◇。◇。◇。 【月に吠える】 【萩原朔太郎】 ◇。◇。◇。 【従兄弟◇ 萩原栄次氏に-ささぐ】 ◇。◇。◇。 【序】 ◇。◇。◇。  萩原君。  何と云っても私は君を愛する。そうして室生君を。それは何と云っても素直な優しい’愛だ。いつまでもそれは永続するもので、いつでも同じ温かさをたもってゆかれる愛だ。この三人の生命を通じ、よしそこに/それぞれ天稟の相違はあっても、何と云っても自ずからひとつ流れの交感がある。私は君たちを思う時、いつでも同じ泉の底から/更に新らしく湧き出してくる水の涼しさを感ずる。限りな-き親しさと驚きの眼を以って/私は君たちの喜びと悲しみとを理会する。そうして以心伝心に同じ哀憐の情が/三人の上にますます深められてゆくのを感ずる。それは互いの胸の奥底に/直接に互いの手を触れ得るたった一つの尊いものである。 ◇。◇。◇。  私は君をよく知っている。そうして室生君を。そうして君たちの-しと/その-しの生いたちとをよく知っている。『朱欒』のむかしから親しく/君たちは私に/君たちの心を開いてくれた。いい意味に於いてその後もわれわれの心の交流は常住’新鮮であった。恐らく今後に於いても。それは廻り澄む3つの独楽が/今やまさに相触れむとする刹那の静謐である。そこには限りの知られぬ慄きがある。むろん三つの生命は確実に三つの据わりをたもっていなければならぬ。しかるのちにそれぞれ-すみきるのである。微妙な接吻がそののちに来る。同じ単純と誠実とを以って。しかも互の動悸を聴きわけるほどの澄徹さを以って。幸いに君たちの生命も玲瓏乎としている。 ◇。◇。◇。  室生君と同じく/君もまた生まれた詩人の一人である事は誰も否むわけにはゆくまい。私は信ずる。そうして君の異常な神経と感情の所有者である事も。たとえばそれは憂鬱な香水に深く涵した剃刀である。しかもその予覚は常に来るべき悲劇に向かって顫えている。しかしそれは恐らく凶悪自身の為に使用されると云うよりも、凶悪に対する自衛、もしくは自分自身に向けらるる懺悔の刃となる種類のものである。何故なれば、君の感情は恐怖のイッ刹那に於いて、まさしく’君の肋骨の一本一本をも数え得るほどの鋭さを持っているからだ。  しかしこの剃刀は幾分’君の好奇な趣味性に匂いづけられている事も本当である。時には安らかに/それで以って君は君の薄い髯を当たる。 ◇。◇。◇。  清純な凄さ、それは君の-しを読むものの誰しも認め得る特色であろう。しかしそれは室生君の云う通り、ポーやボードレールの凄さとは違う。君は寂しい、君は正直で、清楚で、透明で、もっと細かにぴちぴち動く。少くとも彼等の絶望的な-くらさや頽廃した幻覚のマスイは無い。宛然’凉しい水銀の鏡に映る剃刀のひらめきである。その鏡に映るものは真実である。そしてそこには玻璃製の上品な市街や青空やが映る。そうして恐るべき殺人事件が突如として映ったり、素敵に気の利いた探偵が走ったりする。 ◇。◇。◇。  君の気稟はまた例えば地面に直角に立つ一本の竹である。その細い幹は鮮やかな青緑で、その葉は華奢でこまかに動く。たった一本の竹、竹は天を直観する。しかもこの竹の感情はすべてその根に沈潜して行くのである。根の根の細かな繊毛の/その分かれの殆ど有るかなきかの毛の先のイルミネエション、それがセンチメンタリズムの極致とすれば、その毛の尖端にかじりついて泣く男、それは病気の朔太郎である。それは君も認めている。 ◇。◇。◇。 「しは神秘でも象徴でも何でも無い。しは’ただ病める魂の所有者と孤独者との寂しい慰めである」と君は云う。まことに君が一本の竹は/水面にうつる己が影を/神秘とし象徴として不思議がる以前に、本当の竹、本当の自分自身を切に痛感するであろう。鮮純なリズムのすすり泣きはそこから来る。そうしてその葉/その根の先まで光り出す。 ◇。◇。◇。  君の霊魂は私の知っている限りまさしく蒼い顔をしていた。殆ど病み暮らしてばかりいるように見えた。しかしそれは真珠貝の生身が/一顆小砂に擦られる痛さである。痛みが突きつめれば突きつめるほど小砂は真珠になる。それが本当の生身であり、/生身から滴らす粘液が/本当の苦しみからにじみ出たものである事は、君の-しが証明している。 ◇。◇。◇。  外面的に見た君も/極めて痩せて尖っている。そうしてその手足が常に鋭角に動く、まさしく竹の感覚である。しかも突如として電流体の感情が頭から足の爪先まで震わす時、君はぴょんぴょん跳ねる。そうでない時の君は”いつも眼から涙がこぼれ落ちそうで、何かに縋りつきたいふうである。  潔癖で我が儘なお坊っちゃんで(この点は私とよく似ている)そのくせ寂しがりの、いつも白い神経を露わに顫えさしている人だ。それは電流の来ぬ前の/電球の硝子の中の顫えてやまぬ竹の線である。 ◇。◇。◇。  君の電流体の感情は/あらゆる液体を固体に凝結せずんばやまない。竹の葉の水気が集まって/一滴の露となり、腐れた酒の蒸気が冷たいランビキの玻璃に/透明な酒精の雫を形づくるまでの/それ自身の洗練はかりそめのものではない。君のセンチメンタリズムの信条は”まさしく木炭が金剛石になるまでの永い永い時の長さを、一瞬のマに縮める、この凝念の強さであろう。摩訶不思議なるこの真言の秘密は’ただ詩人のみが知る。 ◇。◇。◇。  月に吠える、それはまさしく’君の悲しい心である。冬になって私のところの白い小犬もいよいよ吠える。昼のうちは空に一羽の雀が啼いても吠える。夜は’なおさらきらきらと霜が下りる。霜の下りる声まで嗅ぎ知って吠える。天を仰ぎ、真実に地べたに生きているものは悲しい。 ◇。◇。◇。  ぴょうぴょうと吠える、何かがぴょうぴょうと吠える。聴いていてさえも身の痺れるような/寂しい遣瀬ないコエ、その声が今夜も向こうの竹林を透かしてきこえる。降り注ぐものは新鮮な竹の葉に雪のごとく結晶し、君を思えば蒼白い月天が/いつもその上にかかる。 ◇。◇。◇。  萩原君。  何と云っても私は君を愛する。そうして室生君を。君は私より二つ年下で、室生君は君よりまた二つ年下である。私は私より少しでも年若く、私より更に新らしく生まれて来た二つのあい似た霊魂の為めに祝福し、更に甚深な肉親の交歓に酔う。  また更に君と室生君との芸術上の熱愛を思うと涙が流れる。君の歓びは室生君の歓びである。そうしてまた私の歓びである。  この機会を利用して、私は更に君に讃嘆の辞を贈る。 【大正六年一月十日】 ◇。◇。◇。 【葛飾の紫烟草舎にて】 【北原白秋】 ◇。◇。◇。 【序】 ◇。◇。◇。  詩の表現の目的は単に情調のための情調を表現することではない。幻覚のための幻覚をえがくことでもない。同時にまたある種の思想を宣伝’演繹することのためでもない。詩の本来の目的は”むしろそれらの者を通じて、/人心の内部に顫動する所の感情そのものの本質を凝視し、かつ感情をさかんに流露させることである。 ◇。◇。◇。  しとは感情の神経を掴んだものである。生きて働く心理学である。 ◇。◇。◇。  すべてのよい叙情詩には、理屈や言葉で説明することの出来ない/一種の美感が伴う。これを-しの匂いという。(人によっては気韻とか気稟とかいう)/匂いは-しの主眼とする陶酔的気分の要素である。したがってこの匂いの稀薄な-しは韻文としての価値のすくないものであって、言はば香味を欠いた酒のようなものである。こういう酒を私は好まない。  詩の表現は素朴なれ、しの匂いは芳純でありたい。 ◇。◇。◇。  私の-しの読者にのぞむ所は、しの表面に表われた概念や「ことがら」ではなくして、内部の核心である感情そのものに感触してもらいたいことである。私の心の「かなしみ」「よろこび」「さびしみ」「おそれ」:その他言葉や文章では言い現わしがたい複雑した特種の感情を、私は自分の-しのリズムによって表現する。しかしリズムは説明ではない。リズムは以心伝心である。そのリズムを無言で感知することの出来る人とのみ、私は手をとって語り合うことができる。 ◇。◇。◇。  『どういうわけでうれしい?』という質問に対して人は容易にその理由を説明することができる。けれども『どういう工合にうれしい』といふ問いに対しては/何ピトもたやすくその心理を説明することは出来ない。  思うに人間の感情というものは、極めて単純であって、同時に極めて複雑したものである。極めて普遍性のものであって、同時に極めて個性的な特異なものである。  どんな場合にも、人が自己の感情を完全に表現しようと思ったら、それは容易のわざではない。この場合には言葉は何の役にもたたない。そこには音楽と-しがあるばかりである。 ◇。◇。◇。  私はときどき不幸な狂スイ病者のことを考える。  あの病気にかかった人間は非常に水を恐れるということだ。コップに盛った一杯の水が絶息するほど恐ろしいというようなことは、どんなにしても我々には想像のおよばないことである。  『どういうわけで水が恐ろしい?』『どういう工合に水が恐ろしい?』これらの心理は、我々にとっては只々’不可思議千万のものというのほかはない。けれどもあの患者にとってはそれがなによりも真実な事実なのである。そしてこの場合にもしその患者自身が‥‥なんらかの必要に迫られて‥:‥この苦しい実感をボウジンに向って説明しようと試みるならば(/それはずいぶん有りそうに思われることだ。もしボウジンがこの病気について特種の智識をもたなかった場合には/彼に対してどんな惨酷な悪戯が行われないとも限らない。こんな場合を考えると私は戦慄せずには居られない。)患者自身はどんな手段をとるべきであろう。恐らくはどのような言葉の説明を以ってしても、この奇異な感情を表現することは出来ないであろう。  けれども、もし彼に詩人としての才能があったら、もちろん彼は-しを作るにちがいない。しは人間の言葉で説明することの出来ないものまでも説明する。しは言葉以上の言葉である。 ◇。◇。◇。  狂スイ病者の例は極めて特異の例である。けれどもまた同時に極めてありふれた例でもある。  人間は一人一人にちがった肉体と、ちがった神経とをもって居る。吾のかなしみは彼のかなしみではない。彼のよろこびは我のよろこびではない。  人は一人一人では、いつも永久に、永久に、恐ろしい孤独である。  原始以来、神は幾億万人という人間を造った。けれども全く同じ顔の人間を、決して二人とは作りはしなかった。人は誰でも単位で生まれて、永久に単位で死ななければならない。  とはいえ、我々は決してぽつねんと切り離された宇宙の単位ではない。  我々の顔は、我々の皮膚は、一人一人にみんな異って居る。けれども、実際は一人一人にみんな同一のところをもって居るのである。この共通を人間同志の間に発見するとき、人類間の『道徳』と『愛』とが生まれるのである。この共通を人類と植物との間に発見するとき、自然間の『道徳』と『愛』とが生まれるのである。そして我々はもはや永久に孤独ではない。 ◇。◇。◇。  私のこの肉体とこの感情とは、もちろん世界中で私一人しか所有して居ない。またそれを完全に理解している人も一人しかない。これは極めて極めて特異な性質をもったものである。けれども、それはまた同時に、世界中の何ぴとにも共通なものでなければならない。この特異にして共通なる個々の感情の焦点に、詩歌のほんとの『よろこび』と『秘密性』とが存在するのだ。この道理を離れて、私は自ら-しを作る意義を知らない。 ◇。◇。◇。  しは一瞬間に於ける霊智の産物である。ふだんに持っている所のある種の感情が、電流体の如きものに触れて/始めてリズムを発見する。この電流体は詩人にとっては奇蹟である。しは予期して作らるべき者ではない。 ◇。◇。◇。  以前、私は-しというものを神秘のように考えて居た。ある霊妙な宇宙の聖霊と/人間の叡智との交霊作用のようにも考えて居た。あるいはまた不可思議な自然の謎を解くための鍵のようにも思って居た。しかし今から思うと、それは笑うべき迷信であった。  しとは、決してそんな奇怪な鬼のようなものではなく、実は却って我々とは親しみ易い/兄妹や愛人のようなものである。  私どもは時々、不具な子供のようないじらしい心で、部屋の暗い片隅にすすり泣きをする。そういう時、ぴったりと肩により添いながら、ふるえる自分の心臓の上に、やさしい手をおいてくれる乙女がある。その看護婦の乙女が-しである。  私は-しを思うと、烈しい人間のなやみとそのよろこびとをかんずる。  しは神秘でも象徴でも鬼でもない。しは’ただ、病める魂の所有者と孤独者との寂しいなぐさめである。  しを思うとき、私は人情のいじらしさに自然と涙ぐましくなる。 ◇。◇。◇。  過去は私にとって苦しい思い出である。過去は焦躁と無為と悩めるシンニクとの不吉な悪夢であった。  月に吠える犬は、自分の影に怪しみ恐れて吠えるのである。疾患する犬の心に、月は青白い幽霊のような不吉の謎である。犬は遠吠えをする。  私は私自身の陰鬱な影を、月夜の地上に釘づけにしてしまいたい。影が、永久に私のあとを追ってこないように。 【萩原朔太郎】 ◇。◇。◇。 【詩集例言】 ◇。◇。◇。  1、過去三年以来の創作九十余篇中より叙情詩’五十五篇、及び長篇詩篇’二篇を選びてこの集におさむ。集中の詩篇は主として「地上巡礼」「詩歌」「アルス」「卓上噴水」「プリズム」「感情」及びイチニの地方雑誌に掲載した者の中から抜粋した。そのタ、機会がなくて創作当時発表することの出来なかったものスウヘンを加えた。詩稿はこの集に納めるについて概ね推敲を加えた。 ◇。◇。◇。  1、詩篇の排列順序は必ずしも正確な創作ネン順を追っては居ない。けれども大体に於いては旧稿からはじめて/新作に終わって居る。即ち「竹とその哀傷」「雲雀料理」最も古く、◇「悲しい月夜」これに次ぎ、◇「くさった蛤」「さびしい情慾」等は大抵’同年代の作である。而して「見知らぬ犬」と「長詩’二篇」とは比較的最近の作に属す。 ◇。◇。◇。  1、極めて初期の作で「ザムボア」「創作」等に発表した小曲風のもの、及び「異端」「水甕」「アララギ」「風景」等に発表したニサンの作は/この集では割愛することにした。詩風の関係から詩集の感じの統一を保つためである。 ◇。◇。◇。  すべて初期に属する詩篇は作者にとってはなつかしいものである。それらは機会をみて別の集にまとめることにする。 ◇。◇。◇。  1、この詩集の装幀に就いては、以前著者から田中恭吉氏にお願いして/氏の意匠を煩わしたのである。ところが不幸にしてこの仕事が完成しないうちに田中氏は病死してしまった。そこで改めて恩地タカシ氏にたのんで著者のために田中氏の遺志を次いでもらうことにしたのである。恩地氏は田中氏とは生前’無二の親友であったのみならず、その芸術上の信念を共にすることに於いて/田中氏とは唯一の知己であったからである。(尚、本集の挿画については巻末の附録「挿画附言」を参照してもらいたい。) ◇。◇。◇。  1、詩集出版に関して恩地タカシ氏と前田夕暮氏とには/色々な方面からひとかたならぬ迷惑をかけて居る。二兄の深甚なる好意に対しては深く感謝の意を表する次第である。 ◇。◇。◇。  1、集中ニサンの旧作はモッカの著者の芸術的信念や思想の上から見て飽き足らないものである。しかしそれらの詩篇も過去の道程の記念として貴重なものであるので特に採篇したのである。 ◇。◇。◇。 【再版の序】 ◇。◇。◇。  この詩集の初版は大正六年に出版された。自費の負担で僅かに500部ほど印刷し、うち400部ほど市場に出したが/その年のうちに売り切れてしまった。その後こんにちに到るまでかなり長いあいだ絶版になって居た。私はこれをそのままで絶版にしておこうかと思った。これはこの詩集に珍貴なネを求めたいといふ物好きな心からであった。  しかし私の-しの愛好者は、私が当初に予期したよりも遥かに多数であり”かつ熱心でさえあった。最初’市場に出した少数の詩集は、人々によって手から手へ譲られ/奪い合いの有様となった。古本屋は法外の高価でそれを皆に売りつけて居た。(フ-ルホンの時価は最初の定価の五倍にもなって居た。)私の許へはイクツウとなく未知の人々から手紙が来た。どうにしても再版を出してくれという督促の書簡である。  すべてそれらの人々の熱心な要求に対し、私はいつも心苦しい思いをしなければならなかった。やがて私は自分のつまらぬ物好きを後悔するようになった。そんなにも多数の人々によって示された自分への切実の愛を裏切りたくなくなった。自分は再版の意を決した。しかも私の骨に徹する怠惰癖と物ぐさ根性とは、書肆との交渉を甚だ煩わしいものに考えてしまった。そしておよそこれらの理由からして、こんにちまで長い間この詩集が絶版となって居たのである。  顧みれば詩壇は急調の変化をした。この詩集の初版が初めて世に出た時の詩壇とこんにちの詩壇とは、なんといふ著しい相違であろう。始め私は、友人室生犀星と結んで人魚詩社を起こし/次に感情詩社を設立した。その頃の私等を考えると我ながら情けない次第である。当時の文壇に於いて「し」は文芸の仲間に-いれられなかった。稿料を払って-しを掲載するような雑誌はどこにもなかった。勿論この事実は、しというものが極めて特殊なものであって、一般的の読者を殆んど持たなかったことに基因する。我々の-しが、なぜそんなに民衆から遠ざかって居たか。そこには色々な理由があろう。しかしその最も主なる理由は、時代が久しく自然主義の美学によって誤まられ、叙情的な一切の感情を排斥したことに原因する。しかり、そしてそこにはもちろん真の時代的叙情詩が発生しなかったことも原因である。我々の芸術は日本語の純真性を失っていた。言い代えれば日本的な感情──時代の求めている日本的な感情──が、皮相なる翻訳詩の西洋模倣によって光輝を汚されて居た。我が国の詩人らはリズムを失って居た。かかる芸術は特殊なペダンチズムに属するであろう。そこには「気取り」を悦ぶイチ階級の趣味が満足される。そして一般公衆の生活はこれに関与されないのである。  ともあれ当時の詩壇はかような薄命の状態にあった。しは公衆から顧みられず、文壇は-しを犬小屋の隅に廃棄してしまった。されば私等の仕事には、ある根本的な力が要求された。私等の仕事は、まさに荒寥たる地方に於ける流刑囚の移民の如きものであった。私等はすべてを開墾せねばならなかった。詳説すれば、既に在る一切の物を-こんぽんからくつがえして、新しき最初の土壌を地に盛りあげねばならなかった。即ち私等のした最初の行動は、テットウ徹尾「ジ流への叛逆」であった。当時’自然主義の文壇に於いて最もひどく軽蔑された言葉は、実に「感情」という言葉の響きであった。それゆえ私等は故意にその「呪われたる言葉」をとってシ社の標語とした。それは明白なるジ流への叛逆であり、併せて-しの新興を絶叫する最初の狼煙であったのだ。いわんやまた/しの情想に於いても、表現に於いても、言葉に於いても、まるで私等のスタイルは当時の時流とちがっていた。むしろ私等は流行の裏を突破した。そのため私等の創作は詩壇の正流から異端視され、衆俗からは様々の嘲笑と悪罵とを蒙ったほどである。  しかるに幾程もなく時代の潮流はヘンコウした。さしも暴威を振るった自然主義の美学は、新しいロマン主義の美学によって論駁されてしまった。今や廃れたる一切の情緒が出水のように溢れてきた。再び我が叙情詩の時代が来た。いったん民衆によって閑却された-しは、更にまた彼等の生活にまで帰って来た。しかもこれより先、私等の雑誌『感情』は詩壇の標準時計となって居た。主義に於いても、内容に於いても、殆んど全然『感情』を標準にしたところのパンフレットが続々としてあとからあとから刊行された。正に感情型雑誌の発行は詩壇の一流行であった。なおかつ私等の詩風は詩壇の「時代的流行」にまでなってしまった。先には’反時代的な詩風であり、珍奇な異端的なものであった私等の-しのスタイルは、こんにちでは最も有りふれた一般的な詩風となり、正にそれが時代の流行を示す/通俗のスタイルとまでなってしまって居る。げにやここ数年の間に、我が国の詩壇は驚くべき変化をした。すべてが面目を一新した。そしてすべてが私の「予感の実証」として現実されている。  されば私の詩集『月に吠える』──それは感情詩社の記念事業である──は、まさにこんにちの詩壇を予感した最初の黎明であったにちがひない。およそこの詩集以前にこうしたスタイルの口語詩は一つもなく、この詩集以前にこんにちの如き溌剌たる詩壇の気運は感じられなかった。すべての新しき-しのスタイルはここから発生されて来た。すべての時代的な叙情詩のリズムはここから生まれて来た。即ちこの詩集によって、正に時代は一つのエポックを作ったのである。げにそれは夜明けんとする時の最初の鶏鳴であった。──そして、実に私はこの詩集に対する最大の自信がここにある。 【千九百二十二年二月】 【著者】 ◇。◇。◇。 【竹とその哀傷】 ◇。◇。◇。 【地面の底の病気の顔】 ◇。◇。◇。  地面の底に顔があらわれ、  さみしい病人の顔があらわれ。 ◇。◇。◇。  地面の底のくらやみに、  うらうら’草の茎が萌えそめ、  鼠の巣が萌えそめ、  巣にこんがらかっている、  数知れぬ髪の毛がふるえ出し、  冬至のころの、  さびしい病気の地面から、  ほそい青竹の根が生えそめ、  生えそめ、  それがじつにあわれふかくみえ、  けぶれるごとくに視え、  じつに、じつに、あわれふかげに視え。 ◇。◇。◇。  地面の底のくらやみに、  さみしい病人の顔があらわれ。 ◇。◇。◇。 【草の茎】 ◇。◇。◇。  冬の寒さに、  ほそき毛をもてつつまれし、  草の茎をみよや、  あおらみ茎はさみしげなれども、  いちめんにうすき毛をもてつつまれし、  草の茎をみよや。 ◇。◇。◇。  雪もよいする空のかなたに、  草の茎は’もえいづる。 ◇。◇。◇。 【竹】 ◇。◇。◇。  ますぐなるもの地面に生え、  するどき青きもの地面に生え、  凍れる冬をつらぬきて、  そのみどり葉’光る朝の空ぢに、  なみだたれ、  なみだをたれ、  いまはや懺悔をはれる肩の上より、  けぶれる竹の根は’ひろごり、  するどき青きもの地面に生え。 ◇。◇。◇。 【竹】 ◇。◇。◇。  光る地面に竹が生え、  青竹が生え、  地下には竹の根が生え、  根がしだいに細らみ、  根の先より繊毛が生え、  かすかにけぶる繊毛が生え、  かすかにふるえ。 ◇。◇。◇。  かたき地面に竹が生え、  地上にするどく竹が生え、  まっしぐらに竹が生え、  凍れる節節りん-りんと、  青空のもとに竹が生え、  竹、竹、竹が生え。 ◇。◇。◇。 【○】 ◇。◇。◇。  みよ全ての罪はしるされたり、  されど全ては我にあらざりき、  まことにわれに現われしは、  かげなき青き炎の幻影のみ、  雪の上に消えさる哀傷の幽霊のみ、  ああ/かかる日のせつなる懺悔をも何かせむ、  すべては青き炎の幻影のみ。 ◇。◇。◇。 【すえたる菊】 ◇。◇。◇。  その菊は醋え、  その菊はいたみ滴る、  あわれあれ霜月はじめ、  わがプラチナの手はしなえ、  するどく指をとがらして、  菊をつまむとねがうより、  その菊をば摘むことなかれとて、  かがやく天の一方に、  菊は病み、  饐えたる菊は傷みたる。 ◇。◇。◇。 【亀】 ◇。◇。◇。  林あり、  沼あり、  蒼天あり、  ひとの手にはおもみを感じ  静かに純金の亀’眠る、  この光る、  寂しき自然のいたみにたえ、  ひとの心にまさぐり沈む、  亀は蒼天のふかみに沈む。 ◇。◇。◇。 【笛】 ◇。◇。◇。  仰げばたかき’松が’枝に/琴かけ鳴らす、  おゆびにベニをさしぐみて、  ふくめる琴をかきならす、  ああ◇ かき鳴らすひとづま/琴の音にも’つれぶき、  いみじき笛は天にあり。  きょうの霜夜の空に冴え冴え、  松の梢を光らして、  かなしむものの一念に、  懺悔の姿をあらわしぬ。 ◇。◇。◇。  いみじき笛は天にあり。 ◇。◇。◇。 【冬】 ◇。◇。◇。  つみとがのしるし/天にあらわれ、  ふりつむ雪のうえにあらわれ、  木木の梢にかがやきいで、  ま冬をこえて光るがに、  おかせる罪のしるし”よもに現われぬ。 ◇。◇。◇。  みよや眠れる、  暗き土壌にいきものは、  懺悔の家をぞ’建てそめし。 ◇。◇。◇。 【天上’縊死】 ◇。◇。◇。  遠夜に光る松の葉に、  懺悔の涙したたりて、  遠夜の空にしもしろき、  天上の松に首をかけ。  天上の松を恋うるより、  祈れるさまに吊されぬ。 ◇。◇。◇。 【卵】 ◇。◇。◇。  いと高き梢にありて、  ちいさなる卵ら光り、  仰げば小鳥の巣は光り、  いまはや罪びとの祈るときなる。 ◇。◇。◇。 【雲雀料理】 ◇。◇。◇。  5月の朝の新緑と薫風は私の生活を貴族にする。したたる空色の窓の下で、私の愛する女と共に純銀のフォークを動かしたい。私の生活にもいつかは一度、あの空に光る、雲雀料理の愛の皿を盗んで食べたい。 ◇。◇。◇。 【感傷の手】 ◇。◇。◇。  わが性のセンチメンタル、  あまたある手をかなしむ、  手は常に頭上に踊り、  また胸にひかりさびしみしが、  しだいに夏’衰え、  かえれば燕はや巣を立ち、  大麦はつめたくひやさる。  ああ、都をわすれ、  われすでに胡弓をひかず、  手ははがねとなり、  いんさんとして土を掘る、  いじらしき感傷の手は土をほる。 ◇。◇。◇。 【山居】 ◇。◇。◇。  8月は祈祷、  魚鳥遠くに消え去り、  桔梗いろおとろえ、  しだいにおとろえ、  わが心いたくおとろえ、  悲しみ木陰をいでず、  手に聖書は銀となる。 ◇。◇。◇。 【苗】 ◇。◇。◇。  苗は青空に光り、  子供は土を掘る。 ◇。◇。◇。  生えざる苗をもとめむとして、  あかるき鉢の底より、  われは白き指をさしぬけり。 ◇。◇。◇。 【殺人事件】 ◇。◇。◇。  遠い空でピストルが鳴る。  またピストルが鳴る。  ああ/私の探偵は玻璃の衣裳をきて、  恋人の窓からしのびこむ、  床は晶玉、  指と指との間から、  まっさをの血’がながれている、  悲しい女の屍体の上で、  つめたいキリギリスが鳴いている。 ◇。◇。◇。  しもつき初めのある朝、  探偵は玻璃の衣裳をきて、  街の四辻を曲った。  四辻に秋の噴水、  はやひとり/探偵は’憂いを感ず。 ◇。◇。◇。  みよ、遠いさびしい大理石の歩道を、  曲者はいっさんにすべってゆく。 ◇。◇。◇。 【盆景】 ◇。◇。◇。  ハルナツすぎて手は琥珀、  目は水盤にぬれ、  石は’らんすい、  いちいちに愁いをくんず、  みよ/山水のふかまに、  ほそき滝ながれ、  滝ながれ、  ひややかに魚介は沈む。 ◇。◇。◇。 【雲雀料理】 ◇。◇。◇。  ささげまつる夕べの愛餐、  燭にギョロウのうれいを薫じ、  いとしがり/みどりの窓をひらきなむ。  哀れあれみ空をみれば、  さつきはるばるとながるるものを、  手にわれ雲雀の皿をささげ、  いとしがり/君がひだりにすすみなむ。 ◇。◇。◇。 【掌上の種】 ◇。◇。◇。  われは手のうえに土を盛り、  土’のうえに種をまく、  いま白きジョウロもて土に水をそそぎしに、  水はせんせんとふりそそぎ、  土のつめたさはたなごころの上にぞしむ。  ああ、遠く五月の窓をおしひらきて、  われは手を日光のほとりにさしのべしが、  さわやかなる風景の中にしあれば、  皮膚はかぐわしくぬくもりきたり、  手のうえの種はいとおしげにも息づけり。 ◇。◇。◇。 【天景】 ◇。◇。◇。  静かにきしれ四輪馬車、  ほのかに海はあかるみて、  麦は遠きにながれたり、  静かにきしれ四輪馬車。  光る魚鳥の天景を、  また窓’青き建築を、  静かにきしれ四輪馬車。 ◇。◇。◇。 【焦心】 ◇。◇。◇。  霜ふりてすこしつめたき朝を、  手に雲雀料理をささげつつ歩みゆく乙女あり、  そのとき並木にもたれ、  白粉もてぬられたる女のほそき指と指との隙間をよくよく窺ひ、  このうまき雲雀料理をば盗み食べんと-ほっして、  しきりにも焦心し、  あるひとのごときはあまりに焦心し、まったく合掌せるにおよべり。 ◇。◇。◇。 【悲しい月夜】 ◇。◇。◇。 【かなしいエン景】 ◇。◇。◇。  かなしい薄暮になれば、  労働者にて東京シチュウが満員なり、  それらの憔悴した帽子の蔭が、  町じゅういちめんにひろがり、  あっちの市区でも、こっちの市区でも、  堅い地面を掘っくり返す、  掘り出して見るならば、  煤ぐろい嗅ぎ煙草の銀紙だ。  重さ五匁ほどもある、  匂い菫のひからびきった根っ株だ。  それも本所深川あたりの遠方からはじめ、  おいおい市中いったいにおよぼしてくる。  なやましい薄暮の蔭で、  しなびきった心臓がシャベルを光らしている。 ◇。◇。◇。 【悲しい月夜】 ◇。◇。◇。  ぬすっと犬めが、  くさった波止場の月に吠えている。  魂が耳をすますと、  陰気くさい声をして、  黄いろい娘たちが合唱している、  合唱している、  波止場のくらい石垣で。 ◇。◇。◇。  いつも、  なぜおれはこれなんだ、  犬よ、  青白い不幸せの犬よ。 ◇。◇。◇。 【死】 ◇。◇。◇。  みつめる土の底から、  奇妙奇天烈の手がでる、  足がでる、  くびがでしゃばる、  ショ君、  こいつはいったい、  なんという鵞鳥だい。  みつめる土の底から、  馬鹿づらをして、  手がでる、  足がでる、  くびがでしゃばる。 ◇。◇。◇。 【危険な散歩】 ◇。◇。◇。  春になって、  おれは新しい靴のうらにゴムをつけた、  どんな粗製の歩道をあるいても、  あのいやらしい音がしないように、  それにおれはどっさり壊れものをかかえこんでる、  それがなにより剣呑だ。  さあ、そろそろ歩きはじめた、  みんなそっとしてくれ、  そっとしてくれ、  おれは心配で心配でたまらない、  たとえどんなことがあっても、  おれの歪んだ足つきだけは見ないでおくれ。  おれは絶体’絶命だ、  おれは病気の風船のりみたいに、  いつも憔悴した方角で、  ふらふらふらふらあるいているのだ。 ◇。◇。◇。 【酔っ払いの死】 ◇。◇。◇。  あおむきに死んでいる酔っ払いの、  まっしろい腹のへんから、  えたいのわからぬものが流れている、  透明な青い血漿と、  ゆがんだ多カッケイの心臓と、  腐ったはらわたと、  ラウマチスの爛れた手くびと、  ぐにゃぐにゃした臓物と、  そこらいちめん、  地べたはぴかぴか光っている、  草はするどくとがっている、  すべてがラヂウムのように光っている。  こんなさびしい風景の中にうきあがって、  白っぽけた殺人者の顔が、  草のようにびらびら笑っている。 ◇。◇。◇。 【干からびた犯罪】 ◇。◇。◇。  どこから犯人は逃走した?  ああ、いくねんもいくねんもまえから、  ここに倒れた椅子がある、  ここに兇器がある、  ここに屍体がある、  ここに血’がある、  そうして青ざめた五月の高窓にも、  思いに沈んだ探偵のくらい顔と、  さびしい女の髪の毛とがふるえて居る。 ◇。◇。◇。 【蛙の死】 ◇。◇。◇。  蛙が殺された、  子供がまるくなって手をあげた、  みんな一緒に、  かわゆらしい、  血’だらけの手をあげた、  月が出た、  丘の上に人が立っている。  帽子の下に顔がある。 ◇。◇。◇。 【幼年思慕篇】 ◇。◇。◇。 【くさった蛤】 【なやましきシュンヤの感覚とその疾患】 ◇。◇。◇。 【内部に居る人が畸形な病人に見える理由】 ◇。◇。◇。  わたしは窓かけのレースの蔭に立って居ります、  それがわたくしの顔をうすぼんやりと見せる理由です。  わたしは手に遠眼鏡をもって居ります、  それでわたくしは、ずっと遠いところを見て居ります、  ニッケル製の犬だの羊だの、  あたまのはげた子供たちの歩いている林をみて居ります、  それらがわたくしの目を、いくらかかすんでみせる理由です。  わたくしは今朝キャベツの皿を食べすぎました、  そのうえこの窓硝子は非常に粗製です、  それがわたくしの顔をこんなに甚だしく歪んで見せる理由です。  じっさいのところを言えば、  わたくしは健康すぎるぐらいなものです、  それだのに、なんだって’君は、そこで私をみつめている。  なんだってそんなに薄キミわるく笑っている。  おお、もちろん、わたくしの腰から下ならば、  そのへんがはっきりしないというのならば、  いくらか馬鹿げた疑問であるが、  もちろん、つまり、この青白い窓の壁にそうて、  家の内部に立っているわけです。 ◇。◇。◇。 【椅子】 ◇。◇。◇。  椅子の下にねむれるひとは、  大いなる家をつくれるひとの子供らか。 ◇。◇。◇。 【シュンヤ】 ◇。◇。◇。  浅蜊のようなもの、  蛤のようなもの、  ミヂンコのようなもの、  それら生き物の身体は砂にうもれ、  どこからともなく、  絹いとのような手が無数に生え、  手のほそい毛が浪のまにまにうごいている。  哀れこの生温かい春の夜に、  そよそよと潮水ながれ、  生き物の上に水ながれ、  貝類の舌も、ちらちらとして燃え哀しげなるに、  遠く渚のほうを見わたせば、  ぬれた渚ぢには、  腰から下のない病人の列があるいている、  ふらりふらりと歩いている。  ああ、それら人間の髪の毛にも、  春の夜の霞’一面に深くかけ、  よせくる、よせくる、  この白き浪の列はさざなみです。 ◇。◇。◇。 【バクテリヤの世界】 ◇。◇。◇。  バクテリヤの足、  バクテリヤの口、  バクテリヤの耳、  バクテリヤの鼻、 ◇。◇。◇。  バクテリヤがおよいでいる。 ◇。◇。◇。  あるものは人物の胎内に、  あるものは貝類の内臓に、  あるものは玉葱の球心に、  あるものは風景の中心に。 ◇。◇。◇。  バクテリヤがおよいでいる。 ◇。◇。◇。  バクテリヤの手は左右十文字に生え、  手のつまさきが根のようにわかれ、  そこからするどい爪が生え、  毛細血管の類いはべたいちめんにひろがっている。 ◇。◇。◇。  バクテリヤがおよいでいる。 ◇。◇。◇。  バクテリヤが生活するところには、  病人の皮膚をすかすように、  べにいろの光線がうすくさしこんで、  その部分だけほんのりとしてみえ、  じつに、じつに、かなしみ耐えがたく見える。 ◇。◇。◇。  バクテリヤがおよいでいる。 ◇。◇。◇。 【およぐひと】 ◇。◇。◇。  およぐひとのからだは斜めにのびる、  2本の手はながくそろえてひきのばされる、  およぐひとの心はクラゲのようにすきとおる、  およぐひとの目はつりがねの響きをききつつ、  およぐひとの魂は水のうえの月をみる。 ◇。◇。◇。 【ありあけ】 ◇。◇。◇。  ながい疾患の痛みから、  その顔は蜘蛛の巣だらけとなり、  腰からしたは影のように消えてしまい、  腰からうえには藪が生え、  手が腐れ  身体いちめんがじつにめちゃくちゃなり、  ああ、今日も月が出で、  有明の月が空にいで、  そのぼんぼりのようなうすらあかりで、  畸形の白犬が吠えている。  しののめちかく、  さみしい道路のほうで吠える犬だよ。 ◇。◇。◇。 【猫】 ◇。◇。◇。  まっくろけの猫が二匹、  なやましいよるの屋根のうえで、  ぴんとたてた尻尾のさきから、  糸のような三日月がかすんでいる。  『おわあ、こんばんは』  『おわあ、こんばんは』  『おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ』  『おわああ、ここの家の主人は病気です』 ◇。◇。◇。 【貝】 ◇。◇。◇。  つめたき-もの生まれ、  その歯は水にながれ、  その手は水にながれ、  シオさし行方もしらに-ながるるものを、  浅瀬をふみてわが呼ばえば、  貝は遠音にこたう。 ◇。◇。◇。 【麦畑の一隅にて】 ◇。◇。◇。  まっ正直の心をもって、  わたくしどもは話がしたい、  信仰からきたるものは、  すべて幽霊のかたちで見える、  かつてわたくしが見たところのものを、  はっきりと汝にもきかせたい、  およそこの類いのものは、  さかんに装束せる、  光れる、  大いなる隠しどころをもった神の半身であった。 ◇。◇。◇。 【陽春】 ◇。◇。◇。  ああ、春は遠くからけぶって来る、  ぽっくりふくらんだ柳の芽のしたに、  やさしいくちびるを差し寄せ、  乙女のくちづけを吸いこみたさに、  春は遠くからゴム輪のくるまにのって来る。  ぼんやりした景色のなかで、  白いくるまやさんの足はいそげども、  ゆくゆく車輪が逆さにまわり、  しだいに梶棒が地面をはなれ出し、  おまけにお客さまの腰がへんにふらふらとして、  これではとてもあぶなそうなと、  とんでもない時に春がまっしろの欠伸をする。 ◇。◇。◇。 【くさった蛤】 ◇。◇。◇。  ハンミは砂のなかにうもれていて、  それで居てべろべろ舌を出して居る。  この軟体動物のあたまの上には、  砂利や潮水が、ざら、ざら、ざら、ざら流れている、  ながれている、  ああ夢のように静かにもながれている。 ◇。◇。◇。  ながれてゆく砂と砂との隙間から、  蛤はまた舌べろをちらちらと赤く燃えいづる、  この蛤は非常に窶れているのである。  みればぐにゃぐにゃした内臓がくさりかかって居るらしい、  それゆえ哀しげな晩かたになると、  青ざめた海岸に坐っていて、  ちら、ちら、ちら、ちらとくさった息をするのですよ。 ◇。◇。◇。 【春の実体】 ◇。◇。◇。  かずかぎりもしれぬ虫けらの卵にて、  春がみっちりとふくれてしまった、  げにげに眺め見渡せば、  どこもかしこもこの類いの卵にてぎっちりだ。  桜の花をみてあれば、  桜の花にもこの卵いちめんに透いてみえ、  やなぎの枝にも、もちろんなり、  たとえば蛾蝶のごときものさえ、  その薄き羽は卵にて形作られ、  それがあのように、ぴかぴかぴかぴか光るのだ。  ああ、目にもみえざる、  このかすかな卵のかたちは楕円形にして、  それがいたるところに押しあいへしあい、  空気じゅういっぱいにひろがり、  ふくらみきったゴムマリのように固くなっているのだ、  よくよく指のさきでつついてみ給へ、  春というものの実体がおよそこのへんにある。 ◇。◇。◇。 【贈物にそえて】 ◇。◇。◇。  兵隊どもの列の中には、  ショウブンの悪いものが居たので、  たぶん標的の図星を外した。  銃殺された男が、  夢のなかで息をふきかえしたときに、  空にはさみしいなみだがながれていた。 『これはそういう種類の煙草です』 ◇。◇。◇。 【さびしい情慾】 ◇。◇。◇。 【愛憐】 ◇。◇。◇。  きっと可愛い硬い歯で、  草のみどりをかみしめる女よ、  女よ、  このうす青いクサのインキで、  まんべんなくお前の顔をいろどって、  おまえの情慾を昂ぶらしめ、  しげる草むらでこっそり遊ぼう、  み給へ、  ここにはつりがね草がくびをふり、  あそこでは竜胆の手がしなしなと動いている、  ああわたしはしっかりとお前の乳房を抱きしめる、  お前は’お前で力いっぱいに私のからだを押さえつける、  そうしてこのヒトケのない野原の中で、  わたしたちは蛇のようなあそびをしよう、  ああ私は私できりきりとお前を可愛がってやり、  おまえの美しい皮膚の上に、青い草の葉の汁をぬりつけてやる。 ◇。◇。◇。 【恋を恋する人】 ◇。◇。◇。  わたしはくちびるにべにをぬって、  あたらしい白樺の幹に接吻した、  よしんば私が美男であろうとも、  わたしの胸にはごむまりのような乳房がない、  わたしの皮膚からは肌理のこまかい粉おしろいの匂いがしない、  わたしはしなびきった薄命男だ、  ああ、なんといういじらしい男だ、  今日の香しい初夏の野原で、  きらきらする木立の中で、  手には空色の手ぶくろをすっぽりとはめてみた、  腰にはコルセットのようなものをはめてみた、  襟には襟白粉のようなものをぬりつけた、  こうしてひっそりとしなをつくりながら、  わたしは娘たちのするように、  こころもちくびをかしげて、  あたらしい白樺の幹に接吻した、  くちびるにバラ色のべにをぬって、  まっしろの高い樹木にすがりついた。 ◇。◇。◇。 【5月の貴公子】 ◇。◇。◇。  若草の上をあるいているとき、  わたしの靴は白い足あとをのこしてゆく、  ほそいステッキの銀が草でみがかれ、  まるめてぬいだ手ぶくろがチュウでおどって居る、  ああすっぱりといっさいの憂愁をなげだして、  わたしは柔和の羊になりたい、  しっとりとした貴方のくびに手をかけて、  あたらしいアヤメ白粉の匂いをかいで居たい、  若草の上をあるいているとき、  わたしは五月の貴公子である。 ◇。◇。◇。 【白い月】 ◇。◇。◇。  はげしい虫歯の痛みから、  ふくれあがった頬っぺたをかかえながら、  わたしは棗の木’の下を掘っていた、  なにかの草の種を蒔こうとして、  華奢の指を泥だらけにしながら、  つめたい地べたを掘っくりかえした、  ああ、わたしはそれをおぼえている、  うすらさむい日のくれがたに、  まあたらしい穴の下で、  ちろ、ちろ、とミミズがうごいていた、  そのとき低い建物のうしろから、  まっしろい女の耳を、  つるつるとなでるように月があがった、  月があがった。 ◇。◇。◇。 【幼童思慕詩篇】 ◇。◇。◇。 【肖像】 ◇。◇。◇。  あいつはいつも歪んだ顔をして、  窓のそばに突っ立っている、  白いさくらが咲く頃になると、  あいつはまた地面の底から、  むぐらもちのように這い出してくる、  ぢっと足音をぬすみながら、  あいつが窓にしのびこんだところで、  おれは早取り写真にうつした。 ◇。◇。◇。  ぼんやりした光線の蔭で、  白っぽけた乾板をすかして見たら、  なにかの影のように薄く写っていた。  おれのくびから上だけが、  花魁草のようにふるえていた。 ◇。◇。◇。 【さびしい人格】 ◇。◇。◇。  さびしい人格が私の友を呼ぶ、  わが見知らぬ友よ、早くきたれ、  ここの古い椅子に腰をかけて、二人で静かに話していよう、  なにも悲しむことなく、きみと私で静かな幸福な日を暮らそう、  遠い公園の静かな噴水の音をきいて居よう、  静かに、静かに、二人でこうして抱き合って居よう、  母’にも父にも兄弟にも遠く離れて、  母’にも父にも知らない孤児の心を結び合わそう、  ありとあらゆる人間のライフの中で、  おまえと私だけの生活について話し合おう、  貧しいたよりない、二人だけの秘密の生活について、  ああ、その言葉は秋の落ち葉のように、そうそうとして膝の上にも散ってくるではないか。 ◇。◇。◇。  わたしの胸は、かよわい病気した幼子の胸のようだ。  わたしの心は恐れにふるえる、せつない、せつない、熱情のうるみに燃えるようだ。  ああいつかも、私は高い山の上へ登って行った、  険しい坂路を仰ぎながら、虫けらのようにあこがれて登って行った、  山の絶頂に立ったとき、虫けらはさびしい涙をながした。  仰げば、ぼうぼうたる草むらの山頂で、大きな白っぽい’雲がながれていた。 ◇。◇。◇。  自然はどこでも私を苦しくする、  そして人情は私を陰鬱にする、  むしろ私はにぎやかな都会の公園を歩きつかれて、  とある寂しい木蔭に椅子をみつけるのが好きだ、  ぼんやりした’心で空を見ているのが好きだ、  ああ、都会の空を遠く悲しくながれてゆく煤煙、  またその建築の屋根をこえて、はるかに小さくつばめの飛んで行く姿を見るのが好きだ。 ◇。◇。◇。  よにもさびしい私の人格が、  大きな声で見知らぬ友をよんで居る、  わたしの卑屈な不思議な人格が、  鴉のようなみすぼらしい様子をして、  ヒトケのない冬枯れの椅子の片隅にふるえて居る。 ◇。◇。◇。 【見知らぬ犬】 ◇。◇。◇。 【見しらぬ犬】 ◇。◇。◇。  この見もしらぬ犬が私のあとをついてくる、  みすぼらしい、後脚で跛をひいているカタワの犬の蔭だ。 ◇。◇。◇。  ああ、わたしは’どこへ’行くのか知らない、  わたしのゆく道路の方角では、  長屋の屋根がべらべらと風にふかれている、  道ばたの陰気な空き地では、  ひからびた草の葉っぱがしなしなと細くうごいて居る。 ◇。◇。◇。  ああ、わたしは’どこへ’行くのか知らない、  大きな、いきもののような月が、ぼんやりと行く手に浮んでいる、  そうして後ろのさびしい往来では、  犬のほそながい尻尾の先が地べたの上をひきずって居る。 ◇。◇。◇。  ああ、どこまでも、どこまでも、  この見もしらぬ犬が私のあとをついてくる、  きたならしい地べたを這いまわって、  わたしの後ろで後脚をひきずっている病気の犬だ、  遠く、ながく、かなしげにおびえながら、  さびしい空の月に向って遠白く吠える不幸せの犬の蔭だ。 ◇。◇。◇。 【青樹の梢を仰ぎて】 ◇。◇。◇。  貧しい、さみしい’町の裏通りで、  青樹がほそほそと生えていた。 ◇。◇。◇。  わたしは愛をもとめている、  わたしを愛する心の貧しい乙女を求めている、  そのひとの手は青い梢の上でふるえている、  わたしの愛を求めるために、いつも高いところでやさしい感情にふるえている。 ◇。◇。◇。  わたしは遠い遠い街道で乞食をした、  惨めにも飢えた心が腐った葱や肉の匂いを嗅いで涙をながした、  うらぶれはてた乞食の心で/いつも’町の裏通りを歩き回った。 ◇。◇。◇。  愛をもとめる心は、かなしい孤独の長い長いつかれのあとにきたる、  それはなつかしい、大きな海のような感情である。 ◇。◇。◇。  道ばたのやせ地に生えた青樹の梢で、  ちっぽけな葉っぱがひらひらと風に翻っていた。 ◇。◇。◇。 【蛙よ】 ◇。◇。◇。  蛙よ、  青いすすきやよしの生えてるなかで、  蛙は白くふくらんでいるようだ、  雨のいっぱいにふる夕景に、  ぎょ、ぎょ、ぎょ、ぎょ、と鳴く蛙。 ◇。◇。◇。  まっくらの地面をたたきつける、  今夜は雨や風のはげしい晩だ、  つめたい草の葉っぱの上でも、  ほっと息を吸いこむ蛙、  ぎょ、ぎょ、ぎょ、ぎょ、と鳴く蛙。 ◇。◇。◇。  蛙よ、  わたしの心はお前から遠く離れて居ない、  わたしは手に明かりをもって、  くらい庭のおもてを眺めて居た、  雨にしおるる草木の葉を、つかれた心もちで眺めて居た。 ◇。◇。◇。 【山に登る】 【旅よりある女に贈る】 ◇。◇。◇。  山の頂上にきれいな草むらがある、  その上でわたしたちは寝ころんでいた。  眼をあげて遠い麓のほうを眺めると、  いちめんにひろびろとした海の景色のように思われた。  空には風がながれている、  おれは小石をひろって口にあてながら、  どこというあてもなしに、  ぼうぼうとした山の頂上をあるいていた。 ◇。◇。◇。  おれはいまでも、お前のことを思っているのだ。 ◇。◇。◇。 【海水旅館】 ◇。◇。◇。  赤松の林をこえて、  くらき大波は遠く光っていた、  このさびしき越後の海岸、  しばしはなにを祈るこころぞ、  ひとり夕餉を終わりて、  海水旅館の居間に火を点ず。 【くぢら浪海岸にて】 ◇。◇。◇。 【孤独】 ◇。◇。◇。  田舎の白っぽい道ばたで、  つかれた馬のこころが、  ひからびた日向の草をみつめている、  ななめに、しのしのと細くもえる、  ふるえるさびしい’草をみつめる。 ◇。◇。◇。  田舎のさびしい日向に立って、  おまえはなにを見ているのか、  ふるえる、わたしの孤独の魂よ。 ◇。◇。◇。  このほこりっぽい風景の顔に、  うすく涙がながれている。 ◇。◇。◇。 【白い共同椅子】 ◇。◇。◇。  森の中の小道にそうて、  まっ白い共同椅子が並んでいる、  そこらはさむしい山の中で、  たいそう緑の蔭がふかい、  あちらの森をすかしてみると、  そこにもさみしい木立がみえて、  上品な、まっしろな椅子の足がそろっている。 ◇。◇。◇。 【田舎を恐る】 ◇。◇。◇。  わたしは田舎をおそれる、  田舎のヒトケのない水田の中にふるえて、  ほそながくのびる苗の列をおそれる。  くらい家屋の中に住む貧しい人間のむれをおそれる。  田舎のあぜみちに坐っていると、  大波のような土壌の重みが、わたしの心を暗くする、  土壌のくさった匂いが私の皮膚をくろずませる、  冬枯れのさびしい自然が私の生活をくるしくする。 ◇。◇。◇。  田舎の空気は陰鬱で重くるしい、  田舎の手触りはざらざらして気もちが悪い、  わたしはときどき田舎を思うと、  きめのあらい動物の皮膚の匂いに悩まされる。  わたしは田舎をおそれる、  田舎は熱病の青じろい夢である。 ◇。◇。◇。 【長詩二篇】 ◇。◇。◇。 【雲雀の巣】 ◇。◇。◇。  おれは世にも悲しい心を-いだいて古里の河原を歩いた。  河原には、よめな、つくしの類い、せり、なづな、すみれの根もぼうぼうと生えていた。  その低い砂山の蔭には利根川’が流れている。ぬすびとのように暗くやるせなく流れている、  おれは’ぢっとカワラにうづくまっていた。  おれの眼のまえには河原蓬の草むらがある。  ひとつかみほどの草むらである。蓬はやつれた女の髪の毛のように、へらへらと風にうごいていた。  おれはあるいやなことをかんがえこんでいる。それは恐ろしく不吉なかんがえだ。  そのうえ、きちがひじみた太陽がむしあつく帽子の上から照りつけるので、俺は’ぐったり汗ばんでいる。  あえぎ苦しむひとが水をもとめるように、俺は’ぐいと手をのばした。  おれの魂をつかむようにしてなにものかをつかんだ。  干からびた髪の毛のようなものをつかんだ。  河原蓬の中にかくされた雲雀の巣。 ◇。◇。◇。  ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよと/そらでは雲雀の親が鳴いている。  おれはかわいそうな雲雀の巣をながめた。  巣はおれの大きな掌の上で、やさしくも鞠のようにふくらんだ。  いとけなく育くまれるものの愛に媚びる感覚が、あきらかにおれの心にかんじられた。  おれはへんてこに寂しく/そして苦しくなった。  おれはまた親鳥のように首をのばして巣の中をのぞいた。  巣の中は夕暮どきの光線のように、うすぼんやりとして暗かった。  かぼそい植物の繊毛に触れるような、たとえようもなく DELICATE の哀傷が、影のように神経の末梢をかすめて行った。  巣の中のかすかな光線にてらされて、ねずみいろの雲雀の卵が四つほどさびしげに光っていた。  わたしは指をのばして卵のひとつをつまみあげた。  なまあったかい生き物の呼吸が親指の腹をくすぐった。  死にかかった犬をみるときのような歯がゆい’感覚が、おれの心の底にわきあがった。  こういうときの人間の感覚の生ぬるい不快さから/惨虐な罪が生まれる。罪をおそれる心は/罪を生む心のさきがけである。  おれは指と指とにはさんだ卵をそっと日光にすかしてみた。  うす赤いぼんやりしたものが血’のかたまりのように透いてみえた。  つめたいシルのようなものが感じられた、  そのとき指と指とのあいだに生ぐさい液体がじくじくと流れているのをかんじた。  卵がやぶれた、  野蛮な人間の指が、むざんにも繊細なものを押しつぶしたのだ。  鼠いろの薄い卵の殻にはKという字が、赤くほんのりと書かれていた。 ◇。◇。◇。  いたいけな小鳥の芽生え、小鳥の親。  その可愛らしいくちばしから造った巣、一所けんめいでやった小動物の仕事、愛すべき本能のあらわれ。  いろいろな善良な、しおらしい考えが私の心の底にはげしくこみあげた。  おれは卵をやぶった。  愛と悦びとを殺して/悲しみと呪いとにみちた仕事をした。  くらい不愉快なおこないをした。  おれは陰鬱な顔をして地面をながめつめた。  地面には小石や、硝子かけや、草の根などがいちめんにかがやいていた。  ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよと/そらでは雲雀の親が鳴いている。  なまぐさい春の匂いがする。  おれはまたあのいやのことをかんがえこんだ。  人間が人間の皮膚の匂いを嫌うということ。  人間が人間の生殖器を醜悪にかんずること。  あるとき人間が馬のように見えること。  人間が人間の愛に裏切りすること。  人間が人間をきらうこと。  ああ、厭人病者。  ある有名なロシヤ人の小説、非常に重たい小説をよむと/厭人病者の話が出て居た。  それは立派な小説だ、けれども恐ろしい小説だ。  心が愛するものを/肉体で愛することの出来ないというのは、なんたる邪悪の思想であろう。なんたる醜悪の病気であろう。  おれは生まれていっぺんでも娘たちに接吻したことはない。  ただ愛する小鳥たちの肩に手をかけて、せめては兄-らしい言葉を言ったことすらもない。  ああ、愛する、愛する、愛する小鳥たち。  おれは人間を愛する。けれどもおれは人間を恐れる。  おれは時々、すべての人々から逃れて孤独になる。そしておれの心は、すべての人々を愛することによって涙ぐましくなる。  おれはいつでも、ヒトケのない寂しい海岸を歩きながら、遠い都の雑閙を思うのがすきだ。  遠い都の-ひともしごろに、ひとりで古里の公園地をあるくのがすきだ。  ああ、きのふもきのふとて、俺は’悲しい夢をみつづけた。  おれはくさった人間の血の匂いをかいだ。  おれはくるしくなる。  おれはさびしくなる。  心で愛するものを、なにゆえに肉体で愛することができないのか。  おれは懺悔する。  懺悔する。  おれはいつでも、くるしくなると懺悔する。  利根川の河原の砂の上に坐って懺悔をする。 ◇。◇。◇。  ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよ、ぴよと、そらでは雲雀の親たちが鳴いている。  河原蓬の根がぼうぼうとひろがっている。  利根川はぬすびとのように/こっそりと流れている。  あちらにも、こちらにも、うれわ-しげな農人’の顔がみえる。  それらの顔は暗くして地面をばかりみる。  地面には春がホウソウのようにむっくりと吹き出して居る。 ◇。◇。◇。  おれはいじらしくも雲雀の卵を拾いあげた。 ◇。◇。◇。 【笛】 ◇。◇。◇。  子供は笛が欲しかった。  その時子供のお父さんは書き物をして居るらしく思われた。  子供はお父さんの部屋をのぞきに行った。  子供はひっそりと扉の蔭に立っていた。  扉の蔭にはさくらの花の匂いがする。 ◇。◇。◇。  そのとき室内で大人はかんがえこんでいた、  大人の思想がくるくると渦まきをした、ある混み入った思想のヂレンマが大人の心をひきつけさせた。  みれば、デスクの上に突っ伏した大人の額を、いつのまにかヘビがぎりぎりとまきつけていた。  それは春らしい今朝の出来事が、そのひとの心を憂わしくしたのである。 ◇。◇。◇。  本能と良心と、  わかちがたき一つの心をふたつにわかたんとする/大人の心のうらさびしさよ、  力をこめて引きはなされた二つの影は、糸のようにもつれあいつつ、ほのぐらき明かり窓のあたりをさまようた。  人は自分の頭のうえに、それらの悲しい幽霊の通りゆく姿をみた。  大人は恐ろしさに息をひそめながら祈りをはじめた 「神よ、ふたつの心をひとつにすることなからしめ給へ」  けれどもながいあいだ、幽霊は扉の蔭を出這入りした。  扉の蔭にはさくらの花の匂いがした。  そこには青白い顔をした病身のかれの子供が立って居た。  子供は笛が欲しかったのである。 ◇。◇。◇。  子供は扉をひらいて部屋の一隅に立っていた。  子供は窓際のデスクに突っ伏した大いなる父の頭脳をみた。  その頭脳のあたりは甚だしい陰影になっていた。  子供の視線が蠅のようにその場所にとまっていた。  子供のわびしい’心がなにものかにひきつけられていたのだ。  しだいに子供の心が力をかんじはじめた、  子供は実に、はっきりとした声で叫んだ。  みればそこには笛が置いてあったのだ。  子供が欲しいと思っていた紫いろの小さい笛があったのだ。 ◇。◇。◇。  子供は笛に就いてなにごとも父に話してはなかった。  それ故この事実はまったく偶然の出来事であった。  おそらくはなにかの不思議なめぐりあわせであったのだ。  けれども子供はかたく父の奇蹟を信じた。  もっとも偉大なる大人の思想が生み落した陰影の笛について、  卓の上に置かれた笛について。 ◇。◇。◇。 【健康の都市】 【君が詩集の終りに】 ◇。◇。◇。  大正二年の春もおしまいのころ、私は未知の友から1通の手紙をもらった。私が当時’雑誌”ザムボアに出した小景異情という小曲風な-しについて、今の詩壇では見ることの出来ない/純な真実なものである。これからも’君はこの道を行かれるように祈ると書いてあった。私は未見の友達から手紙をもらったことはこれが生まれて初めてであり/又これほどまで鋭どく韻律の-いったんをも漏らさぬ批評に接したこともこれまでには無かったことである。私は直覚した。これは私とほぼ同じような若い人であり/境遇もほぼ似た人であると思った。ちょうど東京に一年ばかり漂泊して帰っていたころで/親しい友達というものも無かったので、私は飢え渇いたようにこの友達に感謝した。それからというものは私だちは毎日のように手紙をやりとりして、ときには世に出さない作品をお互いに批評し合ったりした。  私は時折り寺院の脚高な縁側から国境山脈を/ゆめのように眺めながら/この友のいる上野の国や/能く-しにかかれる利根川の堤防なぞを懐しく考えるようになったのである。会えばどんなに心持ちの触れ合うことか。いまにも飛んで行きたいような気が何時も瞼を熱くした。この友もまた逢って話したいなぞと、まるで二人は恋し合うような烈しい感情をいつも長い手紙で物語った。私どもの純真な感情を植え育てて/ゆくゆく日本の詩壇に現われ立つ日のことや、またどうしても詩壇のために私どもが出なければならないような図抜けた強い意志も出来ていた。どこまで行っても私どもはいつも離れないでいようと/女性と男性との間に約されるような誓いも立てたりした。 ◇。◇。◇。  大正三年になって私は上京した。そして生活というものと正面からぶつかって、私はすぐに疲れた。その時はこの友のいる故郷とも近くなっていたので、私は草臥れたままですぐに友に逢うことを喜んだ。友はその故郷の停車場でいきなり私のうろうろしているのをつかまえた。私どもは握手した。友はどこかヒンのある瞳の大きな/想像した通りの毛唐のようなとこのある人であった。私どもは利根川の堤を松並木のおしまいに建った旅館まで俥にのった。アサマのけむりが長くこの’上野まで尾を曳いて寒い冬の日が沈みかけていた。  旅館は利根川の上流の、町外れの静かな磧に向って建てられていた。すぐに庭下駄をひっかけて茫々とした磧へ出られた。二月だというのにいろいろなものの芽立ちが南に向いた畦だの崖だのにぞくぞく生えていた。友はよくこの磧から私を訪ねてくれた。私どもは-しを見せ合ったり批評をし合ったりした。  大正四年/友は出京した。  私どもは毎日会った。そして私どもの狂わしいBARの生活が初まった。暑い八月の東京の街路で/時には劇しい議論をした。熱い熱い感情は鉄火のような量のある愛に燃えていた。ときには根津權現の境内やBARのテーブルの上で詩作をしたりした。私は私で極度の貧しさと戦いながらも盃は唇を離れなかった。そしていつもこの友にやっかいをかけた。  間もなく友は友の故郷へ/私は私の国へ’帰った。そして端なく私どもの心持ちを結びつけるために『卓上噴水』というぜいたくな-しの雑誌を出したが/三冊でつぶれた。  私どもがこの雑誌が出なくなってからお互いにまた逢いたくなったのである。友は私の生国に私を訪問することになった。私のかいた海岸や/砂丘や/静かな北国の街々なぞの景情が/友を遠い旅中の人として/私の故郷を訪ずれた。私が三年前に友の故郷を友と連れ立って歩いたように、私は友をつれて故郷の街や公園を紹介した。私のいるうすくらい寺院を/友は私のいそうなところだと喜んだ。またはクルワの日ぐれどきにあちこち動く赤襟の美しい姿を珍らしがった。または私が時々に行く海岸の尼寺をも案内した。そこの砂山を越えて遠い長い渚を歩いたりして/荒い日本海をも紹介した。それらは私どもを子供のようにして/楽しく日をくらさせた。そのころ私は愛していた一少女をも紹介した。  友は間もなく帰った。それから友からの消息はばったりと絶えた。友の肉体や思想の内部にいろいろの変化が起ったのもこの時からである。手紙や通信はそれからあとは一つも来なかった。私は哀しい気がした。あの高い友情はいま友の内心から突然に消え失せたとは思えなかった。あのような烈しい愛と熱とがもう私と友とを昔日のように結びつけることが出来なくなったのであろうか。私にはそう思えなかった。  『竹』といふ-しが突然に発表された。からだじゅうに巣喰った病気が腐れた噴水のように、友の-しを味わう私を不安にした。友の肉体と魂とは/晴れた日に青々と伸び上がった『竹』におびやかされた。竹を感じる力は友の肉体の上にまで重量を加えた。彼は、からだじゅう竹が生えるような神経系統にぞくするキョウチク病に襲われた。そしてまた友の肉体に潜んだいろいろな苦悶と疾患とが、友を非常な神経質な/針のさきのようなちくちくした痛みを絶えず経験させた。 ◇。◇。◇。  ながい疾患の痛みから、  その顔は蜘蛛の巣だらけとなり、  腰から下は影のように消えてしまい、  腰から上には藪が生え、  手が腐れ  身体いちめんがじつにめちゃくちゃなり、  ああ、今日も月が出で、  有明の月が空にいで、  そのぼんぼりのようなうすらあかりで、  畸形の白犬が吠えている。  しののめちかく、  さみしい道路のほうで吠える犬だよ。 ◇。◇。◇。  私はこの-しを読んで永いあいだ考えた。あの利根川の畔で土筆やたんぽぽ/又は匂い高い叙情小曲なぞをかいた/これが紅顔の彼の-しであろうか。かれの心も姿もあまりに変わり果てた。彼はきみの悪い畸形の犬がぼうぼうと吠える月夜を/ぼんぼりのように病みつかれて歩いている。ときは春の終りのころでもあろうか。二年にもあまる永い病気がすこしよくなりかけ、ある生ぬるい晩を歩きにでると/世の中がすっかり変わってしまったように感じる。永遠というものの力が自分のからだを外にしてもこうして空と地上とにいつまでもある。道路のほうで白い犬が、ゆめのようなミスティックな響きをもってぼうぼうと吠えている。そして自分の頭’がいろいろな病いのために白痴のようにぼんやりしている。ああ月が出ている。  私は次の頁をかえす。 ◇。◇。◇。  遠く渚のほうを見わたせば、  ぬれた渚ぢには、  腰から下のない病人の列があるいている、  ふらりふらりと歩いている。 ◇。◇。◇。  彼にとっては総てが変態であり/恐怖であり/幻惑であった。かれの静かな心にうつってくるのは、彼の病みつかれた顔や手足にまつわる悩ましい蜘蛛の巣である。彼は殆んど白痴に近い感覚の/最も発作の静まった時にすら、その指さきからきぬいとのようなものの垂れるのを感じる。その幻覚は彼の魂を慰める。ああソウハクなこの友が/最もふしぎに/最も自然に自分の指をつくづく眺めているのに出会して/涙なきものがいようか。私と向かい合った怜悧な眼付きはどんよりとして底ぶかいところから静かに実に不審なビョウムを見ているのである。  それらの詩篇が現われると間もなく又ばったり作がなかった。私のとこへも通信もなかった。私から求めると今’私に手紙をくれるなとばかりナニゴトも物語らなかった。とうとう一年ばかり彼は誰にも会わなかった。彼にとってすべての風景や人間がもう平気で見ていられなくなった。ことに人を怖れた。まがりくねって犬のように病んだ心と、人間のもっとも深い罪やトガやに対して/彼は自らを祈るに先立って、その祈りを犯されることを厭うた。ひとりでいることを、ひとりで祈ることを、ひとりで苦しみ考えることを、ああ、そのあいだにも彼の疾患は辛い-つらい痛みを加えた。彼はヨブのような苦しみを試みられているようでもあった。なぜに自分はかように肉体的に病み苦しまなければならないかとさえ叫んだ。  彼にとって或る一点を凝視するような祈祷の心持ち! どうにかして自分の力を、今持っている意識をもっと高くし”もっと良くするためにもこの疾患を追い出してしまいたいとする心持ち! この一巻の-しの精神は、ここから発足しているのであった。 ◇。◇。◇。  彼の物語の深さ’はものの内臓にある。くらい人間のお腹にぐにゃぐにゃに詰まったいろいろな機械の病んだもの/腐れかけたもの/死にそうなものの類いがいま光の方面を向いている。光のホウへ。それこそ彼の求めている一切である。彼の-しのあやしさはポーでもボドレールでもなかった。それはとうてい病んだものでなければ窺知することのできない特種な世界であった。彼は祈った。彼の祈祷は-しの形式であり懺悔の器でもあった。 ◇。◇。◇。  天上の’松を恋うるより、  祈れるさまに吊されぬ ◇。◇。◇。  という天上縊死の1章を見ても、どれだけ彼が苦しんだことかが判る。彼の-しは子供が母親の白い大きい胸にすがるように素直な/極めて懐しいものもその疾患の絶え間絶え間に物語られた。  萩原くん。  私はここまで書いてこの物語が以前に送った跋文にくらべて、どこか物足りなさを感じた。君がふとしたことから跋文を紛失したと青い顔をして来たときに思った。あれは再度かけるものではない。かけてもその書いていたときの熱情と韻律とが二度と浮んでこないことを苦しんだ。けれどもペンをとると一気に十枚ばかり書いた。けれどもこれ以上書けない。これだけではケイの詩集をけがすに過ぎぬ。一つはケイが私の跋文を紛失させた罪もあるが。  ただ私はこの二度目のこの文章をかいて知ったことは、ケイの-しを余りに愛し過ぎ、ケイの生活をあまりに知り過ぎているために、私に批評が出来ないような気がすることだ。思えば私どもの交わってからもう五’六年になるが、ケイは私にとっていつもよい刺戟と鞭撻を与えてくれた。あの奇怪な『猫’』の表現の透徹した心持ちは、幾度となく私の模倣したものであったが/物にならなかった。ケイの繊細な/恐ろしい過敏な神経質な物の見方は、いつもサイコロジカルに滲透していた。そこへは私は行こうとして行けなかったところだ。  ケイの健康は今ケイの手にもどろうとしている。ケイはこれからも変化するだろう。ケイのあつい愛は/ケイの-しをますます-とぎすました者にするであろう。ケイにとって病い多い人生が/カラリと晴れ上がってケイの肉体を温めるであろう。私はケイを福祉する。ケイのためにこの人類のすべてがもっと健康な幸福を与えてくれるであろう。そしてケイがこの悩ましくも美しい一巻を抱いて街頭に立つとしたらば、これを読むものはどれだけケイが苦しんだかを理解するようになる。この数多い詩篇をほんとに解るものは、ケイの苦しんだものをまた必然苦しまねばならぬ。そして皆はケイのソウハクな手をとって/親しく微笑’して/さらに健康と/勇気と/光との世界を求めるようになるであろう。さらにこれらの詩篇によって物語られた特異な世界と、人間の感覚を極度までに繊細に鋭どく働かして/そこに神経ばかりの/例えば歯痛のごとき苦悶を/最も新しい表現と形式によったことを皆は認めるであろう。  もう一歩進んで言えば/君ほど日本語に蔭と深さを注意したものは/私の知るかぎりでは今までには無かった。君は言葉よりもその蔭と/量と/深さとを音楽的な才分とで創造した。君は楽器で表現できないリズムに注意深い耳を持っていた。君自らが音楽家であったという事実をよそにしても、イロハニホヘを鍵盤にした/最も進んだ詩人の一人であった。  ああ君の魂に祝福あれ。  大声で/しかも地響のする声量で私は呼ぶ。健康なれ! おお健康なれ! と。 【千九百十六年十二月十五日深更】 【東京郊外田端にて】 【室生犀星】 ◇。◇。◇。 【故/田中恭吉氏の芸術に就いて】 ◇。◇。◇。  雑誌「ツキバエ」を通じて、私が恭吉氏の芸術を始めて知ったのは、今から二年ほど以前のことである。当時、私があの素晴らしい芸術に接して、どんなに驚異と嘆美の瞳をみはったかと言うことは、殊更に言うまでもないことであろう。実に私は自分の求めている心境の世界の一部分を、田中氏の芸術によって一層はっきりと凝視することが出来たのである。  その頃、私は自分の詩集の装幀や挿絵を依頼する人を物色して居た際なので、この新しい知己を得た悦びは一層’深甚なものであった。まもなく恩地タカシ氏の紹介によって私と恭吉シとは、互いにその郷里から書簡を往復するような間柄になった。  幸いにも、恭吉氏は以前から私の-しを愛読して居られたので、二人の友情はたちまち深い所まで進んで行った。当時、重患の病床中にあった恭吉氏は、私の詩集の計画をきいて/自分のことのように悦んでくれた。そしてその装幀と挿絵のために、/彼のすべての「生命の残部」を傾注することを約束された。  とはいえ、それ以来、氏からの消息はばったり絶えてしまった。そして恩地氏からの手紙では「いよいよ恭吉の最後も近づいた」ということであった。それから暫くしてある日突然、恩地氏からイップウの書留小包が届いた。それは恭吉氏の私のために傾注しつくされた「生命の残部」であった。床中で握りつめながら死んだという傷ましい形見の遺作であった。私はきびしい心でそれを押し戴いた。(この詩集に挿入した金泥の口絵と、アカジに/赤いインキで薄く画いた線画がその形見である。この赤い絵は、劇薬を包む赤い四角の紙に/赤いインキで描かれてあった。恐らくは未完成の下図であったろう。非常に緊張した鋭どいものである。その他のスウヨウは’氏の遺作集から恩地君が選抜した。)  恭吉氏は自分の芸術を称して、自ら「傷める芽」と言って居た。世にも稀有な鬼才をもちながら、不幸にして現代に認められることが出来ないで、あまつさえその若い生涯の殆んど全部を不治の病床生活に終って/寂しく夭死してしまった無名の天才画家のことを考えると、私は胸に釘をうたれたような/苦しい痛みをかんずる。  思うに恭吉氏の芸術は「傷める命」そのもののやるせない絶叫であった。実に氏の芸術は「語る」というのではなくして、殆んど「絶叫」に近いほど張りつめた生命の苦喚の声であった。私は日本人の手に成ったあらゆる芸術の中で、氏の芸術ほどシンに生命的な、恐ろしい真実性にふれたものを、他に決して見たことはない。  恭吉氏の病床生活を通じて、/彼の生命を悩ましたものは、その異常なる性慾の発作と、死に面接する絶え間なき恐怖であった。  なかんずく、その性慾は、ああした病気に特有な一種の恐ろしい熱病的執拗をもって、絶えずこの不幸な青年を苦しめたものである。恭吉氏の芸術に接した人は、そのありとあらゆる線が、無気味にも悉く「性慾の嘆き」を語って居る事に気がつくであろう。それらの異常なる絵画は、見る人にとってはシンに戦慄すべきものである。 「押さえても押さえても押さえきれない性慾の発作」それはムザムザと彼の若い生命を喰いつめた悪魔の手であった。しかも身動きも出来ないような重病人にとって、こうした性慾の発作が何になろうぞ。彼の芸術では、すべての線がこの「対象の得られない性慾」の悲しみを訴えて居る。そこにはキミの悪いほど深刻な音楽と祈祷とがある。  襲いくる性慾の発作のまえに、/彼はいつも瞳を閉じて低く唄った。 ◇。◇。◇。 【こころよ◇ こころよ◇ しづまれ◇ しのびて◇ しのびて◇ しのべよ】 ◇。◇。◇。  なんという善良な、至純な心根をもった人であろう。たれかこのいじらしい感傷の声をきいて涙を流さずに-いられよう。  一方、こうした肉体の苦悩に呪われながら、一方に彼はまた、眼のあたり死に面接する絶えまなき恐怖に襲われて居た。彼はどんなに死を恐れて居たか解らない。「とても取り返すことの出来ない生」を取り返そうとして、墓場の下から身を起こそうとして無益に焦心する、悲しい魂のすすりなきのようなものが、/彼の不思議の芸術の一面であった。そこには深い深い絶望の嗟嘆と、人間の心のどん底からにじみ出た恐ろしい深刻なセンチメンタリズムとがある。  しかしこれらのことは、私がここに拙悪な文章で紹介するまでもないことである。見る人が、/彼の芸術を見さえすれば、何もかも全感的に解ることである。すべて芸術をみるに、その形状や事実の概念を離れて、直接その内部生命であるリズムにまでショッ感することの出来る人にとっては、一切の解説や紹介は不要なものにすぎないから。  要するに、田中恭吉氏の芸術は「異常な性慾のなやみ」と「死に面接する恐怖」との感傷的交錯である。  もちろん、私は絵画の方面では、全く智識のない素人であるから、専門的の立場から観照的にシの芸術の優劣を批判することは出来ない。ただ私の限りなく氏を愛敬してその夭折を傷む所以は、勿論、氏の態度や思想や趣味性に私と共鳴する所の多かったにもよるが、それよりも更に大切なことは、氏の芸術がシンに恐ろしい人間の生命そのものに根ざした絶叫であったと言うことである。そしてこうした第一義的の貴重な創作を見ることは、現代の日本に於いては、極めて極めて特異な現象であるということである。 【萩原朔太郎】 ◇。◇。◇。 【底本:「現代詩文庫◇ 1009◇ 萩原朔太郎」思潮社】 【1975(昭和50)年10月10日発行】 【入力:福田芽久美】 【校正:野口英司】 【1998年8月28日公開】 【2018年12月18日修正】 【青空文庫作成ファイル:】  このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(httpsコロン/スラッシュスラッシュwww.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。