。◇。  かずかぎりもしれぬ虫けらの卵にて、  春がみつ《っ》ちりとふくれてしまつ《っ》た、  げにげに眺め|みわた《見渡》せば、  どこもかしこもこの類《類い》の卵にてぎつ《っ》ちりだ。  桜の|はな《花》をみてあれば、  桜の|はな《花》にもこの卵いちめんに透いてみえ、  やなぎの枝にも、もちろんなり、  たとへ《え》ば蛾蝶のごときものさへ《え》、  その|うす《薄》き羽は卵にて|かたちづく《形作》られ、  それがあのや《よ》うに、ぴかぴかぴかぴか光るのだ。  ああ、瞳《目》にもみえざる、  このかすかな卵のかたちは楕円形にして、  それがいたるところに押しあひ《い》へしあひ《い》、  空気中《空気じゅう》いつ《っ》ぱいにひろがり、  ふくらみきつ《っ》た|ごむまり《ゴムマリ》のや《よ》うに固くなつ《っ》ているのだ、  よくよく指のさきでつついてみ|たま《給》へ、  春といふ《う》ものの実体がおよそこのへんにある。 ◇。◇。◇。 【贈物にそへ《え》て】 ◇。◇。◇。  兵隊どもの列の中には、  性分《ショウブン》の|わる《悪》いものが居たので、  たぶん標的の図星を|はづ《外》した。  銃殺された男が、  夢のなかで息をふきかへ《え》したときに、  空にはさみしいなみだがながれていた。 『これはさ《そ》ういふ《う》種類の煙草です』 ◇。◇。◇。 【さびしい情慾】 ◇。◇。◇。 【愛憐】 ◇。◇。◇。  きつ《っ》と可愛い|かた《硬》い歯で、  草のみどりをかみしめる女よ、  女よ、  このうす青い草《クサ》の|いんき《インキ》で、  まんべんなくお前の顔をいろどつ《っ》て、  おまへ《え》の情慾を|たか《昂》ぶらしめ、  しげる草むらでこつ《っ》そり|あそば《遊ぼ》う、  み|たま《給》へ、  ここにはつりがね草がくびをふり、  あそこでは|りんだう《竜胆》の手がしなしなと動いている、  ああわたしはしつ《っ》かりとお前の乳房を抱きしめる、  お前は《は’》お前で力いつ《っ》ぱいに私のからだを|押へ《押さえ》つける、  さ《そ》うしてこの人気《ヒトケ》のない野原の中で、  わたしたちは蛇のや《よ》うなあそびをしよう、  ああ私は私できりきりとお前を可愛がつ《っ》てやり、  おまへ《え》の美しい皮膚の上に、青い草の葉の汁をぬりつけてやる。 ◇。◇。◇。 【恋を恋する人】 ◇。◇。◇。  わたしはくちびるにべにをぬつ《っ》て、  あたらしい白樺の幹に接吻した、  よしんば私が美男であら《ろ》うとも、  わたしの胸にはごむまりのや《よ》うな乳房がない、  わたしの皮膚からは|きめ《肌理》のこまかい粉おしろいの|にほひ《匂い》がしない、  わたしはしなびきつ《っ》た薄命男だ、  ああ、なんといふ《う》いぢ《じ》らしい男だ、  |けふ《今日》の|かぐは《香》しい初夏の野原で、  きらきらする木立の中で、  手には空色の手ぶくろをすつ《っ》ぽりとはめてみた、  腰には|こるせつと《コルセット》のや《よ》うなものをはめてみた、  襟には襟|おしろい《白粉》のや《よ》うなものをぬりつけた、  か《こ》うしてひつ《っ》そりとしなをつくりながら、  わたしは娘たちのするや《よ》うに、  こころもちくびをかしげて、  あたらしい白樺の幹に接吻した、  くちびるに|ばらいろ《バラ色》のべにをぬつ《っ》て、  まつ《っ》しろの高い樹木にすがりついた。 ◇。◇。◇。 【五月《5月》の貴公子】 ◇。◇。◇。  若草の上をあるいているとき、  わたしの靴は白い足あとをのこしてゆく、  ほそい|すてつき《ステッキ》の銀が草でみがかれ、  まるめてぬいだ手ぶくろが宙《チュウ》でおどつ《っ》て居る、  ああすつ《っ》ぱりといつ《っ》さいの憂愁をなげだして、  わたしは柔和の羊になりたい、  しつ《っ》とりとした貴女《貴方》のくびに手をかけて、  あたらしい|あやめおしろい《アヤメ白粉》の|にほひ《匂い》をかいで居たい、  若|くさ《草》の上をあるいているとき、  わたしは五月の貴公子である。 ◇。◇。◇。 【白い月】 ◇。◇。◇。  はげしい|むし《虫》歯の|いた《痛》みから、  ふくれあがつ《っ》た頬つ《っ》ぺたをかかへ《え》ながら、  わたしは棗の木《木’》の下を掘つ《っ》ていた、  なにかの草の種を蒔か《こ》うとして、  |きやしや《華奢》の指を泥だらけにしながら、  つめたい地べたを掘つ《っ》くりかへ《え》した、  ああ、わたしはそれをおぼえている、  うすらさむい日のくれがたに、  まあたらしい穴の下で、  ちろ、ちろ、と|みみず《ミミズ》がうごいていた、  そのとき低い建物のうしろから、  まつ《っ》しろい女の耳を、  つるつるとなでるや《よ》うに月があがつ《っ》た、  月があがつ《っ》た。 ◇。◇。◇。 【幼童思慕詩篇】 ◇。◇。◇。 【肖像】 ◇。◇。◇。  あいつはいつも歪んだ顔をして、  窓のそばに突つ《っ》立つ《っ》ている、  白いさくらが咲く頃になると、  あいつはまた地面の底から、  むぐらもちのや《よ》うに這ひ《い》出してくる、  ぢつ《っ》と足音をぬすみながら、  あいつが窓にしのびこんだところで、  おれは早取写真《早取り写真》にうつした。 ◇。◇。◇。  ぼんやりした光線の|かげ《蔭》で、  白つ《っ》ぽけた乾板をすかして見たら、  なにかの影のや《よ》うに薄く写つ《っ》ていた。  おれのくびから上だけが、  |おいらん《花魁》草のや《よ》うにふるへ《え》ていた。 ◇。◇。◇。 【さびしい人格】 ◇。◇。◇。  さびしい人格が私の友を呼ぶ、  わが見知らぬ友よ、早くきたれ、  ここの古い椅子に腰をかけて、二人で|しづ《静》かに話していよう、  なにも悲しむことなく、きみと私で|しづ《静》かな幸福な日をく《暮》らさ《そ》う、  遠い公園の|しづ《静》かな噴水の音をきいて居よう、  |しづ《静》かに、|しづ《静》かに、二人でか《こ》うして抱き合つ《っ》て居よう、  母《母’》にも父にも兄弟にも遠く|はな《離》れて、  母《母’》にも父にも知らない孤児の心を|むす《結》び合|はさ《わそ》う、  ありとあらゆる人間の生活《ライフ》の中で、  おまへ《え》と私だけの生活について話し合は《お》う、  |まづ《貧》しいたよりない、二人だけの秘密の生活について、  ああ、その言葉は秋の落葉《落ち葉》のや《よ》うに、そうそうとして膝の上にも散つ《っ》てくるではないか。 ◇。◇。◇。  わたしの胸は、かよわい病気した|をさな児《幼子》の胸のや《よ》うだ。  わたしの心は恐れにふるえる、せつない、せつない、熱情のうるみに燃えるや《よ》うだ。  ああいつかも、私は高い山の上へ登つ《っ》て行つ《っ》た、  |けは《険》しい坂路を|あふ《仰》ぎながら、虫けらのや《よ》うにあこがれて登つ《っ》て行つ《っ》た、  山の絶頂に立つ《っ》たとき、虫けらはさびしい涙をながした。  |あふ《仰》げば、ぼうぼうたる草むらの山頂で、|おほ《大》きな白つ《っ》ぽい雲《’雲》がながれていた。 ◇。◇。◇。  自然はどこでも私を苦しくする、  そして人情は私を陰鬱にする、  むしろ私はにぎやかな都会の公園を歩きつかれて、  とある寂しい木蔭に椅子をみつけるのが好きだ、  ぼんやりした心《’心》で空を見ているのが好きだ、  ああ、都会の空を|とほ《遠》く悲しくながれてゆく煤煙、  またその建築の屋根をこえて、はるかに小さくつばめの飛んで行く姿を見るのが好きだ。 ◇。◇。◇。  よにもさびしい私の人格が、  |おほ《大》きな声で見知らぬ友をよんで居る、  わたしの卑屈な不思議な人格が、  鴉のや《よ》うなみすぼらしい様子をして、  人気《ヒトケ》のない冬枯れの椅子の片隅にふるえて居る。 ◇。◇。◇。 【見知らぬ犬】 ◇。◇。◇。 【見しらぬ犬】 ◇。◇。◇。  この見もしらぬ犬が私のあとをついてくる、  みすぼらしい、後足《後脚》で|びつこ《跛》をひいている不具《カタワ》の犬の|かげ《蔭》だ。 ◇。◇。◇。  ああ、わたしはど《’ど》こへ《へ’》行くのか知らない、  わたしのゆく道路の方角では、  長屋の家根《屋根》がべらべらと風にふかれている、  道ばたの陰気な空地《空き地》では、  ひからびた草の葉つ《っ》ぱがしなしなと|ほそ《細》くうごいて居る。 ◇。◇。◇。  ああ、わたしはど《’ど》こへ《へ’》行くのか知らない、  |おほ《大》きな、いきもののや《よ》うな月が、ぼんやりと行手《行く手》に浮んでいる、  さ《そ》うして背後《後ろ》のさびしい往来では、  犬のほそながい尻尾の先が地べたの上をひきずつ《っ》て居る。 ◇。◇。◇。  ああ、どこまでも、どこまでも、  この見もしらぬ犬が私のあとをついてくる、  きたならしい地べたを這ひ《い》ま|はつ《わっ》て、  わたしの背後《後ろ》で後足《後脚》をひきずつ《っ》ている病気の犬だ、  |とほ《遠》く、ながく、かなしげにおびえながら、  さびしい空の月に向つ《っ》て遠白く吠える|ふしあは《不幸》せの犬の|かげ《蔭》だ。 ◇。◇。◇。 【青樹の梢を|あふ《仰》ぎて】 ◇。◇。◇。  |まづ《貧》しい、さみしい町《’町》の裏通りで、  青樹がほそほそと生えていた。 ◇。◇。◇。  わたしは愛をもとめている、  わたしを愛する心の|まづ《貧》しい乙女を求めている、  そのひとの手は青い梢の上でふるへ《え》ている、  わたしの愛を求めるために、いつも高いところでやさしい感情にふるへ《え》ている。 ◇。◇。◇。  わたしは遠い遠い街道で乞食をした、  |みぢ《惨》めにも飢えた心が腐つ《っ》た葱や肉の|にほひ《匂い》を嗅いで涙をながした、  うらぶれはてた乞食の心でい《/い》つも町《’町》の裏通りを歩き|まはつ《回っ》た。 ◇。◇。◇。  愛をもとめる心は、かなしい孤独の長い長いつかれの後《あと》にきたる、  それはなつかしい、|おほ《大》きな海のや《よ》うな感情である。 ◇。◇。◇。  道ばたのやせ地に生えた青樹の梢で、  ちつ《っ》ぽけな葉つ《っ》ぱがひらひらと風に|ひるがへつ《翻っ》ていた。 ◇。◇。◇。 【蛙よ】 ◇。◇。◇。  蛙よ、  青いすすきやよしの生えてる中《なか》で、  蛙は白くふくらんでいるや《よ》うだ、  雨のいつ《っ》ぱいにふる夕景に、  ぎよ《ょ》、ぎよ《ょ》、ぎよ《ょ》、ぎよ《ょ》、と鳴く蛙。 ◇。◇。◇。  まつ《っ》くらの地面をたたきつける、  今夜は雨や風のはげしい晩だ、  つめたい草の葉つ《っ》ぱの上でも、  ほつ《っ》と息を|すひ《吸い》こむ蛙、  ぎよ《ょ》、ぎよ《ょ》、ぎよ《ょ》、ぎよ《ょ》、と鳴く蛙。 ◇。◇。◇。  蛙よ、  わたしの心はお前から遠く|はな《離》れて居ない、  わたしは手に燈灯《明かり》をもつ《っ》て、  くらい庭の面《おもて》を眺めて居た、  雨にしほ《お》るる草木の葉を、つかれた心もちで眺めて居た。 ◇。◇。◇。 【山に登る】 【旅よりある女に贈る】 ◇。◇。◇。  山の頂上にきれいな草むらがある、  その上でわたしたちは寝ころんでいた。  眼をあげて|とほ《遠》い麓の方《ほう》を眺めると、  いちめんにひろびろとした海の景色のや《よ》うに|おもは《思わ》れた。  空には風がながれている、  おれは小石をひろつ《っ》て口にあてながら、  どこといふ《う》あてもなしに、  ぼうぼうとした山の頂上をあるいていた。 ◇。◇。◇。  おれはいまでも、お前のことを思つ《っ》ているのだ。 ◇。◇。◇。 【海水旅館】 ◇。◇。◇。  赤松の林をこえて、  くらき|おほなみ《大波》は|とほ《遠》く光つ《っ》ていた、  このさびしき越後の海岸、  しばしはなにを祈るこころぞ、  ひとり夕餉を|をは《終わ》りて、  海水旅館の居間に灯《火》を点ず。 【くぢら浪海岸にて】 ◇。◇。◇。 【孤独】 ◇。◇。◇。  田舎の白つ《っ》ぽい道ばたで、  つかれた馬のこころが、  ひからびた日向の草をみつめている、  ななめに、しのしのと|ほそ《細》くもえる、  ふるへ《え》るさびしい草《’草》をみつめる。 ◇。◇。◇。  田舎のさびしい日向に立つ《っ》て、  おまへ《え》はなにを視《見》ているのか、  ふるへ《え》る、わたしの孤独の|たましひ《魂》よ。 ◇。◇。◇。  このほこりつ《っ》ぽい風景の顔に、  うすく涙がながれている。 ◇。◇。◇。 【白い共同椅子】 ◇。◇。◇。  森の中の小径《小道》にそうて、  まつ《っ》白い共同椅子が|なら《並》んでいる、  そこらはさむしい山の中で、  たいそう緑の|かげ《蔭》がふかい、  あちらの森をすかしてみると、  そこにもさみしい木立がみえて、  上品な、まつ《っ》しろな椅子の足がそろつ《っ》ている。 ◇。◇。◇。 【田舎を恐る】 ◇。◇。◇。  わたしは田舎をおそれる、  田舎の人気《ヒトケ》のない水田の中にふるへ《え》て、  ほそながくのびる苗の列をおそれる。  くらい家屋の中に住む|まづ《貧》しい人間のむれをおそれる。  田舎のあぜみちに坐つ《っ》ていると、  |おほなみ《大波》のや《よ》うな土壌の重みが、わたしの心を|くら《暗》くする、  土壌のくさつ《っ》た|にほひ《匂い》が私の皮膚をくろずませる、  冬枯れのさびしい自然が私の生活をくるしくする。 ◇。◇。◇。  田舎の空気は陰鬱で重くるしい、  田舎の手触りはざらざらして気もちが|わる《悪》い、  わたしはときどき田舎を思ふ《う》と、  きめのあらい動物の皮膚の|にほひ《匂い》に悩まされる。  わたしは田舎をおそれる、  田舎は熱病の青じろい夢である。 ◇。◇。◇。 【長詩二篇】 ◇。◇。◇。 【雲雀の巣】 ◇。◇。◇。  おれはよ《世》にも悲しい心を抱《-いだ》いて故郷《古里》の河原を歩いた。  河原には、よめな、つくしの|たぐひ《類い》、せり、なづな、すみれの根もぼうぼうと生えていた。  その低い砂山の蔭には利根川《利根川’》が|なが《流》れている。ぬすびとのや《よ》うに暗くやるせなく流れている、  おれは《は’》ぢつ《っ》と河原《カワラ》にうづくまつ《っ》ていた。  おれの眼のまへ《え》には河原|よもぎ《蓬》の草むらがある。  ひとつかみほどの草むらである。蓬はやつれた女の髪の毛のや《よ》うに、へらへらと風にうごいていた。  おれはあるいやなことをかんがへ《え》こんでいる。それは恐ろしく不吉なかんがへ《え》だ。  そのうへ《え》、きちがひじみた太陽がむしあつく帽子の上から照りつけるので、|おれは《俺は’》ぐつ《っ》たり汗ばんでいる。  あへ《え》ぎ苦しむひとが水をもとめるや《よ》うに、|おれは《俺は’》ぐいと手をのばした。  おれの|たましひ《魂》をつかむや《よ》うにしてなにものかをつかんだ。  干からびた髪の毛のや《よ》うなものをつかんだ。  河原|よもぎ《蓬》の中にかくされた雲雀の巣。 ◇。◇。◇。  ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよと空《/そら》では雲雀の親が鳴いている。  おれはかわいさ《そ》うな雲雀の巣をながめた。  巣はおれの大きな掌の上で、やさしくも毬《鞠》のや《よ》うにふくらんだ。  いとけなく育くまれるものの愛に媚びる感覚が、あきらかにおれの心にかんじられた。  おれはへんてこに寂しくそ《/そ》して苦しくなつ《っ》た。  おれはまた親鳥のや《よ》うに頸《首》をのばして巣の中をのぞいた。  巣の中は夕暮どきの光線のや《よ》うに、うすぼんやりとして|くら《暗》かつ《っ》た。  かぼそい植物の繊毛に触れるや《よ》うな、たと|へや《えよ》うもなく DELICATE の哀傷が、影のや《よ》うに神経の末梢をかすめて行つ《っ》た。  巣の中のかすかな光線にてらされて、ねずみいろの雲雀の卵が四つほどさびしげに光つ《っ》ていた。  わたしは指をのばして卵のひとつをつまみあげた。  生《なま》あつ《っ》たかい生物《生き物》の呼吸が親指の腹をくすぐつ《っ》た。  死にかかつ《っ》た犬をみるときのや《よ》うな歯がゆい感覚《’感覚》が、おれの心の底にわきあがつ《っ》た。  か《こ》ういふ《う》ときの人間の感覚の生ぬるい不快さから惨虐《/惨虐》な罪が生《生ま》れる。罪をおそれる心は罪《/罪》を生む心のさきがけである。  おれは指と指とにはさんだ卵をそつ《っ》と日光にすかしてみた。  うす赤いぼんやりしたものが血《血’》のかたまりのや《よ》うに透いてみえた。  つめたい汁《シル》のや《よ》うなものが感じられた、  そのとき指と指とのあひ《い》だに生ぐさい液体がじくじくと流れているのをかんじた。  卵がやぶれた、  野蛮な人間の指が、むざんにも繊細なものを押しつぶしたのだ。  鼠いろの薄い卵の殻にはKといふ《う》字が、赤くほんのりと書かれていた。 ◇。◇。◇。  いたいけな小鳥の芽生《芽生え》、小鳥の親。  その可愛らしいくちばしから造つ《っ》た巣、一所けんめいでやつ《っ》た小動物の仕事、愛すべき本能のあらは《わ》れ。  いろいろな善良な、しほ《お》らしい考《考え》が私の心の底にはげしくこみあげた。  おれは卵をやぶつ《っ》た。  愛と悦びとを殺して悲《/悲》しみと呪ひ《い》とにみちた仕事をした。  くらい不愉快なおこなひ《い》をした。  おれは陰鬱な顔をして地面をながめつめた。  地面には小石や、硝子かけや、草の根などがいちめんにかがやいていた。  ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよと空《/そら》では雲雀の親が鳴いている。  なまぐさい春の|にほひ《匂い》がする。  おれはまたあのいやのことをかんがへ《え》こんだ。  人間が人間の皮膚の|にほひ《匂い》を嫌ふ《う》といふ《う》こと。  人間が人間の生殖器を醜悪にかんずること。  あるとき人間が馬のや《よ》うに見えること。  人間が人間の愛に|うらぎ《裏切》りすること。  人間が人間をきらふ《う》こと。  ああ、厭人病者。  ある有名なロシヤ人の小説、非常に重たい小説をよむと厭人病者《/厭人病者》の話が出て居た。  それは立派な小説だ、けれども恐ろしい小説だ。  心が愛するものを肉体《/肉体》で愛することの出来ないといふ《う》のは、なんたる邪悪の思想であら《ろ》う。なんたる醜悪の病気であら《ろ》う。  おれは生《生ま》れていつ《っ》ぺんでも娘たちに接吻したことはない。  ただ愛する小鳥たちの肩に手をかけて、せめては兄ら《-ら》しい言葉を言つ《っ》たことすらもない。  ああ、愛する、愛する、愛する小鳥たち。  おれは人間を愛する。けれどもおれは人間を恐れる。  おれは|ときどき《時々》、すべての人々から脱《逃》れて孤独になる。そしておれの心は、すべての人々を愛することによつ《っ》て涙ぐましくなる。  おれはいつでも、人気《ヒトケ》のない寂しい海岸を歩きながら、遠い都の雑閙を思ふ《う》のがすきだ。  遠い都の灯《-ひ》ともし頃《ごろ》に、ひとりで故郷《古里》の公園地をあるくのがすきだ。  ああ、きのふもきのふとて、|おれは《俺は’》悲しい夢をみつづけた。  おれはくさつ《っ》た人間の血の|にほひ《匂い》をかいだ。  おれはくるしくなる。  おれはさびしくなる。  心で愛するものを、なにゆえに肉体で愛することができないのか。  おれは懺悔する。  懺悔する。  おれはいつでも、くるしくなると懺悔する。  利根川の河原の砂の上に坐つ《っ》て懺悔をする。 ◇。◇。◇。  ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよと、空《そら》では雲雀の親たちが鳴いている。  河原蓬の根がぼうぼうとひろがつ《っ》ている。  利根川はぬすびとのや《よ》うにこ《/こ》つ《っ》そりと流れている。  あちらにも、こちらにも、うれは《わ-》しげな農人《農人’》の顔がみえる。  それらの顔は|くら《暗》くして地面をばかりみる。  地面には春が疱瘡《ホウソウ》のや《よ》うにむつ《っ》くりと吹き出して居る。 ◇。◇。◇。  おれはいぢ《じ》らしくも雲雀の卵を拾ひ《い》あげた。 ◇。◇。◇。 【笛】 ◇。◇。◇。  子供は笛が欲しかつ《っ》た。  その時子供のお父さんは書き|もの《物》をして居るらしく思は《わ》れた。  子供はお父さんの部屋をのぞきに行つ《っ》た。  子供はひつ《っ》そりと扉の|かげ《蔭》に立つ《っ》ていた。  扉の|かげ《蔭》にはさくらの花の|にほひ《匂い》がする。 ◇。◇。◇。  そのとき室内で大人はかんがへ《え》こんでいた、  大人の思想がくるくると渦まきをした、ある混み入つ《っ》た思想の|ぢれんま《ヂレンマ》が大人の心を痙攣《ひきつけ》させた。  みれば、|ですく《デスク》の上に突つ《っ》伏した大人の額を、いつのまにか蛇《ヘビ》がぎりぎりとまきつけていた。  それは春らしい今朝の出来事が、そのひとの心を憂は《わ》しくしたのである。 ◇。◇。◇。  本能と良心と、  わかちがたき一つの心をふたつにわかたんとする大人《/大人》の心のうらさびしさよ、  力をこめて引きはなされた二つの影は、糸のや《よ》うにもつれあひ《い》つつ、ほのぐらき明窓《明かり窓》のあたりをさまようた。  人は自分の頭のうへ《え》に、それらの悲しい幽霊の通りゆく姿をみた。  大人は恐ろしさに息をひそめながら祈《祈り》をはじめた 「神よ、ふたつの心をひとつにすることなからしめ|たま《給》へ」  けれどもながいあひ《い》だ、幽霊は扉の|かげ《蔭》を出這入りした。  扉の|かげ《蔭》にはさくらの花の|にほひ《匂い》がした。  そこには青白い顔をした病身のかれの子供が立つ《っ》て居た。  子供は笛が欲しかつ《っ》たのである。 ◇。◇。◇。  子供は扉をひらいて部屋の一隅に立つ《っ》ていた。  子供は窓際の|ですく《デスク》に突つ《っ》伏した|おほ《大》いなる父の頭脳をみた。  その頭脳のあたりは甚だしい陰影になつ《っ》ていた。  子供の視線が蠅のや《よ》うにその場所にとまつ《っ》ていた。  子供のわびしい心《’心》がなにものかにひきつけられていたのだ。  しだいに子供の心が力をかんじはじめた、  子供は実に、はつ《っ》きりとした声で叫んだ。  みればそこには笛がお《置》いてあつ《っ》たのだ。  子供が欲しいと思つ《っ》ていた紫いろの小さい笛があつ《っ》たのだ。 ◇。◇。◇。  子供は笛に就いてなにごとも父に話してはなかつ《っ》た。  それ故この事実はまつ《っ》たく偶然の出来事であつ《っ》た。  おそらくはなにかの不思議なめぐりあは《わ》せであつ《っ》たのだ。  けれども子供はかたく父の奇蹟を信じた。  もつ《っ》とも偉大なる大人の思想が生み落した陰影の笛について、  卓の上に置かれた笛について。 ◇。◇。◇。 【健康の都市】 【君が詩集の終りに】 ◇。◇。◇。  大正二年の春もおしまひ《い》のころ、私は未知の友から一通《1通》の手紙をもらつ《っ》た。私が当時雑誌《当時’雑誌”》ザムボアに出した小景異情といふ《う》小曲風な詩《-し》について、今の詩壇では見ることの出来ない純《/純》な真実なものである。これからも君《’君》はこの道を行かれるや《よ》うに祈ると書いてあつ《っ》た。私は未見の友達から手紙をもらつ《っ》たことは此《こ》れが生《生ま》れて初めてであり又此《/又こ》れほどまで鋭どく韻律の一端《-いったん》をも漏《漏ら》さぬ批評に接したことも之《こ》れまでには無かつ《っ》たことである。私は直覚した。これは私とほぼ同じ|いや《よ》うな若い人であり境遇《/境遇》もほぼ似た人であると思つ《っ》た。ちや《ょ》うど東京に一年ばかり漂泊して帰つ《っ》ていたころで親《/親》しい友達といふ《う》ものも無かつ《っ》たので、私は饑《飢》え渇いたや《よ》うにこの友達に感謝した。それからといふ《う》ものは私だちは毎日のや《よ》うに手紙をやりとりして、ときには世に出さない作品をお互《互い》に批評し合つ《っ》たりした。  私は|ときを《時折》り寺院の脚高な縁側から国境山脈をゆ《/ゆ》めのや《よ》うに眺めながら此《/こ》の友のいる上野国《上野の国》や能《/能》く詩《-し》にかかれる利根川の堤防なぞを懐しく考へ《え》るや《よ》うになつ《っ》たのである。会へ《え》ばどんなに心分《心持ち》の触れ合ふ《う》ことか。いまにも飛んで行きたいや《よ》うな気が何時も瞼を熱くした。この友もまた逢つ《っ》て話したいなぞと、まるで二人は恋し|あふ《合う》や《よ》うな烈しい感情をいつも長い手紙で物語つ《っ》た。私どもの純真な感情を植え育ててゆ《/ゆ》くゆく日本の詩壇に現は《わ》れ立つ日のことや、またどうしても詩壇の為《た》めに私どもが出なければならないや《よ》うな図抜けた強い意志も出来ていた。どこまで行つ《っ》ても私どもはいつも離れないでいようと女性《/女性》と男性との間に約されるや《よ》うな誓ひ《い》も立てたりした。 ◇。◇。◇。  大正三年になつ《っ》て私は上京した。そして生活といふ《う》ものと正面からぶつかつ《っ》て、私はすぐに疲れた。その時はこの友のいる故郷とも近くなつ《っ》ていたので、私は草臥れたままですぐに友に逢ふ《う》ことを喜んだ。友はその故郷の停車場でいきなり私のうろうろしているのをつかまへ《え》た。私どもは握手した。友はどこか品《ヒン》のある瞳の大きな想像《/想像》した|とほ《通》りの毛唐のや《よ》うなとこのある人であつ《っ》た。私どもは利根川の堤を松並木のおしまひ《い》に建つ《っ》た旅館まで俥にのつ《っ》た。浅間《アサマ》のけむりが長くこの上野《’上野》まで尾を曳いて寒い冬の日が沈みかけていた。  旅館は利根川の上流の、|市街はづ《町外》れの静かな磧に向つ《っ》て建てられていた。すぐに庭下駄をひつ《っ》かけて茫々とした磧へ出られた。二月だといふ《う》のにいろいろなものの芽立ちが南に向いた畦だの崖だのにぞくぞく生えていた。友はよくこの磧から私を|たづ《訪》ねてくれた。私どもは詩《-し》を見せ合つ《っ》たり批評をし合つ《っ》たりした。  大正四年友《大正四年/友》は出京した。  私どもは毎日会つ《っ》た。そして私どもの狂は《わ》しいBARの生活が初まつ《っ》た。暑い八月の東京の街路で時《/時》には劇しい議論をした。熱い熱い感情は鉄火のや《よ》うな量のある愛に燃えていた。ときには根津權現の境内やBARの卓《テーブル》の上で詩作をしたりした。私は私で極度の貧しさと戦ひ《い》ながらも盃は唇を離れなかつ《っ》た。そしていつも此友《この友》にやつ《っ》かいをかけた。  間もなく友は友の故郷へ私《/私》は私の国へ《へ’》帰つ《っ》た。そして端なく私どもの心持《心持ち》を結びつけるために『卓上噴水』といふ《う》ぜいたくな詩《-し》の雑誌を出したが三冊《/三冊》でつぶれた。  私どもが此《こ》の雑誌が出なくなつ《っ》てからお互《互い》にまた逢ひ《い》たくなつ《っ》たのである。友は私の生国に私を訪問することになつ《っ》た。私のかいた海岸や砂丘《/砂丘》や静《/静》かな北国の街々なぞの景情が友《/友》を遠い旅中の人として私《/私》の故郷を訪づ《ず》れた。私が三年前に友の故郷を友とつ《連》れ立つ《っ》て歩いたや《よ》うに、私は友をつれて故郷の街や公園を紹介した。私のいるうすくらい寺院を友《/友》は私のいさ《そ》うな処《ところ》だと喜んだ。または廓《クルワ》の日ぐれどきにあちこち動く赤襟の美しい姿を珍らしがつ《っ》た。または私が時々に行く海岸の尼寺をも案内した。そこの砂山を越えて遠い長い渚を歩いたりして荒《/荒》い日本海をも紹介した。それらは私どもを子供のや《よ》うにして楽《/楽》しく日をくらさせた。そのころ私は愛していた一少女をも紹介した。  友は間もなく|かへつ《帰っ》た。それから友からの消息はばつ《っ》たりと絶えた。友の肉体や思想の内部にいろいろの変化が起つ《っ》たのも此時《この時》からである。手紙や通信はそれからあとは一つも来なかつ《っ》た。私は哀しい気がした。あの高い友情は今友《いま友》の内心から突然に消え失せたとは思へ《え》なかつ《っ》た。あのや《よ》うな烈しい愛と熱とがもう私と友とを昔日のや《よ》うに結びつけることが出来なくなつ《っ》たのであら《ろ》うか。私には然《そ》う思へ《え》なかつ《っ》た。  『竹』といふ詩《-し》が突然に発表された。からだぢ《じゅ》うに巣喰つ《っ》た病気が腐れた噴水のや《よ》うに、友の詩《-し》を味ふ《わう》私を不安にした。友の肉体と魂とは晴《/晴》れた日に|あをあを《青々》と|伸上つ《伸び上がっ》た『竹』におびやかされた。竹を感じる力は友の肉体の上にまで重量を加へ《え》た。|かれ《彼》は、からだぢ《じゅ》う竹が生えるや《よ》うな神経系統にぞくする恐竹病《キョウチク病》に|おそは《襲わ》れた。そしてまた友の肉体に潜んだいろいろな苦悶と疾患とが、友を非常な神経質な針《/針》のさきのや《よ》うなちくちくした痛みを絶えず経験させた。 ◇。◇。◇。  ながい疾患の|いた《痛》みから、  その顔は|くも《蜘蛛》の巣だらけとなり、  腰から下は影のや《よ》うに消えてしまひ《い》、  腰から上には藪が生え、  手が腐れ  身体いちめんがじつにめちや《ゃ》くちや《ゃ》なり、  ああ、|けふ《今日》も月が出で、  有明の月が空に出《い》で、  そのぼんぼりのや《よ》うなうすらあかりで、  畸形の白犬が吠えている。  しののめちかく、  さみしい道路の方《ほう》で吠える犬だよ。 ◇。◇。◇。  私はこの詩《-し》を読んで永い|間考へ《あいだ考え》た。あの利根川の|ほとり《畔》で土筆やたんぽぽ又《/又》は匂ひ《い》高い叙情小曲なぞをかいた此《/こ》れが紅顔の彼の詩《-し》であら《ろ》うか。かれの心も姿もあまりに変《変わ》り果てた。|かれ《彼》はきみの|わる《悪》い畸形の犬がぼうぼうと吠える月夜をぼ《/ぼ》んぼりのや《よ》うに病みつかれて歩いている。ときは春の終りのころでもあら《ろ》うか。二年にもあまる永い病気がすこしよくなりかけ、ある生ぬるい晩を歩きにでると世《/世》の中がすつ《っ》かり|変化つ《変わっ》てしまつ《っ》たや《よ》うに感じる。永遠といふ《う》ものの力が自分のからだを外にしても斯《こ》うして空と地上とに何時《いつ》までもある。道路の方《ほう》で白い犬が、ゆめのや《よ》うなミスティックな響《響き》をもつ《っ》てぼうぼうと吠えている。そして自分の頭《頭’》がいろいろな病《病い》のために白痴のや《よ》うにぼんやりしている。ああ月が出ている。  私は次の頁をかへ《え》す。 ◇。◇。◇。  |とほ《遠》く渚の方《ほう》を見わたせば、  ぬれた渚路《渚ぢ》には、  腰から下のない病人の列があるいている、  ふらりふらりと歩いている。 ◇。◇。◇。  彼にとつ《っ》ては総てが変態であり恐怖《/恐怖》であり幻惑《/幻惑》であつ《っ》た。かれの静かな心にうつつ《っ》てくるのは、|かれ《彼》の病みつかれた顔や手足にまつは《わ》る悩ましい蜘蛛の巣である。彼は殆んど白痴に近い感覚の最《/最》も発作の静まつ《っ》た時にすら、その指さきからきぬいとのや《よ》うなものの垂れるのを感じる。その幻覚は|かれ《彼》の魂を慰める。ああ蒼白《ソウハク》なこの友が最《/最》もふしぎに最《/最》も自然に自分の指をつくづく眺めているのに出会して涙《/涙》なきものがいようか。私と向ひ《かい》合つ《っ》た怜悧な眼付《眼付き》はどんよりとして底深《底ぶか》いところから静かに実に不審な病夢《ビョウム》を見ているのである。  それらの詩篇が現は《わ》れると間もなく又ばつ《っ》たり作がなかつ《っ》た。私のとこへも通信もなかつ《っ》た。私から求めると今私《今’私》に手紙をくれるなとばかり何事《ナニゴト》も物語らなかつ《っ》た。た《と》うとう一年ばかり彼は誰にも会は《わ》なかつ《っ》た。|かれ《彼》にとつ《っ》て凡《すべ》ての風景や人間がもう平気で見ていられなくなつ《っ》た。ことに人を怖れた。まがりくねつ《っ》て犬のや《よ》うに病んだ心と、人間のもつ《っ》とも深い罪や科《トガ》やに対して彼《/彼》は自らを祈るに先立つ《っ》て、その祈りを犯されることを厭うた。ひとりでいることを、ひとりで祈ることを、ひとりで苦しみ考へ《え》ることを、ああ、その間《あいだ》にも彼の疾患は辛い辛《-つら》い痛みを加へ《え》た。|かれ《彼》はヨブのや《よ》うな苦しみを試みられているや《よ》うでもあつ《っ》た。なぜに自分はかや《よ》うに肉体的に病み苦しまなければならないかとさへ《え》叫んだ。  |かれ《彼》にとつ《っ》て或る一点を凝視するや《よ》うな祈祷の心持《心持ち》! どうにかして自分の力を、今持つ《っ》ている意識を|最つ《もっ》と高くし|最つ《”もっ》と良くするためにも此疾患《この疾患》を追ひ《い》出してしまひ《い》たいとする心持《心持ち》! この一巻の詩《-し》の精神は、ここから発足しているのであつ《っ》た。 ◇。◇。◇。  彼の物語の深さ《さ’》はものの内臓にある。くらい人間のお腹にぐにや《ゃ》ぐにや《ゃ》に|詰つ《詰まっ》たいろいろな機械の病んだもの腐《/腐》れかけたもの死《/死》にさ《そ》うなものの類ひ《い》が今光《いま光》の方面を向いている。光の方《ホウ》へ。それこそ彼の求めている一切である。彼の詩《-し》のあやしさはポオ《ー》でもボドレエ《ー》ルでもなかつ《っ》た。それはとうてい病んだものでなければ窺知することのできない特種な世界であつ《っ》た。彼は祈つ《っ》た。|かれ《彼》の祈祷は詩《-し》の形式であり懺悔の器でもあつ《っ》た。 ◇。◇。◇。  天上の松《’松》を恋ふ《う》るより、  祈れるさまに吊されぬ ◇。◇。◇。  といふ《う》天上縊死の一章《1章》を見ても、どれだけ彼が苦しんだことかが判る。|かれ《彼》の詩《-し》は子供が|ははおや《母親》の白い大きい胸にすがるや《よ》うに|すなほ《素直》な極《/極》めて懐しいものも其疾患《その疾患》の絶え間絶え間に物語られた。  萩原君《萩原くん》。  私はここまで書いて此《こ》の物語が以前に送つ《っ》た跋文にくらべて、どこか物足りなさを感じた。君がふとしたことから跋文を紛失したと青い顔をして来たときに思つ《っ》た。あれは再度かけるものではない。かけても其書《その書》いていたときの熱情と韻律とが二度と浮んでこないことを苦しんだ。けれどもペンをとると一気に十枚ばかり書いた。けれどもこれ以上書けない。これだけでは兄《ケイ》の詩集をけがすに過ぎぬ。一つは兄《ケイ》が私の跋文を紛失させた罪もあるが。  唯私《ただ私》はこの二度目の此《こ》の文章をかいて知つ《っ》たことは、兄《ケイ》の詩《-し》を余りに愛し過ぎ、兄《ケイ》の生活をあまりに知り過ぎているために、私に批評が出来ないや《よ》うな気がすることだ。思へ《え》ば私どもの交つ《わっ》てからもう五六年《五’六年》になるが、兄《ケイ》は私にとつ《っ》ていつもよい刺戟と鞭撻を与へ《え》てくれた。あの奇怪な『猫《猫’》』の表現の透徹した心持《心持ち》は、幾度となく私の模倣したものであつ《っ》たが物《/物》にならなかつ《っ》た。兄《ケイ》の繊細な恐《/恐》ろしい過敏な神経質な|もの《物》の|見かた《見方》は、いつもサイコロジカルに滲透していた。そこへは私は行か《こ》うとして行けなかつ《っ》たところだ。  兄《ケイ》の健康は今兄《今ケイ》の手にもどら《ろ》うとしている。兄《ケイ》はこれからも変化するだら《ろ》う。兄《ケイ》のあつい愛は兄《/ケイ》の詩《-し》をますます砥《-と》ぎすました者にするであら《ろ》う。兄《ケイ》にとつ《っ》て病多《病い多》い人生がカ《/カ》ラリと晴れ上つ《がっ》て兄《ケイ》の肉体を温めるであら《ろ》う。私は兄《ケイ》を福祉する。兄《ケイ》のためにこの人類のすべてが|最つ《もっ》と健康な幸福を与へ《え》てくれるであら《ろ》う。そして兄《ケイ》が此《こ》の悩ましくも美しい一巻を抱いて街頭に立つとしたらば、これを読むものはどれだけ兄《ケイ》が苦しんだかを理解するや《よ》うになる。此《こ》の数多い詩篇をほんとに解るものは、兄《ケイ》の苦しんだものを又必然苦《また必然苦》しまねばならぬ。そして皆は兄《ケイ》の蒼白《ソウハク》な手をとつ《っ》て親《/親》しく微笑《微笑’》して更《/さ》らに健康と勇気《/勇気》と光《/光》との世界を求めるや《よ》うになるであら《ろ》う。更《さ》らにこれらの詩篇によつ《っ》て物語られた特異な世界と、人間の感覚を極度までに繊細に鋭どく働かしてそ《/そ》こに神経ばかりの|仮令へ《/例え》ば歯痛のごとき苦悶を最《/最》も|新ら《新》しい表現と形式によつ《っ》たことを皆は認めるであら《ろ》う。  も《もう》一歩進んで言へ《え》ば君《/君》ほど日本語に|かげ《蔭》と深さを注意したものは私《/私》の知るかぎりでは今までには無かつ《っ》た。君は言葉よりもその|かげ《蔭》と量《/量》と深《/深》さとを音楽的な才分とで創造した。君は楽器で表現できないリズムに注意深い耳を|もつ《持っ》ていた。君自らが音楽家であつ《っ》たといふ《う》事実をよそにしても、|いろはにほへ《イロハニホヘ》を鍵盤にした最《/最》も進んだ詩人の一人であつ《っ》た。  ああ君の魂に祝福あれ。  大声でし《/し》かも地響のする声量で私は呼ぶ。健康なれ! おお健康なれ! と。 【千九百十六年十二月十五日深更】 【東京郊外田端にて】 【室生犀星】 ◇。◇。◇。 【故田中恭吉氏《故/田中恭吉氏》の芸術に就いて】 ◇。◇。◇。  雑誌「月映《ツキバエ》」を通じて、私が恭吉氏の芸術を始めて知つ《っ》たのは、今から二年ほど以前のことである。当時、私があの|素ば《素晴》らしい芸術に接して、どんなに驚異と嘆美の瞳をみはつ《っ》たかと言ふ《う》ことは、殊更|らに《に》言ふ《う》までもないことであら《ろ》う。実に私は自分の求めている心境の世界の一部分を、田中氏の芸術によつ《っ》て一層はつ《っ》きりと凝視することが出来たのである。  その頃、私は自分の詩集の装幀や挿画《挿絵》を依頼する人を物色して居た際なので、この|新ら《新》しい知己を得た悦びは一層深甚《一層’深甚》なものであつ《っ》た。まもなく恩地孝氏《恩地タカシ氏》の紹介によつ《っ》て私と恭吉氏《恭吉シ》とは、互《互い》にその郷里から書簡を往復するや《よ》うな間柄になつ《っ》た。  幸《幸い》にも、恭吉氏は以前から私の詩《-し》を愛読して居られたので、二人の友情はたちまち深い所まで進んで行つ《っ》た。当時、重患の病床中にあつ《っ》た恭吉氏は、私の詩集の計画をきいて自分《/自分》のことのや《よ》うに悦んでくれた。そしてその装幀と挿画《挿絵》のために、《、/》彼のすべての「生命の残部」を傾注することを約束された。  とはいへ《え》、それ以来、氏からの消息はばつ《っ》たり絶えてしまつ《っ》た。そして恩地氏からの手紙では「いよいよ恭吉の最後も近づいた」といふ《う》ことであつ《っ》た。それから|暫ら《暫》くして或日突然《ある日突然》、恩地氏から一封《イップウ》の書留小包が届いた。それは恭吉氏の私のために傾注しつくされた「生命の残部」であつ《っ》た。床中で握りつめながら死んだといふ《う》傷ましい形見の遺作であつ《っ》た。私はきびしい心でそれを押戴《押し戴》いた。(この詩集に挿入した金泥の口絵と、赤地《アカジ》に赤《/赤》いインキで薄く画いた線画がその形見である。この赤い絵は、劇薬を包む赤い四角の紙に赤《/赤》いインキで描かれてあつ《っ》た。恐らくは未完成の下図であつ《っ》たら《ろ》う。非常に緊張した鋭どいものである。その他の数葉《スウヨウ》は氏《’氏》の遺作集から恩地君が選抜した。)  恭吉氏は自分の芸術を称して、自ら「傷める芽」と言つ《っ》て居た。世にも稀有な鬼才をもちながら、不幸にして現代に認められることが出来ないで、あまつさへ《え》その若い生涯の殆んど全部を不治の病床生活に終つ《っ》て寂《/寂》しく夭死して|仕舞つ《しまっ》た無名の天才画家のことを考へ《え》ると、私は胸に釘をうたれたや《よ》うな苦《/苦》しい痛みをかんずる。  思ふ《う》に恭吉氏の芸術は「傷める生命《命》」そのもののやるせない絶叫であつ《っ》た。実に氏の芸術は「語る」といふ《う》のではなくして、殆んど「絶叫」に近いほど張りつめた生命の苦喚の声であつ《っ》た。私は日本人の手に成つ《っ》たあらゆる芸術の中で、氏の芸術ほど真《シン》に生命的な、恐ろしい真実性にふれたものを、他に決して見たことはない。  恭吉氏の病床生活を通じて、《、/》彼の生命を悩ましたものは、その異常なる性慾の発作と、死に面接する絶えま《間》なき恐怖であつ《っ》た。  就中《なかんずく》、その性慾は、ああした病気に特有な一種の恐ろしい熱病的執拗をもつ《っ》て、絶えず此《こ》の不幸な青年を苦しめたものである。恭吉氏の芸術に接した人は、そのありとあらゆる線が、無気味にも悉く「性慾の嘆き」を語つ《っ》て居る事に気がつくであら《ろ》う。それらの異常なる絵画は、見る人にとつ《っ》ては真《シン》に戦慄すべきものである。 「|押へ《押さえ》ても|押へ《押さえ》ても|押へ《押さえ》きれない性慾の発作」それは|むざむざ《ムザムザ》と彼の若い生命を喰ひ《い》つめた悪魔の手であつ《っ》た。しかも身動きも出来ないや《よ》うな重病人にとつ《っ》て、か《こ》うした性慾の発作が何になら《ろ》うぞ。彼の芸術では、凡《すべ》ての線が此《こ》の「対象の得られない性慾」の悲しみを訴へ《え》て居る。そこには気味《キミ》の悪いほど深酷《深刻》な音楽と祈祷とがある。  襲ひ《い》くる性慾の発作のまへ《え》に、《、/》彼はいつも瞳を閉ぢ《じ》て低く唄つ《っ》た。 ◇。◇。◇。 【こころよ◇ こころよ◇ しづまれ◇ しのびて◇ しのびて◇ しのべよ】 ◇。◇。◇。  何《なん》といふ《う》善良な、至純な心根をもつ《っ》た人であら《ろ》う。たれかこのいぢ《じ》らしい感傷の声をきいて涙を流さずに居《-い》られよう。  一方、か《こ》うした肉体の苦悩に呪は《わ》れながら、一方に彼はまた、眼のあたり死に面接する絶えまなき恐怖に襲は《わ》れて居た。彼はどんなに死を恐れて居たか解らない。「とても取り返すことの出来ない生」を取り返さ《そ》うとして、墓場の下から身を|起さ《起こそ》うとして無益に焦心する、悲しい|たましひ《魂》のすすりなきのや《よ》うなものが、《、/》彼の不思議の芸術の一面であつ《っ》た。そこには深い深い絶望の嗟嘆と、人間の心のどん底からにじみ出た恐ろしい深酷《深刻》なセンチメンタリズムとがある。  併《しか》し此等《これら》のことは、私がここに拙悪な文章で紹介するまでもないことである。見る人が、《、/》彼の芸術を見さへ《え》すれば、何もかも全感的に解ることである。すべて芸術をみるに、その形状や事実の概念を離れて、直接その内部生命であるリズムにまで触感《ショッ感》することの出来る人にとつ《っ》ては、一切の解説や紹介は不要なものにすぎないから。  要するに、田中恭吉氏の芸術は「異常な性慾のなやみ」と「死に面接する恐怖」との感傷的交錯である。  もちろん、私は絵画の方面では、全く智識のない素人であるから、専門的の立場から観照的に氏《シ》の芸術の優劣を批判することは出来ない。ただ私の限りなく氏を愛敬してその夭折を傷む所以は、勿論、氏の態度や思想や趣味性に私と共鳴する所の多かつ《っ》たにもよるが、それよりも更に大切なことは、氏の芸術が真《シン》に恐ろしい人間の生命そのものに根ざした絶叫であつ《っ》たと言ふ《う》ことである。そしてか《こ》うした第一義的の貴重な創作を見ることは、現代の日本に於《於い》ては、極めて極めて特異な現象であるといふ《う》ことである。 【萩原朔太郎】 ◇。◇。◇。 【底本:「現代詩文庫◇ 1009◇ 萩原朔太郎」思潮社】 【1975(昭和50)年10月10日発行】 【入力:福田芽久美】 【校正:野口英司】 【1998年8月28日公開】 【2018年12月18日修正】 【青空文庫作成ファイル:】  このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https|://《コロン/スラッシュスラッシュ》www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。