◇。◇。◇。◇。◇。 【ウィリアム・ウィルスン】 【エドガー・アラン・ポー】 【佐々木直次郎訳】 ◇。◇。◇。◇。◇。  それをなんと言うのだ? わが道《=ミチ》に立つかの妖怪、恐ろしき良心とは?  チェインバリン(注1)「《:「》ファロニダ」 ◇。◇。◇。◇。◇。  さしあたり、私は自分をウィリアム・ウィルスンという名にしておくことにしよう。わざわざ本名をしるして、いま自分の前にあるきれいなページをよごすほどのことはない。その私の名前は、すでにあまりにわが家門の侮蔑の──《─:》恐怖の──嫌悪の対象でありすぎている。怒った風は、その類いなき汚名を、地球のは《果》てまでも吹き伝えているではないか? おお、恥し《知》らずな無頼漢《-ならずもの》のなかの無頼漢《=ブライカン》! ──現世《=ゲンセ》にたいしてお前はもう永久《エーキュウ》に死んでいるのではないか? その名誉にたいして、その栄華にたいして、その燦然たる大望にたいして? ──そして、濃い、暗澹とした果てしのない雲が、とこしえにお前の希望と天国とのあいだにかかっているのではないか?  私はいまここで、たといそれができたにしても、自分の近年のなんとも言いようのない不幸と、許しがたい罪悪との記録を書きしるそうとはしまい。この時期──この近年──に背徳行為が急にひどくなったのであって、そのそもそものきっかけだけを語るのが、私のさしあたっての目的なのである。人間というものは普通は一歩一歩と堕落してゆくものだ。ところが、私の場合では、あらゆる徳が一時《イチジ》にマントのようにそっくり落ちてしまった。わりあいに小さな悪事から、私は|大また《大股》ぎにエラガバルス(注2)だってやれないような大悪無道へ跳びこんだ。どうしためぐり合せで──どんな一つの出来事からこんな悪いことになったのか、私が語るあいだ、しばらく耳を貸していただきたい。死は近づく。それを前ぶれする影は、私の心をやわらげる。|ほの暗《仄暗》い谷《タニ》(注3)を歩みながら、私は世の人々の同情を──《─:》むしろ憐れみをと言いたいのであるが──切望している。自分がいくらかは人間の力ではどうにもできない境遇の奴隷であったということを、私は世の人々に信じてもらいたいのだ。これから語ろうとする詳しい話のなかで、私のために、広漠とした罪過の砂漠のなかにいくつかの小さな宿命のオアシスを、捜し出してもらいたいのだ。以前にもこれほど大きな誘惑物は存在したではあろう。が、しかし、少なくともこんなふうに人間が誘惑されたことは前には決してなかった──《─:》たしかに、こんなふうに落ちこんだことは決してなかった──《─:》ということを認めてもらいたいのだ。──これは誰でも認めずにはいられないことであるが。とすると、こんなふうに苦しんだ人間はいままでに一人もなかったのであろうか? 実際、自分は夢のなかに生きてきたのではなかろうか? そして自分はいま、この世のあらゆる幻影のなかでももっとも怪奇なものの、恐怖と神秘との犠牲として死んでゆくのではなかろうか?  私は、想像力に富んで、しかもたやすく興奮する気質のために昔からずっと有名だった一族の子孫である。そして、まだごく幼いころから、この家族の性格を十分《=充分》にうけついでいる証拠をあらわしていた。成長するにしたがって、その性格はいっそう強く発達し、いろいろな理由で、友人たちにはたいへん心配をかけたし、また自分自身には非常な損害をかける原因となった。私は我儘になり、もっとも放縦《=ホウショウ》な気まぐれにふけり、まったく手におえない激情の虜となってしまった。両親は、気が弱く、私自身と同じような生《生ま》れつきの虚弱に悩まされていたので、私の特徴となったその悪い性癖をとめることはとてもできなかった。幾たびかの弱い、方針を誤った努力は、親たちのほうの完全な失敗に、そしてむろん私のほうの完全な勝利に、終ったのだ。そのときから私の言葉は一家の法律となった。そして、普通の子供ならまだ手引紐(注4)さえ放《離》せないような年ごろから、私は自分の思うままにさせられ、名だけは別として、自分の行為の主人公となったのであった。  学校生活についての私のいちばん古い思い出は、霧のかかったようなあるイングランドの村にある、大きな、不格好な、エリザベス時代風《時代フウ》の建物につながっている。その村には節瘤《+フシコブ》だらけの大木《=タイボク》がたくさんあって、どの家もみなひどく古風だった。実際、その森厳な古い町は、夢のような、心を鎮めてくれる場所であった。いまでも、私は、空想でそこの樹陰《木陰》ふかい並木路のさわやかな冷た《た-》さを感じ、そこの無数の灌木のかぐわしい芳香を吸いこみ、《:、》組子細工のゴシック風《フウ》の尖塔がそのなかに包まれて眠っているほの暗《ぐら》い大気の静寂《-せいじゃく》をやぶって、一時間ごとにふいに陰鬱な音をたてて響きわたる教会の鐘《+ベル》の深い鈍《=にぶ》い音色に、《:、》なんとも言えない喜びをもって新たにうち震えるのである。  この学校と、それに関したこととの、こまかな思い出にふけることがおそらく、いま自分のどうやら経験できるいちばん多くの快楽を私に与えてくれるのだ。私は不幸のなかにひたされてはいるのだが──ああ! ただあまりに真実すぎる不幸──二、三のとりとめのない事がらを述べたてて、ほんの少しの一時的なものであろうとも、慰めを求めることは、許してもらえるだろう。そのうえ、これらの事がらは、まったく小さな、またそれだけとしてはばかばかしいものではあるが、のちに自分にすっかり蔽いかぶさった運命の最初のおぼろげな警告を自分が認めた時と所とに関係のあるものとして、私の空想には偶然的な重大さを持っているものなのだ。だから、回想させてもらいたい。  その家は、前に言ったように、古くて不規則なものであった。構内は広くて、てっぺんにはガラスのかけらを漆喰に植えつけた、高い、丈夫な煉瓦塀が、その周囲をぐるりと取りまいていた。この牢獄のような塁壁が私たちの領土の限界になっていたのだった。その外《ほか》は、一週に三度《3度》しか見られなかった。──一度は毎土曜日の午後に、二人の助教師に連れられて、一団となってどこか付近の野原をしばらく散歩することを許されるときで、──《─:》あとの二度は日曜日に、村に一つある教会の朝と夕《ユウ》との礼拝式へ、いつも同じ決ったとおりに列を組んで行くときであった。その教会は、私たちの学校の校長が牧師なのであった。この校長が厳《=おごそ》かな、ゆっくりした足どりで説教壇へ上がってゆくのを、私はいつも、廻廊にある遠く離れた私たちの座席から、どんなに深い驚きといぶかしさで眺めたことであろう! あんなにしかつめらしく温和な顔《=カオ》をして、あんなにつやつやした、あんなに僧侶らしくひらひらした衣服を着て、あんなに念入りに髪粉をつけた、あんなにいかめしい、《:、》あんなに大きな仮髪《+カツラ》をつけたこの尊《=とうと》い人が、──《─:》この人が、ついさっきまで、苦虫をかみつぶしたような顔《=カオ》つきで、嗅煙草《嗅ぎ煙草》でよごれた着物を着て、木箆(注5)を手にしながら学校の峻厳な法則を執行していた人なのであろうか? おお、あまりに奇怪でどうしてもわからない大きな不思議!  その重々しい塀の一つの角《!カド》に、もっと重々しい一つの門が厳然として立っていた。それは鉄の螺釘《+ネジクギ》を方々《ホウボウ》に打ちつけて、上《=ウエ》にはぎざぎざの鉄の忍返しを打ってあった。なんという深い畏怖の感じを、それは起させたことであろう!  その門は、さきに述べたあの三回の定期の出入りのときのほかには、決して開《=ひら》かれることがなかった。そして開《=ひら》かれるときには、その巨大な蝶番《蝶番い》がぎいっと軋るたびごとに、私たちはその音のなかに、かずかずの神秘を──《─:》厳《-おごそ》かな注意や、あるいはもっと厳《-おごそ》かな瞑想をそそる多くの事がらを──見出《見い出》したのであった。  広い構内は形が不規則で、大きなひっこんだ所がたくさんあった。そのなかのいちばん大きな三《=みっ》つ四《=よっ》つのが運動場になっていた。そこは平らかで、細かい堅い砂利を敷いてあった。そこには樹《木》もなければ、|腰掛け《+ベンチ》もなく、それに類したものがなにもなかったことを、私はよく覚えている。むろんその運動場は家《=イエ》の背後にあったのだ。前面には、黄楊やその他《タ》の灌木類を植えた小さな花壇があった。しかし、この神聖な区画は、私たちは実際ほんのたまにしか通《#とお》ったことがなかった。──たとえば、初めて学校へ上がったときとか、最後にそこを去るときとか、あるいはたぶん、親か知人かが迎えにきて、クリスマスや夏休みにいそいそと家《=イエ》へ帰るときとかだった。  だが、その校舎たるや! ──なんという奇妙な古い建物だったろう! ──しかも、私にとってはまったくなんという魔法の宮殿であったろう! その曲りくねりには──そのとても理解できない細かな区分は、|ほんとう《本当》に果てしもなかった。いつであろうと、いま自分のいるところは一階か二階かということを、確信をもって言うことはむずかしかった。どの室《+部屋》からでも別の室《部屋》へ行くには、きっと三段か四段《4段》のぼるか降《=お》りるかしなければならなかった。それから、脇へそれる道《=ミチ》は無数にあって、──《─:》|ほんとう《本当》に想像もできぬほど、──《─:》実に何遍《ナンベン》も何遍ももとへ戻って来るものだから、この屋敷全体に関する私たちのいちばん正確な観念も、私たちが無限ということについて考える観念と、さほど大して違わないくらいだった。ここに住んでいた五カ年《=ねん》のあいだ、私は、自分自身と他の十八人か二十人ばかりの生徒とに割当てられた小さな寝室がどんな遠く隔たった場所にあったのか、はっきりと確かめることがどうしてもできなかった。  教場は建物のなかで──いっそ、|世界じゅう《世界中》で、と私は言いたい──いちばん大きかった。それは非常に長くて、狭く、陰気なくらい低く、上《=ウエ》の尖ったゴシック風《フウ》の窓がついていて、天井は樫であった。室《部屋》の端《ハシ》っこの、なんとなく怖いような気のする一つの角《!カド》に、八フィートか十《ジュッ》フィートくらいの四角い囲いがあって、そのなかには、《:、》私たちの校長である尊師ブランスビイ博士の「祈祷時間中」のサンクタム(聖室《セイ室》)があった。それは堅牢な造りで、がっしりした扉がついていて、《:》「ドミイネ(先生)《):》」の留守中にその扉をあけようものなら、私たちはまったくいっそあの peine forte et dure(強い厳《=きび》しい刑罰(注6))で死んだほうがましだと思うくらいの目にあうのだった。他の角《!カド》にも似たような仕切りが二つあり、実際、前のよりはずっと尊敬されてはいなかったが、それでもやはり非常に畏怖の念を起させるものだった。一つは「古典」の助教師の講壇で、もう一つは「英語および数学」の助教師のであった。室内のあちこちに、際限のない不規則さでごちゃごちゃに入り交って、無数の|腰掛け《+ベンチ》と机とがあった。どれも黒くて、古風で、古ぼけていて、ひどく指垢のついた書物がめちゃくちゃに積み重ねてあり、名前の頭文字や、略さないで書いた姓名や、怪異な形の絵や、《:、》その他《=ほか》さまざまな小刀《+ナイフ》で彫りつけたものなどの、創痕《+傷跡》をつけられているので、かつては多少かたちを残していた原形の少しさえすっかり失くなってしまっている。水を入《=い》れた大きな桶が室《部屋》の一方の端《=ハシ》に立っていたし、もう一方の端《=ハシ》には途方もない大きさの柱時計が立っていた。  この古びた学校のがっしりした壁に取りまかれて、私は、それでも退屈もせず厭にもならず、自分の生涯の十歳から十五歳までの年月を過したのである。子供の豊かな頭脳というものは、それを満たしたり楽しませたりするにはなにも外界の出来事を必要としない。そして見たところ陰気なくらい単調な学校生活は、私が青年時代に奢侈によって得たよりも、あるいは壮年時代に罪悪によって得たよりも、もっと強烈な刺激に満ちていたのであった。でも、私の最初の心の発達には普通ではないものが──《─:》常軌を離れたものさえ──よほどあったということは、信じないわけにはゆかない。一般の人々にとっては、ずっと幼いころの出来事は、大きくなってからはっきりした印象を残していることがめったにないものだ。すべてが灰色の影──かすかな不規則な記憶──《─:》あわい快楽と幻のような苦痛とのおぼろげな寄せあつめ──である。私にはそうではない。子供のころ、私は、いまもなおカルタゴの賞牌《+メダル》の銘のようにありありした、深い、長もちする線で記憶に刻みこまれているところのものを、大人のような力をもって感じたのにちがいないのだ。  と言っても、事実は──世間の目から見れば──《─:》そこには思い出すことはなんと少ししかなかったことだろう! 朝の目覚めや、夜《よ》ごとの就寝命令、復習や、暗誦、定期的な半休や、散歩、運動場での喧嘩や、遊戯や、悪企《+悪巧》み、──《─:》こんな事がらが、長いあいだ忘れられていた心《=ココロ》の妖術によって、あまたの感覚、かずかずの豊富な出来事、さまざまな悲喜哀楽の感情、《:、》もっとも熱情的な感動的な興奮などを味わわせてくれたのだ。“〔|Oh《オ》, |le bon temps《レボントン》, |que ce sie`cle de fer《ケセシェクドフェ》!〕”(おお、この草昧の時代の、楽《たの》しかりしころよ!)  実際、私の熱情的な、熱狂的なまた横柄な気性は、間もなく自分を学友たちのなかでのきわだった人物にさせ、また少しずつ、しかし自然な順序を踏んで、《:、》自分よりはさほど年が上ではない者全部に権力を揮うようにさせてしまった。──ただし、それにはたった一人だけ例外があった。この例外というのは、なんの縁故もないのではあるが、私自身のと同じ洗礼名と姓とを持っている、一人の生徒なのであった。──このことは、事実、大して珍しいことではなかった。なぜなら、貴族の出《出’》ではあるが、私の名は、長いあいだ用いられてきた権利によってよほど昔から庶民の共有物《共有ブツ》となっているように思われる、あのごくありふれた名前の一つであったのだから。この物語では私は自分をウィリアム・ウィルスンと名づけることにしているのであるが、──《─:》これは実名とあまり違《#たが》わぬ仮名《=カナ》なのである。学校の言葉で、《:》「我々の仲間」と言っている者《=モノ》のなかで、この私の同名者だけが、あえて学科の勉強でも──《─:》運動場の競技や喧嘩でも私と競争し、──私の断言を盲目的に信ずることや、私の意志に服従することを拒み、──《─:》私の専断的な命令になんであろうと事ごとに干渉したのであった。もしこの世に最高無条件の専制政治というものがあるなら、それは一人のぬきんでた子供が、その仲間たちの気の弱い心にたいして揮う専制政治である。  ウィルスンの反抗は、私にはこの上ない当惑の種《!タネ》であった。──人前では彼や彼の言い草《=グサ》を空威張りであしらうようにとくに気をつかったものの、内心では彼を恐れていた。また、彼が私にたやすく対等に振舞っているのは、彼のほうが|ほんとう《本当》は上手《ウワテ》である証拠だと思わずにはいられなかっただけ、ますます当惑の種《!タネ》であったのだ。だから負けまいとするためには、私は絶えず努力をしなければならなかった。だが、この彼のほうが上手《ウワテ》であるということは──《─:》彼が私と対等であるということさえも──私自身のほかには|ほんとう《本当》に誰一人として気がつかないのであった。私たちの仲間は、なにか妙な愚かさのために、そのことは疑いさえもしないらしかった。実際、彼の競争も、彼の抵抗も、ことに私の意図にたいする彼の無遠慮なしつこい干渉も、きびきびしたものというよりも、むしろ内々《#うちうち》のものだった。また、私を駆りたてて卓越させようとする野心も、熱情的な心《=ココロ》の力も、彼は持っていないようだった。彼の敵対は、ただ私自身を邪魔したり、驚かせたり、あるいは口惜《悔》しがらせたりしようとする気まぐれな欲望だけからやっているらしいと考えられた。もっとも、ときには、彼の無礼や、侮辱や、反抗のなかに、あるひどく不似合いな、たしかにひどく癪にさわる親切ぶかい態度をまじえるのを、私は不審と屈辱と、立腹との気持をもって認めざるをえないことがあった。この奇妙な挙動は、人を保護したり、かばったりするような卑しい態度をとりたがる、完全な虚栄心から起るのだ、としか私には考えられなかった。  たぶん、ウィルスンの行為のこの後者の特徴が、二人の名が同じだということと、二人が同じ日にこの学校に入学したという単なる偶然の出来事と一緒になって、私たち二人が兄弟なのだという考えを、《:、》その学校の上級生の間《=あいだ》にひろげたのであろう。上級生というものは普通は下級生のことを大して精確に詮議はしないものだ。私は前に言ったが、あるいは言うべきであったが、ウィルスンは私の一家とはどんなに遠い親族関係もなかったのである。しかし、もし私たちが兄弟であったとしたなら、たしかに二人は双生児《=ソウセイジ》であったにちがいない。なぜなら、ブランスビイ博士の学校を去ったのち、私は自分の同名者が1813年の一月十九日に生《生ま》れたのであることを偶然に知ったのだ。──そしてこれはちょっと珍しい暗合であった。というのは、その日はまさしく私自身の誕生日なのであるから(注7)。  妙に思われるかもしれないが、ウィルスンが我慢ならない反抗精神で敵対して私を絶え間《=マ》なしに不安にさせていたにもかかわらず、《:、》私はどうしてもまったく彼を憎むという気にはなれないのであった。たしかに二人はほとんど毎日のように喧嘩をしたが、その喧嘩では、彼は表向きは私に勝利をゆずりながらも、なにかの方法で、|ほんとう《本当》に勝ったのは彼であることを私に感じさせるようにした。けれども、私の高慢と、彼の真実の威厳とは、いつも二人を「言葉をかわすくらいの間柄《=アイダガラ》」にしていたのであった。一方、二人の気質《=キシツ》には実《=じつ》によく似た点がたくさんあって、それが、私に、二人がこんな立場でさえなかったら、《:、》おそらくは友情にまでなっていったかもしれないのにと思う気持を起させた。実際、彼にたいする私の|ほんとう《本当》の感情をはっきり定義することは、あるいはただ記述することでさえも、むずかしいのである。それは雑多な異質の混合物だった。──憎悪というほどではない短気な怨恨もあり、尊敬の念もいくらかあるし、尊重の気持はもっと多くあり、恐れの心はよほどあり、不安な好奇心はうんとたくさんあった。倫理家《倫理か-》には、ウィルスンと私自身とがまったく切っても切れない仲間であったということは、つけ加えて言う必要もないであろう。  疑いもなく、二人のあいだにあるその変則的な関係が、私のウィルスンにたいするすべての攻撃(それは公然とやるのも、こっそりとやるのもどちらもたくさんあったが)を、真面目なきっぱりした敵対でやるよりも、《:、》|からか《揶揄》いか悪戯(ただふざけているように見せかけながら苦しめるのである)の方面に向けさせたのにちがいない。しかしこのことについての私の努力は、もっともうまく自分の計画を仕組んだときでさえも、決してみな成功するというわけにはゆかなかった。なぜかというと、鋭い冗談をやりながらも、ただ一つの弱みも持たず、また人から笑われることを絶対に許さない、あのたかぶらない静かな厳格さというものを、私の同名者はその性格にたくさん持っていたからである。実際、私はたった一つしか弱点を見出すことができなかった。それは、たぶん生《生ま》れつきの病気からくる身体の特殊性にあるもので、私ほど知恵が尽きて他にどうにもしようがなくなった者《=モノ》でなければ、《:、》どんな敵手《相手》でも|見のが《見逃》したものであろう。──私の競争者は咽喉《ノド》の器官に悪《=わる》いところがあって、そのためにどんなときでもごく低いささやき以上に声を高めることができなかったのだ。この欠点に私はすかさず自分の力の及ぶかぎり、大したことでもないのにつけこんだのであった。  ウィルスンの返報は種類がさまざまであった。そしてそのなかで私をひどく苦しめた悪戯が一つあった。そんな下らないことが私を困らせるということを、どんなに利口な彼でもどうして最初にとにかく見つけたかということは、私になんとしても解《=と》けない疑問である。が、それを見つけると、彼はいつもそれで私を悩ませたのだ。私はいつも、自分の貴族的でない姓と、下品というほどではなくともごくありふれた名とを、嫌《#きら》っていた。その言葉を聞くと耳のなかへ毒液を注《-つ》ぎこまれるようだった。そして、私がこの学校へ着いた日に、もう一人のウィリアム・ウィルスンもまたその学校へ来たとき、私は、彼がその名を持っていることに腹立たしく感じ、また、他人がその名を持っていて、《:、》その男のためにそれが二倍もくりかえして呼ばれるのを聞かなければならないだろうし、その男は常に私の前にいるだろうし、その男が学校のいつもの普通の仕事でいろいろやることは、その厭らしい暗合のために、《:、》きっとちょいちょい私自身のと混同されるにちがいないのだから、その名を二重《=ニジュウ》に嫌ったのだ。  こうして生《生ま》れたいらだたしい感情は、競争者と私とが精神的にも肉体的にもよく似ていることを示すような事情が一つ一つ起るたびに、いよいよ強くなってきた。そのときは私はまだ二人が同《=おな》い年《=どし》であるというたいへんな事実を発見していなかった。が、二人が同じ丈《-たけ》であることはわかっていたし、大体の体つきや目鼻だちが奇妙に似てさえいることを認めていた。私はまた、上級生の間《=あいだ》に流れていた、あの二人が血族関係だとかいう噂に悩まされた。とにかく、二人のあいだに心でも、体でも、あるいは身分でもの類似があるということをちょっとでも言われることほど、私をひどく苦しませることはなかったのだ(もっとも私はそういう苦痛をひた隠しに隠してはいたが)。しかし、(血族関係という事がらと、ウィルスン自身の場合とをのぞけば)この類似が学友たちの話題になったり、あるいは気づかれたりさえしたことが一度でもあった、と信ずべき理由はなに一つなかった。彼がそのことに、そのすべての方面において、また私と同じくらいはっきりと、気づいていた、ということは明らかであった。が、そういう事がらがそんなにひどく私を悩ませるということを彼が見抜いたのは、前に言ったように、まったく彼のなみなみでない眼力《ガンリキ》によるというよりほかはない。  私を完全に模倣するための彼の手がかりは、言葉と動作との両方にあった。そして実《-じつ》に見事に彼はそれをやったのだった。私の服装をまねるなどは|たやす《容易》いことだった。私の歩きぶりや全体の態度は苦もなくまねてしまった。生《生ま》れつきの欠陥があるにもかかわらず、私の声さえも彼はのがさなかった。私の大きな声はむろん出そうとはしなかったが、調子は──そっくりだった。そして彼の奇妙なささやきは──私の声の反響そのままになってきた。  この実《-じつ》に精緻な肖像画(というのは、それはどうもカリカチュア(戯画)と名づけるわけにはいかなかったのだから)がどんなにひどく自分を悩ませたかは、いまここで書きしるそうとはしまい。たった一つだけ気休めがあったが、──それは、私一人しかその模倣に気がつかないらしいということだ。だから、私は自分の同名者自身の妙に皮肉な、わざとやってみせる微笑さえ我慢すればいいのであった。彼は、自分の企てたとおりの効果を私の胸のなかにひき起したことに満足して、自分の与えた苦痛にこっそりくすくす笑っているようだった。そして、白分《自分》の機知の成功で実《-じつ》にたやすくみんなの喝采を博することができたろうに、そんな喝采のことなどはまるで考えてみもしなかった。どうして学校じゅうの者《=モノ》がて《/て》んで彼の計画に気がつかず、それがまんまと成功していることもわからず、彼と一緒になって嘲笑もしなかったかということは、多くの不安な年月のあいだ、私には解きえぬ謎であった。おそらく、彼が少しずつ少しずつその模倣をやったために、そんなに造作《#ゾウサ》なくは気づかれなかったのであろうか。あるいは、それよりも、模倣者の巧妙な態度のおかげで、私は助かったのかもしれない。彼は、文字(真似られた筆跡などは、どんな愚鈍な者でもみなわかるのである)などは軽蔑して、私一人にだけよくわからせ口惜《悔》しがらせるために、彼の独創的な全精神を傾けたのだった。  彼が私をかばうようないまいましい態度をとったり、私の意志に幾度もおせっかいな干渉をしたりしたことは、すでにくりかえして言ったとおりである。この干渉はときどき不愉快な忠告の性質を持つことがあった。公然とする忠告ではなくて、それとなく言うような、あてつけて言うような忠告である。私はそれをされるのが実に嫌いだったが、その嫌悪は年《=トシ》をとるにつれて強くなってきたのだった。だが、こんなに遠く月日がたったいまとなっては、彼のために当然この一事《=イチジ》ぐらいは認《=みと》めてやりたいと思う。それは、自分の競争者の忠告が、彼のような若い、未熟な者にはごくありがちな、誤りや愚かさに陥っていたことなど、一つも思い出すことができないということ。一般的な才能や世間的な知恵はとにかく、少なくとも彼の道義心《=道義しん》は自分よりもずっと鋭かったということ。また、自分があの当時はただあまりに心から憎み、あまりにはげしく軽蔑した、あの意味ふかいささやきのなかの忠告を、あんなに始終《-しじゅう》拒まなかったならば、いまの自分は、いまよりはもっと善良な、したがってもっと幸福な人間になっていたかもしれない、ということである。  しかしその時はそうではなかった。だから、私はとうとう彼の不愉快な監督にすっかり憤慨してしまい、私には我慢ならないその傲慢さを、日ごとにますます公然と憎むようになった。前にも言ったように、二人が学友関係になった最初の一、二年は、彼にたいする私の感情は、たやすく友情にまでなっていったかもしれなかった。が、学校生活の終りごろになると、彼の普通の出しゃばりはたしかにいくらか減っては《は-》いたけれど、私の気持は、それとほとんど同じくらいの割合で、非常に積極的な憎悪を持つようになった。あるとき彼はこのことを知ったらしく、それからあとは私を避《=さ》けた。あるいは避《-さ》けるようなふうをしてみせた。  もし自分の記憶が誤っていないなら、大体それと同じころのこと、私は彼と猛烈な争論をしたのであったが、そのとき、彼はいつもよりはずっと警戒の念をすてて、《:、》彼としては珍しくあけっ放しな挙動でしゃべったり振舞ったりしたが、その彼の口調や、態度や、全体の様子のなかに、私は最初は自分をぎょっとさせ、それから次には自分に深い興味を与えたあるものを、発見した。あるいは発見したような気がした。というのは、自分のごく幼いころのおぼろげな幻影──《─:》記憶力そのものがまだ生《生ま》れないころの奇怪な、混乱した、雑然と群がってくる記憶──《─:》が自分の心に思い浮んだからなのだ。私は、自分の前に立っているものとは自分はよほどずっと以前のある時期──《─:》無限にとさえ言っていいくらい遥かな過去のあるとき──《─:》から知り合っているのだという信念を、なかなか払い落すことができなかった、というより以上に、《:、》そのとき自分を襲った気持をうまく書きしるすことはできない。しかし、この妄想は浮ぶとすぐさっさと消え去った。そして私は、ただ自分がその不思議な同名者とそこで最後の会話をした日のことを言うだけのために、このことを述べるのである。  数えきれないほどの区画のあるその大きい古い家《=イエ》には、互いに通じている大きな部屋がいくつかあって、そこに学生の大部分が寝ていたのだった。しかし、(そのように不器用に設計された建物にはどうしても当然あることだが、)建物の余ったところや端《ハシ》っこの、小さな隅あるいは凹《=ヘコ》んだところが、たくさんあって、それもまた、《:、》ブランスビイ博士の経済的|工夫《=クフウ》力によって、やはり寝室になるように造ってあった。もっとも、それはまったくほんの戸棚のようなものなので、たった一人だけしか使うことができなかった。その小さな部屋の一つにウィルスンはいたのだ。  私がその学校へ入ってから五年目の終りごろのある晩、いま言ったあの争論をやったすぐあと、みんながすっかり寝しずまったのを見て、私は寝床から起き上がり、ランプを手にして、自分の寝室から自分の競争者の寝室へと、《:、》せまい廊下をいくつもいくつもそっと忍び足で通りぬけて行《=い》った。私は長いあいだあの意地悪な悪戯の一つを彼に加えてやろうとたくらんでいたのだが、これまではそれがいつも失敗してばかりいたのだった。今度こそ自分の計画を実行してやろうというのが、そのときの私の考えで、私は、自分のいだいている怨恨をいやというほど思い知らせてやろうと決心したのだ。彼の部屋へ着くと、ランプに笠をかけて室《部屋》の外《=ソト》へ残しておいて、音《=オト》をたてずに内《ウチ》へ入った。私は一足踏《-ひと足’踏》みこんで、彼の静かな寝息に耳をすました。彼の眠っていることを確かめると、戻って、ランプを手に取り、それを持ってまた寝床に近づいた。寝床のまわりはカーテンでぴったり閉じこめてあったが、自分の計画にしたがって、そのカーテンをゆっくりと静かにひきのけたとき、《:、》明るい光線が眠っている者《=モノ》の上へきっぱりと落ち、私の眼は同時に彼の顔の上へ落ちた。私は眺めた。──と、たちまち、しびれるような、氷のように冷たい感じが体じゅうにしみわたった。胸《胸’》はむかつき、膝はよろめき、全心は対象のない、しかし堪《#た》えがたい恐怖に襲われた。息をしようとして喘ぎながら、私はランプを下げてもっとその顔の近くへよせてみた。これが──これがウィリアム・ウィルスンの顔なのであろうか? 私はそれが彼のだということをちゃんと知っていた。が、そうではないような気がして、瘧の発作にでもかかったかのようにぶるぶる震えた。その顔のなにが自分をそんなぐあいにどぎまぎさせたのであろうか? 私はじっと見つめた。──すると、さまざまな筋道の立たぬ考えが湧き上がって頭がぐらぐらとした。彼が目が覚めていて活溌でいるときは、彼はこんなふうには見えなかった、──《─:》たしかにこんなふうには見えなかった。同じ名前! 同じ体つき! この学校への同じ日の到着! それからまた、私の歩きぶりや、声や、服装や、態度などにたいする彼の執念ぶかい無意味な模倣! 自分のいま目にしているところのものが、そういう皮肉な模倣を不断にやりつけていることの単に結果なのだということが、まことに、人間の力でできることであろうか? 畏怖の念に打《=う》たれ、ぞっと身ぶるいしながら、私はランプを吹き消し、こっそりその部屋を出て、すぐにその古い学校の校舎を立ち去り、二度と決してそこへ戻らなかった。  それから幾月《イクツキ》か家でただのらくらして過したのち、私はイートンの学生になった。そのあいだの短い月日は、ブランスビイ博士の学校でのあの出来事の記憶を弱めるのに、あるいは、少なくともその記憶にたいする感じ方《=かた》を著しく変えるのに、十分《充分》であった。その劇の真実性──悲劇性──はもうなくなっていた。いまではあのときの自分の感覚が確かだったかどうかと疑う余裕さえできた。そしてたまにあの事がらを思い出すときには、ただ、人間というものはなんと物事を軽々しく信ずるものかと驚き、自分が遺伝的に持っている溌剌たる想像の力に微笑んだのだった。またこの種《しゅ》の懐疑は、自分がイートンで送った生活の性質のために減りそうにもなかった。私がそこですぐさま向う見ずに跳びこんでいった無分別な愚行の渦は、自分の過去の月日の泡だけを除いてすべてを洗い去り、堅実な、または真面目な印象は一つ残らずさっさとのみこみ、《:、》以前の生涯の全く浮薄なものだけしか記憶に残さなかったのだ。  しかし、私は、このイートンでの自分のあさましい乱行《#ランコウ》──《─:》学校の目を巧みにのがれながら、学校の規則など|もの《モノ》ともしなかった乱行《#ランコウ》──《─:》をいちいちたどって書こうとは思わぬ。愚行の三カ年《=ねん》は、ただ私に悪徳の根ぶかい習慣をつけ、またちょっと普通以上に私の背丈を伸ばしただけで、なんの得るところもなく過ぎ去った。が、そのころ、一週間もめちゃくちゃな放蕩をしたのち、私はもっとも放縦《=ホウショウ》な学生の数人を自分の部屋での秘密な酒宴に招待したのであった。私たちは夜がよほど更けてから集まった。自分たちの乱行《#ランコウ》をまちがいなく朝までもつづけるつもりだったのだから。酒は豊かに満ちあふれていたし、それ以外のおそらくもっと危険な誘惑物なども欠けてはいなかった。というわけだったから、私たちの有頂天の乱痴気騒ぎがその絶頂に達しているうちに、東の方《!ほう》はは《早》やかすかにほんのりと白みかかっていたのだった。骨牌と酩酊とのために狂ったように興奮して、私がまさにいつも以上の不埒な言葉を吐《=ハ》いて乾杯を強いようとしていたちょうどこのとき、とつぜん自分の注意は、部屋《=ヘヤ》の扉が少しではあるがはげしく開かれて、《:、》外から一人の小使がせかせかした声《=コエ》で呼んでいるのに、逸らされた。彼は、誰か急用のあるらしい人が、玄関のところで私に会って話したいと言っている、と告げた。  ひどく酒に酔っぱらっていたので、この思いがけない邪魔が入ったことは、私を驚かせるよりもむしろ喜ばせた。すぐさま私は前へよろめいてゆき、|五、六歩《ゴロッポ》歩くとその建物の玄関へ出た(注8)。その低い小さな室《+部屋》にはランプは一つもかかっていないので、そのときは、一つの半円形の窓から射しこんでくるごくかすかな暁の光のほかには、光はぜんぜん入っていなかった。その室《部屋》の閾《+敷居》をまたいだとき、私は自分と同じくらいの背の高さで、自分がそのとき着ていたもののように最新流行型に仕立てた白いカシミヤのモーニング・フロックを着た、一人の青年の姿に気がついた。それだけのことは、そのかすかな光で認められた。が、彼の顔の目鼻だちは見分けることができなかった。私が入ってゆくと、その男は急いで私の方《ほう》へずかずかと歩みよって、怒《=おこ》りっぽいじれったそうな身ぶりで私の腕をつかみながら、《:、》私の耳もとで「ウィリアム・ウィルスン!」とささやいた。  私はたちまち、すっかり酔いがさめてしまった。  その見知らぬ男の態度には、また光と私の眼とのあいだに揚げた彼の指のぶるぶる震えていたことには、私にまったくの驚愕の念を感じさせるものがあった。が、私をそれほどはげしく感動させたのは、そのことではなかった。それは、奇妙な、低い、叱るような声の厳《-おごそ》かな警告の意味ふかさであった。また、とりわけ、過ぎし日の多くの群《群れ》がりよる記憶を呼び起し、私の魂に電流に触《#ふ》れたような衝撃を与えた、あの短い、単純な、よく聞きなれた、しかもささやくような声の性質、音色、調子であったのだ。私がやっと感覚の働きを回復したときには、その男はもう見えなかった。  この出来事は私の錯乱した想像力に強烈な効果をたしかに与えずにはいなかったが、それでもその効果は強烈であると同様に一時的なものだった。実際、何週間《ナン週間》かは、私は熱心な詮議に没頭したり、病的な考究の雲に包まれたりした。私は、そのように根気よく自分のなすことに干渉し、あてつけに忠告をして自分を悩ませるその不思議な人物が誰であるかということを、知らないふりをしようなどとはしなかった。しかし、このウィルスンとは何者であるか? ──そして彼はどこから来たのか? ──また彼はなにをするつもりなのか? こういう事がらになると自分にはそのなかの一つも満足にわからなかった。──ただ、彼について確かめることのできたのは、彼の家族に突然なにかの出来事があって、そのために彼はブランスビイ博士の学校を、私自身が逃げ出したあの日の午後に退《-ひ》いた、ということだけであった。しかし、やがて私はその事がらについて考えることはやめてしまった。オックスフォードへ向って出発しようと思っていたので、それに自分の注意はすっかり取られたのだ。間もなくそこへ行ったが、私の両親の無考えな虚栄は、私に、すでに自分の心にはごく親しいものであった奢侈に思いのままにふけることが──《─:》大《=ダイ》ブリテンでももっとも金持の貴族の傲慢な子弟たちと金遣いの荒さでは張りあうことが──《─:》できるようにさせたほどの小遣いと年々の費用とを、あてがってくれた。  そういうような悪徳に都合のいい手段に励まされて、生来《=セイライ》の気質はすぐに二倍もはげしくなり、私は常軌を逸《=いっ》した飲み騒ぎに惑溺し、普通の世間体の拘束さえも蹴とばしてしまったのだった。しかし自分の乱行《#ランコウ》をここで詳しく書きたてるのはばかげたことであろう。ただ、自分が金遣いの荒い道楽者連中《道楽者’連中》のあいだでも群《=グン》を抜いていたということと、あまたの新しい愚行を考え出して、ヨーロッパじゅうでもいちばん放縦《=ホウショウ》な大学でその当時常《当時’常》に行われていた悪徳の長いカタログ(目録《/目録》)に、かなりの増補を加えたということとを、言っておくだけにしよう。  だが、ここでさえも、私が紳士としての身分からまったく堕落して、職業的の賭博者の陋劣きわまる手管を覚えこもうとし、また、その卑劣な術策《=ジュッサク》の達人になってからは、いつもそれを実行して、《:、》仲間の学生たちのなかの愚鈍な連中から金《-かね》をまき上げて、そうでなくとも莫大な収入をいやが上にも増す手段としていた、ということはとても信じられないであろう。けれども、事実はそうだったのだ。そして、あらゆる立派な正しい情操に反するこの罪科のあまりに大きいというそのことが、疑いもなく、それが行われながら罰せられなかったことの唯一のではなくとも主要な理由となったのだった。実際、私の放縦《=ホウショウ》な仲間たちのなかで、あの快活な、率直な、寛大なウィリアム・ウィルスン──《─:》オックスフォードでもいちばん高潔でいちばん気前のいいあの自費生──《─:》彼の乱行《#ランコウ》は青年の放肆な空想のさせる乱行《#ランコウ》にすぎず──《─:》彼の過失はまねのできぬ気まぐれにすぎず──《─:》彼のいちばん暗い悪徳も無頓着《=ムトンジャク》な血気にまかせてする放蕩にすぎない(と彼の取巻き連の言う)あのウィリアム・ウィルスン──《─:》がそういうようなことをしようと疑うよりは、むしろ自分の気《=き》が確かかどうかを問題にしようとしない者《=モノ》がいたろうか?  もうは《早》や二年もそんなふうにして私はいつも首尾よくやってきたが、そのころ、その大学へ、グレンディニングという若い成金の貴族──《─:》人の噂によるとヘロオデス・アッティクス(注9)のような金持で──《─:》また彼の富はそのようにたやすく手に入《=い》れたものだそうであった──が、入ってきた。私にはすぐこの男の低能なことがわかったので、もちろん、自分の手練《手練れ》を揮うに持って来いの相手として目をつけた。私はたびたび彼と賭博をやり、賭博者のいつもやる策略で、自分の罠にいっそううまく陥らせるために、彼にかなりの額《ガク》を勝たせるように仕向けた。とうとう、もう自分の計略が熟してきたので私は彼と仲間の自費生(プレストン君)の部屋で(これを最後の終決的な会合にしてやろうと堅く思いながら)会った。プレストン君というのは二人とも同じく懇意なのであるが、彼のために言っておけば、彼は私の企図《+企み》はほんのちょっとばかりも疑っていはしなかったのである。この会合にさらにもっともらしい文《+アヤ》をつけるために、私は八人か十人ばかりの連中が集まるように仕組み、それから骨牌がいかにも偶然に持ち出されたように見え、《:、》しかも私の目をつけているその阿呆自身が言い出して始まるように、よほど気をつけてやったのだった。この陋劣な題目について簡単に言ってしまえば、どうしてまだ一人でもそれにひっかかるほどの愚かな者がいるのかということがまったく不思議なくらいそういうような場合にはいつも決って用いられる、《:、》あの卑劣な術策《=ジュッサク》は一つ残らず使ったのだった。  私たちは勝負をずっと夜までつづけ、私はとうとうグレンディニングを自分のただ一人の相手にする運びをつけてしまった。競技は、そのうえ、私の得意のエカルテ(注10)だった。一座の他の連中は、私たちの勝負の大きいのに興味を持ち、自分たちの札《#フダ》を投げ出してしまって、二人のまわりに立って見物《#ケンブツ》した。宵のうちに私の謀略でしたたか酒を飲まされていたその成金は、いまやひどく神経質な態度で札《フダ》を切ったり、配ったり、打ったりしたが、《:、》その態度はいくらかは酔いのためであろうがそればかりではないにちがいないと私には思われた。またたく間《=マ》に彼は私からずいぶんの額《ガク》を借りることになったが、そのとき、彼はポルト酒をぐうっと一気に飲みほすと、まさに私が冷静に予期していたとおりのことをした。──そうでなくとも法外な額《ガク》の賭金《賭け金》を、二倍にしようと申込《申し込》んだのだ。いかにも厭なような様子をしてみせ、また幾度も拒絶して彼を怒《=おこ》らせて、おとなしくしている自分をもちょっとむっとさせるような言葉を彼に吐かせてから、とうとう私は応諾してやった。その結果は、無論《-むろん》、その餌食がいかにまったく私の罠にかかっているかということを示すだけだった。一時間もたたないうちに彼は借金を四倍にしてしまった。少し前から彼の顔は酒のために染まった赤らんだ色合いを失いつつあったが、いまや、驚いたことには、それがまったく恐ろしいくらいの蒼さになっているのを私は認《=みと》めた。驚いたことには、と私は言う。グレンディニングは、私が熱心に探ったところでは、測り知れないくらいの金持だったのだ。そしてそれまでに彼の損をした額《#ガク》は、それだけとしては莫大なものではあるけれど、さほど大して彼を困らせるはずはない、《:、》ましてそんなにはげしく彼に打撃を与えるはずがないと私は考えた。たったいま飲みこんだ酒に酔いつぶれたのだというのが、すぐさま胸に浮んだ考えであった。そこで、私は、それほど利己的ではない他のいかなる動機でよりも、むしろただ仲間たちの目に自分自身の品性を保《-たも》とうというだけの目的で、《:、》勝負を中絶することをきっぱり主張しようとしたそのとき、一座のなかの私の近くにいた者の口《=クチ》にした二三言《ニサンこと》と、《:、》グレンディニングの思わず発したまったくの絶望を表わす声とは、《:、》彼が、みんなの憐憫の的となって悪魔の仇《カタキ》からでも保護されるくらいな事情のもとに、私のために完全な破滅をさせられたのだ、ということを私に理解させたのであった。  このとき私がどう振舞ったろうかということは、言うのがむずかしい。私にひっかけられた男のその惨めな有様《=ありさま》は、あらゆるものにせっぱつまったような陰惨な様子を投げかけていた。そしてしばらく深い沈黙がつづいたが、そのあいだ、私は、一座のなかの比較的真面目な連中が自分に投げる、軽蔑や非難の焼くような多くの視線で、《:、》自分の頬《ホオ》がちくちくするのを感ぜずにはいられなかった。そのとき不意の驚くべき出来事が突発したために、自分の胸からちょっとのあいだ堪《#た》えがたい苦痛の重みが取りのけられたくらいだ、ということを私は白状してもいい。その室《部屋》の広い、重い両開き扉がとつぜんぱっといっぱいに開《=ひら》かれ、その力強い凄《=すさ》まじい猛烈さのために、部屋《=ヘヤ》じゅうの蝋燭が一つ残らず、まるで魔術で消えたかのように消されたのだ。その蝋燭の明りが消えてゆくときに、私たちは、私くらいの背の、外套にぴったりとくるまった一人の見知らぬ男が入っているのを、ちょっと認めることができた。けれども、すぐにまったくの真っ暗闇となり、私たちはただその男がみんなの真《=ま》ん中《=なか》に立っているのを感ずることができるだけだった。この無作法に一同がすっかり驚き、まだ一人もその驚きが鎮まらないうちに、その闖入者の声が聞《聞こ》えたのであった。 「諸君」と彼は、私の骨の髄までもぞっとするような、低い、はっきりした、決して忘れられないささやき声《=ゴエ》で言った。「諸君、私はこの振舞いにたいしてなにも弁解はしません。こう振舞って、ただ私は一つの義務を果《果た》しているのだからです。諸君はたしかに、今夜グレンディニング卿からエカルテで大金をまき上げた人間の本性をご存じない。だから、私は、そのきわめて必要な知識を得る手っ取り早い確かな方法を一つ、諸君にお授けしましょう。どうか、その男の左の袖のカフスの内側と、縫取りしたモーニング・ラッパーの広いほうのポケットのなかにあるはずのいくつかの小さな包みとを、ごゆっくりお調べください」  彼がしゃべっているあいだは、床《=ユカ》の上へ針が一本落ちても聞えそうなほど、ひっそりと鎮まりかえっていた。言いおわると、彼はすぐに、また入って来たときのように突如として、行ってしまった。そのときの自分の感じを私は書くことができるだろうか──書かねばならぬだろうか? 私は地獄に落ちた者《=モノ》のあらゆる恐怖を感じたなどと言わねばならないだろうか? たしかに私には考えている暇はほとんどなかった。たくさんの手がすぐに私を乱暴にひっつかみ、明りはまたすぐに持って来られた。つづいて捜索が行われた。私の袖の裏から、エカルテにもっとも肝心なあらゆる絵札が発見され、ラッパーのポケットからは、たくさんの骨牌札《骨牌フダ》が発見された。これは私たちの勝負に使った札《フダ》とそっくりのもので、ただ一つ違っているのは、私のはその道《=ミチ》の言葉で言えばアロンデ(注11)という種類のものだった。すなわち、オナアズ(最高札《最高フダ》)は上下の縁《フチ》が少しばかり凸形《+凸型》になっているし、並の札《#フダ》は両横の縁《フチ》が少しばかり凸形《+凸型》になっているのである。こんなぐあいになっているので、だまされる人は普通のように札《フダ》を縦に切るものだから、いつも相手に最高札《最高フダ》のほうを切ってやるし、だますほうは横に切るから、《:、》同様にきっと相手に点になるような札《フダ》は一枚もつかませないことになるのだ。  このことが露顕したとき、みんなが一時《イチジ》に憤りたててでもくれたなら、それほど私も参らなかったろうが、みんなはただ黙って軽蔑の色を浮べ、または皮肉な様子で平然としていたのだった。「ウィルスン君」と部屋の主人は、体をかがめて、珍しい毛皮のすばらしく贅沢な外套を足の下から取り上げながら、言った。「ウィルスン君、これは君《=キミ》の物《=モノ》だよ」《」:》(寒い時候だったので、私は自分の室《部屋》を出るときに、ドレッシング・ラッパーの上へ外套をひっかけてきて、その骨牌をやる部屋へ入ると脱いでおいたのだった)「《-》この上のお手並の証拠を拝見するために、ここを」《」:》(と外套の襞のところを苦々しい微笑を浮べて眺めながら)「《-》捜すのは余計なことだろうと思う。実際、あれだけでもう十分《充分》だ。君《キミ》はオックスフォードを立ち去らねばならないことはわかっているだろうな。──ともかく、僕の部屋からはすぐさまね」  私はそのときすっかり面目を失い、ひどく屈辱を感じてはいたが、もし一つのもっとも驚くべき事実にその瞬間自分の全注意をひかれなかったならば、《:、》このいまいましい言葉にたいしてすぐさま直接行動に出たかもしれない。私の着ていた外套は世にも珍しい種類の毛皮でこさえたものだった。どんなに珍しいもので、どんなに途方もないほど高価なものであったかということは、あえて言うまい。その型もまた、私自身の風変りな考案になるものだった。そんなつまらぬ事がらにまで、私はばかげたくらいに気むずかしくめかしやだったからである。そういうわけだったから、プレストン君が部屋の両開き扉の近くの床《床’》の上から拾い上げたものを私に渡してくれたとき、《:、》私は、私自身のがは《早》や自分の腕にかかっていて(たしかに自分でうっかり腕へかけておいたのだ)、自分にさしつけられたのは、どこからどこまで、実《じつ》にもっとも細かな点に至るまでも、《:、》それにそっくり似せた物《=モノ》にほかならぬということに気がついて、ほとんど恐怖に近いくらいの驚きを感じたのであった。あんなに私の秘密をすっぱ抜いてひどい目にあわせたあの不思議な人物は、私の記憶しているところでは外套にくるまっていた。そして私たちの一座の者《=モノ》は、私をのぞいては、誰ひとり外套を着ていなかったのだ。多少の落着きは保《#たも》っていたので、私はプレストンが差出してくれたのを取り、誰の目にもつかずにそれを自分の外套の上にかけ、《:、》にらみ返すような強い顰め面《っ面》をしながらその部屋を出た。そして、翌朝《=ヨクアサ》まだ夜の明けないうちに、まったく苦しいばかりの恐怖と屈辱とを感じながら、オックスフォードから大陸へあたふたと旅立ったのである。  私はむなしく逃げまわった。私の邪悪な運命はまるで喜び勇んでのように私を追いかけて来て、その運命の不思議な支配がまだ始まったばかりだということを示した。私はパリへ足を踏み入《=い》れるや否や、このウィルスンが私のことに憎むべき関心を持っていることの新たな証拠を見た。幾年《=イクトシ》も過ぎ去ったが、そのあいだ私は少しも心《=ココロ》の安まることはなかった。悪党! ──ローマでは、どんなに折悪しく、しかもどんなに妖怪のようなおせっかいをもって、私の野心の邪魔をしたことか! ウィーンでも──ベルリンでも──またモスコーでも! まことに、心のなかで彼を呪《=のろ》うべき苦い理由を持たなかった所がいずこにあったか? 不可解な彼の暴虐から、私はとうとう戦々兢々《戦々恐々》として疫病から逃げるように逃げた。そして地球のは《果》てまでも私はむなしく逃げまわった。  再三|再四《サイシ》、私はそっとわが心《=ココロ》に問うた、《:》「彼は何者であるか? ──彼はどこから来たのか? ──また彼の目的はなんであるか?」と。しかし答えは一つも得られなかった。それから今度は、彼のあつかましい監督の形式《=ケイシキ》と、方法と、主要な特徴とを、細かな詮索をして吟味してみた。けれどもそこにすら推量の基礎となるべきものはほとんどなかった。実際、気のつくことは、彼が最近私の邪魔をした多くの場合のすべてが、もしそれがほんとに実行されたなら忌むべき害を生じたであろう計画や行為に限られていたのだ。だが、これは、あんなに横柄に揮った権力にたいするなんという貧弱《貧弱’》ないいわけであろう! 自由行動という生得《=セイトク》の権利をあんなに執拗に、あんなに無礼に否定されたことにたいするなんという貧弱《貧弱’》な損害賠償であろう!  私はまた、自分の迫害者が、非常に長いあいだ(そのあいだずっと、私と同じ服装をするという彼の酔狂を、注意|ぶか《深》く、しかも驚嘆すべき巧妙《巧妙’》さをもって、つづけていながら)、私の意志にいろいろな干渉をする際に、《:、》彼の目鼻だちをどんなときでも私に見せないようにしていた、ということにも気がつかずにはいられなかった。ウィルスンがたとい何者であろうとも、少なくともこのことは、実《=じつ》に衒いの、あるいは愚の最たるものにすぎなかった。イートンでの私の訓戒者──オックスフォードでの私の名誉の破壊者──《─:》ローマでの私の野心や、パリでの私の復讐や、ナポリでの私の熱烈な恋や、さてはエジプトでの私の貪欲と彼が誤って名づけたものなどを、妨害した男──《─:》この私の悪魔であり悪の本尊である男が、私の学童時代のあのウィリアム・ウィルスン──《─:》ブランスビイ博士の学校でのあの同名者、学友、競争者──《─:》あの憎み恐れた競争者であることを、私が認められない、などと彼は一瞬間でも想像することができたろうか? そんなことはありえない! ──だが、私はこの劇の最後の重要な場面へ急ぐことにしよう。  これまで私は、この横柄な支配に意気地なく屈してきた。ウィルスンの気高い性格と、尊厳な叡知と、一見遍在していて全知全能であるように思われることとにたいして、自分の常にいだいていた深い畏怖の情は、《:、》彼の性質のなかのある他の特性と傲慢さとが自分に起させた恐怖とまで言うべき感じとあいまって、これまでは、私に、自分がまったく無力でどうにもできない者《=モノ》だという考えを与え、《:、》また彼の専断的な意志にひどく厭々《イヤイヤ》ながら盲従するようにさせてきたのであった。しかし、近ごろになって、私はまるで酒びたりになり、それが自分の遺伝的な気質に狂おしいくらいの影響を与えて、いよいよ自分を抑えきれなくなった。私は不平を鳴らし──ためらい──抵抗し|はじ《始》めるようになった。そして、自分自身の強さが増してくるにつれて自分の迫害者の強さがそれに比例して減っていくように私が信じたのは、ただ気のせいであろうか? それがいずれにしろ、私はいまや燃えるような希望の霊感を感じはじめ、とうとう、こっそりと、このうえ決して服従して奴隷扱いにされまいという断固とした決心を固めたのであった。  ローマで、|一八──年《千八百マルマルネン》の謝肉祭《+カーニバル》のあいだ、私はナポリの公爵ディ・ブロリオの邸宅における仮面舞踏会に出席した。私はその日いつもよりももっとひどく酒を過していた。そしていま、こみ合った室内の息づまるような空気は、私を我慢のできないほどいらいらさせた。それに、ごった返している人込みのあいだを押し分けてゆく厄介さも、気持をいらだたせるのにかなり油を注《=そそ》いだ。というのは、私は、かの年《=トシ》をとって耄碌しているディ・ブロリオの、若い、浮気な、美しい細君をしきりに捜して(どんな卑しい動機でということは言わないことにするが)いたのだから。彼女は、ひどく不真面目な大胆さで、自分の着ける仮装衣装の秘密を前もって私に知らせてくれていたのだ。そしていまこそ、彼女の姿をちらりと認めたので、私は彼女のところへ行こうとして急いですすんだ。──と、その刹那、自分の肩に軽く手が触《#ふ》れるのが感ぜられ、あのいつも忘れたことのない、低い、いまいましいささやきが耳のなかに聞《聞こ》えたのだった。  まったく怒《=いか》り狂って、私はすぐに自分をそうして邪魔した男の方《!ほう》へ振り向き、荒々しくそいつの襟首をひっつかんだ。彼は、私の予期したとおり、私のとまったく同じ衣装を身につけていた。剣《=ケン》をつるす深紅色《シンコウショク》の帯を腰のまわりに巻いた、青天鵞絨のスペイン風《ふう》の外套を纏っているのだ。黒い絹の仮面が彼の顔をすっかり蔽いかくしていた。 「ごろつきめ!」と激怒のためにしゃがれた声《=コエ》で私は言った。私の口《=クチ》から出る一語一語は、自分の怒《=いか》りをさらに焚きつける新たな薪《=マキ》のようであった。「ごろつきめ! かたりめ! いまいましい悪党め! ──己《俺》はきさまに──きさまに死ぬまでもつきまとわれてはいないぞ! ついて来い! でなけりゃこの場で突き刺してやるぞ!」──そして私は、抵抗のできないように彼を一緒にひきずりながら、舞踏室から隣の小さな控の間《#マ》へと跳び込んだ。  そこへ入ると、はげしく彼を突きはなした。彼が壁につき当ってよろめいているあいだに、私は呪咀の言葉とともに扉をしめて、彼に剣《=ケン》を抜けと命じた。彼はほんのちょっとのあいだ躊躇したが、やがて、かすかな溜息をつきながら、黙って剣《=ケン》を抜き、防御の身がまえをした。  仕合はごく短かった。私はあらゆる種類のはげしい興奮のために狂気のようになっていて、片腕に百千人《百’千人》の力がこもっているのを感じた。数秒のうちに怪力を揮って彼を羽目板のところへ押しつけ、こうして彼を自分の掌中に握ると、残忍凶猛に、幾度も幾度も彼の胸へ自分の剣《=ケン》を突き立てた。  その瞬間、誰かが扉の挿錠を|がちゃがちゃ《ガチャガチャ》させた。私は急いで誰でも外から入って来られないようにして、それからまたすぐその瀕死の敵手《相手》のところへとひき返した。しかし、そのとき眼前にあらわれた光景を見たとき自分をおそったあの驚愕、あの恐怖を、どんな人間の言葉が十分《充分》にあらわすことができようか? 私が眼を離していたそのちょっとのまに、室《+部屋》の上手《ウワテ》の、つまり遠いほうの端《’端》の配置に、見たところ、重大な変化が起きていたのだ。大きな鏡が──自分の心が混乱していたので私には最初はそう思われたのだが──《─:》いまや前になにもなかったところに立っていたのだ。そして、私が極度の恐怖を感じながらそれに近づいてゆくと、私自身の姿が、だが真っ蒼《青》な、血《=チ》にまみれた顔《=カオ》をして、《:、》力のないよろよろした足どりで私の方《ほう》へすすんで来た。  そんなふうに見えた。が、そうではなかった。それは私の敵手《相手》であった、──それは断末魔の苦悶をしながらそのとき私の前に立ったウィルスンであった。彼の仮面と外套とは床《床’》の上《=ウエ》に、彼の投げ棄《捨》てたところに、落ちていた。彼の衣服中の糸一本も──彼の顔のあらゆる特徴のある奇妙な容貌のなかの線一つも、まったくそのままそっくり、私自身のものでないものはなかった!  それはウィルスンであった。けれども彼はもうささやきでしゃべりはしなかった。そして私は、彼が次のように言っているあいだ、自分がしゃべっているのだと思うことができたくらいであった。── 「お前は勝ったのだ。己は降参する。だが、これからさきは、お前も死んだのだ、──《─:》この世にたいして、天国にたいして、また希望にたいして死んだんだぞ! 己のなかにお前は生きていたのだ。──そして、己の死で、お前がどんなにまったく自分を殺してしまったかということを、お前自身のものであるこの姿でよく見ろ」 ◇。◇。◇。◇。◇。 (注1)チェインバリン:(1619から79)──イギリスの詩人、劇作家。 (注2)エラガバルス:(205から222)──本名《本ミョー》 Varius Avitus Bassianus. ローマの皇帝。その放埒な乱行《#ランコウ》をもって知られている。 (注3)|ほの暗《仄暗》い谷《タニ》:旧約聖書詩篇第二十三篇第四節に出ている「死のかげの谷《=タニ》」のこと。 (注4)手引紐:歩き初めの子供につかまらせて歩き慣らせる紐。 (注5)木箆:学校で、懲罰として児童を、とくにその掌《=てのひら》を、打つためにつくられた木の箆。 (注6)強い厳《=きび》しい刑罰:「強い厳《=きび》しい刑罰」という意味のフランス語であるが、昔、普通の審問に答弁しない罪人《ザイニン》に科したものであって、《:、》罪人を俯伏《うつ伏》せに臥させてその上に重いものを載せ、白状しなければ死ぬまでそうしておいたという残酷な刑罰である。 (注7)私自身の誕生日なのであるから:ポーの生年月日は今日《コンニチ》では1809年一月十九日であることが確かめられているが、作者自身は自己の誕生日を1811年とした手記をグリズウォルドに与え、のちにさらに1813年としたのである。なお、この物語の初めの追憶的の部分が作者の幼時に学んだイギリスのストーク・ニューイントンのブランスビイ博士の学校のことなどを描《!えが》いたものであることは有名であるが、《:、》全編を「半自伝的」の作と考えるのは当を得たものではない。 (注8)その建物の玄関へ出た:これはもちろん、ブランスビイ博士の学校寝室などと違って、学生の寄宿舎は学校の本館とは別の棟《=ムネ》になっていて、一つ一つの室《+部屋》に小さな玄関の間《マ》がついているからである。 (注9)ヘロオデス・アッティクス:(104こ《年こ》ろから180こ《年こ》ろ)──本名《本ミョー》 Tiberius Claudius. ギリシャのアテネの市民であった富豪。修辞学者であったが、その著作は今日残《コンニチ残》っていない。彼の祖父の領地は反逆のために没収されたが、その後彼の父の家で莫大な額の金《-かね》が発見され、それを所有することを時の皇帝に許されてたちまちにして大財産家となり、彼の結婚によってもますますその富が増したという。彼はその私財をもって方々《ホウボウ》に劇場や音楽堂を建てたり、競技場や競走路をつくったり水道や温浴場をこさえたり、ギリシャ各地の滅びた都市を復旧再興させたり、《:、》実《=じつ》にさまざまの驚くべき大規模な公益事業をしているが、もってその富のいかに巨大であったかが察せられる。 (注10)エカルテ:三十二枚の札《#フダ》で二人だけでやる骨牌戯《+カルタ遊び》。 (注11)アロンデ:正しくはフランス語で arrondies と書き(もっとも英語化されて arondie, arondy などとも書かれるようである)、《:》「円《丸》くされた」《」:》、《:》「円い」という意味(邦語では「マル札《フダ》」とでも訳すべきか)。すぐあとに本文で説明されているように、札《フダ》の縁《フチ》が少し円味《丸み》を帯《=お》びているからである。 ◇。◇。◇。◇。◇。 【底本:「黒猫・黄金虫《オウゴン虫》」新潮文庫、新潮社】 【   1951(昭和26)年8月15日発行】 【   1995(平成7)年10月15日89刷改版】 【   2004(平成16)年2月5日100刷】 【入力:kompass】 【校正:土屋隆】 【2005年11月1日作成】 【2014年3月27日修正】 【青空文庫作成ファイル:】  このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http:《コロン-/-》//《-/》www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。